尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

タイ映画『ふたごのユーとミー 忘れられない夏』、思春期映画の傑作

2024年07月10日 21時53分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 都知事選や都議補選はまだ書くことがありそうだが、ちょっと映画の話。タイ映画『ふたごのユーとミー 忘れられない夏』という映画にとても感心した。多分知らない人が多いと思う。新聞の映画評を読んで見てみたいと思ったけど、僕もそんな映画をやってるのは知らなかった。調べてみると、東京23区内でも新宿ピカデリーと池袋HUMAXシネマズの2館しか上映してない。6月28日公開で、12日からはもう朝か夜の時間しか無くなってしまう。しかし、この映画は奇跡の思春期映画であり、「ガーリー・ムーヴィー」史上に残る傑作だと思う。タイ映画なんて見たことないという人にこそ是非見て欲しい映画だ。

 「ユーとミー」と題名にあるが、これは「あなたと私」ではない。それも掛かっているんだろうけど、タイの少女の名前がユーミーなのである。二人は一卵性双生児で、ホクロがある方がミー、ない方がユーというぐらいしか違わない。だから二人は時々周囲を欺して遊んでいる。食べ放題の店で大量に注文し、途中でトイレに行って交代するとか。この方式で、数学が苦手なユーの代わりに、ホクロを隠してミーが追試を受けた。鉛筆を忘れて困ってたらハーフの男子が鉛筆を折ってミーに貸してくれた。
(ユーとミー)
 何でも一緒の二人だが、そんな二人にも「大人の影」が…。両親の仲がどうもうまく行ってないらしい。二人は夏休みに海外に行きたいのに、今年の夏は母親の実家で過ごすという。それがイサーン(東北地方)のナコンパノム。ラオス国境にあるメコン川沿いの町だ。ミーは昔やった思い出の伝統楽器ピン(三弦の弦楽器)を見つけて、もう一回ちゃんと習いたいと思う。教室に行ってみたら、そこには何と追試で(ミーが)会った男の子マークがいたのである。親切に教えてくれるマークにユーはお熱になるが、彼は実際に追試を受けたのがミーとは知らない。実際に試験で会っていたミーも交えて3人でよく遊ぶようになるが…。
(ユーとミーとマーク)
 世の中は「2000年問題」で大騒ぎの1999年。一応説明しておくと、コンピュータ時代が始まって間もなく、時間設定が1900年代分しか出来てないため、2000年になった瞬間に大問題(飛行機が落ちるとか原発事故が起きるとか)が起きるかもと言われたのである。そして事業に失敗した父と母はホントに離婚するらしい。いつも一緒だったユーとミーだが、父はどっちか一人は父親と暮らして欲しいらしい。姉妹の「三角関係」も、親の離婚に翻弄される話も今までにあったけど、それが一卵性双生児の場合だったらどうなるんだろう。映画ならでは「奇跡」も交えて、二人の夏は劇的に過ぎていって…。そして運命の2000年がやって来る。
(ホンウィワット姉妹監督)
 この映画の監督・脚本は、ワンウェーウ & ウェーウワン・ホンウィワット姉妹という二人。実際に監督たちが一卵性双生児で、二人の経験が脚本にたっぷりつぎ込まれているらしい。世界に「兄弟監督」はいるけれど、「一卵性双生児姉妹」という映画監督は他にいないだろう。とても覚えきれない名前だが、弾けるような思春期の輝きを映像に閉じ込めた奇跡の映画だ。もう一つスゴイ奇跡があって、僕は映画を見ている間ずっと演じているのも一卵性双生児姉妹なんだろうと思っていたのだが、ラストのクレジットを見たら一人になっていた。ティティヤー・ジラポーンシンという2005年生まれの少女の二役だったのである。

 上記画像を見れば、誰でも二人の女優が出ていると思うだろう。むろん現代の技術をもってすれば一人二役も可能なんだろうが、それにしてもこんなに自然に双子を演じ分けるって、演技も演出も半端ない才能だ。マークも新人のアントニー・ブィサレーで、ベルギー人の父とタイ人の母の間に2004年に生まれたという。監督も俳優もフレッシュな魅力にあふれている。当時の歌が流れるが、タイなんだから僕は知らないけど、それでも懐かしい。思春期映画にふさわしいノスタルジックでガーリーなムードに覆われているが、監督の緻密な映像計算にすっかりハマってしまう映画だ。
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映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ』、これぞ感動の名作

2024年06月24日 21時49分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』が公開された。2024年の米アカデミー賞で作品賞、脚本賞などにノミネートされ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ助演女優賞を受けた映画である。アレクサンダー・ペイン監督作品で、この監督とは『サイドウェイ』(2004)、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(2013)など相性が良いので期待大。そして期待にたがわぬ心に沁みる傑作だった。今年の外国映画は『哀れなるものたち』『オッペンハイマー』『関心領域』など例年になく傑作ぞろいだが、そういう本格アート映画はやはり見てて疲れる。『ホールドオーバーズ』はその中にあって一服の清涼剤みたいな映画だ。

 時は1970年のクリスマス。ところはアメリカ北東部、ボストン近郊のバートン校という全寮制高校である。アメリカの映画や小説には、こういう学校がよく出てくる。金持ちが子どもを預ける場所である。夏冬の休暇には、ほとんどの生徒が親元に帰る。それを楽しみに窮屈な学園生活を耐え忍んでいるわけである。しかし、中には学校に残らざるを得ない家庭事情の生徒もいる。それが「ホールドオーバーズ」(The Holdovers)で、「残留者」といった意味。そうなると、彼らの面倒を見るため教師も一人残ることになる。今年の担当は母親が難病とか理由を付けて逃げてしまった。そこで、ハナム先生ポール・ジアマッティ)が代わることになるが、彼に言わせればこれは「懲罰」。多額の寄付金をくれた有力議員の息子を落第させたからである。
(ハナム先生=ポール・ジアマッティ)
 ハナム先生は自分もバートン校出身で、古代ギリシャ・ローマ史専攻。いつも大昔の格言なんかを繰り出す浮世離れしたタイプで、せっかくのクリスマス休暇もきちんと勉強させると張り切っている。こういう映画では教師は分からず屋の頑固者と決まってる。料理番として残ったメアリーダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)は、何とか息子をバートン校に入れたがお金がなくて大学へ行かせられなかった。息子は徴兵でヴェトナムに送られ、戦死してしまった。バートン校の戦死者の列に加わった最新の卒業生である。悲しみを抱えた訳知りの黒人女性を見事に演じたダヴァイン・ジョイ・ランドルフに助演女優賞が与えられた。
(ハナム先生とメアリー、アンガス)
 生徒は初め4人のはずだったが、突然アンガス・タリーが加わって5人となった。母と再婚した夫が二人だけで新婚旅行に出掛けるからである。その5人組で話が進むのかと思ってると、一人の親がヘリコプターでやってきてスキーに連れてってくれるという。だがアンガスだけ両親と連絡が付かず、居残りを続けることになる。こうして、ハナム先生、メアリー、アンガスの3人になってからが、真のドラマだった。何かと問題を起こすアンガス、孤独なハナム先生もパーティに誘われたり…。そんな中アンガスはどうしてもボストンに行ってみたいと言い出す。ハナム先生は拒むが、メアリーが口添えして「まあ社会見学なら」と許可する。
(ボストンの街頭古書店)
 メアリーも妹に会いに行くと同行するが、二人だけになるとハナム先生は実際に歴史博物館や古本屋に連れて行くから笑える。それでもスケートに行ったり、少しずつ気持ちも通い合う。そんな中で、ハナム先生もアンガスも深い秘密を抱えていたことが判るのだが、そのことがラストで生きてくる。オリジナルシナリオ(デヴィッド・ヘミングソン=アカデミー賞ノミネート)がとても良く出来ていて、この種の物語の定番でありつつも時代相を書き込んでいる。往年のクリスマス・ソングがバックに流れ、外はニューイングランドの雪景色。ラストは予想通りだったが、それでも感動的な展開に良い映画を見たという満足感があった。

 全寮制高校を舞台にした映画といえば『いまを生きる』(1989、ピーター・ウィア-監督)が思い浮かぶ。実際製作者サイドも判っていて、その映画が1958年だったので設定をもう少し後にしたという。1970年はもう半世紀も前のことになるが、変革期として思い出す時代である。だが古風な全寮制高校ではなかなか変化が見えない。しかし、外には熱い変革の風が吹いていた。それなのに映像で美しい学園風景を見ると、無条件に懐かしい気持ちになる。もちろん1970年のアメリカのクリスマス・パーティなんか知らないが、それでも青春は世界共通だからノスタルジーに浸れる。
(アレクサンダー・ペイン監督)
 アレクサンダー・ペイン監督(1961~)は『サイドウェイ』『ファミリーツリー』で2回アカデミー賞脚色賞を受賞したが、今回は他の人に任せている。アイディア自体はペインが着想したようだが、シナリオはデヴィッド・ヘミングソンに任せて演出に専念したのが功を奏したと思う。ハナム先生のポール・ジアマッティはペイン監督の出演が多いが、まさにその人がいるような名演。アンガスはドミニク・セッサという新人で、いかにもスポイルされたようで実は繊細な感じが出ている。知名度のある俳優が出てないから見逃しがちだが、この映画は見た人の心に残り続ける名作になるだろう。
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『情熱の王国』『壁は語る』ーカルロス・サウラ最後の映画

2024年06月19日 21時45分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 スペイン映画の巨匠カルロス・サウラは2023年2月に亡くなったが、遺作の『情熱の王国』(2021)、『壁は語る』(2022)が公開されている(渋谷・ユーロスペース)。未公開作品はたくさんあるので、昔に作られた映画なのかと思ったら最近の作品だった。91歳で亡くなったので、実に高齢になるまで元気に作り続けた人なのだ。『カルメン』(1983)で評価され、『血の婚礼』『恋は魔術師』の「フラメンコ3部作」で知られた。後に『フラメンコ』という映画も作ったけど、別にフラメンコ映画ばかり作った人ではない。様々なジャンルの映画を作り、各地の映画祭で受賞した巨匠である。

 『情熱の王国』はフラメンコじゃないけど、ダンスの映画ではある。それもメキシコでミュージカル製作過程をミュージカルにする三重構成の映画。若いダンサーをオーディションで選び、レッスンを繰り返していく。その間に登場人物を通して愛や暴力の世界を見つめる。メキシコはつい最近女性大統領が当選したが、社会には暴力の風潮が強く「マチズモ」(男性優位主義)が根強い。そのような社会に生きる若い世代の悩みも語られる。ダンスの世界と現実の世界を往還しながら、力強い劇世界を構成している。ダンスの練習を繰り返す中で、「現実」の力が作品内に浸蝕してくる。コンテンポラリーダンスの迫力が素晴らしい。2019年に撮影された時には監督は87歳だった。とてもそう思えない若々しい情熱に満ちた映画。第2都市グアダラハラで撮影された。

 『壁は語る』は全然違ってドキュメンタリー映画である。カルロス・サウラ自身がインタビュアーになって、芸術の起源を探る旅を続ける。具体的には幼い頃から接していたスペインのアルタミラ洞窟の壁画である。その他多くの遺跡や洞窟をめぐって、この絵はどうして描かれたかを専門家とともに追求していく。そこからさらに現代のグラフィック・アーティストを訪ね、壁に描く理由を問う。アニエス・ヴァルダの遺作『顔たち、ところどころ』(2017)を思い起こさせる映画だが、ヴァルダは現代を探るのに対し、サウラは過去と現代をつなぐアートの起源を探る。75分と短いが滋味がある。どっちも興味深い映画だ。
(カルロス・サウラ)
 こうしてカルロス・サウラ最後の2作品が日本で紹介されたのはうれしい。貴重な機会を逃さないように書いておく次第。サウラの融通無碍な作風をのぞかせる2本である。自分が前面に出て語る『壁は語る』も面白いと思うが、僕は特に『情熱の王国』がすごいと思った。同じスペイン語圏とはいえ、メキシコまで出掛けて映画を作る。それもミュージカルを作る過程をそのまま映像化することで、老若男女の苦悩を鮮やかにあぶり出す。若きダンサーたちが自分が選ばれたいとオーディションを頑張るシーンなど、実に若々しい演出に驚いてしまった。見事なものである。逝去が惜しまれる監督だった。
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映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』、イギリス発の感動作

2024年06月13日 23時26分51秒 |  〃  (新作外国映画)
 火曜日に『トノバン』に続いて見たのが、イギリス映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』である。レイチェル・ジョイスの原作は、日本でも2014年本屋大賞翻訳小説部門第2位になったという。しかし一般的には原作も出演者も監督(ヘティ・マクドナルド)も、ほとんど知名度がないだろう。どこかの映画祭で賞を取ったというわけでもない。予告編を見て、キレイな場所だなあと思ったので見たかったのである。そして、これは今年一番の(かどうかまだ知らないが)感動映画だった。お涙頂戴じゃなく、美しい風景の中に「これが人生か」と思わせる。高齢者にも若者にも、是非見逃さないで欲しい映画だ。

 この映画は簡単に言えば、知人女性が末期ガンでホスピスにいると聞いて年寄りの男性が会いに行くという、ただそれだけの映画である。だけど、その距離が半端じゃない。イングランド南西部のデヴォン州から、イングランド東北部まで800㎞を歩いて会いに行くというのである。東京から(電車の距離で言えば)、西へ向かって広島県の福山あたりまで歩くのと同じ。ハロルド・フライジム・ブロートベント)は特に運動もしてない高齢者。しかも突然思い立って歩き始めたから、何の準備もしていない。
(地図)
 昔職場で同僚だったクウィーニーからホスピスにいると手紙が来る。返事を書いて、郵便局に行くと妻に言って家を出た。そして、そのまま突然歩いて会いに行ったのである。なんで? 人生で何もしなかったから、ここでやるんだという。それはいいとして、車や電車じゃダメなのか。お金の問題じゃなく、歩いて行くことに意味があるらしい。そうだとしても、一度家に帰って妻に説明したうえで、靴や服装などウォーキングに向く準備をするのが普通だろう。しかし、「普通」って何だ? そこにドラマがある。

 それにしてもイングランドの農村も都市も美しい。800㎞は嫌だけど、自分も少しハイキングしたくなる。もちろん疲れてしまう。でも助けてくれる人もいる。一緒に歩きたいという青年も現れる。写真を撮っていいかと聞かれて、写真を撮られたら、いつの間にか人気者になっていた。多分SNSに投稿され、そこからテレビや新聞にも取り上げられたということなんだろう。世界中どこも同じである。「巡礼者」(ピルグリム)と胸に書いたTシャツが作られ、皆で一緒に歩くようになってしまった。でも、それだと遅くなってしまう。もう一月以上歩いているのである。結局皆と別れて、また一人歩き続ける。
(巡礼者と評判になる)
 だけどクウィーニーって誰? 何で会いに行くの? 妻は自分が置き去りにされ、何が何だか判らない。妻との家庭は冷えていたようである。過去のシーンがインサートされ、辛い過去があることが次第に理解されていく。クイーニーに会いに行く理由も、やがて判明する。夫婦関係、親子関係、世界中皆同じような悩みを抱えている。そんなことは知っていたけど、改めて深く感じるところがある。
(妻と)
 ハロルド・フライを演じるジム・ブロートベント(1949~)は、『アイリス』(2001)で米アカデミー賞助演男優賞を受けた。戦後イギリスの女性作家アイリス・マードックの伝記映画で、作家の夫役だった。その他、ハリー・ポッターシリーズや『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』のサッチャーの夫など、いろいろ活躍してきた。しかし、今回は「妻の夫」役ではなく、堂々たる主役をやってる。妻はペネロープ・ウィルトンという人で、「ダウントン・アビー」シリーズなど活躍して来たという。監督のへティ・マクドナルドは、主にテレビで『名探偵ポワロ』などを作ってきた。撮影のケイト・マッカラは、今年公開された『コット、はじまりの夏』も撮影している。どっちも風景を見事にとらえていて忘れがたい。
(原作・脚本のレイチェル・ジョイス)
 原作・脚本のレイチェル・ジョイスはテレビ、ラジオ、舞台で活躍してきた女優だったという。この映画の原作が作家デビューで、大きな評判になったという。その後、『ハロルド・フライを待ちながら クウィーニー・ヘネシーの愛の歌』と、妻モーリーンを主人公にした「Maureen Fry and the Angel of the North」(原題・未翻訳)という小説も書いているらしい。なるほど、ハロルド以外の人から見ると、また違っているだろう。とにかく最近出色のロードムーヴィーで、いろいろと人生について考えさせられる。面白くて感動的。
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映画『関心領域』、アウシュヴィッツ収容所の隣の「美しい庭」

2024年05月31日 22時07分27秒 |  〃  (新作外国映画)
 青年座の舞台を見る前に、映画『関心領域』(ジョナサン・グレイザー監督)を見ていた。2023年のカンヌ映画祭グランプリ、2024年の米国アカデミー賞国際長編映画賞の受賞作である。世界各地で非常に高く評価された「社会派アート映画」の傑作だが、そんじょそこらのホラー映画よりずっと怖い。エンタメとして作られたホラー映画は、怖いぞ怖いぞという気分を盛り上げる仕掛けがあざといが、この映画は声高には語らない。ドキュメンタリー映画のように、ある人々を静かに見つめるだけである。ところどころ理解出来ないような描写もあって、少し事前に調べていった方がいいかもしれない。

 『関心領域』(The Zone of Interest)は、第二次大戦中にドイツ軍がポーランドに建設した「アウシュヴィッツ収容所」のルドルフ・ヘス所長一家の生活を描く。彼らは収容所の隣に住んでいる。映画はほぼドイツ語で進行するが、製作はイギリス・アメリカ・ポーランドの合作。イギリス作家マーティン・エイミス(1949~2023)の2014年の小説が原作になっている。(早川書房から翻訳。)ルドルフ・ヘスと言えば、ナチ党副総統で1941年にイギリスに逃走した人を思い出す。しかし、それは「ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス」で、この映画に出てくるのは「ルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘス」で別人。
(庭で遊ぶ一家)
 紹介文をコピーすると、「空は青く、誰もが笑顔で、子供たちの楽しげな声が聴こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から黒い煙があがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の所長ルドルフ・ヘスとその妻ヘドウィグら家族は、収容所の隣で幸せに暮らしていた。スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わす何気ない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?」 
(家族を見つめるヘス)
 画面には美しい庭園が見事に映されている。その向こうに壁があり、煙突から煙が出ている。それが何の煙なのか、この映画を見る人は知っている。それでも所長一家はそこで「美しい暮らし」を営んでいる。ヘスは1940年4月にアウシュヴィッツ収容所の初代所長として赴任し、「絶滅収容所」として「整備」した。夫人のヘートヴィヒ・ヘスは、美しい庭園を作り上げ「東方入植者」のモデルを自負する。アウシュヴィッツの社交界に君臨し、まさに理想の生活を送っていた。1943年秋にルドルフは所長を退任し異動するが、妻は納得せず彼は単身赴任せざるを得なかった。その夫婦トラブルがこの映画一番の見どころか。
(所長夫人)
 妻は何も知らなかったのだろうか? いや、そうではないことがセリフの端々にうかがえる。見たくないものを見ないのではなく、自分たちが「上」なんだと思い込んでいる。普通だったら、夫は隠すべき仕事に携わっていると思いそうだ。だが、それなら収容所から遠くに住んで夫だけ「通勤」すれば良い。まさに隣に住んでいて、何も感じないのである。妻を演じたのは『落下の解剖学』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたザンドラ・ヒュラーで、驚くべき演技だ。夫ルドルフは『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)でヒトラー暗殺未遂犯ゲオルク・エルザ―を演じた、クリスティアン・フリーデルという人。
(ジョナサン・グレイザー監督)
 米アカデミー賞国際長編映画賞には、セリフの半分以上が非英語であるという条件がある。それさえクリアーすれば、英語圏の映画でもよく、今までもカナダのフランス語圏映画が受賞している。『関心領域』はイギリス代表としてノミネートされた。(他にも作品賞、監督賞、脚色賞、音響賞にノミネートされ、音響賞も受賞した。)なお、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』は日本代表でノミネート、ドイツの代表でノミネートされたのは今公開中の『ありふれた教室』だった。

 脚本、監督のジョナサン・グレイザー(1965~)は、ニコール・キッドマン主演の『記憶の棘』(2004)やスカーレット・ヨハンソン主演の『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013)などを作った人だというが、見てないからどういう人か判らない。何でもへス邸は残っていて、近くにレプリカを建設したという。2021年夏に撮影され、それに合わせて春から庭園を造り始めた。ヘス夫妻は下働きにポーランド人を使っていて、監督は90歳の体験者に会ってリサーチ出来たという。

 この映画を見ていて、どうしてもイスラエルのガザ攻撃を思わずにいられない。その他世界中に「(実際の)壁」や「見えない壁」が存在する。隣で何があっても、見ない人もいる。それは世界中で共通するだろう。『オッペンハイマー』で「被爆者が描かれていない」と評した人は、『関心領域」でも「ホロコーストの実態が描かれていない」と評するのだろうか。そうじゃないとおかしいはずだが。しかし、我々には「想像力」があり、その力は映画を越えて今の現実をも撃つはずだ。
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映画『パスト・ライブス/再会』、24年目の再会を繊細に描く

2024年04月17日 22時19分41秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画『パスト・ライブス/再会』(Past Lives)は、米アカデミー賞の作品賞にノミネートされた作品だ。アカデミー賞の作品賞は10本の候補作が選定される。10本になったのは2009年からで、それまでは毎年5本だった(昔の1930年代にも10本があったが)。世界で最も有名な映画賞だけに、候補になっただけでも商業的に有利になる。10本に拡大されたことで、海外作品も毎年のように入ってくるようになった。2024年の候補作では、明らかに『オッペンハイマー』『哀れなるものたち』が抜きん出ていた。5本だったらこの映画のノミネートは難しかったのではないか。

 この映画は先の両作のような、エネルギーに満ちて見る側も疲れてしまう渾身の大作と違い、見ていて切なくなるような「あるある感」満載の恋愛映画である。韓国系アメリカ人のセリーヌ・ソン(1988~)の初監督映画で、自分の実人生を反映しているらしい。若い頃を思い出すと、つらい別れをしたまま再会もままならないような「思い出の人」がいるものじゃないだろうか。そこまで行かなくても、片思いしていた相手が急に転校して二度と会えなかったとか、誰にでも切ない思い出の幾つかががあるものだろう。
(12歳のナヨンとヘソン)
 韓国に住む12歳の少女ナヨンと少年ヘソンもそんな二人だった。成績優秀な二人だが、いつもナヨンがトップなのにあるときヘソンが1位になった。そんな時ナヨンの一家がカナダに移住することになった。その前に親同士が二人を公園に連れて行って思い出作りをさせた。お互い幼いながら好き合っていたのである。移住したのは2000年頃。昔の韓国映画には経済的に外国へ移民するとか、軍事政権に抵抗して亡命するとかいう設定もある。しかし、もうそんな時代ではない。ナヨンの父は映画監督で活躍の場を求めて国を離れただけで、政治的な事情はないのである。

 12歳のナヨンは韓国にいてはノーベル文学賞が取れないと言った。作家を目指していたからである。海外移住を期に英語風の名前に変えることになり、「ノラ」と名乗ることにした。12年後、ノラの母が昔幼なじみがいたよねと言ったのをきっかけにヘソンを探してみる。すると父親のFacebookにナヨンを探しているとメッセージが来ていたのを見つけた。21世紀になった頃からインターネットが普及し、久しぶりに同窓会を開いたなどと言われた。2010年代になると、FacebookTwitter(現X)などのSNSが普及してきて、直接昔の知り合いを探せるようになった。「友だち申請」はしないまでも、検索してみた人は多いんじゃないだろうか。
(セリーヌ・ソン監督)
 そして二人は毎日のように時差を越えてオンラインで話すようになる。ヘソンは兵役についていたときに、昔のナヨンを思い出したのである。しかし、名前を変えていたノラを見つけられなかった。その時ヘソンは工学の勉強をしていた。ノラはニューヨークに移って、若き劇作家として認められつつあった。今はノーベル賞じゃなくて、ピュリッツァー賞が取りたいという。二人は互いに、ソウルに来て、ニューヨークにいつ来るのと会話するが、お互い予定があってなかなか現実の再会は難しい。そこで行き詰まった二人は、一端毎日のような通話を止めようとなった。
(24年目にニューヨークで再会)
 そしてさらに12年経って、ヘソンがニューヨークにやって来る。なんのために? その時ノラはもう結婚していた。24歳のノラが作家のために用意されたリゾートでアーサーと知り合ったのである。そして今はトニー賞が一番欲しい。大人になってからは、ほぼこの3人しか出て来ない。ノラはグレタ・リー、ヘソンはユ・テオという二人で、幼なじみが再会してみれば美男美女だから心が揺れる。アーサーはジョン・マガロ(『ファースト・カウ』の主役)で、これがまた善人を絵に書いたような人物で、久しぶりに幼なじみに再会する妻を温かく見守る。だけど…。

 日本映画には片方が難病になったり、虐待されていたり、災害に襲われたり…という展開が多い。もちろんドラマチックだったり、社会問題を提起するのも大切だ。しかし、この映画は才能ある美男美女がすれ違うだけの物語である。それで十分心に沁みるのは、語り口がうまいのである。ニューヨークが美しく描かれているのも見逃せない。ただし、あまりにも淡彩の映画かなと『オッペンハイマー』を見たばかりでは感じてしまうのも事実。だけど捨てがたいのは、SNSなど現代のツールで再会する設定などに「あるある感」を感じてしまうからだ。でもこの二人はソウルにずっといても、きっと別れていたのではないかとも思った。
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映画『オッペンハイマー』をどう見るかー栄光と悲劇に迫る傑作

2024年04月16日 22時44分25秒 |  〃  (新作外国映画)
 2024年のアカデミー賞で作品賞等最多7部門で受賞した話題作『オッペンハイマー』を昨日見た。早く見たかったが、何しろ180分という長尺で、気力体力充実した日じゃないと見に行けない。じゃあ昨日はそういう日だったかというと、そうでもないんだけど完璧に元気な日を待ってたら見逃しちゃうから出掛けたわけである。新聞休刊日で早めに出られたので、IMAXシアターの大迫力で見ることにした。その分高いけど、値段分の価値はあったと思う。しかし、あまりにも長くて久方ぶりに生理的限界でちょっと出ることになった。まあ寝ちゃう映画もあるんだから、それよりマシか。

 この映画は傑作である。それは疑いようがない。だが同時に「複雑な感慨」を催す映画であるのも間違いない。監督のクリストファー・ノーラン(1970~)は脚本、製作も兼ね、この大作映画を見事に統率している。米アカデミー賞の監督賞受賞作である。(『ダンケルク』に続く、二度目のノミネート。)実は僕はノーラン監督作品が苦手で、高く評価された『ダークナイト』『ダンケルク』などもどうも乗れなかった。SF系の『インセプション』『インターステラー』なども今ひとつ。だから前作の『TENET テネット』は見逃してしまったぐらいである。しかし、今回の『オッペンハイマー』は見事な出来映えだ。

 その最大の貢献者はタイトルロールを演じたキリアン・マーフィーだろう。理論物理学者のロバート・オッペンハイマー(1904~1967)は、確かにこんな人物だったのではないかと思わせる。下に本人の写真を載せておくが、驚くほど似ている。米英では実在人物を扱う映画が数多く作られ、高い評価を得ている。近年のアカデミー主演男優賞を見ても、『ウィンストン・チャーチル』のゲイリー・オールドマン、『ボヘミアン・ラプソディ』(フレディ・マーキュリー)のラミ・マレック、『博士と彼女のセオリー』(ホーキング博士)のエディ・レッドメインなど枚挙にいとまない。『ドリーム・プラン』『英国王のスピーチ』『カポーティ』『ミルク』『Ray/レイ』『ガンジー』…。日本ではどうして本格的な評伝映画が作られないのだろうか。
(オッペンハイマー=キリアン・マーフィー)
 キリアン・マーフィー(Cillian Murphy、1976~)って誰だっけという感じだが、アイルランド出身俳優として初のアカデミー賞主演男優賞を得たという。ケン・ローチ監督のカンヌ映画祭パルムドール『麦の穂を揺らす風』で主演していた人である。若き物理学徒の頃から、「赤狩り」の標的にされた時代まで、苦悩し揺れ動くオッペンハイマーを見事に演じている。この映画は描く時代が複雑に前後するので、物理学やマッカーシズム(戦後アメリカに吹き荒れた「赤狩り」)の知識が見る前にあった方がよい。

 映画には著名物理学者がいっぱい出て来る。ニールス・ボーアケネス・ブラナーアインシュタイントム・コンティ(『戦場のメリークリスマス』のローレンス中佐役)が演じている。他にもハイゼンベルクエンリコ・フェルミなど超有名学者が続々と出て来るのも見どころ。時代的には量子力学が登場した頃で、アインシュタインは(映画にも出て来るが)「神はサイコロを振らない」と言って量子力学を認めなかった。オッペンハイマーはアインシュタインは時代に置いて行かれたと思いながら、折に触れて相談している。ブラックホールを予言する研究などをしていたが、当初は特に原子力研究をしていたわけではない。
(オッペンハイマー本人)
 この映画は「広島・長崎の被害を描いていない」と批判的に紹介されたりして、日本公開が延びたと言われる。ただし、この作品のような「アカデミー賞最有力」の下馬評が高い映画は、賞の発表に合わせて公開されたことはあるだろう。だが配給会社が大手ではなく、『PERFECT DAYS』や『ドライブ・マイ・カー』などを配給したビターズ・エンドだったことは、大手は逃げたのかと思う。オッペンハイマーは投下に疑問を呈したが、後は政治の権限だとトルーマン大統領は取り合わない。現場を見てもいないオッペンハイマーを描く映画で、広島・長崎の現場が出て来たらかえっておかしい。

 公開日が同じで世界的に大ヒットした『バービー』とは、賞レースで大きな差が付いた。見れば一目瞭然で、完成度が違う。『バービー』は作者(グレタ・ガーウィグ)のフェミニストとしての世界観が前面に出ている。そこが興味深いけれど、完成度を低くしたのは間違いない。アート作品は社会的、政治的主張をナマに行う場ではない。(ナマで政治的主張をする作品もあってよい。)クリストファー・ノーランがこの映画で被爆者の苦悩に踏み込んだら、作家が「神の位置」に立って世界を上から俯瞰することになる。そういう作品を求めてしまうことで、日本のアートはどれほど貧しくなってきたことだろう。
(ルイス・ストローズ=ロバート・ダウニー・Jr.)
 今までノーラン監督はつい俯瞰的に世界を見てしまうことが多かった。この映画でも主人公が知らない出来事(裏の政治事情)も描かれるが、それらは最小限に止まっている。オッペンハイマー本人に密着して語るが、彼の複雑な生涯を幾つものピースに分け再構成している。見る側はそれを自分で道筋を付け、オッペンハイマーを通して自分の世界観を作らざるを得ない。これはノーランが慎ましく語ったということじゃないと思う。表現は大仰だし、演出もけれんみたっぷり。ただ俯瞰的に描くとあまりにも長大な作品になってしまい、これ以上の情報を詰め込めなかったのではないか。それが逆に功を奏したのである。
(クリストファー・ノーラン監督)
 この映画の原作は、カイ・バード、マーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』(American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer)で、ハヤカワ文庫から上中下3巻で出ている。あまりにも長いので読む気はないけれど、2006年にピューリッツァー賞を受賞している。原題にも邦題にもあるように、彼の生涯は「栄光と悲劇」に彩られている。原題の「プロメテウス」とはギリシャ神話で「天界の火を盗んで人類に与えた神」である。それに怒ったゼウスは女性パンドラを地上に送り込み人類に災厄がもたらされた。

 オッペンハイマーは「災厄」を人間界にもたらしてしまったことを悔いて、水爆開発に反対したため原爆開発に成功した「栄光」は失墜する。オッペンハイマーを取り上げた時点で、核兵器の悲惨がテーマになるのである。ただし彼は決して組織者として優れていると評価されていたわけではない。語学にも秀で、芸術にも関心があった。30年代の青年の常としてソ連の社会主義にも強い関心があった。ユダヤ系としてナチスドイツに危機感を持っていた彼を原爆開発(マンハッタン計画)の責任者に抜てきしたのは、米軍としても賭けだった。思わぬことに、そこから組織者としての才能が発揮されたのである。

 原爆開発や「成功」の描写も興味深いが、それ以上に戦時中から張りめぐらされていた、彼をめぐる網の目のような罠の数々が印象的だ。彼は原爆開発でノーベル賞を得られると思っていた。ダイナマイトの発見者ノーベルが創設した賞なんだからと言っている。だが幾重もの秘密に閉ざされた軍事研究では、新発見をしても論文を書けないから受賞は出来ない。現代の日本でも「軍事研究」の是非が問われているが、政治に関わることがいかに恐ろしいかをこの映画がまざまざと示している。それこそが最大の教訓ではないか。原爆の惨禍を見た人類は二度と戦争をしないという彼のナイーブな発想は完全に裏切られてしまったのだ。
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傑作犯罪映画『ラインゴールド』、ドイツの獄中ラッパー!

2024年04月11日 20時35分55秒 |  〃  (新作外国映画)
 『モンタレー・ポップ』を見る前に、ドイツのファティ・アキン監督の『RHEINGOLD ラインゴールド』という映画を見ていた。これがものすごく面白くて是非紹介したい。この映画はジャンルとしては犯罪映画だが、主人公が獄中でラッパーとして成功してしまうという展開が興味深い。これは実話だそうで、主人公の前半生を描く。その後はドイツ人なら誰でも知っているから描かなかったという。日本じゃ全然知らないけど、そんな人がいたのである。題名の「ラインゴールド」はワグナーのオペラ「ニーベルンゲンの歌」にある曲の名前で、「ラインの黄金」の意味。黄金をめぐる犯罪映画と音楽映画に掛けてあるんだろう。

 ファティ・アキン(1973~)はトルコ系ドイツ人で、その出自をテーマにした映画で知られてきた。『愛より強く』『そして、私たちは愛に帰る』『ソウル・キッチン』 『女は二度決断する』などで、若くしてカンヌ、ヴェネツィア、ベルリンの三大映画祭で受賞したことで知られた。しかし、それら社会性が強い作風の作品は、特にヒットしたわけじゃない。しかし、今回の映画はドイツで大ヒットしたという。確かにすごく面白くて、背景に社会性はあるものの、今回は娯楽に徹した感じの作風である。物語がどんどん展開して、飽きる間もなくスピーディに進行するので目が離せない。
(ファティ・アキン監督)
 主人公ジワ・ハジャビはイラン生まれのクルド人で、冒頭は1979年。つまりイスラム革命の年である。彼の父は有名な作曲家で、コンサートで指揮していたところに革命派が乱入して、音楽は反イスラムで止めろという。反論した客は撃たれて死に、客たちは逃げ出す。母はヴァイオリニストとして一緒にいたが、二人はともに逃げる。しかし、革命派はクルド人勢力を攻撃し、妊娠中だった母は一人でジワを産んだ。その後、子どもを連れて、何とイラン・イラク戦争中にイラクに脱出、スパイと疑われて逮捕され拷問される。だから、ジワの最初の記憶は監獄だった。やがて父は有名な作曲家と知られ、フランスへ出国することが認められた。

 フランスからドイツへ(音楽ホールが多いと聞いて)移って、ドイツで難民となった。ジワもピアノを習い始めたが、父はコンサートを成功させた後で愛人のもとに奔った。ジワはピアノをやめ、ストリートでつるむ麻薬売人となった。他のグループにボコボコにされたのをきっかけにボクシングを始め、復讐に成功した。そのためクルド語でガター(危険なやつ)と呼ばれるようになった。逮捕状が出てオランダに逃げるが、知人が叔父を紹介してくれる。その人は実はマフィアの頭で、彼には良くしてくれる。タテマエでは音楽学校に通いながら、ジワは本格的な犯罪者になっていく。
(ジワ)
 その後、大きなしくじりがあって(そのエピソードは笑える)、借金を負ってしまった。そこで情報をもとになんと死体から金歯を取って運ぶ車を襲撃することになる。その犯罪が上手く行くのかどうかが見どころだが、思わぬことから発覚して世界中を逃亡する。ドイツと犯罪者引き渡し条約を結んでない国を探して、2010年に(内戦直前の)シリアに逃げる。そこでアサド政権に逮捕され拷問されるが、結局ドイツに護送されてしまう。こうしてドイツの囚人となったが、もともと音楽の才能に恵まれていた。そんな彼が何故獄中でラッパーになれたのか。日本の刑務所と違う驚きの展開である。
(獄中でラップを吹き込む)
 その間女性には純情で、幼なじみのシリン(イラン人)にずっと熱を上げているが、犯罪者のジワにシリンは冷たい。その恋がどうなるかも興味深い。映画としては、犯罪実行シーンが一番面白く見ごたえがある。そのスリルが受けたんだろう。もともとラップを作っていたが、獄中で作れてしまうのがすごい。それにしてもイラン・イスラム革命はとんでもない災厄だったことが判る。帝政イランには問題も多かったが、少数民族のクルド人でも作曲家として活動出来たのである。ドイツの中東難民事情も垣間見ることが出来るが、やはりいろいろと大変そうである。ただこの映画はそういう社会問題を訴えるよりも、疾走するアクション映画になっている。まあ、僕には次に見た60年代ロックほどラップには熱くなれなかったけど。
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記録映画『美と殺戮のすべて』、薬害と闘うアーティストの生涯

2024年04月03日 20時41分22秒 |  〃  (新作外国映画)
 『美と殺戮のすべて』(All the Beauty and the Bloodshed)という映画が公開された。あまり知らないと思うけど、2022年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作である。ヴェネツィア映画祭と言えば、黒澤明『羅生門』や北野武『HANAーBI』に最高賞を与えるなど世界への目配りで知られてきたが、近年は翌年のアカデミー賞狙いの映画が集まる傾向が強い。『シェイプ・オブ・ウォーター』『ROMA』『ジョーカー』『ノマドランド』などである。23年の金獅子賞も『哀れなるものたち』だった。ところが、2022年は『イニシェリン島の精霊』『ター』『ザ・ホエール』などを押えて、ドキュメンタリー映画が受賞したのである。

 ローラ・ポイトラス監督の『美と殺戮のすべて』は、驚くほど鮮烈な傑作だ。内容はアングラ系アーティストであるナン・ゴールディン(Nan Goldin、1953~)の生涯を追いながら、薬物中毒を引き起こした製薬会社を告発する近年の活動に密着している。日本ではあまり知られてない題材、人物なので、観客にアピールする要素が少ない。公開も2年遅れたが、これは見逃すにはもったいない映画だ。しかし、2週目からはもう上映時間も少なくなっている。ヴェネツィアでは最高賞を得たが、米アカデミー賞では長編記録映画賞ノミネートで終わった。受賞作は『ナワリヌイ』だったが、同じように刺激的だ。
(抗議するナン・ゴールディン)
 冒頭はメトロポリタン美術館である。そこに人々が集まっている。絵を見に来たのではない。人々は幕を広げ、池に何か(薬の空きビン)を投げ込み、スローガンを発する。多くの人々が中毒死して社会問題になっているオピオイド鎮痛剤。その「オキシコンチン」を作っている会社のオーナー、サックラー一族は美術館の支援で知られ、メトロポリタン美術館にもサックラーの名が付いた部屋があった。集まった人々はサックラー家を非難し、寄付金を受け取る美術館にも責任があると声を挙げたのである。
(ルーブル美術館前の抗議活動)
 そこから運動の中心になっているナン・ゴールディンの人生を振り返る。それが凄まじく、目を奪われてしまう。11歳の時、18歳の姉が自殺してそれが大きな衝撃となった。姉は同性を好きだと妹に告げていたが、両親は彼女を理解出来ず精神病院に送ったのである。そして彼女も養女に出されてしまう。その体験からセクシャル・マイノリティの人々と暮らす「拡大家族」を好むようになり、写真や映像などで彼らを記録するようになった。ニューヨークのゲイ、トランスジェンダーの文化を描く『性的依存のバラード』が話題になった。僕は知らなかったのだが、ナン・ゴールディンは有名な前衛アーティストだったのである。

 しかし、彼女の友人たち、写真のモデルになった人々は多くが亡くなってしまった。エイズである。そして、やがて病気になった彼女は鎮痛剤を処方され、オピオイド中毒になってしまう。何とか立ち直った彼女は、薬害を告発するPAINという団体を作り、抗議活動を始めたのである。この薬物中毒のことは全米で50万以上が亡くなり、大きな社会問題になっている。そのことは知っていたが、ナン・ゴールディンとこの抗議活動をのことは知らなかった。彼女の数奇な人生と現在の抗議活動が交互に織りなされ、非常に興味深く、深い感慨を覚える映画になっている。この映画はナン・ゴールディンの姉に捧げられている。
(ヴェネツィア映画祭のローラ・ポイトラス監督)
 映画を作ったローラ・ポイトラス(1964~)は『シチズンフォー スノーデンの暴露』(2014)でアカデミー賞を受賞している。アメリカの外交文書を暴露したスノーデンを追ったドキュメンタリーである。この映画に関しては『スノーデンを扱った2本の映画』で紹介した。アメリカの暗部を告発する映画を作り続ける勇気ある女性監督である。奇しくも直前に紹介した『戦雲』の三上智恵監督と同年生まれである。薬害告発とともに、20世紀のゲイ・コミュニティやアートに関心がある人にも是非見て欲しい映画。
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フランス映画『12日の殺人』、ある未解決事件を追う

2024年03月23日 20時44分17秒 |  〃  (新作外国映画)
 昔の映画を見ることが多いのだが、最近の新作ではフランス映画『12日の殺人』がなかなか面白かった。フランスを代表する映画賞セザール賞の作品賞を2022年度に受けた作品である。2023年度の作品賞はこの前書いた『落下の解剖学』だった。二つの映画はともにフランス東部のグルノーブルが舞台で、「事件」をめぐる物語という共通点がある。しかし、後者が「法廷映画」なのに対し、こちらは「警察捜査映画」になっている。実際に起きた事件をモデルにして舞台を移したらしい。

 題名通り、事件は12日に起きる。10月12日の深夜、パーティーから帰る途中で女子大生クララが何者かにガソリンをかけて火を付けられた。グルノーブル近郊の山間の住宅地である。そのとき警察では、引退する殺人捜査班長の送別会が開かれていた。新しく班長に昇格したヨアンにとって、初めての大事件である。被害者の身元はすぐに判明した。被害者のスマホが無傷で残っていて、鳴り出したからである。電話は親友のナニーからで、前夜はそこでパーティーをしていたのである。
(ナニーに聴取するヨアン)
 ナニーからクララが付き合っていた男性を聞き出し会いに行くけど…。男には他に本命があって、クララの方が勝手に熱を上げていたという。他にもいろいろと男の影が見えてきて、自ら「セフレ」という男もいる。高校時代に付き合っていた男は、クララを焼いてしまいたいというラップをユーチューブにアップしていた。さすがに心配になって自ら出頭して釈明する。その間に刑事側の事情も語られる。相棒のマルソーは家庭が上手く行かず、ずっと警察に泊まっていたので、ヨアンは自分の家に泊める。それでもマルソーの心は荒れてしまい、問題を起こして捜査から離れて行く。ヨアンは時々自転車で走り回って精神的安定を得ている。
(ヨアンとマルソー)
 様々な「容疑者」が現れながら、動機も判らず犯人は見つからない。そのまま時間が経って迷宮に入ったかと思われる時、ヨアンは女性の予審判事に呼び出される。3年目の命日が近づいた今こそ、この事件の再捜査を始めるべきだと言う。やり方としては、事件現場で張り込み、お墓にカメラを仕掛けることを勧められた。捜査班には今では女性刑事も入っている。張り込んでいると両親が現れるが、他には誰も来ない。一方、墓のカメラからは謎の男が現れて歌を歌うシーンが撮れていた。この男は一体何なのか? 
(予審判事)
 この映画では真相が判明して見る者がスッキリする結末は与えられない。捜査側は男性ばかりだが、被害者は女性である。事件は被害者に対する恨みなのか、それとも女性一般に対するヘイトクライムなのか。この映画は2013年に起きた事件を取材したノンフィクションの映画化だという。日本との司法制度の違いもあるが、被害者家族に伝える苦労などは同じである。捜査側から描いた物語だが、どういう経過をたどるのか見入ってしまう。人間心理を描く意味では『落下の解剖学』の方がすごいけど、フランス社会や女性に対する犯罪を考える意味では『12日の殺人』が興味深かった。
(ドミニク・モル監督)
 監督のドミニク・モル(1961~)は、前作『悪なき殺人』を撮った人である。その映画は見てるけど、書かなかった。あまりにも入り組んだストーリーがちょっとご都合主義的に関連している感じがしたからである。今まで『ハリー、見知らぬ友人』(2001)や『マンク 〜破戒僧〜』(2011)という映画などが公開されているというが、全く記憶にない。セザール賞監督賞を『ハリー、見知らぬ友人』と『12日の殺人』で受賞している。確かな演出力を感じるが、女性の目で捜査に進展があるという観点が犯罪映画としての新味である。見て楽しいだけの映画じゃないが、見ごたえは十分だった。
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映画『落下の解剖学』、カンヌ最高賞の法廷ドラマ

2024年03月08日 22時17分25秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランス映画『落下の解剖学』(Anatomie d'une chute)が公開された。2023年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した作品である。ジュスティーヌ・トリエ監督は日本初公開なので、名前を知らなかった。しかし見事な演出力で、カンヌ映画祭史上3人目となる最高賞獲得女性監督となった。「解剖学」という題名だけど、別に死体解剖の話じゃない。確かに死者は出て来るが、死者を中心にした人間関係を「解剖」するという意味だろう。雪に囲まれた山荘で、男の転落死体が発見される。それは事故か、自殺か、他殺か。大人は妻の女性作家しかいないので、他殺なら彼女が犯人だろう。疑われて起訴され、法廷ドラマになる。

 妻のサンドラはドイツ人で、ザンドラ・ヒュラーが演じている。非常に見事な演技で、米アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされているほどだ。同じ年のカンヌ映画祭グランプリ『関心領域』でも主演していて、2023年のカンヌは彼女の年だった。『ありがとう、トニ・エルドマン』(2016)で、ヨーロッパ映画賞の女優賞を獲得した人である。1978年、東ドイツ(当時)に生まれ、ベルリンで演劇を学んで舞台に立った。この映画ではフランス人の夫と結婚してフランス語を話すが、ドイツ語が出来ない夫と深い話をするときは英語を使う設定。独英仏語を駆使できるんだから、今後世界的に引っ張りだこになるだろう。
(サンドラと夫)
 夫のヴァンサン(スワン・アルノー)は少し変わっているように見える。冒頭で妻がインタビューに応じている時、上の部屋にいる夫が音楽を大音量で鳴らし始める。下の階でも会話が困難になるほどで、明らかにおかしい感じがする。二人の間には一人っ子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)がいて、最初は気付かないがこの子は視力障害がある。この家では犬を飼っていて、ダニエルが犬と散歩して帰ると、父親の転落死体を見つけた。夫の大音量音楽はいつものことなので、妻は耳栓をしていたから気付かなかったと言う。(犬の本名は「メッシ」という名前らしい。カンヌ映画祭でパルムドッグ賞を受賞した。)
(法廷のダニエル)
 この子どもと犬が見事。ダニエルは11歳だが、当時の家にいたのはサンドラを除けば彼だけだから、証言に立つことになる。いろいろ検察側、弁護側が立証した後で、ダニエルがもう一回証言したいと言い出して、結審後に特別に証言を許される。一体何を語るのだろうか。その中身や評決結果を監督はザンドラ・ヒュラーに教えずに撮影したという。だからどういう結末になるのか、本人も不安な状態で撮影に臨んだのである。法廷では夫婦間の様々な事情が明かされ、ダニエルが障害を受けた事情も説明される。カメラは法廷の彼女をクローズアップして微細な感情まで写し取る。素晴らしい演出、演技で、緊迫した見事な出来映えだ。
(ジュスティーヌ・トリエ監督)
 欧米で高く評価され、フランスを代表するセザール賞を作品、監督、主演女優、助演男優、脚本、編集の6部門で受賞した。ヨーロッパ映画賞でも作品、監督、脚本、女優賞などを受けた。そして米アカデミー賞でも作品、監督、主演女優、脚本、編集賞でノミネートされている。(今年は『オッペンハイマー』『哀れなるものたち』『バービー』『関心領域』など主要作品が脚色賞に含まれたため、オリジナル脚本賞をこの作品が受賞する可能性もある。)こうしてみると、特に監督、脚本、編集、そしてザンドラ・ミュラーが高く評価されている。それは理解出来るが、好き嫌いとしては微妙かも。(実際に受賞した。)

 カンヌ受賞作ですでに日本公開されているのは、『枯れ葉』『ポトフ 美食家と料理人』『PERFECT DAYS』『怪物』。これらと比べてみて、『落下の解剖学』が明らかに優れているとは言えないと思う。審査員の好みも大きく影響したのではないか。法廷ドラマとして緊迫感はあるが、日本とフランスの裁判制度の違いなのか、起訴そのものが理解不可能なところがあると僕は思う。そこを書いていくと内容に大きく触れざるを得ないのでここまでとするが。

 ジュスティーヌ・トリエ(1978~、Justine Triet)は2010年に長編第一作を発表、今作が5作目になる。他に短編もあるが、日本では劇場公開されなかった。海外で多くの女性監督が活躍しているのに驚くほどだ。その見事な演出と演技は見ておく価値がある。
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映画『瞳をとじて』、ビクトル・エリセ31年ぶりの新作

2024年02月19日 22時16分15秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画『瞳をとじて』はスペインのビクトル・エリセ監督(1940~)の31年ぶりの新作長編映画である。いやあ、わが人生でもう一回エリセの新作が見られるとは思っていなかった。映画ファンにとって、これは「事件」と言うべきだ。とはいえ、何とこの映画は169分もある長い長い映画である。ビクトル・エリセ、お前もか!と言いたくなる。何でこんなに長いのかと困惑するが、見たら長さは全く気にならなかった。とても興味深く見られる映画だったが、じゃあ出来映えはどう評価するべきだろうか。

 冒頭で「パリ1947年」と出る。「悲しみの王」と呼ばれる古びた洋館で、あるユダヤ人男性が病に冒されている。彼はアメリカ人探偵を呼び寄せて、かつて上海でもうけた娘を探して欲しいと頼む。中国人の妻が娘を連れて去ってしまったという。そして娘の写真を見せるのである。(中華人民共和国の建国は1949年だから、1947年はまだ革命前の国共内戦中で人捜しも可能だろう。)と、そこでフィルムが途切れる。実はその映画は1990年に撮影していた映画の冒頭部分だったのである。探偵役の俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が失踪してしまい、映画は中断せざるを得なくなった。
(ヴィクトル・エリセ監督)
 テレビ番組「未解決事件」でこの失踪事件を取り上げることになり、監督のミケル・ガライ(マノロ・ソロ)がフィルムを担当ディレクターに見せていたのである。ミケルはこの失踪事件もあり結局映画監督を引退し、作家となって賞を受けた。しかし、今は離婚して海辺の小さな村に住み、時には漁師をしたりして暮らしていた。テレビに協力するため、久しぶりにマドリードに来たのである。失踪後にフリオの車が海辺で見つかり、遺体は見つからなかったが自殺したと思われてきた。理由が判らず、関係者には今も気に掛かる出来事だった。このテレビ番組は2012年という設定。
(海に出るミケル)
 フリオには娘アナがいたが、テレビには協力していないという。一度話してくれないかと頼まれ、ミケルは久しぶりにアナに連絡してプラド美術館のカフェで会う。アナはプラド美術館で外国人向けの説明員をしているという。このアナを演じているのが、アナ・トレントなのである。言うまでもなく、エリセ監督の1973年作品『ミツバチのささやき』に同名少女役で出演した人である。7歳だった少女は半世紀経って、再びアナという役を演じた。『ミツバチのささやき』は日本では1985年に公開され、その時の驚きは未だに新鮮である。それにしてもエリセ監督は「アナ」に取り憑かれた映画人生だったのか。
(アナとミケル)
 ミケルは古本屋で自分が昔好きだった女性に贈った本と巡り会う。ミケルとフリオは軍隊で出会って友人となり、同じ女性を好きになった関係でもあった。テレビ出演は自分の青春時代を思い出すきっかけになった。ミケルは昔の恋人にも再会し、アナにも会った。アナはテレビにはやはり出ないと言うので、ミケルは村へ帰る。そこでは友人たちと犬との暮らしが待っていた。そしてテレビ放映の日が来て、彼は食堂にテレビを見に行くが途中で帰って来てしまう。このように展開するのだが、映画は後半になって驚くべき展開を見せる。テレビ放映を見たある高齢者施設職員がフリオに似た人がいると連絡してきたのである。

 ミケルはすぐにその施設に出掛けていき、謎の人物に会ってみる。連絡してきた女性職員は、その人は3年前に熱中症で倒れていたといい、その時には記憶喪失だったという。だが、実は証拠になるかもしれないものをその人は持っていたとも言う。ミケルはアナを呼び寄せて会わせてみる。そこで再び彼女は半世紀前と同じセリフを語るのである。ラスト近くの詳しい展開は省略するが、この映画は『ミツバチのささやき』を見ていないと、良く伝わらない部分があるのではないかと思う。
(『ミツバチのささやき』)
 映画史的記憶が見る者の個人的記憶をも呼び覚ます。どうやらそんな映画であるらしい。僕には失踪した友人はいないけど、何年も会ってない人はたくさんいるから、何だか思い出しながら見てしまった。僕は全然退屈しないで長時間の映画を見たのだが、どうやら出来映え的には過去に捕われすぎかなと思った。僕みたいに高齢映画ファンはいいけど、これが初のエリセ作品だという若い人は面白さを感じられるだろうか。そこに疑問も残るが、何にしても見逃せない映画だ。

 ビクトル・エリセは生涯で『ミツバチのささやき』(1973)、『エル・スール』(1982)、『マルメロの陽光』(1992)しか長編映画を作らなかった。オムニバス映画の短編映画は4作あるが、これら4つの長編映画で映画史に残るだろう。『ミツバチのささやき』『エル・スール』は今回も参考上映されているので、今後も見る機会があるだろう。楽しいとか面白いという以上に、心の奥底が深く揺さぶられるような映画である。恐らく最後のビクトル・エリセ作品だろうから、是非頑張って見たい映画だ。
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映画『コット、はじまりの夏』、アイルランドの「静かな少女」

2024年02月15日 20時41分04秒 |  〃  (新作外国映画)
 『コット、はじまりの夏』という映画を見たのはちょっと前のことだ。時間が経ってしまったけど、何だか心に残っているのでやはり書いておきたい。アイルランドの映画で、2022年度の米国アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。これは同国初だという。またベルリン映画祭の国際ジェネレーション部門でグランプリを受賞している。

 アイルランドの農村地帯に住む一家の物語である。1981年の話らしいが、それはインターネットの情報による。一家は横暴な父が支配していて、9歳の少女コットキャサリン・クリンチ)は親にもなかなか心を開けない。学校でも孤立しているようで、友人と遊ぶこともない。英語題が「The Quiet Girl」で、まさにおとなしく静かな少女である。別に傷害があるとか、いじめられているとかではなく、ただ内気なのである。父母に加えて、年の離れた姉もいて、自分のペースで話すことが出来ないのである。
(コット)
 その年の夏、母は妊娠していてコットを構うことが難しい。母親のいとこ夫婦が預かっても良いと言うことで、夏休みの間だけやはり農家のアイリンショーンの家に行くことになった。厄介払いみたいなもんだけど、コットはおとなしく従う。その家には子どもはなく、夫婦は親切に受け入れてくれる。やがて牛の世話も手伝えるようになり、コットもなじんでくる。アイリンは「わが家には秘密はない」と言って、何でも困ったことはしゃべってくれるように言う。子供服がないので、一緒に町まで買いに行ったりする。そんなひと夏の愛おしい一瞬一瞬を美しい映像で記録した映画である。
(コットとアイリーン)
 ところが実はその家には悲しい「秘密」もあったのである。コットがその事を知ることで、預かってくれている夫婦と心が通ってくるのである。アイルランドの美しい自然の中で、コットの「はじまりの夏」を描くだけの映画。それだけなので、大きな社会的テーマがあるわけじゃない。欧米では子どもも皆独立心旺盛で自己表現に優れているなんてことは、やっぱりないのである。内気でおとなしい少女はやっぱりいるんだけど、誤解されやすいのである。夏休みも終わるので家に戻るというとき、コットも初めて自分の気持ちを全開にする。それが見る者の心を打つ。
(コルム・バレード監督)
 子どもの眼で描くある夏の日々。それだけの映画である。いじめも虐待もないけど、がさつで口うるさい父親のもとで、静かに生きていた少女。コットという少女が、とてもいじらしく忘れがたいのである。ドラマというほどのドラマもない映画だが、何十年も経ってからもコットはこの夏を覚えているだろう。監督・脚本は1981年生まれのコルム・バレードという男性である。短編映画やドキュメンタリー映画を作った後で、初めての長編劇映画としてこの映画を作った。コットは芯が強いけど、表面上おとなしいから、心の中を周りが気づけない。こういう子どもっているなあと思った。「夏休み映画」はいっぱいあるが、こんな風に静かで心に沁みるような作り方も出来る。
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映画『哀れなるものたち』、異様な毒放つ破格の傑作

2024年02月06日 22時02分34秒 |  〃  (新作外国映画)
 2023年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得した『哀れなるものたち』(Poor Things)が公開された。ギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス(1973~)監督渾身の大傑作で、米国アカデミー賞でも作品、監督、主演女優など計11部門でノミネートされている。(最多は『オッペンハイマー』の13部門。)もう間違いなく破格の大傑作なのだが、では全員に是非見るべしと言うのはちょっと憚られるか。皮肉というレベルを遙かに超えた異様な毒を放つ映画なのである。だから見た後で「名作映画を見たなあ」という感慨に浸りたい人には向かないだろう。しかし、これほど刺激的な映画には滅多に出会えないと思う。

 ヨルゴス・ランティモス監督は今までも『ロブスター』『女王陛下のお気に入り』など、毒のある変な傑作を作ってきた人ではある。そんな監督が『女王陛下のお気に入り』の次回作として5年ぶりに作ったのがこの作品。アラスター・グレイ(Alasdair Gray、1934~2019)という作家の作品が原作になっている。日本ではほとんど翻訳されていないが、この作品はハヤカワ文庫epiから翻訳が出ている。Wikipediaを見ると、A・グレイはスコットランド出身の非常に重要な作家として評価されているという。原作は読んでないけど、「毒ある設定」のほとんどは原作由来のようである。
(ゴドウィン・バクスター博士)
 19世紀のロンドンに異常までの才能を持つ外科医ゴドウィン・バクスターウィレム・デフォー)博士がいた。彼は動物の脳移植に成功するほどだったが、ある時投身自殺した女性の脳に胎児の脳を移植して再生させることに成功した。ベラ・バクスターエマ・ストーン)と名付けて育てるが、何しろ体は成人女性なのに脳が子どもなのである。教え子マックス・マッキャンドレスにベラが日々成長する様子を記録させると、やがてマックスは彼女に恋してしまった。体は大人のベラは性的快感に目覚めてしまってもはや歯止めがきかず、博士は二人を結婚させることにした。
(ベラの様子)
 ここら辺までモノクロで進行し、「前衛風フランケンシュタイン」なんだろうかと思うが、心配は無用である。その後は目くるめくカラー大冒険映画になっていく。結婚の書類を作るため、弁護士ダンカン・ウェダバーンマーク・ラファロ)を雇うと、ダンカンもベラにいかれてしまい、駆け落ちしようと持ち掛ける。成長を続け世界を見たくなったベラは申し出に乗り、リスボン、アレキサンドリア、パリを彷徨う。「礼儀」を身に付けていないベラは、常に「忖度なし」の言動を繰り返し、ダンカンを悩ませる。ついにはダンカンが船のカジノで大勝した金を、ベラがすべて貧民に寄付してしまう。
(ダンカンとベラ)
 ベラは今まで世界に貧富の差があることを知らず、真実を知ってしまった今では世界を変えなくては思う。だが無一文でパリに放り出されたベラには、自らの体を売る(=娼婦になる)以外の生き方は不可能だった。それは「19世紀イギリス女性」にとって絶対にあり得ない「不道徳」であるという「世間の通念」がベラには存在せず、彼女は「革命家の売春婦」になってしまった。その後博士の病気を知りロンドンに戻り、再びマックスと結婚することになると、今度は「自殺」前の前夫が現れ彼の館へ。ところがその夫がとんでもないDV男だった…。どこまでも波瀾万丈なベラの人生である。
(ヴェネツィア映画祭のヨルゴス・ランティモス監督)
 冒頭に原題を見た時、「Poor Things」なんだと驚いた。「哀れなる者たち」ではないのである。その事の意味に僕はようやくラスト近くで感づいたが、ここでは書かないことにする。表面的に見れば、この映画にはセックスシーンが多い。エマ・ストーンも全力で演じている。見せられるのは愛し合う二人が結ばれる美しいセックスではない。いつの間にか身に付ける「性的なことはあからさまに語らない」という「礼儀」をベラは身に付けていない。だから性的な言動が激しくなるのだが、それは決してエロティックではない。むしろ痛ましいと感じるが、ベラは全く気にしてないのである。

 ドイツ文学に「教養小説」(ビルドゥングスロマン)という概念がある。主人公があちこちを漂泊する中で成長する様子を描く小説で、ゲーテが代表的。日本の小説、あるいは物語全般にもそういう設定は多い。この『哀れなるものたち』もある意味、ベラの「成長」と「放浪」を描く「教養小説」的な構成になっている。だけど「マッド・サイエンティスト」の創造というSF的設定もあり、普通のリアリズムを越えている。その描き方も破天荒にすさまじく、一度見たら忘れがたい。「何も知らない」という設定を与えると、こんなに凄いことになるのか。同時に19世紀を再現した美術や衣装も素晴らしく、技術面の貢献も素晴らしい。

 ヨルゴス・ランティモス監督作品は、今まで『あまりに変な映画「ロブスター」』、『「聖なる鹿殺し」、再びの不条理劇」』、『傑作映画「女王陛下のお気に入り」』と3本をここでも紹介している。変な映画ばかりだが、間違いなく今の世界でもっとも才能にあふれた監督だ。好き嫌いはあるかと思うが、真ん中辺りまで見ればこれは凄い映画だと目を見張って見続けることになるだろう。
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香港映画『燈火(ネオン)は消えず』、懐古の中にある抵抗

2024年02月03日 22時36分08秒 |  〃  (新作外国映画)
 香港映画燈火(ネオン)は消えず』を見て、こういう作り方もあるなと思った。この映画は滅びゆく「ネオン」技術者の哀歓をテーマにしている。昔から香港の夜景は有名で「100万ドルの夜景」などと呼ばれていた。それは数多くのネオン広告によるところが大きかったが、21世紀になってからどんどん無くなっているという。映画の中で過去の香港が出て来て、現在と比べ昔はこんなに美しかったと慨嘆するシーンがある。「ネオン」の話なんだけど、見る側はそこに政治的な暗喩を感じずにいられない。

 新人女性監督アナスタシア・ツァンのデビュー作で、主演女優シルヴィア・チャン金馬奨(台湾で行われる中華圏全体を対象にした映画賞)で主演女優賞を受賞した。腕利きのネオン職人だった夫ビル(サイモン・ヤム)が亡くなり、妻のメイヒョンシルヴィア・チャン)は途方にくれる。そのうち閉めたはずの夫の仕事場がまだ残っていることに気付く。訪ねてみると、そこには最後の弟子を名乗るレオが住み着いていた。レオはビルの死を知らず、師匠が消えたと嘆いていた。
(ビルとメイヒョン)
 レオはメイヒョンが現れ一緒に最後の仕事に取り組もうとする。しかし、娘のチョイホンはもう香港を捨て婚約者とともにオーストラリアに移住したいと思っている。だから父親の服もリサイクルに出してしまうが、メイヒョンとレオはなんとか服を見つけ出しスマホを回収する。その間にネオン広告をどんどん撤去しようとする行政の動きや、ビルが作ったナショナル(松下電器)の広告塔が世界一大きいとギネス登録されたなどのエピソードが語られる。(ビルは架空の人物だが、香港のネオンがギネスブックに載っていたのは確からしい。)しかし、お金が続かず追い込まれていくが、レオは「クラファン」をしようと言い出す。
(メイヒョンとレオ)
 最後の仕事として頼まれていたのは、広告じゃなかった。「思い出のネオン」の再現だった。そして、二人はその仕事に全力で取り組むのだった。ところで、ネオン職人の仕事とは結局はガラス細工職人ということらしい。ガラス管を高熱の炎で熱して曲げていって表現したい字体の形にするのである。そこに気体のネオンを入れて電気で発光させる。そこにいろんな物質を混ぜることで、様々な色合いを出していくらしい。取りあえずベースとしてはガラス細工を完成させることが大事そうである。シルヴィア・チャンは金馬奨主演女優賞3回の大女優(にして監督、脚本家)だが、一生懸命ガラス管を曲げている。

 そう言えば「ネオン街」という言葉があった。昔は歓楽街のことをそう呼んでいたものだ。映画がカラーになって以来、数多くのギャング映画や恋愛映画で夜の街が背景に使われてきた。小津映画でも笠智衆や佐分利信などがバーに集うが、そのバーの名前もネオンだったろうか。「ネオン」は原子番号12,元素記号Neの物質で、1898年に発見された。1910年にフランス人技師クロードが新しい照明器具として発明したという。つまり、20世紀を代表する照明技術だろうが、ただネオンを懐かしむだけではダメだろう。日本人の技術で開発されたLED照明の方がエネルギー効率上、環境保護的観点から優れているんだと思う。
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