尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「赤ひげ」、素晴らしき助演女優たちー黒澤明を見る②

2022年04月23日 23時02分46秒 |  〃  (旧作日本映画)
 「隠し砦の三悪人」と一緒に「赤ひげ」も書くつもりだったけど、ちょっと疲れてしまった。こうやって書いてると、事前の予定と違って4回も黒澤明を書くことになってしまうが、まあいいか。「赤ひげ」(1965)は30本になる全黒澤作品のうちで、23作目の作品になる。ここまで順調に作り続けていた黒澤明だが、次は1970年の「どですかでん」、その次はソ連で作った「デルス・ウザーラ」(1975)、さらに「影武者」(1985)、「」(1990)と5年ごとにしか作れない時代になる。

 「赤ひげ」は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を原作にしたヒューマン・ドラマで、1965年に大ヒットした。ヴェネツィア映画祭男優賞(三船敏郎)を獲得し、キネマ旬報ベストワンになった。(ちなみにベストテン2位は市川崑監督の「東京オリンピック」だった。)上映時間が185分もある大作で、これは「七人の侍」の207分に次ぐ長さである。(「影武者」も180分あって、3時間になるのはこの3作。)昔見ているけれど、それ以来だから何十年ぶりにある。時々黒澤特集でやっているけれど、長いから時間が取れなかった。それと僕はこの映画が好きじゃなかったので、あまり見直したいと思わなかった。
(三船敏郎演じる「赤ひげ」先生)
 僕が昔見て好きになれなかったのは、三船敏郎演じる「赤ひげ」があまりにも偉そうで、高圧的に加山雄三に接する威圧感が半端なく、見ている自分まで「」を感じて嫌だったのである。翌1966年のベストワン作品、山本薩夫監督「白い巨塔」も嫌いだった。病院内で医師たちのドロドロした思惑がぶつかり合い、この映画イヤだなあ、何が面白いのと若い時分には思ったのである。しかし、「白い巨塔」を10年ぐらい前に見直したら、やっぱりこれは面白いし優れた映画だなと思った。同じように、「赤ひげ」も今見れば面白いし感動的な映画だった。でも、やはり好きじゃないなと思う。

 三船敏郎は1920年生まれだから(1997年死去)、公開時点で45歳である。えっ、そんな若かったのか。今じゃ40代半ばにこれほど重厚感を与える俳優はいないだろう。見ている自分の方も年を取ってしまい、とっくに赤ひげ先生より年上になっている。ああいう高圧的な先生にも人生で出会ったこともあるが、何とか付き合い方も判ってきた。そして「偉そう」には違いないが、「実際に偉いんだから仕方ない」とも思えるようになった。「偉そう感」には有難みがあって、貧しい病人なら赤ひげが大丈夫と言うだけで安心できるだろう。上に立つ人、例えば教師には時には偉そうにしてみせる演技が必要だというぐらいの知恵も付いた。

 しかし、偉大な師匠と成長する弟子という基本的な物語の構造は、やはり僕は好きではない。加山雄三演じる若き医師、保本登は長崎に遊学して帰ってみたら、御殿医の娘だった婚約者は他の男に嫁いでいた。気がふさいでやる気もないのを見て、小石川養生所を訪ねて見ろと言われる。来てみたら、責任者の新出去定(赤ひげ)からここで働くことように申し渡され、全く不服である。お目見え医になれるつもりで江戸に戻ったら、貧民の相手とは話が違いすぎる。という始まりだが、展開は見なくても予想できる。それにこの決め方はやはり良くない。「自己決定権」を全く無視している。保本だって、すぐに将軍や大名を見る前に「初任者研修」がいるんだと説明されれば納得出来ただろう。
(加山雄三と二木てるみ)
 しかし、保本をめぐる何人もの助演女優陣が素晴らしいのである。まず「狂女」の香川京子がすごくて、そのお付き女中の団令子もなかなか良い。松竹から桑野みゆきが悲しい運命の女を演じ、娼家の主人杉村春子はいつものように強烈。極めつけがそこで病気になったところを赤ひげと保本に助けられた「おとよ」(二木てるみ)である。この悲しい運命の少女を凄い目をして演じている。子役として「警察日記」などで活躍し、16歳で出演した「赤ひげ」でブルーリボン賞助演女優賞を獲得した。1949年生まれで、テレビで活躍していたのも知らない世代が多くなっただろう。もう70歳を越えているが、永遠に「赤ひげ」で語られるだろう。
(内藤洋子の「まさえ」)
 婚約者の裏切りにあって、女性を信じられなくなった保本だが、次第次第に多くの不幸な人々と魂の接触をしていくうちに、心も開かれてくる。そして何度も訪れて協力してくれる、かつての婚約者の妹である「まさえ」との縁談を受け入れることになった。その内祝言の席で、保本は自分と一緒になると、貧しい生涯を送ることになるがそれでも良いかと問う。もはや御殿医ではなく、小石川で働き続ける気持ちになっている。そのまさえを清楚に演じているのが内藤洋子。1970年に二十歳で結婚して芸能界を引退したので、今では知らない人も多いだろう。喜多嶋舞の母である。テレビの「氷点」の陽子で人気を得た他、60年代後半の東宝青春映画を支えた女優の一人だった。この前恩地日出夫監督「あこがれ」を再見したが、とても良かった。
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