尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

米澤穂信『可燃物』、真相を見抜く主人公に驚く

2023年12月30日 20時39分05秒 | 〃 (ミステリー)
 年末恒例のミステリーベストテンが発表され、『このミステリーがすごい!』『週刊文春』『ミステリが読みたい』で米澤穂信可燃物』が1位となった。今本屋に行くと、カバーが掛かったこの本が何冊も置いてある。最初は文庫まで待てば良いと思っていたけど、なんか急に読みたくなって単行本を買ってしまった。買っちゃうと、すぐに読み始めるしかない。これが大当たりで、最近こんなに感心したミステリーはない。もちろん素晴らしく面白い一気読み本だから、年始に大のおすすめである。

 米澤穂信(1978)は割と早くから青春ミステリーを読んでいたが、本格ミステリー作家としてどんどん大きくなり、2022年には『黒牢城』でついに直木賞を受賞したばかり。あの本は織田信長に反逆した荒木村重を主人公にした歴史ミステリーだが、戦国の合戦最中に「不可能犯罪」が起きるという超絶的設定に驚いた。その論理性が時に面倒くさいぐらいの本だった。この論理性がないと、本格ミステリーは成り立たない。しかし、論理性の説明が面倒くさいミステリーはたくさんある。
(米澤穂信)
 今度の『可燃物』も「論理性」に驚かされる本だが、警察小説でもあるので現実社会に生きている現実の人間が登場する。いずれも不可解さが残ると主人公は判断するが、一見不可解じゃないとみなす方が自然な状況でもある。主人公は群馬県警本部刑事部捜査第一課葛(かつら)警部という。名前は出て来ない。家族などの私的な情報も不明である。趣味も何も判らず、いつも事件捜査中は菓子パンとカフェオレで済ませている。上司にも部下にもちょっと疎まれている。あまりにも独自な発想で事件の真相を見抜くので、上司からすると部下が育たない「個人プレー」型に見えるのである。

 しかし、そんなことはどうでも良い。葛警部は事件解決を仕事にしていて、まさに切れ味鋭く真相を見抜く。証拠がそろうと、証拠がそろい過ぎじゃないかと恐れる。動機は重視しないが、動機こそが鍵になる事件では動機を探る。バラバラ事件の死体が発見されると、発見されやすい場所に放置されていたのは何故だろうと考える。5篇の短編が収録されていて、いずれも傑作。

 どんな事件かというと…。雪山で発見された死体が殺されていた。行動確認中の容疑者が正面衝突の交通事故を起こしたが、どちらが信号無視だったのか。バラバラ死体が榛名山で見つかり犯人と思われる人間も見つかるが、バラバラにした動機が判らない。放火事件が相次ぐが、どれも可燃ゴミにちょっと火を付けただけで終わる。捜査に乗り出すと放火が止まるが、真相はいかに。そしてファミレス立てこもり事件が起きて、これは他と違うのかと思うと、それにも驚きがあるのだった。

 こんなことを書いても全然判らないですよね。ミステリーの紹介は筋が書けないから困る。ただ、殺人だの放火だのといった重大犯罪じゃなくても、仕事をしていれば毎日のように何かの「事件」が起きている。それが仕事というもんじゃないだろうか。僕が勤めていた「学校」という職場でも、深刻な暴力やいじめ事件もないではなかったけれど、もっと軽い人間関係のイザコザなどの「事件」はよく起きていた。そして、それを何というか判りやすく「解釈」して終わりにすることも多かったと思う。

 是枝裕和監督の映画『怪物』でも、表面上見えているものと、子どもの心にある「真実」には大きな違いがあった。葛警部のように何でも見抜くことは、凡人たる我々には不可能だ。だが、「真実」はそんなに判りやすい形を取るわけじゃないと知っていることは何かの役に立つだろう。別に役立つから薦めるのではないが、なるほど人間の真相は深いなと思う小説ばかり。そして、読みやすいからすぐに読める。ミステリーはジャンル小説だから、読む人は読むし、いくら薦めても読まない人はなかなか手に取らない。だから、あまり書かないようにしてるんだけど、これは日常を生き抜く時にもヒントになりそうだから、書いた次第。
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死刑執行がなかった2023年

2023年12月29日 22時06分13秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2023年には死刑の執行がなかった。2023年はまだ残っているけれど、死刑囚を収容している拘置所もお役所だから、土日や年末年始の閉庁日には死刑の執行は行わない。よって、2023年の死刑執行がないことが確定したわけである。これはどのような理由によるものだろうか。岸田内閣が死刑廃止、または死刑執行停止に政策を変更したということはないだろう。特に法務官僚は死刑執行を一年間行わないことに抵抗があったと思う。だが「諸般の事情」から、政治的判断として死刑執行が行われなかったと考える。

 ここ最近の死刑執行数を振り返ってみる。「平成」の事件は「平成」のうちにという(僕には理解不能の)方針により、オウム真理教死刑囚が一挙に執行された2018年が突出しているので、その前の2015年からまず一年間の執行数だけ調べてみる。

 2015年=3人、2016年=3人、2017年=4人、2018年=15人、2019年=3人、2020年=0、2021年=3人、2022年=1人

 今のところ、最後の執行は2022年7月26日秋葉原通り魔事件死刑囚である。2020年に執行がなかったのは「コロナ禍」によるものだ。死刑の執行は、「密閉」した空間に刑務官や検事、医者など多くの人が「密接」に「密集」して行う。まさに「三密」そのもので、実際に刑務所や拘置所などでコロナ感染が多かった以上、死刑執行は避けるべきと判断したのだろう。そのため2019年12月26日から2021年12月21日まで、およそ2年間死刑執行がなかったのである。

 死刑の執行はおおよそ7月末12月末に行われた年が多い。これは通常国会と(大体行われる)秋の臨時国会の終了後という意味である。国会で死刑制度をめぐって大きな論争があるわけじゃないけれど、それでも国会で質問される事態を回避したいのだと思う。それはやはり政権側にとっても「死刑執行」は「特に大々的に誇るべきもの」ではなく、EUなど「先進国」から非難される「ちょっと後ろめたいもの」になっていることを示すんじゃないかと思う。

 この間の法務大臣は以下の通りである。カッコ内に在任年と執行数を示す。
上川陽子(14~15、1人)、岩城光英(15~16、4人)、金田勝年(16~17、3人)、上川陽子(17~18、15人)、山下貴司(18~19、4人)、河井克行(19、0人)、森まさこ(19~20、1人)、上川陽子(20~21、0人)、古川禎久(21~22、4人)、葉梨康弘(22、0人)、斎藤健(22~23、0人)、小泉龍司(23、0人)
(葉梨康弘元法相)
 つまり、葉梨康弘法相から3人が、執行ゼロである。もう忘れている人が多いと思うけど、「葉梨法相の失言」問題が影響していると考えられる。元警察官僚の葉梨康弘氏は2022年に第2次岸田改造内閣で法務大臣に就任した。その後、同僚議員の政治資金パーティーであいさつし、「法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」「今回は旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、一生懸命、その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった」「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない」などと発言した。これが批判されて、辞職することになったのである。

 死刑執行という「国家権力が人命を奪う」究極の刑罰に関して、「軽口を叩く」のはやはりタブーなのである。「地味な役職」を誠実にこなす政治家じゃないと、なかなか執行命令は出せないことになる。この時期の岸田政権は「広島サミット」の成功が最大の目標だった。2023年前半に執行がなかったのは、ヨーロッパ先進国からの批判を避けるためだったかもしれない。また死刑確定事件の袴田事件の再審が決定したことも大きい。その後、柿沢法務副大臣の辞任小泉法相が所属する二階派への家宅捜索と続いた。そして安倍派の裏金疑惑が毎日大きく取り上げられている。死刑執行を行える「道徳的根拠」が政権側に無くなっている。

 他に裁判の影響も考えられる。いま「再審請求中の死刑執行に対する国賠訴訟」が行われている。これは再審請求中の死刑囚の執行に対する一定の抑止になってるかもしれない。また、「絞首刑執行差し止め請求訴訟」「当日告知・当日執行違憲訴訟」という裁判もある。これらの裁判で、最高裁まで行って現行の死刑執行を違憲・違法とする判決が出る可能性は低いかもしれない。しかし、訴訟の中で様々な証拠提出などを求められ、死刑に関する実態が明らかになることはある。法務省にとって、ある種の抑止力ではあるだろう。
(世界の死刑廃止国)
 世界各国の死刑廃止状況は上記地図で判るとおり、アジアやイスラム圏以外では大体は死刑廃止、または死刑執行停止の状況にある。他国がどうあろうと日本は関係ないと言えばその通りだが、いつも日本は先進国の仲間で発展した国だと主張したい人々が、中国や北朝鮮やイランと同じく死刑を手放さないのは理解出来ない。そう遠くないいずれかの日に、日本でも「中国とは人権状況が違う」と主張する象徴的ケースとして、死刑執行が停止になる可能性はあると思っている。

 死刑制度をめぐる問題を全体的に考えていると長くなりすぎるので、ここでは触れないことにする。死刑制度を支えているのは、「死刑存置論」ではなく、「死刑存置感情」だろう。だから「死刑廃止論」を主張しても、言葉がなかなか届かないのである。ただ日本のような重大犯罪発生率が非常に低い社会で、いつまでも死刑制度を維持しているのは、世界的に見れば理解出来ないと思う。日本人もきちんと死刑制度を議論する必要があるし、その前提として死刑に関する情報を積極的に開示していく必要がある。
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「大川原化工機」国賠訴訟、裁判所の責任も重大だ

2023年12月28日 21時57分07秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「大川原化工機」国賠訴訟で、東京地裁は2023年12月27日に東京都と国に総額約1億6千万円の賠償を命じる判決を言い渡した。この判決は警察、検察の捜査は違法だとして、「当然に必要な捜査」を怠ったと判断した。新聞の判決要旨を読むと、冒頭で「刑事事件で無罪が確定しただけでは、直ちに逮捕や勾留請求、起訴が違法とはならない」としている。そして「その時点で収集した証拠などを総合勘案して、その判断に合理的な根拠が欠けていることが明らかなのに、あえて捜査を継続したと認められるような場合に限り、国賠法上違法と評価される。」としている。

 つまり、この判決は警察や検察が「合理的な根拠」がないのに、「あえて捜査を継続した」と言っているのである。この事件は2020年3月に警視庁公安部が大川原化工機の社長ら3人を逮捕して始まった。同社が中国に輸出した「噴霧乾燥機」が軍事的転用が可能で、国の輸出規制の対象なのに無許可で輸出したという容疑である。その後起訴されたが、公判目前の2021年7月になって、輸出規制の要件である「殺菌性能」が証明出来ないとして、起訴が取り消しになるという異例の経過をたどった。

 この事件は起きたときから無謀じゃないかとなんとなく思っていた。公判が近づくにつれ、どうもおかしいという声がマスコミでも報じられるようになった。僕も記事を書こうかと思っているうちに、起訴取り消しになったので書かずに終わっていた。もともとがおかしな「公安事件」であり、中国に対する強硬な外交路線を示すため「あえて立件した」感じがする。安倍政権時代を象徴する事件であり、警察、検察側も政権の思惑を意識せざるを得ない時代だった。東京高検の黒川検事長の定年延長問題が起こったのは、捜査、起訴直前の2020年2月のことである。その直後に東京地検が起訴したわけだ。

 ところで、この事件のもう一つの大問題は「人質司法」である。容疑は「外国為替及び外国貿易法」違反であり、殺人や傷害、放火などの重罪犯とは違う。どちらかと言えば形式的な犯罪である。それなのに何度も保釈請求が却下され、最終的には8回目の請求により11ヶ月目の2021年2月に保釈されたという。その間に同社顧問の男性は胃がんが見つかった(2020年10月)のに保釈されなかった。そしてようやく保釈された直後に、その男性は亡くなったのである。その時点ではまだ起訴は取り消されていなかったから「被告」のまま亡くなったのである。本当にお気の毒で、なんと言うべきか言葉もない思いがする。

 さて、国家賠償法に基づく賠償請求を行うにあたり、被告は都と国を対象にした。東京都が対象なのは、警視庁公安部の警察官は東京都の公務員だからである。また検察官は国家公務員なので、国に対しても請求したわけである。だから「裁判官の責任」は問題になっていない。今回の判決は「逮捕は国賠法上違法」と判断した。「犯罪」が成立する要件である「殺菌性能実験」を行わなかったからである。しかし、裁判官が逮捕状を発行しない限り警察、検察は逮捕できない。(現行犯に限り「緊急逮捕」「私人逮捕」などが可能だが。)その後の勾留も裁判官が判断して容認したものである。

 何度も何度も保釈請求を却下したこと、特にがん発見後も保釈しなかったことは、裁判官に責任がある。保釈を認めないように検察官が要求したとしても、裁判官は検察の要求を退ける権限を持っている。がんになっても保釈を認めないというのは、仮に有罪が明らかな被告人であっても非人道的な行為である。「がんになっても保釈しない」というのは、「獄中で死んでも構わない」ということになる。(病院への移送は認められていたが。)それは「そうなっても構わない」という意図で行われる「未必の故意の殺人」に極めて近いと思う。その責任を裁判所が誠実に総括しない限り、「人質司法」の悲劇を繰り返すことになる。
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カポーティ『遠い声、遠い部屋』(村上春樹新訳)を読む

2023年12月27日 22時13分10秒 | 〃 (外国文学)
 村上春樹訳のトルーマン・カポーティ遠い声、遠い部屋』(Other Voices, Other Rooms、1948)が7月に出たので、何とか年内に読もうと思って取り組んだ。やはりなかなか難物だったけど、これは待望の新訳なのである。この小説を読むのは3回目で、中学生か高校生の時に河野一郎訳(新潮文庫)で最初に読んで非常に大きな刺激を受けた。だから何十年か経ってもう一回読み直したのだが、その時はどうも翻訳が古びたなと思って、これこそ村上春樹が新たに訳し直して欲しいなと思い続けていたのである。

 トルーマン・カポーティ(Truman Garcia Capote、1924~1984)は若くして認められ、日本でも大きな人気があった。『ティファニーで朝食を』や『冷血』が映画化されたこともあり、同時代のアメリカ作家の中でも早くから文庫に入っていた。僕もかなり読んだけど、特に長編デビュー作の『遠い声、遠い部屋』が一番好きだった。鮮烈な文体、少年の幻想、怪しげな登場人物が繰り広げる夢魔の世界。いわゆる「サザン・ゴシック」というアメリカ南部を舞台にした不気味なムードに魅せられてしまった。
(トルーマン・カポーティ)
 カポーティは23歳で『遠い声、遠い部屋』を発表した時、すでに短編『ミリアム』を書いて知られていた。そして初めての長編『遠い声、遠い部屋』を発表して、アメリカ文壇に「アンファン・テリブル」(恐るべき子ども)として名を馳せるに至った。この小説は自分を思わせる13歳の少年ジョエル・ハリソン・ノックスが、母が死んだ後で父の屋敷に引き取られるところから始まる。父の屋敷は「ヌーン・シティ」というバスも列車も通っていない小さな町から、さらに外れたところにある。少年が一人で行き着くまでが大仕事。そして、行き着いても父に会うことができない。

 その屋敷は火事にあって焼け残り、いとこランドルフと継母エイミーが住んでいる。またラバの馬車で彼を連れてきた昔から仕えてきた黒人ジーザス・フィーヴァー、その孫娘ミズーリもいる。近所にはおとなしいフローラベル、お転婆なアイダベルの双子姉妹がいて、これらの人々が少年の新しい世界となった。しかし、父に引き取られたはずなのに、父はいるのかいないのか、全く会わせて貰えない。そんな中で少年は謎の女性がいるのを見てしまうが、屋敷の人々はそんな人はいないと彼の言い分を否定する。父を見つけられない少年はミズーリの黒人文化に驚き、アイダベルと森の中を遊び回ったりする。
(原書)
 やがて判明する父の実情、ランドルフの人生、そしてアイダベルの家出に付き合って近くの町のカーニバルに行くクライマックスがやって来る。そこで小人症の女性と知り合い、観覧車に乗っていると大嵐が襲ってくる。こういうカーニバルの夢魔的世界は、レイ・ブラッドベリの小説や多くの映画なんかによく出てくる。その後、もっといろいろ接してしまったので改めて驚くこともないんだけど、初めて読んだときは多分こういう熱気と幻想にあてられてしまったんじゃないかと思う。病気になった少年は療養しながら、自分が少し大人になったことに気付く。結局「父の不在」と「自我の目覚め」がテーマなのである。

 カポーティはその後ニューヨークの社交界でもてはやされ、アルコールやドラッグでスポイルされてしまうことになる。多くの人に知られているように、カポーティの孤独と墜落の背景には同性愛があった。この『遠い声、遠い部屋』を最初に読んだとき、自分は全然そのことに気付かなかったが、今読み直すと明らかに作者はところどころに性的指向を密やかに書き込んでいる。当時のアメリカではそのことが物議を醸したというが、まだはっきりとは明言されていない。だが「サザン・ゴシック」の代表的な作品として、今もなお生き生きとした魅力を保っていると思った。
(原書、若き著者の写真が有名)
 村上春樹が最初に行った翻訳はスコット・フィッツジェラルド(1896~1940)だった。第一次大戦後の「失われた世代」を代表する作家だが、カポーティと同じように早熟な才能を酒とパーティーで費やしてしまい早死にした。その中で書かれた幾分感傷的な短編を集めた「ベスト・オブ・村上春樹訳フィッツジェラルド」とでも言うべき『フィッツジェラルド10』が中公文庫から刊行された。こっちを先に読んだんだけど、栄光と転落を描く物語が多い。ちょっと飽きてくる点もあるが、まずはじっくり人生を噛みしめる本だ。まあ僕はなんで村上春樹がフィッツジェラルドを大好きなのか、未だによく判らないんだけど。
 (スコット・フィッツジェラルドとゼルダ夫妻)
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フィンランド映画『枯れ葉』、アキ・カウリスマキ節の復活

2023年12月25日 22時15分38秒 |  〃  (新作外国映画)
 別の映画を見に行って満員だったので、フィンランドアキ・カウリスマキ監督の新作『枯れ葉』を見ることにした。カウリスマキは前作『希望のかなた』(2017)の完成後に突然引退を発表した。もう新作は見られないものと思っていたが、また突然新作『枯れ葉』を作ってカンヌ映画祭審査員賞を受賞したのである。公開に合わせてユーロスペースで特集上映が行われたので、2本ほど見直してみた。ものすごく面白くて「アキ・カウリスマキ節」を満喫したが、構図が似ているので飽きる面はある。

 アキ・カウリスマキ初期の『パラダイスの夕暮れ』(1986)の「2.0」版が今作だと監督は言ってるらしいが、実際本当に似ている。底辺を生きる貧しい労働者、理不尽な社会、孤独な男女、酒とタバコ、不器用なラブロマンス、偶然による誤解や別れ、映画だけに許される再会。ヘルシンキの「場末」に生きる人々を暖かく見つめる眼差し。独特な音楽選び(日本の歌も良く出て来る)。ちょっと見れば、すぐにこれはアキ・カウリスマキ監督の映画だなと判る。それは小津安二郎の晩年の作品でも同じだが、変わることなく自分の世界を貫いている。今作も同じような感じなんだけど…。
(主演の二人)
 スーパーで働くアンサアルマ・ポウスティ)は賞味期限切れの食品を困ってる人にあげて解雇される。一方、工場労働者のホラッパユッシ・ヴァタネン)は酒浸りで、ウツ状態。仕事中も酒を止められず解雇される。二人はそれぞれ同僚とカラオケに行って(「カラオケ」はやはりフィンランドでもカラオケと言っている)、何となく知り合う。また偶然会って、映画を見て次も会うことを約束する。その時に女は名前を教えないが、電話番号を紙に書いて教える。観客だけが知っているが、その紙はポケットから落ちて風に吹かれて飛んでいく。二人がまた会える日は来るのだろうか。
(アンサと愛犬)
 二人の日常にはスマホもなく、テレビさえない。みんなタバコ吸いすぎだし、いつの時代の話だよと思うのも、いつもと同じ。だが今度の映画ははっきり時代が特定可能だ。それは2022年である。アンサが付けるラジオからいつもウクライナ戦争のニュースが流れているのである。恐らく監督はこの戦争で変わってしまったフィンランドを記憶に留めるため、そしてそれでも世界の片隅に小さな愛があることを示すため、この映画を作ろうと思ったんだろう。そして、その映画は世界に届いた。世界で高く評価されているのがその証拠だ。主演のアルマ・ポウスティはなんとゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされたぐらいである。
(監督と主演の二人)
 また映画ファンには嬉しい「トリビア」がたくさんある。二人が見に行く映画は、監督の友人でもあるジム・ジャームッシュのゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』である。それを見ていた観客がロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』だ、いやゴダールの『はなればなれに』だなどと言い合っている。(あの映画はそこまで面白くないと思うけど。)他にも俳優の背景に映画のポスター(ゴダールの『気狂いピエロ』など)があるし、最後の最後に犬の名前で締めとなる。
(『トーベ』のアルマ・ポウスティ)
 隣国ロシアが起こした戦争の現実と、判る人だけ判る映画愛のこだわり。それでいて、いつのものようにアキ・カウリスマキの映画は短い。この映画はなんと81分だが、2時間の映画を見たような余韻が残る。主演のアルマ・ポウスティは「ムーミン」シリーズの作者トーヴェ・ヤンソンを描く『トーベ』でタイトルロールを演じた人である。この映画は見ていて、なかなか面白かったがここでは紹介していない。『枯れ葉』によって世界でブレイクしそうである。ユッシ・ヴァタネンはソ連との戦争を描く『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』(未見)に出ていた人だという。
(映画で歌うマウステテュトット)
 アキ・カウリスマキ監督の映画は、短くてもいつも時間以上に豊穣な世界に浸ることが出来る。その理由に音楽の使い方のうまさもある。登場人物は沈黙し、感情は音楽で伝える。この映画ではカラオケで同僚が歌う「秋のナナカマドの木の下で」、あるいは解雇されたホラッパが働き始めるシーンで流れるカナダのシンガーソングライター、ゴードン・ライトフットの「夜明け前の雨」(高石ともやが「朝の雨」として歌っている)などが大きな意味を持つ。また若い女性バンド、マウステテュトットが時々出て来てすごく印象的。この名前はフィンランド語で「スパイス・ガールズ」という意味だという。

 いくら何でもフィンランドだって、犬を病院の面会に連れて行けるだろうか。また病院の入口にスロープがなくて、階段だけってどういうことだ。(多分、そういうビルしかロケ地を見つけられなかっただけだと思うが。)外国映画を見てると、そういう不思議な描写に戸惑うことが多いが、ヘルシンキがこんなに寂れた町のはずがない。アキ・カウリスマキ監督の映画に出て来る町は、監督の世界ということなんだろう。なお、題名はもちろんシャンソン「枯葉」からである。
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今は安倍派の責任追求が優先だー岸田首相退陣要求の前に

2023年12月24日 22時25分11秒 | 政治
 クリスマスを迎え、今年は「聖地」の辺りもきな臭くなってしまった。ガザもウクライナも、その他の地域もクリスマスや新年の休戦などないらしい。日本人が能天気にケーキなど食べ、イルミネーションを楽しむのもどうなんだと思う。が、まあ取りあえずの小さな幸福を奪うまでもないか。いま、安倍派など自民党各派閥の政治資金問題が政界を揺るがしている。12月上旬に書いたままになっているので、その後の展開と合わせて書いておきたい。来年まで書くまでもないかと思っていたが、「今こそ岸田首相の退陣を」なんて真顔で言ってる人がいるようで、ちょっと書いておきたいのである。

 12月13日に臨時国会が終了し、すぐにも強制捜査が始まるかと思われたが、なかなか行われなかった。結局、12月19日になって安倍派二階派の事務所に家宅捜索が入った。遅れたのは全国から検事を集める態勢作りに時間が掛かったからだとも言われる。この問題が騒がれてから1ヶ月以上経ち、もう証拠などすべて隠滅されているのではないか。と思うと、案外そうでもないらしいという話だ。職員、秘書なども自分だけ責任を取らされるのを避けるため、メールなどでの指示、あるいは録音などを残していることが多いという。そう言えば、週刊文春なんかがよく音声データを公開している。
(安倍派、二階派に家宅捜索)
 今自分が国民の一人として言えることは、「この捜査の決着のあり方に声を挙げていくことが大事だ」と思っている。現時点で岸田内閣は総辞職せよなどと言うのは、捜査妨害の安倍派擁護である。岸田首相が辞任を表明しても、次の首相は与党第一党の自民党から選ばれる。経済も外交も問題山積のなか、自民党総裁選のために1ヶ月も空費するのか。そして「河野太郎」(マイナ保険証推進責任者にして、批判を許さない「ブロック太郎」)、「高市早苗」(エキセントリックな極右で、官僚に責任を押しつける体質)、「上川陽子」(オウム真理教死刑囚の大量執行命令者)、「小泉進次郎」(第二子誕生一ヶ月だから育児休業するべきだ)なんかが次の首相になるかもしれない。つまり今より悪い首相が登場するのがオチである。

 それを言うなら、今の国会構成を変えるべきであり、直ちに解散・総選挙をするべきだという意見もあるだろう。しかし、いま衆院選をやっても何が変わるだろう。自民党安倍派議員の「みそぎ」になるだけだ。野党がバラバラになっている状況は、それなりの理由があってそうなっているので、良いとも悪いとも決めがたい。ただ、野党がバラバラなままでは自民党が漁夫の利で勝つだけだ。それは野党の問題だとしても、責任を負って辞任するべき政治家がそのまま出馬して当選してしまう事態が起きてしまう。

 それでは今何を発言するべきか。それは「安倍派幹部の刑事責任をきちんと追及する」ということだ。与野党通じて、また自民党他派閥でも政治資金報告書の不記載はあるだろう。それはまず第一に会計責任者の責任である。それで良いのかという法改正問題はあるが、とにかく今は法律でそうなっている。だから安倍派や高額不記載議員の政治団体の会計責任者が起訴されることは確実である。だが、それ以上に議員本人が訴追されるかは微妙な問題になる。確実な指示、あるいは了解などの証拠がない限り、刑事責任を問うのは難しい。かの「桜を見る会」問題でも、秘書は略式起訴されたが安倍元首相は結局逃げ切れたのである。
(これが今年の安倍派パーティー)
 ところが今回の安倍派問題は全く様相が異なっている。マスコミでは誰がいくらキックバックされたかなどと報道されている。しかし、それも問題かもしれないが本質ではない。問題は「安倍派そのもの」にある。安倍派主催のパーティーなんだから、それは安倍派の収入だが、還流分不記載の額は総計5億円とも言われる。それをノルマ以上に売っていた議員に戻したというんだから、支出の不記載額も5億円になる。合計すれば10億円になるが、さらに参院選のある年はそもそも改選議員は派閥に収めなくてもよかったという話も出ている。つまり、10数億円の不記載という政治資金規正法違反事件上に類例を見ない悪質な事件なのである。

 もちろん、この不記載は会計責任者の職員が決められる問題じゃない。また、個々の議員側のミスで不記載だったのでもない。派閥ぐるみの方針で決められていたのである。従って会計責任者はむしろ従犯であり、主犯は方針を決めた派閥幹部である。それは誰だろう。僕には判らないけど、安倍派の有力議員には多かれ少なかれ責任があると思う。しかし、恐らく責任を認めて略式起訴に応じるのはごく少数だと思う。検察側も何十人も訴追するとは考えられない。検察が訴追するとしたら、多額な不記載があった数人、派閥の意思決定に責任があると証拠上固められた1人~数人に絞られると思う。

 略式裁判を選ばず正式裁判をするとなると、決着まで数年は掛かるから次の選挙に出られる。ましてや不記載があっても、数多くの安倍派議員が不起訴になるだろう。それに対し「検察審査会」に申立てをする人が出て来ると思うが、それでも大部分は逃れられるだろう。問題はそれで良いのかということだ。検察は国民の反応をよく見ていて、厳しく監視していかないとほんの僅かの議員を訴追して終わりにするだろう。そしてどんなに検察が捜査しても、証拠上政治資金規正法違反の共犯容疑を固められない議員が相当数出て来ると予想される。問題はそれを許したままで良いのかということだ。

 かつて東京佐川急便事件で当時の金丸信自民党副総裁が在宅のまま略式起訴になったことに国民の批判が殺到した。その結果、本人が議員辞職するに至った。今回も刑事責任を辛くも逃れたとしても、明らかに政治責任がある政治家には議員辞職を要求していかなければならない。つまり、次の選挙に出てはいけない人をはっきりさせることが最優先だと考えている。そのプロセス抜きで選挙をやっても、選ぶべきじゃない人を選んでしまう。選挙に出ちゃいけない人が一杯いるはずだ。安倍派だけで数十人になるかもしれない。そのプロセスが終わってから選挙をやりましょう。それまでは岸田内閣でやって貰うことになるけど仕方ない。
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映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』、スコセッシ監督の超大作

2023年12月23日 22時16分59秒 |  〃  (新作外国映画)
 マーティン・スコセッシ監督の超大作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を見て来た。もう東京のロードショー上映は終わっているが、柏のキネマ旬報シアターでやってるから見に行ったのである。レオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロとスコセッシ作品おなじみの俳優が大熱演している。でも、なんと206分という長さが困る。まあ、アメリカ先住民の悲劇を描く大叙事詩だし、ゴールデングローブ賞で作品、監督、脚本、男女主演俳優、助演男優にノミネートされた。やはり見ておくべきか。

 アーネスト・バークハートレオナルド・ディカプリオ)という青年が第一次世界大戦から帰還してきた。彼はおじウィリアム・ヘイルロバート・デ・ニーロ)を頼って、オクラホマ州オーセージ郡にやってきた。(映画には「オセージ」と出るが、Wikipediaでは「オーセージ」じゃないと出てこない。)そこは先住民のオーセージ族の居留地だが、彼らは地下資源の権利を持っていたのである。1897年に初めて石油が出て、その後いろんな経緯があったらしいが、とにかく1920年代には先住民が非常に裕福となり、貧しい白人労働者が働くという全米的に見れば逆転した状況になっていたのである。
(ウィリアムとアーネスト)
 おじは自らを「キング」と呼ばせ、この地区の有力者になっていた。急速に金持ちになった先住民の中には、酒に溺れたり糖尿病など「生活習慣病」になる人が多かった。そこで白人たちが「後見人」となって、お金を管理していた。裕福な先住民の女性と結婚する白人もいて、アーネストも運転手として知り合った先住民のモーリーリリー・グラッドストーン)と親しくなっていく。リリー・グラッドストーンは先住民の血を引く女優だが、19世紀のイギリス首相グラッドストーンの遠い親戚でもあるという。ケリー・ライカート監督『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』で知られたというが、鮮烈な存在感を発揮している。
(アーネストとリリー)
 二人は結婚し子どもも生まれるが、その頃からリリーの周辺で不可解な事件が起きてくる。リリーの妹はすでに亡くなり、その次に姉が殺される。それらの事件は地元警察には手が余り解決の兆しがない。このような事件は現実に起こったもので、「オーセージ族連続怪死事件」の犠牲者は60人にもなるという。リリーの糖尿病も悪化し、世界で5人しか使えないというインスリンを取り寄せていた。だが、ちっとも効果が出ないことに、苛立ちを強めていく。疑心暗鬼が渦巻く中で爆発事件がおき、部族協議会はワシントンに使節を送ることを決める。そして後のFBIにあたる司法省捜査局がやって来たのである。
(アーネストとリリー)
 その後は法廷ミステリー的な展開になるので、書かないことにする。この事件を日本で知る人は少ないだろう。デヴィッド・クラン『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』というノンフィクション作品が原作である。日本でも早川書房から翻訳が出ている。原書は2017年に出てベストセラーになったという。邦訳は翌年に出ているが、読むどころか知っている人も珍しいと思う。自分も全く知らなかった。そもそもオクラホマ州は本来先住民のための地区だった歴史があり、オーセージ族以外にも多くの居留地がある。現在は先住民に特別に認可されているカジノが多い地域になっているようだ。「花殺し月」というのは先住民の暦で5月を指す言葉だという。4月にお花畑が咲き誇り、5月に枯れるからという。
(監督と主演者)
 この映画はスコセッシ作品の『グッド・フェローズ』や『アイリッシュマン』と構図が同じ。自分を守るために法廷で司法取引に応じるかどうかというテーマである。それは遠藤周作原作の『沈黙』を映画化したことでも判るように、「裏切りとは何か」が終生のテーマなのだろう。しかし、それにしても長すぎると思う。製作会社側は休憩を取らずに上映することを求めていて、ヨーロッパでは休憩を入れたために契約違反に問われたという。だけど、3時間半近く拘束するなら、もっとキビキビした展開が必要だ。力作ではあるが、賞レースではノミネート止まりになる気がする。ラストで後日譚がラジオドラマの公開放送で示されるのは新工夫。なお、2023年8月に亡くなった音楽担当のロビー・ロバートソンに捧げられている。
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改めて「紙の保険証廃止」に反対するー高齢層78%反対を切り捨て

2023年12月22日 21時58分26秒 | 政治
 好きな映画や本の話、そして時々温泉や散歩の記事を書く。そんな風にできたら、どんなに幸せだろうと思う。しかし、そういうわけにはいかない。「政治」が自分の暮らしに入り込んで来る以上、何らかの対応をせざるを得ないのである。さて、岸田内閣は2024年12月2日に「紙の保険証」を廃止すると決めた。もっとも従来の保険証の有効期間内はそのまま使うことはできる。だが、基本は「マイナ保険証」を使うことになる。この問題については、昨年からもう何度も反対論を書いてきた。判っているから何度も書くなと言われるかもしれない。それでも初めて読む人もいるだろうから、何度も何度も書いていきたいのである。

 「マイナ保険証」については、様々な問題が噴出して岸田内閣支持率低下のきっかけ(の一つ)にもなった。そのため政府はマイナ保険証の検証を行ってきたが、多くの反対にもかかわらず「紙の保険証廃止」方針を変えなかった。一説によると、岸田首相は廃止時期の決定を先送りして「保留」にする意向だったという。それに対し河野太郎デジタル相が強行方針を維持するように働きかけて、直接総理に「直訴」する意向を見せたため、首相も「廃止」に踏み切らざるを得なかったとか。 

 国民の多くは世論調査を見る限り、方針撤回か延期が圧倒的に多い。関係する自治体、保険組合、医師会、福祉関係者なども多くの反対がある。一体、何のために「紙の保険証」をなくすのか、誰にもよく判らないだろう。今までうまく行かなかったなら、変更しないといけない。しかし、今までの保険証で困っていた人がいるだろうか。誰も困ったことなどなかったと思うが。

 共同通信社の世論調査によれば、「撤回」が41.7%「延期」が31.4%「予定通り廃止」が24.6%となっている。(東京新聞12月18日)もう圧倒的に来年秋の廃止を望んでいないのは明らかではないか。特に興味深いのは、年齢別の調査結果である。若年層(30代以下)、中年層(40~50代)、高齢層(60代以上)に分けたときに、高齢層になるほど圧倒的に反対が多くなるのである。撤回+延期を反対論とみなすと、若年層=62.0%、中年層=75.4%、高齢層=78.2%となっているのだ。
(世論調査結果)
 これは全く当然のことだろう。どの世代も病院に行くけれど、高齢層が一番病院のお世話になっている。子どももそうだけど、子どもは世論調査の対象外だし、自分で保険証を使わない。障害者も同じだが、高齢者はまず「マイナンバーカードを作ること」に困難がある。そしてカードを「マイナ保険証」にするためのスマホやパソコンの操作にも困難がある。そして、暗証番号を記憶し、病院の受付で使いこなすことにも困難がある。さらに自宅(または施設等)でカードを管理することにも困難がある。

 そんなことは自分の近くに、年寄りや障害者がいれば誰でも判ることである。紙の保険証の管理だって大変なのである。何度も同じことを書くことになるが、僕の母親もよく保険証をなくしたのである。大事だからとどこかにしまい込んで、その場所を失念するのである。認知症とまではいかなくても、高齢になれば誰でも多かれ少なかれ「物忘れ」になるのである。

 だから無理に年寄りにカードを作らせて、今後はどんどん無くすケースが起きるだろう。今は再発行に一月ぐらいかかるらしく、それを政府は一週間ぐらいにすると言っている。だけど、紙の保険証なら「その日のうちに再発行可能」なのである。これは自分で経験したから確かである。高齢だと、ほぼすべての人が国民健保になるはず。だから役所(出張所)に行けば、一日のうちに新しい保険証を使えるのである。中には家族がいない人もいるから、この時差は命に関わるものだ。

 ところで政府は「保険証専用のマイナカード」を作ることにした。これは「暗証番号不要」とのことで、政府が便利になると大宣伝していた様々な機能(住民票をコンビニで取れる、様々な給付金を簡単に受給出来るなど)は使えない。これは「暗証番号を忘れる」対策にはなる。写真が付くそうで、本人確認書類にもなるという。だから運転免許証を持たない人には一定の利便性はあるだろう。だが、これでは政府が進めて来た政策と食い違うではないか。紙の保険証のままで十分じゃないかと思うけど。
(資格確認書)
 ところで、自分はまだマイナンバーカードを作っていない。それじゃ困ると思うだろうが、全然困らない。保険証がなくなっても、「資格確認書」なるものを申請しなくても送ってくるそうだ。つまり、それは「事実上の保険証」で5年間有効だそうだ。これは多くの人にとって「マイナ保険証」より使い勝手がいいものじゃないかと思う。それでいいんじゃないの?

 「マイナ保険証」は同じものが永遠に使えるわけじゃない。5年ごとに暗証番号の有効期限が来る。もうその時点で大混乱が起きるのは間違いない。10年でカードそのものの期限が来る。そのたびに作り直す必要があるけど、10年前は元気だったけど、その後病気をした、障害者になったという人が相当数出るわけだから、今度はそういう人が更新出来ない。この問題は紙の保険証廃止を決めてオシマイじゃない。今までは「口座のひも付け間違い」などが問題化したが、使い始めたらもっと問題が起き続けると思う。

 今回の安倍派の裏金問題は、やはり「国家」を強調する人々は実は自分たちの利益を最優先することを明らかにした。それは歴史の法則とも言えるはずだが、世界中で忘れている人も多いようだ。「マイナカード」というものも、政府がポイントあげます、便利になりますといってる時点で、これは疑わしいと思うのが通常の感覚だろう。そういうものは出来る限り反対しなくてはならない。昨年は『 「マイナ保険証」、廃止までの10年の闘いへ』を書いた。教員免許更新制と同じく、世の中に広く不都合が認識されるまで10年のスパンで考えるべきだと思ったからだ。だが最近の政局を見れば、もっと早く撤回、あるいは少なくとも延期を実現することは不可能じゃないと思う。まだカード作ってない人、保険証にしてない人、そのままで大丈夫。
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粟津温泉(石川県)「法師」に泊まって蟹を食べる

2023年12月21日 22時38分50秒 |  〃 (温泉)
 石川県にある粟津温泉の「法師」に泊まってきた。ここは一時「世界で一番歴史ある宿」としてギネスブックに登録されていた。何しろ718年に開かれたというから、1300年続く宿である。宿の前には「創業一千三百年」と書かれた大きく書かれた垂れ幕が掛かっている。そういう宿だから料金も高いのだが、割引クーポンがあったので行ってみたのである。北陸の温泉に行くのは実は初めて。飛行機で行くには近すぎ、車で行くにはちょっと遠い。関東からだと行きにくい地域である。(ちなみに今は世界最古の宿は705年創業とうたう山梨県西山温泉の「慶雲館」になっている。)
 
 初めての方面だし、有名な旅館だから楽しみ。寒い時期だけど、出来たら金沢で少し観光したいなと思っていた。9月に日光に行ったときは、翌日に台風が関東を直撃するというので、ハイキングを諦めて帰って来た。ところが今度も寒波襲来にぶつかって、北陸は昨日から雨で夜からは雪が降っていた。帰って来てテレビを見たら石川県に大雪警報と伝えていた。風も寒いし、今度もさっさと帰ってくることにした。年末は閑散としていて、昔からよく旅行に行ってるけど、暖かい地方の方が良かったか。

 北陸新幹線で金沢まで行き、特急に乗り換えて加賀温泉駅で降りた。そこから送迎車で宿まで20分程度。初日は寄り道せずに宿に直行。まずよく整備された庭を見ながら、抹茶と和菓子を頂く。こういう「おもてなし」もいいんだけど、コロナ後は先に手洗いしたい気もしてくる。さて、大浴場へ行く前に、雨が弱くなってので宿そばの「総湯」に行ってみた。温泉街の中心にある共同湯を北陸では総湯と呼んでいる。一人470円。地元の人もいっぱい来てたけど、塩素臭がする循環でガッカリ感が強い。
(総湯)
 帰ってから、いよいよ大浴場へ。この宿はどうも大きくし過ぎたようで、風呂も食事会場も大回りしないと行けない。昔よくあった迷子になりそうな宿である。お風呂はとても大きく、ぬる湯、あつ湯に分かれている。ナトリウム硫酸塩泉の無色透明のお湯がいっぱい。露天風呂とサウナもあるが今回はパスした。風呂が広くて嬉しいけど、これも循環だった。その割に塩素臭はないし、よく温まるお湯である。人が少なくて伸び伸び出来て良かった。ホームページを見ると、露天風呂付き部屋は源泉掛け流しらしい。朝は客がいなかったので、ちょっと撮ってみたけど、下の1枚目は検索して見つけた写真。
  (男湯前)
 夕食はとても良かったけど、食べきれないほど多い。久しぶりにお酒をちょっと。宿のある小松市の米(蛍米)を使った純米酒「蛍舞」というもので、大体その地域のお酒をちょっと飲んでみたいのである。なかなか美味しかった。それよりメインは蟹で、ズワイガニ一人一杯付きである。いや、面倒くさいから蟹は苦手でもあるが、久しぶりで嬉しい。他に「和牛しゃぶ」「目鯛朴葉焼き」と二つも温めるものが出た。でももっと美味しかったのは「のど黒温寿司」と「黄門粟餅」。デザートの抹茶プリンも良い。減塩をお願いしていたら、うどんの出汁がほぼ「だし」だけだった感じ。ありがたいような、物足りないような…。

 朝食もとても良い。ノドグロと笹カレイをその場で焼く。イカ刺しやワタリガニの味噌汁。納豆は出ない地域なんだろうが、代わりにワサビ海苔やフキ、明太子なんかがちょっとずつある。蛍米コシヒカリ。絵で料理を紹介するというのは新味だった。
(絵を取ると)
 ということで、総合してみればなるほど良い宿だった。しかし、76室もあるというほど大きくして、バーやカラオケも作ったけど、今じゃ誰も利用しない。飲泉出来ると出てたけど、飲泉所は廃止されていた。大浴場が循環になったからだと思う。大きくて迷路みたいで、運動になるかもしれないけど、高齢者には大変だろう。夕食の配膳は外国出身の若者で、一生懸命やっていた。人件費も大変なんだろうな。これからの温泉宿を考える意味で、なかなか興味深いところだ。頑張って欲しい。素晴らしいお庭があって、散歩できるけど雨と雪だから行けなかったのが残念。
 
 金沢駅で途中下車して、お土産でも見て食べて来ようかと思ってたんだけど、どんどん天気も悪くなりそうだから早めに帰ってくることにした。社内販売がなく、上野に着いてから軽く食べることになった。実は行く時に見てなんだろうと思った「セルフ駅そば」に行った。常磐線ホームの端にあったのである。交通系ICカードで支払うと、誰もいない店内でロボットが温めるというやり方らしい。まあ、駅そばとしてそこそこ美味しいレベルだろう。片付けもセルフである。七味唐辛子ぐらい欲しかったけど。
(セルフ駅そば店)
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トキワ荘マンガミュージアム

2023年12月19日 22時38分58秒 | 東京関東散歩
 『じい散歩』を散歩するだけじゃ楽すぎるので、その日は南池袋で梵寿綱の建築を見た後にトキワ荘マンガミュージアムに行ってみた。まあたくさん歩くことが目的で、この日は(家から駅への往復を含め)総計1万6千歩になった。夕方に文楽を見る日だから、落ち着いてしっかり見る気持ちの余裕がない。もっとも今までに幾つもの文学館、郷土歴史館などに行ってるけど、あまりちゃんと見てないと思う。最近は特にそうで、修学旅行の生徒並みになってきた。いちいち字を追うのが面倒なのである。

 駅で言えば、西武池袋線椎名町東長崎、都営地下鉄大江戸線落合南長崎と三つの駅が近い。今回は椎名町から池袋まで歩こうと思ったので、東長崎まで行った。ミュージアム単体なら、それが一番近いのではないか。だけど、豊島区が作ったいろんな施設が並んでる「トキワ荘通り」をゆっくり見て歩く方が興趣があるかもしれない。東長崎から行くと、突然トキワ荘が出て来る。
   
 トキワ荘があった場所に再現したのではなく、そこからちょっと離れた南長崎花咲公園(トキワ荘公園)に建てた。真ん前から写真が撮れると良いんだけど、ちょうど逆光の時間帯で上の2番目の写真みたいな角度じゃないと撮れなかった。(これでもシャープじゃないけど。)3番目の写真は真裏のもので、光的にはここからが良い時間。裏を撮ってる人がいなかったが、何の建物でも裏が面白いことが多い。もっとも2019年から作り始めて、2020年開館だから、まだまだ古い感じが足りない。それは仕方ないことだが、昔のトキワ荘自体も1952年に建てられたものなので、若き漫画家たちが集っていた時代は新築アパートだったのである。
 
 そう言えばトキワ荘そのものの説明をしていない。様々なメディアを通して、「漫画の聖地」みたいな伝説は多くの人が知っていると思う。手塚治虫藤子不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫ら超有名な漫画家が若き日にこのアパートに住んでいたのである。部屋の割り振りは上記パンフの中面に載っている。ミュージアムは予約優先になっているが、平日は余裕があって予約なしでも入れると思う。(自分もそうだった。)1階は写真を撮れないが。特別企画展「ふたりの絆 石ノ森章太郎と赤塚不二夫」を今やってる(3月24日まで)。2階は当時の部屋が再現されていて、そこは写真が撮れる。
           
 写真を見ると、窓の向こうが見える感じだが実はそれは絵である。今とは風景が違うので昔風の絵を描いている。再現された部屋には生活の様子まで作られたものもあれば、皆で写真が撮れるような部屋もある。僕もついうっかりしていたが、漫画家たちは偶然に集まったわけではない。手塚治虫が売れてきて前のアパートに編集者の出入りが激しくなって、苦情が出た。そこで『漫画少年』を出していた学童社の社長の次男が住んでいたアパートを紹介したのである。手塚治虫が入居したのが、1953年初頭。そうなると学童社に連載を持つ漫画家をそろって入居させれば会社側も便利である。漫画家側からしても、多忙時に手助けして貰えるから仲間がいると都合が良い。まあそういうことで、ここに漫画家が集結したわけである。
  
 面白いのは電話ボックス。当時の様子を再現してあるが、もちろん使えるわけじゃない。公園にはキレイなトイレや売店もある。好きな人には一杯見どころがあるんだろうけど、そろそろ先を急ぎたい自分はさっと通り過ぎてしまった。そこから歩いてトキワ荘通りを椎名町方面(山手通り方面)へ歩く。少し行くと、有名な中華料理店「松葉」がある。ここは若き漫画たちがいつも食べていたところで、藤子不二雄の漫画によく出てくる。ところで、ホンモノのトキワ荘はこの「松葉」の道を隔てたちょっと奥にあり記念碑がある。こんなに近いんだから、良く行くはずである。
  
 通り沿いにはトキワ荘マンガステーショントキワ荘通りお休み処昭和レトロ館など、いろんな昭和レトロっぽい施設が出来ている。マンガステーションではトキワ荘関係の漫画家の作品をただで読めると書いてあった。しかし、平日午後にそうそうヒマな人はいないだろうから、どこも閑散としていて入りにくい。僕も外から写真を撮って、今日はオシマイとした。
  
 最近池袋東口に「アニメ東京」という施設が出来た。その他アニメ関係のお店が集中している。好きな人はそっちも回ると良いんだろうけど、池袋駅まで歩いて終わり。まあ、一度は行ってもいい施設だろう。正式には「豊島区立」が付く。
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藤野千夜『じい散歩』『じい散歩 妻の反乱』を読む

2023年12月18日 21時55分37秒 | 本 (日本文学)
 散歩の話を先に書いてしまったが、じゃあ『じい散歩』と続編の『じい散歩 妻の反乱』はどういう小説だろうか。非常に巧みなユーモア小説で、文章的に引っ掛かるところはほぼないだろう。後は内容の問題で、ウーン、へえなど結構考えさせられる所が多い。「老人散歩小説」というかつてないジャンルだけに、自分と比べ合わせて思うことがあるわけだ。その意味では高齢者向けとも言えるが、主人公が元気すぎて笑える本で若い人も面白いと思う。

 題名はテレビ朝日のかつての朝番組「ちい散歩」(2006~2012)がヒントになってるんだと思う。地井武男に始まり、加山雄三、高田純次と続く散歩シリーズの最初である。そこから「じい散歩」を思いつくのは簡単だが、普通なら70代あたりを主人公にしそうだ。散歩する体力を考えると、普通そこら辺が限界だろう。それをこの小説では冒頭で夫の明石新平は10月で89歳、妻の英子は11月で88歳と明記している。後で判るけど、新平は1925年生まれである。だから、2014年時点からスタートしている。

 続編では令和への改元を翌年に控えた2018年から、コロナ禍さなかの2021年まで出て来る。もう90歳を越えているにもかかわらず、散歩はさらにヴァージョンアップして早稲田に建築を見に行ったり、西武線の下りに乗って江古田の富士塚に登ったりしている。そういう人がいないわけじゃないが、普通の90代ではない。続編の帯に「シニア世代の御守小説」とあるのも、新平にあやかりたいということかもしれない。だが明石家にも家族の悩みがないわけじゃない。というか、大ありである。
(藤野千夜)
 明石新平は北関東のM町(県名不明)に生まれた。父は大工で、後を継ぐつもりで修行中に召集された。その前から郵便局の娘、英子とは心許した仲だったが、戦後になって東京に出た英子を追うように上京した。(兄弟からは「駆け落ち」と思われているが、そうじゃないと新平は主張する。)職を転々としながら、20代終わりに建設会社を立ち上げた。高度成長の波に乗って、明石建設は大いに伸びてゆく。英子も社業を手伝いながら、三人の男子に恵まれた。書いてないけど、新平はでかしたと思っただろう。

 三人も男子がいれば、一人ぐらい後継者になるだろう。新平は会社の顧問かなんかになって、創業者と奉られながら孫と楽しく暮らすという「老後」が待つ。そう思ったのではないだろうか。もちろん幸福な老後を送っていてはブンガクにならない。それにしても、である。長男は高校中退の「引きこもり」、一度も仕事をしたことがなく、毎日自宅の部屋で暮らしている。次男は早大中退で、トランスジェンダーである。今も両親と仲が良いが、自分では長女と称している。

 問題は三男で、ある時点までは順調に働いていたらしいが、数年前に会社を辞めて起業した。それがアイドルの撮影会などを主催する会社で、恒常的に赤字を抱えている。そのたびについ保険を解約したりして援助してしまい、ついに2千万円も出している。親が甘かったから、つぶすべき会社を延命させてしまった、もう一切援助しないと宣言しているが、一向に堪えないのはある意味立派かも。新平は「借金王」と呼んでいる。「借金王」に比べれば、「引きこもり」などカワイイもの。トランスジェンダーはもうそれで良しとするしかなく、今は仲良くしている。かくして男子三人いても、孫は望めない状態の明石家なのであった。

 新平は子育てを誤ったかと思わないでもないが、それでも後悔はしていない。自由すぎたかもしれないが、何よりも「自由」が好きなのである。戦争中の不自由にはとことん懲りている。そういう世代だからこそ、自分も自由でいたい、子育てが甘かったとしてもである。だが、その彼の「自由」は妻の英子を苦しめたものでもあった。会社と自宅が一体化した暮らしに疲れ果て、相談もなく衝動買い的に妻が買ってしまったのが椎名町の家だった。そして最近、妻は彼の浮気を疑っている。いくら何でも今さらと突っぱねつつ、それなりの過去もあったらしい。酒は飲めずとも、今もエロ本収集が趣味という爺さんなのであった。

 その後、妻の介護という問題が生じ、それが続編のテーマとなる。墓はどうする、遺産相続はという問題もチラホラ語られるが、それだけでは散歩にならない。90過ぎても散歩してる新平は、まず朝起きると一時間以上自分が考案した健康体操をマットレスの上で行う。それからヨーグルトにきなこ、すりごま、レーズンを入れて食べる。もう一つ、梅干し一粒、米ぬかを煎ったものを一杯、ハチミツ2杯を入れて食べる。だから「健康オタク」と言われるのだが、誰かの受け売りじゃなく、全部自分で考えて、自分で実行する。この主体性ある生き方こそ長寿の秘訣だろう。何しろ、今もネットで情報を調べて散歩に行くのである。

 この本で感じたのは「高度成長世代」の凄さである。今は皆亡くなりつつあるから、もうマスコミでもほとんど出て来ない。「バブル世代」の思い出は語られるが、その前の時代は当たり前のこととなって忘れられる。しかし、日本の現在を築いたのは紛れもなく新平たちの世代なのである。新平は押しつけがましいところ、自分勝手なところも多いけど、それでもいつまでも自分でやり切る覚悟は見上げたものである。こうなると、新平の最期も知りたくなるが、それは新平の視点では不可能。

 結局「長女」の健二が葬儀も相続も仕切るしかないだろう。実は藤野千夜もトランスジェンダーなので、その意味でも彼(彼女)の目から見た続編を期待したい。(なお、「妻の反乱」という副題は誤解を呼ぶので、文庫化時点で改題する方が良いと思う。)最後の最後が日光旅行で、この前行ったところがいろいろ出て来て、その意味でも思い出深い読書だった。
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藤野千夜『じい散歩』を散歩するー池袋周辺散歩

2023年12月17日 22時09分56秒 | 東京関東散歩
 いつも本を読んでて、今の本が終わったら次はこれ、その次はと大体順番を心積もりしている。でも時々は突然ズレてしまうこともあり、最近は藤野千夜じい散歩』(双葉文庫)にハマって崩れてしまった。そういう本が評判になっていることは知っていた。2020年に出た本で、2023年8月に文庫化された。僕が買ったのは10月に出たもので、もう第8刷になっている。

 藤野千夜は2000年に『夏の約束』で芥川賞を取った作家だが、この本はむしろエンタメ的な家族小説。「老人ユーモア小説」だけど、定番を裏切る設定が大いに笑えるのである。大体この世の中では、仕事してきた男が定年後に先に弱ってしまう。妻は地域に友人がいていつまでも元気なはずが、この本は全く逆で、90歳近い夫の方が今も毎日散歩する「健康オタク」なのである。

 その家族小説としての紹介は別に書くが、この本はもう一つ「散歩小説」という新しいスタイルを創造した。主人公は椎名町(西武池袋線で池袋の次の駅)に住んでいて、池袋近くに自分が所有するアパートを持っている。その一室を「秘密基地」にして、エロ本、エロビデオなどを収集しているというトンデモ爺さんなのである。そこで毎日のように散歩して「アパート管理」に出掛けるわけである。その時寄り道するお店などが全部実在のもので、ガイドブック的な役割も果たすわけである。

 これを読むと池袋周辺を歩きたくなるが、近年話題のアニメの街みたいな話はもちろん出て来ない。それどころかデパートも家電量販店もウロチョロせず、昔からの店ばかり行っている。そこら辺が面白く、知ってる人には「あるある感」満載で楽しいのである。また建設会社をやっていたので、面白い建築があれば見に行くという趣味があって、池袋にあるライト設計の「自由学園」(重要文化財)を見に行っている。地元なのに、80半ばになるまで見てないのは不思議だが、そういうことを気にしてはいけない。

 この本で初めて知ったのは、梵寿綱(ぼん・じゅこう)という建築家で、もちろん本名じゃない。調べてみると本名が田中俊郎(1934~)という、早大建築科卒の建築家である。「日本のガウディ」と言われているらしい。「賢者の石」という不思議な建物が南池袋にあるという。ネットで調べると、南池袋公園そばの本立寺隣とあるから探しにいった。
   
 確かに装飾過多の不思議な建物が見つかった。会社が入っているから、そばで撮影するわけに行かない。でも小説にはマンションの中を見られたという記述がある。探すと確かにキラキラした不思議空間が見つかった。何じゃ、これ。
 
 そこから池袋駅に戻って、西武線で東長崎駅へ。実は散歩したのは夕方に文楽を見た日で、この際だから「トキワ荘マンガミュージアム」を見たいと思ったのである。(それは別記事で。)そこから椎名町駅まで歩く。ここは昔いとこが下宿していて何度か行ったことがある。蕎麦屋の名店「」が初めて開店したのもこの近くで、学生時代に食べに行った。まあ、一般的には「帝銀事件」が起きたことで知られている町だが、今じゃそれを言っても知らないかもしれない。
 (長崎神社)
 この地域で一番大きな長崎神社が駅のすぐそばにある。主人公(明石新平)一家もここに初詣に行くらしいが、名前は出てない。そこから歩いて15分ぐらいのところに「秘密基地」のアパートがあるというから、西池袋周辺なんだろう。新平は山手通りを歩いて、立教通りに出ている。今は無電柱化工事ということで一方通行になっていた。五号館手前を曲がって、旧江戸川乱歩邸を見に行ってる。そう言えばクリスマスツリーを今年は見てないなとかつぶやいている。
(旧乱歩邸)(昼間のツリー)
 立教通りを歩いていて、新平は文庫BOXという本屋で「官能小説」を買った。「大地屋(おおちや)」書店が本当の名前だが、ほぼ文庫だけ置いてある書店である。外国作家は別だけど、日本人の文庫は出版社ごとじゃなく作家ごとに並んでるのが特徴。つまり、普通の本屋は新潮、角川、講談社などが別になってるけど、ここはただアイウエオ順で置いてある。だから買いたい本の著者名が判っている場合探しやすいのである。ちょっと前の文庫を見たいときは役に立つ。14日はやってなかったので、15日にもう一回行ったら、ここに続編の『じい散歩 妻の反乱』があったので買ってしまった。(文庫じゃない本も少しある。)
 (ロサ会館)
 そこから西口をブラブラして、ロサ会館のゲームセンターでクレーンゲームをしたりするから、実に不良老人である。まあ昔は遊んでいたらしい。酒は昔から苦手な口で、大の甘党である。特に西口の「三原堂」がお気に入りで、何でもご褒美が和菓子なので子どもから「あんこが貨幣」なんて言われている。特に乱歩先生お気に入りの「薯蕷饅頭」(じょうよまんじゅう)を主人公も愛好している。山芋を生地に使うのが特徴。「池ぶくろう最中」とか「池袋 乱歩の蔵」なんてのもある。
   
 これは読めば買ってみたくなるお菓子である。そういう店があるとは聞いてたけど、場所も知らなかった。大学が池袋と言っても、学生は和菓子屋など用はない。でも今や減塩に気を遣う日々で、アルコールもダメ。バターやクリームたっぷりの洋菓子も控えた方がよい状況に陥っている。そうなると和菓子は実に貴重で、塩分使用量が少ない上、脂肪分も少ない。まあ、こんにゃくゼリーならいいだろうけど。さて、食べてみた「薯蕷饅頭」は上品な甘さで口に甘さが残らず確かになかなか美味しかった。

 主人公の新平は年に似合わず、和食より洋食党である。散歩するとあちこちの洋食屋や喫茶店でしっかり食べるという驚異の老人なのである。特にお気に入りは池袋東口の「タカセ」。大正9年創業という「池袋では知らない人がいない」というパン・洋菓子店である。西武デパートからロータリーをはさんで真向かい辺りにある。2階が喫茶、3階がレストランになっていて、主人公はここの喫茶の常連で係の女店員と仲良くしている。この店は不思議なパンをいろいろ売っているが、特に主人公お気に入りは「あんみつドーナツ」。揚げパンにあんこと求肥が挟んであるという甘そうなパンで、続編ではこれを買って雑司が谷霊園を散歩している。
 
 ここも上の方は入ったことがなかったので、この機会にと思い入ってしまった。ケーキセットなんか食べてる場合じゃないんだけど。ケーキは古風な感じで、駅真ん前にありながら「昭和」が生き残っているようなところである。それが新平お気に入りのところなんだろうけど、店内部は客が多くて写真を撮れない。窓際席が取れれば駅前が見られていい感じ。ケーキは無くなっちゃった浅草の有名喫茶店「アンヂェラス」を思わせる。昔風の味が懐かしく、また行ってみたいなと思った。
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高石ともや年忘れコンサート2023

2023年12月16日 22時16分27秒 | 自分の話&日記
 2年ぶりに「高石ともや年忘れコンサート」に行った話。もう夫婦の間で年末恒例行事になっていて、毎年行くことにしていた。ところが、昨年(2022年)は母親が11月末に入院して「いつ何があってもおかしくない」と宣告されていたので、チケットを買っていたけど行けなかったのである。今年はやっと行けるはずが今度は自分が入院してしまったが、何とか早期に退院できて、まあ良かったかなという年末である。ここ10数年は土曜日の午後に、亀戸カメリアホールで催されている。どう見ても客の大部分は高齢者だから、夜じゃなくて午後の方がありがたいのである。

 毎年秋になると労音から案内のハガキが来るんだけど、今年はなかなか来なかった。ホームページにも出てないから、もうないのかと思ってた。何でも大坂でやってた年忘れコンサートは、本人が去年をもって終わりにすると宣言したとネット上に出ていた。だから東京もないのかと覚悟していたら、発売直前にネット上に告知された。行けなかった去年が最後では心残りだから、今年は行けただけで良かったなと思っている。何と今までかつてない最前列が当たっていた。近すぎかも。
(2023年ホノルルマラソンで)
 そして、高石ともやさんがコンサート直前にホノルルマラソンを走ってくるのも恒例。もう47年連続だという。もちろん完走しているのである。1941年12月9日生まれ、つまり日米開戦翌日の生まれだから、82歳なのである。10年ぐらい前に配偶者を亡くし一人暮らしだが、元気だから凄いのである。そりゃまあ、昔より声量は落ちているかもしれない。でも、もう内容に改めて新鮮さを求めているわけじゃなく、知ってる歌を一緒に聴き、時には一緒に口ずさむだけだから、それで良いのである。

 年末だからクリスマスソングもある。持ち歌の多く(「陽の当たる道」「陽気に行こう」など)もアメリカのカントリーソングに訳詞を付けたものである。そこで改めて思ったけど、アメリカの民衆文化が自分の血肉になってきたと思う。アメリカの文化にもいろいろあるけど、69年代末の「フォークソング」ブームの基盤となったのは、ピート・シーガーウディ・ガスリーなんかが歌うアメリカである。「抵抗の歌」である。ベトナム反戦運動の中で見出されたものだ。
(ジャニス・ジョプリンの「Me and Bobby McGee」)
 今年も「ミー・アンド・ボギー・マギー」を歌った。高石ともやの特徴は日本語の歌詞を自分で付けて歌うこと。ジョン・レノン「イマジン」もオノ・ヨーコ公認の訳詞で歌っている。「ミー・アンド・ボギー・マギー」はクリス・クリストファースンが作った曲だが、1970年10月に急死したジャニス・ジョプリンが生前にレコーディングしていた。そして1971年にシングル・カットされビルボードで1位となった。その頃から大好きな曲だったんだけど、こうして聞けるとうれしい。

 Wikipediaを見たら、この曲を作るときクリストファースンはフェリーニ監督の映画『』を思い出していたんだという。なるほど、僕がこの曲を好きだったのも当然だ。10代の頃から『道』を何度も見て来たんだから。そして、これは「さすらい」の歌である。ヒッチハイクで南部(バトンルージュやニューオーリンズ)からカリフォルニアまで流れていって別れる。Freedom's just another word for nothin' left to lose (自由とはこれ以上失うものがないことさ)という歌詞が心に沁みる。谷川俊太郎の詩に曲を付けたのも高石ともやだ。「じゃあね」と別れていく。

 今まで40数年夫婦で通ってきた。ずっと前は平日夜に読売ホール(当時はそごうデパート、今はビックカメラの上の方)でやっていた。仕事が忙しくても何とか行っていた。一番の危機は忘年会と重なった年で、その年の幹事だったから最初はいないわけに行かなかったのである。そんな年でも最後何十分かは聞きに行ってる。仕事があったときは、多忙で行けるかどうか。今後は高石ともや本人と自分の健康が続くかどうか。やってる限りは行くんだろうなあ。まあ、今年は行けて良かったという確認を書いておく次第。
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映画『マエストロ』、レナード・バーンスタインを描く傑作

2023年12月15日 22時18分30秒 |  〃  (新作外国映画)
 『マエストロ: その音楽と愛と』という映画を一部映画館で上映しているけど、知らない人が多いと思う。これはブラッドリー・クーパー監督がアメリカの大音楽家レナード・バーンスタインの生涯を見事に描き上げた傑作映画だ。だけどNetflix製作で、配信前の特別上映なので、そういう場合はほとんど宣伝しないのである。最近発表されたゴールデングローブ賞の候補発表では、作品(ドラマ部門)、主演女優、主演男優、監督賞の各部門にノミネートされている。劇場で見られる機会を逃すのは惜しい名作。

 レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein、1918~1990)はアメリカの音楽界に現れた初の巨匠(マエストロ)である。指揮者、作曲家、ピアニストであり、特にクラシックの作曲や指揮を中心に活躍したが、ミュージカル『ウエストサイド物語』や映画『波止場』の作曲なども彼である。単なる「指揮者」や「作曲家」ではなく、自ら「音楽家」と称した人だった。僕ももちろん名前はずっと前から知っていたが、何度も来日公演しているのに行かなかった。若い頃はけっこうクラシックのコンサートに行ってたが、やっぱりカラヤンやベームに行ったのである。ニューヨーク・フィルじゃなくてウィーン・フィルなどに。
(レナード・バーンスタイン本人)
 バーンスタインはアメリカ生まれのユダヤ人で、映画の中でも「バーンズ」に変えるべきだとか言われている。1943年にニューヨーク・フィルの副指揮者になり、11月にたまたま病気になったブルーノ・ワルターの代演を行い、ラジオ放送でセンセーションを呼んだという。その有名なエピソードも描かれるが、その頃の話はモノクロ映像。脚本、監督とともに自ら主演しているブラッドリー・クーパーが本人かと見紛う大熱演である。それはアカデミー賞2度受賞のカズ・ヒロ(辻 一弘)の特殊メイクの素晴らしさでもある。もともと大熱演型の指揮者だったというが、若い頃から晩年までまで見事に演じているのに驚嘆。
(指揮するバーンスタイン=映画)
 しかし、ブラッドリー・クーパー以上に印象的だったのは、妻フェリシアを演じたキャリー・マリガンである。チリ出身の舞台女優だったフェリシアと出会った時、すでにバーンスタインは結婚していた。(詳しくは描かれないが、すでに関係は破綻していたらしい。)すぐに2人は恋に落ち、3人の子どもが生まれる。しかし、フェリシアが常に悩んでいたのは夫レニーの同性愛だった。夫は身近なところに常に「友人以上の」男性がいて、イチャイチャしていたのである。まだバイセクシャルが容認される時代じゃなく、周囲や子どものためにフェリシアはずっと隠し通す。しかし、次第に二人の関係は悪化していくのである。
(知り合った頃の二人)
 その有様を美しい風景(バーンスタインの住む家がすごい)の中で描き出す。歓喜と苦悩を見事に演じたキャリー・マリガンは有力な演技賞候補だと思う。今まで『17歳のカルテ』『プロミシング・ヤング・ウーマン』で2度アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたが、今度は受賞するかもしれない。バーンスタイン役のブラッドリー・クーパーも、『世界にひとつのプレイブック』『アメリカン・ハッスル』『アメリカン・スナイパー』『アリー/スター誕生』と今まで4度もアカデミー賞主演男優賞にノミネートされている。この2人の演技合戦が実に素晴らしいのである。
(フェリシア本人)
 フェリシアは子どもが大きくなり、再び舞台への情熱を取り戻す。そのフェリシアが先に病魔に倒れるのである。レニーはものすごいヘヴィー・スモーカーでフェリシアも喫煙者だったらしい。肺がんになったのでタバコの影響を否定出来ないと思う。しかし、それでも妻のそばでタバコを吸っている。それは当時の事実に基づいているんだろうし、そんなものだったんだろうけど、ひどい時代だったなあと思った。フェリシアが倒れる前、心血を注いでいた「荘厳ミサ曲」が完成して初公演を迎える。再現されたものだと知ってるわけだが凄い迫力で、フェリシアも訪れ何度も抱き合った成功を喜ぶ。感動的な名シーンだ。
(レニーとフェリシア)
 二人が背中をもたれあう場面が2回ある。それがとても心に沁みる。そして映画ではずっとバーンスタインの音楽が使われる。同じユダヤ系ということで本人も愛好していたというマーラーが流れると、見ている側にも幸福な感情があふれてくる。マーティン・スコセッシスティーヴン・スピルバーグが製作に加わっている。『アリー/スター誕生』でも組んだマシュー・リバティークの撮影も見事だった。12月20日に配信予定。
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文楽『源平布引滝』をシアター1010で見る

2023年12月14日 22時57分00秒 | 演劇
 北千住のシアター1010(せんじゅ)で文楽の公演を見てきた。国立劇場が建て替えのため閉場になって、文楽はどこでやるのかと思っていたら、地元に来たのである。歌舞伎や落語は他でいくらでもやっているけど、東京の文楽公演は国立小劇場だけだった。そこで数年間の代替劇場を探して、北千住にも来ることになった。そして、都民劇場の半額鑑賞会に出てたから、申し込んだら当たった。ということで、珍しく夫婦で見てきたわけ。近いから30分で帰れるのがうれしい。

 入院したときに思ったけど、映画、演劇、落語などなど僕の好きなものは、じっと座って見ている必要があるものばかりなのである。これじゃ「エコノミークラス症候群」にわざわざなりに行ってるもんじゃないだろうか。今後血栓みたいなのが出来たら、生活に支障が出てしまうかもしれない。ということで、演劇や寄席は長いからちょっと敬遠気味である。しかし、今回のものはずっと前に申し込んで当たったものである。果たして一緒に見に行けるだろうかと病院で気になっていた。やはり、たまには必要だな。
(シアター1010)
 今日は2時間20分程度で、間に25分も休憩があるから短くて良い。出し物は『源平布引滝』(げんぺいぬのひきのたき)で、全然知りません。作者がチラシに書いてないから調べてみると、並木千柳三好松洛の共作で、1749年に初演されたものである。
この作者は『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』の三大狂言を書いた人だという。そう言えば、忠臣蔵を書いた人を多くの人は知らないだろう。ちょうど12月14日なんだから、文楽の千住デビューは忠臣蔵にすれば良かったのにな。

 話はメチャクチャで、木曽義仲出生秘話というようなものである。竹生島の近くの琵琶湖で、平家方の武将斎藤実盛(さいとう・さねもり)が源氏の白旗を手にして逃げる女「こまん」の片腕を切り落とした。一方、源義賢が平家に追われて、子を宿した葵御前が近江の九郎助の家に匿われている。そこで清盛の命令で斎藤実盛と瀬尾十郎がやってくる。葵御前が産んだ子が男子なら見逃せないのだが、そこへ「こまん」の腕が拾われてくる。実は「こまん」はこの家の娘だった。実盛は「こまん」の片腕が葵御前の産んだ子として場を収めようとする。って、いくら何でもムチャクチャすぎるだろ。

 それ以前に、義仲が生まれたのは埼玉県の武蔵嵐山近くである。前に散歩して紹介したことがある。義仲の父、源義賢は平家に追われたのじゃなく、兄である源義朝と関係が悪化して、義朝の長男義平に襲撃されて殺されたのである。源氏の内輪揉めなのに、強引に源平の争いにしている。ま、江戸時代からしても数百年も前の話であり、見ている人もどうでも良かったんだろう。話は怪異譚縁起譚になっている。それは昔の話は大体同じである。物語は個性のぶつかり合いじゃなく、此の世は絡まる因縁で動くというのが当時の人々の世界観なのである。

 ちょっと舞台から遠く、人形の動きが見えにくかった。その分、浄瑠璃語りの太夫が近くに見え、熱演ぶりが興味深かった。これが場所が違うと人形ばかり見ることになり、その方が面白い。はっきり言って話は大したことなくて、人形や語り、三味線は批評するほど知識がない。たまには古典芸能もいいんだけど。これからも時々北千住でやるはずだから、東京東部の人はチェック。
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