
本来は昨日の記事になる予定だったのですが、寺の記事ばかりでは飽きるので鰻を挟みました。(笑)
さてここは、建仁寺塔頭両足院の隣にある毘沙門天堂。

この毘沙門天堂の毘沙門天は、鞍馬寺毘沙門天の胎内仏だったそうです。
戦国時代 比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が尊像の安全を危惧し、比喜多養清(室町将軍の茶家、筑前黒田家京都御用達)のところへ、尊像を疎開させたもの。

その尊像を関が原の会戦に黒田長政が、関東方として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で明治10年ごろ当院に寄進されました。

この毘沙門天さん、縁結びもしやはるらしい。
戦前(というよても応仁の乱ではない。太平洋戦争のこと)祇園の芸妓さんが「いい旦那さんがみつかるように」とお詣りしてはったそうで、「祇園の縁結び」となっているそうです。最近、いい旦那さんは絶滅危惧種になっているかもね。
いい旦那さんを育てる神さんはどこやろ・・・。

そうそう毘沙門さんといえば、虎とムカデですね。
虎はわかるけど、ムカデは不思議。
毘沙門天は、仏教における天部の仏神。
持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神。
方角でいうと北方を守る最強の武神。
御所でいうと北面の武士みたいな存在かな。
北方守護ということで、京都では鞍馬寺ということになっています。
この毘沙門天堂は、本尊の由良もあり、鞍馬寺と縁が深いのです。

さてムカデの問題。
七福神の絵の中で毘沙門天の側にムカデが描いてあります。
毘沙門天が鉱物を掘る鉱山師や、その鉱物を加工する鍛冶師などにも信仰されていた。
ムカデは鉱山の神ともされている。
それは細長く連なる鉱脈の形や鉱山の穴がムカデの形に似ているからかな。
だから毘沙門天=ムカデとなったのではないかな。
とりあえずムカデは強いですよね。家に出てくると退治が大変。
クモなら手で捕まえて部屋の外に出すのでうが、ムカデは手でつかむのもできない。
ピンセットで挟んで外にだします。殺虫剤もあまり効かないしね。

ムカデの医者という話がありますね。
昔、虫仲間のダンゴムシ王さんが病気になった。急いで診察に行かないといけない。そこで足の多いムカデの医者に頼むということになった。頼んだもまだムカデの医者が王さんのところへ着かないという。不思議がって玄関に行くと件のムカデの医者が草鞋をまだ履いていたという話。なんかいまのどこかの国の政府のような感じですね。

「カムバッククロマグロ?」
さて毘沙門天堂から四条大橋に移動。

橋からフト下をみると結構大きな魚が泳いでいる。
「クロマグロが鴨川で産卵するために遡ってきた!!」
と思ったけど、鯉でした。
洗いにしたら美味しいそうだな・・・。
私は、子まぶしがいいかも。

それとも中国料理風に鯉の丸揚げがいいかな。
骨まで食べられる状態が好き。
東華菜館なら糖醋鯉魚が食べれれるかな・・・。
Twitter→@kyo_otoko
行きたいと思っていたんでした~!!ちゃんと記録しておかなくては^^;
ムカデの話も現状とあわせると思わず苦笑ですが、それより何より。ピンセットで捕らえられたそのムカデ!??それは一体、いつどこで捕獲を!?
このムカデは去年秋我が家のダイニングに出現しました。私しか捕まえられないですね。ピンセットで捕まえで反対の手でカメラをセット、ライトのスイッチを入れて撮影。なかなかやるでしょ。(笑)
その後、家の外にお帰りいただきました。
ヤモリもそうだな。
笑ってはいけないが笑ってしまいました!
優秀だから選ばれたのに・・・そろそろ草鞋を履き終わって走ってほしいものです。
もしかして実話ですか(笑)
ムカデの毒、怖いですね。
そっとお帰りになっていただくのが一番です。
ムカデは年に一度は遊びにきてくれます。
家は大騒ぎになります。
ゴキブリは出てこないのですが。山に住むとそうなりますよ。