京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

このおじさんなにを見ているのかな?

2012年05月07日 07時25分24秒 | 風景
タイトルのように小さい時から見ていた。
ここは、三条大橋の側の三条京阪駅にある「高山彦九郎像」。
このあたりも京阪電車が地下に潜り随分風景がかわった。
以前は、路面電車が入っていたのです。
京阪電車は大阪の淀屋橋から三条京阪で終点。
三条京阪から滋賀県の大津へ電車が入っていた。
もちろんすべて路面を走っていた。



この京阪が路上に走っているから国道一号線や三条通が車で混んでいると言われていました。
地下に潜っても結局同じ。
原因は他にあった。
路面電車の方が観光都市的にはよかったのに。



この「高山彦九郎像」は、昔から集合場所の目印だった。
「土下座の所で○○時に集まろう!」とね。
たくさんのカップルがここで待ち合わせていた。



この高山彦九郎さんがどうぞうになっている意味がよくわからなかった。
いまもはっきりわからないのです。
これは、あまり学校の歴史の時間に教えないことかも。
日本の歴史教育って変ですよね。
現代から順番に過去に遡っていったらいいのに。
平成から江戸時代ぐらいまでがとても大事なのに。
それと近代と諸外国との関係もしっかり子供たちに教えておく必要がある。
それも変な色を付けずに。


↑向こうの方に御所があります

この彦九郎さんはいっているかも。
尊皇論っていったいなんだ?
覇道と王道ってなんだ?
なぜ権力が江戸と京都にあるのか?
教えてもらった記憶がない。



京都人としては、勤王の志士(きんのうのしし)をひそかに応援していたんだろうな。
だから、あれだけ新撰組が人気があった時でも、時代祭の行列にいれなかった。
実際に曾おじいさんの時代に勤王の志士をかくまったとか。
新撰組に酒代を踏み倒されたとか、店を無茶苦茶にされたとか実際に聞いたことがあります。
京都ってすごいでしょ。
小さい時、あこがれは、鞍馬天狗(大佛次郎小説の架空の人物)、月形半平太(これも新国劇のヒーロー)、桂小五郎(実在木戸孝允)。
狭い京都市内で色んな事件がたくさんあった。
よくよく見るといろんな碑がのこっています。



京都人(いまの若い子はどうかしらんけど)DNAの奥には、勤王派なんだろうな。
江戸の佐幕には、いまだに反感を持っているかも。
天皇さんは、東京へ行ったはるけど、きっといつか京都に帰ってきやはると思っているのですよ。



この「高山彦九郎像」もう少し高いところに上げて御所が見えるようにしてあげたいな・・・。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする