尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ケネス・ブラナー監督「ベルファスト」、騒乱を生きる家族の決断

2022年04月01日 22時22分55秒 |  〃  (新作外国映画)
 ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」を見た。今年度の米国アカデミー賞で作品賞など7部門にノミネートされ、脚本賞を受賞した映画である。ちなみに「CODA」が受賞し、「ドライブ・マイ・カー」もノミネートされていた脚色賞という部門もある。「脚色」は原作があるものを指し、「脚本」はオリジナルのものを言う。アカデミー賞の英語表記では、脚色は「Adapted Screenplay」で、脚本は「Original Screenplay」になる。日本でもこの両者を区別して賞を出す方がいいと思う。

 「ベルファスト」(Belfast)はケネス・ブラナー脚本、製作、監督した映画で、自らの体験を基にした子ども時代の造形が素晴らしい。最初はカラーで始まるが、すぐにモノクロになる。今どき何でモノクロかと思うが、子ども時代のベルファストの記憶は色がないということらしい。途中で家族皆で映画「チキ・チキ・バン・バン」を見に行くが、その映画はカラー。1968年暮れに公開された映画である。つまり暮らしの記憶はモノクロだが、カラー映画は色つきで再現される。

 題名のベルファストはもちろん「イギリス」の北アイルランドの中心都市である。今国名にカギを付けたが、もちろんイギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」。その北アイルランドといえば、長年続いた少数派のカトリック系住民と多数派のプロテスタント系住民との間の紛争を思う。今でこそほぼ収まっているものの、20世紀には世界的な大問題だった。ちょっと前の時代を描くなら、北アイルランド問題がどう出て来るのかと気になる。英米の人ならそうだろう。
(イギリスとアイルランドの地図) 
 主人公バディの一家はベルファストに住んでいる。映画は子ども目線で描かれ、突然町が騒乱状態になるけど、主人公と同じく何が何だか判らない。デモが暴徒化して「カトリックは出ていけ」と言ってるから、それはプロテスタント系強硬派のデモである。バディはうちはどっちなのと父に聞く。今までは宗派に関係なく交際してきたから、子どもには判らないのである。バディの一家はプロテスタントだが、穏健な立場でカトリック系住民を排斥しようとは思わない。
(主人公一家)
 そんなことも次第に判明していくが、バディの家では父親がイングランドに出稼ぎに行っていて、二週間に一度しか帰ってこない。町が不穏になって行くにつれ、肝心なときにいつもいないと母は父を非難する。だけど、税金の未納があって、出稼ぎに行くしかない。バディは学校帰りには祖父母の家に行くことが多かったが、やがて祖父は病気になってしまう。祖父はキアラン・ハインズ、祖母は名優ジュディ・デンチが演じていて、共に米アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。しかし、母親役のカトリーナ・バルフが素晴らしく、主演か助演かどっちかにノミネートされても不思議ではなかった。

 でもどんどん紛争は過激化し、イギリスが軍隊を送り込んで家のある一帯は封鎖状態になってしまう。カトリック系の家は焼き討ちされ、プロテスタント系住民は自警団を作る。父は出稼ぎ先で家を世話するから一家で越してきたらと言われるが、母は自分はここで生きてきた、ここで出会って結婚した、この町を離れたくないと言う。しかし、ある日デモに子どもたちも巻き込まれ、バディは襲われたスーパーから洗剤を取ってきてしまう。母は怒って返しに行って、デモ隊と軍・警察の衝突に巻き込まれる。そこに戻ってきた父親はどうするか。映画好きのバディの脳内には、かつて祖父と見た「真昼の決闘」のテーマ曲が鳴り響くのである。
(一家は移住を決断する)
 ケネス・ブラナー(Sir Kenneth Branagh、1960~)は今ではサーが付いている。何と言ってもシェークスピア役者で知られ、ロイヤル・シェークスピア・シアターで活躍して「ローレンス・オリヴィエの再来」とまで言われた人だ。20代で自分の劇団を作って、映画にも乗りだし1989年の「ヘンリー五世」では米アカデミー賞作品賞、監督賞にノミネートされた。まだ29歳の時である。もうシェークスピアを全部映画化するような勢いで映画を作り続け、「から騒ぎ」(1993)なんかとても面白かった。そういう人だから、僕はイングランド出身だと思いこんでいたが、実は北アイルランドで子ども時代を送っていたのである。

 子どもだから事態がよく飲み込めていない。学校で優等生の女の子が好きだけど、その子はカトリック。僕たちは結婚出来るのと別れ(イングランド移住)の前に父に尋ねる。父はヒンズー教だって大丈夫だと答える場面が素晴らしい。この映画を見ると、どうしてもウクライナで起こっていることを思ってしまう。皆生まれ育った自分の町を離れたくない。だけど、子どもの命に危険が迫るとき、親としては新しい土地へ移ることもためらわない。そこら辺の事情は子どもには難しく、親に言われるまま付いて行くしかない。今ウクライナから子連れで逃れる母も同じような気持ちだろう。子どもたちの中から、何十年もたって戦火の日々を表現する人も出て来るに違いない。どんな「物語」がそこに描かれるだろうなどと思う。
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