尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教員免許更新制、改善策と対案は?

2016年09月02日 21時42分31秒 |  〃 (教員免許更新制)
 昨日で終わるはずが、こうして長くなっていく。書いているうちに、「改善策」と「対案」を書きたくなってきた。書いても実現しないので、いつもは他の話題に移るわけである。だが、この問題に関しては、誰かに責められているわけではないけど、僕が対案を書いておいてもいいだろう。前にすでに書いてることもあるかとは思うが。

 「最低ランクの改善策」は、「手続きミスをなくす」ことである。問題がない教員は事実上引き続き更新される仕組みになっているのに、単に手続き忘れだけで失職する。そもそも引き続き教員でありたいと思っている人に、「免許更新手続き」は面倒なだけである。だから、問題がなければ「自動更新」でいいではないか。つまり、大学等で受講した講習に合格した場合、大学が教委に一括して連絡して、自動的に更新すればいいではないか

 受講生に一人一人連絡するより、都道府県教委は47しかないのだから(講習はどこで受けても可という制度になっている)、まとめて結果をそっちに送ればいいではないか。問題があった場合だけ、本人にも通知すればいい。こうするだけで、ずいぶん面倒くささという感覚が変わると思う。言い換えれば、「受講すること」は教員本人の責任になるが、免許を更新することに関しては、所属長(校長等)と教育委員会の責任にする。制度の本質からすれば、その方が合理的である。

 では「最高ランクの対案」は何か。そこまでするんだったら、この制度もやむを得ないというほどのものはあるか。僕が考えつくのは、教員すべてに「サバティカル(研究休暇)を認める」ということではないかと思う。免許が10年期限なんだったら、「11年目」は「一年間、授業もクラスも部活も一切担当しない」ということである。その一年は大学教員にある「研究休暇」と同じようなものになる。

 もちろん有給である。籍だけはそれまでの勤務校にあるが、一年間は大学等の聴講生になるとか、英語の教員なら外国に長期滞在するなど、それぞれの教員が自由に研修する。その研修報告をもって、あらたに10年の教員免許が更新される。もちろん、こんな制度は実現しない。10年に一度、各教員が学校を1年間抜けるということは、要するに全国すべての校種で、教員定数を1割増加させるのと同じである。そんな制度を財務省が容認するはずがない。

 教員にとって、「研修」は権利であり義務である。教師がいったん採用されたのちも「キャリアアップ」の努力を続けていくのは当然だ。だけど、多くの教師が現場で一番悩んでいることは何だろうか。「教科教育」だろうか。そういう人もいるだろうが、ホントは「生活指導」と「学級経営」だと思う。「学校の不祥事」として報道されるのも、大体それらをめぐってのものである。だけど、教員免許は「教科」に関して与えられている。だから、「教員免許」の制度をあれこれ変えることで学校が良くなるという発想そのものがピント外れだったわけである。

 今、授業のあり方も大きく変わろうとしている。させられている。それも事実だろう。社会の大きな変化の中で、今までと同じような授業を続けていくだけではダメなのも確かだ。では、「免許更新講習」は役に立つのだろうか。多くは座学である「講習」を、10年目ごとに一斉に教員を集めて講義する。これは驚くほど、「従来の授業と同じやり方」ではないか。こんなことをしていいのか。「アクティブ・ラーニング」を進めろと言われている教員が、それでいいのか。

 本来はそこでこそ、「自主研修」で行うべきことではないのか。だから、大学等での講習もあってもいいけど、同時に「自主研修」の成果をもって更新を認定するということが絶対に必要である。英語の教師だったら、外国旅行で実際に英語に触れることが「研修」であってもいいではないか。歴史の教師が、史跡や遺跡等を訪れ、「歴史の現場」に触れる。また実物資料などを収集する。それらを授業で活用することで、生徒の意欲・関心も目に見えて活性化していく。そういうことを「研修論文」にまとめ、一定のレベルに達していれば、それで「免許更新」でいいはずだ。

 昔は、夏休みといえば、全国で行われれる教育研究会に参加する教員がいっぱいいた。今はあまりにも夏休みが立て込み過ぎて、それも不可能になりつつある。官製の研究会もたくさんあるけど、教員組合も関わる「民間教育運動」の研究会もいっぱいある。そういうのに参加することが今は難しい。いや、もちろん年休を取ればどこへ行くのも自由だが、昔は「研修」などで参加できた時代も長かった。政治集会ではないのであって、実際に授業をめぐって議論を交わしているのだから、「研修」でいいではないかと思うが。でも、恐らくはそういう民間の教育運動に参加しにくくするというのも、更新制の目的なんだろう。だから、「自主研修」がそのまま「更新講習」の代替になるというのは、今の政権においては難しいのかもしれない。

 もう一つは、更新制を免除されている「特権教員」の問題である。これは明らかにおかしい。管理職の場合と主幹教諭、指導教諭などの場合は事情が異なる。主幹は教務主任、生活指導主任などに任命されることが原則である。そういう主任の研修は受けるわけだから、「最新の教育事情」などは確かに講習は不要だろう。でも、学校で免許の教科の授業を担当していることは、他の教員とは変わりない。だから、教科教育の免許に関しては、更新講習を受けずに更新されてはおかしい
 
 管理職の問題は、僕はまた別の制度がいると思う。確かに、もう授業をしないんだし、管理職として様々な研修を受けているわけだから、現状の更新講習は受けなくてもいいというリクツは成り立つ。でも、明らかに「学校経営のプロ」としては不適任と思える人がいるのは何故だろう。むろん、管理職も人間だから、いろいろと不祥事を起こす人がたまにいる。それを完全になくすことは誰にもできない。だけど、そういうことを言っているのではなく、要するに「学校経営能力」の問題なのである。

 考えてみれば、学校管理職に必要な資格がない。校長なんて、誰でもいい。「民間人校長」が時々現場ともめるのも、突然何にも知らずに現場に入っていくからである。僕は本来「学校経営」という免許があってもいいのではないかと思う。現代の複雑な教育事情の社会では、管理職専門の免許があった方がいいのではないか。民間人や学校事務、養護教諭なども、教職大学院大学などの通信教育で取れるようにすればいい。教員に関しては、教職経験10年程度で「管理職免許」取得が可能とし、その免許を10年期限とすればいい。そうなると、管理職免許を持つ人も10年ごとに、更新が必要になる。それこそ「講習」などいらない。経験をもとに論文をまとめて提出すればいい。そういう制度が管理職にも必要ではないだろうか。
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筑波大付属3校の場合-6年目の教員免許更新制②

2016年09月01日 21時28分28秒 |  〃 (教員免許更新制)
 ちょっと旧聞になるが、6月11日の朝日新聞東京版に、教員免許更新制に関する興味深い記事が載っていた。他紙にも載っていたが、朝日の記事が詳しいので、それをもとに考えることにする。いずれにせよ、東京版の記事だったので知らない人が多いだろう。

 新聞記事によれば、筑波大学付属の3校で、教員免許を更新せずに授業をしていた教員が4人いたというのである。その学校はいずれも筑波大付属の、中学校(文京区)、大塚特別支援学校(文京区)、坂戸高校(埼玉県坂戸市)だという。(坂戸に付属高校があったということは初めて知った。)30代~50代の教諭3人と非常勤講師1人で、失効後の期間は5年2カ月から1年2カ月だった。

 「免許更新講習の受講を忘れたり、受講後の手続きを失念したりしていた」ということである。1回目で書いたように、講習を受講していても「受講後の手続き」が済んでなければ、失効するわけである。「私的な資格」とされたから、「教員個人が忘れた」ように書かれているが、5年も経っているのだから、要するに「学校側が確認を忘れた」状態だったのである。そのままずっと忘れていれば、それで済んでしまうわけである。それで良かったんじゃないか。

 同大は「授業内容は適正だったとし」とある。当たり前である。要するに、学校に勤務して授業を普通に行うことに関して、教員免許の更新なんて何の関係もないのである。教員免許更新制って言ったって、誰もチェックしなければ誰にも関係しないのである。

 それにしても、制度が始まって以来6年目になるのに、いまだにこういうことがあるのか。はじめの数年には、各地で失職させられた教員がいたということは、このブログでも報告してきた。普通、その段階で(一応法律が施行されてしまってるんだから)、学校側で対策を講じるだろう。それがなかったというのも、かなりすごい。

 記事によれば「4人は授業から外れており、更新講習を受けるなどするという」とある。これにもビックリした。私立学校の場合、失職せずにいることもあると聞くが、大学付属でもそうなのか。「公務員」の場合、教育公務員は教育職として採用されており、「教員免許」が失効すれば職も失うという最高裁判例がある。それに基づいて、公立学校では一律に「失職」という対応をされてきている。(教員免許が失効しても、刑事裁判で有罪が確定したような場合とは違うので、「教育職」ができなくても「公務員」の身分は残るという考え方もありうるが、それは取らないということである。)

 筑波大は「国立」ではないのか。そうか、もう違うのか。「国立大学法人」という独立行政法人になって(されて)、「非公務員」になっているのか。公務員ではない、「法人職員」になっていたから、失職しないで済んだということだろうか。どうもそれも、おかしな話のような気がするが、「公務員」を削減しようとする政策がこういうところで関係してくるわけである。

 この筑波大ケースは何も物語っているのか。恐らく、他の「国立」や私立でも、実はこういうケースがいっぱいあるのではないか。そして、そのかなりの部分は、「手続きミス」である。その結果が「失職」と言うのは、明らかに制度設計がおかしすぎる。授業を担当するにおいて、何の支障もなかった教員が、年度途中で授業ができなくなる。もし「ずっと忘れていた」ならば何も起きないのである。不思議な制度を作ってしまったものである。
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6年目の教員免許更新制①

2016年08月31日 21時37分39秒 |  〃 (教員免許更新制)
 中世の話を長く書きすぎたので、今回は短くして2回に分けることにする。「教育」に関するさまざまな話題を、9月にかけてまとめて書いておきたいと思っている。まずは「教員免許更新制」である。

 もっとも何か新しいことがあったわけではない。ちょっとあったけど、それは次回に回して、まずは「原理的問題」を書いておきたい。この教員免許更新制も2011年から実施されているので、6年目を迎えている。1年前には講習を受講しないといけないので、事実上7年目とも言える。55歳の人は管理職や主幹になっていて受講免除の人も多いと思うが、ここまで続いてしまうと全教員の半分以上は「免許更新」の対象になったのではないか。「10年研修」は廃止されるということだったが、政府に動きはないようだから、いまだに「二重苦」が続いている。

 もう少しすると、45歳、55歳の教員の2回目、そして「初めから10年期限の免許を取得した教員の35歳の最初の更新」もやってきてしまう。そういう若い教員にとっては、「初めから決まっていたこと」だから、免許更新講習を受けることにもそれほど違和感がないのかもしれない。だけど、その結果「教育の質は向上したのか」と問うと、どうなんだろう。更新制導入後にも、それ以前と同じくというか、むしろより多く、教員の「不祥事」が報じられている気がする。

 ある意味で当然のことだろう。「負荷」が大きければ大きくなるほど、「破綻」するものも多くなる。そういうこともあるし、それ以上に「教員免許」は「私的資格」だという「免許更新制」の本質から、教員が「公教育」を担っているという誇りが薄れていってしまう。

 時々、「受講した講習が役に立った」という理由で、「更新制はあってもいい」などと主張する人がいる。これこそまさに「本末転倒」の考え方である。更新制の主眼は、講習を受けさせることではない。もし講習が役に立つというなら、「講習を受けて合格した人はそれで免許が更新される」という仕組みになるはずである。そうではなくて、講習だけではダメで、その後に「自己責任」で「私的資格である教員免許」を教育委員会に更新を申請しないといけない。それを忘れたことで、失職して教壇を追われた人が何人もいる。講習は受けていても、それだけではダメなのである。「更新手続き」の方が、更新制度の本質なのである。

 当初は教育委員会で講習を行う案もあったけれど、とても請け負いかねるということで、「大学等で行う講習」を受けることに制度が変更された。大学に行くのも久しぶり、大学の先生の話は、いつも受けさせられているつまらない官製研修と違って、教育行政批判もあったりして「案外面白かった」という人もいる。それはそれでいいけど、それなら、「10年に一度、長期休業中に大学で研修する」という制度にすればいいだけである。いくら工夫して頑張っている大学だって、それを受けないと教員資格を失うというほど素晴らしい講習をしているわけでもあるまい。何もしないで更新するわけにはいかないから、大学で受講するという風に作られただけである。

 それは結局、「教員免許は私的資格」だという決めつけに行きつく。だから「講習」であって「研修」ではない。だから、出張にはならない。自己負担で行く。「職免」(職務専念義務の免除)は申請できるはずだが、管理職が不勉強、もしくは不親切で、「年休」で受講している人も多いらしい。全国には職場で組合活動がほとんどできていない中学校が非常に多いだろうから、制度のこともよく知らない人が多いかもしれない。講習費と交通費の負担が嫌だというよりも、というか嫌には違いないだろうけど、それ以上に「公教育を担っている」という仕事が「私的」なものだということに納得できないと思う。

 運転免許は私的な資格だから、更新するときは休暇を取っていかなくて行けない。教員が運転免許を更新するときに、年休を取っていくのは当然だ。しかし、「それと同じように、教員免許は教員の私的な資格だから、更新するために教育委員会に行くときには、休暇を取っていかなくてはいけない」なんていうのが、当たり前になってしまっていいのか。学校で教師が行っている仕事は、そんな私的な性格のものだったのか。そうだったんだ。次世代の社会を担う人造りを行う、社会的に意義ある立派な仕事ではなかったのである。それが「教員免許更新制の本質」である。

 教育基本法を「改正」し、教員免許更新制を導入した第一次安倍内閣。安倍内閣が復活以来、教育行政もすっかり様変わりした。そんな中で、ついに私立小中学校に通う生徒の保護者にも補助金を出すという案が有力になっている。高校の話ではない。本来は全生徒がいけるはずの公立小中学校がある。いじめを避けて転校するなどと言っても、私立から公立に移る例はあっても、公立学校の生徒を私立が受け入れてくる例があるのか。こうして、教員の資格を私的なものにした後では、「学校に行く」と言うことそれ自体も、親の行う私的な行為となっていく。「公教育」という発想は、もう今の政権にはないんだと思う。
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東京でまた「失職者」

2015年04月13日 21時08分13秒 |  〃 (教員免許更新制)
 東京都でまた教員免許更新制に関わる失職者が出た。2015年4月13日付で、都教委にホームページに「東京都公立小学校教員の失職について」なる文書が載っている。それによると、区部の34歳の男性小学校教諭が、昨年の3月31日にさかのぼって、失職となった。法の要請するところにより、自動的に失職してしまうという摩訶不思議な制度なので、「失職処分」ではない。しかし、34歳という年齢など、その経過に理解できない点が多い。

 都教委によれば、その経緯は以下のようになる。
①失職者は、平成21年度に免許状を交付され、免許状に記載されている有効期間満了の日が平成26年3月31日であることを認識していたが、更新手続は平成26年4月1日から平成28年3月31日の間に行うものと誤認していた
②失職者は、平成26年9月、免許状更新講習を受講し、修了した
③失職者は、免許状更新手続を行うため、平成27年3月16日付けで手続関係書類を都教育委員会宛て郵送した。同年4月8日、郵送された免許状の写しを確認したところ、免許状が失効していることが判明した。

 これを理解できる人はいるだろうか。教員免許更新制や更新講習の仕組みには本質的に問題が多いが、それはそれとして、この人は更新講習を受講して終了しているのである。ただし、受けるべき年を一年間間違えていた。だけど、受講に際しては、所属長の承認がいるはずである。東京では何回も、更新制がらみの失職問題が起きていて、管理職もきちんと理解していないとおかしいと思うのだが、校長や都教委自身にチェック機能はどうなっていたのだろうか。

 そこでまた不可思議なことが起きる。ということは、この制度が正しいとすれば、この教師は本来昨年の4月に失職していなければならなかったのである。だが、誰も気づかなかった。学校でも都教委の担当者も。そして、1年間勤務した。もちろん、その間、問題は起きなかった。というか、それは判らないけれど、少なくとも懲戒処分になるような問題はなかった。だから、教員免許更新制なんて、関係ないのである。この人の場合、本人だけでなく、現場の長である校長も気づかなかったんだから、それに気付いてしまった都の担当者も気づかずに、免許更新を受理していれば、それで問題は起きないのである。それではダメなのか。そういう人も、きっと全国には何人か、いそうである。

 こういう問題が起きて、これに限らないけど、東京都教育委員会はどういう対応をするのか。本来なら、一昨年度には更新講習を受け、昨年度には更新していなければならなかった。本人や現場の管理職にも責任はないではないだろうが、今まであれほど言ってきた都教委自身の態勢に問題はないのか。それとも去年は高校入試の答案チェックに忙殺されて、免許のチェックを怠ったのか。(これは可能性が高そうである。)その結果、年度当初に教員が代わることになる。それに対して、都民である保護者や生徒に対して、謝罪はしないのだろうか。都教委のホームページには、以下のように最初に述べられている。

 都教育委員会では、教育職員免許状の失効等については十分注意するよう、教員や学校管理職に対し、注意喚起を行うとともに、任用に係る事務処理の改善やチェック体制の強化に取り組んでまいりましたが、標記の件について、以下のように任用の取消しをしましたので、お知らせします。
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教員免許更新制のあれこれ-日々のあれこれ④

2015年03月31日 23時40分00秒 |  〃 (教員免許更新制)
 カテゴリーを「教員免許更新制」に変えて、「日々のあれこれ」の続き。教員免許更新制の細かい制度設計のおかしな問題は、前に何度も書いているので繰り返さない。そもそもブログの名前を「教員免許更新制反対日記」としているわけだけど、これもそろそろ変え時かもしれない。本来、定年前に辞めてもいいと思い続けたので、もう自分で「早く辞めた」という意識が薄れる年齢に入ってきてしまった。そして、はっきり言ってしまえば、安倍長期政権により「教員免許更新制」の撤廃、あるいは「改善」さえも実現不可能になってしまったという認識もある。

 本来、教員免許更新制は憲法違反であるという裁判をやってみたいと思っていた。韓国やタイのような憲法裁判所がない日本では、個々の法規や政令などに対する違憲訴訟は非常に厳しい。国権の最高機関である国会の裁量範囲であるという判断が下るのはほぼ確実だろう。だから、ほとんど敗訴するという前提でやるしかないわけである。つまり、「運動としてやる」ということになる。「もし、3・11がなかったら」と言っても仕方ないんだけど、辞める決断をしたときは「3・11」のちょうど前だった。2011年という年は、新たに裁判を起こすには非常に不利な状況だった。それに遺産で持ってた東電株が暴落して、裁判費用どころか、予定していた生活費のもくろみが崩れてしまった。後で思うと、大震災の週明けにすぐ売ってしまえば良かったんだけど、とてもそういう判断ができる状況ではなかったのである。こうなったら持ったまま株主総会に行こうかと思って、出かけて行った記録はこのブログに残してある。

 僕が思うに、どうせ教育行政は「現場教員なんか、上の言うとおりにやってればいいドレイだ」と思ってるんだろうから、教員免許更新制なるものを導入するのであるなら、従前の政策を貫徹して欲しかった。僕だって、すべてに逆らっては生きていけないから、多くの教員と同様にやむを得ずいろいろと妥協して、自分をだましながら働いてきたわけである。だから、校長から免許更新に行けという研修命令が下っていれば、仕方ないからと思って更新していたのではないか。ところが、この制度は「免許は私的な資格である」と称して、自分で大学等の講座を探して自費で申し込めという制度設計になっている。このように、今までの保守政治は「教員ドレイ化」を進めてきたが、21世紀になるとそれでは済まなくなったのである。公的なるものを解体しつくして、「私人」として改めて「忠誠」をつくさせるのである。第一次安倍政権に作られた教員免許更新制に、そのような「新自由主義」と「国家主義」の混成、言ってみれば「21世紀のファシズム」的な発想の芽生えが見て取れるのではないか。

 この問題を教育関係者以外の人に語ると、「教員組合の力で何とかならないのか」という人が、(市民運動圏の人の多くには)けっこういたのにビックリした。教員組合が何とかできると思っているのである。勤評闘争がどうとか、大昔の話を語る人もいる。教員組合の組織率は右派系組織を含めても3割台なんだから、今でもある程度組織率が高いところがあることを考えると、大都市の中学などでは組合活動家はほぼ「絶滅危惧種」なのではないだろうか。闘うどころか、組織維持も危うい。学校という職場は、多忙すぎるうえ、生徒や保護者のプライバシーに触れる可能性があるから、教師のほとんどは職場の実態を声をあげて外へ知らせない。それに、日本全体で労働環境が急激に悪化してきた中で、ただクビにならない、問題さえ起こさなければ定年までは勤められそうだという、たったそれだけのことで「恵まれている」と思われてしまう。保護者や生徒の中には、あからさまにそう言ってくる者までいる。「教員バッシング」が自分に向わないように、首をすくめて耐え忍んでいるのが教師の実態だろう。
 
 僕にとっては、管理職や主幹教諭には「免許更新の義務がない」ということが、今でも一番残る大きな問題点になっている。なんで自分が更新講習を受ける気にならなかったかと言えば、まあ民主党政権の対応に一定の期待をかけたこともあるが(政権公約に触れられていた)、一番大きいのは「免除規定」が許せなかったということだろう。裁判するとしたら、まずこの点を「14条」(法の下の平等)違反として挙げることになるだろうと思ってきた。「管理職や主幹にならないために」、どのくらい不毛なエネルギーを使って来たかを思い返せば、自分の人生の否定に見えてしまったのである。いや、学校事情もあれば、個人の思いをあるだろうから、中には管理職を目指す人もいていい。校長という職そのものを否定するわけではない。だけど、現在の東京を見れば、管理職に「思想・言論の自由」はない。思うような学校運営ができないのに管理職を目指す人が何故いるのか、僕にはよく判らない。その辺りになると、生き方の違いというしかないんだろうと思う。

 僕だって、先にも書いたように、自分の好きなようにだけは生きて来られない。本来は「主任制度」(主任教諭制度に非ず)に反対だったわけだが、校内の分掌主任あるいは学年主任は引き受けた。やらなくてもいい時までやろうとは思わないけど、自分がやった方が早い時は引き受けたのである。でも、それは単年度の仕事であり、手当が付くとはいえ、要するに「手当」である。管理職や主幹になると、手当ではなく「職階の違い」になってくる。これは僕の教育観、学校観からは、全く受け入れられない。だから、正直に言うと、長いこと教員をやってきて淋しい思いをして、もういいやと気になっていたのだと思う。何も管理職にならずとも、せめて主幹にはならずとも思いながら、毎年の異動が掲載された4月1日の東京新聞を見ることになるようになってもう長い。
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中国では記者の免許更新試験

2014年08月23日 23時20分26秒 |  〃 (教員免許更新制)
 新聞報道によると、中国では今年1~2月にかけ、全国の新聞、テレビ、通信社などの記者25万人に統一の免許更新試験を初めて実施したという。報道に対する様々な規制が強まる中でのこの政策、当局がいかに理由をつけようが「記者の資質向上」が目的ではないのは明らかだろう。「免許更新」という発想そのものが、「いうことを聞かないと職を失うぞ」という強迫的要素を持っているのである。さすがに日本のマスコミも、いいかげん「免許更新」という発想に潜むものに気づいて欲しい。

 久しぶりに教員免許更新制について書いておきたい。しかし、何か新しい動きがあったとか、新しく考えを深めたということでもない。今までに書いた記事(特に2011年に書いたもの)と同じようなものなんだけど、やはり時々書いておかないと、意識が薄れてくるのではないかと思うからである。現実的には第2次安倍内閣の発足により、教員免許更新制の改廃は当面の政策課題ではなくなってしまったというのが実情だろう。民主党政権下の数少ない「功績」である「高校教育無償化」も訳の分からない面倒な制度に変えられてしまった。その後、教育委員会制度の法改正、教科書検定基準の改定、道徳の教科化等々、ありえないような「安倍教育改悪」が進行しつつある。それらの問題が続々と起こり、対応するヒマもない状態。来年の中学教科書の採択年に、どのような状況になるか。(恐らく下村博文氏が文科相を退任して党に戻り、全国にはっぱを掛けるのではないか。)

 文科省にサイトにある「事後評価」結果を見ても、毎年大体同じである。「よい」と「だいたいよい」を合わせて9割以上。それでも必修領域と選択領域では、必修(最新の教育事情)の方が10%以上低い。この読み方は前に書いた「更新講習は好評なのか」を読んでくれれば、まあそれにつきている。「だいたいよい」は「受けなくても良かった」だと思うし、選択領域はともかく、必修領域は「仕方ないから受けた」ということだろう。この制度は実施時に制度設計で議論があり、結局講習を大学等で受けることになった。大学教授が担当するのだから、中には教育政策を批判したり、じっくりと分析したりする「講習」もあるらしい。だから、中国の記者の免許更新ほど露骨な「締め付け」政策にはなっていない。各都道府県教委にしても、今まで採用以来育ててきた教員が突然失職されても損失なので、地方によっては教育委員会と教員組合と地元教育系大学が協力して「失職しないシステム」を作っているところもあるらしい。それを「一定の評価」ととらえて、運悪く当たった年回りの教員も「何となくガマンするしかない」という状況にあるのではないか。

 しかし、医師免許にしろ、弁護士などの法曹資格にしろ、不祥事を起こして有罪が確定した結果「資格を喪失」することはあるけれども、いったん取得した国家資格が不祥事を起こしたわけでもないのに突然失効するという教員免許更新の仕組みはどう考えてもおかしい。これでは「公務員」である意味がない。授業や部活動やクラス担任で頑張っていても、何の意味もない。なんかすごい表彰でも受けた場合は特例があるけど、普通の教員には縁がない。唯一、主幹教諭や管理職(校長、教頭、副校長)になった場合だけ、免除という「特権」がある。

 しかし、主幹教諭というのは、本来更新講習を免除すべきものなのだろうか。東京都では7月に13件の処分が発令され発表されている。その中で7月18日に発表された4件の事例を見ると、4人全員が主幹教諭である。(中学2人、高校2人)主幹なんだから、皆学年主任とか生活指導主任かなんかをしているはずである。(ちなみに14件の職階別内訳を見ると、校長=1、主幹教諭=5、主任教諭=3、教員=3、寄宿舎指導員=1。処分内容は、体罰=9、わいせつ=3、情報=1。)こういう実態を見れば、むしろ校内で主任に任命される主幹教諭こそ、免許更新講習がいるのではないか。管理職は教員管理が仕事だからともかく、主幹教諭は授業も部活顧問も受け持つんだから、免許更新制度を免除する必要はないはずである。

 このような実態を見れば判るように、教員免許更新制度は「生涯一教員」という生き方を否定し、教師も普通の公務員(あるいは会社員)のように、「上を見て出世を目指す行き方をしなくてはならない」という刷り込みがこの免許更新制度の本質と言うべきだろう。こんな制度があって、教員はやる気が出るのだろうか。というと、実際に「教員の大量退職」が起こっているようである。そのことを次回に書きたい。つまり、「教員免許更新制度は所期の目的を達成しつつある」と言っていいのではないかと思う。

 ところで別件だけど、都教委の処分発表を見ていて、非常に不思議なことがある。「職名」が発表されるが、校長、主幹教諭、主任教諭などであるが、それらになっていない場合は「教員」とあるのである。僕はまず教師は「教諭」に発令されるものだと認識しているのだが、東京都では「教諭」という職はなくなってしまったのだろうか。主幹や主任になる以前は「教員」と呼ばれることになったのだろうか。「職名」に「教員」とある以上、そう解釈せざるを得ないのだが。
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昨年度の教員免許更新制の結果

2013年09月26日 22時03分08秒 |  〃 (教員免許更新制)
 インターネットのニュースサイトを見ていて、産経新聞の9月24日付に今年(昨年度)の教員免許更新制の結果に関する記事を見た。ところが、それを裏付ける文科省の発表が見つからない。他の新聞でも見当たらない。とりあえず貴重なデータだから紹介しておく。教員免許更新制については、実施初年度(2010年度)が終わった2011年には、文科相のサイトでかなり早くまとめの数字が公開された。昨年(2012年)はなかなか発表されなかったので、ここでは紹介していない。(もっとも初年度の数字はかなりわかりづらく信用性が疑わしい部分もあった。)

 さて、産経の記事によれば、3月末に更新期限を迎えたのは全部で9万5919人。講習を受けて更新が認められたのが7万6734人だという。管理職などで講習が免除されたのは1万3026人、病欠などで期限延期が認められたのは5719人だった。以上を計算すると、「それ以外」が440人いることになる。
 
 その内訳は判らないが、「免許を失効したのは0.1%に当たる99人」だと「24日、文部科学省の調査で分かった」と新聞記事(というかネット上の記事)にはある。更新講習を受けずに退職すれば、この数字には含まれないはずだから、この「99人」というのは、「免許を更新するつもりだったけど、失効してしまった」という人のはずだ。その理由がどこにあるかは不明だが、10年、20年、30年と教員を続けていた人ばかりなんだから、「99人」というのは多いのではないか。

 その99人のその後は、
 「更新講習修了の確認手続きを忘れるなどして期限後に免許を取得し直したのが29人」
 「事務職など免許が不要な職種に移ったのが37人」
 「退職したのが33人」
    
 国公私立別の内訳は、公立33人、私立64人、国立2人。
 都道府県別では、東京が30人で最も多く、兵庫が10人、茨城と埼玉がそれぞれ6人。
 東京にそれほどいたのか。公立で「失効」すると「失職」してホームページで発表されるので、これは私立学校かも知れない。それは「事務職など免許が不要な職種に移った」という人が37人もいることでも想像できる。公務員の場合、採用試験に必要な資格が失効すると公務員の資格も失うという最高裁判例がある。一方、私立学校の場合は、学校法人の職員だから、その学校法人が(教員以外の職種で)雇用を継続することは可能である。だから、つまりそれでいいのである。公立学校だって。校長に民間人を登用するとか、塾と提携して学力向上を図るとか言ってる時代に、教員の免許が事務的に失効したからどうだこうだなどと問題視する必要があるか。また日本全国、設置者別を問わず、(校種は判らないが)、どこでも起こっている。国立学校でも失効者がいるというのには驚く。

 これほど失効者が毎年出ているというのに、制度を見直すという動きはあるのか。文科省のサイトには、「平成25年度免許更新制高度化のための調査研究事業について」なる発表がある。「高度化」の意味がよく判らないが、とにかく大学等になんらかの「調査研究」を依頼している。しかし、「高度化」することが目標だろうか。教員研修が時代にあったものになるためには、「免許更新制」そのものの再検討が必要なのではないか。しかし安倍政権になり、それは不可能かと諦めているというのが現状ではないか。
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東京都の「採用取り消し」問題

2013年04月27日 00時43分31秒 |  〃 (教員免許更新制)
 時間が経ってしまったけれど、東京で4月15日付で公表された、「東京都公立学校教員の採用取消しについて」と言う問題を考えておきたい。何度も書いたことだけれど、教員免許更新制と言う制度は、更新講習を受け、講習開設者より終了認定を受け、教育委員会に更新を申請し、認められるということをしないと、10年間で教員免許そのものが失効する。(もちろん病気休職等の場合など、延期することも可能だが、それも事前の申請が必要である。)教育公務員は教員免許があることが公務員の条件であるという解釈を文科省が取っている(古い最高裁判例がある)ので、教員免許が失効すると失職することになる。現実にそうした事例は起こった。そのことはこのブログで何回も書き、いかに意味のない愚劣な制度であるかをその都度書いてきた。

 だから、手続きのミスなどで免許失効、失職になるということは、それが一体何の意味があるのかは疑問だけど、制度そのものの中に想定されていた事態である。しかし、教員免許更新制に関わって「採用取り消し」が起こりうるということは、今まで指摘されてこなかったのではないか。考えてみれば、多くの自治体で教員採用試験の受験を35歳以上にも認めているわけだから、受験、合格時点では教員免許が有効だったのに、採用時点で失効しているということもあるはずである。でも、僕はそういう事態を想定しなかった。30歳を過ぎて教員に採用される人もいることは知っているが、おおよそそういう人の場合も、ぞれまでずっと一般企業に勤めていて突然教員採用試験を受けるのではなく、大体は非常勤講師や産休代替教員などをしてきたという人が多いと思うからである。何らかのかたちで学校に関わっていれば、教員免許を更新しなければいけないことは伝わるはずだ。(正教員ではなく、非正規の非常勤講師や臨時教員であっても、免許を更新しなければ失職する)

 実際に起こったことをホームページで確認したい。4月15日付で、以下の4人の採用が1日にさかのぼって取り消しになったと発表された。
(1) 区立小学校教諭 36歳 女
(2) 区立中学校教諭(期限付任用教員) 35歳 女
(3) 都立高等学校教諭 46歳 男
(4) 都立特別支援学校教諭 35歳 女

 どうしてこういう事態が起こったかは僕にはよく理解できない。つまり、教員採用試験というのは、免許を持っている人だけでなく、免許取得見込みの大学生も受験できる。現役ですぐ合格するというのは、(小学校を除けば)、今はあまりないかもしれないが。その場合、合格して採用されたものの、①卒業に必要な単位を落として卒業できなかった ②卒業に必要な単位は取得して卒業はできたが、教員免許取得に必要な教職課程の単位を落として教員免許は取得できなかったという場合がありうる。現にそういう例が時々起こっているのは、知っている人も多いだろう。だから採用を決めた各学校は、3月になって免許を確認するはずである。多分歳のいった合格者のことは、当然免許は持っているものと思って疑わなかったんだろうけど。

 ところで、上記の③の人は46歳である。35は判るとして、46と言う新規採用はありうるのか。そこで東京都の平成25年度東京都公立学校教員採用候補者選考実施要綱を見てみる。一般選考は、条件が「昭和48年4月2日以降に出生し…」となっている。2012年度実施の試験で、1973年生まれまで受けられるわけだから、「39歳まで可能」ということになる。自分の時代に比べてずいぶん高齢まで可能となっている。

 しかも、それに加えて「特例選考」があるのである。東京で非常勤講師などを経験したもの、東京以外の国公立学校の教員を3年以上経験したものなどについては、なんと「昭和28年4月2日以降に出生し…」という資格になっている。ほんとか。60歳定年だっていうのに、59歳まで受験できるのか。この「特例選考」のなかに「社会人経験者」と言う項目もある。民間企業や官公庁勤務経験者は、免許があれば59歳まで受けられたのである。(なお、当然のことだが、今年実施の試験では昭和29年4月2日以降となっている。インターネットで5月9日まで願書を受け付けている。)なお、今年の試験を僕自身も受験可能である。免許更新講習を受けさえすればだが。(「過去に、東京都公立学校の正規任用教員として、受験する校種等・教科(科目等)で3年以上の勤務経験があり、平成25年3月31日現在、東京都公立学校の正規任用教員として在職していない者(平成25年3月31日付けの退職者は該当しません。)」と言う項目に該当する。)

 いやあ、ビックリした。こういう特例選考があったとは。これでは「46歳」があっても、何の不思議もない。昔の教員、他県の教員かもしれないが、社会人枠で受けた人で、今まで民間企業等で活躍してきたという可能性もある。「ペーパー・ティーチャー」になった人は一杯いるものである。採用試験が高倍率だったり、給与水準が低いのを嫌ったり、合格発表が遅く民間企業に先に決まったり、福祉や学芸員の資格も取っていてそちらが第一希望だったりと言った様々な理由がある。でも自分の子どもが学校に通う時期になって、特に高校の英語、情報、商業、工業などの教科では、民間で活躍したスキルがすぐに生かせる場合も多いから、あらためて教師を希望すると言う人もいるだろう。

 ところで、教員免許更新制は何のために作られたか。文科省がタテマエで言うことを引用すれば以下の理由になる。「教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。」「定期的に最新の知識技能を身に付ける」というのは、明らかにすでに教員になっていることを想定して言っている。その目的自体がおかしいが、それはさておき、このようにすでに教員となっているものが、「自信と誇り」を持つために「最新の知識技能」を身に付けよ(何でもいいからどこかの大学で30時間の講義を聞くことで)と言う制度である。
 
 一方、ペーパーティーチャ―はどうすればいいのか。文科省のサイトの「現在教員として勤務していない教員免許状所持者の方々へ」にはこうある。
問1.現在、教員免許状を持っていますが教職には就いていません。平成21年4月から教員免許更新制が実施された場合、教員免許状はどのようになるのでしょうか。
答1.
 既に教員免許状を持っている方(平成21年3月31日までに教員免許状を授与された方)で教職に就かれていない場合には、平成21年4月に教員免許更新制が実施された以後も、免許状更新講習を受講・修了しなくても免許状は失効しません

 ペーパーティーチャーは受けなくても失効しないのである。もちろん教員に就くときには年齢が来ていたら講習が必要と他の項目で書いてある。でも採用試験時に失効していないんだから、もし採用されたらその時に、または次の45歳や55歳の時に講習を受ければいいんだと思っても、何の不思議もない。試験に合格しても、実際に学校に採用されるかどうかは判らない。実際に採用されるかどうかわからないのに、どうして教員免許更新講習を受けなければいけないのか。

 これらの人がどういう経歴の人かは知らない。でも「採用」とある以上は、仮に他の学校で経験があったとしても、少なくとも東京では初の教員体験である。初任者である以上、これらの教員にまず必要なのは「初任者研修」のはずである。初任者研修がある人が、同時に免許更新講習を受ける必要があるのか。更新講習は、すでに10年、20年と教員を長くやってる人を対象にしているはずである。

 今回の事例ほど、教員免許更新制というものの馬鹿げた性格を浮き彫りにした事例はないだろう。教員に採用されてこれから頑張ろうと言う人が、免許そのものが失効してるから採用取り消しというのは、全く意味がない制度である。正教員としては一度も使わなかった免許が、ようやく生かせるという時に失効していたというのは、全く制度設計がおかしい。もしこの更新制が必要だと言うなら、採用された年に受ければいいと言う特例を設ける必要がある。もともと意味不明の、教師と言う職業をバカにするだけの制度だけど、さすがにここまでのケースが起こるとは、僕も考えが及ばなかった。改めて全く意味がない制度だという思意を強くする次第である。
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免許更新制は「違憲」ではないのか-教員免許更新制再論③

2012年10月12日 22時53分13秒 |  〃 (教員免許更新制)
 法的な問題点を指摘して、この問題の再論を終わることにする。この免許更新制度で失職すると言う事例が相次いだわけだが、それを止める手立てがない。それがどうにも納得できない。勤務状況に問題があったというわけではない。むしろ「優秀な教員」であると報道されている。単なる手続きミスである。それで「失職」するのか。退職ではないので、退職金も出ないという解釈さえ行われている。労働法的な見方からは、考えられない。あってはならない事態である。救済策が何もないのだとしたら、制度そのものが憲法違反ではないのか

 この「失職」規定もそうだが、教員免許のみが10年期限とされている点管理職や一部教員にのみ「免除」される点、どちらも「法の下の平等」に反するのではないか。その問題については、昨年いっぱい書いているので、ここでは再論しない。

 でも一応繰り返しになるが、以下のことは確認しておきたい。これが民間企業だったら、「手続きミスのみで退職させられる」ということは確実に司法で救済される。公務員であっても、何か問題行動があって「懲戒免職」になったのなら、それが重すぎるということで裁判できて、免職処分が取り消しになる判決もいろいろ出ている。「懲戒免職」の方がむしろ裁判しやすいのである。また、民間企業だったら「身分保障の仮処分申請」もできるし、認められるのではないか。ところが、行政の行う「処分」などは、「行政事件訴訟法」の規定により、仮処分はできないのである。
 第四十四条  行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については、民事保全法 (平成元年法律第九十一号)に規定する仮処分をすることができない

 ところで、この「失職」は処分でさえないので、「処分取り消し訴訟」もできない。裁判所に身分保障を求めたり、取り消し訴訟を起こすことも難しいのである。(もちろん、この法律そのものが「憲法違反である」という裁判はできるが…。)

 ところで、何で免許がなくなると「失職」するのだろうか?つまり、「教員免許」がなければ確かに授業はできないことになっている。でも、教員は公務員であって、公務員には教育以外の職員がいっぱいいる。たとえば、事務の仕事に回るとか、公立の体育館や博物館などで働くということはできないのだろうか。これに関しては、争った裁判が昔あって、最高裁で「免許=公務員の地位」という判例が確立されている。教員は「教員採用試験」に合格して採用されたわけだが、その採用試験が受けられる条件は、教員免許があるか、来春卒業とともに取得見込みであることである。このように採用試験の受験条件が免許を有することだったので、その免許が失効すれば受けたときの条件が違ってしまうわけで、だから公務員であるという地位も失うというリクツである。

 だが、この昔の判例も今では古いのではないだろうか。そのときとは教育を取り巻く環境も大きく変わった。大体、最高責任者である校長自身が、教員免許がいらないことになった。教員の仕事も授業はもちろんだが、いじめ問題などを見れば、生活指導、進路指導などの比重が大きくなっている。更新講習に合格したかとか、ましてや手続きをしたとかではなく、長年勤務して経験してきた積み重ねこそが重要なのである。そういう経験を生かすため、定年退職した教員も含め、「いじめ相談員」「進路相談員」「部活指導員」など、授業やクラス担任には当たらない経験者の活用が望まれているのではないか。手続きミスや講習未修などの場合は、そのような「免許を必要としないポスト」を作り、一時的に任命するという形は取れないか。その後、免許が復活すれば、教師に戻る選択ができる。ただ、僕が言いたいのは、そのような「第三者的相談員」を地域住民など免許のない人、退職後の教員などを含めて、創設して欲しいということだ。そっちが先で、そういう職があれば、うっかりミスがあれば一時的にそちらで救済できる可能性ができるのではないかということである。

 過去の判例にとらわれず、新しい発想で救済策を考えて欲しいと思う。もちろん「廃止」が一番望ましいわけだが。また「免除」条件を拡充して、35歳はともかく、45歳、55歳は実質免除する方向も考えられる。というか、教員人生に3回もあるのかと思うだけで、若い人は教員になる意欲が失せるだろう。仮にこの制度を残すとしても、40歳と50歳の2回になるなら、まだだいぶ気持ちが軽くなるだろう。新規採用後の研修があまりにも多い現状では、35歳で一回目の更新というのは早すぎる。現役で大学に入学し、卒業とともに採用されるなどと言う教員は、今はまずいない。20代半ばで採用され、新採から数年間研修漬け、次の学校に異動したら、もう更新時期が間近、では何のための教師なんだろうか。生徒と関わるより行政と関わるだけで10年間が過ぎてしまう。で、バカバカしい講習が嫌だから、早く管理職を目指したりすれば、まあそういう教員を行政は望ましいと思っているのだろうけど、生徒には不幸な出来事である。
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なぜ更新制は廃止されないのか?-教員免許更新制再論②

2012年10月11日 21時39分44秒 |  〃 (教員免許更新制)
 昨日に続いて、教員免許更新制について。岩波書店の雑誌「世界」11月号に、池田賢市、大森直樹両氏の「なぜ教員免許更新制は廃止されないのか」という論文が掲載されている。中央大の池田さん、東京学芸大の大森さんとは去年一緒に文科省で記者会見を行った。教員免許更新制について、はっきり発言している教育学者である。(ちなみに僕の名前が出てた。)

 この論文の中で、中教審特別部会での藤原和博氏(臨時委員)が「免許更新制はやめるとはっきり書くべきだ」と発言していることが紹介されている。(恐らくそれは「専門免許制への発展・進化」で、形式的な廃止という意味だろうと論文では指摘されているが。)ホームページで確認すると、「教員の資質能力向上 特別部会(第11回)議事録」で確認できる。
 
 一方、10月4日付朝日新聞では「修士はいい先生の条件か」という特集記事を掲載し、陰山英男氏と鈴木寛氏の意見が掲載されている。この中で陰山氏(大阪府教育委員長)は「更新制の悪影響」という見出しの下で以下のように語っている。「あまり知られていないことですが、教員免許更新制のせいで、教師という仕事は、若者にとって魅力が薄れたように思います。私は多くの学生に『教師は面白くて、やりがいのある仕事だよ」と勧めていますが、『途中で免許がなくなるかもしれないような仕事はちょっと』と言って、あまり反応がよくありません。免許更新制をそのままにして、修士レベル化を進めれば、優秀でやる気のある学生はますます教師の仕事を敬遠するように思えるのです。」

 陰山氏は大阪府教育委員長(2008.10~教育委員)、藤原氏は大阪府教育委員会特別顧問(2008.6~)である。「百ます計算」の陰山氏、「よのなか科」の藤原氏、この10年間でももっとも有名な教育関係者に入るだろうが、いずれも2008年1月に大阪府知事に当選した橋下徹氏の協力者である。このように大阪府の教育行政に親和的な両氏でも、教育現場に関心を持っている限り、「教員免許更新制は廃止した方がいい」と思うような制度なのだということがよく判る。

 よく教員免許更新制について「現場の負担」ということが言われる。それは確かで、時間的、金銭的な負担は決して軽くはない。しかし、本質は負担問題ではない。「頭上に垂れ込める暗雲」である。いや、普通に勤務していれば「失効」したりはしないように作られてはいる。しかし、それならそれで、また疑問が募る。普通に勤めていて講習に合格すれば、免許が更新されるというなら、この「更新制度って何?」。とにかく、大学で何十時間も勉強して単位を取得したというのに、その結果として取った教員免許が10年しか有効ではない。10年ごとに「更新」しなければならない。その更新講習そのもの以前に、そういう有期の仕事になってしまったという納得の行かない屈辱感のようなもの。多分、期限が来たら自分はどうなるのだろうと思っている派遣社員、有期雇用の労働者、教育現場にも今はとても多い臨時の職員は、大体そうなんだろうけど、言うに言われぬ「頭上の暗雲」である。

 さらにこれを逃れるすべがある。主幹になり、さらに管理職になるという道である。35歳は仕方ないけど、45歳、55歳は管理職になっていれば「免除」される。そこで自分の教員人生を見通して、今まで以上に自問自答せざるを得ない。授業や部活動に力を入れたりせずに、管理職を目指すべきなのかと。恐らく今まで以上に、適任ではない「講習逃れ」の主幹、管理職が増大していくのだろう。(前に書いたことだが、ここに再度書いておく。「免除」は可能であるというだけで、管理職だったら「免除を申請しなければならない」とされているわけではない。従って、現場教員とともに学校作りを進めていこうと思っている管理職、主幹教諭は、免除申請をせずに自分でも更新講習を受けるべきである。そうしなければ、僕には教育者として認められない。)

 誰にとっても意味がないと思えるわけだが、それは「教育をよくする」という目標を共有している場合である。陰山氏が報告するような学生の事例は、当然学生は「途中で免許がなくなるような仕事は…」と思うに決まっているんだから、もちろん事前に予想していたはずである。だから、そのような事態は「予期に反して」起こっているのではなく、そのような事態を目標にしていたのだと僕は思う。つまり教育には国家として投資しないということである。それは小泉政権、安倍政権で起こった出来事である。

 それに対して、「子ども手当」「高校授業料無償化」を掲げた民主党政権は、当初「教員免許制度の抜本的改正」を掲げていた。それは「大学院義務化」も含む、実現の難しい問題が含まれていたと思うが、更新制度はとりあえず実質的にはなくなるのではないかという期待が現場にはあった。それが実現できなかったのは、一つには確かに「ねじれ国会」があるだろう。教育に限らず、選挙制度改正のような党派を超えて協議しなければならない問題でも、まったく「決められない政治」状態になってしまっている。
 
 もう一つが「更新講習ビジネス」が出来上がってしまったことである。池田・大森論文では「18億円」と試算されている。教師も今はバラバラに競争させられている現状なので、まとまって反対するのが難しい。自分が損しては困るので、何とか楽に講習を受けられないかというのが実情だろう。最初だけ実施して途中でなくなるのは自分が損、10年間はやって一巡して欲しいという声もある。教師がそういう風になってしまえば、「皆でいじめに対処する」など不可能である。つまり、そういう「学校の荒廃」こそが、更新制の結果であり、また目的でもあるということではないか。

 「荒廃が目的」などと言うと言い過ぎかと思うかもしれないが、中教審などでは私立大学、私立高校などの関係者が強い影響力を持っている。この間、株式会社の学校経営などがどんどん認められてきた。教員の大部分は公務員である。「公務員バッシング」と「公立学校はダメだキャンペーン」=「私立優位への誘導」が結びついて進んでいる。大阪では、私立高校の授業料も実質無償化(または10万円程度)を進めている。「私立高校生等に対する授業料支援について」を参照。他地域では案外知られていないだろう。政府の考えでは、公立だけ無償化すれば私立へ通う家庭だけ大変になる、だから同額程度を私立生徒にも援助するという仕組みになっている。しかし、大阪では私立も完全に無償に近くしたほうが、公私立で「競争原理」が働くということを考えたわけである。しかし、これはよく考えて見れば「不平等」である。私立高校は大学へ直結しているところも多い。またほとんどの私立高校で、公立校以前に推薦入学を実施している。タダなら早めに決まった方がいいから、中学生はどんどん私立へ行ってしまうようになっているということだ。公私立を「競争」させたければ、全高校同一日に学力試験を行うという条件にしなければおかしい。

 まあそれはともかく、公立学校に対するテコ入れも行われていないわけではないが、それらは大体「税金で私立学校を作る」というのに近い。中高一貫でエリート育成を図るというようなやり方である。更新制で教員のやる気をそぐとともに、公立学校を意識的に低いままにしておくという政策が進められているのではないかと僕は考えている。(更新制の法的問題を次に。)
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「失職」は「想定外」なのか?-教員免許更新制再論①

2012年10月10日 21時04分45秒 |  〃 (教員免許更新制)
 10月10日付朝日新聞の社会面トップに、「教員免許うっかり失効 更新講習受けたのに手続きせず」という大きな記事が掲載されている。記事そのものを載せておく。長い記事なので、上下に分かれてしまった。途中で重なる部分がある。
 

 東京都で失職が相次いだことは、このブログで随時報告してきた。今回の記事で、東京、大阪、千葉で私立の失効例があることがわかった。今回の東京の失職事例は、いずれも「申請がいるとの認識を持っていなかった」と書いてある。にわかに信じられない事態である。本人に認識がなくても、管理職が判っていれば申請を確認するはずなのだから。だから「管理職の責任」がかなり大きい。

 単に申請を忘れただけなのだから、失職した後に申請を済ませて、もう免許は復活して臨時教員などで再雇用されている。では、この「失職」という事態は一体何なのか。教師に対する嫌がらせなのか?そう、「教師という仕事」に対する嫌がらせなのである。他に考えられない。

 「申請を忘れて失効する『想定外』(文科省の担当者)の事態。関連法にも救済策はない。」この問題については、前にすでに書いたので繰り返しになるが、大事なことなので、もう一回書いておきたい。僕は「年度内に失職者が出ること」は確かに「想定外」だったろうと思う。しかし、「申請忘れで失職する」という仕組み自体は、そういう風にわざわざ作ってあるんだから「想定外」のはずがない。免許更新申請の期限は、1月31日である。なんで3月31日ではないのかというと、2月以後は新規大卒者に対する新免許交付の事務があるからである。と同時に、現職者の更新確認期間が必要だからだろう。現に第1回(2011年)は、熊本県で2月になってから更新をしていないということがわかり、退職か失職かを迫られている。そういう事態になったのは、熊本県教委に責任があるが、それはそれとして2月以後の確認作業の結果、「新年度が始まってからの失職」という事態は起こらなかったわけである。

 今年「想定外」だったのは、その確認作業をさぼっていたふざけた教育委員会があったということである。もっとも東京都は大学が多いから新規免許交付者が多く、事務が相当大変なことは考えられる。しかし、更新制では免許の確認は、都道府県教委の責任で行うしかない。それを怠っていた責任は大きい
 
 ところで、今回の記事でも「免許期限だった前年度末にさかのぼって失職した」と書かれている。しかし、(これも前に書いたことだが)、3月31日には免許が有効である。3.31に失職するいわれはない。4月1日になると、確かに申請していないと失効する。だから「4月1日付で失職」なら理解できるのだが、「3月31日にさかのぼっての失職」は法的におかしいのではないか

 また、免許失効が明らかになるまでは普通に勤務していたのに、突然「3月31日付にさかのぼって失職」ということがありうるのか。それができるのなら、「1月31日にさかのぼって、免許更新申請を受け付ける」ことにすればいいのではないか。これは夏に文科省に直接ただす機会があり、検討するということだったがどうなんだろうか。

 もちろん、この更新制そのものがいらない。また、更新講習を受けた後に申請しないと更新されないというあまりにも面倒で、教育のジャマとしか思えない仕組みもいらない。でも、たぶんなくならない。この記事でも「予防策」とか言っていて、仕組みを変えるとは言ってない。何でだろうか?それはこの更新制度が、「教員免許は私的な資格である」ということを徹底させる目的があるからだと思われる。「教育は私的なサービス」であり、「公教育を破壊していく」という大きな目的の一環として、「教員免許を有期制にして、教師の権威を落とす」ということなのだろうと思う。

 「教師という仕事」の魅力をなくし、公教育をダメにしていくというプログラムは、すでにかなり成功を収めている。全国学力テストに対する教員の抵抗はほとんどできないし、いじめ事件が起これば教師が悪いというキャンペーンが行われる。当然教師になりたい人は少なくなるだろう。今回のいじめ問題では、もう教師がダメなのは放っておいて、「教育委員会制度そのものを解体せよ」というキャンペーンが行われている。それは教育委員の公選制度を復活させ住民参加を進めようというような方向ではなく、選挙で当選した政治家が好きなように教育制度を変えられるようにする、という意味らしい。まあ、そういう大きな問題、あるいはなぜ更新制度はなくせないのかなどは、明日以後に。
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更新制、文科省交渉の報告

2012年08月10日 22時21分33秒 |  〃 (教員免許更新制)
 第3回「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会で行われた文部科学省交渉に行って来ました。様々な課題に関して交渉しましたが、僕は特に「教員免許更新制」に関する事項を取り上げると言うので参加した次第です。

 事前に質問項目を提出していました。大項目を書いておくと、以下のようになります。
1.日の丸・君が代問題
2.大阪府・市条例関係
3.国際人権関係
4.教科書関係
5.教員免許更新制関係

 文部省関係者は若手官僚ばかりで、デジカメを持って行ったんだけど写真を撮るまでもないかなと思いました。最初、1や2は主に地方で起こっている問題を取り上げたこともあり、文科省と教育委員会の法的な権限問題のような答弁が多く、かみ合わないというか、論点がずれているというか、問題意識の差というべきか、答えになってないような感じでした。まあ、東京都の「10.23通達」や大阪の教育関係の各条例に「問題意識」を持っていては文科省官僚をやっていられないかもしれませんが。

 教員免許更新制に関しては、質問事項は資料として最後に載せますが、大きく言うと「被害救済問題」と「今後の制度設計問題」。今後の制度設計は中教審でも課題とされているところで、「10年研修」と「更新制」の二重負担問題などを問題として取り上げておきました。その課題は文科省として認識しているのは確認できました。

 問題は「被害」。熊本で昨年度1名、東京で今年度4名の失職者が出ていることは、各教育委員会より報告を受けて承知しているとのことでした。失職という事態になることは、答弁者も公務員なので重大性は理解していると言ってました。防止策、救済策はできることがあるか検討しているとのことを言ってました。(僕は今後の制度設計はともかく、東京の失職者の「救済」が今は一番重要だと思っています。本人だけではなく、都教委や国にも責任があるのは明白だと思っているので。)

 「3月31日に遡って失職」は法的に有効かという質問には、最初は有効と言ってましたが、「3.31には免許が有効なはずで、4月にならなければ失職しないはずではないか。3.31日付で失職と言う辞令は法的には無効なのではないか」と再質問したところ、「検討させてほしい」とのこと。さらに「3.31に遡ることができるなら、1.31に遡って更新申請を受理することも可能なのではないか」との追加質問にも「検討させて欲しい」とのことでした

 その後、各県からの参加者から、更新制そのものの意義についてなど質問が相次ぎ、ある程度「更新制が教師の資質向上に役立っていない現状」を伝える機会になったのではないかと思っています。時間のない中で「更新制そのものの持つ非教育的問題」はあまり触れることはできませんでしたが、少なくとも「失職を防げなかった制度上の欠陥」があるという問題意識は伝えられたと思います。

 なお今回は敢えて触れませんでしたが、私立学校や管理職教員などに「全員調査」を文科省が行ったら、大変な実態がもっと明らかになると思っています。ただ教育現場を混乱させるのは本意ではないので、やれとは言いませんが。ただ公立学校の教員のみ細かく調査され失職につながったのは納得できない感じを持っています。以上、簡単な報告。

 教員免許更新制の関する事前質問は以下の通り。

(1)被害実態と救済について
①教員免許更新制の実施以後、熊本県や東京都で「失職者」が出るなどの事態が生じていることを把握しているか?特に、東京都では実施2年目が終わった今年度途中で正規教員だけで4人(講師等を含めると7人)もの「失職者」が出ていることをどう考えるか?
②更新講習は終了しているものの更新手続きをしていないというだけで免許が失効し、失職につながるという現行制度は、あまりにも不利益が大きいと思うが、救済措置を考えるべきではないか?
③救済措置がない現状は、制度の欠陥というべき状態ではないか。再発防止策および今後の制度改正の方向性を示してほしい。
④年度途中で失職者が出た場合、東京都では「3月31日に遡って失職」という措置を取っているが、法的に問題はないか。その場合、本来は免許が失効していた教員が教えていた期間の学習活動はそのまま認められるのか?

(2)「10年研修」との関連性について
①2002年の教育公務員特例法改正により、いわゆる「10年研修」が制度化された。更新制導入後も「10年研修」は残されたため、若手教員には二重の負担になっている。これは現場の多忙化をもたらす要因の一つだと考えないか?
②今後も更新制が続行されるなら、「10年研修」を廃止または凍結する考えはないか?

(3)これからの免許制度の見直しについて
①教員免許制度の全面的再検討は、中教審の「教員の資質能力向上特別部会」のまとめも発表されたが、文科省として今後どのようにすすめる見通しを持っているか?
②教員免許制度の今後の在り方については、大学における教員養成のみならず学校現場にも大きく影響するものと思うが、教員の声を聞き生かしていく考えはあるか?
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東京で、またまた「失職者」2人!

2012年07月23日 21時08分58秒 |  〃 (教員免許更新制)
 7月23日付で、東京でまたも、更新制による失職者が。夏休みの初日に。

 (1) 公立小学校教員(区部) 教諭 36歳 男
 (2) 公立中学校教員(区部) 教諭 55歳 男 の二人である。

 いずれも、更新講習は修了していながら更新手続きを行っていなかったというケースである。
 これで全教員調査を終えたと都教委のサイトには出ている。
 なお、賛育休代替教師、非常勤講師、管理職、私立学校教員の調査を行ったという趣旨ではないので、今後講師で失職する人が出る可能性はある。管理職と私立はやる気がないと思うけど、やり始めると特に私立は大変なことになるのではないかと思う。

 また今度も「3月31日に遡っての失職」であるが、毎回書くように、3月31日には免許が有効なので失職通知は出せないはずだ。相変わらず、この制度そのものへの批判はどこにもない。

 朝日新聞に、本当に不運なケースで「酒気帯び」運転をしたとされ「懲戒免職」になった教員の話が出ていた。「酒気帯び」は「飲酒運転」ではないので、人身事故、物損事故がないときの「一発解雇」は過酷に過ぎると思う。現に何件も裁判で免職取り消しの判決が出ている。しかし、そういうケースは「処分」なので、処分が重すぎると言うことなら、人事委員会に提訴したり、処分取り消しの行政訴訟を起こせる。

 朝日の記事には「日本で一番不運な教師」と表現されているが、そういう意味では「日本で一番不運な教師」は、更新講習を済ませていながら、手続きをしてないということで今ごろ失職させられる教員ではないだろうか。なぜなら、処分ではなく、法的効力が及んだだけなので、処分取り消し訴訟がしにくいと言うことがあるからだ。もちろん、今ごろまで調査をしなかった都教委の不手際を裁判で問うことはできる。また、更新制そのもの、あるいは手続きなしで失職する仕組みを、そもそも憲法違反であると訴えることはできる。しかし、それもこれも都教委が勝手にしていると言うよりも、国権の最高機関である国会で立法された仕組みなので、国会の裁量権の範囲内とされてしまう可能性が、今の裁判所ではかなり強いと思う。

 しかし、マジメに働いていて、更新講習も終えているのに、失職する仕組みそのものがおかしくないとすれば、一体何がおかしいのか。本当は弁護士会が一丸となって違憲訴訟をおこすような問題だと思う。
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何のために?-東京で、また「失職者」問題③

2012年07月13日 23時09分46秒 |  〃 (教員免許更新制)
 大津市の「いじめ」問題をテレビや新聞で見て、学校や教育委員会の対応に納得できない人が多いだろう。この問題はいずれまとめて書きたいと思うけれど、「教育委員会制度はいらない」という「維新の会」政策に賛同したくなる人も多いんではないかと思う。

 ところで、学校の教員の一番大切な仕事は何だろうか?「児童・生徒のいのちを守ること」だろうか?「授業を工夫して、学力を向上させること」だろうか?「子どものいのちを守ることが第一なのは当たり前ではないか」と思われるかもしれないが、実はどちらも違う。少なくとも、東京の初任者研修においては。教員にとってもっとも大切なことは、「公務員として上司に従って仕事をすること」なのだと教えているという話である。大阪では条例まで作っている。

 だから、「いじめ防止に努めていない」「いじめ解明に熱心でない」と学校の教員に不信を持つのは、本来はおかしいわけである。教育委員会や学校長の姿勢こそが問われなければならない。

 教員免許更新制について考えていて思うことは、教師は何を考えて仕事をすべきなのかということだ。「手続きミスだけで失職する」んだから、一番大事なことは、「教育行政が求める手続きなどをきちんと期限までに行うこと」である。間違っても「生徒第一」とか思い込んではいけない。たったそれだけのことで失職するんだから、10年に一度の更新制だけではなく、他の問題でも手続きを厳守するということが大事だと思わせる「波及効果」が期待できる。自己申告書は期限厳守で提出しておかないとまずいし、君が代では起立して斉唱しないなんて考えてもいけない。更新制の一つの「効用」(教育行政側にとって)は、そこ(行政の定めにきちんと従わないと大変なことになると見せしめにする)にあるのは明白であると思う。

 しかし、それでけでもないだろう。簡単に言えば「教師への嫌がらせ」が目的なんだろうと前から思っているけど、それでも年度途中でこれだけ失職する人が出るとは思わなかった。これはすべて、講習を終了した後に「更新手続き」があるという二度手間に問題がある。そこだけでもなんとかならないかと思う人は多いだろう。でも、たぶんダメ。なぜなら、「教員免許は、自動車免許と同じ」にするのが目的なのだから。自動車免許を持っている教員が、更新するときは当然休暇を取っていく。(か、土日を利用する。)「私的資格」なんだから当然である。同じように、教員免許というのも「私的資格」なんだということになったので、自分で更新手続きをしないといけないわけである

 だけど、現に公立学校で問題なく教えていた先生が、年度途中で失職する。これは「私的な問題」なのか。では、公立学校の教育行為は、「私的な資格」を持つ教師が行っている私的なサービスなのか。いや、その通り。「公教育」は解体して、教員は公務員ではなくし、私的な資格を持つ専門員が私的な経済行為として生徒を指導する。塾や予備校と同じ仕組みにして、世界との競争に勝ち抜けるリーダー育成に特化する。つまり、そういう方向性を持った「教育改革」を目指していくためには、「教員免許」というものの公的性格をはく奪しておくことが何よりも重要なことだったのだろう

 僕の見立てでは、だから「教員免許更新制」は新自由主義的な公教育破壊政策に整合的な制度なのではないかと思う。それに対して、「教育は次代の民主国家の担い手を育てる、社会にとって重大な仕事」だという教育の原点を皆で確認することがまず必要なのではないか。学力やスポーツも大切だが、「いじめ」に象徴される「人権を尊重しない社会」の中で苦しむ生徒を支援することこそが、教師にとってもっとも大切なはずである。教師はそういう重大な仕事をしているという誇りを持って仕事している。そういう人が今でも多いはずである。「上司に従うことが教師の仕事」だなんて、そんな腑抜けたことを本気で思ってるバカものはさすがにごく少数であると思う。そういう大多数の教師を支援するためにも、免許そのものが失効するなどという、社会の「教員いじめ」もなんとかして欲しいと思う。
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東京で、また「失職者」問題②-これは違憲ではないのか

2012年07月12日 20時56分20秒 |  〃 (教員免許更新制)
 教員免許更新制そのものはちょっとおき、東京で起きている年度途中の失職問題。ケアレスミスで失職するような制度設計になっているんだから、当初からこういうことが起こることは「想定内」だったはずである。つまり、作った側にとっては。なんでそういう制度につくってあるのだろうか。そのことは、次回詳しく考えたいと思う。ところで、しかし制度を作った時には、このように年度途中でパラパラと失職することは、さすがに想定してはいなかったと僕は思っている。1月末までに各人各校で確認するだろうし、都道府県教委で年度内に確認するだろうから、「4月から失職はありうる」ということを想定したのだろうと思う。それだって大問題だけど、とりあえず新年度の学校は、免許更新が確認された教員(と更新時期に当たっていない教員)でスタートできる。

 それが年度途中で失職すると言うのは、①で書いたように「都教委の責任」である。責任というより、「怠慢」で「職務懈怠」である。「懈怠」は「けたい」と普通は読むが、「かいたい」と読んで、法律用語で「法律において実施すべき行為を行わずに放置すること」である。年度内に確認せずに、今回のホームページ発表を見る限り、7月3日に初めて確認している。本人が都教委に確認してしまったために。ところが「7月6日付」で失職したのではなく、「3月31日付で失職」になっている。これは前に書いたけれど、「3月31日には、まだ免許が有効なので、失職はしない」はずである。そのまま4月1日を迎えて初めて失職するはずなので、日付がおかしい。

 それは前に書いたことだけど、そこで今回さらに考えていて、気付いたことがある。以下のことは初めて書くことである。「7月3日に気づいたのに、なんでさかのぼって失職辞令を出せるのだろうか」ということなんだけど、それができるんだったら「1月31日にさかのぼって、免許更新手続きを受け付ける」ことだって、できるのではないか。更新講習は終わっているので、単に手続きを忘れたケアレスミスである。さかのぼって、更新手続きを終えたことにすればいい。なぜ、それができないのか。どうなんだろうか?

 さて、普通に働いていて、突然失職するという、この更新制。その法律のはらんでいる「凶暴性」が東京でまざまざと目の当たりになった。ところが、どの新聞にも出ていない。(かどうか、全部は調べていないけれど。)東京新聞では、教員処分と教員採用試験の問題ミスは小さな記事になっているが、この失職問題は記事になっていない。マスコミ記者の人権意識が問われるのではないか。いくら法律で決まっているからと言って、自分の身に置き換えてみれば「こんなことが起こっていいのか?」と強く思わないか。それは教育学界や教員組合などにも強く言いたいことである。ことのきっかけは、単なる事務手続きミスなんだから、それで事実上「懲戒免職」になるようなことか

 たまたま今回のケースが起こる前日に、都教委は教職員4名の処分を発表している。ちょっと紹介してみる。(紹介文の中身は文章を省略した。)
小学校主任教諭(39歳、男)
 都内の歩道において通行していた女性に対して、後方から右足で背中付近を蹴って転倒させるなどの暴行を加え、現金約千円等の入った肩掛けかばんを奪うとともに、同女性に頭部外傷等による加療約3日間の傷害を負わせた。

小学校教員(27歳、女)
 勤務校から自宅までの間において、特別支援学級児童12名分の児童名簿、特別支援学級児童4名分の個別の教育支援計画等の個人情報を保存した自己所有のUSBメモリを紛失し、個人情報を紛失した。また、個人情報の紛失について速やかに管理職に報告することを怠った。

中学校教員(52歳、男)
 勤務校バレーボール部の男子生徒が練習を無断で欠席したことについて指導した際、生徒に対して、殺すなどの不適切な発言を行う、手のひらで頬を押すようにたたく、左足の裏で右すね及び腹部をそれぞれ押すように1回蹴るなどの体罰を行い、鼻から出血させた。また、体罰について、速やかに管理職に報告することを怠った。

小学校事務主事(60歳、男)
 勤務校の事務室において、合計60日間、勤務時間中を含め約83時間30分にわたり、アダルト・サイトを含む業務に関係のないウェブ・サイトを閲覧した。

「失職教員」(中学校主任教諭、35歳、男)のことは前回引用したが、更新講習は修了していたが、期限までに更新手続きをすることを忘れていたことが、今月になって自分で心配になり都教委に問い合わせたわけである。

 さて、それぞれの教職員の「処分」は、どの程度だと思うだろうか。
①懲戒免職
②減給10分の1 1月
③減給10分の1 1月
④戒告
⑤失職

 更新手続きを(多分多忙で)していなかったということは、強盗するのと同じなのか。アダルトサイトを見ていて戒告なら、そこまでも行かない単なるケアレスミスだと僕は思うが。

 これが「憲法違反」でないならば、なにが「法の下の平等」なんだろうか。法律家の見解も聞きたいところである。
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