尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教員の「出願ミス」という問題ー東京では起こらないニュース

2024年04月25日 22時34分18秒 |  〃 (教育問題一般)
 「クラス替え」に続いて、「願書の提出ミス」という問題を考えたい。これは時々報道されているから、各地で起こる問題なんだろう。『「教師の事務的ミス」という大問題』を2015年に書いたことがある。教師も人間なんだから、当然幾つかのミスを避けられない。自分も同様だけど、進路先の出願を忘れてしまうという致命的ミスは起こさなかった。当然である。東京では高校の出願には生徒本人が行くことになっているから。東京から見ると、何で学校がまとめて出願するのか理解出来ない。

 全国各地の学校には様々な慣習があって、学校にも「謎ルール」がいっぱいある。最近新聞で見てビックリしたのは「水滴チェック」。「修学旅行などの宿泊行事で入浴後、教員が児童生徒の体がぬれていないか全裸の状態で確認する「水滴チェック」と呼ばれる指導」だそうである。何それ? 今どきやってたらセクハラ、パワハラとか問題になりかねない。僕は生徒の時も、教師になっても、こんなことを経験したことはない。大体「体がぬれていないか」なんて、どうでもよい問題である。

 今回の出願ミスは福岡県の私立高校で起きたという。なかなか複雑な背景がありそうだが、まあ一応「解決」したようだから、ここでアレコレ書くこともないだろう。そもそも今回の希望校は「公立」ではあるが、県立ではないという。全国で3つしかない「組合立高校」なんだという。もちろん教員組合が作った学校という意味じゃない。市町村が連合して作った「学校組合」が設置した高校なのである。その由来はどうでも良いけど、問題はその高校の出願日が県立高校とは別の日だったという。大体の生徒が内部進学する私立中学だったらしく、教員も外部受験に関して経験が少ないんだろう。(だからミスしてよいわけじゃないけど。)

 このようなミスを防ぐ方法は一つしかない。それは「生徒本人が願書を提出しに行く」ことである。自分の経験ではそれが当たり前すぎて、学校がまとめて出願するなんて発想が浮かばない。本人が病気などで行けない時は、保護者が行っても良い。一端当日に登校させて、調査書などを渡したあと、一斉にスタートしたように思う。だから、どうして学校がまとめるのか不思議なんだけど、考えてみると「交通事情」かもしれない。朝の登校時間を逃すと、電車もバスもほとんどないという地域も多いだろう。

 しかし、全県的にそういうわけでもないはずだ。試験日には実際にその学校に行くわけだから、出願も本人が行くべきなんじゃないか。あるいは「授業確保」という意味もあるのかもしれない。だけど、進路先への出願は「私事」である。出願に必要な書類(調査書等)の作成、あるいは進路先決定の支援は、教員の仕事そのものである。だが進路先そのものは本人(と家庭)が決めるべきものだ。「学校でまとめて送る」となると、教員の指導、つまり「落ちる可能性があるからランクを下げるべきだ」に生徒が抗しにくいのではないだろうか。

 これからは「インターネット出願」が増えてくるのだと思う。課題も多いだろうが、そういう方向に移っていくと思う。コロナ禍で「郵送」も多かった。学校が郵送するのではなく、生徒個人が郵送するわけである。だけど、試験日の練習の意味でも、実際に行く意味はある。自分の時は都立高校が「学校群」の時代だった。2~3の高校をまとめた「群」を受けるのである。その際、出願指定校と受験校が違うことがある。僕の場合、出願が白鴎高校、試験が上野高校だった。上野高校を見ておこうと出願した仲間同士で行ってみた記憶がある。学校説明会なんかある時代じゃなく、白鴎も上野もその日初めて行ったのである。
(東京のネット出願のイメージ)
 ところで風間一樹というミステリー作家がいた。結構好きだったんだけど、1999年に56歳で亡くなってしまった。今では文庫本にも残ってないだろう。風間一輝(名義)の最初の作品は『男たちは北へ』(1989)だが、この小説では「中学のミスで都立高校を受けられなかった」高校浪人が自転車で国道4号線を北へ向かう。それとともにある「謎」を秘めた男たちも、北を目指していく…という設定である。面白い本なんだけど、以上の説明の通り、都立高校では「中学の出願ミス」は起こらないのである。

 前回書いたクラス替え問題では、これは前にも書いたことがあるが、岩井俊二監督の傑作映画『Love Letter』の問題がある。小樽の中学校で、男女で同名の生徒が同じクラスにいたことから起こる物語である。とても良く出来ていて、中山美穂も最高。だけど、2年4組に「藤井樹」(ふじい・いつき)という同名生徒が男女ともにいたという設定はおかしいだろう。もし事前に誰も気付かなかったとしても、事後にやり直すレベル。何しろ4組まであるんだから、絶対に離すはずである。

 つまり映画や小説に「学校」が出て来たときは、あり得ない設定が多すぎるのである。物語の効果のために、学校のリアルを無視している。カンヌ映画祭脚本賞の是枝裕和『怪物』にも疑問があった。もちろんもともとファンタジーみたいな設定の話ならどうでもよい。だけど、やはり学校のリアルを追求する場合は、誰かアドバイザーを頼むべきだと思う。
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クラス替えはどうするのか②ー様々な配慮を積み重ねて

2024年04月24日 22時50分06秒 |  〃 (教育問題一般)
 「クラス替えはどうするのか」の2回目。1回目では「まず成績順に並べてみる」と書いた。これはおおよそどこの学校でも同じだろうと思う。そこから、いろいろな「配慮事項」を検討していくことになる。おおよそ「要配慮生徒の扱い」「リーダー生徒の扱い」「その他の事項」になるだろう。クラス替えをやり直したというのも、その「配慮」に欠けた点があったということらしい。

 検索していると、「保護者が要望を出して良いのか」という悩みがかなり出てくる。教師がすべて気付けるわけではないから、気に掛かることは伝えた方が良い。1年生の担任が異動して、2年生から新たに担任に入ったようなケースも多い。1年生の時に起こった問題を知らないわけだから、言っておく方が良い。担任に直接言いにくかったら、学年主任や管理職に伝える手もある。学校側は「様々な条件があるので、必ず要望に応えられるとは確約出来ないが、必ず議論して連絡します」と答えるべきだろう。

 さて「要配慮」にも幾つもある。まず最初が「生活指導案件」。多くの中学校では何かしら生活指導上の問題が起こっている。ケンカ、喫煙、いじめ、万引きなどなど。なければいいけど、それでも多少は「ボス的存在」と「子分的存在」(いわゆる「使いっぱ」)が形成されるものだ。良い悪いというより、それが思春期集団というものだろう。だけど学校としては、その集団を「解体」することになる。ボス的存在を別々にしなければ、そのクラスの勉強が成り立たない。ボスと子分を離すのも当然。

 さらに重要なのは、「障害生徒」「不登校生徒」が一クラスに偏らないようにすることである。これは担任の負担平等化である。障害のある生徒は今は「特別支援」という仕組みもあるが、昔はクラスの中に混じっていたことも多い。身体障害、知的障害(傾向)は判るが、かつては「発達障害」の理解が不足していた。当然「自閉症」「学習障害」「ADHD(多動性障害)」、あるいは「緘黙」などの生徒もいたと思う。「不思議な生徒」扱いされていた感じだろうか。「不登校」も昔からあった。

 ところで、「分ける」「離す」と言うけど、具体的にはどうするのか。まあ、4クラス程度あれば、自然に別々になることが多い。それでも同じになっていた場合、「同成績グループ」どうしで交換することになる。しかし、交替可能生徒がまた別の要配慮生徒だったりして、ひとり動かせば玉突き的に大幅な変更になる場合もある。その場合は上下の成績グループで変更可能性を探るしかない。将来はAIでやるのかもしれないが、昔は「紙の生徒名簿」を作って並べ替えていくことが多かったと思う。

 もう一つ「お世話生徒」の問題がある。病弱や障害生徒には、家も近く小学校時代からプリントを届けたり、旅行行事で一緒のグループになったりしてきた生徒がいるものだ。これが難しくて、思春期を迎えると「そろそろ離れたい」と思っていたりすることもある。クラス内で「低位」の生徒を「お世話」していると、自分も「高位」集団に入れない。一方お世話される生徒の方にも「自立」志向が出て来たりする。その問題で保護者から要望されることも多いと思う。僕はざっくばらんに生徒に聞くのも有りだと思う。ちゃんと頼めば、(どっちの場合でも)納得してくれるんじゃないか。

 さて次は「リーダー生徒」である。本当はこれが一番重要だと思う。各クラスには生活面でリーダーになる生徒が必要だ。委員決めや旅行の班分けで、延々と時間を取るわけにいかない。それに3年生だと生徒会役員がいるはずで、普通はクラス委員にはなれない。だから生徒会役員ばかり集まらないように配慮する。またリーダー生徒にも相性があり、やる気があっても打ち消しあってしまうことがある。異性が気になる年代でもあり、リーダーどうしがうまく行くかという問題もある。

 また「行事リーダー」という問題もある。「運動会」にはクラス対抗リレーがあるから、各クラスの足の速い生徒が何人か必要だ。中学では「合唱コンクール」があることが多いだろうが、ピアノ伴奏が出来る生徒が最低一人いないと困る。その他考え始めれば切りがないが、これらのことを考えて当初の案を変えていく。最終的に何が最適か、やってみないと誰にも判らないが、事前にいろいろと練っておくべきのである。

 最後に「その他の問題」。まずは「双子やいとこは別クラスにする」。また4クラス程度あれば、必ず「佐藤」「鈴木」などの生徒が複数いる。出来れば別が望ましいが、同学年に5人以上いれば、どこかのクラスに2人入る。その場合は出来れば性別が違うといいけれど、あまり変えるのも大変ならやむを得ない。それと「旧クラスから最低でも数人入れる」。旧クラスといっても仲が良い関係ばかりじゃないけど、それでも同クラスの人数は数える。中学だと複数の小学校から来ていることが多いが、「卒業小学校別人数」もばらける方が良い。家庭訪問時に同一地区ばかりじゃ不公平になる。
(クラス替えの地域差)
 まあ挙げればもっとあるかもしれないが、およそこんなことを考えるのである。多分「クラス替えの実証的研究」はないんじゃないかと思う。探すと小学校の場合だが、地域差があるという地図が出て来た。その理由などは不明である。実際のクラス替えは、個人情報的観点からはっきりと書けない部分がある。それにいくら配慮したつもりでも、何か忘れてしまうことがある。複数で確認するが、いやあ、しまったという経験もある。だけど、長い目で見れば、新しいクラスが形成されるにつれ、新たな人間関係を作っていくことが多いだろう。教師や親が心配し過ぎない方が良いのかもしれない。
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クラス替えはどうするのか①ーまずは「成績」で分けてみる

2024年04月23日 22時23分16秒 |  〃 (教育問題一般)
 新書本の感想だとどうしても対象テーマが堅くなる。書く方も飽きて来たので、違うテーマで少し。ブログ開設からしばらくの間は、教育問題を書くことが多かった。教育行政への怒りが書くエネルギーとなっていたわけ。自分で読み直すと、案外いいこと書いてるじゃないかと思ったりする。もう教員を辞めてから長くなって、「教育」について書くなら早いうちにと思う気持ちがある。(なお「教育政策」に関しては、国民誰もが発言して良いから別扱いになる。)

 今回は「クラス替えはどうするのか」を書いてみたい。某県の中学校で、一端発表された新クラスが撤回され、クラス替えがやり直しになったとか。これは極めて珍しいケースだと思うが、今までにあったとしてもニュースになってないのかもしれない。新学期になって、突然新しい転入生が来ることになって、その一人のために基準を上回って1クラス増えたという話なら聞いたことがある。しかし、その場合も春休み中(生徒への発表前)にやり直したという話だったと思う。

 自分もかつて中学や高校の勤務時に、何回かクラス分けを経験したものである。もちろん自分が通っていた時代にもあった。昔の小中学校では結構「クラス替えなし」(担任ごと持ち上がり)が多かったと思う。自分の小学校時代は、3年、5年になるときと2回しかクラス替えがなかった。中学は2年になった時だけだった。(高校は毎年。)しかし、自分が教員になったときは、「毎年クラス替え」が一般的になっていた。校内研修で誰かエラい人が来て、「担任と合わない生徒もいるから、毎年シャッフルする必要がある」と言っていたと記憶している。

 高校の場合は、特に一年生の時は「芸術選択」(音楽、美術、書道)で分けるのが普通だ。また専門高校(特に工業高校)の場合、少人数の学科が多くもともと卒業まで1クラスという学校も多い。進学校でも3年間同じクラスという例があるようだ。自分の経験では、夜間定時制高校では「単学級」校だったから、クラス替えをやれなかった。また単位制高校では授業がひとりひとり別々の時間割になる一方、ホームルームは最後まで固定だった。つまり自分は21世紀になってからはクラス替えを経験してないのである。

 だから自分の経験はもう四半世紀以上前のことになるが、「クラス替え」について書いてるブログなどもあって、今もほぼ同じだなと思った。以下は主に中学3年生を想定して書く。今は私立や公立中高一貫校へ行く中学生も多いだろう。また「学校選択制」などもあるが、それでも公立中学は一応「地域の生徒を幅広く集める」場所だろう。そうなると、成績を上中下で言えば、「中」が一番多い「正規分布」に近づくはずである。クラス替えの基本は、各クラスの成績を「正規分布」に近づけることである。

 中高の学習や部活動は、結局は「進路決定」に結びついていく。現実の進路決定と成績は完全にリンクはしないが、一応「成績上位生徒の方が進路決定がうまくいく」蓋然性が高い。また中学では「学習系行事」も多いし(スペリング・コンテストなど)、今は全国学力テストもある。また定期テストでは「クラス平均」を出すことが多い。最初から低学力生徒が多かったら、学習集団として成り立たないだろう。ということで、まず最初にやることは「成績順に分けてみる」ことである。

 「成績」といっても何を基準にするか。昔は「業者テスト」を校内で行って、それを基準にしていたことが多いと思う。ある時から使えなくなって、今は「評定合計」が多いのかと思う。つまり「5」「4」など各教科の成績を足した数字である。それでも何教科を対象にするか、1年の成績を加えるかなどヴァリエーションがあるだろう。それを全員分並べて、高い方から並べていく。4クラスだとすると、「1位から4位まで」を第1グループとして、「5位から8位まで」の第2グループは折り返して並べる。つまり5位を4位の下に置き、そこから6位、7位、8位と置いて、次はまた折り返していく。それを繰り返すわけである。
(4クラスの場合)
 今はパソコンですぐ出来ることも、昔は手作業で出していた。それでも80年代半ばになると、パソコンに強い教員が駆使してすぐに作っていたかと思う。ところで、今は男女混合名簿の場合が多いと思うが、クラス替えのデータは男女別に作るだろう。体育の授業は性別で行うからである。(「技術・家庭」は昔は男女別だったが、今は共通カリキュラムになってるという話。)この成績順名簿がまず最初に作る基本データで、いろいろな配慮事項によって新しいクラスが作られていく。

 案外長くなってしまったので、一端ここで切って「様々な配慮」でクラスが作られていくところは次回に回したい。ところで、この「クラス替え」は誰が担当するのかという問題がある。それは「学年団」の仕事だが、場合によって担任教員が新年度に変わることがある。特に2年生になるときは、異動する教員がいるものだ。異動内示、新校務分掌提示が終わって、その時点の旧担任団が「成績順データ」を作る。おおよその配慮事項を考慮した「原案」を春休み中には完成させる。最終的には4月初めに「新担任団」の学年会議で、持ちクラスを含めて決定するという流れが普通だろう。

 今後は少子化で1クラスの学年、あるいはせいぜい2クラスという学年も多くなると思う。そうなるとクラス替えが出来ない。2クラスあれば替えられるが、「こっちか、あっちか」という問題になる。そこも含めて、クラス替えがうまく行くかどうか、そこに学年団の力量が見えてくると思っている。
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中学英語「広がる学力差」の背景にある教育政策

2024年03月20日 22時02分12秒 |  〃 (教育問題一般)
 『中学英語「難しい」 広がる学力差 新指導要領導入から3年」という記事が朝日新聞(3月19日)に掲載されていた。その記事によると、「2021年度に始まった中学校の新指導要領で、英語が格段に難しくなり、生徒に英語嫌いが増え、学力格差も広がっているー。教育現場で、そんな見方が定着しているという。」さらに記事を引用すれば、「都内の公立中の英語教諭は『生徒のできる、できないの差が際立つようになった。』都内の別の公立中の英語講師は『一部の子は英会話教室や塾で学ぶことでカバーしているが、それができない家庭もある。クラスの全員を巻き込んだ授業が難しくなっている』と話す。」と出ている。
(英語4機能の平均正答率=産経新聞)
 そりゃまあ、そうなるだろうなあと僕は驚かなかったが、拡大は今後も続くだろうと予測できる。検索してみたら、産経新聞の記事で、全国学力テストの結果が比較されていた。難易度が違うのだとは思うが、「下がっている」という結果になっている。この原因について、新学習指導要領で、内容が難しくなったことが大きいと出ている。例えば、以前は中一の終わりに習っていた「can」を使う会話を、入学間もない時期に扱うようになったという。また高校で習っていた仮定法や現在完了進行形を中学で教えるなど、文法の学習事項が前倒しになっているとのことだ。

 また中学で扱う単語は、1200語から1600~1800語に急増したという。さらに小学校の教科「外国語」では、単語の暗記にあまり時間を割かないため、生徒によっては小学校で扱う600~700語も中学でやらないといけないという。これではよほど学力の高い生徒以外は、中学の英語授業に付いていけなくなるのは当然だろう。ただ、このような事態は当然事前に予測されることであり、教育行政としては「予想したとおりになっている」ということだと思う。
(英語学力の格差拡大=江利川春雄氏のブログから)
 どうしてそう判断するかというと、中学入学段階で英語の学力格差が付くのは、小学校で英語を必修科目にする以上当然のことだからだ。かつて英語は(大部分の生徒にとって)中学で初めて接するものだった。だから他教科では学力差があるが、中学1年の1学期では英語の学力差はゼロだった。そのため、中学になったら英語の授業を頑張るんだと思って入学する生徒も多かった。そして初心を貫けたのか、担当教員と合っていたのか、他の教科はダメでも英語だけ得意だという生徒がけっこういたものだ。

 今では小学校で英語の授業があって、評価も付く以上、中学入学段階ですでに英語の得意・不得意、好き・嫌いがあるだろう。そして中学では「すでに小学校で習っている」という前提で教科書が進行する。そして急激に難しくなる。これでは英語嫌いを増やすようなものだ。だが、それは逆に言えば、「英語ができる少数の生徒を残す」という役割も持っている。それで良いということなんだと思う。先の記事では「クラスの全員を巻き込んだ授業」が難しいという声が出ていたが、もうそういう授業はしなくてよいと教育行政では考えているのだろう。「できる子を伸ばす」で良いのである。

 ということは、「中学英語の広がる学力差」は(行政から見て)困ったものではなくて、「政策目標が実現している」と考えるべきだ。縮む日本では、少数のエリートが海外で稼げれば良く、学力の低い層は日々を実直に生きて行けば良しとする。だから「学力重視」を叫ぶと同時に、「道徳教科化」が実現したのである。ただ、この「学力格差拡大政策」は、これから学校以外の多くの場面で大きな問題を起こすのではないだろうか。その「負担」を誰がどこで負うべきか。社会的合意がないままに、社会全体に格差が拡大してゆく。そういう未来が待っている気がしてならない。
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「中学校」支援に力を全力を注げーこれからの日本社会の持続のために

2023年02月02日 23時08分14秒 |  〃 (教育問題一般)
 朝比奈なを進路格差』の紹介を書いたので、そこからの派生で一度書きたいと思っていたことを。同書の中で、「高校が人生の分水嶺」というようなことが言われていた。全くその通りなのだが、そこで東京都では「様々なタイプの高校」とか「進学指導重点校」など幾つもの「教育改革」が行われてきた。だけど、中学教員も高校教員も体験した自分から見ると、まず必要なのは「中学校への社会全体の支援」だと思う。明らかに一番大変なのも中学校である。

 20世紀の中学とはいろいろな点で様変わりしていることだろう。だが、小学校と高校に挟まれ、常に高校受験を意識せざるを得ないのが中学である。部活動が本格化して、休日返上の苦労も中学が一番だ。生徒は思春期を迎え、問題行動も発生して生活指導も苦労の連続。そして地域に密着した義務教育では、「地域の目」が高校とは段違いである。そのような「本質」は不変だろう。
(教員の苦労の調査)
 さらに東京都では中学校の「学校選択制」もあり、また「英語のスピーキング・テスト」まで実施された。また全国で「全国学力テスト」とか「道徳教科化」など、自分の時代にはあり得なかった政策も実施されている。教員の階層化競争的人事制度も進んでいるうえに、コロナ禍対応、デジタル化対応もある。昔でさえ忙しかったのに、今現在の多忙さは恐るべきものだろう。

 高校が人生の分水嶺と言われても、いや違うだろう、大学こそ自分の人生の分かれ道だったと思う人も多いはずだ。自分自身もそっち側で、大学や大学院、あるいはその後の自ら関わった出来事こそ、自分を作ったと思う。それは自分が進学校に入学し、大学へ通うのは当然という意識を持っていたからだ。それを可能にする家庭の経済力も担保されていた。だから、自分にとっては「どのレベルの大学に合格できるか」、さらに「どの学部を目指すか」という問題こそが重要だったわけである。

 中学教員のほとんどはそれなりの進学高校出身である。そうじゃないと、大学で教員免許を取って、教員採用試験に合格しない。もちろん高校教員も同様だが、最初に配属される高校が地域で最高レベルということはほとんどない。専門学校や就職を目指す生徒を指導することで「高校生の多様な進路」を知る。中学教員もいろんなタイプの生徒を扱うけれど、様々なタイプの高校を知っているわけではない。工業高校や商業高校へ進学する生徒は多いけど、普通科進学校から順番におおよそ作られている「高校の偏差値序列」に沿って指導しがちになる。

 自分もそうだったし、違うタイプの高校へ進学させるべきだったと後悔するようなケースもあった。中学では就職希望の生徒から、国立大学附属校に合格するような生徒まで教えた。授業、部活動、生活指導に追われながら、多種多様な生徒を相手にして、それ以上の進路指導は難しいだろうと思う。自分が高校に異動すると、今度は明らかに間違った進路先を選んだと思う生徒に何人も出会った。高校は義務教育だから、「留年」や「退学」がある。何人もの生徒が退学していったし、また退学させざるを得ない。

 留年も退学もできない中学の現場では、多忙の中で多くの生徒や教員が悩んでいるだろう。「人生の分水嶺」である高校への進路指導は、中学教員が頑張るしかない。でも、特に東京には私立高校が数え切れないほどあって、中学3年の担任は学校説明会の訪問に忙殺される。そんな中で、どのように生徒一人一人にとって効果的な進路指導ができるのか。いろいろな意味で、一番大変な中学校の現場に教育的資源を集中的に投じないと日本は持たなくなると思う。

 進路指導、教育相談専任の教員を置く余裕はないだろう。だけど、退職教員に民間人も加えて、非常勤でいいから中学に相談員を派遣するべきだ。部活動の地域移管もどんどん進める必要がある。人材難などと言わず、地域にいる卒業生のネットワークを活用する以外にない。大学は中学、高校での学習支援、部活動支援の活動を必履修にして、大胆に単位認定するべきだ。そして、保護者の力。親の中には、様々な仕事に従事している人がたくさんいる。我が子が卒業した後でも、何か地元の中学に協力したいと思っている人は多いだろう。

 自分が出た中学の近くで暮らしている。かつて高校に勤務していたとき、朝に出勤するときには、もう中学の電気が付いていた。退勤して家に帰るときも、まだ部活動をやっていた。それどころか、定時制高校勤務時に夜の勤務が終わって帰ってきても、まだ一部の教室に電気が付いていた。これでは潰れてしまうに決まっている。教員の生活だけでなく、生徒にも悪影響が及ぶに決まっている。一番大変な中学校への支援を社会全体で考えないといけない。
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朝比奈なを『進路格差』を読むー可視化された教育格差

2023年02月01日 22時33分42秒 |  〃 (教育問題一般)
 朝比奈なを進路格差』(朝日新書)を読んだ。2022年11月30日付で刊行された本で、非常に重大な問題を突きつけてくる。朝比奈氏は公立高校教員を退職後、大学の非常勤講師、教育相談などに携わってきた。同じ朝日新書にある『ルポ教育困難校』『教員という仕事』を読んだ感想は前に書いた。どちらも学校現場のリアルを追い、日本社会の現状を鋭く追求した本だった。

 そして次に出した本が、この『進路格差』である。いやあ、やっぱりここに来たか。書いちゃったのか。書かれちゃったなあという本である。公立高校の教員は異動があるから、様々なタイプの高校を経験することが多い。そうすると、様々な進路活動を指導するわけである。だから、よほど恵まれた学校ばかり渡り歩いた教員は別として、ここで書かれている内容自体は実体験として大体知っていると思う。だが、「卒業させれば終わり」というか、その先はあえて考えないでいるのではないか。

 卒業生の何人かはその後も学校に来て、在校生向けの「進路ガイダンス」に参加してくれたり、部活動の指導に来る生徒もいる。進学校の場合、4年目になると「教育実習」で母校に戻ってくる生徒もいる。そういう生徒の存在はある意味、教師の醍醐味でもある。だけど、中堅校以下だと、いつの間にかもう辞めてしまったという声が聞こえてくる生徒がいる。どうなってしまったか消息不明の生徒も多い。就職生徒の中には、すぐに長時間残業やパワハラに悩むことも多い。 
(高校生の進路)
 たがそれだけでなく、会社の仕事を任されてもうまく働けない、大学や専門学校の求める学力に付いていけない。また集団で働いたり、大学という場で自ら学ぶ資質に欠けていて、精神的に大変になるケースもかなり聞く。そういう話は高校教師を長く続けていれば、皆が知っている。世の中には教師もどこにあるんだかよく知らない学校が多い。何を学ぶんだかよく判らないカタカナばかりの学部、その方面の勉強をしても果たして就職できるんだろうかという専門学校。でも生徒が行きたいと望めば、そして家庭が学費を負担できる(または奨学金を申請できる)なら、行かせることになるだろう。

 それは「進路未定」で卒業させたくないからである。中には正社員より稼げるアルバイトもある。お金を貯めて、夢にチャレンジしたいという生徒もいる。むげに「フリーター」を否定できるものではないが、学校の立場(進学率や就職率を上げたい)を離れても、「進路がなかなか決まらない」タイプの生徒は、「新卒」で勝負できる時を逃せば、正社員での就職や高等教育を受ける機会を一生逃してしまうかもしれない。教師がプッシュして、「ダメモト」かもしれないけれど、何とか進路を決めて卒業させたいのである。

 だけど、高校教員は専門学校の現場を知らない。大学を出ないと教員免許が取れないんだから、教師は全員大学卒なのである。(養護教諭など、専門学校卒業で得られる資格もある。)もちろん、高卒で就職した人もいない。知らずに進路先に送っているけど、送られた側の会社や専門学校はどう考えているのか。関係者の取材を続けながら、この本には現場のリアルな感想が書かれている。それは多くの人には衝撃かもしれない。だけど、教師の立場からすれば、大体思っていたとおりである。
(専門学校の種類と学生数)
 特に重要だと思ったのは、専門学校の話。高校教員の多くも、知らないことが多いだろう。看護、保育、理容・美容、調理・製菓など、長年の実績がある専門学校にいく生徒は何人も見てきた。特に看護系などは、ひょっとしたら中堅大学並みの学力が求められることが多い。そういうところとは卒業生も行っていて関係も深い学校が多い。しかし、最近増えているアニメ、声優、IT(情報処理)、スポーツ系などは、実際どんなことをしていて卒業後にどんな進路があるのか。教員も良く知らないだろう。本書には多くのデータが掲載されていて、すぐ進路学習やホームルームで役に立つと思う。 

 それにしても、「基礎学力」もなく、「基本的生活習慣」も身につかず、あいさつなど最低限の「コミュニケーション能力」もないのに、「高卒」という資格で送り込まれてくる。企業は不良品を市場に出すことは出来ないのに、教師は現場で役立たない「人材」を卒業させても、給料が変わらない。ある人がそう指摘しているが、何とも返す言葉がない思いがする。ただ…、と小声で言いたいこともあるだろう。高校は中学から、中学は小学校から、そして結局は家庭から子どもたちがやって来る。

 厳しく「査定」すれば、単位を認定できない生徒を「留年」させて何になるのか。それは無業者、引きこもり、あるいは犯罪予備軍を世の中に送り出すだけではないのか。特に「教育困難校」で働く教員は社会防衛の最前線で戦っている。しかし、教育行政は公立の中堅校以下は全く支援しない。むしろ、私立高校への就学援助を増やして、税金は貧困層が学ぶ公立「底辺校」に回らない。それなのに文科省は現実を知ってか知らずか(いや、もちろん知っているのだが)、「アクティブ・ラーニング」などと掛け声をかける。そういう日本の社会と政治の現実をこの本がよく教えてくれる。

 教師のみならず、全国民必読だと思うけど、まあそんなことはあり得ない。教員、特に中学、高校の教員には是非読んで欲しい。そして、次には「私立学校」と「中退者」の問題が残されていると思う。私立学校は大学進学実績、またはスポーツ大会実績が高い学校以外は、ほとんど注目されない。もちろん私立にも中堅校以下の学校もあり、何とか進路、スポーツで実績を上げようと中学から推薦で生徒を集めるが、入ってからうまく行かなかった生徒はどんどん公立の定時制高校に落ちてくる。何人もそういう生徒がいたのである。また大変な高校ほど、どうしても「中退」を出すことになるが、その後どうなっているのか。学校としても追跡するのが難しく、どこにもデータがないと思う。僕も気になる生徒はいるのだが、今や生徒の名簿もないから、どうしようもない。
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「板書」か「パワポ」か、授業のやり方の今昔

2023年01月23日 22時24分00秒 |  〃 (教育問題一般)
 「包丁一本 さらしに巻いて」と始まる歌がある。「月の法善寺横町」である。歌い出しは知っているけど、誰が歌ったのかは、もう僕の世代では知らない人がほとんどだろう。大阪の「法善寺横丁」には昔行ったことがあって、名物夫婦善哉を食べようと思ったら満員だったので、レトルトを買って帰った記憶がある。でも歌の方は「横町」と書くと今回知った。歌ったのは藤島恒夫(ふじしま・たけお)で、1960年の大ヒット曲。同年の紅白歌合戦でも歌った。

 歌は「旅へ出るのも 板場の修行」と続く。若い二人が愛し合うが、男は修行に出なければならない。「腕をみがいて 浪花に戻りゃ 晴れて添われる 仲ではないか」。日本ではドイツの石工のような遍歴職人はあまり知られていない。でも「職人」の世界には「腕一本」でどこでも生きていけるという気風があった。実際に料理を学んでから、全国各地で修行した話はよく聞く。

 料理人の世界の話を書きたいわけではなく、メインは教育の話である。朝日歌壇(1.22)に次のような短歌が掲載されていた。「板書よりパワポ画面を望まれて令和の授業は十人十色」(ふじみ野市、片野里名子)というのである。何で「月の法善寺横町」を思い出したのかと言えば、僕の時代だと教師は「チョーク一本」で授業が出来なければと教えられたからである。もっとも本当に「チョーク一本」で教室に行くことはない。出席簿教科書は最低限持たないといけない。
(「プロの板書」という本)
 黒板にチョークで字などを書くことを「板書」(ばんしょ)と呼ぶ。これは業界用語だろう。最初に聞いたときは判らなかった。まあ何となく聞いているうちに、「黒板に書くこと」なんだなと推測したのである。そして授業は板書が基本で、板書の書き方や工夫を求められた。研究授業で他の教師の板書を見ると、勉強になることも多いけど、あれ書き順が違うぞという時もある。字の上手下手もあるが、下手でもいいから丁寧に読みやすい字を書くことが優先する。だから最初は「板書計画」をノートに書いて準備することが多かった。それは確かに後でも役立つものだったと思う。

 1980年代の終わり頃から、ワープロ(文書処理機)が登場して自分も使うようになった。特に試験問題は基本的にワープロで作成するようになった。今までの設問を残しておけるメリットが大きかったのと、生徒にも字が読みやすいという点も大きい。高齢の教員は長く手書きだったので、試験問題が達筆すぎて読めないという苦情を受けたときは困った。21世紀になるとパソコンが普及して、やがて全教員にパソコンが配布されるようになった。それ以前は各教員が私物のワープロ、パソコンを学校に持ち込んで教材作りに利用していたのである。今なら問題視されるのかもしれない。

 その頃から「電子黒板」とか「電子教科書」という話題は出ていたが、現実には使いにくい。数が少ないから、何も自分が使わなくてもと思うわけだ。パワーポイントで授業をするなんて考えられなかった。自分では「地図」だけは「電子黒板」を使用してみたかった。掛地図では後ろの生徒が見にくい。それに掛地図は結構値段が高く(大きいものでは5万円ぐらいして、それを各大陸分そろえる必要がある)、学校予算上なかなか更新してくれない。21世紀になっても、ソ連が出てる地図を使ってる学校が結構あった。
(パワーポイントで黒板風に)
 それがコロナ禍で、生徒にも全員タブレット端末を配布し、授業もオンラインで行うといった時期があったのだろう。そういうのに慣れてしまうと、生徒からすると一斉授業に戻った後で「板書をノートに取る」ということが苦労に感じられるのだろうか。もう自分にはよく判らない問題なのだが、どんどん世界は変わりつつあるなあと思う。だけど、それで良いのかとも思う。「自分の鉛筆でノートをまとめる」というテクニックも、人間には必須な能力のような気もするのである。

 上位1割ぐらいの生徒は、要するにどっちでも対応出来るんだろうと思う。問題は平均付近から平均以下の生徒である。ノートを取るというのは、教師の話を聞き、板書を理解してきちんと字を書くという作業である。当たり前のようで、これはなかなか大変である。世の中で生きていく時には、パソコンやスマホよりも役立つ能力ではないか。例えば「織田信長」を読めても、ちゃんと書けない生徒がいる。アクティブ・ラーニング以前に、ちゃんと基礎用語を書ける力が要る。

 「小田和正」でも「尾田栄一郎」でもなく、「織田信成」の「オダ」。そんなことは常識だろうと思うかもしれないが、中には「小田信長」とか「識田信長」なんて書く生徒がいるのである。やっぱり「板書をノートする」というのも大事な気がする…。
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都小P、PTA全国組織を脱退ーPTAをめぐる問題

2022年08月04日 22時43分38秒 |  〃 (教育問題一般)
 大きく取り上げているメディアが少ないけれど、7月9日に東京都小学校PTA協議会都小P)が全国組織の「日本PTA全国協議会」(日P)を来年3月に脱退することを決定した。このような動きは時々伝えられるが、現時点では全都道府県と一部の政令指定都市64団体が加盟している。都小Pは1957年に一時脱退したことがあるが、65年度に復帰した。全国組織からの脱退は極めて異例なことだと言われる。(以上、朝日新聞7月10日付)
(脱退を報じるテレビ)
 ところで、同じ記事には都小Pは現在一部の公立校約190校の会員9万人から集める年会費180万円(児童一人当たり20円)のうち、半分を日Pに支出していると出ている。これを見ると、ほとんどの小学校のPTAが都小Pに加盟していないと考えられる。何しろ東京都には公立小学校が1265校もあるのである。(2022年4月1日現在。)加盟しているのは15%程度ではないか。

 学校にはあまり論じられないままになっている多くの問題がある。「部活動」は語られるようになってきたが、PTA(Parent-Teacher Association)も今後再考が必要になってくる大テーマだと思う。自分が生徒だった時代は、PTAというのは当然「全員参加」(全世帯加盟)の組織だった。生徒もそう思い込んでいた。生徒全員の名前、住所、電話番号、さらに保護者名も加わった「PTA会員名簿」が作られていた。そこには教員の住所も掲載されていた。全生徒の電話番号が判ったら、お誘いやイタズラの電話が頻発しないか。今の人はそう心配するだろうけど、一家に一台の電話には大体親が出るから安易に掛けられないのである。

 自分が教員になった後も、おおよそ20世紀の間は同じように「全員加盟」のものだと思っていた。学年初めに保護者会があって、そこで行われる「役員選び」は教員にとってもとても鬱陶しい時間だった。もちろん当の保護者(大部分は「働く母親」か、「子どもが複数いる主婦」)にも苦痛の時間だっただろう。しかし、そういうもんだと思い込んでいたから、いつの頃からか「PTAは任意加盟の組織」だと言われたときには驚いた。それで良いのだろうかと思ったりもした。PTAに参加出来る家庭だけが加入し、それ以外の家庭は入らないということでは、学校の運営にも影響するのではないかと心配もした。

 しかし、東京では「任意参加」の原則が教育行政からも強調され定着したのではないか。一応出来るだけ入って下さいと入学式後に呼びかけるだろうが、そして(小中なら)かなりの家で加盟するだろうが、全員ではない。それでやむを得ないということになってきたと思うけど、21世紀の小中の実情は知らないから違うかもしれない。しかし、では「親と教師の会」なのに、教師は全員加盟なのだろうか。教師だって任意参加のはずなのではないか。それは「教師も会員なんだから、会費を払うべきでは」という議論があったときに思ったことだ。なるほどそうかもしれないが、教師は部活動と同様に「やむを得ない仕事」と思っていたはずだ。

 コロナ禍において、PTA活動も大きな苦労があっただろう。その中でPTAの役割も見直されるだろう。PTAという組織は戦後の占領時代にアメリカから持ち込まれたものである。文部省は「父母と先生の会‐教育民主化のために‐」という結成の手引書を配布したという。もともとは教育の民主化のための「戦後改革」だったのである。アメリカやイギリスの映画や小説には、学校の保護者会が結構出てくる。教員は部活動や残業などないから、「スモールタウン」では家に帰って夕食を済ませてから車でまた学校に来たりしている。学校はコミュニティの一部で、親も教師も同じコミュニティを大切にしている。しかし、特に東京では遠距離通勤が多いから、一旦家に帰って出てくるなんて不可能である。

 学校をめぐる条件が全然違うから、「理想」がどんどん崩れていった。PTAはいずれ子どもの卒業とともに終わるから、その間のお務めとしてガマンする組織になってしまった。しかし、子どもが毎日行っている場所、毎日接する教員を知る意味は大きい。協力して学校作りをしたいという気持ちも当然あるだろう。学校からしても、保護者の協力は必須である。今後ますます進行する少子化の中で、地域の教育力を生かさないと学校も存立できなくなる。学校と保護者のあり方をホンネで話せる場が大切になるはずだ。
 (日Pの会費、会員の不満)
 いや、日Pの問題を書くはずが、つい一般論、それもタテマエみたいなことになってしまった。僕も(PTAに限らないが)「全国組織」が有効に機能しないことが多いのを知っている。親と言っても様々だから、皆で一丸になって何か出来る時代ではない。日Pを脱退するところも他にも出てくるかもしれない。ただ、東京の場合は、そもそも都レベルの組織への加盟も少ないという特別な事情もあると思う。PTAの問題はなかなか語りにくい。教員にとっても、熱心な親もいれば、そうでもない親もいるから、一律に語れない。しかし、これも「戦後の理想」が「日本社会の現実の中で変容していった」という問題なのである。
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「教員不足」の原因と対策-「常勤講師」を制度化したら?

2022年05月11日 22時43分49秒 |  〃 (教育問題一般)
 教育問題に関して二つ書くと言ったが、「部活動の大転換」の次は「教員不足問題」である。新聞やテレビで数多く取り上げられている。朝日新聞(5月7日)には「新年度 公立で教員不足相次ぐ」「自習続き・教頭が授業…子どもの学習に影響」「長時間労働などで教職敬遠か」と大きく報じられている。この問題に関しては、5月10日朝日新聞にも「公立校の4割で教員不足」という調査結果が報道されている。もっとも大学教授によるインターネット調査なので、行政当局による悉皆調査ほどの正確性はないだろう。不足しているところほど回答すると考えられるので、実際はもう少し少ないと思う。それにしても、文科省も「特別免許」という制度を活用せよという通達を出しているぐらいで、やはり相当深刻な状況と考えられる。
(「特別免許」を活用せよと文科省は言うが)
 ただし、記事の書き方は「長時間労働が背景にある」などとちょっと紋切型。それもあると思うが、実際は複合的なさまざまな要因があるはずだ。その前に「教員不足」というと、どういう事態を想像するだろうか。「自習続き」とあるが、現場では多くの場合「負担増」で対応しているはずだ。教師一人当たりの授業の持ち時間数は決まっているが、クラス数は学校ごとに異なるから、教科ごとに端数が出る。それを非常勤講師などで対応するが、講師が見つからないときは、結局正教員がその分を分け持って基準以上に授業をする。それが一番多いんだろうと思う。少し講師の授業クラスがあっても、試験範囲を合わせるのが面倒だ。生徒理解のためにも、自分でやっちゃおうとなるわけである。

 なお、「教頭が授業」とあるが(東京は「副校長」などと呼んでいるから、これは東京じゃない)、昔は当然教頭は授業を持っていたものだ。初めから授業担当者数に入れられていたのである。(もちろん、担当時間は少ない。)ただし、それは何十年も前のことだから、今では知らない人ばかりかもしれない。僕の生徒時代はそうだったし、教員になった時点でもそうだった。担当教員が見つからないならば、教頭(副校長)も校長も昔は授業してたのだから、当然率先してどんどん授業するべきものだ。
(2021年度冒頭での「教員不足」の実態)
 「教員のなり手不足」と言っても、採用試験の倍率が1倍を切っているわけではない。正教員の採用予定数を満たせないということではない。だから、「学級担任がいない」なんていう事態が起こっているわけではない。正教員はいるけれど、非正規教員が足りないのである。そして非常勤講師は授業だけ担当し、授業が終われば帰れるんだから、「長時間労働」が敬遠されてなり手が見つからないわけではない。じゃあ、なんで足りないのか。学校としては非常勤講師の前に「産育休代替」「病休代替」を先に探さないといけない。正教員が産育休などに入る場合、「フルタイムで働ける非常勤職員」が必要になる。働ける条件を持っている人は、引く手あまただろう。講師をしていても、急に病休などが出れば、そっちが優先になるのではないか。

 そういう条件は昔から同様で、自分の生徒時代もあったし、自分が教員になったときもあった。講師が見つからないことは昔から時々あったが、今騒がれるような「4割の学校」なんてことはなかっただろう。では特に今この問題が大きく言われるようになったのは、何が理由だろうか。そもそも「正教員の数が抑制されてきた」という前提条件がある。小泉内閣の「三位一体改革」で「義務教育の教員給与の国庫負担」が「二分の一」から「三分の一」に削減された。それ以来、特に地方では財政不足から非正規教員が増加したと言われる。では、そのような非正規教員には誰がなるのだろうか

 ①教員を目指しながら、教員採用試験に合格していない若手
 ②定年または勧奨退職した高齢の教員経験者
 ③結婚、育児、家庭事情などで途中退職した教員経験者
 ④教員免許を取得したが、民間などに就職した「ペーパー・ティーチャー」

 ①はもともと少子化で若い世代の数が少ない上、コロナ禍前は民間の求人が好調だった。長時間労働が避けられたこともあるだろうが、待遇面で公務員は民間に及ばないのだから、希望者が減ってきたと考えられる。③④は今まで最後に頼る砦のようなものだったが、「教員免許更新制」なる愚策の実施によって、免許が少しすると無効化してしまい雇用できなくなってしまった。非常勤講師になるために免許を更新する人なんて、まずいないだろうから、頼みようがなくなってしまったわけである。それなのに、今まで「教員不足」が問題化しなかったのは、21世紀になって続いていた退職者の増加が終わったからではないか。

 ベビーブーム世代(団塊の世代)は1940年代後半に生まれている。その世代から10年ぐらい、つまり1950年代生まれころの世代はもともと数が多い上に、大学を卒業した70年代、80年代前半に教員の大量採用が続いた。高度成長で都市人口が急増し、また高校まで進学することが一般化した。クラスの生徒数も減ったし、第2次ベビーブーム世代が学校に通う時代がやって来ることが予想された。(なお、義務教育の生徒数の基準は、60人から50人、45人と漸減していって、1980年代から1クラス40人と定められた。)そして、今は2022年なんだから、もう1960年代生まれの教員が定年退職しつつあるのである。急に減っては困るから、校長などは「定年延長」、教員は「再任用」「再雇用」など出来るだけ現場に引き留めようとしている。

 教師としても、年金支給までなるべく働きたい。今の60歳は昔と違って、人にもよるけれど元気な人が多い。その退職教員を各校に配置することで、今までは「教員不足」が顕在化しなかったのではないか。この間、20世紀末の頃から学校が希望したわけではないのに、嘱託員(退職教員)が配置されることがかなりあった。そのため例年お願いしてきた非常勤講師を断らざるを得ないようなこともあった。しかし、60年代生まれの教員はそれ以前より少ない。退職教員の数が減ってきたことが、最近になって「教員不足」が大きなニュースになっている最大の要因ではないだろうか。
(「こころの病」による休職者の推移)
 学校現場では「精神的失調による休職」が再び増えている。もっともコロナ禍前の資料だが、より大変になってオンライン授業などを行うようになって、常識的に考えれば増加しているのではないか。それともあまりにも大変過ぎて、教員の方が倒れてはいけないとアドレナリンが出ていたような2年間だったのかもしれない。それなら、コロナ禍が一端落ち着いた段階で、「燃えつき」症候におちいる教員が激増する可能性があるだろう。(それは他のどの職種にも言えることだけど。)

 何か抜本的な対策がなければ、どんどん「教員不足」が続くに違いない。僕が前から考えているのは、「常勤講師」という制度である。非常勤講師という仕事は、大学もそうだけど、それだけで生計を立てるほどの収入にならない。さらに次年度以後の職が保証されていない。そんな仕事をしたい人がいるだろうか。しかし、必ず非正規教員の仕事は必要になる。もちろん、正規の教員をもっと増やせればいいわけだが、そうなっても授業数に半端な数は出て来るし、学年途中で病気になる教員も出てくる。それなら、必要が生じてから「非常勤講師」を探すのではなく、ある程度「いつでも各校に赴任出来る人」をプールしておくべきではないか。

 ちゃんと「正規の公務員」として、年金や保険は公費で負担する。その代わりに、給与はある程度減額される。授業は他の教員より多く持つけれど、学級担任、学校行事、校務分掌、部活動などにはタッチしない。従って、原則として勤務時間通りに下校出来る。場合によっては、2校、3校と授業することもある。65歳を定年とし、それまで職が保証される。早めに退職して、そっちに回りたいという高齢教員は結構いるのではないか。その分、退職金や給与の節約になる。一方で、若い層では教員採用試験不合格でも次年度以降正教員を目指す人は、希望すれば「常勤講師」に優先して雇用し、問題がなければ2年後から正教員に試験なしで採用とする。最初は面倒かもしれないが、結果的には何年かすれば、教員確保と同時に人件費節減にもなるのではないか。
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教育産業が部活を経営するときー「部活改革」を考える③

2022年05月09日 22時32分55秒 |  〃 (教育問題一般)
 「部活改革」に関しては、4月にもう一つ大きなニュースがあった。4月16日付朝日新聞スポーツ欄に出ていた「開かれる憧れの『全中』」「全国中学大会 来年度地域クラブ容認」という報道である。内容は見出しを読めば判るだろうから、特に詳しくは書かない。記事によれば、実現に際してはなかなか難しい問題も残っているようだが、基本的には実現するだろう。もっとも、すでに地域クラブがリーグ戦を行う仕組みを整えているサッカーでは、リーグ戦が大切でトーナメントは必要ないという。しかし、総合型地域スポーツクラブからは「画期的」という声があると載っている。

 中学で実現すれば、やがて学年進行で「高校はやらないのか」という動きも出て来るだろう。僕が前に書いたように、「高校野球大会」から「高校生野球大会」へと変わる日も遠からず訪れるのではないだろうか。ただし、Jリーグチームの下部組織が整備されているようなサッカーは例外だ。サッカーは五輪では「23歳以下」という制限があり、年代別のワールドカップが行われる。それに対し、野球駅伝のように「高校」「大学」の競技として定着している競技も多い。だけど、高校野球のように、私立強豪校ばかりが全国から有力選手を集めて、地元出身選手がほとんどいないのに地域代表として出場するというのはどうなのか。

 ①②で書いたように、少子化がさらに進行していく中で、教員の長時間労働問題も解消しつつ「部活動」を行っていくためには「地域移行」が避けられない。しかし、…と多くの教員は思っているに違いない。それは果たして本当に実現するのか。一体地域で活動する人を集められるのか。学校との連絡は十分に出来るのか。土日に行われることが多かった試合はどのように運営されるのか。地域で活動する指導者の研修はどのように行うのか。昔風の高齢指導者では、昔ながらの暴言や体罰が出かねない。一方、卒業生の大学生などに頼んだら、指導力に問題があったりSNSにどんどん生徒の画像を投稿したり…、いろんな心配がある。

 じゃあ、どうすれば良いのだろうか。結局のところは、「教育産業」が「教育行政」と協力しながら、新しい部活動のあり方を模索していくということになるだろうと思う。要するに、今までは部活も学校の諸活動の一部として、学校予算から必要な用具を整備し、教員の引率費を支出していたわけである。それを地域に移行するというのは、新しい枠組を作ってそこに公費をつぎ込むということである。つまり部活動が「教育産業」になってくるのである。
(教育産業と部活動のイメージ)
 部活動とは、放課後や土日に中学生、高校生を集めて行うものである。それはつまり、「」や「予備校」と同じではないか。塾や予備校といえば、高校受験、大学受験に向けて勉強を指導する場所と思っている。だが、甲子園出場を目指して野球を指導する「野球塾」があってもいいではないか。それならば、教員の長時間労働問題は解消されることになる。生徒は学校が終わって塾へ行くように、学校が終わって「部活塾」に行くわけである。

 もっとも今「塾」と書いたけれど、現実の塾産業がそのまま地域の部活動に参入すると考えているわけではない。もちろん塾や予備校は少子化の中で、企業としての将来を模索しているだろう。今まで養ってきた教育界への影響力や企画力は非常に大きいものがある。だけど、スポーツや文化活動を実施する場所や人材はなかなか塾や予備校だけでは整備できない。スポーツ系では地域のスポーツクラブ、文化系では専門学校との協力が欠かせない。教育行政と関わりがあり、学校現場とのつながりも深い「教育産業」がネットワークの中心となって、行政や地域との関係を作る。そうするしかないんだし、そこにビジネスの可能性があるんだから、もういろいろな試みが検討されているだろう。
(気仙沼市の取り組み)
 それでは学校現場から部活動はなくなってしまうのか。今まで部活をガンガンやってきた教員はどうすれば良いのか。後者に関していえば、副業規定を柔軟にして、やりたい教員は部活指導員の資格を取って続けることが考えられる。地域でも土日の活動を担当する人には、平日は他の仕事をしている人が兼務することもあるだろうから、教員も同じ手続きでやれば良い。現場の一教員というよりも、全国大会運営の経験豊富なベテラン教師の場合なら、むしろ教育産業の方で三顧の礼をもって迎えるのではないか。部活に関するノーハウは企業が欲しいだろう。

 前者に関しては、今後も部活動は学校にあるだろうが、あり方は大きく変えるしかない。そもそも80年代頃の「荒れる学校」対策として、課外活動なのに全員参加のような理不尽なルールを作った学校があったことがおかしい。何も地域に移行した部活動に全生徒が参加する必要はない。生徒の本分は学業なんだから、勉強でつまずいている生徒が部活で偉そうにしている方がおかしかった。地域の部活動には、参加のためのセレクションを行うべきだ。

 学校では教員が担当できる範囲で、教員と生徒が一緒に出来る活動をやれば良い。そのためには「勉強系部活」を振興するべきだと思う。英語部、パソコン部(プログラミング部)などは生徒の希望も多いだろうし、国際交流部、環境活動部(SDGs部)、歴史研究部(郷土部)、漢字検定部など、いくらでも生徒も希望し、教員も担当できる部活動が考えられる。週3回程度、5時までの活動で成果も上がるはずだ。
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部活動「地域移行」論、少子化の中で学校を残すためにー「部活改革」を考える②

2022年05月08日 22時57分11秒 |  〃 (教育問題一般)
 4月26日に、スポーツ庁が有識者の「運動部活動の地域移行に関する検討会議」を開き、改革の提言案をまとめた。2023~25年度の3年間の「改革集中期間」で、すべての都道府県で休日部活動の地域移行を達成するという。将来に向けて平日の活動の移行も奨励されている。現時点では「提言案」だけど、これは非常に重要な論点である。朝日新聞はスポーツ面で「部活のあり方 歴史的転換」と報じた。このようにマスコミ報道もされたが、教育関係者の中にも気付いていない人がいるのではないか。(なお、この提言案は「スポーツ庁」と打ち込むだけで検索予測に出て来る。関心のある人は是非見ておくべきものだろう。)
(改革案)
 今部活動改革は「教員の働き方改革」の問題として語られることが多い。もちろん「教員の長時間労働の解消」は、重大な問題だ。しかし、ここではちょっと違った観点から、この問題を考えてみたい。それは「少子化」の中で、どのようにして学校を残していくかという問題である。「学校」や「部活動」は子どもたちの教育というだけの問題ではない。地域住民の「心の拠り所」でもあるし、経済的な視点も重要だ。学校の近くに文房具屋や本屋が残っているところも多いだろう。

 また地方で高校が閉校になれば、鉄道やバス路線の廃線問題に直結する。また日本には世界屈指の楽器やスポーツ器具のメーカーが存在するが、子どもの世界から野球部や吹奏楽部がなくなってしまえば、それらの企業にも大打撃になるだろう。またコロナ禍で判ったように、学校は「給食」を通して、地域の農業や食品産業と密接に結びついている。日本は少子化がどんどん進行していて、今までもずいぶん学校の統廃合が進められてきたし、今後も減ることは避けられない。しかし、どこまで学校を減らすのか、社会的な合意が必要だと思う。そこで、まず「少子化」のデータ的な確認をしておきたい。
(出生数の経年変化)
 戦後の日本では、まず「ベビーブーム」が起こった。一番多かったのが1948年で、年間に209万人が生まれた。次第に漸減していくが、70年代前半に「第2次ベビーブーム」がやってくる。第1次で生まれた子どもが結婚適齢期を迎えて、子どもが生まれたわけである。それが一番多かったのは1973年で、やはり209万人が生まれている。その前年の、ちょうど50年前の1972年は203万人である。(当時は女性の結婚が今よりずっと早く、第1次の25年後に第2次の最多年があったわけである。)僕が最初に教員になったときは、その時代に生まれた生徒が中学生になる頃で、その当時の高校進学は非常に大変だった。

 それからまた漸減していって、30年前の1992年は122万人と何と4割も減ってしまう。減り方のペースは多少緩やかになるが、やはり少しずつ減っていき、21世紀初頭の2002年は115万人である。2022年に20歳になる世代で、現在の中学、高校生が生まれた2007年前後は大体106万人ほどだった。10年前の2012年、つまり東日本大震災の翌年生まれの子どもは103万人強、2015年に100万人。2016年についに97万人と100万人を割り込む。2019年は86万人、20年は84万人、21年速報値も84万人になっている。これはコロナ禍で出会いの機会も減り、結婚も減ったという理由が大きいと言われている。

 コロナ禍がいつどのように終結するか予測出来ないが、そこでミニ・ベビーブームがあるとは考えにくい。よく「一人の女性が一生で何人の子を産むか」という率(合計特殊出生率)が問題になるが、もはや少子化対策などでどうなるという段階は過ぎている。今から30年前に産まれた世代そのものが少ないんだから、その世代が少しぐらい子どもをたくさん産んだからといって、すぐに日本の人口が増加するレベルにはならない。そして2020年代後半から、コロナ禍世代が小学校に入学して、2030年代に中学、高校へと進学していく。つまり、今でもずいぶん少子化なんだけど、10年後にはさらに今の学校から20万人が減るのである。

 今からさらに2割生徒数が減るんだから、今のクラス数で単純計算すれば学校も教師も2割減らす必要がある。僕が考えるのは、それで良いのだろうかということだ。もちろん学校規模が小さくなりすぎれば、教育環境が悪くなる。地域の学校を統合して多数の生徒を集めることで、行事や部活動を維持するのも一つのやり方だ。通学バスが各地区を回って生徒を乗せてきて、ある程度大きな規模の学校で教育するのである。しかし、僕はこれ以上学校を減らすべきではないと考えている。何故なら、学校は地域の防災拠点であり、いざという時の避難所だからだ。学校は地域の中でちょっと高い土地、水害、津波、土砂崩れなどの災害被害を受けにくい地区にある耐震建築の高層ビルだ。せっかく耐震化したのに、それを廃校にしてしまうのか。

 もちろん廃校にしても建物は残るが、使ってないとどんどん劣化する。不審者が集まらないようにカギを掛ける必要があり、数年もすれば地区の誰がカギを持っているか不明になりかねない。それに学校は教師というソフトパワーあってこそ、地域の中で意味を持つと思う。体育館もあれば、パソコンも整備されている。給食設備はなくなった学校が多いと思うが、家庭科調理室は必ずあるから、電気やガスが復旧すればお湯を沸かしてレトルト食品や即席麺を温かく食べられる。そんな素晴らしい防災拠点をいま減らしてしまうのは、国家的愚策としか思えない。

 もちろん「教育」という観点で見れば、せめて2クラスか3クラスは欲しいだろう。あまりに小規模になれば、行事も活発に出来ない。部活動も小規模にせざるを得ない。教師の問題もあるが、単に生徒数の問題で野球部、サッカー部、バレーボール部などで試合に出る人数にならない。日本中にある団体競技を小規模校の生徒が出来ないのは、確かに可哀想だ。だから、僕の考える部活動の「地域移行」というのは、単に土日だけ地域の経験者がボランティアで指導するというようなものではない。幾つかの学校の生徒をまとめた「地域チーム」を作るということである。

 地域の中で「学校」を残すとするならば、部活は地域合同にするしかない。これが僕の考えで、恐らくそうなっていくのではないかと思う。そして単に部活動だけではなく、運動会や文化祭も「各校合同」で開催すれば良いと思う。どの地域にも素晴らしい運動場や市民会館などがあるはずだ。学校は小規模でも残して「少人数授業」を行い、行事は地域の素晴らしい施設を利用して行う。もはや一校では呼べないオーケストラや劇団なども、地域でまとめれば鑑賞会が出来るだろう。そして修学旅行なども、各校まとまって幾つかのコースを班別で選んで実施する時代になるのではないか。
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部活動とアンペイド・ワークー「部活改革」を考える①

2022年05月07日 22時57分46秒 |  〃 (教育問題一般)
 最近めっきり教育問題を書かなくなっている。もう現場を離れて長くなったし、特にコロナ禍の教育事情はよく判らない。大変なんだろうなあと傍から想像するだけである。そんな中でも、時事的に考えることはあるので、二つのテーマに関して書いてみたい。一つは「部活動改革」で、いままさに大きく動き出そうとしている。マスコミでも紹介されることが増えてきて、この前は「4時半で全員下校」という取り組みを進めている地域が紹介されていた。検索すると「部活動改革」のケースがいろいろと出て来る。
(スポーツ庁の取り組み)
 その中身も重要なんだけど、その前に最近になって気付いた問題を最初に考えてみたい。5月のゴールデンウィークが終わったところだが、学校の正教員に採用された年からゴールデンウィークがなくなった。僕は1980年にフレンズ国際ワークキャンプ(FIWC)の韓国キャンプに参加した。その後で関東でもやってると教えられ、1981、82年の2年間のゴールデンウィークは群馬県渋川市に泊まりがけで出掛けた。83年も行こうかなと思っていたら、就職とともに祝日は部活の試合引率になって行けなくなったのである。

 職場では一番下っ端だから、○部の副顧問だと言われて、5月3日、5日は試合だから引率だということになった。部活引率手当もなく、もちろん代休もなかったが、そのことの法的な説明もなかった。ただそういう現場だったわけで、今から考えてみれば、これでは確かに「ブラック企業」と言うしかない。何の報酬もなく、事実上強制されるわけだから、「アンペイド・ワーク」(unpaid work)だったわけである。しかし、そのような概念は知らなかったし、僕にも最初は「ただ言われるままに動く」以外の働き方は出来なかったわけである。それは何故だったのだろうか。

 幾つか理由があるが、そもそもどんな仕事でも内部から改革するのは難しい。理由があってそうなっているので、新米教員がすぐに改善は出来ない。勉強は嫌いでも部活なら出て来る生徒も多い。教員の中にも「部活イノチ」みたいな人が結構いる。一生懸命やっている生徒や同僚に対して、おかしいとはなかなか言いにくい。それに実は当時はあまり「アンペイド」という意識が薄かった。学校だけではなく民間も含めて、その頃は「ユルい職場慣行」がいっぱいあったからだ。(例えば、学校行事の後では管理職が率先して校内で豪快な飲み会をやっていた。今なら処分ものだ。)早く帰れる日もあって相殺された感じだったのだ。

 もう一つ、学校には「アンペイドな領域」が必要だとも思っていたのである。あらゆる仕事には「共同体」的な部分があって、特に学校のような人と人が関わる仕事、「教育」という領域には、単に「契約で結ばれた労働」だけでは収まりきらない部分がある。水田農耕の共同体では、一年に一度村人が集まって水路を掃除するといった仕事が必要だ。同じように、日本の学校には宿泊行事や生徒会活動、掃除など、それも「広義の勉強」だけど、教科書のないような狭間の領域がある。部活動は中でも生徒にとって非常に大きい。そういう狭間の領域は「アンペイド」になりやすい。

 「バブル崩壊」期頃から、公務員バッシングが横行するようになり、「慣行」はどんどん法規に則ったギチギチの運用に変えられていった。しかし、法律で規定されていない「ブラック」な部分はそのままだから、負担感が半端なくなったのも当然だ。もう戻ってこない昔を懐かしんでも仕方ない。教師の半分以上はもう「昔」を知らないんだし、これからは新しいやり方を作らなければと思いつつ、僕はなかなか「学校の中のアンペイドワーク」という問題意識は持たなかった。その一番の理由は、学校の共同体的な部分をなくしてしまって良いのかと思っていたからだ。
(アンペイド・ワークの内容)
 「アンペイドワーク」という概念はフェミニズムの中で登場した。資本主義社会で「賃金」として評価されない「労働」がある。最近「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」(カトリーン・マルサル著、河出書房新社)という本が刊行されたが、まさにそういうことである。資本主義を理論化したようなアダム・スミスにも、見えてない問題があったのである。そもそも「労働」と呼ぶときには、第2次、第3次産業で雇われて働き、労働の対価として「賃金」を受け取るというイメージが強かった。「社会主義の祖国」ソ連邦の国旗は「槌と鎌」で、それは「労働者と農民の連帯」だと言われたが、では「農民」は「労働者」ではないのだろうか。

 我々の生命としての持続を支える仕事、つまり「家事」や「育児」は、多くの場合は「家庭」の中で行われる。そして、その担い手が誰であっても(多くは「妻」、場合によっては「夫」や「親」など)、大体は賃金は支払われない。(富裕層では、家事や育児を金銭で「外部化」する場合もある。)そして、企業の定年退職後も「長い老後」が存在するようになると、「介護」という問題が発生した。それらが実は世の中を支えている「隠れた仕事」(シャドウ・ワーク)であり、「支払われない仕事」(アンペイド・ワーク)だという「発見」が、フェミニズムの発想の中で見えてきたわけである。
 
 今の事例で判るように「アンペイド・ワーク」は大体が「家庭」の中で発生している。話を部活動に戻すと、労働契約に基づかない部活動は「家族関係」なのだろうか。そういうことになってくる。そうか、とそこで思ったわけである。まるで部員を家族扱いしている顧問が多かった理由がわかった気がしたのである。よく女子スポーツの部活では、顧問が部員を名前で呼びつけている。ミスを注意するときなども、「マユミ、何してるんだ」とか「ユカ、そんなんでどうする」とかである。そうか、これは「家族意識」だったのかと初めて気付いた気がした。

 部活動で体罰や行き過ぎた勝利至上主義が起きるのも、アンペイド・ワークがもたらす家族意識が間違った方向に行き着くことから来るのではないか。やはり、学校の労働はきちんと労働法に合致し、ワークとペイが正当に対応するようなものでないと、歪んだ部分が出て来るのではないか。段々そう思うようになってきたわけである。では、どのように変わってゆくべきなのかは次回に。
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「逆引き」異動教員一覧が必要だー教員異動と離任式問題②

2022年03月30日 21時09分53秒 |  〃 (教育問題一般)
 「教員異動と離任式問題」というのを書いたけれど、それは「年度末特番」みたいな気持ちだった。でも書いてるうちに長くなって、一番書きたいと思っていたことを忘れてしまった。そこで簡単に続きを書きたい。何を忘れたかというと、東京の教員異動特集は読みにくいということである。東京新聞の別刷にはぼうだいな人名が掲載されていて、ほぼ全員の名前を知らない。その中から知ってる名前を見つけるということは、大海の一滴を求めるような作業になる。
(2021年の東京新聞教員異動特集)
 何で判りにくいかというと、理由は二つあって、一つは東京の教員数が多いということだ。一体何人ぐらいいるのかということは、統計をホームページで調べることが出来る。毎年5月1日付で調査があって、各都道府県教委が文科省に報告するのである。それを見てみたら、2021年には、全部でおおよそ8万3千名近く。小学校3万6千人、中学校2万人、高校1万9千人、特別支援6千名といったところ。他に中高一貫校、小中一貫校は別扱いで、それぞれ5百名ほど。

 東京は教員の異動年限が原則的に3~6年と異様に短い。まさか全員が6年で皆異動するわけでもないだろうとは思う。(職階を変える「自校昇任」や学年途中だと校長具申で残留することも多い。)そうなると、東京だけで毎年教員が1万人以上移り変わっていることになる。もっとも「退職者」は校長を除いて発表されないから、異動者の実数はもっと減るはずである。新規採用教員の名前は掲載されないから、異動特集に掲載される人数はもっと少なくなる。それでも数千名にはなるだろう。まあずっと小学校教員だった人は、高校の異動欄は見ないわけで、実際は自分の関心があるところだけ見るわけだ。

 もう一つの読みにくい理由は、あまりにも複雑な職階制度が導入されたことである。僕が教員に採用された頃は、「校長」「教頭」「教諭」だけだった。もちろん他にも「実習助手」「寄宿舎指導員」があるのだが、(中学勤務時は)自分に関係ないから見ないわけ。ところが今は「校長」のところに「統括校長」というのもあって、それから「副校長」、「主幹教諭」「指導教諭」「主任教諭」「教諭」に分かれている。以下の図にあるような完全な「ピラミッド型」である。
(東京の教員の職階制度)
 異動年限が短いことと、このような職階制度を作ることは、同じ発想から来ている。つまり「職員集団」の力を弱めて、上意下達型の学校組織に変えるという方向性である。主幹制度を導入すると、学校がいかに素晴らしくなるか、当時の都教委はチラシを作って大宣伝したものだ。学校内部にではなく、都民向けにである。そして果たしてどこがどう変わったのかと思うけど、今はそのことを書きたいわけではない。異動特集でも「主幹教諭」「指導教諭」「主任教諭」「教諭」ごとに掲載されているから、あまりにも探しにくいのである。生徒も親も、担任や部活顧問が主任教諭か教諭かなんて知らないだろう。どうやって探せばいいのか。 

 それを言えば、その前に教員異動特集は「現任校」、つまり転勤先ごとにまとめられている。教員生活が長くなるに連れ、知り合いが増えてきて、あの人が今度の校長か、あの人は今度副校長になったのかなどと思う。だから最初の最初に校長から始まっていても違和感を感じない。でも多くの新聞読者、生徒や親にはそんな情報は二の次だろう。一番知りたいのは、担任や部活顧問、そして教科の教員だった教師が、転勤したかどうかである。まあ、転勤してくれて嬉しいという場合もあるだろうが。だから、3月まで勤務していた前任校ごとにまとめて欲しいと思うわけである。

 これは元の異動一覧データを教育委員会から貰って、それ通りに掲載した情報である。人名の誤植がないかどうかの確認だけで、新聞としては手一杯だろう。(それでも通称使用の教員も、戸籍名で掲載されたりして誰だか判らなかったりする。)だから、もうどうしようもないのだが、僕は何とか「逆引き」の異動特集が欲しいと思うのである。僕が思うに、元のデータをエクセルで作成して、ダウンロードしてソート可能な状態でホームページに載せれば、知りたい人は前任校ごとの情報に変えられるだろう。
(離任式の花束)
 ところで、もう一つ思い出したので書いておきたいことがある。もう10年ぐらい前の話だから、今はどうなっているか知らないが。それは「離任式の花束のお金の出所」である。「離任式」と打ち込んだだけで、「花束」と変換予測が出て来る。学校だけじゃないだろうが、離任者に花束を贈るのは社会的通念だろう。離任式は正式な学校行事である。だから、当然花束代は公費負担だと思ってきた。問題は「誰が誰先生に渡すのか」で、生徒会担当として生徒会役員や部活代表などに上手に割り振るのが仕事である。でも、ある年から花束の公費負担はまかり成らぬとされた。花束は離任教員個人の所属になるから、公費で購入するべき性格の支出ではないというわけである。意味判らんと思った記憶があるが、今もそうなんだろうか。
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教員異動と離任式の問題

2022年03月29日 23時36分48秒 |  〃 (教育問題一般)
 関東地方でも桜が満開になって、時には寒の戻りがありながらも季節は移り変わっていくなあと感じる。日本の会計年度は4月~3月だから、今年も年度末が近づいてきた。学校を卒業し、新しい学校や職場に行く季節である。民間企業でも新卒社員が入社し、何か新しい気分になる。日本人は「」を見ると「別れ」と「出会い」を思い起こして、ちょっと感傷的になる。

 多くの職場で人事異動があるが、中でも教員異動には特別な意味がある。地方自治体の行政職や警察などは幹部級職員の異動だけ、新聞の地方欄に掲載される。しかし、教員に関しては新聞が別刷を作って全員の異動を報道する。それだけ読者というか、地域社会に関心が高いのである。単に「お世話になった先生」だからというだけではない。不登校、家庭事情、病気などで登校も大変な児童・生徒がいっぱいいる。その事情を一番つかんでいる学級担任が替わるか、替わらないかは重大問題に違いない。

 異動した教員には「離任式」が行われる。(その反対に着任した教員の紹介・あいさつは「着任式」になる。)この問題に関して、東京新聞3月22日付紙面に「先生の異動 年度内に教えて」という記事が掲載された。「お別れ言いたいけど…都の解禁4月1日」「都『年度末まで差し替えも』」というリードがあって、中学生、保護者、教員(元校長)の声が紹介されている。

 この問題をどう考えるべきだろうか。実は東京でも多くの高校では年度内に離任式を行っている。自分の体験も振り返ってみても、「異動と離任式」には地域ごとにかなり差があるのが実情だろう。離任式に関しては、①「終業式に続いて行う、②「年度末に登校日を設けて行う」③「新年度の早い時期に行う」④「離任式を行わない」の大体4パターンになるのではないか。年度末に登校させるというのは、地方では結構よく聞く話だけど、東京では行われていない。先ほどの記事にあったように、都教委の基本方針が「異動の発表は発令日の4月1日」というタテマエからだろうか。

 東京の教員異動特集は、東京新聞だけが別刷で報じている。(近年は都教委のホームページにも掲載。)でも一時住んでいた千葉県では朝日や読売にも別刷があったので驚いたことがある。それも4月1日より前である。今年の東京新聞のサイトに「公立学校教員異動」のお知らせが掲載されていて、それを見ると千葉、栃木が3月26日(土)埼玉、茨城、神奈川が3月31日(木)東京、群馬が4月1日(金)と3つのパターンがある。いや、千葉は随分早いなあと思ったわけである。もちろんどこでも異動の発令日は4月1日である。(退職の発令は3月31日。)細かいことを言い出せば、正式発令前に差し替えがないとは言えないはずである。
(東京新聞の教員異動特集発行日一覧)
 だけど、長い教員人生の中で突然差し替えられたケースは見聞きしていない。そもそも「異動発令は4月1日」などと言うなら、相手先(新赴任校)との連絡、打ち合わせもしてはならないはずだ。でもそんなことを言っていては仕事にならない。新任校との打ち合わせは、一回だけは出張が認められている。つまり相手校への交通費は公費から支出される。担任や部活動の希望、家庭等の事情を新任校に伝え、教科の進め方の打ち合わせなどを済ませなければ、新学期にスムーズな仕事始めが出来ない。

 自分の場合、中学勤務時は新年度に離任式が行われていた。つまり、異動の発表は年度内にはなかった。その場合、卒業担任の異動ならともかく、学年途中で担任が抜けることもあって、発表を聞かされた生徒たちがエッとどよめくことも多かった。部活動や生徒会活動などは生徒にも引き継ぎが必要なことが多く、やはり年度内に発表して欲しかった気持ちはある。しかし、まあ、実際にはどうしても事前に伝えておくべき家庭などには、非公式に伝えているんじゃないだろうか。いろんな事情を抱えて、そうそう不人情なことも出来ない。少なくとも僕にはそうして伝えたケースもあった。

 高校に移ったら、終業式に異動を発表していたので、それでいいんだなと思った。先の東京新聞の記事でも、「なぜ東京では新年度まで秘密にするの」というのは中学生の声だった。小中と高校では何が違うのだろうか。そこには確かに違いもある。それは高校の場合、入学人員を決めて試験を行っているわけだから、新1年生のクラス数は決まっている。多くの全日制高校では卒業式を3月上旬に終えて、その後は新年度に向けた準備期間になる。年度内に新入生説明会を行って、制服や校則、教科書購入などを周知するわけである。だから、新学年団を早期に決める必要がある。

 一方で、中学の場合、そもそも何クラスになるか、最後まで決まらない場合がある。今は「学校選択制」などもあるが、公立小学校の生徒数から私立や都立中高一貫校へ抜ける生徒を引けば、2月中には入学する生徒数もはっきり決まるはずだ。しかし、民間企業の転勤が急に決まって、突然一家で引っ越しするケースもある。普通は数人減ろうが増えようがクラス数が変わるはずがないが、時には学級編成の基準数ギリギリの場合もあって、クラス数が増減するのである。そういうケースを見聞きしたこともあるが、急に増えれば教員一人加配である。(クラス数が急に減ったら減員になるはずだが、さすがにそれは行わないことが多いだろう。)そんなこともあってか、新年度の校内人事決定、発表も高校よりずっと遅い。

 中学の場合、大体は新年度発足早々の金曜日に離任式があった。どこでも金曜の午後に「学級活動」を置いていて、そこの時間を利用するのである。そして夜に親睦会主催の「歓送迎会」があることが多い。(コロナ禍でもう3年やってないだろうが。)まだ土曜授業があった頃だが、まあ翌日は半ドンだから金曜に飲み会を設定するんだろう。新年度に離任式というのは良いこともあって、異動後の状況を紹介できることである。時には校種が変わったり、管理職になったり、転職したりする場合もあるから、生徒にも興味深いのである。だけど、やっぱり小中も離任式は遅くてもいいから、人事異動の発表は年度内に行うべきだろう。

 ところで東京の小中でも年度内に異動を発表している(と思う)場所がある。それは小笠原諸島の学校である。何しろ一週間に一本しか本土への航路がないから、早く乗らないと新任校の始業式までに着かない。前に春休みに小笠原に出掛けたことがあるが、まだ3月中なのに本土へ戻る教員に出会った。埠頭には「○○先生ありがとうございました」などの紙を持った生徒たち、保護者がいっぱい集まっていた。やはりそういう場は必要だなあと思う。

 生徒たちが異動する先生に色紙などを書いて渡せる時間的余裕がないと、学校もギスギスしてしまうと思う。教師が誰でも関係ないという人もいるだろうが、多くの人間にはそんな機会があった方が、新年度に向けて気持ちを切り替えられるもんだ。
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「学校に複数の新聞を」、文科省の方針を考える

2022年02月14日 23時38分45秒 |  〃 (教育問題一般)
 1月24日に文科省が学校の図書館整備に関する5カ年計画を策定した。その目玉は、「公立小中高校全てで図書館に新聞を複数紙置くように都道府県教育委員会に通知したことである。目安の部数を各学校で現行計画より1つずつ増やし、小学校は2紙、中学は3紙、高校は5紙とする。国は配備費用として5年間の合計で190億円の地方財政措置を講じる。」という。

 新聞には小さく載っていたが、テレビやウェブニュースではあまり取り上げられていなかったから、気付いていない人も多いと思う。この方針をどう考えるべきだろうか。もともと新学習指導要領で「新聞を教材として活用すること」が求められている。文科省によれば、「選挙権年齢の18歳以上への引き下げ」や、「民法上の成人年齢が22年4月から18歳に引き下げられる」などを踏まえて、「児童生徒が社会の課題を多面的に判断する必要がある」というのである。この方針はその通りと思うし、学校や地方自治体の予算と別枠で国の予算が付くんだったら、一見何も問題なさそうに思える。
(新聞を学校に置く状況)
 でもよくよく考えると、これをどう考えるか心配もある。一つは多忙な学校現場が新聞を活用できるのか。そもそも図書館に置いてあっても、小中だと図書館が常時開館していない学校だって多いだろう。開いてたって、生徒は放課後も昼休みも忙しくて読みに行けるか。新聞のバックナバーをずっと取っておくわけにはいかないから、いつか捨てるしかない。家庭ゴミは無料だが、学校も事業所だからゴミ出しは有料になる(はず)。学校は紙ゴミが(多分昔よりずっと減ってるだろうが)、すごく多い。個人情報漏洩にならないように、紙ゴミは気を遣う。古新聞には個人情報はないけれど、ゴミ処理費が増えるのは間違いない。

 まあ、その問題はともかくとして、その「複数紙」はどこにするのだろうか。今までは取る新聞は学校が決めていたと思う。しかし、国費を投じるとなれば、それをどこにするか気を遣う。高校はともかく、小中は教科書のように、教育委員会が「採択」するなんてことにならないか。右派系首長がいる自治体が無理やり「産経新聞」を取れと決めてしまうとか。中学3紙といえば、シェアと論調を考えると、まずは「朝日」「読売」が入る。その地方に有力地方紙(中日新聞、北海道新聞、河北新報、信濃毎日新聞等)があれば、それで決まりの場合が多くなるのだろうか。
(新聞配備校の現状)
 高校の場合は、そこに「毎日」「日経」「産経」等から選択することになるだろうが、果たしてそれで生徒が読むのだろうか。生徒が読みやすい点だけを考えれば、「スポーツ紙」を選択した方が良い。しかし、今はどうだか知らないが、昔は性風俗が載ってる頁もあったし、それは別にしても競馬競輪などのニュースは必ず載ってる。競馬は一般紙にも載るが、比重が違う。公営とはいえ、ギャンブルを大きく取り上げるのはまずいと言われるに違いない。だけど一般紙だけだと、よほど授業で使わない限り、多くの生徒が読みに行くとは思えない。朝日と読売が置いてあっても、社説を読み比べる生徒なんているとは思えない

 もう一つ、高校では英字新聞を取ることも考えられる。大人向けの英字新聞だと難しいかもしれないが、こういう方針が出て、今後学校向け英字新聞を出す新聞社があるかもしれない。(ところで普通「英字新聞」と言って、「英語新聞」と呼ばないのは何故だろう。)あるいは「朝日中高生新聞」というのもある。(「毎日中学生新聞」もあったが廃刊。「読売KODOMO新聞」「読売中高生新聞」もあるが、週刊なので対象から外れるだろう。)

 僕は昔「新聞記事を読んで感想を発表する」という授業をしていた。その頃は大体の家が新聞を取っていた。家庭の経済事情が判ってしまうから、そんな授業をするなとか誰にも言われなかった。それでも僕はまだ「世間」を知らなかったから、生徒の家は皆一般紙を取っているもんだと思っていた。実際は報知新聞聖教新聞を取り上げる生徒がかなりいた。(報知は読売系のスポーツ紙で、下町はジャイアンツファンが多い。)それでもまだまだ「新聞を読む」授業は生徒や家庭から文句を言われず成立していた時代だった。実は自分の中学時代に同じような授業を受けて、それを受け継いだのである。でも今の教員はどれだけそういう経験があるだろう。

 紙の新聞に学校で触れることは重要だと思う。家にない場合もあるし、ニュースはスマホで見れば良いというわけには行かない。新聞にはテレビやインターネットでは得られない、深堀り解説がある。速報性に劣っても、じっくり読んで考えるには紙媒体の方が合っている。また「実用文を読む訓練」にも紙の新聞の役割は大きい。社会、国語などは当然だが、他教科でも活用方法を考えていかなければいけない。「数学」でもやりようによっては大いに活用できる。記事の大きさ、文字数など様々な情報を数値化して、そこから情報の重要性を考えるなどである。最近は生活や健康の記事も多いから、家庭保健体育でも新聞を活用できる。だが、まずは多忙な教員が自ら新聞を読まない限り何も始まらないだろう。
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