尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「らい予防法」廃止20年

2016年03月31日 23時10分24秒 |  〃 (ハンセン病)
 最近映画の話が多かったけど、本当は自分のことを書きたいと思っていた。この3月31日が本来の「定年」で、ようやく「5年間生き延びた」という感じがする。もっとも「教員免許更新制」がなかったとしても、自分が定年まで勤めたとは思えないのだが。本当は4月からブログもリニューアルするつもりだったのだが、なかなか時間が取れない。とりあえず先延ばしということになりそうだ。

 その前に、今日は「らい予防法」廃止から20年ということを書きたい。長くハンセン病患者の「隔離」を定めていた「らい予防法」は、1996年4月1日をもって廃止された。しかも、単に廃止されたり、別の法律ができたというのではなく、「らい予防法の廃止に関する法律」という「廃止法」を新たに作るという方法が取られた。そこに至るまでには、多くの人々の尽力があったが、ここでは書かない。

 僕の時代には「らい病」(ハンセン病)は、もう身近な病ではなかった。だから、「ハンセン病差別」というものも、実体験にはない。僕は日本史を専攻していたから、自分の専門とは言えないけれど、部落差別や在日朝鮮人、アイヌ民族などの差別は(多かれ少なかれ)知識はあった。だが、「らい病」という問題意識はほとんどなかったと思う。意識するようになったのは、1980年に韓国のハンセン病定着村でのワーク・キャンプに参加したからである。翌年冬に韓国人学生が来日し、一緒に長島愛生園邑久光明園を訪問した。東京都東村山市にある多磨全生園を初めて訪問したのはいつだったか忘れたが、なんにせよキャンプ関係の人脈で行ったはずである。

 そんな中で療養所の存在根拠となっている「らい予防法」を知ったわけだが、最初の時から「この法律は憲法違反」だと思っていた。だったら廃止運動をすべきなのだが、時間がないとか、一人ではできないといった問題ばかりではなく、非常に難しい問題があった。それは根拠法である「らい予防法」がなくなると、同時に国家による療養所政策が維持されるのか、それを誰が保障できるのかという問題である。福祉に冷淡で、予算削減ばかり迫ってくる自民党が政権にあって、果たして従来より生活環境が悪くならないと誰が言えるか。園内の入所者にはそういう心配が多かったのだろうと思う。(廃止当時は「自民・社会・さきがけ」による橋本龍太郎首相で、厚生相は「さきがけ」から出た菅直人だった。)

 しかし、世の中は変わる時には変わる。国会では全会一致で「らい予防法廃止」が成立した。療養所の体制も基本的に維持されることとなった。その後の展開は必ずしも「維持」とばかり言ってられない実情もあると思うが、ハンセン病は「国家の過ち」という認識は共有されていった。その後、熊本、岡山、東京で「国賠訴訟」(国家賠償請求訴訟)が提起され、2001年5月11日に熊本地裁で勝訴判決が下った。僕も東京地裁での公判は大体傍聴したし、草津の楽泉園での実地検証も参観した。だから、国賠訴訟の支援運動には参加したわけだが、本当は法廃止に向けての運動もするべきだった。

 「予防法」廃止後に、FIWC(フレンズ国際労働キャンプ)関西委員会が主催して、大阪で記念集会が開かれた。FIWC関東委員会で活動していた筑紫哲也さん、関西委員会で活動していた徳永進さん(医者でありエッセイスト)、多磨全生園自治会長(当時)の森元美代治さんなどが講演して感銘深い集会となった。東京からもたくさん駆けつけ、僕も車を提供したと思う。東京でも是非同じような集会をやろうと盛り上がり、自分が責任者となって1997年6月に集会を行った。(その話はそれ以上書かない。)当時、東京の主な会館を総当たりして、空いていた九段会館で行ったのだが、その日に大震災が起きなくて本当に良かったと思う。今思うのはまずそのことである。

 退職して後には全国のハンセン病療養所を訪ねて行きたいと思っていたのだが、国立13療養所中で8つしか行ったことがない。それどころか、毎年最低一回は行きたいと思っていた多磨全生園にも昨年は行かなかった。自宅から2時間近い距離が、年取ると負担感が大きいのである。情けないけど。でも、それはそれとして、ずっと自分なりに関心を持ち続けたいと思っている。

 廃止当時から皆言っていたが、この廃止は20年、いや30年遅かった。廃止されたからと言って、入所者の高齢化が進んでいて、今さら郷里に戻るとか、社会で働くなどできない人が多かった。それでも社会に戻った人もいるけれど、やはり住み慣れてしまい知人も多い療養所で年老いる人がたくさんいる。それを最後まで「見守る」ことが重要なんだと思う。

 一方、法の字面だけ見て、1996年3月までは「絶対隔離」が続いていたかのように書く人もでてきた。国賠訴訟以後に問題を知って、関わり始める人もいるわけだから、昔はさぞ大変だったろうと思うのだろう。しかし、われわれが園内を訪れることも、また入所者が外へ出かけることも、80年代には園に断りなくできた。僕も昔から生徒を引率して訪れたことが何度もあるが、園に届け出もしないし、また学校の管理職にも断らなかった。(外部引率に校長名で起案した書類がいるんだなどと言われるようになるのはずっと後の事である。そんな面倒があるなら、誰も外部見学など企画しなくなる。)自由に入所者の家に行けたし、外部との交流もできた。だけど、やはりお互いに「心の奥底に隔離政策の影が差していた」ということである。そのことの意味、重みを正確に伝えるのは、僕には難しい。

 今の時点で提起されている大問題が二つある。一つは「家族訴訟」である。20年で民事時効が成立するので、一応「らい予防法」廃止時点が起点となるとするなら、今後ハンセン病に関わる国家賠償訴訟はできない。今回提起されている「家族の被害」は非常に重大な問題だと思う。もう一つは、31日の夕刊各紙に出ているが、ハンセン病療養所での「特別法廷」の問題である。入所者の指摘を受けて、最高裁が一昨年来検証を続けてきた。昨年度にも出ると言われていた報告は、延びに延びて2015年度にも出されなかった。それだけきちんと検証しているんだと思いたいが、どうも配慮に配慮を重ねている可能性もある。憲法では「特別裁判所」は禁止されている。ハンセン病療養所入所者の関わる裁判だけが、療養所内の「特別法廷」で裁かれている。これはおかしいのではないか、事実上被告人の弁護権も制限されはしないか。そこに裁判官の先入観が入らなかったと言えるか。それが「憲法違反」だとするなら、死刑判決を受け1962年に執行された菊池事件の見直しにも直結するかもしれない。非常に重大な問題なので、今後も書いていきたいと思う。
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あまりに変な映画「ロブスター」

2016年03月30日 21時36分56秒 |  〃  (新作外国映画)
 ちょっと前に見たんだけど、「ロブスター」という映画、あまりに変な映画なので特におススメしないのだけど、やっぱり書きおいておこうかと思う。2015年のカンヌ映画祭審査員賞受賞作で、コリン・ファレル(「アレクサンダー」「マイアミ・バイス」)やレイチェル・ワイズ(「ナイロビの蜂」)、レア・セドゥ(「アデル、ブルーは熱い色」)など国際的キャストを組んだ作品。カンヌ受賞に恥じない傑作で、出来は確かにいいのだが、あまりにも変なので付いていくのが難しい。

 設定がとにかくぶっ飛んでいて、「独身が罪とされる社会」なのである。でも、それだけならよくある「ディストピアもの」の変種として理解はできる。この映画ではさらに、独身者はホテルに送られ、45日以内にパートナーを見つけないと「動物に変えられる」というルールがある。犬を選ぶ人が多いので世界は犬ばかり。ホテル到着時になりたい動物を申告することになっているが、主人公デヴィッドが選ぶのが「ロブスター」である。デヴィッドは妻が別のパートナーのもとに走り、独身となってしまった。すでに犬に変えられた兄とともに、ホテルに着く。ホテルの周りの森には脱走した独身者が潜んでいて、ホテル滞在者は麻酔銃で独身者を狩りに行き、一人確保すれば一日滞在日数を延ばせる。

 もちろん、こういったルールは変である。でも、物語の内部で変わった設定になっていることは多い。「バトル・ロワイヤル」だって変だし、「マッドマックス」シリーズだって変である。でも、そういう映画では冒頭で「説明」があることが多い。何か理由があってそうなったとされる。そして、いったんそのルールを受け入れれば、後は了解可能な物語が進行する。だけど、「ロブスター」では説明が一切ない。ルールは観客の方でセリフを聞いて理解しないといけない。というか、理解しようがないルールである。「独身は罪」は判るが、「動物に変えられる」は理解しようがない。だから、映画の展開もどうなるか判らない。「エンタメ映画文法」で出来ていない「アート映画」なのである。

 じゃあ、これは一体何なのだということになる。ある種の寓話なんだろうけど、その意味はよく判らない。映像は美しく、明らかにアート映画としての質は高い。だけど、一体この物語は何なのだろうという気はする。主人公は彼なりのもくろみでパートナーを作るが、結局破綻して逃げ出す。しかし、独身者の森に逃げ込んでも、今度は「恋愛禁止」という新しい抑圧にさらされる。そこで知り合った女性は視力を奪われてしまい、最後は「春琴抄」。シリア内戦を逃れても、ヨーロッパでも受け入れられない。現実に世界のどこにも居場所がないというのは、現代人の感覚に訴えるものがある。説明を極度に省略して、ほとんどが内容も画面も暗い。見ていて楽しくなるということがないんだけど、同時にこれはすごい映画を見ているかもという気がしてくる。

 この映画を作ったのは、ギリシャの映画監督ヨルゴス・ランティモス。1973年生まれで、これが4作目。2作目の「籠の中の乙女」(2009)はカンヌ映画祭「ある視点」部門グランプリ。父親が娘を閉じ込めて育てる物語で、日本でも公開されたけど見ていない。「ロススター」は4作目で、初の英語映画。全篇アイルランドで撮影されたという。風景を見るとなるほどと思う。この過激に変な映画は、多くの人が好きになるようなタイプではないだろう。でも、世界では一定の人がそういう映画を見にいく。だから、国内マーケットで受けることだけ考えている必要はなく、特に「持ち運び自由」の映画においては、ごく一部に評価されるような自己の美学で作って、世界の映画祭に出品するというやり方もある。日本でも、こういうぶっ飛んだ発想の映画を構想する人が出てきて欲しい。ヨルゴス・ランティモス、また覚えておくべき難しい名前の監督が現れたようである。
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てがみ座「対岸の永遠」を見る

2016年03月30日 00時21分08秒 | アート(演劇・落語等)
 劇作家の長田育恵(おさだ・いくえ)が主宰する「てがみ座」の公演、「対岸の永遠」を見た。シアター風姿花伝という劇場は初めて。とても心に沁みる傑作だけど、30日で終了。

 1987年にノーベル文学賞を受賞したヨシフ・ブロツキーという詩人がいる。もとはソ連時代のレニングラードで育ったユダヤ人で、ソ連当局に忌避されて強制労働刑に処せられたりしたあげく国外追放になった。その後はアメリカで暮らし市民権も取り、ノーベル賞はアメリカ人として得ている。今回の劇はブロツキーに材を取りながらも、名前をアンドレイ・ミンツ(半海一晃)と変えて自由に創造力をはばたかせている。場所はソ連崩壊後に改名されたサンクト・ペテルブルクのあるアパートの一室。そこでは何人もが住んでいるが、アンドレイとは11歳で別れさせられた娘エレナ(石村みか)が今も住んでいる。夫と別れて娘サーシャと住んでいるが、父アンドレイの思い出は封印してきた。そこにニューヨークからアンドレイの遺品を持ったユリウス・ミラーが訪ねてくる。

 という設定で、この一室の3日間に限定された劇だが、ここに死んでいるアンドレイも自由に出てきて手紙を読んだりする。時間も場所もさまざまに移り変わり、演劇空間の魅力を伝えてくれる。ソ連からの亡命文学者というテーマは70年代には大きな問題だった。ソ連崩壊後はもう忘れられた問題に近いと思うが、そこに「父と娘の和解」を中心としながら、テロや戦争などの「国家悪」、チェチェン問題、同性愛など様々なテーマが出てくる。だが基本となるのは、父を許せずに来た娘の人生がどのように変容していくかである。その意味では「親子」という永遠のテーマを扱っている。強権的政治体制への批判をベースにしながらも、そんな中でも生きて行かざるを得ない人々の「赦し」が感動を呼ぶ。

 そういうテーマ性もあるけど、長田育恵の劇作が非常にうまい。そのアパートの同室者たち、あるいは前は崩壊後にアパートを買い取った元の住人などサブの人物たちが、コミカルかつ深刻なセリフで場を盛り上げる。皆よく酒を飲みタバコを吸い、ソ連崩壊後の困難を語る。(この喫煙シーンが多いことがほとんど唯一のマイナス。客席にかなり漂ってきて事前にマスクを希望者に配布した)そんな中で、時間を行き来しながらアンドレイの手紙に収れんさせていく作劇術に感嘆する。戯曲の構造が素晴らしいために、遠いと思われがちな世界が身近に感じられる。娘エレナの石村みかの演技も優れている。

 ニューヨークもサンクト・ぺテルブルクも知らないけど、運河沿いに海を目指すという言葉だけで、心に沁みるものがある。古い都の魅力とでもいうような。独ソ戦のレニングラード包囲戦を戦い抜いた少年アンドレイのエピソードも印象的。ソ連の裁判での「国家の寄生虫」宣告もすごいが、このような非道な体制に抗い続けた人々が多数いたことも忘れてはいけない。ソ連と韓国の政治犯救援が僕の世界認識のベースだった。劇中に「あのKGB(カーゲーベー)出身の男」批判のセリフが頻出するから、ロシアでの公演は難しいのかもしれないが、ぜひサンクト・ペテルブルクの人々にも見て欲しい劇だと思った。作者の長田育恵は年末に民藝で柳宗悦を劇化することになっていて、それも楽しみである。夜に見たばかりで、あまりまとまった感想になってないけど。
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「雪に願うこと」など-根岸吉太郎監督の映画③

2016年03月28日 20時47分02秒 |  〃  (日本の映画監督)
 根岸吉太郎監督の映画3回目。あらすじなどを書いていると長くなるなあと思ったので、簡単にしたい。フィルムセンターの雑誌「NFC」に監督インタビューが載っている。それを見ると、戦前に日活多摩川撮影所長や満映理事として日本映画史に名を残す根岸寛一が大叔父に当たるという。ウィキペディアによると、寛一を援助した叔父、小泉丑治の息子が根岸寛一の養子となり、その息子が吉太郎なのだという。浅草の生まれで、木馬館を経営する根岸興行部を持っているらしい。だけど、日活映画を見ていたわけではなく、その年の募集が日活しかなかったということらしい。藤田敏八監督に付き、その藤田は蔵原惟善監督に付いたから、蔵原ー藤田ー根岸という系譜があると本人が言っている。

 僕は蔵原惟善や藤田敏八が日活で作った数々の青春映画が大好きなので、そう言われてみると根岸監督の作風が昔から好きだった理由が判った気がした。だが、80年代以後に日本映画界の撮影所システムは崩壊していく。会社に所属していれば、とにかくプログラムピクチャーを作り続けなければならない。だけど、テレビ会社や新聞社、広告会社などで構成された製作委員会が、マンガやベストセラー、テレビドラマなどを映画化するような時代では、なかなか映画製作がままならないことも多いだろう。根岸監督にも映画のブランクがあり、中島みゆきの「夜会」の映像などを担当していたという。その後、山形にある東北芸術工科大学教授となり、今は学長を務めている。

 「ウホッホ探検隊」(1986)「永遠の1/2」(1987)の後は、5年おいて「課長島耕作」(1992)、続いて伊集院静原作による中編「乳房」(1993)を撮る。夏目雅子との生活をモデルにした原作で、かなり心を揺さぶられた思い出がある。(「乳房」は同じく伊集院静原作の市川準監督「クレープ」と併せて公開された。)そこからさらに5年おいて1998年に「」、次が6年後の「透光の樹」(2004)ということになる。実力派監督でもこれほど撮りにくい時代だったのである。「」の原作は、故白川道(とおる)の「道は涸いていた」というミステリーで、僕はけっこう好きだった。筋を知っていて見ると、主演の役所広治はいいけど、どうもいま一つ。今回見ても、役所対渡辺謙の対決は面白くはあったが、やはり根岸監督に向かない題材だったような気がする。「透光の樹」は高樹のぶ子原作だが、見た時にどうも全然感心しなかった。筋をなぞっただけのような映像だったと思う。今回も上映なし。以上の2本はベストテンの10位に選出されているが、根岸監督に80年代の輝きはなかった。

 ところがその後続けて作った3本が傑作で、特に「雪に願うこと」(2006)が最高傑作だと思う。改めて見直して、やはりよく出来ていると思った。雪の帯広、ばんえい競馬のようすをじっくりと描く。東京で事業に失敗して故郷に逃げ帰った弟と北海道で馬とともに暮らす兄。勝てない馬「ウンリュウ」に自分の人生を重ね合わせて行く弟。果たして勝てる日は来るのか。競馬を描く映画はかなりあるが、騎手を乗せたそりを引く「ばんえい競馬」を取りあげたのは珍しい。原作は鳴海章「挽馬」という小説で、航空ミステリーが多い作家だが、故郷の帯広をもとにした作品。相米慎二の遺作「風花」も鳴海原作で、だから撮影を同じ町田博に依頼したという。小泉今日子の存在感も共通している。主演の佐藤浩市も力演で、父が凄すぎるから意識されにくいが、ずいぶんうまいなと思った。いまや映画監督でもある伊勢谷友介が弟役、いまや福山雅治夫人でもある吹石一恵が女性騎手で実際に馬を操っている。いまや9代目市川中車でもある香川照之、いまや右翼の巨頭イメージが強い津川雅彦など、いろいろな人が出ていて、10年経つと人生も変わるなと痛感する。吹石一恵も頑張っていた。

 次の「サイドカーに犬」(2007)も、その自由な風が吹く感じが好きで忘れがたい作品。母が夏に家出し、代わりに家にきた「ヨーコさん」。その竹内結子がキネ旬主演女優賞などの名演で、最高だと思う。それを子どもの視点で描くのだが、子役の松本花奈も傑作。古田新太の父は怪しい中古自動車業をしているが、子どもにはよく判らない。ヨーコさんが突然「夏休みしよう」と子どもと海に行くシーンは素晴らしい名シーンである。「ひと夏の椿事」を現時点から回顧する構成も優れている。原作は芥川賞作家長島有の短編で、根岸監督はあまり知られていない原作をうまく処理する。題名は少女がサイドカーに乗っている犬を見た記憶からで、そのようすの映像も面白い。

 続いて、太宰治生誕百年の年の「ヴィヨンの妻」(2009)。浅野忠信と松たか子の作家夫婦(太宰自身が反映されている)の戦争直後の生活を丹念に再現する。深刻ながら軽さもあり、恐らく数少ない太宰映画化の中では最高の作品だろう。モントリオール映画祭で最優秀監督賞を得た。田中陽造の脚本が素晴らしく、美術や撮影も出来がいいと思うが、僕はこの映画がそれほど好きではない。原作の問題だと思う。2009年は西川美和「ディア・ドクター」と園子温「愛のむきだし」が優れていた。

 最後に劇場公開されていない「近代能楽集」(2013)。「葵上」と「卒塔婆小町」をセリフは三島由紀夫原作の通り映像化したもので、最初は舞台劇の映像かと思うような作り。その後カメラはかなり動いていきカット割りもあるが、基本は原作のままの映像という「三島文学」色が強すぎる。前者では中谷美紀が六条御息所の生霊を迫力で演じ、後者では寺島しのぶが老若を演じ分ける。その女優の演技を見る楽しみはあるが、映画作品として自立しているかの判断は難しいと思う。
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「遠雷」と「ウホッホ探検隊」-根岸吉太郎監督の映画②

2016年03月27日 22時47分59秒 |  〃  (日本の映画監督)
 芦川いづみ映画の話もまだあるのだが、フィルムセンターの根岸吉太郎監督を先に。10日ほど前に「根岸吉太郎監督の映画①」を書いた。その後頑張って見てきたが、最後の「永遠の1/2」と「乳房」の2本立ては時間が長いので、疲れていてパス。どっちも公開当時に見ていて、面白かった記憶はあるが細部は忘れてしまった。まずは、80年代の「遠雷」と「ウホッホ探検隊」の2作から。

 どちらも公開当時以来で、忘れていたことが多い。今見ると、やはり「時代の変化」を映し出しているような気がする。「遠雷」(1981)は立松和平の原作を巧みに映画化した傑作。日活でロマンポルノを撮っていた根岸監督の初の一般映画で、ATGの作品だった。公開当時から非常に評判がよく、この年のベストテンで2位になった。今回行われたトークショーで、脚本を書いた荒井晴彦が「モノクロの映画が出てきて1位を取られてしまった」と残念そうに語っていた。小栗康平の「泥の河」である。

 栃木出身の立松の原作を受けて、宇都宮の近郊でトマトのハウス栽培をしている23歳の満夫永島敏行)の日々を丹念に描いている。こういうふうに具体的に農業青年を描くことは珍しいが、家族関係や性生活もリアルに描かれている。本当にリアルな同時代の青春で、自分も若い時に見たので感心して感動もした。父親(ケーシー高峰)は家を出て女と暮らしている。家には母と祖母だけで、兄は東京へ出て結婚している。父は田んぼを売った金で女に店を開かせ、残った土地で満夫がトマトを作っている。友人の広次(ジョニー大倉)とつるんで飲み歩き、スナックの女と知り合いビニールハウスで結ばれたりする。そんなときに、あや子(石田えり)との見合いの話が持ち込まれる。見合いの後で「若いものだけでドライブでも」と出かけて、満夫はあや子をモーテルに連れ込む。(「モーテル」とは、「ラブホテル」のことで当時はそう言っていた。)
 
 そんないい加減と言えばいい加減な青春だけど、なぜかあや子とはうまく行き、結婚話が進んで行く。一方、広次は農協から100万の金を下ろしてスナックの女とどこかへ逃亡。父は一度家に戻り、選挙運動を手伝うが、選挙違反で警察に連行される。そんな中で結婚式の日を迎え、一族郎党、友人知人が集まり朝までどんちゃん騒ぎをするところなど、いかにも日本の地方という感じ。そんな時に広次から電話で呼び出され、ただならぬ感じにやむなく出かけていく。そして、逃亡の果てに、舞い戻ってきて女を殺してしまったというのである。自首に付き合って、結婚式に戻ると、もう朝も近い。どこ行ってた、一曲歌えとなって、桜田淳子の「私の青い鳥」を大声でデュエットするのだった。

 このラスト近くの展開はとても緊迫した名場面で、「私の青い鳥」を歌うシーンを公開当時に見た時は涙が止まらなかった。ずっとつるんできた友は「転落」したが、自分は今つかんだ「愛」を守り抜くしかないんだ、自分の人生はそういうものなんだという思いの深さである。そういう意味で、やっぱり「青春映画」であって、今の自分が見るとボケて意地悪な祖母の扱いなどに気が向く。祖母は原泉(はら・せん)がやっている。中野重治夫人だった人だが、名脇役として多くの映画やテレビで活躍した。ああ、原泉が元気な頃だったんだなあと顔を見ただけで懐かしい。また、亡くなったジョニー大倉が女とのやり取り、殺してしまったと語る場面、僕は女が実写で出てくると思い込んでいたが、すべて語りだけだったのに驚いた。それほど迫力を感じたのである。(まあ、僕も若かった。)

 ハウスの真ん前まで団地が出来ていて、値下がりした時は取り立てのトマトを団地に売りに行く。それであや子とともに服を買いに行き、ファミレス(のような店)に車で行き「結婚してもしばらく子どもは作らず遊びたい」とあや子は言う。新婚旅行はハワイに行きたいと。「婚前交渉」は当たり前で、あや子も5人と経験があると最初に言う。でも、そうは言いつつも結局は子どもが出来てしまい、それを受け入れて暮らし始める。車やセックスが若者の日常の風景になった時代だが、親子や男女の葛藤はなくならない。トマトに未来があるかどうかは判らないが、満夫は働き続けるだろう。ビニールハウスで色づくトマトの官能性が見事にとらえられていて、「地方の青春」を象徴するようである。

 「遠雷」は今見ても傑作だと思ったが、音楽等に時代も感じる。原作は持っているはずだが、読んでいない。一方、「ウホッホ探検隊」(1986)は干刈あがたの原作を読んでいたので、公開当時は原作を映像化した程度に思って、あまり感心しなかった。ベストテンでは3位だが、吉田喜重「人間の約束」や深作欣二「火宅の人」、熊井啓「海と毒薬」、宮崎駿「天空の城ラピュタ」などの方がはるかにすぐれていると思ったし、好きでもある。(当時見逃した大森一樹「恋する女たち」も素晴らしい。)再見して、とても面白かったが、評価としてはやはり先に挙げた映画の方が面白いと思う。

 干刈あがた(1943~1992)は、今はほとんど忘れられた感があるが、80年代の重要な作家である。92年に49歳で亡くなったのが惜しまれる。この年は中上健次や李良枝(イ・ヤンジ)も亡くなった受難の年だった。「女性の進出」、高学歴化、離婚やシングルマザーなど当時になって意識され始めた女性のあり方、あるいは社会の変容を書いた作家である。「ゆっくり東京女子マラソン」は題名からして、作家のスタンスを表わしていたが、今は「東京マラソン」ができて「東京女子マラソン」というもの自体がなくなってしまった。「ウホッホ探検隊」(1983)は芥川賞候補になった作品で、題名は夫がする咳の音から付けられた。夫役の田中邦衛がうまく咳き込んでいるが、やっぱりちょっと無理がある。妻は十朱幸代で、「社葬」などと並ぶ映画の代表作だと思う。もっと評価されて欲しい女優のひとり。

 単身赴任の夫、ライターの妻(多くの人にインタビューして雑誌の記事を書いている)、二人の子どもの家庭。夫が家に戻ってきて、お弁当をもって川のそばにいく。下の子はラジコン飛行機に夢中。川でボートに乗って家族団欒。下の子は自分たちは海賊で探検隊だという。帰る日に夫は「女がいる」と告白する。妻は悩みながら、一度夫の職場に行き、夫の愛人に会う。夫は食品会社の研究部門にいて、愛人も同じ研究職。職場で結ばれてしまった。このように、もう女も「自立」した職業を持ち、男に依存していない。そういう時代相を描いている。しかし、子どもたちが住む家はかなり立派なもので、夫の仕事がそれを可能にしていると思われる。夫婦の問題もドロドロにならず、「妻と子ども」は助けあって「探検隊」を続けていく。そういうあり方が当時は珍しかった。
 
 脚本を森田芳光監督に依頼していて、すごく自然で丁寧なホンになっている。だけど、どうも「夫婦」や「親子」の変容をうまく処理したといった感じが抜けないように思う。「遠雷」のラストのような激情の噴出がない。僕はそういうものが好きなので、この淡々さがもったいない気がする。男の子二人は非常に自然な演技をしているが。冒頭すぐの場面で、十朱幸代はワープロで原稿を書いている。また夫が子どもの相手をしている間に、村上春樹「パン屋再襲撃」を読んでいる。そういう描写が今では時代を感じさせる。むろん、「ケータイのない時代」である。当時としては新しい出来事を盛り込んだ物語だったわけだが、現在からするとそこにも「時代」がある。それでも、この両作を見ると、貧しい青年ばかり描いていた70年代までの映画と異なり、日本も豊かな社会になったんだなあと言うことが判る。なお、この頃はまだラストに出てくるクレジットが簡素で、今のように長くない。「遠雷」では「私の青い鳥」、「ウホッホ探検隊」では「東京ナイトクラブ」を主人公が映画の中で歌っているが、作詞作曲のクレジットがないなんて。今では考えられない時代だったんだなあと思った。
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滝沢英輔監督の仕事-芦川いづみの映画再び④

2016年03月25日 23時24分42秒 |  〃  (日本の映画監督)
  
 神保町シアターの「芦川いづみ特集アンコール」の写真を撮っていたことを思い出したので、記念に最初に載せておきたい。ところで、この特集には滝沢英輔監督作品が4本含まれていた。そのうちの「あじさいの歌」は前に書いた。その時には3本と書いてしまったけど、後で見たら最終週に上映の「無法一代」も滝沢監督ではないか。いずれも見応えがある作品で、しっかりした演出力が光る映画だった。だけどまあ、作品世界も演出技法も古くて、しっとりした昔風の情緒はあるけど、いまさら取り立てて再評価の声を挙げようと思っているわけではない。

 日活は日本で一番古い映画会社だが、戦時中に製作部門が統廃合され「大映」が作られた。戦後しばらくしてから製作を再開したが、なかなか方向が定まらなかった。最初の頃は「文芸映画」を多作したが、あまりヒットせず、結局「太陽の季節」があたり、原作者の石原慎太郎の弟、石原裕次郎を見出して、アクション映画青春映画に活路を見出した。芦川いづみという女優も、今までに何回か書いているように、石坂洋次郎や源氏鶏太などの映画化作品で、裕次郎の相手役として存在感を発揮した。だけど、今日書く滝沢監督作品は(「あじさいの歌」などを除き)古い感じの「文芸映画」になる。

 製作年の順番ではないが、見た順に「佳人」(1958)から書きたい。これは藤井重夫(1916~1979)原作の映画化だが、藤井重夫などと言っても今では誰も知らないだろう。僕も記憶の片隅に引っ掛かりを感じたものの、最初は誰だか判らなかった。調べて思い出したが、1965年上半期の直木賞を「虹」で受賞した作家である。選評では「甘さ」が指摘されている。(そう指摘したのは源氏鶏太。)その藤井が書いた「佳人」は1951年に芥川賞の候補となった。結局、直木賞を受けたが、その後忘れられた作家になった人である。ウィキペディアで調べると、兵庫県北部の豊岡出身で「佳人」も豊岡が舞台になっている。また城崎温泉も出てきてロケされている(と思う。)

 話は久しぶりに故郷に帰る青年・しげる(葉山良二)の回想で始まる。戦前の豊岡のこと、身体が弱かった幼なじみの少女・つぶら(芦川いづみ)は、外に出ることもかなわず、しげるしか相手になってあげる者もいなかった。やがて二人の間に純愛が芽生えるが、青年は戦争に取られる。つぶらの送った石をお守りに戦争を生き抜いて、故郷に戻ったのは、つぶらが兄の友人だった金子信雄と結婚する日だった。兄は戦争で心を病んで自殺し、県会議員だった父も死んだ。財産もなくなったつぶらの家を援助した金子信雄は、亡き父の地盤欲しさに愛もない結婚を強要する。という哀切な物語。何とか救い出そうと葉山らが画策するのだが、悲しい展開が待っている。戦争で儲けて得するもの(金子)と戦争でひたすら悲しい目に合うもの(芦川)がくっきりと描き分けられている。

 金子信雄は「仁義なき戦い」や料理番組で知られた演劇人だが、日活アクションで多くの悪役をやっていた。この映画の憎々しいまでの役作りは、実に印象的で感傷的なカップルに涙するためには、悪役の演技力が決め手だという大衆映画の作りがよく判る映画になっている。しかし、センチメンタルに過ぎるのは間違いない。また、厳格な父は宇野重吉が演じている。他の2本にも出ているし、前回書いた源氏鶏太映画にも全部出ている。民藝の役者は日活によく出ているわけだが、中でも日活で何本か監督までしている宇野重吉が一番出ているのではないか。渡辺美佐子も儲け役で出ている。

 「祈るひと」(1959)は僕の好きな田宮虎彦の原作だが、あまり面白くなかった。複雑な家庭に育った芦川いづみが、悩みながら自立を目指す話。その「家庭の秘密」の処理が難しく、時代の中で埋もれてしまったような映画。次いで、「無法一代」(1957)。全く知らなかったが、この映画が一番いい。研ぎ澄まされた構図で語られる悲しい物語である。「洲崎パラダイス」と同じく三橋達也、新珠三千代だが、あの映画では食い詰めていた二人だが、こっちでは明治の京都で遊郭の主人になろうとする映画。芦川いづみは、その廓で働かされる貧しい少女で、実に悲しい人生行路をたどる。その哀切なようすをうまく演じている。原作は西口克己「廓」で、僕も名前を知っている程度だが、昔のベストセラー。西口克己は京都で共産党の府会議員をしていた党員作家である。さまざまな映画(溝口健二「赤線地帯」など)で、遊郭の主人側の言い分のエゴイストぶりが辛辣に描かれているが、この映画のように一からのし上がる主人が出てくるのは珍しい。今ではきちんと理解されていない昔の遊郭がきちんと描かれていて貴重な映画だと思う。時間も遅いので、こんなところで。(写真は、「祈るひと」と「無法一代」)
 
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源氏鶏太の映画-芦川いづみの映画再び③

2016年03月24日 23時28分10秒 |  〃  (旧作日本映画)
 映画はフィルムセンターで根岸吉太郎監督の作品を見てるので、新作がなかなか見られない。その間に、今ごろ見た「映画ビリギャル」を3回も書いてしまった。そう言えば、今日になって突然、先月神保町シアターでやっていた芦川いづみの特集を全部見たことを思いだした。スタンプラリーをやっていたので、去年見たばかりの映画もついでに見ちゃったのである。で、招待券を2枚くれるということだったけど、どうなっているんだろうというわけである。そして、家に帰ったらそれが届いていた。

 前に書いていたのは2月上旬のことで、その後「18歳選挙権問題」を書いた後でもう一回書くつもりが、時間が取れなかった。今日来てたのも何かの縁ということで、ちょっと戻って芦川いづみの映画、というか日本の50年代、60年代を映画を通して考えるということだが、少し書いておきたいと思う。まず、直木賞作家・源氏鶏太(げんじ・けいた、1912~1985)の原作映画。

 源氏鶏太は、1951年に「英語屋さん」で直木賞を受賞し、その後サラリーマン小説をものすごくたくさん書いた。そして、それらの小説はどんどん映画化され、80本にもなるとウィキペディアにある。ラピュタ阿佐ヶ谷で2011年の「3・11」前後に特集をやっていたけれど、一本も見ていない。(「昭和の大作家源氏鶏太の映画アルバム 日日哀歓」に上映作品が出ている。)一番有名で重要な作品は「三等重役」だと思うが、これが東宝で映画化され「社長シリーズ」につながっていく。「三等重役」とは、戦後になって戦時中の役員が追放されたため特進できた軽量重役を指す言葉。流行語にもなった。

 昔は山のように各文庫に入っていたけど、読むこともないままもう全部消えてしまった。松本清張や司馬遼太郎なんかを除き、30年ぐらい前にいっぱい出てた「大衆文学」は時代の流れに耐えられなかったものが多いのである。特に「サラリーマン文学」なんかだと、今の時代とは離れすぎているだろう。でも、今となっては高度成長期を読み解く「考古遺跡」のような意味が出てきたかもしれない。

 芦川いづみ映画ではないが、近ごろ源氏鶏太の小説が久しぶりに文庫に収録された。ちくま文庫の「青空娘」である。これは増村保造監督、若尾文子主演で映画化されている。とてもよく出来た青春明朗編で、20本近く組んだ増村=若尾映画の最初の作品である。読んでみたら、これが映画と全く同じなことにビックリした。同じというか、結末は違っているし、細部の登場人物も少し違う。だけど、作品に漂うムードが全く同じと言ってもいいのである。「語り口」が同じなのである。とても読みやすく、誰でもスラスラ読める。「明星」連載と言う「少女小説」であり、「昭和のラノベ」を楽しめる。同じコンビによる「最高殊勲夫人」も源氏原作。これもよく出来ていて、面白く見られる映画である。

 一方、今回3本見た石原柚二郎=芦川いづみの源氏鶏太映画は、はっきり言ってしまえば、石坂洋次郎原作映画の足元にも遠く及ばない映画ばかりである。もっとも、見る前から大した期待もしていない。芦川いづみと裕次郎が、さわやかコンビで会社にはびこる悪を懲らしめるのを、ただ楽しんで見ていればいいのである。「喧嘩太郎」(舛田利雄監督、1960)、「堂々たる人生」(牛原陽一監督、1961)、「青年の椅子」(西河克己監督、1962)と監督は娯楽映画の名手が揃っていて、まあそれなりに楽しめる出来上がりになっている。何がダメかと言うと、物語そのものに魅力がないということに尽きる。東宝の植木等の無責任男が作られようという時代だから、源氏原作の浮世離れした設定に魅力が乏しいのである。もっともそれは物語の話で、「喧嘩太郎」のように芦川いづみが「婦人警官」(当時の呼び方)になったりするのは見応えがある。裕次郎の会社の不正を警察も追及していて、会社の正義派と「婦警」が協力する。話はムチャだが、以下の写真にある警官姿は一見の価値あり。

 浅草の玩具会社の社員裕次郎と、そこに押しかけ社員となる芦川いづみが、倒産寸前の会社を救うという「堂々たる人生」も楽しいことは楽しい。展開が不思議なんだけど、まあいいだろうという映画。僕が一番面白かったのは「青年の椅子」で、会社の一大事の鬼怒川温泉での得意先接待で、裕次郎と「タイピスト」の芦川が親しくなる。だけど、彼女は藤村有弘と婚約してるんだけど、藤村は会社乗っ取りの陰謀をたくらむ一派にいる。正義派の営業部長、宇野重吉が苦境に立たされるのを、裕次郎と芦川で助けて会社を救う話。芦川いづみは、得意の和文タイプで藤村に婚約解消を告げ、同時に裕次郎からの「プロポーズ受け入れ」を事前にタイプしておくのがおかしい。ただのタイピストが接待で重要な役をするのもおかしいし、その後の展開もどうかと思う。でもまあ、お得意先を温泉に接待するのが一年の重大事だというあたりに、当時の慣習が現れている。水谷良恵(現・二代目水谷八重子)が重要な役で出ているのも貴重である。話は現実味がなくても、当時の東京の風景などにも時代相が出ていて、そういう見所もある。(下は「青年の椅子」)
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知識は力になる-「映画ビリギャル」考③

2016年03月23日 23時39分17秒 |  〃 (教育問題一般)
 「映画ビリギャル」の話は2回で終わる予定だったが、この機会にせっかくだから書いておきたいことがある。他の事を書く余裕もないので、簡単にいくつか。まず、「塾の先生はなぜ彼女を信じたのか」という問題である。学校の先生だって、クズだクズだと言いながら、結局「寝てる」ことを認めさせられている。(ちなみに、この担任を演じているのは安田顕で、この前書いた「俳優 亀岡拓次」の主演俳優である。だけど、実は見てる間に全く気付かず、最後にクレジットを見てビックリした。)

 ところで、その問題の一つの答えは「有村架純がやってるから」というものだろう。映画内ではこれはとても大きく、実際問題として観客のホンネはそこにあるだろう。だけど、そこをもう一つ考えてみたいと思う。僕の考えは「大人と会話を楽しめるタイプだから」という答えである。映画内で描かれる塾の先生とのトンチンカン問答の面白さ。あるいは父親でも担任教師でも、その場合は負の応答になっているが、やり取りができている。やり取りができない、特の気の利いた会話にならないというタイプもいるのだが、学力に関わらず、「会話を楽しめるタイプ」も存在する。社会の中の役割として、学校行事やアルバイトでも「会話」の持つ力は大きい。だから、見ている側はちょっと見ただけで、「この子はやればできる」と信じることができる。これは多くの学校で見て来たことである。

 続いて、この映画で塾の先生が出しているメッセージ。それは「知識は力になる」ということである。そのことを映画の中でも強調している。そして、その「知識」というのは、「とりあえず既成の学問体系」なのである。世界を読み解くキーワードは、いろいろな所に隠されている。それは今では、秘密のどこかに隠されているというよりも、もう公開されているものが多い。自分で考えつく程度のことは、大体今まで生きていた人が誰か考えている。それは「勉強の量」の問題ではない。「勉強のやり方」を知ってるかどうかの問題と言った方がいい。それでも、ある程度の量を勉強しないと見えてこないものがある。勉強していない人だけが、知らないから損しているのである。そして、知ったかぶりを世の中に広めてしまう。「無知」であることに気づかない人は恥ずかしさも感じない。

 だけど、ただ量だけ勉強を積み上げてもダメである。世の中は、ある種「パターン」で出来ている。歴史の進み方も漢字の仕組みも、数学の公式も原子番号の並び方も。スポーツの上達法も、楽器の技法も…書いていっても、要するに世界のあらゆることが「パターン」なんだからキリがない。そのパターンは、自分で勉強する中でつかんで行く以外にない。勉強していない人は、「知識の体系」を持ってないから、困った段階で一つ一つ個別に悩んでしまう。一回一回に、その都度困ってしまう。それを繰り返してしまう。学校はともすると教科ごとにバラバラに生徒を頑張らせてしまうから、生徒が世界を読み解く力を十分に身に付けられない時がある。この映画の場合、勉強するごとに自信をつけていく。それは「知識を力に出来た」と言うことだろうと思う。

 だけど、映画内で解決されない困った問題もある。その最大は「長男の問題」である。長女である映画の主人公は、仮に慶應に受からなくても「近畿学院」に合格しているので、そこへ進学することで大学へ行ける。一方、プロ野球を目指すんだと父に強要されてきた長男は、野球で有名な私立高校へ通った後で能力の限界を悟ってしまう。退部したまま、学校も辞めてしまったとされる。実際にそういうことはかなり多。高校へスポーツ推薦で行きながら、ケガなどで部活を続けられなくなると学校から「ポイ捨て」されるのである。学習指導要領では部活動は必修ではないのだから、部活を辞めても学校側は生徒の指導にあたる義務がある。だけど、事実上「退部」=「退学」に近い学校もないとは言えない。

 スポーツ推薦で高校へ行けたぐらいだから、体力はもともと優れている。そういう子どもは、「学び直し」に出会う前に「遊びの誘惑」に逆らえなくなることも多い。映画の中の子どももそういう感じがする。これは困った問題だが、結構聞くことがある。野球やサッカーは人気スポーツでプロになるのも大変だが、世の中にはもっとマイナーだけど、頑張れば日本代表になれるかもしれないスポーツもあるのではないか。東京五輪では開催国枠で出場できるから、野球じゃないものに早くから変えていれば五輪代表になれたかもしれない。世の中的にももったいない話である。僕には解決策はない。私立高校がちゃんとしてくれと思うが、公立の定時制高校に移ってくる生徒の多さから見て、現実は難しい。この映画で一番気になるのは、長男が姉を見て立ち直っていけるかどうかということにつきる。
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何よりも個室があったこと-「映画ビリギャル」考②

2016年03月21日 22時55分35秒 |  〃 (教育問題一般)
 リオ五輪予選を兼ねた男子サッカーの「U‐23選手権」(23歳以下)が1月に開かれ、日本チームが優勝した。この世代は、U‐20ではアジア予選で敗退してワールドカップに出られなかった。「谷間の世代」などと言われ続けてきたが、今回は「反骨心」をバネに結束して成果を上げたということだ。人間は「反発心」こそが頑張りのもとになるということは、「ビリギャル」を見た人にも強く印象付けられる点だろう。そのために、この映画では父親や学校(私立高校)のあり方が誇張されている。見ていると、ああいう教育はおかしいと思うわけだが、それが物語の起動装置だからやむを得ない。

 「ビリギャル」の主人公が慶應大学に入れた理由は何だろうか。普通に考えると、以下のようなになる。主人公は父親に軽んじられ、学校にも相手にされずクズ扱いされる。そのことに対する反発から、猛然と勉強を始める。母親だけは娘を信じ、どんなときにも支え続け、個別指導を行う塾にも行かせてくれる。その塾でも信じてくれ、一緒に頑張ってくれる先生がいて、適切な助言を与えてくれる。時々は伸び悩みながらも、主人公は必死の努力を重ねて、ついに受験の日を迎える。つまり、「母親の存在」「塾の先生」「本人の頑張り」が3点セットになっている。
 
 しかし、「エンターテインメント」物語は、話を判りやすくするために「敵と味方」をはっきりさせて進行する。その過程で、「見えなくするもの」があり、一種の隠蔽装置となる。では、この物語では何が隠されているだろうか。塾の先生は、最初の段階で「どうせなら私学の雄と言われる慶應を受けてみよう」と課題設定を行う。名古屋に住んでいる生徒なのに、東京の大学を勧めるのである。それに対して、主人公は「うちはビンボーだから、東京行かせてもらえないから、ムリ」などと反応しない。多分あの塾に行かせられる家庭では、東京の大学に行かせられるのが前提になっているんだと思う。

 この主人公は、最後には家で深夜まで勉強を続けるようになる。だけど、それが可能なのは、この家庭は「一軒屋の自宅」があり、子どもが3人に個室があるのであるからである。父は息子をプロ野球に行かせることにしか関心がなく、娘の塾代は母親が出している。だけど、子どもに個室を与えられる家を買ったのは、父親の経済力に違いない。(両家の祖父母の援助が大きいのかもしれないが、出てこないので判らない。)父親は元はプロを目指して大学野球をしていたが、どこからも指名はなかった。脱サラして自動車修理業をしながら、リトルリーグの息子を送るための大きな自動車を持っている。つまり、娘の教育に関して間違っているとしても、父親の経済力が娘の生活を支えているのである。

 アパートの一室で兄妹と一緒の部屋で勉強時間も取れないながら、何とか高校だけは卒業したいと必死になって頑張っている子供たちも多い。そういう子どもの多くは、家の経済力がないために、4年生大学へ行くことは本人も諦めている。専門学校もお金が高くて行けないけど、何とか自分でアルバイトして学資を貯め、数年後には専門学校に行って資格を取りたいと思って高校を卒業するが、現実は厳しい。本当に進学できた人は少ないのではないかと思う。そういう現実に直面する生徒を多く見てきたから、はっきり言うと「ビリギャル」はおとぎ話のように恵まれた設定に見えてしまう。

 とにかく「自分の部屋があること」。これが「自分で勉強する」ことには必要である。個室があると、逆に遊んでしまうこともあるが、それでも自分なりのペースで受験勉強を進めるためには、自分の個室がいる。これは今では「当然の環境」ではない。かなり多くの子どもたちは劣悪な住環境で育っている。そういう子どもたちは、早く家を出て自活したいと考え、お金を貯めるために働き始める。ダブルワークする人も多く、お金もたまらず身体も壊し実家に戻ったりする。「ビリギャル」が受験に成功した最大の理由は、個室を持っていたことにあるのは間違いない。

 ところで、もう一つの大切な条件がある。大学を受験する資格は何だろうか。学力ではない。落ちてもいいなら、慶應でもどこでも誰が受けていい。だけど、「受験料を納付する」ことと「高校を卒業したか、卒業見込みであること」(または高卒認定試験に合格していること)が前提条件となる。つまり、あの私立高校は彼女に「卒業見込み」を認定したのである。僕は多くの受験生に「ビリギャル方式」は推薦しない。受験勉強が大切だと言っても、ほとんどの授業で寝ていては、肝心の高校が卒業できない。公立高校では、平等性が重要になるから、あの授業態度では卒業に必要な単位を取れない可能性が高いのではないか。卒業までは学校を大事にし、その後浪人しながら頑張るというのが普通ではないか。それにしても、よく卒業させてくれたもんだと思う。そこがまあ、私立なのかもしれない。ということで、この映画では負の役割を与えられている「父親」と「私立高校」が実は物語を支えていたわけである。

 僕はこの映画を見ていて、うまく出来ていて面白くはあったが、同時に「どうも納得できないなあ」という感覚も持ち続けた。それは「望ましくない進路指導」だからではないかと思う。何で慶應義塾大学を目指すのか納得できないのである。「私学の雄」というけど、早稲田の人なら「早稲田こそ私学の雄だ」と思ってるだろう。大学野球だって「早慶戦」と普通は言うわけで(慶應の人は慶早戦と言うけど)、早稲田は何で受けないの?京都の大学だって、例えば同志社の新島襄は慶應の福澤諭吉に匹敵するではないかとか思ってるのではないか。僕だったら、「一万円札の顔の人を漢字で書け」と言う問題に、「福沢論吉」とか「福沢輪吉」とか書くエピソードを作り、これは間違いやすいんだ、「諭」と「論」と「輪」(ついでに「輸」も)の区別をしっかりと教えて、その後で、ではこの人が作った大学は?と聞くと言った展開を考えたい。その上で、この大学を目指してみるかとすれば、ある程度納得できるのだが。

 とにかく、世間的な「大学ブランドイメージ」で高いところを目指すというだけでは、「昔の進路意識」ではないかと思う。昔は一般受験しかなくて、軒並み受ける人もいたし、その大学に行ければ何学部でもいいやと言う人もいた。しかし、今はさまざまな大学が独自のプログラムを持ち、あまり聞いたことがない学部を作っている。そう言えば慶應の「総合政策学部」だって、その走りである。それぞれの特徴はホームページですぐ調べられるし、それぞれ違った資格が得られることが多い。「レベルが高い大学」ではなく、やりたいことを決めて、それができる大学を選ぶのが普通だろう。実際、大学なんかどこを出ても社会に出ればそんなに関係ないことも多い。だけど、大学で学んだことは将来の職業に生きてくるから、「偏差値レベル」で選ぶのではなく、自分の関心領域を見極めて受けないといけない。この映画では、そこが語られず「慶應に受かる=学力が低かったのにすごい」というレベルの話になっている。これはむしろ弊害が大きい。「世間的なレベル意識」を全く無視はできないだろうが、自分がやりたい勉強ができる学部でないと続かない。そこが大事なところである。
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「ビリギャル」を抑圧装置にしないために-「映画ビリギャル」考①

2016年03月21日 00時05分16秒 | 映画 (新作日本映画)
 2015年に公開されて大ヒットした「映画ビリギャル」をやっと見た。池袋の新文芸坐で2015年の日本映画特集。「バクマン。」と二本立てで、18、19に上映された。どっちも見る気があったのだが、見逃していた。大ヒット映画を見逃すのはおかしいと思われるだろうが、「その日しか上映されない」という古い映画のピンポイント上映を優先すると、いつの間にか終わってしまうわけである。でも、こうやってそのうち名画座で上映されたりするからまあいいやと思うのである。

 「映画」というカテゴリーもあるし、「映画の中の学校」というカテゴリーも作っているけど、「ビリギャル」は学校に関する映画ではないし、映画として書くまでもない気もした。だけど、その中に描かれている問題は、「教育」を考えるヒントになると思うので、教育の問題として書いておきたいと思う。長くなりそうなので2回に分ける。なお、原作は読んでない。

 まず、題名にした「『ビリギャル』を抑圧装置にしないために」の意味を書いておきたい。この映画(および実話に基づく原作ノンフィクション)は、正確な題名にある「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」の通りの物語である。「エンタメ映画」の文法に沿って、なかなか出来がよく作られている「さわやか青春映画」なので、これを見ると「自分も頑張れば、偏差値を上げて慶応大学に入れる(入れた)かも」と見る人に思わせる力がある。

 だから、それを逆手に取られると、受験生にとっては「ビリギャル見ただろ。頑張ればああいうこともあるんだよ。だから、お前が入試に落ちたのは、お前が頑張らなかった結果なんだ」と言われかねない。また教師にとっても、「わが高校の進学実績が振るわないのは、生徒のやる気を引き出せない教師の無能が原因である。ビリギャルの塾講師を見よ」と使われかねない。また大人の多くには、「私にもビリギャルの坪田先生みたいな人さえいれば、人生も変わっていたはずなのに」と「自己欺瞞」として機能しやすい。現実の家庭や学校の条件を考えることなしに、ただ「ひたすら頑張れば、何でもできる神話」になりやすいのである。もう実際に、「ビリギャル」を抑圧装置に使っている人もいるんじゃないかと思う。そうではなく、「ビリギャル」を解放装置に使うにはどうしたらいいかを考えたい。

 最初に映画について。脚本があり、演出があり、演技があり、撮影がある。だけど、それではまだ映画にはならない。撮影したフィルム、というかもうフィルムじゃないけど、そのデジタル画像を編集することで「見る映画」に仕上がっていく。すぐれた「エンタメ映画」は、この編集が素晴らしいのである。堪能するしかない編集リズムであり、いったん流れに身を任せてしまえば、最後までジェットコースターに乗ったように進行する。だけど、ちょっと立ち止まって見ると、予測通りの展開だからどんどん忘れていく。ベストテン上位になった「恋人たち」や「ハッピーアワー」のような、見る者の心をいつまでもざわざわと波立たせる「居心地悪さ」がないのである。

 物語の構造としては、「無知」というお城に閉じ込められていたお姫様が、王子様(現実の中では風采が上がらない塾講師だが)の助けにより自分を解放するお話。およびバカにされても反撃できずに溜りに溜まった怒りをバネに、ついに立ち上がって攻撃に乗り込んで行くお話。つまり「眠れる森の美女」と「忠臣蔵」の合体で、慶應の入試は討ち入りと同じようなもんである。物語の構造というものは、いつの世でも基本は同じようなものだということである。

 さて、ここまででずいぶん長くなってしまったけれど、まず「偏差値」について。偏差値というのは、(まあ書くまでもないかと思うけど)、平均を50として、平均からの隔たりを数値化したものである。その基となるのは「正規分布」という考え方で、非常に多くの人数を(学力だけでなく、何でもいいが)比べてみると、平均点付近に一番多数の人が存在し、テストで言えば100点も0点もごくわずかになるはずだということである。だから、すごく易しい、あるいは難しい問題だと偏差値化する意味がないが、受験人数は何十万もいるし、「落とすために入試をする」以上、難易度がある程度の幅に止まると考えられるから、まあ偏差値で捉えられるわけである。偏差値が「30から70の間」に約95.4%の人数が含まれるので、「偏差値30」=下位2.3%、「偏差値70」=上位2.3%になる。

 それは映画の中でも、「70万人の受験生」の中で、下位2%にいる生徒が上位2%に入るのは不可能だと学校の教員が語っている。まず、「70万」から検討する。18歳選挙権のところで書いたけれど、現在の「18歳人口」はおおよそ120万人である。この話は今よりもう少し前の話なんだけど、大学進学者はおおむね60万人で変わらない。そして、「浪人生」は約10万人強とされるから、合わせると翌年の大学受験を考えているのは、やはり「70万人」ということになる。

 だけど、ここで気を付けるべき問題がある。「高校受験」と「大学受験」の違いである。高校受験はほぼ全中学生に関わるから、20世紀末に文部省が禁止するまで「業者テスト」を校内で行っていた。そうすると、そのデータは全生徒の点数を偏差値換算したものになる。(業者は複数あるから、実際には全生徒のデータが一社に集まることはないが。またこの映画の場合のように、内部進学中心の私立中高一貫校は参加しないから除かれるが。)その場合、「偏差値30」というのは、中学で下位2.3%の生徒ということだから、ホントにビリという感じを与える。実際の中学教員の感覚では、学習障害や知的障害(のボーダー)ではないかと疑うレベルである。
 
 その高校入試の偏差値感覚を多くの人が持っていると思う。それで考えると、学習障害のような生徒が指導によっては慶應大学に入れたのかと誤解されかねない。いくらなんでも、どんな熱心な教え方をしても、それは全く無理だろうと思う。しかし、ここで問題にしているのは、大学入試だから、初めから関係ない生徒が多い。この映画でも主人公の友人たちは全然勉強してないが、内部進学で系列の大学に行ける人もいるだろう。そういう人は初めから模試を受けないからデータに入ってない。120万人の同世代の中で、大学へ行くということだけで、ほぼ半数の生徒から関係ないのだから、大学受験生は全員「同世代の学力偏差値が50以上」なのである。

 もっとも専門学校の中でも試験があるところもあり、下の方の大学よりも学力が高い生徒がいる。そうだけど、この主人公も私立中学、私立高校へと進級、進学しているんだから、塾の最初のテストほどできないとは考えられない。英語や数学は小学生レベルということはありうるが、国語などはそこそこの点を取るものである。勉強をしなくても高校、大学へ上がれるんだから、確かに学力は低かっただろうが、家は私立へ行かせる経済力はあったんだから、「潜在学力」は相当に高いと見ないといけない

 それに大学入試の場合、高校入試と違い、必ずしも学力だけで輪切りにならない。学力が高くても、経済的な問題で地元の国立大学しか受けない生徒もある。この主人公は、名古屋に住んでいるが、「慶應を受ける」と言いだしたときに、なぜか家族は「東京に行かせる余裕がない」と言わない。周りはお前の学力では無理だと学力の話しかしない。経済力はあると皆は前提にしているのだろう。いまどき何と恵まれていることか。だから、慶應は偏差値が70だと書いてあっても、実際に上位の2.3%、つまり1万6100人に入らないと慶應に合格できないというわけではない。慶應文学部は外国語と地理歴史、総合政策学部は「数学または情報」あるいは「外国語」あるいは「数学および外国語」の3つの中から1つと小論文。外国語は英語じゃなくても可能だけど、まあ普通は英語。英語と日本史にしぼって勉強すればいい。(ちなみに募集人数は文学部580人と総合政策学部275人。)

 本人の勉強できない面が誇張されているから、本人と教師の力により「奇跡が起きた」と理解したくなる。だけど、「奇跡的」は起こるけれど、ホントの意味の「奇跡」はこの世には起こらない。この映画の主人公も、中学教師の感覚だと、中ぐらいの高校に行ける程度の生徒が、頑張って学区で一番の高校へ入ったという感じかと思う。先に見たように、真にビリではない。また全県(全都)で一番、(東京で言えば日比谷高校)に入ったわけではない。それは大学で言えば東大だけど、数学や理科も必要だから、もう絶対に間に合わない。だから教科が少ない慶應に照準を合わせた。現実の主人公は、近畿学院とされる関西学院の他に、上智、明治および慶應の他学部も受けたという話。明治には合格したが他は不合格だという。総合政策学部は小論文の比重が高い。だから、学力だけのテストでは、関西学院や明大に合格できる水準に上げてきた。それなら本人の努力で可能ではないか。そう考えた方が、多くの人に勇気を与えるのではないだろうか。それはそれですごいことなんだから。

 なお、「偏差値」という言葉が、私立高校の推薦で数字だけ一人歩きしてきたから、今でも「偏差値教育」などと言って悪いものだという印象を持っている人もいるかもしれない。しかし、偏差値に換算しなくても、成績を付けるということは「事実上の偏差値」と同じである。国家公務員の試験も、マスコミの入社試験も、ペーパーテストを行って上位から取るわけだから、偏差値で取っているのと同じである。データを偏差値化していないだけである。(「偏差値教育」を完全に否定するためには、入試を抽選にする以外にない。ペーパーテストを改善したり、小論文や実技試験を導入しても、その評価を数値に換算して上から取るんだから、やはり偏差値と同じである。)
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「受胎告知」に再会-大原美術館コレクション展

2016年03月18日 21時51分16秒 |  〃 (美術・音楽等)
 東京・六本木の国立新美術館で、「はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」をやっている。(4月4日まで。)東京では、たくさんの外国画家の展覧会(例えば、ダ・ヴィンチやボッティチェリ、カラヴァッジョなど)をやっている。見逃せば外国へ行かないと見れないわけだが、それよりも大原美術館のコレクションを見たかった。懐かしいからである。倉敷まで行けば見られるわけだが、これだけのコレクションが東京でまとまって見られるのは滅多にないことだろう。

 2015年に北陸新幹線が金沢まで開通し、2016年には北海道まで新幹線が延伸する。それが大きな話題となっているが、1964年に東京-新大阪間が開通した日本の高速鉄道が新たに伸びた最初の年は1972年である。東海道新幹線が西へ延びて、山陽新幹線と名を変えて岡山まで延伸したのである。その年高校生だった僕は、初めての一人旅として山陽新幹線を利用して中国地方を旅行した。岡山・倉敷を見て、松江、津和野、秋吉台、広島とめぐった。岡山もだけど、広島もそれ以後行ってないのである。全部ユースホステルに泊った旅だった。

 その時に見たのが、倉敷の大原美術館。倉敷の街並み(美観地区)も良かったけれど、この美術館も良かった。エル・グレコの「受胎告知」はその時に見たのを覚えている。他にもゴーギャンやモネやキリコを見たのを覚えている。もちろん、もっと飾ってあったわけだが、どれを見たか見てないのか、もうよく判らない。「受胎告知」がそんなに好きか、素晴らしいかと言われると、正直言って実は判らない。ヨーロッパの宗教画には理解しがたい面があるが、それでも有名だということで覚えているんだと思う。

 さて、今回の展覧会場に入ると、まず古代オリエント、古代中国の美術品が展示されている。解説でも「意外に思われるかもしれないが」と書いてあったが、このような発掘されたエジプトやペルシャの収蔵品に名品が多かったのは確かに意外だった。続いて、海外、日本の画家の作品。ここに「受胎告知」の他、セガンティーニ「アルプスの真昼」とか、ゴーギャン「かぐわしき大地」などがある。が、それに続く日本の絵に、重要文化財指定の2作品、関根正二「信仰の悲しみ」小出楢重「Nの家族」、さらに藤田嗣治「舞踏会の前」佐伯祐三「広告“ ヴェルダン”」など素晴らしい作品が多い。大原美術館開館以後に、同時代的に収集してきた素晴らしい作品群である。

 続いて、民芸運動の作品。棟方志功、富本憲吉、バーナード・リーチ、芹沢介、濱田庄司、河合寛治郎の作品群。さらに戦時中の作品。そして現代美術。ジャクソン・ポロックやジャスパー・ジョーンズなどの作品。そして河原温「黒人兵」など。これらはまあ昔は見てないような気がするが、自分の記憶にないだけなのか。そして、最後に21世紀に大原美術館が企画して若い画家に滞在してもらって描かれた大作群。これらが素晴らしいのである。単に過去を展示するだけでなく、一貫して「芸術運動」の発信基地となってきた大原美術館の現在を見て、感慨と感動を覚える。最後に思わぬプレゼント。

 大原美術館は、倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(クラレ)などを創業し大原財閥を築いた実業家、大原孫三郎(1880~1943)が、1930年に倉敷に開設した。大金持ちが集めた美術品を展示する美術館はその後いっぱい作られるが、その先駆けと言えるような重要なところである。大原孫三郎は本当に偉大だと思うのだが、美術館以外に教育、農業、福祉などにも尽力した。反対する者もいたらしいが、「わしの眼は十年先が見える」と言って押し切った。この題名で城山三郎が書いた伝記小説がある。中でもすごいと思うのが、「大原社会問題研究所」。社会問題の研究機関で、戦前の労働運動、社会運動のぼう大なコレクションがある。社会主義的な団体の史料も多いわけで、よくその収集を続けたものである。故あって東大を去った高野岩三郎、森戸辰男などがここに集い、戦後に活躍できる基盤となった。戦後に法政大学に移管され、「法政大学大原社会問題研究所」となっている。僕もここにしかない史料を見に行ったことがある。京王線めじろ台駅からバスで行くというので、都心から遠いんだけど。そういう重要なものを作った大原孫三郎という人はエライと感嘆するのである。
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根岸吉太郎監督の映画①

2016年03月17日 23時06分03秒 |  〃  (日本の映画監督)
 映画の話も書いてないことが多いが、紹介を兼ねてフィルムセンターの根岸吉太郎監督特集の話から。フィルムセンターは普通3時と7時の上映で、これが結構行きにくい時間なんだけど、今回は頑張って通いたいと思っている。今日は国立新美術館で大原美術館コレクション展を見てから、「探偵物語」(1983)を見た。絵の話は明日に回して、根岸映画の話を先に。

 フィルムセンターが年度末の2週間を「現代日本の映画監督」と名付けて、存命の監督の特集を始めてから、今年が4回目となる。「存命」と決めているのかどうかは判らないが、相米慎二、市川準、森田芳光などは対象にならず、崔洋一、大森一樹、井筒和幸に続いて根岸監督が4人目。本人のトークショーを何回も行うのがこの企画の特徴である。70年代後半から80年代にかけて活躍を始めたこれらの監督たちは、映画に関して「三つの時代を生きてきた人々」である。

 彼らが映画ファンになった時期には、まだ会社システムが健在で、映画会社に勤めて内部昇格で監督となった巨匠の映画を同時代に見てきた。しかし、それらが70年代に崩れ始め、ピンク映画だったり、自主映画から映画監督を始めた人が出てくる。根岸吉太郎(1950~)は、早稲田大学から日活に入社したが、日活は当時もう一般映画会社ではなくて「ロマンポルノ」の会社だった。この世代の監督たちは、会社の映画も知り、その後に活躍し、そしてフィルム映画の終焉、デジタル時代までを生きぬいた世代である。根岸監督もロマンポルノからスタートし、8本を撮っている。その後、1981年に立松和平原作の「遠雷」をATGで撮って大きな評価を得た。僕はその頃からほぼすべて見ていると思う。

 昔から好きで、早くフィルムセンターで企画して欲しいと思っていたので、今回は待ち望んだもの。今までの3人の特集はここで書いてないが、今回は紹介しておく次第。今回は①で、②は今後作品を見直して、10日後ぐらいに書きたい。特に21世紀に撮った「雪に願うこと」「サイドカーに犬」「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」が非常に優れていると思うが、今回の目玉は東京初上映の「近代能楽集」か。三島由紀夫の原作から「葵上」「卒塔婆小町」を映画化したもの。また80年代の「俺っちのウェディング」「探偵物語」「ウホッホ探検隊」「永遠の1/2」なども見直してみたい。

 「遠雷」「探偵物語」は今も割合上映の機会があるが、他の作品はほとんど上映されることがない。どちらも再見してないから見てみたい。「遠雷」の1回目上映は仕事で見られなかったが、「俺っちのウェディング」「探偵物語」は今回見た。また「キャバレー日記」「狂った果実」も前に見てると思うのだが、この4本はいずれも見た記憶がよみがえらない。もしかしたら見てないのかもしれない。だが、「キャバレー日記」に関しては確実に見ているはずなのに、内容を完全に忘れているのである。30年以上経っているのだから仕方ないのか。昔見てもよく覚えている映画もある。小津や溝口のように、僕にとって「発見」だった映画。外国映画も風景や言語が違うのだから記憶に残りやすい。だが、同時代にごく普通に見た「エンタメ映画」というのは、忘れてしまいやすいのかもしれない。

 そして、これらの映画を今見てみると、「80年代」が完全に過去になっていることに驚く。日本社会が90年代に、「バブル崩壊」を契機に完全に変わったことが判る。特に「1995年」、阪神淡路大震災とオウム真理教事件が起きた年が、決定的な転機だった。その意味で、80年代の映画を見ると、「一世代前の社会」が見えてくる。風俗やファッション、言葉遣いなどは今とそんなに違わない。50年代に同時代映画として作られた小津や成瀬の映画とそこが違う。50年代は「電化社会」以前で、しぐさや言葉遣いが明らかに違っていて「発見」がある。でも、80年代の映画を見ると、決定的にないものがある。それは「ケータイ電話」と「インターネット」である。待ち合わせに苦労したり、公衆電話が重要だったり、駅でも切符を切っている。誰もスマホを見ていない。多分それが「なんか違う」という感覚の原因だと思う。

 「探偵物語」は薬師丸ひろ子が主演したアイドル映画だが、松田優作が同格の活躍をしている。通っている大学の冒頭シーンは明らかに立教大学である。ロケ場面を訪ねるサイトがあり、やはり立教と出ている。それなら(自分の通った大学だから)覚えていそうなもんだ。1983年は、就職・結婚の年だから見逃したのか。それとも併映だった角川映画「時をかける少女」の印象が強かったのかもしれない。まだ「ラベンダー」と言われても、どんな香りか皆知らなかった時代のことである。当時「探偵物語」を見ても、まさか松田優作があんなに早く早逝するとは誰も思ってなかったから、ものすごく貴重なフィルムを見てるんだとは思わなかった。薬師丸ひろ子も素晴らしく、ほとんどがロケの撮影にも心奪われる。根岸監督の演出は、自分のスタイルに固執するというより、物語にそって多彩な方法を駆使しているように見える。そこが今見ると興味深い。案外多彩なテクニシャンなのである。

 「俺っちのウェディング」(1983)も物語の語り方を楽しめる映画で、「探偵物語」と同じく物語のジャンルとしてはミステリーである。「探偵物語」は現実離れしたおとぎ話だから、ただ楽しめるところがいいけれど、「俺っち…」はもう少し現実に沿っているから不自然さも見える。だが、時任三郎、宮崎美子のコンビが思った以上によくて、ストーリイを追って楽しめる。結婚式に仕事で遅れ、現れた時には花嫁が刺されていた。犯人は女で、直後に爆死。新郎に恨みがある女がいるに違いないと報道は過熱する。真相は如何に、ということで、新郎の古里、長崎にも出かけて自分の過去を探り始める。この話はよく出来ていて、今見ても十分楽しめるので、テレビなどでリメイクすると面白いのではないか。

 ロマンポルノとして作られた「オリオンの殺意より 情事の方程式」「女教師 汚れた放課後」の2本立て、「狂った果実」「キャバレー日記」の2本立て、以上4本はまとめて初日に見た。いずれも今見てもかなり面白いが、映画としてはやはり時間も短く内容が浅いのはやむを得ない。さまざまな映像テクニックを使っていることは同様。日活ロマンポルノとして後期の作品で、もはや初期の神代作品ほどの勢いはない。「狂った果実」は破滅に至る青春の物語だが、主演の蜷川有紀の身勝手が納得できない。この人はどういう人か調べて、いやあとビックリした。知らなかったので。「キャバレー日記」も伊藤克信(「のようなもの」の主演)だと思ってなくて、忘れていることが多いなと思った。トンデモなキャバレー世界だが、映画の出来は面白い。「遠雷」後に日活で撮った作品。
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「非言語的表現」のリテラシー-広島県の中学生自殺事件④

2016年03月17日 00時27分08秒 |  〃 (教師論)
 広島県府中町のケースを通して、「ではどうすればいいのか」ということを幾つか。もちろん、即効性がある対策があるわけもないのだが、いくつか論点を提示しておきたいと思う。まず大事なことから。僕は今までに書いた中で、「内規変更問題」や「生活記録引き継ぎ」という論点を指摘した。そういうことは学校運営上の問題だけど、それらの問題があったとしても、担任教師が生徒から間違いだと聞きだしていれば、そこで問題は解決したわけである。本人は万引きに関わっていないのだから、本人が認めたはずがない。では、どうして認めたと誤認してしまったのか。

 生徒が何と答えたのか判らないが、「言語による明示的な表現」としては否定しなかったのだろうと思う。「僕は関係ない」と明確に答えたのなら、以後の展開は変わっているのだから、そこは間違いないだろう。しかし、万引きには関わっていなかったのだから、「非言語的表現」として「何を言われているのか判らない」「僕は何も悪いことは関係ない」と身体で表現していたはずだと思う。教師がその「非言語的表現」の真の意味を読み解くことが出来なかったのである

 「非言語コミュニケーション」(non-verbal communication)は、どの文化においても言語以上に重要なコミュニケーション方法だと思う。上司や親が何か言ってきて、「はい」と答えているのに、「その言い方は何だ」「その目つきは何だ」となっていくのは、実人生でもドラマなんかでもよくあることだ。言語では認めているのに、身体表現(身振り、顔つき、目つき等々)では「ホンネでは嫌だが、渋々従わざるを得ない」ということが読み取れるわけである。今回の問題でも、生徒が言語ではなく「身体表現」としては何を表わしているのかを読み取ろうとすれば、少なくとも「何かおかしい」と察知できたろう。

 ところが学校というのは、「きちんと発言する」「論理的に表現する」といったトレーニングをする場だから、教師の側は「生徒はきちんと発言するはず」だと思い込みやすい。確かに生徒会の選挙に出るとか、部活の部長を決めるとかの場では、「嫌とは言わない」ことが「事実上の受け入れ」であることも多い。だから、教師は「嫌とは言わせない」テクニックを身に付けてしまう。今回は逆に「はっきり違うと言わなかった」から、「認めた」と思い込んでしまったのである。本当は「はっきり認めてはいない」のだから、「もっときちんと調べる必要」を感じ取るべきだった。

 どうしてそうなったのかは、今書いたような「教師的言語」という問題もあるが、他にもいろいろあるだろう。一つは「廊下で立ち話で聞いた」という点である。中学はものすごく多忙なうえ、空いているスペースがほとんどないから、小学校や高校、あるいは一般のお役所や企業のような感覚で、「どうして個室を使わなかったのか」などと難じるのは不当だと思う。だけど、「面談」と表現するのなら、机と椅子を廊下に設置して座って資料を基に話をするべきだったと思う。

 しかし、それも「多忙」という事情が背景にあるに違いない。もっとも、この「1年時から問題にする」というのは、この学年が突然変更したものだから、「自分で自分の仕事を忙しくしている」のである。学校に限らないが、「多忙」といっても自分で自分の首を絞めていることが多いのだと思う。ここで「ホンネが言える関係」が成立しているかどうかが問われる。教師の中にだって、「面倒だから今まで通りでいいんじゃないですか」と思っていた人がいるはずである。でも、そういうことを言えたかどうか。誰かが「3年間きちんとやった生徒を推薦するべきだ」などとタテマエを言い出すと、それを否定できなくなってしまったのではないか。そういう硬直的発想が出てくるのは、もしかしたら生活指導で問題が多く、「セロ・トレランス」的な対応で学校運営を行っていたからかもしれない。教師がホンネを言えない環境で、教師と生徒の意思疎通がうまくいくはずがない。

 また、「教育のデジタル化」が進められていること、教師の「成績主義」が定着してしまったことなども「教師の非言語コミュニケーションのリテラシー(読み取り能力)」の低下をもたらす大きな要因だと思う。また「自主研修」がほとんど認められなくなり、「官制研修」や「教員免許更新制度」ばかりが押し付けられていることも、同様である。だがまあ、それらは今までも書いて来たから、論点を挙げるだけにする。今後、教師はますます「パソコン画面を見て生徒を見ない」というイマドキの医者のようになっていく。教師を競わせて給与やボーナス、昇格等を決めるというんだから、校内一致して生徒対応に当たるという気風も衰えていく。教育行政がそういう方向を推し進めているのだから、今後もこういう問題は折々に起きるのである。(それも今までに書いてきたとおり。)

 じゃあ、親は、あるいは教師個人はどうすればいいのか。一つは親が「積極的に学校作りに関わっていく」しかないということである。学校や教師個々を非難したり要求するだけでは、何も変わらない。学校を変えていくためには、親(あるいは地域住民)がもっと関わるしかないんだろうと思う。教師としては、とにかくヒマを作るように、自分で自分を多忙にしないことだろう。そして、生徒の非言語的な表現を読み解く能力を高める工夫をする。演劇や映画を見る、スポーツに取り組む、ボランティアなどで多くのさまざまな人に出会う等々…。だけど、それらはなかなか多忙で果たせない。でも…、新聞と本を読み続けるのは教師の義務だと思う。そして、それだけでもかなり「視野を広げる」役割を果たすはず。自分の身を守るためには、ある程度の勉強、努力も大切
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生活指導記録の問題-広島県の中学生自殺問題③

2016年03月14日 23時09分09秒 |  〃 (教師論)
 「モジュラー型ミステリー」というジャンルがある。主に警察小説で「同時多発型」に事件が起きるタイプのミステリーである。(僕が好きなのは、英国のR.D.ウィングフィールドによるフロスト警部シリーズ。)「モジュラー」(modular)とは、電話やケーブルなどの端子のことで、「モジュラー型」はもともとは工業用語らしい。規格化された製品を組み合わせて使える「組み合わせ型」のことで、英語を見ると「モデュラー」と表記するべきかも。さて、学校は典型的な「モジュラー型」職場で、多くの生徒(だけではないが)が同時多発的に多くの「事件」を発生させている。

 学校をめぐる「何でこんなことが起きたのか」というようなケースを見て、僕は「同時にもっと大きな事件が別に起きていたのかもしれない」などと書いたことがある。今回のケースでは、もう報告書が出来ていて、そのことが証明された。1年時の万引きが起こった翌日に、「対教師暴力事件」が起き、万引き指導の方はおざなりになったのである。万引き事件に関しては、他の指導の場合には残っている反省文等が残されていないということだが、「残っていない」のではなく指導を行えなかったのである。

 この問題では、当初「1年時の非行歴を進路指導に用いた」「その際、当時の資料の誤記が訂正されていなかった」と報じられた。ニュースでは、「誤記を訂正する担当も決められなかった」などと報道されていた。「非行歴」という表現に関しては、「非行」には当たらないので、学校としてはあくまでも「生徒指導歴」であると一回目に書いた。ところで、問題はもっと深いものがあり、今書いたことを見れば、「生徒指導歴」にカウントしても良いのかどうかに疑問がある。生徒を指導するというのは、単に万引きを確認するだけでは終わらず、事情聴取や家庭との連携を通じて、反省を促し今後につなげていく筋道を立てないといけない。もし、そこまでやる時間的余裕がなかったとしたら、「指導した」とは言えず、単に外部情報が寄せられたというに止まるのではないか。そういうケースの場合、そもそも「生活指導1件」とカウントするのが許されるのだろうか。

 もっとも、教育委員会への報告では正しい名前で書いてあったということだから、生徒への事実確認はなされていたのだろう。というか、万引きの連絡は学校にあって学校から引き取りに行ったのかもしれない。本来、放課後に生徒が私服で起こした問題は、「学校の指導範囲ではないから警察に連絡してください」と言ってもいいはずである。だけど、実際にそんなことを言い放つことは不可能である。学校に連絡があるのも、一定の信頼がある証でもあるから、地域からの連絡をむげにはできない。だけど、憂さ晴らしのような電話も結構あるし、万引き事件の場合、(特に今回のコンビニなど)被害額そのものが小さい事が多く、警察に通報して被害届を出して調書を作るのは店の方でも面倒である。要するに二度とないように叱りつけて欲しいわけで、学校に連絡するわけである。

 そういうことだとすると、引取り時に名前と事実経過を把握できたわけで、「背景のない事件」と判断されたのだろう。万引きという「窃盗事件」は、大体は遊び半分の愉快犯のようなものだと思う。ただ、表面上は万引きとして発覚したが、実際は「クラス内のいじめ事件」(弱いものに無理やりやらせる)だったり、万引き商品を校内で売買している「盗品売買グループ事件」だったりすることも時々ある。今回のケースではそうではなかったと確認できていたから、対教師暴力事件のさなかに忘れられたのだろう。だけど、対教師暴力が起きるような学校では、教師の注意がそこに集中した裏で、問題を起こすとは思ってなかった生徒が事件を起こしたりするものである。

 次は「誤記が訂正されなかった問題」だけど、これも本質は誤記が訂正されなかったことではないように思う。会議後に作られた正式報告書類では正しい名前になっているとのことだから、むしろ「訂正された」というべきではないか。だけど、その「正式報告」はどこかに綴じこまれていて、共有サーバーにあった古い資料が発掘されてしまった。それは本来、生活指導部会か学年会のための内部資料と思われる。普通は会議終了後に(主任などは除き)回収されるもので、「会議のたたき台」的なものだと思う。もともとが「正式な資料」ではないもので、会議を経て正式資料が作られる。そういった性格のものではないだろうか。しかし、その正式な書類の方が受け継がれなかった。

 担任や学年主任が1年時からその学年を担当していれば、当然ことの経緯が覚えていただろう。恐らく途中で異動があり、1年時を知らない人が担任だったのだろうけど、学年の生活指導担当がきちんと資料を受け継いでいれば、本来起きるはずがないケースである。仮に「1年時からの指導歴を進路に使う」という方針が決まったとすれば、生活指導担当が正式に残された指導資料をあたるはずだが、一体どうしてしまったのだろう。問題多発と多忙の中で、指導資料の引継ぎがうまくいってなかったのだろう。こうなると、何でもかんでも正式書類を作って管理職の押印を経ないといけない東京の方式も、やはり必要なのかという気もしてしまう。とにかく、問題は「会議資料の間違いを訂正しなかった」ことではなく、「生活指導資料の引き継ぎの不徹底」にある。最後にもう一回、ではどうすればいいのか、教師のあり方について考えておきたい。
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推薦制度と冤罪の悲しみ-広島県の中学生自殺問題②

2016年03月13日 21時11分11秒 |  〃 (教師論)
 昨日2回目を書こうとして、いろいろ検索していたら、いまどき珍しくパソコンが何度もフリーズしてしまった。あるサイトを見ようとすると、パソコンが動かなくなってしまうのである。こういうことが今でもあるのか。処理に時間がかかってしまい、書く気が失せてしまった。それはともかく、調べたかったのは、私立高校への推薦制度のあり方である。高校受験に関しては地域差が大きく、都道府県ごとにかなり違いがある。東京の感覚では、高校入試が終わり(定時制の2次や通信制は別だが)、その後に卒業式がある。それが当然だと思って育ったのだが、他県では順番が逆のところもあるようである。

 今回の問題では、広島県の「専願推薦」という言葉を知ったが、これは首都圏では使わない。ニュースを聞く限り、東京で「併願推薦」とか「併願確約」と呼ぶものとほぼ同様のものかと思う。公立高が第一希望の生徒が、私立を一校に絞って受験し、学校側は事前に(事実上の)合格を保障し、生徒側は公立高に落ちた時に入学する。この「滑り止め」保障があれば、生徒側は公立高のランクを上げられる。高校側も一定ランクの入学生を確保でき、うまくいけば双方に利益がある。だけど、経済的に私立へ行けない生徒は利用できないし、高校側も「不本意入学者」が多くなってしまう。また、事実上、一般入試が機能しなくなる。広島ではこの制度を利用しない場合、ほぼ不合格になるという。

 この制度は「推薦」には違いないけれど、生徒からすれば落ちた時の保障だから「学校推薦」という意識は薄いだろう。勘違いしないように書いておきたいが、私立高の推薦というのは、公立高の推薦や大学の推薦入試とは大きく違うのである。私立大学に「指定校推薦」という制度があるが、その場合は「一般入試なしで進学できる」という意味になる。一定ランクの高校に(おおよそ)一人の生徒の推薦を依頼し、高校側が一人に絞り込む。大学入試をパスできるのだから、生徒側の利益は非常に大きい。大学側の求める基準を上回る生徒が複数希望する時は、高校側の選考もシビアになる。そういう時には「生活指導歴の有無」が決め手になっても、まあ不思議ではないだろう。

 一方、私立高校の場合、事前に合格保証があるわけだが、私立高の一般入試を受験するのである。それは公立高を併願する生徒だけではなく、その私立を第一希望する生徒(「単願推薦」)も同様である。成績基準は事前にパスしているわけだから、当日の試験が悪くても合格になる。そのはずだが、さすがに零点ではダメかもしれないし、面接もある。だから、学校は私立の保障がある生徒にも、最後までちゃんと勉強や生活面をしっかりやらないとダメだぞと言えるのである。

 「単願」の生徒の場合、必ずその学校に行くんだから、進学後に問題を起こされると困る。中学と高校の信頼関係に関わる場合もありうる。次年度以後に、その私立を希望する生徒に影響が出かねない。だから、中学側も「生活面の基準」を設けて選考するのではないかと思う。だが、「併願」の場合、公立に受かれば行かないわけだから、高校の求める成績基準をクリアしていれば、他の条件はあまり考えないのが普通ではないか。どうなんだろう。地域的な問題も大きいかもしれない。東京では、近隣県も含めれば、いくつもの私立を受験できる。地方では公立以外に行ける私立高は限られるという事情もあるだろう。しかし、以上のように、「併願」(広島では「専願」)というケースは、「学校推薦」などと大仰に言うほどのものではないと思う。学年が中心に進めて、「校長印」が必要な「学校推薦」という形式を取らないことが、東京では多いのではないか。

 そういう風に考えてくると、逆にこの生徒がなぜ死ななければいけなかったのかも疑問が起こる。第一希望ではない学校のことなど、どうでもいいではないか。そこで、僕にはまだよく判らないのだが、この学校の「保護者対応」の不適切さ、そして「冤罪におちいった少年の悲しみ」が大きいように思うのである。このケースの場合、三者面談で「万引き歴で推薦不可」と告げられる日に死を選んだ。しかし、そもそも「万引き」が一年時にあれば、親は必ず知っているはずである。場合によって、学校に呼ばれない場合もあるかもしれないが、電話もないということは考えられない。親に連絡しない「生活指導」は、進路に影響するような指導歴にはならない。だから、万引きがあれば親はすでに知っている。逆に、そういった事件がなければ、親がその場で知らないと言うはずである。

 また、「内規変更」も11月では遅いだろう。変える必要ないと一回目に書いたが、それでももし変えるというなら、もっと早く変えて保護者会で周知いないといけない。保護者会をいつ行うかは学校ごとに違うだろうが、中学3年の秋には、「進路説明会」が必ず行われるだろう。その時には、なかなか保護者会に来ない親も(働いている母親が休暇を取って)参加するはずである。入学式の後で初めて学校に来る親もいるかもしれない。高校受験が初めての親も多いのだから、そういう場を設定して制度全般を一から説明する。そういう場があるはずだし、なければおかしい。その場で「一年時からの問題行動を推薦基準にする」と言えば、質問もあるかもしれないが、そこで親には自分の子どもが推薦が可能かどうか判る。こういった(恐らく多くの中学で行われているはずの)手順が踏まれていたのかどうか。

 すでに作られている「報告書」を読んでいるわけではないので、詳しいことは判らないのだが、多分そういった手順が踏まれずに、生徒からすれば「突然、万引きをしている」と決めつけられたということなのではないか。違うなら違うと言えばいいし、そもそも第一希望でもないわけだが、そういう問題ではなく、「自分が何を問われているか」をすぐには理解できなかったのではないだろうか。それを後になって冷静に考えていれば、なんでちゃんと反論しなかったのか、そんなことはないと言えばいいだけではないかとなるが、当の本人からすれば、パニックになってしまい、どうすればいいかが判らない。そういうことがあるのは、警察に誤認逮捕された「本当の冤罪事件」の記録を見れば判る。多くの人は、何を言っても聞いてくれないことに絶望し、調書にサインしてしまい、その後で自殺を図る。(今、裁判中の「今市女児殺害事件」も、報道で読む限り概ねそんな感じである。)そのように、このケースを通して僕は「冤罪の悲しみ」を深く感じたのだが、もっと違う問題も潜んでいるのかもしれない。今回はここで終わり、次回は今回の「一年時の生活指導」を取り上げる。
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