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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『アメリカ人のみた日本の死刑』、死刑の「デュ-・プロセス」とは?

2024年04月20日 22時40分58秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 この際だからとたまっていた新書本を読み続けている。つい買ってしまったまま、今では授業に使うわけでもないから読みそびれている新書がいっぱいある。今読まないと一生読まずに終わりそうだから、読みたい本を差し置いて先に読んでるわけ。日米地位協定に関する本を読んだが、それを後に回してデイヴィッド・T・ジョンソンアメリカ人のみた日本の死刑』(岩波新書)を取り上げたい。2019年に出た本で、著者は日本の司法制度を研究してるハワイ大学教授(社会学)である。 

 死刑制度に関心があるから(というか、死刑廃止論者だから)この本を買ったわけだが、何だか知ってる内容が多いかなと思って読まずにいた。165頁ほどのそんなに長くない本だが、読んでみたらやはり「外の目」で見ることは大切だと思う指摘が多かった。最近「死刑執行の当日告知違憲訴訟」の判決があったばかりである(4月15日)。判決文を読んだわけではないけれど、報道でみる限り論点を外しているんじゃないかと思う。それもあって、この本のことを書いてみたいのである。
(当日告知訴訟判決)
 その訴訟は「死刑執行を当日の朝告知するのは憲法違反」と主張した。詳しく言うと、当日告知は「弁護士への接見や執行の不服を申し立てることができず、適正な手続きを保障した憲法に違反する」として、国に慰謝料や当日の告知による執行を受ける義務がないことの確認を求めたのである。それに対し、判決は「原告の死刑囚は、当日告知を前提とした死刑執行を受け入れなければならない立場であり、訴えは確定した死刑判決を実質的に無意味にすることを求めるもので認められない」とした。

 先の新書にもあるが、アメリカではこのような「当日告知」はあり得ない。もっと早く告知する(というか本人や弁護士に告知だけではなく、社会全体に発表する)ので、死刑囚が州知事に恩赦を請願したりする。(裁判は州ごとで、死刑廃止州もある。連邦犯罪にあたる場合は、大統領が判断する場合もある。)執行当日は家族も見守る中、死刑賛成派、反対派が詰めかける。ある種「騒然」とするわけだが、それが「民主主義社会」の当然のありかたと思うんだろう。その間死刑執行をめぐって様々な「異議申立て」がなされるが、それこそ「適正手続き」(デュー・プロセス)なのである。
 
 この新書を読んで、「日本では死刑が特別な刑罰ではない」という指摘が印象的だった。日本でも一応公的には「死刑は生命を奪う特別な刑罰である」と言っている。死刑そのものが憲法に反するかどうかが問われた裁判では、最高裁は「人間の命は地球より重い」と判示している。だけど「死刑は合憲である」と結論するのである。しかし、著者によれば「死刑が特別かどうか」は「死刑に関して裁判で特別な規定を設けているか」という問題なのだという。
(デヴィッド・ジョンソン教授)
 つまり、「裁判員全員が一致しないと死刑を言い渡すことが出来ない」というような。アメリカの陪審裁判では、全員一致じゃないと決定出来ないし、有罪無罪の認定だけして量刑判断はしないのが一般である。日本では「裁判官3人、裁判員6人」のうち、裁判官1人を含む多数決で事実認定だけでなく量刑まで決定する。いわゆる「先進国」で死刑を存置するのは日本(とアメリカの約半数の州)だけだから、国民が死刑を判断する唯一の国と言えるのである。

 また時には死刑囚が控訴を取り下げて、一審だけで死刑が確定することも多い。諸外国には死刑判決の場合は必ず上訴しなければならず、複数の裁判所の判断を経なければ死刑が確定しない国もあるという。つまり、日本では言葉上はともかく、裁判の運用においては「日本の死刑制度は普通の刑罰」なのだという。こういうことは確かに外から言われてみないと気付かない論点だ。

 先の訴訟は「死刑制度は憲法違反(の残虐な刑罰)だから、執行を受ける義務はない」という訴訟じゃない。そういう論点だったら、裁判所が「死刑執行を受忍する義務がある」と判決しても、まあ当然だろう。しかし、今回の訴訟は当日告知は「デュ-・プロセス」(適正手続き)に反するという主張である。確かに「当日告知」を禁じる法的条文はないから、違法ではない。それ以前の告知を求める法的根拠そのものはない。(執行日の告知は法律で決まってない。)それなのに事前告知を求めるのは「死刑判決を実質的に無意味にすることを求めるもの」とまで言うのは何故か?

 事前に執行日を知らせると、死刑廃止論に立つ弁護士などが執行停止を求める訴訟や、再審、恩赦などを請求する可能性は高い。しかし、それは死刑囚に与えられている「適正手続き」である。この理由では請求を退ける理由にならない。このように裁判所も「適正手続き」に関心が薄いのである。死刑囚には死刑を受け入れている人もいれば、死刑を受け入れてない人もいる。その中には無実を主張している人もあるし、無実じゃないけど死刑判決には納得してない人もいる。死刑を受け入れている人にも、「反省」として受忍する人もいれば、死刑になりたくて犯罪を犯して早く執行してくれと言う人までいる。

 どういう立場の死刑囚にとっても、当日告知より事前告知の方がいいはずだ。当日告知は執行側にとっても負担が重いのではないかと思う。なお、昔は事前に告知していたのはよく知られている。変更のきっかけは「死刑囚の自殺」だと今回法務省が明らかにした。自殺した死刑囚としては、1977年の「新潟デザイナー誘拐殺人事件」の死刑囚が有名だが、その事件ではないようだ。実はWikipediaに情報が載っていて、確定死刑囚の自殺が5件あったことが判る。1975年に2件あり、この頃変更されたのだろうか。それはともかく『アメリカ人のみた日本の死刑』という本はなかなか気付くことが出来ない論点を教えてくれる得がたい本だ。
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死刑執行がなかった2023年

2023年12月29日 22時06分13秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2023年には死刑の執行がなかった。2023年はまだ残っているけれど、死刑囚を収容している拘置所もお役所だから、土日や年末年始の閉庁日には死刑の執行は行わない。よって、2023年の死刑執行がないことが確定したわけである。これはどのような理由によるものだろうか。岸田内閣が死刑廃止、または死刑執行停止に政策を変更したということはないだろう。特に法務官僚は死刑執行を一年間行わないことに抵抗があったと思う。だが「諸般の事情」から、政治的判断として死刑執行が行われなかったと考える。

 ここ最近の死刑執行数を振り返ってみる。「平成」の事件は「平成」のうちにという(僕には理解不能の)方針により、オウム真理教死刑囚が一挙に執行された2018年が突出しているので、その前の2015年からまず一年間の執行数だけ調べてみる。

 2015年=3人、2016年=3人、2017年=4人、2018年=15人、2019年=3人、2020年=0、2021年=3人、2022年=1人

 今のところ、最後の執行は2022年7月26日秋葉原通り魔事件死刑囚である。2020年に執行がなかったのは「コロナ禍」によるものだ。死刑の執行は、「密閉」した空間に刑務官や検事、医者など多くの人が「密接」に「密集」して行う。まさに「三密」そのもので、実際に刑務所や拘置所などでコロナ感染が多かった以上、死刑執行は避けるべきと判断したのだろう。そのため2019年12月26日から2021年12月21日まで、およそ2年間死刑執行がなかったのである。

 死刑の執行はおおよそ7月末12月末に行われた年が多い。これは通常国会と(大体行われる)秋の臨時国会の終了後という意味である。国会で死刑制度をめぐって大きな論争があるわけじゃないけれど、それでも国会で質問される事態を回避したいのだと思う。それはやはり政権側にとっても「死刑執行」は「特に大々的に誇るべきもの」ではなく、EUなど「先進国」から非難される「ちょっと後ろめたいもの」になっていることを示すんじゃないかと思う。

 この間の法務大臣は以下の通りである。カッコ内に在任年と執行数を示す。
上川陽子(14~15、1人)、岩城光英(15~16、4人)、金田勝年(16~17、3人)、上川陽子(17~18、15人)、山下貴司(18~19、4人)、河井克行(19、0人)、森まさこ(19~20、1人)、上川陽子(20~21、0人)、古川禎久(21~22、4人)、葉梨康弘(22、0人)、斎藤健(22~23、0人)、小泉龍司(23、0人)
(葉梨康弘元法相)
 つまり、葉梨康弘法相から3人が、執行ゼロである。もう忘れている人が多いと思うけど、「葉梨法相の失言」問題が影響していると考えられる。元警察官僚の葉梨康弘氏は2022年に第2次岸田改造内閣で法務大臣に就任した。その後、同僚議員の政治資金パーティーであいさつし、「法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」「今回は旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、一生懸命、その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった」「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない」などと発言した。これが批判されて、辞職することになったのである。

 死刑執行という「国家権力が人命を奪う」究極の刑罰に関して、「軽口を叩く」のはやはりタブーなのである。「地味な役職」を誠実にこなす政治家じゃないと、なかなか執行命令は出せないことになる。この時期の岸田政権は「広島サミット」の成功が最大の目標だった。2023年前半に執行がなかったのは、ヨーロッパ先進国からの批判を避けるためだったかもしれない。また死刑確定事件の袴田事件の再審が決定したことも大きい。その後、柿沢法務副大臣の辞任小泉法相が所属する二階派への家宅捜索と続いた。そして安倍派の裏金疑惑が毎日大きく取り上げられている。死刑執行を行える「道徳的根拠」が政権側に無くなっている。

 他に裁判の影響も考えられる。いま「再審請求中の死刑執行に対する国賠訴訟」が行われている。これは再審請求中の死刑囚の執行に対する一定の抑止になってるかもしれない。また、「絞首刑執行差し止め請求訴訟」「当日告知・当日執行違憲訴訟」という裁判もある。これらの裁判で、最高裁まで行って現行の死刑執行を違憲・違法とする判決が出る可能性は低いかもしれない。しかし、訴訟の中で様々な証拠提出などを求められ、死刑に関する実態が明らかになることはある。法務省にとって、ある種の抑止力ではあるだろう。
(世界の死刑廃止国)
 世界各国の死刑廃止状況は上記地図で判るとおり、アジアやイスラム圏以外では大体は死刑廃止、または死刑執行停止の状況にある。他国がどうあろうと日本は関係ないと言えばその通りだが、いつも日本は先進国の仲間で発展した国だと主張したい人々が、中国や北朝鮮やイランと同じく死刑を手放さないのは理解出来ない。そう遠くないいずれかの日に、日本でも「中国とは人権状況が違う」と主張する象徴的ケースとして、死刑執行が停止になる可能性はあると思っている。

 死刑制度をめぐる問題を全体的に考えていると長くなりすぎるので、ここでは触れないことにする。死刑制度を支えているのは、「死刑存置論」ではなく、「死刑存置感情」だろう。だから「死刑廃止論」を主張しても、言葉がなかなか届かないのである。ただ日本のような重大犯罪発生率が非常に低い社会で、いつまでも死刑制度を維持しているのは、世界的に見れば理解出来ないと思う。日本人もきちんと死刑制度を議論する必要があるし、その前提として死刑に関する情報を積極的に開示していく必要がある。
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「大川原化工機」国賠訴訟、裁判所の責任も重大だ

2023年12月28日 21時57分07秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「大川原化工機」国賠訴訟で、東京地裁は2023年12月27日に東京都と国に総額約1億6千万円の賠償を命じる判決を言い渡した。この判決は警察、検察の捜査は違法だとして、「当然に必要な捜査」を怠ったと判断した。新聞の判決要旨を読むと、冒頭で「刑事事件で無罪が確定しただけでは、直ちに逮捕や勾留請求、起訴が違法とはならない」としている。そして「その時点で収集した証拠などを総合勘案して、その判断に合理的な根拠が欠けていることが明らかなのに、あえて捜査を継続したと認められるような場合に限り、国賠法上違法と評価される。」としている。

 つまり、この判決は警察や検察が「合理的な根拠」がないのに、「あえて捜査を継続した」と言っているのである。この事件は2020年3月に警視庁公安部が大川原化工機の社長ら3人を逮捕して始まった。同社が中国に輸出した「噴霧乾燥機」が軍事的転用が可能で、国の輸出規制の対象なのに無許可で輸出したという容疑である。その後起訴されたが、公判目前の2021年7月になって、輸出規制の要件である「殺菌性能」が証明出来ないとして、起訴が取り消しになるという異例の経過をたどった。

 この事件は起きたときから無謀じゃないかとなんとなく思っていた。公判が近づくにつれ、どうもおかしいという声がマスコミでも報じられるようになった。僕も記事を書こうかと思っているうちに、起訴取り消しになったので書かずに終わっていた。もともとがおかしな「公安事件」であり、中国に対する強硬な外交路線を示すため「あえて立件した」感じがする。安倍政権時代を象徴する事件であり、警察、検察側も政権の思惑を意識せざるを得ない時代だった。東京高検の黒川検事長の定年延長問題が起こったのは、捜査、起訴直前の2020年2月のことである。その直後に東京地検が起訴したわけだ。

 ところで、この事件のもう一つの大問題は「人質司法」である。容疑は「外国為替及び外国貿易法」違反であり、殺人や傷害、放火などの重罪犯とは違う。どちらかと言えば形式的な犯罪である。それなのに何度も保釈請求が却下され、最終的には8回目の請求により11ヶ月目の2021年2月に保釈されたという。その間に同社顧問の男性は胃がんが見つかった(2020年10月)のに保釈されなかった。そしてようやく保釈された直後に、その男性は亡くなったのである。その時点ではまだ起訴は取り消されていなかったから「被告」のまま亡くなったのである。本当にお気の毒で、なんと言うべきか言葉もない思いがする。

 さて、国家賠償法に基づく賠償請求を行うにあたり、被告は都と国を対象にした。東京都が対象なのは、警視庁公安部の警察官は東京都の公務員だからである。また検察官は国家公務員なので、国に対しても請求したわけである。だから「裁判官の責任」は問題になっていない。今回の判決は「逮捕は国賠法上違法」と判断した。「犯罪」が成立する要件である「殺菌性能実験」を行わなかったからである。しかし、裁判官が逮捕状を発行しない限り警察、検察は逮捕できない。(現行犯に限り「緊急逮捕」「私人逮捕」などが可能だが。)その後の勾留も裁判官が判断して容認したものである。

 何度も何度も保釈請求を却下したこと、特にがん発見後も保釈しなかったことは、裁判官に責任がある。保釈を認めないように検察官が要求したとしても、裁判官は検察の要求を退ける権限を持っている。がんになっても保釈を認めないというのは、仮に有罪が明らかな被告人であっても非人道的な行為である。「がんになっても保釈しない」というのは、「獄中で死んでも構わない」ということになる。(病院への移送は認められていたが。)それは「そうなっても構わない」という意図で行われる「未必の故意の殺人」に極めて近いと思う。その責任を裁判所が誠実に総括しない限り、「人質司法」の悲劇を繰り返すことになる。
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桜井昌司さんの逝去を悼むー冤罪「布川事件」と闘い続けて

2023年08月23日 22時54分44秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 桜井昌司さんが8月23日に亡くなった。76歳。死因は直腸ガンである。僕は遠からずこのような知らせを聞くだろうと覚悟していた。本人がガンで闘病していることを公表していたからである。桜井さんのブログ『獄外記』は8月13日以来更新されていなかったから、全国には心配していた人がきっとたくさんいただろう。
(桜井昌司さん)
 桜井さんは冤罪「布川(ふかわ)事件」で無期懲役判決が確定しながら、無罪を訴え続けた人である。ここでは事件内容については触れないことにする。基本情報だけ書くと、1967年に茨城県布川町で起きた強盗殺人事件で、桜井さんと杉山卓男(たかお)さんが逮捕された。無実を訴えたものの、1978年に最高裁で無期懲役が確定。1996年に仮釈放で出所するまで29年間服役した。獄中から訴えた第1回再審請求は棄却されたが、2001年に第2次再審請求を行い、2005年に水戸地裁土浦支部が再審開始を決定した。検察側は高裁、最高裁と争ったものの、2009年に再審開始が確定し、2011年5月に無罪判決が出たわけである。

 僕は桜井さんの話を冤罪関係の集会や桜井さんが出た映画などで何度も聞いている。しかし、それ以上にかつての勤務高校で、学校設置科目「人権」の特別講師をお願いしたことが思い出深い。僕は昔から冤罪問題に関わりがあったので、授業でも是非取り上げたいと思ったが、では誰を呼べば良いだろう? 弁護士や支援者ではなく、出来る限り「当事者」を呼びたい。いろいろと当たった後で、桜井さんはどうかなと思って、支援組織に連絡先を聞こうと電話した。そうしたら、そこに桜井さんがいて、すぐに快諾してくれたのである。その時の話はとても素晴らしかった。

 「事件」の説明をして、「冤罪」について考えさせるだけではなかった。獄中で「学び直した」経過を語り、「明るい布川」を自称して獄中で作った歌まで披露したのである。「不登校」体験者向けに作られた高校だっただけに、冤罪で服役した体験をマイナスだけにとらえない前向きな生き方には大きなインパクトがあった。その後も連続して毎年来て貰って、僕も非常に感じるところが多かった。最初の授業直後に再審開始が決定し、2011年3月の判決目前に東日本大震災が起きた。
(無罪判決当日、裁判所前で)
 判決は2ヶ月延期され、5月24日に無罪が言い渡されたが、その間に僕は教員を辞めていた。その判決当日は奇しくも僕の誕生日だった。土浦まで傍聴に出掛けたが、傍聴席が非常に少なく(25席)、希望者は1000人以上もいたので抽選に外れた。裁判所への行進に拍手し、判決言い渡し後の「無罪」の幕を見て引き揚げてきた。その後も袴田事件を初め、冤罪・再審関係の重要な節目になると、いつも桜井さんの姿を見たものである。桜井さんは無罪判決後も活動を止めなかった。警察、検察の責任を追及するために、2012年に国家賠償請求訴訟を起こしたのである。

 共同被告人だった杉山さんは国賠訴訟に加わらず、2015年に死去した。一方、桜井さんは全国を飛び回って冤罪を支援し続けた。冤罪を晴らした人は何人もいるけれど、その後も社会に広く訴え活動した人は免田栄さんと桜井さんぐらいだろう。もともと自分の言い分を主張できないような人を狙って冤罪が作られるからだ。獄中で鍛えられた桜井さんだからこそ起こせた国賠訴訟は、2019年に国と茨城県に7600万円の賠償を命じる判決が出た。その時には「画期的な布川事件国賠判決」を書いた。その裁判は、2021年に東京高裁で7400万円の賠償を命じる判決が出て確定した。
(国賠訴訟後)
 このような活動に対しては、2021年に多田謠子反権力人権賞、2023年に東京弁護士会人権賞が贈られた。僕が桜井さんを凄いと思うのは、冤罪支援のフットワークとスタイルである。布川事件を中心的に支援したのは「日本国民救援会」(日本共産党系)で、桜井さんも折に触れて共産党支持を公言していた。(それなのに読売新聞が保有するジャイアンツの熱烈なファンでもあった。)しかし、桜井さんは冤罪を訴えている人がいれば、どこにでも出掛けた。部落解放同盟が主催する狭山事件支援集会にも参加したし、中核派の星野文昭さん(渋谷暴動事件=2019年獄死)の面会にも訪れた。誰にでも出来ることじゃないだろう。
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「再審法」改正が急務であるー証拠開示と検察官抗告禁止

2023年03月16日 22時57分53秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「袴田事件」再審開始決定に続いて書く予定だった記事を書いておきたい。それは「再審法」の改正が必要だということである。そのことは今までも書いているけれど、改めてこの機会にまとめておきたい。

 「袴田事件」開始決定後に、弁護団から最高裁に特別抗告をするなという要請が検察庁に行われた。国会の「袴田巖死刑囚救援議員連盟」も法務大臣に要請した。今回の高裁決定は最高裁の差し戻し決定を受けて審議されたものだから、特別抗告をして引き延ばすのは許されない。(なお、判決に不服で最高裁に上訴するときは「上告」というが、今回のような再審開始(あるいは棄却)決定に不服で最高裁に上訴する場合は「特別抗告」と言う。また、地裁決定に対して高裁に訴える時は「即時抗告」と言う。)
(弁護団要請後)(議員連盟要請)
 袴田事件に先立って、2月27日に滋賀県で1984年に起きた日野町事件で再審開始決定が出た。1988年になって逮捕された阪原弘さんは、無期懲役が確定し服役中の2010年に75歳で亡くなってしまった。本人が起こしていた再審請求は、大津地裁で却下され大阪高裁に即時抗告していたが、何と本人死亡で終了してしまった。2012年になって遺族が再審請求を起こし、2018年7月に大津地裁で開始決定が出た。それに対し検察官が即時抗告し、先月末に大阪高裁が即時抗告の棄却決定(再審開始)が出た。そして検察官は最高裁に特別抗告したのである。一体、いつまで引き延ばせば気が済むのか。

 僕がこう書くのは、単に時間が掛かることへの批判だけではない。日野町事件の場合、開始決定に至った大きな新証拠は再審段階で新たに検察側から開示されたものだった。それらの捜査書類や写真ネガなどがもともとの裁判に出されていたら、有罪判決は出なかった可能性が高いというのである。袴田事件に関しても、最終的に開始決定に結びついた「5点の衣類の写真」も2010年の再審請求によって新たに開示されたものだった。つまり、無罪判決につながる新証拠はもともと検察官が持っていたのである。

 これって単におかしい話という問題じゃないだろう。これは「犯罪」ではないのか。無実の証拠を隠し持っていたわけだから、「監禁罪」にはならないのか。いや袴田さんは死刑判決まで受けたのだから、「殺人未遂」というべきではないのか。検察官は公務員なのだから、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」(日本国憲法15条)という精神を持たなければならない。自分たちのメンツのために有罪確定判決を守ろうという姿勢は自己防衛としか思えない。袴田さんは死刑の恐怖と長い拘禁によって、精神を病む状態が続いている。これは少なくとも「業務上過失傷害罪」が現在進行形で犯されているのだ。

 このような検察側の対応を見ると、やはり「再審法」改正が急務だと思う。日弁連(日本弁護士連合会)は2022年6月に「再審法改正実現本部」を設けている。詳しい内容は「再審法改正を、今すぐに」で見ることができる。いくつかの論点があるが、最も重要なものは「証拠開示の制度化」と「検察官抗告の禁止」である。もちろん「再審法」という個別法は存在しない。刑事訴訟法の第4編「再審」(435条~453条)の項目のことである。第一審に関しては細かくやり方が規定されているのに対し、再審に関しては具体的な方法が規定されていない。だから、担当裁判官の裁量が大きい。良心的な裁判官に当たるかどうかが、再審の可否を左右すると言っても過言ではないのが現状である。
(各国の再審規定の比較)
 日弁連は「諸外国における再審法制の改革状況― 世界はえん罪とどう向き合ってきたか ―」をまとめPDFファイルで公開している。フランス、ドイツ、韓国、台湾、アメリカ、イギリスの例が紹介されている。それを見れば、フランス、ドイツ、イギリスでは検察官が抗告できないことになっている。決して無理なことを言っているわけではないのである。韓国や台湾は検察官が抗告できるが、積極的な刑の執行停止(韓国)、受刑者がDNA鑑定を求める権利(台湾)など、人権擁護に向けて近年になって再審法の改正が行われている。

 これを見ても近隣アジア諸国において、日本より台湾、韓国の方が進んでいるんじゃないかと思う。そういう日本の「遅れた」部分にちゃんと気付いていかないとますます世界に遅れてしまう。前にも書いたけど、台湾は「同性婚」を合法化している。日本の現状はむしろ中国に近いのに、台湾と「価値観を共有する国」などと語る人がいる。人権擁護という観点から見れば、日本の状況は台湾よりも中国本土に近いのではないだろうか。
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袴田事件の再審開始決定、検察は特別抗告するな!

2023年03月13日 22時04分13秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「袴田事件」の再審開始決定が出た。感無量である。2023年3月13日、午後2時。僕はその場に行っていたが、あいにくの雨模様。雨の中長く待っているのが嫌だったので、近くの日比谷文化図書館で時間をつぶしていたら、高裁前に着いたときにはマスコミや救援関係者でいっぱいだった。再審請求は「決定」が出るだけなので、法廷での傍聴はない。午後1時45過ぎに(姉の)袴田秀子さんと弁護団が裁判所に入っていった。担当の裁判官から「決定書」を渡されるだけである。

 次第に緊張感があたりを覆ってきた。これまでの経緯を考えれば、「開始決定」以外はないはずである。だが、今まで多くの裁判官に手ひどく裏切られてきた。一審、二審で開始決定が出た大崎事件では、何と最高裁で取り消し決定が出された。袴田事件でも未だに信じがたい5年前の、再審取り消し決定をまさにこの東京高裁前で聞いたのである。2時を過ぎて少し経って、マイクを通して弁護士が出て来たという報告があった。そして「開始決定です」「開始決定が出ました」と大きくアナウンスされた。

 僕は袴田事件の救援団体に関わってきたわけではない。(今ではどの事件の個別救援会にも入っていない。)一般市民として駆けつけているだけだから、後ろの方で聞いてた。弁護士が掲げた垂れ幕は見えなかったから、ここではニュースから引用しておきたい。
 
 「袴田事件」については、これまで折に触れて書いてきた。集会などの記録もあるが、再審開始、再審取り消し、最高裁の差し戻し決定に関する記事だけ示しておくと、以下のようになる。「画期的な決定-袴田事件の再審開始決定」(2014.3.27)「袴田事件の再審、不当な取り消し決定」(2018.6.11)「再審に光が見えたー袴田事件最高裁決定」(2020.12.24)の3回である。
(袴田巌さん、秀子さん)
 そもそも袴田さんは犯人じゃないんだから、「袴田事件」と呼ぶのはおかしい。事件が起きた地名から「清水事件」と呼ぶべきだという議論がある。「清水の次郎長」「清水エスパルス」の静岡県旧清水市、現静岡市清水区である。全くその通りだと思うけど、今では「袴田事件」が定着してしまったので、ここでもそう書くことにする。

 まず、事件に関してちょっとおさらいしておきたい。1966年6月30日に、市内にあった「こがね味噌」専務宅で一家4人が殺害・放火された残虐な事件が起きた。警察は味噌会社で働いていた元プロボクサー袴田巌さんを「ボクサー崩れ」という偏見から犯人視して、厳しい取り調べを行った。一日の取り調べ時間が16時間を越えた日まである。一日に10時間以上取り調べがあった日は14日に及ぶ。その結果、頑強に否認していた袴田さんも最後に「自白」調書を取られるに至ったのである。
(袴田事件年表)
 後述するような問題点がありつつ、1968年に一審静岡地裁で死刑判決、1976年に二審東京高裁でも控訴棄却(死刑判決維持)と続き、その後最高裁に上告した。70年代後期というのは、後に再審で無罪となる4つの死刑事件が問題化していた。また狭山事件帝銀事件徳島ラジオ商事件など数多くの冤罪事件が社会問題になっていた。その中で、袴田事件は東京では全く知られていなかった。最高裁判決が近づき、ようやくこの事件は冤罪じゃないかという記事が雑誌に掲載されるようになった。僕はその頃から冤罪救援運動に関わっていたので、1980年11月19日の最高裁判決を傍聴しているのである。以来、40年以上の時間が経ってしまった。
(日本プロボクシング協会の幕)
 袴田さんは、当日消火活動を手伝っているのを目撃されていた。その時着ていたパジャマに血痕が付着しているというのが逮捕理由だった。だが一審段階で改めて鑑定を行うと否定する結果が出た。強引な取り調べも明らかになり、一審裁判では検察側が追い込まれていた。そんな時、1967年8月31日に味噌タンクの中から「血染めの衣類5点」が発見されたのである。検察側はこれこそ真犯人の着ていた衣類だと主張した。しかし、そうなると袴田さんは一端(上に着ていた服はともかく)下着なども全部着替えてから、「犯行時の衣類」を味噌タンクに漬け込み、それから何食わぬ顔で消火活動を手伝っていたことになる。
(血染め衣類5点)
 そんな着替え、漬け込みなど袴田さんの「自白調書」には全く出て来ない。これぞまさに「その時点で警察側が知らなかった」からこそ、「自白」調書に出て来ない、「自白の信用性」を全否定する新証拠だと弁護側は主張したわけである。しかし、その主張は通らなかった。何故なら、袴田さんの実家から発見されたズボンと同じ共布(ともぎれ)が発見されたからである。だから、実に不自然な話だけど、この「着替え」「漬け込み」を「自白」しなかった「自白」調書は正しいと裁判所は認定したのである。

 弁護団も支援者も皆、「発見された5点の衣類」こそ真犯人が残したものだと主張してきた。その主張は第二次再審でガラッと変わることになる。この血染めの衣類は捜査側が仕込んだねつ造証拠だと主張したのである。そんなことが現実にありうるだろうか。あるとして裁判所が認めることはあるだろうか。逆効果になるのではないか。そういう心配もあったようだが、結局はその主張の正しさがどんどん証明されることになった。恐るべき事だが、そう考えるしか証拠に関する合理的な解釈が成り立たないのである。例えば、最初に押収された下着には、消火活動中にできたかぎ裂き箇所があるという。しかし、後に発見された下着にも同じようなかぎ裂きがあるのだという。策士策に溺れたようなミスではないのか。
(東京高裁前に集まる人々)
 一審静岡地裁とともに、今回東京高裁も捜査側の証拠ねつ造を強く示唆した。このような重大な指摘を真っ正面から受けとめないと、日本の司法界のみならず、日本社会もまともに再生できない。今回東京高検は最高裁に特別抗告をしてはならない。一回最高裁で議論され、東京高裁に差し戻されたのである。その差し戻しの論点に沿って東京高裁で議論され、今回の決定になった。最高裁も同様の判断を行うに違いない。もう半世紀以上も前の事件である。袴田さんは87歳、姉の秀子さんは90歳である。いつまで長引かせるのか。もう再審を受け入れなければならない。
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大崎、袴田、小石川事件ー再審の現状(附・台湾の再審法改正)

2022年07月28日 23時11分11秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 死刑問題に関してちょっと書いたので、続いて再審請求事件の現状について簡単にまとめておきたい。まず、1979年に鹿児島県大崎町で起こった「大崎事件」の第4次再審請求で、6月22日に鹿児島地裁が棄却決定を下した。5月にも判断が出ると言われたが、6月下旬に延びていた。言い渡し決定日が告知され、開始決定を予測する向きも多かった。この事件は第3次再審請求に鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部が開始を決定したが、何と最高裁が2019年6月25日付で再審開始決定を取り消したという驚くべき経過がある。これに関しては、「大崎事件再審取り消しー信じがたい最高裁決定」(2019.6.28)を書いた。
(大崎事件の再審棄却)
 なんで最高裁決定が「信じがたい」かというと、下級審で2回開始決定が出たのに対し、「自判」して棄却したからである。最高裁は憲法違反、判例違反の判断を下すことが最大の役割である。幅広い権限を持っているので、事実認定が出来ないわけではない。しかし、一応、一審二審で「事実認定」を行い、最高裁では法的判断のみを行うのが通例だ。それが事実調べを行わずに鑑定の評価を変えて棄却するという前代未聞の暴挙が行われた。もし仮に下級審の事実認定に疑問を感じたら、差し戻しを命じるのが普通のことだろう。この「事件」はそもそも殺人事件ではないと弁護側は主張し、新証拠をもとに第4次請求を行っている。

 最高裁がひどい判断をすることは多いが、最高裁が決定してしまえば法律的には終わってしまう。大崎事件の場合で言えば、第三次請求審は終わりだが、最高裁の事実認定は新たに申し立てられた第四次請求には及ばない。裁判官は新たに請求された内容を、それまでの証拠と「総合評価」して判断しなければならない。だけど、今回の鹿児島地裁決定は最高裁決定に無条件に盲従するような決定になっている。この決定に対しては、木谷明氏ら元判事10人が「異例の声明」を出して批判した。現在の裁判官に対する危機感の現れでもあるだろう。もともと全国に報じられるような大事件ではなかった。しかし、日本の司法の非人間性を世界に示すような「大事件」になってしまった。請求人関口アヤ子さんは95歳で入院中である。

 続いて袴田事件。1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で起こった味噌醸造会社専務一家4人殺人事件である。逮捕された社員の元プロボクサー袴田巌さんの名前を取って「袴田事件」と呼ばれる。袴田さんは犯人じゃないんだから、地名から「清水事件」と呼ぶべきだという声がある。その通りだと思うけど、通称として定着してしまったので「袴田事件」と書く。静岡地裁で2014年3月27日に、5例目となる死刑事件の再審開始決定が出され、同時に死刑及び拘置の執行停止命令が出された。袴田さんはその日のうちに釈放され、そのまま再審が開始されるのかと思ったら、検察側の即時抗告を受け、東京高裁が2018年6月に再審開始決定を取り消した。これに対し、最高裁第三小法廷は高裁に差し戻す決定を下した。
(袴田事件)
 これらの経過は随時ここでも書いてきたところだが、最高裁が差し戻した論点にそった鑑定人らの証人尋問がようやく7月22日から始まっている。これは一審途中で新たに発見された「血染めの衣類」に付いていた色をめぐる科学論争になっている。雑誌『』6月号に出ている弁護団の報告に詳しいが、ここでは細かくなりすぎるから省略する。いよいよ、捜査当局による「証拠ねつ造」の可能性が証明されてきた。再審請求審は非公開なので、今行われている証人尋問は傍聴できない。新聞などには小さく報じられていることがあり、注意していれば裁判の推移をうかがうことが出来る。一日も早い開始決定が望まれる事件だ。

 1984年に滋賀県日野町で起こった「日野町事件」では、犯人とされた阪原弘さんが無期懲役が確定したまま、2011年3月に亡くなってしまった。獄中で請求した再審請求はそれで終わったが、2012年に遺族が第二次請求を行い、2018年7月に大津地裁が再審開始の決定を出した。死者の再審が認められたのは、徳島ラジオ商事件の富士茂子さん以来になる。現在、検察側の即時抗告に対する審理が大阪高裁で行われているが、関東ではあまり知られていない。典型的な冤罪の構造を持っている事件だと思う。
(日野町事件)
 福井女子中学生殺害事件では、2回目の再審請求が行われる予定。ここではもう一つ、ほとんど知られていない事件を紹介しておきたい。なんだか冤罪事件とというと、「昔の地方の警察はひどかった」みたいな印象の人が多いだろうが、ここで紹介する小石川事件は21世紀の東京で起こった事件だ。2002年8月に東京都文京区小石川のアパートで一人暮らしの女性(84歳)の遺体が発見された事件である。同じアパートに住んでいた青年が逮捕され、4ヶ月に及ぶ拘留を経て「自白」して、無期懲役が確定した。千葉刑務所で収容中。2015年に再審を請求したが、2020年3月に東京地裁が請求を棄却した。現在、東京高裁に即時抗告中。
(小石川事件の再審棄却)
 この事件は最近になって、日弁連が支援し、また救援会が作られた(国民救援会内にある。)しかし、まだウィキペディアにも項目が立っていない。ほとんど知っている人もいないだろう。調べてみると、一番の大問題は「タオルに付着したDNA」。高齢女性の口にタオルを押しつけて窒息死させたとされるが、そのタオルから元被告人のDNAが検出されなかった。何者かのDNAは検出されていて、それが一致しなかった。着衣の繊維なども検出されず、情況証拠で有罪とされた。弁護側は「謎のDNA」を遺したものが真犯人だと訴えている。東京のど真ん中で起こった事件として注目している。

 ところで、再審問題を考えて行くと、「再審法」の壁にぶつかる。まあ再審法という個別の法律はなく、刑事訴訟法の中の再審に関する項目である。日本の再審は、非公開で審理され、証拠調べの必要もない。極端に言えば、裁判官が勝手に棄却すると決定しても違法ではないのである。また、請求人が再審のために弁護人を選任する権利もない。すでに刑期を終了している場合(あるいは仮釈放されている場合)はいいけれど、今まさに獄中にいる場合、再審請求が非常に難しい。それに対し、台湾では、2014年、2019年の2回にわたって、再審法の改正が行われた。調べてみると、今書いた日本の再審法の問題点は、すべて解消されている。アジアで先陣を切った「同性婚の制度化」などにも見られる台湾の民主化が、再審制度のような問題でも見過ごされていないのに感心した。
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「冤罪弁護士」今村核を見よ!ー佐々木健一「雪ぐ人」を読む

2021年07月31日 23時03分14秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 新潮文庫4月新刊の佐々木健一雪(そそ)ぐ人 「冤罪弁護士」今村核の挑戦」を読んだ。ああ、読み逃さなくて良かったと思った本だ。大江健三郎やマイクル・コナリーは読まなくてもいいけど、これは必ず読んで欲しい本。読みやすくて、判りやすいけれど、はっきり言って読後感は重い。それは日本の現実に真っ向から向き合うことから来るもので、われわれはその重さから逃げてはいけない。この本が判りやすいのは、NHKのドキュメンタリー番組がもとになっているだ。だから問題がクリアーになり人物像がはっきりする。
(「雪ぐ人」)
 2012年に出た今村核冤罪と裁判 冤罪弁護士が語る真実」(講談社現代新書)という本を僕は読んでいる。だから今村核という人のことは知っていた。しかし、本人が書くのと他人が書くのでは大きく違う。例えば今村核という弁護士の外見(身長とか恰幅とは)は、自分が書いた本には出て来ない。誰の本でも同じだろう。また経済的な側面なども本人の書いた本では判らない。この本を読んで、実に痛切に判ることは「冤罪弁護士は儲からない」ということだ。所属する弁護士事務所の経費を負担するのも大変なぐらいに。

 今村核という人は当然ながら冤罪事件だけを担当する弁護士ではない。そういう弁護士になりたかったわけでもない。ただ弁護士の使命感として、冤罪事件に本気で取り組んできたうちに、他の事件が手に付かないぐらいになっていった。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が貫かれていれば、今村弁護士はここまで苦労しない。しかし、「有罪率99.9%」を法務大臣自らが誇る国である。(ゴーン逃亡事件の後に森雅子法相がそう述べて、無罪なら被告が証明せよと語った。さすがに後段は取り消したが。)常識なら無罪だと思う裁判でも、日本では有罪となる。そういう判決を今村弁護士も経験してきたから、「そこまでやるか」的な弁護活動を行わないと日本の裁判では無罪を勝ち取れないと今村弁護士は覚悟したのである。
(「冤罪と裁判」)
 そんな日本の裁判で今村弁護士は14件の無罪判決を得たのである。多くの弁護士は刑事事件はあまり担当しないし、担当しても無罪判決の事件は生涯で一回あるかどうかだというのに。それも新聞の一面に大きく載るような死刑・無期を争う重大事件ではない。ほとんど新聞にも報道されないような小さな冤罪事件ばかりである。そういう事件が持ち込まれても、大体は貧しい庶民が巻き込まれたケースばかりである。全然「成功報酬」につながらないだけでなく、トコトンやるから精神的にも物質的にも負担が多い。

 そのことは「雪ぐ人」で紹介される「放火冤罪」や「痴漢冤罪」でよく判る。「放火」事件では現場を再現して実際に燃やしてみる実験を行う。「痴漢」事件ではバスの車載映像を一コマごとに解析して、痴漢行為がなかったことを証明する。それでも一審は有罪判決だった。被害者は右手で触られたと証言し、被告人は携帯電話でメールしていたと反論した。だから右手の映像を分析したところ、裁判長は「左手で痴漢をした可能性もある」というのである。左手はずっとつり革をつかんでいたのだが、バスが揺れて一瞬映像が判りにくいところがある。映像を何百回も見ているうちに判ってくることがある。今度は左手も解析した鑑定を提出し、控訴審では無罪判決を得られた。それでも心理学鑑定なども行ったのだが、それは裁判長に却下された。

 今村弁護士のモットーは、科学的な真実を求めることである。無罪判決を得るというより、事件の真相(例えば火事がどのように起こったのか)を明らかにすれば、それが無罪を明らかにするのである。もっともいかに科学的な真実を証明しても、それを受け入れない裁判官もいるのである。何でだろうかというのが、次の問題になる。先の痴漢事件で一審有罪判決を出した裁判官は、若い時は青法協や裁判官懇話会(どちらも最高裁からにらまれている団体)に関わっていたという。それが「変節」していったのは何故だろうか。それは判らないけれど、最高裁の人事のあり方にあると今村弁護士は指摘する。

 それにしても今村核という人の人生には考えさせられることが多い。父母との関係も考えさせる。この本から見えてくる日本のあり方はなんとも怖い。大体は知っていることなんだけど、やはりまだ知らない人も多いだろう。僕も「裁判と冤罪」という今村氏の本を読んでたから、この本は買うかどうか迷ったのである。でも本当に読んでよかった。さすがに何度も取材を重ねた佐々木氏の文章は判りやすい。冤罪の本ではどうしても「怒り」を覚える。この本でも今村氏は怒っているが、それを佐々木氏を通して読むから、より深く怒りと絶望が伝わってくる。読むのが辛いぐらいの本だが、読後の充実感が半端じゃない。
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死刑廃止へ向かうアメリカー日本も死刑モラトリアムを

2021年07月18日 21時01分00秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 書く機会を逸してきたテーマの一つに「アメリカの死刑状況」がある。アメリカでは各州ごとに裁判が行われ死刑も行われてきたが、近年になって死刑制度を廃止する州が増えてきた。他に連邦政府連邦軍にも独自の死刑制度があり、トランプ政権は2020年に17年ぶりに連邦での死刑執行を再開した。政権末期、それも政権交代が決まった後にも異例の死刑執行を行った。連邦での死刑執行は13人(2020年には10人)にも及び、例年最多執行を行うことが多いテキサス州(2020年は3人)を追い抜いて全米最多となった。

 それに対し、バイデン政権では死刑廃止を公約していたが、7月1日になってガーランド司法長官が連邦による死刑執行を停止し、死刑政策や執行方法を検証すると発表した。ハリス副大統領はカリフォルニア州の検事出身だが、検事への立候補の際にも死刑反対を公約にしていた。バイデン氏も死刑制度を人権問題ととらえていて、今回の司法長官の決定でも「死刑の恣意的な適用や有色人種への影響について深刻な懸念がある」としている。
(アメリカ各州の死刑状況=ウィキペディア)
 画像にある色は、=死刑廃止州、=死刑を執行しないことを公約している州、=制度上はあるが10年以上執行していない州、=死刑制度があるものの特別な事情がある州、=死刑存置州

 全米50州のうち、現在23州が廃止州になっていて、27州が存置州になっている。ただし、ワシントンD.C.5自治州(プエルトリコ、グアム、北マリアナ諸島等)も廃止している。また存置州の中でも、カリフォルニア、カンザス、ペンシルバニア、ワシントンなど10州が過去10年間執行をしていない。死刑執行停止が長くなっている国はアムネスティでは「事実上の廃止国」というカテゴリーに入れているが、アメリカの州でも10州はそれに近い。2020年にはアラバマ、ジョージア、ミズーリ、テネシー、テキサス各州と連邦で死刑が執行された。このように今でも執行を続けているのは数州に止まるのが現状だ。
(アメリカで死刑廃止を訴える人々)
 今挙げた昨年執行があった州はいずれも南部に所属している。ところが今年3月25日にバージニア州で南部初の死刑廃止が実現した。バージニアは地図を見れば「東部」という感じだが、南北戦争で「南部連合」に加わった州である。バージニア州のノーサム知事は、「20世紀中に同州で処刑された377人のうち296人が黒人だった」と指摘している。米民間団体「死刑情報センター」によると、昨年10月時点で全米の死刑囚の41.6%が黒人で、人口比の約13%を大幅に上回っているという。死刑に関して人種的偏見があることが統計上指摘されている。

 アメリカでは犯罪が多く、世論には「死刑存置」が強い。カリフォルニアでは毎回のように死刑廃止を掲げた住民投票が行われるが、いずれも否決されている。これは全世界的にある程度共通していて、世論で廃止が多くなって廃止された国はないと思う。それよりも政治家が責任を持って廃止に向かった国が多い。それは死刑制度を「人権問題」ととらえるからである。バイデン政権で連邦での死刑執行がなくなり、全米的な死刑廃止の機運も盛り上がっている。ただし、連邦での死刑廃止法成立を目指すと言いながらも、議会で圧倒的な多数を持っているわけではないので難しい状況にある。

 これでG7の中で、死刑を明確に存置する国は日本だけとなった。G20を見ても、中国、インド、インドネシア、サウジアラビアなどアジア諸国しか死刑執行がない。この現実に対して、日本では議論すら起きない。日弁連はかつて「東京五輪までに死刑廃止」を掲げていたが、もともと無理だった。しかし、日本でも2019年12月26日に中国籍の死刑囚が執行されて以来、1年半にわたって死刑執行が止まっている。これは議論があって止まっているのではなく、コロナ禍が最大の原因だろう。また東京五輪や検察官定年延長問題、河井元法相による大規模贈賄事件なども背景にあると思う。執行を命じる法務大臣がスキャンダルを起こしていては、死刑どころではない。

 それにしても、死刑を執行するときは検察官や医官、拘置所当局者と刑務官など多数が関わることになる。死刑執行だからといって、数多くの人が集合することは批判されかねない。またよく刑務官も当日は手当で酒場へ行って飲んで忘れるなどと言うが、街に飲み屋が開いてないような時に執行するのもためらわれるのかもしれない。しかし、これはいい機会ではないか。日本でも死刑執行のモラトリアム(一時的停止期間)とし、皆で議論をした方がいい。

 「人種」で明確化されないだけで、日本でも貧困、低学歴、障がい者に死刑が多いはずだし、再審制度が厳しすぎるから認められていないだけで無実の死刑執行もあったはずだ。それに日本では「死刑になりたい」という理由の犯罪が多いというおかしなことになっている。「無期刑」が事実上の「終身刑」になっている感じだが、それならはっきりと「終身刑」を設けて「死刑」を止める方がいいという意見もある。世界では圧倒的に廃止国を多くなっているのだから、日本人もよくよく考える必要がある。
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再審に光が見えたー袴田事件最高裁決定

2020年12月24日 22時14分10秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2020年12月22日付で「袴田事件」に関する最高裁決定が出された。一審東京地裁の再審開始決定を取り消した二審東京高裁決定を、さらに取り消して東京高裁に差し戻すという決定だった。しかもこれは、第三小法廷5人の裁判官のうち3人による決定で、他の裁判官2人は「再審を開始するべきだ」という少数意見を書いた。最高裁決定に「少数意見」が付いたのは、再審の歴史の中でかつて聞いたことがない出来事である。
(決定を聞いて記者会見する姉の袴田秀子さん)
 2019年に最高裁第一小法廷は、大崎事件の再審開始を取り消す決定を出した。鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部が再審開始の決定を出していたから、この決定には本当に驚いた。そういう人権無視の決定を平然と下せるのが最高裁なんだと改めて認識させられた。だから「袴田事件」の最高裁決定にも心配は消えなかった。(袴田巌さんは「無実」なんだから、「袴田事件」という呼称はおかしいことになる。弁護団は「清水事件」と呼んでいるが、マスコミは大体「袴田事件」と呼んでいるから、ここではそれに従いたい。)

 この決定により、さらに再審開始が遠のいたとも言える。裁判官がもう一人開始に賛成していたら、今すぐ再審になっていたわけだ。しかし、東京高裁決定を追認して袴田さんの「再収監」さえ心配していたわけだから、とりあえず再審に光が差したと見ておきたい。何しろ5人の中で、誰ひとりとして「再審取り消し」に与しなかった。裁判長を務めた林道義氏と、もう一人戸倉三郎氏は、いずれも裁判官出身で直前は東京高裁所長だった。だからどうだと言うことはないが、東京高裁所長経験者が下したことは東京高裁の現役裁判官にも影響を与えるのではないか。
(袴田巌さん)
 少数意見(再審開始)を書いたのは、林景一宇賀克也の両氏である。林裁判官は駐イギリス大使を務めた行政官出身、宇賀裁判官は東大大学院教授を務めた行政法学者である。どちらも最高裁入りするまで裁判官の経験はない。多数意見の3人は裁判官出身の林道義、戸倉三郎両氏と弁護士出身の宮崎裕子氏である。一方で大崎事件で一発取り消し決定を出した第一小法廷は、裁判官出身2人、弁護士出身2人、検察官出身1人だった。(もっとも弁護士出身とされている山口厚氏は弁護士登録1年未満で、刑法学者だった人物だが。)袴田事件が第一小法廷に係属されなくて良かった。最高裁裁判官はもっと法曹界以外からの人物が加わるべきだろう。
 
 さて事件そのものだが、一審裁判中に発見された「血染めの衣類」5点をめぐる判断に絞られてきた。実際は他にも謎の問題がいくつもあり、原裁判中も再審請求でも弁護側が指摘してきた。それらを「新証拠と総合評価」すれば、もっともっと早くから再審が開始されただろう。しかし、やはり弁護側も再審請求で最重要視してきた「血染めの衣類」が問題となる。再審開始を導いた血液型のDNA鑑定は最高裁でも否定された。しかし「味噌漬け実験」に関して「原審はメイラード反応について審理を尽くさず、その影響を小さいと評価したのは誤り」とする。
(2014年の再審開始決定)
 「メイラード反応」というのは、醸造中の味噌の中で糖とアミノ酸が反応して褐色物質が生じるというものだという。大豆も血液もタンパク質を含むから、血液にもメイラード反応が生じて褐色になるのではないかということだ。事件が起こったのは1966年6月30日、「血染めの衣類」が味噌タンク内から発見されたのは1967年8月31日。一年以上経過しているから、真犯人によって犯行直後にタンクに隠されたのだったら、メイラード反応により衣類は褐色になっているのではないか。ところが赤色のまま発見されたのは不合理だということになる。

 もっとはっきり書けば、「血染めの衣類」は発見直前に捜査側の何者かによってタンク内に仕込まれたのではないか。「ねつ造証拠」ではないかという恐るべき可能性を最高裁裁判官5人が全員考えているのである。これは大変なことだ。袴田さんは味噌会社に勤務していて、殺人放火事件が起きた夜にパジャマ姿で消火活動に参加した姿を確認されている。そのパジャマから発見された微量の血液が被害者のものと一致したというのが、袴田さんの逮捕理由だった。そして恐るべき長時間の取り調べを受けて「自白」調書にサインをさせられた。(どのくらい恐るべき長時間だったかは、ウィキペディアの「袴田事件」の項に書かれている。)

 1966年9月9日に起訴され、11月15日に静岡地裁で公判が開始され袴田さんは無実を主張した。そして裁判で長時間の取り調べが明らかとなる中で、突如として翌年夏に「血染めの衣類」が発見されたのだった。検察側は「これこそ真犯人袴田の衣類」と主張を変えたのだが、じゃあ、そもそもの逮捕理由はなんだったのか。「自白」に「タンクに衣類を隠した」と全然出て来ないのは何故。なんで「犯行」後に消火に参加したりせず逃げないのか。不思議なことが多すぎるが、裁判所はこの「血染めの衣類」を証拠と認めて袴田さんに死刑を言い渡したのである。

 弁護側も最初のうちは、この新発見の「血染めの衣類」は真犯人のものと考え、それは袴田さんのものではないと主張してきた。実際に法廷でズボンがはけるか実験したが、袴田さんには小さすぎてはけなかった。検察側は味噌タンクに浸かっているうちに縮んだなどと無理な解釈をしていた。そのうち、どうも真犯人のものとしてはおかしいという声が弁護側から主張されるようになった。しかし、「捜査側のねつ造」などと言っても本気にされるだろうかと当初は心配されたのである。だが、今では最高裁でも「証拠ねつ造」を疑っている。この重大性、捜査側は証拠を作ってでも無実の人を死刑にしようとする。そんなことがあるということを多くの人が真剣に考えて欲しい。
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免田栄さんの逝去を追悼する

2020年12月06日 21時59分43秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2020年12月5日、福岡県大牟田市の老人施設に入っていた免田栄さんが亡くなった。95歳。1983年に日本で初めて確定死刑囚の再審が認められて無罪判決を受けた人である。死刑囚から無罪を勝ち取った事件は日本で(現在のところ)4件を数えるが、免田さんはその後も人権運動に関わった。2001年にはフランス、2007年にはニューヨークの国連本部へ出掛け、冤罪救援死刑廃止を訴えた。そこが他の人と違う免田さんの凄いところだった。

 前に書いたこともあるが、免田さんなどの再審請求のことはマスコミが報じないので、僕は全然知らなかった。1970年代には韓国の軍事独裁政権に対する民主化運動が盛んになったが、政権側の弾圧も厳しかった。また同じ頃ソ連ではノーベル賞作家ソルジェニーツィンが国外追放されるなど、反体制派に厳しい弾圧が続いていた。イデオロギーは別だが、世界には自由がない国があるんだと強く印象づけられた。その時点では、日本には「政治犯」なんていないし、死刑制度はあるが「無実の死刑囚」なんているわけがないとナイーブに思っていたのである。

 その頃差別に基づく冤罪だとして狭山事件の救援運動が盛んになっていた。そんな中で冤罪事件への関心が高まったのか、いくつかの本も出るようになった。そういう本を読むと、日本の事件捜査や刑事裁判には大きな問題があり、冤罪を訴えている死刑囚が何人もいると書いてあった。僕はすごく驚いてしまって、韓国やソ連を非難している場合じゃないなと思った。

 先に再審無罪になったのは4件あると書いたが、他の事件、帝銀事件(平澤貞通)、牟礼事件(佐藤誠)、波崎事件(富山常喜)、名張毒ぶどう酒事件(奥西勝)、三崎事件(荒井政男)などの事件はついに再審開始を見ず、獄中で死亡した。またハンセン病差別が問題になっている菊池事件、共犯者が恩赦で減刑されながらもう一人が執行された福岡事件のように、残念にも死刑執行されてしまった事件さえある。では免田栄さんは外部に知られることもない中で、どうして死刑台から生還することが出来たのだろうか。

 事件そのものは1948年12月30日未明に起こった熊本県人吉市の一家4人殺しである。1950年3月23日に、熊本地裁八代支部死刑判決を受け、1951年3月19日に福岡高裁で控訴棄却、同年12月25日に最高裁は上告を棄却した。この日付を見れば判ると思うが、当時の裁判はいかに急いで行われたかが判る。この日付を見るだけで、ちゃんと審理されなかったことが判る。免田さんはアリバイを主張したが、成立直後の日本国憲法で厳しく禁止された拷問を受けていた。事件の詳しいことは、熊本日日新聞社編「検証免田事件」がまとまっている。(増補版あり。)
(免田事件年表)
 免田さんは「再審」という仕組みがあることを教わり、獄中で何度も再審請求を続けた。当初は一人でやったこともあり、全く門前払い状態だったが、1954年に行った第3次再審請求1956年に再審開始の決定が出された。裁判長の名前を取って「高辻決定」と呼ぶ。この決定は検察側の抗告を受け福岡高裁で覆ってしまった。この時に再審が開かれていたならば、免田さんは20年以上早く無罪判決を受けられていたのである。

 「無実の死刑囚」なんて絶対に認めないと検察側の抵抗は激しかった。しかし、一度でも再審開始決定が出た死刑囚を執行することは、どんな無情な法務大臣でもサインをためらうだろう。免田さんも必死に再審請求を繰り返したが、高辻決定が免田さんを救ったのだと思う。4次、5次請求も棄却され、認められたのは1972年に行った第6次請求だった。この時点では、すでに免田さんだけではなく日弁連挙げての支援態勢が作られ、支援者も現れていた。1976年に地裁で棄却されたが、1979年には福岡高裁で再審開始決定が出た。そして1980年に検察側の抗告が最高裁で退けられ、ついに「死刑囚のやり直し裁判」という空前の裁判が始まったのである。
(1983年の再審無罪判決)
 1983年7月15日に再審無罪判決が言い渡された。明白にアリバイ成立を認めていて、完全な「真っ白判決」である。1970年代後半には最高裁で「白鳥決定」(「疑わしきは被告人の有利に」は再審事件でも適用される)など再審開始に有利な動きがあった。それらはただ裁判官が出したというのではなく、多くの事件関係者救援運動家弁護士などの長年の苦労が実ったものだと言える。その上で免田さんの無罪判決があった。続いて財田川事件(谷口繁義さん)、松山事件(斎藤幸夫さん)、島田事件(赤堀政夫さん)と死刑囚の無罪判決が続いた。
(左から免田さん、谷口さん、斎藤さんの死刑囚無罪事件の3人)
 ちょっと事件の紹介で長くなったが、もう40年近い前のこととなって、社会科教員でも若い人だと知らない人がいる。僕は小池征人監督の記録映画「免田栄 獄中の生」(1993)の上映会を地元でやったことがある。この映画はキネマ旬報文化映画ベストワン、毎日映画コンクール記録映画賞を受けた傑作ドキュメンタリーである。当日は映画上映と免田さんの講演を行った。映画上映時に映写機器のトラブルがあって、講演の中身は全然覚えていない。(トラブルは完全に会場側の問題で、確か他会場の機材を取り寄せた。)

 2次会にも参加した免田さんとは大いに飲んだような記憶がある。こっちも飲んでしまったので、話の中身は覚えていない。豪快に飲み食べ語る人だったと思う。免田さんは社会復帰後に伴侶を得て、それが良かった。2013年に「死刑再審無罪者に対し国民年金の給付等を行うための国民年金の保険料の納付の特例等に関する法律」が議員立法で成立した。冤罪で囚われていたから年金に加入できなかった。国は責任を持つべきだとする「特例法」である。成立後に免田さんは未納分を一括支払いして、その後国民年金を受けられるようになった。実質免田さん一人のための特例法だ。この問題は報道されるまで気づきもしなかった。

 あくまでも「国家責任」を見逃さなかった免田さんは凄かった。「一時金」などでの解決ではなく、あくまでも「年金受給権」を求めたのである。また免田さんは多くの死刑囚を見送って、単に冤罪だけでなく「死刑廃止」の重要性を訴え続けたことも忘れてはいけない。大切な人を失ったが、95歳は「大往生」だろう。
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浜田寿美男「虚偽自白を読み解く」を読む

2020年07月28日 22時08分15秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 岩波新書から2018年に出た浜田寿美男虚偽自白を読み解く」を最近になってようやく読んだ。けっこう大変な読書体験だったけど、多くの人が知っておいた方がいいことが書いてある。

 浜田寿美男氏(1947~、奈良女子大学名誉教授)は子どもの発達心理学が専門の心理学者で、専門分野の本をたくさん書いている。同時に80年代後半から狭山事件など冤罪事件の「自白」について被告側の鑑定書を書くようになった。冤罪事件を扱った本もずいぶんある。昔は冤罪関係の本は大体読もうと思っていたので、浜田氏の本も知っていたけど、僕はちゃんと読んだことがなかった。なかなか専門的で大変そうに思えたのである。

 そして実際に短い新書本ながら、なかなか大変な読書だった。冤罪事件、つまり「無実の被告人(再審請求人)」の無実を証明するためにはどうしたらよいか。というか、本来は検察側が被告の有罪を証明する必要があるわけだが、日本では事実上起訴された時点でマスコミなども有罪視して報道することが多い。そして実際に「自白調書」が存在することが多い。しかし、被告人は自分ではないと主張する。一体どっちが正しいのか。

 昔の有名な冤罪事件では、「法医学鑑定」が問題になることが多かった。「無実」なんだから、「自白」と言っても捜査員の誘導がなければ成立しない。そうすると必ず客観的証拠と矛盾するところが出てくる。例えば、「自白」による凶器では実際の傷跡と矛盾するとか。だから医学などの自然科学による新鑑定が重要だったわけである。そして多くの鑑定が認められて無罪判決に結びついてきた。しかし、浜田氏による「供述心理」の分析は従来の鑑定と全然違う。

 世の中には、誰もが絶対に疑えない「完全無実」の事件がある。例えば、足利事件の管家利和さんは無期懲役が確定していたが、有罪の証拠とされたDNA鑑定が再鑑定で間違っていたことが証明された。直ちに釈放され、再審が開かれ、検察側も有罪の立証をしなかった。あるいは、富山県氷見市の強姦事件では、被告人の有罪が確定し懲役刑も終わっていた。その後、真犯人が名乗り出て客観的証拠にも一致し、再審で無罪となった。
(足利事件再審無罪判決)
 だから足利事件氷見事件では、誰もが無実を疑えないわけだが、実はどちらの事件でも被告人は「自白」している。そして裁判になっても無罪を訴えなかった。足利事件では拘束一日で「自白」し、時々自分じゃないと言っては、また引っ込めたりして、一審の最終段階になって初めて無罪を主張した。氷見事件では、ついに裁判中も無実を訴えず有罪が確定して服役している。つまり、「ウソの自白」は「拷問」や「強力な誘導」がなくても起こるし、裁判になればすぐに無罪を主張するというほど簡単なものではないのだ。

 著者は足利事件狭山事件清水事件(袴田事件)に加えて、日野町事件(滋賀県で起こった無期懲役事件で、再審開始決定が出たが検察が抗告中、請求人は獄中で死亡)、名張事件(名張毒ぶどう酒事件)などの「自白供述」を詳しく検討する。そして、どの事件にも「無実の人でなければ、ありえない供述」を発見する。真犯人には真犯人しか判らない「秘密の暴露」が現れる。一方、無実の場合は、無実でありながら「自白」して捜査員に受け入れられる供述をしようとするが、その中に真犯人だったらあり得ない「無知の暴露」が見つかる。

 足利事件の場合など、捜査員はDNA鑑定を完全に信用しているので、無実を疑いながら無理やり犯人に仕立てているのではない。本当に真犯人と思い込んでいる公権力を相手にして、いくら本当に「無実」であっても闘い続けるのは大変なことである。言うことを聞いて、相手に合わせて供述する方がずっと楽なのだが、それでも「現場検証」がある。足利事件では、現場検証で被害女児の服を捨てた場所を「正しく指摘した」ことで、真犯人の「秘密の暴露」とされた。日野町事件でも同じようなことがあった。どうして、無実の人にそんなことが起こるのか。

 著者はそれを「賢いハンス効果」だと喝破する。19世紀末のドイツで有名になった「計算のできる馬」である。観客の見ている前で、簡単な計算の答えを蹄でたたいて答えたということで有名になった。しかし、実は人間の微妙な反応を察知してたたく数が判ったのである。だから、人間の影響をシャットアウトすれば出来なくなることが証明された。浜田氏は足利事件や日野町事件を詳しく検討し、同行した捜査員が直接指示していなくても、実際上は「賢いハンス効果」で「ここです」と場所を示すことが出来るのだと証明している。

 この本が読むのが大変だったと書いたけれど、多くの事件で取り調べ状況を詳しく検討するのを読むうちに、読んでる方も取り調べを受けているような臨場感があるのである。単に冤罪事件がテーマだからじゃなくて、新書ながら重い内容を持っている。これを読むと、狭山事件清水事件の再審請求が滞っている状況に驚きと怒りを感じざるを得ない。著者の鑑定は、一度宮崎県の大崎事件で再審開始に結びついたというが、上級審で取り消された。今まで裁判所で認められていないということだが、裁判官の「論理的思考力」も試されているのである。取り調べに弁護士が同席することの重要性も、改めて深く感じた。
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「供述弱者」の問題ー滋賀・呼吸器事件の再審無罪判決

2020年04月05日 22時50分40秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2020年3月31日に大津地裁で行われた「滋賀・呼吸器事件」の再審無罪判決はとても素晴らしい判決だった。非常に重大な問題を提出しているので、考えておかないといけない。最近は新型コロナウイルスが緊急で他の問題に気が回らないのだが、これは忘れないうちに書いておきたい。
(再審無罪判決を喜ぶ人々)
 この事件は名前もまだ確定していない。僕も「湖東病院事件」と書いたことがあるが、別に病院が事件を起こしたわけではない。「事件性」がない自然死と考えられるケースで無理やり犯人を作ったのだから、「滋賀県警事件」とでも呼ぶべきかもしれない。昔は「犯人の名前」を付けることが多かった。無実であって犯人じゃないのに、今でも「免田事件」「袴田事件」と呼ばれる。それはおかしいので、地名や事件内容で呼ぶことが多くなった。救援運動をした国民救援会では「湖東記念病院人工呼吸器事件」と言ってるが長すぎる。マスコミでは「滋賀・呼吸器事件」と表記することが多いようだ。

 この事件の持つ重大な意味に関しては、弁護団長井戸謙一氏の朝日新聞インタビュー「無実の罪、晴れてなおが詳しい。有料記事だがリンクを貼っておく。井戸さんは金沢地裁裁判長時代に、志賀原発運転差し止め住民基本台帳ネットワーク違憲判決などを出したことで知られる。2011年に退官して、滋賀県彦根で弁護士となった。しかし、最初に依頼されたときは「断りたい」と思ったという。「外形的事実」を見ると「とても再審請求が通るとは思えませんでした」という。

 この事件は再審開始決定まで僕は全く知らなかった。東京ではほとんど知られていないし、支援運動が活発だったわけでもない。その中を最後まで頑張った元被告(再審請求人)と弁護団の苦労に敬意を表したい。再審事件の判決でも、時には「グレーの無罪」的な言い渡しがないではない。しかし、今回は「真っ白」の判決である。判決言い渡し後に、裁判長は「この事件は日本の刑事司法を変えていく大きな原動力になるでしょう。すべての刑事司法関係者がこの事件を自分のこととして受け止め、改善に取り組まなければいけません」と述べた。その言葉は非常に重いものがある。
(判決後の再審請求人)
 今回の判決の最大の意義は「自白の任意性の否定」にある。憲法には「自白」のみで有罪には出来ないとある。「自白」も本来証拠にできる場合は限られているが、「任意性」「信用性」の条件を満たす場合に認められることがある。多くの無罪事件では、鑑定などで「信用性」に疑いありとして「自白調書」の証拠価値を否定することが多い。それでも「任意性」(被告人が自ら進んで供述したか)を否定することは少なかった。「任意性」を否定してしまうと、捜査実務の大きな影響を与えるからだろう。でもなんで人がわざわざ「ウソの自白」をするんだろう。

 判決要旨から引用すると、「自白供述の任意性は、人権侵害や捜査手続きの違法性などを総合考慮して判断するのが妥当だ。捜査機関側の事情のみならず、供述者側の年齢や精神障害の有無も考慮しつつ判断すべきだ。取り調べをした警察官は被告の迎合的な供述態度や自らに対する恋愛感情などを熟知しつつ、これを利用して供述をコントロールしようとする意図の下、長時間の取り調べを重ねた。被告に対し強い影響力を独占的に行使し得る立場を確立し、捜査情報と整合的な自白供述を引き出そうと誘導するなどした。」

 「知的障害や愛着障害などから迎合的な供述をする傾向が顕著である被告に誘導的な取り調べを行うことは、虚偽供述を誘発する恐れが高く不当だった。諸事情を総合すると、自白供述は自発的になされたものではない。防御権の侵害や捜査手続きの不当によって誘発された疑いが強く、「任意にされたものでない強い疑いがある」と言うべきであるから証拠排除する。」

 この判断は画期的なもので、単に刑事事件捜査に止まらない影響力を持つと思う。一言で言えば「供述弱者」への配慮を認めたものだ。知的、精神的障害を持つ人が刑事事件に(加害者であれ、被害者であれ)巻き込まれることは多い。その時に強大な権限を持つ捜査官に囲まれると、正しい判断が難しくなることもある。これは「取り調べに対する弁護士の同席」が絶対に必要だということである。ゴーン事件で改めて日本の司法の異常性が注目されている。これは絶対に必要なことだと強調しておきたい。

 刑事司法に止まらず、「強大な立場」に向き合うとき、「障害を抱えた弱者」がどのような振る舞いを見せるか。教育や福祉の現場でも、似たようなことが起こりうる。というか、現にたくさん起きている。一見すると「虚言癖」のように思える生徒に振り回されたことは多くの教師にあるだろう。その場その場で、愛着を覚えた対象に都合のいいように言い分を変えるような人は珍しくない。軽度の発達障害などは思ったより多く、企業などでも「パワハラ」「セクハラ」の対象になりやすい。この判決の重大な意義はそういうところでも意味を持つと思う。

 また、再審公判で検察側は立証を放棄したが、それは警察の持っていた未開示資料の中に「そもそも事件性がなかった可能性」を示す資料があったからだ。これは改めて「証拠開示」の重要性を示している。それも単に刑事裁判だけでなく、より一般的に「不利な情報でも公開する」という「情報公開」の問題として考えるべきだろう。捜査資料は「公文書」であるから、本来国民全体のものである。有罪立証に不利だから隠しておくなどとんでもないことだ。
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裁判員制度と精神鑑定ー医事高裁の必要性

2020年01月28日 22時49分18秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 裁判員裁判死刑判決が出た事件で、控訴審で破棄、無期懲役となったケースが7件あるそうだ。そのうち5件は「量刑」をめぐる判断で、いずれも最高裁で無期懲役が確定している。一方、最近になって2例続けて「心神耗弱」を認めて一審死刑判決を無期懲役に減刑する判決が出た。2020年1月27日に大阪高裁は「淡路島5人殺害事件」の被告に死刑判決を破棄して無期懲役を宣告した。もう一つは2019年12月5日に東京高裁で出た「熊谷6人連続殺害事件」のペルー人被告の裁判である。
(淡路島連続殺害事件を報じるテレビ番組)
 日本は「国民が死刑を判断する世界唯一の国」である。ヨーロッパ各国にも「参審員制度」がある国があるが死刑制度は廃止されている。アメリカは州によって死刑制度があったりなかったりするが、「陪審員制度」のため「有罪無罪の判断」だけを行い「量刑」には関わらない。もちろん重大事件で有罪を認定すれば、事実上死刑判決につながるということはあるが、死刑判決そのものを決定するわけではない。その他の死刑制度がある国では、国民の司法参加制度がないことが多い。

 国民を抽選で選んで死刑判決が予測できる裁判に関わらせるというのは、ちょっと世界の常識では考えられない「残酷」な制度だと思う。だから裁判員制度はおかしいという人もいるが、おかしいのは死刑制度の方だ。裁判員制度を導入するなら、死刑を廃止するべきだったのだ。そのことはともかく、裁判員裁判の判決が上級審で破棄されると、マスコミでは「市民感覚とずれている」などと評することがある。しかし「心神耗弱」の場合減刑するというのは、法律で決まっていることだ。「市民感覚」の方が現行法とずれていると言うべきだろう。
(熊谷連続殺害事件を報じるテレビ番組)
 熊谷の事件も淡路島の事件も大変悲惨な事件だった。犯人性に疑問はなく、精神鑑定で責任能力が認められれば、今までの日本の判例に従う限り死刑判決は避けられない。争点は「責任能力の有無」だけと言っていいだろう。どちらの事件も、あまり詳しく覚えているわけではないものの、当初から「犯人」の言動には不可解なものがあった。報道で見ている限りでは、心神喪失心神耗弱の可能性は高そうに思えた。そして僕が思うに、その判断は裁判員が行うべきものなのか

 「事実認定」あるいは「量刑」の判断は、時にズレがあり得るとしても「市民感覚」を生かせるだろう。だけど、精神鑑定の判断に必要なものは「市民感覚」じゃなくて「専門的知見」だろう。裁判官ならば今までの経験もあるだろうし、判例も知ってるだろう。しかし、特に精神疾患に知識を持たない一般人を集めて、精神鑑定の中味を判断しようというのは無理がある。例えば発熱や咳がある人が「インフルエンザ」か「ただの風邪」か、はたまた現在問題の「新型コロナウィルス」なのか、「市民感覚」で判断するもんじゃない。医師による検査こそが必要であり、その結果も医師が判断するべきものだ。

 もっとも精神疾患の場合、なかなか難しい問題もある。何しろ医者の間でも見解が食い違うことも多い。鑑定の場合だけじゃなく、一般の治療でも医者で判断が違うことがある。ウィルス等で発症する病ではなく、症状も様々である。さらに「心神喪失」「心神耗弱(こうじゃく)」という概念も法律の中にしかない。統合失調症であっても、人によって様々なレベルや症例があり、どうなると「心神喪失」と判断でき、ある場合は「心神耗弱」、どういう場合は「責任能力あり」なのか、その境目の見極めは素人では判断できない。さらに「人格障害」の場合は「性格に偏りがあるが責任能力あり」とされる。

 その判断が死刑か無期かを分けるわけだが、それは裁判員には難しいと思う。いろいろ言えるだろうが、責任を持った判断は下しにくい。じゃあ、どうすればいいんだろうか。一つは日本も「陪審員制度」に変える、つまり「有罪か無罪か」だけを判断する。そうすれば量刑判断も要らなくなる。その方がいいんじゃないだろうか。しかし、多くの事件では有罪無罪の判断は一回の審議で済んでしまいそうだ。本人が最初に認めれば、即有罪認定となって、冤罪も起きやすくなる。量刑を決めるためには、「情状」の審理をする必要がある。だから何故事件が起きたかをある程度明らかにすることも出来る。 

 だから裁判員と陪審員では一長一短あることになる。もう一つの論点として、そもそも医療をめぐる裁判が刑事、民事含めて非常に多いという現状をどうすればいいかという問題がある。高齢化がさらに進み、認知症をめぐる裁判もさらに多くなるだろう。国民だけでなく、裁判官も医者ではない。そうなると医学の専門家を交えた特別の裁判所を設けたほうがいいのかもしれない。東京高裁に「知的財産高裁」が設置されて、知財問題の事件は控訴審段階で東京高裁で担当することになっている。

 同じように医療問題の判断には、東京高裁(だけじゃ足りないかもしれないから大阪高裁も必要かも)に「医事高裁」を設置し、医学者も特別裁判官として採用する。医学的判断が必要になった場合、一審をそこで中断して医学的争点に限って医事高裁に判断を委ねる。そこでの審議を経て、一審裁判を再開する。例えばそんなやり方である。再審事件で鑑定をめぐって争う場合も医事高裁で医学判断を行う。民事訴訟で病院を訴えているような場合も、医学的判断は医事高裁で行う。もちろんその判断に不満があれば、さらに最高裁で争うことが出来る。医学者にもいろんな人がいるから、誰を選ぶかで問題もあると思うが、シロウトがやるよりも間違いが少ないような気がする。
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死刑をなくそう市民会議設立集会

2019年08月31日 22時43分20秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「死刑をなくそう市民会議」という会が出来て、その設立集会が開催された。(明治大学リバティホール)「死刑廃止」というのは、今でもなんとかしたいと思っている残された数少ないテーマだ。(他はずいぶん諦めてしまった。)だから時々は集会にも行きたいと思ってる。今度は新しい動きだし、リバティホールは行きやすいから出かけてきた。カメラを持って行くつもりが、めんどくさいからスマホで撮ればいいやと思って、今度はスマホも忘れてしまった。年に数回はやってしまう。そこで写真を検索したら、載ってたので借りることにする。よく見ると自分も写っているではないか。

 開会の辞が民主党政権時代に第88代法務大臣を務めた平岡秀夫氏。その後、前日弁連会長中本和洋氏による講演「私と死刑問題」。日弁連(日本弁護士連合会)は「2020年までの死刑廃止」を決議している。しかし直近の参議院選挙でも、死刑廃止を主張する政党など全然ないんだから、もう無理に決まってる。(もともと無理な目標だ。)日弁連の中でも様々な議論があったというが、「人権」を掲げる弁護士には通じても、日本では「死刑廃止」はなかなか浸透しないテーマである。

 続くシンポジウムでは、毎日新聞記者の長野宏美氏(元プロテニス選手)のアメリカの事例紹介が興味深かった。アメリカでは19州が死刑を廃止し、4州が死刑執行のモラトリアム宣言(執行停止)を行っている。(2016年に死刑を執行したのは5州だけ。)しかし、死刑制度をめぐっても共和党が賛成、民主党が反対と党派による分断が際立っている。会場で配布された日弁連の資料には、世界の状況が載っている。2016年12月現在、法律上の廃止国は111国事実上の廃止国は30国(法律上は残っているが、10年以上執行のない国のこと)、存置国は57国である。国際的な状況はもうはっきりしている。

 この問題で必ず語られるのが「被害者感情」である。シンポジウムには今回、片山徒有(ただあり)氏が参加していた。1997年に8歳の次男がダンプカーにひかれて亡くなった「犯罪被害者」である。その後、被害者が刑事裁判の情報を得られない仕組みに関して問題提起を続け、制度が変わるきっかけとなった。被害者として刑事裁判を考える中で、死刑制度への問題意識も持つようになったらしい。深い発言が多かったが、声が小さくて僕には判らないところも多かった。またカトリックとして「死刑を止めよう宗教者ネットワーク」の柳川朋毅氏が加わり、司会を弁護士の船澤弘行氏。

 休憩後に神田香織氏の講談をはさみ、中山千夏さんや玉光順正(元東本願寺教学部長)、金山明生(明治大名誉教授)両氏による「鼎談」が行われた。そこで中山千夏が述べたが、80年に参議院に当選以後ずっと死刑廃止を言ってるが、ずっと同じ議論をしてる。全くその通りで、国家による殺人冤罪誤判被害者感情という問題をめぐって論じている。通じる人にはすぐ通じるが、通じない人には全然届かない。もちろん国も全然情報を広く知らせる考えはないから、皆が世界情勢を知らないままである。

 国民の多くは、何となく死刑は当然あると思っている。「人を殺したら死刑でしょ」なんて言って終わりにする人が結構いる。しかし、「人を殺してもほとんどの場合は死刑にならない」ことを知っているのかどうか。「平成最後」とか「令和初」とか、けっこう若い人でも浮かれてようだから、結局日本人は「国家」を相対化出来ずに生きているんだろうか。オウム真理教事件や「北朝鮮問題」、小泉内閣の「構造改革」などを通して、国家依存、過罰感情の社会になってしまった感じだ。

 性的少数派への問題意識はここ数年で大きく変わったように思う。だから、僕は死刑制度に関しても世の人の認識が大きく変わる瞬間もあるだろうと思う。中国やイランの死刑制度廃止はものすごく難しいだろうが、世界のほとんどが死刑を廃止する時代に日本だけが毎年執行を続けるおかしさが永遠に続くとは思えない。だが、そのための道筋が僕にはまだよく判らない。国会議員の状況は帰って悪くなってしまっている。国会でもう少し議論出来るようにするのも緊急の課題だろう。でも「集票」にマイナスと思うのか、声を挙げる人が少ない。そんな状況が変わらないといけないんだけど。
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