尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「チェチェンへようこそーゲイの粛清ー」、恐るべき現実を告発

2022年04月02日 22時44分28秒 |  〃  (新作外国映画)
 凄いものを見たなと思った。渋谷のユーロスペースで上映している「チェチェンへようこそーゲイの粛清ー」という映画である。最近あまり記録映画を見なくなった。本でも小説を読むことが多いし、映画でも外国の劇映画が多い。昔みたいに「教材化」なんて下心で映画を見ないから、それならフィクションの方が面白い。あまり厳しい現実を見せらるのも、つらいものがあるし…。

 なんて思って、2月26日から上映されていた映画を1ヶ月以上放っておいた。一応チェックはしていたが、渋谷は映画館があるようなターミナル駅では自宅から一番遠いしなあ。だけど、やはり見なくてはと思った。「ウクライナ」を理解するために、「チェチェン」を理解するところから始める必要がある。それに「ゲイの粛清」とまで言われる事態を僕は全然聞いたことがない。今は性的マイノリティを描く劇映画が世界でいっぱい作られているが、こういう全然知らないことを伝えるのも映画の役割だ。

 この映画の何が凄いと言って、内容そのものが衝撃的なのである。ホームページからコピーすると、「“この国にゲイは存在しない――”」「国による「血の浄化政策」が始まった…。逃げるしか、道はない。」「ロシア支配下のチェチェン共和国で国家主導の"ゲイ狩り"が横行している。同性愛者たちは国家警察や自身の家族から拷問を受け、殺害され、社会から抹消されている。それでも決死の国外脱出を試みる彼らと、救出に奔走する活動家たちを追った。本作品では、被害者の命を守るため、フェイスダブル技術を駆使し身元を特定不能にしている。世界はこの大罪を止められるか。」

 そんなドキュメンタリーを作って、関係者の身元は大丈夫なのかというと、そこでフェイスダブル技術を使ったという。ニューヨークのLGBTQ活動家22人が顔を提供したという。よく判らないけれど、顔かたちがそっくり置き換えられているということだろう。その技術も凄いなと思うが、それ以上に内容が恐ろしい。イスラム社会では同性愛が認められていない国が多い。社会的に「いない」ことになっている国家が多い。しかし、この映画に見るチェチェンの現状は、そのような社会的な圧迫の域を完全に越えている。国家権力そのものが同性愛者を拉致して拷問し、家族へ引き渡す。家族は自らに降りかかった「不名誉」を晴らすために、同性愛の家族を抹殺する。「名誉殺人」というものである。

 チェチェン共和国とは、ロシア連邦内の自治共和国で、コーカサス山脈の北側に位置する。イスラム教の山岳民族で、近隣にあるイングーシ、ダゲスタンなども同様である。コーカサスの南にはジョージアアルメニアアゼルバイジャンの3つの独立国家がある。そちらはソ連を構成する共和国だったから、ソ連崩壊と共に独立した。一方、ロシア内の自治共和国だった地域はソ連崩壊後もロシアに帰属したままになった。
(チェチェンの位置、右=北)
 チェチェンではかつて激しい独立運動が起きた。最初はソ連末期から始まり、1997年まで続いた第一次チェチェン戦争である。エリツィン大統領が1994年末に大軍を送り込み、95年2月に首都グロズヌイを制圧、96年4月に独立を宣言したドゥダエフ大統領を殺害した。その後停戦がまとまったが、99年に独立派によるダゲスタン共和国侵攻やモスクワでのテロ活動が頻発して内戦が再発した。当時首相に抜てきされたプーチンは徹底的にチェチェン独立派をせん滅し、2009年までに20万以上が死亡したと言われる。

 それが第二次チェチェン戦争で、この強硬策でプーチンの人気が上昇した。1999年にモスクワで相次いだアパート爆破テロは、一部にプーチンによる「自作自演」説もあるが、僕には真偽は判断出来ない。ただし、独立派がイスラム過激派と結びついてテロ活動を行っていたのは事実である。当時はアメリカによる「対テロ戦争」中で、中央アジア一帯はロシア、中国もアメリカと協力して「イスラム過激派」壊滅を進めていた。プーチンはアフマド・カディロフをチェチェン大統領に就けたが、2004年に暗殺され、一人置いて、2007年に息子のラムザン・カディロフが大統領に当選。2010年から「首長」を名乗っている。
(ラムザン・カディロフ首長)
 このカディロフ首長は映画にも登場し、「チェチェンにゲイはいない」と断言している。その言い方を見れば、この人のパワハラ的権力の質が判る。彼の後ろには大きな大きな写真が2枚掛かっている。プーチンとカディロフ自身である。個人崇拝そのもので、この首長の権力にはプーチンが後ろ盾になっていることが判る。カディロフは自前の私兵集団を持っていて、事実上の独立王国を形成している。ウクライナ戦争ではプーチンを強く支持し、カディロフツィ(私兵集団)を派兵するなどと言ってるらしい。はっきり言って、カディロフとプーチンの巨大肖像画が掛かる町は恐ろしいし、気持ち悪い。映画を見ると不快感が募ってくる。

 映画を見ると、何とか襲撃される同性愛者を救い出し国外に逃そうとしている。ロシア国内でも裁判に訴えたが、全くの門前払いだった。この粛清は2017年に始まった。麻薬捜査で押収されたスマホに同性愛の画像やメールが見つかったということがきっかけだという。そこから麻薬捜査を越えて、警察権力による「ゲイの粛清」に発展したらしい。亡命を求めてもなかなか受け入れ国が見つからない。トランプ時代のアメリカは一人も受け入れなかった。絶望してチェチェンに戻って行方不明の人が出て来る。

 ロシアに「同性愛宣伝禁止法」という法律がある。2013年秋に成立し、そのため2014年2月のソチ五輪では人権上の問題を理由に欧米各国の首脳は開会式に出席しなかった。そんな中でG7で唯一出席したのが、日本の安倍首相だった。当時は「政権のレガシー」として「北方領土問題の解決」を目指す安倍政権の思惑からだと理解されていた。しかし、その法律の正式の名前は「伝統的家族価値の否定を宣伝する情報から子供を守ることを目的とした『健康と発達を害する情報からの子供の保護に関する連邦法』5条及びロシア連邦の個々の法律行為の改定に関する連邦法」という。

 「伝統的家族価値」は安倍首相の信念そのものだった。選択的夫婦別姓制度程度のものさえ拒否感を示す安倍首相に、「同性愛宣伝禁止法」への問題意識などなかったに違いない。トランプ時代のアメリカが一人もチェチェンのゲイを受け入れなかったのも、トランプは「伝統的家族価値」を掲げるキリスト教右派に支持されていたからだろう。安倍とトランプはプーチンと人権感覚を共有していたのではないか。2014年の選挙で安倍首相に大勝利を与えた日本国民も、この恐るべきチェチェンの事態になにがしかの責任を持っているように思えてならない。
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