読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

現代女流作家、華麗なる競演 オール読物10月号

2007-10-16 20:19:26 | 読んだ
現代は女流作家のほうが面白い小説を書いていると思っていたが、このような特集を組まれると、あらためて実感する。

この特集の中には、すでにブログで紹介をした
「天が泣く・新御宿かわせみ」平岩弓枝(9月25日)
「魔境異聞」坂東真砂子(10月4日)
のほか

<現代に生きる女性の危うさ>
として
「みにくいあひる」谷村志穂
「あの角を過ぎたところに」森絵都
「写想家」光原百合
の3編

そして<人事時代小説シリーズ>
「銀河祭りのふたり<信太郎人情始末帖>」杉本章子
「黒い振袖<髪結い伊三次捕物余話>」宇江佐真理
「女難<あくじゃれ瓢六>」諸田玲子
それに新・御宿かわせみがはいって4編である。

現代物の小説では、谷村志穂の「みにくいあひる」が今の女性を表しているなあと思った。その主人公に対して腹が立つわけである。
男女の差別化反対という風潮の中で、おいしい思いをしているのは女として生きているという現実。そのおいしい思いをいつか断ち切らなくてはならないということがなかなか受け入れられない。
物語の最後が「できすぎ」という気がしないでもないが、考えさせられる物語であった。

「写想家」はSFっぽいのであるが、いわゆる「負け犬」と称されている女性の心理をよく追っていると思う。

現代女性を描いているこの3編からは、現代女性が「幼い」ということを感じる。
もっとも女性だけではなく社会全体が「幼い」のだと思うのだが・・・

自由で平和であることが、人間から哲学的成長を奪っているのではないか
なんて思ったりする。
不条理とか理不尽であることが多い、自分で決められない事柄が多いと、覚悟とかあきらめが必要であり、そのためには、自分を納得させる何か、すがりつく何かが欲しいんだろう。
それが哲学であったり宗教であったりするわけで・・・

そういう意味では現代は
「夢を持ち続ければかなう!」とか「うまく振舞えばうまくいく」みたいなキレイごとと超現実的なことが信じられすぎているのではないだろうか。

そんなことをこの3編の小説を読んで思ったのである。

時代小説の3人の作家は「達者」であるなあ、と感心するばかりである。
ただなんとなくなのだが、物語としては達者で面白いのだが、この物語を読んで我が人生で何かを得ることが出来た、という感動が少ないような気がするのである。

多分、今色々なものを読んでいて最も不満なのが、この「感動」を得ることが出来ないということなのである。
その原因は作品にあるのか読者である私にあるのか・・・

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コメント (1)
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