読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

見事な紅葉?そして秋の花

2007-10-13 17:41:13 | 
我が家の西側にある「ニシキギ」が紅葉したのだが・・・                
陽のあたる側は見事に赤くなったのだが、陽のあたらない場所は緑色のままである。全部が赤くなるのはいつのことなんだろうか?
こういうことは初めてらしい。

キンモクセイが満開である。まだかおりは強くない。


そして白のイワシジャンである。ホタルブクロに似ているが、ホタルブクロはこのように花が開かないのではないか                 
                         

他にもシュウメイギクやツワブキも我が家の庭には咲いている。

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巨額暗黒資金-影の権力者の昭和史3巻- 本所次郎 だいわ文庫

2007-10-12 21:10:51 | 読んだ
だいわ文庫というのは初めてである。

この巨額暗黒資金は、影の権力者の昭和史の第3巻であり、第1巻「高級官僚」、第2巻「天下り支配」とある。
どうせなら第1巻から読みたかったのだが、この本を見つけた本屋にはこの3巻しかなかったので『まあいいかっ!』と買ってきたのである。

もともとは「麒麟おおとりと遊ぶ」という上下巻のものだったのを、改題し加筆修正をしたものだという。

筆者の本所次郎は経済記者から執筆活動に入ったとのこと。1937年生まれだから70歳である。

さて、この巨額暗黒資金は、全日空を舞台にしたM資金とその後のロッキード事件について書いてある。

テンポの速い進行と、実名で登場する人物たち。
見てきたかのようなセリフと場面描写。

帯には『政財界の権力者と闇社会、謎のM資金が踊る!!』とあり、表紙、題名と併せて、なんだか妖しい感じがするが、実際の内容はおどろおどろしいものではないし、思わせぶりな表現もなく、どちらかといえば新聞を読んでいるような漢字である。

それだけに、客観的な描写が「ホント」らしく、思えるのである。

個々に登場するのはほとんど男たちであり、その男たちのドラマといえる。
男たちのドラマといっても、さわやかなものではなく、ドロドロした権力争いである。

男たちの欲のほとんどは「権力」「金」と「女」である。
昔の男たちはこのような『欲』を隠すことなく、どちらかといえばむき出しにして争ってきた。
その争い方は正々堂々というのもあったがどちらかといえば「陰湿」なものである。

だから、この本を読んでいると「ヤクザもの」を読んでいるような気分になってくる。

今はこのような単純な構図にはならず、なおかつ、キレイな人でなければ権力を得ることが出来ないので、「小さくなった」といわれてもかわいそうな気がする。
ちょっと前の出来事なのだけれど、男が欲をむき出しに権力争いをしていた時代は、それはそれでよかったのかなあ、という思いもあるのである。

世の中が複雑になりキレイで裏のない人でなければならない時代は、かえってその裏の顔が陰湿・隠微になり、それを上手に隠すので、発覚したときには暗澹とした気持ちにさせるのではないかと思うのである。

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年齢計算ニ関スル法律

2007-10-11 22:10:19 | 日々雑感
年齢計算ニ関スル法律は、明治35年12月22日に施行された法律で、

(1) 年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス
(2) 民法第百四十三条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス
(3) 明治六年第三十六号布告ハ之ヲ廃止ス

となっています。

そして民法第143条とは、

(1) 期間ヲ定ムルニ週,月又ハ年ヲ以テシタルトキハ暦ニ従ヒテ之ヲ計算ス
(2) 週,月又ハ年ノ始ヨリ期間ヲ起算セサルトキハ其期間ハ最後ノ週,月又ハ年ニ於テ其起算日ニ応答スル日ノ前日ヲ以テ満了ス但月又ハ年ヲ以テ期間ヲ定メタル場合ニ於テ最後ノ月ニ応答日ナキトキハ其月ノ末日ヲ以テ満了日トス

非常に読みづらいですが、
要するに、年齢は出生の日から数えて起算日(出生の日)の前日を持って満了となるわけですから、たとえば4月1日生まれの人が1歳になるのは前日の3月31日ということになるわけです。

この説明でよくわからない人は、いろいろなところで解説をしていますのでそちらをご覧ください。

で、私の言いたいのは、私は10月12日の誕生なので、本日11日で一つ年齢が加算されたということです。

これだけのことを言いたいがために、法律などを持ち出す私です。

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吉里吉里人(上) 井上ひさし 新潮文庫

2007-10-09 23:47:53 | 読んだ
吉里吉里人(きりきりじん)が小説新潮に連載されていた当時から読んで、文庫になって再読した。
そして、今、吉里吉里人に書かれてあることが問題になっているような気がして、また読み始めたのである。

吉里吉里人は、ある日、日本から独立して吉里吉里を作るのである。
その国とはどうも私の住んでいるところの近く(今では隣の市になってしまったが)なのである。
従って、吉里吉里国の国語(つまりはズーズー弁というやつ)は、我々の国語でもある。(若干違うと思われるところがあるが)

この上巻は、第1章から第8章まである。(ちなみに全部で28章である)
で、この章のであるが、次のようになっているのである。
下の部分が「振り仮名」である。


第 1 章  あんだ旅券ば持って居だが
でーえっしょ    りょげん   え

 第2章  俺達の国語ば可愛がれ
でーにしょ おらだ   めんこ

この章名ばかりではなく、登場する吉里吉里人たちはみな吉里吉里語を話すので、この章名と同様に振り仮名がふってある。
従って、読みづらい、ところもあるのだが、実は、この振り仮名でずいぶんと作者は遊んでいる。そのあたりもじっくり読むとよくわかるのである、

さて、吉里吉里国が独立した理由であるが、農業と医療の国策が猫の目のように代わり、国益と称してその国策を遂行すると国が亡んでしまうと感じたからである。
吉里吉里人の言葉を借りれば
「国益というものは<勘定>はあっても<感情>はない。俺たちは人間らしい感情に従って米を作る」
ということなのである。

なんというおうか、今の日本は、この吉里吉里人が書かれたときから更に悪化している。
農業は自然の恵みではなく、季節に関係なくそして安定に供給できるような仕組みが当たり前になったし、地方の医療はすでに破綻している。
吉里吉里国は農業と医療を武器に日本から独立するのである。
更にこの後どのような展開が待っているか興味深いのであるが、井上ひさしの小説は「冗舌」なところが面白いのであるが、最後のほうになると「だらける」という特徴があり、この吉里吉里人も前に読んだときはそういう印象であった。
さて、今回はどうなるだろうか。

ずいぶんと引用したいところがあるのだが、なにしろ吉里吉里国語であるからして難しいのである。
吉里吉里国歌を全部紹介したいのであるが難しい。
で、この国家、近頃なんだか見たことがあるような気がしたら、宮城県栗原市(まさに吉里吉里国があるところ)の市民憲章に似ているのである。というか栗原市の市民憲章が吉里吉里国家に似ているのか。

そういえば、この本を機に「独立国」ブームが巻き起こったのであった。

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せんくら2007 -仙台クラシックフェスティバル2007-

2007-10-08 18:51:01 | 観た、聴いた
昨年から始まった仙台クラシックフェスティバル。
今年2007年は第2回である。

10月6・7・8日の3日間、仙台地下鉄沿線の4つの施設9つの会場で、101のコンサートが行われた。
このほか「地下鉄駅コンサート」や「まちなかコンサート」なども行われた。

私は本日3つのコンサートに行ってきた。(なお。一つのコンサートはチケット1000円で45分間であり、ほとんど完売した)

こういういっぱいのプログラムのあるコンサート、たとえば定禅寺ジャズフェスティバルもそうなのだが、欲張ってあっちもこっちも聴きたいとなると、移動のことが頭の中を占めて、かえって散漫になってしまうので、出来る限りプログラムを絞ったほうがいい、という考えがあるので、本日の3つに絞ったわけである。

まずは、10時半から仙台市青年文化センターコンサートホールで「山下洋輔・あのジャズの巨匠がせんくらでボレロ?!」というのを聴いた。
「Round Midnight」から始まった。
途中「サプライズ・ゲスト」としてNHK交響楽団主席オーボエ奏者でエッセイストの茂木大輔氏が登場、オーボエとピアノのコラボレーションが行われ、思わぬ耳得をしたのであった。
フリージャズというジャンルで、ピアノの肘うちという演奏をする山下洋輔であり、そのエッセイを読むと、狂気の人のようであるが、実は常識人であって、その人がひとたび音楽に入ると狂気の人となるのではないか、演奏を聴きながらそんなことを思ったりしたのであった。

次には同じ青年文化センターのシアターホールで「立川志らく・志らくが語る音楽・アート・落語」を聴いた。これはフリートークで(つまりお話だけなのだが)ナカナカ面白かった。
近頃は「品」のない人や出来事だらけである、そんな中『古典』つまりクラシック音楽や落語には共通して「品」がある。
ということを述べておられたが、誠に同感。
14時からの後半では落語をやるとのこと。チケットを持っていなかったので聴けなかったのがすごく残念であった。(というか、前半・後半でそういう構成になっているのをちゃんと把握していなかったのが悪い)

そして泉の「イズミティ21」へ移動し小ホールで「藤原真理・チェロ曲のバイブル バッハの無伴奏をせんくらでⅠ」を聴いたのである。
今回、正真正銘のクラシックはこれだけ・・・
いやあ、チェロの音の幅広さというのに驚ろいた。
これを選んでいて良かったなあ、としみじみ思ったのである。

これまでは、クラシック音楽を聴く機会というのが少なく、また聴くにあたっては緊張したりしていたが、今回のように気楽に聴けるクラシックが増えてきているので、ありがたい世の中になったなあ、と思ったりしたのであった。

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ちりとてちん NHK連続テレビ小説

2007-10-07 23:09:07 | 観た、聴いた
10月1日から始まったNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」
なぜか初日にBSで見てしまい、なんだか面白そうだなと思い、土曜日に1週間分を見てしまい、とうとう涙ぐんでしまった。

ヒロインの和田喜代美を、スウィングガールズや風林火山に出演し目立っていたというか輝いていた貫地谷しほりが演じる。
しかし、第1週は最後の最後に登場するだけで、子供時代を桑島真理乃が演じている。

この子供時代がなかなかいい。
桑島真理乃の可愛さもすごくいいのだが、米倉斉加年が演じるおじいちゃんがとてもいい。(もうすでに、おじいちゃんに感情移入できる年齢になってしまった)

おじいちゃんと孫娘が話し合うのが、今の時代には考えられないほどの濃厚な内容で、だからこそ、つながり、というものもあったのではないか。

今の時代は、大人が大人でなく、次の世代に伝える「確」としたものを持っていない、これまで生きてきたことのなかから自分の哲学みたいなものを持っていない。
だから、つながりが薄い。子や孫から尊敬されない。

昔の大人は偉かった。
そんなことを思ってしまったのである。

まあ今の時代はあまりにも情報が多すぎて「迷い」というのが多くなってしまうのだけれど・・・

というわけで、次週からいよいよ貫地谷しほりが登場し、物語が動き出すのだが、どうにも、子供時代を演じた桑島真理乃がいいなあと思い(別に幼女趣味があるわけではありません<こういう断りを入れなければならないところに、現代の難しさがある>)、もうすこし、子供時代があってもいいかな、と思っている。

主人公が落語家になっていくさまをどのように描くのか、楽しみである。

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運転免許更新

2007-10-06 18:07:19 | 日々雑感
先日、運転免許の更新に行ってきた。

現在持っている免許は「ゴールド」でその免許から5年間無事故無違反で過ごしてきた。

であるが、今回は『違反講習」2時間であり、更新後の有効期間は3年間である。

実は、前回の免許更新連絡書をもらってから、つまり誕生日の1ヶ月前から免許更新までの間に、スピード違反を2回もしてしまったのである。
で、前回の更新手続きの際に、そういうわけであるのでゴールドではないのではないかと申告したのだが「いいから いいから」といわれてゴールド。

これはラッキーと、素直にゴールド免許をもらったのだ。
しかし、ちゃんと記録は残っていて今回そのツケがまわってきたというわけである。

違反者更新に行きメンバーを見ると、これが、まあその、極悪人のように見えるから不思議である。
こいつらやっぱり違反するだろうな、というメンツであった。
なんであれ、本日はお仲間である。
で、2時間ぎっちりと講習を受けてきたのである。みんな真面目に受講していたのには驚いたが・・・

ところで、その帰りの駐車場で、早速携帯電話をかけながら運転していった仲間を見てしまった。
なんというか・・・やっぱりなあ・・・それにしてもたいした度胸である。

というわけで、このブログの本店であるホームページ「嘉壽家堂」を久々に更新した。
もうすこし頻繁に更新をしなければならないという反省を込めて告知します。

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魔境異聞-太祖墓陵- 坂東眞砂子 オール読物10月号

2007-10-04 22:06:58 | 読んだ
坂東真砂子の小説は、面白い。
面白いったって「笑える」面白さではない。
どちらかといえば怪異風である。(怪異そのものも多い)

今回の魔境異聞は、江戸時代の国学者・平田篤胤が天狗小僧寅吉こと嘉津間と再開し、嘉津間の話を聞くというお話である。

嘉津間は、幼い頃天狗に誘われ仙境に行き、長年底に住んでいた童子で、その仙境の話を微にいり細を穿ちはきはきと語る少年であって、篤胤は寅吉の話に夢中になり、3年ほど弟子という形でともに暮らした。そして嘉津間は師に呼ばれたといって忽然と姿を消した。
それから15年後の再開である。

なぜ篤胤は仙境の話に夢中になったかといえば、篤胤が考えていた「顕世(うつしょ)=此の世」とは別にある「幽世(かくりょ)」が寅吉の語る話とおなじで、自分の世界観が正しいことの証だと思ったからである。

さて、今回の嘉津間の話は・・・

師から魔境を見て来いといわれてkは空を飛んででかけ、ある都に降り、山の頂上で「女たちの着物は袖はなくて腕は丸出し、裾も前掛けほどしかなく、膝小僧も腿も丸出し」にしているのやら「豆腐や蒲鉾形をした建物」「牛もなくて走る車」などを見る。(この辺は笑えます)

そして、その先の草地に降りたら、男の顔を踏んづけてしまった。
男の顔は土器で作られていた。

なぜ男は土器の中に閉じ込められたのか。
嘉津間は土器の中に閉じ込められた男・暁民の話を聞いた。

秦の始皇帝の墓の兵馬俑と暁民の関わりが話された。

いやあナカナカ面白かった。
こういう発想というのがすごい、と思った。
私好みの物語なのである。

何故「俑」が作られ始皇帝の墓に収められたのか、その謎を「魔境」ということと併せて考える。
遠い昔はもしかしたら「魔境」や「妖魔」が本当にいたのかもしれない。

私は、人の気持ちというものがもっと世の中に大きな影響を与えていたのではないかと思うのである。
つまりは恨みを持って死んだ人や、此の世に大きな未練をもって死んだ人、を思う生きている人が多かった。そういう人が「妖魔」や「魔境」を生んだのではないか。

そういう考え方をする私にとっては、なるほど、とうなづける物語なのである。

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青春のうた43 1970年代後期⑦

2007-10-03 21:32:34 | 読んだ
1.流星/吉田拓郎 1979年5月

ああ、久しぶりの拓郎の歌だ!
と、この歌を聴いたときに思った。
何が『拓郎の歌だ』と思わせたのだろうか?

内省的な詞だろうか?
拓郎らしい詞って、内省的な中に強がりがあり、強がりの中に反省がある、というような、或いは、自分を歌って相手(彼女だったり彼だったり)を歌う、もしくは彼・彼女のことを歌って自分を語る。
そんな気がするんだが「詞」というのはこういうものなのか?取り立てていうほどでもないのか。

ただその表現が拓郎らしい、と思わせるところがあると思う。

と、ここまで書いてきて、青春のうた、に書いてある説明を読んだら『内省的な歌詞には初期の作品にも通じる彼のスタイルが表れている』とあった。
なあんだ、みんな思ってたのね、というカンジである。

それからこの歌のサビといもいえる部分
♪君の欲しいものはなんですか♪
という部分のコード進行「C-Em-Am」のところは拓郎独特のものでよくこのコード進行(C-E7-Amというのもある)が使われる。

近頃NHKの番組でこの歌がテーマソングとして使われたが、番組の内容とどのようなつながりがあるのか、疑問だった。

2.人間の証明のテーマ/ジョー山中 1977年8月

映画「人間の証明」の主題歌である。
人間の証明で事件解決の大きな鍵、そして物語の核となる、西條八十の詞
「かあさん ぼくの あの帽子はどこにいったでせうね」
という詞の英訳である。

この映画は角川映画で、CMでは本と一緒に
「見てから読むか、読んでから見るか」
というコピーが流れていて
「見ながら読む」
というのはどうか、と、仲間内で話していたことを思い出す。

3.てぃーんずぶるーす/原田真二 1977年10月

原田真二の歌を聞いて、こりゃかなわん、と思った。
全然わからない世界、自分とは程遠い世界、なのである。
共感などなく、どうしたらこういう表現ができるのかいな、という唖然とした思いなのである。

それでキライというのではないのだ。
かっこいい、とは思わなかったし、そういうようになりたいとも思わなかったが、なんだか気になる歌を歌っていた。

メロディが難しくて原田真二の歌はほとんど歌えなかった。

この「てぃーんずぶるーす」より「キャンディ」のほうがもっとわけがわからなくてよかったような気がする。

4.傷心/大友裕子 1978年12月

ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)の東北地区代表で、全国大会で優秀曲賞となり、世界歌謡祭で最優秀歌唱賞を受賞。

なぜこんなことを書くのかというと、大友裕子が東北地区代表となった県予選に私も応募したのである。応募してそれまでだったので、人前で歌うこともなくひっそりと終わってしまったのだが・・・
そのときの東北代表ということで、なんとなく気になっていたのである。

自分よりも年下なのに、まあすごい激しい愛なのね、という衝撃と、30歳過ぎかと思うようなハスキーボイスに、こんなの相手じゃかなわなねえな、と思ったものでした。(直接相手として戦う前におちてんだけどね)

ところで、この大友裕子はその後どうしたんだろうか?
もっと売れると思っていたんだけれど、時代は、このような「脂っこい」ものを受け容れなくなっていたようなきがする。

5.気絶するほど悩ましい/Char 1977年6月

出てきた時の雰囲気が「満を持して」というカンジで、私は全然知らなかったヒトなのだが、業界では良く知られている、ということがわかり、ふーんすごいヒトなんだ、と思ったものだ。

歌としては可もなく不可もなく、というところで、そういうものなの?という醒めた感情で聞いていた。

6.あんたのバラード/世良公則&ツイスト 1977年11月

なんだかすごく泥臭いカンジで、それが好きだった。
すごいパワーを感じたのであった。

同じころにサザンオールスタースが出てきたが、どちらかといえばツイスト派だった。
何を言っているのかわかるし、コード進行も割りに素直だった。

しかし、サザンほど長持ちしなかった。
パワーで押すのは、長持ちしないんだろうなあ。(相撲でも押相撲の力士は波があるものなあ)

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オール読物10月号 特集「名臣を考える」

2007-10-02 21:03:33 | 読んだ
昨夜、同じ題で記事を作成し投稿した途端にパスワードを求める画面に変わり、ボツとなってしまった。で、昨夜はがっかりして眠ってしまったのだ。

さて、特集名臣を考えるは次の3つからなっている。
1.<新連載>「楚漢名臣列伝」宮城谷昌光
2.矢部駿河守定謙(さだのり)-知られざる名奉行 中村彰彦
3.小栗上野介忠順(ただまさ)-最後の幕臣 佐藤雅美

宮城谷昌光の「楚漢名臣列伝」は楽しみである。
後漢末の三国志の時代と、この秦末から楚と漢の争い(つまりは項羽と劉邦の争い)の時代は、中国史の中でも面白いエピソードがあふれているので、本当に楽しみである。
第1回目は、基本編ということでおおまかな時代の背景や流れの説明である。

矢部駿河守と小栗上野介は、超有名ではないが、江戸幕府の末期の幕臣である。
どちらも名前とか大まかな生涯は知ってはいたが、これまであまり「つきあい」のなかった人たちである。

さて、名臣とはなんだろうか?
臣であるから主がいて、それに忠節を尽くし功績を挙げた人であろうか。
その場合「主」というのが問題である。

矢部、小栗ともに「主」とは徳川家の将軍なのであろうが、もしかしたら江戸幕府なのであろうか。
つまり「主」とは個人なのか組織なのかということである。

また、その考え方にもよるわけであって、主が苦しい思いをしたり我慢することによって、最終的に主のためになるようなことをするのが名臣なのか、あくまでも主のいいようにするのが名臣なのか。

矢部、小栗ともに江戸幕府に忠節を尽くした人だと思う。
矢部は、自分が正義を貫くことで江戸幕府はそのときは苦しいだろうが相対的・最終的には正しい方向に進むという信念があったように思える。
また、小栗もそのような信念で仕事をしていたが、あまりにもあっさりとしていたのが、命取りとなった。

小栗のライバルといえば勝海舟というのが私の連想であるが、海舟は非常に粘り強い。それに比して小栗はギリギリのところで「さっと」というか「さっぱり」とあきらめてしまう。
そのあたりが「いい」という評価と「悪い」という評価があると思われる。

ということで、この二人に関する小説なんか読んでみたいと思ってしまった。

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