最近、父親といっしょに食事をすることが多い。
その際、いつもの習慣で写真を撮る。
これが難しい。
↑この写真が色っぽい
父親に気をとられるからなんです。
躾のされていないペットのような状態。
食べる物が来たら、ジットしていられない感じね。
こういうのは年代の影響なのかな・・・。
商家に育ったからなのかな?
↑四川料理「楽洛」ランチ
同じような人も同じ。
昔の商家・・・いまでもそうかもしれないが・・・食事に時間をかけてはいけないと躾けられているようだ。
ゆっくり味わって食べてはいけない。
さっさと食べて、働くのが商人の基本とね。
↑辛くない麻婆豆腐
その気のようなものが伝わるのか、こちらまで落ち着かなくなる。
私がまだまだ未熟な証拠なのかも。
調子のいい時は、睨むと動かなくなるのです。
↑四六時中「うなぎ定食?」
それは料理によるようです。
作った人の気合いが料理でうかがえるものは、出てくると食べる方も敬意を払う。
これは、無意識の世界。
そういう気持にさせる料理が最近少ないように思う。
↑四六時中「牡蠣三昧?」
また、世界観が揺さぶられる料理にもあまり出会わない。
高級なお店とか価格が安いお店ということでなく。
昔、安い何気ない食べ物でドキッとした食べ物に出会ったことがあります。
↑イノダコーヒ「レモンパイ」なんで突然、こんなものを父親は注文したのか謎なんです。甘過ぎ。
さきほど書いたように、誰と食べるかというのもある。
父親と食事を共にすると食べ物に意識が集中できない。
私は、いままであまりストレスとは縁がなかった。
だからびっくりしております。
私と父親では、食事に対する姿勢がまったく逆なんです。
父親は、食べ物と会話ができない。
ただ、喰っているだけ。動物と同じ。
↑イノダコーヒ「紅茶」イノダコーヒで紅茶を頼む人って珍しい。
19歳ぐらいに読んだ『美味礼讃』の著者、ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランの言葉を思い出す。
「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間か言いあててみせよう」
「禽獣はくらい、人間は食べる。教養ある人にして初めて食べ方を知る」
「チーズのないデザートは片目の美女である」(これは私の好きな言葉)
この本の中で「グルマンディーズ」という言葉がでてきて、後に「グルメ」なる日本語ができたんだと思います。
きっとブリア=サヴァランさんは、B級グルメとかC級グルメを見たらどういうだろう?
そうそう19歳ぐらいでこんな本から始まり、色んな本を読破し、テーブルマナーも修得し、関西の色々な場所に食べ歩いていたんです。当時の大阪や神戸は良かった。
舌も肥えたわけです。
母親のハンバーグをボロクソいい、ケンカした事件があり、調理師学校に入学することになったのです。母の言葉「自分でリンゴの皮も剥けへんのに偉そうなことを言うな!」確かにその通りだった。それから1年身体で調理技術を覚えたのです。
↑イノダコーヒ「クリームあんみつ」本当はレモンアイスクリームを食べたかったんだけど・・・。
話が違う方に走りだしますね。
どうも最近、手が勝手に動いて行くのです。
困ったもんだ。
父親の弁護も少し書いておきます。
父親の世代は、戦争も体験し、戦後日本の経済的な復興を担ってきた世代。
食べることを文化とか、甘いことを言うなという人が多いのです。
私は、どちらかというと母方の祖父の影響が強いのだと思います。
明治の遊び人の感じですね。隔世遺伝なんだと思います。
私の回りの無理解に苦しんでいる時、それでいいと言ってくれたのが母方の祖父だった。
でもいま、父親と食事をしたりするのは、スポンサーへの感謝を接待することで返しているのかもしれません。多分、父親はちょっとは喜んでいると思う。
もし、父親が先に逝くことがあったら「結構面白かった」と言わせたいものです。
私のストレス度がアップしないように、文化度は上げて欲しいけど。
※なんかまとまりのない文章ですね。手が勝手にキーボードを打つのです。ちょっと面白がっています。
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は
1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
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