尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

象徴性とセリフの力-「六本木少女地獄」をめぐって⑩

2011年10月30日 23時44分40秒 | アート
 ⑨まで書いたから、⑩まで書いて終わりにする。こんなに長く書くとは自分でも予想していなかったけれど、思ったより作品論に手間取ってしまった。結論的には、この劇にすべて合理的な解決を求めてはならないということだ。もともと僕は最初に見たときから、出てくるすべての世界は異界で、この劇は「冥府めぐり」であると感じてきた。それを現実の六本木の少年少女とか、現実の引きこもりや想像妊娠の話だと考えるのは違っているだろうと思う。

 「作者はどこにいるか」ということを考えると、普通の劇では作者は「劇場で見ている」、映画では「カメラのこちら側」にいる。近代絵画の遠近法のように、画面の外に作者の視点が設定される。しかし、20世紀前半以来、「作者の視点」そのものが揺らいでしまい、いわば「ニュートン力学」から「相対性理論」への転換のようなことが小説や演劇でも起こった。登場人物が作中に登場してしまったり、劇中劇が連続してどの世界が作者のいる世界なのか不明な劇がたくさん現れる。この劇もそういう流れの中で「メタ演劇」(演劇についての演劇)として語られている。この劇の基本構造は、登場人物が劇中人物の世界に拉致されることが繰り返されることにある。(姉と弟がボクケントミントン世界に、姉が少女の世界に、弟が六本木少女世界に。)そこから来る重層性が世界の多層構造を象徴的に表している。

 この象徴性が、判らなさのもとでもあるし、魅力のもとにもなっている。世の中に判りやすいドラマはいっぱいあるが、エンターテインメントとして作られた作品は見た端から忘れて行く。忘れて行くようにスラスラ見ることを目的に作られていて、俳優がカッコ良かったとかは印象に残っても、筋やメッセージはまったく思い出せない。それに対して、象徴の世界を描く作品では、筋が判らなくても何か重い印象のようなものが残り続ける。例えば、村上春樹の「海辺のカフカ」や「1Q84」などがそれで、筋立ては合理的には理解できないが何か深い所で訴えるものが残る。それは世界の深層、人間の深層を象徴のレヴェルで書いているからで、僕たちの心の深い所に向って作者も判らないような世界を展開させるのである。(例えば、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」や岩宮恵子「思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界」などを参照。)

 ただ、そのような物語には「物語としての力」が必要で、村上春樹にも「物語性」があふれている。では「六本木少女地獄」はと言うと、セリフの魅力で引っ張っている。何だかおかしなところ、まだ世界観がはっきりしないところはもちろんあるが、登場人物のセリフをずらしていく関節技などはなかなか見事なものだと思う。それらを抜書きしたいところだが、長くなるからやめておきたい。自分でみてくれればいい。僕が書いてきたのは、この戯曲がどのような意味で皆にとって意味があるかを確かめたかったからである。そのことは、今までに書いてきたつもりだが、自分の中になんらかの「不在」を抱えているものにとって(それは象徴的なレヴェルでは現代の若者すべてに当てはまると思うのだが)、やはり「自分の物語」としてとらえられるのではないかと思う。(ただ、この物語には「語られざる物語」がもう一層隠されている感じがしないではない。が、それは敢えて語らないということで。また、語感にはやはり「若書き」性が強いが、まあこれは時間が解決する問題なのだろう。)
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多重世界のミステリーー「六本木少女地獄」をめぐって⑨

2011年10月30日 00時54分00秒 | アート
 「六本木少女地獄」について長く書いているけれど、そろそろ終わりが見えてきた。この劇のはらむ思想的な問題は、おおよそ「姉の力」と「ゆるしと怒り」で書いた。あとはこの劇の多重性の謎についての解明。この劇は何重にもなっているので、その構造がつかみにくい。よく読めばわかるかと思ったけど、結局はよく読んでも判らなかった。それは作者による巧妙なミスティフィケーションによるものだと思われるが、それだけでなく「時間制限」と「登場人物4人」(部員数の限界)という外部的要因も大きいと思う。しかし、劇としてはその判らなさが魅力なのだろう。

ベースとしての「3重世界」
 この劇の冒頭にある「登場人物」には、まず「少女=ヘビライ=六本木少女」とある。一人三役なのだから、まずは「3重世界」がベースにある。(ところでこの登場人物表自体が曲者で、登場順でもなく、「所属する世界」順でもない。)3つの世界とは、「少女世界」「ヘビライ世界」「六本木少女世界」ということになる。「少女世界」には「男」(湯田)、「母」、「祖父」が所属する。「ヘビライ世界」(これは今まで「ボクケントミントン世界」と書いていた世界)には「姉」(ラン)、「弟」(キリト)、「ヘビコ」が所属する。「六本木少女世界」には、「六本木少女」(湯田マリア)と「少年」が所属する。それらの世界の関係は、一応「六本木少女世界」が現実界と仮定され、「ボクケントミントン世界」は「少女世界」の中で少女が書いている劇中劇。その劇中劇から「姉」が現実界の「少女世界」に飛び出してくる。こう理解できれば話は理解可能なのだが、どうもそうでもなさそうだ。

実は「2重世界」?
 六本木少女は役者を目指して家出してきたが、「祖父の引き出しに入っていた脚本」を持ってきている。そうすると、「引きこもって劇を書いていた想像妊娠少女」と「六本木少女」は別人物なのか?では、「少女が劇中劇を書いている」と言う話自体が「劇中劇」だったのだろうか。そう理解すると、「六本木少女世界」と、祖父の引き出しにあった「劇中劇」世界の2つに大きく分かれているという理解もできるのではないか。3重のように見えて、実は「中の2つは劇中劇と劇中劇中劇」であったということになる。でも、これで話は済まない。「六本木少女世界」は「現実界」なのだろうか?少女が「湯田マリア」と名乗り、「少年」が姉に虐待されているというのは、劇中劇世界と関連がありすぎる。これを単なる「シンクロニシティ」と解するのは適当ではないのではないか。

あるいは「4重世界」
 これは2重世界の変型であるが、「ボクケントミントン世界」自体が二重になっているとも理解できる。なぜなら「姉」「弟」は当初は「ボクケントミントン」を知らない。それはボクシングでしょと言っている。つまり「姉」「弟」は現実界にいたのである。最初から異界にいたのは「ヘビライ」「ヘビコ」の二人で、その世界に二人も拉致されるのである。一方、この二重の物語を書いていたのは「少女」だが、その「少女」の世界に「姉」が乱入する。なぜ乱入できるのか。「ボクケントミントン世界」を制した「姉」に「聖なる力」が宿り、作者であるはずの世界に登場するのだ。そう考えると、「少女世界」が作った「姉世界」と、「少女世界」が作った「ボクケントミントン世界」があり、ボクケントミントン世界を通して両者がつながってしまったのである。この劇中劇世界を3重とすれば、六本木世界と合わせて4重

「六本木少女世界」自体が二重?
 一番わからないのは、湯田青年と「湯田マリア」には何か血縁関係があるのだろうかということだ。湯田というのはそれほど珍しい姓でもないだろうが、そうたくさんあるわけでもない。鈴木とか田中ではないから、関連があると考える(そう取られることを意図して命名した)のが自然だろう。(ちなみに、さすがに「湯田マリア」はいないようだが、検索すると例えば「湯田真理」さんなら現実にいる。)想像妊娠少女の姓は不明だが、湯田ではないだろう。同じ姓なら母も少女も「湯田さん」と呼んでいるのが不自然だ。この湯田は心理学を学ぶ学生であるという。一方、湯田マリアの祖父は心理学の教授だったが「ボケている」。では「少女世界」の「祖父」こそが、湯田マリアの祖父なのか?しかし、そうすると少女の姓が湯田でなくてはおかしい。では、湯田青年こそが若い時の祖父なのか。同時に舞台にいるのが、現実界だったらおかしいが。いろいろ考えられるのだが、結局合理的な解決はありえない。ただ、こうしてみると「六本木少女」世界もこの劇に深く構造化された一部であり、ここを「現実の六本木」と解することは出来ないということだ。もし、湯田青年が湯田マリアの祖父であると考えるなら、祖父の引き出しにあった物語内の時間と、「六本木少女」の登場する時間は50年くらいずれていることになる。冒頭の場面はもうスカイツリーができてしまい東京タワーと比較されているので、「二つの月がある1Q84世界」のような「異世界=ギロッポン」なのではないか。だから異界の人物である「少年」=「弟」と出会える。ラストの場面には少年がいない。「アタシ、最初からひとりだったのかな。」と六本木少女はつぶやく。つまり、冒頭とラストの六本木場面自体がもう二重なのである。

結局は「1重世界」?
 こうしてみると、最多で5重くらいになるが、まだ「まだ神谷町だもの」と言ってる場面をどの世界と理解するかなど、もう少し増やすこともできる。が、そのように分節していって何になるのだろうかという気もしてくるわけである。そもそもこの劇には「場の転換」が明示されていない。トム・ストッパードの「ロックンロール」を戯曲で読むと、「急な場面転換」が一杯あり「スマッシュカット」とルビがある。それでも公演ではけっこう長い転換場面があった。「六本木少女地獄」ではすべて「間」で処理されるが、あえて世界の転換を「一場」と考えるなら、20数場がある計算になる。これは確かに場の転換しては多すぎる。だから今までの理解はすべて不十分であり、そもそも「一人三役」ではなかったと解することもできるのではないか。つまり、「少女=ヘビライ=六本木少女」なる一役を演じているのである、と。その変換は、昆虫の変態によるメタモルフォーゼのようなものであり、実際舞台では弟が祖父に変わるというような場面はそんな演じ方だった。そうすると、すべては「多重人格者の世界」を描いた劇であり、それは一人ひとりが多重人格であるということが劇世界の多重性に見えているという理解になる。ドイツのペーター・ヴァイスが書き、イギリスのピーター・ブルックが演出、及び映画化した有名な「マラー・サド」、ちゃんと書けば「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」という戯曲がある。「六本木少女地獄」も実は「マルキ・ド・サドの演出のもとに」の部分が明示されていない劇中劇と解し、もう一つの外枠があると勝手に解釈すれば、これは「多重人格者の治療のための物語」に解しうるかもしれない。
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「ゆるし」と「怒り」-「六本木少女地獄」をめぐって⑧

2011年10月28日 00時59分09秒 | アート
 「少女」は何もかもに「昔はすごく怒っていた」。その「全部の怒り」をぶつけて物語を書いていた。(それは「ボクケントミントン」の物語であることが強く示唆されている。)でも、「想像妊娠」したことで「安らかな気分」となり書けなくなる。今は「許し」の話が書きたい。でも「怒っていた時のほうが。ずっといい文章が書けた。」それは多分、私の許しは妥協で、「本当の許しは、心の底から怒っている最中の人間にしか生まれないもの」だと言う。(290頁)

 ここでは何かとても大切なことが語られている。が、それが見ているものに完全に納得できるかは、また別である。僕はこの「許し」は「赦し」の方がいいのではないかと前に書いた。「許す主体」は誰か?親や教師の許可でよいのなら「許し」でいいけど、もう少し宗教的な世界が展開されていると思ったからである。新約聖書には有名な以下のような箇所がある。「ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」このように「赦し」とは、普通は「罪」があるから必要になるものである。しかし、少女は「怒り」を「許し」に対比させている。「罪」ではなく。これは何故だろうか?そもそも、少女は一体何に怒っているのだろうか?

 いや、それは「何もかも」にと書かれている。この戯曲は象徴的なレヴェルの世界で書かれているから、具体的なことは判らない。少女は引きこもり中なので、いじめとか親の対応への不信とか、何かがあったのかもしれないが、それでは「何もかもへの怒り」にはならないだろう。もう少し深いレヴェルで、少女の存在そのものが脅かされたのである。人生は本来は「無償の贈与」(お返しのいらないプレゼント)なのだが、思春期になると周りから「返さなくても良かったはずのお返し」を暗に要求されてくる。それですぐに返せる人はいいけど、多くの人は「自分には返せない」と思う。いつの間にか「巨額の負債」を負った青春になってしまうのだ。そのような青春そのものの構造から、自分の存在根拠が揺らいでしまい、その存在論的不安から「怒り」が呼び起こされてくるのだと僕は思う。だから少女は、自らの存在根拠を作るために、世界への「無償の贈与」としての「想像妊娠」をするのだ。しかし、そのような「怒り」は見るものに共有されているのだろうか?

 「赦し」に対比されるべきものは本来は「罪」ではないのかと先ほど書いた。では「怒り」に対するべきものは何か?それは本来は「愛」ではないのか。だから、「愛」に基づかない「想像妊娠」では、少女は救われないのだ。では、キリスト教では「愛」をどのように言っているか。よく結婚式で使われるパウロの「コリント人への第一の手紙」に、「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」という有名な箇所がある。つまり「高慢」や「不正」や「ねたみ」などとともに「怒り」も「愛」に反しているのである。だから「怒り」は「罪」。しかし、「罪」の懺悔ではなく、物語は「世界の創造」へと向かう。「少女」は「想像妊娠」で、「姉」は「父親を自分で作る」ことで。このスリリングな展開が、この劇を面白くしているが、こうしてみると本質的には「反宗教の物語」なのではないかと思う。

 なぜそのような「世界再創造」の物語になるかは、僕の考えでは「姉」も「少女」も父親が不在だからだと思う。具体的な問題として、なぜ父親が不在なのかはわからないが、だからどのような親だったかは語られないが、不在であるそのことだけで子供時代に十分な「無償の贈与」を受けていないのである。具体的な「虐待」を受けていたかどうかは別にして、象徴レヴェルではそれを「虐待」と呼んでいい。これは先行する社会モデルがすべて崩壊し、ただ前方には荒野が広がるのみに見える現代の若者(「不在の世代」と呼びたい)の世界観を表しているだろう。バブル崩壊以後、世の中はだんだん悪くなる一方としか言われてこなかった。「失われた10年」だったはずが、もう20年も失われ続けてきた。この社会的な「父親不在」=「虐待」を受け続けて育った世代は、では実際には「怒り」を内包させているのだろうか?この前書いた上野・古市対談本では、若者の不安感は強いが、同時に現状満足度も高いのだというデータが出ている。これは僕の接してきた経験からも、ある程度納得できる。

 それは「それしか知らない諦め」の世界にいるからだろうか。物質的には恵まれているので、そのことを思えば、十分な贈与を先行世代から受けていると判断しているからだろうか。「怒る」ためにも想像力がいる。「想像力の刃」の研ぎ方が不十分で錆びついているからだろうか?いろいろ考えられるが、この劇は「想像力の刃」を研いで世界に立ち向かったドキュメントなのではないかと思う。しかし、まだ「救い」は書かれていない。もちろん、10代で救われてはかえって困るけど。だから思想のレヴェルでは、様々な萌芽が雑然とばらまかれているというのが実態ではないか。「家父長制」への告発なのかと思えば、一方「ミソジニー」(女性嫌悪)のような感じもする。昔の「エコ・フェミ」みたいな感じもあるし、単なる若い時期の「男性嫌悪」のようなところもある。よく判らないのは、当然作者本人の思想も確立途上にあるからだろう。

 それで書いたこの演劇は、つまりは何なのだろうか?「存在根拠」の揺らぐ生の中で、「怒り」の炎を燃やす少女たち、決して救われないこの二人の悲劇は、現状満足に甘んじるものには通じない。でも、未だ名づけられない不安を抱えるものたちへ向けて発せられている。そのドラマは、今目の前に見えている世界ではなく、何か直接は目に見えない世界で行われた救いと祈りの物語である。作者は現世ではなく、異界の語り部となっている。つまり「幻視者」である。自分の中の「幻視者のレヴェル」にまで下りて行って語られた物語なのである。(六本木について語られる冒頭の243頁の表現などを「現実の六本木」を表していると取ってはならない。これは「幻視された六本木」の表現に他ならない。)しかし、まだ「救い」は訪れない。当然だろう。誰にも、どこにもまだ見えてない。人が本当に自分だけの真実の愛の物語(=救いの世界)を語れるようになるには、それなりの時間がかかるものだ。急がずにゆっくりと、回り道を重ね、様々な風景を見ることにより、ようやく見えてくるものだろう。
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追悼・北杜夫

2011年10月26日 22時16分23秒 | 追悼
 作家の北杜夫がなくなった。ここ数年元気がない感じだったから、こういうニュースを聞く日が割合と近いことは予期しないではなかった。北杜夫は僕らの世代にとって、とても大切な作家なので追悼文を書いておきたい。

 ユーモアあふれる“どくとるマンボウ”シリーズや、大河小説「楡家の人びと」で知られる作家、芸術院会員の北杜夫(きた・もりお、本名・斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が、24日死去した。84歳だった。(読売新聞)

 そう、いろいろ書いてるけど結局は「どくとるマンボウ」と「楡家」だった。今はライトノベルとかケータイ小説とか、「ヤングアダルト」という言葉もあって中学生や高校生をターゲットにする小説というのが一大市場で存在する。でも40年前はそうではなかった。それは確かに「児童文学」はあった。しかし、なんだかお説教めいた昔の物語が多かった。現代を舞台にした子供向けエンターテインメントはようやく現れ始めたばかりの時代である。子供向けにリライトされた名作とか偉人伝などはあったが、基本的には「子供向け」を卒業したら、直接「純文学」に進むしかなかったのである。(これは何も本に限ったことではなく、「子供向け」に満足できなくなったら、「大人」のものに背伸びしてチャレンジするというのが、音楽でも映画でも普通のことだった。)でも、漱石の「坊ちゃん」は確かに面白いのだが、「僕らの文学」と思えただろうか。芥川の短編、武者小路の「友情」、「小説の神様」志賀直哉。どこが面白くて「小説の神様」なのか、中高生に判るわけがないではないか。

 そこに僕らは発見したのである。「どくとるマンボウ青春記」という素晴らしく面白い本があることを。「どくとるマンボウ」シリーズをどんどん読むが皆面白い。「船乗りクプクプの冒険」「さびしい王様」など「子供向け」の本も面白かった。以後、畑正憲の「ムツゴロウ」シリーズ、遠藤周作の狐狸庵シリーズなど、面白エッセイというジャンルはたくさん出てくるけど、最初に僕らを熱狂させたのは北杜夫。この功績は測り知れない。

 高校1年の夏に「楡家の人々」を読んで寝食を忘れるほど読みふけった。こんな面白い小説が日本にもあったのか。「私小説」の伝統ばかり強く、何かうっとうしい日本の文学を避け、皆アメリカやフランスの小説を読んでいた。そういう時代に、これほどの「本格小説」を成功させたのは奇跡である。そりゃあ三島由紀夫や安部公房はいた。僕も背伸びして読んでいた。しかし、人工的な匂いが強い世界だった。今では2年もすれば文庫になるが、当時は名作の評価が固まってから文庫化されるという感覚が残っていて、活躍中の作家はほとんどまだ文庫になっていなかった。手に取れる最新の日本文学が大江、開高の初期作品や三島、北杜夫などだったのである。そういう中で読んだ「楡家の人々」は、戦前日本という異次元の世界をまざまざと再現させてくれた。すぐれた大河小説であり、今思えば一つの成功した「社会史」だった。こういう本を通して、僕は近代の日本のイメージを作っていけたのである。ちなみに、この小説のモデルになった祖父が設立した「青山脳病院」は、後の都立梅ヶ丘病院。2010年に東京都立小児総合医療センターに統合された。

 ところで、言うまでもなく北杜夫は斎藤茂吉の二男である。この父親の歌に触れたことが結局は、北杜夫の叙情の根本にあった。そのことは晩年に書いた「茂吉4部作」(「青年茂吉(1991)・壮年茂吉(1993)・茂吉彷徨(1996)・茂吉晩年(1998))を読めばよく判る。今思えば、この4部作が北杜夫の真の代表作であり、斎藤茂吉の文学史上の大きさを改めて思い知る。(岩波現代文庫にある。)でも、その頃はなんだか茂吉に古い日本を感じてしまい(日米開戦時の歌などを読めば特に)、トーマス・マンの影響を受け、青春を登山に明け暮れ、ナチス時代のドイツを舞台にした「夜と霧の隅で」で芥川賞、といった北杜夫の経歴に「現代」を感じてしまったわけである。そういう時代だった。
 
 茂吉の死後、母親の斎藤輝子が元気な高齢女性として評判になり、兄の斎藤茂太もエッセイストして活躍した。現在は北杜夫の娘の斎藤由香がエッセイストとして活躍中。
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東京の「副校長」には、なりたくない

2011年10月25日 20時42分57秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 10月25日朝日新聞夕刊に「副校長 なりたくない」「都の公立校 選考試験1.1倍」という記事が載っていました。最近の教育記事の特徴として、教育委員会からの取材だけで書くから、事実はわかるけど本質が理解できない記事になっています。そこでもう少し正しく理解するために。

 そもそも「副校長」って何ですか?東京以外では、まだ「教頭」と呼んでいるところも多いと思うので、その点を説明しないのは不親切です。2008年の法改正で「副校長」という職階ができましたが、東京ではもう10年ぐらい前から、教頭のことを(法によらずに勝手に)「副校長」と呼ばせてきました。校長の権限拡大をめざし教育委員会に直結した「教育改革」をすすめる一環として、「教師のヘッド」ではなく「校長の副」であることを強調したのでしょう。

 「忙しすぎて志望激減」は確かにそうだと思いますが、では昔の教頭先生がヒマだったかというと、もちろんそうではありません。教師は、昔は「校長」「教頭」「教諭」しか職階がありませんでした。(教諭以外にもあることはあるけれど。)その時代は、職場の多数をしめる「教諭」(昔は大部分が組合員)と職場の長である「校長」にはさまれた「教頭」は、まさに「中間管理職」そのもので、学校が荒れたときなどは、やはり教頭先生が一番大変だったのではないかと思います。現在は「教諭」が「主幹教諭」「主任教諭」「教諭」に区分されています。都教委が全国に先がけて「主幹教諭」を導入したときには、主幹が管理職を助けるから学校はよくなると大宣伝しました。それにも関わらず「副校長が忙しすぎて成り手がない」のなら、都教委の人事政策が根本的に間違っていたことになります。そういう反省がまずない。(都教委に反省を求めるのは、「木に縁りて魚を求める」ようなものですが。)

 しかし、「忙しいからなり手がない」というだけでは、不十分な理解です。(だから都教委はダメなんです。)「副校長」は永遠に「副校長」ではない。「副校長」として頑張って早く「校長」になればいい。人間はいくら大変で忙しい仕事でも、「それが大切な仕事で、自分が頑張ってやるしかない」仕事なら、成りたい人はいるものだし、頑張れるものです。だから問題は「副校長がやらされている仕事が、時間を惜しまず頑張りたくなるような意味を感じ取れる仕事なのか」にあります。東京ではそれが問題で、次々に「やる意味がわからないこと」「今まで自分が教師としてやってきたことと違うこと」が都教委から押し付けられてきます。自分でも納得できないまま、「こんなことして何になるのか」という仕事を部下に押し付けなくてはなりません

 そういう「ブラック企業」の仕事みたいなことを副校長がやらされているのを毎日見聞きしているのだから、成り手が少ないのも当然です。だから「多忙化対策」などと言ってるのも、全く逆効果。「副校長のサポート役として管理職OBを再任用」だって!そのOBとの人間関係、権限争いでかえって忙しくなるではないですか。(もちろん都教委もそれは判っているでしょうけど、使い道がない定年後の校長の仕事を作って現場に押し付けるということです。そして、「多忙化対策」と書類上書いておく。)

 僕にはそれでも1倍を切らないのが不思議です。それは僕が思うに、「学校を守るため」と「最後は校長で終わりたい」ということでしょう。それともう一つ、管理職試験受験者を出すのも管理職の仕事なので、おとなしくて逆らえなさそうな中堅教員をなんとか口説き落として受験させるということもあります。だんだん管理職に「いい人かもしれないけど、上司としては…」と言う人の割合が増えてきたかも。僕も「学校そのもの」を否定するわけじゃないので、学校がある以上は誰か責任者が必要なのは判ります。では、誰がやるか?年齢も年齢だし、生徒や親との付き合いよりも「学校経営」に関心が湧いてきたという人がいるのは当然でしょう。それで自分が現場を守る方になり、今までお世話になってきた学校のために頑張ろうと思う。「自分は学校を守るために管理職になる」というタイプは、いつの時代にも一定程度いるわけです。また、教員養成系大学を出て、親も校長だった、友達も校長になった、自分も校長で教員生活を締めくくりたいという人もいます。ま、それはその人の人生観ですから。(まあ、そんな悪い管理職も少ないと思ってますので、なっちゃった人は頑張って下さい。)

 僕はその「学校を守るため」に管理職になるというのは、昔はありだったと思うけど、今の東京では無理だと判断しています。自分としては、それ以前に、仕事というのはどの仕事も大変ではあるけれども、できうれば「社会の役に立つ仕事」をしたい。ある程度の給与が保証されているならば、給与が多いより、意味がある仕事の方がいいです。となると、管理職になって都教委や国の悪事に加担するよりも、一教師として生徒と接しているほうがずっと意味の多い仕事だと思うし、悩みが少ないでしょう。そういう意味で、教育政策が根本的に変わり、学校現場の裁量が増え、現場で頑張る意味がはっきり見えるようにならない限り、誰も苦労のみ多い管理職にはなりたくないでしょう。それを職階ごとの給与格差を広げて、主幹や管理職を目指さないと給料が上がらないような仕組みを作る。そうすれば管理職になると思うのか。まさに逆効果。「教育委員会」が一番人間を知らない。困ったもんです。
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「上野先生、勝手に死なれちゃ困ります」

2011年10月24日 23時55分48秒 | 〃 (さまざまな本)
 「六本木少女地獄」論が途中なんだけど、読んだ新書が面白くなって他のことを書く気が起きないので、先にそちらを。光文社新書の新刊、上野千鶴子、古市憲寿の対談「上野先生、勝手に死なれちゃ困ります」で副題が「僕らの介護不安に応えてください」。古市さんは1985年生まれの東大院生で、有限会社ゼント執行役という。光文社新書でピースボートのことを書いた「希望難民ご一行様」(未読)を書いた人。しかし、なんという商魂たくましい題名の本だろうかというのが本屋で見た第一印象で、やはり題につられて買ってしまいました。上野千鶴子さんには弱いのです。上野さんは1948年生まれで、今年東大を退職しました。そのことは割と知られていると思うけど、今は「NPO法人WAN」理事長。ウィメンズ・アクション・ネットワークですね。ブログもWANのサイトに載ってます。

 この本の最初に古市さんの手紙には「『若者』は明日からどうしたらいいでしょう」とあります。また対談の初めの方に「親が死ぬのが怖い」という話が出てきます。上野さんは「それは私には全然理解できない」と答えます。僕も全く理解できませんでした。親より先に死ぬのは親不孝の最たるものだと思うけど、仕方ない時はどうしようもない。でも、そういうことを考えるまでもなく、普通親が先に死ぬわけで、そうでなくては困るでしょ。怖いも何も、生物としての自然なあり方で、考えるべき対象の問題ではない。そういうズレがどこから起きるかが、対談を続けるうちにだんだん明確化されていきます。そういう意味で、「世代間対話」として、とても面白い。

 この本の中盤は介護保険の話です。できて10年。介護保険自体は一応定着したけど、僕もよく理解していません。40歳以上が払うわけで、出来たときから払っているけど、利用したことは幸いにしてないので。この「介護保険」の話はとても勉強になったので、それだけでもこの本はお得だと思います。
 
 でも、やはりこの本の一番の眼目は、「団塊世代の子供たち」の不安感を解き明かしていく後半ではないかと思います。戦後日本の大企業に特徴的だった「高学歴男性社員」が「年功序列」で出世して、女は専業主婦として「内助の功」を務めるというのは、「日本的なよき伝統」なんて言った人もいるけど、実はここ数十年だけの特別事例でした。かつては、その「家族的経営」が「日本の成功の原因」とか言っていたのに、90年代以後、どんどん労働の規制緩和を行い、今や非正規労働者が急増しているわけです。つまり、「日本的経営」から排除されるグループに「女」とともに「若者」も加わった。では、女が「フェミニズム」を掲げて闘ったように、若者は何故闘わないのか?それをフェミニズムの論客、上野先生にお聞きしましょうということです。

 僕が面白いと思った点はいろいろあるけれど、是非直接読んで下さい。対談だからスラスラ読めるでしょう。僕が印象的だったのは、上野さんが自分たちの世代の「社会運動癖」が伝わらなかったと言っている点。僕は大きな原因は「連合赤軍」と「オウム」にあると思うんだけど、僕たちも自分が「自立」を目指したタテマエから、若い世代を真剣に誘って来なかった気もする。今の学生はとにかく忙しい。進路活動が早すぎ、多すぎで社会運動に手が回らないでしょう。奨学金が大変でバイトもあるし。昔はやはり「知識人の卵」だと思って社会問題に関心があった部分があると思うけど、いまの学生は一般大衆の一人としか思ってないんだろうし。

 でも「世の中は要求しないと何一つ変わらない」(184頁)そして僕は上野さんの「後書き」に深く共感しました。「わたしたちは、原発をやめさせることもできず、ジェンダー格差をなくすこともできず、階層格差と貧困が拡大するにまかせ、今日の体たらくを招いてしまいましたが、だからといって座視していたのではないのです。」そうなんですよ。常に異議申し立てをしてきたけれど、何故勝てなかったのかも含め、受け継いでいって欲しい。すべての今日ある制度は、いかに不十分であれ、先人たちの血と汗の闘いの結果です。利用するときは利用だけしておいて、不満をためるだけではいけない。

 ところで僕はものすごく日本の将来、日本の若者に不安を持っているというわけではありません。日本の伝統的な「職人技」のようなものが、「クール・ジャパン」で作られる「カワイイ」系の商品の中にも生きていると思います。将来の夢を子供に聞けば、職人系の仕事も出てきます。そういうところが僕は大切だと思っていて、中国やインドや東南アジアが発展するばするほど、高付加価値の日本文化が大切になってくると思っています。しかし、「若者政策」がないのも確かで、この前「定通はかえって『損』なのか」で書いたように大学や専門学校への進学補助が必要だと思っています。また、選挙権の引き下げも必要。投票の方もそうだけど、被選挙権を高くする必要もないと思う。国政はまだしも、地方議会は被選挙権も20歳でいいです。(将来、選挙権が18に引き下げられたら18歳。)学生が地方議会にいる必要があります。学生ならむしろ失うべき職や養うべき家族がないから立候補しやすいでしょう。また、高校生段階で選挙に行くようになれば、高校だけでなく、小中、大学の教育も大きく様変わりしていくのではないかと思っています。でも、これを生徒に聞いてみると、「誰に入れたらいいかわからない」「政治に関心ない」「まだ自信を持って投票できる経験がない」とか言って、けっして選挙権を求める声は大きくないような気がします。それでは困るよなあ。
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「姉の力」-「六本木少女地獄」をめぐって⑦

2011年10月24日 00時12分13秒 | アート
 柳田國男「妹の力」という本があるが、それは「いも」ですね。柳田は原始・古代の日本にあった女性が霊力をもって祭祀をつかさどるような信仰のありかたを「妹の力」と呼んだ。この「妹」は、だから兄弟姉妹の妹ではなくて、呪力を持つ高貴な女性一般を指す。今は「ヒメヒコ制」と呼ぶ概念に整理されることが多い。男が軍事を担当し、女が祭祀を担当して共同体を統治するような、原始的政治構造を意味する。なお、「ヒメ(姫)」「ヒコ(彦)」は未だに男女別の言葉として有効性を持っているけど、これは明らかに「日・女」「日・子」ですね。

 「六本木少女地獄」では、いつも決定的な言葉を投げかけるのは「姉」である。だから「姉の力」とそれを呼んでみる。この劇の構造は複雑だが、少し劇世界の説明をしておく。冒頭少しして「六本木少女」が「私とデートしませんかぁ?」と「少年」に声を掛ける。二人の会話から、「少年」は「姉」から逃げて来ているらしいとわかる。その後、その時点では謎の「リング」場面をはさみ、「弟」が「最初は二人だった。最初から二人だった。」という会話をきっかけにして、「姉と弟」の場面となる。となると、これは冒頭の少年の家庭のシーンではないかとその時点では思ってしまうのだが、少しすると「ヘビライ」「ヘビコ」が登場し「見つけた!」と叫ぶ。場面はまた変わり、「母と祖父と少女」の家庭に「湯田さん」という青年が訪ねてくる。少女(マリちゃん)はどうやら「想像妊娠」しているらしく、その相談相手に湯田が呼ばれたのである。一方少しすると、またヘビライ、ヘビコが登場し、姉と弟の父は伝説的なエバラナカノブ・ゴッド・タロウでしょうと指摘する。この父は「ボクケントミントン」の選手だったという。そして弟キリトをスカウトする。弟は勝ち続け、「イエス・キリト」と名乗って人気を得る。姉もなぜかリングの実況アナになっている。

 このようにさまざまな世界が同時進行で展開されるので、最初はよく判らない。(と言うか結局よく読んでも判らないけれど。)この「世界の多重性」の問題はまた別に論じるが、このあたりで、大きく見れば「ボクケントミントン世界」と「引きこもり想像妊娠少女世界」があり、そこに「六本木世界」があるかのように頭の中が整理されてくる。(詳しく検討すると、それが正しいかは問題なのだが。)そして「援助交際」や「想像妊娠」は現実世界に存在するが、「ボクケントミントン」なる競技は実在しないわけだから、少なくとも「ボクケントミントン世界」は「異界」であるという判断ができる。さて、そういう理解の前に、ポンポンと世界が飛んでいくし、「ボクケントミントン」や「想像妊娠」に関するセリフがとてもうまくできているので、笑いながらトントンと見てしまい、ものすごく重大な作者の仕掛けには、この段階で気づかないことが多いだろう。その仕掛けとは、先の筋のまとめの部分をよく見れば気づくと思うが、「キリスト教」に関する「隠喩」というか「言葉遊び」が頻出するということである。作者の言葉遊びは他の作品にも多いけれど、割と「ベタ」というか、説明するまでもなく「露天掘り」可能な状態で露出しているので、自分で考えて欲しい。

 このようにこのドラマは、宗教的な世界を描く部分があり、特にラスト近くになると明確にキリスト教を背景にしたような演出が見られる。だから「六本木高校はキリスト教系の学校ですか」という感想があったくらいである。一方作者は特にキリスト教に関係したり反発した経験をもとに作劇したのではなく、あくまでも「知的操作」としてキリスト教を劇の世界に借りてきただけだと発言している。つまり、この作品は「赦し」や「救い」を描くための道具として宗教の世界を借りてきているということになる。

 さて、そうするとキリスト教では「神の子」が「処女懐胎」して生まれるということになっているが、この劇で「少女」が「想像妊娠」していることの意味の重要性が判ってくる。237頁の母と男(湯田)の会話によると、「で、中身は?」「あら、やだ、そんな言い方しないでよ」「失礼しました。そのう…内容は?」「あまり変わらないじゃないの。…空っぽよ、空っぽ!」ということである。ここなどもセリフのやり取りがとてもうまい。ということで、妊娠していないことの表現は「空っぽ」である。

 ところで289頁などで強く示唆されるのは、「ボクケントミントン世界」は「想像妊娠少女」が書いている戯曲の世界であるらしいということである。(本当にそうかは慎重な検討が必要だが。)そして292頁になると「少女」は自分が作った世界の登場人物である「姉」(ラン)が暴れだすのだと訴え始める。ついには「姉」が「想像妊娠少女世界」に乱入して来て、湯田に対し「他の誰かに喋らせているあんたの言葉は誰にも聞こえない!」と宣告する。298頁になると「二度とあたしの世界に入り込むんじゃない!」と湯田(男)を世界から追放する。こうして「姉」は「異界」において世界の祭祀王の地位を確立するのである。そして300頁になると、「姉」は「少女」に「あんたはもう、空っぽじゃない。」と宣告する。さて、先に「少女は空っぽ」であるから妊娠していないとされていたわけだが、ここで「空っぽじゃない」のなら、少女は「姉の力」によって「処女懐胎」したのではないか。これがこの劇において、最大の謎ではないかと思う。この劇はよく「引きこもり少女が想像妊娠する物語」などと言われたりするわけだが、そういう単純なストーリーではなくもっと複雑で重大な謎を秘めた思想劇であることがわかると思う。

 しかし、「姉」は、「弟キリト」を「すべてを包むお父さん」にしたいと望む。しかし、キリトは試合に負け、笑い、「もう動かない」。つまり死をもって、世界の罪をあがなう。「子供達は、この地上にある全てのもの」であり、「すべての罪を背負う」。(329頁)結局、少女は後景に退き、先の謎は判らないままとなる。何故か?「少女」が「神の子」を産むことにより世界が救われるのではなく、「姉」が弟を「お父さん」にすることで世界を救うことがもくろまれているからである。つまり、「神を作る」、自ら神を産むことで世界を救うという構図の物語だからではないかと思う。結局は、宗教的な物語に見えて、「姉の力」に支配された「反宗教の物語」であるかに思われる。あるいは、「呪力」を持つ女が支配するという「古代日本的な物語」に。そう考えると、ひとつ前に書いた「呪詛」のような場面の意味がより大きくなってくる。ということで、「赦し」をめぐる思想の問題について話を進めて行きたい。 
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劇的空間のカタルシスー「六本木少女地獄」をめぐって⑥

2011年10月23日 00時34分23秒 | アート
 「六本木少女地獄」について宿題になっている。この劇には「謎」が多いので、それについての考えも書くが、読んでない人にはわかりにくかったり、「ネタバラシ」的な記述もあると思うけど、悪しからず。

 まず、今回は中身に入る前に「ト書き」についての疑問から、この劇のカタルシス構造について。戯曲は「セリフ」と「ト書き」からなるが、「セリフ」と「セリフ」の間に書いてある説明的な部分を「ト書き」と言っている。これが何故あるかと言うと、近代劇においては「作家」と「演出家」と「俳優」は分業になっていることが多いからである。作家はセリフだけでは動きの説明が不十分な場合、勝手に演出されては困ると思ったら、こう演じて欲しいと「指定」をしておくわけである。例えば、
 女「でも…」
  と、とまどったように小さくうなづく。

 この場合「怒ったように」「笑い出す」「甘えるように」とか、他のいろいろな場合もありえるので、指定をしておくわけである。「と、」で始まるから「ト書き」だが、今は「と」は書かないことが多い。しかし、学校演劇の場合、「ト書き」部分は稽古中にどんどん変わっていくし、そもそも分業になっていないので、あまり意識して書かれないことが多いと思う。特にクラスで演劇を行う場合なんか、作家兼演出家兼主演俳優であることが多いだろう。野球なんかでも主戦投手兼四番バッターなんてことがあるが、さすがに部活の正式大会なら監督はできない。しかし、演劇では演出を実質生徒がやってもいいわけで、この劇でも自分で演技、演出するつもりで書いてるから「ト書き」の意味が小さいだろう。(それ以前の問題として、戯曲はセリフが主で、ト書きが従であることが鉄則なのに、この本の体裁は「ト書きが上部に印刷されて、セリフがト書きの中に置かれる」という変則になっている。これはいずれ改訂されるべき点ではないかと思われる。)

 ということで、「ト書き」が書きすぎになっていたり、大事なことが書かれていない点が見受けられるように思う。「書きすぎ」はセリフで説明すべきところなのにト書きが小説の地の文のようになっているような部分である。特に287頁のト書きの「完全試合」は、すぐ次にセリフにあるので全く不要だろう。(ここは典型なのであえてあげたが、特に問題だというわけではない。あっても大した問題ではない。問題なところは指摘しないが、「ト書きの歌い過ぎ」は所々で見られると思う。)(ところで、「ボクケントミントン」の「完全試合」って何だろう?)

 さて、では「ト書きが不十分なことろ」はどこか。僕にとっては、これはこの劇の「カタルシス」の説明と不可分なので、触れないわけにはいかない。「カタルシス」というのは、よく「浄化作用」などと言うが、それではわからない。アクション映画のラストで、敵の本拠地が爆破され主人公が帰還に成功したときに感じる、スカッとした気持ち。あるいは時代劇で、おなじみの「お約束」(印籠とか桜吹雪の刺青とか)が披露され悪漢が恐れ入るときに喝采する気持ち。まあ、そういうものと言ってよいが、だからどちらかと言うと「同化」の劇に不可欠のものである。しかし、「異化」の演劇に「カタルシス」がないかと言うとそんなことはない。「カタルシス」には、「あるポイントを境にそれまで準備され蓄積されてきた伏線や地道な表現が一気に快い感覚に昇華しだす状態や、またその快い感覚」という定義もある。「六本木少女地獄」のラストのあたりは、ちょうどこのような「深いカタルシス」を観客に与え、重い問いを残しながらも充実した観劇体験をもたらすのではないか。

 
 この劇の一つの焦点に「引きこもり少女の想像妊娠」をどう理解するべきかがある。我々の住む通常の世界では「性行為」か、それに代わる「不妊治療行為」(人口受精等)がなければ、妊娠しない。(「処女懐胎」を心から信じているなら特例が一つあるわけだが。)従って、ラスト近くの327頁の「 こういうことをしないとさあ、子供はできないんだよ!」と言うセリフはとても重要である。ところが「ト書き」には「倒される。殴られる。/乗る。止まる。/見つめる。動かない。/離れる。動かない。」とあるだけで、男の「こういうこと」の具体的な動きの指定がない。しかし、ここははっきりと「男の動き」を指定しておくべきところではないか。現実になされた演出以外の動きは、この作品世界にはありえないと思うからである。

 舞台中央奥にはベッドがある。そこに「少女」がいる。前の方で姉が重大なセリフをシャウトしている。その場面。「男は少女の上に乗る。それはあたかも強姦(レイプ)がなされたかのように観客に暗示させる動きでなければならない。」僕はこの「ト書き」がなければ、実際に見ていない読者には通じにくいと思う。この場面は観客にショックを与える場面(セリフと演出)だが、それは高校演劇の舞台に妊娠やレイプが出てくるからではない。「ボクケントミントン」や「想像妊娠」など笑いも交えながら「ありえない世界」を展開させていたところに、「まがまがしいまでの現実」を突きつける劇的効果なのである。僕たちが引き受けて生きて行かなければならない「この現実の世界」。(それはあたかも、「大津波」や「原発事故」のように。)

 もう一つ、その直前に、320頁。「言葉が波打つ。二人の少女の体がひとつにつながれる」とあり、「姉」と「少女」の長いセリフが書かれている。ここに何の指定もないので、読者はこのセリフを読まされてしまうことになる。場合によっては、このセリフを「分析」して論じてしまう人が出てくるかもしれない。しかし、それはあってはならない。なぜなら、この「姉と少女のセリフは同時に語られるため、観客には意味が取れない。」という演出がなされなければならないからである。実際の舞台では「姉と少女」にさえ見えなかったと思う。二人が這いつくばり、呪詛の言葉のような長いセリフ(聞き取れないから、呪い、あるいは祈りの言葉のようなものにしか理解できない)が響いてくる。それはもはや登場人物のセリフではなく、ギリシア演劇の「コロス」(合唱隊であるが、日本の古典演劇の黒子が歌ったりしたらという感じがする)のような効果と言ってもいい。(ここを見たときに、思っていた以上にとても深い演劇センスがあるのだなと心底理解できた。)その「地の底からの呼び声」に呼びさまされたように、次の「この人が…あんたが一番恐れている、母親なのね。」という重要なセリフが呼び出されてくるのである。従って、他の演出方法は考えられない。

 以上、見てきたように、この劇のラスト近くには、それまでの多重世界が混合しながら「父」「母」を求める重いセリフが連続する。その重さは登場人物を超えて、一方では現実そのものを観客に突きつけるが、もう一方では「神」や「宗教」の世界に近づいていく。この劇世界に見られる宗教的な表徴について、次に論じることにする。
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「原発推進意見広告」と中学教科書問題

2011年10月21日 22時03分00秒 |  〃 (教育問題一般)
 21日の朝日新聞に「選ぶべき道は脱原発ではありません」という意見広告が載っていました。載せたのは「国家基本問題研究所」(櫻井よしこ理事長)という財団法人です。ホームページから広告も見られます。読売、産経にも掲載されたそうです。

 この広告によれば、「事故は二つのことを教えてくれました」ということです。それは何かというと、「事故が原発管理の杜撰さによる人災だったこと」と「女川原発が生き残ったように、日本の原発技術は優秀だったこと」の二点なのだそうです。ええっ、それが原発事故が教えてくれたこと?
 普通我々がまず思いつく「原発事故の教え」と言ったら、まず思いつくのは、「巨大な原発事故が一度起きれば、国民・国土に大規模な被害をもたらし取り返しがつかないこと」ではないですか。今も何万人もの人が故郷を離れ避難生活を送っていることなど、この広告には一言も触れられていません。

 福島第一原発で定期点検中だった4号機が示すように、原発自体が運転していなくても核廃棄物プールが危険な状態になるのです。核廃棄物の処理問題について何も書かないで、「原発は安全」と言うのだから、いや驚くべき「意見広告」です。それに、原発のコストはいくらになるのでしょうか。税金の投入によるぼう大な補助金、やがてくる「廃炉」の費用、何万年もかかる「廃棄物処理」の費用、今回の事故の莫大な賠償金などをすべて積算すれば、原発はものすごく高いコストがかかります。いくら「安全な技術」だと強弁しても、コストが高すぎればそれは推進すべき技術とは言えません。

 さて、この広告に出ている役員の名簿を見ていて、あることに気づきました。それは育鵬社、自由社の中学歴史・公民教科書の執筆者、推薦者が多いということです。育鵬社の歴史教科書の責任者である伊藤隆氏、公民教科書執筆者の島田洋一氏、育鵬者の支援団体である「教科書改善の会」代表世話人の屋山太郎氏などを中心に、「日本教育再生機構」(育鵬社)や「新しい歴史教科書をつくる会」(自由社)に参加しているメンバーが半数近くいます。最近は名前を出していなくても、かつて「つくる会」の役員、支援者だった人もいます。まあ、育鵬社、自由社の公民教科書が原発賛美であることは、このブログで前に指摘してありますから、当然と言えば当然でしょうが。(ところで、国基研のホームページを見たら、広告には載っていませんが、石原慎太郎都知事が理事に名を連ねていました。)

 しかし、「道徳教育の充実」をうたう彼らが、このような広告を出していいのでしょうか。いま、現実に苦しめられている人々がこれほど多い時に、発すべき言葉は何か?「選ぶべき道は脱原発ではありません」ということですか?とても嫌な気分にさせられたので、あえて書きました。
 
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「ほめられると伸びるタイプだから」問題

2011年10月20日 22時23分40秒 | 自分の話&日記
 昨日は他のことを書いていて投稿できなかったけれど、「困ってる人」にコメントがあったので応えておきたいと思います。他のことは書きだすと数回続くようなテーマが多いので、まずこれを先に。コメント者の理解と逆に、今まで「否定的なコメント」にしか応えていません。肯定的なコメントはそれ自体で自立しているので、わざわざ「その通りですね」などと書く必要がないけれど、否定的なコメントは反応を待って初めて自立するものだと思うからです。

 では、ちょっと長くなるけど。まず、「困ってる人」の構造について。「難病もの」は書くのが難しいと思います。本人にはとても辛い体験でも、それを周りの人に読んでもらうように書くのは大変でしょう。病気関係の本や映画はもうたくさんあって、もちろん一つ一つが本人には大切な体験で、読めば感動するようなものが多いわけですが、正直他人としては読んでて辛くなるような、しんどい本は敬遠したい気があります。震災や戦争の新聞記事など、読んでて辛くなるけど「これは知っておかなくては」という気持ちで読むことがありますが、難病と言う「個人の苦難」は敬遠したいと避けるのは簡単です。
 著者の大野更紗さんはもちろん存じ上げませんが、それまでの活動を読めば、驚くべき「頑張り屋さん」のように思われます。大学院生なんだから、当然硬い論文にまとめることもできるはずで、難病体験を通し日本の医療を考える、なんてすごい大論文を書くこともできたでしょう。でも、それでは誰も読まない。著者の体験はあまりにすごく、これは是非周りに伝えたいと思うのは当然です。そこで著者が取ったのは、「自分を低い位置において、そこから周りを観察する」という、饒舌体の「戯作」(げさく)です。これは日本の文学の伝統にのっとったものでしょう。その結果、まるで奥田英朗の傑作小説「最悪」のような、あるいは映画の「嫌われ松子の一生」(原作山田宗樹)のような、あれよあれよと言う間にどんどん「転落の一途」をたどる主人公の運命に一喜一憂する、驚くべき「ページ・ターナー」本が誕生しました。これは今年出た本の中でも、極めつけに「面白くてためになる」本でしょう。その成功の秘訣が、著者の「ローアングル」による「戯作調」にあるわけです。普通「病人は王様」になっちゃうときがあるけど、ここではこれだけの難病にも関わらず、読者より著者の位置の方が低いので読む側は安心して読めるわけです。これは著者の戦略でしょうが、読めばいろいろ考えるし、とても勇気を与えられるので、「大成功」でしょう。

 で、そうした「饒舌」の「戯作」で筆がすべったのだと思っていますが、「現代っ子だから、ほめられると伸びるタイプ」と書いてしまったのでしょう。ここだけ自分の位置が低くなく「上から目線」になっています。でも別にそれほど本質的な部分ではないでしょう。だから僕の方も、軽く「上から目線」で「これはいけません」と軽くジャブを放っておいたということです。このこと自体は、そういう問題です。この本の評価の本質的な部分ではありません。

 さて、問題は「ほめられると伸びるタイプ」が「上から目線」であることが理解されるかです。ネットで検索すると、ホントによく判らないという人がいるようなのです。これはある年齢以上の人なら誰でも判っている違和感のある表現で、説明の必要もないようなことです。しかし、最近は若い人の中で「私って、○○の人だから」と自分で言ってしまい、それを言い訳的に利用する人がかなりいます。そのたびに、会社の上司や学校の先生が苦々しく思っていることを知っていますか?「あの人もそんなことを言う人だったのか」と失望を与えてしまうのです。

 「ほめる」「叱る」は「目上の者」が「目下の者」を評価するときの「評価の中身」に関する言葉です。上司や教師は、部下や児童・生徒を評価するのが仕事です。だから「ほめて伸ばす」のもよし、「思い切って叱り飛ばす」もよし、いろいろな評価を行います。被評価者は納得いかない評価に異議申し立てをすることは出来ますが、「評価されること」それ自体を拒否することはできません。そもそも神ならぬ人間に公正な評価が可能かとか、部下や生徒が納得できる評価をできる力量を備えた上司や教員がどれほどいるかというような問題はありますが、それは今の論点には関係ありません。上司や教師は評価するのが仕事だから、「ほめて伸ばす」とか「叱り飛ばす」などの「物言い」をしても差し支えありません。しかし、被評価者の側が(評価の中身に苦情を言うのはいいけど)、「評価者と同じような評価方法の物言い」をするのは「越権行為」なのです。誰だって頑張ったらほめられた方がうれしいでしょうが、実力と期待と努力と結果を考え合わせ、評価者の側がどうするかを考える問題です。評価される側が「私はほめられると伸びるタイプ」などとあらかじめ評価に枠をはめるのは、おかしなことなのです。

 しかしこの言い方をきちんと注意されたことは最近あまりないのではないかと思います。それは「私はほめられると伸びるタイプ」=「ほめてくれないとすねちゃうタイプ」=「頑張ったのにほめてくれないと、恨んじゃいますからね」という「含意」が入っていることが多いからです。大した問題じゃないのに恨まれてもかなわないから、こういうことを言う人は放っておいて、テキトーにほめておこうということなのです。きちんと「叱るべきことは叱る」、ちょっとうっとうしい上司、教師こそ、付いて行けば実力が伸びる「本当の味方」なのだということは理解して欲しいと思います。(むろん、怒鳴り散らすだけとか、言うことがコロコロ変わるだけ、と言ったどうしようもない「目上」も一杯いると思いますが。)
  
 このような言い方を変に思わない若い人が多くなってきたのは、「評価」の方法が変わってきたこともあると思います。「説明責任」が重視され、学校だったらテストの点数、授業参加の状況、出席数、レポートや宿題の提出回数などを点数化するやり方が事前に公開されるようになりました。そうすると教師の評価という仕事が、単なるエクセル数式への入力事務員になってしまいます。このようになれば、評価者としての教師の尊厳性が損なわれるようになるのは間違いありません。しかし、今でも上司も教員も「チームの一員」としての部下、上司の「人間力」を見守って評価しているのは間違いありません。

 では、どういう言い方をするならいいのかと言われても、ケース・バイ・ケースでしょうが、「自分からは口にしない」が基本で、酒席などでは「私、頑張ったんですよー」程度ならOK。結果が良かったからほめられて当たり前の時も、きちんとほめてもらったらちゃんと礼儀正しくお礼を言う。自分から見て不公平な評価だと思う時は、きちんと説明を求めに行く。そんなところでしょうか。自分で言わなくたって、見てる人は見てるので、時に悔しい思いを飲み込んで仕事や勉強に打ち込んだのは誰にでもあること。「お天道様が見ていてくれるさ」というような「達観」も必要で、地道に目立たぬ場でも力を尽くすということですね。自分で言っちゃえば「それを言っちゃあおしまいよ」っていう言葉もあるのです。

 ということで、「ほめられると伸びるタイプ発言」がなぜ「越権行為」で「上から目線」であるかの説明は終わりますが、果たしてガッテンしていただけましか?

 また、「私って○○の人」という言い方も、違和感があると多くの人が思っているでしょう。もちろん、単なる事実の問題ならいいですよ。でも価値観を含む表現を自分で自分にしてしまうのは、自分で自分を決めつけ、その最終結果を他人にも共有を強制することです。こういう言い方に触れると、言われた側は「あんたは押しつけがましい人」と内心思ってしまうわけです。

追伸1.「現代っ子」と言う表現にも違和感があります。この言葉は昔1960年代に高度成長時代の子供たちを言う「歴史的用語」でした。教育評論家の阿部進さんが肯定的に使いはじめましたが、戦前世代には悪い意味でつかわれることが多かった言葉です。いわゆる「団塊の世代」、今60代の人たちが「元祖現代っ子」で、80年代以後はあまり使われていません。いつでも現代だから「現代っ子」だというような言葉ではないと思います。ウィキペディア等を検索して見て下さい。

追伸2.コメント者の方が「何かを否定するためのブログ」と書いていたと思いますが、このブログは「何かを否定するためのブログ」ではありませんよ。「教員免許更新制に反対するために始めたブログ」という始まりはありますが、「反対」と「否定」は違いますよね。「反対」意見は、通れば「肯定」になりますから。反対意見が通じて自分の方が「肯定」になる世界があると信じ、言語表現が通じると信じ、現代の政治経済等のシステムを信じてブログを開設しています。「否定」するだけなら、ブログを書く人はいないから、すべてのブログは「何かを肯定するためのブログ」なんだろうと思います。
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ベラ・チャスラフスカの勇気ある人生

2011年10月18日 21時56分31秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京五輪で女子体操個人優勝のベラ・チャスラフスカはとても印象的な選手だった。そのことは「クーデルカ展」の記事に少し書いたことがある。僕が小さな時に見た東京オリンピックから得たものについては「TOKYOオリンピック物語」で触れている。そのチャスラフスカが来日したという記事が先週載っていた。

 「日本は母国のよう」=チャスラフスカさんが講演
 1964年東京、68年メキシコ五輪の体操女子で計7個の金メダルを獲得したチェコスロバキア(当時)のベラ・チャスラフスカさん(69)が8日、都内で講演した。東日本大震災で被災した仙台市を10日に訪問することなどが目的で来日。「日本のことは母国のことのように思っている。被災地で(東京五輪を)覚えている方もいるかと思い、金メダルを持ってきた」と笑顔でメダルを披露した。(時事)

 チャスラフスカに関しては、後藤正治ベラ・チャスラフスカ もっとも美しく」という名著があり、文春文庫に入っている。この感動的な本によって書くのだが、2004年の原著刊行当時、チャスラフスカは非常に厳しい、人生の辛い時期を送っていた。著者は取材対象の彼女に会えなかった。当時は重いうつ状態で精神病院に入っていて、他人と会えるような状態ではなかったと言われている。

 きっかけは家庭内の悲劇である。そしてその原因はという風に探っていくと、どうしても1968年8月のプラハの悲劇に行きつく。1964年、22歳で迎えた東京五輪でチャスラフスカは個人総合と跳馬、平均台で金メダルを得た。当時の女子体操界は旧ソ連の全盛時代で、五輪史上最多のメダル獲得者の栄誉を今でも持つラリサ・ラチニナが個人総合で連覇中だった。チャスラフスカはその三連覇を阻んだのである。優美な演技で日本人を魅了したチャスラフスカは、もちろんチェコでも英雄となった。

 そして彼女は1968年の「プラハの春」と呼ばれた自由化運動にコミットし、「二千語宣言」に署名した。ソ連式共産党独裁体制が東ヨーロッパ諸国を支配していた時代の話である。自由化を求めるチェコスロヴァキアでは「人間の顔をした社会主義」を目指してソ連からの自由を求めた。これに対しソ連を中心とするワルシャワ条約軍が8月に戦車で侵攻し、共産党幹部をモスクワに拉致して自由への動きをつぶしたのである。

 メキシコ五輪は9月に迫っていた。出場も危ぶまれたがなんとか出国を許された彼女は、ソ連選手に対抗心を燃やし個人総合で2連覇を達成したのである。そして陸上選手だった夫とメキシコで結婚した。しかし帰国後の彼女には過酷な人生が待っていた。宣言署名の撤回を迫る当局に対し、あくまでも屈しなかったチャスラフスカは体操のコーチを解任され、何の仕事も与えられなかった。多くの友人が去って行き、夫ともすきま風が吹くようになる。妥協せず生きるチャスラフスカに夫はついていけないものがあり、二人は別れるしかなかったのだ。

 やがてソ連で80年代半ばに「ペレストロイカ」が始まり、冷戦が終結し、チェコスロヴァキアは自由を得た。1989年11月、いわゆる「ビロード革命」である。その時、プラハ中心部のヴァツラフ広場で開かれた集会で、広場を見渡すバルコニーから彼女は人々に語りかけた。「もう何回も、人生の中で-私は堂々とした態度と勇気を示さねばなりませんでした-スポーツ選手として、また人間としても。今言わせてもらえるでしょう、私は卑怯者ではないのだと。」

 大統領となった反体制劇作家ハヴェルは、彼女にスポーツ大臣、駐日大使、プラハ市長の中から好きなポストを選んでほしいと言ったという。しかし、チャスラフスカは断る。「一介のスポーツ選手」として、長年許されなかった「スポーツクラブでコーチをすること」が望みだったからである。そして、その代わりに無給で医療・福祉担当の大統領顧問を引き受けた。大統領府(プラハ城)に押し寄せる悩める国民の声を、自ら調査し返答する献身の日々が始まった。それは、1992年にチェコオリンピック委員会会長に就任するまで続いた。

 しかし、チャスラフスカには思いもかけぬ個人的悲劇が襲い掛かったのである。1993年、街中の酒場で、次男が別れた父親と偶然同席し、行き掛りから争いとなり、倒れた父親は死んでしまった。息子が元夫の殺人で捕らえられ獄舎に囚われたのである。そして、あれほど強く気高かったチャスラフスカの心は、ここで閉ざされてしまった。先の本では誰にも会えぬ状態が続いていたとあるのだが、こうして来日できたのだから外国旅行が可能なほどに回復したのである。そして東京五輪にときに日本刀を贈ってくれた人に会いたいと思い探した。新聞に載りその人物はわかったのである。その刀を通して「共産主義体制下でも日本から力を得ていたのです。」

 ベラ・チャスラフスカは歴史に残る素晴らしい体操選手であるとともに、権力に屈せず自由を求めた「フリーダム・ファイター」としても歴史の中で記憶しておかなければいけない人である。ネルソン・マンデラやアウン・サン・スー・チーのように。そして、ここにさらに二つの素晴らしい記憶を付け加えることができる。一つは、人生に起こる悲劇や挫折の体験、重いうつ病からのサヴァイヴァーとして。人はどんなに強い人間にみえても、一人では受け止められない挫折のときがあるのだ。

 だがチャスラフスカは「回復」し、人々の中に戻ってきた。そのことは多くの人々に勇気を与えることだと思う。もう一つは、大震災のさなかに来日し被災者を激励し、日本人への愛情を示してくれた日本の本当の友人として。刀を贈ってくれた人は奇しくも福島出身の人だったという。仙台では常盤木学園というところで枝垂れ桜の植樹をした。彼女の植えた桜がいずれ日本で花咲く日が来ることだろう。
  
★ベラ・チャスラフスカさんは、2016年8月30日に74歳で亡くなった。余命宣告を受けていることは、一月ほど前に朝日新聞に掲載されていた。記事は一部長すぎる段落を変えた。写真は今回アップした。
★2011年当時、五輪の最多メダル獲得者はラリサ・ラチニナだったが、その後アメリカの競泳選手マイケル・フェルプスが抜いたことは周知のとおり。リオ五輪まで計28個。ラチニナは18個で第2位。
★9月2日、および5日に、東京のチェコ大使館で弔問と記帳が行われる。また5日夜には、映画の上映もあるという。詳しくは、チェコ大使館の「チャースラフスカー氏ご逝去に伴う弔問記帳等について」を参照。(2016.9.2)
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映画「アンダーグラウンド」(エミール・クストリッツァ監督)再見

2011年10月18日 00時07分18秒 |  〃  (旧作外国映画)
 エミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」がリバイバル上映された。渋谷・シアターN渋谷(旧ユーロスペースだったところ。)1995年度カンヌ映画祭パルム・ドール(最高賞)で、クストリッツァはパルム・ドールを2回受賞した3人(4人)の一人である。(他は今村昌平とベルギーのダルデンヌ兄弟。最高賞がパルム・ドールでなかった時代のグランプリを含めるとコッポラも2回受賞。)日本では96年に公開されてキネマ旬報ベストテン3位となった。96年の僕の個人的ベストワン作品。デジタル・リマスター版での15年ぶりの公開である。つい先ごろ見た感じだが、15年も経ったのか。

 この映画はボスニア戦争さなかのヨーロッパでは、「セルビア寄り」とも言われて政治的論争に巻き込まれたが、日本で見るとそういう感じはしない。監督はボスニアの首都サラエボ生まれで、セルビア人とモスレム人(イスラム教徒が独自の民族として扱われる)の間に生まれたので、自身のアイデンティティは「ユーゴスラビア人」と称している。この「今はなき国家」にこだわっている点が政治的、あるいはユーゴスラビアの継承国家であるセルビア寄りに見る人もいるわけだ。
(クストリッツァ監督)
 日本で見ると「戦後の虚妄を撃つ」というような切々とした思想史的課題を感じる。例えば吉田喜重「秋津温泉」のような、「戦後」の不毛を痛切に描く一大恋愛叙事詩を思わせるのである。もっとも「秋津温泉」のパセティックでロマンティックな趣は「アンダーグラウンド」にはない。クストリッツァはふてぶてしいほどに騒々しく、喜劇的で、見世物的なスペクタクルを展開する。この作品以後の「黒猫・白猫」「ライフ・イズ・ミラクル」などに通じる。あるいは今村昌平を思わせる「重喜劇」というか、ハチャメチャの民衆讃歌ショーである。

 SFに「パラレル・ワールド」ものというのがある。現実の歴史と違う設定で展開される小説のことで、例えば「ナチスが勝って今でも支配していたら」とか。この作品では、地上の現実と「地下のパラレル・ワールド」という驚くべき二重性で展開する。共産党員ではあるが、むしろ女のためにナチス高官を攻撃した男が、逃げて地下室に潜ったままという成り行き的な設定だが。一方、その友人はナチス敗戦と解放を地下に知らせず、女を横取りして共産党幹部となり出世する。

 そのナチス高官攻撃は今や偉大なレジスタンスとして称賛され、地下にもぐった男は死んだことにされ、映画化までされる。そこに地上に出てきた男たちは…。愛と裏切りの戦後史が壮大なショーとして繰り広げられる。音楽が例によって凄い。改めて見ても素晴らしい。監督は自分でロックバンドをやっているが、第3作「ジプシーのとき」以来、「ジプシー」(ロマ民族)風の音楽がよく使われている。

 「ユーゴスラビア」は、第一次世界大戦後、「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」として人工的に設立された。後に「ユーゴ」(南)「スラビア」(スラブ系民族の国)という名前になった。戦後、共産党による社会主義国家になったが、他の東欧諸国と違い、ソ連軍ではなくティトー率いるパルチザンが国土を解放した。従ってソ連に従うことなく、ソ連圏を抜けて「非同盟諸国」の代表として活動した。

 クストリッツァの最初のカンヌ最高賞「パパは出張中!」は父がソ連派党員で逮捕された家庭を描いている。非同盟と言っても自由はなく、ティトーの家父長制的な支配で持っていた人工国家だったのである。それでもティトーの時代には世界に独自な位置を占めていた。1980年の葬儀のニュースが挿入されるが、米カーター、ソ連ブレジネフ、中国華国鋒(なんとね)などの首脳が出てくる。みんな最高首脳がユーゴに集まったのである。それだけの指導者と思われていた。国内では「自主管理社会主義」を唱え、資本主義でもソ連式社会主義でもない、新しい第三の経済で未来を拓く思想であると、その頃は本気でそう思っていた人も多かった。

 しかし、ティトーの死後10年ほどで国内は完全にバラバラになってしまった。ソ連という「外敵」がなくなると一緒にいる意味もなくなり、民族紛争が多発し、悲惨なボスニア戦争が始まった。なんでこうなるの?僕は全く信じられない思いでニュースを見ていた。今では、セルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ、コソボ(セルビアはコソボを未承認だが)と7つの国家に空中分解した。

 そのことはあまりにも凄まじい悲劇を伴い、クストリッツァとしてはあまりにも悲しくて「笑っちゃうしかない」くらい悲しい出来事だったと思う。その気持ちが痛切に伝わってくるし、自分の教えられてきた戦後史はニセモノだったという痛烈な自己批判と自己風刺が鮮烈である。今見ても素晴らしいけど、その思想的意味合いはなかなか理解しづらくなっているかもしれない。(2020.4.28改稿)
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「表裏井上ひさし協奏曲」

2011年10月17日 21時50分36秒 | 〃 (さまざまな本)
 土日は少し風邪気味で寝てたので、ブログ更新なし。でも、本が読めない程度ではなかったので、西舘好子「表裏井上ひさし協奏曲(牧野出版)を読んでました。著者は井上ひさしの前夫人で、1986年の「離婚騒動」は記憶している人も多いと思います。現在は、日本子守唄協会理事長だそうです。井上ひさし死後1年、自分に書くべきことがあると思い書いた本で、なかなかすごい。書くべきことというのは子供たちのことで、井上ひさしの3人の娘のうち、この本によれば2人は父親の死に目に会うことが許されませんでした。井上ひさしが許さなかった。そのことを母親として娘のために「公表」したわけです。会うことを許されなかった長女が後書きを書いています。

 作家と言う職業の「業」の深さをつくづく思い知らされるような本でした。東北出身の、家庭環境が複雑で、どこの学校を出たかもはっきりしない(大学は上智というのははっきりしていますが)、書くことだけは才能がある貧乏な男が、下町の職人一家の娘と出会って一緒になる。共に歩み、子供を育て、やがて夫が人気作家となり、文化の違いがだんだん大きくなる。NHKの大人気人形劇「ひょっこりひょうたん島」の書き手に抜擢され、「日本人のへそ」で新しい喜劇作家として認知され、やがて小説に進み直木賞をノミネート1回で受賞する。その歩みを共にした「糟糠の妻」の役割の大きさは誰もが知っています。確かに、70年代半ば、小説に演劇に、テレビや映画の原作にと井上ひさしは超人気作家でした。ただし、その人は「超遅筆」でした。そして喜劇作家であり直木賞を受賞した「大衆作家」として著名であり、まだ「文化人」としては認められていませんでした。最後には、憲法、農業、原爆、天皇制などに関わる発言ができる「リベラル文化人」としての地位を確立します。そういう存在になりたかったんだという切実な夢、上昇志向、知識人への屈折した思いがよく判る気もするし、痛ましいというか気恥ずかしいという気にもなりました。

 僕は井上ひさしの書いた劇の構想の素晴らしさ、言葉の美しさ、的確さを、現代日本演劇にとどまらず、現代日本語表現の一頂点をなすものと評価しています。その表現を生み出す時に、どのような不条理が一杯あったとしても。それにしても、(まあある程度知っていたけれども)遅筆に伴うDVは凄まじい。資料を集め、苦吟に苦吟を重ね、やっと絞り出された、素晴らしいセリフ。しかし、劇団として小屋を押さえ、初日を発表し、チケット発売が始まり、役者は皆けいこを待ち望んでいるのに、ホンができない。そうして、毎度のように初日が遅れました。(僕はずいぶん見てますが、公演の後の方の回を買うようにしていました。)一度など公演自体がキャンセルになった。場所代や役者の拘束代など一体どのくらいのお金が出て行ったのでしょうか。では、書けてから芝居の準備に入ればいいではないかと思うと、それでは絶対に書けない。初日を決め自分を追い込んで行かないと、絶対に書けないというタイプ。しかし、それに伴う世間的な雑事は全部妻の役割であり、劇団代表である好子さんが負うしかなかったのです。

 2010年、二人の劇作家が肺がんで亡くなりました。4月9日に井上ひさし、7月10日につかこうへい。この本で一番「かっこいい」役割を演じているのは、離婚騒動さなかのつかこうへい。366頁あたりの出来事は、つかこうへいという人の本質的なやさしさを強く感じました。著者とつかこうへいの対談も収録されていますが、その中で著者は井上ひさしの原稿書きについて「まるで夕鶴じゃないですけど、こう一本一本自分の羽をむしりとって、機を織るみたいな作業をしているんです。」と語っています。さすが一番身近にいただけある実に的確な表現に心打たれました。が、夕鶴の機織りが「作家の労働」だとしたら何という苛酷な人生だろうかと改めて思いました。それにしても「人気作家」井上ひさしの離婚問題にあたっては、いろいろなことがありました。ある日好子夫人は講談社の昔の担当(当時は重役)から電話で呼び出され、料亭に行ってみると講談社、新潮社、文藝春秋の重役三人が揃い踏みで、「作家の妻を演じてくれ」「夏目漱石も太宰治も、夫人は悪妻と呼ばれて夫を育てた」「この三社から出る雑誌や本からはお二人に悪いことが出る恐れはありませんから」と言って離婚を思いとどまらせようとしたというエピソードは出版界の裏話としてすごいと思いました。

 なぜか東北出身の作家に深い業を背負うかのような人が多い気もするのですが、それは東北が近代日本の統一戦争で敗者となり、おとしめられてきた歴史と無関係ではないと思います。その結果、東北地方の「方言」は首都東京では「バカにするときの言語」=ズーズー弁と記号化されていきます。多くの舞台や映画で東北弁がそれだけで笑いの対象となっていた時期が長くありました。そこでエリートとして成長した作家志望の青年が、「バイリンガル」として「標準語」を修得しました。その過程で鋭敏な言語感覚がさらに研ぎ澄まされていったものと僕は思っています。石川啄木、宮沢賢治、太宰治から三浦哲郎、寺山修司にいたる系譜の日本語の素晴らしさ、リズム感覚。それが井上ひさしにも通じる言語感覚の秘密であり、僕たちの心を捉えるのではないかと思います。それにしてもみな、深い業を背負った作家たちですね。

 いや、離婚の時期に関わり過ぎたかもしれません。この本の前半部分は若い夫婦の出世譚であり、発展する日本の「テレビの黄金時代」の証言です。こういう時代があったんだという物語として、貴重な証言です。全体としてとても面白い本ですが、井上ひさしと言う人を通して人間の不思議、いや人間のみにくい部分、というかやはり人間と言う存在の「良くも悪くもすごい部分」をたっぷりと味わうことになります。で、井上ひさしと言う人と一緒に生きるのは大変だと思い、井上ひさしと言う人がいやになるとも言えますが、でも井上ひさしの文章を読みたくなり、井上ひさしの芝居を見たくなりました。それって、作家の勝利?作品が残れば、家族と不和のまま死んでいってもいいのか。謎ですね、人間は。なお、「井上ひさし」の本名は「厦」(ひさし)だそうで、これは中国のアモイ(厦門)から父親が付けたと知りました。
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検察審査会に代わる制度を!

2011年10月14日 21時52分56秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 小沢一郎元民主党代表と元秘書に関する刑事裁判の問題。元秘書裁判は、重要な供述調書が証拠として採用されなかったのに、「推認」という言葉を多用して有罪となった。それをどう評価するかはいろいろな意見が飛びかっているが、裁判経過をしっかりと追っているわけではないのでここでは評価は控えたい。はっきり言えるのは、小沢氏には政治家としての説明責任がある。というかいずれ説明すると言ったまま、国会(証人喚問や政倫審)に出てこないで記者会見で「恫喝」してるのは頂けない。単なる形式問題ではなく、公共事業に伴う裏金が指摘されているのだから、国会の国政調査権が発動されるべきなのは当然。裁判進行中であるのは関係ない。(小沢氏が師と仰ぐという田中角栄も、金脈問題で首相を辞めるときいずれ調査して説明すると言ったまま、何もしなかった。)(ついでに書くと、元秘書の石川議員に対する「議員辞職勧告決議案」には反対である。)

 一方、小沢氏本人の刑事裁判も今月に入り始まっている。小沢氏側は1回目に「裁判自体の取りやめ」を求めた。それを批判する人もいるが、「公訴棄却」という手続きが裁判にはちゃんとあるのだから、何の問題もない。「公訴棄却」というのは、それこそ起訴したこと自体がおかしいと裁判そのものを取り消す手続きである。過去には水俣病患者の川本輝夫氏がチッソともみあいになり傷害罪で起訴された裁判で、77.6.14に東京高裁で公訴棄却の判決が出て、最高裁で確定したケースが有名。検察審査会による強制起訴制度は、僕は問題が多いと考えているので、それに関しては新しい司法判断を求めてもいいと思うのである。(なお、「市民が判断」と書いた新聞が多いが、検察審査会は国家機関で日本国籍を持っていないと選ばれないので、「国民が判断」と書かなくてはおかしい。)
 
 検察審査会という制度は、裁判員制度が出来る前は司法に関して国民が関与できる唯一の制度だった。(最高裁裁判官国民審査は、裁判官の身分に関わるだけで、事件の中身に関与できるわけではない。)だから、この制度はそれなりに貴重なものだ、と僕は思っていた。とは言っても、当時は、「検察審査会が、起訴相当、不起訴不当の議決をした場合、検察は再捜査をしなければならない」けれども、起訴する必要はなかった。だから、検察審査会というのは、あってもなくてもいいような、あまり意味のない制度になっていた。(かつて、日歯連事件で検察審査会は山崎拓元自民党副総裁を起訴相当としたことがあるが、検察はふたたび不起訴にした。)また、ずいぶん昔の話だが、神戸の甲山事件では、不起訴になった人が検察審査会の議決(不起訴不当)をきっかけに再逮捕、起訴され、冤罪を晴らして無罪が確定まで長く苦しい道のりを歩まざるをえなかったという苦い過去の記憶もある。検察審査会は、その成り立ちからして検察が集めた証拠を再評価することしかできない。検察、警察に呼ばれた人の「供述調書」はそれだけでは「証拠価値」はない。裁判で弁護側の厳しい反対尋問にさらされた上、裁判所が証拠採用した後で初めて有罪の立証に使えるというものである。しかし、それに対して検察審査会では被告・弁護側の言い分は全然聞かずに判断するわけだから、どうしても「有罪方向のバイアス」がかかるに違いない。

 法が改正され、2回起訴相当の議決があれば、強制的に起訴されることになった。制度改正以後、明石の花火事故の警察署長、JR福知山線事故のJR西日本元社長、小沢一郎議員などが強制起訴になった。ちょっと見ると、「今まで検察が起訴しなかった政財官界の有力者が、国民によって裁きの場に出されることになった。まさに、制度改正の実があった」とも見える。

 ところが、どうも僕には疑問が大きくなってきた。国家が独占してきた「公訴の提起権」を検察審査会が手にするようになった。だから、これを「国民の権利の伸長」ととらえることもできるようにもみえる。しかし、裁判員制度だったら、(運用に改善すべき点は多いようには思うが)、裁判でどのような結論を出すこともできる。一方、検察審査会は「不起訴になったものを今度は起訴する」権限しかない。つまり、国家権力の強化に一方的に加担できるようになっただけで、検察制度をチェックする機能はないわけである。これが、もし「誤って起訴された無実の被告の起訴を取り消す」こともできるなら、国民が検察をチェックする権限を得たと言えるだろう。では、検察審査会は「起訴の取り消し」もできるようにすべきなのか?

 しかし、よく考えると、これはあまりよい仕組みではない。捜査側の書類を見ただけで「これは冤罪だ」とわかるような事件がどれだけあるだろうか?事後の書類審査だけを行う検察審査会では、無罪の可能性があったとしても、「裁判で証人を呼んでから判断したほうがよい」となるに違いない。じゃあ、検察審査会でも証人を呼んで、それで起訴・不起訴の判断をするようにすべきではないかという意見もあるだろう。しかし、それでは、事実上の一審が検察審査会になってしまう。それなら、起訴・不起訴自体を国民が全部判断する制度のほうがいいんじゃないのか。そういう制度が、外国にはあるところもあるのだ。アメリカでいう「大陪審」である。アメリカでは、重大犯罪の場合、起訴すべきかどうかを国民が判断する。起訴を判断する陪審員23人。裁判の陪審員は「12人の怒れる男」という映画があるように12人なので、大陪審、小陪審と呼び分ける。裁判員制度を導入したのだから、「大陪審」も検討したらどうなのか?

 ただ、大陪審は人数も多くて、裁判員制度以上に大変である。実際、大陪審は英米法の概念だが、イギリスはもはややってないらしい。では、検察審査会に変わる制度設計は他にありうるだろうか?僕が考えたのは、検察審査会を廃止し、付審判請求に一本化するというのはどうだろうということだ。

 「付審判請求(ふしんぱん・せいきゅう)というのは、検察が不起訴にした事件のうち、特別公務員暴行陵虐罪や特別公務員職権濫用罪などにある特別措置である。検察官や警察官自体が、捜査で暴行を加えたり証拠を捏造、隠滅していた場合、いくら被害者が告発しても、捜査当局が自分で自分を起訴するのはなかなか難しいので、裁判所に直接起訴を訴えることができるという例外的な制度である。実際、警察官が起こした問題などでずいぶん付審判請求がなされ、請求が認められてもいる。裁判所が審判に付すると結論したら、指定弁護士を検察役に任命して、裁判になるところは「検察審査会の強制起訴」と同じである。

 これを他の罪にも拡大して、すべて裁判所で決定する。そして、付審判請求の可否は裁判員制度で国民が判断に加わる。このような「抜本的改正」を行い検察審査会は廃止して裁判員制度に一本化する方が良いのではないか。
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定通はかえって「損」なのかー高校授業料問題を考える④

2011年10月13日 23時31分18秒 |  〃 (教育行政)
 高校授業料問題が実はまだ終わっていないので、書き終えてしまうことにする。一番最初に書いたように、「後期中等教育」を無償にするというのは人権問題であり、逆戻りしてはならないと考える。しかし、実際にどのような政策が実施されているかというと問題がある。 
 
 そもそも、高校授業料はいくらだったのだろう。東京の場合を例に実際に確かめてみたい。
  全日制高校  12万2400円
  定時制高校   3万3360円
  定時制単位制 1単位あたり1800円 卒業74単位を3年で取ると計算すると、1年あたり4万4400円
  通信制     1単位あたり900円  卒業74単位で3年で取ると計算すると、1年あたり2万2200円

 政府は授業料無償化措置に伴い、16歳から18歳の子供を扶養する家庭に対する「特定扶養親族控除」を廃止した。それまでは「63万円」の特定扶養親族控除だったが、「38万円」の「扶養親族控除」になったのである。(なお、「こども手当」の創設に伴い、16歳未満の子供に対する扶養控除も廃止された。)(もう一つ言っておくと、扶養される子供の方に38万円以上の所得があるとダメなので注意。なお、「所得」=「収入」ではない。)

 各自治体はそれまでも低所得世帯に対して、高校授業料の減免制度を持っていた。だから、低所得家庭の場合は、全日制高校の場合でも、ある一定の所得以下だとかえって損になっている場合があると言われている。(家族構成や所得額によるので、いくらから「損」かはよくわからない。)ましてや、もともと2、3万円程度の授業料だった定時制や通信制の場合は、家庭単位で計算すると多くは負担増になっているのではないか。

 今「家庭単位」と書いたが、この問題はもう少していねいに見る必要がある。全日制進学高校などの場合、生徒が自分で学費を払っていることはほとんどないだろう。また、制服代も高いし、教科書の他に資料集や問題集を学校で買うことも多い。一方、定時制、通信制の場合は、自分で学費を払っている生徒がとても多い。(学校に通う時間が少ないからアルバイトしていることが多いし、自費で払える程度の額でもあった。しかし、それより家庭が大変だったり、不登校や中退で少し遅く入ってきたため、できるだけ親に負担をかけたくないという気持ちの場合が多い。)また制服はないことが多く(ある学校もある)、問題集を買うこともまずない。一方、夜間の課程の場合、給食費もかかる。(どこかで自費で食べるより安くて栄養バランスがいいのは間違いないが。)そういうことを総合的に考える必要がある。定通の場合は、生徒を直接支援する意味が大きく、この無償化措置はもう元には戻せないし、絶対に戻してはいけないと思う。だけど家庭単位で負担増になっていたとしたら、やはり何らかの措置がいるのではないか。

 ところで、この「高校授業料無償化」という制度は、それ自体、一定のイデオロギーとして機能するのも間違いない。つまり、「学校化社会を徹底する」という役割である。高校へ行かず自宅で高卒認定試験に向けた勉強をして、大学を目指してもいいはずである。しかし、その場合、何の恩恵も得られない。僕が経験してきて、一番大変な思いをしているのは、「ひきこもり」で高校へ行けない子供を抱える家庭ではないかと思う。そういう家庭は子供が高校へ行ってないから、恩恵は受けずに増税になるだけである。それでいいのか。いや、それは「ひきこもり」や発達障害などの子供のいる家庭への、また別の支援政策で対応するべき問題なのか。

 歴史を振り返ってみると、そもそも戦後に中学まで義務化されたとき、校舎も不十分で農繁期には生徒も学校に行けない場合が多かった。高校まで行かせるのは難しく、特に女子は行かなくてもいいと言われることもあった。高度成長期には中卒は「金の卵」と言われ、「三丁目の夕日」のように、あるいは「連続射殺魔」永山則夫のように「集団就職」で大都市に出てきた。この時代に授業料が無償だったら、ずいぶん多くの生徒が恩恵を受けたのではないか。しかし、日本経済は発展し、今も貧困の問題はあるけれど、高校生ならアルバイトもできるので、高校授業料だけだったら本人でも払えないというほどでもなかった

 だから、今の問題は、大学や専門学校の授業料が高すぎて奨学金を得ても返還も大変で、高校以後のキャリアアップが難しい実態になっていることだ。高校授業料無償化は遅すぎたが、それは良かったと思う。ただ、定通にはかえって負担増になるのなら、何らかの「措置」がいると書いた。その「措置」とは何がいいのか?一つは、「こども手当」を18歳まで拡大するというやり方も考えられる。しかし、現実の高校生にとっては、毎月1万程度家庭への補助があるよりも、大学や専門学校へのゲートを広げることの方が意味があると思う。大学だったらまだ、向学心が高い生徒が奨学金を得て進学することは多い。(でも今は有利子の奨学金ばかりで卒業後の負担が重く、いずれアメリカのように大量の大学中退者が社会問題化するのではないか。)しかし、大学まで進学して勉強する気はないけれど、将来の職業のために資格が取れる専門学校には行きたい、でも100万、150万と言われると、とても親が出せないという高校生がとても多い。アルバイトしてお金をためて、いずれ専門学校に行くと言って当面「フリーター」になる生徒も多いけど、実際に数年後進学できた生徒はあまり見たことがない。高校授業料無償化の次は、高校以後のキャリアアップを社会としてどのように支援していくか、つまり諸外国に例があるように「高等教育の無償化」に問題が移っていくと考えている。

 高校授業料問題は、今まで3回書いて、今回で終わり。
高校無償化は人権問題である
朝鮮高級学校の場合
留年してはいけないのか
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