尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「英語力」と英語教師の問題

2016年10月31日 23時28分30秒 |  〃 (教育問題一般)
 教育に関する記事をしばらく書いてないので、断続的に何回か。まず、英語教育に関する問題である。10月30日付東京新聞の1面トップ記事は、「英語力で揺れる英語教師」という大きな記事になっていた。「『英検準1級程度』割合 目標下回る」と副見出しにある。

 日本政府は英語教員に対して、英検準一級程度以上を求めてきた。東京新聞の30頁にある「編集日誌」には「中学や高校の英語教師に英検準一級程度以上の英語力が求められていたとは初めて知りました」と書いている。この記事で僕が一番ビックリしたのは、むしろこっちの方である。現場教員なら(英語教員でなくても)大体は知っていることを、新聞記者は知らなかったのである。

 ところで、その結果に関する実態調査。それによると、高校では「目標75%」に対し、全国の結果は「57.3%」、中学では「目標50%」に対し、全国の結果は「30.2%」。これでは、目標を大幅に下回っているという他はない。もっとも、目標にすること自体がおかしいし、数値目標の方が達成不能な、机上の空論のようなものだったということなんだと思う。

 一応、いくつかの都道府県の割合を紹介しておくと、高校も中学も1位は福井県になっている。高校は86.6%、中学は81.7%。高校は続いて石川、香川が8割を超えていて、富山、岐阜と続いている。中学では、5割を超えているのは福井だけで、次は富山、東京、石川、広島。一方、下の方を見ると、高校では千葉県が39.2%、続いて福島、和歌山、奈良、北海道…、中学では岩手県が14.6%、次は福島、青森、山形、山梨となっている。

 ところで、福井県と言えば、先ごろ発表された「全国学力調査」で、ほぼすべてで上位に入っている。特に中学3年生の数学が高く、基礎の数学Aは69.3点(2位は秋田の66.6点)、応用の数学Bは50.8点とただ一県だけ50点を超えていた。(2位は富山の49.1点)福井県は様々なランキングで上位になることが多い。例えば、「幸福度ランキング」で47都道府県の中で1位になっている。教育と仕事が1位であることが大きく影響している。もっとも財政的な問題に関しては、たくさんの原発(4原発に10基)があることで交付金を得ているわけである。それはともかく、英語教師が英検など「自己啓発」に取り組める「学校の安定性」がベースにあるということかもしれない。

 さて、しかし、もっと大きな問題がある。生徒の方も目標があるのだが、それは以下のようなものである。「中学3年卒業段階で英検3級程度以上」「高校卒業段階で、英検準2級または2級程度以上」を「達成した生徒の割合が50%」というものである。およそ不可能としか思えないけど、実際の調査でも達成できていない。もっともまだ目標途上なので、それはいいわけだが、結果も報告されている。今、それを全部詳しく調べる気にならないが、福井県の実績はどうなっているのだろうか。

 東京新聞の記事によれば、高校教員の英検準1級割合が一番低い千葉県が、実は生徒の成績は全国2位なのだという。つまり、「教師の英語力」と「生徒の英語力」には直接の相関関係がないのである。それは当然だろう。会話力だけなら、「帰国子女」の方が教師より上ということもあるだろう。でも、その生徒が教えれば皆の英語が上達するか。そんなことはないだろう。話す力だけではない、読む力、書く力の経験と深さ。そして英語そのものにとどまらない、教師の知識や情熱などを含めた「授業力」。そのようなものの総体が教師の力というものなんだと思う。

 逆に言えば、英語はペラペラだが生徒との関係をうまく作れない教員。そういう教師の方が困った存在なのは明らかだろう。あまり大声で言ってはいけないかもしれないが、けっこう英語の先生には見られると言っては間違いだろうか。(実は誰しもが一人ぐらいは思い当たるんじゃなかろうか。)英語の教員の中では表立って言えないかもしれないが、生徒の多くはそんなことを感じたことがあるだろう。

 英語の教員だからと言って、クラス担任や部活指導を外れるわけじゃないだろう。また教員免許更新や各種研修も免れるわけではない。英検受検を優先するわけにはいかない。英検準1級を求めるあまり、クラスの生徒を放っておいたり、生活指導がいい加減な教員になってはならないだろう。最近の新聞記事によれば、文科省は「いじめ対応が最優先業務」だと言っている。大変な学校に勤める教員ほど、「損をする」というのが教育界の実態だろう。

 英語教育の問題は、最近の、あるいはこれからの教育問題の重要問題である。だから、前に何回か書いたのだが途中になっている。いずれまた続けて書きたいと思う。
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「救う」ことから「つながる」ことへ-「僕らは世界を救えるか」映画問題③

2016年10月30日 22時20分29秒 | 映画 (新作日本映画)
 「僕らは世界を救えるか」映画問題の三回目(最後)を書いてないので書いてしまいたい。いま、ダン・ブラウン原作の「インフェルノ」という映画が公開されている。「人類は滅びる-全てはお前次第だ。」というのが、映画ポスターのコピーである。こういうのが典型的な「世界を救う」エンタメ映画なんだと思う。ダン・ブラウンは「ダ・ヴィンチ・コード」の原作を読んで、もういいやと思った。読みやすいけど、あまりにも、これじゃあねの展開に参った!というしかない。

 だから、その後も映画も見なかったけど、今回も見なくても「世界は救われる」んだろうと思う。見てないけど、この映画では結局救えなくて世界は滅びてしまうんだ、そこが凄いといった評判は聞いてない。だから、ハリウッド製エンタメ映画として、巨額のCG製作費と出演料をまかなうために、世界は救われざるを得ないと、まあ事前に判断できるわけである。

 巨費を投じた「壮大なファンタジー」「壮絶なアクション」ほど、図式的な展開が予想できる。そういう映画を欲するときもあるとは思うが、僕は基本的には苦手である。「先が読めない」映画を見るというのが、物語の楽しみだと思う。他にやりたいことはいくらもあるので、ラストが判ってしまう映画は「時間を返せ」的に思える。年齢を重ねるほどに、「残り少ない時間をムダにしたくない」と思っちゃう。

 だから、「世界を救う」系の映画はあまり好きじゃない。(「シン・ゴジラ」も同様で、だから映画評を書いてない。)だけど、僕がそう感じるのは、今書いたような「図式的な展開」だけでもないと思う。僕は昔から「チマチマとした」映画、あるいは「生活に密着した」映画の方が好みで、大ヒットするような大作は嫌いだった。(最近になって、ようやく資料的に昔の大作も見ているけど。)

 天邪鬼な気質もあるけど、僕の若いころの風潮もある。60年代末から70年代にかけて、世界的な「若者反乱」の季節があった。面白い時代だったけど、20代や時には10代で「世界を変えられる」と思い込み、世界へ羽ばたいたリ、暴力化していった迷惑な人々も多かった。そして、その年代の人たちが「あのころ」を懐古的に語って、下の世代(つまり僕の世代)を何もできない、何も動かないと批判してくる。

 70年代後半から80年代には、そういうことも多かったのである。そういった中で、自分の身体性や生活から発想する感覚が身に付いてきた。柳田国男の民俗学、民衆思想史なんかへの関心も、そういう文脈で生じてきたわけである。映画の見方なんかも、そういう中で形成されてきた。ヒットしている大作や評論家がほめる社会派良心作、巨匠というだけでもうセルフ・リメイクを繰り返している作品なんかより、B級と言われても活気ある映画、「ポルノ」と呼ばれても自分の言葉で身近な生活をエネルギッシュに語っている映画。そんな映画の方がはるかに好きな映画だったのである。

 大きなことを語らなくても、自分の周りを丁寧に描くことで、思わぬつながりを見つけ出す。僕の好きなタイプの映画はそんなものである。いや、勘違いされないように断っておくが、ジャンルを問わず、映画の作り方の違いに関わらず、いい映画は存在する。そんなに好きじゃなくても、傑作だと思う映画もある。映画というか、あらゆる分野にそういうことがある。でも、僕が映画を見て、一番面白かったと思うのは、(映像美や完成度などが水準以上である前提で)、「つながり」が作られていくような映画だ。

 今年公開の映画では、日本映画では「リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁」や「オーバー・フェンス」などがそれ。外国映画では「キャロル」や「ブルックリン」なんかかな。「世界」をどうこうする大きさはないけど、思わぬところで見つかった人間同士のつながりが輝いている。昨年の映画では長大な「ハッピーアワー」や「この国の空」、あるいは一昨年の安藤桃子「0.5ミリ」などの映画を思い出す。

 まあ、映画の見方は様々であって良いと思うけど、人間関係の作り方なんかも結構似たような問題があるんじゃないかと思う。「大きな物語」を求めるよりも、「小さなつながり」を一つ一つ大切にする、新しいつながりを求めて様々な場に出て行く。そんなことの積み重ねが大切なんじゃないか。自分でうまく実践してきたと言えるわけじゃないけれど。
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三笠宮の生涯-戦争批判と歴史学

2016年10月29日 00時31分44秒 |  〃 (歴史・地理)
 三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと 1915.12.2~2016.10.27)が亡くなった。皇族として初めて百歳を迎えた人物だが、NHKのニュースでは「明治以後の皇族として初めて百歳を超えた」と伝えていた。では、明治以前にはいたのか。いないだろ、そんな人。神話時代の伝説的な天皇にさかのぼれば、確かに100歳を超えた天皇(当時は「大王」(オホキミ)だが)が何人もいる。第5代孝昭天皇は113歳、6代孝安天皇は137歳、7代孝霊天皇は128歳…といった具合である。そういう事例を持ち出してイチャモンを付ける輩がいると心配しているのか。そういう姿勢は、厳正なる歴史学者だった三笠宮を冒涜する行為ではないかと思う。そう思うから、ここに三笠宮の生涯を書いておきたい。

 三笠宮のことを書いておこうかと思ったことが今までに何回かあった。一つは昨年に100歳を迎えた時、あるいは2014年に次男の桂宮が亡くなった時などである。三笠宮は5人の子女に恵まれた。そして、2人の女児は存命だけど、3人の男児はすでにない。「逆縁」である。それも三男の高円宮(たかまどのみや)が2002年、長男の寛仁(ともひと)が2012年、そして長らく闘病中だった次男桂宮が2014年と、元気な順番に亡くなってしまった。「皇族のあり方」なんていう問題とは別に、「長寿であることは、悲しみも多い」と感じないではいられなかった。それにしても、聖路加病院で亡くなり、主治医は105歳の日野原先生というんだから、驚くやら感心するやら…。

 三笠宮は戦後になって、東大で歴史学を学び始めた。戦時中の経験から、「歴史を学ぶことの重要性」を痛感したからである。そして、非常に優れた古代オリエント学者になった。一般向けの本も多く、僕も読んだことがある。皇族の余技なんかではない。ホンモノの歴史学者である。そのことを認めない人はいないだろう。古代オリエント学会中近東文化センターの設立の中心となり、学界への貢献も大きい。「古代オリエント」というと、浮世離れした好事家的学問と思うかもしれないが、それは違う。「戦争」を考え詰めると、「国家の起源」に行きつく。メソポタミアやエジプト、そしてアナトリア半島などの歴史を研究することは、現代に真っすぐつながっている。

 戦後に歴史学を研究した理由に、戦時中の軍隊経験があったことは広く知られている。皇族男子は軍人になることが宿命だった時代である。次男の秩父宮は陸軍、三男の高松宮は海軍。よって四男の三笠宮はふたたび陸軍となる。学習院から陸軍士官学校へ進み、騎兵連隊で現場体験を積んだのちに陸軍大学校を卒業した。1943年からは実際に中国戦線に参謀として勤務した。「若杉参謀」(若杉は印にちなむ)と名乗って勤務したため、皇族と知らなかった人もいたと言われる。その時に日本軍の残虐行為軍紀の乱れを知り、戒める意見を具申した。後になって自己批判した人はいるが、いかに皇族として身分が守られていたとはいえ、戦時中の時点で日本軍の実態を厳しく批判した人物がいたということは、歴史に残して忘れてはいけないことだろう。

 戦後になっても、戦争の実態を証言し、戦前回帰の動きを批判した。例えば、「紀元節復活」への反対は有名である。2月11日は戦前に「紀元節」と呼ばれていた。「初代神武天皇が紀元前660年に即位した日」は、日本書紀などによれば、1月1日である。それをわざわざ「太陽暦に換算すれば、2月11日」と明治になって決めた。つまり「紀元節」は近代の産物である。戦後になって廃止されたが、それを「建国記念日」と名を変えて復活させようという動きが占領中から起こっていた。そして1963年に「結党以来一度も強行採決を考えたことがない」自民党によって、内閣委員会で強行採決された。その後、反対運動に一定の配慮をしたのだろう、「建国記念の日」と「の」の一字を加えて成立した。

 「建国」の「記念日」ではなく、「記念する日」の意を込めたことにより、かろうじて「天皇制の神話を祝うことを強制する」ことがいくぶん避けられたわけである。確かに小さなことである。でも、その経緯を知ってか知らずか、今回の訃報に際しても「建国記念日」などと書いている人もいる。

 戦時中の日本軍による残虐行使を知ってショックを受けたことは、今回多くの報道がなされている。その衝撃を自分ひとりの胸にしまうことなく、昭和天皇に中国で見た「反日映画」を見せることまでした。(そのことは以前に「昭和天皇が見た戦争映画②」の中で紹介した。)何度も何度も三笠宮が戦時体験に触れているのは、「歴史修正主義」が戦後の日本にはびこり続けたからである。(たまたま産経新聞を見たら、和平を進めたことは出ていても、残虐行為の問題には触れていない。ダンスなどのレクリエーションを取り上げ「庶民的で親しまれた」などと言うだけで「追悼」と言えるだろうか。)最後に、今の時点においても有効性があるのが残念なんだけど、三笠宮の言葉を紹介して起きたいと思う。

 「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。」  この言葉は今を生きる多くの人にも、心の中に大切にしまっておいてほしい言葉である。しばらくの間、この言葉が有効性を失うことはないだろう。
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映画「淵に立つ」という問題作

2016年10月27日 21時25分34秒 | 映画 (新作日本映画)
 今年(2016年)のカンヌ映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した深田晃司監督の「淵に立つ」が公開されている。非常に緊迫した場面が連続する映画で、傑作とか秀作といった言葉より、まず「問題作」と言いたくなる作品。あまりに重いので、多くの人にはおすすめできないほどだが、今年の日本映画有数の作品なのは間違いない。1980年生まれの若い監督による人間凝視である。
 
 地方で町工場を営む一家。夫は無口に新聞を読み、妻は一人娘のオルガン教室の発表会にしか関心がなさそうだ。そこに突然、八坂(浅野忠信)という男が現れ、夫は何か弁解しながら彼を雇うことにする。何か夫と八坂の間には因縁がありそうだけど、その理由は明かされない。次第に明らかになるのだが、八坂はかつて殺人を犯して刑務所を出たばかりなのである。オルガンを弾けて、娘に教えるようになり、妻に近づいていく。妻はクリスチャンで娘とともに教会に出かけているが、八坂も一緒に日曜礼拝に行くようにもなる。夫は古館寛治、妻は筒井真理子という俳優が演じているが、特に筒井真理子は圧倒的な存在感で画面を支配していて、一瞬も目を離せない。

 画面はほとんど固定されていて、そこで二人(時には一人または三人)が会話(または会話にならない何か)を交わしている。そういう静かな人間凝視が延々と続くのかなと思う頃に、画面は手持ちカメラのゆれに変わる。何度かそういう場面があり、そこで驚くようなドラマ(悲劇)が起きるのである。最近になく、展開の読めない、何が起こるのか全く判らない緊迫感が後半を包んでいる。前半で破局があり、後半は8年後である。ビックリして言葉もないような構成で、心して見ないといけない。快い映画ではないけれど、一年に数本はこういう映画が必要なんだと思う。一般向けとはいいがたいけれど。

 深田晃司(1980~)は、映画美学校で映画を学び、その後平田オリザの劇団青年団の演出部に所属した。異色の経歴だが、けっこう今までに多彩な作品を撮っている。2013年の「ほとりの朔子」しか見ていないが、これは二階堂ふみ主演の青春ドラマで、不思議なムードが漂っていてかなり好き。昨年は平田オリザの進めるアンドロイド演劇の映画化「さようなら」が注目されたが見ていない。過去には東映アニメでバルザック原作をアニメ化した「ざくろ屋敷」など、面白そうな作品がある。(今後シアター・イメージフォーラムで監督の特集上映が行われる。)

 確かな才能を感じる力作だけど、一体これをどう評価すればいいんだろうという思いが最後まで残る。「闖入者」が家庭に入り込むという設定は、安部公房の戯曲「友達」やパゾリーニの映画「テオレマ」を思わせる。前半だけなら、「異人」が家庭の欺瞞を暴くという構造で理解できなくはない。でも、途中からラストに至る展開は、想定を覆していく。もともと八坂という男の言うことには、理が勝ちすぎて危うさをはらんでいたと思うが、それにしてもの展開である。何があろうが、人間には「生きている」ということだけが残る。その危うい緊迫感は、まぎれもなく「映画を見る体験」だったけれど、けっこうつらいものでもあった。そこまで作れるのも若いということかもしれない。
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映画「アルジェの戦い」を見直す意味

2016年10月26日 23時13分00秒 |  〃  (旧作外国映画)
 ジッロ・ポンテコルヴォ監督の映画史に残る傑作、「アルジェの戦い」が新宿のケイズ・シネマでリバイバルされている。1966年のイタリア・アルジェリア合作映画で、ヴェネツィア映画祭金獅子賞。67年に日本公開され、キネ旬ベストテン1位になっている。(プログラムに「圧勝した」と書いてあるから調べてみると、「アルジェ」が301点、2位のアントニオーニ「欲望」が187点、3位のアラン・レネ「戦争は終わった」が180点。確かに圧勝している。)70年代に僕は2回見ているので、数十年ぶり3回目。

 この映画は、実際にアルジェリアの首都アルジェのカスバでロケされている。独立運動に参加した人が脚本に参加し、現地民衆が演じている。ものすごい臨場感で、今見ても圧倒される。監督のポンテコルヴォはイタリア人で、反ナチスのレジスタンスに参加していた。戦後になって、ロッセリーニの映画に感激して映画人になったということだが、遅くやってきた「レオ・レアリズモ」の最高傑作とも言える。そのぐらいドキュメンタリー・タッチの迫力は今も色あせていない。

 だけど、冒頭のクレジットを見ていて、あれ、モリコーネの音楽だと思ったのだが、音楽の付け方などは案外普通のプロの映画である。当たり前かもしれないが、なんだか印象では音楽を忘れてしまっていた。エンニオ・モリコーネといえば「荒野の用心棒」や「ニュー・シネマ・パラダイス」など、聞けばだれでも思い出すような名曲を書いた人である。アメリカ映画でも活躍し「アンタッチャブル」や「天国の日々」などで5回アカデミー賞にノミネート、今年2016年に「ヘイトフル・エイト」でついに受賞した。

 モノクロで描かれる闘争の日々の描写は苛烈である。FLN(民族解放戦線)が結成され、独立運動が開始される様子を追っている。当初は組織確立に力を注ぎ、民族内部の規律確立にも努める。主人公の一人アリはケチなチンピラだったが、獄中で独立運動家に感化され、出所後に独立運動に参加する。最初は疑われるが、だんだん信用されていく。その最初のころに、麻薬元締めの友人を殺害する描写がある。その後、フランス人の警官をねらうテロを起こし、運動が広がっていく。

 警察側は復讐のために、民衆の住むアパートを爆弾で爆破。その後、FLNもフランス人の民衆が遊びに来るカフェなどで無差別テロを起こす戦術をとる。その描写は緊張感に満ちていて、一気に見てしまうが、このテロ戦術をどう考えるか。公開当時はベトナム戦争の激戦時で、解放戦線によるテロがサイゴンでひんぱんに起こっていた。無差別テロ戦術を安易に認めていいのかという議論も起こったと聞いた気がする。(僕は同時代には年齢的に見ていないので、後で聞いたことである。)

 最近、フランスはじめ世界各地で「無差別テロ」が起こっている。そのことを考えても、これをどう考えるべきか。しかし、フランスのテロ事件は、フランス人の住むところにテロリストがやってきて事件を起こした。一方、アルジェリアのフランス人は、アルジェリアを植民地として支配している人々である。植民地側の民衆からすれば、「自分たちの国を奪った盗人」である。植民地側からすれば「独立戦争」なんだから、あらゆる戦術が認められるという立場だろう。この映画では、無差別テロは最初に警察側が起こしている。植民地主義を否定することは、今では映画を見るときの前提だから、これほど臨場感に富む力強い映画を見ているときには、テロの是非はあまり意識しないで見ることになる。(もっとも僕は展開を知って見ているわけだから、初めて見る人の感想は違うかもしれない。)

 一方、この映画のすごいところは、途中でフランス軍の空挺部隊が投入され、弾圧が強化される経過を丹念に追っているところである。マチュー中佐をリーダーとする部隊が到着すると、アルジェリアに住むフランス人は熱狂的に歓迎する。この空挺部隊を見ると、1980年の光州事件や1989年の天安門事件が思い出されて、胸が苦しくなる思いがした。マチュー中佐には完全な「全権」は認められなかったが、事実上激しい拷問を容認し、指導部壊滅を目指す。その様子は、ある種「弾圧側の教科書」になり得るほどのもので、実際そのようにも見られているらしい。

 上の写真が映画のマチュー中佐。ピラミッド型の組織を一つ一つつぶしていき、カスバの集中的な捜索でついに指導部にたどり着く。FLNは国連を意識してゼネスト戦術をとったが、1954年に始まった蜂起は1957年にいったん終結を見るのである。それが「アルジェの戦い」と呼ばれた。その後も山岳民族との戦いが続くが、アルジェでの組織再建はなかなか進まなかった。そして、1960年、指導部の指示に拠らない民衆の一斉蜂起が起こり、フランスが追い詰められるまでが描かれている。

 フランス軍と警察による悲惨な拷問は、フランス当局は長いこと認めて来なかった。最近になってようやく直視する動きも出ているが、今もなお解決しない問題となっている。(「いのちの戦場-アルジェリア1959」という映画が2007年に作られている。)当時のフランスでも、多くの文化人がアルジェリア支持を表明し、論議を呼んだ。日本でも、当時は大きな注目を集め、大江健三郎「われらの時代」には独立運動家のアルジェリア人が出てくる。映画化されているが、そこでも大きな意味を与えられている。また福田善之の戯曲「遠くまでゆくんだ」もアルジェリア戦争をテーマとしている。

 世界的に影響を与えたアルジェリアの独立運動だったけれど、FLNは独立後に一党独裁となり、やがて国民の不満が高まった。そこで複数政党と自由選挙を認めた1991年の選挙では、イスラム原理主義政党が圧勝した。選挙結果を認めない軍部はクーデタを起こし、以後悲惨な内戦が10年近く続いた。現在は民政移管されているが、日本人社員も犠牲になったテロ事件が2013年に起きたように、情勢は複雑である。映画内でも、幹部の言葉として「独立してからの方が大変だ」と語らせている。現実にその通りになった。そのことを知っているわれわれにとって、なかなか苦い映画というしかない。「敵」がはっきりしていた時代のモニュメントとして、今もアルジェリア国内では人気があるんだというが。
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信じる力-「僕らは世界を救えるか」映画問題②

2016年10月25日 21時43分04秒 | 映画 (新作日本映画)
 長いこと中学、高校の教員として若い人に接してきた。いろんな生徒がいるけど、演劇、映画やマンガ、詩・小説などをつくる生徒もけっこう多い。その中身はと言うと、「世界滅亡後に生き残った二人」とか、「クラスの中に宇宙人がいる」とか、その手の発想がものすごく多かった。もう少し、自分たちの「等身大の問題」、つまり進路とかいじめとかを描けばいいのにと教師はつい思いがちである。

 もっとも親子の葛藤などは、もう少し年齢を重ねないと客観視して書けないんだろう。映画「桐島、部活やめるってよ」を見たら、そこでも教師は映画部の生徒に、自分たちのリアルを描けと言っていた。でも、映画部の生徒は「宇宙ゾンビ映画」を作り続けている。それは「一種のリアリズム」だとよく判った。ゾンビというのは、もちろんメタファー(暗喩)だけど、まぎれもなく自分を描いている。

 本当は昔だって、世界は複雑にできていた。でも、「敵」ははっきりしていて、戦って人生を切り開いて行くんだとされていた。もっと言えば、革命を起こし敵を打倒して理想社会を築くんだと真剣に思い込んでいた人がたくさんいた。実際の人生は、それほど単純なものではなかったんだけど、「自分」を描けば、その中に社会が表れてくるという判りやすい構造で世界が出来ていると思えたのである。

 今は何が何だか世界が理解できない。ニュースを見ていても、どうなっているんだか納得できないことが多い。「世界」は壊れてしまったのか。そんな世界を生きる中では、誰が敵で誰が味方かも判らない。もう世界は壊れてしまっていて、誰にも救えないし、荒涼とした風景が広がっているだけなのだ。そういう風に世の中が見えていても、全く不思議ではない。

 だけど、世界は救わなければいけない。生きていかなければいけないのだから。我々には、どんな物語が可能なんだろうか。しかし、その時に「救う」とは何だろうか。宇宙人が大挙して地球を襲撃してきた。それに対して、「地球防衛隊」とか、「スーパーヒーロー軍団」とか、「偶然宇宙人の弱点を知ってしまった少年」とかが立ち向かう。そして、ラストでは宇宙人が敗北して死滅したり、元の惑星に去って行ったりする。「世界は救われた」と言えるのか。

 確かに、「歴史的な評価」という観点からは、「彼らの活躍で地球は救われたのだった」と位置付けられるだろう。でも、どんなスーパーヒーローだって、映画の中では、「世界」ではなく、宇宙人の襲撃から「自分」を守っているだけである。攻撃するときも含めて、要するに自分の使命を果たしているのみである。野球やサッカーなどの団体競技を見ていても、ゲーム全体を一人で支配できることはなく、与えられたポジションで自分の役割を果たすということに尽きている。

 「シン・ゴジラ」でも「君の名は。」でも「怒り」でも、それは同じである。見ているわれわれが、歴史的評価として「世界を救う」と感じるけど、映画内の人々も「自分の役割を果たす」以上のことはしていない。誰であっても、われわれは「世界を救う」なんて大それたことはできないんだろうと思う。でも、「自分たちに与えられたミッション」を果たそうと頑張ることが、世界につながっていく。

 どうして彼らは(まあ映画というフィクションではあるけれど)、自分を疑うことなくミッションを果たせるのだろうか。(「シン・ゴジラ」と「君の名は。」の場合の話で、純文学である「怒り」は自分を信じることができない人々の物語になっている。)そこに映画なりの仕掛けがあるということだろう。「シン・ゴジラ」の場合は、一般の犠牲者を描かず、政治家や官僚、自衛官など「ミッションを果たすべき仕事の人々」を中心に描いている。初めから、「自己への疑い」といった感覚を排除している。

 一方、「君の名は。」の場合は、ファンタジーとして主人公の運命に同化するような見方を観客がしている。そのための美しい絵、効果的な場面設定、音楽などが用意されている。だから、よほど斜に構えた人を除けば、主人公たちの選択を応援して見ることになるはずである。なんで「大災厄」を逃れるために、彼らが選ばれたのかなどと考え込む人も少ないだろう。(でも、後になって冷静になってみると、いかに「世界を救う」ためであれ、高校生が明らかに違法行為を犯していいのだろうかと思うが。)

 こうしてみると、大事なのは「信じる力」だと判る。「シン・ゴジラ」だって、「君の名は。」だって、映画の中の人々は観客とも一緒になって、ひたすら自分たちを信じて行動し続ける。だから、それが娯楽映画のカタルシスになっている。一方、「怒り」では、「信じきれない人々」が物語を形成している。そこが現実を舞台にした映画だということだが、ミステリー的にも興趣を盛り上げている。「世界」につながるかどうか判らないけど、人はまず目の前の他者を信じていけるかどうかなんだと知らせている。「世界はを救う」ことは判らないけど、物語の中には「自分を信じる」「他人を信じる」ことの大切さが結果的に「何かを救う」ということを示していると思う。それが映画の力でもあるだろう。この問題はあともう一回。
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追悼・平幹二郎

2016年10月24日 21時49分37秒 | 演劇
 現代日本を代表する偉大な俳優、平幹二郎(ひら・みきじろう)が突然亡くなった。10月23日に自宅の風呂で倒れていたところを発見されたが、もう亡くなっていたという。享年82歳。(1933~2016)

 最近まで舞台に立っていたし、見てないけど現在放送中のドラマにも出ていたということだから、本当に突然の訃報だった。本気で言うわけでもないんだけど、蜷川幸雄が呼んだのかと多くの人が一瞬思ったんじゃないか。僕はそんなに平幹二郎を見たわけではないけど、舞台、テレビ、映画を通して、「大きな人だなあ」と思ってきた。実際、身長は180cmだったというから、今でもそうだけど特に戦前生まれの人としては異例なほど大きい。顔も大きいし、舞台では異様なほどの存在感を示していたと思う。それはテレビでも同じで、とても存在感のある俳優として小さいころから知っていた。

 この人もまた俳優所養成所出身の新劇俳優だった。俳優座養成所という場所は、本当に多くの人を輩出したものだと思う。だけど、多くの人がこの人を知ったのは、テレビの「三匹の侍」だった。フジテレビにいた五社英雄が演出した時代劇で、かつてないリアルな感覚の時代劇として大ヒットした。というか、テレビドラマ史上の位置は判らないなりに、とにかく面白いから小学生でも見ていた。つまり、僕と僕の周りの小学生は大体。最高視聴率42%というから、すごい人気だったのである。1963年から1968年にかけて、第6話まで作られた。10月開始の翌年3月か4月まで半年続くドラマである。

 第1話の「三匹」は、丹波哲郎、平幹二郎、長門勇だけど、2話以降は丹波に代わり、加藤剛が加わった。平幹二郎はずっと出ているわけだが、2話以降は丹波に代わってリーダー的存在の役柄になった。ちなみに役名は桔梗鋭之介。ニヒルな浪人だが、最後に弱い者に味方するといった役である。1964年には丹波、平、長門のコンビで映画化もされている。今も時々上映される機会があるが、けっこうおもしろく見られる。時代劇の楽しさは最初にこのドラマで知ったんだと思いだした。その後も大河ドラマの「樅の木は残った」をはじめ、最近まで多くのテレビに出ていた。

 でも、やはり平幹二郎は蜷川演劇を支えた俳優ということになる。70年代後半から、つまり蜷川幸雄が商業演劇に本格参入したころから、主な舞台はほとんど平幹二郎が主演していた。『王女メディア』『近松心中物語』『NINAGAWAマクベス』『タンゴ・冬の終わりに』『リア王』なんかである。そして、最終的にはシェークスピア役者ということになるんじゃないかと思う。僕は『近松心中物語』は見てないのははっきりしているけど、多分『マクベス』は見てるんじゃないかと思う。忘れるわけないと思うかもしれないが、シェークスピアは読んで話を知ってるので、映画も含めて何を見たのかよく覚えてないのである。(オリビア・ハッシーの出たフランコ・ゼッフィレリ監督「ロミオとジュリエット」だけはよく覚えているわけだけど。)最近ではもうクラシック作品は見てないけど、永井愛作の「こんはんは、父さん」で、その大きな存在感を堪能した思い出が鮮明である。(写真は「王女メディア」)

 ところで、仲代達矢と違って、平幹二郎は映画俳優としてはあまり語られない。確かに平幹二郎なくして成立しなかったような映画は数少ない。でも、助演などではけっこういろいろ出ている。安部公房原作の「他人の顔」の医者とか、岸田國士「暖流」の3回目の映画化の日疋とか。「暖流」の日疋というのは、戦前の映画化では佐分利信がやった役で、病院を救うためにやってきて院長令嬢と看護婦の二人から惚れられる。平の出た「暖流」では、令嬢が岩下志麻で、看護婦が倍賞千恵子。これじゃ選びようがないというもうけ役で、そういう鮮やかな立ち役だったのである。美男俳優として、映画であれ、舞台であれ、人気大スターを通す道もあったんだろう。でも、根は演技派であって、芝居がしたいということで、蜷川の同志を選んだのだと思う。

 それでも、若いときに出た映画作品は、若いころの平幹二郎の魅力を詰め込んで今に伝えている。もう2本書いておくと、川端康成ノーベル賞記念で映画化された「千羽鶴」。これもいろんな女に言い寄られる役だが、若尾文子が印象的。平幹二郎は、こんな二枚目俳優だったのかという感じで出ている。もう一本、最近再評価の声が高い中村登監督の「夜の片鱗」という映画。女工だった桑野みゆきを堕落させてゆくヤクザな男役で、女を餌食にして生きていきながら、時たま優しさをふっと見せるという、すさんだ人物をこれ以上ないほどうまく演じている。こういう役をできるんだから、単なる二枚目では満足できないだろう。それほど存在感をここでも感じる。映画でも振り返っておく必要がある俳優だと思って、特に触れておく次第。
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映画「脱出」と荒木一郎トークショー

2016年10月23日 21時33分33秒 |  〃  (旧作日本映画)
 22日にシネマヴェーラ渋谷で行われた荒木一郎トークショー。立ち見(まあ、通路に座り見だが)だったけど、まあ滅多にないからと思って見ることにした。これがとても面白くて、荒木一郎の天才性の片鱗を十分に堪能することができた。トークの前に、映画「脱出」の上映。「脱出」と言われると、僕なんかは、1972年に公開されたアメリカ映画「脱出」を思い出してしまう。ジョン・ブアマン監督の、今ではカルト的人気を誇るサバイバル・ムービーで、最近原作が新潮文庫で復刊された。

 まったく同じ年に、日本でも「脱出」という映画が作られ、公開されずにお蔵入りした。ただ一本残るフィルムが今回発掘されて、荒木一郎特集で特別上映された。途中でフィルムのブレが多い時間があり、また全体にカラー画面の退色が著しい。だけど、話自体は通じる。西村京太郎原作の犯罪映画だけど、それほど大した映画でもない。和田嘉訓監督の演出を荒木が批判的に回顧していたけど、まあそういうことなのかもしれない。でも原作そのものが面白くないんじゃないかと思う。

 明日ブラジルに向かうことを夢見る黒人系青年がいる。(黒人米兵と日本人の母親との間の子どもなんだろう。)世話になったバーにあいさつに来たら、白人客に暴言を浴び、店の外で争う。その白人は頭を壁に打ち付けて死んだように見える。同じ施設で育った女友だちの勤める店に逃げていくと、そこにいた週刊誌記者の荒木一郎が事件を知る。荒木は青年をブラジルに逃がしてやろうと客同士に持ち掛け、集団で女友だちに部屋に行く。そこに怪しい男が現れ、一緒に横浜のなじみ客の家に押しかけ、占拠する。ここに登場した男たちの素性は一体何か。

 たまたま同じ店の客だったというだけで「逃がしてやろう」となるのは、70年代初期に「反体制」的な熱気が残っているということである。だけど、お互いに何者かわからないのに、そんな危ないことをしでかす。中に「過激派」の幹部がいて、結局引きずられていくことになる。その後の展開も理解できないことが多く、荒木一郎も何のためにいるんだか、取材のために始めたことなのか、よく理解できない。

 「過激派勢力」による占拠事件という風にとらえると、連合赤軍の「あさま山荘事件」を思い起こさせると言われるのも判らないではない。でも、それも大げさすぎる単純な犯罪映画だと思う。作品に力があれば、どこかの時点で公開されていたのではないか。大スターが出ているわけでもなく、そのまま公開の機会を失ったということなんだろう。

 それよりブラジルへの客船、「ぶらじる丸」が出てくるのが貴重ではないか。戦後のエネルギー政策転換などによるブラジル移民を大量に乗せていった客船である。講和条約後に作られた大型商船で、1954年に竣工した。ホノルルへの立ち寄りもあり、ある時期までは好調だったが、日本の経済成長とともに南米移民が少なくなり、客が少なくなった。1973年が最後の航海で、それも「第一回日中青年友好の船」だという。年3回程度の航海だったというから、1972年製作のこの映画でも本当の航海シーンではなかったのかもしれない。(船自体は明らかに「ぶらじる丸」だと思うんだけど。なお、その後鳥羽市で海上パビリオンとして利用されていたが、1996年に閉館。中国に買い取られて、広東省湛江市で今も海上パビリオンとして使われているという。)

 その後、映画に出演していたフラワー・メグとともに、黒いメガネ姿の荒木一郎が登壇。この映画を含めて、いろんな映画の思い出を語った。次の特集の芹明香をはじめ、池玲子や杉本美樹などは荒木一郎のプロに所属していた。芹明香の売り出し時のエピソードなども興味津々。杉本美樹が出るのと同時に出演を依頼された「0課の女」では、途中で死ぬはずが監督の意向でセリフもないままずっと活躍していく。「芝居をする」ということと「映画を撮る」ことの違い。「白い指の戯れ」でもベッドシーンは大体荒木一郎が自分で演出してしまったという話。

 結局、歌手や俳優として若いときから活躍してきて、カメラに向かってどう演技すればいいかと熟知している。脇役の時は主役を食うように計算し、主演の時は映画全体を考えて演技を付ける。その緩急が判っている人、映画の演出を判っている監督は少ないという。経験した中では、東映の中島貞夫が一番だという。中島監督作品にはたくさん出ているが、「現代やくざ 血桜三兄弟」は脚本がよく出来ていたという。ホンがいいと、現場の演出で変えられるところが小さく、脇役としてはつまらない。でも、その中で渡瀬恒彦に演技を指導し、脇役として存在感を発揮していく。でもカットされてしまった場面もあるという話。話は尽きないけど、実に面白い話が満杯で、何事につけ天才と言われるだけのことがあるなあと感心した次第。
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志賀原発で起きた恐怖、および新潟知事選

2016年10月21日 23時40分41秒 |  〃 (原発)
 ものすごく恐ろしいことがあった。気づいていない人もいるかと思い、書き忘れないうちに書いておきたい。場所は石川県の志賀原発である。羽咋(はくい)郡志賀(しか)町、能登半島の西側の海岸にある北陸電力の原子力発電所。読み方は「しか」になる。現在は停止中。

 ここで9月28日に、非常用照明の電源が漏電する事故が起きた。雨水が大量にあふれたのである。福島第一原発の事故は、非常用電源が大津波によって失われ、核燃料の冷却が不可能になったことで起きた。だから、「非常用電源」はとても重要である。もちろん、非常じゃない電源も大事なわけだけど、大きな災害、事故などで「仮に電源が失われたとしても」、非常用の電源が働くから安心できるわけである。(原発に限らず、電気が失われると大変な施設は同じことが言える。)

 当時は道路工事があって、排水路が一部ふさがれていたという。そのため、雨水が道路にあふれ出て、ケーブル配管に流れ込んだ。そして、原子炉建屋の1階に流入し、電気設備が漏電したのである。地下1階にある最重要の蓄電池の真上にも水が来ていた。水は地下2階まで達していた。志賀原発は近くに川などがなく、洪水対策は不要とされていたんだそうだ。

 では、その当時は超大型台風などが来ていたのか。もう具体的な日付は忘れているので調べてみる。8月から9月にかけて、今年は毎週のように台風が日本付近に来た。しかし、台風16号が9月20日に大隅半島、21日に紀伊半島に上陸したのが、(いまのところ)今年日本に上陸した最後の台風。(台湾の東海上でUターンして長く留まったあの台風)次の17号は27日に先島諸島に近づき、台湾に進んだ。18号は26日に発生したが、沖縄に近づいたのは10月3日、韓国に被害を与えた後で東進して10月5日に佐渡島付近で温帯低気圧になった。

 つまり、台風などではなかった。当時は1時間当たり26ミリの雨が降っていた。これはどのぐらいの大雨なんだろうか。一般的に「記録的短時間大雨情報」は、1時間に100ミリの雨だという。調べてみると、注意報、警報を出す基準は地域ごとに違い、公表されている。志賀町の基準は、大雨警報は1時間に50ミリ、大雨注意報は1時間に30ミリだとある。つまり、けっこう降ることは降っていたんだけど、「大雨注意報を出す基準には達していなかった」のである。

 停止中の原発でも、使用済み核燃料の冷却を続けている。このときに、もっと大量の雨が降っていたら、どれほど恐ろしいことが起きていたか。そして、福島であれだけの事故が起きたんだから、およそ考えられる事態は全部考えて対策を取っているんだなどと思うと、誰も予想もしなかったケースはあるのである。大雨注意報が出るような雨じゃないのに、非常用電源が失われかけた。専門家じゃない我々には気づきようもない、誰も予想しない事態がまたどこかで起きないと言えるのか。

 ところで先に書いた新潟県知事選は、16日に投開票された。そして周知のように、予想を超えた大差で野党系の米山隆一氏が当選した。米山隆一=528,455、森民夫=465,044 なので6万3千票ほどの票差である。(他に無所属新人が二人いたが、米山氏は52.15%で過半数を超えている。)

 7月の参院選では、森裕子=560,429 中原八一=558,150 だったが、幸福実現党が2万4千票ほど取っていて、森裕子の得票率は49%だった。(幸福実現党は主張的にはウルトラ保守だから、政策だけで考えると、自民の票を奪っている可能性が高い。それが参院選後に「弾圧」を受けた理由かもしれない。同党は公職選挙法違反(買収)で逮捕者が出て本部も捜索された。それに対して「(再逮捕・長期勾留は)民主主義の危機」とするコメントを出している。)

 もっとも投票率が低いため、与党系も野党系も票を減らしている。国政選挙に対して、地方選挙は投票率が下がり、特に単発の首長選挙は低くなる。今回は53.05%だが、それでも前回、前々回より10%近く高い。「原発再稼働の是非」に絞った単一イシュー選挙が功を奏したのである。

 それにしても、民進党の対応は理解できない。最終盤に蓮舫代表も応援に行ったけど、推薦も支持もない候補を「野党第一党の党首」が応援してもいいのだろうか。いくら勝てそうな感触が出てきたしても。(衆院補選の情勢が厳しいので、勝てそうなところにも行ったとされる。)応援に行くのが悪いというのではない。「自主投票」なんだから、民進党議員が個人的に支援するのは何の問題もない。だけど、党首なんだから最低限「党本部段階での支持表明」がいるんじゃないか。一方、連合新潟は森候補を支持し、民進党本部は連合に党首の対応を「釈明」しているという。それもおかしな話で、説明して欲しいのは、「国政選挙で対決した与党系候補を、なぜ連合新潟が支持したか」の方だろう。

 民進党も問題だけど、「労働組合」が原発支持でいいのか。企業内組合であったとしても、仕事がなくては困るというのがホンネだとしても。国民世論からかくも隔絶した労働組合とはどんなものなのか。こういう事例を見ると、日本にいま必要なのは「自主労組『連帯』」だと改めて強く思う。労組に限らず、「自主」と「連帯」が日本に必要なんだと思う。
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「白い指の戯れ」「殺し屋人別帳」「地底の歌」「泉」

2016年10月19日 22時37分14秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今回のタイトルは昨日見た映画の名前。4本も見てしまったのだけど、今までそういうときのタイトルは「昨日見た4本の映画」などと書いていた。そうすると、後で自分でも何の記事を書いたのか判らなくなるので、今回は名前を列記してみたわけ。世の中には、どうしても見なくてはいけない映画なんかない。古い映画の場合は、映像素材自体は残ってるから今やってるわけだから、また機会があるに決まってる。でも特に珍しい映画の場合は、逃がせない気持ちになる。

 昨日はまずシネマヴェーラ渋谷で荒木一郎特集。見なくてもいいかと思ったんだけど、時間的に間に合いそうなので、「白い指の戯れ」(村川透監督、1972)を3回目。日活ロマンポルノだけど、今のレベルからすると(というか当時でもそうなんだけど)、ポルノグラフィー度は低い。「スリ」に生きる青年(荒木)にひかれてゆく若い女性(伊佐山ひろ子)。数年前に日活100年の時に見直したときは、「赫い髪の女」なんかと一緒なので、甘々すぎて今じゃもう見れないなと思った。

 でも、単品で見れば伊佐山ひろ子が可愛くて、見ていて飽きない。まあ、これと「一条さゆり 濡れた欲情」でキネ旬主演女優賞というのは、確かにどうかと思う。それはキネ旬ベストテン史上最大の「スキャンダル」となったけど、当時の勢いはすごかった。荒木一郎が町の看板を逆読みしていくシーンは、僕も公開当時にマネして歩いたもんだった。ロベール・ブレッソンや黒木和雄の「スリ」、あるいは福田純の「大日本スリ集団」、ウィル・スミスが天才詐欺師を演じた「フォーカス」(未見)など、スリ映画はかなりある。この映画はロマンティックで、犯罪の描き方に時代性がある。それと低予算の日活ロマンポルノは、東京ロケ映画として価値が高い。渋谷駅前や新宿御苑の地下鉄、八王子の映像などが貴重。

 続いて、併映の石井輝男監督「殺し屋人別帳」(1970)。日本のB級映画の巨匠、石井輝男だけど、あまりに作品が多いので見てない作品がまだ多数ある。今じゃカルト的人気を誇る「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の次に作ったギャング映画が「殺し屋人別帳」である。渡瀬恒彦のデビュー作。いつも変な役柄の荒木一郎が、ごく普通の善玉ヤクザの兄貴をやっていて、それが逆に貴重かも。なんといっても、佐藤允の殺し屋「鉄」がいつも「フランシーヌの場合」を口笛で吹きながらフランス語をしゃべるという役で笑える。大正琴を抱えた流しのアラカン(嵐寛寿郎)が名うての老殺し屋とか、小池朝雄、由利徹に小川ローザとか脇役が凄すぎて、荒木一郎が全然目立たないぐらい。

 石井輝男は最晩年に「ゲンセンカン主人」や「ねじ式」を撮って、ちょっとアートっぽくなったけど、東映エログロ路線とか、ひんしゅくを買うような映画を作ってきた。「網走番外地」シリーズを撮った人だけど、新東宝時代のラインシリーズ東映初期のギャング映画なんかが面白いと僕は思う。晩年を除き、ずっと大手で撮ったからロジャー・コーマンとは比べられない。でも娯楽映画の王道を行くマキノ雅弘などと違い、あくまでもB級テイストで撮り続けた石井輝男はきっとまだまだ発見を待っているように思う。どんな映画ファンだって、全部見ている人はいないんだから。なお、渡瀬の主題歌を含め「じんべつちょう」と読ませている。「宗門人別改」から来るんだから「にんべつ」と読むべきではないか。

 そこから、交通費がムダだけど、神保町シアターに野口博志監督「地底の歌」(1957)を見に行く。平林たい子原作の映画で、それは1963年の鈴木清順監督「関東無宿」と同じである。「関東無宿」しか見てない人が(コアな映画ファンでも)多いと思う。当たり前ながら、原作が同じなんだから話はそっくり。木村威夫の美術はないけれど。「関東無宿」は、小林旭が主役で、若い女優が松原智恵子、年上の女が伊藤弘子、その夫のイカサマ師が伊藤雄之助。「地底の歌」では、同じ役が名和宏、坪内美詠子、山根寿子、菅井一郎。古い映画ファンなら知ってるかもしれないが、ずいぶん渋い。その代り、チンピラの「ダイヤモンドの冬」を石原裕次郎がやっている。

 「関東無宿」が魅力ある清順映画なことは確かだけど、話がどうも変な感じがする。そこは「地底の歌」の方がリアリズムで判りやすいかもしれない。名和宏が山根寿子にひかれる方が納得できるし。案外しっかりした演出で、見ごたえがある「文芸映画」になっている。「関東無宿」は品川が舞台だったが、「地底の歌」は東京東部で撮っている。冒頭が錦糸町駅で、当時の楽天地が見える。そこに女子高生三人組がやってくる。ということは、彼女たちは両国高校だったのか? その後、花子が連れていかれる場所も、成田と明示されていて京成成田駅が出てくる。当時のロケは、今見るととても貴重。

 そこから、また渋谷に戻って、ユーロスペースで小林正樹監督の「」(1956)という初期作品。まあ8本目で、「あなた買います」の次だから、初期でもないか。全然上映機会がない映画で、僕も今回初めて小林監督にそんな映画があるかと意識した次第。岸田國士原作を松山善三が脚色しているが、とにかく変な映画。佐分利信ははっきりしないし、佐田啓二は大声でいつも怒っている。映画内で誰も結ばれない変な、とても受けそうもないメロドラマだが、むしろ水源地をめぐる社会派映画というべきか。疲れているのに2時間以上を眠くさせずに見させてしまう力はある。有馬稲子が異様に美しく、その意味では黒澤明「白痴」の原節子を思い起こさせる。これほどヒロインが美しすぎると、映画内であっても誰とも結びつけられないのか。ここまで「女優が異様に美しい映画」も珍しい。
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「僕らは世界を救えるか」映画問題①

2016年10月17日 23時08分58秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画を見ていて、映画内のできごとにしか目が向かわないような映画がある。僕にとって、例えば「オーバー・フェンス」とか「キャロル」はそんな映画だった。もちろん、映画をめぐるさまざまの話題を見聞きしているから、見に行くわけである。外部情報の確認的要素がゼロということはない。また、人間は社会的存在だから、どんな人間を描いても社会的な問題は見え隠れする。でも、先のような映画を見ているときは、基本的には主人公がどうなるか以外に目が向かない。

 一方、見ているときに、観客の気持ちが映画内世界を超えて、「世界はどうなるんだろうか」と言った思いにとらわれるような映画がある。僕にとって、「シン・ゴジラ」や「君の名は。」や「怒り」はそんな映画だった。別にどっちがいいとか悪いという問題ではない。よく出来ていれば、それはいい映画。では、そういう映画にはどんな特徴があり、どんな問題があるのかを考えてみたいのである。

 「僕ら」というのは、娯楽的要素がある映画を映画館で見ていることを前提にしているので、「映画を一緒に見ている観客」と考えていい。だから、後は「世界」と「救う」という問題になる。ところで、世界の全部を描くことは原理的にできない。「シン・ゴジラ」だって、東京と神奈川県を破壊しているだけだから、世界全部を描いていない。だけど、見ている側はどこまで破壊されているんだろうと、ドキドキしながら見ることになる。そこでは観客にとって「世界の問題」なのである。

 もっとも、そこには問題がある。「ミッション・インポッシブル」という映画シリーズがある。「不可能な使命」という意味だから、本来なら達成できずに映画終了である。でも、なぜか毎回「ポッシブル」なのである。シリーズ最終作とうたってないから、最新作もやはり「ポッシブル」なんだろうと、観客は事前に判って見る。そうなると、だんだん観客の満足度も下がってしまう。

 「男はつらいよ」シリーズもそうだった。寅さんは必ず失恋して、また放浪の旅に出る。本来だったら、初代「おいちゃん」の森川信が亡くなった時に、団子屋を継いでテキヤからは足を洗うというのが、世間一般的にはありそうなことなんだけど、それではシリーズが終わってしまう。だから、年を取り続けながら「失恋」を繰り返した。その繰り返しの中で、映画的エネルギーも少しづつ枯渇した。

 「シン・ゴジラ」だって、まさか東京を破壊しつくし、日本全土を破壊し、核兵器攻撃も効果なく、やがて次の国を襲うぞという終わり方になるだろうと思って見ている人はいないだろう。東京なんかに来ないで、尖閣諸島にでも現れて島そのものをぶっ壊すなんて展開になるはずがない。ゴジラがどこで誕生したのかは不明だけど、東京湾に来る前に沖ノ鳥島あたりはぶっ壊していてもいいと思うけど、なぜか東京湾に突如出現する。東京湾はかなり狭まった湾だから、その設定には無理があるんだけど。

 つまり、「シン・ゴジラ」におけるゴジラの「活躍」(暴虐)は「いつか止まる」と思ってみている。そこらへんの感覚は人によりそれぞれだろうが、僕なんかは全然緊迫感を感じない。それでも映画の中で、登場人物たちが「世界を救う」ために身を挺しているということは了解する。ゴジラはたかだか「害獣」にすぎないから、人間社会の悪そのものではない。だけど、ゴジラは見る者にとって「人間社会の悪」から生み出されたものとして理解される。だから、ゴジラは「世界」を描いている。

 「君の名は。」は詳述を避けるが、これも小さな「世界」である。だけど、見る者にとっては、一番身近な「ミッション・インポッシブル」に立ち向かう。一方、「怒り」は現実社会を舞台にした映画だから、一つ一つのエピソードは「小さな世界」である。だけど、三つ重なることにより、具体的には貧困や差別、沖縄の問題などに直面せざるを得ない。世界にはもっとたくさんの大問題がある。シリア内戦も、南スーダンも、ISの自爆テロも、「北朝鮮」の核開発も出てこない。だけど、「ひとりで苦しんでいる人の悲しみも、全人類の悲しみに通じている」わけだから、やはり「世界に通じている」のである。

 ところで、先ほど「世界の全部は原理的に描けない」と書いた。それどういうことだろうか。僕たちは自分自身が「世界の中」にいる。あるいは「歴史の中」にいる。映像を映しているカメラは、カメラ自身を映し出せない。「世界を描く」というときに、「世界を描いている人」それ自身は映せないのである。いや、映画だったら「メイキング映像」があるだろうというかもしれない。よくDVDの特典に付いてるけど、時々メイキングそのものが公開されたりもする。でも、その場合、「メイキング映像を撮ってる人」の方は描かれない。「メイキングのメイキング」と果てしなく作り続けることもできないだろう。

 金と時間をいくらかけても、メイキング映像の問題ではなく、「世界を描く自分自身」は見ることができないということなのである。もちろん、そのことを意識した「自分自身の悩みを描く映画」もある。フェリーニの「8 1/2」とか。でも、それは「アート映画の極北」のようなものとして、映画史上に何本かあるというものである。大ヒットをめざすエンタメ系ではできない。今回取り上げる3本の中では、元が「純文学」である「怒り」が一番、そういう問題を意識していると思う。そこがこの映画を「図式的」にしている。

 「世界」は、その一部を描くことに成功すれば、見る者はそれを「世界」と感得できる感度を有している。だけど、どうしようもなく、「世界のすべてをわれわれは見ることができない」という限界から、すべての表現芸術は逃れなれない。「シン・ゴジラ」も、「君の名は。」も、見ているときは夢中で見られるが(内容に理解できない、あるいは納得できない部分があったとしても)、やはり終わってみれば、やはり「彼ら」の物語だったのかという思いを感じてしまう。それは何故なんだろうか。「救う」という方を考えないと、それは自分でもよく判らない問題だ。
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荒木一郎と芹明香の映画

2016年10月16日 21時37分07秒 |  〃  (旧作日本映画)
 ユーロスペースの一階上の「シネマヴェーラ渋谷」で、荒木一郎の特集が始まった。その次は芹明香の特集。荒木一郎(1944~)は、僕は歌手として知った。「空に星があるように」。女優荒木道子の子で、青山学院高等部卒業後、文学座に属すとウィキペディアに出ている。その後、映画で不思議なムードの脇役として知られるようになるが、事件を起こしたりして、なかなかお騒がせの人生だったような記憶がある。大島渚監督の「日本春歌考」という僕の大好きな映画で、主演の大学受験生をやっていた。(年齢的にちょっときついけど。)
(荒木一郎)
 その後、日活ロマポルノ初期の佳作、「白き指の戯れ」(1972)で主演をした。これは同時代に見て、とても感激した映画なんだけど、数年前に見直したら「こんな映画だったのか」とビックリした。72年にキネ旬ベストテンに入選している。再評価が必要だと思う羽仁進監督の「午前中の時間割」は、ATG製作の不思議な感じの映画。若いころに2度見たけど、その後見てない。国木田独歩のひ孫という国木田アコが出ている「女子高生映画」。実験映画でもあり、今見るとどうなんだろうか。公開当時(1972年)、高校で生徒会活動をしていて、生徒会あてに割引券が送られてきたのを利用して見た記憶がある。

 今日見たのが、「0課の女 赤い手錠(わっぱ)」。1974年、野田幸男監督の東映セクシーバイオレンス映画の大傑作である。赤いトレンチコートに、赤い警察手帳、赤い手錠を使いまくる杉本美樹の無表情かつ棒読みセリフにノックアウト必至の名(迷)作である。昔から大好きで、もう4回目ぐらいだと思う。今回久しぶりに見たらラストの銃撃戦は、ジョニー・トーの「冷たい雨に撃て!約束の銃弾を」だなと思った。荒木一郎はナイフ使いの犯人一味。それにしても、東映では緋牡丹博徒やさそりなど、60年代末から70年代にかけて、女優によるアクション映画が量産された。その映画社会学的な意味は解明されていないんじゃないかと思う。

 もう一本、中島貞夫監督「現代やくざ 血桜三兄弟」も、前に見てるけど面白かった。この映画の「モグラ」という荒木一郎の役柄は、脇役の中でも特に印象深いものではないかと思う。中島貞夫監督の出世作「893愚連隊」でも大活躍をしている。ところで今回の目玉上映は、和田嘉訓(よしのり)監督の未公開作「脱出」だろう。「自動車泥棒」「銭ゲバ」の他、ドリフターズ映画などを作った監督だが、恵まれない映画人生だった。1972年の「脱出」は、同年のあさま山荘事件と似ているとの理由でお蔵入り。よくフィルムが残っていたものだと思うが、貴重という他に言いようのない上映である。

 2週間の荒木一郎特集が終わると、今度は芹明香(せり・めいか)の特集。日活ロマンポルノ初期のミューズである。というか、ミューズは宮下順子とか中川梨絵とか片桐夕子だけど、芹明香は主演級を食っちゃうほどの異様な存在感を発揮した。美人ではないけど、すごい印象的で、あれは誰だと一瞬で覚えてしまうような存在だった。最高傑作は、誰が見ても田中登監督の「㊙色情めす市場」(1974)だろう。大阪の最下層を生きる街に生きる人生を描き切った大傑作。これも公開当時から3回か4回は見てるので、今回見るかどうかは判らないけど、一度は見るべき日本映画ではないか。
(芹明香)
 僕が最初に名前を覚えたのは、多分神代辰巳監督の「濡れた欲情 特出し21人」(1974)かなと思う。日活ロマンポルノは名前が凄いけど、というか中身もストリッパーの世界だけど、特に神代監督作品などは骨があって素晴らしい。この映画も僕には思い出深いけど、数年前に見直したらなんだか案外だった記憶がある。その他、名前を見るだけではすごい映画が多いけど、「㊙色情めす市場」だってシナリオ段階の原題は「受胎告知」なのである。今になると、そっちの方がずっとわかりやすい。ずいぶん見てない映画も多いので、(14本中8本見てない)期待している。(ただし、深作欣二「仁義の墓場」だけは、数年前に見直して、人生で2回見ればそれでいいと強く思ったほど、本格的に陰惨なので、今回はパス。)荒木一郎も芹明香も本人を呼んだトークショーがある。
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「内藤とうがらし」と「志そまきとうがらし」のペペロンチーノ

2016年10月15日 21時03分45秒 | 自分の話&日記
 江戸野菜の一つに「内藤とうがらし」というのがある。最近「復活プロジェクト」が盛り上がってる。それをこの間、新宿中村屋の地下「ボンナ」で売ってたから、つい買ってしまった。先日、日光へ行った時に買った「志そまきとうがらし」(紫蘇巻唐辛子)と合わせて、ペペロンチーノ・スパゲティを作ってみる。

 大体、土日は自分でパスタを茹でて食べることが多い。元気がないときはダメだけど、少しは涼しくなってきたから大丈夫。他の家族には食べられない大辛仕様なので、自分だけの好み。スパゲティは最近1.6ミリを食べることが多い。ソースも昔は自分で作ったが、最近は面倒なので市販のソースを使うことも多くなった。安いのもたくさん売ってるけど、食べてみると好みに合わないのもある。

 まあ、今日は自分で作る。オリーブオイルで玉ねぎとニンニクを炒めたところに、マッシュルーム、内藤とうがらし(大2本、小1本)のみじん切り(あまりにも辛そうなので、種は洗い流してしまった)、志そまきとうがらしの輪切りを入れる。志そまきとうがらしは、結構塩味が濃いので、胡椒は入れるけど塩は入れない。そこにバジルやナツメグ(大好きで何にでも入れてしまうスパイス)などを入れて、炒めなおす。茹であがったスパゲティと絡めて出来上がり。簡単にできた。

 ついつい、健康を考えて、オリーブオイルと志そまきの量をセーブしてしまった。も少し、塩味とオイルが欲しかった。ペペロンチーノとしては。でも、まあ、この程度の薄味に慣れないと。「志そまき」の紫蘇が炒めるとほぐれていき、麺に絡まり香ばしい。

 内藤とうがらしは確かに辛いんだけど、種を取り除いたから、まあ僕にはこの程度でいいかな。はじめは輪切りでいいかと思ったんだけど、中の種を出しながらもっと切り刻むことになった。検索すると、そんなに辛くなくてダシが出ると書いてあるけど、どうも十分に辛いように思える。もちろん取り除いたりせずに全部食べちゃうのである。体にいいんだか悪いんだか。

 今の新宿は、江戸時代には甲州街道の内藤新宿という宿場だった。この内藤というのは、信州高遠藩の内藤氏の下屋敷があったからである。今の新宿御苑がその跡地だという。そこで、江戸時代からトウガラシが栽培され、「内藤とうがらし」と呼ばれて評判になった。東京の都市化により忘れられていたが、近年新宿区のあちこちで復活の機運がある。新宿御苑の中のレストランなんかでも、使われている。前に食べたこともあるけど、トウガラシの本物を買ったのは初めて。

 「志そまきとうがらし」は日光の特産品として知られている。でも、今まで買ったことはなかったんだけど、最近好みになってきた。東照宮に向かう参道(バス通り)の日光支所(元日光市役所)のあたりに「落合商店」がある。他でも作っているようだけど、前から気になっていた。大辛というのもあるけど、まあ「細巻き」から。全部を輪切りにしてビンに入れてある。基本的にはごはんのおかずである。もう辛みはそんなになくて、紫蘇味と塩気、そこにピリ辛という感じで、ちょっとクセになる。(日光に行かなくても、ネット通販もある。)

 ということで、ちょっと大きな話を書くのが気分的に面倒なので、今日の食べ物。そのあとで、床屋に行って、それから近くのTOHOシネマズでポイントで「SCOOP!」を見たけど、それはまた別の話。
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東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)を見る

2016年10月14日 23時05分55秒 | 東京関東散歩
 映画や政治の話をちょっと置いて、昨日訪れた東京都庭園美術館の写真のまとめ。美術館だけど、元は1933年に作られた旧朝香宮邸で、今は重要文化財に指定されている。「世界で最も美しいアール・デコの館」とも言われる洋館である。現在「アール・デコの花弁」として室内空間そのものを見る期間となっていて、平日に限り内部の写真が可能となっている。(フラッシュ禁止、他の客への要配慮)

 港区白金台にあるけど、まあ目黒駅東口から歩いていくことになる。戦後、朝香宮の臣籍降下のあとは、首相公邸(吉田茂時代)や迎賓館として使われていた。現在の赤坂迎賓館が整備された後は、東京都の所管となり、1983年に庭園美術館として一般公開された。この間何度か(5~6回?)訪れているが、2014年にリニューアルされてからは初めて。道からすぐの券売所でチケットを買って、ゆっくりと歩いていくとだんだん洋館が姿を現してくる。館の前には左右の「狛犬」がいる。まあ、狛犬というのも変だけど。右にもいるんだけど、写真がなぜかアップできないので、左だけ。
   
 正面玄関にはガラスのレリーフがある。ルネ・ラリックのオリジナル・デザインによる「有翼女性像」なんだって。そりゃあ、すごい。2枚目は裏から見たもの。4枚目は玄関の床のデザイン。
   
 荷物をロッカーに預けてから、最初に「大広間」を見ると、なんだか大きなものが見える。アンリ・ラパン設計の「香水塔」。ラパンは、内装設計を手掛けたフランス人。朝香宮は戦前のフランス留学中に事故にあい、療養中にフランスの最新の「アール・デコ」様式に影響された。この館にはフランスから輸入されたものが使われているという。続いて、大客間になるが、なかなか写真も撮りにくい。観客もいるし、広すぎて全体がうまく撮れない。だけど、細部のデザインも素晴らしい。
   
 何と言っても素晴らしいのは、「大食堂」で、向こうに広々とした庭園が広がり、解放された気分になる。ここでもあちこちにラリックやラパンのデザインしたもので満ちている。
   
 あちこちに置かれた装飾品だけでなく、暖房装置なども面白い。どこを撮っても「絵になる」という館なのである。そんなあちこちの様子をいくつか。
    
 続いて、2階に行く。でも2階では別の「クリスチャン・ボルタンスキー  アニミタス-さざめく亡霊たち」というフランスの現代美術家の展示がある。もっとも普通の絵の展覧会ではなくて、パフォーマンスのようなもので、新館も含めて行われている。それは撮れないし、2階の部屋は暗くて撮りにくい。それより階段が面白い。家中、どこもかしこもアートで満ちている。
  
 さて、今まで「アール・デコ」という言葉を何度も書いてるけど、それは一体なに? 僕もよく知らないんだけど、1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際展欄会」の略称から来た言葉だという。1910年代から30年代ころの、工業化、産業化の時代に生まれた直線と立体、幾何学模様の装飾スタイル。そういうのを「アール・デコ」というらしいけど、わかった気がしないなあ。キュビズム東洋美術などの影響があるとも。ニューヨークの摩天楼やココ・シャネルも「アール・デコ」らしい。日本では聖路加国際病院や伊勢丹新宿店などが「アール・デコ」様式らしい。これでも判らないですね。室内の写真の残りをまとめて。1枚目は2階。2枚目は浴室。3枚目は壁の拡大。4枚目は朝香宮夫妻の写真。 
   
 名前の通り、庭園もあって(日本庭園はリニューアル中)、そこから見た洋館も立派で、それだけでも見る価値がある。僕は洋館が好きで、ここでも旧前田邸や旧古河邸、旧岩崎邸など、いくつも写真を載せている。財閥は財閥なりに自分でもうけた金で建てたわけだが、宮家となると宮内省内匠寮が立てている。1933年と言えば、日本が国際連盟を脱退した年である。「満州」では戦争が始まり、「日本は狭いから満州に移民しないと」などと言っていた時代である。税金でこんなぜいたくな館を建てたことに、なんだか釈然としない思いもする。今となっては、そのことも含めて歴史遺産と言うべきなんだろうが。
 
 隣に「自然教育園」という山手線内とは思えない自然の残る場所がある。今回は行かなかったけど。写真は人もいたりするからどうも自由に撮れなくて、不満もある。まあ、また行く機会があれば追加したい。今回の写真が撮れる期間は、12月25日までの平日。第2、第4水曜が休館。
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「君の名は。」をどう見るか

2016年10月12日 23時53分33秒 | 映画 (新作日本映画)
 新海誠監督のアニメーション映画「君の名は。」が大ヒットしている。当初から評判で、スマッシュヒットが予想されていたが、話題が話題を呼んでメガヒットになっている。「シン・ゴジラ」などを抜いて今年最大のヒットとなり、すでに興行収入は145億円を超えている。歴代10位の「崖の上のポニョ」(155億円)を抜くことは確実で、「ハウルの動く城」(196億円)や「もののけ姫」(193億円)を抜くと、興収200億円、歴代ベスト5に届くことになる。(歴代1位は「千と千尋の神隠し」の308億円。)

 新海監督のアニメは初めてなんだけど、今回は(大ヒットしてると見たくなくなる天邪鬼なんだけど)やっぱり見ておこうと思った。新海アニメは、今までも絵がキレイとか話がよく出来てると評判になっているのは知っていた。あらゆる映画を見るわけにもいかないので、ついアニメは後回しになるんだけど、期待株という情報は持っていたのである。(なお、先ごろ目黒シネマで監督特集があり、見に行ったんだけど大混雑で諦めた。10月末から、池袋の新文芸座で新海監督特集が一週間にわたって行われるので、その時に見たいと思っている。時間などを知りたい人は自分で調べてください。)

 さて、見てどうだったかと言えば、「よく出来ている」「当たるなあ」という感じがまずした。アニメを丁寧に作れば巨費がかかるから、当たらないと製作費を回収できない。だから誉め言葉である。内容的にも面白かったし、テーマも心を打つ。だけど、主人公が高校生であることでも判るように、やっぱり「若向き映画」という点はあって、僕のベスト1ではない。「もののけ姫」のような深みも感じない。でも、こういう映画を見る良さももちろんいっぱいある。美しい画面と音楽に乗せられて、時間を超える旅をしてきた満足感を覚える。すぐには判らない、あるいはもう一回見ておきたいような場面が多い。リピーターが続出するのも判る。そういう作りが「よく出来ている」と書いたゆえんである。

 これからも多くの人がこの映画を語るだろう。例えば、10月5日付朝日新聞の文化・文芸欄にも特集記事が出ている。その冒頭に「映画は、山奥の田舎町に住む女子高校生と東京都心で暮らす男子高校生の心が入れ替わる物語で、すれ違う恋の切なさなどを描く」と紹介している。もちろん間違いではないけど、これでは肝心要の一番のテーマが書かれていない。書かないお約束なのか。

 僕はこのような紹介をさんざん聞いて、この映画の一番のテーマは「取り替えっ子」の話かと思っていた。つまり、大林亘彦の「転校生」(原作は山中恒の「おれがあいつであいつがおれで」)のような話。もっと言うと、平安時代の「とりかへばや物語」である。外国だとマーク・トウェインの「王子と乞食」のように、「役割の変換」の物語が多い。それに対し、日本では「性の変換」の物語が書かれてきた。だから、そのことを現代風によみがえらせ、青春の切ない想いをうたい上げるのかと思ったのである。

 この映画で「夢の中での転換」が起きていたのは、実はタイムラグがあって、同時点での変換ではないということが途中で判る。それは何故だろうか。それは映画内で、「あるミッション」を課されたからである。それは「いかにして僕らは世界を救えるか」というミッションである。高校生の切ない役割変換の物語かと思っていたら、実はもっと大きな世界の物語だったのである。これはいわゆる「セカイ系」のカテゴリーに入るのか。そうでもあるんだろうけど、基本的には日常生活の中で、日常的に可能な方法で解決が目指される。だから、僕には「一種のパラレルワールドもの」のように思う。

 「こちら側の世界」と「もう一つの裏側の世界」がある。村上春樹の作品のように、二つの世界を往還する物語である。「海辺のカフカ」で、田村カフカ少年の自己を探す旅が、実は歴史を超えて世界を救う旅につながっていたように。ミッションを果たしても、本人はそれが判らない。よって、相手の名前も忘却される。「忘却とは忘れ去ることなり。」大昔の「君の名は」のような忘却の淵にあった二人が、再び出会う日は来るのだろうか。名前も覚えていないというのに。だから、題名は「君の名は。

 このミッションに関しては、感傷的だとか、危険な発想だという声も聞かれる。映画内で起きるかもしれない「大災厄」は、見ているわれわれにとって「3・11」を思い出させる。5年前のことだから、今の高校生や大学生の世代にも通じるはずである。その大災厄が東京で起きる「シン・ゴジラ」に対して、東京から遠く離れた地方(知られているように飛騨なんだけど)に設定されている。それを「地方のできごと」として、ロマンティックな物語装置になっていて、「美しく忘却する」役割を担うという批判もある。

 いや、それは違うだろ。犠牲者を直接には描かない「シン・ゴジラ」に対して、具体的な名前を持ち、目に見える周囲の人々を救いたいという「君の名は。」のほうが、思いがはるかに切実に伝わる。どこであっても、そこは「世界」である。東京の物語とか地方の物語とか言っていては、世界の小国の映画を初めから外してしまうことになる。僕はこの映画の中にある、青臭いほどに「高校生が頑張る」映画の構造に心打たれた。それでいいじゃないか。

 映画の中で何が起こったのかは僕にもよく判らない。時系列に沿って完全に再現できる人はいないだろう。それでいいんだと思う。SFというか、ファンタジーなんだから。そこを間違うと、この映画における「解決」は、超現実的で危険だという考えも起きる。超越的な力に頼って「災厄」を逃れる力を持とうとするのは、独裁的な力を日本の若者が求めているのだなんていう解釈をしてはいけない。基本的にはファンタジーなんだから、細かい説明もいらない。だけど、「パラレルワールド」をのぞいてきた人は、現実社会でも強く生きられる。なぜなら、「起きてしまった現実は変えられない」けれど、「ありえたかもしれないもう一つの世界」を見ることにより、「僕らの未来は変えられるという強い思い」を持てるのである。だから、ラストで世界は変わるではないか。「君の名は」と問うことによって。

 この映画を見ると、確かにあの場面はなんだろう、どこだろうと知りたくなる。ネット検索して、「聖地巡礼」をしたくなる。そういう部分はすごく良くできている。僕もちょっと調べてしまった。東京ではほとんど新宿区の各地がモデルになっているようだ。しかし、そんなウンチクはいいだろう。僕が見て感じた限りでは、以上のような物語である。けっこう話は入り組んでいる。だから、僕が見た時には小学生らしきグループがいたけど、帰りに判らない、何?と言いあっていた。やはり、もう少し年齢が上じゃないと付いてけないだろう。でも、設定もそうだし、主人公たちの顔の作りとか、やっぱり大人には物足りない面も多いと思う。それでも魅力があるのも確かだし、社会問題として見ておく意味もある。
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