尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

6年目の教員免許更新制①

2016年08月31日 21時37分39秒 |  〃 (教員免許更新制)
 中世の話を長く書きすぎたので、今回は短くして2回に分けることにする。「教育」に関するさまざまな話題を、9月にかけてまとめて書いておきたいと思っている。まずは「教員免許更新制」である。

 もっとも何か新しいことがあったわけではない。ちょっとあったけど、それは次回に回して、まずは「原理的問題」を書いておきたい。この教員免許更新制も2011年から実施されているので、6年目を迎えている。1年前には講習を受講しないといけないので、事実上7年目とも言える。55歳の人は管理職や主幹になっていて受講免除の人も多いと思うが、ここまで続いてしまうと全教員の半分以上は「免許更新」の対象になったのではないか。「10年研修」は廃止されるということだったが、政府に動きはないようだから、いまだに「二重苦」が続いている。

 もう少しすると、45歳、55歳の教員の2回目、そして「初めから10年期限の免許を取得した教員の35歳の最初の更新」もやってきてしまう。そういう若い教員にとっては、「初めから決まっていたこと」だから、免許更新講習を受けることにもそれほど違和感がないのかもしれない。だけど、その結果「教育の質は向上したのか」と問うと、どうなんだろう。更新制導入後にも、それ以前と同じくというか、むしろより多く、教員の「不祥事」が報じられている気がする。

 ある意味で当然のことだろう。「負荷」が大きければ大きくなるほど、「破綻」するものも多くなる。そういうこともあるし、それ以上に「教員免許」は「私的資格」だという「免許更新制」の本質から、教員が「公教育」を担っているという誇りが薄れていってしまう。

 時々、「受講した講習が役に立った」という理由で、「更新制はあってもいい」などと主張する人がいる。これこそまさに「本末転倒」の考え方である。更新制の主眼は、講習を受けさせることではない。もし講習が役に立つというなら、「講習を受けて合格した人はそれで免許が更新される」という仕組みになるはずである。そうではなくて、講習だけではダメで、その後に「自己責任」で「私的資格である教員免許」を教育委員会に更新を申請しないといけない。それを忘れたことで、失職して教壇を追われた人が何人もいる。講習は受けていても、それだけではダメなのである。「更新手続き」の方が、更新制度の本質なのである。

 当初は教育委員会で講習を行う案もあったけれど、とても請け負いかねるということで、「大学等で行う講習」を受けることに制度が変更された。大学に行くのも久しぶり、大学の先生の話は、いつも受けさせられているつまらない官製研修と違って、教育行政批判もあったりして「案外面白かった」という人もいる。それはそれでいいけど、それなら、「10年に一度、長期休業中に大学で研修する」という制度にすればいいだけである。いくら工夫して頑張っている大学だって、それを受けないと教員資格を失うというほど素晴らしい講習をしているわけでもあるまい。何もしないで更新するわけにはいかないから、大学で受講するという風に作られただけである。

 それは結局、「教員免許は私的資格」だという決めつけに行きつく。だから「講習」であって「研修」ではない。だから、出張にはならない。自己負担で行く。「職免」(職務専念義務の免除)は申請できるはずだが、管理職が不勉強、もしくは不親切で、「年休」で受講している人も多いらしい。全国には職場で組合活動がほとんどできていない中学校が非常に多いだろうから、制度のこともよく知らない人が多いかもしれない。講習費と交通費の負担が嫌だというよりも、というか嫌には違いないだろうけど、それ以上に「公教育を担っている」という仕事が「私的」なものだということに納得できないと思う。

 運転免許は私的な資格だから、更新するときは休暇を取っていかなくて行けない。教員が運転免許を更新するときに、年休を取っていくのは当然だ。しかし、「それと同じように、教員免許は教員の私的な資格だから、更新するために教育委員会に行くときには、休暇を取っていかなくてはいけない」なんていうのが、当たり前になってしまっていいのか。学校で教師が行っている仕事は、そんな私的な性格のものだったのか。そうだったんだ。次世代の社会を担う人造りを行う、社会的に意義ある立派な仕事ではなかったのである。それが「教員免許更新制の本質」である。

 教育基本法を「改正」し、教員免許更新制を導入した第一次安倍内閣。安倍内閣が復活以来、教育行政もすっかり様変わりした。そんな中で、ついに私立小中学校に通う生徒の保護者にも補助金を出すという案が有力になっている。高校の話ではない。本来は全生徒がいけるはずの公立小中学校がある。いじめを避けて転校するなどと言っても、私立から公立に移る例はあっても、公立学校の生徒を私立が受け入れてくる例があるのか。こうして、教員の資格を私的なものにした後では、「学校に行く」と言うことそれ自体も、親の行う私的な行為となっていく。「公教育」という発想は、もう今の政権にはないんだと思う。
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日本の「中世」とは何だったのか-「シリーズ日本中世史」を読む

2016年08月31日 00時01分32秒 |  〃 (歴史・地理)
 各種スポーツの「日本代表」には様々な「愛称」が付いている。「なでしこジャパン」は有名だけど、他にも実にいっぱいある。競泳は「トビウオジャパン」で、シンクロナイズドスイミングは「マーメイドジャパン」、飛び込みが「翼ジャパン」、「水球」が「ポセイドンジャパン」なんだという。多分ほとんど知らないだろうからクイズに使えるのが、「ムササビジャパン」に「おりひめジャパン」。これがハンドボールの男子と女子だと知っている人は少ないだろう。

 そんないっぱいある中で、一番使われている言葉は、間違いなく「サムライ」である。野球が「サムライジャパン」というのは有名だと思うけど、「さむらいジャパン」というのもあって、それはホッケーの男子である。サッカー男子代表にもちゃんとあって、SAMURAI BLUE(サムライブルー)と言うらしい。ちなみに、フットサル代表は、SAMURAI5(サムライファイブ)と言う。(以上、ウィキペディアの「日本代表」の記述による。実に面白く、この付け方の考察だけで一種の日本論になりそう。)

 このように150年近くも前に終わった「武士の時代」の支配階級の呼び名は、今ではすっかり「カッコいい」「強い」「男らしい」「勇気ある」といったイメージになっているらしい。そう言えば、武将が出てくるゲームもいっぱいあるらしいし。後の時代に作られるイメージをいちいち批判しても仕方ないのかもしれないが、「武士」って、そんなにカッコいいものなの? 大体、「サムライ」は漢字で書けば「侍」である。「侍女」の「侍」である。「はべる」女のことである。何でサムライが「侍」なのか。

 それはもちろん、「さむらい」というのは「さぶらう」、そばで付き添う、つまり権力者に仕えるボディガードだったという歴史を示している。いわば、「侍女」ならぬ「侍男」だったわけである。仕える先は、当初は摂関家の当主の場合が多いが、やがて院政時代になると院に直属する武力になってくる。そして朝廷や摂関家が分裂すれば、「私兵」として動員され、勝てば武力行使が公認されるが、負ければ没落する。そういう時代を経て、長い長い時間をかけて、武士は「日本の支配者」として誰もが認める勢力として定着した。

 そういう「武士の時代」の前半期を、日本史では「中世」と呼んでいる。支配者としての武士が確立した「江戸時代」は、別に「近世」という呼び方をすることになっている。でも、「近世」って何だ?外国語にできないではないかと、昔からこういう時代区分自体に疑問も出されてきた。世界史、というか「標準としてのヨーロッパ史」では、ギリシャ・ローマの「古代文明」が栄え、また「大航海時代」以後にヨーロッパ諸国が世界を支配した「近代」がある。その間に、古代文明が破壊され、自給自足的経済に落ち込んだ「暗黒の中世」があるわけである。

 でも、日本史では「近世」概念の有効性は、やっぱりあるように思う。「武士」つまり「軍事貴族」が社会を支配し、江戸時代のように長期に安定した社会を築いたというのが、日本史の特徴なのは間違いないからである。そういう江戸時代へ向け、「武士の登場」(平安時代中頃から後期)から始まって、戦国時代の終焉までを、日本史では「中世」と呼んでいる。岩波新書では、今まで古代史、近世史、近代史のシリーズがあったけど、こんど「シリーズ中世史」全4巻が出た。そういうのが出ると、やっぱり買ってしまう。少し前になるけど、せっかくだから読んだ記録ということで。

 日本の「武士時代」と言っても、最後まで「朝廷」と「幕府」の二本立てである。幕府は朝廷から任じられて政治を行うタテマエだが、朝廷は政治的権能をほとんど有してない。江戸時代には御所の外に出ることさえかなわない。こういうのを、昔は僕も「一種の特殊状態」と思っていた。でも、今はちょっと違う。世界の様々な国を見れば、むしろ「権力と権威の分裂」、あるいは「二重権力」のようになった歴史を持つ国の方が多いのではないか。特に、複雑な異民族支配や宗教的権威が絡み合って、権力が二重にも三重にもなった時代を持つ国は結構多いと思う。日本だけが「特殊」だと昔は思い込みやすかったのだが、朝廷と幕府の分立なんか、世界史の中では軽い、軽いといったもんじゃないか。

 柳田国男によれば、村の民俗を訪ねてさかのぼれる上限は「室町時代」だという。また網野善彦によれば、南北朝の争乱時代以後に日本は「野蛮の時代」を脱するという。とにかく、日本では室町時代初期に大きな境目があるらしい。僕らが日常的に接しうる「日本的なもの」、茶道や華道、能・狂言、床の間などがある書院造などは、みんなその時代のものである。(でも書いていて思うけど、高度成長以後の生活スタイルの変化で、もう「室町時代以来のもの」も日常からなくなりつつある。)

 大昔は「鎌倉幕府の成立」をもって、「武士の時代の始まり」と見なしていた。「歴史は進歩する」と言われていて、平安初期までが「天皇の時代」、その後「貴族の時代」、そして「武士の時代」となっていく。「歴史の担い手」が移り変わっていく。特にマルクス主義的な唯物史観に立っているとも思えない先生でも、確かに判りやすく教えやすいと思えるからだろう、そういう教え方をしていたと思う。だから、武士の登場は「武士階級が政権を奪取した」わけである。新しい時代を切り開いたわけである。そういうとらえ方が変わってきたのは、もうずいぶん前だろう。大体、鎌倉時代は「武士の時代」というほど、幕府権力が社会を覆っていたとも言えない。経済的にも、院や摂関家に属する荘園の存在が大きかった。それに大寺社が朝廷や幕府を揺るがすほどの勢力を持っていた。だから、朝廷・幕府・寺社が並び立つ時代ととらえる「権門体制論」が登場して有力となってきた。

 一方、それだけではとらえきれない複雑さが日本史にはある。それは「源頼朝はなぜ鎌倉に幕府を置いたのか」という問題である。京都に幕府を設置したら、また歴史は変わっていたのだろうか。というか、「幕府」とは「征夷大将軍」のいる場所のことである。歴史的に「東国を制圧する」ことが「武士の仕事」だったから、そもそも京都にいるんだったら、平清盛のように太政大臣とか、あるいは関白などになる方が筋だろう。だから、そもそも「幕府時代」という時代区分はなかったかもしれない。はっきりしているのは、多分鎌倉幕府がなければ、江戸幕府というものもなかったということである。でも、日本では地理的にも、自然的にも「東西差」がはっきりとあって、その東西差が鎌倉幕府の存在によって、「公然化」したとも言える。

 なんだか書評にならないことを書いているけど、おそらく日本の中世の最大のできごとは「家」(イエ)の成立だろう。中世には天皇家も独自の荘園を持ち、それを相続していった。本来、天皇は日本全体の支配者であり、全国土が「王土」であるはずである。正規の支配ルートを通じて、日本各地を押さえられるはずだが、そういうタテマエはすぐに崩れてしまって、「天皇家」も独自の私有財産を世襲する。というか、「天皇」も天皇ではなく、天皇の父、つまりは「天皇の家の家長」が支配する時代となった。

 摂関家も同じで、もとは藤原鎌足に発する一族も、様々に枝分かれしながら、藤原北家、それも藤原道長の子孫以外は摂関にはなれなくなる。さらにそれは枝分かれしていって、結局、近衛、九条、二条、一条、鷹司の五つの家柄からしか摂関にはなれなくなる。(五摂家)九条家が一時排除されかかるが、なんとか滑り込める経緯は、「鎌倉幕府と朝廷」で興味深く説明されている。他の貴族も全部同様に家格と職掌が固定され、「家の仕事」が継承される体制となる。その下に清華家(せいがけ)、大臣家、羽林家…とずっと続いている。ほとんどは藤原家の流れだが、中には清和源氏や村上源氏、桓武平氏などの流れもある。そして、それぞれ琵琶だの笛だの、歌道、蹴鞠(けまり)など、その家で伝えていくべき仕事も決まっている。

 武士だって、実力でのし上がった新しい階級というよりも、平将門の乱の平定に活躍して以来、清和源氏(の中でも河内源氏)、桓武平氏(の中でも伊勢平氏)、藤原秀郷の流れの諸氏(中央に出なかったが、関東の武士の多く、奥州藤原氏、九州の大友、龍造寺、立花などの祖先となった)に固定されていた。「武芸」を一族の職掌として、朝廷や摂関家に仕える「家」として成立したわけである。このような「家」の成立とともに、自己の子孫に「家」を継承させていこうとする果てしない政争が生まれることになる。鎌倉時代や南北朝時代の、凄惨なまでの同族も含めた殺し合い、特に鎌倉で起こる相次ぐ「騒動」、あるいは南北朝時代の足利尊氏と弟の足利直義の兄弟争いなどは、陰惨なまでに「武士の時代」の本質を示していると思う。

 ちょっと長くなりすぎているので、後は簡単に。そういう権力の争いが行きついたのが、「戦国時代」だろう。将軍家をはじめ有力武家の多くで、家督争いが起こり、果てしない争乱が全国に広がった。その終局に、逆に信長、秀吉、家康による、前近代では世界的に珍しいほどの「中央集権政権」が誕生する。「分裂から天下統一へ」は、常にアジアの中で日本史を論じてきた村井章介氏が担当している。琉球やアイヌの状況も詳しく、同時に「石見銀山の世界史」では、日本、特に石見銀山だけで世界の銀の6分の1を産し、世界経済を大きく変えた様が語られている。そんな中で、豊臣秀吉は朝鮮侵略戦争を起こし東アジア世界を大きく変えてしまった。今では秀吉が朝鮮から大明国までをも征服し、天皇は明に移すなど「老人の誇大妄想」としか思えないが、著者によれば「秀吉ができなかったことが、ヌルハチにはなぜできたのか」という問いも立てられるのではないかという。なるほどと思わせられた。

 村の様子なども触れられているが、特に第3巻「室町幕府と地方の社会」では、書名にも「地方」が入っていて、判りやすく叙述されていて興味深かった。室町時代は「荘園制の終わり」と理解されていたが、武士が荘園に勢力を伸ばすのも荘園制の一環として理解できる面があるという。よく教科書に出てくる「下地中分」(荘園領家と地頭方で、領地そのものを半分ずつに分けてしまうこと)なんかも、「武士の勢力増長」と言われるが、むしろ「本所(摂関家などの領家)にも半分は保証する」という「荘園保護策」だったのだという。

 他にも書きたいことは多いけど、最後に一つだけ。今も「葬式はお寺」という人が圧倒的である。それも「鎌倉仏教」と総称される諸派の寺院でほとんどが行われる。浄土真宗とか日蓮宗とか曹洞宗とか…。それは何故か。源平争乱から南北朝、戦国時代と続くぼう大な死者の群れ…。「死者の穢れ」を免れる僧侶が、死者の弔いを担当したという長くて辛い民衆の歴史が底にあるのだろう。葬送のあり方の中にこそ、日本社会で「中世」が今もなお生きている証ではないか。
   
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村田沙耶香「コンビニ人間」

2016年08月29日 23時16分14秒 | 本 (日本文学)
 「ジニのパズル」に引き続き、今期の芥川賞受賞作村田沙耶香「コンビニ人間」(文藝春秋、1300円)を読んだ。というか、その前に三島由紀夫賞受賞作「しろいろの街の、その骨の体温の」(朝日文庫)を先に読んだ。ぶっ飛び度はこっちの方がすごい。村田沙耶香という人は、ここ数年「殺人出産」とか「消滅世界」などの小説で、トンデモ設定が評判になっていたから、いずれ読みたいと思っていた。最近の芥川賞作品は、いずれ文庫で読めばいいと思って、もうしばらく単行本では買ってない。でも今回の作品は、なんか早く読みたいような気がして買ってしまったわけ。
 
 この小説は、読みやすいうえに、まとまりが良くて、やっぱり傑作短編だと思った。テーマや好き嫌いなどとは別に「文学的完成度」という尺度もある。「コンビニ人間」は明らかに「ジニのパズル」より完成度が高い。それは「一読瞭然」だと思うけど、それにしても話としては相当変な物語には違いない。最近の芥川賞作品では、絲山秋子「沖で待つ」や津村記久子「ポトスライムの舟」のような、一種の「お仕事小説」があるが、「コンビニ人間」はそれらの小説とは感触が全然違う。「コンビニで働き続ける主人公」を描いているけど、むしろ「コンビニでしか働けない主人公」を描く「生きづらさを抱えた人間の考察」という感じである。

 主人公の「私」(後に周りの人の話から「古倉恵子」という名前だとわかる)は、もう同じコンビで16年間働き続けている。小さいころから、周囲となじみにくい子どもと思われていたが、人と交わらないことで摩擦を避け、何とか高校を出て大学へも進んだ。大学1年の時に、道を間違えて「ゴーストタウンのような」異世界に紛れ込んでしまい、なんとか地下鉄の駅を見つけた時、そこに「スマイルマート日色町駅前店」のオープニングスタッフ募集の貼り紙を見つけた。翌日に電話をかけ、採用されて、さっそく研修が始まる。そしてオープンする。以来、16年間に店長は8人変わり、開店当時のスタッフは誰も残っていない。主人公だけが同じ店で働いている。以上、終わり。

 という人生なんだけど、これは「変」だろうか。「普通」の世界の住人からは、「変」に思われる。なぜなら、アルバイトは学生時代だけの話で、卒業したら「正社員」を目指すものだとされる。だけど、すぐには就職できず、あるいはすぐに辞めてしまい「フリーター」になることはある。または「バンド活動」や「演劇活動」など、他に自己表現する場を持っていて「いずれ有名になるまでのバイト」という「物語」があれば許容される。「私」も20代の間は、そういうフリーターの一種とみなされていたんだろう。でも結婚どころか恋愛沙汰の一つもなく、30代も後半になってくると、間違った生き方と指弾されやすい。だから、姉を愛する妹などが、ちゃんと「物語」を作ってくれる。「本人が病弱」で「親の介護」もあるということになっている。でも、ずっと立ち仕事のコンビニを週5回、どこが「病弱」なんだと思われてもいるらしいが、とりあえずそういうことにしている。

 主人公は「コンビニの声」を聴くことができる。昨日との気温の違いで売れ筋が違う商品、それをきちんと並べて「お客様」に提示する。おにぎりの並べ方にもコツがある。一番売れ行きがいい「つなマヨ」を中心に並べ、「おかか」は端におく。(マヨネーズが苦手な僕は、そう言えばいつも端っこから見ているなと気づく。)そういう「臨機応変」が必要なんだけど、これは実は「マニュアル化」されたものが血肉化したもので、もちろん「本物の創造性」が必要な仕事ではない。

 コンビニの仕事ぶり、同僚たちのようす、「私」の過去や現在などが過不足なく描かれていき、真ん中あたりで、主人公よりもっととんでもない男性アルバイト「白羽」が登場する。主人公は「女」としてまだ許容されうる領域にいるが、白羽は30過ぎで何の仕事もしたことがないのだから、もっと病が深い。「縄文時代以来」が口ぐせで、世の中を斜めに見て自分以外を下に見ながら、自分も何物でもないという人物がリアルに描かれている。そんなヤツが同僚でやっていけるのかと思うと、それどころではない、あれよあれよの展開をしていくんだけど、その驚きは今後読む人のために取っておきたい。

 僕が思うに、主人公は明らかに「発達障害」である。大学まで行けたし、周りに合わせなければという意識もある。だから、ものすごく重いわけではないけど、軽度の「自閉症スペクトラム障害」だろう。以前は「アスペルガー障害」とよく言われたタイプである。幼児期のエピソードが出てくるが、それはこんなものである。幼稚園の時に、小鳥が死んで周りが泣いていて、「私」はそれを掌に乗せて母に持って行った。「お墓を作ろうか」といわれた主人公は「これ、食べよう」と言う。あるいは小学校に入ったばかりの時、体育の時間に男子が取っ組み合いのけんかを始めた。「誰か止めて」と悲鳴があがり、そうか止めるのかと思った主人公は、用具入れのスコップを取って、暴れる男子の頭を殴った。そして、母が呼ばれた。典型的な「アスペルガー」である。

 「けんかを止めて」というのは、けんかしていると大けがするかもしれないし、「そもそも暴力はいけない」と言うタテマエが学校にはあるからである。「けんかを止める」目的で、けんかしている当人に暴力でケガさせるというのは、確かに「けんかを止める」目的は果たしているわけだが、「けんかを止めなければならない真の理由」からは外れている。「意味するもの」と「意味されるもの」を判別できないというのが、まさに「発達障害」である。多くの人は、あえて言われるまでもなく、言語化する以前に理解できる。主人公はそれが判らなかったわけだけど、80年、90年代の教育現場には「発達障害」という概念がまだなかった。だから「変な子」に努力を求めて、今思えばずいぶん苦しい思いをさせてしまった。家族は主人公を心配しながら、何かあれば「まだ治ってない」と嘆く。

 「病気」じゃないんだから、一生治らない。「障害」を周りが理解しながら、共に生きていくしかない。もっと早くから周囲がケアできていれば、もっと生きやすいんだろうと思う。例えば、発達障害でも「精神障害者保健福祉手帳」が取得できる。そうすれば、コンビニ会社も「障害者雇用促進法」の雇用率を満たすために正社員に登用しやすくなる。この主人公は単にアルバイトにしておくには惜しい「コンビニ愛」と「コンビニ社員スキル」を持っている。現場だけでなく、研修担当などでも才能を発揮できるのではないか。主人公の勤める職場でも、開店以来ずっと働いている主人公は奇異に思われているらしい。店長は他のバイトたちと時々「飲み会」をしているらしいが、主人公にはお呼びがかかっていないようだ。そういう位置にある主人公なんだけど、もっと違う道もあるんだと僕は強調したいと思う。(だけど、福祉手帳取得には、「精神」や「発達」の場合、家族が壁になってしまうこともあるのが現実だろう。この主人公の場合も親は理解してくれないかも。)

 僕は教員としての最後のころは、定時制にずっと勤務していた。だから、「アルバイト禁止」などという進学校と違って、「アルバイト促進」を続けてきた。もう「中卒」の生徒が正社員として勤めて、夜は定時制高校に行かせてくれるといった職場は日本にない。だから、コンビニに務めていた生徒はとても多い。「バイトの相談」もずいぶん受けてきたが、中には「先生はコンビニのバイト、したことある?」などと聞いてくる生徒もいた。「先生が学生のころには、コンビニなんかなかったんだよ」と言うと、なんか紀元前の話でもしているかのような顔をされるのだった。確かに、もう僕たちは「コンビニのなかった時代」を思い出せないかもしれない。それほどにも、我々の生活に不可欠になってしまった一種の「社会インフラ」、ある種の「ライフライン」でもある「コンビニエンス・ストア」の労働を舞台にしたという意味でも、歴史に残る画期的な意味を持つ作品だろう。
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ホウ・シャオシェン監督「冬冬の夏休み」

2016年08月27日 21時27分43秒 |  〃  (旧作外国映画)
 神保町シアターで原節子没後1年の追悼上映が始まった。「母の曲」(総集編)という戦前の映画は見てないので、今日はこれを見ようと思ったら、売り切れ満員だった。さあ、困った。そこで早稲田松竹に行って、台湾のホウ・シャオシェン監督2本立てを見ることにした。「風櫃(フンクイ)の少年」(1983)と「冬冬(トントン)の夏休み」(1984)。日本では「悲情城市」と同じく1990年に公開された。「風櫃」はついこの間、台湾映画特集で見直したばかりなんだけど、「冬冬」は26年ぶりということになる。
 
 旧作を、それも名画座で見直しても、普段はあまり書かないことにしている。名画座上映はすぐ終わってしまうし、映画ファンなら知っているような映画が多い。でも、今回は「こういう映画だったか」と感銘を新たにしたこともあるし、ぜひ多くの人に知っておいてほしいと思って書いておくことにした。ホウ・シャオシェン監督は台湾映画の巨匠で、ヴェネツィア映画祭でグランプリを取った「悲情城市」が断トツのベストだと思う。でも、子どもたちを描いた「冬冬の夏休み」ほど、見たものに幸福感を抱かせる映画も少ないだろう。素晴らしい映画を見たという記憶を、僕も四半世紀の間、ずっと持ち続けてきた。それは今回見ても同じなんだけど、でも印象はずいぶん違った。

 この映画は、母親が入院している間、台北の小学生兄妹が田舎の祖父の家(病院)に預けられる話である。なんだか記憶の中では、自然の中で幸せに遊びまわった「奇跡の夏」をささやかに描写した小さな宝石のような作品だと思い込んでいた。まあ、そういう側面もないわけではないけれど、今回見直すと「オトナの事情」もしっかりと描かれていた。冬冬は小学校を卒業し、田舎の子どもたちともすぐ仲良くなるが、同時に大人の世界をも垣間見ている。そういう存在だった。第一、「母の不在」という影が全編を覆っている。ギャングもいれば、村の「知恵遅れ」の娘をめぐるあれこれの騒動もある。叔父の結婚をめぐるドタバタ騒ぎもある。

 「子どもの目」に徹しているので、大きく取り上げられていないが、性や犯罪、親子や夫婦の葛藤…などもしっかりととらえられていた。そのことは見ればすぐに判るんだけど、これほどの「子ども映画の名作」は少ないので、記憶の中ではだんだん幸福な夏休みの側面だけが定着してしまったんだろう。川で水遊びするシーンなど、今の日本ではできないうらやましい場面。色彩デザインも計算されていて、とても感性に深く訴えかけてくる映画である。主人公が「冬冬」(トントン)という愛称なのも、おかしい。夏休み映画にあるまじき命名ではないか。

 冬冬と妹が住むことになる家は、祖父の病院である。これは明らかに日本統治時代の建物だろうと思ったけど、調べてみたらやはりそうだった。建物が主役と言ってもいい映画で、2階の廊下で滑っていて、祖父に怒られるシーンなど忘れがたい。脚本の朱天文の母方の祖父の家だそうである。場所は銅鑼(どうら)というところで、台湾北西部、台北と台中の間にある。冬冬の父を台湾映画のもう一人の巨匠、楊徳昌(エドワード・ヤン)が特別出演している。叔父さんの恋人は、「風櫃の少年」でも恋人役だった林秀玲という女優で、あ、また出てるという感じだった。冒頭の小学校卒業式で「仰げば尊し」が流れ、ラストでは「赤とんぼ」が出てくる。

 映画ファン、台湾ファンだけでなく、すべての子どもたちに一度は見せたい映画。今回上映のデジタル・リマスター版はまだDVDが出てないようだけど、注意していれば今後様々な劇場上映もあると思う。「夏休み」というのは、ドラマの絶好の設定で多くの映画が作られている。アメリカの青春映画では、高校を卒業すると夏休みだから、この期間の映画はものすごく多い。フランスではバカンスだから、エリック・ロメールなんかのバカンス映画が思い浮かぶ。でも、子どもたちの夏休み映画といったら、「冬冬の夏休み」が最高傑作ではないだろうか。ナント三大陸映画祭グランプリ、キネマ旬報ベストテン4位。
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「ジニのパズル」を読む

2016年08月26日 22時57分38秒 | 本 (日本文学)
 崔実(チェ・シル)の小説「ジニのパズル」(講談社、2016、1300円)を読んだので、その話。作者は1985年生まれの在日韓国人女性で、これが初めて書いた小説。第59回群像新人文学賞を受賞し、引き続き第155回芥川賞候補作になった。受賞はならなかったが、はじけるような魅力を持った本だと思う。そして「日本社会」に持つ大きな意味からも、文庫になる前にぜひ読んで欲しい本。

 群像新人賞と言えば、今まで多くの新人作家を生み出してきた。今は世界的人気作家となった村上春樹というジャズバー経営者が、神宮球場でスワローズの試合を見ていて、30歳目前にして小説を書こうと突然思い立った。それが「風の歌を聞け」で、第22回群像新人賞を受賞したエピソードは有名である。崔実(チェ・シル)がこの小説を書いたのも、村上春樹を思い出し、30歳を前にして自分にも書くべきことがあると思ったということである。こうやって、「文学」がつながっていくのだろう。

 この小説は、文章的には読みやすい本で、スラスラと読める。だけど、そこで描かれている世界には、非常に重いものがある。でも、いわゆる「在日コリアンをめぐる問題」についてだけ書かれている小説ではない。日本社会と同時に、「朝鮮学校」と「北へ帰った祖父」を通して「北朝鮮」を扱ってもいる。そして、主人公ジニは「革命家の卵」となって日本を飛び出し、アメリカの高校にいる。それも「楽園」のハワイで一度高校を中退し、今はオレゴン州の高校にいる。そこでも退学を勧告されている。ホームステイ先はステファニーという絵本作家。この二人の関わりを通して、「世界」の受容について考察されている本という言い方もできるだろう。

 という風に、いくえにも重なり合った世界構造を相対化しながら、「どこにも居場所がない」少女の「闘い」の軌跡を積みかさねていく。少女ジニは、もともとは東京の私立小学校に通っていた。(そういうことができるんだから、家庭は経済的に余裕があったのかと思う。)だけど、そこで差別を受けて、上までつながっている私立であるにもかかわらず、中学から十条(北区)の朝鮮学校に転校する。(韓国籍だが、韓国人学校は韓国生まれの人が多く通いにくいため、朝鮮学校にしたように受け取れる。)

 だけど、それまで日本語で授業を受けてきたジニは朝鮮語ができない。ジニのために、授業は当分の間日本語で行われることになる。こうして、小学校から朝鮮学校にいる級友からも浮いてしまう存在となる。やがて友だちもできるが、どうしても完全には「同化」できない。そして、クラスに掲げられた金日成、金正日父子の「御真影」にもなじめないものを感じ続ける。そんな中、1998年8月31日の、長距離弾道ミサイル「テポドン1号」(とみられる)発射実験の日を迎えるのである。

 このとき、日本列島の上を通って太平洋に届いたミサイル(北朝鮮側は人工衛星の打ち上げと主張しているが)に対し、日本社会はかつてない反発を示した。「そういう時」に「よくある」ことを察知していた朝鮮学校側は、翌日は(チマ・チョゴリの制服ではなく)体操着で登校することにしたが、なぜかジニには伝えられない。チマ・チョゴリで登校しようとしたジニは、ついに学校にたどり着けない。そして池袋のパルコ地下で何が起こったか。そのまま「不登校」になったジニが久しぶりに登校した日に、どのような「革命」を行ったか。この小説の一番重要なところだが、これから読む人のために、ここではこれ以上書かないことにする。ただ、このジニという少女に、これほどの重荷をおわせていることを、一人ではすぐには変えられないとしても、少なくとも我々は知っていなければならないと強く思う。

 その後、アメリカへ行く経緯、またハワイで退学した学校のことは語られない。また、ジニの周りの人々に何があったかも語られない。全部を書いたら、新人賞に応募できないけど(400字詰め、70枚~250枚という制限がある)、オレゴン州での出来事だけでも、まだまだ書くべきことがあるように思う。というか、どこまで「自伝的」なものかは知らないけど、朝鮮学校に通ったこと、アメリカに行ったことは、実際の体験がベースにあったのだろうと思う。だけど、多分チェ・シルはジニと相当に違う(と少なくとも著者が思う)ような存在だと思う。「自分」そのものではないから、このような「熱」を放ち続けているのではないか。僕は「友だち」だったニナのことがすごく気になるのだが、それも含めて今後に期待。

 ところで、「風の歌を聞け」も芥川賞候補になったけれども受賞はならなかった。群像新人賞作品がそのまますぐ芥川賞を受賞したことはあるのか。一つは僕の世代ならすぐ思い出すだろうが、村上龍「限りなく透明に近いブルー」である。他にあるかと調べてみたら、大庭みな子「三匹の蟹」林京子「祭りの場」諏訪哲史「アサッテの人」があった。今回受賞の村田沙耶香は、2003年に「授乳」で優秀作に選ばれている。今までの受賞作を思い出すと、文学的完成度で言えば、正直なところ「ジニのパズル」はまだ芥川賞には届かない。だけど、絶対に読み落とさない方がいい作品だ。
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世界の選手たち-リオ五輪③

2016年08月25日 00時00分57秒 | 社会(世の中の出来事)
 僕個人はリオよりロンドン五輪の方がいっぱい見ていたように思うけど、なんかリオ五輪について3回も書いている。1回で全部書くつもりで始めたんだけど。最後に五輪で活躍した世界の選手たちの中から何人かを取り上げて。

 まず一番最後の日に行われる男子マラソン。今回も東アフリカ勢が強くて、金はケニアのキプチョゲだった。以下、エチオピア、エリトリア、タンザニア、ウガンダと入賞者にはズラッと東アフリカ諸国が並んでいる。そんな中で銅メダルの米国ゲーレン・ラップ選手は、白人系だけど長距離界で近年アフリカ勢以外のトップになることが多いらしい。ロンドン五輪1万mで銀メダル、今回も5位入賞の選手である。しかし、それより銀メダルのフェイサ・リレサ(26歳)の手を✖印に組んでのゴールは世界に衝撃を与えた。「オロモ族迫害への抗議」ということが後に明かされた。

 調べてみると、「エチオピア:オロモ族に対する過酷な弾圧」という、2014年10月29日付でリリースされたアムネスティのレポートが見つかった。エチオピアではオロモ人は34.4%を占める最大民族なんだけど、伝統的に支配民族だったアムハラ人(27%。エチオピア帝国を建設した人々)が中心で、公用語もアムハラ語になっている。かつて社会主義体制打倒の中心だったティグレ人も強く、オロモ人の反体制運動が存在するということのようだ。いわゆる「少数民族弾圧問題」とは少し違う構図ではないかと思う。とにかくリレサ選手の今後は要注目だと思う。

 次にシェリー=アン・フレーザー=プライス(Shelly-Ann Fraser-Pryce)を取り上げたい。ウサイン・ボルトは誰でも知ってるけど、フレーザー=プライスは知ってますかという感じ。ジャマイカの女性陸上選手で、北京、ロンドンの100mで連続金メダルを取った選手である。200mや400mリレーはロンドンで銀メダル。だからボルトほどではないわけだが、それでも今回100mの3連覇がかかっていた。それはリオ五輪の注目の一つだったのだが、今回は残念ながら銅メダルに終わってしまった。29歳だから、これでお終い。だけど、今回の金メダルは同じジャマイカのエレーン・トンプソンが取った。トンプソンは200mも金メダルである。24歳だから、東京で連覇が期待できる。ジャマイカの女子陸上短距離界は世代交代に成功したわけである。写真は最初がフレーザー=プライス、後がトンプソン。
  
 今回は米国のアフリカ系女性選手の活躍も目立った。体操のシモーン・バイルズは団体、個人総合、跳馬、ゆか運動のなんと4個の金メダルを取って体操女王になった。身長145センチの19歳、小柄ながら閉会式で米国旗手を務め、アメリカでも人気が出ているらしい。

 体操もそうだけど、水泳も「黒人選手がいない」競技だった。だけど、今回初めて競泳でアフリカ系米国人初の金メダルが登場した。いろいろあっても、こういうところからも米国の変化を見て取れる。それは一部の黒人が豊かになって「白人向け競技」を子どもに教えられるようになったということで、黒人間の格差は広がっているのかもしれないが。それはとにかく、100m自由形シモーン・マニュアル選手が金メダルを獲得したのだが、なんとカナダのペニー・オレクシアクと同着の金メダルだった。オレクシアクは池江が入賞した100mバタフライで銀メダルだった選手。同じ16歳で、池江が準決勝敗退だった自由形で金を取った。ショックと刺激を受けた相手である。マニュアル選手も20歳だから、4年後まで熾烈なメダル争いが続くだろう。池江璃花子は追いつけるか。

 ところで、アメリカにはバイルズの他にも、4つの金メダルを取った女子選手がいた。ほとんど報道されず知らない人が多いと思う。僕も何となく記録を見ていて気付いたのである。競泳のケイティ・レデッキーという選手で、200m自由形、400m自由形、800m自由形、800mリレーの4種目である。なんとロンドンで15歳で800m自由形で金メダルを取っていた。今回は400mリレーで銀メダルも取っていて、19歳にしてすでに6個のメダル数を誇る。東京どころか、後3回ぐらい五輪に出られそうだ。「フェルプスを抜けるか」という存在ではないかと思うけど、まだ日本で多くの人が知ってはいないと思う。

 さて、柔道では日本選手ばかりが注目され、放送される。だけど、非常に注目すべき金メダルが女子で2つあった。一つはコソボ初の金メダル、マイリンダ・ケルメンティである。まあ、コソボは今回が国としては初参加だから、初の金に決まってるけど、母国は大いに沸き立っているという。セルビアからの独立は、必ずしも全世界から祝福されたものではなかったけれど、こうしてコソボという国家が作られていくのだろう。「柔道」は「ジュード-」となり、世界に広まっている。

 ケルメンティは52キロ級で、北京五輪銅メダルの中村美里は悲願の金メダルに届かなかった。一方、57キロ級で「知性のある野獣」松本薫の連覇を阻んだのは、ブラジルのラファエラ・シルバ。リオのファヴェーラ(貧民街」出身の黒人系選手で、さらに言えば同性愛者だという。映画「シティ・オブ・ゴッド」の舞台になったあたりの出身で、NPOの支援を受けて競技を始め頭角を現していった。松本薫は素晴らしい選手で、独特の感性が大好きなんだけど、今回に関してはラファエラ・シルバが金メダルを取るべくして取った大会だったんだろうと思う。そうしてラファエラ・シルバのような選手がいるということがスポーツの素晴らしさだと思う。

 ということで、なんだかマラソンのリレサ以外は女性ばかりになっているので、最後はウクライナのオレグ・ベルニャエフを挙げておこう。個人総合で内村に続く銀メダルだった選手。種目別の平行棒では金メダルだった。今回の日本は予選が悪すぎて、種目別決勝にあまり残れなかった。ウクライナは団体8位だが、ベルニャエフという人がいて、個人総合狙いで勝負できる。それより、記者会見の様子が、イマドキ用語で「神対応」だったので世界に驚きと感動を与えた。50キロ競歩の日本の荒井と4位のカナダのダンフィー。女子5000mで助け合った米国とニュージーランドの選手。スポーツマンシップは生きている。今は「スポーツパーソン」というのかな。
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圧巻の400mリレー銀メダル-リオ五輪②

2016年08月23日 23時22分44秒 | 社会(世の中の出来事)
 テレビを見ながら書いてたら、昨日は女子レスリングの話だけで時間がかかってしまった。だから、今回はまず他種目の日本選手から。ところで、前回ロンドン五輪について何か書いてたかなあと探してみたら、「ロンドン五輪総まとめ」という記事を書いていた。(自分でも忘れてしまうのである。その頃は大津市の事件をきっかけに「いじめ問題」について書いていた。)その中で男子400mリレーについても書いていた。北京では3位の銅メダルだったが、その時はアメリカ失格による繰り上がり。

 で、ロンドンの時のテレビ解説では、「前回のように早い国が失格することもありますから、最後まで日本も頑張って欲しいですね」などと言っていた。だから、僕は「おいおい、他国の失格頼みかよ」などと書いている。そう言えば、そんなことがあった。結局、ロンドンでは5位だった。今回の決勝は土曜日の午前10時半ころだから、見た人が多いだろう。今回はジャマイカ、アメリカに続いて、「実力で銅メダルになるかもしれない」と期待して見ていた人が多いと思う。

 決勝がスタートしても、最初はレーンが違うからよく判らないけど、だんだん日本チームがバトンの受け渡しもうまく行き、すごく好調な感じが見えてきた。第3走者桐生から最終走者ケンブリッジ飛鳥に渡った時には、明らかにボルトと並んでトップ争いをしていた。さすがにボルトは段違いでどんどん引き離されたが、それでも2位争いをしながらアメリカ、カナダとほぼ同じ感じでゴールした。僕の肉眼では判定できなかった。結局アメリカは失格になったわけだが、それでも見た時に銀メダルかどうかは判らなかったのである。結果を知って、後でニュースなどで見ると、今度はわずかの差であっても日本が先着していることが見えてくる。そういうもんなんだ。ジャマイカが37秒27。日本は37秒603位のカナダは37秒64である。0秒04の差だったのである。(4位中国は37秒90)

 これは圧巻だった。すごいものを見た。まさか「実力の銀」とは。今、ボルトのいるジャマイカを抜けるとは思えないから、これは「考えられる最高の結果」である。まあ、僕が書くまでもないんだけど、こういうことがあるんだという見本。今回の日本チームの最大の成果じゃないか。金メダルじゃないけど、ある意味「金メダル以上」だと思う。次回の東京五輪には、ボルトは出ない。日本でもサニブラウンなど若手ももっと伸びてくるだろう。本気で金メダルが期待できるのかもしれない。

 日本選手団の中で、メダリストという意味では、一番最初の三宅宏実の銅メダルがとても素晴らしかったと思う。三宅は今回はメダルなしどころか、記録なし、あるいは棄権もあるかと予想していた。まさに奇跡、不屈の2大会連続メダルだった。柔道、水泳、体操などを書いてると終わらないから、それを飛ばして、前半五輪ではカヌーの羽根田卓也の銅メダルが素晴らしかった。名前も知らないし、ずっとスロバキアでカヌーをしていたということも知らなかった。大体、カヌーとしか覚えていないけど、今調べてみると「スラローム・カナディアンシングル」という種目である。さまざまな青春があったのだなあと感じ入った。こういう「開拓者」がいたのである。

 日本は前半戦の柔道や水泳で、まずメダルを取る。これは次回以後も変わらないだろう。後半戦は陸上と団体球技の決勝トーナメントが話題の中心になる。今回は開催国のブラジルが、男子サッカーと男子バレーボールで優勝した。これが最終盤のブラジルで五輪を大きく盛り上げた。ところで、今回の日本チームでは卓球やバドミントンは決勝に進出したけれど、これは個人で戦う団体戦である。サッカーやバレーのような団体球技ではない。前回は女子サッカーが決勝戦、男子サッカーが3位決定戦、女子バレーも3位決定戦に残っていた。今回は一つもなかったので、そこが今ひとつ後半戦を(日本では)盛り上げなかったように思う。でも、今回から採用された「7人制ラグビー」の男子は3位決定戦まで戦った。これはすごかった。女子バレーも女子バスケットも決勝トーナメントには出場していた。どっちもアメリカに負けたけど。バスケット女子はかなり健闘していて、今まで日本のバスケは見てないけど頑張ってるなと思った。少子化のさなか、どんな球技も全部活躍できるわけもないけど、日本じゃ学校体育や部活動で球技をやった人が圧倒的に多い。次回は開催国枠で男子も出られるんだろうけど、ぜひ男子も活躍して欲しいもんだと思う。

 水泳を中心に若い選手も多数出場した。その経験は4年後に生きてくるんだと思う。100mバタフライ5位入賞の池江璃花子(東京豊島区の淑徳巣鴨高校)が有名になったけど、入賞者は他にもいる。16歳、兵庫県甲子園学院高校の板橋美波である。女子高飛び込みで8位となった。96年のアトランタ五輪以来、飛び込みの入賞は20年ぶりだそうである。この競技は中国が圧倒的に強く、全部で男子4、女子4の種目のうち、男子の一つを除いて全部中国が金メダルだった。女子の個人種目では、どっちも中国が金銀独占、カナダも二人ともメダルか入賞。そういう中でマイナー競技で結果を出す高校生は素晴らしいと思うけど、まだ知名度がそれほどではないのが残念。この人である。
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リオ五輪を振り返る①-伊調馨に国民栄誉賞を

2016年08月22日 23時49分53秒 | 社会(世の中の出来事)
 あらゆる問題をすべて書くのは、時間的にも能力的にもムリ。だから書いてないことはいっぱいあるけど、たとえば「沖縄問題」などは、自分独自の見解ではなく新聞の社説みたいな事しか書けないから、そういう時はタテマエみたいな記事は書かないことにしている。(だけど、現地の状況はほぼ毎日各種ブログや県紙のホームページで見ている。)「天皇の生前譲位問題」も書いてないけど、これは実は「SMAP解散」と同じぐらい、自分には関心がないので書いてない。(だけど、さまざまな人の意見を見ていると、「天皇の歴史」を知らない人が多いようなので、いずれそれを書くかも。)

 さて、「第31回リオデジャネイロ・オリンピック」のことも書いてなかった。まあ、競技ごとに書いてても時間ばかりかかるから書いてこなかったけど、見ることは見ている。世界最大のスポーツの祭典なのだから、見ないわけにはいかない。だけど、時差がちょうど12時間あって、柔道もレスリングも、サッカーもバスケも決勝をLIVEで見られない。予選などは見てても、決勝を生で見られないことが多くて、個人的にはいま一つの盛り上がりだった。ちなみに、「リオデジャネイロ」とは「1月の川」という意味。サンパウロに次ぐブラジル第二の都市で、1960年まで首都だった。

 さて、日本選手団は五輪史上最多のメダルを獲得したけど、全然予想もされない金メダルがなかった。日本の金は12個で、内訳は柔道3、水泳2、体操2、レスリング4、バドミントン1。バドミントンは初めての金だけど、世界ランキング1位なんだから、金じゃなくてもメダルは想定されていた。柔道、水泳、体操、レスリングを鈴木大地スポーツ庁長官は「御四家」と呼んでいるそうだ。毎回いつもこの4つ以外からの金メダルはほとんどない。(ロンドン五輪のボクシング村田、北京五輪のソフトボール、アテネの陸上、室伏と野口みずき、シドニーの高橋尚子、それ以前になると、1984年のロス五輪の射撃蒲池猛夫までさかのぼる。)今回の目標は14個だったから、吉田沙保里と白井健三の床運動があれば届いていたことになる。

 その国その国で得意種目があるわけで、日本が全種目で活躍しなくてもいい。そんなことは無理だし。だけど、「金メダルじゃなくても価値はある」というのもタテマエになりやすい。僕もメダル至上主義を打ち出されると大反対することになるけど、世界中から優れたスポーツ選手が集って競うんだから、誰しも一番になりたいのは当然だろう。そして、ある人は金メダルを取った。銀や銅、あるいは入賞では価値がないかというと、そうではない。そうではないけど、金メダルを取った人は十分に称えたい。

 そう思うんだけど、そうするとなんと4回も連続して金メダルを取ったという偉業を成し遂げた人がいる。一人は水泳のマイケル・フェルプスで、200m個人メドレーである。(銀は萩野公介)100mバタフライも4連覇が掛かっていたが、ジョセフ・スクーリングという選手がシンガポール初の金メダルを獲得した。4連覇は今までにもカール・ルイスの走り幅跳びなど3人がいたというが、皆男子種目である。そして、今回初めて、連続して4回金メダルを取った女性が登場した。言うまでもなく、女子レスリングの伊調馨(いちょう・かおり)だ。もう地元の八戸市長などが言い出しているというけど、当然「国民栄誉賞」を授賞しなくてはいけない。僕が言わなくても当然そうなると思うけど、そして政府が出す賞にそれほど大きな価値を感じているわけではないけど、やっぱりそれがふさわしい。

 女子レスリングは吉田、伊調ともに、昨年の世界選手権金メダリスト登坂絵莉の金メダルが有望視されていた。一方、昨年銀メダルの川井梨紗子、銅メダルの土性沙羅は二番手とみられていた。だけど、ここで考えておくべき大問題があった。前回五輪の女子は4階級世界選手権は8階級今回実施の五輪は6階級だった。世界選手権にあって、五輪にないのは55キロ級と60キロ級だった。そして、今まで吉田沙保里は55キロ級、伊調馨は63キロ級で金を取ってきた。今回伊調は五輪に新設された58キロ級に転じた。そういう意味では、厳密に言えば「同一種目で連続4回の金メダル」と言っていいのかという問題がある。だけど、これは本人の問題ではない。レスリング界の事情による階級変更だから、やはり「連続した4連覇」と言っていいと思う。

 ところで、何で女子の階級が変更され2階級がプラスになったのか。覚えている人が多いと思うけど、レスリングは一度五輪種目から消えかかった。古代ギリシャ、ローマから続く種目(男子にある「グレコローマン」とは「ギリシャローマ時代のスタイル」という意味である)がなくなるなどありえないと関係者は油断していたのだろう。日本だけでなく、世界中のレスリング界の大運動もあって、この種目は存続できた。その先頭になった一人が、女子レスリング界のリーダー、吉田沙保里だった。だから、吉田沙保里は単に勝ったとか負けたとか、日本のメダル数がどうのといった問題を超えた、女子レスリングという種目が今五輪にあるということを象徴するような存在だったのである。

 レスリングが外されかかったのは、一つには女子種目が少なすぎるという問題もあった。だから女子レスリングは6階級に増やされた。だけど、世界選手権は8階級である。どこで出るか、絶対王者の吉田、伊調を避けるか、あえて挑むか、熾烈な神経戦もあっただろう。日本国内では、二人を避けて他の階級に移った選手もいた。そして、世界選手権55キロ級金メダリストの米国ヘレン・マルーリスはあえて、53キロ級に階級を下げて吉田に挑戦する道を選んだ。そして、昨年の53キロ級銀メダルのソフィア・マットソンという選手ではなく、このマルーリスが吉田沙保里を倒すことになったわけである。

 吉田沙保里は、でも「負けたことによって、さらに記憶に残る伝説的選手になった」という感じがする。僕は予選は見ていたのである。他の選手もそうだったけど、予選は非常に強い感じだった。だけど、女子の最初の日、金メダル3つを連続して取った登坂、伊調、土性はみな大逆転だった。後で見てとても信じられないような試合だった。運命のように、最後の最後に大逆転をした。バドミントンの高橋・松友組も最後に大逆転したけど、これは本人たちも言う通り、伊調馨らの大逆転に心理的な励ましを受けていた。だけど、吉田沙保里は最後の最後に信じられないような試合で負けてしまった。最後まで逆転を信じ努力しても、そうなることもあれば、ならないこともある。「C'est la vie」(セ・ラヴィ=これが人生だ)。

 ところで、女子レスリングの選手はみな、愛知県にある「至学館大学」の選手である。これは元は「中京女子大学」という大学だった。鹿児島に「志學館大学」と言うのもあるが、こことは違う。また中京大学というのもあるが、こことも違う。学校法人谷岡学園と言って、学長は谷岡郁子。これで思い出す人は何人いるだろうか。2007年に民主党から参議院に当選し、その後離党して「みどりの風」の代表を務めていた、あの人である。そして、この人が女子レスリング強化を主導的に進めてきたようである。でも、本当は代表がもっとばらつく方がいいんだろうと思う。つまり、まだ女子レスリング界は狭い世界だということなんだろうと思う。
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「東京の副校長」問題、ふたたび

2016年08月21日 23時08分11秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 だいぶ前だけど、「東京の『副校長』にはなりたくない」という記事を書いたことがある。(2011.10.25)いまだに時々読まれているみたいなんだけど、特に最近多くなっている。それは最近ニュースで、東京の副校長のなり手がない、大変だという話が出たからだと思う。

 もう一カ月以上前だと思うけど、NHKの夕方のニュースを偶然見ていたら、東京では来年度の中学副校長が120人足りないと言っていた。どこかの学校の副校長の仕事ぶりが映像で出てきて、激務ぶりが強調されていた。また、8月22日号の雑誌「AERA」でも、「先生が忙しすぎる」という「大特集」が組まれている。その中では、東京都の副校長試験は「倍率1倍」と書いてある。

 このような教員多忙問題は、ここでも何回も書いてきたけど、最近は行政もかなり危機感を持っているようだ。その背景には何があるのかということも、いずれ書いておきたい。とりあえず、最近の「副校長」問題の記事では、学校現場が忙しく、特に副校長に「今の学校をめぐる問題」が凝縮して表れているといった方向でまとめるのが通常のことになっている。

 そのことに異論はないけれど、副校長のなり手が少ないのは「多忙」だけが原因ではない。また、僕が前回書いたように「東京の権力的教育行政」も継続されているが、それへの反発や抵抗が広がっているということでもない。そういうことではなくて、教員の人生設計の上で「副校長を目指す年齢」の教員が少ないという「教員構成のアンバランス」の問題が一番だと思う。

 90年代の東京都の学校現場では、「少子化」に伴う生徒減、学級減が激しくなり、新規採用教員もほとんど見ないような時期が続いた。教員の年齢構成のバランスが崩れて、いずれリーダー層がいなくなってしまうのでは心配されていた。だけど、バブル崩壊後の税収減の時期にあたり、将来を見越して採用を増やすということもできなかった。その時期の「つけ」をこれから払わされるわけである。

 東京の教員の年齢構成は調査結果が公表されている。(「統計調査」の中の「公立学校統計調査報告書【学校調査編】」の一番下の方。)2015年5月1日付の各年齢別教員数が判る。中学教員の数をいま手作業で集計して見たら、以下のようになった。
 50代=5342人、40代=2660人、30代=3059人、20代=2784人
 50代の教員がいかに多いか。それに比べて40代が半数以下になるというアンバランスぶりである。20代は20歳で採用されるわけではないことを考えると、相当多い数字である。最近の採用が増えているということが理解できる。

 東京の学校数は非常に多い。中学校は621校ある。(なお、小学校が1296校、高校が189校、中等教育学校(中高一貫校)が6校、特別支援学校が62校である。)学校数も以前に比べれば統廃合で減っているけど、それでも急にはそんなには減らせない。この学校ごとに副校長がいる。高校では全定併置校や大規模校では、副校長が二人置かれることもある。

 別に副校長になりたい人がいるわけじゃないだろう。(まあ、稀にはいるかもしれないが。)それより「教員人生を校長で終わりたい」と思う人がいるということである。校長になるためには、事前に数年間の修業期間として「副校長」をやらないといけない。校長としても、一校だけで終わらず、何校か経験して地域の校長会の有力者になりたい。そう思うと、逆算してみれば、40代前半には副校長を目指し始める方がいい。もちろん、誰でも受けられるわけではなく、経験年数が必要だから20代では受けられない。早い人は30代後半で受ける人もいるけれど、それは多くはない。50代で受ける人もいるが、それでは校長に必ず昇進できるとは見越せない。だから、40代の教員が受ける場合が多いだろう。

 先に見たように、40代の教員は50代に比べて非常に少ない。逆に言えば、「団塊の世代」から引き続き、昭和30年代生まれ頃までの教員が非常に多い。東京では高度成長期に人口が増加し、第2次ベビーブームの子どもたちが学校に行く時代、70年代から80年代に大量の教員を採用したわけである。その人々が定年を迎える時代になってきた。だから、近年は採用が増えているわけである。

 副校長は確かに「激務」だろう。その問題も大事だけど、それは本質ではない。「校長になる意味」を奪うような教育行政をすれば、副校長になりたい人も減る。(大阪のような極端に多い民間人校長採用など。)小学校はともかく、中高ではやはり男性の管理職が多い。時間拘束がきつすぎて、今のままでは家庭を持つ女性には難しいのが現実だろう。そうすると、能力とやる気が普通程度なら男性教師には「管理職試験受験圧力」がかかってくる。あるいは「いい人」過ぎて拒否できない人などが受けたりする。どうにも向いてないような管理職を見聞きすれば(おそらく東京のほとんどすべての教員は「不適任管理職」を見ていると思うが)、では自分がやる方が学校のためかと思うわけである。

 テレビニュースでは、副校長には「指導・助言」という任務も加わり、ますます大変だと言っていた。「加わり」というのは「教頭」に比べてである。そこで実際に助言を求めて相談する教員が映っていたが、ホントに相談するシーンを撮れないだろうから、それは「やらせ」みたいなもんだと思う。だけど、今は副校長にクラス経営や生徒の進路を相談する学級担任がいるのだろうか。いないだろ、普通。と思うけど、僕にはもうわからない。そこまで学校が壊れているとは思えないが。「壊れる」というのは、学年や分掌があるんだから、そこで解決されるだろうに、よほど信頼されているのか、クラスの進路指導を副校長に相談していたからである。副校長もまともに対応せずに、学年主任に相談してと返すべきだろう。だけど、何か問題があれば副校長に報告しないといけない。(校長の前に、教員は副校長に報告する。)防衛的に何でも相談を求める人もいるのかもしれない。

 ところで、これは前にも書いたけど、東京の学校は「主幹」を置いたことで、組織上の様々な問題は解決されると大宣伝していた。その後、「主任教諭」制度も作った。学校の職階ピラミッド構造を作り上げた。それで何が解決したのだろうか。そのことを今回の「副校長をめぐる報道」が表しているのではないかと思う。
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アクティブ・ラーニングは「失敗」する

2016年08月19日 23時47分44秒 |  〃 (教育行政)
 教育問題について書きたいことがいろいろある。新学習指導要領や「ゆとり教育」をめぐる問題、部活動のあり方に関する議論、そして途中になっている英語教育の問題などなど。少しづつ書いていきたいけど、まず映画「奇跡の教室」に関して書き残しがあるように思うので、その問題から。

 「奇跡の教室」は、まさに「アクティブ・ラーニング」の力を描いている。そう思うんだけど、教育関係者以外にはまだこの言葉が普及していないかもしれない。そもそも英語にこういう言葉があるのかどうか知らないけど、最近の教育界の「流行語」だと言える。最近中教審から公表された次の学習指導要領の審議まとめでは、小中高を通じてアクティブ・ラーニングを充実させることになっている。じゃあ、アクティブ・ラーニングって一体何だろう。文科省の用語集を見てみよう。

 「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。」

 教員だったら、きっと各種の研修などでよく目にしているかもしれない。一般的には初めて見た人が多いと思う。「奇跡の教室」では、この中で挙げられている学習方法がほとんど行われている。だけど、最初からすべてうまく行くわけではない。文科省に言われるまでもなく、学習指導要領などと関わりなく、今まで多くの教師はこれらの学習方法を何らかの形で取り入れた経験があると思う。でも、なかなかうまく行った場合ばかりではないだろう。映画の中にもあるが、インターネットでお手軽に資料をたくさん見つけてきて、(それもちょっと「変なもの」ばかり集めたりして)、それをズラッと並べて「調査学習」に仕立て上げるというのは、最もありがちなことである。

 まあ世の中で生きていくためには、そういう「調査でっち上げ能力」も必要ではある。でも、公的なコンクールを控えた「奇跡の教室」では、そのままでは認められない。もっと「自分で考える」ことが大切なのである。そして、この授業が生徒を変えていったのは、現実にホロコーストを生き延びた体験者の声に心を揺さぶられたことが大きいと思う。では、誰でもいいから呼んできて話を聞かせればいいのか。それだけでは(時々聞かれるような)、広島や沖縄に修学旅行で出かけて体験者の話を聞く機会を作っても、生徒が聞かない、それどころか暴言を浴びせたりすることが起こったりする。

 「事前学習の重要性」は言うまでもないけど、多分それだけではダメだろう。映画の授業では生徒が多様な環境のもとにあり、だから「パレスチナの状況もジェノサイトではないのか」といった生徒の反応も出てくる。こういう問いに教師がきちんと向き合う力を持っていることも大きい。それと同時に、学校の中では「荒れている」生徒の中にこそ、「虐げられたものへの共感能力」があり、それを教師が信じて引き出したということなのだと思う。

 大事なのは「授業のあり方」ではない。この映画でも、教師側は学校の方針に反して、この授業を進めている。校長は無駄なことはするなと止めている。こういう「教師の自由」がないと、どんな授業もうまくいかない。「アクティブ・ラーニング」といった授業方法の議論も必要だけど、その前に「アクティブ・ティーチング」が成り立っていないと話にならない。ここで言ってのは、各教員が自分の受け持つ生徒を考えて、自分で教え方を工夫し、伸び伸びと取り組んでいける自由といったものである。

 アクティブ・ラーニングでも何でもいいけど、学校は、あるいは生徒は、それだけで存在しているわけではない。とりあえずは上級学校への進学、そして就職に向けて「勉強」しているというのが、大方のところだろう。この映画の生徒たちは、フランスの「バカロレア」(中等教育終了の国家資格)をほとんどが取得できたということだ。それはバカロレアが「自分で考える」力を見ることに向いたものだからではないか。自分たちの力を信じ、学ぶ喜びを知った生徒たちは伸びて行ったのである。

 では、日本の社会は、もっと言うと日本の会社は、「自分で考える」人材を本当に求めているのだろうか。もしそうだったら、何も学校の授業などを変えなくても、自然と「自ら学ぶ」ことを身に付けるのではないか。もちろん、一部のエリート層には「自分で考える力」がますます必要なんだろう。これからの内外の厳しい環境を生き抜いていくためには。だけど、本当に全国民が自分で考え始めていいのか。教師がそういう生徒を育ててしまっていいのか。その時には、また「学習指導要領の間違い」とされ教師が攻撃されるはずである。そして、実際に就職を控えている生徒・学生は、求められているのは「考える力」なんかではなく、「調査や発表のスキル」だけなんだと見抜いて、形だけの調査レポートを量産していくことになるだろう。

 いや、アクティブ・ラーニングは「成功」するというかもしれない。多分、そういう成功体験論文が出世のために数多く書かれるはずである。教育の効果をきちんと測ることは難しい。一年二年で判ることでは本来ない。50年か100年たたないとはっきりとは言えない問題だろう。だけど、教師(教育官僚や教育学者なども含め)は、とりあえず「成功」したという論文を書き上げて報告しないといけない。他のことを犠牲にして時間を十分にとれば、大体のものごとはうまく行ったように見せることができる。だから、今後「アクティブ・ラーニングはこのように成功した」という報告論文が山のように書かれる。

 だけど、本来は「アクティブ・ラーニング」を行うには、教師が自分の人生を賭けて「自分の考え」を自分の言葉で語る自由と能力がいる。映画の中の例で言えば、宗教や政治に関する深い考え、そして自分の世界観がないとできない。今の日本では、この授業に関して教育委員会に「ご注進」に及ぶ親がいるのではないか。少なくとも、そう心配してテーマを変えてしまうのではないか。あるいはムダなことに時間を使いたくないと初めからやらない。そういう学校風土をまず変えないと、何がアクティブ・ラーニングだということになる。中国の文化大革命のときのように、「上に政策あれば下に対策あり」となり、形だけの調査学習、形だけのディベートが横行するに決まっている。
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映画「奇跡の教室」-素晴らしい授業映画

2016年08月18日 23時17分03秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランス、パリ郊外。人種も宗教も様々な生徒を抱えた高校の「落ちこぼれ」クラス。そこで一人の中年女性教師が、クラスの生徒に「歴史コンクール」への出場を提案する。ナチスのホロコーストを調べて発表するというのである。そんなことが可能なのか。渋々参加した生徒たちだったのだが…。実話をもとにして、実に見事に「歴史の継承」を描いた映画が公開されている。「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」はぜひ多くの人に見て欲しい映画になっている。歴史教師必見。

 これは実話だということだが、フランスにはそんなコンクールがあるのか。61年以来行われているという。(フランスというか、ブリュッセルに行っているから、今はEUの事業かもしれない。)高校はクレテイユ(パリの南東)というところにあるレオン・ブルム高校。(レオン・ブルムは戦前の人民戦線時代の首相。)数年前に公開された「パリ20区、僕たちのクラス」と学校の様子が似ている。アラブ系、アフリカ系の生徒も多く、家庭的な問題を抱えている生徒も多い。生徒は授業に打ち込むどころではない。宗教をめぐる問題も多く、「ライシテ」(政教分離)が徹底されている。ムスリムの女生徒のスカーフをが禁止されるだけでなく、キリスト教のシンボル(十字架のネックレス等)もダメである。

 そんな彼らを担当するのは、アンヌ・ゲゲン先生。実際のモデルはアングレスという教師で、今も同校で教えているという。演じているのはマリアンヌ・アスカリッド(1954~)という女優で、「マルセイユの恋」でセザール賞主演女優賞を取っているというが見てない。実に自然な感じで演じていて、まるでドキュメントみたいである。映画に出てくる学校や授業は、どうも違和感を感じることが多いのだが、この映画は実に見事に教室を再現している。授業どころではない、生徒どうしの文化も多様でいがみ合う集団の中で、どう授業をしていくか。高校だから生徒の方が体が大きいわけだが、そんな場合でも何故か授業がうまく行っている女性の先生がいるものである。ゲゲン先生は、僕が何人も見てきたそういう教師に似ている。何が違うのか、教師だけでなく得るものが多いから、自分で見てほしい。

 生徒の様々な個性がよく描き分けられている。それも道理で、実際にこの授業に参加していたアハマッド・ドゥラメ(1993~)という生徒が脚本に参加している。授業を機に、自分の可能性を信じて映画のオーディションに参加するようになった。郊外の若者に関するシリアスな映画を作りたいと思って、自分で書いたシナリオを監督に送ったりしていた。そして、この映画の監督、マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール という女性監督から反応があった。シナリオの発想のもとは実話だと知った監督は、一緒にシナリオを書き直していったのである。

 コンクールに向けた授業が始まると、だんだん生徒の様子も変わってくる。そして、実際にアウシュヴィッツを体験して生き残ったレオン・ズィゲル(1927~2015)という人を呼んで話を聞く。ズィゲルは亡くなる直前だったが、映画に本人が出て実体験を語っている。つまり、聞いている生徒は映画内の役柄なんだけど、その場面は若者に向け体験者が語っているドキュメンタリーとも言えるのである。話を聞いて涙を流す生徒の姿は、実際の感動を表している。ここから生徒は明らかに変わる。険しかった顔つきが、柔らかくなる。知らないどうしでやっていたものが、仲間どうしの共同体になる。

 まさに「アクティブ・ラーニングって何だ?」「これだ!」という映画である。昨今は、「平和」「反戦」も学校で言えない時代になりつつあると言われる。そんな中、フランスでは国家が主導して「考える授業」を支援して、戦争体験を継承しようとしている。この映画こそ、文科省が多くの教師や高校生に見せるべき映画だ。「文部科学省選定」になってるから、多くの高校の行事(映画教室等)でやることに何の問題もないだろう。ぜひ企画してはどうか。実に感動的な映画だった。

 調べていて、ペタン元帥(ドイツに敗北した後に、親独のヴィシー政権を率いた)が描かれたポスターを見つけた生徒がいる。下の方に「労働・家族・祖国」と書いてあった。それを知って、生徒の中で気づくものがいた。「自由・平等・友愛」じゃないんだねと。ここは実に象徴的なところだと思う。家族とか国とかを強調する人は怪しいのである。

 話は別だが、最初の方でゲゲン先生は母が亡くなって休暇を取る。代わりの先生が来るがうまく行かないというシーンがある。戻ってきてクラスが荒れたことを知った先生が歴史コンクール参加を思いつくきっかけとなる。だけど、忌引き程度で代替の教員が来るのかと思ったら、パンフを読んだら一カ月学校を休んだと書いてある。実父母の忌引きは当然一週間だと思ったら、なんと一カ月もあったのだ。

 なお、フランスにはこんなにアラブ人や黒人がいるのかと思う人もいるだろう。「移民」が多いのかと。もちろん最近になってフランスに来る人もいるだろうが、映画に出てきたのはフランスの中学を出て高校へ入った生徒たちである。荒れてはいてもフランス語はちゃんと通じる。かつてフランスが支配した旧植民地出身者は、独立時に国籍選択の自由が与えられた。アフリカ西部には今もフランス語が公用語の国がかなりあるし、アルジェリアやチュニジアからもフランスにたくさん来ていた。またフランスで生まれれば、生地主義だから当然国籍はフランスとなる。日本は戦後になって、旧植民地の朝鮮、台湾出身者の日本国籍を自動的に全員奪ってしまった。かつて旧日本軍の軍人、軍属だった人の恩給も、外国籍だと支給しなという冷酷ぶりである。そういう日本の方が国際的には珍しいのであって、実際に世界中を支配した英仏では人種、宗教が多様になるのは自然だろう。
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映画「トランボ」-「赤狩り」と戦った脚本家

2016年08月17日 23時04分10秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」が公開中。これも見逃さなくて良かった映画だった。戦後のアメリカで吹き荒れた「赤狩り」旋風の中で、最後まで屈せず闘った脚本家、ドルトン・トランボ(1905~1975)と家族、仲間たちを描いた映画である。トランボは僕にとっては、1973年に公開された反戦映画「ジョニーは戦場へ行った」の監督として印象的な名前である。その時は「ドルトン」と表記されていた。最近は「ダルトン」と書くことが多いけど、映画で聞く限りでは、日本語表記としては「ドルトン」の方が近い感じがした。英語では、Dalton Trumbo である。

 さて、トランボと言えば、「赤狩り」(Red Scare)に抵抗して服役もした「ハリウッド・テン」と呼ばれた10人の一人として有名である。彼は戦前から共産党員だったが、共産党は合法政党で、戦時中はソ連は同盟国だった。しかし、戦後になって「冷戦」になると米ソ対立の中、共産党員=スパイとみなされはじめる。上院議員だったマッカーシーを中心に「下院非米活動員会」が、各界に潜む「スパイ」を摘発すると称して、政府や映画界で共産党員、シンパと思われる人物を喚問していった。共産党員だということだけでは罪にならないから、仲間の名前などを「自白」させて社会的な抹殺をもくろんだのである。それに抗して、憲法をもとに証言を拒否すると「議会侮辱罪」に問われたわけである。

 ハリウッドの中には、公然たる反共派も多くいて、有名なのはジョン・ウェイン。この映画にも出てくる。最後までタカ派を貫いて、晩年にはベトナム戦争の特殊部隊を描く「グリーンベレー」に主演している。また当時の映像の中に後の大統領ロナルド・レーガンが何度も出てくる。B級西部劇などの俳優だったレーガンは、俳優組合委員長として赤狩りに協力し政治の世界に接近していく。また女性コラムニストのヘッダ・ホッパー。実在の人物で、ルエラ・パーソンズという女性コラムニストとともに、映画が一番影響力のあった時代のハリウッドで、ゴシップを中心に権力をふるった。実に嫌な感じの人物に描かれているが、それを名優のヘレン・ミレンが悠然と演じていて見ごたえがある。

 日本でも新聞や週刊誌に嫌味な記事をよく書く人がいるもんだけど、そういう人物が力を持っているのだから、監獄から解放されても仕事を干されて生活に困る。日本の映画界でもあったけど「レッドパージ」である。今までもこの「赤狩り」時代の苦難は何度か映画になっているけど、今回の映画は釈放後の生活を描いていることにある。トランボは脚本家だから、名を借りたり偽名を使うことにより映画に関する仕事を続けていった。なんでもいいから面白いものなら買ってくれるB級映画会社に交渉して、女と暴力のシナリオを書きまくる。本人は部屋や(時には)風呂にこもって書き続け、家族を総動員してタイプで清書し、会社に届ける。仲間たちも引き入れる。この「赤狩り被害者シナリオ協同組合」みたいな活動が一番の見どころになっている。まさに「映画の職人」というべき大車輪の活躍である。

 そして友人の名前を借りた「ローマの休日」でアカデミー賞を受賞してしまう。これはあまり知られていなかったけど、現在ではアカデミー協会も認めている。また偽名で書いた「黒い牡牛」でもアカデミー賞を受けた。このときはジョン・リッチという偽名を使ったから、一体誰だということになり、実はトランボだという事実を知る人も出てくるのである。なお、当時のアカデミー賞では、脚本部門にオリジナル脚本賞、脚色賞とともに「原案賞」というのがあり、トランボが受賞したのは2回ともそれ。「ローマの休日」の基本設計のようなものが評価されたんだろう。「ローマの休日」はもちろん全然共産主義的な作品ではなく、彼は自由主義者だったということなんだろう。

 でも、あまりにも多忙な生活は家族を苦しめる。脚本は偽名でも書けるが、俳優は顔が勝負だから偽名では演技できない。そういう問題も描きつつ、やがてカーク・ダグラスと名乗る男がやってきて、「スパルタカス」という脚本の書き直しを依頼してくる。このカーク・ダグラスが「いかにも」という感じのイメージで笑える。「スパルタカス」はローマの奴隷だった剣闘士の反乱を描く映画で、キューブリックの最初の大作。後にもっとすごい映画をたくさん作ったから印象がちょっと薄いけど、ハリウッド映画には珍しい人間の悩みにも迫る歴史アクションである。授業でも使ったことがある。そして、その直しの最中に映画監督のオット-・プレミンジャーもやってくる。こうしてトランボは「復活」していった。

 トランボ役のブライアン・クランストンはアカデミー賞ノミネートの熱演。「アルゴ」などに出ているけど、よく判らない。トランボの妻をダイアン・レインがやっている。娘の二コラをやってるエル・ファニングという若い女優が良かった。監督はジェイ・ローチという「オースティン・パワーズ」などを作ってきた人だが、突然グッとシリアスな映画を破綻なく作った。ところで、トランボが原作も書いた「ジョニーは戦場に行った」は、日本でもベストテン2位になる高い評価を受けた。第一次世界大戦を舞台にして、戦傷者として帰還してくる兵士を描いている。あらゆる感覚を失い、足も失った主人公。人間の尊厳について深く考えさせる作品で、今こそ多くの人に見てほしい映画だと思う。リバイバルして欲しい映画。

 ところで、1929年の世界大恐慌のさなかに、ソ連では「5カ年計画」を「成功」させて、社会主義経済の優位性を示したと宣伝されていた。スターリンの大粛清は世界には知らされず、ソ連共産党を支持する人がアメリカの知識人の中にも多くいた。経済格差が大きく、人種差別も激しいアメリカでは、正義感の強い自由主義者が共産党に近づいたわけである。トランボもそういうタイプだったのだろうと思う。アメリカ共産党は合法政党として存在しているが、歴史的にはソ連共産党路線で独自性は少なく、政治的には極めて小さな勢力に留まった。ゾルゲ事件について読んだ時に知ったけど、アメリカ共産党は合法政党の裏に、非合法のソ連スパイ養成部門(のようなもの)を持っていた。世界中から移民が来るアメリカでは、移民を隠れ蓑にして各国から党員を受け入れやすかったのである。多分トランボらは、そのような非合法部門は知らなかっただろう。
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いま「革新自治体」を考える

2016年08月16日 23時39分43秒 | 政治
 岡田一郎「革新自治体」(中公新書)という本が出た。ちょうど参院選と都知事選があったばかり。戦後の革新政党(主に日本社会党=現・社会民主党と日本共産党を指す)の「共闘」の過去を振り返る意義は大きいと思う。また社会党から分かれた民社党(当初は民主社会党)、50年代末から政界に進出した公明党という「中道政党」を含めて「4野党共闘」が成立した場合もあった。現在の野党のあり方を考えるためにも、「近過去」をきちんと理解しておくことが役立つことだろう。

 戦後、知事や市町村長が選挙で選ばれるようになった。戦後初期のころには社会党が農協と協力して知事選に勝利した地域がかなりあったと最初に指摘されている。「労農提携」などと呼ばれていたという。農協や医師会は自民の支持基盤と思いやすいが、保守党も自由党と民主党などに分かれていて、地盤も確立されていなかったのである。だけど、そうして選ばれた知事や市長も、次第に保守系に変わっていったり、落選したりして影響を残せなかった。だから皆もう忘れている。

 50年代の社共両党はどうなっていたか。一時は片山哲首相を誕出させた社会党だったが、50年代には講和条約をめぐって左右に分裂し、55年にようやく統一された。同じ年に保守合同もなり自由民主党が成立した。共産党は「50年問題」で武装闘争路線を取り国民の支持を失った。国会でも議席がゼロになったときもあったが、60年代末になってようやく勢力を回復させていった。そんな中で京都の蜷川府知事が1950年から7期当選して長期政権を維持していた。今も京都は共産党が強い地域になっているが、それは蜷川時代に形成された政治風土がある。

 しかし、やっぱり中央政界に影響を与えた「革新自治体」のエースは、1963年に当選した横浜市の飛鳥田一雄(あすかた・いちお)市長と、1967年に当選した東京都の美濃部亮吉(みのべ・りょうきち)知事ということになる。この本を読むと、70年代に「飛鳥田神話」が生じてくるが、飛鳥田当選が革新自治体の始まりと考えるのは間違っていると指摘されている。多くの人がまだ生きている近過去でも、安易に「神話」によりかからず史料批判をきちんと行う必要がある。しかし、今の横浜を作ったのは飛鳥田時代であり、美濃部都政と違い財政赤字も残さなかったという。中心地区の再開発、地下鉄、ベイブリッジなども飛鳥田市政の「六大事業」によるものだという。

 一方、中央政治に激震をもたらしたのが、1967年の都知事選である。その時は、美濃部(社・共)220万、松下正寿(自・民)206万、阿部憲一(公)60万票だった。つまり、公明党が独自候補を立てず、80年代によくあった「自公民路線」を取っていたら、確実に美濃部当選はなかっただろうということである。公明党は後に美濃部与党になり、79年には自公民で鈴木俊一を当選させた。

 当選直後の美濃部都政は、今読んでも新鮮である。その頃は高度成長の影の部分、公害問題や物価上昇に多くの国民が悩まされていて、福祉充実を打ち出した美濃部都政は大きく支持されたのである。もし美濃部都政がなかったら、日本の福祉、医療などの社会政策は大きく遅れていただろう。一方、社共の争いも絶えず、「宴会・面会・議会」の3会が嫌いな美濃部知事は、政府や議会との交渉がうまく行かなかった。最後のころは「財政危機」に見舞われ、その原因は「バラマキ福祉」だと攻撃され、惨憺たる最後を迎えた。

 この本によると、ずいぶんデマ攻撃も激しかったことがわかる。東京では五輪による財政赤字が前任の東知事時代からあったのである。しかし、美濃部知事も政府とあえて対立し、そのため自治省(当時)から起債を認められなかったりした。高度成長から安定成長に変わった70年代においては、中央政府も75年以後ずっと「赤字国債」で対応せざるを得なかった。東京都も早くから起債できていたら、あれほどの財政危機宣伝はなかっただろうという。結局、「テレビに出てソフトなイメージで有名な経済学の先生」というイメージで当選したが、美濃部知事には政治家としての「器量」に足らざる部分も大きかったということだと思う。(もう一つ、天皇機関説事件で有名な父親、美濃部達吉の知名度、戦時中の迫害への同情も大きかったのではないか。)

 この本を読むまでもなく、しっかりした自治体政策もない社会党の右往左往ぶりは、情けないとしか言いようがない。社会党推薦で「革新」候補になっても、当選可能性が少ない場合が多い。落選してもアフターケアのできない社会党は、「候補者の使い捨て」を続けていく。だから、40代、50代の壮年候補が出てこない。日本ではマスコミや大学を中途で退職すると、落選した場合の生活リスクが大きい。だから、60歳を超えた高齢者から探すことになる。最近の都知事選候補選びにも言える大問題である。結局、社会党が中心となった政権交代は成し遂げられず、90年代になって自民党から小沢一郎グループ(新生党)、武村正義グループ(さきがけ)が離党することによって、初めて「政権交代」になるわけである。(この武村正義は自治官僚を経て滋賀県八日市市長だったが、「4野党共闘」で滋賀県知事になった「革新知事」の一人だった。)

 この本では社会党内の路線問題、特に江田三郎の政治行動をかなり追っている。また社会主義協会(協会派)が長く社会党内で影響力を持った問題も取り上げられている。ここでは長くなるから書かないけど、「社会党とは何だったのか」というのは戦後の日本社会にとって非常に大事な問題だと思う。また71年に当選した大阪の黒田知事の存在も大きいけど、今は書かない。70年代後半、自民党は「TOKYO」を取り戻すことを重視したという。東京(T)大阪(O)京都(K)横浜(Y)沖縄(O)の頭文字である。そして、全部80年代には「革新」ではなくなったのである。それはいくつも理由があるだろうが、著者は「中道政党」を自民との協力においやった社会党の責任が大きいという。

 ところで、僕が東京都知事選で選挙権を得たのは、1979年からである。だから、美濃部知事には、あるいは1975年に対立候補だった石原慎太郎には投票する機会がなかった。美濃部時代はずいぶん昔のことで、判らないことも多いんだけど、僕の周りでも美濃部時代を懐かしく思い出す人がずいぶん多かった。自民党は美濃部当選直前に、都議会議長選をめぐる収賄事件置き、特例法を作ってまで都議会を解散する事態になっていた。出直し都議選では社会党が第一党になっていた。そういう時代に知事となって、弱者救済を推し進めた。自分たちを尊重してくれる政治が登場したと受け止めた人がいるわけである。今も高齢の人の心に「革新自治体」が残っているだろう。

 だが、それでも飛鳥田、美濃部が当初思い描いた「自治意識」は育たなかったという。有権者が求めたのは「名君」であり、「善政」を敷いてくれることだったのではないか、と。これはとても大事なことである。地方都市の方が「住民意識」が(いいにつけ悪いにつけ)あると言える。大都市の場合、職場と住居が離れていて、「寝に帰るだけ」の住民も多い。通勤時間も長いから、「主体的な住民自治」などと言われてもなかなか厳しい。日本社会の現実の中で、革新自治体の理想も実現できなかったことが大きいということだろう。
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「山本総務相」と「大塚五輪担当相」の靖国参拝

2016年08月16日 18時44分08秒 |  〃  (安倍政権論)
 暑い時期は毎日書くのも疲れるし、読む人も減る。オリンピックもやってるし、つい書かないでいると記事がたまってしまう。今日は夜に台風が関東に近づく(上陸も?)ということで、早々と帰ってきたからまとめて簡単に書いてしまいたい。

 8月15日を「終戦記念日」というのもどうなんだと毎年思う。書いたこともあると思うけれど、15日に天皇の「玉音放送」があって日本国内に公に知らされたことは事実なわけだけど、戦艦ミズーリ号上の降伏文書調印式は9月2日である。こっちが法的には「終戦」でしょ。もちろん、「終戦」か「敗戦」かという問題もある。それに連合国に伝えられたのは14日だし、ソ連は15日以後に千島列島攻略を進めている。だから、「8・15」にこだわる気持ちは薄れてしまっている。

 まあ、それはともかく、今年もこの日に靖国神社に参拝する閣僚と議員たちがいた。僕にとって新しく考える問題ではないから、今さら事細かく書く気も起きないんだけど、今年は稲田防衛相がどうするかが注目された。毎年参拝していたからだが、「主要閣僚」になった今年も参拝すると「外交問題」になる。と思ったらジブチの自衛隊視察に海外出張してしまった。誰が考えたのかは知らないけど、確かにこれは「妙手」ではある。本人も「過去の戦死者」を弔うよりも、「未来の戦死者(候補)」を激励しに行く方がもっと大事な任務だと自分を納得させているわけだろう。

 代わりというわけか、今年も高市早苗国務大臣(総務相)と丸川珠代国務大臣(東京五輪担当相)が靖国神社を参拝した。昨年も行ったけど、大きな外交問題にはならなかった。「主要閣僚」ではないのである。それを自分でも判っていて、閣内で「性別分業」を行っているのである。安倍首相などの「主要閣僚」だって本当は行きたいのだが、「A級戦犯」だの「政教分離」だのと騒ぎ立てる輩がいるから、あえて「大人の対応」をせざるを得ない。よって、そこで「主要閣僚じゃない私たち」の「内助の功」の出番であるというわけだ。

 だけど、国務大臣はみな「内閣」の一員ではないか。諸外国から見た場合は、首相や外相以外は大きな問題にならないのかもしれないが、日本国民からすれば「内閣」が行政権を持つわけで、「国務大臣」として記帳する行為は、憲法97条にある「国務大臣の憲法擁護義務」に違反する。大体、総務相や五輪担当相だって、当然「主要閣僚」ではないのか。放送を主管する総務相が違憲の行動を取っていいのか。

 まあ、高市氏や丸川氏にそういうことを言っても仕方ないだろうとは思う。表題を「山本総務相」と「大塚五輪相」とした。誰だっていうかもしれないが、いずれもお二人の「戸籍名」である。高市氏は2003年に落選後、福井2区選出の山本拓衆議院議員と結婚した。夫の戸籍名で届けたから、戸籍上は「山本早苗」となる。丸川氏は2007年に参議院議員に当選し、翌年に大塚拓衆議院議員(埼玉9区)と結婚した。どっちも旦那の名前が拓ですなあ。

 つまり、自分では「夫婦別姓」で政治活動をしている。それなのに、この二人は選択的夫婦別姓制度に反対している。何故だ? 戸籍さえ一緒にすればそれでよく、政治活動は「旧姓使用」するのはいいというのか。いや、今まで売り込んだ名前を継続使用したいというだけだろう。でも、社会活動に「不便」があるというのは、別姓論の大きな理由(の一つ)だろう。選択的夫婦別姓制度に反対するというのなら、結婚後は自分でも戸籍名を使用して、自ら範を示すべきではないか。(というか、山本拓さんは当選7回を続けながら、一回も入閣できていない。自分はいいから夫を入閣させてほしいというのが、伝統的な日本女性の「婦徳」というべきじゃないんですかねえ。)

 夫婦別姓問題の考え方とは別にして、「こういう人は信用できない」というのが僕の人間観だ。信念を貫くなら、選挙に不利でも戸籍名で出るべきだし、別姓で活動するなら別姓に賛成するべきだ。そういう風に思うんだけど。一事が万事、そういう人が靖国神社に参拝する。マジメには受け取れない。内閣の中で自分たちは「女が務める閣僚の性別役割」として、「(政治的な意味での)夫の名代」のようなことをする。そういう「構造」が今でも存在するという社会が嫌だなあと思うわけである。
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韓国映画「暗殺」が面白い

2016年08月14日 22時55分00秒 |  〃  (新作外国映画)
 韓国映画「暗殺」を見て、とても面白かった。アクションも面白いけど、複雑な筋立てを一気に駆け抜ける語り口のうまさ。そして女優チョン・ジヒョンの魅力。最近は韓国映画もほとんど見てなかったけど、エンターテインメントとしての質はやはり高いものがある。チェ・ドンフン監督。

 この映画は1933年の京城(現・ソウル)を舞台に、何重かに仕組まれた暗殺事件を描いている。上海にあった「大韓民国臨時政府」が首謀者である。標的は非道な弾圧を行った日本軍人と彼とむすぶ朝鮮人政商。軍人の息子と商人の娘が結婚することになり、暗殺を決行するために3人の暗殺実行者が集められる。その一人が独立軍で最高のスナイパーである美女。ところで、この映画の冒頭で併合直後の別のテロ事件が描かれるが、その時に双子の幼女が出てくる。これが伏線で、運命を異にする悲劇の姉妹であることがこの映画の最大の焦点となる。

 臨時政府の中には日本側の密偵もいれば、雇われて暗殺団を襲撃する謎の人物もいて、ストーリイは複雑。京城の大々的なセットも興味深く、細部はなんだかわからないところもありつつ、アクションで一気に見せてしまう。構図が完全には理解できないんだけど、やっぱり面白いのである。僕はどっちかというと、当時の臨時政府の内情や日本との暗闘などが出てくるかと思ってたんだけど、そういう歴史的、政治的な興味は外れてしまう。もちろん朝鮮を支配する「大日本帝国」は自明の敵なんだけど、特にそこを強調する映画ではなくて、アクション映画の面白さに徹している。

 最後の結婚式の場は、三越京城店の2階という設定。昔本当にそこに式場があったのかは知らないけど、この店は独立後に「新世界百貨店」になって存続している。ソウルに行ったときに訪れた人も多いだろう。僕もだいぶ昔に行ったことがある。時間が経ったから今もあるのかと思って調べてみたが、今も本店として健在である。紹介サイトで写真を探したら以下のような建物で、まさに日本橋三越本店を思わせる。ソウル最大の繁華街、明洞(ミョンドン)で高級を誇るデパートである。

 何と言っても見ごたえはチョン・ジヒョンの二役の魅力。チョン・ジヒョンと言えば、思い出すのは「猟奇的な彼女」。あの映画で「暴力」「暴言」連発の彼女はなんとも可愛らしく、2002年の大鐘賞(韓国のアカデミー賞にあたる)で主演女優賞を受賞した。今回「暗殺」で2度目の大鐘賞主演女優賞を受けたが、それに値する忘れがたいヒロイン像を演じている。ちょっと尾野真千子を思わせる感じ。

 さて、現実の「大韓民国臨時政府」とはどういうものか。1919年の三一独立運動のあとで、李承晩、呂運亨、金九など有名な独立運動家が集まって上海で結成された。しかし、内部対立が激しく、承認した国もなかった。現在の大韓民国では、この臨時政府から続く歴史的正統性を主張している。1930年代初期には金九(クム・グ)を中心にして、抗日武装闘争を行っていたのは確かである。例えば、1932年1月の李奉昌による桜田門事件(天皇暗殺未遂事件、実際は車の遠くで爆発物が爆発)、同じく1932年4月に上海で起きた尹奉吉による「天長節爆弾事件」(上海派遣軍の白川義則陸軍大将ら二人が死亡、上海駐在公使重光葵や海軍中将野村吉三郎らが負傷した)などが有名である。だから、1933年に京城に暗殺団を送るというのも、満更まったくあり得なくもなさそうなわけである。(金日成らによる普天堡(ポチョンボ)襲撃事件は1937年で、抗日パルチザン活動はもう少し後の時代。)

 世界にはこのような「臨時政府」「亡命政府」はかなりある。今ある中では、有名なのはダライ・ラマらによる「チベット亡命政府」だろう。1959年以来、インドのダラムサラに置かれている。モロッコの事実上の支配下にある西サハラでも、「サハラ・アラブ民主共和国」という名前でアルジェリアに亡命政府がある。歴史的には、第二次大戦中にフランスのドゴールが「自由フランス」を組織したり、ポーランドやチェコスロバキアでもドイツと戦う亡命政府があった。スペイン内戦でもフランコの勝利を認めないスペイン亡命政府がメキシコに存続し、フランコ死後の民主化で本国に合流した。ソ連支配下のリトアニアやエストニアでも、ソ連の支配を認めない亡命政府がずっと存在した。今もイランのイスラム革命を認めず、パーレヴィ朝復活を掲げる亡命政府があるということだ。
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