尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

白石加代子「百物語」ファイナル

2014年08月30日 23時12分47秒 | アート(演劇・落語等)
 白石加代子の「百物語シリーズがついにファイナル公演という。第32話の演目は三島由紀夫「橋づくし」泉鏡花「天守物語」。(演出は鴨下信一)
 
 このシリーズは20年以上続いてきたが、僕は見たことがなかった。最初の頃、ものすごく評判になり見てみたいと思ったけど、日程が合わなかったりチケットが取れなかったた。その後もずっとやっていたけれど、まあ百までは遠いとなると、演目にあまり関心がない時はパスすることになる。そうして見ないままになった。今回も演目だけで言えば、見なかったかも知れないんだけど、招待に当たったので北千住のシアター1010で見た。(丸井の上階にある劇場で、1010は「せんじゅ」と読ませる。前にも書いてると思うが、○Ⅰ○Ⅰと書いてあるビルに1010があるのは何だかおかしい。)

 この「百物語」というのは、必ず「原作」があるわけで、要するに「朗読劇」というのに当たるだろうけど、今回見て実に素晴らしい「一人芝居」だと思った。セットもあるし、黒子も出てくるので、落語のような「一人芸」ではない。井上ひさし「化粧」のような初めから俳優が一人で演じるように書かれたテクストがあるわけでもない。だから、坂本長利「土佐源氏」やマルセ太郎の「スクリーンのない映画館」、あるいは一龍齋貞水の「立体怪談」のような「語り芸」ともちょっと違っている。そのような一人で演じる芸能は日本にかなりあるので、頭の中でいろいろ比較してしまうのだが、白石本人が舞台を動き回るので、一番演劇的。テクストは原作の文章を改編していないので、ナレーション的な説明もない。落語のマクラに当たるようなものがないので、最初は原作が昔のものだとよく判らない感じもする。とにかく「立体朗読」とでも言う不思議な「一人芝居」である。

 白石加代子(1941~)は鈴木忠志主宰の早稲田小劇場で「狂気の女優」として有名になり、鈴木メソッドを体現する「アングラ演劇」の代表的女優と言われた。その後、鈴木忠志が演出したギリシャ演劇「トロイアの女」や「バッコスの信女」に出演した辺りは、僕も見ている。早稲田小劇場が富山に移って劇団SCOTと改名した後も所属していたが、1989年に退団。その後の20数年は「百物語」がメインの活動と思っていたけれど、ウィキペディアを見たら、蜷川幸雄の芝居も多く出演しているし、市川崑の映画やテレビ出演も多い。だけど、僕にとっては昔のイメージが強かった。

 「百物語」ファイナルの99話「天守物語」はまさに圧巻。もともとが戯曲なので、一人で各役をすべて演じる「究極演劇」になっている。これが磨き上げられた体技と声で、不自然さはみじんもない。「天守物語」は玉三郎の十八番で、この7月にも歌舞伎座でやったばかり。もちろん歌舞伎では玉三郎や海老蔵など原作の指定する役ごとに役者が演じている。それを全部一人で語るというのだから、とんでもない発想である。セットは簡素で、黒子も出てくるけど、これは恐るべき荒業だと思った。それを見る者に納得させてしまうんだから、白石加代子の芸の力は恐るべきものがある。いや、恐れ入りましたという感じ。姫路城の天守に住む「妖怪」の天守夫人の物語だけど、姫路城の修復なった年にこれがファイナルに選ばれたのも因縁。まだ、しばらく各地で公演が続くということで、見る機会があれば是非。
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「共苦の共同体」を超えて-教員多忙問題③

2014年08月28日 23時50分51秒 |  〃 (教師論)
 教育に関するニュースがあると、大体新聞を切り抜いておくことにしている。(歴史ニュースや書評、映画評、訃報などの切り抜きも何十年分かあると思う。)最近書いている文科省の教員調査やOECDの中学教員調査も、そういう新聞切り抜きをもとにしている。別に目新しい結果でもなかったから、特に急いで書く必要もないなと思った。本当は佐世保の事件に関して、「いのちの教育」について書きたいと思ったのである。それがどうして「教員多忙問題」を先に書いているかというと、「教育現場にはこういう問題がある」ということを判っていないで、「いのちの教育は生かされたのか」などと議論するのはおかしいと思うからである。今、教育論議にまず必要なのは「教室の現象学」ではないかと思う。

 さて、「長時間のボランティア労働」を強いられている教師は、学校や生徒についてどのように思うようになるだろうか。当然のこととして、「自分はこれだけ(無償で)頑張っているのだから、生徒も教師の頑張りにこたえて欲しい。頑張ってついてきて欲しい」と思うだろう。たとえば、学校施設を使って朝早くから部活動を行う時には、もちろん責任者の顧問がいなければならない。だから顧問は早起きして学校に来たのに、部員がサボっていたらどう思うだろうか。しかし、そんなことは生徒の側ももちろん判っているから、生徒だって頑張って朝早くから来るのが普通である。こうしてお互いにホンネとしては辛いと思いつつ、「お互いに大変なことを自分たちに課して、それを一緒に乗り越える」ことが目標となってしまう。自らの「無償労働」の対価として、生徒の「無償の評価」を求めるのである。

 僕はこのような、日本の教育の本質的なありかたを「共苦の共同体」と名付けている。「一緒に苦しむ」の内容が「体罰」に至ってしまう教師もいる。そのような学校空間に居場所を見つけられず、「不登校」として「学校社会を下りる」ことで苦しむ生徒もいる。「体罰教師」と「不登校」は、普通は全く別の問題と見なされがちだが、本来は「共苦の共同体」としての学校というメダルの裏表ではないか。それどころか、日本の教育というのは、「小学校のお受験」から「大学生の就活」まで、苦しむ内容と相手は少しづつ変わりながらも、ずっと「何かよく判らないものに、誰かと一緒に耐えていく」という体験なのではないか。そして、それを「大人になるために必要なイニシエーション」と考えているのが日本社会の「世間知」ではないかと思う。

 この「生徒に無償の評価を求めてしまう」という罠を逃れている教師はほとんどいないと思う。もしいるとすれば、生徒に影響を持っていない教師だけである。部活動は複雑な問題をはらんでいるので、ちょっと別に考えたいが、近年になって非常に「苦しい共同体験」になっているのが「進路指導」だろう。「就職氷河期」と言われてきた労働市場はいくらか明るさが見えてきたと思うが、20世紀末からつい近年まで、とにかく毎年毎年大変なこと続きだった。受けても受けても落ちる生徒もいるわけで、「一緒に苦しむ教員」の心労も大きかった。また大学の推薦入学制度が非常に複雑になったので、学校見学から小論文指導、面接練習など教師の方も生徒に無理とも思える要求を繰り返し、一緒に苦難を乗り越えていくという感じになっている。結果が出る日は、教師もドキドキして報告を待つわけである。

 でも進路指導は、まあ相手の要求に応えるしかないので、ある意味ではまだ楽とも言える。大変なのは、必ずしもうまく行っていないクラスの担任として学校行事を迎えるような時である。うまく行くのか行かないのか、当日までハラハラしながら、協力してくれる生徒たちとともに最後までジタバタする。うまく行っている他クラスもあるというのに、「うち」はちゃんとできるんだろうか。こういう時の担任のプレッシャーはとても大きく、だからこそそういう時に一緒に頑張ってくれる生徒(は必ず何人かはいる)の存在はとても大きい。「無償の労働」には無償でこたえてくれる生徒もいるわけで、それが教師が「自分の労働の無償性」に無自覚になる原因にもなっている。とにかく、よほど恵まれている学校に勤務している少数の教師を別にすれば、問題生徒や保護者対応には細心の注意がいるわけで、教員生活が苦しい日々の連続になっている場合がかなり多いのではないか。

 学校行事や部活動、進路指導などで培われる「共苦の共同体としての学校」は、「日本社会の中で生きていく時に役立つ力」を育てる面は否定できないと思う。だから、全面的に否定することはできないし、しても意味はない。でも、「それでいいんだろうか」「もっと違う学びのあり方はないのだろうか」と問うことは大切なのではないだろうか。今は学校にいる間はずっと苦しいこと続きで、「頑張っているいい子」もどこかで切れてしまいやすい。切れずに就活まで頑張っても、そこで「学び」が終わってしまう。あるいは大学入学時に終わってしまう人もいる。つまり、「オトナが学ばない社会」になってしまっている。都議会のヤジ問題や「アイヌ民族はもういない」とツイートした札幌市議など、その問題をきちんと学ばずに発言しているのである。むしろ、深く学ばずに俗論を言えるのが「オトナの証」だとでも考えているのではないか。そういう社会を作ってしまったことを、教育関係者は深く反省する必要があるだろう。小中高と学びを深め、大学で専門領域を学んで、そこで身に付けた「学ぶことの方法」を駆使して大人になっても自分なりに学び続けて行く。そういうリーダーが育っていないのは、日本の教育の現状のあり方に原因があるのではないか。単に「教師の長時間労働は良くない」というレベルより、もっと深い問題性があるのだと考えている。

 では長時間労働はどうすればいいのか、さらに学校のあり方はどうあるべきか、部活動のあり方は…などどんどん話は広がって行くが、ちょっと間をはさんで来月に続けていきたい。そして、若い教員に期待するもの、人権教育のあり方、学校行事の話など、映画や本の話をはさみながら、日本の学校論として考えてみたいと思う。
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人権被害者としての教師-教員多忙問題②

2014年08月27日 21時27分53秒 |  〃 (教師論)
 「教員多忙問題」にはどのような弊害があるのだろうか
 教材研究がおろそかになる。雑務に追われて生徒との関わりが薄くなる。生徒の問題対応に時間を取られて、それ以外の生徒へ目が向かなくなる。朝から夜まで部活動に時間を取られて、教師の生活が成り立たなくなり新聞も読まないようになる。まあ、そういうようなことを次々と挙げられる。

 いちいちもっともで、確かにそういうケースは存在する。昔はきっと持ってたはずの知的な好奇心が摩耗してしまった教員も何人かは存在するし、そういう教師に教わる生徒は大変だろうなと同情する。(しかし、何事も「反面教師」なのであって、そういう教師の存在によってこそ自分が大きく成長できてきたとも思う。「生徒が大変」だというのは、生徒が教師のレベルに合わせて知的な好奇心を見せないようにするのが大変だと思うのである。)大きな教育問題がニュースになるような時に、外部の人から「学校現場では先生方はどう思っていますか」などと聞かれたことがあるが、「学校現場」でニュースをめぐって喧々諤々と議論をするゆとりと知的関心が今の学校にあると思っているのか、むしろそっちの方にビックリせざるを得なかった。そんなものはもうずいぶん昔の話だろう。

 いくら4%の教職加算があるとはいえ、それに当たる時間の何倍もの長時間労働をこなして、それに対する金銭的(あるいは時間的)補償がないというのは、「サービス残業」とか「ボランティア」などと言って済ませていい問題ではないだろう。はっきり言えば、教育現場の「ブラック企業化」であり、教師は被害者なのである。労働者としての権利を侵害されている当事者なのである。しかし、そう認識している教員はごく少数だろう。それはどうしてだろうか。

 ところで、「いじめ」問題は、ここ何十年かずっと教育現場で大きな問題となってきているが、「教師は学校内のいじめを解決できるのか」と問われることが多い。教師はプロの教育者として、「いじめの兆候を見つける」とか「いじめの当事者に介入して、いじめ行動を止める」という能力があるべきだと思われているらしい。しかし、教師ははたしてそんな能力を持っているのだろうか。あるいは、教育行政は教師の「いじめ解決力」を育てようと考えているのだろうか。

 なぜなら、「いじめ問題」を感知する能力というのは、要するに「人権センサーの感知度をアップする」ということだと思うが、教師の長時間労働はそのセンサーを鈍くする方向に働くからである。それどころか、教師の「人権センサー」能力がアップすれば、生徒のいじめの前に、まず「自分たちが人権侵害の当事者ではないか」ということに気づくはずである。今の学校現場は、教師は自分が「教育行政の使い走り」をさせられながら、いやそれは自分の考えでやっているんですと言ってる状況である。自分がいじめられている当事者という認識がない。生徒のいじめ事件でも似たような構図はよく見ることができる。強いものの意向に自ら寄り添っていて、弱い生徒の話を聞いてもいじめではないと否定するのである。今の教員の多くも、似たような状態にある。こういう教師に「いじめを感知する能力」を求めるのは、間違いであり酷でもある。社会の側で「ないものねだり」をしているのである。

 日本の教師は、労働者としても、また教育専門職としても、多くの権利を否定されている。日本が国際人権規約を批准するにあたって、日本政府はいくつかの項目で「留保」を付けている。その代表が「公務員のストライキ権」である。先進諸外国なら認められているスト権がないということは、国際的な人権問題なのである。(長く留保とされていた「中等教育の無償化」に関しては、民主党政権下で留保の撤回が通告された。(「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)第13条2(b)及び(c)の規定に係る留保の撤回(国連への通告)について」)

 またユネスコ(国連教育科学文化機関)による「教員の地位に関する勧告」をみると、日本の教員がいかに教育専門職としての尊厳を奪われて来ているかがよくわかる。たとえば、「教員免許更新制」もユネスコ勧告違反であると思われるし、授業で使う教科書を教師が選べない(あるいは選びにくい)現状もユネスコ勧告違反である。しかし、今は長時間労働を問題にしているので、労働時間に関するところを見てみたい。
労働時間
89 教員が一日あたり、および一週あたり労働することを要求される時間は、教員団体と協議して定められなければならない。
90 授業時間を決定するにあたっては、教員の労働負担に関係するつぎのようなすべての要因を考慮に入れなければならない。
(a) 教員が一日あたり、一週あたりに教えることを要求される生徒数
(b) 授業の十分な立案と準備ならびに評価のために要する時間
(c) 各日に教えるようにわりあてられる異なる科目の数
(d) 研究、正課活動、課外活動、監督任務および生徒のカウンセリングなどへ参加するために要する時間
(e) 教員が生徒の進歩について父母に報告し、相談することのできる時間をとることが望ましいということ
91 教員は現職教育の課程に参加するために必要な時間を与えられなければならない。
92 課外活動への参加が教員の過重負担となってはならず、また教員の本務の達成を妨げるものであってはならない
93 学級での授業に追加される特別な教育的責任を課せられる教員は、それに応じて通常の授業時間を短縮されなければならない

 これを読めば、日本の教員の長時間労働というのは、国際的な人権問題だということがよく判るのではないか。本来、授業準備も親への連絡も生徒のカウンセリングも課外活動への参加も、皆労働時間に中に入っていなければおかしいのである。これだけ自分たちの教育者としての権利を侵害されて来ていれば、教員としての誇りが失われ、「自信」が世界最低になるというのも当然だろう。

 これらの事態は、おそらく「教育政策の結果」である部分が大きいと思う。むろん、教育に関わる様々の利害関係者の要望が複雑に絡まり、いつの間にか誰にも止められない状況になっているというものもあると思う。部活動に関する問題などはそうかもしれない。しかし、教科書選定を現場教員から遠ざけるなどというのは、紛れもなく教育政策の目指してきたものである。つまり、日本の教育行政は、教師の尊厳を剥奪し、教師の「人権センサー」をなまらせる政策を続けてきた。教師の長時間労働という実態は、今までの教育行政の行き着いたものだと考えられる。となると、教師の側も事態をよく認識し、自己防衛策を取らないと、自分の生活を破壊されるだけでなく、自分の人権感覚が知らず知らずのうちにマヒしてしまうという恐るべき状態になる。防衛策の前に、この「長時間労働ボランティア」が日本の教育や社会全般に何をもたらしているかを考えてみたい。
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教員多忙問題①

2014年08月25日 23時58分24秒 |  〃 (教師論)
 ちょっと前になるが、6月25日にOECD(経済協力開発機構)が中学教員の勤務環境に関する国際調査結果を発表したというニュースがあった。その結果によると、日本の教員は指導への自信が参加国中で一番低いにもかかわらず、勤務時間は最も長かった。この勤務時間の長さは予想されたことだけど、数字で見ると週当たり53.9時間となり、異常ぶりが際立っている。2位のカナダ・アルバータ州が48.2時間、3位のシンガポールが47.6時間、4位のイングランドが45.9時間…といった具合である。平均は38.3時間となるというから、日本の異常さはダントツとしか言いようがない。この深刻な実態をどう考えるか、数回にわたって考えておきたい。これが実は一番重要な教育問題であって、他の様々な問題はすべてここから派生しているとさえ言えるのではないか。

 まず、タテマエを書いておかないといけないが、これは実は「超過勤務」ではない。「超過勤務」というのは、雇われて契約関係のもとで働く労働者が勤務時間内で終わらない仕事を、上司に命じられて時間後に労働する(その代り超過勤務手当をもらう)というものだろう。だけど、教員の場合、「校長の命令」もない」し、「超勤手当(残業手当)」もない。生徒の中には、遅くまで働いて残業手当がすごいでしょなどと知ったかぶりでからかう者が時々いる。しかし、いくら遅くまで残業していても、受給金額は(通常は)変わらない。

 今カッコ内に(通常)と書いたけど、これは意味がある。あの2011年3月11日、電車はすべて停まり生徒ともに朝まで学校内で待機せざるを得なかったが、その間も交代で見回りや警備、保護者対応、外部からの来訪者対応などを行っている。この時は、その時の手当が後ほど支給された。その他、生徒指導で遅くなった場合や休日の部活指導などでは手当が出る場合もある。しかし、原則として、教師には「時間外勤務手当」はない。その代り、全員に「教職調整額」が4%加算されているのである。

 文科省内のサイトに「教職調整額の経緯等について」があるので、その問題の経緯はそれで判る。1971年に「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)が成立して、この4%加算が決まった。何で4%かというと、当時の小中の勤務実態を調べたところ、小学校は1時間20分、中学校は2時間30分、平均1時間48分だったという。これを夏休み4週、年末年始2週、学年末始2週の長期休業時8週分を除く年間44週ずっと上記の時間に超勤したとして、超勤手当を払うとすれば4%になるというのである。

 一方、特に校長が超過勤務を命じることができる場合もあって、それを「超勤4項目」という。
イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務
ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務
ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務

 あれ、「部活動指導」はないのか。そう、ないのである。「教材研究」もない「生活指導」さえない。しかし、部活や行事ならまだしも、クラスの生徒が問題行動を起こした時に担任が帰るということは事実上できないだろう。(また部活も終わり、雑務も処理して帰ろうかという時に限って、生徒がタバコを吸っているとか万引きした生徒を捕まえているなどの電話がかかってくるのである。)

 そうすると、部活で遅くなるというのはどういうことか。生徒の提出物を見たり、明日の教材を作っていたりして遅くなるというのはどういうことか。校長は残業を命じていない(命じられるケースではない)ので、「教師が勝手に残っている」のである。(まあ、ボランティアというか、サービス残業というか。)何でそんなことをするのだろうか。生徒や親との関係、勤務成績をよくするなどの目的もあるかもしれないけど、一番大きいのは「職人的感性」ではないかと思う。労働者というより、「自分で納得できるような教材を作るためなら時間は二の次」といった感性である。もちろん、自分にもそういう部分はあったから、納得できるものを仕上げるまで大分残ったこともある。(一番遅くまでいたのは、中学の学年主任として進路説明会資料を作っていた時で、夜の10時半になってしまったので警備員(がいた時代)に呆れられた。)

 朝日新聞6月26日付の紙面には「朝練、授業、生徒会…学校に15時間半」という記事が掲載されている。私立を経て、千葉県の公立中に勤務する7年目の女性40歳。国語、2年担任、ソフトテニス部顧問。朝はほぼ6時40分に出勤、7時20分から朝練、授業、給食指導、生徒会指導、放課後の部活指導、7時に長欠の親と生徒が来た、その後提出物の点検等を続けて10時過ぎまで残っていた。このケースなど、外部から見れば想像を接した勤務実態というしかないと思う。この学校の管理職は何をしているんだと思う。職員の健康管理も管理職の重大な任務だろう。本人も善意と頑張りの人なんだと思う。朝練と午後錬と両方きちんと出ているのは立派だけど、無理なことは無理という方がいい。提出物に全員返信するというのも無理である。というか、「毎日提出させる生活ノート」そのものがいらない。むしろ中二ともなれば止めた方がいい。教師に毎日生活を報告するようでは成長できない。担任にたいして「秘密」が出てくる年代で、僕の時代にもあったけど中学2年になったらどんなに怒られても提出しなくなった。このような「過剰な学校囲い込み」がますます仕事量を増やしていくのである。

 以上の事例を見ても、教育現場の実情は、今までのタテマエではもはや処理が不可能というべきだろう。20世紀のころは、「夏休みさえあれば」「職場のまとまりさえあれば」、皆で何とか頑張ろうということも不可能ではなかった。どっちもなくなり、ただ多忙の中にいるなら、「いつか切れてしまう」という「バーンアウト」(燃え尽き)が起きるに違いない。前回書いた「教員の大量退職」は、教師のバーンアウトがついに大量に起こり始めたことを示すのではないか
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教員の大量退職時代

2014年08月24日 23時15分22秒 |  〃 (教師論)
 8月4日付で、文部科学省から「学校教員統計調査-平成25年度(中間報告)の結果の概要」が発表された。翌日の各紙は「概要」にそって、「小中高の先生、若返り」などと報じた。「大量採用世代が退職」というのが、その理由の説明。間違いでもないけれど、この統計の一番重大な問題を報道していないマスコミが多い。僕の見るところ、この統計で分かることは「ついに、教員の大量退職が始まった」ということで、10年ほど前から現場で懸念されていた「いずれ、みんな辞めちゃうんじゃないか」という恐れが現実化し始めているということなのである。

 この調査は、毎年行う「学校基本調査」と異なり、3年に一度行う「学校教員統計調査」というもの。進路調査などがないので、管理職と事務担当だけで処理できるから現場教員には関係ない。今回は教員数は2013年10月1日付のもので、異動状況は2012年度から2013年度の変化を調査対象としている。悉皆(しっかい)調査で、全国のすべての学校が調査対象である。私立や専門学校なども調べている。(なお、今回の発表は概要で、確定値発表は来年の3月の予定。)

 これを見ると、公立小の教員は44.4歳から44.0歳へ、公立中の教員は44.2歳から44.1歳へ、確かにほんのちょっと平均年齢は若くなっている。(公立高の教員は45.8歳と変わっていない。)しかし、同時に年齢構成を見ると、公立中と公立高では50歳以上の教員が増加している。(中学は、34.0%→37.3%、高校は37.4→41.5%)と同時に、小中高すべてで30歳未満の比率が2~3%上昇している。だから、「若返っている」というよりも、「年齢の両極化」が進行しているというべきだ。

 もっと驚くのは、退職者の数である。小中高だけみることにするが、小学校は18,353名(定年12,040名)、中学校は9,568名(定年5,119名)、高校は10,529名(定年5,493名)となっている。カッコ内に定年退職者を示したが、この定年には「勧奨退職」も含まれている。(「勧奨退職」というのは、一定の期間勤続している教員を対象に、定年前に退職すると退職金を割り増しにする制度のことである。大体、勤続25年、50何歳か以上という条件だろう。早い退職ほど割増し率が大きくなるのが普通。)とすると、定年(勧奨)退職以外の退職が異常に多いのではないか定年退職者の割合は、小学校が65.6%、中学校が53.5%、高校が52.1%となる。中高では、定年退職者は半分程度しかいないではないか。

 そもそも教員数はどのくらいなのかを見ると、小学校は385,065人、中学校は234,064人、高校は226,814人である。(校長なども入り、私立も入る。なお、この数は2013年10月1日付だから、前年度の退職者の割合を見るには不完全な数字だが、一応大まかな傾向を見る意味はあるだろう。))そうすると、退職者の割合は、小学校では4.76%、中学が4.09%、高校が4.64%となる。4~5%の教員が一年で辞めているのである。前回調査より小中高とも千人程度退職が増加しているので、この傾向が今後も続くとあっという間に「若返り」である。5%の教員が毎年辞めれば、10年すれば今の教師は半分になってしまう。

 退職後に嘱託員として再雇用される割合は調査されていないが、「退職の理由」という項目はある。病気、特に精神疾患が多いのかと思うかもしれないが、小学校で356人、中学で227人、高校で124人で、前回とほぼ同じ。「転職」「家庭の事情のため」「その他」が小中高とも千人を超えている。理由の項目は「定年」「病気」「死亡」「転職」「大学等入学」「家庭事情」「職務上の問題」「その他」しかないから、「その他」が定年以外では一番多く2千人を超えている。「転職」は「いい転職」(他校種に変る。特に大学等に変る)もあるかもしれないが、「その他」の中身はなんだろう。もう大変すぎるから、共働き家庭などではどんどん退職しているのだろうか。締め付けが厳しくなる一方で、もう現場で働く意欲が失われているのか。とにかく、こんなに定年以外で退職している状況になっているとはビックリである。

 このような状況に対して、「教員の経験が引き継がれるだろうか」という心配の声もマスコミ報道には聞かれる。しかし、教育行政側では「引き継がれなくて結構」と思っていることだろう。今までの「職場自治」のような経験を知らない若い世代に、採用時から研修漬けで「思い通りの教員」を作って行こうということだ。学校の教員も競争させるべきだという政策が進んでいるのだから、校内で教え合うなどという気風も失われていくしかない。これまでの「チョーク一本でも勝負できる」教員ではなく、タブレット端末を駆使してICT教育を推進する「新しい教育」を推進するつもりなんだから、それでいいのである。だけど、そうやって「机間巡視」を行いながら生徒の顔を見ていた教員が、生徒ではなくコンピュータばかり見ている今の医者のような存在になっていくわけである。
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中国では記者の免許更新試験

2014年08月23日 23時20分26秒 |  〃 (教員免許更新制)
 新聞報道によると、中国では今年1~2月にかけ、全国の新聞、テレビ、通信社などの記者25万人に統一の免許更新試験を初めて実施したという。報道に対する様々な規制が強まる中でのこの政策、当局がいかに理由をつけようが「記者の資質向上」が目的ではないのは明らかだろう。「免許更新」という発想そのものが、「いうことを聞かないと職を失うぞ」という強迫的要素を持っているのである。さすがに日本のマスコミも、いいかげん「免許更新」という発想に潜むものに気づいて欲しい。

 久しぶりに教員免許更新制について書いておきたい。しかし、何か新しい動きがあったとか、新しく考えを深めたということでもない。今までに書いた記事(特に2011年に書いたもの)と同じようなものなんだけど、やはり時々書いておかないと、意識が薄れてくるのではないかと思うからである。現実的には第2次安倍内閣の発足により、教員免許更新制の改廃は当面の政策課題ではなくなってしまったというのが実情だろう。民主党政権下の数少ない「功績」である「高校教育無償化」も訳の分からない面倒な制度に変えられてしまった。その後、教育委員会制度の法改正、教科書検定基準の改定、道徳の教科化等々、ありえないような「安倍教育改悪」が進行しつつある。それらの問題が続々と起こり、対応するヒマもない状態。来年の中学教科書の採択年に、どのような状況になるか。(恐らく下村博文氏が文科相を退任して党に戻り、全国にはっぱを掛けるのではないか。)

 文科省にサイトにある「事後評価」結果を見ても、毎年大体同じである。「よい」と「だいたいよい」を合わせて9割以上。それでも必修領域と選択領域では、必修(最新の教育事情)の方が10%以上低い。この読み方は前に書いた「更新講習は好評なのか」を読んでくれれば、まあそれにつきている。「だいたいよい」は「受けなくても良かった」だと思うし、選択領域はともかく、必修領域は「仕方ないから受けた」ということだろう。この制度は実施時に制度設計で議論があり、結局講習を大学等で受けることになった。大学教授が担当するのだから、中には教育政策を批判したり、じっくりと分析したりする「講習」もあるらしい。だから、中国の記者の免許更新ほど露骨な「締め付け」政策にはなっていない。各都道府県教委にしても、今まで採用以来育ててきた教員が突然失職されても損失なので、地方によっては教育委員会と教員組合と地元教育系大学が協力して「失職しないシステム」を作っているところもあるらしい。それを「一定の評価」ととらえて、運悪く当たった年回りの教員も「何となくガマンするしかない」という状況にあるのではないか。

 しかし、医師免許にしろ、弁護士などの法曹資格にしろ、不祥事を起こして有罪が確定した結果「資格を喪失」することはあるけれども、いったん取得した国家資格が不祥事を起こしたわけでもないのに突然失効するという教員免許更新の仕組みはどう考えてもおかしい。これでは「公務員」である意味がない。授業や部活動やクラス担任で頑張っていても、何の意味もない。なんかすごい表彰でも受けた場合は特例があるけど、普通の教員には縁がない。唯一、主幹教諭や管理職(校長、教頭、副校長)になった場合だけ、免除という「特権」がある。

 しかし、主幹教諭というのは、本来更新講習を免除すべきものなのだろうか。東京都では7月に13件の処分が発令され発表されている。その中で7月18日に発表された4件の事例を見ると、4人全員が主幹教諭である。(中学2人、高校2人)主幹なんだから、皆学年主任とか生活指導主任かなんかをしているはずである。(ちなみに14件の職階別内訳を見ると、校長=1、主幹教諭=5、主任教諭=3、教員=3、寄宿舎指導員=1。処分内容は、体罰=9、わいせつ=3、情報=1。)こういう実態を見れば、むしろ校内で主任に任命される主幹教諭こそ、免許更新講習がいるのではないか。管理職は教員管理が仕事だからともかく、主幹教諭は授業も部活顧問も受け持つんだから、免許更新制度を免除する必要はないはずである。

 このような実態を見れば判るように、教員免許更新制度は「生涯一教員」という生き方を否定し、教師も普通の公務員(あるいは会社員)のように、「上を見て出世を目指す行き方をしなくてはならない」という刷り込みがこの免許更新制度の本質と言うべきだろう。こんな制度があって、教員はやる気が出るのだろうか。というと、実際に「教員の大量退職」が起こっているようである。そのことを次回に書きたい。つまり、「教員免許更新制度は所期の目的を達成しつつある」と言っていいのではないかと思う。

 ところで別件だけど、都教委の処分発表を見ていて、非常に不思議なことがある。「職名」が発表されるが、校長、主幹教諭、主任教諭などであるが、それらになっていない場合は「教員」とあるのである。僕はまず教師は「教諭」に発令されるものだと認識しているのだが、東京都では「教諭」という職はなくなってしまったのだろうか。主幹や主任になる以前は「教員」と呼ばれることになったのだろうか。「職名」に「教員」とある以上、そう解釈せざるを得ないのだが。
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荷風散歩「つゆのあとさき」

2014年08月20日 23時03分44秒 | 東京関東散歩
 永井荷風つゆのあとさき」は、銀座のカフェーの「女給」を主人公にした傑作風俗小説で、1931年(昭和6年)に書かれて「中央公論」に発表された。題名からして、梅雨前後に書こうと思って散歩していたのだけど、これも書く機を逸して放っておいたもの。というか、舞台は銀座なので半分ほどは銀座散歩と重なる。しかし、現在の銀座に戦前のゆかりはほとんどないから、銀座を歩くことそのものはあまり「荷風散歩」にならない。

 荷風と言えば、戦後は浅草にほぼ毎日通ったことで知られる。しかし、麻布に住んでいた戦前の荷風は、地下鉄(銀座線)ができるまでは、そう簡単には浅草へ行けない。昭和前半には市電を使って銀座へ毎日のように出かけていた。震災後の銀座には「カフェー」がたくさんできていて、荷風はそこにも通った。「カフェー」というのは、喫茶店ではなく、またキャバレーやバーとも違うようだけど、「女給」という名の「ホステス」がいる風俗営業である。女給は原則として無給で、客からのチップが給料というんだから、それでは「自由恋愛」がお盛んになるのも当然だろう。こういう「安直な性風俗」に身を任せる女性が登場する時代になったのである。明治ごろまでは、シロウトは「良妻賢母」で、クロウトは「芸者」という確固としたすみわけがあったわけだが、それが崩れてくるわけである。

 荷風はそれを慨嘆もしつつ、興味津々で観察を続け、女性交際にも利用した。「つゆのあとさき」はその意地悪観察の偉大な成果で、男から男へ軽々と飛び回る女給の君江を主人公にして、周りの男性を辛辣に描いている。昔読んで面白かったが、今度再読して改めて面白かった。人間観察と文章で読ませるのである。それが何だという世界には違いないが、やはりどんな世界でも生き生きした人間は面白いのである。君江の勤めるカフェーは松屋の先と書かれているが、もちろん今は何もない。というか、そもそも現実のカフェーはその辺りではない。荷風が一番通った「タイガー」とか「モナミ」というのは、中央通りを新橋方向へ行った6丁目、7丁目のあたりにあった。

 君江はある日、通勤途中に日比谷で降りて占いに運勢を見てもらう。しかし、はっきりと相談しないから、占いも大した話にならない。というのも街巷新聞なる銀座周辺の小新聞に、君江のほくろがどうだとかいう変な記事が載って心配したのである。それを知ってるのは数人の男しかいないはず。という「日常の謎」が話の発端で、君江のパトロンの通俗人気作家清岡など様々な男が登場する。この清岡の妻も登場するが、引退して世田谷に住む清岡の父をひんぱんに訪ねる良妻で、この二人だけがある程度まともな人間。後は時代の波に乗ろうという世俗の人物ばかりで、その様々な様子が辛辣に描かれる。

 ところで、君江は市ヶ谷近辺に住んでいるのだが、その辺りは貧民街に描かれている。そこからどうやって通うかというと、四谷から半蔵門、桜田門、日比谷、銀座と宮城(皇居)の西を回る市電路線が当時はあったのである。(今の地下鉄にはそういうルートがない。)それで通勤する途中で日比谷で途中下車できるわけである。しかし、帰りは銀座ですぐに市電やタクシーに乗ると、嫌な客に家を知られる恐れがあるので、ちょっと日比谷辺まで歩いてから帰るようにしている。結構、苦労もあるのだ。

 ところで、明治時代に東京の「三大貧民窟」の一つと言われたのが、四谷の鮫が橋である。と言っても今の東京人には全くなじみがない地名だ。今は地名が無くなっているので判らないけど、四谷駅西南の低地地帯がそのあたり。君江が住んでいるというのは、もっと北の三栄町、新宿歴史博物館があるあたり。その一帯も坂が多い。坂の下が湿地となり、ゴミゴミした家が立ち並ぶという構図は東京の基本構造である。君江はある日、別の男に言い寄られタクシーで家に一緒に行くことになる。家の近くで降り(家の前までは車は入らない)、そこで待っててと言うが、男は待ちぼうけを恐れて付いてきて、うっかり溝に足を踏み入れてしまう。だから、待っててと言ったじゃないというところである。一方、あまりに多くの男に不義理を重ね、津の守坂でタクシーから降ろされてしまい、怪我してしまうこともある。津の守坂というのはこんな感じ。
  
 その地域は坂が多く、今は坂でもマンションなどが立ち並ぶので、貧富の差は見えてないわけだが、昔は確かに密集した住宅地だったろうなと思わせる。坂を登り切った上が防衛省で、戦前は陸軍士官学校、戦後は東京裁判が行われ、自衛隊東部方面総監部があった時代には三島事件の現場となった。君江が住んでいるのは、ちょうどそういう場所から近い坂下の貧民街ということになる。三枚目が防衛省。
  
 君江は清岡とのゴタゴタで気分が落ち込んでいると、歩いていて旧知のおじさん(川島)という老人とバッタリ会う。東京に家出してきた時分に、芸者の友人宅で見かけた人物だが、会社の金を遣い込んで懲役にいった。どうやら出てきたばかりらしい。つい話し込み、家まで連れてきてしまう。この川島老人と出会って、最後に人生を考えて一応の終り。市ヶ谷駅前には亀岡八幡宮があって、君江もそこまで行って東京を眺めたりしたこともある。今も急坂を上るが、周りはビルだらけで何にも見えない。「つゆのあとさき」という小説は、東京という町を主人公にした都市小説なのではないかと思う。今のように、性風俗がもっと自由になったかに見える時代になっても、人間の本質はそう変わるわけではなく、今も新鮮に読める理由はそこにある感じがする。写真は亀岡八幡宮のようす。(荷風散歩は、もう少し涼しくなったら「すみだ川」「濹東綺譚」の散歩をしたいと思っている。)
   
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荷風散歩「腕くらべ」

2014年08月19日 23時30分41秒 | 東京関東散歩
 永井荷風の傑作「腕くらべ」の関連散歩。もちろん今の猛暑のさなかに散歩したのではなく、一月ほど前の散歩。いつでもいいので放っておいたけど、そろそろ書いておこうかな。「腕くらべ」という小説は、慶應義塾大学教授を退任した荷風が1916年(大正5年)~1917年にかけて雑誌に連載し、1917年に発行されたものである。いわば「満を持した」傑作だと思うが、発行時には1万数千語を削除していて、別に無削除版を私家版を50部作り周囲に配った。この配慮は、作中の性的シーンの描写に関するもので、戦後になってからは「私家版」が定本となっている。確かに荷風としても、当時の小説として、結構あけすけな描写があるのは事実である。

 しかし、「腕くらべ」の面白さはそんなところにあるのではない。新橋芸者の世界を扱い、芸者の周囲にいる男たちを描写し、一種の「社会小説」を目指したものであると思う。舞台からして「狭い世界」を扱っているけど、ある程度自由(金銭的にも、性的にも)な女性は当時芸者の世界を除いて成立していなかった。もちろん、芸者の世界には「ほんとうの自由」はない。そこにあるものは貨幣に規定された「架空の自由」でしかない。それが判ったうえで、一種の「遊び」として「男と女のかけひきとだましあい」が行われる。それを自在に描くことで、フランスやイギリスの風俗小説のような味わいの小説を成り立たせている。しかも、サブ人物に面白い人が多く、余韻ある物語になっている。

 荷風はこの後に書いた「おかめ笹」の方が優れていると佐藤春夫に語ったそうだけど、その「おかめ笹」という小説は面白いし、他に前例のないような完全風刺小説として評価はできる。でも、登場人物の誰にも感情移入できない物語は、時代がたって風俗習慣が変わってしまうと面白みが減ると思う。今は登場人物が面白い「腕くらべ」の方に軍配が上がるのではないか。この小説には主に銀座周辺という主舞台の他に、文人倉山南巣という副筋の重要人物が隠れ住む「根岸の里」、および「森ケ崎」という場所が重要な意味を持っている。このうち、根岸は正岡子規や林家三平で知られる町だけど、今は全く面影もないので、また別の機会に散歩することにして、今回は訪ねていない。

 さて、ある日のこと、帝国劇場に行くと、吉岡芸者駒代がばったり再開するシーンが冒頭である。7年ぶりぐらい。昔の馴染みなのである。駒代は10代、吉岡も20代前半の学生時代に、お互いに熱をあげた間柄である。しかし、吉岡の年齢からして「落籍」はありえない。大学を出て洋行することになり、いつの間にか二人の間は切れてしまった。吉岡は今や30代となり、保険会社の気鋭の出世頭で、妻子を持つとともに、なじみの芸者にも一軒店を持たせている。仕事に使うためで、あえて美人の評判の立たない芸者を選んである。一方の駒代は吉岡と切れた後、20歳を過ぎて身請けの話を受け、秋田に行って老人の後妻となる。しかし、夫に死なれて、身寄りもないまま他に行くところもなく、元の新橋に戻って間もない。

 さて、その再会の場所の帝国劇場。渋沢栄一らが出資し、日本にも本格的劇場をと建設されたものである。1911年に完成しているから、この小説当時は東京の最新スポットの一つだったわけである。当時は歌舞伎なども上演し、そういう時に吉岡と駒代が行ったのだろう。ロシア革命で大量の亡命者が出た大正中期には、第一次大戦下の欧州を逃れて、ロシアの本格的オペラが帝劇で長期公演した。荷風も毎日通って見たことをエッセイや日記に残している。この時代は「今日は帝劇、明日は三越」と三越のキャッチコピーがうたうような、東京名所だった。震災で崩壊し、再建されるも、昭和になると外国映画のロードショーに使われる。戦後も映画館だった時代もあり「アラビアのロレンス」は帝劇で公開されたらしい。その後解体され、現在の建物は谷口吉郎設計で1966年完成。お堀端に壮麗な姿を誇り、東宝系の重要なミュージカルはほとんどここで初演された。(屋根の上のバイオリン弾き、ラ・マンチャの男、レ・ミゼラブル等々) 
 
 吉岡はさっそくその日に駒代を呼び、早業でよりを戻してしまう。(というのは、芸者と体の関係になって「なじみ」の関係を復活させるということだけど、その早業ぶりは是非小説で確認を。)吉岡は見受けを持ちかけるが、駒代はありがたいとは思いつつ、秋田での経験を経て、男が死んだり心変わりしたら女は生きていくすべがない現実を深く知ってしまい、どうしてもためらいがちになる。ある日、吉岡と遠出するつもりで雨の日なので、森ケ崎にある置屋の別荘にこもることになる。翌朝、吉岡は仕事で早出してしまい、残った駒代はたまたま来ていた歌舞伎役者瀬川一糸と出会い、もともとファンだったこともあり関係が出来てしまう。

 この「森ケ崎」ってどこだ。全く判らない。架空の地名か。湘南あたりの地名かと思ったら、調べてみたら東京都大田区にある地名だった。JRの駅からは遠いが、大森駅の東南のあたり。今行くなら、東京労災病院のあたりというのが一番通じるかもしれない。「平和島」という埋立地に競艇場や温泉がある。そこを南に少し行ったあたりで、いま東京で「海を感じる」ためにこんなところを思い浮かべる人は誰もいないだろう。でも江戸時代は品川が宿場町で海があったわけで、大正時代にはこの大田区の森ケ崎(地名では大森東)が東京に一番近い行楽地として栄えた時代があったのである。鉱泉が湧き、海辺の旅館が立ち並び、府下で一番の温泉地として有名だったらしい。当時は東京府荏原郡大森町である。労災病院近くの大森寺(だいしんじ)に、鉱泉の碑が作られている。(碑は逆光で見えにくかった。三枚目の小さな寺が大森寺である。)
   
 森ケ崎には今、「森ケ崎水再生センター」が作られていて、その上が森ケ崎公園になっている。公園に登って行くと、見晴らし台がありかろうじて海が遠望できなくもない。対岸が東京港野鳥公園。羽田にも近い。そんなロケーションである。近くには森ケ崎観音という寺もあり、昔は海辺で栄えていた歴史を物語っている。
   
 いや、そんな場所が都内にあったとはビックリの発見である。さて、物語はこの後、瀬川に傾く駒代に対し、瀬川と吉岡はどう対応するのか、他の芸者はどうするかと「腕くらべ」の読みどころ。しかし、その男たちの気風の変わりようを年長世代の声を借りて批判するのも読みどころである。荷風からすれば、明治が終わり、気風は変わってしまったのである。まさに「第一次世界大戦下の物語」だったのである。日本の「成金時代」、アメリカで言う「金メッキ時代」のような頃だった。駒代は芸者である以上、客の要望に応えないわけに行かない、その悲しさ。男は男でまた、様々な思惑で芸者と付き合う。いい大人が単なる恋愛感情のみで動くわけにもいかないのである。かくして、新富座で瀬川一糸の公演が始まる。駒代にとっても腕の振るいどころであるが、そこですべてが発覚してしまう。そんな時に置屋の女将も倒れてしまい…。さて、その舞台となる新富座だけど、もう今はなき歌舞伎劇場である。守田座が焼け、新富町に移って1876年に開場した。明治の歌舞伎黄金時代を支えた劇場だけど、震災で被災したあと復活出来なかった。現在は京橋税務署と東京都中央都税事務所が建っていて、そこに説明のプレートが立っている。近くに役者用の足袋で有名な大野屋という店が古い風情で残っていて、明治の情緒をちょっと感じさせる。
   
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ホドロフスキー「リアリティのダンス」

2014年08月18日 23時43分12秒 |  〃  (新作外国映画)
 アレハンドロ・ホドロフスキーという83歳になる伝説的な映画監督の23年ぶりの新作、「リアリティのダンス」は、驚くべき映像力で見る者の心をつかんで離さない傑作だった。大画面で是非見て欲しい映像美だ。ホドロフスキーは、1970年に公開された「エル・トポ」というカウンターカルチャーを代表する映画を作った監督である。当時のキネマ旬報に金坂健二が紹介していたが、まさか日本で公開されるとは思っていなかった。1973年の「ホーリー・マウンテン」、1989年の「サンタ・サングレ 聖なる血」も公開されたが、題名から感じられるように、ヒッピー文化、精神世界などを背景にしていて、僕も面白く見た。しかし、その時点でホドロフスキーという人にはほとんど関心がなかった。
 
 アレハンドロ・ホドロフスキー(ALEJANDRO JODOROWSKY 1929.2.17~)はチリ北部の港町トロピージャで生まれ、その後首都サンチャゴに移り、大学時代に「天井桟敷の人々」に感動、パントマイムに熱中して大学を中退。フランスに渡ってマルセル・マルソーと出会い、55年のマルソー来日公演に一緒に来ていたという。60年代に劇作家アラバールと知り合い、メキシコでアラバール原作の長編映画を監督した。こうした来歴があって、ようやく「エル・トポ」の大ヒットになる。その後「DUNE」の映画化がとん挫して、映画界からは遠ざかり気味になる。その間何をしていたかというと、コミックの原作者として一番活躍していたようで、日本で翻訳されたコミックもけっこうある。知らないことは多い。

 映画はそのホドロフスキーの自伝的な要素が大きく、実際に前半は生まれた町のトロピージャで撮影されている。と言っても、それは後からパンフなどで判ることで、見ているときはよく判らない。トロピージャは学校で使う世界地図にも載っている。チリ最北ではないが、もう国境にごく近い所にある小さな港町。映画は世界大恐慌の時代という設定で、経済的に苦しい時代だが、今も貧しいままで、ほとんど昔のまま変わっていなかったと監督は語っている。大きな青い空、海と鉱山と砂漠と貧しい人々が作る幻想の中のような町である。最初にサーカスの場面が出てくるが、一種フェリーニや寺山修司などのムードで始まり期待させる。が、幻想の質はどんどん過激になり、過酷な歴史に翻弄される一家の運命が華麗なる映像で展開されていくのである。

 一家はウクライナ系ユダヤ人(パンフにロシア系とあるけど、店名を見ればウクライナとある。ロシアとウクライナは違うと、今では新聞に毎日出ている。)で、父は強権主義的な共産主義者で、スターリンの写真を飾っている。母はオペラ歌手になりたかったということで、映画ではすべてのセリフをオペラ風に歌う。これだけで「並のリアリズム映画ではない」ことがよく判るが、そういう境遇に育つアレハンドロは学校では少数派としていじめられる。靴磨きの少年と赤い靴を交換するエピソード、両手をなくした労働者、空から降ってくる魚、スラムの火事、ペストの患者たちへ水を運び感染した父を放尿で治した母…等の、奇抜で、もの悲しく、原色が印象的な驚くような映像喚起力に魅了される。

 その後、父は独裁者イバニェス大統領を暗殺しようとサンチャゴに向かい、おかしな犬の品評会で友人を助けるつもりで大統領を救う。その結果、大統領の馬の飼育係になることに成功する。その白馬が圧倒的に素晴らしく、忘れられない映像が続く。奇妙な先輩の飼育係、大統領暗殺の失敗、記憶喪失、椅子作りの聖人、警察の拷問など息つくヒマもない展開に圧倒されながら、ただ映像美に釘づけになるしかない。この父は監督の長男が演じている。他にも子どもや妻など一家総動員で作られていて、最後に家族のもとに集うところが感動的である。

 過酷な現代史を背景に、映像イメージの連鎖で家族の歴史をたどり直すような映画で、好き嫌いはあるかもしれないが、映画ファンには見逃せない。僕は圧倒される思いがした。これがホドロフスキーが本当に作りたかった映画なのかと思う。「リアリティのダンス」という題名については次のように語っている。
 「もしあなたが意識的になれば、常に瞬間瞬間で、世界は、人生は変わっていることが分かる。ダンスをしていることが分かります。あなたも周りも全てダンスをしているのです。花が開く瞬間も死ぬ瞬間も、退化していくのも、昼が来て夜が来るのもダンスだと思うのです。ですから「リアリティのダンス」というタイトルをつけました。」
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佐川光晴「おれたちの故郷」

2014年08月17日 23時33分42秒 | 本 (日本文学)
 佐川光晴「俺たちの故郷」は、「おれのおばさん」シリーズの「第一部完結編」と書かれている感動的な物語である。だまされたと思って手に取って欲しい本だけど、第1作「おれのおばさん」から読まないといけない。すぐに読める。話は完全に連続しているので(時系列的に「成長」していくので)、順番に読むべきシリーズ。このシリーズの第1作が出た時はまだブログを始めてなかったけど、第2作「おれたちの青空」、第3作「おれたちの約束」と紹介記事を書いてきた。今回も書かないわけにはいかない。

 前に書いた記事から引用するけど、「おれのおばさん」は、「東京の名門私立中学に通う陽介は、父の逮捕をきっかけに一家離散。母の姉、恵子おばさんが切り盛りする札幌の児童養護施設「魴鮄(ほうぼう)舎」に居候することに…。「生きる力が湧いてくる!」と話題沸騰、感動の青春小説。」続く「おれたちの青空」は、「父親が服役中の陽介、虐待の記憶に苦しむスポーツ万能の卓也。魴鮄舎に暮らす仲間も高校受験を迎えている。受験を控えたある大雪の朝、卓也は「家出」を敢行するが…。人気シリーズ第2弾。」ということになる。

 第3作の「おれたちの約束」では、主人公たちの世代は中学を卒業し、陽介は仙台の私立進学校に、友人の卓也はバレーボールの推薦で青森の強豪私立校に進学した。そこで起こる多くのドラマ、そして学園祭のさなかに起こった大地震と大津波。この大地震は現実の「3・11」とは時期や時間が違っている。原発事故の問題も出てこない。東北に起こった大地震というところだけは共通している。そのような環境で高校生活が始まった。

 今回の作品では高校2年生になっていて、卓也が進学した青森大和高校は春高バレーを2連覇、卓也も日本選抜に選ばれ将来を期待されている。宮城県選抜チームとの震災復興支援のチャリティマッチが企画され、陽介も招待され出かけていく。久しぶりに卓也との再会である。という書き出し。ところが、その夜、魴鮄舎が無くなって今うかもしれないという知らせが届く。札幌市が耐震設計が十分ではない施設を閉鎖していくという方針を伝えてきたというのである。改築には少なくとも2千万円はかかるという。問題はどうも肝心の「おばさん」も継続する意欲を失っているらしいというのである。

 施設を出て高校へ進んだ彼らにとって、帰るべき故郷はどこにもない。札幌の魴鮄舎以外にどこにもない。故郷がなくなるかもしれないと思って動揺する陽介と卓也。卓也はバレーにも力が入らず、気持ちも荒れていく。ついにバレー部を辞めるといって宿舎も出てしまう。陽介はどうするべきか…。という展開で、またまた友情と人生に関して、熱い感動の物語が進行していく。確かに、陽介の環境など「出来過ぎ」的な部分が多く、自分はここまで恵まれていない(恵まれている部分もあるけど)と思ってしまう部分も多い。このまま進めていくのも大変なのは判る気がする。ここで一端「中締め」は納得できる。次の一年は、普通に考えたら「受験勉強」だし。

 この物語を支えているのは、「おばさん」の存在感である。「おばさん」の人生は、特に2作目で語られている。常に熱い思いで駆け抜けてきた人生だけど、今回振り返ると、漁師をめざし、医者をめざし、演劇をめざし、皆「挫折」してきたのも間違いない。その後にたどり着いた「児童福祉施設」である。だけど、人間そのものの持つド迫力で、恵まれない子供たちの「居場所」を作ってきた。その子供たちの方が、この小説では「おばさん」を引っ張るほどになっている。これが感動で、この小説は今の若い人にも、昔の若い人にも、是非読んで欲しい。「札幌に魴鮄舎があって、そこにおばさんがいる」というのは、もちろんフィクションだけど、それでもそのことを思うだけで生きていく力が湧いてくるようなシリーズである。陽介が大学生になって始まるだろう第二部が待ち遠しい。


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新書で考える戦争

2014年08月15日 23時03分50秒 |  〃 (歴史・地理)
 ずっとしばらく永井荷風関係の本を読んできて、まだ終わり切っていないのだけど、そろそろ違う本を読みたくなってきた。まず新書本はすぐ読めるから手に取る。お金もヒマもないのに、つい新書ならと思って月に一冊二冊ぐらい買ってしまうので、だんだんたまってくるわけである。
    
 まず、島田裕巳「靖国神社」(幻冬舎新書)。宗教関係書を連打している島田氏による靖国神社論。島田氏の本はそれなりに読んできているので、一応読んでみる。賛成や反対というより問題の整理と書いてるけど、まあ整理すればやっぱり批判的にならざるを得ないということが納得できる本。この問題に詳しい人は、あえて読むまでもない本ではないかと思う。僕も内容的に新しく知ったことは特にないんだけど、「みたままつり」が若者の大受けしているという話は初耳。東京新聞の鎌田慧のコラムにあったので、最近は知られてきたのかもしれない。僕は全く知らなかった。細かい話を書くと靖国論になってしまうので書かないけど、初心者向けには悪くないと思う。この本程度のことは大学生なら「常識」になっておく必要があるだろう。ちなみに、僕は靖国神社に一度も行ったことがないけど、他の神社やお寺や教会にも行かない。(東京名所で行ってないところは一杯ある。人が集まる場所は関心がないので。)親をたどると東北になって、西日本の出身がいない。薩長藩閥の靖国神社は、その意味でもともと反感が強い。安倍首相が靖国にこだわるのは、長州藩閥首相だからか。

 岩波新書の半田滋「日本は戦争をするのか-集団的自衛権と自衛隊」豊下楢彦・古関彰一「集団的自衛権と安全保障」の二冊。まあ、これも読んでおかないといけないかなあと思って、買ってしまった。読む意味はあると思うし、頭の整理になるだろう。でも、いままで集団的自衛権について書いてきたことの確認のようなもの。自衛隊の様々なデータは半田書にくわしく、初めて知るようなことも多い。豊下・古関共著は、それぞれの今までの本を受けたもので、今までの本を読んでおかないとあまり意味がない。特に集団的自衛権を考えるためには、豊下「集団的自衛権とは何か」の方がまとまっている。第一次安倍政権時代の本である。そのときの指摘が今も生きている。その後の問題としては、原発事故がある。「北朝鮮のミサイル」が「集団的自衛権の解除」と関係するんだったら、そういう論理付けをするんだったら、「原発審査」に「ミサイル対応」がないとおかしいというのである。全くその通りだな。集団的自衛権の話を聞いてると、「友だちと歩いていて、友だちが暴力を振るわれたら助けないでいいのか」などという人がいる。そういう風に世界が見えているのである。僕がこのたとえを使うなら、「友達と歩いていて、友だちが弱そうな人を見つけてカツアゲし始めたら止めなくていいのか」という方がリアルな設定だと思うが。この場合「一緒に戦う」と「犯罪の共犯」になるわけだ。なりたいということだろう。

 僕が一番面白かったのは、木村靖二「第一次世界大戦」(ちくま新書)。著者は立教大学にいた時代に知っているけど、その後東大教授になったドイツ現代史の第一人者。新書という限られた分量で、第一次世界大戦を俯瞰している。とても分かりやすいし、「世界大戦」「総力戦」といった用語への注意も行き届いている。戦闘の様子にも詳しく、コンパクトに大戦が理解できる。もちろん「大戦」にしぼったことで、ロシア革命やオスマン帝国下のアラブ問題、大戦後のトルコ情勢などはほとんど出てこない。でも、今まで強調されなかった論点が興味深く描かれている、例えば、塹壕戦と「鉄かぶと」の問題。最初は鉄かぶともなかったのである。アメリカが連合国側で参戦したことが、ドイツ敗北のきっかけのように思われたりするが、現代戦を経験していないアメリカ軍はすぐには役立たなかったのである。鉄かぶとも持ってなくて、急きょイギリスに40万個を発注したとある。新兵器(毒ガス、戦車、飛行機等)ばかり注目されるけど、もっと身近な問題があったのである。またヴェルサイユ条約も今までのような理解ではなく、非常に過酷な条約がナチスを生んだという通説的理解も今は否定されているという。第一次世界大戦100年の今年、読んでおきたい本。

 熊谷奈緒子「慰安婦問題」(ちくま新書)は、まあ役に立つ本ではあると思う。著者は1971年生まれの国際大学大学院の専任講師。全く知らない人で、この問題に今まで発言していないと思うけど、国際関係論が専門とある。国際大学というのは北岡伸一学長で、北岡氏の紹介で出せたようにあとがきに書いてある。文科省の科研費による研究成果とも書いてある。そういう「研究」が成立する時代となったのか。ある意味で、「慰安婦問題」のメタ研究と言える本だけど、アジア女性基金と女性国際戦犯法廷を両方評価するような感じの描かれ方はどうなんだろうか。「慰安婦」問題で「今まで分かったことの整理」という意味では、かなり有効だと思う。特に「戦場の性犯罪」が「慰安所」があっても防げない理由の説明は判りやすい。ただ、論点の紹介と整理が中心なので、「慰安婦」問題の被害者の声や全貌は余り描かれていない。だから、この本だけ読んでも分かった気にはならないだろう。「慰安婦」問題は複雑で重い問題をはらむので、なかなか書きにくい。どこでも同じ様態で「慰安所」があったわけではないので、何を標準とするかでずいぶん違ってくる。ただし、アジア女性基金で、「総理大臣のお詫びの手紙」がついている意味は大きいと僕は思っている。それがどれだけ不十分なものであれ。そのことの重さを否定するような言辞をしてはいけないと思う。この問題は、「メタ研究」も不可欠で、「慰安婦問題はどのように扱われてきたか」を検討しないといけないのは当然。でも問題が大きく取り上げられてから20年ほども経っているから、問題そのものを知らない人もいる。問題を全然知らずにバカな発言をする人がいるのは、その人の生き方を表わしているとはいえ、無知でも発言してしまえる現状もおかしい。この本はある程度慰安婦問題に関心がある人向けの本ではないかと思う。

 渡邉大門「謎とき 東北の関ヶ原」(光文社新書)も読んだ。関ヶ原当時の上杉景勝、直江兼続などの真相を探る本。つい、買っちゃう。内容は説得的。だいぶ前に読んだけど、黒田基樹「戦国大名」(平凡社新書)を読むと、戦国大名研究もずいぶん進んだことに驚いた。資料的に一番残っているのが、関東の後北条氏だというのも知らなかったけど、今までの常識がずいぶん否定されている。楽市楽座なんかも、信長の発明ではなかった。この本はスラスラ読めるかと思ったら、数日かかってしまった。ほとんど論文集に近いので。戦国大名をアイドル視しているような人もいるが、「研究とはどういうものか」を知るためにもこの程度の新書にはチャレンジしてはどうかと思う。こういうのが歴史研究なのである。
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やっと外出、映画を見に行く

2014年08月14日 23時22分58秒 | 日記
 そろそろ新規の記事を書きたい頃だけど、事情があって帰りが遅くなってしまい、その事情を含めて日記風に書いておきたい。疲れているなとは思っていたけど、こんな真夏に風邪を引いてしまうとは思わなかった。結局、大事を取って3日寝ていた。夏に冷房にやられてのどが痛くなることは今までもあったと思うけど、せき、のど、鼻水、発熱など普通の風邪の症状が(そんなにひどくないけど)一通り出たのはビックリ。歳とったんだなあと思った。

 さて、ようやく今日は外出しようと思う。映画で金曜日で終わるのがあるから、まあ見ておこうと思う。そうしたら、地元駅で電車が完全ストップしていた。完全というのは、上下線とも全く動いていないということである。架線故障というけど、駅の手前で停まっている電車が見えている。あれま、あんなとこで。放送では復旧に1時間以上かかるという話だった。そこで、振替輸送というのを初めて利用した。今まではその駅で待っていたことが多い。その方が早いのである。でも、今回はバスを使えば、いろいろ行き方がある。振替キップというのを貰って、バスで日暮里舎人ライナーというのに初めて乗った。高い所から地元近くを見ていくのも面白かった。

 それで日暮里着。ここで行先を変更しても良かったんだけど、明日も事故があったら見られないかもしれない、と思って予定通り大森へ行った。キネカ大森で名画座二本立てを見るつもりだったので。ところが一回目の上映には間に合わないけど、2回目までには相当余裕があるという時間に大森に着いた。そこで駅の近くで行くところはないかと思い、今まで行ったことがなかった馬込文士村資料展示室に行ってみた。大森駅西口はもう坂の町で、坂を登ると雰囲気がまるで違うので驚いた。駅前の天祖神社に上る坂に、文士村を代表する作家、著述家、画家等のレリーフが出来ている。尾崎士郎、宇野千代を中心に、今話題の村岡花子もいる。

 実は村岡花子が住んだのが大森(東京都大田区)で、家は「赤毛のアン記念館 村岡花子文庫」として残されている。もっと話題になってもいいかと思うと、休館中である。資料を村岡花子展に貸し出してしまっているので。でも、まあ外観は見られるんだろうと思う。今日はどうせカメラは持ってなかったのだが。村岡花子人気を当て込んで、大森駅構内では文士村マップが配布している。それを見れば村岡花子が通った教会なども知ることができる。他の作家の情報も入手できる。いずれまた。

 さて、映画は「ほとりの朔子」と「ニシノユキヒコの恋と冒険」の2本立て。どっちも長すぎと思うが、まあ悪くない。「ニシノユキヒコ」は川上弘美の原作を好きな人には満足できるのではないかと思う。僕はこの作前後から川上弘美さんの本をあまり読んでないのだが、どうもこれは何だという感じの方が強い。僕には尾野真千子しか魅力的に見えないんだけど。
 「ほとりの朔子」は非常に新鮮で、今年の収穫だと思う。公開時にも気になったけど見逃した。浪人生二階堂ふみが、叔母について東京近くの海辺の町へ来る。昔住んでいた家で、今は姉がいるがヨーロッパに旅行に行く。留守番に義妹の娘を連れて、インドネシア語の翻訳の仕事に集中するために来たのである。そこで昔の男友達、その甥っ子の高校生、男友達の娘などなど、だんだん人間関係が判ってくるけど、日常の中に結構ドラマがある。それを二階堂ふみの朔子が感じ取っていく「ある夏の終りの物語」。このさりげなさの中に現代を描く構造が心に残る。「空気感」という言葉は好きではないけど、この映画でかき乱される感情は「画面の空気感」によるところが大きいと思う。非常に面白かったので、機会があれば是非。二階堂ふみがすごくいい。
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「九条俳句」掲載拒否問題②

2014年08月09日 22時48分21秒 | 社会(世の中の出来事)
 さいたま市の公民館が、俳句教室で選ばれた「九条守れのデモ」を詠み込んだ句を月報に掲載しなかったという問題。僕には最初この公民館の対応が全く理解できなかった。要するに俳句である。中身に憲法やデモが出てくるからと言って、それを掲載したら「世論が二分されている問題」に関して「公民館の考えを表明した」と受け取る住民がいるのだろうか。さいたま市の市民の「民度」はそこまで低いのか。それともさいたま市の公民館職員は、地元の住民を「愚民」ととらえているのだろうか

 そのどちらだとしても、社会教育法の趣旨から言って大問題だろう。もし実際に「この俳句を掲載するとは公民館は偏っている」と抗議してくる人がいたら、そのときこそ公民館の出番ではないのか。これは活動団体が自主的に選んだもので、公民館は活動団体の自治に介入することはしないと言えばいいではないか。反対意見があれば、反論を書いてもらって掲載すればいいしその問題に関する討論会を開催すればいい。そんなことを言うと、そんな「理想論」は通用しないとい言われるのだろうか。しかし、そういう人は「社会教育法」を読んでいない人である。(太字引用者)

第二十二条  公民館は、第二十条の目的達成のために、おおむね、左の事業を行う。但し、この法律及び他の法令によつて禁じられたものは、この限りでない。
一  定期講座を開設すること。
二  討論会、講習会、講演会、実習会、展示会等を開催すること
三  図書、記録、模型、資料等を備え、その利用を図ること。
四  体育、レクリエーシヨン等に関する集会を開催すること。
五  各種の団体、機関等の連絡を図ること。
六  その施設を住民の集会その他の公共的利用に供すること

 公民館(あるいは地域センターとか文化センターなどと言われる場所)は、文化、体育、レクなどの活動だけの場所ではないのである。討論会、学習会などを行うことは、本来の設置目的なのである。なお、第二〇条の目的を引用しておけば、以下のように書いてある。
第二十条  公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする。

 そもそも公務員は憲法九九条により、憲法擁護の義務がある。だから護憲改憲に関して「世論を二分する」としても、改憲論の方に与していると思われたら問題だろうけど、護憲の主張を載せることには何の問題もないはずである。
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 ところで、「公民館の考えと誤解される恐れがある」というのが当初の不掲載の根拠である。「そういう論拠で批判、攻撃してくる人がきっといるだろう」と想定しているわけだ。そういう批判は理性的な討論会なんかできるようなものではない。だからタテマエばかり言われても困るというのが実はこの問題の本質だと思う。寄せられるのは「批判」ではなく「クレーム」であり、問題は「クレーマー対応」なのであると公民館の側では思っていることだろう。

 批判してくる(と想定される)人も、俳句が公民館の考えなんかでないのは承知のうえで、難癖をつけることが目的なのである。「行政は住民(国民)に奉仕するべきサービス機関であるのに、一定の立場を主張するような意見を載せてどういうつもりだ、どう責任を取るんだ」などと直接、あるいは電話、電子メール、ファックス等で怒鳴られ続ける。インターネットで口汚くののしられ、「悪評」がどんどん拡散する。その結果、もはや他の仕事をする余裕もなくなってしまう。そういう事態も想定されなくもないのだから、公民館としては利用者の安全のためにも、万が一にも批判(クレーム)を受けないようにするのが正しい対応なんだという訳である。今の「ネット右翼」などという存在を見ると、あながちその想定を無視することはできない。

 でもそれでいいのだろうか。公務員とはタテマエを掲げる存在でなくてはいけないのではないか。憲法とその下の法律、条令等に従って仕事をするのが公務員の役割なんだから、ここで引いてはおかしい。一般行政はともかく、社会教育を担当する部署としては、あくまでも「批判があれば討論しましょう」というのが正しいだろう。一歩譲ると、どんどん守るべきラインが後退してしまう。公務員はもちろん、国民全員が「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(日本国憲法第十二条)のである。この公民館は「不断の努力」をしていないのではないか。そして、それは我々全員に関係のあることである。われわれは国民の一員として「不断の努力」で、自由と権利を守ろうと努めているだろうか。

 この問題は公務員の処遇や業績評価にも関係があると思うが、長くなるので省略する。「公務員を競争させれば行政が良くなる」などという発想では、数字で測る業績評価が難しい公務員の世界では「自分が担当の時に問題が起きなければマイナス評価を受けないだろう」となりがちだろう。ところで、掲載拒否に反対する人々は市民集会を開いたと新聞に出ていたが、一方「改憲派」の方はどう思っているのだろうか。この俳句は「護憲俳句」だとされているのだから、批判してくる方は「改憲派」と想定しているのである。改憲派の中には、「たかが俳句」に目くじらを立て公民館に文句を付けてくる輩がいると想定されているのだ。「われわれはそんなに度量の小さい人間ではない」と怒る人はいないのか。それも僕には不思議である。
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「九条俳句」掲載拒否問題①

2014年08月08日 23時58分19秒 | 社会(世の中の出来事)
 ひと月ほど前に、埼玉県さいたま市大宮区の公民館で、ある問題が起こった。そこの公民館では月報「公民館だより」を発行して、活動している諸団体の活動を紹介している。俳句教室も活動していて、会員が互選して選んだ「今月の一句」を「公民館だより」に掲載することになっていた。ところが7月号(6月30日発行)には、会員が選んだ俳句が掲載されなかったのである。発行前に「公民館の意見と誤解される恐れがあり、掲載できない」と俳句教室に連絡があったのである。このことは7月4日の東京新聞が大きく報じ、他紙も後から報じた。

 その一句とはどのようなものかと言うと、次のようなものである。
  梅雨空に『九条守れ』の女性デモ
 
 この問題は小さいようでいて、現在の日本社会を鋭く照らし出すような問題だと思って、当日のFacebookには紹介しておいた。ここで書かなかったのは、新聞に掲載されたことで「いずれ掲載されることになり、一応の落着となるだろう」と思ったからである。日本社会では「誤解される恐れ」があって「自主規制」されても、そのことが大きく報じられて批判されると、一転して「断り書きを付けて何となく解決したように見せる」ことが多い。とりあえず掲載されれば、まあそれでいいのではないかと思ったのである。

 ところがさいたま市教委は、今後も掲載しないと言い続けている。清水市長も「(掲載拒否は)おおむね適正だ」などと語っている。そして29日になって、さいたま市の稲葉康久教育長は「今後も掲載しない」と記者会見で語った。「世論を二分しているものは月報にそぐわない」というのである。どうも今後も固く不掲載を続ける意思のようなので、一体そのことはどういう意味があるのかを考えておきたいと思うのである。「公民館のあり方」に関しては次回に書き、今日はまず「俳句の表現」と「世論を二分する」の意味を考えたいと思う。

 さて、先の俳句はそもそも「世論を二分しているもの」なのだろうか。僕も公民館の月報という性格から、あまりに一方的な意見の開陳、政治的・宗教的な立場の表明などはふさわしくないだろうと思う。たとえば「郷土史研究グループ」の活動紹介に「原発や集団的自衛権などに関する勉強もしています」とあったら、「郷土史には関係ないだろう」と思う。だから書き直しを頼んでみてもいいだろう。でも「誰でも参加できる読書会」というグループがあり、「最近は原発に関する本を読んでいます」というのはどうだろう。事実そういう本をまとめて読んでいるんだとしたら、原発に関心を持っていない人は来ない方がいいんだから、書いておいた方が親切な情報だろう。そして、そういう原発学習グループが公民館で活動するのも、もちろんあっていいい、というかむしろ望ましいことである。

 先の俳句は70代女性の作句で、新聞記事によれば、6月に女性のデモを実際に見て詠んだという話である。本人は確かに「護憲を訴える俳句」というつもりで作ったらしい。だから「世論を二分する問題」だと市長や教育長がとらえたのは、「正確な読解」というべきかもしれない。「梅雨空」と「女性」の対比で、うっとうしい気分がデモを見て晴れたと読解するのが普通かもしれない。しかし、論文やエッセイではなく、さらに短歌より14文字も少ない俳句では、表現できる余地が少ない。現に時事問題を扱った短歌が多いことで知られる朝日新聞の朝日歌壇に対し、同頁に掲載される俳句欄では時事俳句がほとんどない。この俳句もベースは「写生」であって、解釈は読者にゆだねられているというべきではないか。梅雨空の下で女性のデモに出会い、ますます気分が晴れなくなったと改憲派が解釈しても間違った解釈だと言えるのだろうか。

 日本国憲法第9条に関しては、言うまでもなく護憲、改憲の意見がある。だから、憲法改正の是非に関しては「世論を二分する」のは間違いないけれど、この俳句そのものは意見を言っているわけではない。それは俳句という芸術表現である以上、当然のことである。憲法に関して意見を言いたいなら、新聞に投稿するなり他にやるべきことがある。この人が詠んだ俳句は、たまたま9条を守れというデモに出会って、本人の考えや感情に近かったのだろう、そのときの共感を詠んだというだけのことである。しかも、17文字しかないから解釈はある程度の多義性がある。これを「世論を二分している」問題を扱ったというのが適当とは思えないのである。

 これが掲載するのに不適当な俳句だというなら、どういう内容ならいいのだろうか。
  梅雨空に「原発ゼロ」の女性デモ →これももちろんダメだろう。
  梅雨空に「日韓断交」叫ぶデモ →これももちろんダメ。ちなみにこういうバカげた主張をするデモをする人もいるらしい。その「ヘイトスピーチ」問題は別にして、こういう言葉に変えてみれば、この場合は「梅雨空」が効いて、デモを批判する方向で作った句のように感じないだろうか。デモの主張に賛同して作った句と考えるだろうか。

 では、何ならいいのか。というか「世論を二分しない問題」とは何だろうか。所詮俳句なんだから、季節の移り変わりだけ詠んでいればいいということか。しかし、俳句教室に通う人が詠む、そして皆で選ぶ俳句を権力者の側で規制していいのだろうか。季節の句と言っても、次の場合はどうか。
 冷房を付けずガマンの猛暑かな
 暑さを避ける工夫をした家で扇風機を使っている場合かもしれないけど、これも「熱中症を招く恐れがある」から「掲載にふさわしくない」とされるのだろうか。

 東京五輪には歓迎する世論の方が多いようだけど、反対する人(たとえば自分はそっち)もいるんだから、さいたま市の公民館では触れることができないはずだろう。
 さいたま市と言えば、(大阪と並んで)Jリーグに加盟するチームが複数ある都市である。この問題が起こった公民館は大宮区だというから、大宮アルディージャのファンが多いことだろう。公民館で活動する子供グループなんかにもアルディージャファンが多いのではないか。しかし、さいたま市の予算で発行する月報という立場から言えば、さいたま市には浦和レッズもあるわけで、どちらかのファンに偏った記事は掲載できないとなるはずである。「さいたま市のサッカーファンの世論を二分する」問題に違いないからである。

 まあ、「いじめをなくそう」とか「振り込め詐欺を防ごう」というのなら「世論を二分する」ことはないだろうけど(まさか振り込め詐欺グループが抗議してくるなんてことはないだろう)、そういった行政や警察の広報と同じことしか掲載するなということなのだろうか。もしかして、「市民の自由な創作活動」をなくすことが狙いであって、公民館だよりというものも「行政広報」であればいいと思っているのではないか。そういう発想があるから、「この句は問題だ」と考えるのではないか。しかし、俳句教室参加者が互選しちゃったんだから、細かいことは言わず、「俳句教室で選んだものです」と断りを付けて掲載するという「オトナのふるまい」ということさえ、もう出来ない世の中になっているのか。もう一度書くけど「世論を二分しない問題」というのは何なのだろうか。そして、どうして俳句を作る時に「世論を二分しない問題」しか扱ってはいけないのだろうか。普通に考えていて、判る人はいないんではないかと思うのだが。
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暑い奥日光、涼しい大谷②

2014年08月07日 21時22分11秒 | 旅行(日光)
 もし今日行っていたら、日光市は大雨の警報が出ていた。この地方は夕方にかけて雷雨が多い地方である。今までも何度もあっている。今回は全く遭わなかったけど。さて、前回の続きで中禅寺湖スカイラインを下りてきて、途中の駐車場(今までは勝手に停めている感じだったけど、今は正式に地図に書いてある)に止めて、旧イタリア大使館別荘記念公園に行く。ここは大好きなところで、もう10回以上行っていると思うし、ブログにも載せたのではないかと思うけど、何度行ってもいいところ。ただし、真夏の今回は「アブ除けのうちわ」をくれたように、アブが飛びまわっていた。今回気が付いたのは(というか前にも知っていたのかもしれないが)、設計がレーモンドだったことである。ライトの弟子で帝国ホテル建設時に来日し、各地に様々な建物を残している。
   
 湖に面した建物では、湖面に向かって椅子が何脚も置いてあって、のんびりくつろぎながら湖を眺めていることができる。まあアブを追い払うために、うちわを仰ぎつづけるのが億劫だけど。もっと涼しく、虫もいない季節で客も少ない時などは、本当に寝込んでしまう時もあった。湖を見ていると心が落ち着く。時々、観光船やボートなどが通る時もある。隣にイギリス大使館別荘があったけど、今は見に譲渡され整備、公開されるらしい。フランスとベルギーの大使館別荘はまだ使われている。

 そこからどうしようかなと思ったけど、「ユーコン」(中禅寺金谷ホテルがやっているログハウスのカフェ)で百年カレーを久しぶりに食べてから、光徳牧場へ行った。いつもだと低公害バスで小田代原や西の湖へ行くことが多いが、今回は時間の関係もあり取りやめ。光徳のあたりも気持ちのいいところだが、いつも牧場でアイスを食べるだけ。戦場ヶ原の先を曲がって光徳の方へ行く道も、木々の葉が生い茂り、いかにも夏という感じの道で大好きだけど、運転中に写真を撮るわけにはいかない。光徳牧場も暑くて、いつもは近くで見ることができる牛も、遠くの日陰の方に引っ込んでいた。それも当然で、何も真夏の日向で草食べるなんて牛だっていやだろう。柵が壊れかけているようなところがところどころにあって、これで大丈夫なのかなあと思っていたら、貼り紙を見つけた。「逃げた牛を見つけたら、連絡して下さい」って。おいおい、それじゃやはり逃げるんだ。
   
 遠くで雷鳴も聞こえてきて、もういろは坂を下りようかなとなり、宇都宮で大谷資料館に寄って行こうかなと思った。そこなら絶対に涼しいはず。地底だから、山より涼しい。知らない人もいると思うが、読みは「おおや」で、凝灰岩の一種である。壁や土蔵の材料として関東では広く使われ、特に栃木一帯をドライブすると大谷石の蔵や垣根が多くみられる。地下の坑道跡を公開していて、ドラマや映画、コンサートなどにも利用されている。ずいぶん前に、転形劇場の公演が行われた時に出かけたことがある。けれど、もうよく覚えていない。30年ぐらい前。近づくと異様な石の山が見えてくる。近くに大きな大谷観音などもあるけど、今回はパス。地下の様子は入場券を見た方が早いので、それを最初に。
  
 一番最後の写真の奥の建物が入口。そこから中へ通じていて、今日の温度は11度と書いてある。冷っ、という感じ。体が熱いから、まあ冷ますのにはいいけど、長くいるとだんだん寒くなる。とにかく広い。大きく広がっている場所もあるし、階段をゆっくり降りるところもある。一番下はフラットな空間で、確かにイベントやコンサートに向いている。石のステージみたいな場所もあり、ここは前衛演劇っぽい公演向きか。明るく笑うには、ちょっと寒い。エンヤが歌ったという場所もあり、なるほど向いてるかな。と見ているうちに、ぐっと冷え込んでくる。間違いなく首都圏最冷スポットだ。天然のクーラーというには寒すぎるけど、一度は見てみたい必見スポットだと思った。冬行けば、暖かいだろう。写真は撮れたような撮れないような感じで、調整したらある程度見えてきた。小さいと判らないと思うけど、クリックして拡大するとある程度判る。でも暗い空間なので、よく撮れないのはやむを得ない。
   
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