京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

奇蹟の連続

2012年11月07日 04時26分26秒 | 風景
昨日の記事で私的なことを書いてしまいましたね。
ブログというのは、日記という性格なのでお許しください。



姿勢ひとつとっても、なにもない時は、当たり前のように思っていた。
ところがそれを意識して修正しようとすると大変な時間と努力が必要になる。
生きるということもそうだ。
眠たくなったから寝て、数時間経ったら目が覚める。
心臓や呼吸もそうだ。
香りを鼻で嗅ぎますよね。
この場合、片方の鼻の穴でしているそうなんです。
片方は必ず休ませるのです。
そんなこと意識もしていない。
でも身体は自動的にやっている。

文字を読むのも、当たり前ですよね。
二年前、朝起きて、いつものようにPCのスイッチを入れた。
画面を見てびっくり、すべての文字が文字化けして見えた。
てっきりコンピュータウイルスにやられたと思いました。
他のPCもそうだ。
また一から初期化して・・・と思っていた。
ところが、脳出血だった。
なんの前触れもなかったのですよ。
痛みもなかったし。吐き気もなかった。フラフラもしていない。
いまだに原因不明なんです。



なにが起こるかわかりません。
昨年の入院もそうだ。
生きているということは、「奇蹟の連続」なんですよ。
その奇蹟が起こっていることに感謝しているだろうか?
なにも事件が起こらない時は、なにもないことに対して感謝なんかしない。
私もそうだった。

感謝するより、日常の不平不満の方が多いように思う。
毎日、無事であることに感謝なのかもしれません。
自分の眞我・本質からのメッセージは、ささやかな声なんです。
心の表面がザワザワと波打っていると、聞き逃すし、サインも見落とす。



24時間の中でささやかな時間でいいから、静かに自分の眞我・本質の声が聞こえる時間を持ちたいものです。
なにも聞こえなくても「ありがとう!」って感謝してみましょう。
「○○に対して・・・」なんか入らないです。

神仏のお参りするのもそういうスタンスがいい。
神仏には、「お願い」じゃなく、「感謝」だけでいいのです。
「願う」ということは、「現在の自分がそうなっていないこと」を肯定しているのです。でも細かく指定すると様々な歪みが生じる。
コツは、「ありがとう!」だけにすることかも。
いやなことでも「ありがとう!」です。漢字で書くと「有り難う!」、つまり「難」「有」と書くでしょう。
そういう風にしていると自分の眞我・本質のささやかな声も聞こえてくる。

今日はなにを書いているんだろう。
まあ、こんな日もあります。

ありがとう!
※こういう時の写真は難しいなぁ・・・。
「京男さん、どうしたの?」と言われそうだけど、こういうことを考えている時もあるんですよ。大切なことを言っているように思います。お筆先ならぬ、キーボード先みたいなものです。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
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