尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

これからの性教育ー都教委と性教育問題③

2018年04月29日 23時11分47秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 性教育問題を2回書いた。まだ論点は残っているけれど、それは指摘するだけにしておきたい。最大の問題は「なぜ性教育を攻撃するのか」である。都議会で質問されたというけど、君が代処分問題とか夜間定時制廃止問題などは、いくら都議会の質問があっても何も変化がない。都教委で議論もしない。なんで「古賀都議」だとおそれいったかのように対策を打ち出すのか。

 僕が思うに、中学歴史教科書問題などを見ても、都教委と「右翼的都議一派」は「同志的関係」にあるんだろう。お互いに相通じているというか、特別の関係があるから、むげにはできない。質問があった以上、何か「お土産」を差し上げないといけない。そこが野党系都議の質問と違うところなんだとと思う。そして「性教育」と「歴史修正主義」には共通点がある。生徒たちに「出来るだけ真実を教えたくない」という点で共通しているわけだ。

 それにしても、今回のように「保護者の理解」を持ち出していいのだろうか。授業はもともと保護者に公開され、授業内容は報知されていた。それでいいのではないか。もちろん性教育に限らず、保護者の協力と理解は学校運営に欠かせない。だけど、「授業内容」は学校が責任を持って進めていくべきものだ。保護者全員に指導案を事前に見せるなど、「授業の検閲」になってしまわないか。事務的な負担も考えると、都教委はできないことを要求しているとしか思えない。

 そういった問題があると思うけど、それはもうやめて、「これからの性教育」について考えてみたい。僕が思うには、「思いがけない妊娠をしないためには、産み育てられる状況になるまで性交を避けること」という指導の方向性でいいのだろうか。20世紀の段階なら、マジメに中学、高校で学校生活を送っていれば、それなりの就職先や進学先に通じていた。高卒でも大卒でも、一生勤められる正社員になれるんだったら、それまでセックスは我慢せよも通じたかもしれない。

 でも今じゃ、高卒はもちろん、大学まで行っても、なかなか安定した正社員になれないことが多い。またなれたとしても、長時間労働や不安定な労働条件が付いて回る。「産み育てられる状況になれるまで」と言っても、低賃金で不安定な派遣社員だったりすれば、いくつになってもセックスは我慢しないといけないのか。それとも成人にさえなっていれば、以後は自己責任で「性交可」なんだろうか。その場合、「思いがけない妊娠」が怖いというなら、男の場合「フーゾク」に行くのはありなのか。何しろ健康な男子なら性欲があるのが自然なんだから、この問題は大問題だ。

 「思いがけない妊娠」は避けるべきだというのは誰しも反対できない。でも、この言い方でいいのかなと思うのには、二つの理由がある。一つは「妊娠しなきゃいいんでしょ」とイマドキの中学生ならすぐ反論してくるだろう。男女のカップルには妊娠があるけど、同性愛なら中高生がセックスしてもいいの?って言い返す生徒になんて答えるか? あるいは、手や口ならいいんじゃない、ぐらいは言ってくるんじゃないか。そして実際、セックスを強く迫る男子に対して、これでガマンしてと言ってる現状があるんじゃないかと思う。

 また、今じゃ「できちゃった婚」が多いのが現実だ。生徒の親にも、若いシングルマザーがかなりいる。「思いがけない妊娠」を学校が否定すると、生徒の自己否定になってしまう可能性もある。そして、僕が見てきた感じでは、10代で出産する場合も「思いがけない妊娠」ばかりではないと思う。むしろ「できちゃった婚」で、居場所がない家庭と学校からの脱出を目指す場合も多いんじゃないだろうか。確かに若いカップルの場合、離婚してシングルマザーになるケースもかなりあると思う。(あの二人別れたらしいよ、っていうニュースの方が伝わりやすいので、幸せにやってるカップルもいるんだは思うけど。)

 中学3年生はもうすぐ高校生になると、半数以上は電車通学をする。中学でも「学校選択制」があるから電車通学もあるし、高校でも近くの高校へ自転車で通う場合も多い。でもやっぱり区部の周辺部からだと、電車で都心の学校へ通学することが多い。そうなるとどうなるか? 女子高生はすぐに「痴漢問題」が起きるのである。その一方で、進学校はともかく、それ以外だと夏休み頃には多くの生徒がアルバイトを始める。バイト先で先輩には言い寄られたりするが、それがなくてもお金が出来たことでオシャレ度が違ってくる。そういう段階がもうすぐ来るのである。

 そんな時に、どのような性教育が必要なのか。「性の商品化」「性暴力」「セクシャルマイノリティ」などの観点が必須だろう。その中で、「人間の尊厳」という意味で、いじめや自殺防止なども含めたプログラムが必要だろう。もちろん性的に進んだ生徒ばかりではない。男女とも、容姿や体形、運動神経などにコンプレックスを持ち、異性に関心を持ちながらも声もかけられない生徒も多い。しかし、そういう場合こそ、風俗産業に引き寄せられやすい。授業で取り上げるにはハードルが高いけど、タテマエ論だけで性を論じられるじだいではない。もうすぐ生徒たちは「性産業」のターゲットになるんだという視点を抜きにして、これからの性教育は成り立たない。
コメント

総合学習と指導要領-都教委と性教育問題②

2018年04月28日 22時24分12秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 ①で書いたように、都教委は足立区立の中学で行われた性教育の授業を非難している。その理由に「避妊、人工妊娠中絶等といった、学習指導要領上、中学校ではなく高等学校で指導する内容を取り上げた」と指摘しているわけである。そう言われると(評価は別にして)、そういうもんかと思ってしまうかもしれない。でも、僕の考えでは、その大前提を疑ってみる必要がある。

 当該の授業は「総合的な学習の時間」(以下「総合学習」)で行われたものである。しかし、都教委が指摘するのは「中学校学習指導要領 保健体育(平成20年3月 文部科学省)」である。えっ、「総合学習」は関連教科の学習指導要領に縛られているのか? そんな話は文科省もしてないんじゃないか。これじゃ「総合学習」は成り立たない。全国の「総合学習」のほぼすべては、学習指導要領違反になってしまうんじゃなかろうか。

 総合学習の指導要領の方を見てみると、「各学校においては,第1の目標を踏まえ,各学校の総合的な学習の時間の内容を定める。」と明記されている。ちょっと長くなるが、「目標」の方を引用しておくと「横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに,学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的,協同的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにする。」というものである。

 学習指導要領も「官製文書」だから読みにくい。だけど要するに、「自ら考え、主体的に判断する能力を育成し、自己の生き方を考える」といった目標のために、「各学校が総合学習の内容を定める」というのである。じゃあ、中学の総合学習で「避妊」に触れたって何の問題もないじゃないか。その通りである。授業内容に関する批判はもちろんあっていい。だけど、学習指導要領に反しているというのは明らかに間違っている。文科省は都教委を指導した方がいいんじゃないか。

 各教科と総合学習は何が違うか。教科で扱うことは、生徒に理解させないといけない。筆記や実技で教師が生徒の理解度を確認し、結果を5段階評価で示す。だから発達段階に応じて適切な内容じゃないと確かにまずいだろう。でも「総合学習」は数値による評価はしない。生徒が「自己の生き方を考える」ための学習なんだから、一生懸命に取り組んだかどうかを文章で評価する。大人が「学習指導要領に出てない」などと「自粛」してしまえば、本気で取り組んでないというメッセージになって逆効果でしかない。指導要領なんかの縛りを超えて、きちんと教えようという「本気度」を見せないと、生徒の意欲を呼び起こせない。

 今回の都教委の文書は、総合学習に関する悪い「判例」である。これじゃ何もできない。例えば、パラリンピックを通して障害者スポーツに関する学習を「総合学習」で行うとする。生徒が各グループに分かれていくつかの競技を調べて発表する。発表の場に各競技の選手も呼び、保護者や地域にも公開する。そういう学習に何か問題があるだろうか。しかし、中学校の保健体育の学習指導要領には、障害者スポーツへの記述はない。「車いすバスケットボール」も「シッティングバレーボール」も、もちろん「ボッチャ」も出てこない。よって、これは学習指導要領を超えるものだから、保護者の了解がなければできない…そういうことになるんじゃないかと思うけど、それでいいのか。それとも性教育だけ「ねらい撃ち」するのが目的なんだから、他はいいという言うんだろうか。

 何にせよ、都教委が「自ら考える」ことなど全然求めてないことははっきり判る。「アクティブラーニング」なんか、マトモに出来るはずがないということも。
コメント

「都教委につける薬はない」-都教委と性教育問題①

2018年04月27日 23時21分26秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 2018年4月26日に東京都教育委員会は、「中学校等における性教育への対応について」という文書を発表した。教育委員会の定例会では、中井教育長を除く5人の委員全員が見解を表明したが(内容は後述)、結局このような方針が現場に下ろされれば、「事実上の性教育禁止令」になるのは間違いない。さらに性教育に止まらない大きな問題があるので指摘しておきたいと思う。とにかく、ホントに「都教委につける薬はない」と改めて思い知らされた。

 まず問題の内容を紹介して、それから都教委の方針を説明したい。この問題を初めて報道したのは、僕の知る限り、3月24日付の朝日新聞(前日夜に朝日のサイトに掲載)だと思う。「中学の性教育に『不適切』」「都教委 自民都議指摘受け指導へ」と見出しが付いている。自民党の古賀俊昭都議が3月16日の都議会で「問題ではないのか」と質問したというのである。古賀都議といえば、2003年の七生養護学校事件を引き起こした当事者である。詳しくは書かないが、教育への不当な介入として最高裁で古賀氏ら3都議と都教委に対する損害賠償が確定した。

 問題の授業は、足立区の区立中学校で3月5日に行われた。「総合学習」の時間に3年生を対象にして「高校生になると中絶件数が急増する現実」や「コンドームは性感染症を防ぐには有効だが避妊率が9割を切ること」などを伝えた。そのうえで「思いがけない妊娠をしないためには、産み育てられる状況になるまで性交を避けること」と話した。(以上、前期朝日新聞による。ゴチックは引用者。)何が問題なのか、普通の人には判らないだろう。むしろ「微温的すぎる」という観点から、これで子どもたちの現実に切り込めるのかという方向の批判をするならわかるけど。

 都教委や古賀都議からすると、何が問題なのだろうか。それは今の引用中のゴチックの部分、「中絶」「避妊」「性交」などがいけないというのである。なぜなら、それは学習指導要領では高校で扱う領域だから。都議会での答弁では「避妊、人工妊娠中絶等といった、学習指導要領上、中学校ではなく高等学校で指導する内容を取り上げたり、保護者の理解を必ずしも十分に得ないまま授業が実施されたりしていた旨を答弁した」と書かれている。

 しかし、学習指導要領だけを問題にするわけにはいかない。なぜなら、かつて「ゆとり教育批判」「学力低下論議」があった時、文部科学省は「学習指導要領は最低基準」ということに変えたからである。昔はそうじゃなかった。学習指導要領は「縛り」だった。しかし、21世紀においては「最低基準」なんだから、それ以上をやってもいい。中学3年生の3月と言えば、都立高校の合格発表も終わり、大部分の生徒は進学先も決まっている。もうほとんど高校生である。都教委が率先して中高一貫校をたくさん作ってきたのに、いまさら中学だ、高校だというリクツだけじゃ責任を問えない。

 そこで都教委は14年も前に出した「性教育の手引きー中学校編」なる文書を持ち出し、「指導内容や方法を十分説明し、保護者の理解・協力を得て指導計画を立案する」という文言を持ち出す。「保護者の理解を必ずしも十分に得ないまま」と言うのである。さすが、都教委官僚の悪知恵は大したもんだ。「保護者の理解」って何だ。タテマエ上は誰も否定できないけど、学校が責任を持つ授業内容に「保護者の理解」が必須なのか。そんなことをしていたら、学校教育が成り立たないんじゃないか。一体どうすりゃいいんだろう。

 保護者会を開いて了解を得るんだろうか。しかし、保護者会には全員は出てこない。出席者の過半数の支持があればいいのか。あるいは絶対過半数が必要なのか。いやいや、都教委が言ってるのは、そんなレベルじゃない。「学習指導要領を超える内容を指導する場合には、例えば、事前に学習指導案を保護者全員に説明し、保護者の理解・了解を得た生徒を対象に個別指導(複数同時指導も可)を実施することなどが考えられる」と言うのである。おいおい、マジか?

 事前に指導案を全家庭に配らないといけないのか? そして、生徒個々の家庭ごとに了解あり、了解なしの区分けをして、二本立ての授業をおこなえと言うのである。いやはや、卒業目前の多忙期に、そんなことをしている余裕はない。というか、時期や忙しさの問題以前に、こんな「家庭の了解の有無で、差をつけた授業をする」ことが許されるのか。都教委は現場の状況を知らないわけもないから、これは「事実上の性教育禁止令」以外の何物でもない。こんなことを言われたら、誰も本格的な性教育を行おうと努力するものはいないだろう。

 東京新聞(4月27日付)には各教育委員の発言が載っている。例えば「足立区の中学校を否定すべきでない。」(山口香委員)、「性について正確な情報を与えることが子どもを守ることになる。」(宮崎緑委員)、「現場の先生は委縮せず、積極的にやってほしい」(北村友人委員)等々。現場の教員は委縮するなと言われても…。久しぶりに僕は思い出してしまった。田中真紀子が外務大臣を罷免されたときの言葉を。「スカートを踏んづけられていたので、後ろを振り返ってみると、言っている本人(小泉首相)だった」というあの名言を。その当時の田中外相の評価は別にして、このスカート発言は使える。委縮するなと言っておいて、「スカートを踏んでいる」のは都教委自身である。そして、後から委縮したのは現場が悪いと責めるのである。

 ところで今回は足立区教育委員会は、「授業は人権教育の一環で、問題はなかった」(東京新聞)と言い続けている。また「10代の望まぬ妊娠や出産を防ぎ、貧困の連鎖を断ち切るためにも、授業は地域の実態に即して行われ、生徒と保護者のニーズに合ったものだ」(朝日新聞)とも言う。どこの中学の授業か知らないけど、僕は足立区に半世紀以上住んでいて、東京東部の中学高校で20年以上勤務してきた。東京の中でも、就学援助家庭が多く、学力も相対的には低い地域なのは間違いない。上野や秋葉原などが近いから高校生になれば「JKビジネス」が待っている。また、高校を中退したり、学校に通えない生徒も多い。「避妊」や「中絶」に触れるなとか言ってる場合なのか。「地域の実態」「貧困の連鎖を防ぐ」。この意味が教育委員には判っているのか。
コメント

スピーキングテストに見る都教委の「原理主義」

2017年12月18日 23時24分37秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京都教育委員会が都立高校の入学者選抜で、英語のスピーキング能力を測るテストを導入する方針を決めた。各新聞に出ていると思うが、都教委のHPでは14日付で「『東京都立高等学校入学者選抜英語検査改善検討委員会報告書』について」という文書が掲載されている。この問題をどう考えるべきだろうか。僕は都教委の「原理主義的体質」を見事に表していると思うのである。

 まず「原理主義」(fundamentalism)という表現を説明しておきたい。もともとはキリスト教の一派で「聖書に戻れ」と主張するような人々を「キリスト教原理主義」と呼んだ。それがイスラム教にも援用されて、「イスラム教原理主義」と欧米で使われることが多くなった。しかし、イスラム社会では使わない言葉だという。イスラム教では、もともと「コーラン」(クルアーン)に従うのが当たり前で、「イスラム教原理主義」と表現するのはおかしいからである。

 このように「原理主義」とは、宗教や思想に関して使われることが多い。だけど、「市場経済原理主義」のように、「原理原則」に固執してものごとを考える人々に対しても使われることがある。そのような目で見れば、世の中にはけっこう「原理主義者」がいっぱいいる。右とか左とか、性別や年齢などに関わらず、「現場の現実」に目を閉ざし、自分の信じるタテマエを主張し続ける人々である。

 ところで、そういう人々の「原理原則」とは、実は「一番大きな原理」ではなく、「自分たちが思い込んだ小さな問題」であることが多い。キリスト教の中には、輸血を否定する人もいる。イスラム教の中には、女性はスカーフを被らなければいけないと主張する人もいる。そういうことが経典に明示されているんだったら、全員がそう理解するはずだ。でも、実際は「自分たちがそのように解釈した」というだけのことに固執していることが多い。イエスやムハンマドはそんなことを望んだのか。

 都教委の場合は、「学習指導要領原理主義」だと思う。学習指導要領は文部科学大臣の告示に過ぎないけど、これを金科玉条にして奉る。「10・23通達」で「国旗国歌の(教員への)強制」を打ち出したときも、学習指導要領に則って儀式を運営することが重要とされた。学習指導要領よりも、何よりも一番上位の縛りであるはずの日本国憲法に照らして、「思想・信条の自由」や「表現の自由」に抵触するんじゃないかなどとは問わない。だから、原理主義なのである。

 やっと今回の問題の英語スピーキングテストの問題に入る。都教委の文書を読んでわかるのは、「学習指導要領原理主義」以外の何物でもない。入選では「学習指導要領で定められた範囲で学力を測る」としている。学習指導要領では、英語は「4つの能力」(読む、書く、聞く、話す)を育てるとしている。しかし、今までは「3つの能力」しか測っていなかった。で、いろんな問題はあるけれど、今後「話す力」を測るテストを導入する検討を始めるというのである。

 これを聞いて、僕はなんでそんなことをするんだろと疑問に思った。いいんだよ、3つの力を測るだけで。いや、もちろんできるんならスピーキングテストをやってもいい。でも、入選で一番大事なことは何だろうか。それは「公平性」(受ける生徒にとって、平等に力を測定してもらえる)である。そして、次に「迅速性」だろう。これは採点する側の事情だが、ベストなテストを作っても永遠に採点しているわけにはいかない。一週間で合格発表までのすべての作業を完了しないといけない。

 常識で考えれば、この一番大切な「公平性」をスピーキングテストでできるとは思えない。どうするんだろうか。それは「英語検定」なんかでも同様である。だから、都教委もそのような民間の外部テストと連携するようなことを言っている。でも、高校の入選を高校の英語教員以外が担当してもいいのだろうか。あれほど「個人情報」をうるさく言う都教委である。都立高の入試に使うテストを民間で事前にやってしまうなんてありうるのか。じゃあ、都立高校の英語教員だけでできるとも思えない。

 そもそも「学習指導要領」にそんなにこだわるのが判らない。学習指導要領で中学生が学ぶべきとされているのは、何も英語のスピーキングだけではない。国語だって「話すこと・聞くこと」を育成すると書いてある。何で国語ではスピーキングどころか、ヒヤリングテストも行わないのだろうか。理科では「観察・実験」と何回も書いてある。どうして理科のテストで実験をさせないのだろうか。

 それに大体、音楽、美術、保健体育、技術・家庭だってあるわけだが、テストしなくていいのだろうか。そんなのできるわけがないというかもしれない。確かに体育や美術の実技を全面的にやることはできないだろう。でもそれらの教科だって知識も必要なんだし、ペーパーテストなら実施できる。実際、何十年も前になるけど、これらのテストをやってた時期もあるのである。

 という風に考えていくと、そもそもそれほど学習指導要領に書かれている学力をきちんと測定しなくちゃいけないんだったら、なんで推薦入試があるんだということになる。学力テストは全然やらないで、作文と面接で選んじゃうのである。そういうのも少しはあってもいいじゃないかと思うかもしれないが、そんなレベルではない人数を推薦で選んでいる。2017年で見てみると、推薦で9,007人一次試験で32,030人(全日制のみ)が合格している。ちなみに、一次試験の受検生はおよそ4万5千人。(なお、2次試験、分割後期では886人が合格した。)

 つまり、4人に1人ぐらいは学力試験なしで都立高校に入っている。それをなくして全員学力試験で取るというんなら、スピーキングテストも意味があるかもしれない。でも、実際は難関大学進学を目指す進学指導重点校の日比谷高や西高だって、64人も推薦で取っているのである。(普通科、特に進学重点校は推薦入試はいらないでしょ。)

 僕が思うに、中学3年生なんだから、読む、書く、聞く能力が高ければ、おおよそ話す力だって高いのではないか。「帰国子女」といった特別ケースを除けば、高校段階で問題が起きるほどスピーキング力の差はないのではないか。多少あっても、高校入学後に育てていけばいいじゃないか。不登校だったり、障害がある生徒も、最初は全日制高校を受けてみたいと思う生徒がかなりいる。落ちてからでも、夜間定時制や通信制の二次試験を受けることはできるのだから。(最初にそれらが埋まってしまうことは事実上ないので。)だけど、そのような生徒にも当然、事前のスピーキングテストを中学側で受けさせないといけなくなる。ものすごい現場の負担増である。

 ところで、このテストはいつやるんだろうか? 現場の忙しさを考えると、1月半ば以後はもう無理だろう。中学は都立の推薦指導や私立高入試を控え、高校はセンター試験対応や推薦入試がある。だったら12月にでもやるんだろうか。その段階では都立の推薦の結果は誰にも判らない。国立や私立難関高を目指す生徒も、受かるかどうかわからないんだから、都立のすべり止めの出願をしておく。だから、私立の推薦がすでに決まっている生徒を除けば、事実上すべての生徒が事前のスピーキングテストを受けないといけなくなる。なんだか釈然としない。
コメント

離島の子が利用できない東京都の「島留学」

2017年07月12日 22時57分20秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 都議選の話と直接は関係ないんだけど、その頃の報道で知ったことを書いておきたい。今回の都議選は「都民ファースト」が席巻したわけだが、唯一「都民ファースト」の公認候補が落選したのが「島部」だった。伊豆諸島と小笠原諸島で一人選出だけど、自民現職が8804票、「都民」新人が4100票、共産党候補が1225票と、現職都議がダブルスコアで圧勝した。

 その最大の理由は、その後新聞に出ている「党派別・選挙区別得票数」を見れば一目瞭然である。現職は伊豆大島の出身であるのに対し、「都民」新人は八丈島出身だった。だから、八丈島では2127対1637と「都民」新人が勝っている。でも、大島では3458対605、新島では1126対316 と追いつけないほどの大差で現職が圧勝しているのだ。つまり、出身島による地縁意識が、有権者の投票先決定の一番の理由だったことが想像できる。

 もちろん、それだけでない様々な理由もあるだろうが、とにかく「ただ一人の落選」ということで結構ニュースに取り上げられていた。それを見ていたら、最後に小池知事の直接応援を受けるはずが、なんと八丈島行きの飛行機が濃霧のためフライトが欠航になってしまったのだそうだ。そのため候補者本人が投票日に自分の地盤に帰れなくなったという。本人は知事の応援があったら、もっと八丈で差を付けられたと思いたいんだろう。都知事の応援があったら、確かにもう少し得票していたかもしれないが、まあ当選圏には届かないだろう。だが、この話に「離島の厳しさ」が示されてもいる。

 朝日新聞都内版6月26日付の「2017 都議選 東京の足元」というシリーズ記事に「悩み多い島の声 あまり届かず」「五輪は蚊帳の外 物価高く進学も負担に」という記事があった。そこには交通不便輸送コスト高の事情がくわしく出ている。野菜も肉も高いし、ガソリンも高い。通院も進学も大変だというのである。最後に資料として全部載せておくが、伊豆・小笠原諸島には、有人島は11あり、自治体は2町7村が置かれている。その中で、高校があるのは6つ(大島、新島、神津島、三宅島、八丈島、小笠原父島)だから、他の5島の中学生は、高校進学段階で他へ出ないといけない

 ところで、離島は人口も少なく、さらに少子化で学校の生徒は少ない。先に見た自民の現職都議のホームページを見ると、出身校は九段高校とあるから高校段階で都心に出たのである。そして同志社大学卒とあるから、大学進学を考えるとそういう選択をする生徒も多いんだろう。ということで、都教委発表の各高校の入選倍率を見れば判るけど、島しょ部の各高校は倍率が1倍を大きく下回っている状態である。じゃあ、その余裕ある教室をどうすればいいのか。

 そこで各地を見てみると、「離島留学」とか「山村留学」といった工夫をしているところもある。都会では不登校になったりする生徒もいる。競争も激しく、それが重荷になることもある。自然に恵まれた環境の中で、伸び伸びと高校生活を送りたいという希望者もいるだろう。そういう生徒を受け入れようというわけである。たまたま7月7日付東京新聞に、「離島の高校 進学は正解」という高校生の投書が載っていた。広島県の大崎上島というところだという。同じ日の佐藤優氏のコラムにも、沖縄にある久米島高校の留学案内が紹介されている。(この時期に毎年書いている。)

 さて、実は東京の島の高校も、昨年から「島留学」を始めている神津高校で1名と八丈高校で2名の受け入れである。島でホームステイ先を募って、そこから通う。昔は東京の普通科高校は、決められた学区内の高校以外を受験することはできなかった。ある時期から、「学区撤廃」と言って、どこの高校も受けられることになった。石原時代の「競争的教育政策」ということだろう。だけど、島の高校だけは別で、区部・多磨地区に住む高校生が島の高校を受けることだけはできなかったのである。(親と一緒に転居する予定がある場合は別。)

 ところで、この「島留学」に高校のない島の中学生が応募できないというのである。先の朝日新聞記事によれば、「『高校を選べる都心の子にチャンスがあって、高校がない島の子はだめなんて』と青ヶ島村の片岡俊彦教育長らは都教委に見直しを求めている。」と出ている。これは全くその通りだろう。高校のない島の中学生こそ、定員を割っている近くの島の高校で優先的に受け入れるべきもんなのではないだろうか。それは「島留学」という趣旨とは違うのかもしれないけど。

 僕は東京都の中学、高校で何十年も働いてきたけど、正直言ってこういう問題は全く知らなかった。教員採用に際して、あるいは折々の異動の時期に、「島への異動」を促される。(あるいは高校の場合、定時制高校への。)そういう時も、大島や八丈島などは行ったこともあってイメージできるんだけど、それ以外の島はよく知らないというのが実際のところである。「青ヶ島の子どもたち」は東京の教員が必ず意識していないといけないことなんじゃないだろうかと、辞めてから書くのもなんだけど、改めて思った次第。多分知らない人が多いと思うから、書き残しておきたい。 

 東京都の「島嶼部」(とうしょぶ)は、伊豆諸島小笠原諸島がある。伊豆諸島というぐらいだから、元は伊豆の国で、明治以後は一時静岡県だったときもあるが、1878年に東京府に移管された。小笠原諸島は1880年に東京府の所属となったが、戦争でアメリカ領とされ、1868年の返還後に東京都の所属になった。
 自治体と有人島、及び学校の事情は以下のとおり。
大島支庁
大島町 伊豆大島 小学校3、中学校3、高校2
利島村 利島(としま) 小学校、中学校
新島村 新島 小学校、中学校、高校
      式根島 小学校、中学校
神津島村 神津島(こうづしま) 小学校、中学校、高校
三宅支庁
三宅村 三宅島 小学校、中学校、高校
御蔵島村 御蔵島(みくらじま) 小学校、中学校
八丈支庁
八丈町 八丈島 小学校3、中学校3、高校
青ヶ島村 青ヶ島 小学校、中学校
小笠原支庁
小笠原村 父島 小学校、中学校、高校
        母島 小学校、中学校

 他にも硫黄島南鳥島などには自衛隊や気象庁なんかの人はいるけど、民間人は住んでないから学校はない。住民が住んでいる島では、義務教育である小学校、中学校は置かれている。東京都の学校調査を見ると、2018年5月1日時点で、青ヶ島小学校は全校5人、中学では利島、御蔵島、青ヶ島、母島では全校で一けたの数字の生徒数である。
コメント

「東京の副校長」問題、ふたたび

2016年08月21日 23時08分11秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 だいぶ前だけど、「東京の『副校長』にはなりたくない」という記事を書いたことがある。(2011.10.25)いまだに時々読まれているみたいなんだけど、特に最近多くなっている。それは最近ニュースで、東京の副校長のなり手がない、大変だという話が出たからだと思う。

 もう一カ月以上前だと思うけど、NHKの夕方のニュースを偶然見ていたら、東京では来年度の中学副校長が120人足りないと言っていた。どこかの学校の副校長の仕事ぶりが映像で出てきて、激務ぶりが強調されていた。また、8月22日号の雑誌「AERA」でも、「先生が忙しすぎる」という「大特集」が組まれている。その中では、東京都の副校長試験は「倍率1倍」と書いてある。

 このような教員多忙問題は、ここでも何回も書いてきたけど、最近は行政もかなり危機感を持っているようだ。その背景には何があるのかということも、いずれ書いておきたい。とりあえず、最近の「副校長」問題の記事では、学校現場が忙しく、特に副校長に「今の学校をめぐる問題」が凝縮して表れているといった方向でまとめるのが通常のことになっている。

 そのことに異論はないけれど、副校長のなり手が少ないのは「多忙」だけが原因ではない。また、僕が前回書いたように「東京の権力的教育行政」も継続されているが、それへの反発や抵抗が広がっているということでもない。そういうことではなくて、教員の人生設計の上で「副校長を目指す年齢」の教員が少ないという「教員構成のアンバランス」の問題が一番だと思う。

 90年代の東京都の学校現場では、「少子化」に伴う生徒減、学級減が激しくなり、新規採用教員もほとんど見ないような時期が続いた。教員の年齢構成のバランスが崩れて、いずれリーダー層がいなくなってしまうのでは心配されていた。だけど、バブル崩壊後の税収減の時期にあたり、将来を見越して採用を増やすということもできなかった。その時期の「つけ」をこれから払わされるわけである。

 東京の教員の年齢構成は調査結果が公表されている。(「統計調査」の中の「公立学校統計調査報告書【学校調査編】」の一番下の方。)2015年5月1日付の各年齢別教員数が判る。中学教員の数をいま手作業で集計して見たら、以下のようになった。
 50代=5342人、40代=2660人、30代=3059人、20代=2784人
 50代の教員がいかに多いか。それに比べて40代が半数以下になるというアンバランスぶりである。20代は20歳で採用されるわけではないことを考えると、相当多い数字である。最近の採用が増えているということが理解できる。

 東京の学校数は非常に多い。中学校は621校ある。(なお、小学校が1296校、高校が189校、中等教育学校(中高一貫校)が6校、特別支援学校が62校である。)学校数も以前に比べれば統廃合で減っているけど、それでも急にはそんなには減らせない。この学校ごとに副校長がいる。高校では全定併置校や大規模校では、副校長が二人置かれることもある。

 別に副校長になりたい人がいるわけじゃないだろう。(まあ、稀にはいるかもしれないが。)それより「教員人生を校長で終わりたい」と思う人がいるということである。校長になるためには、事前に数年間の修業期間として「副校長」をやらないといけない。校長としても、一校だけで終わらず、何校か経験して地域の校長会の有力者になりたい。そう思うと、逆算してみれば、40代前半には副校長を目指し始める方がいい。もちろん、誰でも受けられるわけではなく、経験年数が必要だから20代では受けられない。早い人は30代後半で受ける人もいるけれど、それは多くはない。50代で受ける人もいるが、それでは校長に必ず昇進できるとは見越せない。だから、40代の教員が受ける場合が多いだろう。

 先に見たように、40代の教員は50代に比べて非常に少ない。逆に言えば、「団塊の世代」から引き続き、昭和30年代生まれ頃までの教員が非常に多い。東京では高度成長期に人口が増加し、第2次ベビーブームの子どもたちが学校に行く時代、70年代から80年代に大量の教員を採用したわけである。その人々が定年を迎える時代になってきた。だから、近年は採用が増えているわけである。

 副校長は確かに「激務」だろう。その問題も大事だけど、それは本質ではない。「校長になる意味」を奪うような教育行政をすれば、副校長になりたい人も減る。(大阪のような極端に多い民間人校長採用など。)小学校はともかく、中高ではやはり男性の管理職が多い。時間拘束がきつすぎて、今のままでは家庭を持つ女性には難しいのが現実だろう。そうすると、能力とやる気が普通程度なら男性教師には「管理職試験受験圧力」がかかってくる。あるいは「いい人」過ぎて拒否できない人などが受けたりする。どうにも向いてないような管理職を見聞きすれば(おそらく東京のほとんどすべての教員は「不適任管理職」を見ていると思うが)、では自分がやる方が学校のためかと思うわけである。

 テレビニュースでは、副校長には「指導・助言」という任務も加わり、ますます大変だと言っていた。「加わり」というのは「教頭」に比べてである。そこで実際に助言を求めて相談する教員が映っていたが、ホントに相談するシーンを撮れないだろうから、それは「やらせ」みたいなもんだと思う。だけど、今は副校長にクラス経営や生徒の進路を相談する学級担任がいるのだろうか。いないだろ、普通。と思うけど、僕にはもうわからない。そこまで学校が壊れているとは思えないが。「壊れる」というのは、学年や分掌があるんだから、そこで解決されるだろうに、よほど信頼されているのか、クラスの進路指導を副校長に相談していたからである。副校長もまともに対応せずに、学年主任に相談してと返すべきだろう。だけど、何か問題があれば副校長に報告しないといけない。(校長の前に、教員は副校長に報告する。)防衛的に何でも相談を求める人もいるのかもしれない。

 ところで、これは前にも書いたけど、東京の学校は「主幹」を置いたことで、組織上の様々な問題は解決されると大宣伝していた。その後、「主任教諭」制度も作った。学校の職階ピラミッド構造を作り上げた。それで何が解決したのだろうか。そのことを今回の「副校長をめぐる報道」が表しているのではないかと思う。
コメント

都教委、4校の夜間定時制廃止を決定

2016年02月17日 20時42分41秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 2月12日の東京都教育委員会の定例会で、夜間定時制4校(小山台、雪谷、江北、立川)の募集停止が決定された。正式に言えば、「都立高校改革推進計画・新実施計画」が決定されたということになる。(都教委HPにある「都立高校改革推進計画・新実施計画」の策定についてを参照。)

 この問題に関しては、昨年に計画が発表された時に、「都立高「改革」・全定併置は「解消」するべきなのか」という記事を書いた。(2016.11.29)東京の新聞には、今回の決定が掲載されているが、その他の地域ではあまり出てないかと思うので、前に書いた記事の事後報告。

 この問題に関しては、その後、短期間ではあるが反対運動が起こり、反対の署名約12,000人分が提出されたり、有識者80人ほどによる反対声明が出された。その中には、山田洋次氏や大村智氏が含まれている。また、東京弁護士会の反対声明も出た。検索すれば、さまざまな記事が見つかるが、一応、東京新聞の2月13日の記事を紹介しておきたい。

 都教委に対する意見募集の結果と都教委のコメントも発表されている。だけど、言ってしまえば、同じことの繰り返し。都立中学の育鵬社教科書採択など他の問題とすべて共通で、初めから対話する意思はないと思わざるを得ない。(だから、ここにリンクは貼らない。)都教委が決めた計画は、手続き上「都民の意見を聞く」というプロセスを経るが、変えることは想定されていないだろう。反対運動が起きる、では、呼んで意見を聞き、一緒に考えてみよう…などという、他の組織では存在する仕組みが全くない。国会では参考人を呼んだり、公聴会を開く。それに意味があるかと言えば、まあ「タテマエ」でやっているというのに近いが、それでもそういう仕組みはあるわけだ。

 今年の定時制高校一次試験の倍率も発表されている。当該校を調べてみると、小山台は60人中、16人(0.27倍)、雪谷は30人中1人(0.03倍)、江北は60人中、16人(0.27倍)、立川は90人中49人(0.54倍)となっている。立川は1倍を超える年もあるが、今年は半分ぐらい。雪谷に至っては1人しか出願していないから、閉課程もやむを得ないようにも見えるが、この地域には比較的近くに他校があるから、もうすぐなくなる、後輩も入って来ないという学校だから敬遠されているのか、それは判らない。例年、一次試験で1倍を超えるのは、工芸高校定時制のグラフィック・アーツ科で、30人中35人と今年も1倍を超えている。また、葛飾区にある農産高校定時制も近年希望が多く、30人中33人と1倍を超えている。

 このような結果を見て、だから「夜間定時制は希望が少ない」と決めつけるのは早計である。例年、ずっとこのような倍率傾向が続いている。だから、一次試験では募集人員が埋まらず、かならず大量の二次募集がある。それなら、1回目は他の全日制高校や三部制高校を受けてみようか、受けさせてみたいとなるのは当然である。もしかしたら受かるかもしれない。落ちたら、その後で定時制の二次募集を受ければいいわけである。しかし、今のような戦略が成功するには、ある程度の学力が必要である。「障害」があったり、外国出身で日本語が不自由な生徒は、二次募集では落ちてしまうかもしれない。それを逆に言えば、必ず定員割れする一次募集においては、「日本語による高校教育」が難しいような生徒であっても、学力検査を受ける程度の学力、体力があれば、合格できる可能性が高い。

 都教委は、夜間定時制を減らしても、チャレンジスクールを増設したり、募集増を行うからいいのだと言っている。しかし、今年のチャレンジスクール(三部制総合学科の定時制高校)の倍率は、合計で1.57倍となっている。学力検査を行わず作文で選考するチャレンジスクールでは、作文能力が低い「障害」「外国」生徒の合格は極めて難しい。(似たような性格の三部制高校もいくつもあるが、皆1倍を超えているので、やはり学力検査で落ちるだろう。)そんなことを都教委の担当者が知らないわけはないから、要するに「障害生徒」は高校ではなく特別支援学校の高等部に行けばよく、外国出身生徒は(成績が高い生徒は国際高校などで対応するが)基本的には対応しないというのが、この方針の本質だと思う。人数で言えば非常に少数ではあるが、「誰を排除するのか」という問題設定で見えてくるものがある。
コメント

都立高「改革」・全定併置は「解消」するべきなのか

2015年11月29日 23時44分30秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京都教育委員会は、11月26日に「都立高校改革推進計画・新実施計画(案)」を発表した。骨子が都教委ホームページに掲載されていて、12月25日まで意見募集を行っている。(上記ウェブサイトに提出先メールアドレスが載っている。)

 ここしばらく教育に関してほとんど書いていない。安倍内閣が約3年間も続き、下村博文、馳浩が文科相。都教委や大阪府教委も相変わらずだから、書こうと思えば書くネタはあるわけだけど、呆れるような状況が続き過ぎた。もはや何を言ってもダメなんじゃないかと正直思ってしまうので、書く意欲が湧かないのである。今回も同じではあるが、どうしても触れておきたいので簡単に。

 都教委はここ数年は、教育の中身に関する「改革」が中心で、それも「どうなんだか」のオンパレードなんだけど、まあ書くまでもないと思った。今回は久方ぶりの学校の「新配置計画」である。つまり、学校の課程の変更や新設、統廃合である。マスコミでは「小中高一貫校」ばかりが注目されている。現在の「立川国際中等教育学校」(元北多摩高校)に付属小学校を併設するという。これも異動要綱の特例措置でも講じない限り、ほとんど意味がないものになると思う。本来、シュタイナー学校のような教育を行う場合のみ、「12年間同一メンバー」の教育が意味を持つはず。教師が自由な教育を展開できず、しかもどんどん異動するような環境で「小中高一貫」にして意味があるんだろうか。

 他に、赤羽商業高校を「家庭・福祉」高校に改編し、また新国際高校(場所は未定)を設置する。荒川商業高校をチャレンジスクール(不登校生徒対象の定時制総合学科高校)に改編し、また立川地区にチャレンジスクールを新設する。定時制課程4校を閉課程とし、代わりに既存のチャレンジスクール、昼夜間定時制高校の夜間の定員の増数するという。その他もあるが、省略。

 チャレンジスクールや昼夜間定時制高校などと都教委が呼んでいる「三部制高校」は、自分も勤務したから、不登校生徒のための一定の意義を認める。しかし、あまりにも勤務形態が大変で、異動も激しく、このまま拡大するのがいいのか、じっくり考える必要があると思う。特に「夜間の規模を拡大」と簡単に言うが、給食の関係で規模拡大が難しいという学校実態が多いのではないか。夜間高校においては、「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」で「夜間課程を置く高等学校の設置者は、当該高等学校において夜間学校給食が実施されるように努めなければならない」とされている。現に給食を出しているわけだが、夜間部の生徒を全員収容できる食堂スペースが取れないと規模の拡大はできない。どうするんだろ?と思うが、どうせ登校しないだろうと踏んでいるのか。

 それ以上に僕が問題だと思うのが、「夜間定時制課程の閉課程により併置を解消」とある点である。「解消」というのは、「よくないからなくす」というニュアンスがある。辞書をみると、不満を解消する、ストレスを解消する、派閥を解消するなどといった例示が出ている。これみな、良くないからなくすという意味である。となれば、都教委は「全日制、定時制の併置」そのものが悪いととらえているのだろうか。そうとしか思えないのだが。現実に、多くの都立高校で併置が「解消」されてきた。今や、山手線の内側にある高校で、全定併置校は一つもない。(三部制の単位制高校が、新宿山吹高校と六本木高校の二つあるだけ。)23区の周縁部と多摩地区にのみ、併置校があるというのは、東京都内の「格差」が背景にあるということだろう。

 今回、「併置を解消」とされるのは、小山台(品川区)、雪谷(大田区)、江北(足立区)、立川(立川市)の4校である。進学指導の重点指導校などに指定されている高校が多い。今は夜間定時制高校の希望者が少なくなり、働きながら学ぶ生徒も少ない。不登校や外国人生徒、障害を持つ生徒などが多くなっているのは確かである。だから、僕も「単学級」(学年一クラスの学校)に関しては、ある程度わかる部分がある。だけど、今回の学校で来年度の募集が一クラス(30人)であるのは、雪谷高校だけ。小山台、江北は60人、立川に至っては90人の募集定員である。「地域のニーズ」がある夜間定時制をつぶしてしまうとしか思えないが。

 全日制から見れば、部活動や生徒会活動、補習や学校行事などで、定時制課程がない方がいいと思う教員や生徒がいるのも確かだろう。定時制課程は大体5時過ぎに生徒が登校するので、その頃には全日制の生徒は帰ららないといけない。今は授業確保がうるさいから、行事の準備や部活動の時間がかなり短くなる場合がある。だけど、都立高校で野球部が甲子園に出場したところはどこだろうか。国立高校、雪谷高校、小山台高校の3校ではないか。国立は定時制がないが、他の2校は今回の対象校である。定時制が併置されていても部活動で活躍できるということが判る。

 教員の勤務時間を考えても、長時間の部活や補習があることの方がおかしい。それに多くの学校では、本当に大変な時期(行事や部活の大会、検定等が近付いた時)は、特例で全日制の生徒の活動を伸ばすことが認められているのではないかと思う。もちろん定時制の教育活動に支障が出ないようにではあるが、定時制側も了承して昼の生徒が活動時間を伸ばしていると思う。それはともかく、併置を「解消」するなどという言葉そのものが、定時制課程の生徒を下に見ているように感じてしまうのである。
コメント

都教委、ふたたび育鵬社を採択

2015年07月28日 22時40分09秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 7月23日(木)に行われた定例に東京都教育委員会で、中高一貫校の中学校特別支援学校で、来年度から4年間使用する教科書が選ばれた。予想された通り、今回もまた(前回に続き)、社会科の歴史と公民両分野ですべての学校で育鵬社が採択された。くわしい採択結果は、都教委HPの「平成28年度使用都立中学校及び都立中等教育学校(前期課程)用教科書並びに都立特別支援学校(小学部・中学部)用教科書の採択結果について」に掲載されている。

 毎回のことだが、今のところ何の理由説明もない。実に不思議なのだが、例えば中高一貫校の国語地理を見てみたい。国語は全10校のうち、光村図書が7校(白鴎、小石川、両国、桜修館、立川国際、大泉、南多摩)、学校図書が2校(武蔵、三鷹)、東京書籍が1校(富士)と3社の教科書に分かれている。社会科でも地理分野は、東京書籍(7校)、日本文教出版(2校)、帝国書院(1校)と3社に分かれている。中高一貫といえども、各校で重視する所は少しずつ違うので、教科書が違ってもいいだろう。だけど、歴史と公民に限って、すべての学校で育鵬社なのである。右派系だったら自由社もあるというのに、「なんで自由社ではないのか」さえ判らない。今は細かく分析しないが、「平成28~31年度使用教科書調査研究資料(中学校)について」という資料を見ても、何にも判らないのも例年と同じ。

 もっともこの結果は、大方の人が事前に予測していたことである。決めたのは、教育委員の6人である。新たに今年の4月から、教育長になった中井敬三氏(それまでは東京都の財務局長)の他、木村孟(きむらつとむ、元東工大学長、前独立行政法人大学評価・学位授与機構機構長)、竹花豊(元東京都副知事、元警察庁生活安全局長)、乙武洋匡山口香(筑波大准教授、女子柔道指導者)、遠藤勝裕 (日本学生支援機構理事長、元日銀神戸支店長)の計6人が現在の委員である。木村、竹花両氏が石原知事時代、乙武、山口両氏が猪瀬知事時代、中井、遠藤両氏が舛添知事時代の任命である。だから、もう「石原元知事の意向」などではありえないだろうが、この間に作り上げられてきた強権的教育行政には目だった変化が起こっていない。やはり石原時代以来の路線を支持する多数派が形成されていると考えられるのである。

 今回は投票が割れた。前回も一人他社だったが、今回は二人である。歴史では、全校で4人が育鵬社、2人が東京書籍。公民では、全校で4人が育鵬社、6校で教育出版、4校で東京書籍。以上の投票結果を見ると、4人が多数派(育鵬社支持)で、2人の反対派が存在する。無記名投票なので、誰がどの社を推したかは不明である。ただ、7月24日の乙武氏のツイッターには「全会一致だったわけではなく、育鵬社に票を入れなかった教育委員が6名中2名いたことも、きちんと報道してほしい。 /都教委 育鵬社の教科書を採択 - NHK 首都圏 NEWS WEB 」というNHKニュースの報道にかんする「つぶやき」が投稿されている。ニュースが採択結果だけを報じるのは当然ではないかと思うけど、自分が育鵬社だったら、こういうことは言わないだろう。常識的に考えると、乙武氏は他社を推したのだろう。

 今回注目されるのは、採択理由を公表すると教育長が発言していることである。23日付の東京新聞では、以下のように報じている。「委員会後に取材に応じた中井敬三教育長は「採択理由は各委員から聞き取りをして、一カ月後に都教委のホームページに載せる」と話した。」これは期待できるのだろうか。いつものように、法令に基づいて適切に採択したなどというだけではないかとも思う。普通、採択理由といえば、なぜその社の教科書がふさわしいかの中身がなければ無意味である。ぜひ、理由ある説明を聞きたいと思う。また、竹花委員は今年9月、木村委員は来年10月で任期を迎える。それぞれ、2期、3期と長期間委員だったので、時期が来れば勇退すると思われる。その後の新委員が誰になるか、非常に重大ではないだろうか。場合によっては、多数派が交代する可能性もありうるのだから。なお、今回の都教委を傍聴していた小松久子都議(生活者ネットワーク、杉並区)のブログもぜひ参照を。また根津公子さんの都議会傍聴記も参考になるので、ぜひ。
コメント

都立高入選ミス問題、その後-続報集②

2014年10月10日 23時16分00秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 2014年2月実施の都立高の入選で多くのミスがあったという問題が発覚、都教委が点検して改めて合格者が出るなど大問題となった。このブログでは、6月に8回にわたって東京都の高校入試に潜む問題を書いた。「都立高入選ミス問題①」以下、順番に見てもらえば僕の考えは判ると思う。(ちょっと長くなってしまったけれど。)「カテゴリー」の「東京の教育」をクリックして見てもらえば、投稿の新しい記事から見ることができる。その問題のその後の展開を報告。

 夏休みが終わるころまでには最終点検を終えると言っていたが、その結果は9月11日に発表されている。都教委のサイトにある「都立高等学校入学者選抜学力検査の採点の誤りに係る答案の点検結果について」がそれである。今さら細かいことをいろいろ書いても面倒なので、一番重要な追加合格者だけ書いておく。今年が13校16人、昨年分が6校6人、計18校22人となっている。

 一方、改善策については、都立高校入試の採点誤りに関する再発防止・改善策についてという文書が同じ9月11日付で発表されている。まあ、都教委のことだから対して期待できないのは判り切っているが、案の定これを見ると「犯罪的な欺瞞」がある。「採点・点検に専念できる十分な時間と環境を確保する」などと言って、「学力検査翌日から合格発表日の前日までの日数を現行の3日間から4日間とする」などと恩着せがましく言っているのである。「現行の3日間」などというものが虚構の産物である。2014年だけが「3日間」であり、それ以前はどのようなものだったかは「昔はもっと余裕があった」で書いている。例えば2013年は、2月23日(土)実施、28日(木)発表、確かに日曜を除けば「3日間」ではある。2012年も同じだが、2011年以前は「4日間」の年の方が多い。その間の「法則性」の如きものは前記の記事に書いている。

 本来、都教委は2005年度から入選の日程を2月23日に固定していた。土日に当たろうがやるんだと言い、現に土曜実施が2回ある。だから、本来は2014年は2月23日(日)にするのが本当である。それを24日(月)にした。日曜ではおかしいというなら、初めからそう言えばいいし、その場合は発表を延ばせばいい。当然のそういう配慮をすることなく、押し切ったのである。その経過の理由の究明こそ最も大切な問題であった。東京マラソンと重なるため、(五輪招致に躍起になっていた)東京都はマラソンの方を優先したという話だけど。もちろんその経緯は全くはっきりしていないし、責任追及もなされていない。

 そのほか、検査後2日間は生徒を登校させず採点、点検に専念するという。これは一見合理的だけど、学校ごとに事情が違い機械的に運用してはならないだろう。また、マークシート方式を一部で導入し試行してみるということで、試行校20校が決定している。それはそれでいいとも言えるけど、高いカネに見合うのかどうか。それなら各校にマークシート・リーダーを買うのではなく、どこかに集約することもできるのではないか。また、マークシート方式が不利な生徒(身体的、精神的な障がいを持っている生徒)への対応をどうするのかという問題がある。

 ところで、この問題に関して「処分」が発令されている。「都立高等学校入学者選抜学力検査における採点の誤りに係る学校職員及び事務局職員の処分等について」である。追加合格者があった学校の(当時の)校長は戒告、副校長は文書訓告、ミスがあった学校の校長は文書訓告、副校長は口頭注意。「採点を担当した教員(165校、3,170名)については、校長から指導を行う」とのことである。まあ、行政機関として「行政責任」を問うのは致し方ないのかもしれない。しかし、これが僕の言う「外形的事実」だけで「処分」していくという「小権力者」特有の世界になっていることは明らかだと思う。具体的にどうすれば良かったのか。ただ偶然にミスをして、たまたまボーダーライン上の生徒にそのミスが起こった場合だけ、重い処分となる。それは本質からすればおかしい。行政には結果責任があると言えばそうかもしれないが。

 そのあたりはもう書かないが、「何でこのように間違いが多いのか」という感想が結構聞かれるので、ちょっと考えておきたい。まず第一に「ミスがあってはならない」のではなく、「採点ミスは誰がやっても必ず起こる」ということである。当然、もっと日程が詰まっている私立学校などはもっと多いだろう。疑う人は「数百人の答案をコピーして採点してみる」という実験をしてみれば判る。だから、点検に手間を掛けるしかないが、その手間を掛ける日程が確保されていなかった原因こそが大事ということである。もう一つは「入力ミス」は点検しているのだろうかということである。当然しているだろう。しかし、その報告がない以上、「入力ミスによる合格決定ミスはなかった」のだろうと判断できる。これはすごいことではないだろうか。マニュアルの細かく規定されていた入力ミスの点検はうまく行ったということではないか。

 ところで、「都教委の点検」それ自体に問題はないのだろうか。それは点検しないので誰にもわからない。後から「ミスを見つけるぞ」意識で見れば、間違いに見えてくるということはないだろうか。僕の経験では、「アイウエから選べ」などという問題で、受検生の書く文字は非常にわかりづらい。特に「ア」と「イ」は判別が難しい場合がある。最初に見た人が「そのように見えた」のなら、それを「採点ミス」と言えるのだろうか。僕はこの点検そのものを点検してみたい気もする。
コメント

権力的教育行政の転換を-都立高入選ミス問題⑧

2014年06月13日 22時34分33秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 長く書いてきたので、最後に総論的なことを書いて終りにしたい。とは言うものの、また細かい議論から入ることにする。都教委は来年の一次試験を2月24日(火)としたが、発表日はまだ決定していない。この記事の中で、僕は「22~25で、水から金までに学力検査を行い、翌週の6日目に発表する」のがいいのではと書いた。だから、24(火)というのは支持しないのだが、それはともかく、もし火曜日に検査を行うのだったら、その場合だけは発表は次週の火曜日でなければならないと思うのである。3月2日(月)の発表だったら、実質的に今年と同じで、ミス防止対策にならない。

 どういうことか判るだろうか。もし月曜の発表だったら、どんなに遅くても金曜日の夕方には判定会議を開かないといけない。(土曜日の授業がない学校の場合だが。)それでは、水木金の3日間で、採点と入力のチェックを完全に終わらせないといけない。今年と同じである。合格者に渡す事務的な書類の作成に入るためには、学校の正式機関である合否判定会議を開かないといけない。判定会議を経たのちに、「入学予定者の決定について」という文書を起案し、校長が決済する必要がある。本来は金曜夕方の判定会議でも、教務や事務職員は残業か休日出勤を強いられるだろう。だから合格者決定はもっと早いことが望ましいのだが、日程的に無理だろう。だから、休日にも入選業務を行わざるを得ないので、管理職の何人かも出勤することになるだろう。そうすると、今年の事例を思い出し、自分で再度点検したい校長も出てくるに決まっている。万が一、そこで合否が覆るミスを発見してしまったら、どうするか。校長が経営企画室長や教務主任と協議し、判定会議の結論を変えることにならざるを得ないだろう。月曜発表だと、そのような望ましくないプロセスがあり得る。(実質的な事務態勢は、もう少し融通をきかせているかもしれないが、タテマエ上は以上のように進行する。)

 さて、以上のようなことは「現場の事情」が判っているなら、誰でも知ってることである。しかし、この間都教委は「現場の意向を聞かない」ことをモットーにしてきた(としか思えない政策を進めてきた。)だから、学校現場では「もはや現場の意向は取り入れられることはない」と思い込んでいるのではないか。採点ミス自体は、教員なら(教員でなくても)誰にでもある問題である。教師の「指導力」などとは直接の関係はない。(関係があるとすれば、通勤時間とか当日の体調の方だろう。2月末だから、風邪気味の人がいるのは避けられない。)それでも、学校現場に「自由闊達な気風」が形成されていれば、ミスは点検で発見されやすいのではないだろうか

 東京に限らないと思うが、また教育現場にも限らないと思うが、「現場」における「自由闊達な気風」というのは、日本ウナギ並みの「絶滅危惧種」ではないか。特に、東京は全国のトップを切って、教育の成果主義、新自由主義的な「改革」が進められてきた。今回のミス多発は、僕にはそのような都教委のすすめてきた「教育風土」が背景にあるのではないかと思う。しかし、都教委はそれを絶対に認めないだろう。「採点態勢の不備」とか「教員の資質の低下」などを原因に挙げ、「教員に対する研修の強化」などを「対策」に打ち出すのではないか。その結果、学校現場の疲弊はますます進むことになる。そうしてはならない。今回の問題をきっかけとして、ここで「東京の教育行政の全面的な転換」に踏み出さないといけない

 今回ミスがなかった学校が何校かある。それらの学校の教員は評価が高くなるかというと、そういうことはない。なぜなら、勤務評定は「同じ学校内の教員間で相対評価する」からである。全員でしっかり仕事して、ミスがなかったりすれば、差が付かないではないか。自分の評価が高くなり給料も上がるためには、同じ学校に成績評価が低くなる教員がいた方がいいことになる。全員で協力し合わなければならない学校という場所で、こんな「成果主義」を導入して何の意味があるのだろうか。こういう誤った「成果主義」こそが、学校を毒して協力態勢を壊すのである。

 都教委が採点期間を短くしてきたのは、何故だろうか。僕が思うに、「都教委はこの日数で出来ると本気で考えていた」という可能性が高い。「現場の声が聞こえない」「現場も声を挙げない」ということもあるが、この間に完成されてしまった「ピラミッド型勤務体制」、つまり「校長-副校長-主幹教諭-主任教諭-教諭」という「構造」を、「主幹、主任を中心にした機動的な学校経営」を実現したと評価し、その「生産性向上効果」をもってすれば、入選業務もスピード化されるはずだと考えていたのではないか。しかし、現実には同じ教科内で「主幹、主任、教諭」などと分かれていて採点して、果たしてうまく行くのだろうか。若手教師からすれば、職階も違う主幹教諭の採点にミスがあるとは思わないし、見つけても指摘しにくいということはないだろうか。年齢、経験差があるのは仕方ないが、職階としては「同じ教諭」という立場で採点したほうが、「自由闊達」にお互いのミスを指摘し合えるのではないだろうか

 都教委の政策は10数年かけて成立してきたので、すぐには変更が難しい部分もあるだろう。しかし、僕は「異動要項の改定」と「主任教諭制度の廃止」、「職員会議での挙手禁止通達の撤回」あたりから、今までの政策を変えてはどうかと思う。主任教諭は導入からまだ数年しか経っていないので、教諭と主任教諭の給料表一本化もまだ可能なのではないか。都の異動要項も明らかにおかしいので、そろそろ変えるべきだ。どうしても個人的事情で異動する教師もいるわけだが、同じ学校に10年程度いられるという異動制度だったら、自分が担任、または授業や部活で接する可能性が非常に高い受検生の答案を採点するわけで、ミス防止効果があるのではないか。来年度は異動だからといって、わざわざミスをするわけではないが、それでも心理的には人間にはそういう部分もあるように思うのである。また三つ目の「挙手禁止」は、ここ10年以上続いた「おバカ教育行政」の象徴である。もういいでしょ。

 このように都教委のあり方を見てくると、やはり「10・23通達」は大きかったと思う。入選ミスの問題はイデオロギーの問題ではないと言われるかもしれない。その通りだけど、学校現場から「イデオロギー的反対派の存在余地をなくす」という政策が進行した結果、イデオロギーとは関係のない問題でも、校長なども委縮して現場の声が反映できない風土が生まれてきたのではないかと思う。ナチスの時代に言う、最初は共産主義者が排除され、次に社会主義者、自由主義者、最後には穏健なクリスチャンも政府に反対することが出来なくなった、ということと同じである。要するに「茶色の朝」。「毛が茶色以外の犬猫を飼ってはならないという法律」が作られた社会では、人は知らず知らずに「従順」にさせられていく。

 「学力検査日を2月23日に固定する」というやり方が決定された時期は、国旗国歌に関して職務命令を校長に義務付けた「10・23通達」、中高一貫校の都立中学等への扶桑社の教科書採択、性教育に関する弾圧である「七生養護学校事件」などが起きた時期と重なっている。つまり、イデオロギー的に偏向した都教委がどんどん「極右的政策」を進めた時期である。そういう問題が積み重なった結果、「自由闊達な気風」というかつての都立高に広く見られた気風が消えていったのである。そうして職階が多層化され、競争が強化され、職場の分断が進んだ。もう一回繰り返しておくが、採点ミスそのものは誰でも起こす可能性のあるミスで、それ自体は問題ではない。問題なのは、それを点検する態勢の方で、職場の自由がないと「ミスが防げなくなる可能性が高くなる」。そして、事前に容易に推測できた「採点期間の短縮の問題性」を事前に把握できないという事態となる。それこそが問題で、今考えないといけないのである。都教委に限らず、また学校に限らず、どこでも起こる問題ではないかと思う。
コメント

チェック体制をどうするか-都立高入選ミス問題⑦

2014年06月12日 22時40分22秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 今回の入選ミスは「単純ミスが多い」などと新聞に書いてあるが、当たり前である。「採点は一日で行い、点検は形骸化していた」などという報道も見たけど、日程上一日しかかけられないのは当然で、それはすでに書いてきた。「単純ミス」の反対語が何か、僕には判らない。ペーパーテストを全都で一斉に行い、全然知らない人間の答案(受検番号しか書いてない)を迅速に採点する。ミスはどうやっても起こるし、普通の定期テストより起きやすい。(定期テストは自分で問題を作って自分で採点するし、この生徒は100点を取るかも、この生徒は10点ぐらいかもと判って採点しているので、採点ミスがより起きにくいと考えられる。)

 問題はどのように点検するかだが、それには二つの考え方がありうる。一つは「同じ教科の教員で一回点検をしたら、その点数を早く入力して、ボーダーライン上の生徒を徹底的に点検する」。もう一つは「違う人間で点検を徹底し、確実な点数を入力できるようにする」。どっちがいいのかはよく判らないので、今後様々に議論して欲しいと思う。点検そのものは事務的作業で、何度もやれば「思い込み」が生じてくるのはやむを得ない。2回見て発見できなかったミスを、同じチーム内で見直してもなかなか見つからない可能性が高い。そこで違う人で点検チームを組織して、あらためて違う目で点検した方がずっといい。今回の都教委点検もそれである。その方が点検的にはいいけれども、それまで全然その問題を見ていない人、特に他教科の教員などが急に点検に入っても、当初はスピードがかなり落ちるだろう。その分、採点終了までの時間が相当にかかってしまうことになる。

 一方、「採点」と「一次点検」でまず終りにして、どんどん入力を開始する。何が問題かと言って、合格、不合格に影響することである。100点の生徒が実は一問ケアレスミスをしてたとしても、合格は合格で間違いない。まあ成績トップの新入生に、入学式の「誓いの言葉」かなんかを頼むことが多いと思うので、影響はあるかもしれないが。だから、早めに合否のボーダーラインを仮に設定し、仮合格者の成績下位1割と仮不合格者の成績上位1割を選びだし、その生徒を中心に徹底点検を行う。(どのくらいがいいかは判らないので、今の数字は仮のものだが。)残りの受検生は、入力チェック、合否判定、合格通知書作成などと並行して「二次点検」「三次点検」を行う。そういうやり方もあるのではないかと思うのである。

 もっとも東京の入選方法が複雑なのはすでに書いたけれども、「特別選考」という面倒なものがある。合格者の8割を通常の方法で決定し、残りの2割は特別の(例えば、調査書の割合を下げるとか、一部の教科の得点を重視するとか)選考方法を取るというのである。だから、今「ボーダーラインを徹底点検」と書いたけれども、ボーダーラインが「合格、不合格」だけでなく、「一般選考」と「特別選考」と二つ生じる学校があるのである。そうなると、下位の生徒は全員対象というような高校も多くなるだろう。大体、中学生を対象にして、そんな複雑な選考を公立校が行う必要があるのだろうか。「特別選考」は廃止したほうがいい

 さて今「二つある」と書いたばかりだけど、実はもう一つのやり方もある。今回も都教委は例によって、自分たちではなく現場の問題があると言った言い方をしている。でも、都教委は「学校経営支援センター」なる組織を作り、学校事務職員を減員してしまった。そのため入選の願書受付等の本来は事務職員の仕事に関しても教員が以前以上に参加せざるを得なくなっているのではないかと思われる。一体、今回のようなほとんどの高校で採点ミスがあったなどという時に、自分たちには「学校経営」を「支援」するという組織があるのに、果たして機能していたのだろうかと反省することはあるのだろうか。本当だったら、この「支援センター」なるものが、採点を担当すればいいのではないか。教員は授業等に専念する。採点と入力は「経営支援センター」から派遣された職員が担当する。これなら、確かに「学校経営」の「支援」である。(もっと言えば、学校経営支援センターを解体し、学校の事務職員を増員すべきだけど、まあ今はその議論はしない。)

 前回の記事で、「発表は翌週の6日目」と書いた。月曜検査、金曜発表は「4日目」だが、僕が書いたように「水曜検査、次週の火曜発表」にしても、「土日を抜いたら4日目」である。それでも「余裕がある」と感じるのは、「土日に勤務し、点検する」を前提にしている。土曜授業の学校も多いし、この日程なら土日の業務を避けられない。そうだけど、土日があると思えば、気持ち的に楽になるということである。本来は一週間後がいいと思う。しかし、本当に3学期のこの時期は立てこんでいて、本意ではないけど、(土曜休業の高校でも)土曜に出てくることはやむを得ないのではないかということである。(春休みに振り替え休業日を指定する。)入選業務は本来の「校長が超過勤務を命令できる業務」に入っていない。だから拒否できる。だけど、教員も事務職員も入選結果を発表するまで、間違いがないように努力するはずだと思う。そういう学校現場を東京全体でどのように支えていくのか。五輪をやろうとか、尖閣を買おうとか言いだした都政のもとで、教育だけでなく現場が追いつめられてきたということを考えて欲しいのである。
コメント

日程をどうするか-都立高入選ミス問題⑥

2014年06月11日 23時57分44秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 さて東京の入選ミス問題。入選の複雑な問題点などは書いてきたので、その改善に関してどうするべきか、少し書いておきたい。現時点では、第一次募集の学力検査が、2月24日(火)と発表されているが、発表日は未定とされている。

 さて、自分の考えを先に書いておくと、「学力検査は22~25日の、水、木、金曜日のいずれかに行う」というのが一番いいのではないかと思う。発表日は、本来は一週間後が一番いいが、以後の日程が厳しくなるし、私立の二次募集などに影響するので、「学力検査の翌週の6日目」が良いのではないかと思う。

 ということで、来年の東京の学力検査日である24日は本当は変えた方がいい。理由は二つあり、一つは高校、中学の月曜日の授業確保である。もっとも中学の場合、この時点では私立高の入試や発表で、事実上中学3年の授業は平常には出来ない。高校でも、学年制の場合は、卒業を控えた3年(定時制では4年)の授業は終わり、卒業判定も終わっているはずである。だから、「高校1、2年生の授業確保」が一番の眼目となる。

 「学力低下論議」というのも「つくられた世論」ではないかと思うが、この10数年、授業確保の名目で生徒も教師も振り回されてきた。だけど、ただ授業時間だけ増やされても迷惑千万、「ハッピーマンデー」とやらの「学力低下政策」をそのままにしておいて、いたずらに他の曜日の授業をしてもムダ。学校行事などにも影響されるが、まあほとんどの学校では月曜日のクラスだけ極端に授業数が少ないのである。中高は教科担任制で、同学年の授業は一人の教師が全部担当している場合が多い。月曜日の授業が増えないと、学習内容が確保できない。だから、定期テストの試験範囲は「一番授業進度が遅いクラス」に合わせて決められる。できるだけ月曜日に行事等は入れない。そういう配慮をすべきなのである。

 入選前日は半日程度の授業をつぶして準備を行うことになる。だから「火曜日の学力検査」も望ましくはない。それに、カーペンターズじゃなくても「雨の日と月曜日は」気分が冴えないはずである。(今年は月曜から採点を開始したことがミス多発の一因かもしれない。)中学生の気分が一番冴えるのも、水曜、木曜あたりではないだろうか。受検する生徒のことを考えても、週の半ば頃に学力検査をもってきたいところである。(土曜日にやった年があるわけだが、生徒も教員も疲れているところに学力検査日を設けるべきではない。)ということで、都教委が「日で固定する」といった時に僕が質問したように、「曜日で固定する」という方が明らかに望ましいのではないか。

 日本の各地方では様々な高校入試のやり方があり、卒業式を先に行い、3月に新入生の選抜を行うところもある。だけど、東京では私立高校や私立中学が多く、近県私立高の入試、都内私立高の入試、都立高の学力検査と順番が決まっている。その間をぬって、都立の推薦、私立中の入試、都立中高一貫校の選抜などが組み込まれ、都立一次が終われば、私立の二次募集、都立の分割後期募集ともはや順番が変更できないほど、立て込んだ日程が組まれている。毎年、公私で生徒受入数の調整も行われ、私立も都立発表まで入学金納入を猶予するなど、様々な事情が入り組んでいる。だから、2月下旬に都立高校の一次募集を行うという大枠は変更が難しい

 ここで考えておくべき問題が幾つかある。一つは「推薦選抜のあり方」である。「都立高改革」により「学校の個性化」が進んだとして、推薦選抜制度が拡充されてきた。でも、学校によっては、推薦、分割前期、分割後期と3学期は入選漬けである。その度に準備がある。本番がある。採点があり、入力チェックがある。都教委は採点ミスの一因に「慣れ」とか「高校入試は受検生にとって1回しかない機会であるにもかかわらず、教員が、自分自身が行う採点業務が受検生の人生に影響するとの認識が希薄である」などと教員側に問題があるかに言っている。これがウソなのは明白である。「高校入試は受検生にとって3回もある」という仕組みを作っておいて、そういうことを言わないでほしい。

 現在の仕組みが現場にとってあまりにも負担が多いのは明白だろう。「推薦+一次募集」または「分割前期+分割後期」の2種類に統一すべきではないか。つまり、分割募集を行う高校は推薦選抜を行わなくていいのではないか。特に「普通科高校は推薦選抜はいらない」と思う。当初は商業科を除く職業科で実施され、やがて商業科に、そして普通科にも推薦選抜が広がって行った。しかし、コース制高校など特別な例外を除き、普通科はそれこそ一般的な教科を学習し、進路希望も大学進学が多いという学校である。「推薦」の意味はどこにある?入試を突破すればいいのではないか。例えば、都立高で最難関とされる日比谷でも、2割の生徒(63名)を推薦で合格させている。もし推薦制度がなかったら、難関私立を受験して、受かればそっちに行ってしまう生徒も多いだろう。早めに「日比谷高校に行きたい」という生徒を囲い込んでい置く必要も判らないではない。でも、本来は学力検査一本でもいいのではないだろうか。(ところで、スポーツ推薦などの面倒くさいシステムも、もう止めるほうがいいだろう。)

 もう一つ、今回の端緒を作った荻窪高校は「三部制定時制単位制高校」だった。学年制高校なら、進学校でなくても3学年の授業は2月上旬には終わり、一部の追加指導対象生徒は除いて、2月下旬には卒業判定も終わっているはずである。だから、卒業学年の授業を主に担当していた教員は、クラス担任などの仕事はあるとしても授業がない時期になる。(もっとも3年だけしか授業をしていない教員はほとんどいないと思うが。でも授業のほとんどが終わっている教員もかなりいるはずだ。)採点はそれらの教員が中心となり実施している学校が多いはずだ。ところで、単位制三部制の学校は、卒業学年だけの授業がほとんどない(と思う)。だから、採点担当者も授業を行わないといけない。それなら、三部制の単位制高校は、学力検査は行わないか、または3教科で行う。さらに言えば、「マークシート方式を試行する」といった対応を検討すべきではないだろうか。日程のことだけで長くなってしまったので、今回はこれで終わり、次回は「チェック体制」の問題を。ちょっと細かい話になり、多くの人には関心がない話になったかもしれない。
コメント

何が問題なのか-都立高入選ミス問題⑤

2014年06月09日 23時08分12秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京の入学者選抜制度が、昔はもっと日程で余裕があったわけだが、次第に制度そのものが異様に複雑なものになったのに、かえって日程は縮められていったということを今までに説明した。そこで今回は、端的に言って「何が問題なのか」を書いておきたい。

 東京には188校の都立高校があるが、今回はほとんどすべての高校で採点ミスが起こった。2014年実施の試験では、175校中126校に、2013年実施の試験では、127校中107校にミスが発見されたと都教委は発表している。(学力検査を行わないエンカレッジスクールやチャレンジスクール、中高一貫化され高校入試を行わないが以前からの生徒が残っている高校など、初めから点検の対象にならない高校もある。)2年間をダブルチェックしてみると、(昨年分はすでに廃棄したため点検できない高校を除き)、2年間にわたりミスがなかったことが確認できる全日制高校は、以下のわずか11校に過ぎない。(両国、光丘、片倉、墨田川、大泉桜、農産、芝商、大島、新島、神津、三宅)。しかも、最後の4校は島しょ部の高校だから、受検人数が少ない。定時制課程では両年ともミスがない高校は15校になるが、これも受検人数が少ない。

 このように「多くの学校で採点ミスが起こった」ということは、「構造的な理由」があるということである。教育庁幹部は当初「なぜミスが起こったか判らない」などと言っていたが、判らないはずがない。「今までの東京の教育政策の行きついた末」なのだから。教員なら誰しも経験があることだが、「採点ミス」そのものは根絶はできない。経験を重ねると次第に問題を工夫したり、習熟度があがってミスの数が少なくなるが、それでも自分は絶対ミスがないと断言できる人はいないだろう。要するに「弘法も筆の誤り」「イチローでもエラー」である。(イチローのメジャーでの守備率は9割9分以上という驚くべき高率だから、イチローもエラーがないわけではないけど、まさに弘法大師級である。)

 そこで採点ミスをなくそうと思うならば、採点ミスはあることを前提に、チェック体制を整備して入念に点検するということにつきる。そのための時間的、人員的な態勢を整えるのが、都教委・管理職の務めということになる。ところが2012年は発表まで6日あったのに、昨年は5日、今年は4日とどんどん縮められた。「ミスを増やす政策」を行ったのである。これを工場にたとえて言えば、本社の指示で製造から出荷までの工程が突然2割もアップされたのである。その結果、検品に掛けられる時間が少なくなり不良品を大量に出荷してしまった。ほとんどすべての工場で不良品が発生したのだから、これは工場サイドの問題、工場長の管理能力の不足や工場労働者の資質の低下などではない。「現場を知らない、本社の無茶な指示」にこそ問題があり、そういう指示を出した「無能な本社役員」が責任を負うべきものなのである。

 では、現場の長である校長には責任はないのだろうか。僕はこの校長の責任というのは、事前にこの日程ではきついと上(指導部など)に意見を伝えたかどうかだと思う。そのような校長はいたのだろうか。多分いなかったのではないか。この間、校長・副校長の仕事は、上からの無理な要求を何とかこなしていくことになってしまった。いまさら入選日程が一日二日縮められたからと言って、文句を言うなどという発想はもうわかなかっただろうと思う。それに現場の声で日程が変わるということは全く考えられない以上、直言して目をつけられることの方が怖い。都教委に直言した結果、嘱託員として採用されなかった三鷹高校の土肥元校長のような例を間近に見てきているわけだから、都教委の方針に異議を唱えるなどという校長はいないのではないか

 都教委の高圧的体質はすでに15年以上も続いているのだから、現在の管理職の大部分は都教委のイデオロギーや体質を熟知し、受け入れていると考えなくてはならない。一部には、昔のような人格者や直言タイプがいないわけではないだろうが、都教委サイドは「校長は言うことを聞いて働く存在」としか思っていないだろう。そのような体質の中で異議を唱えても、それは「校長自身の考え」とは受け取られない。校長は自分の考えを唱える存在ではないのに異議を発している、それは「言わされているに違いない」と思われるだけだろう。つまり、現場の状況を心配して直言したとしても、「組合に言わされている」という風に都教委に見られるだろうということである。都教委が一度発表した以上、絶対に変らない日程(都教委とはそういうところである)に異議を唱えて、「組合シンパ」とイデオロギー攻撃されでもしたら、立つ瀬がない。そう思うと、誰も声を挙げなかっただろうと僕はそう思うのである。

 そのような意味で、今回の事態は「上意下達体質の東京の教育」の完成型であり、「これこそが都教委の目指してきたもの」なのである。東京の教育現場が「ブラック企業化」しているということは、今さら目新しい指摘ではなく、ほとんど常識というべきものだろう。今回の事例を見ても、やはり「思うがまま」の政策運営を行ってきた都教委が、まさにその完成によって、誰も声を挙げないようになってしまい、大きな問題を引き起こしたというということである。普通なら、こんなに短くしたらミスが起こるかも知れないと恐れを感じるものだし、「現場の不満」が大きくなり、現場の長である校長が大変困った状況になるだろうと心配するはずである。しかし、「現場の不満」は抑えつければいいんだという強圧的対応を続けてきたうちに、「現場を恐れる」という「上に立つもの」の一番大切な感覚を失ってしまったのである。他県なら、教育委員会幹部は最後は校長として終わると思っているだろうから、いずれ自分が困ることはしないだろう。

 僕が「構造的理由」と呼ぶのは、以上のような東京の教育政策の問題点が今回の事態を起こしたのが本質だからである。はっきり言ってしまえば、いずれ大きな問題が起こると思っていたという人がいっぱいいるだろう。僕もこれほどとは思わなかったけど、大きな驚きはそれほどない。やっぱり授業しながら一日で採点するなんて無理だろうなあと思う。1月に入ってすぐに推薦の準備が始まり、異常に複雑化した推薦選抜がある。終われば、一次試験だけど、これも複雑なうえ、中には分割後期というのもある。この間、3年生の授業を終わらせ卒業判定を行う。大学の一般入試もあれば、まだ就職が決まってない生徒もいる。入選が終われば、最後の定期テストで、進級判定が待っている。何でこんなに忙しいのか。卒業式・入学式の「国旗・国歌問題」に取り組めないように、わざと入選方法を忙しくしているのかも…。担任教員からすれば、時には卒業判定や進級判定がもめることもあるので、まだ入ってもいない新入生よりも、自分のクラスの生徒のことだけで頭がいっぱいの時期である。

 それにしても「現場の教員」にも責任が全くないというわけではないだろう。しかし、それは「採点ミスした責任」ではない。やはり「職場の労働環境」が問われているのは間違いない。かつての戦争において、最高責任は戦争の最高指導者にあるだろうが、民衆にも民衆なりの「民衆の戦争責任」があるというのと同じである。一つ一つのミスについては、何で起こったかは誰にも追求できない。誰にもわからない。しかし、これほど多くの職場で起こったということは、職場の環境に多くの問題があるということで、それは「現場から改革」して行ける部分を見つける必要がある。今後、あと数回で「ではどうすればいいのか」「改善策はあるのか」と、とりあえず変えること、中長期的に検討していくべきことなどをまとめて書いて行きたい。
コメント

複雑すぎる東京の入選-都立高入選ミス問題④

2014年06月08日 00時40分08秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 4回目は東京都の入学者選抜の方法を簡単に紹介しておきたい。要するに、「テストと内申書(調査書)」でしょと言えば、東京だって基本はその通りなんだけど、推薦入試を含めて、あまりにも複雑な制度になっていて、建て増しを重ねた温泉旅館で風呂に行ったら部屋に帰りつけないような状態になってしまった。これは僕だけがそう思うのではなく、都教委自身が「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会」というものを立ち上げ、まさに今改善を図ろうとしている。その「報告書」にも、「各校の特色に応じた入学者選抜を実現することができたが、一方では、制度が複雑化し、受検者、保護者、中学校にとって分かりにくいとの指摘を受けることとなった」と明確に認識されているのである。

 東京都は人口が多く様々な地区を抱えているので、もともと多様な家庭が存在する。私立高校(高校以前に、私立幼稚園、小学校から「囲い込み」もある)が多く、難関大学合格やスポーツでの活躍などは私立高校が中心となっている。そのような中で都立高校の「改革」が進められ、多様な高校が誕生したことは、一定の評価もできるとは思うが、「個性化・特色化」をスローガンにした「新自由主義的改革」の下で、アメリカの教育社会学で言われる「ショッピングモール・ハイスクール」に近い感じになってしまった。(この言葉は、「いろいろと買いたい商品を並べたような授業を多くした高校で、生徒は「お客」として素通りして「居場所」がなくなったようなアメリカの高校を批判的する言葉である。)

 様々な多様な生徒に対応するとして、入選システムも多様化し過ぎて、「千手観音」みたいになってしまったのが、東京の入選ではないか。中学の教員も生徒に聞かれた時に細かいことはすぐに判らない。日比谷高校を受けるという生徒はともかく、商業や工業を希望する生徒から、志望校に面接や実技検査があるかどうか聞かれても即答できる中学教員はいないだろう。「チャレンジスクール」と「エンカレッジスクール」は何が違うのか。三部制の昼夜間定時制高校もあるし、従来からの夜間定時制もある。通信制もあるわけで、自分のクラスに不登校気味の生徒がいたとして、どの高校を勧めていいのか。私立高校の推薦を希望する生徒も多いわけで、あまりに多様化した都立高校は、中学担任が把握できるキャパシティを超えてしまっていると思う。

 東京の入選は3段階に分かれる。1月末に行われる「推薦に基づく選抜」、2月23日に行われていた「学力に基づく選抜」(分割前期)、3月上旬に行われる「分割後期」と二次募集である。その後、夜間定時制課程の二次募集が3月末に行われ、4月に入ってから通信制の募集がある。しかし、そこまで考えず、多くの全日制高校に関係する入選は以上の3つ。「分割後期」というのは、あらかじめ募集人数の中から一定割合を「後期」に回して行う選抜で、一次募集で人数が定数に達しなかった時に臨時に行う「二次募集」とは違う。全日制24校と定時制5校で「分割後期募集」が行われている。(「エンカレッジスクール」や「昼夜間定時制高校」はすべて実施。)推薦である程度募集してしまい、本番も前期後期に分けてしまうのだから、当然一次募集時の定員は少なくなる。一般入試で都立、私立を目指す生徒は全員受けるわけだから、当然「分割入試」をしなかったときに比べて、倍率が上昇する。この間、毎年のように、「都立人気の復活」と都教委の宣伝を真に受けたマスコミが報道したものだが、要するに募集人員の方を絞っただけのことが多い。

 まず「推薦」がすごい。調査書点は「観点別評価」で換算する。その具体的なやり方は、「都立高等学校の入試の仕組み」という生徒向け資料の下の方に説明がある。(もっと細かい説明を見ても判りにくい。)推薦そのものは、面接と小論文・作文・実技検査などで行い、普通科は20%、専門学科は30%、総合学科は30%の合格を上限としている。それより、「文化・スポーツ等特別推薦」という私立みたいなのがあり、「全日制87校 延べ296種目」で実施している。細かく知りたい人は、「文化・スポーツ等特別推薦実施校の選抜方法等一覧」を参照。最近の入試を知らない人は、都立でこんなことをしているのにビックリするだろう。ボート、ヨット、なぎなた、相撲、弓道、馬術、フェンシング、チアリーディング、和太鼓などという募集もあるので驚く。一体誰が指導するんだろう。その担当教師は異動の特例にでもなるのか。そんな話は聞いてないが。でも野球、サッカー、バレーボールなどと違い、誰か指導できるだろう教師がいる競技ではないだろう。

 さて、いよいよ「学力による選抜」である。細かい事実を知りたい人は、「平成26年度東京都立高等学校入学者選抜実施要綱・同細目について」の中をさらにクリックして行けば各校のやり方が判る。大まかなことを言えば、まず先に見たように「定員を前後期に分割できる」。問題文は5教科分作られるが、国数英のみ実施して午後は面接や実技検査にも代えられる。3教科の問題は、特別に作成する学校もある。以前は完全に自校作成だったが、苦労が多すぎたからだろうが、グループ作成になり、3グループある。「進学指導重点校」が7校、「進学重視型単位制高校」が3校、「併設型高校(中高一貫)」が5校、それぞれグループでもっと難しい問題を作るわけである。(中高一貫10校のうち、残りの5校は中学段階ですべての生徒を取るが、残りの5校は高校段階で2クラス分の生徒を募集する。)また、国際高校は英語の問題だけ自校で作成する。

 それから「特別選考」というのがあって、全日制20校では、8割か9割は「総合成績」で取るが、残りの生徒はあらかじめ決めた特別の方法で決める。総合成績とは「学力+調査書点」のことだが、要するにボーダーの生徒は学力優先で決めるという学校が多い。日比谷高校は1割の生徒を「国語、数学、英語、社会、理科の5教科のうち、国語、数学、英語の得点を2倍したときの5教科の合計点」で決めるという。ところが日比谷と並ぶ東大合格者数を誇る西高では、単なる5教科の総得点で1割を取るという。戸山や両国では、国数英を1・5倍するという。かと思うと足立新田高校は、2割の生徒を「A…9教科の調査書点、B…国語、数学、英語の3教科の合計点、C…面接の結果」としたときの「A:B:C=3:3:4」で決めると言うから、もうよく理解できない。まあ、そういうプログラムを作っておいて点数を入力してソートするだけだが、一体どういう理由があるのか、僕にはよく判らない。こういうのが20校。

 そのうえ、「男女別定員制の緩和」という制度まであり、男女別に総合成績で取ったあとで、「募集人員の1割に相当する人員を、男女合同の総合成績の順により合格候補者として決定する」。中学段階では発達段階的に女子の成績が良い場合が多いので、男女別に定数まで取ると、女子の不合格者が男子合格者の下の方を大きく上回ることが多いからである。全日制36校で実施されている。

 もうだんだんどうでもよくなってきたかと思うが、さらに「調査書点」をどう扱うか、3科目でテストをして社理の代わりに面接等を実施するかなどを各校で選択できた。2013年の入選においては、
 「5教科」のテスト実施校では、学力検査:調査書点の比率をもとにして、
   「7:3でテストのみ」が77校
   「6:4でテストのみ」が48校
   「6:4で、個人面接もあり」が2校
   「5:5でテストのみ」が18校
   「5:5で、集団面接もあり」が5校
 「3教科」のテスト実施校では
   「7:3で、個人面接」が1校
   「7:3で、集団面接」が1校
   「7:3で、小論文」が1校
   「7:3で、実技検査」が1校
   「6:4で、手段面接」が8校
   「6:4で、実技検査」が2校
   「6:4で、個人面接と実技検査」が2校
   「6:4で、集団面接、実技検査」が1校
   「6:4で、作文」が1校
   「5:5で、集団面接」が14校
   「5:5で、個人面接」が3校

 という感じになる。もっと言えば、普通は調査書点では試験をしない実技教科(体育、音楽、美術、技術家庭)は1・3倍するのだが、これを1.2倍にする高校もある。コース別高校では、例えば深川高校外国語コースでは、調査書の英語を2倍し、当日のテストの得点も英語を2倍する。そう言うコース制が6校。実技検査の中身も各校で違うし、面接のやり方も違う。「小論文」と「作文」も実は違うわけだが、どう違うのか。といった問題はもう見ないことにする。それに加えて、当日に学力検査をしない「エンカレッジスクール」というのが数校あり、学力検査がないだけでなく、調査書の提出もいらない「チャレンジスクール」というのもある。何が違うかを知りたい人はもう自分で調べて下さいと言う感じで、ここまで読んだ人なら大体知っているのかもしれない。エンカレッジとチャレンジの意味が分かる中学生なら、学力検査をしてもいい気がするが。夜間定時制の入選でも様々な違いがあり、多分全部わかっている人は都教委の担当者でも少ないのではないだろうか。もちろん、高校の教員も自分の学校は知ってるかもしれないが、関係ない学校のやり方は判らない。場合によっては自分の学校でさえ判ってないかもしれない。

 このように、単に5教科のテストをして採点して結果をパソコンに入れればいいというものではないのである。多くの学校では、面接、作文、実技検査などがあり、それらの採点、入力のミスがないかの点検も当然複数回行う。ある科目だけ2倍したり、1割の生徒だけ違うやり方で決めたりするので、ボーダーの生徒に採点ミスがあると大きく変わる可能性がある。さすがに学力検査と調査書は「(第一次募集・分割前期募集)7:3  (分割後期募集・第二次募集)6:4」に固定されるらしい。教科数も1次は5教科、2字は3教科と決めるという。そこまで決めるとすると、では今までの「自由化政策」は何だったのかと思う。でもそれは再来年からの話で、当面来年の入選は、この複雑怪奇な昔の九龍城みたいなものを理解しないといけないのである。
コメント