尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

更新制廃止と安倍「教育再生」ー萩生田前文科相の証言

2022年08月05日 22時52分04秒 |  〃 (教員免許更新制)
 2012年12月に第2次安倍晋三政権が誕生したわけだが、以後の第3次、第4次政権を通じて、文部科学大臣はほぼ「清和会」系、つまり今の安倍派(旧町村派、細田派)が就任してきた。2006年の第1次政権では伊吹文明(後に衆院議長、伊吹派)だったが、2012年12月以後は下村博文が2015年まで3年近く務めた。続いて馳浩(現石川県知事)、松野博一(現官房長官)、林芳正(現外相)、柴山昌彦がそれぞれ1年間ぐらいを務めた。2019年に就任した萩生田光一(現経産相)は菅内閣でも再任され2年間務めている。岸田内閣では末松信介が就任した。このうち、今の安倍派以外で文科相になったのは、林芳正現外相だけである。

 林芳正は2021年に衆議院に転じたが、文科相就任当時は山口県選出の参議院議員だった。衆院鞍替えを目論んでいた林は、同郷の安倍と対立するわけにはいかない。このように第2次以後の安倍政権では、文部科学省は安倍首相の「直轄地」「天領」という扱いに近かった。しかも、下村、松野、萩生田と派内でも有力な議員が就いている。それは何故かというと、僕は「強権的教育行政」、政権側から言えば「教育再生」が重要な政策テーマだったからだと思ってきた。しかし、最近判明した事実によれば、「宗教行政を管轄する文科省を押さえておく必要」という動機も重要だったのかも知れない。

 それはともかく、現時点で改めて安倍政権における教育政策を総括することは非常に大切だと思う。朝日新聞(8月1日)には「安倍元首相の「教育再生」改革 功罪を聞く」と題して、児美川孝一郎法政大学教授萩生田光一前文科相の2人のインタビューを大きく掲載している。中でも萩生田氏の発言には非常に興味深い証言が含まれていたので、紹介しておきたい。
(教員免許更新制を語る萩生田文科相)
 もちろん「功績は非常に大きかった」とし「特に第1次政権のときの教育基本法改正。道徳心、自立心、公共の精神など新しい時代の基本理念を定め、その後の改革につながりました」と絶賛している。その後、「道徳の教科化」「教科書検定基準改正」「高等教育の修学支援」などを高く評価。記者(桑原紀彦)から「一方、大学入学共通テストでの英語民間試験の活用や記述式導入教員免許更新制については文科省として見直しを決めました」と問われた。その答えが以下のもの。

 「安倍さんは「全て任せる」と言ってくれました」とまず語り、民間試験活用を「おかしい」、記述式を「物理的に不可能」と断言する。「教員免許更新制は」とさらに問われると、「第1次政権のときに導入を決めた政策なので周りはすごく安倍さんの意向を気にしていましたが、私が廃止の話をしたとき安倍さんは「任せる」と。多忙を極めている先生が更新講習を受けられるのは、長期の休みぐらい。人気の講習は既に埋まり、極端なことを言えば体育の先生が家庭科の講義を受けて免許維持に必要なコマに間に合わせるようなこともありえたわけです。」と語っている。

 ここで判ることは何だろうか。「安倍さんの意向」をやはり気にしていたのである。だから「廃止の話をした」わけである。まあ法律改廃に関して、所管大臣が総理大臣に報告するのは当然ではある。だけど「安倍さんの意向を気にする」「周り」があって、「任せる」の言質を取って廃止へ踏み出したのである。英語民間試験や記述式導入、免許の更新制などは、「現場」的な感覚からすれば、もともとあり得ない政策である。それを言えば「道徳教科化」「教科書検定基準改正」なども同じである。それがまかり通った安倍政権を見てきたから、皆が「安倍さんの意向」を気にしたのだろう。
(「統一教会」名称変更の責任を認めた下村氏)
 では何故安倍氏は「任せる」と言ったのだろうか。更新制廃止が視野に入ってきた2021年夏はすでに菅政権である。タテマエ上、前首相と言えど、現職の大臣に指示するわけにはいかない。しかし、そういうことでもないはずだ。一つは「萩生田氏だから」ということである。加計問題の内情を知り尽くした「忠臣」「寵臣」である萩生田氏を大臣に任命した意図は何か。安倍長期政権の教育政策を見れば、「下村文科相」が3年も務めて「国家主義的教育」のレールを敷いた。その中で行き過ぎた点、もう意味を失った政策を点検することが「萩生田文科相」の役割だったのだろう。そつなくこなして、経産相に横すべりした萩生田氏、菅政権で政調会長に就任した下村氏、ともに「安倍派」の次代を担う存在だった。(下村氏は今回事実上「失脚」するだろうが。)
(「個から公へ」と教育基本法改正を報じる新聞)
 もう一つ考えられるのは、安倍氏にとって「教員免許更新制」は特にこだわりがある政策ではなかったと思われることだ。これはもともと「問題教員の排除」を保守派が言い出したことから始まった。あからさまに言えないから「指導力不足教員」といい変え、全教員の「指導力」向上を目指す「教員免許更新制」となった。萩生田氏が述べる問題点などは当初から判ってきたことであり、何を今さら感が強い。教育において、これほど「政権の目論み」が実現した以上、教員不足までもたらした免許の更新など、もうどうでも良いのではないか。それにしても、誰か保守派議員が廃止反対を言い出しそうなもんだと思っていたが、すでに御大が「任せる」とお墨付きを与えていたのか。亡くなったからこその証言だと思う。
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「休眠免許」は復活ー謝罪なき教員免許更新制廃止

2022年05月16日 23時09分23秒 |  〃 (教員免許更新制)
 今まで何度も書いてきた「教員免許更新制」がついに廃止された。「教員不足」をもたらし、少なからぬ教師の人生を狂わせてきた愚かな政策は果たして総括されたのだろうか。僕はその制度の発足当時から10年以上にわたって何度も問題点を指摘してきた。やっと廃止されたということで、だから言ったじゃないかと思う。本当はせめて「謝罪」の言葉を聞きたかった気持ちはある。

 まあ放っておけば廃止されそうだったのに、ことさら長引かせそうな運動をする気もなかったけど。大日本帝国が連合国に降伏したときに、中国は「惨勝」と表現した。「惨敗」という言葉はあっても、「惨勝」という言葉はない。しかし、そう言いたくなる気持ちは理解可能だ。今回の「教員免許更新制度の廃止」も似たような感じかもしれない。せめて2回更新をせざるを得なかった人が出る前に廃止できなかったものか。

 「教育公務員特例法及び教育職員免許法の一部を改正する法律案」は衆議院を4月12日に通過し、参議院本会議で5月11日に可決された。この法律改正案をいくら眺めても、内容が全く読み取れない。普通の人が読んでも判らないと思うが、一応参考のためにリンクを貼っておく。参議院にあるPDFファイルを示すと、「教育公務員特例法及び教育職員免許法の一部を改正する法律案」になる。

 衆議院では立憲民主党及び日本共産党が別個に修正案を出したが、否決された。その結果を受け、内閣提出の原案に対して、自由民主党、立憲民主党・無所属、 日本維新の会、 公明党、 国民民主党・無所属クラブ、 有志の会が賛成し、日本共産党、れいわ新選組が反対した。2会派の反対、及び立憲民主党の修正案は、更新制が必要だというものではなく、新たに作ることになった研修制度は不要であるというものである。なお、参議院文教科学委員会では採決に際して「附帯決議」が付けられた。

 さて、この法改正によって、今までに教員免許を取得した人はどうなるのだろうか。文科省のサイトには、「改正法の趣旨や目的、留意事項等については、おって通知」とあり、現職教員に関しては教員委員会を通して通知されることと思う。しかし、現職じゃない人もいるわけだし、早めに参考ということで、「改正教育職員免許法施行後の教員免許状の取扱いについて(周知)」という資料が掲載されている。その中の「令和4年7月1日以降の教員免許状の扱いについて」を画像として掲載する。
(令和4年7月1日以降の教員免許状の扱いについて)
 これを見ると、2022年7月1日時点で有効な教員免許は「手続なく、有効期限のない免許状となる」。これは「休眠状態のものを含む」と明記されている。「休眠」とは、現職ではなく退職した教員や「ペーパーティーチャー」の場合である。教員免許更新制上の期限以前に退職して、まだ更新期限が来ていない場合である。一方、すでに更新期限を越えた免許に関しては、「失効」はそのままだが、更新講習はないわけだから、都道府県教育委員会に再授与申請手続を行うことで、無期限の免許状が授与される。

 この「再授与」の規定は面倒なので、もうすべて有効にすれば良いと思うが、まあ一度は「更新制」を実施した行政側の思考法なのだろう。ところで、ここで面白いことは、自分の場合である。更新制は2011年4月1日から発効したが、僕はその有効期限が終わる当日に退職したのである。補足説明で、「有効期限の日に退職した教員については、定年退職者は「現職教師」、自己都合退職、勧奨退職者は「非現職教師」の扱いになります」とある。従って、僕の免許は上記画像の「非現職教員の休眠」に該当し、よって「休眠」のものは手続なく無期限の免許となるはずだ。

 まあ、それはともかく、あまりに詳しく書いても教員じゃない人には細かすぎると思うので、国会審議の重要ポイントだけ示しておきたい。まず、衆議院では、4月1日に文部科学委員会に3人の参考人を招いて意見を聞いている。「4月1日の委員会議事録」をリンクしておく。参考人は加治佐哲也(兵庫教育大学長)、瀧本司(日本教職員組合中央執行委員長)、佐久間亜紀(慶應義塾大学教職課程センター教授)の3人。特に佐久間氏の指摘には納得出来る点が多い。関心のある人は一度見ておく価値がある。

 ちょっと紹介すれば、免許更新制は諸外国ではアメリカの一部の州でしか行われていないという。アメリカでは教師は授業するだけのために雇われているので、授業と別に研修を命じるためには「残業代」が発生する。しかし、富裕層の多い地区では予算が可能だが、貧困地区の学校では残業代の確保が難しい。そこで教師の研修を確保するために「免許の更新」という手段を取っているという話である。そもそも地区によって教育予算が違うこと自体が想像を超えている。やはり日本でやる意味など全くなかった。その後、4月6日に各党議員による審議が行われた。「4月6日の議事録」はここ。現時点では参議院の議事録は未掲載。

 参議院文教科学委員会の附帯決議は以下のようなもの。「教育公務員特例法及び教育職員免許法の一部を改正する法律案に対する附帯決議」全部を載せると、長くなりすぎるので全文を知りたい人はリンク先を参照。(太字は引用者)

政府及び関係者は、本法の施行に当たり、次の事項について特段の配慮をすべきである
一、「新たな教師の学びの姿」は、時代の変化が大きくなる中にあって、教員が、探究心を持ちつつ自律的に学ぶこと、主体的に学びをマネジメントしていくことが前提であることを踏まえ、資質の向上のために行われる任命権者による教員の研修等に関する記録の作成並びに指導助言者が校長及び教員に対して行う「資質の向上に関する指導助言等」は、研修に関わる教員の主体的な姿勢の尊重と、教員の学びの内容の多様性が重視・確保されるものとすることを周知・徹底すること。とりわけ、校長及び教員に対して行う「資質の向上に関する指導助言等」については、教員の意欲・主体性と調和したものとすることが前提であることから、指導助言者は、十分に当該教員等の意向をくみ取って実施すること。
二、オンデマンド型の研修を含めた職務としての研修は、正規の勤務時間内に実施され、教員自身の費用負担がないことが前提であることについて、文部科学省は周知・徹底すること。
三、(略)
四、文部科学省及び各教育委員会は、本法の施行によって、教員の多忙化をもたらすことがないよう十分留意するとともに、教員が研修に参加しやすくなるよう時間を確保するため、学校の働き方改革の推進に向けて実効性ある施策を講ずること。(略)
五、六、七、(略)
八、「教師不足」を解消するためにも、改正前の教育職員免許法の規定により教員免許状を失効している者が免許状授与権者に申し出て再度免許状が授与されることについて、広報等で十分に周知を図るとともに、都道府県教育委員会に対して事務手続の簡素化を図るよう周知すること。また、休眠状態の教員免許状を有する者の取扱いについて、周知・徹底すること
右決議する
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失効免許の有効化が大事ー更新制「廃止」後の制度設計

2021年08月29日 20時40分41秒 |  〃 (教員免許更新制)
 1980年にあった袴田事件の最高裁判決を僕は傍聴していた。すでにその時には冤罪だという声があり、支援運動も行われていたのだが、マスコミには単に死刑が確定したと小さな報道があっただけだった。その頃はハンセン病に関するマスコミ報道もほぼない時代だった。なんでこんなことを書くかと言えば、僕は「教員免許更新制」の問題点を10年前から書き続けてきて、それがようやく「廃止」へ向けて動き始めた。だから良かったとは全く思わず、なんでもっと早く届かなかったのかいう思いが先に立つのである。

 まあ「アフガニスタンからの米軍撤退」のようなもんだと思っている。米軍が撤退すればタリバンが伸張するのは予想できる。だからタリバンがいずれ首都を制圧するのは想定内だろうが、こうも早く8月半ばに前政権が崩壊するのは予定外だったと思う。同じように「教員免許更新制」が教師のなり手不足をもたらし、免許取得を目指す大学生が減ることを予想しなかったはずがない。しかし、予想以上の少子化を受けて教育界の諸課題が噴出し、もはや「免許更新」などという愚策を維持する余裕もないんだろうと思う。

 さて、教員免許更新制の「発展的解消」とはどういうものになるのだろうか。「教育職にとってあるべき研修制度の設計」という意味では、もう僕が考える意味もないかと思う。それ以前に「なぜ更新制度がダメだったのか」を真剣に総括することが大切だと思う。朝日新聞の記事(8月24日付)にはある教員の声として「少し残念」という意見も紹介されている。講習の中には研究者の「学問への熱」にひかれるものもあったという。こういう意見を聞くことが時々あるが、正直言って困ったもんだと思う。

 どんな素晴らしい講習であっても、それを受講しないと「失職」してしまうという仕組みがあったから受講したはずである。つまり講習の成果とは「脅し」によって得られたものだ。そういう「体罰容認」的政策が許されるのか。顧問の「体罰」が怖くて続けているうちに「面白さ」に目覚めたりするだろうか。あったとしてもごくわずかで、ほとんどはトラウマになるだろう。そもそも方法論として間違っているのである。

 教師は大人だから自分の生活を守る必要もあるし、教師としてどうしても身に付けておくべき知識やスキルもある。教員全員にとって必須の部分は、全員対象の強制的な研修も必要だろう。しかし「アクティブラーニング」を担うべき教師は、自分でも「自ら学ぶ」仕組みで力を付ける必要がある。そのことは前にも書いたので、ここでは繰り返さない。「より良い教員研修をデザインする①ー「ポイント制」」、「「常識研修」のススメーより良い教員研修をデザインする②」を参照。「更新制」だけでなく「10年研修」のように、ある年に集中する仕組みは変えないといけない。学級担任や校務分掌を決めるときに、講習や研修が影響するのは本末転倒だ。

 最大の問題は、すでに失効してしまった免許の扱いをどうするかだろう。多くの教員が自費で講習を受けてきたわけだから、この間に失効してしまった免許を復活させるのは「不平等」だという意見が一部で見られる。しかし、それはおかしいと思う。「更新制度」そのものがあってはならない制度だったのだから、この間に失効扱いになった教員免許も一括して有効とみなす方が自然だ。(もちろん免許法に規定された取り消し事由、刑事裁判で禁錮以上の刑が確定した場合などがある場合は別である。)

 それに「不平等」と言えば、この問題で最大の不平等はある年齢以上の教員が、この制度の対象外になってきたことだろう。実を言えば、僕より1歳以上年長の教員がそうなんだけど、その年代の人は何の講習を受ける必要もなく、そのまま教員免許が永遠に有効なのである。それ以下の教員は、55歳で教員免許を10年更新したとしても、65歳で切れてしまう。現時点では65歳が公務員としての再雇用の上限だが、非常勤講師として勤めることは可能である。でも65歳で再び更新講習を受ける人はごく少数だろう。何歳まで勤務出来るか判らないのに、わざわざ免許を更新する人がどれだけいるだろうか。ということで、もっと年長の教員が「永久免許」で講師をしているのに、それが出来ない年代の教員がいるのである。

 それに今は教員採用試験の受験可能年齢が高くなっている。10年以上前に教員免許を取って以後、民間で働く、外国へ行く、育児をしていたなどで「ペーパー・ティーチャー」になっている人はものすごく沢山いるはずだ。ある程度の経験をしてから教師になりたいという人もいる。(音楽や体育などでプロを目指していたが、30代半ばになって教師に目標を変えた。親の介護のため故郷に帰ることにしたが、民間企業が少ないので昔取った教員免許を生かしたいと思ったなど。)そういう人には、どんどん受けてもらえばいいじゃないかと思う。めでた合格してく正式に採用されたら初任者研修が必須なんだから、ゴチャゴチャ言う必要はない。

 非常勤講師産育休代替教員なんかの場合も同様である。今までそういう教員向けの研修制度なんて、どこでもやってないだろう。持っている教員免許を全部有効に戻さない限り、急に病休教員が出た場合の代わりが見つからない。現場では誰でも判っていることだろう。自分は講習を「免除」されている校長や副校長(教頭)が、結局は講師が見つからなくて一番苦労するんだから、きちんと現場から声を挙げる責任がある。他にも「うっかり失効」した教員の被害救済も大切。本来なら様々な違いを超えて共闘出来たはずだと思うが、教員組合も力にならなかった。言いたいことはキリが無いので、この辺で。
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教員免許更新制、「発展的解消」という名の「廃止」へ

2021年08月27日 22時54分33秒 |  〃 (教員免許更新制)
 中教審教員免許更新制小委員会が8月23日に開催され、「教員免許更新制」の「発展的解消」という方向性が確認された。萩生田文科相は当日に記者会見を行い、そのことを発表し各マスコミが挙って報道した。7月に一部マスコミで「教員免許更新制廃止へ」という記事が報道されたが、その時は中教審で審議が続いていたので、僕はそこまで断言できるのかと思わないでもなかった。今回は文科省のサイト掲載の中教審資料に明記されているから間違いはないだろう。文科省の目論見としては「2022年通常国会に法案を出し、2023年度から廃止」というスケジュールが固まっていると考えてよいと思う。むろん法律を制定するのは国会であり、衆参両院を確実に通過するまでは正式決定とは言えないけれど。
(萩生田文科相の記者会見)
 今回はっきりしたのは萩生田文科相の強いイニシアチブだと考える。今まで萩生田氏が「スピード感を持って」と言うのを聞いても、行政の常套句と思っていた。教員免許更新制小委員会は今まで月1回開かれていて、8月はすでに4日に開かれた。常識的に考えると、夏休み期間が入ることでもあるし、次は9月上旬の開催かなと思っていた。だから文科省のサイトは時々チェックしていたのだが、しばらく見てなかった。「8月中にも廃止を判断」と言われていたが、それも9月以後になるのかと判断していた。まさか3週間後にまた小委員会を開くとは予想していなかったのである。このような「スピード感」には萩生田文科相の強い意向があると思われる。

 それは萩生田文科相の退任が近づいているということだと思う。萩生田氏が文科相として自ら「発展的解消」を決断して申し送りをするためには、8月中に判断しないといけない。もちろん菅義偉氏が自民党総裁に再任され、総選挙で自民・公明が過半数を獲得し、第2次菅内閣で萩生田氏が文科相に再任されるという可能性もゼロではない。しかし、2019年9月11日に就任以来ほぼ2年間文科相を務めている萩生田氏は、常識的に考えれば次は交代だろう。現時点では衆院選は自民党総裁選後という予測だが、夏前にはパラリンピック終了後に臨時国会を開いて解散という可能性の方が強かった。その時には9月上旬にまず内閣改造があるだろう。

 萩生田氏は選挙に強いから、今度は交代の可能性が高い。萩生田氏は八王子市の出身で、東京24区(八王子市のほとんど)から5回当選している。2009年は民主党の阿久津幸彦氏に敗れて落選したが、阿久津氏は前回から選挙区を移動し、次回は立憲民主党から東京11区に立候補予定である。現在のところ、東京24区には立憲民主党の候補予定者がいなくて、共産党、国民民主党、社民党がそれぞれ立候補を予定している。今後どうなるかは判らないが、八王子の小中学校を出て、市議、都議を経験している萩生田氏の地盤は固いと考えられる。

 選挙前に内閣改造をやるなら、選挙情勢が厳しい「入閣待望組」を登用するだろう。ということで、萩生田氏はもう文科相をしているのもあと少しと認識しているだろう。文部科学行政のエキスパートで終わりたくないだろうから、ここは一端退いて、次は党三役か重要閣僚での登用を目指すことになる。ではそういう萩生田氏がなんで「教員免許更新制」の「廃止」を早期に決断したのだろうか。それは憶測になるが、行政は止めることの方が難しい。「大学共通テスト」の「民間テスト」や「記述式」の導入を断念した萩生田文科相は痛感しているだろう。
(「教員免許更新制廃止へ」を報じるテレビ)
 河野太郎前防衛相は「地上イージス」の配備を停止したが、そのことで「実力派大臣」として認められた。萩生田氏も「実力派大臣」にしか出来ない思い切った政策転換を自らの任期中に行っておきたいと思ったのではないか。もちろん萩生田氏が自ら判断したというよりも、省内外にブレインのような存在がいると思う。それにしても、教育現場を少しでも知る人ならば、この制度はもう持たないことはよく判っていたはずだ。単に教員の負担が大きいという問題に止まらない。僕もうっかり気付かなかったが、「もともと10年期限の免許しか持っていない教員」が続々と期限を迎えている。多忙な学校現場で誰が免許の期限なのか、把握するのも大仕事である。

 この問題はもう少し考えてみたいが、その前に23日の小委員会資料の「審議まとめ(案)」を紹介しておきたい。あまりにも長くて面倒な官僚的作文なので、読むのも大変だけどその一番肝心な部分だけ。

 よって、本部会としては、「新たな教師の学びの姿」を実現するための方策を講ずることにより、教員免許更新制が制度的に担保してきたものは総じて代替できる状況が生じること、教員免許更新制は、「新たな教師の学びの姿」を実現する上で、阻害要因となると考えざるを得ないこと、教員免許更新制の課題の解決を直ちに図ることは困難であることを踏まえ、必要な教師数の確保とその資質能力の確保を将来にわたって実現するとともに、教師一人一人が、持続可能な学校教育の中で、自らの人間性や創造性を高め、教師自身のウェルビーイング(Well-being)を実現し、子供たちに対してより効果的な教育活動を行うことができるようにするためにも、「新たな教師の学びの姿」の実現に向けて、教員免許更新制を発展的に解消することを文部科学省において検討することが適当であると考える。

 判ったような判らないような文章だが、要するに「発展的解消」が適当だということである。その原案が了承されたということだろう。
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「教育再生」と教員免許更新制ー更新制廃止へ向けて②

2021年07月14日 22時25分34秒 |  〃 (教員免許更新制)
 「教員免許更新制」を文科省が廃止しようとしても、「夫婦別姓」のように自民党内の反対で頓挫することはないのだろうか。前回最後にそう書いた。「夫婦別姓」は世界中の国でそうなっているのだから、日本だけ取り入れない大きな利点がないとおかしい。しかし、日本の「保守派」は「夫婦同姓」であることに「イデオロギー的価値」を見出している。だから「イデオロギー的原理主義」の立場から、絶対反対を主張するわけである。

 「教員免許更新制」も教育政策上の費用対効果を考えて、あまり存在意義がないならば廃止すればいいだろうと常識的には思う。しかし、この更新制はどのような目的で成立したのだろうか。教育を良くしようと思って、やってみたら思ったような効果がなかったといったものなのだろうか。僕はそうではないと思う。むしろ学校に大きな損害を与えるとしても、「イデオロギー的価値」のもとに実施されたものなのではないだろうか。

 ここに一つの資料がある。先に読んだ俵義文戦後教科書運動史」に引用されていた安倍晋三前首相の講演である。日本教育再生機構の機関誌「教育再生」の2012年4月号、つまり民主党から政権を奪取し第2次安倍政権が成立した直後に掲載されたものである。ちょっと長くなるが引用する。

 教育基本法を改正したこについてですが、日本が占領時代に様々な法律や体制が作られー憲法も旧・教育基本法もそうですー、戦後、この長く続いてきた体制や精神を含めて、私は「戦後レジーム(旧体制)」とよんでいますが、この「戦後レジーム」から脱却しなければ、日本の真の独立はありえないというのが私の信念です。(中略)旧い教育基本法は立派なことも書いてますが、日本の教育基本法でありながら日本国民の法律のようには見えません。日本の「香り」が全くしないのです。まるで「地球市民」を作るような内容でした。(中略)
 しかし、新・教育基本法では、人格の完成とともに日本のアイデンティティを備えた国民を作ることを「教育の目標」を掲げています。その一丁目一番地に「道徳心を培う」と書きました。伝統と文化を尊重し、郷土愛、愛国心を培うことを書きました。関連法も改正し、教員免許更新制や、指導が不適切な教員の免職を含めた人事の厳格化も行い、頑張った先生が評価される「メリハリのある人事評価」を目ざしました。主幹教諭・指導教諭を付けて、校長・教頭だけだった管理職も増やしました。

 「教育再生」は安倍政権の教育政策のキーワードである。第一次安倍政権では「教育再生会議」が設置され、第二安倍政権で「教育再生実行会議」が設置された。その「教育再生会議」を調べてみると、最終報告(2008年1月31日、すでに福田康夫内閣になっていた)で「教員の質の向上」の中で「教員免許更新制、教員評価、指導力不足認定、分限の厳格化、メリハリある教員給与(部活動手当の引上げ、副校長、主幹教諭の処遇など)」と書かれている。教員免許更新制そのものは、2007年6月に第1次安倍内閣で教育職員免許法の改正が実現していた。上記の他の点も東京都では他府県に先駆けて実働化していたものが多い。
(第2次安倍内閣で設置された「教育再生実行会議」)
 「教育再生会議」の最終報告は、引用した講演で安倍氏が自分の業績として挙げているものばかりである。そして「教員免許更新制」は「教員評価」(校長による勤務評定)や「教員の階層化」と同列に置かれている。つまり教員の「分断」政策の一環だったということがよく判る。どうして教員を「分断」する必要があるのか。それも上記講演で判るだろう。児童・生徒に「愛国心」を培い、「世界市民」ではない「日本のアイデンティティを備えた国民を作る」ためには、「人事の厳格化」が必要なのである。そして第二次安倍政権で作られた「教育再生実行会議」では「道徳の教科化」が行われた。

 先の講演が掲載された「教育再生」という雑誌は、日本教育再生機構が出していた。これは「新しい歴史教科書をつくる会」が各地の教科書採択で苦戦する中で、「右派的色彩が強すぎるから」として内部対立が起こり、2006年に分裂して出来た組織である。安倍氏のブレーンとして知られる八木秀次氏らが作って、育鵬社(産経新聞の子会社扶桑社の、教科書発行のために作った子会社)から教科書を発行している。自民党が野党だった時代にも安倍氏を支え、2012年2月には大阪で安倍氏、八木氏と当時大阪府知事の松井一郎氏がシンポジウムを行った。その時のシンポでは「地域の再生は教育再生から」と大きく書かれている。
(2012年2月の大阪集会)
 「再生」という言葉は、今はダメだけど昔は良かったというときに使う。じゃあ、いつなら良かったと言うのだろう。戦後教育はすべて「戦後レジーム」の産物だから全否定するとなると、どうしても「戦前教育の復活」になる。戦前の国家主義的教育の時代が良かったというのだろう。歴史では天皇ばかり教え、「修身」(道徳を教える)があり、「教育勅語」を有り難く戴いていた時代である。だから、「教育勅語には良いところもある」とか言い出すのである。これが「教育再生」の本質だと思う。(ちなみに「レジーム」は「体制」であって、「旧体制」ではない。旧体制をフランス語で言いたいなら「アンシャン・レジーム」と言うべきだ。)

 「教員免許更新制」はこのようにイデオロギー的な背景がある政策である。だから文科省が「廃止」を目指しても、自民党内の了承が得られない可能性も考えておかなければならない。そのためには「教員の資質向上」という、それ自体は教員自身も含めて誰も異論がない問題で、真に意味がある制度を周到に設計する必要がある。と同時に「真の教育再生」に向けた戦略も練っていかなければならない。
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教員免許更新制、「廃止」報道をどう考えるかー更新制廃止へ向けて①

2021年07月13日 22時14分38秒 |  〃 (教員免許更新制)
 日曜日の毎日新聞(7月11日付)が1面左肩トップで「教員免許更新制廃止へ 文科省来夏にも法改正」と報じた。前日の夜にWEB版に掲載されて、それを受けて教員免許更新制の廃止が決まったかのように論じる人もいた。毎日のサイトには「スクープ」と出ているが、この報道をどう受け取ればいいのだろうか。その日は新聞休刊日に当たっていて、12日朝刊は発行されない。そこで13日付で他紙が報じるかどうか注目したが、朝日新聞は第3社会面で「文科省が廃止検討 教員免許の更新制」と報じた。「廃止へ」と「廃止検討」では微妙に内容が違う。僕の見たところ読売や東京には報道がなかったが、推測を交えて僕の考えを書いておきたい。
(教員免許更新制アンケートの自由意見)
 毎日新聞の記事(大久保昂記者)では「文部科学省は(中略)「教員免許更新制」を廃止する方針を固めた。政府関係者への取材で判明した。今夏にも廃止案を中央教育審議会に示し、来年の通常国会で廃止に必要な法改正を目指す。」と書かれている。その後で教員免許更新制の問題点が書かれているが、このブログで今までに何度も書いてきたので省略する。この記事でちょっと不思議なのは、廃止案を中教審に示すという点である。

 ここで既に書いたように(2021.3.16 中教審、「教員免許更新制」を抜本的見直し)、文科省は中教審に「教員免許更新制の抜本的見直し」を諮問しているところだ。その議論の説明を抜きに、夏に廃止案を中教審に示すという流れが今ひとつ納得できなかった。朝日新聞の記事(伊藤和行記者)では「中教審では廃止論が大勢で、8月にも廃止の結論を出す見通し。これを受け、文科省は廃止を表明し、来年の通常国会で必要な法改正を目指す方向だ。」この記事によれば、来年に法改正を目指すという点では毎日と同じだが、現在のところ中教審では「廃止論が大勢」という段階にあることになる。
(教員免許更新制の負担感)
 中教審には、「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会が置かれ、さらにその下に教員免許更新制小委員会が設置されている。小委員会は4.28、5.20、7.5と3回開催された。また特別部会は4.22、6.28と2回開催された。それぞれオンラインで開催され、傍聴することも出来るが、システムが整ってないので傍聴していない。議事録は次回開催時まで公開されないので、最新の会議がどのように進行したかは知らない。上記の2つの画像にあるアンケート結果は、7月5日の小委員会で示された「令和3年度免許更新制高度化のための調査研究事業(現職教員アンケート)調査結果」である。

 つまり、形式的に言えば正式な廃止決定はされていない。そもそも「廃止」を誰が決定するかと言えば、中教審に諮問しているのだからタテマエではその議論を待つということになる。しかし、日本の審議会というものは行政当局と相談なしに自由闊達に議論する場ではないだろう。というか、自由に議論してもいいだろうが、他の審議会を見ても、結局は行政当局の結論を追認することが多い。

 では教育行政のトップである萩生田文科相はこの問題でどう言っているのか。小委員会後の6日の記者会見では、「講義は面白いが役には立たないというミスマッチが浮き彫りになった結果」との認識を示したという。また、萩生田氏は「制度に負担や不満を感じる教師が相当数いる状況を反映している。スピード感をもち制度改革を進める」と述べたと伊藤記者が書いた記事がネットにある。
(記者会見する萩生田文科相)
 これらを考えると、文科省としてもアンケート結果などに照らしても更新制継続は難しいと考えているのだと思われる。教員のなり手不足は深刻な課題である。もともと少子化の進行によって、教員を目指すべき大学生の数もどんどん減少していく。1960年生まれの教員は60歳で定年を迎えている。今後公務員の定年が延長されるとしても、70年前後の「第二次ベビーブーム」世代の教員が退職した後に教師不足がさらに深刻化するのは間違いない。そう考えると、大学生の教職課程受講意欲を失わせ、一端退職した教員を中途で講師などで復帰して貰えない「教員免許更新制」は愚の骨頂だ。

 だから「スピード感を持って」改善する方向で文科省の意向がまとまったのかと毎日、朝日の報道が推測させる。ただし、僕はそれが必ず実現出来るかはまだ不透明な部分が残っていると思う。中教審で廃止が答申されるというのは、つまり法制審で夫婦別姓が答申されたというのと同じである。それから20数年、答申は自民党内で棚ざらしになっている。また私立大学等「更新講習」で利益を得ている関係者が今後反対することもありうる。この廃止案は自民党文教部会で認められるのだろうか。あるいは安倍政権で長く文科相を務めた下村博文自民党政調会長は了承しているのだろうか。自民党内でストップが掛かる可能性を書いたのは何故か、それは次回に。
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教員免許更新制は廃止すべきだー「見直し」に止まらず本質論を

2021年05月31日 22時48分34秒 |  〃 (教員免許更新制)
 5月30日付朝日新聞で、教員免許更新制について全国47都道府県、20政令指定都市の教育委員会にアンケートした結果を報じている。その結果「見直しが必要である」が53教委、「現行のままでよい」が5教委、「その他」が9教委となっている。何らかの見直しが必須であるというのは、ほぼ教育界の共通認識になっていると言っていいだろう。

 「免許更新制の課題」としては、「失効で臨時任用不可」が53教委、「講習が教員の負担」が44教委、「年限確認が管理職の負担」が28教委、「講習内容が研修と重複」が11教委、「社会人の教職敬遠の一因」が9教委、「大学生の教職敬遠の一因」が6教委、「更新のタイミングで退職」が3教委となっている。誰が考えても、「失効」問題と「講習の負担」がどうしようもない制度の欠陥だと判る。また、更新しないで辞めてしまう教員も一定程度いることも判る。
(更新制の課題)
 最近よく言われるようになってきたのが、「更新制があるために、講師を見つけられない」という声だ。ワクチンの打ち手不足に対して「潜在看護師の活用」という声をよく聞く。かつて看護師として働いていたが、現在は退職している看護師が多数存在する。そのような人々に研修をして打ち手になって貰おうということだ。教員も「なり手不足」が指摘されているのに、更新制があるために臨時採用が不可能になる。もちろん退職まもなくなら問題はないが、結婚・育児を経て何年も経ってから「産休代替なら」「非常勤講師なら」と思っても、頼むことが出来ない。

 教員も「結婚退職」するのかと言われるかもしれない。教員どうしで結婚するときは、もちろん共働きが多い。しかし、相手が民間企業ということも多い。相手の外国勤務に付いていくため退職したケースを何人か知っている。戻ってきて復帰しようと思っても、今は免許が更新されてないので非常勤講師にもなれない。また定年後に65歳まで嘱託教員として勤務可能だが、かつてはその後も非常勤講師として勤務する人がいた。しかし、55歳で更新した免許は10年期限だから、今後は不可能だ。65歳で再度更新講習を受ける人は、まずいるはずがないだろう。
(各教委へのアンケート)
 また大学生が教職課程を敬遠する理由にもなっている。教員免許を取るためには、卒業に必要な科目に加えて「教職課程」を取る必要がある。もちろん、その分時間も授業料も負担が増える。つまり、専門的な科目を学んで大学卒の資格を得る。それに加えて、教育学心理学教科教育法生徒指導道徳教育相談などを幅広く学ぶのである。その上教育実習も行う。採用試験に合格する保証もないのに、10年期限の資格を取ろうという気持ちになるだろうか。教職が第一希望という人以外は避けるに決まっている。

 という具合に、愚なることこの上ない制度と言うしかない。これでは「教員いじめ」と思うと、その通りで「教員いじめ」というか、もともとは「不適格教員排除」という自民党保守派の発想だった。しかし、問題を起こす教員を事前に予測できるはずもなく、教育委員会に講習を行う余裕もなく、結局「教員が自費で大学等で受講して、自ら更新手続きを行う」という理解不能な変テコな制度になってしまった。だから「抜本的見直し」は不可欠だ。だが、僕はこの制度で「うっかり失効」が起きるとか、教員の負担が多すぎるという理由だけで反対しているわけではない。

 10年前に書いたことと同じだと思うが、改めて書いておきたい。更新制は本質的に「教員をバカにした制度」なのである。教員免許は「専門的に勉強した証」だけれど、「教えること」そのものに特殊な技術は要らない。実際に大学や塾・予備校の教師には資格が要らない。だから「特殊技術」の更新など不可能なのである。確かに一番最初に教壇に立つときは、その教科の専門知識を証明する資格がいるだろう。だが、その後は日々の仕事の中で、適格性の有無が判断出来る。その上でさらに最新知識がいるというならば、研修を義務づけすればいいだけだ。

 公立学校の教師はただの公務員に過ぎない。教員免許は医師免許や法曹資格のような、最難関の資格とは違う。給与面でも社会からの眼差しという点でも、全然比較にならない。医者や弁護士の資格が「10年期限」だというなら判るが、なんでたかが教師の資格が10年期限なのか。講習を受ければ合格し、申請を間違わなければ失職はしないから、それでいいだろうということにはならない。いつも長時間労働を強いられているのに、どこまでバカにされれば判るのか。中には「バカにされているのに、その事に気付かない」教師だっているだろう。

 そして一番重大な問題は「抑圧の委譲」である。教師が「脅迫」で教育をしてはいけない。しかし、「これでは上の学校に受からない」「そんな様子では部活の大会に出られない」「そんな態度では…」「そんな成績では…」といった言葉を一度も発したことがないと自信を持って言える教師は多分いないと思う。教師に対して「受けないと、失職する」というのは、教育行政による「脅迫」である。それによって講習を受けても、中には役立つこともあるだろうが、忙しい中イヤイヤ受けた人は、それより弱い立場にしわ寄せしがちだ。旧軍内務班の新兵いじめや部活動にありがちな先輩・後輩関係のように、弱いものがより弱いものに次々としわ寄せすることが「抑圧の委譲」である。教員免許更新制はどう見ても「脅迫」を助長するとしか思えない。
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中教審での教員免許更新制議論ー教員免許更新制考②

2021年05月29日 22時05分45秒 |  〃 (教員免許更新制)
 中央教育審議会中教審)での教員免許更新制の議論はどうなっているだろうか。「「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会」の中に設置された「教員免許更新制小委員会」は、すでに4月30日と5月24日の2回開かれている。朝日新聞5月25日付の記事では「廃止も検討」と書かれている。次回には「廃止するかどうかの方向性」を決める重大段階にある。ここでは資料の紹介を中心にして、自分の考えは次回に書きたい。
(ウェブ開催の小委員会)
 まず、前回の中教審から申し送りされた「課題」を紹介する。その後で1回目小委員会の議論を見てみる。資料紹介で長くなるので、最初に僕が読んだ感想を簡単に書いておきたい。第1回目の議論は、課題とされる問題点に応える議論になってるのか疑問だ。「教員免許更新制」と「教員研修のあり方」は本来別の問題である。教師が最新の知識を身に付ける必要があるというなら、「免許更新」でなくても済む制度を設計できるはずだ。しかし、「オンライン講習」やウェブ上でポイント制を導入するなどすれば、あまり負担感がなく免許の更新が可能なのではないかという理解出来ないアイディアも出ている。結論が出る前にパブリック・コメントなどで是非教員のナマの声を聞く機会を作るべきだ。

 中教審の資料を見てみると、そもそもの問題意識が判る。「「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について関係資料(2) 」にある「次期教員養成部会への申し送り事項」である。その中に「教員免許更新制や研修をめぐる包括的な検証について(概要)」という文書がある。その中の「教員免許更新制の課題について」を見てみたい。

2.教員免許更新制の課題について 【関係者へのヒアリングの際の意見】
教員免許更新制の制度設計について
教員免許状の更新手続のミス(いわゆる「うっかり失効」)が、教育職員としての身分に加え、公務員としての身分を喪失する結果をもたらすことについては疑問がある。教員免許更新制そのものが複雑である。
教師の負担について
教師の勤務時間が増加している中で、講習に費やす30時間の相対的な負担がかつてより高まっている。講習の受講が多い土日や長期休業期間には、学校行事に加え補習や部活動指導が行われたり、研修が開催されている場合もあり、負担感がある。申込み手続や費用、居住地から離れた大学等での受講にも負担感がある。
管理職等の負担について
教員免許更新制に関する手続や教師への講習受講の勧奨等が、学校の管理職や教育委員会事務局の多忙化を招いている。
教師の確保への影響について
免許状の未更新を理由に臨時的任用教員等の確保ができなかった事例が既に多数存在していることに加え、退職教師を活用することが困難になりかねない状況が生じている。
講習開設者側から見た課題等について
受講者からは、学校現場における実践が可能な内容を含む講習、双方向・少人数の講習が高い評価を得る傾向がある。一方で、講習開設者は、講習を担う教員の確保や採算の確保等に課題を感じている。

 ここで指摘された問題点は概ね同意出来るものだろう。では、それがどのように審議されているだろうか。5月24日開催の小委員会における「小委員会(第2回)合同会議資料」に1回目の会議の「委員からの主なご発言」という資料が入っている。今回は資料紹介を中心に。

 一番最初の意見が「更新講習をなくすということは基本的に考えにくい継続を強く希望・要望する。指導要領改訂や世の中の動向、最新の教育テクノロジー、教育メソッド等アップデートされるものを忙しい先生方が通常の業務の中で触れることは難しいので、更新講習で触れ、考え、振り返る機会は有益」とある。一体誰の発言か判らないが、先の申し送り事項から考えても理解出来ない「上から目線」発言だ。

 その後、「研修は重要であり必要であるということは誰も異論がないこと。免許更新制が必要であり重要であるということについては相当異論が出ているというのが事実。きちんと機能するのであればいい。強制ではなく自ら学ぶことが大事」という意見もある。「現在10年スパンだが最新の知識等の習得に照らせば、労力に対する効果については正直なところ疑問。教師は学び続ける必要があるが、そのことが教員免許と紐づいている必要があるのか。」

 「教員免許の有効期限が10年という言葉が独り歩きし、制度を熟知していない教師が失効したり、病気休職や育児休業等長期間休業中の教師が失効しないために管理職や教育委員会が有効期限を正確に把握・手続きさせる対応が相当な事務量で負担」という指摘も出ている。

 「教員の量の面では、教師不足は非常に深刻であり、臨時的任用教員はなかなか確保できない。教頭や副校長が担任をしているケースも珍しくない。10年で失効するなら教師以外の職を選ぼうという若手の声も聞こえる。他業種からの教師への参入についても増やしたい。教師不足はかなり深刻であり、教員免許更新制の見直し、できれば廃止も含めて検討していただきたい。」

 「更新講習の受講を最優先するために、特別支援学校教諭免許状の取得の認定講習を後回しにするというケースが多いという声も聞いている。制度が違うので代替するのは難しいかもしれないが、更新講習と認定講習をお互い代替できるようになるとスムーズになるという部分もあるのではないか。」このような特別支援学校の実情は知らなかった。

「最新の情報でいかに学んだかということが重要。個々の教師のキャリアステージに応じた10年、20年という年次研修を加えながら研修内容を教師自らが主体的に選択することができるシステムを構築していくべき。」主体的な科目履修の選択の保証は必須。自らがデザインし自らがマネジメントしたということが効果の体感と大きく連動する。オンライン化、オンデマンド化することによって、より主体的な選択の保証を拡大していくということが重要

 「千葉県では研修履歴システムが導入されておりマイページで研修履歴が確認できる。自分自身の研修の受講履歴の確認や今後の受講計画の検討上に主体的にマネジメントしていけるシステムとなっている。」「校内研修や校務分掌なども含め研修をポイント化していく仕組みもあり得るのではないか。マイページを設け、各自の研修をポイント制とすることによって免許更新が継続されたり、自らの振り返りにも役立つ仕組みはどうか。」

 他にも多くの意見が掲載されているので、詳しくは直接資料に当たって欲しい。最後に小委員会の委員と臨時委員の名前を資料として掲載しておく。
「教員免許更新制小委員会」委員 6名、主査=加治佐哲也
荒瀬克己(教職員支援機構理事長)、 加治佐哲也主査、兵庫教育大学長)、貞廣斎子(千葉大学教育学部教授)、清水 敬介(公益社団法人日本PTA 全国協議会長)、藤田裕司(東京都教育長、全国都道府県教育委員会連合会長 )、吉田晋(学校法人富士見丘学園理事長、富士見丘中学高等学校長、日本私立中学高等学校連合会長)
臨時委員 15名、主査代理=松木健一
秋田喜代美(学習院大学文学部教授)、安家周一(学校法人あけぼの学園理事長、あけぼの幼稚園長、梅花女子大学心理こども学部こども教育学科客員教授、公益財団法人全日本私立幼稚園幼児教育研究機構理事長)、安部恵美子(長崎短期大学長)、市川裕二(東京都立あきる野学園校長、全国特別支援学校長会長)、大字弘一郎(世田谷区立下北沢小学校長、全国連合小学校長会対策部長)、木村国広(長崎大学教育学部・大学院教育学研究科教授)、坂越正樹(広島文化学園大学・短期大学長)、高橋純(東京学芸大学教育学部准教授)、戸ヶ﨑勤(埼玉県戸田市教育委員会教育長)、根津朋実(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)、萩原聡(東京都立西高等学校長)、松木健一主査代理、 福井大学理事・副学長(企画戦略担当))、松田悠介(認定特定非営利活動法人Teach for Japan 創業者・理事、株式会社松田グローバル人財研究所代表取締役社長)、三田村裕(八王子市立上柚木中学校長、全日本中学校長会長)、森山賢一(玉川大学大学院教育学研究科・教育学部教授)
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今年も相次ぐ「うっかり失効」-教員免許更新制考①

2021年05月28日 22時58分50秒 |  〃 (教員免許更新制)
 3月16日付で「中教審、「教員免許更新制」を抜本的見直し」という記事を書いた。その後中教審には「教員免許更新制小委員会」が置かれ、すでに2回の審議が進んでいる。その進行状況を見てみたいが、その前に今年になっても「うっかり失効」が相次いでいる。その実情を先に紹介しておきたい。(この「うっかり失効」という表現には違和感を感じるが、マスコミでもその表現が定着しているようなので、ここでも使うことにする。)
(神戸市のケース)
 特に神戸市で7人が一挙に失効したケース(上記画像)には驚くしかない。教員免許更新制は2011年度末から実施されたので、すでに10年が経過した。35歳45歳55歳で更新だから、45歳、55歳の該当者はすでに2回目のはずだ。前回を経験したのに、今回「うっかり」したのはどういうことか。(なお、年齢は都合がある場合、申請により延期ができる。産育休、病休など。)

 それは「コロナ禍」と「管理職」のケースである。2020年度に関しては新型コロナウイルス問題で、大学等の対面での更新講習はほとんど出来なかっただろう。また春先の全国一斉休校のため、ほとんどの学校で夏休みを短くした。夏休み中に更新講習があることが多いから、参加したくても無理だった。そこでウェブ講習を受講することも多かっただろうが、また申請により更新時期を延期する措置も取られた。一人はその延期申請を失念したということだ。

 「管理職」というのは、10年前は更新講習を受けたのに、その後講習を受けなくてもいい立場になった場合である。今回は「主幹教諭」が2名、「校長」が1名、「指導主事」が1名失効した。主幹教諭は管理職じゃないけれど、校内で指導的立場にあるから受講しなくてもいいとされているので、免許の更新に関しては管理職と同じである。しかし、更新講習を受講する義務がないだけで、更新免除の手続きは必要なのである。それを忘れたというわけだ。

 一方、30代の小学校教員2人に関しては、「更新講習を受講したが、申請手続きを失念」という今までにも多くあったケースである。運転免許を考えると、視力検査を受け、講習を受講すれば、その日のうちに新しい免許証が交付される。教員免許更新制も同じようなものと思うと、それが全然違う。運転免許は受講するだけでいい(70歳以上の高齢者講習を除く)、教員免許更新講習は「合格」する必要がある。その後に教育委員会に更新の申請をしなくてはいけない。運転免許も、講習を受講した後で各個人が公安委員会に改めて更新を申請する仕組みになっていたら、「うっかり忘れる」人が大量に生まれるに違いない。
(失効すると官報に掲載)
 神戸市のケースは5月17日付東京新聞に出ているが、他にも4月6日付朝日新聞によれば、熊本市の小学校の主幹教諭埼玉県の特別支援学校の臨時教員のケースが報道されている。それぞれ教員を続ける意欲があったのに、「うっかり」で公務員の地位そのものを失った。このような失効教員の統計はないと言うが、2020年3月末に失効し6月末までに再取得した人は、幼稚園12人、小学校1人、高校11人の計24人だという。その後の人生が大きく狂ってしまうし、勤務校でも大変な損失になる。
 
 これは大変に大きな人権問題だと思うけど、なぜ弁護士会や野党は追求しないのか。教育職員免許法では、刑事裁判で禁錮以上の刑が確定したとき懲戒免職処分を受けたときには教員免許が失効するとしている。かつては教職員組合によるストライキが刑事裁判になったこともあった。そのような場合でも免許失効するのはおかしいと思うが、それはそれとして免許が失効するには何か具体的な「事件」があるのが普通だ。

 都教委のホームページには教員の処分ケースが掲載されている。3月に発表された例では、電車内でスカートの下からスマホの動画撮影をしたとか、店で2万8千円ほどの万引きをしたなどのケースで「停職6ヶ月」の処分になっている。刑事裁判にならなかったのだろうし、本人は辞表を提出し退職したという事情もあったのだろう。事情は全然知らないけれど、少なくとも「更新手続きを失念」したことよりも大問題だろう。しかし、「うっかり失効」した方が重い結果になるのだ。「法の下の平等」に反していると思うけれど、どうなんだろうか。
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中教審、「教員免許更新制」を抜本的見直し

2021年03月16日 22時04分53秒 |  〃 (教員免許更新制)
 2021年3月12日に第11期の中央教育審議会(中教審、渡邉 光一郎会長)が開かれ、①「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方第3次学校安全の推進に関する計画の策定について文部科学大臣から諮問があった。「学校安全」の問題も大切だが、①で「教員免許更新制」の抜本的見直しが議論されるので、それについて書いておきたい。

 文科省ホームページには、報道発表として「第128回中教審総会にて「「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について」等を萩生田大臣が諮問」がある。また「中央教育審議会(第128回)配付資料」がアップされていて、非常に貴重な情報がある。細かくなりすぎるのでここでは省略するが、今まで見たことがなかった免許取得状況などが紹介されている。以下、そこにでている問題意識を紹介したい。
(萩生田文科相が渡邉中教審会長に諮問)
 資料では、「趣旨である「最新の知識・技能の修得」には一定程度の効果がある一方で、費やした時間や労力に比べて効率的に成果の得られる制度になっているかという点では課題がある。また、学校内外で研修が実施されていることに鑑みれば、10年に一度の更新講習の効果は限定的である。」と書かれている。何を今さらという感じだが、全くその通りだ。「学校内外で研修が実施されていることに鑑みれば」など、「教員免許更新制」不要の証明だろう。

 それに続けて、【関係者へのヒアリングの際の意見】として「教員免許更新制の課題について」が5点にわたってまとめられている。資料として全文引用しておく。
①教員免許更新制の制度設計について
教員免許状の更新手続のミス(いわゆる「うっかり失効」)が、教育職員としての身分に加え、公務員としての身分を喪失する結果をもたらすことについては疑問がある。教員免許更新制そのものが複雑である。
②教師の負担について
教師の勤務時間が増加している中で、講習に費やす30時間の相対的な負担がかつてより高まっている。講習の受講が多い土日や長期休業期間には、学校行事に加え補習や部活動指導が行われたり、研修が開催されている場合もあり、負担感がある。申込み手続や費用、居住地から離れた大学等での受講にも負担感がある。
③管理職等の負担について
教員免許更新制に関する手続や教師への講習受講の勧奨等が、学校の管理職や教育委員会事務局の多忙化を招いている。
④教師の確保への影響について
免許状の未更新を理由に臨時的任用教員等の確保ができなかった事例が既に多数存在していることに加え、退職教師を活用することが困難になりかねない状況が生じている。
⑤講習開設者側から見た課題等について
受講者からは、学校現場における実践が可能な内容を含む講習、双方向・少人数の講習が高い評価を得る傾向がある。一方で、講習開設者は、講習を担う教員の確保や採算の確保等に課題を感じている。
(オンラインで開会された中教審総会)
 はっきり言えば、②も③も僕だけでなく多くの人が10年前から指摘してきた問題だ。しかし、それに加えて③として「免許状の未更新を理由に臨時的任用教員等の確保ができなかった事例が既に多数存在している」と明記されている。これも僕が起こりうる事態として書いておいたが、10年経って実際に講師などの任用に不便を来しているのである。そして「更新手続のミス(いわゆる「うっかり失効」)が、教育職員としての身分に加え、公務員としての身分を喪失する結果をもたらすことについては疑問がある」と認めている。

 「疑問」などというレベルの問題ではなく、教員としての執務に問題がなかったにもかかわらず、実際に公務員として失職してしまった人が全国で何人も出た。これは「公務員」の身分の問題なので、私立学校においては「教員」としては資格喪失しても「学校職員」として雇用が継続された例もあるらしい。そんなバカげた差があるとは信じがたいことだ。このことは当初から言ってきたが、今回見直しの対象とされたことに「声は届いた」と受け取っておきたい。

 今後は現場の声を集めて、より良い見直しに向けて注力する必要がある。最低でも「ミスで失職する」ような奇怪な制度はなくす必要がある。ただし、大学等で講習を受けること自体は悪いことではない。今年度はコロナ禍でほとんど大学に通うことは出来ず、オンライン講習だったと思う。来年度もそうだろう。そうすると、やり方が大きく変わってしまったことになる。しかし、大学等の講習を教員人生の中で何回か受講する意味はある。

 前から「教員免許に修士(大学院博士課程前期)終了を義務づける」という議論がある。医学、薬学と並んで6年の大学学習を求めるものだが、今これを直ちに実施すれば教師を目指す人の多くが断念せざるを得ないだろう。だが、学校での指導的教員層には大学院卒が求められる時代になりつつあると思う。教員人生の中で、30代、40代になって、休職して通うのではなく、オンラインで受講できる教職大学院が増えれば、希望する人も多いのではないか。

 大学院を受講中の人は、「免許更新講習」など必要ない。(大学院に提出する論文で講習に替える。)他にも代替できる講習は多いだろう。また現在の35歳、45歳、55歳で受講という回数は多すぎる。教員採用試験の受験年齢制限も高くなっている。正規教員になったら初任者研修があるんだし、年齢で切るのではなく在職年限で切る方が合理的だろう。「ペーパー・ティーチャー」や「非常勤講師」には更新は要らない。ずっと有効でいいと思う。学級担任をしたり、学校経営に関わるような教員だけ、大学で学び直すような研修がいるのだと思う。

 他にもいくつもの論点があるが、現在のようなコロナ禍において通常の更新講習は出来にくい状況が続くと思う。このような見直しが検討されるということならば、今年来年などの該当教員に関しては、一端「休止」という判断もあると思う。今後も中教審の動向を注視していきたい。教員団体や教育学会でも様々な検討や働きかけが必要だ。
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教員免許更新制、改善策と対案は?

2016年09月02日 21時42分31秒 |  〃 (教員免許更新制)
 昨日で終わるはずが、こうして長くなっていく。書いているうちに、「改善策」と「対案」を書きたくなってきた。書いても実現しないので、いつもは他の話題に移るわけである。だが、この問題に関しては、誰かに責められているわけではないけど、僕が対案を書いておいてもいいだろう。前にすでに書いてることもあるかとは思うが。

 「最低ランクの改善策」は、「手続きミスをなくす」ことである。問題がない教員は事実上引き続き更新される仕組みになっているのに、単に手続き忘れだけで失職する。そもそも引き続き教員でありたいと思っている人に、「免許更新手続き」は面倒なだけである。だから、問題がなければ「自動更新」でいいではないか。つまり、大学等で受講した講習に合格した場合、大学が教委に一括して連絡して、自動的に更新すればいいではないか

 受講生に一人一人連絡するより、都道府県教委は47しかないのだから(講習はどこで受けても可という制度になっている)、まとめて結果をそっちに送ればいいではないか。問題があった場合だけ、本人にも通知すればいい。こうするだけで、ずいぶん面倒くささという感覚が変わると思う。言い換えれば、「受講すること」は教員本人の責任になるが、免許を更新することに関しては、所属長(校長等)と教育委員会の責任にする。制度の本質からすれば、その方が合理的である。

 では「最高ランクの対案」は何か。そこまでするんだったら、この制度もやむを得ないというほどのものはあるか。僕が考えつくのは、教員すべてに「サバティカル(研究休暇)を認める」ということではないかと思う。免許が10年期限なんだったら、「11年目」は「一年間、授業もクラスも部活も一切担当しない」ということである。その一年は大学教員にある「研究休暇」と同じようなものになる。

 もちろん有給である。籍だけはそれまでの勤務校にあるが、一年間は大学等の聴講生になるとか、英語の教員なら外国に長期滞在するなど、それぞれの教員が自由に研修する。その研修報告をもって、あらたに10年の教員免許が更新される。もちろん、こんな制度は実現しない。10年に一度、各教員が学校を1年間抜けるということは、要するに全国すべての校種で、教員定数を1割増加させるのと同じである。そんな制度を財務省が容認するはずがない。

 教員にとって、「研修」は権利であり義務である。教師がいったん採用されたのちも「キャリアアップ」の努力を続けていくのは当然だ。だけど、多くの教師が現場で一番悩んでいることは何だろうか。「教科教育」だろうか。そういう人もいるだろうが、ホントは「生活指導」と「学級経営」だと思う。「学校の不祥事」として報道されるのも、大体それらをめぐってのものである。だけど、教員免許は「教科」に関して与えられている。だから、「教員免許」の制度をあれこれ変えることで学校が良くなるという発想そのものがピント外れだったわけである。

 今、授業のあり方も大きく変わろうとしている。させられている。それも事実だろう。社会の大きな変化の中で、今までと同じような授業を続けていくだけではダメなのも確かだ。では、「免許更新講習」は役に立つのだろうか。多くは座学である「講習」を、10年目ごとに一斉に教員を集めて講義する。これは驚くほど、「従来の授業と同じやり方」ではないか。こんなことをしていいのか。「アクティブ・ラーニング」を進めろと言われている教員が、それでいいのか。

 本来はそこでこそ、「自主研修」で行うべきことではないのか。だから、大学等での講習もあってもいいけど、同時に「自主研修」の成果をもって更新を認定するということが絶対に必要である。英語の教師だったら、外国旅行で実際に英語に触れることが「研修」であってもいいではないか。歴史の教師が、史跡や遺跡等を訪れ、「歴史の現場」に触れる。また実物資料などを収集する。それらを授業で活用することで、生徒の意欲・関心も目に見えて活性化していく。そういうことを「研修論文」にまとめ、一定のレベルに達していれば、それで「免許更新」でいいはずだ。

 昔は、夏休みといえば、全国で行われれる教育研究会に参加する教員がいっぱいいた。今はあまりにも夏休みが立て込み過ぎて、それも不可能になりつつある。官製の研究会もたくさんあるけど、教員組合も関わる「民間教育運動」の研究会もいっぱいある。そういうのに参加することが今は難しい。いや、もちろん年休を取ればどこへ行くのも自由だが、昔は「研修」などで参加できた時代も長かった。政治集会ではないのであって、実際に授業をめぐって議論を交わしているのだから、「研修」でいいではないかと思うが。でも、恐らくはそういう民間の教育運動に参加しにくくするというのも、更新制の目的なんだろう。だから、「自主研修」がそのまま「更新講習」の代替になるというのは、今の政権においては難しいのかもしれない。

 もう一つは、更新制を免除されている「特権教員」の問題である。これは明らかにおかしい。管理職の場合と主幹教諭、指導教諭などの場合は事情が異なる。主幹は教務主任、生活指導主任などに任命されることが原則である。そういう主任の研修は受けるわけだから、「最新の教育事情」などは確かに講習は不要だろう。でも、学校で免許の教科の授業を担当していることは、他の教員とは変わりない。だから、教科教育の免許に関しては、更新講習を受けずに更新されてはおかしい
 
 管理職の問題は、僕はまた別の制度がいると思う。確かに、もう授業をしないんだし、管理職として様々な研修を受けているわけだから、現状の更新講習は受けなくてもいいというリクツは成り立つ。でも、明らかに「学校経営のプロ」としては不適任と思える人がいるのは何故だろう。むろん、管理職も人間だから、いろいろと不祥事を起こす人がたまにいる。それを完全になくすことは誰にもできない。だけど、そういうことを言っているのではなく、要するに「学校経営能力」の問題なのである。

 考えてみれば、学校管理職に必要な資格がない。校長なんて、誰でもいい。「民間人校長」が時々現場ともめるのも、突然何にも知らずに現場に入っていくからである。僕は本来「学校経営」という免許があってもいいのではないかと思う。現代の複雑な教育事情の社会では、管理職専門の免許があった方がいいのではないか。民間人や学校事務、養護教諭なども、教職大学院大学などの通信教育で取れるようにすればいい。教員に関しては、教職経験10年程度で「管理職免許」取得が可能とし、その免許を10年期限とすればいい。そうなると、管理職免許を持つ人も10年ごとに、更新が必要になる。それこそ「講習」などいらない。経験をもとに論文をまとめて提出すればいい。そういう制度が管理職にも必要ではないだろうか。
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筑波大付属3校の場合-6年目の教員免許更新制②

2016年09月01日 21時28分28秒 |  〃 (教員免許更新制)
 ちょっと旧聞になるが、6月11日の朝日新聞東京版に、教員免許更新制に関する興味深い記事が載っていた。他紙にも載っていたが、朝日の記事が詳しいので、それをもとに考えることにする。いずれにせよ、東京版の記事だったので知らない人が多いだろう。

 新聞記事によれば、筑波大学付属の3校で、教員免許を更新せずに授業をしていた教員が4人いたというのである。その学校はいずれも筑波大付属の、中学校(文京区)、大塚特別支援学校(文京区)、坂戸高校(埼玉県坂戸市)だという。(坂戸に付属高校があったということは初めて知った。)30代~50代の教諭3人と非常勤講師1人で、失効後の期間は5年2カ月から1年2カ月だった。

 「免許更新講習の受講を忘れたり、受講後の手続きを失念したりしていた」ということである。1回目で書いたように、講習を受講していても「受講後の手続き」が済んでなければ、失効するわけである。「私的な資格」とされたから、「教員個人が忘れた」ように書かれているが、5年も経っているのだから、要するに「学校側が確認を忘れた」状態だったのである。そのままずっと忘れていれば、それで済んでしまうわけである。それで良かったんじゃないか。

 同大は「授業内容は適正だったとし」とある。当たり前である。要するに、学校に勤務して授業を普通に行うことに関して、教員免許の更新なんて何の関係もないのである。教員免許更新制って言ったって、誰もチェックしなければ誰にも関係しないのである。

 それにしても、制度が始まって以来6年目になるのに、いまだにこういうことがあるのか。はじめの数年には、各地で失職させられた教員がいたということは、このブログでも報告してきた。普通、その段階で(一応法律が施行されてしまってるんだから)、学校側で対策を講じるだろう。それがなかったというのも、かなりすごい。

 記事によれば「4人は授業から外れており、更新講習を受けるなどするという」とある。これにもビックリした。私立学校の場合、失職せずにいることもあると聞くが、大学付属でもそうなのか。「公務員」の場合、教育公務員は教育職として採用されており、「教員免許」が失効すれば職も失うという最高裁判例がある。それに基づいて、公立学校では一律に「失職」という対応をされてきている。(教員免許が失効しても、刑事裁判で有罪が確定したような場合とは違うので、「教育職」ができなくても「公務員」の身分は残るという考え方もありうるが、それは取らないということである。)

 筑波大は「国立」ではないのか。そうか、もう違うのか。「国立大学法人」という独立行政法人になって(されて)、「非公務員」になっているのか。公務員ではない、「法人職員」になっていたから、失職しないで済んだということだろうか。どうもそれも、おかしな話のような気がするが、「公務員」を削減しようとする政策がこういうところで関係してくるわけである。

 この筑波大ケースは何も物語っているのか。恐らく、他の「国立」や私立でも、実はこういうケースがいっぱいあるのではないか。そして、そのかなりの部分は、「手続きミス」である。その結果が「失職」と言うのは、明らかに制度設計がおかしすぎる。授業を担当するにおいて、何の支障もなかった教員が、年度途中で授業ができなくなる。もし「ずっと忘れていた」ならば何も起きないのである。不思議な制度を作ってしまったものである。
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6年目の教員免許更新制①

2016年08月31日 21時37分39秒 |  〃 (教員免許更新制)
 中世の話を長く書きすぎたので、今回は短くして2回に分けることにする。「教育」に関するさまざまな話題を、9月にかけてまとめて書いておきたいと思っている。まずは「教員免許更新制」である。

 もっとも何か新しいことがあったわけではない。ちょっとあったけど、それは次回に回して、まずは「原理的問題」を書いておきたい。この教員免許更新制も2011年から実施されているので、6年目を迎えている。1年前には講習を受講しないといけないので、事実上7年目とも言える。55歳の人は管理職や主幹になっていて受講免除の人も多いと思うが、ここまで続いてしまうと全教員の半分以上は「免許更新」の対象になったのではないか。「10年研修」は廃止されるということだったが、政府に動きはないようだから、いまだに「二重苦」が続いている。

 もう少しすると、45歳、55歳の教員の2回目、そして「初めから10年期限の免許を取得した教員の35歳の最初の更新」もやってきてしまう。そういう若い教員にとっては、「初めから決まっていたこと」だから、免許更新講習を受けることにもそれほど違和感がないのかもしれない。だけど、その結果「教育の質は向上したのか」と問うと、どうなんだろう。更新制導入後にも、それ以前と同じくというか、むしろより多く、教員の「不祥事」が報じられている気がする。

 ある意味で当然のことだろう。「負荷」が大きければ大きくなるほど、「破綻」するものも多くなる。そういうこともあるし、それ以上に「教員免許」は「私的資格」だという「免許更新制」の本質から、教員が「公教育」を担っているという誇りが薄れていってしまう。

 時々、「受講した講習が役に立った」という理由で、「更新制はあってもいい」などと主張する人がいる。これこそまさに「本末転倒」の考え方である。更新制の主眼は、講習を受けさせることではない。もし講習が役に立つというなら、「講習を受けて合格した人はそれで免許が更新される」という仕組みになるはずである。そうではなくて、講習だけではダメで、その後に「自己責任」で「私的資格である教員免許」を教育委員会に更新を申請しないといけない。それを忘れたことで、失職して教壇を追われた人が何人もいる。講習は受けていても、それだけではダメなのである。「更新手続き」の方が、更新制度の本質なのである。

 当初は教育委員会で講習を行う案もあったけれど、とても請け負いかねるということで、「大学等で行う講習」を受けることに制度が変更された。大学に行くのも久しぶり、大学の先生の話は、いつも受けさせられているつまらない官製研修と違って、教育行政批判もあったりして「案外面白かった」という人もいる。それはそれでいいけど、それなら、「10年に一度、長期休業中に大学で研修する」という制度にすればいいだけである。いくら工夫して頑張っている大学だって、それを受けないと教員資格を失うというほど素晴らしい講習をしているわけでもあるまい。何もしないで更新するわけにはいかないから、大学で受講するという風に作られただけである。

 それは結局、「教員免許は私的資格」だという決めつけに行きつく。だから「講習」であって「研修」ではない。だから、出張にはならない。自己負担で行く。「職免」(職務専念義務の免除)は申請できるはずだが、管理職が不勉強、もしくは不親切で、「年休」で受講している人も多いらしい。全国には職場で組合活動がほとんどできていない中学校が非常に多いだろうから、制度のこともよく知らない人が多いかもしれない。講習費と交通費の負担が嫌だというよりも、というか嫌には違いないだろうけど、それ以上に「公教育を担っている」という仕事が「私的」なものだということに納得できないと思う。

 運転免許は私的な資格だから、更新するときは休暇を取っていかなくて行けない。教員が運転免許を更新するときに、年休を取っていくのは当然だ。しかし、「それと同じように、教員免許は教員の私的な資格だから、更新するために教育委員会に行くときには、休暇を取っていかなくてはいけない」なんていうのが、当たり前になってしまっていいのか。学校で教師が行っている仕事は、そんな私的な性格のものだったのか。そうだったんだ。次世代の社会を担う人造りを行う、社会的に意義ある立派な仕事ではなかったのである。それが「教員免許更新制の本質」である。

 教育基本法を「改正」し、教員免許更新制を導入した第一次安倍内閣。安倍内閣が復活以来、教育行政もすっかり様変わりした。そんな中で、ついに私立小中学校に通う生徒の保護者にも補助金を出すという案が有力になっている。高校の話ではない。本来は全生徒がいけるはずの公立小中学校がある。いじめを避けて転校するなどと言っても、私立から公立に移る例はあっても、公立学校の生徒を私立が受け入れてくる例があるのか。こうして、教員の資格を私的なものにした後では、「学校に行く」と言うことそれ自体も、親の行う私的な行為となっていく。「公教育」という発想は、もう今の政権にはないんだと思う。
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東京でまた「失職者」

2015年04月13日 21時08分13秒 |  〃 (教員免許更新制)
 東京都でまた教員免許更新制に関わる失職者が出た。2015年4月13日付で、都教委にホームページに「東京都公立小学校教員の失職について」なる文書が載っている。それによると、区部の34歳の男性小学校教諭が、昨年の3月31日にさかのぼって、失職となった。法の要請するところにより、自動的に失職してしまうという摩訶不思議な制度なので、「失職処分」ではない。しかし、34歳という年齢など、その経過に理解できない点が多い。

 都教委によれば、その経緯は以下のようになる。
①失職者は、平成21年度に免許状を交付され、免許状に記載されている有効期間満了の日が平成26年3月31日であることを認識していたが、更新手続は平成26年4月1日から平成28年3月31日の間に行うものと誤認していた
②失職者は、平成26年9月、免許状更新講習を受講し、修了した
③失職者は、免許状更新手続を行うため、平成27年3月16日付けで手続関係書類を都教育委員会宛て郵送した。同年4月8日、郵送された免許状の写しを確認したところ、免許状が失効していることが判明した。

 これを理解できる人はいるだろうか。教員免許更新制や更新講習の仕組みには本質的に問題が多いが、それはそれとして、この人は更新講習を受講して終了しているのである。ただし、受けるべき年を一年間間違えていた。だけど、受講に際しては、所属長の承認がいるはずである。東京では何回も、更新制がらみの失職問題が起きていて、管理職もきちんと理解していないとおかしいと思うのだが、校長や都教委自身にチェック機能はどうなっていたのだろうか。

 そこでまた不可思議なことが起きる。ということは、この制度が正しいとすれば、この教師は本来昨年の4月に失職していなければならなかったのである。だが、誰も気づかなかった。学校でも都教委の担当者も。そして、1年間勤務した。もちろん、その間、問題は起きなかった。というか、それは判らないけれど、少なくとも懲戒処分になるような問題はなかった。だから、教員免許更新制なんて、関係ないのである。この人の場合、本人だけでなく、現場の長である校長も気づかなかったんだから、それに気付いてしまった都の担当者も気づかずに、免許更新を受理していれば、それで問題は起きないのである。それではダメなのか。そういう人も、きっと全国には何人か、いそうである。

 こういう問題が起きて、これに限らないけど、東京都教育委員会はどういう対応をするのか。本来なら、一昨年度には更新講習を受け、昨年度には更新していなければならなかった。本人や現場の管理職にも責任はないではないだろうが、今まであれほど言ってきた都教委自身の態勢に問題はないのか。それとも去年は高校入試の答案チェックに忙殺されて、免許のチェックを怠ったのか。(これは可能性が高そうである。)その結果、年度当初に教員が代わることになる。それに対して、都民である保護者や生徒に対して、謝罪はしないのだろうか。都教委のホームページには、以下のように最初に述べられている。

 都教育委員会では、教育職員免許状の失効等については十分注意するよう、教員や学校管理職に対し、注意喚起を行うとともに、任用に係る事務処理の改善やチェック体制の強化に取り組んでまいりましたが、標記の件について、以下のように任用の取消しをしましたので、お知らせします。
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教員免許更新制のあれこれ-日々のあれこれ④

2015年03月31日 23時40分00秒 |  〃 (教員免許更新制)
 カテゴリーを「教員免許更新制」に変えて、「日々のあれこれ」の続き。教員免許更新制の細かい制度設計のおかしな問題は、前に何度も書いているので繰り返さない。そもそもブログの名前を「教員免許更新制反対日記」としているわけだけど、これもそろそろ変え時かもしれない。本来、定年前に辞めてもいいと思い続けたので、もう自分で「早く辞めた」という意識が薄れる年齢に入ってきてしまった。そして、はっきり言ってしまえば、安倍長期政権により「教員免許更新制」の撤廃、あるいは「改善」さえも実現不可能になってしまったという認識もある。

 本来、教員免許更新制は憲法違反であるという裁判をやってみたいと思っていた。韓国やタイのような憲法裁判所がない日本では、個々の法規や政令などに対する違憲訴訟は非常に厳しい。国権の最高機関である国会の裁量範囲であるという判断が下るのはほぼ確実だろう。だから、ほとんど敗訴するという前提でやるしかないわけである。つまり、「運動としてやる」ということになる。「もし、3・11がなかったら」と言っても仕方ないんだけど、辞める決断をしたときは「3・11」のちょうど前だった。2011年という年は、新たに裁判を起こすには非常に不利な状況だった。それに遺産で持ってた東電株が暴落して、裁判費用どころか、予定していた生活費のもくろみが崩れてしまった。後で思うと、大震災の週明けにすぐ売ってしまえば良かったんだけど、とてもそういう判断ができる状況ではなかったのである。こうなったら持ったまま株主総会に行こうかと思って、出かけて行った記録はこのブログに残してある。

 僕が思うに、どうせ教育行政は「現場教員なんか、上の言うとおりにやってればいいドレイだ」と思ってるんだろうから、教員免許更新制なるものを導入するのであるなら、従前の政策を貫徹して欲しかった。僕だって、すべてに逆らっては生きていけないから、多くの教員と同様にやむを得ずいろいろと妥協して、自分をだましながら働いてきたわけである。だから、校長から免許更新に行けという研修命令が下っていれば、仕方ないからと思って更新していたのではないか。ところが、この制度は「免許は私的な資格である」と称して、自分で大学等の講座を探して自費で申し込めという制度設計になっている。このように、今までの保守政治は「教員ドレイ化」を進めてきたが、21世紀になるとそれでは済まなくなったのである。公的なるものを解体しつくして、「私人」として改めて「忠誠」をつくさせるのである。第一次安倍政権に作られた教員免許更新制に、そのような「新自由主義」と「国家主義」の混成、言ってみれば「21世紀のファシズム」的な発想の芽生えが見て取れるのではないか。

 この問題を教育関係者以外の人に語ると、「教員組合の力で何とかならないのか」という人が、(市民運動圏の人の多くには)けっこういたのにビックリした。教員組合が何とかできると思っているのである。勤評闘争がどうとか、大昔の話を語る人もいる。教員組合の組織率は右派系組織を含めても3割台なんだから、今でもある程度組織率が高いところがあることを考えると、大都市の中学などでは組合活動家はほぼ「絶滅危惧種」なのではないだろうか。闘うどころか、組織維持も危うい。学校という職場は、多忙すぎるうえ、生徒や保護者のプライバシーに触れる可能性があるから、教師のほとんどは職場の実態を声をあげて外へ知らせない。それに、日本全体で労働環境が急激に悪化してきた中で、ただクビにならない、問題さえ起こさなければ定年までは勤められそうだという、たったそれだけのことで「恵まれている」と思われてしまう。保護者や生徒の中には、あからさまにそう言ってくる者までいる。「教員バッシング」が自分に向わないように、首をすくめて耐え忍んでいるのが教師の実態だろう。
 
 僕にとっては、管理職や主幹教諭には「免許更新の義務がない」ということが、今でも一番残る大きな問題点になっている。なんで自分が更新講習を受ける気にならなかったかと言えば、まあ民主党政権の対応に一定の期待をかけたこともあるが(政権公約に触れられていた)、一番大きいのは「免除規定」が許せなかったということだろう。裁判するとしたら、まずこの点を「14条」(法の下の平等)違反として挙げることになるだろうと思ってきた。「管理職や主幹にならないために」、どのくらい不毛なエネルギーを使って来たかを思い返せば、自分の人生の否定に見えてしまったのである。いや、学校事情もあれば、個人の思いをあるだろうから、中には管理職を目指す人もいていい。校長という職そのものを否定するわけではない。だけど、現在の東京を見れば、管理職に「思想・言論の自由」はない。思うような学校運営ができないのに管理職を目指す人が何故いるのか、僕にはよく判らない。その辺りになると、生き方の違いというしかないんだろうと思う。

 僕だって、先にも書いたように、自分の好きなようにだけは生きて来られない。本来は「主任制度」(主任教諭制度に非ず)に反対だったわけだが、校内の分掌主任あるいは学年主任は引き受けた。やらなくてもいい時までやろうとは思わないけど、自分がやった方が早い時は引き受けたのである。でも、それは単年度の仕事であり、手当が付くとはいえ、要するに「手当」である。管理職や主幹になると、手当ではなく「職階の違い」になってくる。これは僕の教育観、学校観からは、全く受け入れられない。だから、正直に言うと、長いこと教員をやってきて淋しい思いをして、もういいやと気になっていたのだと思う。何も管理職にならずとも、せめて主幹にはならずとも思いながら、毎年の異動が掲載された4月1日の東京新聞を見ることになるようになってもう長い。
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