尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『迷宮の将軍』、シモン・ボリーバル最後の年ーガルシア=マルケスを読む④

2024年06月30日 21時48分03秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケスを読む4回目は『迷宮の将軍』。1989年に出て、日本では1991年に木村榮一訳で出版された。長い解説を入れて323頁ある。新潮社の「ガルシア=マルケス全小説」に入っているが、現在まで文庫には収録されていない。ここで「将軍」と呼ばれているのは、ラテンアメリカの解放者として知られるシモン・ボリーバル(1783~1830)のことである。一般的には長く伸ばさずシモン・ボリバルと呼ぶことが多い。世界史の教科書には一応出ていると思うけど、日本ではよく知られているとは言えないだろう。難しい本ではないが、なじみのない歴史を読んでる感じは否めない。

 この本は本格的歴史小説で、ガルシア=マルケスと言えば「マジック・リアリズム」だと思うと大間違いだとよく判る。シモン・ボリーバルが生まれた18世紀後半には、中南米諸国はスペイン(ブラジルだけはポルトガル)の長い圧政のもとにあった。ベネズエラに生まれたボリーバルは独立のために起ち上がり、ベネズエラだけでなく隣国のコロンビア、さらにエクアドルペルーボリビアの独立を勝ち取った。ボリビアという国名は、彼の名前にちなんで付けられたものである。
(シモン・ボリーバル)
 しかし、独立したラテンアメリカ各国は内紛が絶えず、病弱のシモン・ボリーバルには苦難の日々が続いている。彼は「ラテンアメリカの統合」を目指したものの、独立後の各国では旧本国の支配から逃れた有力白人貴族層の権力独占が強まっていた。孤立した将軍は大統領を辞任して、外国へ行きたいと思っている。それが1830年初めの状況で、その時点ではコロンビアにいた。船で川を下りながら様々な町で歓待を受け、その間に女性と会ったり療養したり…。もう病状は重くなっているが、政敵たちは病気と称して圧力を掛けているんじゃないかと疑っている。暗殺未遂事件まで起こり孤立は著しい。

 というような描写が延々と続く。決してつまらない小説ではないんだけど、この本はまあほとんどの人は読まなくていいんじゃないか。ラテンアメリカ史に強い関心を持っているか、またはガルシア=マルケスを全部読もうという人は別にして。普通はこれほど詳細にシモン・ボリーバルのことを知らなくていいよと思うんじゃないか。この本を読んで、この人は日本でい言えば誰だろうなと思って、西郷隆盛に近いかなと思った。そうしたら解説でも、司馬遼太郎翔ぶが如く』に言及されていた。

 コロンビアの人が西郷隆盛の小説を読む必要はないと思う。もちろん近代日本の成り立ちは多くの人に意味がある世界史的大事件である。だからラテンアメリカの人々が明治維新を研究してもおかしくない。同時にラテンアメリカの独立も世界史的大事件で、日本の読者がシモン・ボリーバルの本を読んでもおかしくない。ノーベル賞受賞作家の本なんだし、読んでみるべきだとも言える。しかし、ラテンアメリカの解放者であるシモン・ボリーバルについてこんなに詳細な本を書くのは、ガルシア=マルケスがラテンアメリカ人だからだ。20世紀末を生きるラテンアメリカ人として、シモン・ボリーバルに関心を持つのであって、僕ら日本人にはそこまでの問題意識を持てない。他の本を全部読んでしまって、これだけ残ったら読むかどうか考えればよい本だろう。

 決してつまらない小説じゃないと書いたが、一度読み始めれば読み続けてしまった。やはりガルシア=マルケスは読ませるのだ。しかし、コロンビアの地理や歴史になじみがない。もう200年前の話なので、我々には歴史的意味が薄い。だけど「読ませる」のは、シモン・ボリーバルという人がなかなかくせ者なのである。大金持ちに生まれて、ヨーロッパに遊学、19歳で若い(18歳の)スペイン人女性と結婚して、ベネズエラに帰って来た。しかし、熱帯の暑さに耐えられず妻は翌年に亡くなってしまった。それまで全く政治に関心を持たなかった彼は、その後突然スペイン人との戦争に乗り出したのである。
(マヌエラ・サエンス)
 そして、以後一度も再婚せず、行く場所行く場所で浮名を流した。しかしながら、1822年にエクアドル解放のあとでマヌエラ・サエンス(1797~185)と知り合い、二人は彼の死まで深い関係を続けた。マヌエラは「永遠の愛人」と呼ばれている。暗殺未遂事件を防いだのもマヌエラの功績である。夫がありながらボリーバルに惹かれ支え続けた。今はフェミニズムの観点から、ラテンアメリカ解放に貢献した女性として評価されているらしい。彼の死後も長く生きて、ガリバルディ(イタリア統一運動の指導者)やメルヴィル(『白鯨』を書いたアメリカの作家)にも会っている。(英語版Wikipediaに詳細な記述がある。)

 マヌエラがいても、将軍はいろいろな女性と付き合っていた。もう「そういう人」だったというしかない。人々は彼に「解放者」の称号を奉った。恐らく彼が望めば、「独裁者」あるいはさらに「皇帝」にさえなれたのではないか。だが彼はナポレオンではなかった。むしろナポレオンに対する大いなる批判者だった。そのような「自由人」である将軍は、だからこそ孤立を深めていく。その最後の一年を克明に追ったのが、この小説。見事な歴史小説だが、ここまで当時の情勢を知らなくてもいいなと正直思った。

 ところでちょっと前に、ミュージックビデオ「コロンブス」の問題を取り上げた。そのビデオではコロンブスがナポレオン、ベートーベンとパーティをする設定だったという話。そこで思ったんだけど、コロンブス(コロン)を批評的に取り上げるなら、パーティ参加者にはシモン・ボリーバルが招かれるべきだったんじゃないか。日本では知名度が低いかも知れないが、世界を意識した作品だったらラテンアメリカでは誰でも知っているシモン・ボリーバル将軍がふさわしい。
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また再びの日光旅行、水量激減の西ノ湖を見に行く

2024年06月29日 22時16分04秒 | 旅行(日光)
 6月28(金)、29(土)に日光旅行。またかという感じだが、いろいろと違う時期に行くとまた別のムードがある。宿泊は定宿化している「休暇村日光湯元」だが、広いお風呂に湖真ん前の立地、寝具はムアツフトン、ヴァラエティに富む食事など何度行っても飽きない。今度もまた「スペーシアX」で行って、駅前でレンタカーを借りるという一番楽なプランにした。(ところで、今回改めて思ったけど、「諸物価高騰」の波はものすごいな。)

 この時期に行くんだから、どっちか雨になるのもやむを得ない。今回は1日目が全国的に大雨で、日光もそれほどではないけどずっと雨模様だった。外歩きは全然出来ず、結局久しぶりに日光自然博物館に行ったんだけど、その話は後で。土曜日は予報通り雨が上がり、快晴というほど暑くもならず、過ごしやすい快適なハイキング日和になった。もう夜も早く寝てしまい、必然的に朝も早く目覚めてしまい、5時過ぎにはお風呂へ。そんな時間に人がいるのかと思うと、昨日の夕方入った時より多いのである。

 そして6時頃に早朝散歩に出掛けた。今の時期の奥日光は学校団体が多く(主に小学校の林間学校)、今日も朝から早朝散歩の集団を見かけた。そう言えば自分の学校でもそんなことをしたなと思い出した。(そういう時に「思いがけぬ新カップル」が公然化することが多い。)ま、それはともかく、ウグイスが大きな声で鳴いていて空気は爽やか。館内で途中までオジサンが近くにいたので、散歩に行くのかと思ったら喫煙室に行ってしまった。なんてもったいない。男体山は少し雲が掛かっていたけど、湖の「逆さ男体」が美しい。朝早いのは釣り師たちで、今日もたくさん湯ノ湖にやってきていた。
   
 そのまま朝早く食事をして8時過ぎに宿を出た。早い行動は8時45分の「低公害バス」を利用するためである。土日だけの特別便である。混むのかと思ったら、僕ら夫婦の他には一人だけとガラガラだったのは驚き。小田代ヶ原を横に見て、今回目指すのは「西ノ湖入口」である。関東最高の秘湖、「西ノ湖」(さいのこ)は中禅寺湖の奥にあってこのバスに乗らないと行けない。(いや、ものすごく歩くのを覚悟すれば、湖畔から歩いて行けるが。)バスを降りて、吊り橋を二つ渡り、快適なカラマツ、ミズナラの林道を歩くのは気持ちいい。関東屈指のハイキングコースだと思う。大きなカワラタケ(キノコ)も生えていた。
   
 華厳の滝がチョロチョロと流れるだけになっていることは3月に行ったときに書いた。最近はますます減っていて、マスコミで取り上げられることも多い。中禅寺湖を初め、どこも水量が減っている。西ノ湖はどうかなと思ったら、これはまた極端に水量がない。周辺の山に相当の大雨が何回も降らない限り、元に戻ることはないだろう。まるでアラル海(中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンの国境にあった元世界第4位の湖。現在は5分の1以下になったとされる)と思うほど。5年前と13年前の画像を見つけ出したので、比べて欲しい。13年前は台風直後で極端に水量が多かった。大体同じ場所から同じような構図で撮った写真である。2011年は水量が多すぎて、他の写真を撮る位置よりずっと後ろで撮ったから木が写ってる。
  (2019年)(2011年)
 西ノ湖から少し戻って、中禅寺湖畔の千手ヶ浜(せんじゅがはま)を目指して歩く。このコースも何度も歩いている気持ち良いコース。千手ヶ浜は低公害バスの終点である。5月末からクリンソウが咲くことで有名。湖に出ると、男体山は雲に隠れていたが空気はほぼ夏色になっていた。ここは桟橋もあって船も着くが、桟橋が完全に浮き上がって船どころではない。クリンソウはよく見ると少しある赤い花。もうほとんどなくなっていた。さて朝は早かったので開いてなかった赤沼(バス始点)のネイチャーセンターへ戻ってから行ったら、今歩いたばかりの千手ヶ浜へ行く道が、熊の目撃が最近一番多い道だった。最後の写真をよく見ると判る。今回は鹿と猿は見たが(日光ではよく見る)さすがに熊を見たことはない。別に見なくて良い。
   
 さて、その後はすぐいろは坂を下りて、お昼を食べてから久しぶりに霧降高原に行ってみた。6月から7月に掛けてニッコウキスゲが咲き誇ることで知られる。だけど午後に行ったらもう(3つもある)駐車場が全部満車で、まあいいかと帰ってきた。確かに遠くでニッコウキスゲがいっぱい咲いているのが見えた。さて、1日目は雨ということもあるが、お目当ての昼食場所が空いてなかったり、うまく行かないことが多かった。雨だから室内で見られるところと思って、華厳の滝そばの日光自然博物館に行くことにした。前に行ってるけど2023年にリニューアルしたというから行ってもいいかなと思った。ここも雨で来てるんだろう小学生が多くて閉口したが、展示はなかなか面白かった。男体山のヴァーチャル登山とか昔の噴火の再現映像とかさすが最新の技術で面白かった。
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「石破首相」の可能性はあるかー2024自民党総裁選はどうなるか?

2024年06月27日 21時31分24秒 | 政治
 2024年の通常国会は延長せずに6月23日で閉会となった。政治資金規正法改正をめぐって、会期を延長してさらに検討すべきだという意見もあったが、結局あれでオシマイ。批判を書いても良かったんだけど、かなりテクニカルな問題が多いので止めておくことにした。最終盤で「日本維新の会」が改正案に「衆議院で賛成、参議院で反対」という不可思議な対応を取った。まあ自民党にうまくやられたわけだろう。「維新」についていちいち細かく指摘するのも面倒だから書く気が起きない。放っておけば、そのうち内輪もめなどが起きて支持率が下がると思ってるので放置している。

 ということで、政局の焦点は9月の自民党総裁選。いや、岸田首相はまだサプライズ解散を諦めていないという観測もあるらしいが、やはりそれは不可能だろう。今後、パリ五輪、首相外遊に、電気代の補助も再開して…、少しは支持率もアップしたら? いや、自分が自民党衆議院議員だったら岸田首相のもとで選挙には臨みたくないと思う。もし解散なんて言い出したら、党内反乱が勃発するだろう。3月に「それで岸田内閣は結局どうなるのかーやはり9月に辞職か?」を書いたが、現時点の観測を少し。
(河野太郎氏出馬か?)
 まず河野太郎デジタル相総裁選出馬を麻生副総裁に伝えたとかいう情報が流れている。それが本当かどうか現時点では不明だが、河野氏は自民党の異端だったときは面白かったが、権力を狙うようになってからは「独裁者気質」が前面に出て来たように見える。「マイナ保険証」ごり押しもあって、「河野首相」は困ると思うが、それ以前に今回の経緯はおかしくないか。自民党各派閥が(形だけであれ)「解散」した現在、ただ一つの派閥として「麻生派」が残っている。河野氏が派閥を離脱することなく、所属派閥のトップに出馬意思を伝えたとしたら、「逆行」した動きである。それに現職閣僚が出馬するということは、首相に反旗を翻すのと同じ。まずは岸田首相に大臣の辞表を提出するのが先だろう。
(岸田退陣を求めた菅前首相)
 もともと岸田氏の総裁再選は難しいと誰もが思っているわけだが、では誰が最初に狼煙を上げるか? それはやはり菅義偉前首相だった。各種マスコミ(オンライン番組、雑誌等)で「事実上の退陣要求」を突きつけている。「(裏金問題で)岸田総理大臣自身が責任を取っておらず不信感を持つ国民は多い」「ことし秋までに行われる総裁選挙で党勢回復に向けて刷新感を示すことが重要だ」と述べたというのである。お説ごもっともというしかないが、では誰を後継にするべきなのか?
 
 前回の記事では「上川陽子外相」の可能性を指摘したが、現時点では不明になったと思う。上川氏に「失言」問題があったし、やはり「華がない」感じが付きまとう。もともと「岸田派」であり、首相が引かない限り自分から出馬するとは思えない。それに各種世論調査で次期首相への期待感が少ない。岸田首相の支持率が低いだけでなく、最近は投票先としての自民党支持が減っている。「政権交代」を求める声も高くなっている。そうなると、いかにも「今度は女性総理にしてみました」感が支持率アップにつながるかは微妙で、かえって反発を招く可能性もある。岸田氏が自ら「後継は上川氏で」と言わない限り難しいかもしれない。
(2012年総裁選の安倍氏と石破茂氏)
 そうなると、相対的に存在感を増しているのが石破茂氏である。どんな世論調査でも「次期首相No.1」になる。小泉進次郎は経験が少ないと考えた時、なんで石破首相にならないのかと思う人も多いのではないか。まさにそういう点、党内基盤もないのに「正論」をぶって「後ろから弾を撃つ」、外の人気ばかり高いというのが「保守」の振る舞いとしては嫌われる。石破首相だけはあり得ないというのが、一応今も自民党議員のホンネだろう。だが、他の首相で選挙をして政権を失ったりしたら元も子もない。そこまで自民党の危機も深まったと考えるなら、石破総裁もまんざらあり得なくもないという状況になってきた。

 今まで自民党の危機が深まったときには、党内力学的にはあり得ない新総裁が誕生したことがある。ちょうど半世紀前、1974年に「田中金脈問題」が起こったとき、田中角栄首相の後任に三木武夫が選ばれた。その時は椎名悦三郎副総裁による「指名」という方法が取られた。また1989年の参院選で自民党が大敗したあと、海部俊樹が新総裁に選ばれた。この時はリクルート事件があって、党内実力者と言われた安倍晋太郎や宮澤喜一らが出馬出来なかったので、「クリーン」と言われた海部を主要派閥が担いだ。
(麻生副総裁と岸田首相の関係は?)
 最近の自民党の混乱ぶりは、過去のそういう事態を思い出すレベルになっている。そうなると、最後の派閥を率いながら現職の副総裁を務める麻生太郎氏の動向が注目される。麻生氏は「派閥解散」「(政治資金規正法改正をめぐる)公明党案受け入れ」をめぐって、岸田首相と溝ができたと言われている。だけど、岸田首相を支えるのか、代えるなら誰にするか、ちょっと前には「上川推し」みたいな印象があったが、今はどうかわからない。自民党は権力を握り続けるためには、どんな奇手をもめぐらすだろう。石破氏は現職衆院議員だから、まだしもありそうである。それどころか、すぐに(岸田内閣のままで)解散することを前提に、党外人材を総裁に選ぶことだって絶対にないとは言えない。何でもアリの政局が続きそうだ。
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『誘拐』、麻薬カルテルとの凄絶な闘いーガルシア=マルケスを読む③

2024年06月26日 21時46分41秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケスを読むシリーズ。次は『誘拐』(旦敬介訳、角川春樹事務所、1997)という本で、四半世紀以上枕元に置かれていた。下の画像をよく見ると、帯が破れているのがわかるはず。これは小説ではなくノンフィクションである。ガルシア=マルケスはもともとジャーナリスト出身で、ノンフィクションもかなり書いている。岩波新書の『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』(1986)やちくま文庫に収録された『幸福な無名時代』(1991、邦訳1995)などは割合よく知られている。『誘拐』(後に『誘拐の知らせ』としてちくま文庫に収録=在庫品切れ)は1996年に出されたもので、当時コロンビア国内に吹き荒れた麻薬組織による連続誘拐事件の裏表を詳細に描き尽くした本である。

 この本は非常に迫力のある本だったが、時代的に「賞味期限切れ」みたいなところはある。小説は滅びないが、時事的な題材だとテーマが古びることがある。映画監督ミゲル・リッティンの軍政下チリ潜入を描く『戒厳令下チリ潜入記』は、軍政がとうの昔に崩壊した今では読む人は少ないだろう。90年代にはコロンビアの麻薬組織によるテロは国際的にも知られた大問題だったが、現在では麻薬組織や左翼ゲリラのテロが横行した時代は一応過去のものとなった。コロンビアには今も危険イメージが付きまとうが、経済面やサッカーでも復調してきた。だから『誘拐』も過去のものと言えるのだが、もしかしたら今後意味が出て来るかも知れない。それは多くの事件の首謀者パブロ・エスコバルがNetflixでドラマ化されたからである。
(パブロ・エスコバル)
 1990年11月7日、マルーハ・パチョンと義妹のベアトリス・ビヤミサルが乗った車が自宅近くで襲撃され、運転手は殺害され二人の女性はそのまま誘拐されてしまった。このマルーハは後に解放されることが冒頭に明かされている。マルーハと夫のアルベルト・ビヤミサルがガルシア=マルケスに自分たちの体験を本にして欲しいと情報を提供したのである。当初はこの夫妻を主に取り上げる予定だったが、実は同時期に複数の誘拐が発生していて、それらは複雑に絡み合っていたことが判明していった。そのため他の関係者にも取材し、事件の全体像を再構成することが迫られた。コロンビア政界に激震を与えた大事件だったのである。

 マルーハは映画会社の重役だったが、夫のアルベルト・ビヤミサルが大物国会議員という重要人物だった。他の誘拐被害者も大物の家族が多い。しかも、彼女たちが連れて行かれた部屋にはマリーナという老女もいた。誘拐されたままもう殺害されたと思われていた人だった。彼女は政界上層部につながる人ではなく、「生かしておく価値が少ない」と判断されていたのである。マルーハ、ベアトリス、マリーナ三女性の共同生活の苦難は心が痛む。他の被害者の実情も細かく出ているが、ここでは触れないことにする。なんで誘拐されたのかというと、政府との交渉を有利に進めるためである。

 80年代の世界ではコカインが大流行し、その密輸ルートにはコロンビアの大都市メデジンを本拠とする「メデジン・カルテル」が関わっていた。その組織を一代にして築き上げたのがパブロ・エスコバルという人物で、世界有数の富豪と言われた。しかし、コロンビア警察に追われるだけではなく、一番心配なのが「アメリカへの身柄引き渡し」だった。アメリカは麻薬犯罪に厳しく超重罪を言い渡されると生きて帰れない。一方、もう一つの大組織「カリ・カルテル」とも揉めていて、引き渡されないと決まれば「政府に投降して良い」と思っていた。「優遇された刑務所生活」=「コロンビア政府の金で身の安全を図る」ためである。

 政府が強硬方針をとって警察が突入すれば、組織は容赦なく人質を殺害する。それははっきりしていて、家族はまず大統領に強硬策を取らないように要請した。交渉で解決するのは政府の方針でもあり、アメリカに引き渡すのは国威にも関わるのでやりたくない。そこで自ら投降して罪を認めれば引き渡さない、そうじゃなければ引き渡すというのが政府の方針なのだが、それをエスコバルはなかなか信じ切れない。いや、エスコバルは身を隠していて、「引き渡し予定者グループ」という別組織の名前で事件に関する発表がなされた。実際にはエスコバルが首謀者であることは判っているけど、本人とは接触できない。様々なルートを通して交渉を進めるが、もう解決した外国の事件をここで詳しく書くこともないだろう。
(セサル・アウグスト・ガビリア大統領)
 関係者の画像を探したが、当時の大統領ガビリアパブロ・エスコバルしか見つからなかった。被害者マルーハ・パチョンや夫のアルベルト・ビヤミサルの画像は日本語では出て来なかった。まだネット以前の時代である。多分コロンビアの情報をスペイン語で探せば見つかるとは思うが、そこまでは出来ない。この本を読んで思ったことは、これはまさに「コロンビア政治の問題」だということだ。コロンビアではそれ以前に最高裁が襲撃されたり、大統領候補者が暗殺されたり、(大統領候補が搭乗予定だった)飛行機が爆弾で墜落したり…と驚くべきテロが続発していた。そこで政界の裏事情が細かく説明する必要がある。

 この本を読んで思いだしたのが、村上春樹アンダーグラウンド』だ。1995年に起きた地下鉄サリン事件の被害者を取材して、1997年に出版された。つまり、世界的に重要な作家がほぼ同時代に国家的大事件の被害者をテーマにした本を書いていたのである。しかし、『アンダーグラウンド』は被害者の声を聞くことに徹している。その後逆にオウム真理教の信者、元信者を取材して『約束された場所で―underground 2』(1998)も出した。しかし、捜査側や政府上層部を取材した本は書かれなかった。ある意味、それは当然のことだろうが、コロンビアの誘拐事件ではその部分が欠かせないのである。この両書を細かく比較検討する作業は重要だと思うが、自分には手が余る。その後のエスコバルは自分で検索してみて欲しい。

 なお、最後に「ガルシア=マルケス」の呼称について後書きに書かれていた。マルーハ・パチョンとアルベルト・ビヤミサルが夫婦であるとは、つまりスペイン語圏では「夫婦別姓」である。その場合、子どもは父親の姓を名乗ることが多いが、父母の姓を重ねて複姓にする場合もある。つまり「ガブリエル」の父が「ガルシア」、母が「マルケス」である。ガブリエル・ガルシアでも良いわけだが、ガルシアは割合ありふれた姓なので作家として「ガルシア=マルケス」を選んだらしい。(ペルーの作家、バルガス=リョサも同様だという。)これを繰り返すと姓はどんどん長くなるが、基本的に次の世代は父の姓のみになる。ガルシア=マルケスの子はロドリゴ・ガルシアになるわけだ。(『彼女をみればわかること』『アルバート氏の人生』などの映画監督。)
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『愛その他の悪霊について』、愛は悪霊なのかーガルシア=マルケスを読む②

2024年06月25日 20時31分27秒 | 〃 (外国文学)
 その後もガルシア=マルケスを読み続けている。面白くて止められなくなってきて、このまま長編小説をどんどん読み進もうかと思っている。まずは『愛その他の悪霊について』(1994)である。日本では1996年に旦敬介訳で新潮社から翻訳された。生前に発表された長編小説としては最後から2番目の作品になる。解説を入れて200頁ほどの本で、それほど長くはないが、最近ずっと短編を読んでたので話が佳境に入るまでちょっと読みにくかった。しかし、物語が始動していくとジェットコースターのようにスピードが付いてくる。ガルシア=マルケスは難しい作家ではなく、基本的にはひたすら面白い豊かな物語性が特徴である。

 最初がちょっと取っつきにくいのは、この話が大昔を舞台にしているからだ。大昔と言っても18世紀の半ば頃である。若き日の体験が話の基になっていると冒頭に書かれているが、内容は完全なフィクションだろう。当時のコロンビアはスペインの植民地で、ヌエバ・グラナダ副王領と言われていた。大農園領主とカトリック教会が支配する体制が確立されていたが、すでに滅びへの道行が始まっていた。(19世紀初頭にスペインから独立する。)
(19世紀初頭の南アメリカ)
 コロンビアのどこかの城塞都市が舞台になっている。港があるようなので、ガルシア=マルケスと縁が深いカリブ海岸の都市カルタヘナかもしれない。カルタヘナは奴隷貿易の中心として栄え、港や歴的建造物が世界遺産になっている。そこである日12歳の少女が市場で犬に噛まれた。少女シエルバ・マリアは侯爵の娘だが、事情があって父からも母からも見捨てられて育った。そのため黒人奴隷と一緒に育ち、アフリカ各地の言語や音楽、ダンスに親しんでいる。この両親の事情は相当にぶっ飛んでいて、もうこの国は壊れているなという感じだ。

 ところでこの犬が後に狂犬病を発症し、シエルバ・マリアも狂犬病になるんじゃないかと恐れられるようになった。父親も改めて接してみると、娘は全く理解できない行動ばかりする。どうしたら良いのかとユダヤ人医師に相談したりするが、結局は教会に預けることにする。教会はサンタ・クララ修道会に身柄を預けるが、教会の目からみると少女は「悪霊憑き」にしか見えない。そこで司教は「悪魔払い」を始めることになり、自分の秘書格の若者カエターノ・デラウラ神父が派遣される。
(ガブリエル・ガルシア=マルケス)
 このデラウラは西欧の最新思想にも通じていて、少女と話すうちに悪霊が付いているのではなく、その生育歴から来たものだと信じるようになる。シエルバ・マリアは魅力的な美少女で、二人は次第に惹かれ合うようになってしまう。だが少女をめぐる「不思議」な事態は、教会当局からは「悪霊」としか思えず、少女の処遇はどんどん悪化していく。両親も滅びへの道を歩み、小説世界は悲劇の予感に満たされていく。いま見ると、明らかに「虐待」「ネグレクト」であり、この少女が荒れるのも当然。『あんのこと』や『ホールドオーバーズ』の子どもと同じなのである。

 それがなにゆえ教会には通じないのか。「神」を奉じながら、「悪霊」に憑かれているのは自分たちではないか。しかし、才能豊かなデラウラもよりによって12歳の少女にメロメロになってしまう。これは見る者によれば、少女に悪霊が付いている証拠になるだろう。あるいは「愛」すらも「悪霊」の仕業なんだろうか。帯には「愛は成就されず、成就されるのは愛でないものばかり」とある。その不条理な背理をトコトン煮詰めたような小説である。

 時と所が離れすぎて、なかなか理解が難しい状況もある。だけど基本的には「愛」と「悪魔払い」のジェットコースター小説。こうして書いていても魅力は全然伝わらないと思う。これは読んでみるしかないタイプの小説で、出来映えはガルシア=マルケスの長編の中でも上々なんじゃないかと思う。
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映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ』、これぞ感動の名作

2024年06月24日 21時49分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』が公開された。2024年の米アカデミー賞で作品賞、脚本賞などにノミネートされ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ助演女優賞を受けた映画である。アレクサンダー・ペイン監督作品で、この監督とは『サイドウェイ』(2004)、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(2013)など相性が良いので期待大。そして期待にたがわぬ心に沁みる傑作だった。今年の外国映画は『哀れなるものたち』『オッペンハイマー』『関心領域』など例年になく傑作ぞろいだが、そういう本格アート映画はやはり見てて疲れる。『ホールドオーバーズ』はその中にあって一服の清涼剤みたいな映画だ。

 時は1970年のクリスマス。ところはアメリカ北東部、ボストン近郊のバートン校という全寮制高校である。アメリカの映画や小説には、こういう学校がよく出てくる。金持ちが子どもを預ける場所である。夏冬の休暇には、ほとんどの生徒が親元に帰る。それを楽しみに窮屈な学園生活を耐え忍んでいるわけである。しかし、中には学校に残らざるを得ない家庭事情の生徒もいる。それが「ホールドオーバーズ」(The Holdovers)で、「残留者」といった意味。そうなると、彼らの面倒を見るため教師も一人残ることになる。今年の担当は母親が難病とか理由を付けて逃げてしまった。そこで、ハナム先生ポール・ジアマッティ)が代わることになるが、彼に言わせればこれは「懲罰」。多額の寄付金をくれた有力議員の息子を落第させたからである。
(ハナム先生=ポール・ジアマッティ)
 ハナム先生は自分もバートン校出身で、古代ギリシャ・ローマ史専攻。いつも大昔の格言なんかを繰り出す浮世離れしたタイプで、せっかくのクリスマス休暇もきちんと勉強させると張り切っている。こういう映画では教師は分からず屋の頑固者と決まってる。料理番として残ったメアリーダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)は、何とか息子をバートン校に入れたがお金がなくて大学へ行かせられなかった。息子は徴兵でヴェトナムに送られ、戦死してしまった。バートン校の戦死者の列に加わった最新の卒業生である。悲しみを抱えた訳知りの黒人女性を見事に演じたダヴァイン・ジョイ・ランドルフに助演女優賞が与えられた。
(ハナム先生とメアリー、アンガス)
 生徒は初め4人のはずだったが、突然アンガス・タリーが加わって5人となった。母と再婚した夫が二人だけで新婚旅行に出掛けるからである。その5人組で話が進むのかと思ってると、一人の親がヘリコプターでやってきてスキーに連れてってくれるという。だがアンガスだけ両親と連絡が付かず、居残りを続けることになる。こうして、ハナム先生、メアリー、アンガスの3人になってからが、真のドラマだった。何かと問題を起こすアンガス、孤独なハナム先生もパーティに誘われたり…。そんな中アンガスはどうしてもボストンに行ってみたいと言い出す。ハナム先生は拒むが、メアリーが口添えして「まあ社会見学なら」と許可する。
(ボストンの街頭古書店)
 メアリーも妹に会いに行くと同行するが、二人だけになるとハナム先生は実際に歴史博物館や古本屋に連れて行くから笑える。それでもスケートに行ったり、少しずつ気持ちも通い合う。そんな中で、ハナム先生もアンガスも深い秘密を抱えていたことが判るのだが、そのことがラストで生きてくる。オリジナルシナリオ(デヴィッド・ヘミングソン=アカデミー賞ノミネート)がとても良く出来ていて、この種の物語の定番でありつつも時代相を書き込んでいる。往年のクリスマス・ソングがバックに流れ、外はニューイングランドの雪景色。ラストは予想通りだったが、それでも感動的な展開に良い映画を見たという満足感があった。

 全寮制高校を舞台にした映画といえば『いまを生きる』(1989、ピーター・ウィア-監督)が思い浮かぶ。実際製作者サイドも判っていて、その映画が1958年だったので設定をもう少し後にしたという。1970年はもう半世紀も前のことになるが、変革期として思い出す時代である。だが古風な全寮制高校ではなかなか変化が見えない。しかし、外には熱い変革の風が吹いていた。それなのに映像で美しい学園風景を見ると、無条件に懐かしい気持ちになる。もちろん1970年のアメリカのクリスマス・パーティなんか知らないが、それでも青春は世界共通だからノスタルジーに浸れる。
(アレクサンダー・ペイン監督)
 アレクサンダー・ペイン監督(1961~)は『サイドウェイ』『ファミリーツリー』で2回アカデミー賞脚色賞を受賞したが、今回は他の人に任せている。アイディア自体はペインが着想したようだが、シナリオはデヴィッド・ヘミングソンに任せて演出に専念したのが功を奏したと思う。ハナム先生のポール・ジアマッティはペイン監督の出演が多いが、まさにその人がいるような名演。アンガスはドミニク・セッサという新人で、いかにもスポイルされたようで実は繊細な感じが出ている。知名度のある俳優が出てないから見逃しがちだが、この映画は見た人の心に残り続ける名作になるだろう。
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MV「コロンブス」炎上問題、「教養欠落」が問題なんだろうか?

2024年06月23日 22時19分37秒 | 社会(世の中の出来事)
 人気バンド「Mrs. GREEN APPLE」(ミセス・グリーン・アップル)の新曲「コロンブス」のミュージック・ビデオが公開停止になった問題。僕はそのバンドは名前ぐらいしか知らないから、特に関心がなかった。(ちなみに音楽ではどんどん新しいものが登場する。高齢になるといちいち追いかけるのが面倒になって、自分の若い頃の音楽以外関心が薄くなる。今の若者もそうなるに違いない。)ただ、その批判の方向性に違和感を持ったので指摘しておきたいと思った。

 そのビデオは「コロンブスらを模したメンバーが、訪れた島で類人猿に車をひかせたり、西洋音楽を教えたりする」(朝日新聞、6.19)という。「人種差別的で、植民地支配を容認する表現と批判されても仕方がない」と一橋大学の貴堂嘉之(きどう・よしゆき)教授は記事の中で指摘している。僕はビデオを見てないけど、その内容なら批判されるのは当然だと思う。記事の見出しは「コロンブス 変わる評価」「専門家 歴史学ぶ必要」である。東京新聞の記事でも、見出しは「教養欠落 日本の現在地」とある。その記事によれば、英BBC放送(電子版)は「関わった人に世界史を学んだ人はいなかったのか?」と書いたという。
(MV「コロンブス」)
 確かに「教養不足」や「歴史学ぶ必要」はあるだろう。だけど、関係者の誰かが「今どきコロンブスを取り上げたら、炎上するかもしれませんよ」と知ってれば良かったのだろうか。もちろん事前に止められなかったことは問題だけど、コロンブスが炎上案件だと知って取り上げなければそれで良いのか。「炎上しそうなものは敬遠すべきだ」が正解なんだろうか。それでは「炎上する」「批判される」ことを避けることこそ、一番の「営業方針」だということになってしまう。
(Mrs. GREEN APPLE)
 今回の問題は「炎上」したことではなく、「植民地支配を正当化している(と解されてもやむを得ない)」ものだったことにある。「Mrs. GREEN APPLE 「コロンブス」ミュージックビデオについて」(2024.6.13)によると、「類人猿が登場することに関しては、差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりました」が、「類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く、ただただ年代の異なる生命がホームパーティーをするというイメージをしておりました。」「決して差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はありませんでしたが、上記のキーワードが意図と異なる形で線で繋がった時に何を連想させるのか、あらゆる可能性を指摘して別軸の案まで至らなかった我々の配慮不足が何よりの原因です。」

 しかし、「コロンブス」「ナポレオン」「ベートーベン」がホーム・パーティをするという趣向自体、「西欧の偉人」しか出て来ない。日本の音楽バンドがなぜそういう発想になるのかという問題がある。そこに「類人猿」まで出て来るというのだから、この紋切型の発想を見ると、誰か関係者の中に「秘められた差別的意図」があったのかとさえ思う。そう思われてもやむを得ないのではないか。そうとでも考えないと、これほどの「連想アイテム」満載になるとは思えない。

 ところで、ちょっとだけ書いておくが、今「コロンブス」と書いてきたけど、本当はこの表記自体に問題がある。クリストファー・コロンブス(1451~1506)は、もうその表記で定着しているから、日本の教科書にも一応そう出ていると思う。しかし、ジェノヴァ共和国(今のイタリア)生まれだから要するにイタリア人で、本来は「コロンボ」である。しかし、そのままでは大航海に乗り出せない。結局スペイン王室の援助で航海に行ったわけである。スペインでの名前は「クリストバル・コロン」だった。今は「コロン」という表記を採用するべきだと思う。

 それとともに、よく「アメリカ大陸の発見」とか「新大陸到達」というが、コロンは生涯を通してアメリカ大陸には一度も行ってない。彼が着いたのはいくつかの島で、至る所で略奪を繰り広げながら最終的に砦を築いたのはイニョニョーラ島である。(自らそう命名した。)現在東にドミニカ、西にハイチがある島である。(世界で23番目に大きな島。)25万人の先住民がいたとされるが、スペイン支配のもとで「絶滅」するに至る。コロンは「インド」に着いたと信じたが、「アメリカ大陸」でさえなかった。

 それはともかく、「コロンブス」を取り上げるならば、今だからという問題ではなく、「征服された側」から描く必要がある。もちろん『関心領域』のように、あえてナチ官僚の目から徹底して見ていくという方法はある。「批評意識」があれば、それでも良いのである。つまり、「コロンブスを避ける」のではなく、「コロンを批評する」のである。そういう内容なら、「炎上」したとしても、それは正しい方向の炎上である。誰にも批判されないものを作るならアーティストではない

 世界各地で多くの「影響力を持つ人々」(インフルエンサー)がガザ地球環境性的マイノリティ問題などに自分の考えを公表している。アメリカやフランスでは、大統領選挙や国会議員選挙に対して、自分の考えを明らかにしている。日本ではそういう人がほとんどいない。これほど日本社会が行き詰まった原因の一つは、「言うべきことを言わない」人が多すぎたことにあるんじゃないか。「教養」や「世界史の知識」はそれだけあっても意味がない。ちゃんと行動が伴ってこそ、真の「教養」だ。
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「常識」より大切な「良識」ー都知事選ポスター掲示板問題

2024年06月22日 22時01分22秒 |  〃  (選挙)
 2024年6月20日に都知事選が告示され、何と56人もの候補が立候補した。事前に用意したポスター掲示板は48人分しかなかった。あらたに掲示板を増設するんじゃなくて、何でもクリアーファイルに入れて自分で留める方式なんだとか。選管がまさかそんなことを考えているとは思わなかった。東京以外から見ると、さぞ東京では知事選で盛り上がっているように思うかもしれないが、自分の実感では今までになく盛り上がってない。主要政党が軒並み(建前上は)推薦、支持をしてないから、いつもならよくあった自民、公明、共産などのビラ配りがない。「つばさの党」問題があったからか、遊説日程も余り大きく出てない。
(自宅近くの掲示板)
 ところでマスコミでは「ポスター掲示板問題」、まあ「掲示板ジャック」というか、いわゆる「N国党」による「掲示板販売」が問題になっている。そうすると、東京ではどこもポスター掲示板が大変なことになっていると思うかもしれない。だけど、上記画像にあるように、僕の自宅近くの掲示板(午後5時頃)には、9枚のポスターしかない。朝方には8枚だったから、今日1枚増えた。東京辺境部の掲示板には今のところ全然貼ってない。いつもこんな感じで、東京23区でも外れの方は無視されているのだ。

 「掲示板ジャック」なんて、どこの話だろう。多分島しょ部や奥多摩などは、もっと少ないのではないか。それでも48人分もする掲示板を用意しなくちゃいけない。僕は昨日は新宿、今日は池袋に出掛けたけど、駅前に全然掲示板がなかった。昔は駅前にもあった気がするが、こんなに大きくなると、設置場所も限られる。公立学校や公園なんかの周り以外は難しいかもしれない。週末なのにどの陣営の駅前広場で選挙運動をやってなかった。立候補者ばかり多くても、選挙運動がないんじゃ盛り上がらない。
(「掲示板ジャック」)
 画像を探してみると、確かに掲示板周囲に同じポスターがズラッと並んでる写真があった。これは一見して「おかしい」し「あり得ない」だろう。選管に抗議が集中しているというが、選管ではなく「やってる政党」に抗議するべき問題じゃないか。選管は公職選挙法で明確に禁止されている事項しか注意出来ないだろう。だが、「明文で禁止されてなければ、やって良い」というもんじゃない。違法じゃなければ合法だというのは、「常識」の世界ではそうかもしれない。だけど、そんなことを実行したら「品位」が疑われる。「子どものヘリクツ」みたいなことを大人がやってる。

 ホントに公職選挙法で禁止されてないのか。ネットで検索して2度読んでみたが、確かに明文の禁止規定はないと思う。ただし、公選法の第一条「総則」では「この法律は、日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。」となっている。

 まあ当たり前のことしか書いてないとも言える。だけど、選挙は「選挙が公明適正に行われることを確保」という大原則が書かれている。立候補する自由があっても、ポスター掲示板に選挙に関する政見以外ことを貼ることは、違法じゃないとしても適正ではない。「掲示板を売る」ことは、ポスターを見て立候補者の名前や政見を知るという目的を阻害している。本来そこは立候補者の政見を書いたポスターが貼られるはずのスペースである。その意味では、はっきり違法とは言えないとしても、選管が「注意」または「中止勧告」することは可能なんじゃないか。

 こういうことを見ていると、大切なのは「良識」なんだなと思う。「常識」では違法じゃなければ禁止できないとなる。だが「良識」では、法の規定に関わらず選挙の目的から外れているからやるべきじゃないと自ら判断出来るはず。この「良識」という感覚を多くの人が共有していないと社会は成り立たない。その意味で困った問題で、法改正によらず是正する道がないか日本国民にも問題が投げかけられている。方法がなければ法改正の必要があるだろう。
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ガルシア=マルケスの素晴らしき短編ーガルシア=マルケスを読む①

2024年06月20日 21時54分06秒 | 〃 (外国文学)
 最近コロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア=マルケス(1928~2014)の短編を読んでいる。それが終わったら読んでない長編にチャレンジ予定。本格的に読むのは40年ぶりぐらいか。もちろん6月下旬に『百年の孤独』がついに新潮文庫で刊行されるのがきっかけである。あれはものすごく面白い小説だった。わが人生のベスト3と言ってもいい。(他の2つはスタンダール『赤と黒』とドストエフスキー『悪霊』かな。)『百年の孤独』は1999年に同じ訳者(鼓直)で新訳が出た。前に読んだ時期は正確に覚えていて、1982年の6月だった。出た時に新訳も読みたいと思ったけど、買い直さなかった。

 いま小説のほぼすべて(近年発見されたものを除き)は新潮社の「ガルシア=マルケス全小説」に収録されている。刊行されたのは21世紀になってからで、『コレラの時代の愛』『わが悲しき娼婦たちの思い出 』はその時に初めて訳されたと記憶する。没後10年経って、生前の小説革命者の名声も落ち着いてきたかもしれない。80年代は文学愛好者にはラテンアメリカ・ブームの時代で、ラテンアメリカ作家だけの全集まで出たぐらいだ。僕もずいぶん買ったし、ずいぶん読んだけど、長大な小説が多く手つかずになっているものも多い。体力的にもそろそろ読まないといけないだろう。

 最初に読むのは河出文庫の『ガルシア=マルケス中短編傑作選』だ。野谷文昭氏編訳で、ガルシア=マルケスも複数の翻訳が出る時代になったのか。(そもそも作家の名前も、昔はただの「マルケス」と呼ばれたが、いつの間にか「ガルシア=マルケス」になっている。)つい最近出た本みたいに思ってたけど、2022年7月刊行だから2年も経っていた。今までの短編集から選ばれた10編が収録されている。「解題」で各作品が詳細に解読されていて、非常に役だった。300頁ちょっとの文庫が1200円もするのは高いなあという気がするけど、各文庫にあった短編集も入手しにくいようだから、まずはこれを読むべきだ。
(中短編傑作選)
 前に読んでいる「大佐に手紙は来ない」を読み直すと、昔は「マジック・リアリズムという言葉に影響されて読んでいた気がする。大佐に手紙が来ないのを、何だか「ゴドーを待ちながら」みたいに不条理な設定と思ったわけである。そういう読み方も可能だとは思うけど、これはコロンビアの過酷な政争をリアリズムで描いた作品なのではないか。執筆当時のガルシア=マルケスは、コロンビアの新聞の特派員としてヨーロッパにいたが、新聞が発行禁止となって給料が送られてこなくなったという。コロンビアを検索すると、19世紀末から保守派と自由派の血で血を洗う政争が続いたことが判る。厳しい政治的環境が背景の作品なのである。

 「巨大な翼をもつひどく年老いた男」「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」などは、映画化もされた名作中の名作。『エレンディラ』の題名でかつてサンリオ文庫(というのがあったのである)から出て、その後ちくま文庫に入ったが、今は品切れのようだ。驚くべき物語性を備えた作品群だが、これもマジック・リアリズムというより、「アラビアンナイト」みたいな奇想の幻想譚というべきかと思う。確かに面白くて、初めて読むと度肝を抜かれるんじゃないかと思う。
(『青い犬の目』)
 この傑作選に一つも選ばれていないのが、『青い犬の目』(1962)で、日本では1990年に井上義一訳で福武書店から刊行された。(その後福武文庫になったが、この文庫も今じゃ知らないだろう。)時期的には初期作品で、50年代に発表されたもの。はっきり言ってあまり成功していないと思った。初期には幻想的というより「思弁的」な作品が多いなと思う。まあ「若書き」である。そして「死に取り憑かれた作品」がかなりある。若いから元気だというものじゃない。小説を書くタイプの人は、どうしようもない暗さを抱えていることが多い。それでもいいんだけど、まだ「小説の楽しみ」が少ないのである。
(『十二の遍歴の物語』)
 今回一番面白かったのは、すべてヨーロッパを舞台にした短編集『十二の遍歴の物語』(1992、日本では旦敬介訳で1994年に新潮社から刊行。)『中短編傑作選』には「聖女」「光は水に似る」(単行本では「光は水のよう」)が選ばれていて、確かにそれは面白く興味深い。だが、僕の感想で言えば他にもっとすごい作品が単行本にいっぱいあった。まず冒頭の「大統領閣下、よいお旅を」は一番長いが、非常に面白い。ただ一編のジュネーヴが舞台の作品で、失脚したコロンビア(?)大統領がスイスに病気治療にやってくる。その病院の救急車運転手がかつての支持者で、何くれとなく面倒を見るようになる。妻はそんな政治家は祖国から財産を持ち出しているとにらむが…。国を追われた人々の悲しみが伝わってくる作品。

 次の「聖女」は幼くして亡くなった娘の遺体が腐らないのを「奇跡」と考え、ローマ教皇に聖人認定を求めてローマに何十年も滞在する男の話。驚くべき奇譚である。しかし、それ以上にすごいのが「「電話をかけに来ただけなの」」で、ホラー小説として屈指の作品だと思う。レンタカーが故障して、電話をするためにヒッチハイクしようとしたら、精神病院に収容者を連れて行くバスが止まってくれて。だけど、病院では電話を貸してくれないのである。もちろん患者だと思いこんでしまったのだ。夫は待ち続け、探し続けるが…。今まで読んだ中でももっとも怖い話の一つ。

 全部書いても仕方ないけど、「悦楽のマリア」「毒を盛られた十七人のイギリス人」「雪に落ちたお前の血の跡」などなど、不思議で怖い話が詰まっている。場所はイタリアやスペイン、フランスなどで、いずれも50年代が多い。ガルシア=マルケスは1955年にローマに行ったが、その後もヨーロッパ各地に住んでジャーナリストとして活動した。コロンビアを追われたわけではないが、その後もキューバやメキシコに長く住んでいる。幼い頃のコロンビアの村や町が作品の基盤になっているけど、本人は他国に住むことが多かった。そういう経験から生まれた短編集で、素晴らしい物語に酔いしれること請け合いである。
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『情熱の王国』『壁は語る』ーカルロス・サウラ最後の映画

2024年06月19日 21時45分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 スペイン映画の巨匠カルロス・サウラは2023年2月に亡くなったが、遺作の『情熱の王国』(2021)、『壁は語る』(2022)が公開されている(渋谷・ユーロスペース)。未公開作品はたくさんあるので、昔に作られた映画なのかと思ったら最近の作品だった。91歳で亡くなったので、実に高齢になるまで元気に作り続けた人なのだ。『カルメン』(1983)で評価され、『血の婚礼』『恋は魔術師』の「フラメンコ3部作」で知られた。後に『フラメンコ』という映画も作ったけど、別にフラメンコ映画ばかり作った人ではない。様々なジャンルの映画を作り、各地の映画祭で受賞した巨匠である。

 『情熱の王国』はフラメンコじゃないけど、ダンスの映画ではある。それもメキシコでミュージカル製作過程をミュージカルにする三重構成の映画。若いダンサーをオーディションで選び、レッスンを繰り返していく。その間に登場人物を通して愛や暴力の世界を見つめる。メキシコはつい最近女性大統領が当選したが、社会には暴力の風潮が強く「マチズモ」(男性優位主義)が根強い。そのような社会に生きる若い世代の悩みも語られる。ダンスの世界と現実の世界を往還しながら、力強い劇世界を構成している。ダンスの練習を繰り返す中で、「現実」の力が作品内に浸蝕してくる。コンテンポラリーダンスの迫力が素晴らしい。2019年に撮影された時には監督は87歳だった。とてもそう思えない若々しい情熱に満ちた映画。第2都市グアダラハラで撮影された。

 『壁は語る』は全然違ってドキュメンタリー映画である。カルロス・サウラ自身がインタビュアーになって、芸術の起源を探る旅を続ける。具体的には幼い頃から接していたスペインのアルタミラ洞窟の壁画である。その他多くの遺跡や洞窟をめぐって、この絵はどうして描かれたかを専門家とともに追求していく。そこからさらに現代のグラフィック・アーティストを訪ね、壁に描く理由を問う。アニエス・ヴァルダの遺作『顔たち、ところどころ』(2017)を思い起こさせる映画だが、ヴァルダは現代を探るのに対し、サウラは過去と現代をつなぐアートの起源を探る。75分と短いが滋味がある。どっちも興味深い映画だ。
(カルロス・サウラ)
 こうしてカルロス・サウラ最後の2作品が日本で紹介されたのはうれしい。貴重な機会を逃さないように書いておく次第。サウラの融通無碍な作風をのぞかせる2本である。自分が前面に出て語る『壁は語る』も面白いと思うが、僕は特に『情熱の王国』がすごいと思った。同じスペイン語圏とはいえ、メキシコまで出掛けて映画を作る。それもミュージカルを作る過程をそのまま映像化することで、老若男女の苦悩を鮮やかにあぶり出す。若きダンサーたちが自分が選ばれたいとオーディションを頑張るシーンなど、実に若々しい演出に驚いてしまった。見事なものである。逝去が惜しまれる監督だった。
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『民藝 MINGEI展』を見るーわが内なる民藝幻想

2024年06月18日 20時53分31秒 | アート
 先週になるが世田谷美術館の『民藝 MINGEI』展を見に行った。(30日まで。)世田谷美術館に行くのは何年ぶりだろう? 自宅から遠く、つい敬遠してしまうのである。今回は駒場の日本民藝館に行けばいいじゃないかと言われそう。(ちなみに日本民藝館は何回か行ってて、ここでも『日本民芸館と駒場散歩』を書いた。)暑い中見に行ったのは「わが内なる民藝幻想」のためである。「わが内なる」は70年代の流行語だが今は死語だろう。でも古い話を書きたいのである。

 ここでは自分が人に勧めたいものを書くことにしている。映画を見て、自分では今ひとつだなと思っても(原則的には)書かない。自分にはつまらなくても、他の人には面白い場合もあるだろうから。しかし、今回の『民藝展』に関しては、僕は内容的には興味深かったが、見なくても良かったなと思った。だけど、あえて書くのは「民藝とは何か」を考えるヒントのためである。「民藝」の創始者である柳宗悦(やなぎ・むねよし)には、昔から関心があった。近代日本の思想家の中でもとても興味深い人物だと思っている。(柳については、『柳宗悦をどう考えるか』を2016年に書いている。)
(「1941生活展」)
 入ってすぐに「1941生活展」が再現されている。日本民藝館で開かれた「生活展」を再現したものだという。ここは写真が撮れるので、上下がそれ。「民藝」品で部屋を飾った「モデルルーム」のようなもので、画期的な企画だったという。展示品の由来を見てみると、案外外国のものが多く、特にイギリスが多い。英米との戦争も迫っていた頃だが、全く戦時色はない。民藝とは「国産」にこだわるものではなかったことが理解できる。これを見ると、非常に落ち着いた気分になれるし、こういう「モノ」に囲まれて暮らせたら素敵だなと思う。このような「生活のありかた」(ウェイ・オブ・ライフ)が大切なんだと伝わってくる。
(「1941生活展」)
 大昔に「革命」なんてマジメに語られていたとき、それは「革命勢力が政治権力を掌握する」ことを意味していた。しかし、「革命」後のロシアや中国でも、民衆の生活スタイルはなかなか変化しなかった。ソ連が崩壊した後、ロシアでは正教会が復活し「保守的価値観の守護者」となっただけでなく、今では精神的に戦争を支える存在になった。ソ連や中国の実態が伝わるとともに、僕はウィリアム・モリスに心惹かれるようになった。19世紀イギリスの作家、装飾家であり、社会主義活動家である。『ユートピアだより』などの著作の他、「モダン・デザインの父」と呼ばれ日本でも何度も展覧会が開かれている。
(衣装)
 今回の展覧会は「美は暮らしの中に」をキャッチフレーズにしている。近代日本でモリスに近い存在を探すと、それは柳宗悦らが始めた民藝運動が、(大いに貴族趣味的なところはあるが)当てはまるんじゃないだろうか。そう思ったわけである。日本民藝館に行くと、心が浄化されるような思いがする。柳宗悦は植民地時代に朝鮮文化の保存を訴えた人である。「揺るがぬ生活スタイル」に支えられた柳は、権力から自立した思想を持ち得た稀有な例なのではないか。まあ、そういう風に思ったわけである。

 今回の展覧会では、昔の日本各地に伝わった「無名」の職人が作った衣装や生活品(陶器や籠など)が多数出ている。特に沖縄の衣装などは、戦争で失われたものも多いだろうから貴重だと思う。だけど、…とそれらを見て思ったことがある。この展示品をいま再現すると、非常に高価なものになるだろう。「職人の手作業」で作られたものだからだ。工業化が進んでなくて人件費も高くなかった時代には、「職人技」が生活を支えていた。それを今求めると、高級品となってしまう。だから、現代に生きる民藝として展示されているものは、今ではとても手が届かない高価なお土産品になっている。

 つまり柳が提唱した意味での「民藝」は今では意味が変質してしまった。僕らの周りにある「民藝調」は高級のサインである。では工業的に大量生産された機能性重視の製品、例えばユニクロの服は「現代の民藝」になるのだろうか。かっぱ橋道具街には外国人がいっぱい訪れているらしいが、そこで売ってる道具は民藝なのか。「美意識」と「作家性」はそこにもあるのだろうか? つまり、それが思想を支えると思ってきた「民藝」なるものは、今では幻想なんだなと痛感した。

 今は生活に機能性は要求されるが、美意識は必要じゃない。もちろん「機能美」があるとは言える。高層ビルや高速道路にも「現代の美」はある。しかし、それは「職人」が手作業できるものじゃない。職人の手作業は、手打ちそば和菓子などに生き残っていて、それはスーパーやコンビニで売ってるものより高価である。現代で「民藝」に近いのはそういう食品かもしれない。旅番組で皆がほめているのも大体そういうものだ。生活用品としての「民藝」は今では意味が変容したのかなと思ったのである。
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上野鈴本で文枝を聴くー落語協会百年特別興行

2024年06月17日 20時23分22秒 | 落語(講談・浪曲)
 上野鈴本演芸場の6月中席昼の部に行ってきた。落語協会百年興行の企画で、トリを上方落語の桂文枝がやっている。ということは先週「文枝と小朝の二人会」に行ったときに書いた。まあ二度とないことだろうし、他のメンバーも凄いので行きたくなったのである。演劇や音楽会に行くとチラシの束を渡される。映画館に行くと映画のチラシが置いてある。同じように寄席や落語会に行くと落語のチラシを貰うから、ついまた行きたい気持ちが募るのである。

 小朝のブログを見ると、鈴本は連日立ち見の大賑わいだという。それを考えて、少し早く着くようにした。今日も大入り満員で冒頭から立ち見である。今回は(出演順に)柳家三三蝶花楼桃花柳家権太楼林家正蔵春風亭小朝林家彦いち(春風亭一之輔と交替出演)、林家木久扇(鈴々舎馬風と交替出演)と、普段ならトリで出て来る面々(または人気者や大御所)が続々と登場する。色物も立花家橘之助(俗曲)やロケット団(漫才)など大満足。そんな中で奇術のアサダ二世はいつものような脱力マジック。「今日はちゃんとやります」と宣言しながらテキトー主義に徹する様に大爆笑。他の芸人にいじられる存在として貴重。
(アサダ二世)
 落語では開口一番、鈴々舎美馬はこの前の二人会でも見た人。噺も「転失気」(てんしき)となじみだが、皆よく笑う。いつもの「通好み」的客筋と違って、長年の文枝ファンや話題にひかれた人も来てるんだろう。大入りでよく笑うから、やる方も力が入る。林家たけ平は兄弟子が止めちゃって、今は正蔵の惣領弟子。足立区出身で気に掛けているが、聴くのは久しぶり。今回は大きな声で「死ぬなら今」と珍しい噺。ケチで知られた吝兵衛(けちべえ)さんは地獄に行きたくなくて、金次第というから閻魔大王に賄賂を送って極楽行きに大逆転。客受け、ネタのつかみなどずいぶん上達してる。大受けしていた。
(林家たけ平)
 柳家三三の「」(たけのこ)は、この前林家つる子の昇進披露興行で聴いたばかり。この前の方が面白かった。柳家権太楼の「代書屋」も何度聴いたかという噺だが、何度聴いても大受けする。確かに面白いけど、今日がベストじゃないだろう。林家正蔵の「一眼国」(一つ目の国に迷い込む)もこの前のつる子昇進興行で聴いたばかり。そうなると、新作の林家彦いちに期待してしまう。学校で怪談を語る部活に熱血教員が顧問になって…という噺で、調べると「熱血怪談部」というらしい。本にもなってるようだ。これは抜群に面白くて、顧問の「怪談部は、レイに始まりレイに終わる」なんて爆笑だった。
 
 小朝は「千両みかん」という噺で、初めてだがそんなに面白くない。木久扇師匠は例によって、笑点に始まって談志の選挙ネタ。これは「明るい選挙」という題があるらしいが、今回は漫談風に語っていた。人気者だけに(文枝以外の)誰より受けていた。ロケット団は久しぶりなんだけど、世の中には「○○ハラ」がいっぱいある。セクハラに始まり、モラハラ、カスハラなどと紹介していって、「キヨハラ」(無理やり薬物を勧める)というのがパターンだったけど、それが「ミズハラ」に代わっていた。意味は「無理やりギャンブルに誘う」である。
(ロケット団)
 最後に文枝が登場。51年間「新婚さんいらっしゃい!」の司会をして、感じたこと。「愛は、続かない」なんて笑わせる。それがマクラだから、続いて老父が息子に電話して「離婚することにした」と語ると実感が出る。これは「別れ話は突然に…」という演目だという。すべて電話で語られる夫婦、親子の事情が身につまされる。父親の方から聞いてると、老妻もひどいと思う。しかし、息子が妹に電話し、娘から母親に電話が掛かってくる。そうすると風景が逆転し、実は父親がいい加減で勝手。愛犬ジョンも「お父さんが殺したようなもの」だという。こうして親が大変になってるが、息子はソウル、娘は帯広にいるから、なかなか会いに行けない。お互いに調整して息子、娘が離婚阻止に久しぶりに帰省するとなる。と母親が死んだはずのジョンに良かったねと声を掛ける。ここでまた世界が反転する。「お父さん、この手は二度と使えませんね」で終わる。これは非常によく出来た新作落語だ。老人や親子を考えるヒント満載の爆笑ネタ。実に充実した寄席の一日だった。
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映画『あんのこと』、この凄まじい現実を変えられるのか?

2024年06月16日 20時32分55秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画は見ていて楽しくなるものばかりではない。むしろ厳しい現実に見る方がひるんでしまうような映画も必要だ。最近では吉田恵輔監督の『ミッシング』が代表。吉田監督は2021年の『空白』で娘が事故で死んだ父親を描いた。それに対し、今度の映画は娘が行方不明になった母親を描く。この石原さとみが凄まじく、一見の価値がある。ただ途中から報道のあり方などに焦点が移っていき、肝心の行方不明(事故または事件)は解決を見ないまま終わる。沼津のロケが効果を上げていたが、この映画はここまで。

 ここでは主に入江悠監督の『あんのこと』を取り上げたい。河井優美主演で、内容のすごさもあって評判になっている。普通は「この映画はフィクションです」と出るのに、この映画は「実際に起きた事件に基づく」と最初に出るのである。新聞記事にインスパイアされて脚本が書かれたという。たった数年前のことなのに、忘れかけている「コロナ禍」の人々に与えた影響を伝える映画としても貴重。それにしても凄まじい現実に言葉を失う映画だ。

 紹介をコピーすると、「21歳の香川杏河合優実)は、ホステスの母(河井青葉)、足の不自由な祖母と、東京・赤羽の団地で暮らしている。杏は幼い頃から酔った母親に暴力を振るわれ、小学4年生時より不登校となり、十代半ばから売春を強いられるなど過酷な人生を送ってきた。」それが変わっていくきっかけは、「ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた杏は、多々羅佐藤二朗)という妙な人懐こさを感じさせる刑事と出会う。多々羅は杏に薬物更生者の自助グループを紹介し、なんの見返りも求めず就職を支援する。大人を信用したことのない杏だったが、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。」
(刑事役佐藤二朗と)
 警官としては異色すぎる「多々羅」には様々な知り合いがいるようだ。施設ではヨガを指導したりしている。そこに週刊誌記者の桐野稲垣吾郎)も訪れ、杏は大人に導かれて新しい自分を見つけられた。高齢者施設で働けるようになり、なじみの利用者もできる。小学校から行ってないというから、僕は夜間中学へ行ったらと思ったらやはり夜間中学を訪ねている。そこには外国人も多いが、一緒に数学を勉強している。杏は周りの助けを得て、立ち直れるのか。そこへ「週刊誌記者の桐野稲垣吾郎)は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた-。」
(佐藤二朗、河井優美、稲垣吾郎)
 こうして、「大人の世界」が揺らいでいくときに、世界で新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。夜間中学も突然休校し、高齢者施設では非正規職員は自宅待機となった。今まで居場所だった飲食店も入れない。DV向けの避難施設にいた杏は、そこに閉じこもっていたら突然ノックされる。隣室の女性が子どもを押しつけて、どこかに消えてしまった。杏はなんとか子どもと遊び、食べるものを作る。しかし、今までそうだったように、いつも大事なときに母親が現れてすべてを壊すのである。河井青葉が演じる母親の壊れっぷりはものすごい。大体父親はどうなっているんだか。散らかりきった部屋もひどい。
(高齢者施設で働く)
 こうしてすべてを失った(と思った)杏には、生きていく力がもう残っていない。悲劇までを一直線に描く作品だが、完成度的には問題もあると思う。「現実」に規定され、想像力で羽ばたく展開じゃない。「虐待」と「コロナ禍」でどうしようもない現実を描くため、どうしてもこの凄まじい現実を変えられたとしたら何だったのかを考えてしまう。「行政」や「学校」は子どもを抱えた母親と接触する機会が多いが、家庭内部に介入するのが難しい。「強制力」を持った警察が登場するまで、杏を動かすことが出来なかった。しかし、その「強制力」は良いばかりではない。裏に暗い部分を秘めている。映画はそのことを示している。
(入江悠監督)
 入江悠(1979~)は2009年の『SR サイタマノラッパー』が注目され、『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(2010)、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(2011)、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(2012)と作ってきた。これらは大手作品ではないが、後で見たら非常に面白かった。その後、大手で『ジョーカー・ゲーム』(2015)、『22年目の告白 -私が殺人犯です-』(2017)、『ビジランテ』(2017)、『AI崩壊』(2020)など、何でもこなす器用さが持ち味。しかし、ここまで「社会派」的な作品は今までにはない。今回は自ら脚本も書き、力強い作品になっている。なかなか見るのが辛い映画だが、日本の現実を考える時に見ておくべき映画だ。
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発掘本『ロック・デイズ 1964-1974』、ロックの「その日」に立ち会った男

2024年06月16日 16時55分21秒 | 〃 (さまざまな本)
 6月15日に母親の一周忌を行った。命日は7月だが、都合で6月になった。個人的な事柄なのでここでは書かないが、これで一応「喪明け」になる。暑くなって疲れたし、昨日は早めに寝てしまった。書きたいことが溜まったので、頑張って書きたい。まずはちょっと前に読んだ「発掘本」の紹介。発掘本と書くのは、珍しいものを見つけたという意味だけじゃなく、ホントに「発掘」したのである。別の本を探してたら、下の方から出て来た。そもそもこんな本を買ってたのを忘れていたのである。

 マイケル・ライドンロック・デイズ 1964‣1974』(バジリコ、2007、秦隆司訳)という本で、出版社のサイトを見ると今でも注文できるようである。著者マイケル・ライドン(Michael Lydon)は、「ローリング・ストーン」誌の創刊編集者という。60年代初期に大学時代を送り、イギリスで大ヒットしていた「ザ・ビートルズ」に批判的な記事を書いていた。でも卒業してニューズウィーク」の記者に採用されロンドン支局に配属されると、ジョン・レノンポール・マッカートニーにインタビューして、すっかりファンになってしまった。そして「ロック」専門記者みたいになっていったのである。
(マイケル・ライドン)
 次にサンフランシスコに配属され、すぐに1967年の伝説的なモンタレー・ポップ・フェスティバルを目撃した。(この音楽祭の記録映画『モンタレー・ポップ』は最近初公開され、記事を書いた。)つまり、ジャニス・ジョプリンの大熱唱やジミ・ヘンドリックスのアメリカ登場(ギターを破壊して燃やした)、ラヴィ・シャンカールのシタール演奏など「伝説」を目撃したわけである。そして、ジャニス、ジミヘン、ジム・モリソンなどを取材した。前の二人は1970年に亡くなり、ジム・モリソンは1971年に亡くなった。皆「27歳」だったのはよく知られている。(これを「27クラブ」と呼ぶらしい。)その3人を身近に取材できたのである。ジャニス・ジョプリンは「成功の全部が奇妙な感じだわ」と語り、生育歴にも触れている。こんな貴重な本はない。
  (ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン)
 その他、B・B・キングのディープ・サウス巡業公演に同行したり、アレサ・フランクリンをレポートしたりしている。が、なんと言っても一番貴重なのが、1969年のローリング・ストーンズ全米ツァーに同行取材を許された時の記録だ。当時はビートルズ、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズがコンサートを休止中だったが、69年になってストーンズが公演を再開した。そして全米を同行取材することが許された。ライドンの記者人生にとって、最高の日々だろう。そして裏のドタバタ、混乱が記されている。生身のミック・ジャガーやキース・リチャーズを身近に見ることが出来る。当時はブライアン・ジョーンズが急死して、代わりにミック・テイラーが加入したばかりだった。ファンには見えない部分が記録されている。
(1969年のローリング・ストーンズ全米ツァー)
 そして、この全米公演の最後に「オルタモントの悲劇」が起こった。著者はその時も一緒にいたのである。それは1969年12月6日、最後に無料コンサートが企画され、暴走族ヘルズ・エンジェルスが、武器を所持していたとして観客の黒人青年メレディス・ハンターを刺殺した。実は大混乱を恐れたストーンズ側がヘルズ・エンジェルスを「警備」担当で雇っていた。ヘルズ・エンジェルスは裁判で「正当防衛」を認められている。しかし、ロック・コンサートで殺人事件が起きたという衝撃は大きかった。著者は事件を目撃した頃を最後に、今度は自分でもステージに立ちたくなっていき、音楽活動を始めたという。

 一番最後に「ボブ・ディラン・オン・ツァー」があるが、これは取材ではない。1974年に行われたボブ・ディランの公演は、そもそも記者の取材を認めなかった。著者は自分でチケットを確保して、全部の公演を見たのである。それは記事にはならず、原著で初めて公になったという。このように、マイケル・ライドンは本当に「ロックのその日」を目撃したことになる。出て来ないのは、1969年8月に開かれたウッドストック・フェスティバルぐらいだろう。なぜかは不明だが、著者は基本的に太平洋側で活動することが多かったからだろうか。ディープサウスの様子などを読むと、まだまだ南部は差別に満ちていたことが判る。それにしても、一人でこれほど多くの伝説的ロックミュージシャンに会って取材した人は他にいないと思う。とても貴重な本だ。
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『桂二葉チャレンジ!!2』、桂二葉の才能とエネルギーに感嘆

2024年06月14日 20時32分21秒 | 落語(講談・浪曲)
 6月13日夜に、『桂二葉チャレンジ!!2』(朝日ホール)に行った。11日に文枝、小朝の会に行ったばかり。我ながらよく頑張っているなあという感じだが、それは間違い。どっちが先だか忘れたけど、片方を取っているのを忘れてチケットを申し込んでしまったのだ。あれ、このあたりで落語に行くはずと調べて、あっ良かったダブル・ブッキングしてなかったと安心した。間一日あるとは言え、週半ばに夜二日出掛けるのは今じゃ大変だ。でも、これがものすごく面白い。すごい才能が現れたものだ。

 桂二葉(かつら・によう)は上方の若手女性落語家として、いま注目の的だ。CM(金鳥蚊取り線香)にも出ているから、関東でも見覚えがある人が多くなってきたと思う。僕も二葉が面白いという声を聞くようになって、是非一度行ってみたいと思っていた。前からやってるシリーズらしく、必ず一席ネタ下ろし(観客に向けた初演)をするという趣向だという。今回は「くしゃみ講釈」がネタ下ろし。ゲストが一人呼ばれて、「人間国宝」五街道雲助師匠が登場するという豪華な企画である。
(桂二葉)
 桂二葉をよく知らないから調べてみた。1986年8月生まれで、2011年に桂米二(米朝の弟子)に入門した。2021年に「NHK新人落語大賞」を女性として初めて受賞し、この頃から注目され始めたようだ。(ちなみに上方落語には前座、二つ目、真打の昇格制度がない。)東京の女性落語家を見てみると、林家つる子は1987年6月生まれで、2010年に林家正蔵に入門、2015年に二つ目に昇進した。そして2024年に抜てきで真打昇進となる。この間、21,22年に続けてNHK新人落語大賞の本選出場者に選ばれている。(だから、21年は二葉に負けた。)なお、蝶花楼桃花は1981年生まれ、2007年に小朝に入門して、2011年に二つ目、2022年に真打に昇進した。東京落語では修行期間が長いことがよく判る。その功罪は決められないけど。

 会場はマリオン11階の朝日ホールで、かなり大きいけど場内は満員。なんと五円玉が入った「大入り袋」が配られたのには驚いた。前座(まんじゅう怖い)に続いて、早速二葉が登場し、冒頭で「声が高い」と自ら言う。「上方落語界の白木みのる」を名乗っているという。この白木みのるが理解できる人が何人いるか不明だが、大受けしていた。亡くなったばかりの桂ざこば師匠をめぐるマクラも面白い。しかし、なんと言っても「くしゃみ講釈」が凄かった。前に聴いてる噺だが、いつだろうと自分のブログを探したら春風亭一之輔の昇進興行だった。これを昇進興行でやるのも凄いな。

 講釈師に恨みがあって、講釈場で唐辛子を炊いてくしゃみを連発させるという、筋で聞いたら納得できないような展開が続く噺だ。でもその不条理性が面白いのである。そして「くしゃみ」連発の肉体芸が見物。桂二葉のくしゃみは素晴らしかった。とにかく可笑しいのである。いやあ、こんなバカげた噺を一生懸命やる「落語」という古典芸能は奥が深いです。
(五街道雲助)
 続いて五街道雲助の「お菊の皿」。昔は暑くなると怪談をやったなどと始まって、番町皿屋敷の幽霊噺になる。しかし、これは怪談じゃなく、滑稽話である。最近雲助師匠は良く聴いているけど、悠然と語る姿が次第に「人間国宝」の風格を見せてきた。ま、今回は普通という感じだったけど。中入り休憩を挟んで、後半は再び二葉の「子は鎹(かすがい)」。これがまた滅法面白い。よくやられるネタで、何度も聴いてる人情噺だが、二葉が一番だったかも。二葉ははっきりした口跡と「語り」だけではない身体芸で、飽きさせない。筋を知っていても可笑しくて、心に沁みる。

 しばらくホール落語に行かなかったが、やはり夜行くのは大変なのである。(外食だとお金も掛かるが、それより塩分摂取量を抑えたいので。)だけど、ホールだと、演目に長時間を掛けられる。長講に相応しいネタを聴ける。やはり時々行きたいなと思った。それにしても、この桂二葉のエネルギーと言ったらどうだろう。こんなにフレッシュで元気な落語家は久しぶりに見た。まあ「芸協」の「成金」グループに近いかもしれない。あるいは四半世紀ぐらい前に春風亭昇太を知った時に近いかも知れない。まだ「円熟」には遠く、ひたすら面白いエネルギーにあふれた時代である。だが、とにかく見て聞いて楽しく可笑しい。大注目。
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