尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

B&Bの宿大東館と小室山ー伊豆・伊東温泉小旅行②

2024年05月26日 21時41分39秒 |  〃 (温泉)
 伊東温泉への旅行の話2回目。東海館からアーケードのある「キネマ通り」を通って、ブラブラと宿に向かう。お土産屋、和菓子屋が多いが、シャッター街とも言える。宿泊する大東館は伊豆急線沿いに南方向にあり、「ラフォーレ」「界」なんかの高そうな宿を通り過ぎると、「お風呂ずきの宿大東館」という案内が電柱に出てきた。結構大きな宿だが、ここは夕食を廃止して「宿泊と朝食のみ」に特化している。風呂は6つあって、源泉掛け流し貸切風呂が3つあり無料で入れる。鍵を掛けると使用中のランプが点くので、点いてなければ自由に入れる。料金は金曜だと7500円ほどという安さ。
 (部屋から市街を望む)
 大東館は温泉本で知って一度行きたいと思っていた。豪華な夕食も飽きてるから、こういうコンセプトの宿もいい。シティホテルならB&B(ベッド&ブレックファスト、一泊朝食付の宿)に何度も泊まってるが、温泉旅館では初めて。まずはお風呂に行こう。防空壕を通っていく「五右衛門風呂」が空いてたので、まず行ってみた。防空壕が暗くて、結構長い。途中で曲がってて、どこにあるんだという頃に出て来た。扉を開けるとムッと熱い。五右衛門風呂というけど、大きな釜風呂が二つあるもの。結構熱いけど、かき回して下げる。浸かるとお湯が溢れてうれしい。肌はツルツルになるし、これは一番良い風呂だった。
(防空壕)
 ただ大浴場(二つあり、時間制で男女交代)の「京の湯」に塩素臭があったのが残念だった。(もう一つの「流れ湯」も塩素臭がしたという。)朝は消えていたから、立ち寄り客もいる早い時間帯は殺菌しているのかも。(あるいは地元の決まりの場合もある。)五右衛門風呂や外にある露天風呂では感じなかったから、大浴場だけなのか。ホームページには「源泉3本を有し、毎分297リットル湧き出し」と書かれている。「客室のお風呂を始め、全てのお風呂は加水、循環式、濾過(ろか)装置のない源泉100パーセント掛け流しの本当の温泉」だと明記してるが…。客室も温泉だというから夜に入ってみた。

 夕食をどうするか。何を持ち込んでも良く、電子レンジもある。だから雨の日なんかは「コンビニ弁当」でもいいか。夏冬だと外に出たくないかもしれない。泊まった日は暑くも寒くもなく、気持ち良い日だった。お薦めの店はホームページにも出ていて、宿で地図も配ってる。せっかく伊豆に来たから地魚の刺身でお酒でも…とは思わず、まあそれでもいいんだけどイタリアンなんかの方が好きなのである。ところが目指したお店を見つけたら、なんか地元客で盛り上がってる気配。中の様子も判らず入りにくい。じゃあ、紹介されてるお蕎麦屋を見に行ったら、今度はガラガラで入りづらい。

 結局近くに見えてたココスにしちゃおうか。何も伊東に来てファミレスに入らなくてもと思うけど、ここはほぼ満員。金曜夜に家族や仲間で集まる貴重な社会インフラだ。しかも驚きの展開が…。今までは「お好きな席に」と言われたけど、ここは「指定席」なのだ。銀行の順番を取るような機械をタッチすると、出て来た番号の席に座るのである。そして、そこでタッチパネルで注文する。それはまあ最近よくあるが、ここでは何と出来た料理をロボットが配膳するのである。えっ、今はそうなってんの? まあこれはこれで気楽だが、ロボットが運べるサイズの料理になっている気もした。
(小川布袋の湯)
 食べ終わるとすっかり真っ暗。実は宿に近いからココスも便利だったのである。安く上がったし。伊東温泉はあちこちに共同湯があって、宿の隣にも「小川布袋の湯」というのがあった。時間が16時から21時と短い。300円払えば誰でも入れる。帰りにちょっと寄ってみたら、これが適温で極楽の湯だった。しかし、地元客が引っ切りなしで、すぐに引き揚げてきた。

 さて、困ったのが寝具である。今はずいぶん変わってきたけど、ここはまだ古くて掛け布団が重いのである。もう五月下旬なんだから、暑くて寝られない。今は家ではもっと軽い布団で寝てる人が多いだろう。これじゃ苦しいです。でも布団なしでは寒いし、困ったなあと思いつつ、いつの間にか寝てしまった。翌朝の朝食は簡素ながらも、なかなか充実していて美味しかった。全体として気持ち良く泊まれる温泉宿だったけど、世に完璧な宿はないものだなあと思った。
 
 次の日、駅に向かう途中で急階段の神社(松原八幡神社)があった。車道もあったのでちょっと登ってみる。そうしたら謎の廃墟があるじゃないか。まあつぶれたホテルなんだろうけど、この廃墟感は今まで見た中で最高レベル。ギリシャ神殿の遺跡かと思うような光景が見えている。帰ってから検索してみたが、よく判らなかった(伊東は廃墟旅館が多いようで)。
  (廃墟ホテル?)
 東海館のお風呂(11時から)に入る前に、小室山に行ってみた。大室山には昔行ったことがあるが、小室山ってどこだ? 川奈ホテルの真上あたりにあるちょっとした山で、2021年に山頂をグルッと回れる「小室山リッジウォーク“MISORA”」というのが出来て大人気らしい。専用リフトがあって簡単に登れる。(徒歩でも行ける。)バスがなかなか来ないから、ついタクシーで行ってしまった。昨日夕食でお金使わなかったら、まあいいか的発想だが、これが大失敗。土曜日だからてっきり朝早くから動いてるに違いないと思ったら、リフトは朝9時半からなのである。だからバスも遅いのに、うっかり9時過ぎに着いちゃったじゃないか。
 (リフトを望む)
 行った日は曇り空の涼しい感じの日だった。晴れわたった青空の日でなら海も青く、多分もっと素晴らしいだろう。伊豆大島もすぐそばに見える。下は川奈ホテルのゴルフ場だろうが、山頂一望の遊歩道がすごい。ひたち海浜公園のネモフィラじゃないけど、こうした解放感あふれる光景が「インスタ映え」するんだろう。団体客がゾロゾロやって来ていた。カフェもあって人気らしい。
   
 バスで戻って港の方まで歩いたら、釣りをしてる人がたくさんいた。海辺に記念碑や彫刻が多いが、もう写真は撮らなかった。東海館の風呂に入って、真ん前のイタリアンで早めの昼食。熱海まで「黒船電車」で行き、熱海からは上野まで普通電車に寝ながら帰ってきた、伊東温泉は湯量が多いようで、町歩きも面白かった。熱海も面白そうな宿がいろいろあるし、この辺りならすぐに行けて良さそうだ。
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レトロな東海館が面白いー伊豆・伊東温泉小旅行①

2024年05月25日 21時43分17秒 |  〃 (温泉)
 伊豆の伊東温泉に一泊旅行。前から気になっていたB&Bの旅館、大東館に泊まった。今回(平日でも行けるのに)金土で行ったのは、これも前から懸案の東海館のお風呂に入るため。前は平日でもやっていたが、今は土日祝しかやってない。東海館は伊東温泉の中心近くに建つ昔の旅館で、1928年に創建され1997年まで営業していた。その後、市に寄贈されレトロ感が売り物の文化施設となっている。実は前に車で見に行ったことがあるんだけど、ものすごい雨の日で車外に出るのも億劫で止めたことがあった。
   
 正直言って、熱海や伊東は近すぎて僕にとって旅情に乏しい。何度も通っているが、初めて夫婦で泊まった。11時東京発の「サフィール踊り子」で出発。全席グリーン車の特別車で、気持ち良いけど写真は省略。12時半過ぎには伊東に着いてしまう。前にも来てるが、駅がすっかりキレイになってるのに驚いた。駅の観光案内所に詳細なガイドマップが置いてある。これは必携。そんなに大きな町じゃないから、町並み探索なら車じゃない方が動きやすい。10分ぐらいで東海館が見えてくる。大川沿いに一周したのが上の写真。(ちなみに隣の建物も古い。こっちも昔の旅館だが、今は「ケイズハウス」というホステル。)
   (望楼から)
 お風呂と違って見学と喫茶は毎日やっているから、まず1日目に見学へ。この職人技のレトロ感は半端じゃない。まあ四万温泉積善館とか渋温泉金具屋とか、レトロ宿に実際に泊まっているんだけど、東海館の場合小さな部屋も多いしトイレもないから今では厳しいだろう。階段で2階、3階へ登るのも一苦労。宿泊客なら文句言いたくなると思う。しかし、文化施設だったらそれも楽しいのである。3階の上に望楼まであるが、1949年創建時には遠くまで見えたことだろう。今は介護施設に転じた旅館がいっぱい。
   
 部屋の中や廊下などは上のような感じ。部屋も見せているが、何かテーマを決めた展示も多く、また彫刻展が開かれていた部屋もある。三浦按針(ウィリアム・アダムズ、江戸時代初期に家康に仕えて伊東で船を建造した)、伊東祐親(すけちか、頼朝と敵対した豪族、伊東の地名の始まり)、東郷平八郎(別荘があった)、木下杢太郎(もくたろう、戦前の詩人)など伊東関連の展示があった。伊東出身の木下杢太郎は近くに記念館があって前に見たことがある。実は本職が東大医学部教授で、ハンセン病研究者として知られていた。記念館には特に本業の説明はなかったと思うが。
  
 せっかく喫茶もあるというから行ってみる。大広間に他に誰もいない。受付で注文するシステム。あんみつなんか食べてしまった。伊豆名物のぐり茶付。ちょっと休みたい時間帯である。お風呂は次の日に改めて入湯だけを目的に出掛けた。写真は撮れないが、ホームページで見られる。ここが今回いろいろ入った中で、最高のお湯。もちろん源泉掛け流しで、入るとジャブジャブあふれる。湯温が熱過ぎずぬる過ぎず、実に快適。大浴場、小浴場が男女時間別交代制。東海館を出たところに、特製マンホールがあった。またちょっと行ったところに、「観光番」(上の2,3枚目)がある。1958年に建てられた交番で、2006年に伊東市に譲与され観光案内所になっている。東海館を出てブラブラ宿に向かったが、ちょっと疲れたから2回に分けることにする。
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粟津温泉(石川県)「法師」に泊まって蟹を食べる

2023年12月21日 22時38分50秒 |  〃 (温泉)
 石川県にある粟津温泉の「法師」に泊まってきた。ここは一時「世界で一番歴史ある宿」としてギネスブックに登録されていた。何しろ718年に開かれたというから、1300年続く宿である。宿の前には「創業一千三百年」と書かれた大きく書かれた垂れ幕が掛かっている。そういう宿だから料金も高いのだが、割引クーポンがあったので行ってみたのである。北陸の温泉に行くのは実は初めて。飛行機で行くには近すぎ、車で行くにはちょっと遠い。関東からだと行きにくい地域である。(ちなみに今は世界最古の宿は705年創業とうたう山梨県西山温泉の「慶雲館」になっている。)
 
 初めての方面だし、有名な旅館だから楽しみ。寒い時期だけど、出来たら金沢で少し観光したいなと思っていた。9月に日光に行ったときは、翌日に台風が関東を直撃するというので、ハイキングを諦めて帰って来た。ところが今度も寒波襲来にぶつかって、北陸は昨日から雨で夜からは雪が降っていた。帰って来てテレビを見たら石川県に大雪警報と伝えていた。風も寒いし、今度もさっさと帰ってくることにした。年末は閑散としていて、昔からよく旅行に行ってるけど、暖かい地方の方が良かったか。

 北陸新幹線で金沢まで行き、特急に乗り換えて加賀温泉駅で降りた。そこから送迎車で宿まで20分程度。初日は寄り道せずに宿に直行。まずよく整備された庭を見ながら、抹茶と和菓子を頂く。こういう「おもてなし」もいいんだけど、コロナ後は先に手洗いしたい気もしてくる。さて、大浴場へ行く前に、雨が弱くなってので宿そばの「総湯」に行ってみた。温泉街の中心にある共同湯を北陸では総湯と呼んでいる。一人470円。地元の人もいっぱい来てたけど、塩素臭がする循環でガッカリ感が強い。
(総湯)
 帰ってから、いよいよ大浴場へ。この宿はどうも大きくし過ぎたようで、風呂も食事会場も大回りしないと行けない。昔よくあった迷子になりそうな宿である。お風呂はとても大きく、ぬる湯、あつ湯に分かれている。ナトリウム硫酸塩泉の無色透明のお湯がいっぱい。露天風呂とサウナもあるが今回はパスした。風呂が広くて嬉しいけど、これも循環だった。その割に塩素臭はないし、よく温まるお湯である。人が少なくて伸び伸び出来て良かった。ホームページを見ると、露天風呂付き部屋は源泉掛け流しらしい。朝は客がいなかったので、ちょっと撮ってみたけど、下の1枚目は検索して見つけた写真。
  (男湯前)
 夕食はとても良かったけど、食べきれないほど多い。久しぶりにお酒をちょっと。宿のある小松市の米(蛍米)を使った純米酒「蛍舞」というもので、大体その地域のお酒をちょっと飲んでみたいのである。なかなか美味しかった。それよりメインは蟹で、ズワイガニ一人一杯付きである。いや、面倒くさいから蟹は苦手でもあるが、久しぶりで嬉しい。他に「和牛しゃぶ」「目鯛朴葉焼き」と二つも温めるものが出た。でももっと美味しかったのは「のど黒温寿司」と「黄門粟餅」。デザートの抹茶プリンも良い。減塩をお願いしていたら、うどんの出汁がほぼ「だし」だけだった感じ。ありがたいような、物足りないような…。

 朝食もとても良い。ノドグロと笹カレイをその場で焼く。イカ刺しやワタリガニの味噌汁。納豆は出ない地域なんだろうが、代わりにワサビ海苔やフキ、明太子なんかがちょっとずつある。蛍米コシヒカリ。絵で料理を紹介するというのは新味だった。
(絵を取ると)
 ということで、総合してみればなるほど良い宿だった。しかし、76室もあるというほど大きくして、バーやカラオケも作ったけど、今じゃ誰も利用しない。飲泉出来ると出てたけど、飲泉所は廃止されていた。大浴場が循環になったからだと思う。大きくて迷路みたいで、運動になるかもしれないけど、高齢者には大変だろう。夕食の配膳は外国出身の若者で、一生懸命やっていた。人件費も大変なんだろうな。これからの温泉宿を考える意味で、なかなか興味深いところだ。頑張って欲しい。素晴らしいお庭があって、散歩できるけど雨と雪だから行けなかったのが残念。
 
 金沢駅で途中下車して、お土産でも見て食べて来ようかと思ってたんだけど、どんどん天気も悪くなりそうだから早めに帰ってくることにした。社内販売がなく、上野に着いてから軽く食べることになった。実は行く時に見てなんだろうと思った「セルフ駅そば」に行った。常磐線ホームの端にあったのである。交通系ICカードで支払うと、誰もいない店内でロボットが温めるというやり方らしい。まあ、駅そばとしてそこそこ美味しいレベルだろう。片付けもセルフである。七味唐辛子ぐらい欲しかったけど。
(セルフ駅そば店)
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川治温泉から龍王峡を歩く

2019年05月27日 20時50分18秒 |  〃 (温泉)
 全国的な猛暑の中、川治温泉へ行ってきた。川治(かわじ)は鬼怒川の先にある温泉地だが、家から近いので旅情を感じにくい。職場の旅行で行ったことはあるが、家族では初めて。温泉街にそびえ立つ有名な「一柳閣本館」も今や伊東園グループの宿だ。誕生月割引があるから、まあ安くあげるには最適。伊豆に始まった伊東園も北関東に多くなってきた。後北条氏みたいな感じだな。鬼怒川、川治は少しは涼しいかと思ったら、これが全然涼しくなくて驚いた。風呂は「源泉掛け流し」を称しているが、加熱・加水して塩素殺菌もしている。大旅館だからやむを得ないだろうか。

 そうしたら川の対岸に「薬師の湯」という共同浴場があるじゃないか。旅館の部屋からも露天風呂が見える。旅館そのものが川に面しているが、川に堰のようなものがあって川音がうるさいぐらいだ。夕食後に散歩してたら、「薬師の湯」がすぐ近いことに気づいて行ってみることにした。ここは小さいながら、設備も良くて昼には食事も出来るらしい。一般は700円と書いてあったが、浴衣掛けで行ったら「日光市民扱い」で300円になった。夜だったから誰もいなくてノンビリ浸かった。こっちは塩素臭もなく、あまり知られてないだろうけど、素晴らしい共同浴場だ。露天風呂は面倒になって見るだけにした。
   (前2枚は薬師の湯、3枚目は一柳閣本館)
 家からは電車の方が早いから、一日目はさっさと宿へ入った。相撲というかトランプというか見てるうちに夕食の時間。伊東園は全部バイキングなわけだが、まあまあという感じか。2日目は僕だけ龍王峡をひたすら歩くことにした。鬼怒川温泉から2駅で東武鉄道が終わり、会津に続く野岩鉄道となる。その最初が龍王峡駅、次が川治温泉駅川治湯元駅となる。宿は川治温泉駅と川治湯元駅の中間ぐらいで、そこから下る感じで川沿いに遊歩道がある。ただ川治温泉駅のあたりがダムになっている。だから鬼怒川というか、よどんだ湖のような感じが続く。まずまず快適な山道が続くが、時々舗装道に出てトンネルまである。猛暑の中トンネルは涼しくて良かった。でも龍王峡までが遠い。
   
 全行程3時間ほどのうち、龍王峡へ出るまでに2時間ぐらいかかる。じゃあ、龍王峡駅付近だけでいいかとなって、車で来た人は大体そうなる。確かに全行程歩いても、山の中が多くて葉も茂っている季節だから川はあまり見えない。木の間隠れに渓谷が見えているけど、写真を撮っても手前の木ばかり写ってる。渓流の音はしてるんだけど。それでも時々は渓谷が見える。奇岩怪石の中を川が流れてすごそうな感じは確かにする。遊歩道では小さいけれど柱状節理も見られた。
  >  (4枚目が柱状節理)
 「かめ穴」とか「兎はね」とか名所だという案内があるけど、下の川が全然見えない。だんだん下流になって、ムササビ茶屋まで来ると、休憩用の茶屋がこの日も開いていた。でも先を急ぐ。ムササビ橋を渡るとミズバショウなどがある。ところどころアップダウンはあるものの、比較的平坦な遊歩道。もっと涼しい日に来たかった。虹見橋を渡ると、もう駅の真下。ただそこから駐車場まで出る登りがこの日一番きつかった。虹見橋から見ると、もうかなり流れはユックリしている。でも上流を見るとまだ奇岩の中を流れてくる感じ。まあ暑かったけど、3時間で駅にたどり着いたけど、電車は出たばかり。次の電車まで1時間近くあるじゃないか。そんなこともあるわけだ。
 
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茨城小旅行、偕楽園にはまた行けず

2019年02月28日 22時44分50秒 |  〃 (温泉)
 茨城県へ小旅行。大子(だいご)温泉に泊ったので一応温泉旅行になるが、それより水戸の梅などを見に行こうかなという企画。梅だけならもう少し後の方がいいけど、ホテル奥久慈館という伊東園グループの宿に(妻の)誕生月割引で泊まるというお得企画。伊東園を家族で利用するのは初めて。それより日本三名園を、高校生で岡山後楽園、数年前に金沢兼六園を見たのに、一番近い水戸偕楽園を見てない。毎年梅の時期に行こうかなと思いつつ先延ばしになっていた。

 関東も晴が続いて乾燥する時期が終わり、最近は3日に一度ぐらい雨が少し降っている。それが今回は完全に2日目に当たってしまった。雨で寒い一日になってしまい、なんと今回も偕楽園は行かなかった。無理してみるほどの気はない。ちょっとばかり「車窓見学」したところ、まあ梅は咲いていて、雨でも見ている団体客がいた。今回の旅行で一番の大当たりは、一日目の昼食。時間的にお昼は水戸周辺で蕎麦屋を探した。旅行ではまず蕎麦。茨城は「常陸秋そば」が美味しい。

 今回見つけたのは、那珂市の木内酒造の蔵を利用した「酒+蕎麦 な嘉屋」という店。那珂インターから少し迷ったが、オシャレな感覚で気持ちいい店。もっともお酒は車で行ってるので飲めないのが残念だ。茨城県民のこよなく愛するという「けんちん蕎麦」を頼む。冷たい蕎麦を熱いけんちん汁で食べる。この「けんちん汁」が絶品で、野菜がとにかく美味い。(妻が頼んだ「ローズポークのつけ蕎麦」も美味しそうだった。)帰りに梅酒と発泡日本酒を買って行ったが、これも良かった。
   (「酒+蕎麦 な嘉屋」)
 28日は完全に雨だということで、水戸へ戻って弘道館を見ることにした。それなら水戸でお昼を食べた方がいいんだけど、さっきの店は木曜休みなのだ。弘道館は数年前に行ったとき震災後の修復工事中だった。水戸城三の丸に徳川斉昭によって建てられた藩校で、国の特別史跡。梅林もかなりあって、水戸の梅まつり会場の一つ。水戸は徳川御三家の一つだが、関東地方には大きな城が築かれず、水戸城と言われてもイメージがない人が多いだろう。天守閣はないながら、三階櫓などがあったが幕末の争乱と大戦の空襲でかなり焼けてしまった。
   
 弘道館では、正庁・至善堂・正門が当時のまま残されていて、国の重要文化財。正庁は中を見ることができるが、まあ似たような建物と大きな違いはないと思う。むしろ庭の梅が今の季節はうれしい。水戸城は「日本100名城」に選ばれているが、スタンプは弘道館に置かれている。弘道館の周りには神社など関連史跡があるが、再建されたもの。堀や土塁に囲まれた二の丸、三の丸には現在では高校や小学校が建てられている。最近テレビのロケなどでよく使われている「茨城県三の丸庁舎」もここにある。むしろ三の丸駐車場向かいにある「低区給水塔」(下の写真の最後)が面白い。中には入れないけど、1932年に建てられた登録文化財。
  
 ところで写真を撮ったのはここまでで、28日は一日雨で一枚も撮らなかった。弘道館からはひたすら北上して、道の駅に寄りながら奥久慈へ。ここら辺は面白いものが多く、ホントはもっとゆっくりしたいところ。「袋田の滝」は前に見たから、今回は二日目に近くまで行って雨で断念した。(昔、袋田温泉ホテル、今の「思い出浪漫館」に泊って、翌日水戸芸術館で「ク・ナウカ」の芝居を見たことがあった。)「ホテル奥久慈館」は温泉が塩素臭たっぷりの循環で残念だけど、食事は十分満足できた。365日同一料金、食事はバイキングの宿である。

 二日目はまず「道の駅常陸大宮」でゆっくり買い物。前日にチェックしておいたものをまとめ買い。すごく充実した道の駅で、美味しそうなものをつい買いすぎる。この地域はいろんなもの、奥久慈しゃも、奥久慈こんにゃく、いちご、卵…、地粉の乾麺もあるし、真っ黒なインゲン豆の甘納豆は珍しい。その後、徳川ミュージアムに行き、もう博物館や美術館はいいかという感じで、水戸市森林公園までドライブして、「森のシェーブル館」でコーヒー飲んでチーズを買う。それで一路帰るが、守谷サービスエリアでついどら焼きを買ってしまった。「土浦一高生が贈る青春の黒蜜きな粉れんこんもちどら焼き」って何だろうと思うよね。
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冬の四万温泉で一泊

2018年12月12日 23時08分02秒 |  〃 (温泉)
 群馬県の四万(しま)温泉は昔から大好きで、最近もよく行っている。年末を前にシーズンオフに一泊旅行。個人的事情で旅行もなかなか行けないけれど、温泉でノンビリする時間は大事だ。最近の関東は急に寒くなったが、毎日ずっと晴れていた。それなのに旅行に行く日だけが、雨の予定。なんとも間が悪いけれど仕方ない。だから一日目はどこも行く予定はなかったが、実際は昼間はずっと晴れていた。そこで今まで行ってなかった「富沢家住宅」に行こうかと思った。
   
 国指定の重要文化財で、江戸時代後期に建てられた萱葺き入母屋作りの養蚕農家である。地図を見ると、四万温泉や中之条町中心部からけっこう遠いので、そう言うところがあるのは知ってたけど行ったことはなかった。実際に行ってみたら、とにかく山の中。行けども行けども、ホントにこの道でいいの?という疑問が駆けめぐる。やっと案内が出てきても、そこからさらに山の中に入って行くので心配になるけど、どんどん行くとそこに写真にある大きな農家が現れた。
  
 見学は無料で、誰もいないから外見のみかと思ったら戸を開けて中を見られた。養蚕農家によくある2階建てだが2階は見られない。正面に屋根を高く切り上げた「平カブト造」というらしい。この地域は今では山の中という感じだが、中世以来越後・信濃への交通の要衝だった。富沢家は江戸時代初期に新田を開き、養蚕の他運送業なども手掛けて栄えたという。行くのは大変だったが、行ってみるだけの価値はある素晴らしい古民家だった。
   
 泊ったのは四万グランドホテルで、同系列の「四万たむら」の風呂にも入れる。普段は有料だけど、オフシーズンだからか無料で入れるという。グランドホテルは有名な積善館の近くで、上記最初の写真の橋向こうが積善館の「元禄風呂」。そこから坂を登って行って突き当りが「たむら」。昔泊ってるけど、もうすっかり忘れてる。「森のこだま」という半露天の素晴らしい風呂に入った。宿の風呂もそうだけど、四万温泉の肌に優しい泉質になごむ。4万の病気に効くというぐらい。
   
 群馬県では夜にが降った。露天風呂で雪見できた。予報を見ると朝には上がって、明日は晴れそうだから雪で交通混乱はなさそうだ。朝になって部屋から外を見ると、最初の写真のような感じ。少しノンビリして、路面凍結が溶けそうな時間の出発。それでも車の屋根に10センチぐらい積もってた。今回は予定外で、「中之条町歴史と民俗の博物館」に寄る。宿で見たチラシに「コンウォール・リー」の企画展をしているとあったので。小学校の校舎を利用した博物館で、瀟洒な作りの建物が魅力的。前にも行ってるけど、展示が充実している。

 コンウォール・リー(1857~1941)と言われても知る人は少ないだろう。草津温泉に聖バルナバ教会を設立してハンセン病救済に力を尽くした女性である。若いころから伝道の志があったが、イギリスで母の世話をしていた。50歳になって母の没後に来日したのである。草津温泉は当時ハンセン病に効くとされ、多くの患者が集住していた。その「湯之沢」に教会を建てて奉仕活動を行った。国の隔離政策により草津にも栗生楽泉園が開かれ、湯之沢集落は取り壊された。またリーは絵画の才に恵まれ、イギリスやイタリア、日本各地の絵もたくさん展示されていた。
  
 帰る途中の国道沿い、今は渋川市になったあたりに「岩井洞」がある。昔は大きなドライブインが道の反対側にあった。ここは何だろうと思いつつ、一度も見たことがなかった。もう何十年も前から何度も通っているのだが。今回停まってみれば、そんなに大きくない観音堂。まあ文化財としては「市指定」程度の史跡で、検索してもドライブイン、今は酒饅頭の店が出ているが、そればっかり出てくる。裏の洞窟に地蔵がたくさん安置されていて、これは見ないと判らなかった。今回も一日目は前橋の「そばひろ」、二日目は水沢うどんの麺づくしの昼食。
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伊豆北川温泉で「ダイヤモンド大島」を見る

2018年01月24日 23時50分35秒 |  〃 (温泉)
 事情があって家を離れられず、半年以上ぶりにやっと温泉旅行に行った。漱石「明暗」を読んだから湯河原はどうかな、あるいは箱根と思ったんだけど、もっと暖かいところの方がいいという連れ合いの要望で伊豆を探すことにした。補助金みたいなのがあって、大手の会社で取れる宿に限られる。一生懸命探して、今まで行ったことがない「北川(ほっかわ)温泉」に、お風呂がいっぱいあって源泉かけ流しの宿を見つけた。それが「つるや吉祥亭」でロケーションも食事も大満足だった。

 ビックリしたのは、真ん前に伊豆大島が見えること。北川というのは、東海岸で伊東と熱川の間。熱川や稲取に泊ったことがないので、この大島のロケーションに驚いた。朝は快晴だったから、太陽が三原山から昇るではないか。まあ山頂より少しずれてるけど、「ダイヤモンド大島」と呼びたい感じ。まず、下の最初の写真がちょうど日が昇るころ。次が日の出前で、次第に日が出る様子。
   
 22日が大雪で、23日朝は交通が乱れた。今回は珍しく行きも帰りも電車の指定席を買ってあった。それが「最後の大ポカ」につながるのだが、それは後で。行きは一度は乗りたい「スーパービュー踊り子」で、帰りは小田原から「東京メトロ乗り入れのロマンスカー」。雪で遅れるのを心配して早く出たから東京駅に早く着いた。でも肝心の列車が来ない。線路が詰まって車庫から回送するのが遅れているとのこと。結果的に35分の遅延だったが、その間の吹きさらしの東京駅の寒いこと。

 せっかくの「スーパービュー」だけど、寒くて眠い印象のまま、さらに遅れて伊豆熱川に。もうまっすぐ宿へ向かうことにして待っている送迎バスに乗る。宿で一番最初の「貸切露天風呂」を予約。4つあって、到着後に先着順で一つ入れる。「大島」という風呂に入ったけど、実に素晴らしい。ロケーションが抜群で、小さいけど塩化物泉が体を温めてくれる。もうここで体も洗ってしまおう。湯の向こうに大島がよく見えてるけど、写真にすると見えなくなる。窓の合間から写すとかすかに見える。
  
 それより北川温泉には名物の「黒根岩風呂」がある。600円するが宿泊客は無料。前から入りたかったが、車だと停めるのが難しい。風があって寒いが何とか夕方行ってみよう。これもとてもいい感じだったなあ。でも、寒いからすぐに退散。岩に「アメリカを見な  入る 野天風呂」と刻まれていた。(空白箇所は削れてるけど、多分「がら」とあったんだろう。)でも、僕には伊豆大島しか見えなかった。伊豆大島はアメリカなのか?!と突っ込みながらさっさと帰って来た。
   
 この宿の特色にはいくつかの特色があった。お風呂に行くときタオルを持って行く必要がない。お風呂に沢山置いてある。「つるや横丁」という休み処があって、射的など「昭和30年代風」のおもてなし。甘酒やビールが無料。夕食では天ぷらが注文制。注文票が置いてあって、海老とか桜海老かき揚げ、明日葉、ナス、カボチャなど書いてある。数を書いて渡せばいくつでも持ってくるという趣向。朝はこれが干物の焼き魚になる。こっちは自分で取りに行く必要があるが。エレベーターがないので足が不自由だとけっこうきついが、食事もとても良かった。こんな感じの宿。

 送迎バスで熱川に戻って「リゾート号」で熱海へ。伊豆急リゾート号は普通料金だけで「スーパービュー」が楽しめる。座席が外を向いてるので、こっちの方がいいじゃないか。熱海が混んでるから小田原に直行。箱根ベーカリーでピザを食べて、小田原文学館へ向かった。お城を歩くには寒風がすごく、一度行きたかった文学館へタクシーで行ってみた。その建物が国登録有形文化財の洋館なのである。1937年建築で、田中光顕(たなか・みつあき)の別荘だった。
   
 その人は誰だと言われるだろうが、明治期の政治家で宮内大臣などを務めた伯爵である。土佐藩出身の「維新の功臣」だが、1937年まで生きてたの? 1939年(昭和14年)に97歳で死んだと出てるから、幕末志士の中でも極め付けの長命だ。もう相当に明治史に関心がある人しか知らないだろう。昔は政治家たちが温暖な小田原に別荘を作ったのである。小田原は北村透谷、牧野信一、川崎長太郎らが生まれ、北原白秋、谷崎潤一郎、三好達治、坂口安吾、岸田國士らが住んだ。館内の展示を見てその名前に驚くしかなかった。各階にあるテラスも面白い。この前読んだ私小説作家尾崎一雄の書斎がちょっと離れた場所にあった。小さい家だったが、これも縁で面白い。

 そこから歩いて戻るが、小田原名物「ういろう」本店はお休み。お堀端が寒く、駅ビルの富士屋ホテルの店でアップルパイの小憩。ここまでは言うことなしの旅行だったのだが、最後の最後で大きなミスをした。帰りの特急の時間を完全に勘違い。悠々間に合うつもりで改札を通ったら、もうずいぶん前に出ちゃってるではないか。そんなことがあるんだ。ちゃんと確認をせずに思い込んでいてはダメだな。多少のお金と時間が余分にかかったが、帰れないわけじゃないんだから、諦めるしかない。
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もう一度行きたい日本の宿

2018年01月04日 20時41分43秒 |  〃 (温泉)
 映画編に続いて、もう一度行きたい日本の宿。といっても、外国旅行はほとんどしてないので、日本編だけ。外国旅行は教育委員会に一月前に届け出て許可を得るのが面倒くさかった。それに日本史教員なのに、日本でも行ってないところがいっぱいあるから、国内旅行でいいやと思ってしまう。ヒマとお金が許すなら、国内外を問わずあちこちずっと彷徨っていたい方だけど、なかなかねえ。

 もう一度行ってみたい場所という取り上げ方もあるんだけど、旅館やホテルにしぼった方が書きやすい。僕が行ってみたいのは、まずは四万温泉積善館。ここは高い部屋もあるが、湯治で利用できる安い「本館」も残っている。だから行く気になればすぐ行けるんだけど、四万温泉はお湯が素晴らしいから、他の宿も泊ってみたいと思って他へ行ってるわけ。積善館は料理もおいしく、全体の雰囲気もとてもいいけど、なんといっても元禄風呂が素晴らしい。積善館には他にもいっぱい風呂があるが、ここが一番いい。全国的にもベストレベルのお風呂だと思う。
 (積善館の元禄風呂)
 次が赤倉観光ホテル。かけ流し温泉のあるクラシックホテルである。由緒あるホテルが大好きだが、温泉があるのは箱根の富士屋ホテルや日光の中禅寺金谷ホテル、九州の雲仙観光ホテルなど。明治からあるホテルもあるが、1930年代の国際観光振興策として作られたのが、赤倉、雲仙、中禅寺の他、蒲郡クラシックホテルや琵琶湖ホテルなどだ。赤倉観光ホテルは温泉街から少し離れた山腹に瀟洒な建物が立っている。一度行ってあまりに素晴らしくてもう一回行った。改装され、前以上に高くなってしまったけど、是非もう一度行ってみたい宿。料理もおいしく、またフルーツケーキが絶品。これだけでも食べに行く価値がある。個々の温泉も素晴らしい。ぜいたくな旅を味わえるホテル。
 (赤倉観光ホテル)
 秘湯系ではいくつもあるから選びにくい。もう一度行ってみたいという観点からは、長野県の中房温泉。ここも2度行ってるけど、まだまだ何度も行きたいところ。車がないと行きにくい。安曇野から延々と登って行って、突き当りにある。北アルプスの燕(つばくろ)岳の登山口にあるが、登山客以外の人の方が多い。暑い夏でも、ここまで来て素晴らしい泉質の風呂で汗を流した後で、冷水で冷やされた胡瓜が置いてあるのを味噌つけて頂く。至福だなあ。裏山では卵などを埋めれば茹で卵を作れる。夜になれば、晴れていれば星空がすごい。驚くような星空が見られる。
 (中房温泉)
 関東周辺で泉質がいいところはいくらもあるが、僕が何度も行った東北や北海道ではどこになるだろう。北海道では支笏湖畔の丸駒温泉や道南の銀婚湯温泉。場所であげれば、利尻島礼文島の美しさは筆舌に尽くしがたいけど、宿という意味ではなあ。東北では有名な鶴の湯や、宮城蔵王の峩々温泉、藤沢周平ゆかりの宿である山形県湯田川温泉の九兵衛旅館、もう無数に思い出すんだけど、ここでは八甲田の蔦温泉を挙げておく。ここは登山や秘湯めぐりの初期に行ったので、もう30年以上行ってない。ドライブで通り過ぎたことはあるけど。八甲田周辺は酸ヶ湯など名湯が多いが、蔦温泉の風呂は下からブクブク湧いている素晴らしさ。周辺のブナ林も素晴らしい。沼めぐりのハイキングも楽しい。檀一雄「火宅の人」で火宅状態になっちゃった因縁の宿でもある。
 (蔦温泉の風呂)
 西日本の方でもいくつか。車では遠くなるので、あまり行ってないし、行くときはつい普通の旅館に泊まることも多い。九州では大分や佐賀、長崎を知らないのは痛い。四国では徳島の祖谷(いや)温泉。中国地方もあまり知らない。となると、南紀で選ぶことになる。ここなら何度か行ってる。熊野本宮に近い湯の峰温泉あづまや。龍神温泉もいいけど、お湯が共同管理。あづまやは泉質も客対応も素晴らしい。実は10年ぐらい前に行ったときは、台風にあたってしまった。前日に奈良の上湯温泉神湯荘に泊った夜は怖いぐらいだった。翌日は新宮へ行く国道が熊野川の氾濫で通行不可。湯の峰泊にしていて良かった。でも名物の壷湯が川水に浸かっていた。是非もう一回湯の峰温泉に行ってあづまやをゆっくり味わいたい。世界遺産の熊野古道もちゃんと歩いてみたい。
 (湯の峰温泉あづまや)
 さて、他に「泊りたくても廃業してしまった宿」というものもある。いくつか挙げてみると、鹿児島の桜島にあった「古里観光ホテル」。龍神露天風呂という素晴らしいお風呂があったんだけど、残念ながら営業終了。温泉じゃないけど、彦根城の敷地内にある庭園、楽々園で泊ったことがある。昔風の行火(あんか)が出てきてビックリした。料理も素晴らしかった。何しろ歴史的な所縁がある場所というのが素晴らしい思い出。秘湯系の宿もどんどんなくなっているけれど、群馬県湯の小屋温泉、葉留日野山荘はお湯も良かったけど、布川事件の桜井昌司さんのブログによく出てきた。「9条守れ」の署名用紙が置いてあった宿。秘湯を守る会に入ってたが、いつの間にか止めてしまった。

 北海道の養老牛温泉藤や旅館ももうない。ここは友人の平野夫妻と北海道ドライブをしたときに一緒に泊ったところ。山田洋次監督の「遥かなる山の呼び声」などのロケ地に近く、山田組がよく使っていた。だから倍賞千恵子さんもよく来たところで、僕が泊まった日も倍賞千恵子夫妻の名前が書いてあった。(見てないけど。)その旅行で泊った幌加温泉も今は宿泊不可。ここはワイルドさでは一番かもしれない。すごいと言えば、鳴子温泉近くの「元蛇の湯」はすごい宿だった。普通の宿だと思って泊ったら、女将が整体にこっている宿で、体のリズムから夕食は5時がいいと言って、自然食っぽい料理が5時に出てきた。普通は早くても6時かと思ってたから、お風呂でゆっくりできない。朝は女将の声で6時に起こされ、太極拳をやるという宿。でもお湯はいいし、僕の趣向に会わないわけではない。どうなったかと、その後近くを通った時にわざわざ寄ったら、一般営業はやめてどこかの福祉施設になっていたから宿泊はできない。
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四万温泉ふたたび-牧水像、重伝建、水沢うどん

2017年06月21日 22時49分49秒 |  〃 (温泉)
 20日から一泊で群馬県北部の四万(しま)温泉に旅行。去年12月にも行ったばかりだけど、他の宿の優待券が今月いっぱいなので、まあ梅雨時に行くことになった。天候的にはちょっと記憶にないぐらいの大外れで、20日は山奥の方だというのに30度。暑くて外を歩く気にならない。そして21日は全国的に大雨大風で、トイレと食事以外は車の外に出たくない。

 ということで、あまり書くことがないんだけど、四万温泉水沢うどん(両日ともに昼食に食べた)のことは後に回して、まず1日目のドライブの話。今回は最近話題になることが多い「チャツボミゴケ公園」に2日目に行こうと思っていた。だけど、二日目は大雨らしく、行けるかどうかわからない。1日目に近くまで行ってみようかなと思った。今回はレンタカーの旅行である。

 伊香保周辺から長野原方面をめざし、「道の駅 八ッ場ふるさと館」で休憩。ここは初めて。例の「八ッ場(やんば)ダム」を作るということで、付け替えられた道にできた新施設である。できてないダムを見下ろす場所で、足湯もある。ダムに沈む前の川原湯温泉には3回泊まっていて、ダムをめぐる様々の出来事を思い返すと複雑な思いもあるけど、道の駅としてはキレイでお土産も多い。あまりに暑い日でボケていたか、カメラを車に置いたままだったので、八ッ場ダムの現状写真は無し。

 その後、道の駅六合(くに)を目指す。「六合」というのは付近の旧村名だけど、難読中の難読だろう。そこへ行く前に、大きな看板で「重伝建」とある。これは一体何だろう。通り過ぎた後でも説明板があり、なんか見どころがあるらしい。「赤岩地区」とある。これは「重要伝統的建造物群保存地区」の略だった。知らなかったのである。中身は読めばわかる通りの趣旨で、赤岩地区は「山村・養蚕集落」として選ばれた。ということで、車でざっと流してみたけど、暑いから外へ出たくない。まあ、今度ということで。近くには「長英の隠れ湯」という温泉施設もある。高野長英である。

 道の駅六合で、やはりこれ以上奥へ進むのは無理という感じの時間になり、暮坂峠沢渡温泉経由で四万を目指すことにする。ここは昔若山牧水が歩いて通った道で、「新編みなかみ紀行」(岩波文庫)は明治の温泉事情が判る面白い本。ここには以前来ていて、そこに立つ牧水の碑も見ている。牧水の詩の一部が書かれているが、「名も寂し 暮坂峠」とあるのが忘れがたい。上州の北の方へ来るたびに思い出すフレーズである。今回はまあ写真を撮らなくてもいいかなと思った。

 ところが妻が「肖像があったよね」という。マントを羽織った像があったという。もう覚えていない。ここにあったんだっけ。他じゃないの? と言いつつ車を出したら、妻が「トーナンにあったって出てる」という。僕は碑の「東南」に牧水の像があるのかと思い、それなら写真を撮ってもいいかなと思ってUターンした。何しろ牧水像なんか全然覚えてないのである。と思って車を戻したら、何と「盗難にあった」という看板があったのである。2016年7月10日、牧水像を盗んでいったヤツがいるのである。いや、トーナンが盗難だったとは…。だけど、どうしてそんなことをするんだろうか?
   (2枚目が像のない詩碑)
 今回の宿は「鐘壽館」(しょうじゅかん)である。有名な「やまぐち館」の近くにある宿で、何しろお湯がよく出ている。お風呂がいっぱいすぎて、入りきれない。エレベーターもなくて、足が悪いとちょっと大変かなと思うけど、実にぜいたくにお風呂巡りをできる宿。食事も美味しかった。繁忙期を避ける旅行をしていると、他の客に会わない時もある。お風呂独り占めで、うれしいんだけど、なんだか申し訳ない感じもする。カワイイ猫が2匹いる宿で、猫と思えないほど寄ってくる。特にラッキーちゃんがひと懐こい。猫好きの人にお勧めの温泉宿。(猫写真はうまく撮れなかった。)
   
 お風呂はいっぱいあり過ぎて、どこから入ろうかと思うけど、裏山に特別の露天風呂「山里之湯」があるという。ここは鍵がかかっていて、旅館の人に案内をしてもらわないといけない。結構な急坂で、なるほどこれは大変。そして3つの風呂がある。晴れてないと行けないと思うけど、もちろんかけ流しの名湯がぜいたくにあふれる。これだけで時間が過ぎてしまうけど、館内にもっとある。
   
 上の最初の写真が「男風呂」で、そんなに大きくないし、作りは結構古いんだけど、誰もいないから快適。それよりもっとすごいのは、露天風呂だった。ただ夕方4時から6時までは女性専用で、ここの写真は2日目の朝のもの。滝のように源泉があふれていて(打たせ湯ではないと断りがある)、その広さは迫力一杯。どこから出ているかと思うと、案内に旅館の下から出ているとある。さらに無料の家族風呂が3つもあるので、全部は入ってない。飲泉所も館内にあるから、何度も飲んでしまう。

 四万温泉はあたりが柔らかく、若い時にはちょっと物足りない感じもあった。でも「4万の病を治す」というだけあって、この癖のないお湯が年齢とともにありがたくなってくる。自然、文化体験が草津や伊香保より弱いけど、それに勝るほどの良泉だと思う。どの旅館もそれぞれ面白いと思うけど、できれば全館制覇したい温泉。あらためて四万温泉(それに近くの沢渡温泉)を大宣伝しておく次第。

 ところで、伊香保近くの水沢うどんは、讃岐、稲庭とならび「日本3大うどん」と称している。10年ぐらい行ってないので、一日目に食べに行く。ちょっと昼食には遠いので、敬遠してしまうのである。今回は地図をよく見て、「駒寄スマートIC」(パーキングエリアからETCで出る)を使えば、案外行きやすいと調べて行った。これが大正解。「大沢屋」とか「山本屋」なんかの有名どころは行ってるので、どこにしようかと「山源」というところ。ゴマダレしかないけど、また案外麺が細いけど、美味しかった。二日目も水沢でいいかなと今度は「松嶋屋」に行く。大雨で写真を撮る気にならなかった。こうなると、大沢屋なんかにもまた行ってみたくなるなあ。他の地区にはないほど、うどん屋が並んでる地帯である。
 
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雪の湯西川温泉とかまくら祭り

2017年02月22日 20時42分46秒 |  〃 (温泉)
 栃木県の湯西川温泉に一泊。今は合併して日光市になっているが、元栗山村。雪深い里で「平家落人村」の伝説が残る土地である。20年ほど前に一回行ったことがあるけど、大雪にあたって何も見ないで帰ってしまった。その後、冬には「かまくら祭り」をやっているということで、特に幻想的な「ミニかまくら祭り」を見たいなと思って、久方ぶりに行ってみた。調べてみると、大きな宿も小さな宿もあって、源泉かけ流しの宿ばかりである。あらためて評価するべき温泉地だと思う。

 さて、当日は東京は晴れだけど、鬼怒川温泉あたりから粉雪。そこからさらに電車で北へ向かい、湯西川温泉駅に着いた時にはかなりの雪になっていた。その「ミニかまくら祭り」は会場も遠く、どうしようかと思っていると、宿で送ってくれるという。それは夕食後の7時か、7時半と言われたんだけど、風呂の後でウトウトしてたところに電話があった。風が強いので消えてしまう恐れがあり、今すぐ行くことにしたい…。さっそく準備して出かけて行った。それが次のような写真。
   
 初めはまだ薄暗かったのに、どんどん暮れていく。ただ近くには寄れない。遠くから見るだけ。「ミニかまくら」って何なのかというのは、3枚目の写真にある通り。小ぶりの「かまくら」の中にろうそくを灯す。宿の人などの手作りで、実は月曜に土砂降りの雨でかなりダメになってしまい、今日作り直したという。もとは千個ぐらいあったのが、今日は800ぐらいだという話。確かによくよく見ると、ところどころ消えている。風が時々強く吹き、もっと後では危なかったかなと思った。
 
 雪は相当に積もっていて、昨日の夜から朝にかけ降ったらしい。道の除雪は追いつかない。早く着いたので、少しノンビリ回ってみたけど、慈光寺あたりの道は雪でいっぱい。川を渡るときに橋から周りを撮ってみた。最後は宿の部屋から見た写真。一面の雪景色である。
    
 次の日は朝から晴れている。露天風呂は源泉50度かけ流しだけど、かなり温度も低くなっている。部屋から見ても雪景色である。宿はバスの終点真ん前の「湯元 湯西川館」というところ。高くないけど、アットホームな宿で、良かった。3枚目の写真が宿だけど、拡大するとつららがすごい。
  
 そこから歩いて「平家の里」へ向かう。夜のライトアップは寒いから敬遠したんだけど、まあ有名なところだから、一度は行ってみようかな。ここは「かまくら祭り」のメイン会場で、さすがに見どころがあった。茅葺の屋根からは黄色い(わらの色が付いた)つららが下がっている。今日は結構温度が上がって、落ちてきそうで危ない。まあ、こんな感じのところ。一角に鹿が飼われていた。
   
 珍しく自分の写真も撮ったので、たまには。かまくらの大きさも判るだろう。
  
 町中ももっと撮ったけど、まああまり載せても…。要するに雪ばかりなので。川沿いに共同浴場があった。どんどおお湯が出ている。だけど、脱衣所と風呂に境がなく、「混浴」(というか、誰も入ってない感じ。)車では入れないし、案外穴場かもしれないと思ったけど、残念ながらうっかりタオルを全部宅配便で送ってしまっていた。(湯西川温泉駅隣接の道の駅にある入浴施設には入ってみた。タオルは買えるので。)ここの駅はトンネル内にあることで知られている。トンネルから通路を通って(というか普通はエレベーターを使うけど)、地上に出る。上が「道の駅」にもなっている。(最後の写真)
   
 冬だけど、バス便が良いのでお年寄りが団体でいっぱい来ていた。「ミニかまくら祭り」は外国人も多いようで、ムスリム女性の団体や中国語も聞かれた。東京周辺で手軽な「雪国体験」ができる場所でもあるんだろう。お湯は弱アルカリ性の単純温泉で、昔はこういうお湯はなんだかつまらなくて、もっと癖のあるお湯が好きだった。でも、最近は単純泉の癖のなさがいいなと思うようになってきた。夜まで暖かく、いいお湯だったなと思う。もう一つ、再評価するべき温泉地を見つけた気がした。
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B&Bで個人主体の温泉旅館を-温泉の話⑤

2017年01月31日 18時37分09秒 |  〃 (温泉)
 少子高齢化が進む日本で、温泉旅館はどうあるべきか? 会社や学校の団体旅行を中心にしてきた旅館は、今後は苦闘が続くだろう。社員旅行も修学旅行も、今後の伸びが期待できない。これは日本社会全体の問題でもあるだろう。会社中心社会、学校中心社会そのものを変えていく必要がある。

 日本の温泉宿は一泊を基本としている。場合によっては2泊する人もいるけど、何か事情がない限りそれ以上同じ宿に泊まることは少ないだろう。大体、仕事をしている間はそんなに休暇を取れないし、定年になったら今度はお金の問題で高い旅館に長く泊まれない。お金もヒマのある人がいたとしても、せっかくの旅行はいろいろと見たいと思って、他の観光地に移動するのが普通だろう。

 お金やヒマの問題をクリアーできても、日本旅館ばかり泊まると飽きてしまうという根本的問題がある。刺身やてんぷら、陶板焼きなどが嬉しいのは、続けて2日目ぐらいまでだろう。そういうのがずっと続くとさすがに飽きる。同じ地域を回ると、同じ食材が続くことが多い。ある地域に行ったら毎日鯉こくが出て、また違う地域では馬刺しが出た。南紀の温泉を泊まり歩いたときは、毎日鱧(はも)が出たんだけど、関東では珍しいから最初は「これがハモ?」と嬉しかった。でも、それが続くと、もったいないと思いつつ飽きてくるのである。

 こういう宿は今後少なくなっていくと思う。高齢化が進むと、どうしても「高い値段、美味しい料理」というコンセプトの旅館に魅力を感じなくなる。仮にお金があったとしても、もう少しヴォリュームとカロリーの少ない料理が欲しい。どんな旅館でも追加料理はあるから、もっと食べたい人は自分で頼めばいいのである。そうなると、高い値段で美味しい料理を出す旅館は、難しくなっていく。

 日本人の人口が減るわけだから、当然その分温泉宿に泊まる人は減る。団塊世代が後期高齢者になって、それでも元気で温泉に入りたいという需要は当面あるだろう。だけど、やがて2030年代頃から温泉に行く人の絶対数がグッと減るはずだ。その分を外国人観光客で埋められるだろうか。僕は日本の温泉宿と日本食は、今後発展していくアジア諸国の中で人気を得られるだろうと思う。一度は泊まってみたいという人が多いのではないか。でも、高額で料理沢山の宿ほど外国人を受け入れにくい。予算面でもそうだけど、接客方式すべてが、日本人客を想定していて、他の要望に応えにくい。イスラム教徒には豚由来の食品を出さない、ベジタリアンにも対応できるというような基準を考えれば判るだろう。今の温泉旅館は予算や予約方法、外国語対応などすべてにおいて、外国人客が利用しにくい

 今でも九州や北海道などでは、台湾や韓国あるいは東南アジアからの観光客が多い。だけど、一般的には団体で利用する以外は難しいだろう。よほどの富裕層が極め付けの高級旅館に泊まることはあるかもしれないが。そういう状況を抜本的に変える必要があると思う。それは単に外国人客対応というにとどまらない。日本社会が「会社単位」(の団体旅行)、「家族単位」(の週末や夏休みの短期旅行)から、「個人単位」の長期滞在型旅行に向いた社会に変わらないといけないということなのである。

 そのためには、値段を下げるためにも、また長期に滞在するためにも、「B&B」(ベッドとブレクファスト、宿泊と朝食のみを提供する宿)を多くするしかない。そして実際、そういう宿が少しづつ増えている。ある程度の規模の温泉地なら、旅館の外にもいい食事処があるものである。そうじゃないと昼食を食べるところがなくなる。温泉地でも温泉以外に勤める人もいるわけだから、当然レストランも飲み屋もなくては困る。そういうところでは、外のおいしいレストランに食べに行くのも楽しい。

 僕の行ったところでは、愛媛県の道後温泉にあるホテル・パティオ・ドウゴというホテルがある。有名な道後温泉本館の真ん前にある。道後温泉に行って、道後温泉本館に入りにいかない人はいないだろう。それだったら、何も高い旅館に泊まるより便利だろうと思って連泊してみた。近くに道後麦酒館という地ビールレストランがある。ビールも美味しいし、宇和島のじゃこ天など地のものも大変おいしい。こういう旅行が他の温泉地でもできればいいと思うのである。
(ホテル・パティオ・ドウゴ)
 ところで、そういう共同浴場もいいけど、今後は小さなお風呂がたくさんある旅館も欲しい。外国人客はどうしても肌を見せるのを嫌がることが考えられる。それに日本人だって、高齢化していけば、男女別の大浴場ではなく、家族で介護できる風呂が欲しいはずだ。障がいや病気を抱えた人も大浴場には行きにくいだろう。「家族風呂」といえば、カップルで利用できるといった宣伝が多いけど、今でも介護などで利用している人は多いと思う。それに「家族」風呂というけど、一人で利用したっていいはずでである。(もちろん部屋の風呂が温泉になってればそれでいいわけだが。)

 「B&B」の宿ばかりではなくて、宿泊を止めて、立ち寄り入浴と食事に特化した宿もあってよい。食事も今までのように宿ごとに作っていては、やがて人手が確保できなくなる。だから、ある宿が食事を作ること専門になればいいのである。宿泊用のスペースを外部のレストランに開放することも可能になる。今まで食事を作ってきた部門を独立させて、美味しい懐石料理専門店にしたらいい。同時にその宿にマクドナルドや日高屋があってもいいではないか。安く食べたい人はそっちを利用すればいい。ある宿には回転寿司があり、他の宿にはステーキ屋がある。自由に選べればいいと思う。そんな中に「ハラル料理専門店」(ムスリム対応の店)があれば、その温泉にイスラム圏の客も行くだろう。

 こうして個人単位で長期滞在できる宿が増えていけば、高齢者だけでなく若者や外国人の長期利用が増えていくと思う。それが新たな需要を生む。何日も滞在するようになれば、文化施設やスポーツ施設がもっと必要になる。新しい動きも出てくる。しかし、僕が言いたいのは、ただ温泉の問題ではない。要するに日本社会を個人単位に行動できるように変えていく必要があるということである。そういう社会は、高齢者や障がい者にやさしい社会であり、外国人を受け入れやすい社会である。そういう風に変えていかないと日本は持たない。僕が言いたいのは、そういう風に日本社会をデザインしていく中で、温泉旅館も考える必要があるということである。日本は大胆に変わっていかざるを得ない。温泉旅館こそ、その最先端になれるだろう。
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中堅旅館の没落、二極化する温泉旅館-温泉の話④

2017年01月30日 20時23分07秒 |  〃 (温泉)
 日本社会の変化を表すときに、ここ何年も「少子高齢化」だとか「格差拡大」がキーワードになっている。それを温泉という視角から見ると、どうなるか。まさに「温泉旅館の危機」であり「温泉旅館の二極分化」が進行している。「中堅旅館の没落」は緊急の問題になっていると言っていい。

 大旅館がいっぱいある温泉地でも、歩いてみると廃業した旅館がとても多い。去年行った鬼怒川などはその典型で、いくつもつぶれていた。かつてはバスを連ねた団体旅行でいっぱいだったような旅館も、バブル時代に規模を大きくした借金を返せないで倒産したのである。そういう廃業旅館は、いまや「廃墟マニア」の垂涎の的となり、そういうサイトを見るといっぱい見つかる。群馬県安中市の磯部温泉もずいぶんつぶれていて、詩人大手拓次の生家として知られた蓬莱館もつぶれてしまった。

 最近は「耐震基準を満たせない廃業」という問題も起きている。下北半島北部にある薬研温泉にあった「ホテルニュー薬研」は、黒字だったけれど2016年11月に閉館した。耐震基準が厳しくなり、改築の費用が出せないということでやむなく閉館したのである。ここには古畑旅館という古い宿もあったけれど、そっちも廃業している。昔、下北半島へ行ったときは古畑旅館に泊まったんだけど、ホテルニュー薬研近くの露天風呂に入りに行った。下北半島となると、そう度々訪れるところではないだけに、こうして貴重な温泉宿がなくなってしまうのは残念である。

 他に思い出の宿でなくなってしまったのは、秋田県の秋の宮温泉郷にあった稲住温泉。武者小路実篤が疎開した宿として有名だったが、多額の負債を抱えて倒産してしまった。鹿児島の桜島にある古里温泉の古里観光ホテルも、2012年に倒産した。白い浴衣を着て入る海沿いの龍神露天風呂は大変爽快な体験だった。温泉で炊いた龍神釜飯も名物だった。ここは林芙美子生誕の地で、一番大きな旅館がつぶれてしまったのは残念でならない。こういう貴重な宿がもうない。

 秘湯の宿もどんどんなくなっている。家族経営のような宿が多いから、後継者難で閉めざるを得ない。あらたに経営者が現れ再開できた宿もあるが、宿泊者受け入れを諦め、立ちより専門になる宿もある。かつて訪れて、ここはいいなあと思った宿が調べてみるとつぶれてしまっていたりする。秘湯の宿でなくなったのは、北海道ニセコの新見温泉、秋田県最北の日景温泉、青森の温川温泉、群馬県の湯の平温泉松泉閣、湯の小屋温泉葉留日野山荘、秩父の鳩の湯温泉など枚挙にいとまない。

 日本社会の現状を見ると、今後の高齢化・人口減を見通すと、温泉旅館の厳しさは続くだろう。自分の代は何とか続けたいが、子どもには継がせられないと思う経営者も多いと思う。地方では買い物や子育ても不便だから、一軒宿のようなところほど経営が難しい。バブル期にどんどん作られた入浴施設も、建物の限界が迫れば、リニューアルされずに廃業するところが多いはずだ。手をかけたお風呂と料理をウリにした日本の温泉宿も、貴重な絶滅危惧種なのではないか。町の本屋やミニシアター、名画座などと同じように。僕はそれでもそれらは必要だと思うし、行き延びて欲しいのである。

 このように特に中堅旅館がつぶれつつあるわけだが、そんな中で温泉旅館も二極分化が進んでいる。値段が高い高級ホテルを続々と展開するリゾートホテルと、365日同一料金の安い値段と夕食バイキングを売り物にする安い旅館グループである。前者は「星野リゾート」で、後者が「伊東園ホテルズ」や「大江戸温泉物語」、「おおるりグループ」などである。前に泊まったホテルが、いつの間にかこれらのグループになっていることが関東圏では結構多い。

 「星野リゾート」は、軽井沢にあった星野温泉がもとになっている。(今は「星のや軽井沢」)ここは昔の勤務校の寮が近くにあって冬季の管理を委嘱していたから知っている。「とんぼの湯」という大きな入浴施設を作り、またホテルを近くに立てるなど、軽井沢でずいぶんやる気を出していた。ここが経営難のホテルなどをどんどん引き受けて、非常に大きくなっていった。最近話題になった東京大手町の「星のや 東京」とか、沖縄の竹富島、北海道のトマムリゾート、さらにバリ島にまで広がっている。

 温泉旅館は「」の名前で展開している。例えば、日光中禅寺湖畔にあった「日光離宮楓雅」が「界 日光」になった。青森の大鰐温泉にあった有名な「南津軽錦水」が「界 津軽」、熱海伊豆山の蓬莱旅館が「界 熱海」という具合である。(リゾナーレという系列もあって、「あたみ百万石」は「リゾナーレ熱海」となっている。)こうして箱根や伊東、さらに山中温泉、玉造温泉などに広がっている。その他、青森県の小牧温泉を「星野リゾート青森屋」として再生させた。高級旅館・ホテルをつぶさずにリニューアルさせた功績は大きいが、今後どうなっていくのか。値段的に利用するのは難しそうだけど。

 「伊東園ホテルズ」はじめ安い料金のチェーン温泉は、首都圏を席巻していると言ってもいい。新聞の広告にもよく出ているし、折り込みチラシも多い。首都圏各地からバスで直行便を出していて、ほとんど都内と旅館の往復で済んでしまう。夕食はバイキングだし、部屋にもあまり金をかけない。経営的に難しい旅館がどんどんグループに入っている。料金は大江戸温泉物語グループが一番高いけど、一万円はしない。伊東園やおおるりは6千円台ぐらいだから、それで料理も部屋もすごく良いとは期待してはいけないだろう。(ちなみに、伊東園は伊豆の伊東温泉から始まるけど、伊豆の資本ではない。カラオケの「歌広場」と同じ経営体である。)

 伊東園は伊豆に一番多いけど全国に広がりつつある。(伊豆に17館ある。他の関東一円に18館、中部・近畿、北海道・東北に合計10館ある。)一時は十和田グランドホテルと谷地温泉も買っていたが、これは売却した。谷地温泉というのは八甲田山麓の温泉で、秘湯を守る会に入っていた。さすがにそういう宿は伊東園方式では難しいのだろう。大江戸温泉物語は、かんぽの宿や郵貯のメルモンテなど公的施設を買収した例が多い。いずれにせよ、これらの宿は「居抜き」で買い取った旅館で、365日同一料金方式で広がっている。このような安い宿が求められていたとも言えるだろうけど、要するに日本社会の二極分化が温泉旅館でも起こっているわけである。

 これらのグループが、日本の温泉文化にとって、いいことなのか悪いことなのかは見極めが難しい。ただ、そのままではつぶれたかもしれない旅館が救済されたとは言えるんだろうけど…。でも、山の宿でも海の宿でも、似たようなメニューの夕食バイキングでは、つまらない。時には「カニ食べ放題」などとうたうが、地産地消には程遠く、収奪型食文化と言えるのではないだろうか。循環の温泉に入って、食べ放題で飽食していては、温泉旅行で健康になるはずが、かえって不健康になって帰るようなものである。ともかく、温泉旅館を通してみると、今後の日本はなかなか大変そうである。
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「文」「理」「体」「美」の温泉論-温泉の話③

2017年01月29日 20時20分23秒 |  〃 (温泉)
 文系理系という分け方がある。でも、これからの時代はそれぞれバラバラではダメで、「文理融合」の発想が必要なんだともよく言う。僕は温泉こそ、一番「文理融合」の考え方が役に立つんじゃないかと思う。まず、温泉というものはそれ自体が「地学的現象」であり、自然環境とともにある。(いまでこそ深層ボーリングで都心にも温泉を名乗る施設があるけど。)と同時に、温泉はただお湯が出ている場所ではない。日本に暮らした先人たちが、温泉を単なるお湯ではなく、健康、信仰、行楽の癒し空間として整備してきた。このように、「自然」と「歴史」があいまって温泉というものがある。

 と同時に、「文理」だけでは不十分だという気もする。僕はもともと教育には、文系、理系と分ける以前に「論理」の大切さ、論理的思考の重要性という役割があると思う。だけど、それだけでは不十分だろう。世の中は論理だけではない。「身体性」や「美的感覚」がとても大事で、それは学問、芸術だけでなく、ビジネスでも必須の感覚ではないかと思っている。だから、「文」「理」「体」「美」という発想法が大事で、それが温泉を考えるときにも役立つ。温泉こそ、「文」「理」「体」「美」を統合するものじゃないか。

 自分なりに「良い温泉」というものを考えてみる。そうすると、まず第一に「効能」や「かけ流しかどうか」といったことがあがる。宿や観光地の選択ではなく、「温泉選び」なんだったら。入ってみると明らかに「ここは凄い」という泉質もあるのである。そういうのは、結局は「火山の恵み」である。自然湧出のお湯でも、非火山性の場合も少しあるらしいけど、やっぱり温泉のほとんどは火山性である。

 温泉は大体山や海の絶景近くにある。たまに田んぼのど真ん中に湧き出したところもあるけど、大体は美しい景色の中にある。国立公園、国定公園に指定されているところも多い。温泉という現象は火山のもたらすものだから、当然である。伊豆のように海辺に温泉がズラッと並ぶところもあるが、伊豆半島そのものが北上して本州にくっついた。海辺といっても、伊豆という火山性地形の一部なのである。

 日本列島のほとんどの温泉は同様だろう。だから、温泉は「自然科学的理解」がないと判らない。温泉がある山や海も自然観察に向いている。自然を満喫したいと思って温泉に行く人も多いだろう。だから「理系」的な感覚が温泉選びにも必要だ。山へ行けば植生が変わる。動物に会えることも多い。冬の奥日光をスノーシューで歩き回れば、多くの動物たちの足跡を確認できる。それも温泉の楽しみだ。

 一方、温泉には「温泉神社」や「温泉寺」があるところも多い。歴史的に信仰の対象になってきた証である。湧き出るお湯を温泉として利用してきたのが、日本民衆の歴史である。戦国時代には「信玄の隠し湯」と言われるように、戦傷者の回復に利用されたらしい。(近代に作られた観光伝説も多いと思うが。)近代になると、観光に利用されるようになり、大きな旅館も作られた。それでも農閑期の湯治のような利用は、今も各地の小さな温泉地に残っている。日本の風土を思う時、夏の高温多湿、冬の多雪や乾燥に対して、温泉に癒しを求める民衆的心性が作られてきた。日本の歴史、民俗を考えるヒントが温泉にある

 さて、僕はその上にさらに、温泉を通して「体」と「美」を考えたいのである。「体」といっても、スポーツをするということではない。スポーツ合宿をしてもいいし、登山やスキーを温泉を拠点にするのもいい。特にスポーツ医療の点では、温泉はもっと貢献できるはずだと思う。ケガをしたスポーツ選手の回復を、温泉に作られた科学的な拠点施設でじっくり取り組めたら、非常にいいことではないかと思う。福島県いわき市の白鳥温泉には、ケガした競走馬のための馬の温泉がある。人間の温泉療法も、もっと組織的に行うべきだと思う。

 だけど、僕がここでいうのは、むしろ「体の声を聴く」というようなこと。運動能力を競うのではなく、「体を育む」という本来の意味での「体育」である。温泉にじっくり浸かって、自分の身体と向き合い、運動や食の改善を行うような体験である。高齢化が進行する中で、一泊して豪華な食事を頂くというのではなく、「健康増進としての湯治」が今後もっともっと求められていく。それはきっとアジア各国からも多くの観光客を集めることになると思う。

 ただ温泉に浸かるだけではなく、ウォーキングのコースがいっぱい整備されているような温泉地の方が面白いと思う。僕の好きな日光湯元温泉を初め、草津や八幡平、八甲田などの温泉地が思い浮かぶ。八甲田山麓の蔦温泉には、天然のブナ林と沼を巡るコースがある。秋田の乳頭温泉郷は、全部泊まるわけにもいかないけど、どこかに泊まって他の秘湯を歩いて回る人々でいつも一杯である。「温泉聖地巡礼」といってもいい。

 そうやって訪れる、蔦温泉のブナ林、あるいは奥日光の湖の景観などは、とても美しい。美的に癒されると思う。温泉はそれに入る楽しみだけでなく、歩いて健康になり、周辺の自然環境の美に触れて心もリフレッシュする。一方、歴史的景観の美というものもある。山形県の有名な銀山温泉のようにレトロな温泉街そのものが、美的な興奮を呼ぶところもある。また、僕の大好きな長野県別所温泉のように、温泉地の中に史跡が多く、安楽寺の八角三重塔のような国宝指定のものまである。裏山のてっぺんにあるから、下から歩いて段々と近づいてくるまでに、ああ、美しい建物だなあと思う。

 そういう温泉地が僕は素晴らしいと思うのである。僕の好きな温泉を思い浮かべてみると、泉質がいいうえに、周辺の景観が美しく、そこをウォーキングする楽しみがあるような場所が多い。それをまとめてみると、このような「文」「理」「体」「美」の発想になる。そしてその考えは、温泉だけでなく他のことを考えてみるときにも、きっと役立つんじゃないかと思っているわけである。
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本物の温泉とは-温泉の話②

2017年01月28日 20時47分19秒 |  〃 (温泉)
 温泉の話を始めると、あの温泉はいい、いやあっちもといった体験自慢のようになる。そういう中で、より客観的な基準で「良い温泉」を考えてみようというのが、石川理夫「本物の名湯ベスト100」という本である。(「本物の」には点が振ってあるけど。)とても面白い本で、役立つことが多かった。

 温泉は日本にものすごくたくさんある。(日本温泉総合研究所というところのサイトを見ると、2014年度に3088の温泉地があると出ている。一軒宿も一つ、大温泉地も一つで数ええた数である。近年は閉める宿が多く、漸減している。)たくさんある温泉も、当然ながら玉石混交である。温泉に入って気持ちよくなって帰りたいのに、かえって肌が荒れてしまったようなお湯に行ったこともある。

 温泉というものを考えてみるには、「温泉とは何か」という定義がいる。日本には「入湯税」という間接地方税もあるから、温泉の定義は大事である。温泉じゃない沸かしの大きな風呂なら税金はかからないけど、温泉旅館あるいは温泉施設を利用すると税金がかかるのである。(1人150円。なお、これは一般財源ではなく目的税。温泉の保護や観光振興などに限って使われる。)

 温泉法という法律で「温泉の定義」が決められている。それは温水、鉱水または水蒸気等のガスで、以下のようなものというのである。(水蒸気ガスが噴出する温泉もかなりある。)条件は「源泉の温度が25度以上」または「以下の成分のうち一つ以上を含む」というものである。以下の成分は19あるが、「1㎏中の溶存物質が、総量で1000mg以上含まれている」とか「遊離炭酸(CO2 )が250g以上」とか、その他さまざまな金属イオンが決められた以上含有されているというものである。
 
 成分表が風呂場に貼ってあっても、大体ちゃんと見ない。でも、こういう法律的な根拠を示しているわけである。この規定は温泉ファンにはよく知られているけど、ちょっとおかしい。後半はともかく、前半は成分じゃなくて温度の規定である。地下の方が温度が高い。地温勾配というらしいが、100m掘ると3度上昇するという。今の技術では1000mぐらいまで掘れるから、地下深くボーリングして地下水が湧出すれば、それは成分に関わらず、必ず「温泉」になる。でも、それっておかしいでしょ。

 温泉はやはり効能あってのものだろう。石川氏の本を読んでなるほどと思ったんだけど、単純温泉と呼ばれるようなものでも、ちゃんとした成分を含む温泉だと非常に濃厚である。家庭の風呂で言えば、入浴剤を5袋一度に入れたほどの濃い成分になるという。そんなことをする家庭は普通はないだろう。大きい風呂だから何となく入ってしまうけど、ちゃんとした温泉はすごく濃厚なのである。

 また石川氏の本で改めて思ったけど、「療養泉」というものを知っておかないといけない。温泉の名前が2014年に変わって、10種類に整理されている。列挙すると、単純温泉、塩化物泉、炭酸水素温泉、硫酸塩泉、二酸化炭素泉、含鉄泉、酸性泉、含よう素泉、硫黄泉、放射能泉というものである。単純温泉といっても、特に何かの成分が突出して多いわけではないというだけで、各種成分が濃厚に含まれているのは変わらない。肌にマイルドだから、特に特定の疾患がなくて疲労回復が目的なら、一番いいかもしれない。こういった療養泉の扱いを受けている温泉がいいんだと思う。

 温泉もそれなりの湧出量がないといけない。もっともそれは宿の数、あるいは宿のお風呂の大きさや数にも関係する。一軒宿なら少なくてもいいし、大旅館が林立しているような大温泉地では湧出量が多くないとダメである。というか、本来はお湯がたくさん出るから旅館が立ち並んだはずである。でもバブル期に巨大化したホテルでは、露天風呂を作り、大浴場も複数作り…ということで、お湯が足りなくなる。大体、客が多すぎると、お湯が汚れるから、循環させないとやっていけなくなる。循環して殺菌したお湯は、確かに温泉力が低くなると思う。

 もっともお湯が少ない温泉や、あまりに巨大な旅館などでは循環がやむを得ない場合もある。事前にわかって泊まるなら、やむを得ない時もある。ところが「あれ、ここって温泉だったっけ」というような観光地が、温泉を名乗っていることが最近は多い。これらは地下深くからの湧出だろうけど、循環、塩素殺菌が激しくて、何のための風呂なのか判らない旅館も多い。沸かしの方が良かったところもある。

 20年ぐらい前から、「源泉かけ流し」という言葉がよく聞かれる。(松田忠徳氏が特に主張した。)僕もそれが温泉の基本だと思う。その方が絶対に気持ちいい。でも、かけ流しならいいのかというと、必ずしもそうでもない。源泉からどう運んできたのか、加温加水の状況、それに掃除などメンテナンスがしっかりしてるかという問題もある。かけ流しでも掃除がきちんとされてなければ、台無しである。立ち寄り入浴者が多くて、せっかくこっちは宿泊しているというのに、もうかなりお湯も汚れていたような宿もあった。

 ホンモノの温泉を探すには、ホンモノじゃない温泉にも山ほど行く必要がある。それは映画や本なんかと同じで、身銭を切っていろいろ学ぶしかない。ガイドは参考になるけど、絶対ではない。ネット情報も同じ。そんな中で、自分なりにどんな温泉がいいのかを考えてみた。自分なりの温泉基準を考えてみると、それは人生観、教育観につながると思った。そういう話は次回以後に書いていきたい。
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温泉好きになるまで-温泉の話①

2017年01月27日 19時52分08秒 |  〃 (温泉)
 僕は映画を8000本以上見ている。日本百名山のうち、ちょうど半分の50座に登っている。数の評価はともかくとして、行ったことがある温泉は約400である。これは僕の気持ちとしては、非常に少ない。もっと増やせるはずだったけど、最近は同じ温泉、同じ宿に泊まることも多くなってきたので、なかなか増えない。特に北陸、山陰、北九州が抜け落ちが多くて、どうも日本全体の温泉を論じにくい。

 だけど、温泉の話を数回続けて書きたいと思う。きっかけとなったのは、年末に四万温泉に行ったこと、石川理夫「本物の名湯ベスト100」(講談社現代新書)を読んだことだけど、もう一つある。それは自民・維新による「IR法」(カジノ解禁法)の強行採決である。それ以来、日本における「リゾート」の歴史や今後を考えているのである。そうすると、日本では「統合的リゾート」の中心は「温泉」じゃないかという思いが強くなってきたわけである。

 そして、温泉というものを考え始めると、それは日本論、あるいは教育論につながっていくことになる。そこらへんはおいおい書いていくとして、まず最初に自分が温泉ファンになるまでのことを書いてみたい。僕が自覚的にたくさん温泉を訪ねるようになったのは、30を過ぎたころからだと思う。それまでも家族や職場などの旅行で温泉に泊まったことはある。一番最初の温泉がどこかは覚えてないけど、家族で行った日光・鬼怒川、あるいは伊豆のどこかだろう。

 でも、その時は「温泉に入った」という意識がなかった。旅館にある「大きな風呂」に入ったという気持ちしかないわけである。旅行の楽しみは、お風呂ではなくてゲームコーナーである。子どもはそんなものだろう。大体、人生に疲れているわけでもなし、湯に浸かって「癒し」を感じるという年頃ではない。連れてこられた大きな旅館で、大きなお風呂に入っていただけである。

 でも、あのころは世の中も大体そんなものだった。日本の経済復興とともに、「観光ブーム」が訪れる。東京に近い伊豆・箱根などは大ブームとなる。そういうことは当時の映画にかなり出ている。獅子文六原作の「箱根山」(川島雄三監督)を見ると、当時小田急(+東急)系と西武系で争われた「箱根山戦争」が描かれている。(ちなみに、伊豆下田でロープウェイに乗ったら、東急の総帥だった五島慶太について「五島慶太は永遠に伊豆で生きている」と大きく書いてあってビックリした。)小津監督の「東京物語」に出てくる熱海の旅館を思い出しても判るだろう。

 旅館、ホテルはどんどん大きくなり、お風呂も大きくなった。そうなると、限られた源泉をうまく利用するために、「循環」方式が発明される。温泉旅館は団体旅行で行くのが当たり前になり、大騒ぎしてくる。お風呂は泉質よりも、大きければ受けるということになってしまった。そして、バブル時代が来て、お金をかけてピカピカの大御殿のような、まるでトランプタワーのような大旅館がたくさん作られた。そして、バブル崩壊とともに、大体つぶれてしまったわけである。

 僕が最初に一人旅をしたのは高校生の時で、中国地方をぐるっと回った。その時点では山や温泉ではなく、倉敷や松江、津和野、萩などを訪れたのである。(まあ、広島の原爆資料館も見たかったんだけど。)大学時代は京都へ行ったし、その頃は「昔の街並み」にひかれていたんだと思う。(今も好きである。)大体、温泉旅館は当時一人旅をほとんど受け入れなかった。値段も高いし、温泉は年寄っぽいイメージだったのである。若いころはお金もないし、町のビジネスホテルに泊まって旅をするのが普通だった。温泉は眼中になかったのである。

 僕が温泉はいいなあと思ったのは、新婚旅行で南紀に行ったことが大きい。授業と部活の試合に縛られて、ほんの数日しか時間を確保できず国内しか行けなかった。そこで昔から行って見たかった南紀、そこで川湯温泉龍神温泉に泊まったのである。いやあ、とても良かったなあ。今ではその後行った湯の峰の方がいいと思うけど、川湯温泉も忘れてはいけない。そして、龍神。日本三美人の湯とされる名湯で、入ればこれは違うとすぐ判った。もちろん中里介山「大菩薩峠」に出てくるから行ったのである。

 その後、山登りによく行くようになった。日本の山は登り口がたいてい温泉だから、山の秘湯のような宿によく泊まる。これがまたいい。泉質がいいと、確かに翌日以後に足が痛くなったりしない。だいぶ軽減される。自分の体調や山のコースにもよるけど、多分温泉も良かったんじゃないかと思えるのである。北海道の大雪山を縦走した時は、層雲峡温泉から登って山中で5泊、トムラウシに登って天人峡温泉に下りて泊まった。この下りはすごく大変だったけど、温泉で回復したなあと思う。

 30過ぎて車を買ったら、北海道や東北の山へよく行くようになり、それで温泉をもっとたくさん知るようになった。山の秘湯も行くけど、少しは余裕もできて、もっと高い宿にも泊まることもあった。高いから必ずいいわけでもなく、泉質だけから見ると小さくてもいい宿はいっぱいある。まあ、部屋は値段に比例しやすいけど、温泉そのものはそうでもない。そんなことが判るようになった。そして、体も温泉が判るようになってきた。年齢に比例して、疲れやすくなると、良い温泉が体にもたらす癒し効果が実感できるわけである。こうして、温泉についてかなり語れる体験を積んできたのである。

 教員は夏に長期休暇を取りやすいから、夏によく北海道や東北へ行った。そればかりではなんだなあと思って、九州や四国へ行った年もある。九州では霧島や阿蘇、四国では石鎚、剣に登りながら、周辺の温泉に入ってきた。でも、正直あまりの暑さにゲンナリした。西日本の夏は半端なく毎日猛暑なのである。ということで、実はまだ別府も湯布院も知らない。これでは日本の温泉論を語れないけれど、温泉ベストを選びたいのではなく、温泉を切り口に日本を考えたいのである。
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