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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「小学生の暴力行為7万件」の背景にあるものー文科省の責任は重大!

2025年04月17日 21時58分48秒 | 教育 (教育問題一般)

 4月7、8日の朝日新聞に「小学生の暴力行為7万件」という記事が掲載されていた。その調査が発表された時、多分ちょっと見聞きしたんじゃないかと思うけど、あまり気に留めなかった。自分の周りに小学生も小学校教員もいないので、最近の小学生事情はよく知らない。小学校の教員免許は持ってないし、小学校で勤務したこともない。しかし、昔中学校や高等学校には勤めたので、大きな意味で「学校とはこういう現場」という感覚はまだ持っている。そこでこの問題の背景にあるものを考えてみたい。

(暴力行為数の推移)

 暴力行為として報告された数の推移を表わすグラフが上の画像。これを見ると、小学生のみ激増していて、近年はついに中学校を追い抜いてしまったのである。2020年には若干減っているが、これはコロナ禍の時期で休校期間が長かったから問題行動も少なかっただけと推測出来るだろう。今までは中学生の暴力行為の方がはるかに多かった。これも普通に考えて理解出来る。「思春期」(第二次性徴)を迎えて、精神的、肉体的に不安定な時期を迎える年頃で、体も急速に大きくなってくる。中学までは地元の学校に通っていても、その後は高校受験というものが頭上にのしかかる。たまに暴れたくなる気持ちも理解できるもんだ。

 それが小学生の方が上回ったというんだから、驚くしかない。中学生も減っていたのが近年増加している。その原因として何があるんだろうか。新聞記事では現場の取材で家庭での子育てが変わってきたこと(大人がゆっくり対応せず、スマホの動画を見せてあやすなど)、教師の多忙で子どもの変容に対応出来ていないことなどが指摘されている。また8日には「関西大学新井肇教授」という人に話を聞いている。新井氏は①「いじめ防止対策推進法」で小さな事件も報告されるようになった②少子化できょうだいや地域の子どもが減って、子ども同士で遊ぶ経験が減った③ベテラン教員の大量退職で教員の対応力が低下した、などを指摘している。

 しかし僕には全く納得出来ない見解なのである。①の法律制定が影響するなら、中学や高校も増えなくてはおかしい。②の少子化もここ何十年ずっと進行中の出来事なので、小中高ずっと上昇していないとおかしい。③も同様で、小学校はクラス担任制だから特にベテラン退職の影響は大きいかとは思うが、大量採用された「団塊世代」が大量退職を迎えたという事情は中学・高校でも同じなので、小学校だけ(コロナ禍の一時期を除いて)一貫して増加している原因としては足りないと思う。

 じゃあ何が考えられるだろうか。この間日本の教育は大きな変化を求められてきた。その中でも特に小学校は一番大きな変化を求められた。それが一番現れているのは、2016年に発表された「学習指導要領」である。その中では、英語教育の教科化プログラミングの必修化、(先行して実施された)道徳の教科化など非常に大きな変更が含まれていた。新しくいろんなことをやりなさいと言うのに、減らす部分は全くなかった。そのため、年間計画の学習時間は「週29コマ」になってしまったのである。

 土曜は休業日として、週5日、6時間授業を行えば、週に30時間となる。その授業1回を「コマ」と学校では表現している。しかし、そうすると勤務時間中に会議が入らなくなるので、通常(中学や高校も)水曜日と金曜日を5時間授業にしていることが多い。そうした場合「週28コマ」が標準となる。その標準を超えてしまったので、文科省はどう考えたかというと、「1コマを10~15分程度に分割して、毎朝の始業前に行う」、あるいは「60分授業」を行う、「土曜や長期休業を授業に充てる」などと例示したのである。

 この学習指導要領に対して、僕は「「亡国」の新指導要領-「過積載」は事業者責任である」(2016.9.5)を書いた。その中で『「できる子」と「できない子」の格差が激しくなる。学校の勉強についていけない子が増える。教員の負担も大きくなりすぎる。教員間の連絡もおろそかになる。教員はどんどん学習を進めないと、やるべき授業が終わらなくなる。教師に課せられた重い負担は、児童の理解、納得を置き去りにすることになってしまう。こうして、すでに小学校段階で両極分解した子供たちが、中学に上がり、高校へ進む。その時、何が起きるか。少しでも想像力があれば、どんな学校になってしまうか、判るのではないか。』と書いた。

 まさにその通りの事態が進行しているではないか。さらに「英語教育」など、今までの教員が自分の経験もなく、大学でも教えられなかった新しい授業をしなくてはならない。そのため「校内研修」「校外研修」が非常に増えたのではないか。さらに、そういう時には文科省や各都道府県教委単位で「研究指定校」が選ばれ、さまざまな研究に取り組み成果を発表したりする。タテマエ上はそうやってある学校が中心的に研究を進めて他校の参考になる成果を報告するわけだ。しかし、その研究の取りまとめ、報告作成などは非常に神経を使うもので、管理職は「上」への対応に気を取られて現場の子どもたちへの対応が疎かになりがちである。

 自分もかつて経験したことがあるのだが、「研究指定校を引き受けると荒れる」などと現場ではよく言われてきた。いじめ事件などが報道された学校を調べると、その直前に研究指定校だったことが結構あるのである。じゃあ、引き受けなきゃいいじゃないかと思うかもしれないが、担当指導主事(教委の責任者)や校長、現場で中心となる研修リーダーなども、自分の出世が掛かっているし、その時点では荒れてなくて優秀と言われる学校に話を持ち込むのである。だけど、あまりに形式的な研究を続ける内に、やはり学校がおかしくなってしまうことがあるのだ。そう考えるとコロナ禍もあって、小学校の負担は非常に大きかったと思う。

 さらに東京、大阪など都市部を中心に、「中学受験」がある種のブームのようになっている現状がある。かつて生徒数が多かった時代には大学受験、高校受験が非常に大変で社会問題でもあった。それが少子化で大学などはかなり緩くなってきたのに対し、だからこそ早めに「中高一貫校」などに子どもを送りたいという動きが盛んになっている。はっきりと言ってしまえば、そういう風潮をもたらしたのは、21世紀初頭の東京都の「公立中高一貫校」の大量設置だっただろう。

(不登校数の推移)

 公立中高一貫校の大増設、小学校での英語教育教科化、道徳の教科化などが一挙に進行し、僕はそれを見ていて「いずれ小学校はパンクしてしまうのではないか」と直感したものだ。その懸念がまさに現実化したのではないかと思う。まあ「だから言ったじゃないか」というところだが、もちろん自分が止められる力を持ってないんだからどうしようもない。この「小学生の暴力傾向」は今後どうなるだろうか? 中学や高校に引き継がれて行くのか? それは考えにくいのではないかと思う。小学校で学校に不適応だった子どもは、学校そのものから離れてしまうのではないか。不登校、私立通信制高校への進学などの増加として現れるのではないか。

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埼玉県の公立校共学化問題ーどう考えれば良いのか

2024年08月30日 22時30分28秒 | 教育 (教育問題一般)
 埼玉県の県立高校には12校の「男女別学高校」がある。2023年8月に県の第三者機関「男女共同参画苦情処理委員会」から「早期の共学化」を勧告され、1年位内の報告を求められていた。その報告書がまとまり、8月22日に公表された。そこでは「主体的に共学化を推進していく」としながらも具体的なスケジュールは示されず先送りされたという。賛否両論に配慮しつつ、両派ともに不満が残る結論と言うべきだろう。この問題をどう考えるべきなんだろうか。

 まず最初に書いておくが、僕はこの問題は高校の設置者である県教委が決めるべき問題だと思っている。重要な問題ではあるけれど、全国的な基準を作って統一的に進める必要がある問題とは思っていない。ここで書いてみたいのは、埼玉県教委の報告を批判すると趣旨ではなく、問題設定の明確化である。ただし、僕は自分の学校時代も教員としての勤務校も共学しか体験していない。東京ではそれが当たり前であり、共学が自然であると思っている。

 この問題は「共学一般」「別学一般」の価値論ではない。別学に大きな意味があるというなら、すべての高校を別学にすべきだが、そういう意見はないだろう。その反対に「共学じゃなければ絶対ダメ」というのなら、すべての私立高校も共学にしなければおかしい。しかし、法律で別学を禁止するのは誰が見ても行き過ぎだ。私立高校がどっちにするかは学校法人が自ら決めれば良い。問題は税金で運営される「公立高校」だけである。しかも公立高校も全国ほとんどで共学で、今や別学高校はほんの僅かである。
(埼玉県も9割以上が共学)
 全国の別学高校を示す地図を見ると、「男子校」は栃木県=4、群馬県=6、埼玉県=5、鹿児島県=1の計16校、「女子校」は宮城県=1、栃木県=4、群馬県=6、埼玉県=7、千葉県=2、島根県=1、福岡県=2、鹿児島県=3の計23校存在する。東日本に別学が多いのは、「戦後改革」を進めた占領軍の方針に東西差があったからだとよく言われる。どこまで実証されているのかは知らないが、戦前は全部別学で戦後に共学になったのである。別学校が男女同数の県は、基本的に同一地域に「○○高校」と「○○女子高校」があると思ってよい。女子校の数の方が多いのは、「女子教育に特化する意味」が地域に残っているということだろう。
(全国の別学公立校)
 公立高校には単に入学生徒の教育を行うだけではない意味がある。それは「古くから地域に存在する公的施設」という意味である。災害時には避難所になるし、高校スポーツの結果は大きな話題となる。そういう存在だからこそ、中学生に対して人間は出生時の性で二分されるという世界観を示すのは問題だ。現行法では性別変更は20歳を過ぎないと不可能だから、何にせよ中学生は戸籍上の性で高校を受験しなければならない。だが性別違和生徒は、両性がいる高校の方がましではないか。性別違和を訴えて戸籍上は男子なのに女子校を受験できる(またはその逆)という県はないだろう。

 この問題だけでも僕は共学が望ましいと思うのだが、もう一つ疑念を覚えることがある。それは(ほとんどの県で)女子校は「○○女子校」と命名されていることだ。一方で男子校で「○○男子校」と名の付くところはない。歴史上どこにもないだろう。それはもともと歴史の古い高校は「旧制中学」に発していて、男子のみが前提だったからだ。女子教育の振興が求められるようになり、大正期には各地に女子向けの中等教育学校が設置されていくが、それは「○○高等女学校」と名付けられた。教育史の中では、「地名のみの男子校」と「女子が付く女子校」にもともと二分されていたのだ。
(埼玉県立浦和高校)(埼玉県立浦和第一女子高校)
 しかし、今になってはこれは単なる「区別」とはみなせない。明らかな性差別であって、もし公立の別学校を残すというなら、例えば「浦和男子高校」と改名するべきだ。今回在校生や卒業生は「共学反対」の署名運動などを行って強く別学維持を訴えた。だがそれが性差別的意味を含まないというなら、自ら校名に「男子」を入れるという提案をするべきだ。先に見たように全国では公立別学校では女子校の方が多い。それは今回埼玉県で主張されたように、「男子が怖い生徒もいる」「女子のみの方が伸び伸びと勉強できる生徒がいる」という主張が一定の共感を得る現実があるからだろう。

 しかし、それならば歴史の古い、成績的にも地域トップ校に別学が残されている意味がわからない。別学校が残されている地域では、それぞれが地域の男子、女子のトップ校になっている場合が多いだろう。しかし、「男子が怖い」「男子がいない方が能力を発揮できる」という女子は、むしろ中学の成績は中位以下なんじゃないか。(公立中学は全部共学なんだから、中学時代には能力が発揮できていないことになる。)そういう生徒向けに、いわゆる「中堅校」「下位校」にも別学校を増やしていかなければ論旨がかみ合わなくなる。僕は男女別学の方がやりやすいという生徒がいるという主張自体はあり得ることだと思う。

 だけど公立小中学校は全部共学である。それを受けて進学する高校も共学の方が自然だろう。もし別学を望む生徒は別学の私立学校へ進学すればよく、行政は私立高校進学家庭への補助を増やして対応するのが望ましい。僕はそう思うんだけど、どんなものだろうか。ところでこの問題は要するに「卒業生」「在校生」などの直接関わりがある人たちが今までの仕組みの維持を望むから変わらないという面が大きい。その意味でいろいろと問題が提起されても、一向に何も変わらない日本を象徴するような問題とも言える。関係者が「時代の趨勢」を見て取って自ら変わっていけるかどうかという意味で、日本全体を象徴するような問題かも知れない。
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教員の「出願ミス」という問題ー東京では起こらないニュース

2024年04月25日 22時34分18秒 | 教育 (教育問題一般)
 「クラス替え」に続いて、「願書の提出ミス」という問題を考えたい。これは時々報道されているから、各地で起こる問題なんだろう。『「教師の事務的ミス」という大問題』を2015年に書いたことがある。教師も人間なんだから、当然幾つかのミスを避けられない。自分も同様だけど、進路先の出願を忘れてしまうという致命的ミスは起こさなかった。当然である。東京では高校の出願には生徒本人が行くことになっているから。東京から見ると、何で学校がまとめて出願するのか理解出来ない。

 全国各地の学校には様々な慣習があって、学校にも「謎ルール」がいっぱいある。最近新聞で見てビックリしたのは「水滴チェック」。「修学旅行などの宿泊行事で入浴後、教員が児童生徒の体がぬれていないか全裸の状態で確認する「水滴チェック」と呼ばれる指導」だそうである。何それ? 今どきやってたらセクハラ、パワハラとか問題になりかねない。僕は生徒の時も、教師になっても、こんなことを経験したことはない。大体「体がぬれていないか」なんて、どうでもよい問題である。

 今回の出願ミスは福岡県の私立高校で起きたという。なかなか複雑な背景がありそうだが、まあ一応「解決」したようだから、ここでアレコレ書くこともないだろう。そもそも今回の希望校は「公立」ではあるが、県立ではないという。全国で3つしかない「組合立高校」なんだという。もちろん教員組合が作った学校という意味じゃない。市町村が連合して作った「学校組合」が設置した高校なのである。その由来はどうでも良いけど、問題はその高校の出願日が県立高校とは別の日だったという。大体の生徒が内部進学する私立中学だったらしく、教員も外部受験に関して経験が少ないんだろう。(だからミスしてよいわけじゃないけど。)

 このようなミスを防ぐ方法は一つしかない。それは「生徒本人が願書を提出しに行く」ことである。自分の経験ではそれが当たり前すぎて、学校がまとめて出願するなんて発想が浮かばない。本人が病気などで行けない時は、保護者が行っても良い。一端当日に登校させて、調査書などを渡したあと、一斉にスタートしたように思う。だから、どうして学校がまとめるのか不思議なんだけど、考えてみると「交通事情」かもしれない。朝の登校時間を逃すと、電車もバスもほとんどないという地域も多いだろう。

 しかし、全県的にそういうわけでもないはずだ。試験日には実際にその学校に行くわけだから、出願も本人が行くべきなんじゃないか。あるいは「授業確保」という意味もあるのかもしれない。だけど、進路先への出願は「私事」である。出願に必要な書類(調査書等)の作成、あるいは進路先決定の支援は、教員の仕事そのものである。だが進路先そのものは本人(と家庭)が決めるべきものだ。「学校でまとめて送る」となると、教員の指導、つまり「落ちる可能性があるからランクを下げるべきだ」に生徒が抗しにくいのではないだろうか。

 これからは「インターネット出願」が増えてくるのだと思う。課題も多いだろうが、そういう方向に移っていくと思う。コロナ禍で「郵送」も多かった。学校が郵送するのではなく、生徒個人が郵送するわけである。だけど、試験日の練習の意味でも、実際に行く意味はある。自分の時は都立高校が「学校群」の時代だった。2~3の高校をまとめた「群」を受けるのである。その際、出願指定校と受験校が違うことがある。僕の場合、出願が白鴎高校、試験が上野高校だった。上野高校を見ておこうと出願した仲間同士で行ってみた記憶がある。学校説明会なんかある時代じゃなく、白鴎も上野もその日初めて行ったのである。
(東京のネット出願のイメージ)
 ところで風間一樹というミステリー作家がいた。結構好きだったんだけど、1999年に56歳で亡くなってしまった。今では文庫本にも残ってないだろう。風間一輝(名義)の最初の作品は『男たちは北へ』(1989)だが、この小説では「中学のミスで都立高校を受けられなかった」高校浪人が自転車で国道4号線を北へ向かう。それとともにある「謎」を秘めた男たちも、北を目指していく…という設定である。面白い本なんだけど、以上の説明の通り、都立高校では「中学の出願ミス」は起こらないのである。

 前回書いたクラス替え問題では、これは前にも書いたことがあるが、岩井俊二監督の傑作映画『Love Letter』の問題がある。小樽の中学校で、男女で同名の生徒が同じクラスにいたことから起こる物語である。とても良く出来ていて、中山美穂も最高。だけど、2年4組に「藤井樹」(ふじい・いつき)という同名生徒が男女ともにいたという設定はおかしいだろう。もし事前に誰も気付かなかったとしても、事後にやり直すレベル。何しろ4組まであるんだから、絶対に離すはずである。

 つまり映画や小説に「学校」が出て来たときは、あり得ない設定が多すぎるのである。物語の効果のために、学校のリアルを無視している。カンヌ映画祭脚本賞の是枝裕和『怪物』にも疑問があった。もちろんもともとファンタジーみたいな設定の話ならどうでもよい。だけど、やはり学校のリアルを追求する場合は、誰かアドバイザーを頼むべきだと思う。
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中学英語「広がる学力差」の背景にある教育政策

2024年03月20日 22時02分12秒 | 教育 (教育問題一般)
 『中学英語「難しい」 広がる学力差 新指導要領導入から3年」という記事が朝日新聞(3月19日)に掲載されていた。その記事によると、「2021年度に始まった中学校の新指導要領で、英語が格段に難しくなり、生徒に英語嫌いが増え、学力格差も広がっているー。教育現場で、そんな見方が定着しているという。」さらに記事を引用すれば、「都内の公立中の英語教諭は『生徒のできる、できないの差が際立つようになった。』都内の別の公立中の英語講師は『一部の子は英会話教室や塾で学ぶことでカバーしているが、それができない家庭もある。クラスの全員を巻き込んだ授業が難しくなっている』と話す。」と出ている。
(英語4機能の平均正答率=産経新聞)
 そりゃまあ、そうなるだろうなあと僕は驚かなかったが、拡大は今後も続くだろうと予測できる。検索してみたら、産経新聞の記事で、全国学力テストの結果が比較されていた。難易度が違うのだとは思うが、「下がっている」という結果になっている。この原因について、新学習指導要領で、内容が難しくなったことが大きいと出ている。例えば、以前は中一の終わりに習っていた「can」を使う会話を、入学間もない時期に扱うようになったという。また高校で習っていた仮定法や現在完了進行形を中学で教えるなど、文法の学習事項が前倒しになっているとのことだ。

 また中学で扱う単語は、1200語から1600~1800語に急増したという。さらに小学校の教科「外国語」では、単語の暗記にあまり時間を割かないため、生徒によっては小学校で扱う600~700語も中学でやらないといけないという。これではよほど学力の高い生徒以外は、中学の英語授業に付いていけなくなるのは当然だろう。ただ、このような事態は当然事前に予測されることであり、教育行政としては「予想したとおりになっている」ということだと思う。
(英語学力の格差拡大=江利川春雄氏のブログから)
 どうしてそう判断するかというと、中学入学段階で英語の学力格差が付くのは、小学校で英語を必修科目にする以上当然のことだからだ。かつて英語は(大部分の生徒にとって)中学で初めて接するものだった。だから他教科では学力差があるが、中学1年の1学期では英語の学力差はゼロだった。そのため、中学になったら英語の授業を頑張るんだと思って入学する生徒も多かった。そして初心を貫けたのか、担当教員と合っていたのか、他の教科はダメでも英語だけ得意だという生徒がけっこういたものだ。

 今では小学校で英語の授業があって、評価も付く以上、中学入学段階ですでに英語の得意・不得意、好き・嫌いがあるだろう。そして中学では「すでに小学校で習っている」という前提で教科書が進行する。そして急激に難しくなる。これでは英語嫌いを増やすようなものだ。だが、それは逆に言えば、「英語ができる少数の生徒を残す」という役割も持っている。それで良いということなんだと思う。先の記事では「クラスの全員を巻き込んだ授業」が難しいという声が出ていたが、もうそういう授業はしなくてよいと教育行政では考えているのだろう。「できる子を伸ばす」で良いのである。

 ということは、「中学英語の広がる学力差」は(行政から見て)困ったものではなくて、「政策目標が実現している」と考えるべきだ。縮む日本では、少数のエリートが海外で稼げれば良く、学力の低い層は日々を実直に生きて行けば良しとする。だから「学力重視」を叫ぶと同時に、「道徳教科化」が実現したのである。ただ、この「学力格差拡大政策」は、これから学校以外の多くの場面で大きな問題を起こすのではないだろうか。その「負担」を誰がどこで負うべきか。社会的合意がないままに、社会全体に格差が拡大してゆく。そういう未来が待っている気がしてならない。
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教員組合はどうなっているのかー再生への道はあるか

2023年06月01日 23時35分10秒 | 教育 (教育問題一般)
 「教員不足」という問題を考えてきた。どうやら教師という職は若い世代が目指すべきものではなくなっているらしい。非正規教員を増やし、いまやその「非正規」もなり手が見つからない。長時間労働のうえ、休日もつぶれてしまう。公立学校の場合、勤務時間に見合った残業代もない。となると、全国の教育現場には、怒りの声が満ち満ちていてもおかしくない。教師たちは労働組合に結集して、ストが頻発するなど騒然たる学校になっていてもおかしくないだろう。

 しかし、学校関係者には周知のように、今では教員組合は「絶滅危惧種」に近い。それは言い過ぎで、今でも組織率が高いという地域もあるだろう。だが文科省による最新の「令和4年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について」を見ると、右寄りや管理職の団体を含めても29.2%となって、前年までの3割台を割ってしまったのである。(2022年10月1日現在)

 内訳を見てみると、日教組(日本教職員組合)が約20万4千人で、20.1%。前年比で約7千人減である。続いて全教(全日本教職員組合)が約2万8千6百人で、2.8%。前年比で約2千3百人減。さらに日高教(右)(日本高等学校教職員組合)が7260人で、0.7%。前年度より270人減。全日教連(全日本教職員連盟)が約1万7千人で、1.7%。前年比で約1200人減。そして全管協(全国教育管理職員団体協議会)が3676人、0.4%その他が約3万6千人、3.5%である。一方、団体非加入者71万8650人、そのうち教員は58万0516人。比率で言えば70.8%(教員だけでは69.4%)になっている。

 細かいデータになって、知らない名前も出てきたと思う。全管協なんて聞いたこともないし、入っている管理職を見たこともない。いたとしても管理職なんだから、労働組合とは言えない。それを言えば、全日教連も自らを労働組合とは考えていていない。右寄りの組織で、かつて教育基本法改正を支持していたところ。栃木県で圧倒的なシェアを占めていて、他組合はほぼゼロに近い。愛媛県も日教組が非常に弱体で、県の研修組織はあるが組合参加者はほんの僅かと言われる。この両組織を除くと、23.6%ということになる。つまり4人に1人しか労働組合に入ってないわけである。
(日教組加入率の推移グラフ)
 かつて日教組は100%近い組織率を誇っていた。それが漸減していった様子は上記グラフで判るとおり。1989年に一挙に10%ぐらいポイントが下がったのは、ここで全教が分裂したからである。当時民間組合が合同して「連合」を結成し、日教組も加盟した。反対派は抜けて全教を結成したわけである。日教組は(当時)社会党支持で、全教は政党支持の自由を主張していたが事実上は共産党支持。「日高教」というのは、高校教員の組織だが(左)は全教と合同して、(右)だけが残っている。日教組と協力しているが、それなら日教組に加盟しても良いわけで、東京都ではそうなっている。
(日教組組織率のデータ)
 ここまで加盟組合員が減っても、日教組は今でも選挙の影響力は残っている。立憲民主党から参院選比例区に組織内候補を擁立し、2019年も2022年も上位で当選した。世の中的には、まだまだ「力のある組織」なのである。他の民間労組の力が落ちている中、全国どこにでもある役所と学校を基盤にする自治労と日教組が比較的「残っている」ということかもしれない。2022年は新人の古賀千景を擁立し、立民では第3位だった。票数が1万を超えたのは愛知、三重、兵庫、福岡で、他にも北海道、千葉、神奈川、大分などで7千票以上を獲得している。福岡は出身県だが、このように票が出る地域は日教組の組織率が高いのかもしれない。(都道府県別組織率は公表されていない。)
(古賀千景議員)
 公立学校教員は公務員として「団体行動権」(ストライキ権)をはく奪されているが、労働三権のうち他の「団結権」「団体交渉権」はある。そこで労働組合が結成されたわけだが、教育行政は「労働組合」ではなく「職員団体」と呼んでいるのである。かつて組織率が100%近かった時も、政府側が本気を出せば「勤評闘争」も敗北せざるを得なかった。それなのに、右派政治家たちは今も「ニッキョーソが教育を支配している」などとデマを飛ばしている。(安倍元首相は質問議員に「ニッキョーソ」とヤジを飛ばしていた。)5人に1人で支配するなんて、どうすれば可能なのだろうか

 ところが頭が昭和の右派が騒ぐためか、左派の中にも「教員組合は非常に強くて、教員の役に立っている」と思い込んでいる人がけっこう多い。現在の現場のリアルを知らないのである。教員の側も多忙すぎて、大変さを発信出来ない。すでに40年ぐらい前から、一番忙しい中学校ではほとんど日常的な組合活動は不可能になっていたと思う。校種別の組織率が出されてないのだが、小学校や高校が多いのではないかと思う。組織率が高かった時代を知っている教員はほぼ定年に達して、新採教員はなかなか加入しない。一度職場で活動が途絶えてしまえば、なかなか再建は難しい。

 今では労働条件に関して、組合で交渉して解決しようという発想自体、若い教員には存在しないだろう。何で組合組織率が低くなってしまったのか。一番簡単に言えば、「特典がないのにお金がかかる」ということだろう。芸能人のファンクラブに入るのは、特別にチケットの先行販売があったり、芸能人との交流会に参加出来るか、何か特典があるからだろう。ただ会員証を貰うだけのために、高いお金を払う人はいない。地方ごとに違うだろうが、東京や大阪のように組合敵視政策が長年続き、競争的教育政策が定着しちゃったようなところでは、組合に入っても組合費、動員、交渉などで大変なことの方がおおいのではないか。

 逆に言えば、今でも組織率がある程度高い地方では、まだある種の「特典」があるのかもしれない。教員が一番気にしている人事異動で事前に様子を聞けるとか。あるいは組合で活躍した経歴がリーダーシップとして評価され、管理職になりやすいとか。僕には判らないけど、そういう話もあるらしい。(東京では全く「特典」はないと思う。)だけど、職場で思ったことを自由に言えなければ、それはおかしな職場である。実は学校の多くはそうなっていると思う。教師も時間がない中で、「言っても仕方のないこと」を職員会議で発言して、自分でわざわざ多忙を推進したうえ校長からの評価を下げる行動は避けるだろう。

 それでも入っている4分の1の人は何が理由なんだろうか。やはり「職場の団結」を途絶えさせてはならないという思い。組合あってこそ、かつての先輩たちの頑張りで「産休」とか「病休」の時に代わりの教員が保証されるようになった。(東京都で60年代半ばに最初に獲得した権利である。)自分たちの世代も後の世代のために、組合を無くしてはいけないという思い。自分の場合は、まず第一に社会科で(歴史や現代社会などで)労働組合の歴史や権利について教えるということが大きい。昔は作れなかった労働組合が今は権利として認められていると生徒に教えておいて、自分はお金がもったいないから入らないでは通らないだろう。

 しかし、先のような発想ではもう組織率を高めることは不可能だと思う。学校できちんと世間話をする時間もないような中で、今では選挙に行かない教師さえけっこういる。そういう教師が子どもを教えるのである。だけど、どんな人でもこれで良いのかと思っている。普段は黙っているけど、何か思っているはずだ。それを従来の形の組合ではすくいきれない。政党支持を気にする若い人はほとんどいないだろう。職場で「分会」を作れというのは、今では無理な学校も多いのではないか。ネットで参加出来る個人会員を作るとか(組合ニュースは郵送だけでなく、ネット閲覧出来るようにする)。人事やパワハラも教育委員会に相談するより、組合が関わる方が良い場合も多いだろう。

 ここまで日本の教育が追い込まれているのに、教員組合の発信が少ない、というか一般社会にはほぼ聞こえないのはおかしい。最近理研で「雇い止め」が多数起こって問題化している。日本で勉強して、頑張って終身の研究者になることは無理な願いなのか。勉強しても仕方ない社会になっているから、若い世代も学校で教育に携わろうと思わない。政府は英語、英語とばかり言うが、これでは英語が出来る若い世代はカナダやオーストラリアやシンガポールなどに行ってしまうのではないか。
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朝比奈なを『進路格差』を読むー可視化された教育格差

2023年02月01日 22時33分42秒 | 教育 (教育問題一般)
 朝比奈なを進路格差』(朝日新書)を読んだ。2022年11月30日付で刊行された本で、非常に重大な問題を突きつけてくる。朝比奈氏は公立高校教員を退職後、大学の非常勤講師、教育相談などに携わってきた。同じ朝日新書にある『ルポ教育困難校』『教員という仕事』を読んだ感想は前に書いた。どちらも学校現場のリアルを追い、日本社会の現状を鋭く追求した本だった。

 そして次に出した本が、この『進路格差』である。いやあ、やっぱりここに来たか。書いちゃったのか。書かれちゃったなあという本である。公立高校の教員は異動があるから、様々なタイプの高校を経験することが多い。そうすると、様々な進路活動を指導するわけである。だから、よほど恵まれた学校ばかり渡り歩いた教員は別として、ここで書かれている内容自体は実体験として大体知っていると思う。だが、「卒業させれば終わり」というか、その先はあえて考えないでいるのではないか。

 卒業生の何人かはその後も学校に来て、在校生向けの「進路ガイダンス」に参加してくれたり、部活動の指導に来る生徒もいる。進学校の場合、4年目になると「教育実習」で母校に戻ってくる生徒もいる。そういう生徒の存在はある意味、教師の醍醐味でもある。だけど、中堅校以下だと、いつの間にかもう辞めてしまったという声が聞こえてくる生徒がいる。どうなってしまったか消息不明の生徒も多い。就職生徒の中には、すぐに長時間残業やパワハラに悩むことも多い。 
(高校生の進路)
 たがそれだけでなく、会社の仕事を任されてもうまく働けない、大学や専門学校の求める学力に付いていけない。また集団で働いたり、大学という場で自ら学ぶ資質に欠けていて、精神的に大変になるケースもかなり聞く。そういう話は高校教師を長く続けていれば、皆が知っている。世の中には教師もどこにあるんだかよく知らない学校が多い。何を学ぶんだかよく判らないカタカナばかりの学部、その方面の勉強をしても果たして就職できるんだろうかという専門学校。でも生徒が行きたいと望めば、そして家庭が学費を負担できる(または奨学金を申請できる)なら、行かせることになるだろう。

 それは「進路未定」で卒業させたくないからである。中には正社員より稼げるアルバイトもある。お金を貯めて、夢にチャレンジしたいという生徒もいる。むげに「フリーター」を否定できるものではないが、学校の立場(進学率や就職率を上げたい)を離れても、「進路がなかなか決まらない」タイプの生徒は、「新卒」で勝負できる時を逃せば、正社員での就職や高等教育を受ける機会を一生逃してしまうかもしれない。教師がプッシュして、「ダメモト」かもしれないけれど、何とか進路を決めて卒業させたいのである。

 だけど、高校教員は専門学校の現場を知らない。大学を出ないと教員免許が取れないんだから、教師は全員大学卒なのである。(養護教諭など、専門学校卒業で得られる資格もある。)もちろん、高卒で就職した人もいない。知らずに進路先に送っているけど、送られた側の会社や専門学校はどう考えているのか。関係者の取材を続けながら、この本には現場のリアルな感想が書かれている。それは多くの人には衝撃かもしれない。だけど、教師の立場からすれば、大体思っていたとおりである。
(専門学校の種類と学生数)
 特に重要だと思ったのは、専門学校の話。高校教員の多くも、知らないことが多いだろう。看護、保育、理容・美容、調理・製菓など、長年の実績がある専門学校にいく生徒は何人も見てきた。特に看護系などは、ひょっとしたら中堅大学並みの学力が求められることが多い。そういうところとは卒業生も行っていて関係も深い学校が多い。しかし、最近増えているアニメ、声優、IT(情報処理)、スポーツ系などは、実際どんなことをしていて卒業後にどんな進路があるのか。教員も良く知らないだろう。本書には多くのデータが掲載されていて、すぐ進路学習やホームルームで役に立つと思う。 

 それにしても、「基礎学力」もなく、「基本的生活習慣」も身につかず、あいさつなど最低限の「コミュニケーション能力」もないのに、「高卒」という資格で送り込まれてくる。企業は不良品を市場に出すことは出来ないのに、教師は現場で役立たない「人材」を卒業させても、給料が変わらない。ある人がそう指摘しているが、何とも返す言葉がない思いがする。ただ…、と小声で言いたいこともあるだろう。高校は中学から、中学は小学校から、そして結局は家庭から子どもたちがやって来る。

 厳しく「査定」すれば、単位を認定できない生徒を「留年」させて何になるのか。それは無業者、引きこもり、あるいは犯罪予備軍を世の中に送り出すだけではないのか。特に「教育困難校」で働く教員は社会防衛の最前線で戦っている。しかし、教育行政は公立の中堅校以下は全く支援しない。むしろ、私立高校への就学援助を増やして、税金は貧困層が学ぶ公立「底辺校」に回らない。それなのに文科省は現実を知ってか知らずか(いや、もちろん知っているのだが)、「アクティブ・ラーニング」などと掛け声をかける。そういう日本の社会と政治の現実をこの本がよく教えてくれる。

 教師のみならず、全国民必読だと思うけど、まあそんなことはあり得ない。教員、特に中学、高校の教員には是非読んで欲しい。そして、次には「私立学校」と「中退者」の問題が残されていると思う。私立学校は大学進学実績、またはスポーツ大会実績が高い学校以外は、ほとんど注目されない。もちろん私立にも中堅校以下の学校もあり、何とか進路、スポーツで実績を上げようと中学から推薦で生徒を集めるが、入ってからうまく行かなかった生徒はどんどん公立の定時制高校に落ちてくる。何人もそういう生徒がいたのである。また大変な高校ほど、どうしても「中退」を出すことになるが、その後どうなっているのか。学校としても追跡するのが難しく、どこにもデータがないと思う。僕も気になる生徒はいるのだが、今や生徒の名簿もないから、どうしようもない。
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「板書」か「パワポ」か、授業のやり方の今昔

2023年01月23日 22時24分00秒 | 教育 (教育問題一般)
 「包丁一本 さらしに巻いて」と始まる歌がある。「月の法善寺横町」である。歌い出しは知っているけど、誰が歌ったのかは、もう僕の世代では知らない人がほとんどだろう。大阪の「法善寺横丁」には昔行ったことがあって、名物夫婦善哉を食べようと思ったら満員だったので、レトルトを買って帰った記憶がある。でも歌の方は「横町」と書くと今回知った。歌ったのは藤島恒夫(ふじしま・たけお)で、1960年の大ヒット曲。同年の紅白歌合戦でも歌った。

 歌は「旅へ出るのも 板場の修行」と続く。若い二人が愛し合うが、男は修行に出なければならない。「腕をみがいて 浪花に戻りゃ 晴れて添われる 仲ではないか」。日本ではドイツの石工のような遍歴職人はあまり知られていない。でも「職人」の世界には「腕一本」でどこでも生きていけるという気風があった。実際に料理を学んでから、全国各地で修行した話はよく聞く。

 料理人の世界の話を書きたいわけではなく、メインは教育の話である。朝日歌壇(1.22)に次のような短歌が掲載されていた。「板書よりパワポ画面を望まれて令和の授業は十人十色」(ふじみ野市、片野里名子)というのである。何で「月の法善寺横町」を思い出したのかと言えば、僕の時代だと教師は「チョーク一本」で授業が出来なければと教えられたからである。もっとも本当に「チョーク一本」で教室に行くことはない。出席簿教科書は最低限持たないといけない。
(「プロの板書」という本)
 黒板にチョークで字などを書くことを「板書」(ばんしょ)と呼ぶ。これは業界用語だろう。最初に聞いたときは判らなかった。まあ何となく聞いているうちに、「黒板に書くこと」なんだなと推測したのである。そして授業は板書が基本で、板書の書き方や工夫を求められた。研究授業で他の教師の板書を見ると、勉強になることも多いけど、あれ書き順が違うぞという時もある。字の上手下手もあるが、下手でもいいから丁寧に読みやすい字を書くことが優先する。だから最初は「板書計画」をノートに書いて準備することが多かった。それは確かに後でも役立つものだったと思う。

 1980年代の終わり頃から、ワープロ(文書処理機)が登場して自分も使うようになった。特に試験問題は基本的にワープロで作成するようになった。今までの設問を残しておけるメリットが大きかったのと、生徒にも字が読みやすいという点も大きい。高齢の教員は長く手書きだったので、試験問題が達筆すぎて読めないという苦情を受けたときは困った。21世紀になるとパソコンが普及して、やがて全教員にパソコンが配布されるようになった。それ以前は各教員が私物のワープロ、パソコンを学校に持ち込んで教材作りに利用していたのである。今なら問題視されるのかもしれない。

 その頃から「電子黒板」とか「電子教科書」という話題は出ていたが、現実には使いにくい。数が少ないから、何も自分が使わなくてもと思うわけだ。パワーポイントで授業をするなんて考えられなかった。自分では「地図」だけは「電子黒板」を使用してみたかった。掛地図では後ろの生徒が見にくい。それに掛地図は結構値段が高く(大きいものでは5万円ぐらいして、それを各大陸分そろえる必要がある)、学校予算上なかなか更新してくれない。21世紀になっても、ソ連が出てる地図を使ってる学校が結構あった。
(パワーポイントで黒板風に)
 それがコロナ禍で、生徒にも全員タブレット端末を配布し、授業もオンラインで行うといった時期があったのだろう。そういうのに慣れてしまうと、生徒からすると一斉授業に戻った後で「板書をノートに取る」ということが苦労に感じられるのだろうか。もう自分にはよく判らない問題なのだが、どんどん世界は変わりつつあるなあと思う。だけど、それで良いのかとも思う。「自分の鉛筆でノートをまとめる」というテクニックも、人間には必須な能力のような気もするのである。

 上位1割ぐらいの生徒は、要するにどっちでも対応出来るんだろうと思う。問題は平均付近から平均以下の生徒である。ノートを取るというのは、教師の話を聞き、板書を理解してきちんと字を書くという作業である。当たり前のようで、これはなかなか大変である。世の中で生きていく時には、パソコンやスマホよりも役立つ能力ではないか。例えば「織田信長」を読めても、ちゃんと書けない生徒がいる。アクティブ・ラーニング以前に、ちゃんと基礎用語を書ける力が要る。

 「小田和正」でも「尾田栄一郎」でもなく、「織田信成」の「オダ」。そんなことは常識だろうと思うかもしれないが、中には「小田信長」とか「識田信長」なんて書く生徒がいるのである。やっぱり「板書をノートする」というのも大事な気がする…。
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教育産業が部活を経営するときー「部活改革」を考える③

2022年05月09日 22時32分55秒 | 教育 (教育問題一般)
 「部活改革」に関しては、4月にもう一つ大きなニュースがあった。4月16日付朝日新聞スポーツ欄に出ていた「開かれる憧れの『全中』」「全国中学大会 来年度地域クラブ容認」という報道である。内容は見出しを読めば判るだろうから、特に詳しくは書かない。記事によれば、実現に際してはなかなか難しい問題も残っているようだが、基本的には実現するだろう。もっとも、すでに地域クラブがリーグ戦を行う仕組みを整えているサッカーでは、リーグ戦が大切でトーナメントは必要ないという。しかし、総合型地域スポーツクラブからは「画期的」という声があると載っている。

 中学で実現すれば、やがて学年進行で「高校はやらないのか」という動きも出て来るだろう。僕が前に書いたように、「高校野球大会」から「高校生野球大会」へと変わる日も遠からず訪れるのではないだろうか。ただし、Jリーグチームの下部組織が整備されているようなサッカーは例外だ。サッカーは五輪では「23歳以下」という制限があり、年代別のワールドカップが行われる。それに対し、野球駅伝のように「高校」「大学」の競技として定着している競技も多い。だけど、高校野球のように、私立強豪校ばかりが全国から有力選手を集めて、地元出身選手がほとんどいないのに地域代表として出場するというのはどうなのか。

 ①②で書いたように、少子化がさらに進行していく中で、教員の長時間労働問題も解消しつつ「部活動」を行っていくためには「地域移行」が避けられない。しかし、…と多くの教員は思っているに違いない。それは果たして本当に実現するのか。一体地域で活動する人を集められるのか。学校との連絡は十分に出来るのか。土日に行われることが多かった試合はどのように運営されるのか。地域で活動する指導者の研修はどのように行うのか。昔風の高齢指導者では、昔ながらの暴言や体罰が出かねない。一方、卒業生の大学生などに頼んだら、指導力に問題があったりSNSにどんどん生徒の画像を投稿したり…、いろんな心配がある。

 じゃあ、どうすれば良いのだろうか。結局のところは、「教育産業」が「教育行政」と協力しながら、新しい部活動のあり方を模索していくということになるだろうと思う。要するに、今までは部活も学校の諸活動の一部として、学校予算から必要な用具を整備し、教員の引率費を支出していたわけである。それを地域に移行するというのは、新しい枠組を作ってそこに公費をつぎ込むということである。つまり部活動が「教育産業」になってくるのである。
(教育産業と部活動のイメージ)
 部活動とは、放課後や土日に中学生、高校生を集めて行うものである。それはつまり、「」や「予備校」と同じではないか。塾や予備校といえば、高校受験、大学受験に向けて勉強を指導する場所と思っている。だが、甲子園出場を目指して野球を指導する「野球塾」があってもいいではないか。それならば、教員の長時間労働問題は解消されることになる。生徒は学校が終わって塾へ行くように、学校が終わって「部活塾」に行くわけである。

 もっとも今「塾」と書いたけれど、現実の塾産業がそのまま地域の部活動に参入すると考えているわけではない。もちろん塾や予備校は少子化の中で、企業としての将来を模索しているだろう。今まで養ってきた教育界への影響力や企画力は非常に大きいものがある。だけど、スポーツや文化活動を実施する場所や人材はなかなか塾や予備校だけでは整備できない。スポーツ系では地域のスポーツクラブ、文化系では専門学校との協力が欠かせない。教育行政と関わりがあり、学校現場とのつながりも深い「教育産業」がネットワークの中心となって、行政や地域との関係を作る。そうするしかないんだし、そこにビジネスの可能性があるんだから、もういろいろな試みが検討されているだろう。
(気仙沼市の取り組み)
 それでは学校現場から部活動はなくなってしまうのか。今まで部活をガンガンやってきた教員はどうすれば良いのか。後者に関していえば、副業規定を柔軟にして、やりたい教員は部活指導員の資格を取って続けることが考えられる。地域でも土日の活動を担当する人には、平日は他の仕事をしている人が兼務することもあるだろうから、教員も同じ手続きでやれば良い。現場の一教員というよりも、全国大会運営の経験豊富なベテラン教師の場合なら、むしろ教育産業の方で三顧の礼をもって迎えるのではないか。部活に関するノーハウは企業が欲しいだろう。

 前者に関しては、今後も部活動は学校にあるだろうが、あり方は大きく変えるしかない。そもそも80年代頃の「荒れる学校」対策として、課外活動なのに全員参加のような理不尽なルールを作った学校があったことがおかしい。何も地域に移行した部活動に全生徒が参加する必要はない。生徒の本分は学業なんだから、勉強でつまずいている生徒が部活で偉そうにしている方がおかしかった。地域の部活動には、参加のためのセレクションを行うべきだ。

 学校では教員が担当できる範囲で、教員と生徒が一緒に出来る活動をやれば良い。そのためには「勉強系部活」を振興するべきだと思う。英語部、パソコン部(プログラミング部)などは生徒の希望も多いだろうし、国際交流部、環境活動部(SDGs部)、歴史研究部(郷土部)、漢字検定部など、いくらでも生徒も希望し、教員も担当できる部活動が考えられる。週3回程度、5時までの活動で成果も上がるはずだ。
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部活動「地域移行」論、少子化の中で学校を残すためにー「部活改革」を考える②

2022年05月08日 22時57分11秒 | 教育 (教育問題一般)
 4月26日に、スポーツ庁が有識者の「運動部活動の地域移行に関する検討会議」を開き、改革の提言案をまとめた。2023~25年度の3年間の「改革集中期間」で、すべての都道府県で休日部活動の地域移行を達成するという。将来に向けて平日の活動の移行も奨励されている。現時点では「提言案」だけど、これは非常に重要な論点である。朝日新聞はスポーツ面で「部活のあり方 歴史的転換」と報じた。このようにマスコミ報道もされたが、教育関係者の中にも気付いていない人がいるのではないか。(なお、この提言案は「スポーツ庁」と打ち込むだけで検索予測に出て来る。関心のある人は是非見ておくべきものだろう。)
(改革案)
 今部活動改革は「教員の働き方改革」の問題として語られることが多い。もちろん「教員の長時間労働の解消」は、重大な問題だ。しかし、ここではちょっと違った観点から、この問題を考えてみたい。それは「少子化」の中で、どのようにして学校を残していくかという問題である。「学校」や「部活動」は子どもたちの教育というだけの問題ではない。地域住民の「心の拠り所」でもあるし、経済的な視点も重要だ。学校の近くに文房具屋や本屋が残っているところも多いだろう。

 また地方で高校が閉校になれば、鉄道やバス路線の廃線問題に直結する。また日本には世界屈指の楽器やスポーツ器具のメーカーが存在するが、子どもの世界から野球部や吹奏楽部がなくなってしまえば、それらの企業にも大打撃になるだろう。またコロナ禍で判ったように、学校は「給食」を通して、地域の農業や食品産業と密接に結びついている。日本は少子化がどんどん進行していて、今までもずいぶん学校の統廃合が進められてきたし、今後も減ることは避けられない。しかし、どこまで学校を減らすのか、社会的な合意が必要だと思う。そこで、まず「少子化」のデータ的な確認をしておきたい。
(出生数の経年変化)
 戦後の日本では、まず「ベビーブーム」が起こった。一番多かったのが1948年で、年間に209万人が生まれた。次第に漸減していくが、70年代前半に「第2次ベビーブーム」がやってくる。第1次で生まれた子どもが結婚適齢期を迎えて、子どもが生まれたわけである。それが一番多かったのは1973年で、やはり209万人が生まれている。その前年の、ちょうど50年前の1972年は203万人である。(当時は女性の結婚が今よりずっと早く、第1次の25年後に第2次の最多年があったわけである。)僕が最初に教員になったときは、その時代に生まれた生徒が中学生になる頃で、その当時の高校進学は非常に大変だった。

 それからまた漸減していって、30年前の1992年は122万人と何と4割も減ってしまう。減り方のペースは多少緩やかになるが、やはり少しずつ減っていき、21世紀初頭の2002年は115万人である。2022年に20歳になる世代で、現在の中学、高校生が生まれた2007年前後は大体106万人ほどだった。10年前の2012年、つまり東日本大震災の翌年生まれの子どもは103万人強、2015年に100万人。2016年についに97万人と100万人を割り込む。2019年は86万人、20年は84万人、21年速報値も84万人になっている。これはコロナ禍で出会いの機会も減り、結婚も減ったという理由が大きいと言われている。

 コロナ禍がいつどのように終結するか予測出来ないが、そこでミニ・ベビーブームがあるとは考えにくい。よく「一人の女性が一生で何人の子を産むか」という率(合計特殊出生率)が問題になるが、もはや少子化対策などでどうなるという段階は過ぎている。今から30年前に産まれた世代そのものが少ないんだから、その世代が少しぐらい子どもをたくさん産んだからといって、すぐに日本の人口が増加するレベルにはならない。そして2020年代後半から、コロナ禍世代が小学校に入学して、2030年代に中学、高校へと進学していく。つまり、今でもずいぶん少子化なんだけど、10年後にはさらに今の学校から20万人が減るのである。

 今からさらに2割生徒数が減るんだから、今のクラス数で単純計算すれば学校も教師も2割減らす必要がある。僕が考えるのは、それで良いのだろうかということだ。もちろん学校規模が小さくなりすぎれば、教育環境が悪くなる。地域の学校を統合して多数の生徒を集めることで、行事や部活動を維持するのも一つのやり方だ。通学バスが各地区を回って生徒を乗せてきて、ある程度大きな規模の学校で教育するのである。しかし、僕はこれ以上学校を減らすべきではないと考えている。何故なら、学校は地域の防災拠点であり、いざという時の避難所だからだ。学校は地域の中でちょっと高い土地、水害、津波、土砂崩れなどの災害被害を受けにくい地区にある耐震建築の高層ビルだ。せっかく耐震化したのに、それを廃校にしてしまうのか。

 もちろん廃校にしても建物は残るが、使ってないとどんどん劣化する。不審者が集まらないようにカギを掛ける必要があり、数年もすれば地区の誰がカギを持っているか不明になりかねない。それに学校は教師というソフトパワーあってこそ、地域の中で意味を持つと思う。体育館もあれば、パソコンも整備されている。給食設備はなくなった学校が多いと思うが、家庭科調理室は必ずあるから、電気やガスが復旧すればお湯を沸かしてレトルト食品や即席麺を温かく食べられる。そんな素晴らしい防災拠点をいま減らしてしまうのは、国家的愚策としか思えない。

 もちろん「教育」という観点で見れば、せめて2クラスか3クラスは欲しいだろう。あまりに小規模になれば、行事も活発に出来ない。部活動も小規模にせざるを得ない。教師の問題もあるが、単に生徒数の問題で野球部、サッカー部、バレーボール部などで試合に出る人数にならない。日本中にある団体競技を小規模校の生徒が出来ないのは、確かに可哀想だ。だから、僕の考える部活動の「地域移行」というのは、単に土日だけ地域の経験者がボランティアで指導するというようなものではない。幾つかの学校の生徒をまとめた「地域チーム」を作るということである。

 地域の中で「学校」を残すとするならば、部活は地域合同にするしかない。これが僕の考えで、恐らくそうなっていくのではないかと思う。そして単に部活動だけではなく、運動会や文化祭も「各校合同」で開催すれば良いと思う。どの地域にも素晴らしい運動場や市民会館などがあるはずだ。学校は小規模でも残して「少人数授業」を行い、行事は地域の素晴らしい施設を利用して行う。もはや一校では呼べないオーケストラや劇団なども、地域でまとめれば鑑賞会が出来るだろう。そして修学旅行なども、各校まとまって幾つかのコースを班別で選んで実施する時代になるのではないか。
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部活動とアンペイド・ワークー「部活改革」を考える①

2022年05月07日 22時57分46秒 | 教育 (教育問題一般)
 最近めっきり教育問題を書かなくなっている。もう現場を離れて長くなったし、特にコロナ禍の教育事情はよく判らない。大変なんだろうなあと傍から想像するだけである。そんな中でも、時事的に考えることはあるので、二つのテーマに関して書いてみたい。一つは「部活動改革」で、いままさに大きく動き出そうとしている。マスコミでも紹介されることが増えてきて、この前は「4時半で全員下校」という取り組みを進めている地域が紹介されていた。検索すると「部活動改革」のケースがいろいろと出て来る。
(スポーツ庁の取り組み)
 その中身も重要なんだけど、その前に最近になって気付いた問題を最初に考えてみたい。5月のゴールデンウィークが終わったところだが、学校の正教員に採用された年からゴールデンウィークがなくなった。僕は1980年にフレンズ国際ワークキャンプ(FIWC)の韓国キャンプに参加した。その後で関東でもやってると教えられ、1981、82年の2年間のゴールデンウィークは群馬県渋川市に泊まりがけで出掛けた。83年も行こうかなと思っていたら、就職とともに祝日は部活の試合引率になって行けなくなったのである。

 職場では一番下っ端だから、○部の副顧問だと言われて、5月3日、5日は試合だから引率だということになった。部活引率手当もなく、もちろん代休もなかったが、そのことの法的な説明もなかった。ただそういう現場だったわけで、今から考えてみれば、これでは確かに「ブラック企業」と言うしかない。何の報酬もなく、事実上強制されるわけだから、「アンペイド・ワーク」(unpaid work)だったわけである。しかし、そのような概念は知らなかったし、僕にも最初は「ただ言われるままに動く」以外の働き方は出来なかったわけである。それは何故だったのだろうか。

 幾つか理由があるが、そもそもどんな仕事でも内部から改革するのは難しい。理由があってそうなっているので、新米教員がすぐに改善は出来ない。勉強は嫌いでも部活なら出て来る生徒も多い。教員の中にも「部活イノチ」みたいな人が結構いる。一生懸命やっている生徒や同僚に対して、おかしいとはなかなか言いにくい。それに実は当時はあまり「アンペイド」という意識が薄かった。学校だけではなく民間も含めて、その頃は「ユルい職場慣行」がいっぱいあったからだ。(例えば、学校行事の後では管理職が率先して校内で豪快な飲み会をやっていた。今なら処分ものだ。)早く帰れる日もあって相殺された感じだったのだ。

 もう一つ、学校には「アンペイドな領域」が必要だとも思っていたのである。あらゆる仕事には「共同体」的な部分があって、特に学校のような人と人が関わる仕事、「教育」という領域には、単に「契約で結ばれた労働」だけでは収まりきらない部分がある。水田農耕の共同体では、一年に一度村人が集まって水路を掃除するといった仕事が必要だ。同じように、日本の学校には宿泊行事や生徒会活動、掃除など、それも「広義の勉強」だけど、教科書のないような狭間の領域がある。部活動は中でも生徒にとって非常に大きい。そういう狭間の領域は「アンペイド」になりやすい。

 「バブル崩壊」期頃から、公務員バッシングが横行するようになり、「慣行」はどんどん法規に則ったギチギチの運用に変えられていった。しかし、法律で規定されていない「ブラック」な部分はそのままだから、負担感が半端なくなったのも当然だ。もう戻ってこない昔を懐かしんでも仕方ない。教師の半分以上はもう「昔」を知らないんだし、これからは新しいやり方を作らなければと思いつつ、僕はなかなか「学校の中のアンペイドワーク」という問題意識は持たなかった。その一番の理由は、学校の共同体的な部分をなくしてしまって良いのかと思っていたからだ。
(アンペイド・ワークの内容)
 「アンペイドワーク」という概念はフェミニズムの中で登場した。資本主義社会で「賃金」として評価されない「労働」がある。最近「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」(カトリーン・マルサル著、河出書房新社)という本が刊行されたが、まさにそういうことである。資本主義を理論化したようなアダム・スミスにも、見えてない問題があったのである。そもそも「労働」と呼ぶときには、第2次、第3次産業で雇われて働き、労働の対価として「賃金」を受け取るというイメージが強かった。「社会主義の祖国」ソ連邦の国旗は「槌と鎌」で、それは「労働者と農民の連帯」だと言われたが、では「農民」は「労働者」ではないのだろうか。

 我々の生命としての持続を支える仕事、つまり「家事」や「育児」は、多くの場合は「家庭」の中で行われる。そして、その担い手が誰であっても(多くは「妻」、場合によっては「夫」や「親」など)、大体は賃金は支払われない。(富裕層では、家事や育児を金銭で「外部化」する場合もある。)そして、企業の定年退職後も「長い老後」が存在するようになると、「介護」という問題が発生した。それらが実は世の中を支えている「隠れた仕事」(シャドウ・ワーク)であり、「支払われない仕事」(アンペイド・ワーク)だという「発見」が、フェミニズムの発想の中で見えてきたわけである。
 
 今の事例で判るように「アンペイド・ワーク」は大体が「家庭」の中で発生している。話を部活動に戻すと、労働契約に基づかない部活動は「家族関係」なのだろうか。そういうことになってくる。そうか、とそこで思ったわけである。まるで部員を家族扱いしている顧問が多かった理由がわかった気がしたのである。よく女子スポーツの部活では、顧問が部員を名前で呼びつけている。ミスを注意するときなども、「マユミ、何してるんだ」とか「ユカ、そんなんでどうする」とかである。そうか、これは「家族意識」だったのかと初めて気付いた気がした。

 部活動で体罰や行き過ぎた勝利至上主義が起きるのも、アンペイド・ワークがもたらす家族意識が間違った方向に行き着くことから来るのではないか。やはり、学校の労働はきちんと労働法に合致し、ワークとペイが正当に対応するようなものでないと、歪んだ部分が出て来るのではないか。段々そう思うようになってきたわけである。では、どのように変わってゆくべきなのかは次回に。
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「逆引き」異動教員一覧が必要だー教員異動と離任式問題②

2022年03月30日 21時09分53秒 | 教育 (教育問題一般)
 「教員異動と離任式問題」というのを書いたけれど、それは「年度末特番」みたいな気持ちだった。でも書いてるうちに長くなって、一番書きたいと思っていたことを忘れてしまった。そこで簡単に続きを書きたい。何を忘れたかというと、東京の教員異動特集は読みにくいということである。東京新聞の別刷にはぼうだいな人名が掲載されていて、ほぼ全員の名前を知らない。その中から知ってる名前を見つけるということは、大海の一滴を求めるような作業になる。
(2021年の東京新聞教員異動特集)
 何で判りにくいかというと、理由は二つあって、一つは東京の教員数が多いということだ。一体何人ぐらいいるのかということは、統計をホームページで調べることが出来る。毎年5月1日付で調査があって、各都道府県教委が文科省に報告するのである。それを見てみたら、2021年には、全部でおおよそ8万3千名近く。小学校3万6千人、中学校2万人、高校1万9千人、特別支援6千名といったところ。他に中高一貫校、小中一貫校は別扱いで、それぞれ5百名ほど。

 東京は教員の異動年限が原則的に3~6年と異様に短い。まさか全員が6年で皆異動するわけでもないだろうとは思う。(職階を変える「自校昇任」や学年途中だと校長具申で残留することも多い。)そうなると、東京だけで毎年教員が1万人以上移り変わっていることになる。もっとも「退職者」は校長を除いて発表されないから、異動者の実数はもっと減るはずである。新規採用教員の名前は掲載されないから、異動特集に掲載される人数はもっと少なくなる。それでも数千名にはなるだろう。まあずっと小学校教員だった人は、高校の異動欄は見ないわけで、実際は自分の関心があるところだけ見るわけだ。

 もう一つの読みにくい理由は、あまりにも複雑な職階制度が導入されたことである。僕が教員に採用された頃は、「校長」「教頭」「教諭」だけだった。もちろん他にも「実習助手」「寄宿舎指導員」があるのだが、(中学勤務時は)自分に関係ないから見ないわけ。ところが今は「校長」のところに「統括校長」というのもあって、それから「副校長」、「主幹教諭」「指導教諭」「主任教諭」「教諭」に分かれている。以下の図にあるような完全な「ピラミッド型」である。
(東京の教員の職階制度)
 異動年限が短いことと、このような職階制度を作ることは、同じ発想から来ている。つまり「職員集団」の力を弱めて、上意下達型の学校組織に変えるという方向性である。主幹制度を導入すると、学校がいかに素晴らしくなるか、当時の都教委はチラシを作って大宣伝したものだ。学校内部にではなく、都民向けにである。そして果たしてどこがどう変わったのかと思うけど、今はそのことを書きたいわけではない。異動特集でも「主幹教諭」「指導教諭」「主任教諭」「教諭」ごとに掲載されているから、あまりにも探しにくいのである。生徒も親も、担任や部活顧問が主任教諭か教諭かなんて知らないだろう。どうやって探せばいいのか。 

 それを言えば、その前に教員異動特集は「現任校」、つまり転勤先ごとにまとめられている。教員生活が長くなるに連れ、知り合いが増えてきて、あの人が今度の校長か、あの人は今度副校長になったのかなどと思う。だから最初の最初に校長から始まっていても違和感を感じない。でも多くの新聞読者、生徒や親にはそんな情報は二の次だろう。一番知りたいのは、担任や部活顧問、そして教科の教員だった教師が、転勤したかどうかである。まあ、転勤してくれて嬉しいという場合もあるだろうが。だから、3月まで勤務していた前任校ごとにまとめて欲しいと思うわけである。

 これは元の異動一覧データを教育委員会から貰って、それ通りに掲載した情報である。人名の誤植がないかどうかの確認だけで、新聞としては手一杯だろう。(それでも通称使用の教員も、戸籍名で掲載されたりして誰だか判らなかったりする。)だから、もうどうしようもないのだが、僕は何とか「逆引き」の異動特集が欲しいと思うのである。僕が思うに、元のデータをエクセルで作成して、ダウンロードしてソート可能な状態でホームページに載せれば、知りたい人は前任校ごとの情報に変えられるだろう。
(離任式の花束)
 ところで、もう一つ思い出したので書いておきたいことがある。もう10年ぐらい前の話だから、今はどうなっているか知らないが。それは「離任式の花束のお金の出所」である。「離任式」と打ち込んだだけで、「花束」と変換予測が出て来る。学校だけじゃないだろうが、離任者に花束を贈るのは社会的通念だろう。離任式は正式な学校行事である。だから、当然花束代は公費負担だと思ってきた。問題は「誰が誰先生に渡すのか」で、生徒会担当として生徒会役員や部活代表などに上手に割り振るのが仕事である。でも、ある年から花束の公費負担はまかり成らぬとされた。花束は離任教員個人の所属になるから、公費で購入するべき性格の支出ではないというわけである。意味判らんと思った記憶があるが、今もそうなんだろうか。
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教員異動と離任式の問題

2022年03月29日 23時36分48秒 | 教育 (教育問題一般)
 関東地方でも桜が満開になって、時には寒の戻りがありながらも季節は移り変わっていくなあと感じる。日本の会計年度は4月~3月だから、今年も年度末が近づいてきた。学校を卒業し、新しい学校や職場に行く季節である。民間企業でも新卒社員が入社し、何か新しい気分になる。日本人は「」を見ると「別れ」と「出会い」を思い起こして、ちょっと感傷的になる。

 多くの職場で人事異動があるが、中でも教員異動には特別な意味がある。地方自治体の行政職や警察などは幹部級職員の異動だけ、新聞の地方欄に掲載される。しかし、教員に関しては新聞が別刷を作って全員の異動を報道する。それだけ読者というか、地域社会に関心が高いのである。単に「お世話になった先生」だからというだけではない。不登校、家庭事情、病気などで登校も大変な児童・生徒がいっぱいいる。その事情を一番つかんでいる学級担任が替わるか、替わらないかは重大問題に違いない。

 異動した教員には「離任式」が行われる。(その反対に着任した教員の紹介・あいさつは「着任式」になる。)この問題に関して、東京新聞3月22日付紙面に「先生の異動 年度内に教えて」という記事が掲載された。「お別れ言いたいけど…都の解禁4月1日」「都『年度末まで差し替えも』」というリードがあって、中学生、保護者、教員(元校長)の声が紹介されている。

 この問題をどう考えるべきだろうか。実は東京でも多くの高校では年度内に離任式を行っている。自分の体験も振り返ってみても、「異動と離任式」には地域ごとにかなり差があるのが実情だろう。離任式に関しては、①「終業式に続いて行う、②「年度末に登校日を設けて行う」③「新年度の早い時期に行う」④「離任式を行わない」の大体4パターンになるのではないか。年度末に登校させるというのは、地方では結構よく聞く話だけど、東京では行われていない。先ほどの記事にあったように、都教委の基本方針が「異動の発表は発令日の4月1日」というタテマエからだろうか。

 東京の教員異動特集は、東京新聞だけが別刷で報じている。(近年は都教委のホームページにも掲載。)でも一時住んでいた千葉県では朝日や読売にも別刷があったので驚いたことがある。それも4月1日より前である。今年の東京新聞のサイトに「公立学校教員異動」のお知らせが掲載されていて、それを見ると千葉、栃木が3月26日(土)埼玉、茨城、神奈川が3月31日(木)東京、群馬が4月1日(金)と3つのパターンがある。いや、千葉は随分早いなあと思ったわけである。もちろんどこでも異動の発令日は4月1日である。(退職の発令は3月31日。)細かいことを言い出せば、正式発令前に差し替えがないとは言えないはずである。
(東京新聞の教員異動特集発行日一覧)
 だけど、長い教員人生の中で突然差し替えられたケースは見聞きしていない。そもそも「異動発令は4月1日」などと言うなら、相手先(新赴任校)との連絡、打ち合わせもしてはならないはずだ。でもそんなことを言っていては仕事にならない。新任校との打ち合わせは、一回だけは出張が認められている。つまり相手校への交通費は公費から支出される。担任や部活動の希望、家庭等の事情を新任校に伝え、教科の進め方の打ち合わせなどを済ませなければ、新学期にスムーズな仕事始めが出来ない。

 自分の場合、中学勤務時は新年度に離任式が行われていた。つまり、異動の発表は年度内にはなかった。その場合、卒業担任の異動ならともかく、学年途中で担任が抜けることもあって、発表を聞かされた生徒たちがエッとどよめくことも多かった。部活動や生徒会活動などは生徒にも引き継ぎが必要なことが多く、やはり年度内に発表して欲しかった気持ちはある。しかし、まあ、実際にはどうしても事前に伝えておくべき家庭などには、非公式に伝えているんじゃないだろうか。いろんな事情を抱えて、そうそう不人情なことも出来ない。少なくとも僕にはそうして伝えたケースもあった。

 高校に移ったら、終業式に異動を発表していたので、それでいいんだなと思った。先の東京新聞の記事でも、「なぜ東京では新年度まで秘密にするの」というのは中学生の声だった。小中と高校では何が違うのだろうか。そこには確かに違いもある。それは高校の場合、入学人員を決めて試験を行っているわけだから、新1年生のクラス数は決まっている。多くの全日制高校では卒業式を3月上旬に終えて、その後は新年度に向けた準備期間になる。年度内に新入生説明会を行って、制服や校則、教科書購入などを周知するわけである。だから、新学年団を早期に決める必要がある。

 一方で、中学の場合、そもそも何クラスになるか、最後まで決まらない場合がある。今は「学校選択制」などもあるが、公立小学校の生徒数から私立や都立中高一貫校へ抜ける生徒を引けば、2月中には入学する生徒数もはっきり決まるはずだ。しかし、民間企業の転勤が急に決まって、突然一家で引っ越しするケースもある。普通は数人減ろうが増えようがクラス数が変わるはずがないが、時には学級編成の基準数ギリギリの場合もあって、クラス数が増減するのである。そういうケースを見聞きしたこともあるが、急に増えれば教員一人加配である。(クラス数が急に減ったら減員になるはずだが、さすがにそれは行わないことが多いだろう。)そんなこともあってか、新年度の校内人事決定、発表も高校よりずっと遅い。

 中学の場合、大体は新年度発足早々の金曜日に離任式があった。どこでも金曜の午後に「学級活動」を置いていて、そこの時間を利用するのである。そして夜に親睦会主催の「歓送迎会」があることが多い。(コロナ禍でもう3年やってないだろうが。)まだ土曜授業があった頃だが、まあ翌日は半ドンだから金曜に飲み会を設定するんだろう。新年度に離任式というのは良いこともあって、異動後の状況を紹介できることである。時には校種が変わったり、管理職になったり、転職したりする場合もあるから、生徒にも興味深いのである。だけど、やっぱり小中も離任式は遅くてもいいから、人事異動の発表は年度内に行うべきだろう。

 ところで東京の小中でも年度内に異動を発表している(と思う)場所がある。それは小笠原諸島の学校である。何しろ一週間に一本しか本土への航路がないから、早く乗らないと新任校の始業式までに着かない。前に春休みに小笠原に出掛けたことがあるが、まだ3月中なのに本土へ戻る教員に出会った。埠頭には「○○先生ありがとうございました」などの紙を持った生徒たち、保護者がいっぱい集まっていた。やはりそういう場は必要だなあと思う。

 生徒たちが異動する先生に色紙などを書いて渡せる時間的余裕がないと、学校もギスギスしてしまうと思う。教師が誰でも関係ないという人もいるだろうが、多くの人間にはそんな機会があった方が、新年度に向けて気持ちを切り替えられるもんだ。
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公立高「制服選択」制度とジェンダー、「制服」を問い直す視点を

2021年02月02日 22時49分32秒 | 教育 (教育問題一般)
 もう2月になってしまったが、2020年の書き残しがいくつもある。そのうちのいくつかを書いておきたい。僕の場合、気になる新聞記事を切り抜いておいて、手元に置いておく。他にテーマがない時に書こうと思っているうちに時間が経ってしまう。そんなことが多い。今回は東京新聞12月6日の記事で、「制服選択 公立高600超に 性的少数者配慮や防寒も」と見出しにある。
(制服に選択肢がある高校数)
 リードの部分を引用すると、「女子生徒の制服にスラックスを追加したり、性別の縛りをなくしたりする形で制服に選択肢を設ける都道府県が少なくとも十九都道県の六百校超に上ることが、都道府県教育委員会への取材で分かった。性的少数者のうち出生時の性別と自認する性別が異なる「トランスジェンダー」の生徒への配慮に加え防寒面などから導入する高校も増えている。」

 記事はさらに数の細かな内訳などが書かれているが、それはいいだろう。各都道県の高校数は上記画像に載っている。この制度をどう考えるべきだろうか。記事には「京都華頂大の馬場まみ教授(服装史)の話」として「対症療法的な印象」と書かれている。記事そのものは「こういう配慮をするようになったのはいいことだ」という方向で書かれているように思う。確かに一昔前には配慮の有無以前に、そもそも「トランスジェンダー」の生徒がいるという問題意識さえ全くなかった。

 性的少数者の生徒も自ら校内で声を挙げることはほとんどなかっただろう。80年代半ばに「校内暴力」「いじめ」「学級崩壊」が問題化した時代には、「荒れた生徒」は制服の乱れから始まるということが多かった。改造された制服、今ではマンガや映画の中にしか存在しないような服を着て登校する生徒が実際にいたのである。だから「学校再建」の中で、「制服」を守らせるという取り組みが先行した。そういう時代がちょっと前にあったのである。

 その時代に「制服で苦しむ生徒」もいた。しかし、僕もその事に気付くのはずいぶん後になってからだ。だから「男女を問わない制服の選択がある」というのは、確かに「一歩前進」とは思う。だけど、と思うんだけど、「選択肢を広げる」だけでいいのだろうか。「防寒」の意味もあって、女子生徒でもスラックスが選べる。しかし、「心は女子」の男子生徒がセーラー服を選べるようにはなっていないだろう。本来「トランスジェンダーへの配慮」なら、男子でも女子の女子でも男子の制服が選べなければおかしくないだろうか。
(多様な制服)
 本質的な問題を抜きにして、単に「スラックスを選べる」だけだったら、「性的少数者だから」なのか、「防寒」のために選んでいるのか不明である。だからいいのかもしれないが、トランスジェンダーの生徒でもカミングアウトできないまま、防寒のためですと言うのではないか。校内で「多様性を認め合う」のではなく、「取りあえずスラックスを選べるようになってるんだから、何も言うな」になってしまわないかとも思う。

 それより何より、「制服」そのものを問わないでいいのだろうか。生徒を性別に「男子」「女子」に分けて、それぞれに制服を定めるというシステムそのものが「抑圧的」なのではないか。僕の高校時代には「制服自由化運動」があった。今では「18歳選挙権」が実現した。大人として一票を投じる権利がある人間が、何を着て学校へ行くか指図されるというのはおかしくないだろうか。文科相自体が「個性化教育」「アクティブラーニング」という時代に、少なくとも高校生は自由服でいいのではないか。「先進国」の高校生はみな私服だと思うんだけど。

 制服自由化運動をした人間にとって、まさかその後「制服がカワイイ」から私立高校を選ぶなんていう中学生が現れるとは想像もしなかった。今は高校で制服があることが日本では当然視されているだろう。しかし、国際的にはそっちの方がおかしいのではないか。私服にすれば、好きな服をいればいいんだから、性的少数者の生徒への配慮という問題はなくなる。ただ、多分「問題生徒」は「問題の服」を着て登校するということは多分変わらないんじゃないかとは思う。
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「国が危うくなるときは教育からおかしくなる」ー杉下茂の至言

2020年09月03日 19時42分28秒 | 教育 (教育問題一般)
 日本では8月上旬に「戦争を振り返る」企画が新聞やテレビで行われる。3週間近く経ってしまったが、その中で是非紹介したかった言葉がある。それは東京新聞8月14日に掲載された元プロ野球選手、杉下茂(94歳)のインタビュー記事である。杉下茂と言われても、僕の世代だと現役当時の活躍は知らず、かろうじて名前を覚えている程度だ。戦争体験のことは全く知らなかったが、胸に迫る言葉の深さに驚いたのである。
(杉下茂氏)
 インタビュー内容に入る前に杉下茂の紹介。「フォークボールの神様」と呼ばれて、日本で初めてフォークボールを投げた投手だと言われている。それは僕も知っている有名な話だが、調べてみると本当はスピードのある直球勝負の投手で、当時はフォークボールは一試合に数球程度しか投げなかったという。1949年に中日ドラゴンズに入団して、1954年には中日の初優勝、投手五冠王、MVPに輝いた。沢村賞を3回受賞したことでも知られる。国鉄スワローズの金田正一と投げ合うことが多く、1955年には金田相手に1対0でノーヒットノーランを達成した。一方、1957年に1対0で金田が完全試合を達成したときの相手投手だった。
(現役当時の杉下)
 杉下茂は1925年生まれで、東京都千代田区(現)で育って、旧制帝京商業学校の野球部で活躍した。1941年の中止された甲子園の高校野球に出場予定だった。「あれは帝京商3年生の1941年だった。地区予選を勝ち抜いて、さあ、甲子園だというところで、中止になってしまった。残念だったが、大人たちはそれどころではないという感じ。今年はコロナで中止になったが、私たちのとき以来、79年ぶりだというね。この年の12月、日本は太平洋戦争に突入したんだ」

 「―そのときの思いは。」
 「日本はどうなってしまうのかという不安と野球をやりたい気持ちが入り交じっていた。1942年は文部省(現文部科学省)が主催となって夏の大会が復活したが、正式な大会ではないため、『幻の甲子園』と呼ばれている。私は予選に出たが、この大会は戦意高揚が目的だったから、投手からぶつけられても『球から逃げるとは何事だ』と怒られ、死球を取ってもらえなかった。ひどい時代だった」

 「―「魂の野球」と呼ばれた時代ですね。選手は審判におかしいとは言えない雰囲気だったのですか。」
 「何しろ、世の中全てがそうだった。大人からああしろこうしろと言われれば、『ハイ』と答えるしかなかった。異議を唱えるなんて許されなかった。国はそこのところをよく考えて、子どもたちに『お国のために』と教え込んだ。軍事教育だね。だから、私は教育というのは本当に大事で、国が危うくなるときは教育からおかしくなると思っている

 その後召集され、中国戦線に従軍、行軍のつらさ、上官の体罰などが語られる。そして叔母から兄の死を知らせる手紙が届いた。制海権がすでに奪われていたので、それが軍隊時代に受け取った唯一の郵便だったという。

 「―確かお兄さんは3歳年上でした。どんな方でしたか。」
 「兄の安佑は、優しくて、しっかりしていて、野球が上手な人だった。海軍に入っており、この年の3月21日に沖縄で戦死した。神雷部隊といってね。特攻専用の桜花という機体に乗り、米艦に突撃したとのことだ。2階級特進で少佐になったと書いてあったが、そんなことはどうでもよかった。小さいころからキャッチボールをしてくれた兄がいなくなったのが、悲しかった」

 日本の敗戦に伴い、中国軍に武装解除され捕虜収容所に。そこは水が悪く多くの戦友が亡くなっていった。そんな中で捕虜収容所でも野球をやった。スポーツがつらい生活を救ってくれたという。野球大会を開いたり、バレーボールやバスケットボールもやった。スポーツで最後まで諦めずにプレーすることに助けられた。

 「―戦後、75年がたち、当時の様子を話せる人が少なくなりました。最後に戦争経験者として次の世代に残したい思いを聞かせてください。」
 「あの戦争では多くの若者が犠牲になった。兄は野球がうまかったから、無事でいたら、私を上回る野球選手になっていたことだろう。人間の未来や可能性を奪ってしまう戦争は二度と起こしてはいけない。そのためには誰もが意見が言える世の中にしておくことだ。戦争中は上官が突撃しろといったら『ハイ』といって従った。それが特攻や自決につながった。そんなのは間違っている。私はおかしいことをおかしいと言えない空気が悲劇を生んだと思う。誰もが自由に声を挙げられる世の中、『そうじゃない』と批判ができる世の中をいつまでも残してほしいと思っています

 このインタビューは新聞未掲載部分を含めて、全文が「「戦争は人間の未来を奪う」 フォークの神様・杉下茂さん(94)がひ孫世代に伝えたいこと 」で読むことが出来る。是非読んでみて欲しい。貴重な写真の数々も掲載されている。

 いま改めて紹介したのは、安倍首相の退陣という事態がある。「批判できる自由」というのは、強いものが弱いものを誹謗中傷する「自由」ではない。「政権批判の自由」である。政治的な異議申し立てを出来る自由のことである。また「国が危うくなるときは教育からおかしくなる」という言葉を改めて思い出したのである。安倍政権の教育政策の評価は改めて書きたいと思うが、まさに「教育からおかしくなる」という過程だったと思っている。それにしても79年ぶりに夏の甲子園大会が中止されたという年にタイムリーな記事だった。
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「政府見解」の背理-中学歴史教科書問題③

2020年08月31日 22時57分18秒 | 教育 (教育問題一般)
 これから育鵬社の教科書はどうなるのだろうか。もう一回大々的に採択運動を起こすのか、それとも教科書出版から撤退するのか。僕は当事者じゃないから判らないけれど、多分「明成社」みたいになるのかなと思っている。明成社と言っても判らない人が多いと思うけど、かつて1980年代に大問題になった日本会議編高校歴史教科書である。(日本史B

 これは日本会議が書いただけあって、完全に天皇中心主義的記述になっていて、中曽根内閣時に大きな政治問題になった。いろいろあって、結局中曽根首相の要請で再審議の結果、検定に合格する異例の経過をたどった。原書房から出版されたものの、高校は学校ごとの採択だから公立高校での採択はなかった。しかし、明成社という小出版社に移って、その後も細々と生き残っている。公立高では採択されないが、一部の右派系私立高校で使われているのだと思う。今回も私立中学では育鵬社の採択はあっただろうから、今後もそういう需要に応えて「小さく生き残る」のではないか。(産経新聞は経営面の問題もあり、撤退するかもしれない。)

 このように「教科書問題」は今までに何回も起こってきた。一番最初は1950年代半ばの鳩山一郎内閣当時にさかのぼると言われる。何でそのように社会科教科書に対する攻撃が何度も起こるのだろうか。教科書は当然のこととして、「日本国憲法」と「(旧)教育基本法」を受けて作られる。だから「基本的人権」や「平和主義」を特に社会科教科書では書くことになる。だが実は支配層のホンネは「人権」や「平和」が嫌いで、子どもたちにあまり教えたくない。

 戦後のほとんどの時期は自由民主党(あるいはその前身の自由党、民主党)が政権を握っていた。だから検定では公然と、あるいは隠然と、教科書の記述に介入してきた。そこで家永三郎教授による「教科書裁判」などいくつかの裁判も行われてきた。それでも憲法改正が実現しない以上、特に公民分野では政府の都合のいい記述ばかりは求められない。

 90年代になって政治状況も変わり、また現代史の実証研究も進んで、教科書にも戦争の「加害」的な事実がかなり記述されるようになった。これに反発したのが「新しい歴史教科書をつくる会」であり、政界でそれに呼応したのが自民党若手議員が結成した「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(古屋圭司会長、安倍晋三事務局長)だった。21世紀になって、若手議員だった安倍氏や故中川昭一氏が小泉首相に重用され、政権を望める地位につくようになった。「つくる会」のメンバーと安倍首相のブレーン集団はほぼ同じで、政治性が強かった。

 2012年末に安倍首相が復権すると、「つくる会」と親和性がある下村博文氏が文部科学相に就任した。内閣改造でも留任したので、2015年秋まで3年近く文科相を務め続けたのである。そして朝鮮学校への高校無償化外しを立法化したり、国立大学の文系学部廃止などを求める「国立大学改革プラン」した。そしてまた、下村教育行政において、教科書検定基準の改定が行われたのである。これによって教科書は「政府見解」を書かなければいけないとされた。

 文部科学省の「教科書検定の改善等について」(平成26年4月改正=2014年)を見ると、社会科においては、「近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項について記述する場合には、通説的な見解がないことが明示され、児童生徒が誤解しないようにすることを定める。」「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解や最高裁判所の判例がある場合には、それらに基づいた記述がされていることを定める。」と明記されている。
(新基準による検定結果を伝えるテレビ)
 これによって、「領土問題」「南京大虐殺の犠牲者数」「自衛隊の憲法上の位置づけ」「積極的平和主義」などが政府見解に沿ってしか記述できなくなった。様々な見解を資料とともに併記して生徒に考えさせると言った「アクティブラーニング」を文科省は推進しているんではなかったのか。社会科では違うのである。ただし、こうして「つくる会」勢力の支持する政権が実現したことによって、育鵬社の独自性が薄れてしまったのである。
(検定の前後の比較)
 2005年の採択時など、扶桑社は各地で教科書採択を求める集会を開き、当時の都教委の教育長など休暇を取って九州の集会に参加していたのである。公然と政治介入があったわけだが、当時の扶桑社版は「右すぎる」から採択が進まないと自己評価して、新しく育鵬社の教科書を作ったわけである。(「つくる会」は分裂した。)だから育鵬社版は以前の扶桑社版ほどは偏っていなくて、多少は穏健化していた。だからこそ、他社との違いが少なくなった育鵬社を採択する意味が少なくなった。

 また「政府見解を書く」という縛りが掛かったことで、「南京虐殺事件はなかった」とか「東京裁判は不当だった」などのような「政府見解に反すること」は書けなくなったのである。もともと南京事件は育鵬社も「注」では書かざるを得なかった。本文で触れるかどうかに違いはあるとしても。公民で自衛隊や領土を政府見解通りになった代わり、歴史でも政府の公的見解を書かざるを得ない。社会科教科書は何段階もの「背理」を抱えている。どうやっても右派系が完全に望むような教科書(歴史的事実を政治的主張で変えてしまうような教科書)には出来ないのである。今後の改憲運動の中で「教科書を自分で作ろう」というような運動は起こりにくいだろう。
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