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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『サブスタンス』、ルッキズムとアンチエイジング

2025年05月29日 20時20分34秒 |  〃  (新作外国映画)

 アカデミー賞作品賞にノミネートされた『サブスタンス』という映画が上映中。2024年のカンヌ映画祭脚本賞受賞作で、フランス出身の女性監督コラリー・ファルジャが高く評価された。最近ちょっと風邪気味で、遠くまで行く元気がないので近くの映画館にこの映画を見に行った。ラスト近くはかなり気色悪いSFホラー映画になるので、全員にはお勧めしないが、現代社会のルッキズムとかアンチエイジングについてアメリカのテレビ業界を舞台に考察している。面白いけど、かなり長い。

 エリザベス・スパークルデミ・ムーア)は昔オスカーを取った女優らしいが、その後はエアロビクス番組で人気を得ていた。しかし、50歳の誕生日を迎えて容姿の衰えを隠せなくなり、テレビ局から突然降板を宣告される。自分の看板が撤去されるのを見たショックで、思わず交通事故を起こしてしまうが幸い軽症で済んだ。しかし、運ばれた病院で男性看護師から「若さと美しさ、完璧さ」を得られるという「サブスタンス」という薬品の宣伝USBメモリを渡された。一度は捨てたもののどうしても忘れられないエリザベスは電話してしまう。送られた来た住所を訪ねると廃ビルだったが、その中に秘密のロッカーが置かれていた。

(エアロビクス番組のエリザベス)

 ロッカーにあった箱を持ち帰ると、幾つもの注射が入っていた。二度と戻れないと注意されていたが、エリザベスはついに注射を自分で打ってしまう。そうすると背中が裂けてきて、そこから新しく若い女性が出て来た。彼女は「スー」(マーガレット・クアリー)と名乗って、圧倒的な若さを誇っていた。まあ、違う女優が演じているんだから反則技みたいなものだが、突然現れたスーはエリザベスに代わる人を求めるオーディションに合格し、圧倒的な人気を得てしまう。ただし、大問題があり「サブスタンス」は一週間ごとにエリザベスとスーが入れ替わるというのである。人気者になったスーにとって、これは困った事態だった。

(左=エリザベス、右=スー)

 エリザベスとスーは実は同一人格を有している。しかし、スーの利害がエリザベスと対立するようになっていく。同一人物の人格が分裂するというと『ジキル博士とハイド氏』を思い出すが、あれは人の心の中にある善悪の分裂である。一方、この映画では違法な薬物を使用するというSF的設定を持ち込むことで、同じ人物の「50歳の現実」と「若い頃」を対立させている。スーはエリザベスの身体から「安定液」を取り出し、自分に注射するすることで自分の時間を長くする裏技を見つける。しかし、それを使うたびに意識が戻ったエリザベスは予想以上に老化が進んでしまうのである。どんどん「老婆化」してしまうエリザベスだった。

(『ゴースト』1990のデミ・ムーア)

 スーは大みそかの番組司会者に抜てきされたが、その頃にはエリザベスの「安定液」が枯渇してしまった。二人は争った挙句、スーはもう一回「サブスタンス」を自分の注射してみたのだが…。そこからは昔のクローネンバーグ映画のような展開となり、アカデミー賞ではメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しただけのことはある気色悪いシーンになる。主演のデミ・ムーア(1962~)はは現実にはすでに60歳を越えているが、元気にエアロビを披露している。昔は『ゴースト』『ア・フュー・グッドメン』などで主演級の役をやっていたが、次第に助演級が多くなった。今回はオスカー当確と言われながら逃してしまった。

(コラリー・ファルジャ監督)

 コラリー・ファルジャ監督は2017年に『リベンジ』という映画を作っていて日本でも公開されている。見た覚えはないけれど、今回の映画はそれ以来の長編劇映画らしい。この映画は非常に興味深いシナリオだと思うけど、途中で展開が予測出来るからラスト近くのシーンが長すぎると思う。スーが通常の意味で「成功」して終わるわけがないのである。それが142分もあるというのは、最後が長いなと思う。テレビ界における「ルッキズム」の問題を取り上げていると言えるが、本質は「アンチエイジング」をめぐる考察とも言える。誰しも「老化」に抗することは出来ないが、やはり「若さ」を求め続けてしまうのだろうか。

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ジャ・ジャンクー監督の『新世紀ロマンティクス』、移りゆく中国を見つめて

2025年05月22日 21時37分29秒 |  〃  (新作外国映画)

 中国の巨匠ジャ・ジャンクー賈樟柯、1970~)の新作映画『新世紀ロマンティクス』(風流一代)を見た。日本では今、ロウ・イエ監督の『未完成の映画』、ワン・ビン監督の『青春ー苦ー』『青春ー帰ー』も公開されている。どれも中国では公開されていないという。中国社会を深く見つめた映画をその国の人が見られないのは悲劇である。取りあえず地理的に近い日本で見られる環境があるのは望ましいことだろう。だから中国から見に来る人が多いという話もあったけど、今日はガラガラだった。

 ジャ・ジャンクー監督の映画は公開されるたびに書いてきた。『罪の手ざわり』『山河ノスタルジア』『帰れない二人』だが、どれも壮大な風景を背景に人間存在を見つめる映画だった。もちろん最高傑作は2006年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞の『長江哀歌』だが、『新世紀ロマンティクス』は直接『長江哀歌』とつながっている。今回の映画は「新世紀」と邦題が付くように21世紀冒頭から描かれている。しかし、「今の中国」にロケ、またはセットで20数年前を再現しているのではない。かつての映画撮影時の映像、あるいは昔の映画そのものを使っているのである。それも「引用」ではなく、新しい映画として使っている。

(長江の絶景)

 その意味では世界映画史にかつてない手法を使っているわけだが、それもこれも監督の映画では監督夫人でもあるチャオ・タオ趙濤)が主演することが多いので、それらの映画の映像(あるいはメイキング映像)をつなげれば中国現代史のクロニクルになるわけである。2001年、内陸(山西省)大同で恋人となったチャオとビン(リー・チュウビン)は期待にあふれている。内陸の炭坑都市大同ではまだ開発が進んでいない。そんな大同に見切りを付けたビンは開発が進む三峡ダム地域で「一旗揚げたい」と去って行く。2006年、連絡も途絶えがちなビンを探しにチャオは長江をさまよい、もうすぐ水に沈む奉節を訪れた。

(ジャ・ジャンクー監督)

 この辺りは『長江哀歌』と同じなわけだが、改めて壮大な風景を見ると感慨を覚える。ビンはなかなか浮かび上がれず、怪しい仕事に関わっているらしい。テレビの尋ね人コーナーを通してビンに連絡がついたチャオは、もう関係を諦めたと伝えるのだった。そこから16年、2022年の中国はコロナ禍の真っ只中である。マスクをして飛行機に乗ったビンは珠海(マカオに隣接した経済特区)に仕事探しに出かける。しかし、結局うまい話などどこにもなくビンは大同に戻ってくるのだった。チャオは大同でスーパーのレジをしていて、ビンと再会する。スーパーではロボットが活躍する時代になっているが、二人は時代に取り残されているのか。

(スーパーのロボットと)

 ホームページを見ると、「ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズ吉田喜重と岡田茉莉子ロベルト・ロッセリーニとイングリッド・バーグマンのように、妻である女優を主演に映画を撮り続けるジャ・ジャンクー」と書いてある。ジャ・ジャンクーとチャオ・タオも世界映画史に残る監督と女優ペアというわけだが、確かに8本も共同で撮っているというから名コンビに違いない。ただジャ・ジャンクー監督の映画にはメロドラマの要素はほとんどない。ただひたすら中国内陸部で苦闘している若者たちを撮り始め、その後長江中流域からオーストラリア(『山河ノスタルジア』)へと視野を広げながら同時代を生きる苦しさを描いてきた。

 『新世紀ロマンティクス』は2024年のカンヌ映画祭コンペ部門に出品されたが無冠に終わった。カンヌに出せるんだから、中国で映画製作が禁止されているわけでもないらしい。政治的な要素が強い映画ではなく、その意味ではロウ・イエやワン・ビンのような完全なインディペンデント映画ではない。なぜ中国で公開できないのか判らないけれど、こういうアート映画市場が形成されてないのかもしれない。DVDでは見られるんだろうか。しかし、ジャ・ジャンクーの壮大な映像美は映画館で見るべきものだ。今回の映画はまあ既視感が先に立つ面は否定できない。でもジャ・ジャンクー監督の映画は見続ける必要がある。

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映画『クィア』、ダニエル・クレイグ主演でバロウズ原作を映像化

2025年05月19日 21時45分36秒 |  〃  (新作外国映画)

 時間があるとつい昔の映画を見に行ってしまうんだけど、興味深い新作映画も時々見ている。ルカ・グァダニーノ監督の『クィア』(Queer)はそんな映画の一つで、ウィリアム・バロウズの原作を独自の表現で映像化した作品。2024年のヴェネツィア国際映画祭のコンペに選ばれたが無冠に終わった。受賞した『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』や『ブルータリスト』と比べると確かに弱いと思うが、この映画の独特のムードも捨てがたい。主演のダニエル・クレイグはゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)にノミネートされた。21世紀のジェームズ・ボンドのイメージを覆すようなドラッグ中毒の同性愛者を好演している。

 原作はアメリカ人、監督はイタリア人だが、映画はラテンアメリカで撮影された。最初はメキシコシティで、1950年代を再現するかのような淡い光に満ちた町の風景が心に残る。映画評にエドワード・ホッパー風の画面と出ていて、なるほどちょっとそんな感じ。紹介文をコピーすると、「退屈な日々を酒や薬でごまかしていたアメリカ人駐在員のウィリアム・リーは、若く美しくミステリアスな青年ユージーン・アラートンと出会う。一目で恋に落ちるリー。乾ききった心がユージーンを渇望し、ユージーンもそれに気まぐれに応えるが、求めれば求めるほど募るのは孤独ばかり。」ユージーンはドリュー・スターキーという新人である。

 原作者のウィリアム・バロウズ(1914~1997)は50年代のビート・ジェネレーションを代表する一人だが、同性愛、薬物中毒などを独自の文体で描き出したので、なかなか出版できなかった。妻を射殺する事件を起こすなどスキャンダルも多かった。『裸のランチ』が有名だが、アメリカ政府から発禁処分を受けた。日本では鮎川信夫訳で刊行され、今は河出文庫に入っているけど読んでない。デイヴィッド・クローネンバーグ監督によって映画化されたが、それも見てない。つまり僕はバロウズをほとんど名前だけしか知らない。『クィア』は『裸のランチ』以前の50年代初期に書かれながら、刊行されたのは1985年だった。

 この映画の本当の面白さは後半にある。前半は中年男の孤独な心性が中心で、性的マイノリティの目に映るメキシコシティがうら寂しいぐらい。そのような状況を打破しようと、「リーは一緒に人生を変える奇跡の体験をしようと、ユージーンを幻想的な南米への旅へと誘い出すが──」という展開が凄いのである。奇跡の薬物を求めて二人はエクアドルのジャングルに赴く。そこで謎の植物学者を紹介されるが、そのコッター博士レスリー・マンヴィル)という女性が大迫力なのである。密林に住んで研究を進める学者というのは、けっこういろんな映画に出て来るが、この人が一番凄いかも。そして謎の植物を試すと、これも凄まじい。

 60年代、70年代の前衛映画っぽいマジカルな幻覚体験が描かれて、何だか全体に懐かしいのである。ただし、あの頃はまだ本格的に描けなかった同性愛描写がこの映画では全面的に描かれている。そのことを俳優も観客も受け入れられる時代になったのである。そしてその幻覚への旅が興味深くて、アメリカ先住民の知識を求める「白人」がジャングルを旅するのである。ただ、その旅が終わると「エピローグ」になって、結局リーは再び数年後のメキシコシティに現れるが孤独な感じである。数年前の熱狂的な季節は過ぎ去ってしまったのか。ほぼ「自伝」的な要素が強いとされるらしいが、原作を読んでみたくなった。

(左から、スターキー、ルカ・グァダニーノ監督、クレイグ)

 ルカ・グァダニーノ監督(1971~)はイタリアで『ミラノ、愛に生きる』『胸騒ぎのシチリア』などを撮った後、2017年の『君の名前で僕を呼んで』で世界に知られた。ティモシー・シャラメを一気にスターにした美しい同性愛映画で、イタリアを舞台にした英語映画だった。その後は『サスペリア』『ボーンズ アンド オール』『チャレンジャーズ』などの英語映画を作っている。でも見てないというか、ほとんど記憶にない。どっちかというとホラー的なエンタメ作らしいが、今回は今までになく独自性の強い映画だ。どことなく懐かしさの漂うところに心惹かれる。あまり一般的じゃないと思うので、すぐ終わっちゃいそうだけど。

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映画『シンシン』、刑務所の中の演劇プログラム

2025年04月16日 20時25分00秒 |  〃  (新作外国映画)

  『シンシン/SING SING』(グレッグ・クウェダー監督)という映画を見たけど、こういう邦題は何とかしてほしいなと思う。『ANORA アノーラ』とか、単にカタカナだけで済むのにわざわざ原題を付けるのは何故だ? それはともかく、「SING SING」とは何だろうか。ついカーペンターズの歌が脳内に鳴り響いてしまうんだけど、これはその「sing」じゃなくて、「シンシン」というニューヨーク州にある重罪刑務所の名前である。ニューヨーク北方、ハドソン川沿いにあって先住民の地名だという。

 そのシンシン刑務所内で、「演劇による更生プログラム」を受ける囚人たちを描く映画なのである。2025年のアカデミー賞で主演男優賞、脚色賞、歌曲賞にノミネートされたが無冠に終わった。主演など主要人物はプロの俳優が演じているが、大部分の「助演」をしている人たちは、クレジットを見ているとほぼ「as himself」、つまり本人が演じている。つまり実際に演じた囚人たちである。いや、驚き。主演のコールマン・ドミンゴはプロ俳優だが、無実を主張して仮釈放を申請しながら、演劇プログラムの中心になっている。自分で脚本を書いちゃうぐらい才能豊かで、アフリカ系囚人たちの相談にも乗っているリーダー的な存在。

(主演のコールマン・ドミンゴ)

 一つの公演が終わると、余韻に浸る間もなく次の公演に取り組む。そのために新人を募集すると、新しく入ってきたのがクラレンス・“ディヴァイン・アイ”・マクリンというギャングである。この人が本人の自演だというので、ビックリした。そして次に何をやるか、シェークスピアがいいとか嫌いとか。いつも悲劇が多いから、今度は喜劇をやりたいという声が出て、外部から招かれた演出家がタイムトラベルものの脚本を執筆した。大昔のエジプトの王子をやりたいとか、ハムレットがいいとかいう皆の意見を取り入れて、タイムトラベルになっちゃったのである。そして皆でレッスンを始めるが、果たしていろんな問題が起きてくるわけである。

(演劇グループの人々)

 「脚色賞」というのは、原作がある脚本を対象にする。この映画の原案は、ジョン・“ディヴァインG”・ホイットフィールド、つまり主演のコールマン・ドミンゴが演じた人物の実体験である。この映画は完全に実話の映画化で、ラストに実際の映像が出て来る。だから、ある種『ドライブ・マイ・カー』刑務所版みたいな、演劇レッスン映画になっている。ところがラストで舞台が大成功して万々歳という場面はない。そこへ至るまでの様々な葛藤が主眼なんだろう。展開が多少予測通りというか、実際に受賞した『教皇選挙』の先読み不能な面白さに比べてしまうとやはり弱いと思う。しかし、この映画の力は「実話性」なのである。

(シンシン刑務所)

 フランスで2020年に作られた『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』(2022年公開)という映画も刑務所内の演劇活動を描いていた。こちらは売れない俳優が頼まれて『ゴドーを待ちながら』を演じて、何と外部公演まで実現するという話だった。これはスウェーデンの実話だという。エンタメ映画的には、刑務所外に出られるところでドラマ性があった。またタヴィアーニ兄弟監督のベルリン映画祭金熊賞受賞の『塀の中のジュリアス・シーザー』(2012)もあった。つまり21世紀の10年ちょっとの間に、囚人たちの更生プログラムとして演劇を取り入れるという映画が3本もあったのである。

 僕が今回一番感じたのは、こういうのって日本でもやってるんだろうか?ということだ。もちろんやってないだろう。どこでも聞いたことないから。よく刑務所に歌手、俳優、お笑い芸人などが慰問に行くという話は聞く。だけど「感動的」な講話を「謹聴」させることがほとんどじゃないだろうか。それは学校教育だって同じようなもので、外部から招いて講演を企画することは多いけど、その外部講師を継続して呼んで、演劇やダンスなどを作り上げるなんてことはないと思う。時間も予算も不足しているはず。

 せっかくお笑い芸人が慰問に来てくれるなら、有志を募って囚人コンビを作って稽古してもらうとか、そんなことが出来ると「更生」に役立つように思う。特に「演劇」は役立つはずだ。自分の身体を客観視して「演技」をするという力は、社会へ戻って力になるはずなのである。『シンシン』に関しては、実話だからホントに出来るのかというドキドキはない代わり、囚人たち本人がやってる真実の迫力がすごい。こういう問題に関心がある人しか見ないんじゃもったいない。しかし、多分日本の現場でこういう試みをやれるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうだなあと思ったのも事実である。

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映画『エミリア・ペレス』、トランスジェンダーと麻薬戦争のミュージカル

2025年04月02日 21時38分10秒 |  〃  (新作外国映画)

 ジャック・オーディアール監督の『エミリア・ペレス』という映画。今年の米アカデミー賞で13部門にノミネートされ、助演女優賞、歌曲賞を獲得した。2024年のカンヌ映画祭では審査員賞を獲得した。アカデミー賞やカンヌ映画祭で受賞したからと言って、傑作とは限らない。まあ、好みもあるだろうが半々ぐらいの確率じゃないか。しかし、審査員によって差が大きい映画祭に比べ、近年は10本も選ばれる「アカデミー賞作品賞ノミネート」はなかなか粒ぞろいのことが多い。力作、傑作に加え、昨今は外国語のアート映画も入っているし、エンタメ系大作も選ばれるわけで、参考にはなると思っている。

 で、『エミリア・ペレス』。間違いなく面白いし、絶対に今まで見たことがない映画だろう。内容的にも方法的にも、これほどぶっ飛んだ映画も珍しい。とにかく「やり過ぎ」が続くので、「風刺コメディ」として見る以外にない。何しろ本格的なミュージカル映画なのである。まるでインド映画みたいに歌って踊るけど、作品世界に社会性というか幾つもの問題をはらんでいる。簡単に言えば、メキシコの麻薬カルテルのボスがいる。残虐で知られた「彼」は、実は幼い頃から性別違和感を抱えていたトランスジェンダーだった。そして、ある弁護士を見つけて、世界のどこかで秘密裏に性別適合手術を受けられるようにせよと命じる。

(主演のカルラ・ソフィア・ガスコン)

 それだけでもぶっ飛んでいるが、さらに4年後。恐れられたボス「マニタス」は死に、「エミリア・ペレス」はメキシコに帰りたい。スイスに避難させた妻子があって、今度は「いとこ」と称して引き取るのである。そして、ある日偶然「失踪」した息子を探す母親に出会い、深く心動かされたエミリアは失踪者を捜す団体を起ち上げて活動を始めるのである。しかし、失踪というのは麻薬戦争の中で起こったものだ。前半生が麻薬王だった人物が携わっても良いものか? それを何となく納得して見てしまうのは、手術医探しで知り合った弁護士リタ(ゾーイ・サルダナ)の存在感が大きいと思う。アカデミー助演女優賞受賞。

(リタとエミリア)

 ジャック・オーディアール(1952~)は日本では受けが悪い監督だが、2015年に『ディーパンの闘い』でカンヌ映画祭パルムドールを受けている。その後、異色西部劇『ゴールデン・リバー』を作った。他に作品に『真夜中のピアニスト』『預言者』などがあり、世界の映画祭で受賞している国際的な監督である。フランス人だが、この映画はスペイン語映画。そしてメキシコではなく、パリ郊外の大セットで撮影された。エミリア役のカルラ・ソフィア・ガスコンは実際にトランスジェンダーだという。そしてアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた初のトランス女優。受賞できなかったのは、何もトランプ政権の影響とかではない。

 ガスコンのかつての反イスラム、反アジア、反カタルーニャなどのツイートが明るみに出て、人種差別発言だと大問題になったのである。その結果、北米配給権を獲得したNetflixが受賞に向けた活動を下りると発表したのである。これは受賞レース全体に影響を与えたと思われる。フランスのセザール賞やヨーロッパ映画賞では作品賞を受けているし、アカデミー賞前哨戦と言われるゴールデングローブ賞ではミュージカル・コメディ部門で作品賞を受賞した。結果的にカンヌ映画祭でもアカデミー賞でも『エミリア・ペレス』は『アノーラ』に最高賞を譲ることになった。僕はこの結果は順当だと判断する。勢いと本当らしさに差がある。

(ジャック・オーディアール監督)

 トランスジェンダーの問題以上に、メキシコの麻薬戦争の扱いに問題がある気がする。メキシコ人俳優は誰もいなくて、メキシコロケもなかった。それでも良いんだけど、いかにもメキシコは危なそうで、確かに実際にある問題だけれどメキシコでは批判されたという。かつての麻薬カルテルのボスが性別適合手術を受ければ、今度は善人になってしまい非政府組織のヒロインになるという設定は風刺としても受け入れられるか? ただ男性時代に性別違和感を感じるがゆえに、なおさら残虐に振る舞ってしまいボスにまで成り上がったというのは判る気がする。その頃に結婚して子どもも生まれたというのは、そういう人はいっぱいいるだろう。

 映画なんだから何を描いても良いわけだが、どうも『エミリア・ペレス』は評価が難しい映画だ。しかし、絶対に見たことがない、二度と見ることもないミュージカルだと思う。これを舞台化しようとする人も出て来ないと思う。間違いなく「インド映画のように」面白い映画ではある。僕はちょっと後味が悪いかなと思ったけど、大問題作として落とせない映画である。

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映画『教皇選挙』、葛藤渦巻く極上「ミステリー」

2025年03月29日 21時49分56秒 |  〃  (新作外国映画)

 面白そうな映画が毎週公開されて、見る方も大変だが頑張って見ている。(お芝居や寄席に行く原資が欠乏してきた。)もちろん『ウィキッド ふたりの魔女』も良かったが僕が書く必要もないだろう。予想以上に面白かったのがエドワード・ベルガー監督『教皇選挙』。地味目ながら、興収ベストテンにも入って驚かされた。登場人物の葛藤の面白さでは、今年のアカデミー賞作品賞候補の中で一番かも。題名通りの映画だが、単にカトリック教会の内情を描くだけではなく、現代世界に通じる問題意識がある。

 米アカデミー賞でピーター・ストローハン脚色賞を受賞した。この人を調べてみると、ジョン・ル・カレ原作の映画化『裏切りのサーカス』の脚本を書いた人。なるほど、どうなるか展開の読めないハラハラが続くのは脚本の手腕か。原作はロバート・ハリス(未訳)で、2016年に出た。ハリスはポランスキー監督の『ゴーストライター』などの著書があるイギリスのミステリー作家である。この映画をWikipediaで調べたらミステリ映画とあって、あれミステリーなのかなと思ったが、原作者を見ても「狭義のミステリー」なのである。英米資本で作られた英語映画で、作家の映画ではなく練り込まれたエンタメだったのである。

(選挙を仕切るローレンス枢機卿)

 ローマ教皇が突然亡くなり、次の教皇選びが始まる。その選挙を「Conclave」(コンクラーベ)と呼び、長く続くことが多いので、日本のマスコミはよく日本だけしか通じないコンクラーベは根比べとダジャレを書くことになるわけだ。現在の第266代教皇フランシスコは5回目で選出された。何で長いのかというと、立候補制度がなく、当選には3分の2を要するからである。2024年の自民党総裁選は立候補者が9人もいたが、過半数を得た者がいないときは上位2人で決選投票を行うという制度なので、その日のうちに決まったわけである。ちなみにコンクラーベとはラテン語で「鍵が掛かった」という意味だそうである。

(アフリカ初か?)(保守派か?)

 最初から登場して選挙を仕切るのが、教皇庁首席枢機卿ローレンスレイフ・ファインズ)である。内閣官房長官みたいな役どころか。有力者とみなされているのは、リベラル派のバチカン教区ベリーニ枢機卿、保守派のヴェネツィア教区テデスコ枢機卿、穏健保守派のモントリオール教区トランブレ枢機卿、初のアフリカ系教皇を狙うナイジェリア教区アデイエミ枢機卿などである。枢機卿(すうききょう、すうきけい)は教皇の最高顧問として120人をメドに任命され、80歳を超えると投票権を失う。今まで日本人も7人在職していて、2人が現任。英語では「Cardinal」で、大リーグ球団セントルイス・カージナルスの由来だそう。

(アフガニスタンから参加)

 枢機卿は公表されているわけだが、映画では突然新枢機卿が登場する。それがコンゴ、イラク、アフガニスタンで宣教してきたベニテス枢機卿で、アフガンにカトリック教会の活動があるの? あまりに危険な布教なので教皇が秘密裏に任命したとのことで、正式な任命書を持参していた。いよいよ投票が始まるが、なかなか当選が決まらない。それどころか、有力者に「秘密」や「スキャンダル」が発覚して先行きが読めない。ミステリーと言っても、殺人のような狭義の犯罪が起きるわけじゃない。だけど、登場人物の謎が謎を呼ぶ展開が続くのである。そして「改革派」と「保守派」の深い分断が存在することも明確になってくる。

(イザベラ・ロッセリーニ)

 ところでカトリック教会では女性司祭を認めず、その事が大きな問題となっていて、女性の権利拡大はなかなか進んでいない。枢機卿ももちろん男だけで、いくら何でも現代の会議とは思えない。しかし、コンクラーベでは女性シスターも大きな役割を果たしている。枢機卿も食べなくてはならず、料理を準備したりする役はシスターたちなのである。シスターの責任者アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)は「神は私どもにも目と耳を与えた」と語り、枢機卿たちのふるまいを見ている。まさに「シスターは見た」という感じで重大なセリフがある。総計7分間の出演シーンだが非常に印象深く、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。

(エドワード・ベルガー監督)

 監督のエドワード・ベルガー(1970~)は2022年に『西部戦線異状なし』でアカデミー賞国際長編映画賞を獲得した。第一次大戦を描く有名な小説、映画のリメイクだが、配信だけなので見てない。どういう人だか全然知らないけど、見事な人物造形に驚いた。主演のレイフ・ファインズは『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。この作品で28年ぶりにノミネートされたが受賞は出来なかった。アカデミー賞では他にも編集、美術、衣装デザイン、作曲など計8部門でノミネートされた。会場となるシスティーナ礼拝堂などのセットが素晴らしく、技術部門が高く評価されたのも納得。

 カトリック教会は多くの問題を抱えている。他宗派などとの協調、性的マイノリティや妊娠中絶などへの対応、女性司祭を認めるかなどの他、男児への性暴力などが明るみに出て隠ぺい疑惑が起こっている。そういう中で、何を「保守」して、何を「改革」するべきか。トランプ時代に「多様性」を擁護するとはどういうことか。この映画の真のテーマもそこにあるだろう。なお、教科書などでは「教皇」と呼ぶものの、日本のマスコミは長く「ローマ法王」と表記してきた。2017年に公開された『映画「ローマ法王になる日まで」』までは「法王」だったのである。ようやく「教皇」と表記するようになったかと感慨を覚えた。

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アニメ映画『Flow』、ハンパなき没入感と映像美

2025年03月25日 21時29分44秒 |  〃  (新作外国映画)

 『Flow』というアニメ映画を見てるだろうか? これはちょっと驚くような映画で、凄いなあと感心してしまった。2025年のアカデミー賞長編アニメーション映画賞受賞作である。ゴールデングローブ賞も受賞していて、アメリカのアニメ界を席巻する勢いである。アカデミー賞の長編アニメ賞は2001年から制定された賞で、大体は『アナと雪の女王』などディズニー作品か、ドリームワークスなどアメリカの会社が取っている。その中で、ジブリが『千と千尋の神隠し』と『君たちはどう生きるか』で2回受賞したのは快挙。さて、今回の『Flow』は何とラトビアのアニメーター、ギンツ・ジルバロディスという人の作品なのである。

 ラトビアってどこよという人のために、一応地図を下に載せておきたい。バルト3国の一つで、北がエストニア、南がリトアニアである。エストニアは大相撲にいた元大関把瑠都(ばると)の出身国、リトアニアはその昔杉原千畝がユダヤ人のためにビザを発給した国である。じゃあ真ん中のラトビアはというと、日本関連のエピソードはちょっと思いつかない。ロシア、ポーランド、スウェーデンの3大国に支配されてきた歴史で、第一次大戦後にロシア帝国崩壊により独立した。しかし、第二次大戦開戦後にソ連軍が侵攻し、1940年に併合された。1990年にソ連崩壊(91年末)に先立って独立を勝ち取った国である。

(バルト3国)

 「Flow」というのは流れという意味の英語題だが、原題も同じく流れという意味らしい。何だか判らないけど、突然世界が大洪水に襲われる。(「津波映像」に近いので注意!)人間は全然出て来ないので、人類滅亡以後らしい。(廃墟都市が出てくるので、人類以前ではない。)画面上には黒猫がいるが、そこに鹿の大群が逃げてきて続いて大水があふれてくる。そこでひたすら猫も逃げる。他の動物たちも逃げる。そしてボロ船が流れてきて、猫も乗り込む。これは「ノアの大洪水」動物版なのか?

 冒頭少しすると圧倒的な映像美と動きにハンパなく没入してしまうこと確実。チラシを見ているだけでは想像出来ないほど素晴らしい。そして人間の旧居などを経めぐりながら、4種の動物たちが同じ船で流れていく。それは猫と犬とカピバラとキツネザル、ってどこの国だよ。キツネザルはマダガスカル特産。カピバラは南米のアマゾン一帯ということで、そういう意味ではこんな動物たちが住む大自然はない。動物園から逃げてるわけじゃなく、要するに「絵になる」ように作ってるということなんだろう。鳥や鯨も出てくるけれど、そういう「ノアの大洪水」みたいなときには、空を飛べる鳥と水に住む鯨だけが強いのである。

 この映画は84分と短いが、非常に凝っていて内容が濃い。人間が出て来ない以上、通常のセリフもない。「猫語」や「犬語」は出てくるけど、要するに普通は「鳴き声」というものである。だから一切の説明抜きの映像のみの作品で、そんなのが面白いかと言われるかもしれないが、確実に凄いもの見てるなあと感じ入る。この映画には何か「意味」や「教訓」、「メッセージ」はあるんだろうか? あるのかもしれないし、ないのかもしれない。極限環境では、動物たちも種を越えて「共生」していく。それがある種のメッセージかもしれないけど、そんなことはホントに起きるものなのかなあとは思った。

 監督のギンツ・ジルバロディスは1994年とまだ若い人である。前作『Away』が2019年のアヌシー国際アニメ映画祭で受賞して注目された。この映画は日本でも公開され、現在一部でリバイバルされているが、まだ見てない。その時からラトビアに才能豊かなアニメーターが現れたという話は聞いていたが、すぐにもアカデミー賞を受賞するとは想像もしていなかった。この監督は一人で監督、脚本、撮影、編集、音楽を担当しているが、今回は製作チームが作られたという。最新の映像技術あっての映像美ではあるけれど、美しい映像は驚き。何よりダイナミックな躍動感がすごく、映像への没入感に圧倒されてしまった。

(ギンツ・ジルバロディス監督)

 タイのアピチャッポン・ウィーラセータクンとか、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイランとか、いつの間にか難しい名前を覚えてしまったが、このラトビア人もなかなか覚えきれない。でも覚えておきたい監督になった。なお、昔はアカデミー賞に長編アニメ部門がなかったのかと初めて気付いた。1991年に『美女と野獣』が初めてアニメ作品で作品賞にノミネートされたことがあった。作曲賞と歌曲賞の2部門で受賞したが、作品賞は『羊たちの沈黙』だった。長編アニメに関する部門賞がなかったとは!

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イタリア映画『ドマーニ 愛のことづて』、戦後女性史を見つめたヒット作

2025年03月21日 21時59分25秒 |  〃  (新作外国映画)

 イタリア映画『ドマーニ 愛のことづて』という映画が公開されている。上映館が少ないし、知名度のある俳優がいないので、知らない人の方が多いと思う。僕はイタリア映画が好みなので見ようと思ったが、見る前の印象とはかなり違った。2023年のイタリアで最大のヒットとなり、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(2024年)では最多19部門でノミネートされ、主演女優賞、オリジナル脚本賞などを受賞した。でも意味不明の題名で、どっちかというとラブロマンスみたいに聞こえるが、これが何と白黒で敗戦直後のイタリア女性を描くバリバリの社会派喜劇映画だったのである。

 映画的に内容に触れにくい作りになっているので、そこら辺は触れないようにしたい。映画の展開は一種のミスリーディングで、ラストでそうだったのかと深く感じ入ることになる。1946年のローマ、ある一家が困窮の中で暮らしている。主婦デリア(監督、脚本を務めたパオラ・コルテッレージの自演)は夫、3人の子ども、義父と半地下の家で暮らしている。まるで『パラサイト』みたいな家がローマにもあったのか。それより何より驚くのは、夫のDVがすごいこと。日本だってあるけれど、酒に酔って暴れるみたいなのが多いと思う。だけど、この映画では特に理由もなく、朝起き抜けの一発という感じでビンタしていて驚く。

(夫のイヴァーノと)

 イタリアで大家族主義、家父長制が強いことは一般論として知っている。過去の地方を題材にした映画で見たことがある気もする。しかし、20世紀半ばの首都ローマでこんなことがあったのか。イタリア映画界でも正面切って取り上げられてこなかったのではないか。監督のパオラ・コルテッレージはとても知られたコメディ俳優だそうで、女優としてダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で主演女優賞を受賞したこともあるという。(この映画で2度目の受賞。)その有名女優の初の監督作品。社会派と書いたけど暴力シーンでスローモーションになったり、ミュージカル風になるなど面白く見られる工夫をしていて、重くならずに見られる。

(監督のメッセージ)

 デリアは仕事を掛け持ちして、細かく稼いでいる。夫の稼ぎだけでは余裕がないからだ。しかし、夫は完全に理不尽だし、幼い二人の男児はがさつな言動ばかり。義父は寝たきりのトンデモ爺さんで、救いは長女マルチェッラだけ。彼女は最近金持ちの息子と仲良くなっていて、結婚間近かと思われている。デリアは何とか娘の結婚式には新しいドレスを着せたいと仕事を頑張っているのだ。そして、ついに彼が親を紹介したいという。貧しいわが家に招きたくはないが、夫は花婿の両親が花嫁の家に来るのが慣例だと言い張り、結果的に彼の両親がやって来ることになる。デリアは精一杯もてなそうと努めるが、果たしてうまく行くか?

(娘と彼)

 デリアには「元彼」がいる。今は自動車整備工をしているが町でよくあう。彼はちょっと油断している隙にイヴァーノに取られてしまったという。今からでも遅くない、ローマにいても仕方ないから今度北部へ移るから一緒に行こうと誘う。また市場などあちこちに「女縁」の友がいて助けてくれる。また町を警備している米兵(黒人のMP)にちょっと親切にしたら、チョコレートをくれて、その後も何かと話しかけられる。(しかし、英語がわからないから会話が通じない。)そんな時デリアに「手紙」が届き、今度の日曜には是非とも夫に内緒で外出しようと決心する。そこに障害が相次ぎ、果たしてデリアは「行動」出来るのか?

(デリアと周囲の女たち)

 イタリアはムッソリーニ統治下で日独と三国同盟を結んだが、戦況悪化で1943年に降伏した。その後ドイツ軍がムッソリーニを救出し北部にドイツが支援するイタリア社会共和国を樹立した。連合軍はシチリア島に上陸して、1944年6月にローマを解放した。その後の新政府は連合国に加わりドイツ、日本に宣戦布告した。また北部ではパルチザンが中心となって解放闘争が闘われた。そういう経緯から、戦後イタリアではドイツ、日本と違って連合国による占領は行われていない。むしろ最後は自らファシズム体制を打倒したという意識が強いらしい。それでも1946年には米軍は駐留を続けていたんだろう。

 この映画で戦後3年目と言われているのは、そういう経緯がある。夫のイヴァーノは何かというと「二度の戦争に行った」と語って苛酷な日々を送ったと回想している。戦場体験が「家庭内暴力」のきっかけとなった事例は戦後日本でも多いようだ。二度の戦争って何だろう。第一次大戦は古すぎるだろう。僕はエチオピア侵略戦争(1935年)と第二次大戦の東部戦線(対ソ戦)かなと想定するんだけど、確実なことは不明。アメリカ兵が親切だが、最後は連合軍の一員だったことも影響しているのだろうか。

 もちろんイタリアでも(ドイツ軍だけでなく)連合軍の戦時性暴力は当然あっただろう。アルベルト・モラヴィア作『ふたりの女』(ヴィットリア・デ・シーカ監督により映画化され、1962年にソフィア・ローレンが米アカデミー賞主演女優賞を獲得)では、戦時性暴力の問題が追及されていた。しかし、日本でもそうだったけど、やはりベースになったのは「アメリカ軍は解放軍」意識だったんだと思う。チョコレートをくれるのも日本と同じで、直接知らないけど何だか懐かしい気がした。

 そして、1946年6月の総選挙で初めて女性参政権が認められた。日本は1945年12月の総選挙で女性参政権が認められていた。ほぼ同時期で、要するに「戦争に負けて獲得出来た権利」なのである。イタリアの「戦後改革」がよく理解出来る。イタリアにも「敗北を抱きしめ」た女性たちがいたのである。題名の「ドマーニ」は明日という意味。原題は「まだ明日がある」という意味で、ラストで意味が判明する。白黒で作られたのは、まさに色のない時代だったということだろう。映画の完成度的には不満も残るが、イタリア社会史、女性史の知らなかった面を見ることが出来て興味深かった。

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映画『聖なるイチジクの種』と『TATAMI』、イラン・イスラム体制体制の闇を描く

2025年03月11日 21時44分02秒 |  〃  (新作外国映画)

 現代イランの恐るべき闇を描く映画が2本上映されている。特に『聖なるイチジクの種』は恐ろしくて、面白い政治スリラー映画で見逃さなくて良かった。モハマド・ラスノフ監督が実刑判決を受けながら国外に脱出し、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受けた。また米アカデミー賞の国際長編映画賞にドイツ代表としてノミネートされた(受賞はせず)。特にすごいなと思うのは、当然国内で作れないだろうから近隣諸国で撮影したんだろうなと思っていたら、何と秘密裏に国内で撮影したということである。

 この映画は2022年に起きたマフサ・アミニ死亡事件(ヒジャブの付け方を問題視されて「道徳警察」に逮捕された女性が獄中で死亡した事件)を機に燃え広がった抗議運動を描いている。映画の中では当時のニュース映像も使われていて、「神権政治打倒」「最高指導者打倒」など単なる抗議を越えた革命運動的要素を持っていたことが判る。多数のデモ隊を警察が武力で弾圧する様子も描かれている。非常に大きな反政府運動だったことが伝わってくる。その事態をこの映画では「弾圧側」の家族を通して描くところが興味深い。外国人には理解が難しい設定もあるが、最初から最後まで圧倒的迫力で描き切る力強い映画だ。

(夫婦)

 ある家族がいる。父親のイマンは最近革命裁判所の調査官に昇格したという。そのため官舎に入れることになって、二人の娘にも初めて仕事の内容を明かす。(それまでは秘密の国家的仕事とぼかしていたらしい。)しかし、「革命裁判所」で働くことは憎まれることもあり、家族も細心の注意がいるから明かすらしい。母ナジメは娘に必ずきちんとヒジャブを被るように念を押す。そして、何と当局は「自衛」用にと銃を貸し出すのである。そんなに憎まれる仕事なのか? それに何の対策を取らず、ただ銃を貸し出すというのも普通じゃない。しかし、特権の代償としてイマンは何も調べずに「死刑求刑」への署名を求められたのである。

(左から妻、長女、次女)

 娘たちは警察の横暴に批判的である。スマホで情報を集めて、政府が検閲しているテレビはウソばかりと批判する。長女の友だちはたまたまデモ隊と一緒になり、大ケガを負ってしまう。長女は家に連れてきて手当するが、母親はいい顔をしない。そんな中で、父が持っていた銃が突然紛失する。それは家族の誰かが盗んだのか? 上司は銃が見つからないと、最悪服役の可能性もあると脅す。さらにある日、父親の写真と住所がネット上にさらされる。イマンは強制的に休暇を取らされ、家族を連れて地方にある実家に行く。そこで家族の争いが激化して…。砂漠の中の不思議な山の中で争い合うラストは凄絶なまでにスリリング。

(カンヌ映画祭の監督と主演女優)

 「革命裁判所」というのは、イラン・イスラム体制を守るための「国家安全保障」などに関わる罪を裁く。国家機構なのに、憎まれてるから自衛しろみたいなのも不思議。まあ、それはともかく、この映画は監督がオンラインで演出しながら撮って、映像素材を持ち出してドイツで完成させたという。ラスロフ監督は、2020年に『悪は存在せず』という映画でベルリン映画祭金熊賞を受けた。イランの死刑制度を描く映画で、監督は今までの映画製作で実刑判決を受けてベルリンに行けなかった。今回はもっと厳しく、懲役8年、財産没収の判決を受けたという。命がけで撮られた映画だが、純粋に政治的スリラーとして面白い映画である。

 もう一つ、ガイ・ナッティヴザーラ・アミール監督の『TATAMI』が公開されている。TATAMIはもちろん「」のことで、柔道を象徴している。2019年世界柔道東京大会でイランの男子選手に起こった実話を基にした映画で、場所をジョージアの首都トビリシに移し女子選手の話に変えている。イランはイスラエルの存在自体認めていないので、イラン選手がイスラエル選手と対戦することを認めていない。それは知っていたが、イスラエル選手と対戦するときに棄権するんだと思っていた。しかし、ちょっと違っていて、イスラエル選手と対戦可能性がある場合、早い段階からケガなどを理由にして棄権を求められるのである。

(選手と監督)

 共同監督の一人ザーラ・アミールはイラン出身の女優で、『聖地には蜘蛛が巣を張る』でカンヌ映画祭女優賞を受賞した人。今回はイラン代表監督マルヤム・ガンバリ役で主演もしている。もう一人の監督ガイ・ナッティはイスラエル出身でアメリカで活動しているらしい。レイラ・ホセイニ役で主演したアリエンヌ・マンディは中東にもルーツを持つアメリカ人で、ボクサー役もやったことがあるというから柔道も健闘している。家族を脅して何とか棄権させようとする国家意思が怖い。2024年の東京国際映画祭で審査員特別賞、主演女優賞を受けた。モデルとなったサイード・モラエイは東京五輪男子81キロ級の銀メダリストである。

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映画『名もなき者』、ボブ・ディランの若き日、激動の60年代

2025年03月09日 20時16分57秒 |  〃  (新作外国映画)

 毎週世界の賞レースを賑わせた映画が日本公開されて、お金もヒマも取られて困ってしまう。今度は米アカデミー賞8部門ノミネートの『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を見に行った。「ノーベル文学賞受賞者」であるアメリカの歌手ボブ・ディランの若き日を見事に描き出した映画である。『デューン砂の惑星』シリーズや『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』で今やすっかりハリウッド最高の若手人気俳優となったティモシー・シャラメが主演して自ら全曲を歌っている。「そっくりじゃない」とか言われているようだが、僕には十分ボブ・ディランっぽかったと思う(まあ当時見ていたわけじゃないが)。

 非常に感動的で、面白く見られた(聞けた)素晴らしい映画。すぐにでももう一回見たいぐらい魅力的だが、時間と金がかかるから行かないだろうが。ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」「時代は変わる」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」などが次々に歌われる。正直言って涙無くして見られないぐらい懐かしい。ウディ・ガスリーピート・シーガー(エドワード・ノートン)、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)、ジョニー・キャッシュアル・クーパーなど実在人物が続々と出てくるのも見逃せない。ノートンとバルバロはアカデミー賞助演賞にノミネートされた。

(ティモシー・シャラメ演じるディラン)

 1961年、ロバート・アレン・ジマーマンという青年が大学を中退してニューヨークにやってきた。ギター片手でバスを降りた彼は、闘病中のフォークシンガー、ウディ・ガスリーを訪ねてきたのである。病院には同じくフォークシンガーのピート・シーガーもいて、ボブ・ディランと名乗った青年は一曲披露する。その夜はシーガー宅に泊めて貰い、やがてニューヨークの店で歌わせて貰えるようになった。そこで当時人気が高かったジョーン・バエズとも知り合う。また教会で歌った後で、ボランティアに来ていたシルヴィエル・ファニング)とも知り合って恋人となった。(シルヴィは当時の事実を基にした架空の人物。)

(シルヴィと)

 ボブ・ディランはあっという間に人気を集め、町に出れば「追っかけ」に見舞われる。シルヴィの部屋にいても歌詞を書き続け、出来ると今度は曲作り。シルヴィが実習中で不在の時にはジョーン・バエズを連れてきたり…。音楽にしか関心がなく、傍迷惑とも言える青年だが、いつの間にか時代のカリスマになっていった。60年代前半、キューバ危機公民権運動ケネディ暗殺など激動の様子も描き出される。そんな中、ディランは従来のフォークソングを求められるのに飽きてきて、エレキギターを使うようになった。そして有名な1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルがやって来る。

(実際の若い頃のボブ・ディラン)

 そこで何が起こったのか? それは非常に有名なエピソードなので、ここでは書かない。僕は同時代に知っていた世代じゃないけれど、何が起こったのかは知っている。結局今になってみれば、ボブ・ディランはただ「ボブ・ディランを生きた」のだと理解出来る。(「ディラン」はイギリスの詩人ディラン・トマスから付けた芸名だが、その後正式に本名にしてしまったという。)ほとんどがコンサート場面みたいな映画で、ティモシー・シャラメは大健闘していた。実在人物を演じてアカデミー賞を取った人も多いのだが、今年に関しては『ブルータリスト』のエイドリアン・ブロディが強すぎて、不運だったというしかない。

(ジョーン・バエズと歌う)(ジョーン・バエズ)

 ウディ・ガスリー(1912~1967)は大恐慌時代に歌手として認められた様子を描く『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(ハル・アシュビー監督、1976)という素晴らしい映画がある。晩年に長く闘病したが、これはハンチントン病(いわゆる「舞踏病」)で、息子の歌手アーロ・ガスリーが主演した『アリスのレストラン』(1969、アーサー・ペン監督)でもアーロが見舞いに行くシーンがあった。ピート・シーガー(1919~2014)も非常に有名な歌手で、冒頭に出てくる非米活動委員会での証言拒否が問われた裁判は実話。妻のトシは日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれた日系米国人で、1943年に結婚したのだからすごい。

(ウディ・ガスリー)(ピート・シーガー)

 ジェームズ・マンゴールド監督は長いキャリアがあるが、この映画で初めてアカデミー賞監督賞にノミネートされた。かつて『17歳のカルテ』でアンジェリーナ・ジョリーが助演賞、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でリース・ウィザースプーンが主演賞とアカデミー賞を取ったが、本人が今までノミネートもなかったとは意外。後者の映画は『名もなき者』にも出てくるジョニー・キャッシュとその妻ジューン・カーターを描いた作品だった。最近は『フォードvsフェラーリ』や『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』など大作を手掛けていた。そう言われてみればずいぶん見てるのに名前を忘れていた。

(ジェームズ・マンゴールド監督)

 今回の映画はコンサート場面が多く、マスクをしていたコロナ時代には撮影不可能だった。そのため企画が数年延期され、ティモシー・シャラメはその間歌のレッスンに当てられたという。独特にしわがれ声をうまく出している。60年代初期のニューヨークを、ロケで再現している。どこで撮影したんだろうか。日本では不可能だろう。そのような「再現ドラマ」が見事で、ノスタルジックなムードを醸し出してとても感動的。だけど、どうも知ってる話が多かった気はする。知らないという人もいるんだろうけど、特にボブ・ディランやフォークソングファンじゃなくても、ラストのエピソードは有名な話だと思う。

 ゴールデングローブ賞では映画作品を「ドラマ」と「ミュージカル・コメディ」部門に分ける。どっちで勝負するかは製作サイドで決められるが、この映画は「ドラマ」部門で作品賞にノミネートされ、『ブルータリスト』に負けた。(「ミュージカル・コメディ」部門は「エミリア・ペレス」が受賞。)まあアカデミー賞で8部門ノミネートながら、一つも受賞出来なかったのは作品評価としてはやむを得ないんじゃないかと思う。しかし、それは好みとはまた別の問題で、自分はこの映画がとても好き。ぞれが「懐かしさ」を越えて「ボブ・ディランという謎」にどこまで迫れたかの判定は難しい。ぜひ続編を見てみたい気がする。

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映画『アノーラ』、カンヌ映画祭、米アカデミー賞両方で最高賞の傑作

2025年03月04日 22時20分04秒 |  〃  (新作外国映画)

 『ANORA アノーラ』を3日に見た。ちょうど米アカデミー賞の発表があり、この映画が作品賞を初め、監督賞主演女優賞など5部門で受賞した。ノミネートは6部門だったから、効率よく主要な賞を取った。ショーン・ベイカー監督は製作、脚本、編集も自分で兼ねていたので、一人で4部門獲得である。さらに、2024年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを得たので、昨年度最高の評価を受けた映画と言える。(カンヌ最高賞とアカデミー作品賞を同時に受けたのは、1955年の『マーティ』という映画と2019年の『パラサイト 半地下の家族』に次ぐ3回目。『タクシー・ドライバー』『地獄の黙示録』はノミネート止まりだった。)

 僕も作品賞はこれだろうなと予想していた。最近の受賞傾向からすると、この前見た『ブルータリスト』は少し難解だったかなと思ったのである。『アノーラ』(『ANORA アノーラ』というのが正式な公開題名だが、何でそんな面倒なことするのか疑問)も監督が自ら脚本、編集までしている「作家の映画」ではある。だけどひたすら快調に進むジェットコースター映画で、その意味では『パラサイト』に似ている。違っているのは、この映画がセックスシーン満載の「問題作」で、アカデミー作品賞史上かつてなく「過激」なことである。もっとも見れば判るが、この映画は性的な映画ではない。それでも子どもには見せられないだろう。

(主演女優賞のマイキー・マディソン)

 タイトルロールを熱演したマイキー・マディソンは、本命視されていなかったが主演女優賞を獲得した。作品レベルの評価が後押ししたんだろう。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でマンソンファミリーの一員をやっていたというけど、そんなの覚えている人はいないだろう。セックスシーンがいっぱいだが、それ以上に後半が肉体的にも精神的にも堪える展開だったと思う。よく演じきって、見る者とともに闘う名演をしたと思う。しかし、二度とめぐってこない大役かもしれない。

(アノーラとイヴァン)

 ニューヨークに住むアノーラ(自称アニー)は「ストリップダンサー」と書かれているが、踊り子とは言えない。ホントはもっと過激な「おさわりバー」みたいなとこで、さらに「特別ルーム」も用意されている。要するに事実上「売春」が「黙認」というか「公認」された場所である。そこにある日若きロシア人グループが現れ、アノーラは特別に呼ばれてイヴァン(マーク・エイデルシュタイン)に付くことになった。祖母がロシア語しか話せなくて、少しロシア語を解するのである。金持ちらしいので「サービス」に努めるが、好感をもたれたらしく、外で会えるなら今度新年カウントダウンのパーティに来ないかと誘われる。

 どんな家かも知らず訪れてみると、それが大豪邸でビックリ。何でこんな家に住んでるのと聞くと、親がロシアの大富豪だという。アノーラは気に入られて、帰国までの一週間1万5千ドルで「契約彼女」になることになった。イヴァンは21歳で、アニーは23歳だというがホントのところは判らない。家に帰って働かされるのが嫌などら息子で、彼女がせっかく「奉仕」している最中にも大画面テレビでゲームしているガキである。だけど妙にウマが合い、皆でラスヴェガスに繰り込むことになった。そして、乱痴気騒ぎの果てに帰りたくないイヴァンは、結婚してアメリカ在留資格を得れば良いと思って(?)、結婚しちゃうことになった!

(イヴァン捜索隊とともに)

 その「合法的結婚」が写真に撮られて噂になって、ロシアの両親に命じられた「捜索隊」がやって来る。イヴァンは逃げてしまうが、アノーラは捕まってしまう。そしてイヴァン探しにニューヨーク中を探し回る。一方、両親はプライベートジェットで飛んでくるが、母親が大迫力で何とかこの「愚息の愚挙」をなかったことにしたい。アノーラは精一杯闘って、これは愛による結婚だから夫の財産の半分くれなきゃ離婚しないと抵抗するけど…。捜索隊3人が興味深く、アルメニア人を使っているらしい。一番嫌われるが内心動揺しているイゴール役のユーリー・ボリソフ(『コンパートメント№6』)がアカデミー賞助演男優賞ノミネート。

(オスカー4つ受賞のショーン・ベイカー)

 とにかく事態があれよあれよと進むので、面白くて画面から目が離せない。そして前半の「セックス映画」の趣が変わって、後半は「女性と権力」をめぐる映画となる。セックスワーカーとして(多分)貧困な境遇だったアノーラは、一世一代の大当たりの男を捕まえたはずだったけど…。結局男はヘタレだったらしい。ショーン・ベイカー監督(1971~)は『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017)を書いたことがある。それはなかなか良かったけれど、次作『レッド・ロケット』は見てない。突然カンヌ映画祭パルムドールで驚かせ、大化けした感がある。『アノーラ』はとにかく面白い快作で、素晴らしい出来映え。

 ところで、これはいつ頃の話なんだろうか。当然ながらイヴァンの父はプーチン政権を支えるオリガルヒ(新興財閥)だろう。ウクライナ侵攻以後は在米資産は凍結されたんじゃないか。誰もマスクをしてないから、コロナ以前の2010年代なのか。まあ、あまり時代背景を検討する意味がない映画かもしれないが。今でもロシアを「ソ連」と呼んで「社会主義」だとか思い込んでる人が時々いるが、実際のロシアは「財閥支配」の「強欲資本主義」社会だということがよく理解出来る。

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映画『ブルータリスト』、自由とは何か?強烈なアート映画

2025年02月28日 22時02分37秒 |  〃  (新作外国映画)

 『ブルータリスト』(The Brutalist)という映画をついに見て来た。ゴールデングローブ賞ドラマ部門やニューヨーク批評家協会作品賞を受賞した映画である。アカデミー賞では10部門でノミネートされている。(最多は『エミリア・ペレス』の13部門。)また昨年のヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した。つまり、2024年のアメリカを代表する映画なんだけど、何しろ上映時間が215分もある超大作なのである。内容も大変そうだし、体調不完全な日に見ても寝るだけじゃないかと心配。去年の『オッペンハイマー』は傑作だったけど、長すぎて途中でトイレに行ってしまった。この映画は1時間40分ほど経ったところで15分のインターミッションが入ったから良いんだけど、内容的には強烈なアート映画で面白いけど確かに大変だった。

 ハンガリーのユダヤ人建築家ラースロー・トートは、ドイツの強制収容所を何とか生き延びて戦後のアメリカにたどり着く。この主人公をエイドリアン・ブロディが全くその通りと思うしかない名演をしている。『戦場のピアニスト』でオスカーを受賞したが、この映画で2度目の受賞が確実視されている。あまりの名演に、実在人物かモデルがいるのかと思ったら、トートは架空の人物だった。「自由の女神」が何故か逆さまに見えてくる冒頭から、これは「アメリカの自由」が重大な主題となっていることを示すんだと思う。最初はフィラデルフィアで家具屋をやってる従兄弟アティラの家に落ち着くが、彼はカトリックに改宗していた。

(エイドリアン・ブロディ演じるラースロー・トート)

 その従兄弟の家具屋で、ある富豪の家から図書室改修の依頼を受ける。父親を驚かせようと息子ハリーが秘かに計画したのである。そこで極めて独創的な設計を行ったが、完成前に父親が帰ってきて激怒して解雇された。その後、現場で一作業員で働いていたときに、その父親ハリソン・ヴァン・ビューレンガイ・ピアース)が現れ、この前の仕打ちを謝罪した。その後ラースロー・トートを調べたら、バウハウスで学んだ後に故国でブダペスト図書館を設計した大建築家だったと知ったのである。何故言ってくれなかったのと述べ、頼みたい仕事があるから手伝って欲しいと言う。ガイ・ピアースは大富豪を怪演していてアカデミー賞助演男優賞にノミネートされている。『メメント』の主役や『英国王のスピーチ』で退位した兄エドワード8世をやってた人。

(ハリソン宅の図書室)

 実はハリソンは亡くなったばかりの母を記念して、「マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティ・センター」を建てたいというのである。実は入場時に「建築家ラースロー・トートの創造」という小冊子を貰って、それにはこのコミュニティ・センターの写真が載っている。まるで実在の建築のように。ペンシルベニア州ドイルスタウンという町は実在しているようだが、この建物はないものなのか。それをまさにあるかのように工事シーンを撮影するアメリカ映画はやはり凄い。このコミュニティ・センターには体育館、図書館がある中に地元の要望でプロテスタント教会もある。そんな建築を彼は設計したのである。

(ハリソン役のガイ・ピアース)

 ここで一端休憩。そして後半になると、トートの妻と姪が登場する。実は二人は別の収容所に送られて消息不明だったが、何とか生き延びて従兄弟のところに手紙が来ていた。ところが戦後ソ連に支配されたハンガリーから出られず、オーストリア国境で足止めされているというのである。ハリソンは副大統領の顧問を紹介し、その力で何とかアメリカに来ることがかなったのである。そして後半冒頭で登場するが、これが意外な姿。イギリスで学び流暢な英語を話す妻エルジェーベトフェリシティ・ジョーンズ)も強烈な人物像である。フェリシティ・ジョーンズは『ビリーブ 未来への大逆転』で、最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグを演じた人で、この映画でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされている。

(妻と姪がやってくる)

 ところがコミュニティ・センターの建設はなかなか進まない。建築費を抑えるため別の建築家が雇われたり、地元住民に疎外されたり。そして建築物資を運ぶ列車の事故で一端中止となる。その後も紆余曲折があるが、筋書きを書くのはこの辺で終わりたい。富豪に翻弄されるアメリカ。姪はユダヤ人と結婚してイスラエルに移住すると言う。トートにとって真に自由な生き方が出来る場所はあるのだろうか。題名の「ブルータリスト」とは、建築用語で50年代に流行した様式だという。打ち放しのコンクリートを多用し、機能性を重視した建築だという。brutalは野蛮な、荒々しい、残酷なといった意味である。

(ブラディ・コーベット監督)

 監督のブラディ・コーベット(1988~)は『シークレット・オブ・モンスター』『ポップスター』という監督作があるが、僕は見ていない。突然こんな大作アート映画を作った感じである。しかもヨーロッパ時代の収容所体験は全く描かずに、戦後のアメリカを生きる建築家とその周辺に焦点をあわせた。内容的には非常に興味深いんだけど、いくら何でも長すぎないか。「退屈」と評する声もあるようで、近年のアカデミー賞の傾向からは避けられそうという予想が多いらしい。最後の1980年のヴェネツィアの建築ビエンナーレのシーンで、1973年に完成したとされるセンター設計の意味が明かされてビックリする。元気な人は見た方が良いけど、やはり僕ももう少し短く出来る(その方が完成度が上がる)と思った。でも問題作に違いないし、エイドリアン・ブロディは必見。

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映画『ノー・アザー・ランドー故郷は他にない』ーイスラエルの暴虐を暴く記録映画

2025年02月27日 21時55分24秒 |  〃  (新作外国映画)

 夜に円楽襲名披露に行く日、昼間は『ノー・アザー・ランドー故郷は他にない』という映画を見ていた。イスラエルが占領しているヨルダン川西岸地区を舞台にして、軍に村を破壊される人々を長い間にわたって見つめた記録映画である。2024年のベルリン映画祭最優秀ドキュメンタリー賞観客賞を受賞し、米国アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている。全米各地の映画賞で受賞しているが、アメリカでは一般公開されない状態が続いている。ベルリン映画祭でもイスラエル支持のドイツ政府筋から批判されたが、非常に力強い映像で批判を跳ね返して全世界で評価されている映画だ。

 この映画の監督には4人がクレジットされている。パーセル・アドラーユヴァル・アブラハムハムダーン・バラールラヘル・ショールである。しかし、中心になっているのは最初の二人。ヨルダン川西岸地区にあるパレスチナ人の村マサーフェル・ヤッタはイスラエル軍の戦車訓練場と決められ、住民には退去命令が出される。住民たちはイスラエルの裁判所に訴えるが20年以上かかって結局最高裁で住民側敗訴となる。パーセルはその抵抗の様子をカメラで撮影し、ネット上に発信してきた。それに注目したイスラエル人のジャーナリスト、ユヴァル・アブラハムがやってきて、二人で協力して「決死の撮影」が開始される。

 二人が行動を共にするところが撮影されているが、その画像を見てもどっちがどっちだか区別できないだろう。それは日本人だからではなく、お互いに誤認してテロの標的にする事件が起きるぐらい見た目の区別が難しいらしい。上記画像は左がパレスチナ人のパーセル、右がユダヤ人のユヴァルである。ユヴァルは自分が何者か説明する必要がある。村人が「人権派とか?」と聞くとユヴァルは「そんなもん」と答える。パレスチナ人の中にもそういうユダヤ人がいることは認識されているらしい。しかし、そのユダヤ人であることはイスラエル軍には全く通用しないし、軍の暴挙を止めることも出来ない。

 イスラエル軍は日々やってきて、少しずつ村を破壊していく。小学校もブルドーザーでどんどん壊していく。驚くような現実が記録されている。もちろんこの間ガザ地区レバノン南部で激しい空爆が行われ、街は破壊され尽した。そういう映像を見てきたわけで、それに比べれば爆弾を落としているわけではない。しかし「戦闘行為」として行われたガザなどと違い、ここは「基地建設」という目的である。戦後の沖縄や本土各地、あるいは足尾鉱毒事件の谷中村のようなもので、「国家権力」は全く住民の存在を無視して一つの村を破壊し尽す。反基地運動は日本でも行われているが、ここでは軍は「実弾」を使用するのである。

 この村の抵抗は20年以上続いていて、その歴史は4人の監督のうち後ろの方の人々が撮りためてきた映像が使われている。昔若く抵抗の中心だった人々も高齢になり、若い世代が中心になる。カメラで撮れなくなると、スマホで撮って編集する。何年も撮影してきて、最後は2023年冬である。驚くべきことにその時は一面白の雪景色。パレスチナの地であんな風景もあるのか。イスラエル軍はいつ本当に発砲するか予測出来ず、撮影は覚悟なくして出来ない。そんな驚くべき貴重な映像が続く。日本でも南西諸島に自衛隊基地が集中して作られている。その様子を描く『戦雲』と構図は似ているが、さすがに日本では銃撃はされない。

 ここが「イスラエルの占領地」だから、とりわけ人々の権利が保障されていない状況だと考えられる。1967年以来軍事占領下にあり、本来は占領中は許されない本国住民の「入植」が行われている。映像で見ると、軍と入植者は一体になって住民を攻撃している。この地は小高い丘にあり、周囲には岩穴がある。住民は穴居生活をしながら抵抗しているが、やはり全員というわけではなく、耐えきれなくなった人々はやはり一家で去って行くのである。

 Wikipediaによると、ベルリン映画祭の受賞スピーチで、ユダヤ人監督のユヴァル・アブラハムはパレスチナ人の共同監督バゼルについて次のように述べた。 「私は文民法の下にあり、バーゼルは軍事法の下にある。私たちは互いに30分の距離に住んでいるが、私には選挙権がある。バーゼルには選挙権がない。私はこの土地で好きな場所に自由に移動できる。バーゼルは、何百万人ものパレスチナ人と同じように、占領されたヨルダン川西岸地区に閉じ込められている。私たちの間にあるこのアパルトヘイトの状況、この不平等を終わらせなければならない」と出ている。このスピーチをベルリン市長が「反ユダヤ的」と非難したらしい。しかし、この発言はユダヤ人によってなされたものなのである。実に大変な状況だということが察せられる。

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『リアル・ペイン~心の旅~』、「悲劇のユダヤ人歴史ツァー」のロードムーヴィー

2025年02月11日 21時44分46秒 |  〃  (新作外国映画)

 日本では映画興行の中心が夏休みとお正月の邦画アニメになっている。シネコンのスクリーンが空いているのが、2月から春休みまでの間。ちょうどその頃に米国アカデミー賞のノミネートが発表になるので、賞レースに合わせてアート系注目作品がこの時期に公開されることが多い。「アカデミー賞最有力」とか「アカデミー賞○部門ノミネート」とか大々的な宣伝をするわけである。ということで、しばらく新作を一生懸命見て紹介していきたい。

 今回はジェシー・アイゼンバーグ監督『リアル・ペイン~心の旅~』である。ゴールデングローブ賞で助演男優賞を獲得し、アカデミー賞でも助演男優賞、脚本賞にノミネート中である。確かに脚本が面白く、こういう話が映画化出来るところがアメリカ映画の懐の深さだなあと思う。典型的なロードムーヴィーだが、それが「集団ツァー」だという点、またポーランドに「ユダヤ人の悲劇の歴史を訪ねる」というところに新味がある。お勉強映画じゃないけど、見ていて勉強になる点が幾つもある。

 冒頭でデヴィッドジェシー・アイゼンバーグ)が空港に向かいながら、何度もベンジーキーラン・カルキン)に電話しているが一向に返信がない。空港に着いてみると、ベンジーはもう何時間も前に来て人間観察をしていたんだという。この段階ではデヴィッドが落ち着きがなく、ベンジーが落ち着いているのかと思うが実は違った。ベンジーこそ何かと「独自の見解」を語り出し、集団行動が苦手なのである。飛行機の目的地はポーランドの首都ワルシャワ。二人はユダヤ人のいとこ同士で、昔祖母が住んでいたポーランドを訪ねて「ユダヤ人の悲劇の歴史を訪ねる旅」に参加したのである。

(参加者の皆)

 現地集合で集まってみたら、ガイドはイギリス人でメンバーは6人だった。ユダヤ系の夫婦、離婚したばかりのユダヤ系アメリカ女性、そして何故かアフリカのルワンダ出身の黒人。(何で彼がいるのか映画で確認を。)そして、ワルシャワ各所の記念碑をめぐりワルシャワ蜂起の歴史を学ぶ。デイヴィッドは静かに見たいタイプだが、ベンジーは誰とでもすぐに打ち解ける。記念碑の人々と同じ格好をして写真を撮ろうと呼びかける。歴史的に複雑な経緯もあるわけで、それは冒涜なのか。ベンジーは「守るべき常識」になど囚われず、ホテルにマリファナを送りつけていて一緒に吸おうぜというぐらいである。

(二人の従兄弟)

 そんなベンジーは時々苛立つ。過去のユダヤ人の苦難をしのぶ旅なのに、自分たちは一等車に乗って移動していて良いのか。あるいはユダヤ人墓地を訪ねて、これは何百年前の墓だと歴史の知識を学ぶだけで良いのか、地元のポーランド人との交流もないし。彼らの祖母は最近亡くなり、特にベンジーはショックを受けてウツになったとデヴィッドは言う。だから仕事と妻子を置いて、デヴィッドがこの旅を申し込んだのである。だけど「祖国を捨てた祖母の苦難」を「高級ホテル」に泊まって「美味しいディナー」を食べてしのべるのか。そういう旅行に参加していて心が苦しくならないか。それがベンジーの気持ちらしい。

(ついに収容所跡に)

 そして、いよいよクライマックスの収容所訪問になる。ポーランド南東のルブリン近郊、マイダネク収容所である。ここは「表現が難しい」がソ連軍の進攻が急だったためドイツが急いで逃げ「保存状態が良い」のだという。そして、そこで二人は一行を離れて、祖母が住んでいた町を目指す。この後半の展開は是非映画で見て欲しい。二人のいとこが出ずっぱりで、ほぼバディ映画の趣である。デイヴィッドのジェシー・アイゼンバーグが脚本、監督、製作、主演の大活躍。誰かと思ったら『ソーシャル・ネットワーク』でザッカーバーグを演じてアカデミー賞にノミネートされた人だった。『僕らの世界が交わるまで』に次ぐ監督2作目。

(祖母の住んでいた町で)

 しかし非常に高く評価されているのは、ベンジー役のキーラン・カルキン。圧倒的な演技で見る者の心を鷲づかみする。この人は『ホーム・アローン』のマコーレー・カルキン少年の弟だった。そのシリーズで子役デビューしている。その後『17歳の処方箋』(2002)でゴールデングローブ賞にノミネートされた。今回の映画が壮年期の代表作になるだろう。ポーランドの風景が美しく、修復された都市が見事。ほぼ全編ショパンが流れるのもポーランドムードを高めている。

 この映画は是非「歴史ファン」あるいは「歴史教員」に見て欲しいと思う。「歴史を学ぶとはどういうことか」が大事なテーマとなっている。ロードムーヴィーは数多いが、今回のような「ダーク・ツーリズム」を描くのは珍しい。歴史教員は仕事で沖縄や広島の修学旅行に携わることがある。そういう立場からすると、大事な視点がこの映画には出ている。誰しも歴史には戦争や虐殺などの悲劇があったことを知っている。しかし、それらを「学ぶ」とはどういうことか。ただ知識を得るだけで満足してしまう「歴史ファン」も世に多いだろう。本当に「苦難をしのぶ」ことについて考えるヒントが詰まっている。

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『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』、アルモドバル監督魂の傑作

2025年02月07日 20時21分34秒 |  〃  (新作外国映画)

 スペインのペドロ・アルモドバル監督の『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』が公開された。2024年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作である。スペイン語ではなく、監督初の英語長編映画である。(短編作品には英語映画がある。)シーグリッド・ヌーネスという作家の原作に基づいていて、翻訳は早川書房近刊と出ている。アルモドバル監督と言えば原色の氾濫、過激なストーリーで知られたが、この映画は「静か」で「枯れた」色調に驚く。死生観をテーマに魂に触れる感動作で、深く心に沁みる作品だった。また、ダブル主演とも言えるティルダ・スウィントンジュリアン・ムーアの演技が絶妙で、一瞬も目が離せない。

 作家のイングリッド・パーカージュリアン・ムーア)は新刊のサイン会で、旧友の戦場記者マーサ・ハントティルダ・スウィントン)が闘病中だと初めて知った。早速数年ぶりに会いに行くと、子宮頸がんで治療中だった。彼らは一番の親友というわけではなかったが、人生の重要な局面を共にしてきた。マーサには一人娘ミッシェルがいたが、関係は疎遠になっていた。そこでイングリッドは自分が毎日のように通うと約束するのだった。二人は病室で楽しく語り合い、思い出に浸る。

(ニューヨークの街を望む)

 ところがある日、マーサはすべての希望が消えたという。様々な治療は失敗し転移が明らかとなった。自分は延命は望まず、死を受け容れるという。その後、イングリッドに重要な依頼があった。自分は「安楽死」するつもりで、闇サイトで許可されていない薬物を購入したという。そして、「その時」を迎えるときにイングリッドに隣の部屋にいて欲しいというのである。数年会ってもいなかった自分が何故? イングリッドは死が怖いというタイプなのである。しかし、マーサは他に数人頼んでみたが断られたと言い、法的な問題が起きないように遺書を残すと約束する。結局、イングリッドはマーサの頼みを引き受けることにする。

(二人で語り合う)

 マーサはニューヨーク州北部ウッドストックに別荘を借りたという。イングリッドが車で連れて行くが、そこは樹木と鳥の鳴き声に囲まれた場所だった。結局「隣」ではなく、「下の階」になるが、こうして二人の一時的な同居が始まった。そしてマーサは「その時」はドアを閉めておく、ドアが開いていれば実行前だという。この間にマーサの娘の話、戦場での思い出、イングリッドの私生活などが少し語られる。だけど、基本的にはほぼ病気と死をめぐる会話と思索である。衰えゆくマーサを全身で表現するティルダ・スウィントン、その様子を見守るジュリアン・ムーアの受けの演技の見事さ。非常に見ごたえがある。

(ペドロ・アルモドバル監督)

 筋だけ聞けば何が面白いのかと思う人もいるだろう。しかし、見れば演技や演出、撮影などの完成度の高さに感動すると思う。僕も若い頃にベルイマン監督の『野いちご』という老境映画を見て、芸術的達成の素晴らしさは感じ取れた。だけど、テーマ的に「老い」を深く考えるには若すぎたと思う。この映画も高齢になって見る方がしみじみと感動するはずだ。あまり原作ものを撮っていないアルモドバル監督も、こういう原作を選ぶようになったのか。僕はマーサの気持ちが(はっきり言えば)理解出来ない。しかし、一人で逝きたくないし、病院の延命治療も拒否するというのは共感出来る。

 「死」との付き合い方というテーマの展開は、日本人的には今ひとつ納得出来ない気もする。しかし、映画的完成度が高いのは間違いない。主人公にこと寄せ、自分の行く末来し方をいろいろと考えてしまう映画だ。ハチャメチャな傑作『神経衰弱ギリギリの女たち』が1989年に初めて公開されて以来、ペドロ・アルモドバルの作品はすべて見て来た。『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』で頂点を極めた後で、21世紀は少し低迷が長かった。この数年『ペイン・アンド・グローリー』『パラレル・マザーズ』など復活の兆しが見られたが、まさかこのような英語の原作による死生観映画を撮るとは思わなかった。

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