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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『アイム・スティル・ヒア』、ブラジル軍事政権と闘った女性

2025年08月18日 21時37分54秒 |  〃  (新作外国映画)

 ウォルター・サレス監督の『アイム・スティル・ヒア』が公開された。素晴らしい出来栄えの感動作で、時代を見据えた恐ろしさを感じる映画でもある。「自由」「人権」の大切さ、「独裁」の恐ろしさ、現代世界に突きつけるメッセージが重い感動を呼ぶ。多くの人に是非見て貰いたい映画。2025年の米国アカデミー賞国際長編映画賞受賞作だが、それだけでなく作品賞や主演女優賞(フェルナンダ・トーレス)にもノミネートされた。2024年のヴェネツィア国際映画祭脚本賞を受賞するなど、世界で数多くの栄誉を受けたが、そういう「名作」「問題作」という先入観は持たずに「家族映画」として見ても見事な出来を堪能できるだろう。

 1970年ブラジルリオデジャネイロ。海岸で子どもたちが遊んでいる。この映画の良いところは、家族の日常をていねいに描いていることで、最初は状況がよく理解出来ないが、それが次第に効いてくる。ブラジル現代史と言ってもほとんど知らないが、1964年にブランコ将軍による軍事クーデタが起こり、1985年に民政移管されるまで軍事政権が続いていた。(これは韓国の朴正熙、全斗煥政権時代とほぼ重なるが、ラテンアメリカの現代史の知識は少ない。)そんな中、建築家のルーベンス・パイヴァは家族のため一生懸命仕事をしているが、実はクーデタで罷免されるまで国会議員で、その頃も秘かに国外と連絡を取っているようだ。

(フェルナンダ・トーレスが演じる妻)

 この映画の工夫はすべてを妻のエウニセ・パイヴァフェルナンダ・トーレス)の目で描くことである。彼女は夫の事情をすべては知らず、5人(上に女子4人、男子は末っ子マルセロ)の子ども、さらに家政婦、マルセロが連れてきた犬などで日々頭がいっぱいである。こういう時代だけに反政府運動と関わる恐れもあるから、長女は早めにロンドンに留学させたい。下の子どもたちはまだ小さく、大人世界の厳しい事情は知らせたくない。反政府都市ゲリラの活動も盛んで、スイス大使が誘拐されたのをきっかけに、軍や警察の検問、監視も強くなる。そして、ある日、何者かが現れ夫のルーベンスを連行したのである。

(実際のパイヴァ夫妻)

 そして次にエウニセと娘まで連行され尋問される。車の中では袋を被せられ、一体どうなるんだろうと見ている方も恐怖である。実話だと知って見たのだが、軍事独裁はホラー映画より恐ろしいとよく判る。そして、何とかエウニセは帰れたが、ルーベンスの消息は知れない。夫の預金を引き出せないし、金繰りも大変になって、エウニセはリオの海際にあった家を売って、親のいるサンパウロに帰ることを決心した。そして25年後。1995年、エウニセは人権派弁護士となって先住民の権利のために活動している。そんな彼女の元に、ようやく「夫の死亡証明書」を政府が発行するという知らせが入ったのである。(それまでは「行方不明」。)

(実際のエウニセ)

 そして、さらに20年近くが過ぎ、エウニセはもう認知症を患っている。その老年期を演じるのは(後で知ったのだが)、フェルナンダの実母である女優フェルナンダ・モンテネグロ。同じ人を母娘で演じたわけである。さらにモンテネグロは同じサレス監督の『セントラル・ステーション』(1998)でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされているのも奇縁。この何十年かの間に、昔は小さかった子どもたちも大きくなっている。それぞれどんな変化があったかも興味深い。大きな危機に見舞われた一家は、長い時間を母を中心に家族でまとまって生きてきたことが想像できる。そんな家族関係をうかがわせる親密空間である。

(ウォルター・サレス監督)

 ウォルター・サレス監督(1956~)はブラジルを代表する映画監督だが、新作は12年ぶり。(ポルトガル語ではヴァウテル・サレスと読むようだ)。先に挙げた『セントラル・ステーション』が世界的に評価され、各国で映画を作るようになった。アルゼンチンで撮影したチェ・ゲバラの青春期を描く『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004)は僕の大好きな映画。2012年の『オン・ザ・ロード』(ケルアックの原作の映画化)以後12年間の沈黙を経て、今回ブラジルに戻って『アイム・スティル・ヒア』で大成功を収めた。リオとサンパウロという二大都市を描いていることも興味深く、リオの海の魅力、音楽など見どころが多い。

 1970年代のラテンアメリカでは多くの国が軍事独裁政権で、数多くの人権侵害が起こった。アルゼンチンの同じような「強制失踪」を描くルイス・プエンソ監督『オフィシャル・ストーリー』(1985)はアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。チリでは1973年にピノチェト将軍による軍事クーデタが起こり、人権侵害が頻発した。パトリシオ・グスマン監督『チリの闘い』3部作など多くの映画で描かれている。しかし、この映画を見て、昔は「ひどいことがあったな」というだけでは見れなかった。香港で起こったように、いつ「自由」を奪われるか測りがたい。劉暁波氏やナワリヌイ氏のように獄中から戻れなかった人は今も多いのだ。

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映画『美しい夏』、新解釈でパヴェーゼ文学を映像化

2025年08月07日 20時28分09秒 |  〃  (新作外国映画)

 最近ずっと書いてるチェーザレ・パヴェーゼ原作の映画化『美しい夏』(La bella estate)を見て来た。これをきっかけに読み始めたんだから、見ないわけにはいかない。2023年の作品で、ロカルノ映画祭などに出品とあるから受賞はしてない。まあトリノの美しい町並みを見られれば良いぐらいの気持ちで見たら、一応満足できた。1938年と時代が特定されている。もう85年前だが、現代に移し替えて脚色するのではなく、原作の時代性を生かして映画化している。そのことの難しさと面白さを感じる映画だ。

 事前に予告編を見る機会があったが、僕は主演俳優を間違えていた。上記チラシの左側が主役のジーニア(16歳)で、イーレ・ヴィアネッロ(1999~)が演じている。「アリーチェ・ロルヴァケル作品のミューズ」と紹介されていて、昨年公開された『墓泥棒と失われた女神』に出ていたというんだけど、その映画は見てるけど記憶にない。公式ホームページを見ても、紹介されていない。右側のアメーリア(19歳)を演じたディーヴァ・カッセル(2004~)はヴァンサン・カッセルモニカ・ベルッチの娘だという。フランスに住んでモデルをしているという。ところで生まれた年を見ると、配役と実年齢が逆転しているのである。

(自転車でトリノ郊外へ行く)

 この問題はとても重大で、まだ幼さが残る田舎から出て来たばかりのジーニアが、年上のアメーリアと知り合って「大人の世界」へ足を踏み入れていくというのが、この物語の基本設定である。ところが映画を見てもジーニアが16歳とは思えない。演じている女優が24歳なんだから仕方ない。一方年上のはずのアメーリアは確かに身長が高く大人っぽい感じを出してはいる。18歳になるのを待って撮影したというが、それでもジーニアより年上というのは無理がある。気にしないように見ればそれで済む問題かもしれないが、どうもキャスティングに問題があるのではないか。なんて思ってしまったけど、まあ気にしないことにすれば済むのかも。

(湖で出会う)

 原作は心理描写が多く、具体的な描写が少ない。そこで二人は「美しい夏」に湖に皆でピクニックに行った際に知り合うという設定が作られた。珍しくパンフレットを買ったら、トリノ西部の自然公園ピッコロ・ディ・アヴィリアーナ湖で撮影されたと出ていた。アメーリアは別のメンバーとボートに乗っていて、知り合いに気付くと湖に飛び込んで泳いでやってくる。これはまた鮮烈な出会いを創作したものである。またジーニアは洋裁店に勤めるというから、売り子かと思っていたら「お針子」だった。昔のヨーロッパ文学にはそういう設定が多い。だけどポッと出の16歳の少女がドレスの仕立てを任されたりするのは無理があると思う。

(ジーニアとアメーリア)

 このように具体的に描かなければならない映画では、原作にない細かい設定が必要になる。それがあまり生きていない感じがするのである。アメーリアは画家のモデルをしていて、ジーニアも連れて行ってもらう。そこで出会ったグイードに惹かれて、性的にも結ばれる。そこら辺はさすがに現代だけのことはあって、はっきり描ける。その辺りの微妙な男女関係がやがてアメーリアの発病(梅毒である)によって変容していく。そして、結局ジーニアにとってアメーリアは単なる憧れの対象ではなく、同性愛的な感情が隠されていたと解釈している。それが僕には新鮮な解釈に感じられたところで、現代から見た新解釈だと思う。

(ラウラ・ルケッティ監督)

 ラウラ・ルケッティ監督(1969~)にとって長編3作目だが、今までの作品は日本未公開なのでよく判らない。イタリアで非常に人気のあるパヴェーゼ文学にチャレンジしたのはすごいと思う。トリノは古い建物が残っていて撮りやすいと言っているが、それでも都市全景を映すことが出来ず作品世界を狭めた感じもした。トリノはサルデーニャ王国の首都だった町で、イタリア王国統一(1861年)から数年間は全土の首都でもあった。そのような古都にふさわしい宮殿なども出て来る。独特のアーケード街も美しい。今はフィアットなどのある工業都市だが、30年代のファシズム期というムードを感じさせる映像がロケで撮れるのはうらやましい。

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インド映画『私たちが光と想うすべて』、画期的な女性映画

2025年07月29日 20時12分45秒 |  〃  (新作外国映画)

 インドの女性監督パヤル・カバーリヤーの『私たちが光と想うすべて』(All We Imagine as Light)は非常に素晴らしい映画だ。2024年のカンヌ映画祭でインド映画初のグランプリ(第2席)を獲得した作品。ムンバイで働く看護師二人をドキュメンタリー的に描きながら、何か非常に深いものを感じさせる。インド映画も近年はものすごくたくさん公開されるようになったが、それは歌と踊りの大エンタメ作品がほとんどである。昔からインドでは少数ながら、静かなアート系映画も作られてきた。いま(Bunkamura渋谷宮下で)特集上映が行われているサタジット・レイが代表的。しかし、この映画の作り方は世界的に見てもとても新鮮だった。

 まず英語題が素晴らしい。誰でも理解出来る単語で、何だろうと思わせる深さを持っている。監督はもともとドキュメンタリー映画作家で、前作『何も知らない夜』(2021)がカンヌ映画祭監督週間に出品され最優秀ドキュメンタリー賞を獲得したという。(山形国際ドキュメンタリー映画祭でも受賞している。)そういう監督の才能を見込んで、フランス人プロデューサーが出資して共同製作したのである。冒頭はムンバイで働く人々を移動で描き、ドキュメンタリー映画かと思う。次第にある病院にフォーカスしていって、二人の女性看護師がクローズアップされていく。インドの近代的病院で働く看護師も、日々の悩みは尽きない。

(プラバとアヌ)

 看護師長のプラバと若いアヌはルームメイトとして一緒に暮らしている。真面目なプラバは仕事でもしっかりしているが、私生活には悩みがある。故郷の村に帰るとお見合いが用意されていて、初めて会った男と結婚するしかなかった。しかし夫はすぐにドイツに働きに行ってしまい、当初はよく電話があったけれど、いつの間にか音信が絶えている。突然ドイツ製の炊飯器が送られてきたが、これは夫の贈り物なのか。そんな結婚は耐えられないというのが若いアヌで、親からお見合い写真がいっぱい送られてくるが無視している。それどころかムンバイで付き合っている男がいて、それもムスリムだと周りから噂されている。

(アヌと彼)

 ヒンドゥー教徒とムスリムが交際するなど、両親の理解が得られるとは思えない。それでも大都会ムンバイで好きになってしまった。あるとき親が出かけるので家に来ないかと誘われる。「ブルカ」を被れば周囲の人に気付かれないという。そんなものは持ってないが、買って被ればムスリムに見えてしまう。この時は突然の大雨で家には行けなかったが、このような難しい問題を抱えたルームメートは何かと面倒を掛ける存在でもあり、プラバからするとアヌは困った後輩でもあった。

(パヤル・カパーリヤー監督)

 もう一人、病院の料理人パルヴァティが登場する。住居建て替えのため出て行ってくれと言われている。何とかならないか、プラバは弁護士にも相談するが、夫が先に亡くなり証明書類もないため裁判も出来ないと言われてしまう。結局故郷に戻ることになり、ムンバイ南方の海沿いの町ラトナーギリーに向かうが、プラバとアヌも付いていく。そして、アヌの彼氏シアーズも追ってきて、二人はどうなるんだろうか。そして、海で溺れた男がいて、プラバは彼を助けるのだが…。

 非常に小さな声で語られるので、社会的なテーマ性は目立っていない。しかし、この映画はインド映画として画期的な女性映画だと思う。異教徒間の結婚はマニラトラム監督『ボンベイ』のように今までも描かれたが、この映画と違って歌と踊りの大エンタメでもあった。一方、この映画はインド映画には珍しく、キスシーンもあるし性的な描写も(直接的ではないが)出てくる。監督の並々ならぬ勇気を感じる。表面的には「働く女たちの悩みのあれこれ」を寄り添うように描いたドキュメンタリー的な作品。でも全く退屈ではなく、今までに見たことがないインドの実相が見えてきた気がする。美男美女が出て来ないインド映画である。

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映画『ハルビン』、安重根の「伊藤博文暗殺事件」はどう描かれたか

2025年07月04日 20時22分01秒 |  〃  (新作外国映画)

 韓国映画『ハルビン』を見て来た。「ヒョンビン(「愛の不時着」)×ウ・ミンホ監督(「KCIA 南山の部長たち」) アジアを震撼させた歴史的事件を再解釈した極限のサスペンスアクション」とうたっている。題名で判るとおり、1909年にハルビン(中国)で起きた伊藤博文暗殺事件を描く映画である。実行犯安重根(アン・ジュングン)は韓国史の中でも最大級の「民族的英雄」で、映画でももちろん「正しい人物」として描かれている。実際に安重根が教養の高い民族主義者だったのは間違いないが、この映画では安重根と伊藤博文はどのように描かれているだろうか。映画的な完成度とともに、歴史上の史実解釈を検討してみたい。

 映画を見て一番感じるのは、映像美の素晴らしさ。どこで撮影したのかと思ったら、モンゴルだった。またロシア風の建築物などはラトビアで撮影したという。撮影はホン・ギョンピョで、『パラサイト 半地下の家族』や『バーニング』、日本映画の李相日監督『流浪の月』を担当した人である。どれも夜のシーンが素晴らしい印象があるが、今回も冬の「満州」の寒々しいシーンを壮大な映像美で見事にとらえている。2025年のアジア・フィルム・アワードで撮影賞を受賞したのも納得である。

(ハルビン駅頭で)

 冒頭で「大韓義軍」が日本軍を奇襲攻撃し、肉弾戦のすえ制圧する。指揮官(森少佐)を捕虜とするが、直ちに殺害すべきとの進言を安重根は退ける。「万国公法」に従って、捕虜は殺さず撤退時に解放するとしたのである。この「森」が後々まで追い回してくるから、確かに「国際法」を守るのが正しいのか、現在の世界にも通じる大きな問題だ。「大韓義軍」という統一的な抗日組織があったかは疑問だが、このエピソードは獄中で書いた「自伝」にあるという。(「大韓義軍」は安重根が主張した組織。)

(安重根)

 安重根に関しては大昔にソウルの南山タワーにある安重根義士記念館を見たが、詳しくは覚えていない。何回か映画になっていて、『義士安重根』(1972)という大作映画を見た記憶がある。今回の特徴は森が密偵を義軍に入り込ませたらしいが、それが誰か判らないという不安が義軍内に満ちていることである。もちろん歴史的事実を知っている我々は、安重根がその密偵であるはずがないことを前提にして見るが、当時の人には判らないから安重根を疑う人もいる。この疑心暗鬼が映画の大きなテーマとなる。

 一方、伊藤博文リリー・フランキーが演じていて、なかなか立派な人物に描かれている。もっとも日本人俳優が演じているのは伊藤博文だけで、他の日本軍人は韓国人俳優がやっていて少しセリフに違和感がある。まあ、それはともかく、やはり韓国の安重根映画によくあるように、この映画でも基本的には伊藤博文を「韓国併合を推し進めた最大の悪役」として描く。史実としては、伊藤はむしろ「併合不要論者」であったが、「ハーグ密使事件」後に桂太郎首相小村寿太郎外相によって併合が進められた。伊藤も最終的には併合に同意したが、伊藤博文こそが「極悪なる日本帝国主義の代表象徴」というのはちょっと間違いだろう。

(リリー・フランキー)(実際の伊藤博文)

 リリー・フランキーはまあ似ているんだけど、昔の「千円札」を覚えている世代としては物足りない感じもする。もちろん何もそっくりさんを見せる必要もないけれど。伊藤博文がハルビンを訪れた目的も、そこで韓国併合をロシアに認めさせるためではない。会談相手はロシアのココツェフ大蔵大臣で、そういう外交案件を話す相手じゃないだろう。1905年に日露戦争が終わるが、日本国内にはロシアへの警戒心が強く残った。しかし、1909年という年はもう第一次世界大戦の5年前である。1907年には日露協約が結ばれた。同じ年に英露協商が結ばれ、英仏露の「三国協商」時代となる。世界は英独対立が分断軸となっていたのである。

 映画は時間の制限もあり、史実を多少簡略化して描くことが多い。だから幾分かのフィクションはやむを得ないと考えるが、この映画も「伊藤博文の単純化」を行っているわけである。ただ現在は単純な「義軍」対「日本帝国主義」の図式的な映画を作る時代じゃない。先に述べたように、義軍内部の人間関係、疑心暗鬼を壮大な映像に託して描くのが特徴。しかし、いくら内部でグチャグチャあっても、安重根が伊藤暗殺を成功させるという結末は決まっているので、ラストに向けての盛り上げが難しい。

 この映画は安重根の裁判を全く描かないけれど、むしろそこを描く方が深みが出るかもしれない。安重根は伊藤博文がいかに奸物であるか告発しているが、現代の歴史研究では否定されているような点(伊藤が孝明天皇を暗殺したとか)も多い。だけど、裁判を通して多くの日本人看守との関係が出来て、安重根の書を貰った人もいる。『マンデラの名もなき看守』のように、看守の目から見た安重根の獄中生活を描く映画も興味深いだろう。史実を基にした映画は難しいが、映像美には満足出来た映画。

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『季節はこのまま』『秋が来るとき』、魅惑のフランス映画、その光と影

2025年06月11日 21時50分39秒 |  〃  (新作外国映画)

 オリヴィエ・アサイヤス監督の『季節はそのまま』とフランソワ・オゾン監督の『秋が来るとき』が公開されている。どちらもフランス映画の醍醐味を凝縮するような映画で、あまり大きな上映じゃないけど紹介しておきたい。フランス映画界も昔の巨匠監督や大物俳優が亡くなってしまって、日本で知名度が高い人はほとんどいないかと思う。中ではこの2監督はコンスタントに作品を発表して、日本でもそれなりに公開されてきた。両作とも凄い傑作とは言えないだろうが、感じる所の多い出来栄えだった。

 『季節はそのまま』は題材的に世界初の映画かも知れない。特に大きなドラマはなくシネマエッセイ的な作品だが、わずか5年前のことだが皆がもう忘れている「コロナ禍の日々」を記録する映画である。2020年4月、フランスでも「非常事態宣言」が出された。映画監督ポール音楽ジャーナリストエティエンヌの兄弟は、亡父母が遺したノルマンディーの家に籠ることにした。家の周囲に咲き乱れるライラックや藤、モクレンなどの花々が美しく、こんな美しい村がフランスにあるのかと思った。

 さすがフランスと言うべきか、2人とも離婚していて今は別の恋人がいる。その女性を交えて4人で共同生活をすることになったのである。兄弟は少し意見が違うが、恋人たちがいることで決定的な衝突にはならない。その「違い」というのは、例えばAmazonで買うなとか、ネットで買ったら外に4時間以上置いておけ(要するに紫外線でウイルスを消毒できるとネット情報を得た)とか、乳製品はそんなに置いといたらかえってサルモネラ菌などが心配だとか…。要するにフランスにも過度の心配性もいれば、コロナウイルスだけ過剰に心配しても意味がないと思うタイプもいた。事ごとにそういう「あるある感」を呼び起こす映画だった。

(コロナ禍に散歩の日々)

 映画製作や音楽コンサートはどっちもコロナ禍には中止になって、2人とも仕事が出来ない。だがポールが最後に述懐するけれど、この日々は「奇跡的な幕間」だった。人付き合いが得意なタイプじゃない自分には、恋人と(元妻と交代でやって来る娘もいるが)閉じこもる日々はそんな悪くなかった。日々の「仕事」は皆ネット越しに行われ、スマホも手放せない。そんな現代のパンデミックを後の世に伝える意義がある。兄弟どちらも知的な仕事をしていて映画、音楽、小説などの話題も多い。ポールなんか今読むべき本に、清少納言の『枕草子』と紫式部の『源氏物語』(ホントは読んでないのに)を挙げるぐらい。一般庶民の話ではない。

(オリヴィエ・アサイヤス監督)

 オリヴィエ・アサイヤス監督(1955~)は元々評論家で、台湾のホウ・シャオシェンを世界に紹介した人でもある。『夏時間の庭』『カルロス』『アクトレス~彼女たちの舞台』などの作品がある。『イルマ・ヴェップ』に主演したマギー・チャンと1998年から3年ほど結婚していた。離婚後の2004年に、『クリーン』でマギー・チャンはカンヌ映画祭女優賞を取った。その後2009年から16年まで、ミア・ハンセン=ラヴ監督と結婚していた。2016年にはクリステン・スチュワート主演の『パーソナル・ショッパー』でカンヌ映画祭監督賞。映画内でスチュワート主演で新作とか言ってる。業界話も多く、そういうおしゃべりも楽しい映画。

 フランソワ・オゾン監督『秋が来るとき』はブルゴーニュ地方を舞台にして、もっと大変な状況にいる人々が出てくる。しかし、冒頭のキノコ狩りに行く紅葉の森は素晴らしく、『季節はこのまま』と同じくなんて美しい国だろうと思う。『季節はこのまま』は春の映画なのに対し、『秋が来るとき』はまさに題名通り「秋」の映画である。つまり、風景だけでなく「人生の秋」も意味する題名なんだろう。パリのアパートを娘に譲って、田舎暮らしをしている80歳のミシェルには親友のマリー=クロードがいる。

 淡々と田舎暮らしの老女を描く映画かと思わせて、実はミシェルと娘ヴァレリーは不和状態。マリー=クロードも実は息子ヴァンサンが刑務所にいて、何とも大変な状況である。そして2人には実は過去のいきさつがあることが判ってくる。久しぶりに娘が孫のルカを連れてやって来たとき、「事件」が起きかける。この映画では「良かれと思ってやったこと」が問題をこじらせる。世界中どこに国でも同じような悩みがある。ヴァンサンが仮出所して、事態はさらに複雑に。ミシェルは何とかヴァンサンを手助けしたいと思っているが、果たしてその好意は報われるんだろうか。そして思わぬ形でヴァレリーに悲劇が襲うが、その真相はいかに。

(孫と暮らす日々)

 人生にはいろいろなことがある。今さら言われなくても誰でも知っているが、それでも美しいフランスの田舎暮らしの中にも「現代」がある。親子の不和、子育ての悩み、健康不安、年をとると悩みも多い。スマホを手放せない若い世代への苛立ち、ミシェルは一生懸命生きてきたと思うが、子どもから見れば間違ったことも多い。「過去」は変えられないが、人間は過去に縛られて生きている。この映画には書けない仕掛けが多いが、別に難しい映画じゃない。心に沁みる「人生の秋」の映画だ。

(フランソワ・オゾン監督)

 フランソワ・オゾン監督(1967~)は2000年の『まぼろし』以後、『8人の女たち』『スイミング・プール』などで評価された。その後の作品は数多く、ミステリーあり、社会派あり、青春映画ありと様々な作風の映画を作って来たので、どうも今ひとつカラーがはっきりしない。今回も社会派風のところもあるが、久しぶりに『まぼろし』みたいな描写もある。美しい自然の中で、人間の生と死を見つめる今回の映画は日本人好みなんじゃないかと思う。フランス映画ファンを越えて見て欲しい映画。

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映画『サブスタンス』、ルッキズムとアンチエイジング

2025年05月29日 20時20分34秒 |  〃  (新作外国映画)

 アカデミー賞作品賞にノミネートされた『サブスタンス』という映画が上映中。2024年のカンヌ映画祭脚本賞受賞作で、フランス出身の女性監督コラリー・ファルジャが高く評価された。最近ちょっと風邪気味で、遠くまで行く元気がないので近くの映画館にこの映画を見に行った。ラスト近くはかなり気色悪いSFホラー映画になるので、全員にはお勧めしないが、現代社会のルッキズムとかアンチエイジングについてアメリカのテレビ業界を舞台に考察している。面白いけど、かなり長い。

 エリザベス・スパークルデミ・ムーア)は昔オスカーを取った女優らしいが、その後はエアロビクス番組で人気を得ていた。しかし、50歳の誕生日を迎えて容姿の衰えを隠せなくなり、テレビ局から突然降板を宣告される。自分の看板が撤去されるのを見たショックで、思わず交通事故を起こしてしまうが幸い軽症で済んだ。しかし、運ばれた病院で男性看護師から「若さと美しさ、完璧さ」を得られるという「サブスタンス」という薬品の宣伝USBメモリを渡された。一度は捨てたもののどうしても忘れられないエリザベスは電話してしまう。送られた来た住所を訪ねると廃ビルだったが、その中に秘密のロッカーが置かれていた。

(エアロビクス番組のエリザベス)

 ロッカーにあった箱を持ち帰ると、幾つもの注射が入っていた。二度と戻れないと注意されていたが、エリザベスはついに注射を自分で打ってしまう。そうすると背中が裂けてきて、そこから新しく若い女性が出て来た。彼女は「スー」(マーガレット・クアリー)と名乗って、圧倒的な若さを誇っていた。まあ、違う女優が演じているんだから反則技みたいなものだが、突然現れたスーはエリザベスに代わる人を求めるオーディションに合格し、圧倒的な人気を得てしまう。ただし、大問題があり「サブスタンス」は一週間ごとにエリザベスとスーが入れ替わるというのである。人気者になったスーにとって、これは困った事態だった。

(左=エリザベス、右=スー)

 エリザベスとスーは実は同一人格を有している。しかし、スーの利害がエリザベスと対立するようになっていく。同一人物の人格が分裂するというと『ジキル博士とハイド氏』を思い出すが、あれは人の心の中にある善悪の分裂である。一方、この映画では違法な薬物を使用するというSF的設定を持ち込むことで、同じ人物の「50歳の現実」と「若い頃」を対立させている。スーはエリザベスの身体から「安定液」を取り出し、自分に注射するすることで自分の時間を長くする裏技を見つける。しかし、それを使うたびに意識が戻ったエリザベスは予想以上に老化が進んでしまうのである。どんどん「老婆化」してしまうエリザベスだった。

(『ゴースト』1990のデミ・ムーア)

 スーは大みそかの番組司会者に抜てきされたが、その頃にはエリザベスの「安定液」が枯渇してしまった。二人は争った挙句、スーはもう一回「サブスタンス」を自分の注射してみたのだが…。そこからは昔のクローネンバーグ映画のような展開となり、アカデミー賞ではメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しただけのことはある気色悪いシーンになる。主演のデミ・ムーア(1962~)はは現実にはすでに60歳を越えているが、元気にエアロビを披露している。昔は『ゴースト』『ア・フュー・グッドメン』などで主演級の役をやっていたが、次第に助演級が多くなった。今回はオスカー当確と言われながら逃してしまった。

(コラリー・ファルジャ監督)

 コラリー・ファルジャ監督は2017年に『リベンジ』という映画を作っていて日本でも公開されている。見た覚えはないけれど、今回の映画はそれ以来の長編劇映画らしい。この映画は非常に興味深いシナリオだと思うけど、途中で展開が予測出来るからラスト近くのシーンが長すぎると思う。スーが通常の意味で「成功」して終わるわけがないのである。それが142分もあるというのは、最後が長いなと思う。テレビ界における「ルッキズム」の問題を取り上げていると言えるが、本質は「アンチエイジング」をめぐる考察とも言える。誰しも「老化」に抗することは出来ないが、やはり「若さ」を求め続けてしまうのだろうか。

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ジャ・ジャンクー監督の『新世紀ロマンティクス』、移りゆく中国を見つめて

2025年05月22日 21時37分29秒 |  〃  (新作外国映画)

 中国の巨匠ジャ・ジャンクー賈樟柯、1970~)の新作映画『新世紀ロマンティクス』(風流一代)を見た。日本では今、ロウ・イエ監督の『未完成の映画』、ワン・ビン監督の『青春ー苦ー』『青春ー帰ー』も公開されている。どれも中国では公開されていないという。中国社会を深く見つめた映画をその国の人が見られないのは悲劇である。取りあえず地理的に近い日本で見られる環境があるのは望ましいことだろう。だから中国から見に来る人が多いという話もあったけど、今日はガラガラだった。

 ジャ・ジャンクー監督の映画は公開されるたびに書いてきた。『罪の手ざわり』『山河ノスタルジア』『帰れない二人』だが、どれも壮大な風景を背景に人間存在を見つめる映画だった。もちろん最高傑作は2006年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞の『長江哀歌』だが、『新世紀ロマンティクス』は直接『長江哀歌』とつながっている。今回の映画は「新世紀」と邦題が付くように21世紀冒頭から描かれている。しかし、「今の中国」にロケ、またはセットで20数年前を再現しているのではない。かつての映画撮影時の映像、あるいは昔の映画そのものを使っているのである。それも「引用」ではなく、新しい映画として使っている。

(長江の絶景)

 その意味では世界映画史にかつてない手法を使っているわけだが、それもこれも監督の映画では監督夫人でもあるチャオ・タオ趙濤)が主演することが多いので、それらの映画の映像(あるいはメイキング映像)をつなげれば中国現代史のクロニクルになるわけである。2001年、内陸(山西省)大同で恋人となったチャオとビン(リー・チュウビン)は期待にあふれている。内陸の炭坑都市大同ではまだ開発が進んでいない。そんな大同に見切りを付けたビンは開発が進む三峡ダム地域で「一旗揚げたい」と去って行く。2006年、連絡も途絶えがちなビンを探しにチャオは長江をさまよい、もうすぐ水に沈む奉節を訪れた。

(ジャ・ジャンクー監督)

 この辺りは『長江哀歌』と同じなわけだが、改めて壮大な風景を見ると感慨を覚える。ビンはなかなか浮かび上がれず、怪しい仕事に関わっているらしい。テレビの尋ね人コーナーを通してビンに連絡がついたチャオは、もう関係を諦めたと伝えるのだった。そこから16年、2022年の中国はコロナ禍の真っ只中である。マスクをして飛行機に乗ったビンは珠海(マカオに隣接した経済特区)に仕事探しに出かける。しかし、結局うまい話などどこにもなくビンは大同に戻ってくるのだった。チャオは大同でスーパーのレジをしていて、ビンと再会する。スーパーではロボットが活躍する時代になっているが、二人は時代に取り残されているのか。

(スーパーのロボットと)

 ホームページを見ると、「ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズ吉田喜重と岡田茉莉子ロベルト・ロッセリーニとイングリッド・バーグマンのように、妻である女優を主演に映画を撮り続けるジャ・ジャンクー」と書いてある。ジャ・ジャンクーとチャオ・タオも世界映画史に残る監督と女優ペアというわけだが、確かに8本も共同で撮っているというから名コンビに違いない。ただジャ・ジャンクー監督の映画にはメロドラマの要素はほとんどない。ただひたすら中国内陸部で苦闘している若者たちを撮り始め、その後長江中流域からオーストラリア(『山河ノスタルジア』)へと視野を広げながら同時代を生きる苦しさを描いてきた。

 『新世紀ロマンティクス』は2024年のカンヌ映画祭コンペ部門に出品されたが無冠に終わった。カンヌに出せるんだから、中国で映画製作が禁止されているわけでもないらしい。政治的な要素が強い映画ではなく、その意味ではロウ・イエやワン・ビンのような完全なインディペンデント映画ではない。なぜ中国で公開できないのか判らないけれど、こういうアート映画市場が形成されてないのかもしれない。DVDでは見られるんだろうか。しかし、ジャ・ジャンクーの壮大な映像美は映画館で見るべきものだ。今回の映画はまあ既視感が先に立つ面は否定できない。でもジャ・ジャンクー監督の映画は見続ける必要がある。

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映画『クィア』、ダニエル・クレイグ主演でバロウズ原作を映像化

2025年05月19日 21時45分36秒 |  〃  (新作外国映画)

 時間があるとつい昔の映画を見に行ってしまうんだけど、興味深い新作映画も時々見ている。ルカ・グァダニーノ監督の『クィア』(Queer)はそんな映画の一つで、ウィリアム・バロウズの原作を独自の表現で映像化した作品。2024年のヴェネツィア国際映画祭のコンペに選ばれたが無冠に終わった。受賞した『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』や『ブルータリスト』と比べると確かに弱いと思うが、この映画の独特のムードも捨てがたい。主演のダニエル・クレイグはゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)にノミネートされた。21世紀のジェームズ・ボンドのイメージを覆すようなドラッグ中毒の同性愛者を好演している。

 原作はアメリカ人、監督はイタリア人だが、映画はラテンアメリカで撮影された。最初はメキシコシティで、1950年代を再現するかのような淡い光に満ちた町の風景が心に残る。映画評にエドワード・ホッパー風の画面と出ていて、なるほどちょっとそんな感じ。紹介文をコピーすると、「退屈な日々を酒や薬でごまかしていたアメリカ人駐在員のウィリアム・リーは、若く美しくミステリアスな青年ユージーン・アラートンと出会う。一目で恋に落ちるリー。乾ききった心がユージーンを渇望し、ユージーンもそれに気まぐれに応えるが、求めれば求めるほど募るのは孤独ばかり。」ユージーンはドリュー・スターキーという新人である。

 原作者のウィリアム・バロウズ(1914~1997)は50年代のビート・ジェネレーションを代表する一人だが、同性愛、薬物中毒などを独自の文体で描き出したので、なかなか出版できなかった。妻を射殺する事件を起こすなどスキャンダルも多かった。『裸のランチ』が有名だが、アメリカ政府から発禁処分を受けた。日本では鮎川信夫訳で刊行され、今は河出文庫に入っているけど読んでない。デイヴィッド・クローネンバーグ監督によって映画化されたが、それも見てない。つまり僕はバロウズをほとんど名前だけしか知らない。『クィア』は『裸のランチ』以前の50年代初期に書かれながら、刊行されたのは1985年だった。

 この映画の本当の面白さは後半にある。前半は中年男の孤独な心性が中心で、性的マイノリティの目に映るメキシコシティがうら寂しいぐらい。そのような状況を打破しようと、「リーは一緒に人生を変える奇跡の体験をしようと、ユージーンを幻想的な南米への旅へと誘い出すが──」という展開が凄いのである。奇跡の薬物を求めて二人はエクアドルのジャングルに赴く。そこで謎の植物学者を紹介されるが、そのコッター博士レスリー・マンヴィル)という女性が大迫力なのである。密林に住んで研究を進める学者というのは、けっこういろんな映画に出て来るが、この人が一番凄いかも。そして謎の植物を試すと、これも凄まじい。

 60年代、70年代の前衛映画っぽいマジカルな幻覚体験が描かれて、何だか全体に懐かしいのである。ただし、あの頃はまだ本格的に描けなかった同性愛描写がこの映画では全面的に描かれている。そのことを俳優も観客も受け入れられる時代になったのである。そしてその幻覚への旅が興味深くて、アメリカ先住民の知識を求める「白人」がジャングルを旅するのである。ただ、その旅が終わると「エピローグ」になって、結局リーは再び数年後のメキシコシティに現れるが孤独な感じである。数年前の熱狂的な季節は過ぎ去ってしまったのか。ほぼ「自伝」的な要素が強いとされるらしいが、原作を読んでみたくなった。

(左から、スターキー、ルカ・グァダニーノ監督、クレイグ)

 ルカ・グァダニーノ監督(1971~)はイタリアで『ミラノ、愛に生きる』『胸騒ぎのシチリア』などを撮った後、2017年の『君の名前で僕を呼んで』で世界に知られた。ティモシー・シャラメを一気にスターにした美しい同性愛映画で、イタリアを舞台にした英語映画だった。その後は『サスペリア』『ボーンズ アンド オール』『チャレンジャーズ』などの英語映画を作っている。でも見てないというか、ほとんど記憶にない。どっちかというとホラー的なエンタメ作らしいが、今回は今までになく独自性の強い映画だ。どことなく懐かしさの漂うところに心惹かれる。あまり一般的じゃないと思うので、すぐ終わっちゃいそうだけど。

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映画『シンシン』、刑務所の中の演劇プログラム

2025年04月16日 20時25分00秒 |  〃  (新作外国映画)

  『シンシン/SING SING』(グレッグ・クウェダー監督)という映画を見たけど、こういう邦題は何とかしてほしいなと思う。『ANORA アノーラ』とか、単にカタカナだけで済むのにわざわざ原題を付けるのは何故だ? それはともかく、「SING SING」とは何だろうか。ついカーペンターズの歌が脳内に鳴り響いてしまうんだけど、これはその「sing」じゃなくて、「シンシン」というニューヨーク州にある重罪刑務所の名前である。ニューヨーク北方、ハドソン川沿いにあって先住民の地名だという。

 そのシンシン刑務所内で、「演劇による更生プログラム」を受ける囚人たちを描く映画なのである。2025年のアカデミー賞で主演男優賞、脚色賞、歌曲賞にノミネートされたが無冠に終わった。主演など主要人物はプロの俳優が演じているが、大部分の「助演」をしている人たちは、クレジットを見ているとほぼ「as himself」、つまり本人が演じている。つまり実際に演じた囚人たちである。いや、驚き。主演のコールマン・ドミンゴはプロ俳優だが、無実を主張して仮釈放を申請しながら、演劇プログラムの中心になっている。自分で脚本を書いちゃうぐらい才能豊かで、アフリカ系囚人たちの相談にも乗っているリーダー的な存在。

(主演のコールマン・ドミンゴ)

 一つの公演が終わると、余韻に浸る間もなく次の公演に取り組む。そのために新人を募集すると、新しく入ってきたのがクラレンス・“ディヴァイン・アイ”・マクリンというギャングである。この人が本人の自演だというので、ビックリした。そして次に何をやるか、シェークスピアがいいとか嫌いとか。いつも悲劇が多いから、今度は喜劇をやりたいという声が出て、外部から招かれた演出家がタイムトラベルものの脚本を執筆した。大昔のエジプトの王子をやりたいとか、ハムレットがいいとかいう皆の意見を取り入れて、タイムトラベルになっちゃったのである。そして皆でレッスンを始めるが、果たしていろんな問題が起きてくるわけである。

(演劇グループの人々)

 「脚色賞」というのは、原作がある脚本を対象にする。この映画の原案は、ジョン・“ディヴァインG”・ホイットフィールド、つまり主演のコールマン・ドミンゴが演じた人物の実体験である。この映画は完全に実話の映画化で、ラストに実際の映像が出て来る。だから、ある種『ドライブ・マイ・カー』刑務所版みたいな、演劇レッスン映画になっている。ところがラストで舞台が大成功して万々歳という場面はない。そこへ至るまでの様々な葛藤が主眼なんだろう。展開が多少予測通りというか、実際に受賞した『教皇選挙』の先読み不能な面白さに比べてしまうとやはり弱いと思う。しかし、この映画の力は「実話性」なのである。

(シンシン刑務所)

 フランスで2020年に作られた『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』(2022年公開)という映画も刑務所内の演劇活動を描いていた。こちらは売れない俳優が頼まれて『ゴドーを待ちながら』を演じて、何と外部公演まで実現するという話だった。これはスウェーデンの実話だという。エンタメ映画的には、刑務所外に出られるところでドラマ性があった。またタヴィアーニ兄弟監督のベルリン映画祭金熊賞受賞の『塀の中のジュリアス・シーザー』(2012)もあった。つまり21世紀の10年ちょっとの間に、囚人たちの更生プログラムとして演劇を取り入れるという映画が3本もあったのである。

 僕が今回一番感じたのは、こういうのって日本でもやってるんだろうか?ということだ。もちろんやってないだろう。どこでも聞いたことないから。よく刑務所に歌手、俳優、お笑い芸人などが慰問に行くという話は聞く。だけど「感動的」な講話を「謹聴」させることがほとんどじゃないだろうか。それは学校教育だって同じようなもので、外部から招いて講演を企画することは多いけど、その外部講師を継続して呼んで、演劇やダンスなどを作り上げるなんてことはないと思う。時間も予算も不足しているはず。

 せっかくお笑い芸人が慰問に来てくれるなら、有志を募って囚人コンビを作って稽古してもらうとか、そんなことが出来ると「更生」に役立つように思う。特に「演劇」は役立つはずだ。自分の身体を客観視して「演技」をするという力は、社会へ戻って力になるはずなのである。『シンシン』に関しては、実話だからホントに出来るのかというドキドキはない代わり、囚人たち本人がやってる真実の迫力がすごい。こういう問題に関心がある人しか見ないんじゃもったいない。しかし、多分日本の現場でこういう試みをやれるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうだなあと思ったのも事実である。

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映画『エミリア・ペレス』、トランスジェンダーと麻薬戦争のミュージカル

2025年04月02日 21時38分10秒 |  〃  (新作外国映画)

 ジャック・オーディアール監督の『エミリア・ペレス』という映画。今年の米アカデミー賞で13部門にノミネートされ、助演女優賞、歌曲賞を獲得した。2024年のカンヌ映画祭では審査員賞を獲得した。アカデミー賞やカンヌ映画祭で受賞したからと言って、傑作とは限らない。まあ、好みもあるだろうが半々ぐらいの確率じゃないか。しかし、審査員によって差が大きい映画祭に比べ、近年は10本も選ばれる「アカデミー賞作品賞ノミネート」はなかなか粒ぞろいのことが多い。力作、傑作に加え、昨今は外国語のアート映画も入っているし、エンタメ系大作も選ばれるわけで、参考にはなると思っている。

 で、『エミリア・ペレス』。間違いなく面白いし、絶対に今まで見たことがない映画だろう。内容的にも方法的にも、これほどぶっ飛んだ映画も珍しい。とにかく「やり過ぎ」が続くので、「風刺コメディ」として見る以外にない。何しろ本格的なミュージカル映画なのである。まるでインド映画みたいに歌って踊るけど、作品世界に社会性というか幾つもの問題をはらんでいる。簡単に言えば、メキシコの麻薬カルテルのボスがいる。残虐で知られた「彼」は、実は幼い頃から性別違和感を抱えていたトランスジェンダーだった。そして、ある弁護士を見つけて、世界のどこかで秘密裏に性別適合手術を受けられるようにせよと命じる。

(主演のカルラ・ソフィア・ガスコン)

 それだけでもぶっ飛んでいるが、さらに4年後。恐れられたボス「マニタス」は死に、「エミリア・ペレス」はメキシコに帰りたい。スイスに避難させた妻子があって、今度は「いとこ」と称して引き取るのである。そして、ある日偶然「失踪」した息子を探す母親に出会い、深く心動かされたエミリアは失踪者を捜す団体を起ち上げて活動を始めるのである。しかし、失踪というのは麻薬戦争の中で起こったものだ。前半生が麻薬王だった人物が携わっても良いものか? それを何となく納得して見てしまうのは、手術医探しで知り合った弁護士リタ(ゾーイ・サルダナ)の存在感が大きいと思う。アカデミー助演女優賞受賞。

(リタとエミリア)

 ジャック・オーディアール(1952~)は日本では受けが悪い監督だが、2015年に『ディーパンの闘い』でカンヌ映画祭パルムドールを受けている。その後、異色西部劇『ゴールデン・リバー』を作った。他に作品に『真夜中のピアニスト』『預言者』などがあり、世界の映画祭で受賞している国際的な監督である。フランス人だが、この映画はスペイン語映画。そしてメキシコではなく、パリ郊外の大セットで撮影された。エミリア役のカルラ・ソフィア・ガスコンは実際にトランスジェンダーだという。そしてアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた初のトランス女優。受賞できなかったのは、何もトランプ政権の影響とかではない。

 ガスコンのかつての反イスラム、反アジア、反カタルーニャなどのツイートが明るみに出て、人種差別発言だと大問題になったのである。その結果、北米配給権を獲得したNetflixが受賞に向けた活動を下りると発表したのである。これは受賞レース全体に影響を与えたと思われる。フランスのセザール賞やヨーロッパ映画賞では作品賞を受けているし、アカデミー賞前哨戦と言われるゴールデングローブ賞ではミュージカル・コメディ部門で作品賞を受賞した。結果的にカンヌ映画祭でもアカデミー賞でも『エミリア・ペレス』は『アノーラ』に最高賞を譲ることになった。僕はこの結果は順当だと判断する。勢いと本当らしさに差がある。

(ジャック・オーディアール監督)

 トランスジェンダーの問題以上に、メキシコの麻薬戦争の扱いに問題がある気がする。メキシコ人俳優は誰もいなくて、メキシコロケもなかった。それでも良いんだけど、いかにもメキシコは危なそうで、確かに実際にある問題だけれどメキシコでは批判されたという。かつての麻薬カルテルのボスが性別適合手術を受ければ、今度は善人になってしまい非政府組織のヒロインになるという設定は風刺としても受け入れられるか? ただ男性時代に性別違和感を感じるがゆえに、なおさら残虐に振る舞ってしまいボスにまで成り上がったというのは判る気がする。その頃に結婚して子どもも生まれたというのは、そういう人はいっぱいいるだろう。

 映画なんだから何を描いても良いわけだが、どうも『エミリア・ペレス』は評価が難しい映画だ。しかし、絶対に見たことがない、二度と見ることもないミュージカルだと思う。これを舞台化しようとする人も出て来ないと思う。間違いなく「インド映画のように」面白い映画ではある。僕はちょっと後味が悪いかなと思ったけど、大問題作として落とせない映画である。

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映画『教皇選挙』、葛藤渦巻く極上「ミステリー」

2025年03月29日 21時49分56秒 |  〃  (新作外国映画)

 面白そうな映画が毎週公開されて、見る方も大変だが頑張って見ている。(お芝居や寄席に行く原資が欠乏してきた。)もちろん『ウィキッド ふたりの魔女』も良かったが僕が書く必要もないだろう。予想以上に面白かったのがエドワード・ベルガー監督『教皇選挙』。地味目ながら、興収ベストテンにも入って驚かされた。登場人物の葛藤の面白さでは、今年のアカデミー賞作品賞候補の中で一番かも。題名通りの映画だが、単にカトリック教会の内情を描くだけではなく、現代世界に通じる問題意識がある。

 米アカデミー賞でピーター・ストローハン脚色賞を受賞した。この人を調べてみると、ジョン・ル・カレ原作の映画化『裏切りのサーカス』の脚本を書いた人。なるほど、どうなるか展開の読めないハラハラが続くのは脚本の手腕か。原作はロバート・ハリス(未訳)で、2016年に出た。ハリスはポランスキー監督の『ゴーストライター』などの著書があるイギリスのミステリー作家である。この映画をWikipediaで調べたらミステリ映画とあって、あれミステリーなのかなと思ったが、原作者を見ても「狭義のミステリー」なのである。英米資本で作られた英語映画で、作家の映画ではなく練り込まれたエンタメだったのである。

(選挙を仕切るローレンス枢機卿)

 ローマ教皇が突然亡くなり、次の教皇選びが始まる。その選挙を「Conclave」(コンクラーベ)と呼び、長く続くことが多いので、日本のマスコミはよく日本だけしか通じないコンクラーベは根比べとダジャレを書くことになるわけだ。現在の第266代教皇フランシスコは5回目で選出された。何で長いのかというと、立候補制度がなく、当選には3分の2を要するからである。2024年の自民党総裁選は立候補者が9人もいたが、過半数を得た者がいないときは上位2人で決選投票を行うという制度なので、その日のうちに決まったわけである。ちなみにコンクラーベとはラテン語で「鍵が掛かった」という意味だそうである。

(アフリカ初か?)(保守派か?)

 最初から登場して選挙を仕切るのが、教皇庁首席枢機卿ローレンスレイフ・ファインズ)である。内閣官房長官みたいな役どころか。有力者とみなされているのは、リベラル派のバチカン教区ベリーニ枢機卿、保守派のヴェネツィア教区テデスコ枢機卿、穏健保守派のモントリオール教区トランブレ枢機卿、初のアフリカ系教皇を狙うナイジェリア教区アデイエミ枢機卿などである。枢機卿(すうききょう、すうきけい)は教皇の最高顧問として120人をメドに任命され、80歳を超えると投票権を失う。今まで日本人も7人在職していて、2人が現任。英語では「Cardinal」で、大リーグ球団セントルイス・カージナルスの由来だそう。

(アフガニスタンから参加)

 枢機卿は公表されているわけだが、映画では突然新枢機卿が登場する。それがコンゴ、イラク、アフガニスタンで宣教してきたベニテス枢機卿で、アフガンにカトリック教会の活動があるの? あまりに危険な布教なので教皇が秘密裏に任命したとのことで、正式な任命書を持参していた。いよいよ投票が始まるが、なかなか当選が決まらない。それどころか、有力者に「秘密」や「スキャンダル」が発覚して先行きが読めない。ミステリーと言っても、殺人のような狭義の犯罪が起きるわけじゃない。だけど、登場人物の謎が謎を呼ぶ展開が続くのである。そして「改革派」と「保守派」の深い分断が存在することも明確になってくる。

(イザベラ・ロッセリーニ)

 ところでカトリック教会では女性司祭を認めず、その事が大きな問題となっていて、女性の権利拡大はなかなか進んでいない。枢機卿ももちろん男だけで、いくら何でも現代の会議とは思えない。しかし、コンクラーベでは女性シスターも大きな役割を果たしている。枢機卿も食べなくてはならず、料理を準備したりする役はシスターたちなのである。シスターの責任者アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)は「神は私どもにも目と耳を与えた」と語り、枢機卿たちのふるまいを見ている。まさに「シスターは見た」という感じで重大なセリフがある。総計7分間の出演シーンだが非常に印象深く、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。

(エドワード・ベルガー監督)

 監督のエドワード・ベルガー(1970~)は2022年に『西部戦線異状なし』でアカデミー賞国際長編映画賞を獲得した。第一次大戦を描く有名な小説、映画のリメイクだが、配信だけなので見てない。どういう人だか全然知らないけど、見事な人物造形に驚いた。主演のレイフ・ファインズは『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。この作品で28年ぶりにノミネートされたが受賞は出来なかった。アカデミー賞では他にも編集、美術、衣装デザイン、作曲など計8部門でノミネートされた。会場となるシスティーナ礼拝堂などのセットが素晴らしく、技術部門が高く評価されたのも納得。

 カトリック教会は多くの問題を抱えている。他宗派などとの協調、性的マイノリティや妊娠中絶などへの対応、女性司祭を認めるかなどの他、男児への性暴力などが明るみに出て隠ぺい疑惑が起こっている。そういう中で、何を「保守」して、何を「改革」するべきか。トランプ時代に「多様性」を擁護するとはどういうことか。この映画の真のテーマもそこにあるだろう。なお、教科書などでは「教皇」と呼ぶものの、日本のマスコミは長く「ローマ法王」と表記してきた。2017年に公開された『映画「ローマ法王になる日まで」』までは「法王」だったのである。ようやく「教皇」と表記するようになったかと感慨を覚えた。

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アニメ映画『Flow』、ハンパなき没入感と映像美

2025年03月25日 21時29分44秒 |  〃  (新作外国映画)

 『Flow』というアニメ映画を見てるだろうか? これはちょっと驚くような映画で、凄いなあと感心してしまった。2025年のアカデミー賞長編アニメーション映画賞受賞作である。ゴールデングローブ賞も受賞していて、アメリカのアニメ界を席巻する勢いである。アカデミー賞の長編アニメ賞は2001年から制定された賞で、大体は『アナと雪の女王』などディズニー作品か、ドリームワークスなどアメリカの会社が取っている。その中で、ジブリが『千と千尋の神隠し』と『君たちはどう生きるか』で2回受賞したのは快挙。さて、今回の『Flow』は何とラトビアのアニメーター、ギンツ・ジルバロディスという人の作品なのである。

 ラトビアってどこよという人のために、一応地図を下に載せておきたい。バルト3国の一つで、北がエストニア、南がリトアニアである。エストニアは大相撲にいた元大関把瑠都(ばると)の出身国、リトアニアはその昔杉原千畝がユダヤ人のためにビザを発給した国である。じゃあ真ん中のラトビアはというと、日本関連のエピソードはちょっと思いつかない。ロシア、ポーランド、スウェーデンの3大国に支配されてきた歴史で、第一次大戦後にロシア帝国崩壊により独立した。しかし、第二次大戦開戦後にソ連軍が侵攻し、1940年に併合された。1990年にソ連崩壊(91年末)に先立って独立を勝ち取った国である。

(バルト3国)

 「Flow」というのは流れという意味の英語題だが、原題も同じく流れという意味らしい。何だか判らないけど、突然世界が大洪水に襲われる。(「津波映像」に近いので注意!)人間は全然出て来ないので、人類滅亡以後らしい。(廃墟都市が出てくるので、人類以前ではない。)画面上には黒猫がいるが、そこに鹿の大群が逃げてきて続いて大水があふれてくる。そこでひたすら猫も逃げる。他の動物たちも逃げる。そしてボロ船が流れてきて、猫も乗り込む。これは「ノアの大洪水」動物版なのか?

 冒頭少しすると圧倒的な映像美と動きにハンパなく没入してしまうこと確実。チラシを見ているだけでは想像出来ないほど素晴らしい。そして人間の旧居などを経めぐりながら、4種の動物たちが同じ船で流れていく。それは猫と犬とカピバラとキツネザル、ってどこの国だよ。キツネザルはマダガスカル特産。カピバラは南米のアマゾン一帯ということで、そういう意味ではこんな動物たちが住む大自然はない。動物園から逃げてるわけじゃなく、要するに「絵になる」ように作ってるということなんだろう。鳥や鯨も出てくるけれど、そういう「ノアの大洪水」みたいなときには、空を飛べる鳥と水に住む鯨だけが強いのである。

 この映画は84分と短いが、非常に凝っていて内容が濃い。人間が出て来ない以上、通常のセリフもない。「猫語」や「犬語」は出てくるけど、要するに普通は「鳴き声」というものである。だから一切の説明抜きの映像のみの作品で、そんなのが面白いかと言われるかもしれないが、確実に凄いもの見てるなあと感じ入る。この映画には何か「意味」や「教訓」、「メッセージ」はあるんだろうか? あるのかもしれないし、ないのかもしれない。極限環境では、動物たちも種を越えて「共生」していく。それがある種のメッセージかもしれないけど、そんなことはホントに起きるものなのかなあとは思った。

 監督のギンツ・ジルバロディスは1994年とまだ若い人である。前作『Away』が2019年のアヌシー国際アニメ映画祭で受賞して注目された。この映画は日本でも公開され、現在一部でリバイバルされているが、まだ見てない。その時からラトビアに才能豊かなアニメーターが現れたという話は聞いていたが、すぐにもアカデミー賞を受賞するとは想像もしていなかった。この監督は一人で監督、脚本、撮影、編集、音楽を担当しているが、今回は製作チームが作られたという。最新の映像技術あっての映像美ではあるけれど、美しい映像は驚き。何よりダイナミックな躍動感がすごく、映像への没入感に圧倒されてしまった。

(ギンツ・ジルバロディス監督)

 タイのアピチャッポン・ウィーラセータクンとか、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイランとか、いつの間にか難しい名前を覚えてしまったが、このラトビア人もなかなか覚えきれない。でも覚えておきたい監督になった。なお、昔はアカデミー賞に長編アニメ部門がなかったのかと初めて気付いた。1991年に『美女と野獣』が初めてアニメ作品で作品賞にノミネートされたことがあった。作曲賞と歌曲賞の2部門で受賞したが、作品賞は『羊たちの沈黙』だった。長編アニメに関する部門賞がなかったとは!

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イタリア映画『ドマーニ 愛のことづて』、戦後女性史を見つめたヒット作

2025年03月21日 21時59分25秒 |  〃  (新作外国映画)

 イタリア映画『ドマーニ 愛のことづて』という映画が公開されている。上映館が少ないし、知名度のある俳優がいないので、知らない人の方が多いと思う。僕はイタリア映画が好みなので見ようと思ったが、見る前の印象とはかなり違った。2023年のイタリアで最大のヒットとなり、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(2024年)では最多19部門でノミネートされ、主演女優賞、オリジナル脚本賞などを受賞した。でも意味不明の題名で、どっちかというとラブロマンスみたいに聞こえるが、これが何と白黒で敗戦直後のイタリア女性を描くバリバリの社会派喜劇映画だったのである。

 映画的に内容に触れにくい作りになっているので、そこら辺は触れないようにしたい。映画の展開は一種のミスリーディングで、ラストでそうだったのかと深く感じ入ることになる。1946年のローマ、ある一家が困窮の中で暮らしている。主婦デリア(監督、脚本を務めたパオラ・コルテッレージの自演)は夫、3人の子ども、義父と半地下の家で暮らしている。まるで『パラサイト』みたいな家がローマにもあったのか。それより何より驚くのは、夫のDVがすごいこと。日本だってあるけれど、酒に酔って暴れるみたいなのが多いと思う。だけど、この映画では特に理由もなく、朝起き抜けの一発という感じでビンタしていて驚く。

(夫のイヴァーノと)

 イタリアで大家族主義、家父長制が強いことは一般論として知っている。過去の地方を題材にした映画で見たことがある気もする。しかし、20世紀半ばの首都ローマでこんなことがあったのか。イタリア映画界でも正面切って取り上げられてこなかったのではないか。監督のパオラ・コルテッレージはとても知られたコメディ俳優だそうで、女優としてダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で主演女優賞を受賞したこともあるという。(この映画で2度目の受賞。)その有名女優の初の監督作品。社会派と書いたけど暴力シーンでスローモーションになったり、ミュージカル風になるなど面白く見られる工夫をしていて、重くならずに見られる。

(監督のメッセージ)

 デリアは仕事を掛け持ちして、細かく稼いでいる。夫の稼ぎだけでは余裕がないからだ。しかし、夫は完全に理不尽だし、幼い二人の男児はがさつな言動ばかり。義父は寝たきりのトンデモ爺さんで、救いは長女マルチェッラだけ。彼女は最近金持ちの息子と仲良くなっていて、結婚間近かと思われている。デリアは何とか娘の結婚式には新しいドレスを着せたいと仕事を頑張っているのだ。そして、ついに彼が親を紹介したいという。貧しいわが家に招きたくはないが、夫は花婿の両親が花嫁の家に来るのが慣例だと言い張り、結果的に彼の両親がやって来ることになる。デリアは精一杯もてなそうと努めるが、果たしてうまく行くか?

(娘と彼)

 デリアには「元彼」がいる。今は自動車整備工をしているが町でよくあう。彼はちょっと油断している隙にイヴァーノに取られてしまったという。今からでも遅くない、ローマにいても仕方ないから今度北部へ移るから一緒に行こうと誘う。また市場などあちこちに「女縁」の友がいて助けてくれる。また町を警備している米兵(黒人のMP)にちょっと親切にしたら、チョコレートをくれて、その後も何かと話しかけられる。(しかし、英語がわからないから会話が通じない。)そんな時デリアに「手紙」が届き、今度の日曜には是非とも夫に内緒で外出しようと決心する。そこに障害が相次ぎ、果たしてデリアは「行動」出来るのか?

(デリアと周囲の女たち)

 イタリアはムッソリーニ統治下で日独と三国同盟を結んだが、戦況悪化で1943年に降伏した。その後ドイツ軍がムッソリーニを救出し北部にドイツが支援するイタリア社会共和国を樹立した。連合軍はシチリア島に上陸して、1944年6月にローマを解放した。その後の新政府は連合国に加わりドイツ、日本に宣戦布告した。また北部ではパルチザンが中心となって解放闘争が闘われた。そういう経緯から、戦後イタリアではドイツ、日本と違って連合国による占領は行われていない。むしろ最後は自らファシズム体制を打倒したという意識が強いらしい。それでも1946年には米軍は駐留を続けていたんだろう。

 この映画で戦後3年目と言われているのは、そういう経緯がある。夫のイヴァーノは何かというと「二度の戦争に行った」と語って苛酷な日々を送ったと回想している。戦場体験が「家庭内暴力」のきっかけとなった事例は戦後日本でも多いようだ。二度の戦争って何だろう。第一次大戦は古すぎるだろう。僕はエチオピア侵略戦争(1935年)と第二次大戦の東部戦線(対ソ戦)かなと想定するんだけど、確実なことは不明。アメリカ兵が親切だが、最後は連合軍の一員だったことも影響しているのだろうか。

 もちろんイタリアでも(ドイツ軍だけでなく)連合軍の戦時性暴力は当然あっただろう。アルベルト・モラヴィア作『ふたりの女』(ヴィットリア・デ・シーカ監督により映画化され、1962年にソフィア・ローレンが米アカデミー賞主演女優賞を獲得)では、戦時性暴力の問題が追及されていた。しかし、日本でもそうだったけど、やはりベースになったのは「アメリカ軍は解放軍」意識だったんだと思う。チョコレートをくれるのも日本と同じで、直接知らないけど何だか懐かしい気がした。

 そして、1946年6月の総選挙で初めて女性参政権が認められた。日本は1945年12月の総選挙で女性参政権が認められていた。ほぼ同時期で、要するに「戦争に負けて獲得出来た権利」なのである。イタリアの「戦後改革」がよく理解出来る。イタリアにも「敗北を抱きしめ」た女性たちがいたのである。題名の「ドマーニ」は明日という意味。原題は「まだ明日がある」という意味で、ラストで意味が判明する。白黒で作られたのは、まさに色のない時代だったということだろう。映画の完成度的には不満も残るが、イタリア社会史、女性史の知らなかった面を見ることが出来て興味深かった。

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映画『聖なるイチジクの種』と『TATAMI』、イラン・イスラム体制体制の闇を描く

2025年03月11日 21時44分02秒 |  〃  (新作外国映画)

 現代イランの恐るべき闇を描く映画が2本上映されている。特に『聖なるイチジクの種』は恐ろしくて、面白い政治スリラー映画で見逃さなくて良かった。モハマド・ラスノフ監督が実刑判決を受けながら国外に脱出し、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受けた。また米アカデミー賞の国際長編映画賞にドイツ代表としてノミネートされた(受賞はせず)。特にすごいなと思うのは、当然国内で作れないだろうから近隣諸国で撮影したんだろうなと思っていたら、何と秘密裏に国内で撮影したということである。

 この映画は2022年に起きたマフサ・アミニ死亡事件(ヒジャブの付け方を問題視されて「道徳警察」に逮捕された女性が獄中で死亡した事件)を機に燃え広がった抗議運動を描いている。映画の中では当時のニュース映像も使われていて、「神権政治打倒」「最高指導者打倒」など単なる抗議を越えた革命運動的要素を持っていたことが判る。多数のデモ隊を警察が武力で弾圧する様子も描かれている。非常に大きな反政府運動だったことが伝わってくる。その事態をこの映画では「弾圧側」の家族を通して描くところが興味深い。外国人には理解が難しい設定もあるが、最初から最後まで圧倒的迫力で描き切る力強い映画だ。

(夫婦)

 ある家族がいる。父親のイマンは最近革命裁判所の調査官に昇格したという。そのため官舎に入れることになって、二人の娘にも初めて仕事の内容を明かす。(それまでは秘密の国家的仕事とぼかしていたらしい。)しかし、「革命裁判所」で働くことは憎まれることもあり、家族も細心の注意がいるから明かすらしい。母ナジメは娘に必ずきちんとヒジャブを被るように念を押す。そして、何と当局は「自衛」用にと銃を貸し出すのである。そんなに憎まれる仕事なのか? それに何の対策を取らず、ただ銃を貸し出すというのも普通じゃない。しかし、特権の代償としてイマンは何も調べずに「死刑求刑」への署名を求められたのである。

(左から妻、長女、次女)

 娘たちは警察の横暴に批判的である。スマホで情報を集めて、政府が検閲しているテレビはウソばかりと批判する。長女の友だちはたまたまデモ隊と一緒になり、大ケガを負ってしまう。長女は家に連れてきて手当するが、母親はいい顔をしない。そんな中で、父が持っていた銃が突然紛失する。それは家族の誰かが盗んだのか? 上司は銃が見つからないと、最悪服役の可能性もあると脅す。さらにある日、父親の写真と住所がネット上にさらされる。イマンは強制的に休暇を取らされ、家族を連れて地方にある実家に行く。そこで家族の争いが激化して…。砂漠の中の不思議な山の中で争い合うラストは凄絶なまでにスリリング。

(カンヌ映画祭の監督と主演女優)

 「革命裁判所」というのは、イラン・イスラム体制を守るための「国家安全保障」などに関わる罪を裁く。国家機構なのに、憎まれてるから自衛しろみたいなのも不思議。まあ、それはともかく、この映画は監督がオンラインで演出しながら撮って、映像素材を持ち出してドイツで完成させたという。ラスロフ監督は、2020年に『悪は存在せず』という映画でベルリン映画祭金熊賞を受けた。イランの死刑制度を描く映画で、監督は今までの映画製作で実刑判決を受けてベルリンに行けなかった。今回はもっと厳しく、懲役8年、財産没収の判決を受けたという。命がけで撮られた映画だが、純粋に政治的スリラーとして面白い映画である。

 もう一つ、ガイ・ナッティヴザーラ・アミール監督の『TATAMI』が公開されている。TATAMIはもちろん「」のことで、柔道を象徴している。2019年世界柔道東京大会でイランの男子選手に起こった実話を基にした映画で、場所をジョージアの首都トビリシに移し女子選手の話に変えている。イランはイスラエルの存在自体認めていないので、イラン選手がイスラエル選手と対戦することを認めていない。それは知っていたが、イスラエル選手と対戦するときに棄権するんだと思っていた。しかし、ちょっと違っていて、イスラエル選手と対戦可能性がある場合、早い段階からケガなどを理由にして棄権を求められるのである。

(選手と監督)

 共同監督の一人ザーラ・アミールはイラン出身の女優で、『聖地には蜘蛛が巣を張る』でカンヌ映画祭女優賞を受賞した人。今回はイラン代表監督マルヤム・ガンバリ役で主演もしている。もう一人の監督ガイ・ナッティはイスラエル出身でアメリカで活動しているらしい。レイラ・ホセイニ役で主演したアリエンヌ・マンディは中東にもルーツを持つアメリカ人で、ボクサー役もやったことがあるというから柔道も健闘している。家族を脅して何とか棄権させようとする国家意思が怖い。2024年の東京国際映画祭で審査員特別賞、主演女優賞を受けた。モデルとなったサイード・モラエイは東京五輪男子81キロ級の銀メダリストである。

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映画『名もなき者』、ボブ・ディランの若き日、激動の60年代

2025年03月09日 20時16分57秒 |  〃  (新作外国映画)

 毎週世界の賞レースを賑わせた映画が日本公開されて、お金もヒマも取られて困ってしまう。今度は米アカデミー賞8部門ノミネートの『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を見に行った。「ノーベル文学賞受賞者」であるアメリカの歌手ボブ・ディランの若き日を見事に描き出した映画である。『デューン砂の惑星』シリーズや『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』で今やすっかりハリウッド最高の若手人気俳優となったティモシー・シャラメが主演して自ら全曲を歌っている。「そっくりじゃない」とか言われているようだが、僕には十分ボブ・ディランっぽかったと思う(まあ当時見ていたわけじゃないが)。

 非常に感動的で、面白く見られた(聞けた)素晴らしい映画。すぐにでももう一回見たいぐらい魅力的だが、時間と金がかかるから行かないだろうが。ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」「時代は変わる」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」などが次々に歌われる。正直言って涙無くして見られないぐらい懐かしい。ウディ・ガスリーピート・シーガー(エドワード・ノートン)、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)、ジョニー・キャッシュアル・クーパーなど実在人物が続々と出てくるのも見逃せない。ノートンとバルバロはアカデミー賞助演賞にノミネートされた。

(ティモシー・シャラメ演じるディラン)

 1961年、ロバート・アレン・ジマーマンという青年が大学を中退してニューヨークにやってきた。ギター片手でバスを降りた彼は、闘病中のフォークシンガー、ウディ・ガスリーを訪ねてきたのである。病院には同じくフォークシンガーのピート・シーガーもいて、ボブ・ディランと名乗った青年は一曲披露する。その夜はシーガー宅に泊めて貰い、やがてニューヨークの店で歌わせて貰えるようになった。そこで当時人気が高かったジョーン・バエズとも知り合う。また教会で歌った後で、ボランティアに来ていたシルヴィエル・ファニング)とも知り合って恋人となった。(シルヴィは当時の事実を基にした架空の人物。)

(シルヴィと)

 ボブ・ディランはあっという間に人気を集め、町に出れば「追っかけ」に見舞われる。シルヴィの部屋にいても歌詞を書き続け、出来ると今度は曲作り。シルヴィが実習中で不在の時にはジョーン・バエズを連れてきたり…。音楽にしか関心がなく、傍迷惑とも言える青年だが、いつの間にか時代のカリスマになっていった。60年代前半、キューバ危機公民権運動ケネディ暗殺など激動の様子も描き出される。そんな中、ディランは従来のフォークソングを求められるのに飽きてきて、エレキギターを使うようになった。そして有名な1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルがやって来る。

(実際の若い頃のボブ・ディラン)

 そこで何が起こったのか? それは非常に有名なエピソードなので、ここでは書かない。僕は同時代に知っていた世代じゃないけれど、何が起こったのかは知っている。結局今になってみれば、ボブ・ディランはただ「ボブ・ディランを生きた」のだと理解出来る。(「ディラン」はイギリスの詩人ディラン・トマスから付けた芸名だが、その後正式に本名にしてしまったという。)ほとんどがコンサート場面みたいな映画で、ティモシー・シャラメは大健闘していた。実在人物を演じてアカデミー賞を取った人も多いのだが、今年に関しては『ブルータリスト』のエイドリアン・ブロディが強すぎて、不運だったというしかない。

(ジョーン・バエズと歌う)(ジョーン・バエズ)

 ウディ・ガスリー(1912~1967)は大恐慌時代に歌手として認められた様子を描く『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(ハル・アシュビー監督、1976)という素晴らしい映画がある。晩年に長く闘病したが、これはハンチントン病(いわゆる「舞踏病」)で、息子の歌手アーロ・ガスリーが主演した『アリスのレストラン』(1969、アーサー・ペン監督)でもアーロが見舞いに行くシーンがあった。ピート・シーガー(1919~2014)も非常に有名な歌手で、冒頭に出てくる非米活動委員会での証言拒否が問われた裁判は実話。妻のトシは日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれた日系米国人で、1943年に結婚したのだからすごい。

(ウディ・ガスリー)(ピート・シーガー)

 ジェームズ・マンゴールド監督は長いキャリアがあるが、この映画で初めてアカデミー賞監督賞にノミネートされた。かつて『17歳のカルテ』でアンジェリーナ・ジョリーが助演賞、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でリース・ウィザースプーンが主演賞とアカデミー賞を取ったが、本人が今までノミネートもなかったとは意外。後者の映画は『名もなき者』にも出てくるジョニー・キャッシュとその妻ジューン・カーターを描いた作品だった。最近は『フォードvsフェラーリ』や『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』など大作を手掛けていた。そう言われてみればずいぶん見てるのに名前を忘れていた。

(ジェームズ・マンゴールド監督)

 今回の映画はコンサート場面が多く、マスクをしていたコロナ時代には撮影不可能だった。そのため企画が数年延期され、ティモシー・シャラメはその間歌のレッスンに当てられたという。独特にしわがれ声をうまく出している。60年代初期のニューヨークを、ロケで再現している。どこで撮影したんだろうか。日本では不可能だろう。そのような「再現ドラマ」が見事で、ノスタルジックなムードを醸し出してとても感動的。だけど、どうも知ってる話が多かった気はする。知らないという人もいるんだろうけど、特にボブ・ディランやフォークソングファンじゃなくても、ラストのエピソードは有名な話だと思う。

 ゴールデングローブ賞では映画作品を「ドラマ」と「ミュージカル・コメディ」部門に分ける。どっちで勝負するかは製作サイドで決められるが、この映画は「ドラマ」部門で作品賞にノミネートされ、『ブルータリスト』に負けた。(「ミュージカル・コメディ」部門は「エミリア・ペレス」が受賞。)まあアカデミー賞で8部門ノミネートながら、一つも受賞出来なかったのは作品評価としてはやむを得ないんじゃないかと思う。しかし、それは好みとはまた別の問題で、自分はこの映画がとても好き。ぞれが「懐かしさ」を越えて「ボブ・ディランという謎」にどこまで迫れたかの判定は難しい。ぜひ続編を見てみたい気がする。

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