尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

MV「コロンブス」炎上問題、「教養欠落」が問題なんだろうか?

2024年06月23日 22時19分37秒 | 社会(世の中の出来事)
 人気バンド「Mrs. GREEN APPLE」(ミセス・グリーン・アップル)の新曲「コロンブス」のミュージック・ビデオが公開停止になった問題。僕はそのバンドは名前ぐらいしか知らないから、特に関心がなかった。(ちなみに音楽ではどんどん新しいものが登場する。高齢になるといちいち追いかけるのが面倒になって、自分の若い頃の音楽以外関心が薄くなる。今の若者もそうなるに違いない。)ただ、その批判の方向性に違和感を持ったので指摘しておきたいと思った。

 そのビデオは「コロンブスらを模したメンバーが、訪れた島で類人猿に車をひかせたり、西洋音楽を教えたりする」(朝日新聞、6.19)という。「人種差別的で、植民地支配を容認する表現と批判されても仕方がない」と一橋大学の貴堂嘉之(きどう・よしゆき)教授は記事の中で指摘している。僕はビデオを見てないけど、その内容なら批判されるのは当然だと思う。記事の見出しは「コロンブス 変わる評価」「専門家 歴史学ぶ必要」である。東京新聞の記事でも、見出しは「教養欠落 日本の現在地」とある。その記事によれば、英BBC放送(電子版)は「関わった人に世界史を学んだ人はいなかったのか?」と書いたという。
(MV「コロンブス」)
 確かに「教養不足」や「歴史学ぶ必要」はあるだろう。だけど、関係者の誰かが「今どきコロンブスを取り上げたら、炎上するかもしれませんよ」と知ってれば良かったのだろうか。もちろん事前に止められなかったことは問題だけど、コロンブスが炎上案件だと知って取り上げなければそれで良いのか。「炎上しそうなものは敬遠すべきだ」が正解なんだろうか。それでは「炎上する」「批判される」ことを避けることこそ、一番の「営業方針」だということになってしまう。
(Mrs. GREEN APPLE)
 今回の問題は「炎上」したことではなく、「植民地支配を正当化している(と解されてもやむを得ない)」ものだったことにある。「Mrs. GREEN APPLE 「コロンブス」ミュージックビデオについて」(2024.6.13)によると、「類人猿が登場することに関しては、差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりました」が、「類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く、ただただ年代の異なる生命がホームパーティーをするというイメージをしておりました。」「決して差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はありませんでしたが、上記のキーワードが意図と異なる形で線で繋がった時に何を連想させるのか、あらゆる可能性を指摘して別軸の案まで至らなかった我々の配慮不足が何よりの原因です。」

 しかし、「コロンブス」「ナポレオン」「ベートーベン」がホーム・パーティをするという趣向自体、「西欧の偉人」しか出て来ない。日本の音楽バンドがなぜそういう発想になるのかという問題がある。そこに「類人猿」まで出て来るというのだから、この紋切型の発想を見ると、誰か関係者の中に「秘められた差別的意図」があったのかとさえ思う。そう思われてもやむを得ないのではないか。そうとでも考えないと、これほどの「連想アイテム」満載になるとは思えない。

 ところで、ちょっとだけ書いておくが、今「コロンブス」と書いてきたけど、本当はこの表記自体に問題がある。クリストファー・コロンブス(1451~1506)は、もうその表記で定着しているから、日本の教科書にも一応そう出ていると思う。しかし、ジェノヴァ共和国(今のイタリア)生まれだから要するにイタリア人で、本来は「コロンボ」である。しかし、そのままでは大航海に乗り出せない。結局スペイン王室の援助で航海に行ったわけである。スペインでの名前は「クリストバル・コロン」だった。今は「コロン」という表記を採用するべきだと思う。

 それとともに、よく「アメリカ大陸の発見」とか「新大陸到達」というが、コロンは生涯を通してアメリカ大陸には一度も行ってない。彼が着いたのはいくつかの島で、至る所で略奪を繰り広げながら最終的に砦を築いたのはイニョニョーラ島である。(自らそう命名した。)現在東にドミニカ、西にハイチがある島である。(世界で23番目に大きな島。)25万人の先住民がいたとされるが、スペイン支配のもとで「絶滅」するに至る。コロンは「インド」に着いたと信じたが、「アメリカ大陸」でさえなかった。

 それはともかく、「コロンブス」を取り上げるならば、今だからという問題ではなく、「征服された側」から描く必要がある。もちろん『関心領域』のように、あえてナチ官僚の目から徹底して見ていくという方法はある。「批評意識」があれば、それでも良いのである。つまり、「コロンブスを避ける」のではなく、「コロンを批評する」のである。そういう内容なら、「炎上」したとしても、それは正しい方向の炎上である。誰にも批判されないものを作るならアーティストではない

 世界各地で多くの「影響力を持つ人々」(インフルエンサー)がガザ地球環境性的マイノリティ問題などに自分の考えを公表している。アメリカやフランスでは、大統領選挙や国会議員選挙に対して、自分の考えを明らかにしている。日本ではそういう人がほとんどいない。これほど日本社会が行き詰まった原因の一つは、「言うべきことを言わない」人が多すぎたことにあるんじゃないか。「教養」や「世界史の知識」はそれだけあっても意味がない。ちゃんと行動が伴ってこそ、真の「教養」だ。
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「TKB48」を知ってますか?ーより良い避難生活を目指して

2024年05月03日 20時50分35秒 | 社会(世の中の出来事)
 2024年は能登半島地震で年が明けたが、その後も台湾地震など大きな地震が起こった。四国(愛媛県南部)でも初めて震度6弱を記録する地震が起きた(4月17日)。死者が出なかったのは幸いだが、その分「激甚災害」の指定はない見込みで、被害があった人は自費で修理しないといけないから大変だという。激甚災害とは「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」により、大規模災害には国庫補助率のかさ上げや国による特別の貸し付けなどが行われる制度である。

 能登半島地震から4ヶ月経ったが、未だ避難所生活を送っている人が相当いる。水道の復旧が特に遅れていると言われる。それに当初の避難所生活は、トイレや食事が大変だったという話がよく聞かれた。「半島部」は交通が不便で、日本は地理的に離島、山間部、半島が多く、ある意味災害時は「そんなもの」で皆でガマンするべきものだと思い込んでいるかもしれない。
(TKBとは)
 ところが最近「TKB48」という言葉を聞いてビックリした。どうしても最初はどこかのアイドルグループかなと思ってしまう。あてはまる町の名前が思いつかないが、JKT48(ジャカルタ)なんてのもあるから、海外の町なのかなと思ったり…。だけど、これはトイレキッチンベッドの略なのである。災害地にトイレ、キッチン、ベッドを48時間以内に整備しようという目標である。それは行政頼りでは出来ない。もともと準備されていて、いざというときはヴォランティアが活動するのである。

 英語だからアメリカ発祥かと思うと、どうやらイタリアから始まったらしい。イタリアも地震大国で、大きな地震が何度もあったのを僕も記憶している。最初の避難所立ち上げは、市民がヴォランティア的に行うものとなっていて、行政が大々的な支援を行えるようになる前に一定の市民生活を送れるようにするのである。それは「災害時であっても、市民が普段営んでいる生活を保障する」という市民社会保護の考え方だという。
(災害時の高齢者向け介護施設)
 僕は聞いたことがなかったけど、日本でも多くの施設などでこの理念が広がりつつあるようだ。日本では二次避難、あるいは仮設住宅が出来るまで、雑魚寝したりするのが当然視されていないか。温かくないままの食事が続いても、あるだけありがたいと思ってないか。特にトイレが困ったという話をよく聞くが、それを「人権」の問題として意識しているだろうか。こう考えていくと、日本の避難生活が全く世界基準に達していないことが理解出来る。

 TKB48という言葉をもっともっと広める必要がある。知らない人も多いと思うから、是非広めていきたい。僕も最近聞いたばかりだが、福祉や行政の現場では知られているのかもしれない。だけど、一般的にはまだ知らない人の方が多いと思う。AKB48に似ているから、一度聞いたら忘れないだろう。もちろん言葉を知ることが目的ではなく、いざという時に自分も出来る範囲でヴォランティア的に避難所運営に関わるという気持ちが大切だと思う。仮設住宅を作るのは一市民では無理だが、避難所をすぐに作って運営するのは可能である。もちろん誰でも安心できるベッドやトイレが絶対に必要だ。
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鹿児島、松山、徳島、松江…、「第三の町」は?②選定編

2024年01月18日 22時51分46秒 | 社会(世の中の出来事)
 ニューヨークタイムズ選定「行くべき都市」に選ばれるべき「第三の町」はどこだろう? ということを前回に検討して、県庁所在地城下町、(出来れば)九州か四国、ただし政令指定都市は除くという条件を考えた。北海道の魅力は「日本情緒」じゃないところにあるから、ここでは除いて考えたい。というところまで、前回条件を絞った。

 この条件で考えてみると、四国は4県の県庁所在地、高松、徳島、松山、高知がすべて城下町である。(全部、百名城。)そもそも四国の場合、昔の国名が県名になっていないけど県境自体は同じである。旧国名の讃岐、阿波、伊予、土佐は、今もよく使われている。旧国の独自性が強い、ちょっと特別な地域である。九州では、鹿児島佐賀大分が城下町で、いずれの城も百名城になっている。長崎と宮崎は城下町ではなく、福岡と熊本は政令指定都市。

 さて、ここからどこを選ぶかなかなか難しいのだが、「日本情緒」とちょっと違うかもしれないけど、ストーリー性から鹿児島市をまず選んでみた。要するにアメリカ人の相当ディープな観光客向けの話である。南北戦争とほぼ同じ時代に、事実上の独立王国サツマの首都だった鹿児島は、イギリスと抵抗戦争を戦い、その10数年後には中央政府に立ち向かい兵を挙げた。そんな地域は他になく、「日本のディープサウス」(深南部)とでも呼ぶべき地域ではないか。
(鹿児島市の仙巌園)
 上記画像はまるで「富士山と五重塔」だけど、実は島津氏が作った大名庭園、仙巌園(せんがんえん)である。桜島を借景にして、実に雄大。そしてそこには反射炉も作られ、世界遺産にもなっている。庭園として素晴らしく、国の名勝に指定されている。そして鹿児島は活火山を背景にした世界にも珍しい大都市で、下記画像を見れば判るように「日本のナポリ」と呼んで遜色ない。日本人はどうしても、長州、薩摩というと幕末維新を思い出すわけだが、今回の山口選定も別に維新とか関係なかった。
(鹿児島)(ナポリとヴェスヴィオ火山)
 歴史や飲食文化の独自性も高い地域で、興味深い。フロリダ州がキューバと関係が深いように、サツマは昔琉球を支配していた。日本の大部分のところでは、「サケ」と言えば「ライスワイン」が出て来る。しかし、サツマとリュウキュウでは「ショウチュウ」と呼ばれるジャパニーズ・ウォッカを「サケ」と呼ぶのである、などなど。ちょっと面白いストーリーを書けそうだ。

 四国ではどこも面白いので、「シコク・エリア」としてまとめるというやり方もある。個別都市としてみれば、まずは「松山城」と「道後温泉本館」のある松山か。愛媛県には宇和島、今治、大洲など興味深い城下町が多い。だが、やはり観光地としては県庁所在地の松山か。ここはノーベル賞作家ケンザブロー・オオエが学んだ町で、『北京の55日』の国際的俳優にして、ラーメンをテーマにしたカルト・ムーヴィー『タンポポ』の監督ジューゾー・イタミと知り合い、オオエはイタミの妹と結婚した。まあ、正岡子規と夏目漱石では外国人には縁が薄いかなと思って、現代の話を。
(松山城)(道後温泉本館)
 しかし、日本人には鹿児島や松山はかなり観光地として知られた町である。そこで徳島を選べば、盛岡、山口並みの意外感が出て来る。ここは町の真ん中に眉山(びざん)という山があって、ロープウェイがある。県庁所在地としては珍しいだろう。そこからの夜景は函館や長崎ほど知られていないが、十分に行くべき価値がある。阿波国分寺庭園という興味深い建造物がある庭園もある。そして夏にはリオのカーニヴァルに匹敵する大規模なストリートダンス・フェスティヴァルが開かれることでも有名。
(眉山からの夜景)(阿波国分寺庭園)(阿波踊り)
 ところで、同じ中国地方から続くとは考えにくいが、町そのものとしては僕は松江が捨てがたいと思っている。松江城武家屋敷があり、ラフカディオ・ハーンという興味深い人物が住んでいた。日本的ムードでは盛岡や山口をしのいでいる。
(松江城)(武家屋敷)
 ということで4つ選んでみたが、何も県庁所在地に限らないとすれば、他にいろいろある。弘前、鶴岡、会津若松、松本、福山などである。今回は抜いたのだが、沖縄県の那覇だって「城下町」と言えないことはない。また「エリア」として考えるという手もある。僕は「信州エリア」や「琵琶湖エリア」は大きな可能性があると思う。長野県は城下町や宿場町、門前町に古い情緒が残っている。有名な城も多い。一方で現代的な宿泊施設も多い。山岳景観そのものはカナディアン・ロッキーやアルプスに及ばないかもしれないが、日本情緒を加えれば十分健闘出来る。

 また琵琶湖エリア、つまり滋賀県だが、京都や奈良の大きな寺とは違う、民衆に根付いた小さな寺がたくさんある。彦根城も素晴らしいが、むしろ安土城、小谷城(浅井氏)、観音寺城(六角氏)、佐和山城(石田三成)、坂本城(明智光秀)など、「廃城」がたくさんある。そういうところに歴史ロマンを感じる人には魅力的だ。ニンジャの甲賀、焼き物の信楽などもあり、京都や奈良の近くなのに、ちょっと違った日本の姿を見られる。

 他にも離島、つまり佐渡や隠岐などという選定もあるかもしれないが、むしろ大穴は釧路じゃないか。やはりサマー・ヴァケイションを利用して日本旅行をする人が多いだろう。トーキョーもキョートも今や猛暑である。山口も暑い。九州や四国も暑いのである。だが多分暑くない、というかほとんど寒い地域が道東地域なのだ。20度を切る日も結構ある。日本有数の漁港で、美味しいシーフードに恵まれている。近くには釧路湿原国立公園、阿寒摩周国立公園に加え、近年「厚岸霧多布昆布森国定公園」が指定された。「あっけし・きりたっぷ・こんぶもり」である。ちょっと遠出して根室の東端に至れば、今やアメリカ人が観光に行けないロシア支配地の東端を望める。暑い地域を見た後、最後に釧路へ行くという選択こそ賢いかもしれない。
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盛岡、山口に続け、行くべき「第三の町」は?①傾向分析編

2024年01月17日 22時33分49秒 | 社会(世の中の出来事)
 ニューヨークタイムズが「今年の行くべき場所」の3番目に山口市を選んだというニュースがあった。去年は盛岡が選ばれて話題になった。この選択から考えて、では第三の町はどこになるだろうか。そんなことはどうでも良いのだが、まあちょっと考えてみたいわけである。そういうことをアレコレ考えるのは楽しいことだから。
(今年は山口)
①意外な町が選ばれた
 この盛岡山口というのは、日本人にとっては少し意外感があった。そういう町があるのは知っている。だけど、その町自体を観光目的に行く人は今まで少なかっただろう。近くにもっと面白い観光地がいっぱいあるからだ。盛岡なら、花巻とその周辺の温泉郷、平泉八幡平のハイキングと温泉、「民話の里」遠野、そして三陸沿岸の海岸美と復興支援…。まあ宮沢賢治、石川啄木、柳田国男などは、後を慕って岩手県に来るほどの世界的知名度はないんだろう。
(去年は盛岡)
 山口も同様で、山口県なら観光的には松下村塾が「世界遺産」になったが一番だろう。フグ(まあ「ふく」と呼ぶらしいが)で知られる下関は人口が山口より多い。また錦帯橋の岩国もある。僕は鍾乳洞好きなので、秋吉台秋芳洞も絶対落とせない。(それを言うなら、岩手には日本一好きな龍泉洞がある。)このようにどっちも日本人にはスルーされがちな町だった。

②大きすぎる町は選ばれない
 今年はトップが皆既日食のある北米、2位が五輪都市パリだという。そうすると、何も情緒だけを求めているのではなく、イベントも重視ポイントになっている。それなら来年は「アレ」かも。「万博」なるものがあるとかいう「大阪」。でもパリなら五輪以外にも見るべきものが幾つもある。五輪なら自国選手を応援に行く意味がある。万博だって自国パビリオンはあるんだろうけど、今どきのアメリカ人にどれだけインパクトがあるだろうか。USJだってわざわざ外国で見るまでもないだろう。

 まあ、ちゃんと出来るかも怪しい万博の話は置いといて、ここで判るのは「大きすぎる町」は選ばれない可能性が高いということだ。東京大阪京都はもちろん、日本人には魅力がある横浜神戸札幌福岡なんかも抜かされる可能性がある。盛岡、山口という選択からは、政令指定都市である仙台静岡岡山広島熊本なんかも、外しておいた方がいい。外国人にはまだそれほど知られてないと思う岡山や熊本などは、本来なら選んでみたいところではあるけれど。
(盛岡と岩手山)
③有名すぎる観光地は選ばれない
 日本を目指す観光客なら当然知ってるだろう有名なところも選ばれない可能性が高い。つまり鎌倉とか日光とか。富士山周辺も同様である。最近人気の飛騨高山なども除外対象になる。町自体が観光目的地と認識されている金沢長崎なんかも、今さら意外感がないから外しておくべきか。
(山口市の瑠璃光寺)
④小さすぎてもダメである
 しかし、盛岡や山口は県庁所在地である。ある程度大きな町ではある。これは何故だろうか。「情緒」だけじゃなく、キャパシティ面からも一定の大きさが欲しいのかも。そう考えると、福島県の大内宿とか長野県の妻籠宿など「日本情緒」なら一番だろうし、今も外国人に人気がある。だが、ここを行くべきと紹介したらオーバーツーリズムになることは全く明らかだ。その意味では小さな秘湯(乳頭温泉郷とか法師温泉など)もないだろう。角館伊賀上野津和野なども小さいからやめておきたい。

 盛岡や山口なら、洋風(ベッド)のホテルもいっぱいある。日本旅館はそれが目的で泊まってみたい外国人には魅力だろう。でも大浴場や日本食が苦手な人も多いと思う。また欧米人には部屋や諸施設が小さすぎる場合も多い。夕食はステーキ、しゃぶしゃぶ、天ぷらなんかもあるし、経験としてはいいだろう。だけど、朝がライスとミソスープ、発酵ビーンズじゃちょっとという人も多いんじゃないか。ホテルなら洋風の朝食も可能だし、町に出ればマクドナルドなんかもある。
(実は今工事中の瑠璃光寺)
⑤城下町が望ましい
 盛岡も山口も城下町である。いわゆる長州藩、毛利家は長く萩城に居を構えていたが、幕末の1863年になって山口に拠点を移した。攘夷実行に伴い、外国艦船から攻撃されやすい萩を避けたのである。もちろんその前に戦国時代は大内氏の本拠地だった歴史がある。しかし、近世のほとんどは城がなかったので、日本百名城ではなく二百名城に選定されている。(山口県では萩城と岩国城が百名城選定。)盛岡はもちろん南部氏の城があり、明治になって取り壊され城址公園になっている。啄木の歌で有名である。

 やはり日本観光には「サムライ」が必須なんだろうか。でも、まあ城下町には史跡が多く、情緒が残る町が多い。日本人なら北海道の大自然は大きな魅力である。利尻島礼文島など素晴らしいと思う。でもキャパシティを別にしても、アメリカ人ならカナディアン・ロッキーやプリンス・エドワード島、あるいはイングランドの湖水地方などに行けば良いわけである。
(盛岡で落とせない原敬記念館)
⑥次は本州以外から
 盛岡は北の方、山口は西の方だけど、どっちも本州島にある。それを考えると、次に第三の町を選ぶなら、北海道、九州、四国及びその他の島々(沖縄、奄美、佐渡、隠岐など)から選ぶべきだ。と僕は思うんだけど、それがニューヨークタイムズでも同じように考えることかどうかは判らない。そして北海道は城下町が松前と函館(五稜郭を入れるとして)しかないから、上記基準で言えば外れるかと思う。北海道は雪がない東南アジア各国には大人気である。でも、アメリカ人なら北東部やカナダに行けばいいわけだ。そういうことも配慮しながら、次回は選定編。
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トイレの中の懲りない面々ー「秘境」男性トイレのヒミツ②

2024年01月16日 22時51分26秒 | 社会(世の中の出来事)
 前回を受けて、「男性トイレ」に潜む「懲りない面々」を紹介してみたい。
①スマホを見ながら小用する男(たち)
 今は「アサガオ」の上がフラットになっているトイレが多い。(雨の日に長い傘を掛けやすい。あるいは杖も。)そこに置いてスマホを見ることは不可能じゃない。まあ、何もトイレで見ないでもいいだろうとは思うけど。だけど、もっと凄いの人も見たことがある。片手にスマホを持って操作しながら、もう片方の手でズボンのファスナーを下ろしていた。あり得んだろ。

上げたら戻さない男たち
 男性トイレの「大」を見ると、便座が上げられていることがある。外でトイレに入る時は大体が小用だろう。しかし、施設によっては小用トイレが少ない。「大」が空いていれば、そこに入ってももちろんいいけれど、その時に便座を上げて「簡易アサガオ」にしてしまうわけだ。これは自宅でもやってる人が結構いるらしく、家人に文句を言われたという話はよく聞く。

 それはもちろん自分のことではない。家ではシャワートイレだから、常に座ってやることに慣れてしまった。ところが何故か「便座を上げる」ことにこだわる男がいる(らしい)。それが男のやり方だなどと思い込んできたのだろうか。座ってやる方が普通は楽だと思うけど。この便座を上げる男は、ほぼ確実に戻すことはない。「上げたら戻さない」、これがほぼ「法則」だと思う。

「尿ハネ」問題
 「便座を上げる」ことの最大の問題は「尿ハネ」が起きることである。これは以前「ガッテン!」で取り上げていた。そうしたら、ちょっと予想していた以上に、オシッコが跳ねて飛んでいるではないか。それを見てから、上がってる便座を見ると注意して見るようになった。やっぱり跳んでいるのである。これは「新型コロナ」以後にはあり得ないやり方だなと強く思う。
(「尿ハネ」の様子)
 「コロナ禍」でトイレの使い方も大きく変わった。衛生面でより注意して使うようになったのは、うれしいことだ。「大」の便座を上げて「小」をするのは、今や「過去の男」のやり方だ。

④手を洗わない男たち
 今度は主に「小」の場合である。まあ「大」(洗浄便座の場合)「小」問わないかもしれないが、出るときに手を洗わない男がいる。大昔はかなり多かったらしい。自分は小さいときから、手を洗うのがエチケットだと教えられていたから、手を洗わずに出るのはちょっと信じられない。でも年長の教員が「自分は古いから手を洗わないんですよ」なんて言っているのを聞いたことがある。

 僕に向かって言ったのではない。新採の女性教員に言ってたから、今じゃ問題発言になるかもしれない。(ちなみに、その先生は後に校長になった。)このように、ある年代の人には手を洗わないのが、むしろ普通の感覚だったらしい。この場合は「小」のケースである。町中には原っぱなんかもまだ多くて、飲んだ帰りに立ち小便するぐらい当たり前だった。今じゃ犬の糞だって片付けないと逮捕されてしまう時代になった。

 でもオシッコした手を洗わないままって、今の衛生感覚では許されないだろう。結構年上の人には、今でも洗わないで出ていく人がいる。しかし、僕が驚くのは若い人にもいるのである。映画館でも大きなシネコンなんかは比較的少ない。(手洗いの数も多くて使いやすい。)問題は駅で、若い人でも洗わない人がかなりいる。その割合は感覚的に1割~2割ぐらいだろうか。

⑤「アサガオ」の下が汚い問題
 ところで以上を越えて、一番困ってしまうのは、小用トイレの下が「オシッ湖」になってることなのである。3つあれば、2つは大体そうなってる。どうしてそうなるのか。これは主に「高齢化」によると思う。一度に出切らないで、終わりかと思って止めるときに垂れることが多いのである。もっともそれだけなら、濡れるかもしれないが「溜まり」にまではならない。

 その場合は、もう便器の外に向かってオシッコしているのである。そんな人がいるのかと思うだろう。いるんである。数は確かに少ないけど、見ないでやってるからズレている。注意するのも何だし。困った爺さんだなと思うだけで黙ってる。(かなり高齢の人ばかり。)今までで一番凄かったのは、オシッコが二筋に分かれていて、上の方は便器に入っているが、下の方は完全に外に出ている。便器の下が湖になっているじゃないか。あり得ないものを見たと思った。

 この問題は信じて貰えないかと思って、証拠写真を撮ろうかと思ったのだが、さすがにそれは出来なかった。誰もいないとしても、トイレでスマホをかざしているのは怪しすぎるかなと思って。

⑥その他の問題
 今では数は少なくなったが、酔っ払って吐いてある大トイレ、トイレットペーパーが詰まってあふれている大トイレ、便がこびり付いている大トイレ、そんなのは昔は結構多かった。しかし、これらはまあ、トイレを使う中でどうしても一定程度起こりうることだと思う。そういうトイレは嫌だろうが、それでも掃除するのがプロの清掃人である。その意味では『PERFECT DAYS』のトイレ掃除をプロ仕事と言うのはどうなんだろうなと思う。
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「秘境」男性トイレのヒミツ①

2024年01月15日 22時30分51秒 | 社会(世の中の出来事)
 映画『PERFECT DAYS』を見たし、「道の駅」についても書いた。「トイレ」についてまとまって考える機会は少ないから、前からいつか書きたかったテーマを取り上げてみたい。それは「男性トイレ問題」である。そんなもんは読みたくないという人もいるかもしれない。でももちろん「トイレ」は人生の大問題だし、特に出先では大きな悩みでもある。

 さて、世の中の半分は男で、もう半分は女だ。今はこう書くと批判されるだろう。もちろん今では性差にもグラデ-ションがあり、両性の特徴を合わせ持つ人もいることは常識だ。性自認が生まれた性と違う人も多い。そのような人が男女どちらのトイレを使うべきかは、社会問題になっている。そして男女を問わず、普通のトイレは健常者仕様だから障害者には使いにくい。

 そういう問題が存在することは知っているが、今書きたいのはそういうことではない。つまり、生まれた時から「男性用トイレを使うとされてきた人」と「女性用トイレを使うとされてきた人」と、人は大きく分ければ2種類になる。僕はいろんな所へ行ったことがあるが、東京でも行ったことがないところがまだ無数にある。それでも映画館や劇場ならずいぶん多く行ってると思う。だけど、トイレに限って言えば、多くの映画館や劇場の男性トイレしか知らない。まあ、当然のことだが。

 そして、それは逆も言えるから、世の中の半分を占める女性は各種施設の男性トイレに入ったことがないだろう。上野動物園とか東京タワーとか、まあ一回ぐらいは行ったことがある人が多いと思う。だけど、トイレに関しては自分の性とは違うトイレには入れない。世の中の半数の人が行けないんだから、そこはもう片方の性にとっては「秘境」と言ってもいいだろう。

 ところで、僕は学校に勤務してきたから、男女双方のトイレを知っている。トイレ掃除見回りなどがあるのである。そこでは両方のトイレに入る必要がある。夜間定時制の場合など、夜9時過ぎに誰もいないトイレを見回るのである。まあ、誰かいたら怖いけど。しかし、時には女子トイレに吸い殻が落ちていることもあるから、見回りが必須なのである。(この見回りがない学校はないはずだが、映画『台風クラブ』では台風が来るからと教員が生徒を置いて帰っちゃう。あり得ないと思う。)

 だから自分にとっては男性トイレも女性トイレも秘境でもないし、ヒミツもない。だけど、トイレ問題はあまり書かれてないと思う。まあ、書きたくもないし、読みたくもないテーマかもしれない。だけどまあ、ちょっと問題提起しておきたいのだ。まず、男性トイレは「小」用が幾つか並び、「大」用の個室が幾つかある。そのぐらいは女性でも知ってるだろう。具体的には下記の画像のような感じ。凄くキレイなのは、これが使用前のモデルハウス(みたいなもの)だからである。
(男性用トイレのモデル)
 「道の駅」なんかは大体こんな感じだけど、多くの劇場や駅の男性用トイレには「大」がこんなにはない。劇場などでは(お芝居の幕間などで)女性用トイレにズラッと並んでいることがある。そもそも観客に女性が多いのだろう。男の場合は「小」は割合スムーズに進む(ズボンを下ろさないんだから)ので、そこまで混んでない。だけど、それが「大」の場合はかなり大変である。

 「大」の数が少ないのである。だから僕は東京のいろんな駅、映画館や劇場などが多くある新宿、渋谷、池袋…なんかでは、トイレに行きたい時どこへ行けば良いか、頭の中にリストが出来ている。もちろん目的の施設までガマンすれば、そこに一番キレイなトイレがある場合はそれでいいんだけど、実は必ずしもそうじゃない。古い劇場や小さな映画館などはまだシャワートイレ(INAX)やウォシュレット(TOTO)になってないところが結構あるのだ。

 それでも今はずいぶんキレイになったから、駅でも使えるところが多い。むしろ駅や駅ビルに一番キレイで広いトイレがあることも多い。昔はそうじゃなかった。下記画像のように「小」トイレが汚かったのである。男性用小便器を俗に「アサガオ」と呼んでいるが、今はそこに「自動的に水が流れます」なんて貼ってある。昔は当然そんなことはなかったから、「尿石」がたまっていくのである。そうすると黄色く変色してしまう。
(尿石のついたトイレ)
 場末の映画館なんかでは、そういうトイレが多かった。そこにはアンモニア臭と消毒液の臭いが立ちこめ、時には客席まで漂ってきた。施設内はまだ良くて、街の公衆トイレなどはもっと汚れていた。清水邦夫の戯曲『僕らが非情の大河を下るとき』なんかに出て来る通りである。だがさすがに、日本の場合は公衆トイレで薬物(麻薬や覚醒剤)の密売が行われていることはまずなかった。

 そんな大昔の汚れたトイレこそ、わが汚辱と栄光の青春の象徴だ、なんて言い張るつもりは全くない。昔もヤダなあと思っていたし、あまり汚れているような所は敬遠していた。渋谷区ほど美しいトイレにするべきかどうか、自分には定見はないけれど、日本社会が世界に冠たるキレイなトイレを実現していることは素晴らしいと思う。だが、それを使う側の問題はどうなっているだろうか。実は大問題があるのだ、というところで次回に続く。
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「道の駅」を防災拠点にー能登半島地震から10日

2024年01月11日 22時45分23秒 | 社会(世の中の出来事)
 能登半島地震では石川県を中心に多くの観光、文化施設も大きな被害を受けた。兼六園は1月5日から再開したと出ていたが、隣接する金沢城公園は閉鎖しているとある。近年高い人気を誇ってきた金沢21世紀美術館も臨時閉館している。能登半島地域でも、もちろん文化施設は壊滅的な状況になっている。仲代達矢主宰の無名塾が作った能登演劇堂も閉鎖しているし、金沢城と並んで日本百名城に選ばれている七尾城も立ち入らないようにと告知されている。「輪島の朝市」の場所は周知のように火事で焼失したし、有名な「千枚田」も地割れが生じていて、今後も続いていけるかどうか非常に心配だ。
(千枚田の被害)
 さて、このような観光地(能登国定公園に指定されている)の場合、自分もいつ観光客として被災するかもしれない。能登半島ではかつては輪島や珠洲まで鉄道が通じていたが、とっくに廃線になっている。かろうじて七尾市の和倉温泉まで七尾線が残っている。となると自家用車、レンタカー、バス(観光バスも含め)などで観光することになる。その時に休むところとして「道の駅」がある。全国で1209箇所も整備されている。この「道の駅」を防災拠点として整備するべきだ寺島実郎氏が書いていて、なるほどなと思った。もっとも調べてみると、それは政府もすでに考えていて、今回も「道の駅」が避難所になっているところもある。
(「道の駅千枚田ポケットパーク」から見た千枚田)
 石川県には29も「道の駅」があり、能登半島にも多い。ちょっと書き出してみると、輪島市4(千枚田ポケットパーク、赤神、輪島、のと里山空港)、珠洲市3(すず塩田村、狼煙、すずなり)、七尾市4(いおり、なかじまロマン峠、のとじま、能登食祭市場)、能登町1(桜峠)、志賀町2(とぎ海街道、ころ柿の里しか)、穴水町1(あなみず)、中能登町1(織姫の里なかのと)と能登半島には「道の駅」がずいぶん作られている。
(「道の駅すず塩田村」)
 もっとも「道の駅」にも大小があり、あまり大きくないところもある。だがその地域の中では一番トイレが充実していることが多いと思う。日本各地にたくさんの郷土博物館とか美術館などがあるが、入っても他に見物客はいず、トイレに行っても男子用小が2つ程度というところが多い。公民館なんかは入らないから知らないけど、地元の東京だってそれほどトイレが多くはない。それに比べて「道の駅」はきれいなトイレが整備されていることが多く、安心して利用出来るのである。
(「道の駅能登食祭市場」)
 「道の駅」は1991年に実験的に3箇所が作られ、正式には1993年から全国に整備されてきた。従って2023年で30周年になった。今では有名な「道の駅」そのものを目的に旅行する人もいるし、海外にも広がっている。Wikipediaを見ると、「道の駅」に登録出来る条件として「無料で利用できる十分な容量の駐車場と清潔な便所(トイレ)があり、それらの施設がバリアフリーの経路で結ばれていること」「「子育て応援施設」としてオムツ替え台や授乳スペースなどのベビーコーナーを備えていること」等が定められている。そして、東日本大震災後には防災機能の充実が定められ、「広域防災拠点として、建物の耐震化や無停電化のための非常用電源の設置、衛星電話設備の整備を行う防災道の駅」として39箇所が指定されたという。

 今回の災害を見ていて、当然当初の揺れによる家屋倒壊、大きな津波、火災などから逃げないと行けないわけだが、どんな大地震、あるいは集中豪雨、火山噴火などでも全住民が亡くなるわけではない。生き残って避難所に行くわけだが、まあ「」と「食料」と「電気」が大切である。それは誰でも知っているわけだが、その後「トイレ」という大問題が起きるのである。今はトイレも水道、下水道、電気がないと使えないわけだ。大昔の汲み取り便所なんて日本中どこにもないんだろう。それを考えると、地方でもっともトイレが整備されている「道の駅」の役割は大きいと思う。

 しかし、電気は自家発電や大規模な蓄電施設などで当面の間は賄えるかもしれないが、水道の供給が止まるとなかなか難しい。そこまで整備するのはなかなか難しいかもしれないが、仮設トイレを作るとしても「道の駅」は広いから役立つだろう。公民館、学校なども大切だが、「道の駅」を防災拠点として整備することは今後もっともっと重要になってくるのは間違いない。
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能登半島地震から一週間①ー様々な「想定外」だったけれど…

2024年01月08日 22時31分42秒 | 社会(世の中の出来事)
 2024年1月1日、よりによって元旦に起きた「能登半島地震」から、一週間経った。1月8日夜8時時点で、ネット上では、死者168人、安否不明323人と報道されている。能登半島では2020年12月以来群発地震が起きていたが、この地域には火山はなく地震の原因は「流体の上昇」などと言われていた。2023年5月5日に、マグニチュード6.5、最大震度6強の地震が起きたのを覚えている人も多いだろう。しかし、結局今回の大地震はやはり「断層が動いた」ことで起きたらしい。マグニチュード7.6とされている。

 「マグニチュード7.6」と言われてもよく判らないかもしれないが、これは非常に大きな地震である。もちろん東日本大震災のマグニチュード9.0という超巨大地震とは比べられない。だけど、阪神淡路大震災(1995年)はM7.3、新潟県中越地震(2004年)はM6.8、熊本地震(本震、2016年)M7.3なので、今回の方が大きいのである。一番被害を受けた(と思われる)輪島珠洲(すず)が震度7じゃなかったので、震度7を記録した(原発がある)志賀(しか)町が一番揺れたように思ったけれど、壊れ方を見ると輪島などでの震度7があったかもしれない。震度計が正確に動いていたかという問題がある。

 同じことは津波にも言える。大津波警報が出て、数メートルに及ぶ巨大津波が来ると恐怖を感じたが(2011年のことが思い出されて)、その割に大きな津波にならなかった印象があるのではないか。もちろん大きな津波が来て被害はあったし、行方不明者も出ている。テレビを聞いて逃げたという報道もあるので、今までの経験が生かされたのも間違いない。ただ日本海の対岸でも相当の津波があったので(韓国で80㎝らしい)、震源間近の能登北部で津波が1~2メートルのはずがない。それは地震による地面自体の隆起があった影響があったのだと思う。輪島や珠洲は2メートル程度、最高では4メートルも隆起したというから、地面が高くなっただけ事前予報ほどの高さの津波にならなかったと思われる。(珠洲の津波計は壊れたという。)
(津波)
 これだけのマグニチュードの地震が近いところで起きたのだから、家屋倒壊の被害が一番多いのも当然だ。阪神大震災型の地震である。その後耐震基準が変更されたわけだが、それ以後に建築された家でも倒壊があると言われる。詳しくは今後の調査が待たれるが、今までの地震、特に去年5月の地震でダメージを受けていた影響が大きいと思う。一部損壊では自治体からの補助がなく、また高齢化進行地域で経済的問題もあるし、建設業界の人手不足もあって、修理をしないまま正月を迎えた家が多いという事情があったらしい。しかも正月真っ只中で、帰省中の家族が集まったりしていたのである。
(倒壊した家屋)
 帰省中や旅行中の人がいて、避難所は受け入れ予想を大きく超えた人数を受け入れたとされる。そのため備蓄した食料や水が早めに不足してしまった。今後は大雪も予想されるので、仮設住宅建設などが進む段階ではないだろう。むしろ寒い避難所で感染症が広がり、高齢者に多くの犠牲が出る可能性もある。ここは大胆に「二次避難」を進めるしかないと思う。過去に伊豆大島や三宅島、あるいは原発事故で避難したときのように、大規模な住民避難を行った方がよいのではないか。これは政府も考えているようだけど、他県でもよいし、条件が出来てくれば石川県内の温泉旅館などを大々的に借り上げることも検討するべきだ。

 特に山間部の集落が孤立し、まだ情報が不明なところもあるらしい。輪島市長も道路が寸断されて市役所へ行けたのは3日だったという。さらに通信網も不通で、携帯電話が通じないという。電気が停まればテレビやパソコンも見られない。スマホの充電もいずれ切れる。日本の自然的、社会的条件から、このような高齢者が残る山間集落が大きな被害を受ける災害は、今後もっと増えるだろう。ここは「ドローン」の出番だと思うんだけど、何故無いんだろうか。「空飛ぶ車」なんか要らないから、水や食料を運べるドローンを開発することは日本に必要だろう。軍事費を増やすより、そういう開発に予算を掛けて欲しいと思う。

 今回は様々な「想定外」が重なって、予想以上に多くの被害が起きている。阪神や熊本以上の規模の地震なんだから、大災害が起きることは当然だが、その後の対応には不十分なことも多いのではないか。津波警報など「東日本大震災」の教訓が生かされた点もあるが、全体的には問題点が多いような気がする。それらの問題点は今後も考えて行きたい。

 ところで、僕は特に救助などのスキルがある人以外は、普通の生活を送っていればよいと思っている。救援や復興は税金でやるのに、皆が自粛していたら税収が減るばかり。「ふるさと納税」は以前何回か書いたように、制度自体がおかしくて反対。返礼品も用意出来ないだろうし。それに自分が住んでる自治体の福祉や教育に必要なお金を被災地に回すという発想そのものが理解出来ない。「善意」でやるのなら、幾つもある募金に送ればよい。
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「大津波警報」から始まった2024年

2024年01月01日 22時21分31秒 | 社会(世の中の出来事)
 2023年12月31日、大みそかの日に何を書こうかと思って、結局何も書かず、紅白歌合戦も見ず、音楽を聞きながら本を読んでいた。それで「ガザ」も「ウクライナ」もその後の総括・展望を書かずに終わってしまった。まあ、僕は自分の頭をクリアーにするために書いてるんで、自分が何かを書いても世界を動かすわけじゃないから、また後で書いてもいいだろう。

 大みそか、元日と今年は家で過ごしたが、「相続事務」や「母の部屋の片付け」をしていた。サッカー日本代表戦(タイとの練習試合)のテレビを点けながら、その後は「笑点」から「充電バイク旅」か「芸能人格付けチェック」か、まあ、たまには民放テレビをハシゴしながら過ごそうかと思っていた。そうしたら、16時10分頃に石川県能登地方沖合で大地震が起き、その後「大津波警報」が発令された。それで全テレビ局の番組が地震・津波関連に替わることになった。

 今回は「震度7」が観測され、これは7回目のことだという。阪神淡路大震災で初めて震度7が適用され、新潟県中越地震東日本大震災熊本地震(2度)、北海道胆振地震、そして今回の能登地震である。そして「大津波警報」となると、2011年を思い出してしまうが、当時は正式にはこの名前の警報はなかった。2013年から大津波警報が正式に使われるようになったという。つまり、今日初めて発令されたのである。だからテレビ、ラジオなど放送局は今回が頑張りどころなのである。

 せっかく用意した正月特番をさしおいて、ずっと報道特別番組を放送している。休んでいた報道関係者も呼ばれたことだろう。もっともテレビ東京の充電バイク旅は早めにやっていた。それでいいのかというと、それでいいのである。先々週に石川県に行ってきたばかりで、石川県にはテレ東系列のテレビ局がないことを知っているのだ。だから一生懸命緊急特番をやっても、現地では見られないのである。旅番組は地方局にも売れているみたいだけど、やはり関東ローカル色が強いのである。
(倒壊した家)
 現時点(21時半過ぎ)では大津波警報は津波警報に切り替わり、それもあってか民放局は通常の番組に戻りつつある。被害の全容は判明していない。当然のこととして津波からの避難が優先され、倒壊家屋などの情報が伝わりにくい。ただ道路が寸断されていたり、また輪島市では大きな火事が起こっているようだから、大きな被害が起きていても不思議ではない。北陸、上越新幹線などが不通となり、石川県の空港も使えないらしい。能登半島では最近地震が頻発していたから、この地域で大地震が起きたことは意外じゃない。ただ正月早々というのは驚いた。地球には暮れも正月もないからやむを得ないんだけど。
 
 今回の報道の特徴として、英語での呼びかけもあり、「外国人にも声を掛けて避難を」と言っていた。金沢方面は今外国人観光客が多いことは、僕もちょっと前に実見している。また内外問わず能登半島を訪れていた観光客も多かったと思う。時節柄、帰省中の人も多いだろう。新幹線などは乗客を乗せたまま停まっているようだ。時間が経てばスマホの充電も切れてしまう。ある程度食料を持って乗るようにするべきなんだなと思う。
(輪島市の火災)
 いつ地震が起きても不思議じゃない国だと判っていても、普段はなかなか意識しないものだ。地震のニュースを見るたびに、「原子力発電所」の状況が報道される。いつも原発が多い地方で地震が起きる印象があるが、今回こそまさに原発地帯のど真ん中で起きた。震度7を記録した志賀町には、志賀原発がある。異常はないということだが、同じようなニュースを繰り返すたびに原発廃止が必要だなと思う。地図を見れば、東京も震度2か3ぐらい揺れたらしいが、自分は全く気付かなかった。
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映画『宮本から君へ』訴訟、最高裁判決の画期的意義

2023年11月26日 20時50分32秒 | 社会(世の中の出来事)
 映画『宮本から君へ』訴訟で最高裁判決が出た。この問題は映画に出演していたピエール瀧が薬物使用で逮捕・起訴されたことから、日本芸術文化振興会(芸文振)が内定していた助成金1千万円の交付を取り消したことの是非が争われたものである。11月17日に最高裁第二小法廷は助成金交付取り消しを「違法」とし、助成金取り消しは「表現を萎縮させる恐れがある」とする画期的判断を示した。製作会社スターサンズの社長河村光庸は判決を待たず訴訟中に亡くなった(2022年6月11日)が、映画のチラシにある「負けてたまるか」を実践するかのような大きな意義を持つ判決が出されたことを喜びたい。

 この訴訟は製作会社スターサンズが取り消し決定の取り消しを求めて2019年12月20日に提訴したもので、一審東京地裁は2021年6月21日に芸文振の措置は違法として取り消しを命じた。しかし、二審東京高裁は2022年3月3日に決定は適法として訴えを棄却したため、原告側が最高裁に上告していた。原判決を取り消すために必要な弁論が開かれていたので、二審判決が破棄されることは想定していたが、これほど明確なメッセージが出て来るとは思わなかった。判決が出たのはちょうど退院した日で、この問題を書くのが遅くなったが、忘れないうちに記録しておきたい。
(故河村氏の写真を掲げる四宮隆史弁護団長)
 一審判決が出たときには、『映画「宮本から君へ」から君へー助成金不交付訴訟、勝訴から控訴審へ』を書いたが、二審逆転判決の時はガッカリして書く元気が出なかった。最高裁はどうせ二審判決を維持して終わってしまうだろうと思い込んでいたのである。それなのに最高裁第二小法廷が4人全員一致で原判決破棄、再逆転判決を出したことには正直驚いた。日本は文化予算が他の先進諸国に比べて非常に少なく、その中で特に演劇、バレエなどの舞台芸術、映画製作などでは芸文振助成金の持つ意味が非常に大きい。他にないのであって、新劇や独立プロ映画はこの制度で維持出来ているといっても良いぐらいだ。

 製作会社のスターサンズは『かぞくのくに』『新聞記者』のようなキネマ旬報ベストワンや日本アカデミー賞最優秀作品賞を送り出してきた。菅義偉首相(当時)を取り上げた『パンケーキを毒味する』など安倍・菅政権に「忖度なし」の製作を続けてきたため、助成金取り消しは「狙い撃ち」ではないかとまで言われた。製作当時は知らなかった俳優(それも脇役)の不祥事を理由にして助成金を取り消されたりしたら、自由な映画作りが難しくなるのは間違いない。

 芸文振は「公益性に反する」として助成金を取り消したが、最高裁判決は公益性を理由に取り消す場合には「公益性が害される具体的な危険性がある場合に限られる」と判断した。その上で、助成金を交付してもピエール瀧が利益を受ける立場ではないから、「助成金を出しても芸文振が『国が薬物犯罪に寛容である』との誤ったメッセージを発したと受け取られることは、出演者の知名度や役の重要性にかかわらず、想定しがたい」とした。常識的な判断だろう。
(映画のチラシ)
 映画『宮本から君へ』は傑作だった。異様な熱気を持って、不義に立ち向かう池松壮亮の姿が忘れられない。ピエール瀧は「敵役」側の方であり、この映画を見て薬物犯罪に寛容だと思う観客はいないだろう。むしろ「立ち向かう」ことの大切さを描くメッセージが、裁判を通じて完結した感じがする。誰かが難癖を付けそうな企画に勇気を持って取り組む人が今に日本では少なくなっている。故河村氏が遺したといっても良いこの判決は、芸術に関わる多くの人に勇気を与えるだろう。
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初の憲法13条違反ー「性別変更に手術要件」は違憲

2023年10月30日 22時01分12秒 | 社会(世の中の出来事)
 最高裁大法廷(戸倉三郎裁判長)は、10月25日に「性同一性障害特例法」の一部規定を憲法違反と判断する決定を下した。最高裁における違憲判断は12例目で、21世紀になって7例目。最近時たま見られるとはいえ、そうお目にかかれるものではないから、ここで記録しておきたい。僕も小法廷は傍聴しているが、裁判官15人がそろう大法廷は見たことがない。時には1年に1回もないのである。今回は大法廷に送付された時点で違憲判断を予想できたわけだろうが、2019年に合憲判断が出ていたから、僅かな期間で逆転するのかとも思った。(ちなみに、今回は「家事審判」に対する判断なので、「判決」ではなく「決定」である。)
 (大法廷)
 僕はトランスジェンダーの問題にそれほど詳しくなく、この法律をめぐる争点をどう理解するべきか判らない点も多い。にわか勉強して書いても間違うから、ここでは違った観点から書いておきたい。今回は初の憲法13条違反の判断なのである。その事の意味は後で書くが、まず今回の決定は「手術要件は違憲」という点で、15裁判官全員一致だった。ただし、性同一性障害特例法では性別変更に5要件があり、そのうち「外観要件」は判断されなかったので、高裁への「差し戻し」となった。3裁判官は「外観要件」も違憲と判断する少数意見を書いている。ただ、「憲法違反」という判断が15裁判官で共通だったことはとても重い判断である。

 それは原告の置かれた状況がよほど過酷で同情すべきものだったということだ。今までの違憲判断を見てみると、議員定数の配分をめぐる問題など純粋に憲法解釈上の問題もあるが、個別事例の救済のために違憲判断がどうしても必要だという場合が多い。刑法の尊属殺人罪違憲判決や地裁段階だがハンセン病違憲訴訟(熊本地裁判決)など、裁判官が憲法違反と判断しない限り「気の毒な事情を持つ原告」を救済する手段がないのである。そこで裁判所は違憲立法審査権という伝家の宝刀を抜いたのである。

 この判決を批判する人もいるが、決定文をきちんと読んでいるのだろうか。法が手術を要件とすることがいかに過酷な人権侵害となりうるか。裁判所が判断を変えたのは、決定を読む限り日本内外で行われてきた多くの人々の努力の結晶だと思う。「社会状況の変化」と題された部分では、法務省、文部科学省、厚生労働者などの取り組み、東京都文京区の条例、世界保健機関(WHO)や欧州人権裁判所などの判断などが紹介されている。その結果として「性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり」と判示されたのである。この間の内外の取り組みに背を向けていた者は、この判断を受け入れられないのだろう。
(性同一性障害特例法の5要件)
 僕はこの決定は極めて重要な判例になるのではないかと思っている。今までの違憲判断は、その半数が憲法14条(平等権)に関わる判断だった。ところが先に書いたように今回は「憲法13条違反」が認定されたのである。

 「憲法十三条」=すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

 「個人の尊重」「幸福追求権」などと言われるが、いかにも抽象的である。むしろ「公共の福祉」を理由として、権利の侵害を合理化する規定になってきたのが実情だ。今までは「法の下の平等」を理由とした裁判は、ある程度裁判で勝利することがあった。しかし、「個人の尊重」を訴えた裁判(外国人指紋押捺制度訴訟など)では、「公共の福祉」のためとして合憲判断がされてきたのである。それに対し、今回は「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由は、人格的生存に関わる重要な権利として憲法13条で保障されている」と決定冒頭で判示されている。

 これは教育、福祉、医療などの現場でも「使える判例」ではないだろうか。日本各地で現に困っている人、困窮している人、理不尽な扱いを受けている人にとって、単にトランスジェンダーの性別変更問題に限らない、重要な人権擁護の先例が切り開かれたと思う。今後も憲法13条を「武器」にした闘いが全国各地で起こされるだろう。ひとりひとりが自分に「個人の尊厳」「幸福追求権」があるということを銘記して生きていきたいと思う。
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タレントに「罪」はあるかージャニーズ問題③

2023年09月24日 22時53分08秒 | 社会(世の中の出来事)
 「ジャニーズ問題」3回目で一端終わり。最後に「タレントに罪はあるか」というテーマを考えたい。この問題に関しては、ジャニーズ事務所所属タレントを企業CMで起用するべきか(というか、今起用しているタレントを継続するか)に関して、財界でも大きな問題になっている。現時点では2つの考え方があり、一つは新浪剛史経済同友会代表幹事(サントリーホールディングス社長)による「児童虐待に対して真摯に反省しているか、大変疑わしい。ジャニーズ事務所を使うと、児童虐待を認めることになる」(9月12日)というものである。僕はこの発言を聞いて新浪氏の「マイナ保険証」発言を思い出した。「紙の保険証廃止」を「納期」と表現して、政府に「納期を守れ」と迫った発言である。これは高齢者や障害者への虐待を認める発言じゃないのか。
(新浪氏の発言)
 それに対して十倉雅和経団連会長(住友化学会長)は「ジャニーズのタレントの人たちはある意味、被害者であって加害者ではありません。彼らが日々研鑽(けんさん)を積んでやっている人、それの(活動)機会を長きにわたって奪うことは問題」と発言した。これは新浪氏の発言と全く逆方向の考え方と言える。「ジャニーズ所属のタレントは商品や製品といった“モノ”とは違う」「タレントの救済策を時間をかけて検討すべき」とも主張している。
(十倉氏の発言)
 タレントはモノではないというのは間違いないが、しかし企業トップの不祥事で会社が危機に陥り、時には倒産してしまうということは今まで何度も起こってきた。タレントの関わる問題でも、監督や共演者のスキャンダル(セクハラが公になるとか薬物使用で逮捕されるとか)でせっかく完成した映画がお蔵入りしてしまったなど、近年もあった。そういうことを考えると、所属事務所にスキャンダルがあっても、所属タレントは全く影響なしに活躍出来るというのもおかしな話ではないか。ある程度の影響は避けられないのだが、最終的には「ファンを含めた世論がどう考えるか」が決めるだろうと思う。

 「ジャニーズ事務所」そのものは、日本経済においてそんな大きな存在じゃないだろう。しかし、日本の企業は現在では単に「モノを売る」のではなく、「夢」や「イメージ」を売っている。品質も全く無関係ではないが、ある程度成熟した産業社会では、どの会社の製品を選んでも大差はない。そうなると、宣伝に起用するタレントの影響力が大きくなる。また政府も経済浮揚のため五輪や万博など大型イベントを誘致するが、その盛り上げのために人気タレントに頼っている。日本経済にとって「芸能事務所」は不可欠の存在になっている。そういうあり方はおかしいと言っても、当面どうしようもない。

 芸能タレントの方も、そのような「利用される存在」であることを自覚して、どんな色にも染められるように「無色透明」を心がけるようになる。外国(特にアメリカ)と違って、政治的問題を発言することは控えることが多い。今は大学を出ている人も多いから、クイズ番組に出演して博識を披露することもある。だけど、それはどうでも良いような知識量を競う番組で、国際政治や人権問題を問うことはない。こういう日本の芸能界のあり方自体を再考する必要がある。そういうタレントのあり方がロールモデルとなって、芸能界を目指す若い人々も自ら考えないことになる。

 「タレントに罪はあるか」と題したが、法律的な意味では「罪」がないことははっきりしている。だが倫理的な意味では、「罪」に対する考え方が人それぞれで違うから何とも言えないところがある。例えば、大学や高校で不祥事が起きて、その年の卒業生の就職に影響があるというようなことはあってはならない。だけど、いじめや体罰が横行する学校だとして、そのことに直接的な責任はないとしても、「いじめに対して黙っていた」という場合はどうか。ある程度倫理的な責任はあると言えるかもしれない。

 ジャニーズ事務所の場合、内部からも外部からも「噂としては知っていた」という人ばかりである。どういうレベルの噂かにもよるが、仲間うちで人権侵害が発生していて、当時としては一タレントが公に出来ることはなかったかもしれないが、「何もしなかった」というのではマズいのではないか。それは多くの会社や学校でも似たような問題があるはずだ。「声を挙げるべき時に挙げなかった」のは、犯罪ではないけれど倫理的な責任はある。ジャニー喜多川氏存命中は確かに声を挙げられなかっただろうが、ジャニーズ事務所危急存亡のときにあたっても、自分たちで考えて動き出さないとすれば問題だろう。

 マスコミでも芸能界でも「本当は知っていた」という人がいっぱいいるらしい。それを聞いて思い出すのは、1974年当時の田中角栄首相の「金脈問題」である。雑誌「文藝春秋」が「田中角栄研究」という特集を行い、立花隆氏による緻密な「金脈」調査が掲載されたが、新聞やテレビは全く報じなかった。この時も「あの程度のことは政治部の記者は皆知っていた」などと言われていた。それが外国特派員協会での田中首相の記者会見で、金脈問題への質問が殺到して、初めて日本のマスコミも報道したのである。今回もBBCが報じて初めて国内でも問題になった。つまり、日本社会の構造は半世紀経っても大して変わってない。僕の世代では変えられなかったのだと思うしかない。
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「同族経営」と「優越的地位」ージャニーズ問題②

2023年09月22日 22時42分32秒 | 社会(世の中の出来事)
 「ジャニーズ問題」2回目。「外部専門家チーム」の調査結果は、経営陣の責任を問い社長交代を求めるなど踏み込んだ対応を求めていた。それを受けて行われた9月7日のジャニーズ事務所の記者会見で、藤島ジュリー景子社長が退任して東山紀之氏が新社長に就任すると発表された。しかし、社名変更はしないなどの対応が疑問視されていて、CMへの所属俳優出演を取り止める会社も出ている。2回目はこの問題を「会社経営」の視点から考えたい。
(ジャニーズ事務所の記者会見)
 ところで、2023年夏に突然マスコミで大問題になった会社はもう一つあった。中古車販売大手の「ビッグモーター」という会社である。保険金の不正請求に始まり、各地の店前の街路樹が不自然になくなっている(会社の土地でもないのに除草剤を撒いていたらしい)とか、保険会社大手の損保ジャパンとの不明朗な結びつきなど、いろいろと波及している。前者は警察が捜査に乗り出し、後者は金融庁がビッグモーター、損保ジャパンに立ち入り検査をする事態にまで発展している。
(ビッグモーターの記者会見)
 この二つの会社の問題には共通点がある。一つは「同族経営」で、創業者一族が株を100%所有しているということだ。だから前の社長が退任して経営者が変わっても、会社の所有者は変わらない。創業者一族が経営の責任を担ってきて、長い間に「トップを誰も止められない」という経営風土が形成されてきたのだろう。確かに会社の成長期には、創業者の素早い経営判断が生かされた利点もあったのだと思う。しかし社会的に大きな存在になっても、「コンプライアンス」(法令順守)意識が薄く、人権問題への関心が低い。人権問題に対応する部署、あるいは外部の知恵を借りる仕組みも存在しない。そういう会社は多いのではないか。

 もう一つ、こういう言い方は少し不適切かもしれないが、問題の内容が「商品に手を付ける」という点で共通していると思う。ビッグモーター社は故障車の修理時に、さらにわざと傷を付けて過大な保険金を請求していた。ゴルフボールで傷を付けている画像が拡散され、それに対し社長が「ゴルフに失礼」と言ったのも余りにズレていた。失礼なのはゴルフじゃなくて、傷を付けられた自動車の方だし、その所有者の「お客様」に対してだろう。一方のジャニー喜多川氏の場合、長期にわたって自社に属するタレント候補に性加害を繰り返していたとされる。これでは「組織犯罪としての性加害」とみなされてもやむを得ないのではないか。

 もちろん所属タレント(候補)は「商品」ではなく、人間である。長年苦楽をともにする中で、芸能事務所関係者(マネージャーなど)と所属歌手、俳優などが恋愛関係になることは決して珍しくない。だから、同性間であれ、年齢差があれ、そこに「真実の愛」が発生しないとは言い切れない。だがジャニー氏の場合は、そういうものではない。これほど多くの「被害者」、それも問題発生時は「少年」だった人々が声を挙げるということは、単なる「性犯罪者」だったのだろう。

 問題の性格から外部で行っても問題だが、その場合は「経営トップの個人犯罪」と言える。しかし、実際のところは素晴らしき業績を上げた芸能事務所は、「犯罪組織」という「裏の顔」を持っていた。そう言われてもやむを得ないだろう。その現実が何故長い間暴かれなかったのか。それは姉のメリー喜多川(藤島メリー泰子)副社長(2019年のジャニー氏没後は会長)の「隠ぺい」と「圧力」があったからだと思われる。(なお、「藤島」はメリー氏の夫である作家藤島泰輔氏の姓である。)

 よくマスコミの「忖度」(そんたく)などと表現されるが、忖度は自ら相手におもねる場合である。最初に使われた森友学園問題は、国有地払い下げに関する「背任」事件だし、ジャニーズ事務所の場合は人気グループを多数抱えている「優越的地位」を利用した「独禁法違反」事件だ。それがはっきり判ったのは、SMAP解散後に事務所退所者が全然テレビなどに出なくなった時だった。次第にそうでもなくなってきたけれど、やっぱり芸能界はおかしいんだなと僕は思った。

 ジャニーズ事務所ばかりでなく、事務所を変わった俳優、歌手が事実上「干される」(としか思えない)ケースはいっぱいある。また内容は違うが、数年前に問題化した吉本興業のケース(契約書もないままだった)など、その後どう改善されているのだろう。大手マスコミというが、日本の場合テレビ各局は新聞社の系列下にあり、ネットニュースだって大部分は新聞社の記事である。大手事務所が系列のテレビ局にタレントを出演させなければ、非常に困るだろう。ジャニーズ事務所や吉本興業は、事実上独占企業に近い。本来は公正取引委員会がもっと規制に乗り出すべき問題なんじゃないかと思う。
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人権侵害が「発見」されるまでージャニーズ問題①

2023年09月21日 23時31分45秒 | 社会(世の中の出来事)
 ここで世の中のすべての問題について書くわけにはいかない。だから、いわゆる「ジャニー喜多川氏による性加害問題」も一度も書いてない。だけど間違いなく2023年の重大ニュースになっているので、何回か書いておきたい。ただ、自分には「ジャニーズ事務所は今後どうあるべきか」には特にまとまった考えがない。(はっきり言ってしまえば、どうなっても構わないのである。)人権問題の取り上げ方、取り上げられ方について、ちょっと違った角度から考えてみたいのである。

 副題を「ジャニーズ問題」としたが、ジャニー喜多川氏個人に関わる問題と、組織としての「ジャニーズ事務所」の問題は密接に結びついていると考えている。それを細かく書き出すと面倒なので、まとめて簡単に「ジャニーズ問題」としただけで、それ以外の意味は特にない。僕は「ジャニーズ事務所」に所属する(した)芸能人にほとんど関心を持ってこなかった。10代、20代の頃には関心がある俳優や歌手がいたけれど、誰がどの事務所に属しているかなんか僕は知らなかった。

 ファンクラブに入るほどの人は知ってるんだろうけど、そうじゃなければ知りようもなかったと思う。今はインターネットですぐ調べられるようになった。調べてみると、僕の周りで同級生や生徒たちが騒いでいたあのグループも、あのグループも皆ジャニーズ事務所だったのかと知った。国民的アイドルといわれた「SMAP」が登場して、さすがに僕も全員名前を知っていて、その頃から「ジャニーズ事務所」の特権的な位置が形成されたと思う。ちょっとカッコいい生徒は「ジャニーズ」なんて言われていた。

 「ジャニー喜多川」という人にも特に関心がなかったが、やはりショービジネスに関する才能は非常に大きなものがあったのだと思う。何やらいろいろ「噂」があるらしきことは聞いたような気もするが、その問題は恐らく「同性愛」というものだろうと思っていた。外部の人が問題の大きさに気付く機会もなかった。今回「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査結果が公表されて、初めてその深刻な被害の全貌を理解したということだ。
(特別チームの調査結果発表)
 そこで提示された問題は、「長期にわたる少年に対する性的虐待」と「組織的な隠ぺい構造」というものだった。このようなケースは世界で初めてではない。カトリック教会の神父による少年への性的虐待は、非常に大きな問題となった。映画にもなり、アメリカ映画『スポットライト』やフランス映画『グレース・オブ・ゴッド』を見ると、被害者の苦悩や隠ぺい問題の構造など、非常にそっくりなことが判る。またイギリスでは、2011年に死去した有名なテレビ音楽番組の司会者ジミー・サヴィルが、死後になって多くの男女児童に性的虐待を繰り返していたことが発覚した。
(ジミー・サヴィル)
 この人物は有名音楽番組や子ども向け番組の司会者という立場を利用して、少年少女数多くをレイプしていたとされる。非常に有名な人物だったらしく、ナイトに叙されて王室とも親しかった。地元の病院でヴォランティアや寄付金集めを行って、その「慈善活動」も高く評価されていた。ところが恐るべきことに、ヴォランティア先の病院でも虐待行為があり、5歳から75歳まで105人の犠牲者がいたとされる。また死体の義眼を取って指輪を作ったり、霊安室で死体性愛を行っていたとウィキペディアに出ている。サヴィルはBBCの楽屋で性的暴力を加えていて、悪い噂がありながらもBBCは事実上隠ぺいしたと言われる。今回BBCが最初に「ジャニー喜多川の性加害問題」を取り上げたのは、この事件が背景にあったのである。

 このような性的問題、特に子どもに対する場合はなかなか表沙汰になりにくい。さらに同性間の虐待行為の場合は、法的な扱いはともかく、被害者側も「同性愛嫌悪」にさらされる恐れがある。他にも似たような例が外国にあるようだ。だからどうだこうだと言いたいわけではないが、世界各国で「恐るべき人権侵害」と認識されるまで長い時間が掛かったのだ。人権問題、社会問題は、ある日「発見」されるまで時間が掛かる。それは昨年大問題になった「旧統一協会」問題を見れば判る。ずっと追い続けていた少数の人がいたが、多くの人はもう忘れていたのである。

 「ジャニーズ問題」では、「男性の性被害」が2017年まで法的に禁止されていなかったことが大きいと思う。性犯罪に対する法(刑法の中の性犯罪の条項)は近年大きく改正された。特に2017年に「強姦罪」が「強制性交等罪」になり、2023年に「不同意性交罪」に変わった。その問題にはここで触れないが、皆がきちんと理解しておく必要がある。ところで2017年までの「強姦罪」は「暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。」となっていた。つまり、「女子」に対する「姦淫」のみが犯罪だったのである。

 現在の条文では「性交、肛門性交、口腔性交又は膣若しくは肛門に身体の一部(陰茎を除く。)若しくは物を挿入する行為であってわいせつなもの」を処罰対象としている。従って、現行法ではジャニー喜多川氏の行為は、発覚すれば違法行為となっただろう。しかし、2019年に亡くなっているジャニー喜多川氏の性加害は、そのほとんどは法的に罰することが出来ないものだった。(被害者の年齢によっては、児童福祉法などに該当する場合はある。)

 これは「男性に対する性的虐待」という問題がまだ社会的に認知されていなかったことを示している。だから問題じゃないと言いたいのではない。いつの時代でも被害者は苦しんでいた。だが「個人の被害」が「社会的な人権問題」と皆が認識するまでには時間差があるのである。その典型として、自分が関わったことでは「ハンセン病問題」が挙げられる。僕は隔離を廃止する法律、あるいは国賠訴訟判決前から、療養所に行っていたから、この問題は憲法違反だと思っていた。だがその時点ではマスコミは全く報道していなかったのである。誰もが知っていたが「深刻な人権侵害」と認識されていなかった。

 今もなお、知られざる深刻な人権侵害が、日本や世界に数多くあるはずである。政府が進めている政策は実は憲法違反かもしれない。警察が発表した逮捕報道も、実は冤罪かもしれない。そういう目で見ていくということが大事なんじゃないかと思う。SNSなどで間違った投稿をしてしまう、あるいは「いいね」をクリックしてしまうことなどは誰でも起こりうる。自らもまたいつ人権侵害をする側になるか、気をつけていく必要がある。
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西武デパートのストライキと売却問題

2023年09月02日 22時38分45秒 | 社会(世の中の出来事)
 池袋駅東口にある西武池袋本店で、8月31日にストライキが行われた。外資系企業への売却方針に対して雇用の維持を求めてきたが、一向にはっきりした方針が示されなかったからである。しかし、親会社のセブン&アイ・ホールディングスは、スト実施中の同日に外資系の「フォートレス・インベストメント・グループ」への売却を決定した。
(西武デパート本店)
 「そごう・西武」の企業価値は2200億円と算定されたが、有利子負債を引いて実質8500万円での売却になり、「セブン&アイ」は1457億円の特別損失を計上するという。フォートレス・グループと協力している「ヨドバシホールディングス」は、西武池袋本店の土地などを約3,000億円で購入する方針だという。このニュースを聞いて、何だか釈然としない思いをする人が多いだろう。いくら借金を抱えているとはいえ、その借金を棒引きさせて手に入れた物件をすぐに他に売りつける。報道が正しいのなら、有利子負債があったままでも儲けが出る。日本企業が労働者ごと外国資本に安く売られることへの反撃ストだった。
(スト実施中)
 西武デパートの売却問題は、昨年来高野之雄豊島区長(当時)が懸念を表明して注目されてきた。単に一企業の盛衰に止まらず、西武デパートは豊島区の文化でもあるからだ。一時は日本のデパートの中で売上高が1位になっていたこともある。70年代後半から80年代においては、堤清二社長の下、「セゾン文化」の発信基地ともなってきた。西武池袋線と直結していて、西武線沿線の経済・文化圏と密接に結びつくとともに、ファッションを中心にして「ニューファミリー」と70年代に言われた「中流」層を取り込んだ。その意味で、確かにこれは一企業の問題ではなく、「文化」の問題でもある。
(売却の仕組み)
 僕も「西武美術館」(1975年~1999年、1989年にセゾン美術館と改称)にはよく行った。池袋にある大学に通っていたからだ。自分の父が東武鉄道勤務だったため、買い物は東武百貨店を利用することが多かった。東武デパートは池袋駅西口にあり、通学時に利用しやすいこともある。このように「不思議な不思議な池袋 東が西武で西東武」(ビックカメラのCMソング)は、池袋を代表する商業施設として競い合ってきた。堤康次郎の死後、鉄道は堤義明、流通は堤清二が相続して、流通系は「セゾン・グループ」と改称して両者は分離した。バブル崩壊後に巨額負債を抱えた「西洋環境開発」破綻に伴い、セゾン・グループは解体された。
(セブン&ァイグループ)
 西武デパートは「そごう」とともに、セブン&アイグループに属していた。元はイトーヨーカドーから始まった会社だが、現在はセブンイレブンが最大の売り上げとなっている。コンビニ、スーパー、デパートを束ねる総合流通企業という強みは生かされず、百貨店事業は赤字だった。「セブン&アイ」の外資系株主からは、デパートを売ってコンビニに集中するよう求められてきた。スーパーマーケット事業も風前の灯で、近所のヨーカドーも閉店してしまった。次は祖業のヨーカドーも危ない。

 これで良いのかと思うが、そういう風に自分が言えるかとも思う。1957年に開館した有楽町そごう(フランク永井の「有楽町で逢いましょう」の舞台)は、すでに2000年に閉店してビッグカメラになっている。僕はそごうは利用したことが無いが、ビックカメラ有楽町店は利用している。新宿三越池袋三越も閉店し、前者はビックカメラ、後者はヤマダ電機になっている。デパートが家電量販店になるのは前例があるわけだ。ただ、池袋西武は旗艦店であり、駅に直結して影響力も大きい。「西武」が培ってきた戦後文化が変容してしまうと危惧するのも当然だろう。でも、西武デパートは利用しないが、ヨドバシカメラになれば行くという若者も多いだろう。

 自分の母親はデパートへ行くのが大好きだった。聞いてみると、同年代の女性にはそういう人が多いらしい。デパートは単に「百貨」が買えるだけではなかった。いろんな展覧会が開かれ、文化に触れる場所でもあった。(伊勢丹や東武にも美術館があった。)屋上には遊園地があり、家族皆で食べられる大きな食堂もあった。安心して子どもを連れて行ける場所でもあったのである。デパートの食堂で初めて洋食を食べたという人もいた時代である。

 もう僕の世代には、そういう「百貨店幻想」はない。今のデパートも「専門店」を揃えたブランドショップ街になっている。渋谷の東急百貨店、新宿の小田急百貨店は改築中で、今後東京のデパート事業は良くも悪くも大きく変わっていくのは避けられない。
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