尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」

2021年08月31日 23時05分57秒 | 映画 (新作日本映画)
 濱口竜介監督が村上春樹の短編を映画化した「ドライブ・マイ・カー」を見た。2021年のカンヌ映画祭脚本賞濱口竜介大江崇允)を受賞したことで、一躍注目され大映画館で拡大公開されている。しかし179分もある長大なアート映画であって、案の定集客には苦労しているようだ。長いからなかなか行きにくいと思うけど、これは紛れもない傑作である。上映が終了する前に頑張って是非映画館で見て欲しい映画。

 映画化の話を聞いたときに、原作を読んでいた人なら皆驚いたと思う。短編すぎて、映画にならないだろうと思うほど。そこで映画化に当たっては驚くような工夫をしている。村上春樹ファンがそのつもりで見に行くと、何だこれはチェーホフ原作じゃないかと思うかもしれない。映画の相当部分がチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」の舞台稽古である。それが面白いかと思われるだろうが、実に面白いのである。それはこの映画以上に長大な「ハッピーアワー」で、数多くのワークショップのシーンが素晴らしく面白かったのと同じである。

 舞台俳優の家福(かふく)悠介西島秀俊)と専属ドライバーの渡利みさき三浦透子)という設定そのものは原作通り。ただ原作では東京が舞台になっていて、緑内障が見つかって運転を止められ、北海道出身の若いドライバーを紹介される。映画では家福はその後も運転していて、広島国際演劇祭(架空)の演出に招かれたときに広島まで愛車サーブを運転している。しかし演劇祭では過去に死亡事故が起こったため、演出家にドライバーを付ける決まりになったという設定。ウィキペディアを見ると、東京では運転シーンが自由に撮影出来ないため、当初は韓国の釜山で撮影する予定だったが、コロナ禍で海外ロケが不可能となり、広島に設定を変えたという。
(サーブを運転する渡利)
 原作の細かい点はもう忘れていた。2013年12月号の「文藝春秋」に発表され、翌年短編集「女のいない男たち」に収録された。この名前はヘミングウェイの短編集と同じである。原作では家福の「過去」の出来事は車の中の語りで読者に伝えられるが、映画では原作中の「過去」から始まっている。妻である霧島れいか)との情交中に語る不思議な物語が魅力的だ。そこでこれから見る人のことを考えてその重要な設定は書かないことにする。(そこには他の短編も取り入れられている。)この夫婦は大きな「喪失」をくぐり抜けてきたことがやがて判る。

 一方でドライバーの渡利も故郷の北海道で壮絶な体験をしていた。人は過去の痛みとどのように向き合えるのか。二人の思いに「ワーニャ伯父さん」のラストの有名なセリフが合わさるときに、魂の奥深き感動がもたらされる。(「ワーニャ伯父さん」については、「KERA版「ワーニャ伯父さん」を見る」「チェーホフの4大戯曲を読むーチェーホフを読む①」を参照。)ところで、この映画では、さらに重要な工夫がある。それは「ワーニャ伯父さん」のラストのセリフが韓国手話で語られるのである。
(「ワーニャ伯父さん」の本読みシーン)
 冒頭で妻の音が公演後の家福のもとに人気俳優の高槻耕史岡田将生)を紹介に来る。その時の演目は「ゴドーを待ちながら」だが、それは日本語とロシア語が交互に飛び交っている。国際的キャストは演劇でもあるが、ここまで「俳優がそれぞれの母語で演じる」のは珍しいだろう。(観客には字幕が出る。)オペラみたいに全編原語というのではなく、日本人俳優は日本語でセリフを語り外国人俳優はその母語で演じる。これは俳優、観客に「共通のテキスト」があるから可能なのである。

 広島国際演劇祭はもともと多国籍のキャスティングをすることを前提にしているらしい。まず最初にオーディションがあるが、そこには何故か高槻も来ている。他にもロシアや中国や韓国のメンバーがいる。そんなキャストで一体上演が可能なのか。そしてソーニャには手話で意思を伝達する韓国女性が選ばれた。(耳は聞こえるという設定なので聴覚障害者ではない。)そしてひたすら「本読み」が続く。その間にいくつかのドラマが起こる。車の中では家福は基本的には、数年前に音が吹き込んだ「ワーニャ伯父さん」(家福がワーニャを演じたので、ワーニャ以外のセリフが録音されている)を聞いている。それはドラマチックな語りではなく、セリフから過剰な意味を排除してただ音として読むようなものである。

 ほとんど会話のなかった家福と渡利にも、やがて身の上を少しずつ話す。「ワーニャ伯父さん」が完成し、家福と渡利が理解し合えるまでに3時間ほどが必要なのである。僕はそれは十分に納得したが、いくつかの疑問もある。まず家福がある決断をするときに、渡利の故郷を見たいと言う。それは判るけれど、広島から北海道へひたすらドライブするのは無理な設定ではないか。また家福は自ら運転するつもりで広島へ来たのだから、ドライバーがいなかったら高槻の飲酒の誘いを断ったはずだ。それらはやむを得ないかとも思うが、最大の疑問は「ワーニャ伯父さん」を知ってる人にはラストの着地点が予測可能だということだ。まあ、シェークスピアの有名戯曲ほどには知られていないからいいのかもしれない。
(濱口竜介監督)
 濱口竜介監督(1978~)は今年のベルリン映画祭で「偶然と想像」が銀熊賞(審査員大賞)、昨年のヴェネツィア映画祭では脚本を務めた「スパイの妻劇場版」が銀獅子賞を得ている。この活躍ぶりはどうだろう。別に難しくはないけれど、上映時間が長い作品が多いから見てない人が多いだろう。しかし、日本人では近年最大の注目監督なのは間違いない。演劇ファン、特にチェーホフの好きな人には絶対に見逃せない作品だ。映画のナラティブ(語り口)を堪能出来る3時間になるだろう。
追加・家福と渡利はともに喫煙者である。二人がサンルーフから煙草を持った手を出すシーンは、確かに名場面だと思う。しかし、今どき舞台俳優がこんなに喫煙しているんだろうか、それでいいのだろうかと疑問を持った。(9.1)
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宮坂昌之『新型コロナワクチン 本当の「真実」』を読む

2021年08月30日 21時02分57秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 講談社現代新書8月の新刊で、宮坂昌之新型コロナワクチン 本当の「真実」』という本が出た。「真実」が赤字なのは本がそうなっている。宮坂昌之氏は1947年生まれの免疫学者。今まで大阪大学医学部教授等内外で様々な研修職を歴任し、現在は大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授。講談社ブルーバックスで「新型コロナ7つの謎」「免疫力を強くする」などを書いていて、僕は読んでないけど名前を知っていた。

 理系の本はあまり読む機会がないんだけど、時々読むと頭がスッキリする。内容が難しくても、ロジックが通っているから面白いのである。この本は今まさに全世界で課題となっている「新型コロナウイルスのワクチンをどう考えるか」、そのすべてが書かれていると言って良い。「全国民必読」というには難解かなと思うが、世の中でサブリーダー的な立場にある人は判らないながらもザッと見ておくといいかと思う。結構売れているらしき「嫌ワクチン本」も真っ正面から論破している。「科学リテラシー」の大切さを教えられる本だ。

 プロローグ「新型コロナウイルス感染症はただの風邪ではない」では、今回の新型コロナウイルスそのものの説明が書かれているが、その説明は省略する。その後、第1章「新型コロナワクチンは本当に効くのか?」、第2章「新型コロナワクチンは本当に安全か?」、第3章「ワクチンはそもそもなぜ効くのか?」と続いている。これらの章を読むと、免疫学の進展の奥深さに驚いてしまう。免疫には「自然免疫」「獲得免疫」がある程度の知識では太刀打ちできない。そもそもワクチンは獲得免疫を目指すものだが、自然免疫も強化されるという。
(宮坂昌之氏)
 新型コロナワクチンにも様々な種類があるが、ファイザー社、モデルナ社のものは「mRNA」(メッセンジャーRNA)という新しい手法で作られた。2020年1月10日に中国が新型コロナウイルスのゲノム配列を発表すると、ビオンテック社(ファイザー社のワクチンを開発したドイツのベンチャー企業)は2週間で20種類のワクチン候補薬をコンピュータ上で設計した。モデルナ社はゲノム配列発表の4日後には治療原薬の製造を始めた。このスピードには驚くしかない。あまりの素早さに宮坂氏も2020年末段階では安全性、有効性に疑いを持っていて、ワクチン接種には慎重と明言していた。

 その後、各国で接種が進み信頼できるデータが続々と報告された。その結果、宮坂氏は高い有効性を認め、安全性も従来のワクチンと同程度と判断し、接種を推進する立場を表明した。本人もすでに2回接種を終えている。しかし、従来のワクチンと同じ程度の安全性というのは、従来のワクチンと同じ程度の危険性があるということでもある。そのこともきちんと説明し、どのような危険性があり、なぜ危険性があるのかも書かれている。

 なお「ワクチンの有効率」とは何かということが出ている。僕も今まで「有効率90%」というと、つい「100人にワクチンを打ったら、90人には効いたが10人には有効な抗体ができなかった」という風に思っていた。それが違うという。式で言えば「1-{(接種者罹患率/非接種者罹患率)}×100」になる。これじゃ全然判らないが、ワクチン接種者100人と非接種者100人をある期間で比較し、感染者が接種者では5人、非接種者では50人出たとする。この設定では接種者罹患率は5%、非接種者罹患率は50%である。先の式に当てはめて、{1-(5÷50)}×100=90となる。これがワクチン有効率90%の意味だという。

 さらに第4章「ワクチン接種で将来「不利益」を被ることはないか?」、第5章「ワクチン接種で平穏な日常は戻るのか?」と続き、最後に第6章「新型コロナウイルスの情報リテラシー」、第7章「「嫌ワクチン本」を検証する」と続いている。ここで判ることは人はずいぶんいろんな心配をするものだということだ。もちろん「ワクチンにチップが埋め込まれている」などという妄想系は論外である。そんなことが出来ればノーベル賞どころの騒ぎじゃないだろう。しかし世の中には「mRNA」という遺伝子情報の一部を体内に取り込むことで、DNA情報が書き換えられてしまうという人がいるらしい。

 それはあり得ないという説明は説得的だ。そもそもワクチンで遺伝子情報が変わるなら、新型コロナウイルス本体に感染した場合こそ大変なはずだから、そっちの心配をするべきという指摘は鋭い。体内に取り込まれた「mRNA」は少しすれば体内で分解されるらしいし、そもそも分子生物学で言う「セントラルドグマ」に反することは起こらない。セントラルドグマとは、DNAの二重らせん構造の発見者フランシス・クリックが提唱した概念で、「遺伝情報は「DNA→(転写)→mRNA→(翻訳)→タンパク質」の順に伝達される」というものである。これは不可逆的なもので、つまり、mRNAからDNAへの逆転写は起こらない。何事にも例外はあってレトロウイルスという種類だけは逆転があるが、人間には当てはまらない。
(セントラルドグマ)
 それにしても、体内に異物を送り込むわけだから、一定の危険性は存在する。それは基本的にはアナフィラキシーショックで、アレルギーや蜂に刺された場合などと同じだ。時々給食でアレルギー食品をうっかり食べてしまい大変な事態になったという報道がある。それは急性の症状であって、翌日以後も給食を食べていて、数日後に数日前の食品のアレルギーが出るなんてことはあり得ない。日本では多くの高齢者が心臓や脳内出血、あるいは原因不明で突然死している。その発生率を上回るようなワクチン接種後の死亡事例は起こっていないと思う。しかし、不明な点は残るし、疑問を持つ人もいるだろう。著者は死亡事例はCTやMRIによる画像診断を行うべきだと提言している。フェイクニュースの見分け方、近藤誠氏ら反ワクチン論者への批判などは僕は紹介するより、是非自分で読んで欲しい。
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失効免許の有効化が大事ー更新制「廃止」後の制度設計

2021年08月29日 20時40分41秒 |  〃 (教員免許更新制)
 1980年にあった袴田事件の最高裁判決を僕は傍聴していた。すでにその時には冤罪だという声があり、支援運動も行われていたのだが、マスコミには単に死刑が確定したと小さな報道があっただけだった。その頃はハンセン病に関するマスコミ報道もほぼない時代だった。なんでこんなことを書くかと言えば、僕は「教員免許更新制」の問題点を10年前から書き続けてきて、それがようやく「廃止」へ向けて動き始めた。だから良かったとは全く思わず、なんでもっと早く届かなかったのかいう思いが先に立つのである。

 まあ「アフガニスタンからの米軍撤退」のようなもんだと思っている。米軍が撤退すればタリバンが伸張するのは予想できる。だからタリバンがいずれ首都を制圧するのは想定内だろうが、こうも早く8月半ばに前政権が崩壊するのは予定外だったと思う。同じように「教員免許更新制」が教師のなり手不足をもたらし、免許取得を目指す大学生が減ることを予想しなかったはずがない。しかし、予想以上の少子化を受けて教育界の諸課題が噴出し、もはや「免許更新」などという愚策を維持する余裕もないんだろうと思う。

 さて、教員免許更新制の「発展的解消」とはどういうものになるのだろうか。「教育職にとってあるべき研修制度の設計」という意味では、もう僕が考える意味もないかと思う。それ以前に「なぜ更新制度がダメだったのか」を真剣に総括することが大切だと思う。朝日新聞の記事(8月24日付)にはある教員の声として「少し残念」という意見も紹介されている。講習の中には研究者の「学問への熱」にひかれるものもあったという。こういう意見を聞くことが時々あるが、正直言って困ったもんだと思う。

 どんな素晴らしい講習であっても、それを受講しないと「失職」してしまうという仕組みがあったから受講したはずである。つまり講習の成果とは「脅し」によって得られたものだ。そういう「体罰容認」的政策が許されるのか。顧問の「体罰」が怖くて続けているうちに「面白さ」に目覚めたりするだろうか。あったとしてもごくわずかで、ほとんどはトラウマになるだろう。そもそも方法論として間違っているのである。

 教師は大人だから自分の生活を守る必要もあるし、教師としてどうしても身に付けておくべき知識やスキルもある。教員全員にとって必須の部分は、全員対象の強制的な研修も必要だろう。しかし「アクティブラーニング」を担うべき教師は、自分でも「自ら学ぶ」仕組みで力を付ける必要がある。そのことは前にも書いたので、ここでは繰り返さない。「より良い教員研修をデザインする①ー「ポイント制」」、「「常識研修」のススメーより良い教員研修をデザインする②」を参照。「更新制」だけでなく「10年研修」のように、ある年に集中する仕組みは変えないといけない。学級担任や校務分掌を決めるときに、講習や研修が影響するのは本末転倒だ。

 最大の問題は、すでに失効してしまった免許の扱いをどうするかだろう。多くの教員が自費で講習を受けてきたわけだから、この間に失効してしまった免許を復活させるのは「不平等」だという意見が一部で見られる。しかし、それはおかしいと思う。「更新制度」そのものがあってはならない制度だったのだから、この間に失効扱いになった教員免許も一括して有効とみなす方が自然だ。(もちろん免許法に規定された取り消し事由、刑事裁判で禁錮以上の刑が確定した場合などがある場合は別である。)

 それに「不平等」と言えば、この問題で最大の不平等はある年齢以上の教員が、この制度の対象外になってきたことだろう。実を言えば、僕より1歳以上年長の教員がそうなんだけど、その年代の人は何の講習を受ける必要もなく、そのまま教員免許が永遠に有効なのである。それ以下の教員は、55歳で教員免許を10年更新したとしても、65歳で切れてしまう。現時点では65歳が公務員としての再雇用の上限だが、非常勤講師として勤めることは可能である。でも65歳で再び更新講習を受ける人はごく少数だろう。何歳まで勤務出来るか判らないのに、わざわざ免許を更新する人がどれだけいるだろうか。ということで、もっと年長の教員が「永久免許」で講師をしているのに、それが出来ない年代の教員がいるのである。

 それに今は教員採用試験の受験可能年齢が高くなっている。10年以上前に教員免許を取って以後、民間で働く、外国へ行く、育児をしていたなどで「ペーパー・ティーチャー」になっている人はものすごく沢山いるはずだ。ある程度の経験をしてから教師になりたいという人もいる。(音楽や体育などでプロを目指していたが、30代半ばになって教師に目標を変えた。親の介護のため故郷に帰ることにしたが、民間企業が少ないので昔取った教員免許を生かしたいと思ったなど。)そういう人には、どんどん受けてもらえばいいじゃないかと思う。めでた合格してく正式に採用されたら初任者研修が必須なんだから、ゴチャゴチャ言う必要はない。

 非常勤講師産育休代替教員なんかの場合も同様である。今までそういう教員向けの研修制度なんて、どこでもやってないだろう。持っている教員免許を全部有効に戻さない限り、急に病休教員が出た場合の代わりが見つからない。現場では誰でも判っていることだろう。自分は講習を「免除」されている校長や副校長(教頭)が、結局は講師が見つからなくて一番苦労するんだから、きちんと現場から声を挙げる責任がある。他にも「うっかり失効」した教員の被害救済も大切。本来なら様々な違いを超えて共闘出来たはずだと思うが、教員組合も力にならなかった。言いたいことはキリが無いので、この辺で。
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教員免許更新制、「発展的解消」という名の「廃止」へ

2021年08月27日 22時54分33秒 |  〃 (教員免許更新制)
 中教審教員免許更新制小委員会が8月23日に開催され、「教員免許更新制」の「発展的解消」という方向性が確認された。萩生田文科相は当日に記者会見を行い、そのことを発表し各マスコミが挙って報道した。7月に一部マスコミで「教員免許更新制廃止へ」という記事が報道されたが、その時は中教審で審議が続いていたので、僕はそこまで断言できるのかと思わないでもなかった。今回は文科省のサイト掲載の中教審資料に明記されているから間違いはないだろう。文科省の目論見としては「2022年通常国会に法案を出し、2023年度から廃止」というスケジュールが固まっていると考えてよいと思う。むろん法律を制定するのは国会であり、衆参両院を確実に通過するまでは正式決定とは言えないけれど。
(萩生田文科相の記者会見)
 今回はっきりしたのは萩生田文科相の強いイニシアチブだと考える。今まで萩生田氏が「スピード感を持って」と言うのを聞いても、行政の常套句と思っていた。教員免許更新制小委員会は今まで月1回開かれていて、8月はすでに4日に開かれた。常識的に考えると、夏休み期間が入ることでもあるし、次は9月上旬の開催かなと思っていた。だから文科省のサイトは時々チェックしていたのだが、しばらく見てなかった。「8月中にも廃止を判断」と言われていたが、それも9月以後になるのかと判断していた。まさか3週間後にまた小委員会を開くとは予想していなかったのである。このような「スピード感」には萩生田文科相の強い意向があると思われる。

 それは萩生田文科相の退任が近づいているということだと思う。萩生田氏が文科相として自ら「発展的解消」を決断して申し送りをするためには、8月中に判断しないといけない。もちろん菅義偉氏が自民党総裁に再任され、総選挙で自民・公明が過半数を獲得し、第2次菅内閣で萩生田氏が文科相に再任されるという可能性もゼロではない。しかし、2019年9月11日に就任以来ほぼ2年間文科相を務めている萩生田氏は、常識的に考えれば次は交代だろう。現時点では衆院選は自民党総裁選後という予測だが、夏前にはパラリンピック終了後に臨時国会を開いて解散という可能性の方が強かった。その時には9月上旬にまず内閣改造があるだろう。

 萩生田氏は選挙に強いから、今度は交代の可能性が高い。萩生田氏は八王子市の出身で、東京24区(八王子市のほとんど)から5回当選している。2009年は民主党の阿久津幸彦氏に敗れて落選したが、阿久津氏は前回から選挙区を移動し、次回は立憲民主党から東京11区に立候補予定である。現在のところ、東京24区には立憲民主党の候補予定者がいなくて、共産党、国民民主党、社民党がそれぞれ立候補を予定している。今後どうなるかは判らないが、八王子の小中学校を出て、市議、都議を経験している萩生田氏の地盤は固いと考えられる。

 選挙前に内閣改造をやるなら、選挙情勢が厳しい「入閣待望組」を登用するだろう。ということで、萩生田氏はもう文科相をしているのもあと少しと認識しているだろう。文部科学行政のエキスパートで終わりたくないだろうから、ここは一端退いて、次は党三役か重要閣僚での登用を目指すことになる。ではそういう萩生田氏がなんで「教員免許更新制」の「廃止」を早期に決断したのだろうか。それは憶測になるが、行政は止めることの方が難しい。「大学共通テスト」の「民間テスト」や「記述式」の導入を断念した萩生田文科相は痛感しているだろう。
(「教員免許更新制廃止へ」を報じるテレビ)
 河野太郎前防衛相は「地上イージス」の配備を停止したが、そのことで「実力派大臣」として認められた。萩生田氏も「実力派大臣」にしか出来ない思い切った政策転換を自らの任期中に行っておきたいと思ったのではないか。もちろん萩生田氏が自ら判断したというよりも、省内外にブレインのような存在がいると思う。それにしても、教育現場を少しでも知る人ならば、この制度はもう持たないことはよく判っていたはずだ。単に教員の負担が大きいという問題に止まらない。僕もうっかり気付かなかったが、「もともと10年期限の免許しか持っていない教員」が続々と期限を迎えている。多忙な学校現場で誰が免許の期限なのか、把握するのも大仕事である。

 この問題はもう少し考えてみたいが、その前に23日の小委員会資料の「審議まとめ(案)」を紹介しておきたい。あまりにも長くて面倒な官僚的作文なので、読むのも大変だけどその一番肝心な部分だけ。

 よって、本部会としては、「新たな教師の学びの姿」を実現するための方策を講ずることにより、教員免許更新制が制度的に担保してきたものは総じて代替できる状況が生じること、教員免許更新制は、「新たな教師の学びの姿」を実現する上で、阻害要因となると考えざるを得ないこと、教員免許更新制の課題の解決を直ちに図ることは困難であることを踏まえ、必要な教師数の確保とその資質能力の確保を将来にわたって実現するとともに、教師一人一人が、持続可能な学校教育の中で、自らの人間性や創造性を高め、教師自身のウェルビーイング(Well-being)を実現し、子供たちに対してより効果的な教育活動を行うことができるようにするためにも、「新たな教師の学びの姿」の実現に向けて、教員免許更新制を発展的に解消することを文部科学省において検討することが適当であると考える。

 判ったような判らないような文章だが、要するに「発展的解消」が適当だということである。その原案が了承されたということだろう。
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姫川温泉と糸魚川ジオパークー日本の温泉⑧

2021年08月26日 22時52分03秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 新潟県の一番西(富山県寄り)にある糸魚川を訪ねたことがあるだろうか。読めない人がいるかもしれないから、一応ふりがなを書いておくと「いといがわ」である。ここは多くの人、特に日本の教員には一度は行って欲しい場所だ。社会や国語もそうだけど、特に理科の教員。でも周囲に行ったことがある人はほとんどいないようだった。僕は歴史少年になる前は地図ばかり見ている地理少年だったから、「糸魚川」という地名にはなじみがある。言うまでもなく「糸魚川・静岡構造線」(以下、糸静線)である。「糸魚川」という不思議な地名とともに、一体どんなところだろうと思っていた。

 自分が行ったのは今から十数年前のことだが、糸魚川だけが目的じゃなかった。長野県の白馬や小谷(おたり)温泉に泊まろうと企画した後で、地図を見たら糸魚川は県境を越えたすぐ北じゃないか。この機会に行こうかと思ったが、じゃあ宿はどうする。有名な宿がたくさん紹介されている温泉ガイドはあるし、秘湯を紹介する本も多い。「笹倉温泉龍雲荘」という「日本秘湯を守る会」に入っている温泉があるが、他はガイドにも出ていない。移動を考えると、もう一つ泊まる宿が欲しい。そこでネットを探し回って見つけたのが姫川温泉の「ホテル國富翠泉閣」という宿だった。ここは素晴らしい宿だったけど、その後もほとんど紹介されていない。
 (「國富翠泉閣」大浴場と全景)
 お湯はこんこんと湧き出て掛け流しであふれている。日本海の新鮮な魚や新潟のお米は美味しいし、宿はキレイで言うことなし。というのは言いすぎで、ちょっと困ったのは夏の露天風呂で、アブが襲撃してくることだった。しかし、何より良かったのは、「ムアツフトン」が用意された部屋があったことだ。少し高かったと思うが、そこでグッスリと休むことが出来た。その後しばらくの間案内のハガキが来ていたが、二度行けるほど近くない。久しぶりにホームページをのぞいてみたら、客数をおさえて営業しているようだ。その分宿代が高いように思ったが、風呂や料理は相変わらず素晴らしい感じだった。

 糸魚川は日本だけでなく世界のジオパークに指定されている。「ジオパーク」というのは、地球科学的価値が高い景観を保護し観光や教育に生かそうという「公園」である。世界ジオパークに指定されたところが日本には8つある。他にも日本独自のジオパークが40箇所以上指定されている。僕が行ったころは、まだジオパークという仕組みは出来ていなかったが、糸魚川では90年代からジオパーク構想を持って施設整備を進めていた。中心になる施設は、1994年に出来たフォッサマグナミュージアムで、ここは絶対に一度は訪れたい場所だ。フォッサマグナというのは日本列島を東西に分ける「大地溝帯」だが、その西の断層ラインが「糸静線」である。ミュージアムの近くには、地層そのものを見られる場所があって「東西」がまさに明示されている。
 (フォッサマグナミュージアムと地層)
 僕はフォッサマグナをよく理解していなかったのだが、たまたま本屋で講談社ブルーバックスに藤岡換太郎フォッサマグナ」という本を見つけた。2018年8月に出た本で、はっきり言って難しいところがある。フォッサマグナという地形は世界のどこにもないという特殊なもので、何故出来たのかの定説もまだないんだそうだ。そこで様々な知見を検討し、成因の仮説を提示している。その当否は判らないが、とにかく重大な問題だなあと思った。「日本の東西差」は網野善彦らによって、日本を考えるときの鍵とされてきた。植生や動物、食品の好みなど多くの点で今も東西差が日本にはある。大きく言ってしまえば、その東西というのは「糸静線」である。ここへ行かずに日本文化を論じるなかれである。
(藤岡換太郎「フォッサマグナ」)
 糸魚川は歴史的にも非常に重要な場所である。それは「翡翠(ヒスイ)」で、日本で(ほぼ)ただ一つのヒスイ産地だった。姫川や青海川に沿った渓谷で産出し、縄文時代から多くのヒスイが装身具として使われてきた。勾玉(まがたま)を(実物やレプリカで)見たことがある人は多いだろう。それがどこで作られたか長いこと判らなかったが、実は全部糸魚川産だった。そして北海道から沖縄、さらに朝鮮半島にまで流通していた。「小滝川ヒスイ峡」に行っても、ああここかと思っただけだったが、天然記念物指定の峡谷である。今も時々川から流れたヒスイが海岸で見つかることがあるとか。糸魚川のあちこちに大きなヒスイが飾られていて、今は糸魚川のシンボルだが、実は奈良時代にヒスイ文化が廃れて以後ずっと忘れられていたというから驚き。
 (ヒスイ峡と勾玉)
 他にも面白いところは多い。「高浪の池」なんて全国的には知られていないが、とても不思議で大きな池だった。全国にそういう「地元では有名な観光地」があるものだ。海辺に出れば難所で知られた「親不知」(おやしらず)もあるし、芭蕉が宿泊した「市振」(いちぶり)もある。「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」の句を詠んだところである。車がないと効率よく回るのは大変だと思うが、是非一度は行っておきたい場所。笹倉温泉にも泊まったが、行く途中で海からあっという間に山になる地形が面白かった。
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「イン・ザ・ハイツ」、移民たちのミュージカル映画

2021年08月25日 21時12分00秒 |  〃  (新作外国映画)
 ミュージカル映画「イン・ザ・ハイツ」という映画が上映されている。どうしようかなあと思ったんだけど、これは見逃さなくて良かった。「面白くてためになる」というのがエンタメ映画の鉄則だが、この映画は面白さも抜群だが「ためになる度」が半端ない。アメリカにはラテン系の移民、特に「不法入国者」が多く、政治的にも大きな問題になっている。そのことは知識としては知っているけれど、この映画で判ったことが多い。彼らの暮らしぶり、町の様子、人々の夢と現実、そういうことが歌とダンスを通してストレートに心に響いてくる。

 もともとは2005年に初演されたミュージカルで、トニー賞で作品賞など4部門グラミー賞ミュージカル・アルバム賞を得た傑作だという。だから歌が素晴らしいのは言うまでもないが、何しろ躍動するカメラに映し出された群舞が圧倒的。こういうのはやはり大画面で見たい。2003年に起きた(と今調べた)ニューヨーク大停電が背景になっている。真夏の8月14日に起きた大惨事の前後、ニューヨークのワシントン・ハイツに住む若者たちの悩みと恋を歌い上げている。

 ワシントン・ハイツはマンハッタンの北部、ハーレム地区の北にあって、ドミニカ系のコミュニティになっている。名前は独立戦争時にワシントン砦が築かれたことから付けられたもので、ハドソン川にかかるジョージ・ワシントン・ブリッジでニュージャージー州と結ばれている。この橋は画面の奥によく映し出されている。映画に出てくるのは多くがドミニカ系だが、他にもキューバ系、プエルト・リコ系、メキシコ系などもいる。ラテン系ばかりで、映画内でもスペイン語が多く話されている。

 「コンビニ」を経営するウスナビが子どもたちに自分たちの来し方を語っている。ウスナビというのは、何だか変テコな名前だが、その由来が判ったとき、泣き笑いのようなエピソードが身に沁みる。映画では「コンビニ」と字幕が出たと思うが、むしろ「食料品店」、日本にも地方にはまだある小さな何でも屋のような店である。従弟のソニーと働きながら、ドミニカに帰って父の店を再興することを目指している。両親はすでになく、近所のアブエラが母親代わりになっている。近くにある美容院で働く幼なじみのヴァネッサが好きだけど、高嶺の花状態。そんな日々が続く暑い夏に、タクシー会社を経営するロザリオ夫妻の一人娘ニーナが故郷に帰ってきた。
(故郷に戻ったニーナ)
 ニーナは親の期待を一身に背負って、皆と遊ぶことも許されず勉強に精を出し、その甲斐あってスタンフォード大学に進学した。しかし「地域の誇り」だったニーナは、悩みを抱え、深い挫折感と共に帰ってきた。タクシー会社で働くベニーはニーナに恋しているが、ニーナには大学へ戻って欲しい。コミュニティへの愛着と脱出の思い、アメリカと故国の間で揺れ動く若者たちの恋のさや当てと悩みが、歌とダンスで感動的に描かれる。そして、大停電の中でアブエラが亡くなり、ウスナビはドミニカに帰ることを決意するが…。
(アメリカ版のチラシ)
 セットもあるが、かなりの部分をロケで撮影している(と思う。)街の臨場感が素晴らしい。配役は知名度はないけれど、実際のラテン系俳優が演じている。僕は必ず当事者が演じなければいけないとは思わないが、この映画の場合はそれが一番の効果になっている。監督にはジョン・M・チュウ(「クレイジー・リッチ」)が起用されている。中国系であることはあまり関係ないと思うが、初めてのミュージカルを無難に演出していると思った。

 この映画はミュージカルというジャンルで、移民がいかに差別され苦難の中を生き抜いてきたか。理不尽な思いと鬱屈を抱えてきたかを伝える。じゃあ、どうすればいいのか。声を挙げて闘っていくしかないんだと見る者を鼓舞するのである。それが歌とダンスの力なのである。これこそ大衆文化の意義じゃないだろうか。日本でも歌やダンスに惹かれる若い人々がたくさんいる。でもこういう歌やダンスを作るだろうか。この映画を世界の多くの若者たちに見て欲しいなと思った。
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「叫び声」、性と犯罪時代ー大江健三郎を読む⑨

2021年08月24日 22時22分04秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎叫び声」という小説がある。1962年の「群像」11月号に一挙掲載されて、1963年1月に講談社から刊行された。「遅れてきた青年」(1962)と「日常生活の冒険」(1964)の間に書かれた長編小説である。大江健三郎の長編は重厚長大なものが多いが、これは「芽むしり仔撃ち」ととともに、中編と呼んでもいい長さの小説である。全小説版では105ページになっている。この小説は昔講談社文庫版で読んでいて、「小松川事件」をモデルにした暗く孤独な犯罪小説という印象が残っていた。しかし再読してみたら、非常に興味深い傑作だった。
(講談社文芸文庫版)
 この小説は若者たちの「共同体」の崩壊を描いている。スラブ系アメリカ人のダリウス・セルベゾフと若い日本人3人はヨットでアフリカを目指すとことを夢見て共同生活をしていた。それは「僕」にとって「黄金の青春の時」だった。セルベゾフは朝鮮戦争に従軍中に癲癇の発作が再発し本国に帰されたが、父が死んで遺産を手にすると日本に戻って仲間を探し始めた。梅毒恐怖症の20歳の「」、黒人兵と日系アメリカ人の子である17歳の「」、日本を脱出しようと北海道からソ連へ向かって失敗した16歳の朝鮮人「呉鷹男」の3人である。

 セルベゾフは「悪い噂」(同性愛)もあるが、今は百科事典のセールスをして金を貯めて、ヨット「友人たち(レ・ザミ)号」を建造中である。愛車の「ジャガー」をヨーロッパ風に「ジャギュア」と呼んで、3人に使わせてくれる。彼らは皆何かしら性的な悩みや強迫観念を抱えているが、それでも前半では夢のような共同生活を送っている。後の「洪水はわが魂におよび」にも出帆することを夢見る「自由航海団」というグループが出て来た。石原慎太郎の小説では高校生でもヨットを乗り回し、作家自身もカリフォルニアからハワイへの航海レースに参加した。だが大江作品では航海は「夢想」の対象であり、そこには紛れもなく階級的格差がある。
(講談社文庫版)
 セルベゾフは仕事で神戸に行ったときに事件を起こす。3人は驚いて「ジャギュア」で一路神戸を目指した(まだ高速道路がない時代である)。着いてみたらもう釈放されていたが、それをきっかけに国外追放になって共同体は崩壊していく。スポンサーがいなくなって経済的に困窮し、「犯罪」に向かったのである。「僕」は結核を病んで闘病生活を送り、「虎」は痛ましい死を迎える。一人になった「呉鷹男」は「怪物」になることを求めて、夢遊状態のような中でかつて在学していた定時制高校の屋上で殺人事件を起こしてしまう。5年後、「僕」が呉鷹男に面会したときには、彼は死刑判決を目前に控えて犯罪を認めていた。

 呉鷹男は犯行を新聞社に電話して大反響を巻き起こしたことになっているが、これは実話に基づいている。それが1958年8月17日に起きた「小松川事件」で、その名前は都立小松川高校の屋上で起こったことによる。犯人の李珍宇(通名金子鎮宇)は18歳で同校定時制1年生だった。彼はまた4月に起きた殺人事件でも起訴され、2件の殺人で死刑となった。(この事件は「自白」以外に証拠がなく、冤罪説もある。)マスコミに知らせるという「劇場型犯罪」の第一号と言われている。李は獄中でカトリックの洗礼を受け、支援者の朴壽南に充てた膨大な書簡集が公刊されている。大島渚監督の映画「絞死刑」のモデルになったり、多くの作家、評論家に強い影響を与えた。
(逮捕を知らせる新聞報道)
 多くの人に衝撃を与えたのは、犯人が10代の朝鮮人だったことで、日本社会の責任という観点が浮上したことによる。(17歳だったら刑訴法上死刑判決は出せない。)またマスコミ(読売新聞)への連絡、獄中でドストエフスキーを読むなど「もう一人の永山則夫」と言いたいような存在だったこともある。粗暴犯というより「実存的犯罪者」の側面があって、そこに多くの作家、批評家が注目した。しかし、今になって読み返すと、「被害者の視点」が欠落しているのは紛れもない。被害者への想像力が及ばないところ、「生の躍動」(エラン・ヴィタール=ベルクソンの用語)の欠如にこそ特徴があった感じがする。

 初期の大江作品には、「怒れる若者たち」(アングリー・ヤング・メン)が多く登場する。「怒れる若者たち」とは、50年代後半に登場したイギリスの若い作家、劇作家たちを指す言葉である。大江健三郎の「われらの時代」には、登場人物が結成しているジャズバンドを「アンハッピー・ヤング・メン」(不幸な若者たち)と名付けていた。障がい児が生まれてから、作品的には「個人的な体験」以後の作品とそれ以前では多くの違いが見られる。特に長編では「犯罪」がテーマになることが多い。「叫び声」ではむしろ前半にこそ輝きがあり、後半の呉鷹男の犯罪の部分には判りにくさがあると思う。そこに小説の難しさがある。

 もう一つ、初期作品には「性」、特に「同性愛」が重大な意味を持つものが多い。長編の「われらの時代」「遅れてきた青年」「叫び声」の他に、中編「性的人間」も同じ。今回初めて単行本に収録された「ヴィリリテ」は「男娼」の世界だし、「善き人間」では妻のいる男が若い男性とも関係を持つ。その様子を夏のホテルでペットの世話をしている少年の目から描くという秀抜な作品で、何故今まで埋もれていたのか不思議。ただし、同性愛を「性的倒錯」と呼ぶなど今から見ると時代的制約もある。そうではあっても、「ホモフォビア」(同性愛嫌悪)のような描写は感じない場合が多いと思う。その事も含めて「初期大江作品で同性愛がどのように描かれているか」は重要な検討課題だと思うが、まだ誰も本格的に論じてはいないようだ。
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「セヴンティーン」2部作、テロリストの誕生ー大江健三郎を読む⑧

2021年08月23日 22時05分01秒 | 本 (日本文学)
 2018年7月に「大江健三郎全小説」の刊行が始まった時、第1回配本は3巻と7巻だった。7巻は「万延元年のフットボール」と「洪水はわが魂に及び」だから最初に出るのも理解出来る。一方、3巻は「セヴンティーン」第2部の「政治少年死す」が、1961年の雑誌発表以来初めて単行本に収録されたのである。その作品は1960年10月に起きた日本社会党の浅沼稲次郎委員長暗殺事件を起こした右翼少年、山口二矢(おとや)をモデルにしたとされ、右翼の非難を浴びた。掲載誌の「文學界」は次号に謝罪文を掲載し、作者も事実上作品を封印してきた。その作品が57年ぶりに日本で刊行された。是非読みたいと買って置いたので、今こそ読んでみよう。
(「大江健三郎全小説」第3巻)
 「セヴンティーン」は新潮文庫の「性的人間」に入っているから、僕はずいぶん若い頃(中学か高校)に読んだ。今回読み直したら、覚えている箇所が幾つもあった。そのぐらい鮮烈な印象を受けた作品だった。「政治少年死す」は誰かが勝手に印刷したものが一時期ウニタ書舗(左翼系書店)等に置いてあったけど、作家本人が認めてないんだから買う気にならなかった。当然ながら今回初めて読んだわけである。2段組の「全作品」で、「セヴンティーン」は35ページ、「政治少年死す」は48ページである。

 「政治少年死す」は、自身を思わせる若手作家が出て来たり、様々な文章がコラージュされたり、なかなか複雑な構成になっている。60年安保闘争で終わった「セヴンティーン」を受けて、小説は夏の広島から始まる。8月6日の広島で活動する「右翼」を描いたことで左翼からの批判もあったという。僕はこの小説を読んで、右翼少年をことさらに貶めるものとは感じなかった。なんで非難されたのかは、当時の特殊な状況があったと思う。その時「中央公論」の1960年12月号(発売は11月10日)に発表された深沢七郎の小説「風流夢譚」が問題化していた。夢の中で「左欲」が皇居に侵入する話だが、皇室に「不敬」な描写があると非難された。

 そして、1961年2月1日には、右翼の少年が中央公論社の嶋中社長宅を襲撃してお手伝いさんを殺害する事件を起こしたのである。その事件の少年は浅沼事件の犯人、山口二矢と同じく「大日本愛国党」に所属した経験があり、年齢も同じ17歳だった。ちょうどその小説が問題になっている最中の、1961年12月に「セヴンティーン」が発表され、1月に「政治少年死す」が発表された。そして、「文學界」3月号に会社による「謝罪文」が載ったわけである。この事件に関しては、「懐かしい年への手紙」で自身が触れている。また新興宗教の問題とされているが「スパルタ教育」(63年2月)に、電話に怯える若い夫婦が出て来る。大江は1960年2月に結婚したばかりで、年若い夫婦にはこの電話攻撃がこたえたと思われる。

 ところが今回解説を読んで驚いたのだが、山口二矢は「セヴンティーン」のモデルではなかったのである。どういう事かと言えば、浅沼稲次郎暗殺事件が起きたのは、1960年10月12日のことである。「セヴンティーン」の発表は1961年1月号だが、雑誌は前月上旬に発行されるのが通常である。「文學界」新年号の発売は12月上旬だったから、締め切りは11月半ば頃だったはずである。浅沼事件発生後に取材を開始して執筆に取り掛かったのでは間に合わないのである。「セヴンティーン」は非常に力のこもった作品で、その意味でも現実の事件に触発されたのではなく、それ以前から「孤独な少年が右翼になる」物語を構想していたのである。作家の想像力が現実に先んじて事件を予知してしまったのである。
(浅沼稲次郎暗殺の瞬間を写した写真)
 そのことは今回の解説で教えられたもう一つの注目すべき事実とも関連がある。それは三島由紀夫憂国」が発表されたのも、1961年1月の「小説中央公論」冬季号だったことである。「セヴンティーン」と「憂国」は同時期に発表されていたのである。「憂国」は二・二六事件に参加できなかった青年将校が妻とともに自決する話である。それは単なる政治的物語ではなく、むしろ「大義」への献身のエロティシズムとでも言うべきものだ。それは「セヴンティーン」の主人公「」が右翼結社「皇道派」(「政治少年死す」では何故か「皇道会」となっている)に参加して、「忠とは私心があってはならない」と目覚めてゆく時の興奮にも通じていると思う。

 「政治少年死す」は明らかに山口二矢が起こした現実の事件モデルになっているが、取材をしたノンフィクションではない。戦後最大の社会運動だった「60年安保」の半年後、「右翼」と「政治的テロ」は、気鋭の作家にとって魅惑的なテーマだったのだと思う。現実の山口二矢は1960年11月2日に(小説と同じく)東京少年鑑別所で自殺した。小説である「政治少年死す」もそれ以外の結末を作ることは出来ないだろう。山口に関しては、沢木耕太郎テロルの決算」(1979,大宅賞受賞作)があり、僕も当時読んだが細部は忘れた。ウィキペディアを見ると、山口は私立の玉川学園在学だが、「俺」は明らかに都立高校である。父親は私立高校の教頭とされているが、山口の父親は自衛官だった。(小説では姉が自衛隊の病院の看護婦になっている。)
(山口二矢)
 解説で知ったことだが、実は「政治少年死す」は日本に先駆けてドイツとフランスで翻訳が刊行されていた。ドイツでは「55年後の大発見」、「アンファン・テリブルからノーベル賞作家へ」と評価されたという。「アンファン・テリブル」はフランス語で「恐るべき子ども」のこと。大江作品の翻訳は「個人的な体験」以後が多かったが、それ以前の時期の重要性の発見ということだろう。特にヨーロッパで高く評価されたのは、2010年代にヨーロッパでイスラム系の無差別テロが横行したことがあるだろう。それらの事件の多くは、「それまで特に宗教的な関心を示さなかった」などと報道されることが多い。

 「セヴンティーン」の「」も進学校の中で孤立し、自意識と性欲にさいなまれている。特に政治的な関心もなく、むしろ当時の若者に多かったように「少し左翼的」である。自衛隊病院に勤める姉に「税金泥棒」と言って衝突するぐらいだ。家族の中で彼の17歳の誕生日を覚えていたのは姉だけだったというのに。学校では「新東宝」というあだ名のクラスメイトから右翼の演説会の「サクラ」に誘われる。「新東宝」という映画チェーンは、当時ほぼポルノ映画専門になっていた。それを場末まで追っかけているからあだ名が付いたのである。しかし、新東宝はそれだけでなく「明治天皇と日露大戦争」(1957)を大ヒットさせた会社でもある。

 この小説では「いけてない少年」が「いかにしてテロリストになったか」の内面的秘密が余すところなく描かれている。「天皇制」は日本独自のものだなどという思い込みで読んではいけないのだ。どの社会にもある、「伝統的価値」に寄り添うことで初めて「居場所」を見つけられ、「性的充足感」をも覚えるという心理的な秘密が恐るべき細密さで再現されている。アメリカのコロンバイン高校銃撃事件の少年(マイケル・ムーア監督「ボウリング・フォー・コロンバイン」)やノルウェイのウトヤ島テロ事件の犯人にも通じる部分がある。21世紀になって、1960年に起こった日本の右翼テロ事件が注目されるというのは悲劇だが、ともかく「セヴンティーン」2部作は今も生きているのである。
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アクションスター千葉真一の訃報

2021年08月22日 17時39分19秒 | 追悼
 千葉真一の訃報が伝えられ、死因が新型コロナウイルスによる肺炎だというので驚いた。8月19日没、82歳。ワクチンは自らの意思で打っていなかったという。ここ数年東映のアクション映画で活躍した俳優が続々と鬼籍に入っている。高倉健菅原文太松方弘樹梅宮辰夫など。そのたびに「昭和の名優がまた一人亡くなりました」などと報道された。名優が「有名な俳優」なら当てはまるだろうが、「名演技をした俳優」と解釈するなら疑問があると思ったりした。千葉真一に関しては、さすがに「昭和の名優」とは報じてないようだ。
(千葉真一)
 千葉真一とはどういう俳優だったんだろうか。僕は千葉真一は日本映画史上最大のアクション・スターだったと思う。日本のアクション映画の歴史は大体が「時代劇」だが、時代劇のアクションはほとんどが様式化された舞踊のようなものだ。危険なシーンはスタントマンが演じている。それに対し、体操選手であり、極真空手少林寺拳法等の有段者だった千葉真一は、アクションシーンを自ら演じた。さらにアクションを演じる俳優・スタントマンを育成する日本アクションクラブ(JAC)まで創設した。真田広之、志穂美悦子らを輩出したJACこそ千葉真一の最大の功績ではないか。なおJACは1991年に日光江戸村に売却されたと出ていて驚いた。

 テレビ「キイハンター」(68年~73年)で人気を得、共演の野際陽子と結婚した。また「仁義なき戦い」シリーズの大友勝利の演技で評判を呼んだ。そういうことは訃報で振り返られるが、僕は千葉真一の真価はそういう有名な映画じゃないと思う。ある時代まで世界中で「会社システム」で作られた新作娯楽映画が毎週のように公開されていた。時にはスターが集結した「大作映画」も作られたし、中には社会派・芸術派監督の映画も存在したが、多くの映画は後に顧みらることもない「プログラム・ピクチャー」だった。千葉真一もそういう娯楽映画の栄光と悲惨を身を以て担ったことに一番の価値があるんじゃないかと思うのである。
(「仁義なき戦い」の大友組長)
 その意味では、東映で70年代半ばに数多く作られたカラテ映画こそ、千葉真一の代表作ではないか。任侠映画路線が下火になった70年代半ばの東映映画を千葉の映画が(「実録映画」と共に)支えていた。1974年からの「激突!殺人拳」シリーズ、「直撃!地獄拳」シリーズなど数多く作られ、荒唐無稽ながらも小沢茂弘や石井輝男監督の手堅さもあってなかなか面白く見られる。さらに千葉が大山倍達を演じる「けんか空手」シリーズも作られた。それらのカラテ映画はアメリカや東南アジアでもヒットし、「Sonny Chiba」(サニー・チバ) として千葉真一は世界に知られた。ブルース・リーの急死以後、千葉真一が世界一のアクションスターだった。
(「激突!殺人拳」)
 その後「大作映画」の時代には、「柳生一族の陰謀」や「戦国自衛隊」「魔界転生」などでも大活躍した。そういう大掛かりな映画は僕は好きじゃないんだけど。それよりは中島貞夫監督の「沖縄やくざ戦争」(1976)が壮絶だった。中島監督とは1969年の「日本暗殺秘録」でも組んでいて、その小沼正(血盟団事件)役の演技は大きく評価された。また「仁義なき戦い」や「柳生一族の陰謀」の深作欣二監督とも初主演映画の「風来坊探偵」シリーズ(1961)からの長い付き合いだった。まだ深作も千葉も手探りだったが、次の「ファンキーハットの快男児」シリーズ(1961)では千葉アクションも深作演出も軽快に躍動している。

 90年代になると本格的なハリウッド進出を試み、JACも売却し日本残留を望む野際陽子とも離婚した。そして数多くのアメリカ映画、香港映画などに出演したが、中には未公開のものも多く、日本国内では大きな評価を受けたとは言えないだろう。その中では友人でもあったクエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビル」への出演が話題となった。この映画は全編が「女囚さそり」「修羅雪姫」など日本映画へのオマージュみたいな映像が続くが、千葉の役も「100代目服部半蔵」というから笑っちゃう。さすが歴史の浅いアメリカ人だけあって、100代目って何時代の話だよと思ったけど、まあ全体が荒唐無稽なんだからいいか。
(「キル・ビル」)
 本人はまだまだ元気で活躍するつもりだったようだが、やはりワクチンを打っておくべきだったと思う。世界的に知られたアクションスターという意味では、間違いなく「不世出」のスターだった。
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東京都のパラリンピック学校観戦問題ー教育委員の反対を無視

2021年08月20日 22時16分15秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京都でパラリンピックの学校観戦を進めようとしている。「新型コロナウイルス問題」として書くつもりだったが、中身的には「東京の教育」の方が近いと思うので、そっちのカテゴリーにしたい。「パラリンピック学校観戦」そのものではなく、少し違ったことを書きたいからだ。パラリンピックを観戦することの教育的意義はないわけじゃないだろう。でも行政というのは前例踏襲が多い。オリンピックの学校観戦は取りやめになったんだから、その後の感染拡大を合せ考えてみると、パラリンピックの観戦も取りやめる方がむしろ自然ではないか。

 さらに東京都教育委員会で(6人の委員の中で)出席した4人の委員が反対するという異例の展開になっている。それでどうして実施が可能なのか。「教育委員とは何なのか」という問題である。教育委員会の意思決定は、当然のことながら教育委員の多数の意思である。教育委員の過半数が反対することを実施出来るのか。もちろん法的に可能だから実施するわけだが、それで果たしていいのだろうか。
 (教育委員会で教育委員が反対)
 東京都教育委員会毎月第2、第4木曜日に定例会が開かれる。その2日前(普通は第2、第4火曜日だが、祝日がある場合はそれを除いた2日前)に開催の告示がホームページに掲載される。しかし、時々「臨時会」が開かれている。緊急事態宣言時の対応に関しては大体臨時会が開かれている。今回は18日になって、突如「18日午後8時」という開催告示が掲載された。内容は「報告事項」が2つである。「(1)夏季休業明けの都立学校の対応について(2)パラリンピック競技大会における学校連携観戦について」である。

 教育委員が意思決定を行う場合は、「議案」と告示に明記されている。例えば「東京都公立学校教員の懲戒処分等について」といったように。今回は「報告事項」だから、教育庁(教育委員会の事務局)の原案を審議しない。4人の委員が反対意見を述べたというのも、原案に反対したというのではない。いわば「憂慮を示した」とでもいうか、「報告に対して意見を述べた」だけである。4人いたんだから、報告事項を審議事項に変更する動議を出して、「学校観戦は行わない」と議決することも出来なくはない。でもそこまで事を荒立てたくもなかったんだろう。皆さんの心配を受けとめて感染防止に努めて実施するといったあたりで終わったんだと思う。

 現時点で学校観戦は最大13万2千人を予定しているという。僕は「夏休みを延長した方がいい」と書いたわけで、この人数に不安を抱く人が多いのは当然だと思う。やりようによっては危険性は少ないかもしれないが、引率する教員の負担が多すぎるのと予想される。児童・生徒が皆おとなしく見ていればいいけれど、やはり校外行事、それもスポーツ観戦となれば、はしゃぐ子どもも出て来るだろう。時間にもよるが、食事はしないでも水分補給は必要なんだから、感染拡大を心配する保護者が多いと思う。まだまだ残暑厳しき時節、家でテレビで観戦しようじゃ何故いけないのか。オリンピックはそう言ってたわけだから。
(各区の対応)
 都教委はこれまで各学校に「オリ・パラ教育」を強制してきた。いまさら何もなしというのも具合が悪いのか。学校にパラリンピアンを招き、ゴールボールとかボッチャとか一緒にやってみるなどの試みも多かった。だから、ぜひ見てみたいという子どももいるだろう。しかし、それを言うならオリンピックだって見せるべきだろう。何でパラリンピックは見せたいのか。そこに何やら嫌な感じを持ってしまう。つまり「パラリンピック観戦」は「道徳教育」なんだろうなと思ってしまう。

 「スポーツの力」を感じてもらうというより、「頑張っている障害者」を子どもたちに見せたいということではないか。全校で見に行ったら、必ず「感想文」を書かせる。「障害を負った皆さん」「でも」「一生懸命頑張っている姿」を見て、自分ももっと頑張らなくてはと「反省」しました、みたいな。そういう作文をスラスラ書ける能力を育成すること大人が求める価値観を内面化することに目標があるような気がして、嫌な感じがするのである。そんなことはないと言うかもしれないが、やっぱりそうなると思う。

 本当は「教育委員会」とは何なのか、その問題も書きたいと思ったが、今回は止めることにする。最後に常識的な疑問。コロナも心配だが、熱中症で倒れる児童・生徒の方が多いはず。間違いなく100人以上出る。夏には子どもに見せたい展覧会などが幾つもある。学校に割引券を送ってきたりする。それは学校単位でまとまって見ようということではない。家庭で(あるいは個人で)行って欲しいということである。涼しいところへ行く林間学校はあっても、真夏に遠足や社会科見学などを企画する学校はない。常識的に考えれば判るが、全校でどこかに日帰りしようという季節じゃない。オリンピックとかパラリンピックの問題以前の話。
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夏休みの延長が必要ではないかー教員にも広がるコロナ感染

2021年08月19日 22時11分06秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 菅内閣は17日に6都府県に出ている緊急事態宣言の延長(9.12まで)と新たに20日から7府県に緊急事態宣言を出すことを決定した。一応書いておくと、延長するのは東京神奈川埼玉千葉の首都圏及び大阪沖縄である。新たに出すのは、茨城栃木群馬静岡京都兵庫福岡である。また北海道、福島、石川、愛知、滋賀、熊本に出されている「まん延防止等重点措置」も延長され、新たに宮城、山梨、富山、岐阜、三重、岡山、広島、香川、愛媛、鹿児島の10県にも出される。どこに何が出ているか、ちゃんと判っている人はいないだろう。
(緊急事態宣言の延長)
 その緊急事態宣言を延長することで、一体何がどうなるのか。人出が減っている感じはしないし、いろんな場所(デパート、劇場、映画館等)は(ところによって人数制限をしているが)、やっているのである。やっていれば行く人がいる。そこら辺の問題をどう考えるべきかはまた別の問題だが、そうは言っても電車は一時期よりは空いている。テレワークもあるんだろうが、それより何より「夏休み」だから高校生がいないわけである。そして、もうすぐ夏休みが終わってしまう。このまま学校に子どもたちが集まってしまって大丈夫なんだろうか。

 高校野球や高校総体(インターハイ)でも辞退校が出ていると書いたが、本当はこの問題を書きたかったのである。沖縄県では「夏休みの延長」という措置を取る市町村もあるようだ。もっとも沖縄で8月中に夏休みが終わるとは知らなかった。寒冷地方では大体8月20日過ぎには夏休みも終わるだろうし、東京でも基本的に8月いっぱいが休みだろうが、小中学校では2学期を早めることも多いと思う。つまり、もうすぐ全国かなりの地域で夏休みが終わるのである。このまま2学期に入るとどうなるだろうか。
(沖縄県の夏休み延長状況)
 東京都の場合だが、教員のコロナ感染が非常に増えている東京都教育委員会のホームページの「新着情報一覧」を見ると、このところほぼ毎日「新型コロナウイルス感染者について」という記事が掲載されている。土日は更新されないので、週明けには5人、6人とまとめて載っていたりする。8月の分だけまとめてみると、8月19日掲載までで総計でちょうど60人になった。ただし、正職員以外も載っていて、行政職(教育庁勤務等)が6人、非常勤職員が8人である。差し引くと、常勤の教育職の感染は46人ということになる。都教委のサイトだから、都立学校(高等学校、特別支援学校、中高一貫校)のみである。市区町村の小中学校教職員、あるいは近隣県の教職員だけは感染しないという理由はないから、恐らく感染者はある程度出ているはずである。

 また子ども世代の感染も増えているという。家族内感染が多いのである。その場合、親が発症した段階では子どもは無症状のことが多いらしい。やはりデルタ株であっても、若い世代には無症状のケースが多くあるのである。親が発症してPCR検査を受けて陽性を確認するまでの間に、子どももすでに感染しているが、しかし無症状だから、陽性が確認された親の濃厚接触者になるまでPCR検査を受けられない。その間は無症状だから、当然学校に登校するだろうが、この段階でも感染力はあるということになる。

 そういう心配があるということを夕方のニュースでやっていた。つまり、教員も生徒も感染者が多い現状から、このままでは学校では集団感染が多発する可能性がある。そう思うんだけど、去年の「全国一斉休校」の傷というか、トラウマが残っているんだろうか、学校休校という選択肢が問題にされない。実際、高校生などでは果たして家庭で勉強しているか怪しいかもしれない。つまり「オンライン授業」にすべきだという意見も出てくる。また2学期は学校行事や進路指導でとても休校するわけにはいかないという意見もあるだろう。しかし、教員が生徒に感染させるケースが起きたら、休校せざるを得ないだろう。

 教員が風邪を引いて休暇を取ることは日常的によくあることだけど、その場合は一般的に数日で終わる。そういうときは「自習」になってうれしいという記憶がある人はかなりの年長だろう。今は自習課題を用意して、自習監督も付くことが多いのではなか。コロナの場合、数日で復帰できるとは思えないから、一人が感染するだけで教科や学年への負担は非常に大きくなる。そういうことが頻発することは目に見えていると思う。都教委のサイトでは学校名は不明だが、都立高校は全部で186校、特別支援58校、中高一貫校10校なので、感染者が全部違う学校だとすると、8月中にすでに5校に1人ぐらい感染教員が出ている。7月以前にも多くの感染者が報告されているが、もう現場復帰できる状態なのかどうかは判らない。

 当然ながら生徒の感染も増えているだろう。僕は何も「全国一斉休校」は求めていない。緊急事態宣言の出ている地域の学校で、教員や生徒、保護者の感染状態を見ながら、どの程度の危険性が予想できるか判断するべきだ。感染者が出てバラバラに休校すると、「どこ?」「誰?」という噂が飛び交う可能性もある。危険性、緊急性が予見されるなら、ある程度「まとめて夏休みを一週間延長」などとする方が良いのではないだろうか。

 もちろん弊害も多い。高校だと就職希望者の試験が迫っていて進路指導が欠かせない。また普通科高校では9月半ばにも文化祭を予定していたところが多いだろう。文化祭のあり方も課題だが、簡素な形で生徒の準備登校を認めてもいいだろう。小学校などの場合、昨年も問題化したけれど「給食」をどうするか。夏休みに食事環境が悪くなっているケースも多いと思う。給食だけ出すこともあるだろう。その場合も出来るだけ家に持ち運べる「弁当」形式にするのも考えられる。むしろしばらくマスク付きで出来る教科を中心にした「午前授業」にして、給食で終わりという方がいいのかも。「一斉」が行き過ぎて、個別事情を酌めないのもおかしい。

 いろんなケースがあるだろうが、学校でクラスターが発生することは避けられず、それを見越した対応を準備しておかないと後手後手になる。誰々が感染したから行事や部活ができないなどと、ウェブ上で曝されるような事態をあらかじめ避けるのが最優先だと考える。
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映画「サマーフィルムにのって」、「部活」青春映画の快作

2021年08月17日 21時04分04秒 | 映画 (新作日本映画)
 新鋭の松本壮史監督のデビュー作「サマーフィルムにのって」という映画は、拾い物の青春映画の快作だった。簡単に言えば、女子高生が夏休みに時代劇映画を撮影しようとする話である。「時代劇」なんてテレビドラマでもなくなって、今どきの女子高生が知ってるわけないと思うと、DVDで何でも見られる時代である。女子高生なら市川雷蔵だろうと思うと、「雷蔵様は美しすぎる」ということで、この映画の女子高生は勝新太郎のファンである。勝新じゃ暑苦しすぎないかと思うが、そういうのが好きっていう女子高生って確かにいるのだ。

 「ハダシ」(伊藤万理華)は映画部のために「時代の青春」というシナリオを書いたけど、部内では部長が書いた「好きっていうしかないじゃない」(だったかな)というラブコメが圧倒的に支持されて撮影出来ない。放課後は何故か自由に使える廃バスに、友だちの「ビート板」「ブルーハワイ」と集まっては、昔の時代劇を見る日々。三船敏郎の話も出るけど、何といっても「座頭市物語」(第一作)の大ファン。座頭市のモノマネもよくやってる。映画部で撮れなくても何とか自分で作りたいんだけど、主役を頼める人がいない。
(3人の友人と)
 ところがそこに、何故か凛太郎金子大地)という凜々しい男子が現れて、ハダシは主役を頼みに追い回す。同級生でもない人間が急に現れるのはおかしいが、凛太郎は実は「未来人」なのだった。つまり「時をかける少女」である。ビート板が原作を読んでるシーンが伏線になっている。なんで未来から来たかというと、実は「ハダシ監督は未来の巨匠」で、全作品を見たのに文化祭でやったと記録にあるデビュー作だけ残ってないからわざわざ見に来たのである。そんなバカなと言ってしまえば、それっきりである。

 何とか凛太郎を主役にして、外れ者をスタッフに頼んで、いよいよ撮影開始だ。デジカメは映画部が使っているから、ハダシたちはスマホで撮る。今やそれでも可能な時代なのである。打倒ラブコメを合言葉に、皆で盛り上がり、いよいよ決闘シーンのため海辺のロケへ。そうしたらそこに映画部も来ていて、いろいろあって…。だけど、ハダシは悩みに悩んでいる。毎日のように脚本を書き直している。そして秘かに凛太郎に好意を抱いているらしき気配も…。書いてるだけだと伝わらないかもしれないが、何か(この場合は時代劇映画製作)に熱中している青春の熱が見ている者に伝染してくるのである。
(映画撮影中)
 撮影は終わり、いよいよ編集作業。ゲリラ上映するつもりだったが、体育館で映画部のラブコメに続けて二本立てで上映出来ることになった。そしてラストシーンが近づいて来て…。突然ハダシは飛び出していって、上映を止めてくれという。自分が真に撮りたかったラストは違うんだと。そこでどうする。体育館の掃除道具を使って、あるべきラストのチャンバラを始めるのである。そのラストというのは、要するに「座頭市物語」のラストの市と平手造酒(みき)の決闘シーンである。お互いに敬愛し合っている二人を切り結ばせるべきかどうか。そこでこの映画は単なる映画オタク的な世界を越えて、より深い青春の輝きを見せる。

 主役のハダシ監督の伊藤万理華元乃木坂46で2017年卒業後は俳優などで活躍中という。その他期待できる若手役者が出ているが、僕は知らない人ばかり。なんで「ハダシ」と呼ばれているのかも不明。親も出て来なければ、映画部内の描き方も不明。「未来人」なんて設定もおかしいけれど、そういうのを越えてエネルギーに満ちている。まさに夏休みという感じ満載の映画。映画作りの映画、部活の映画、夏休みの映画、文化祭の映画といった今まで幾つも作られた青春映画の定番を踏まえつつ、こんな発想でも物語を作れると感心した。
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タリバン、アフガニスタンを制圧ー鍵は中国が握る

2021年08月16日 22時30分34秒 |  〃  (国際問題)
 前日まで「反政府武装集団」と報じられていたアフガニスタンタリバン(英語表記=Taliban)が首都カブールを制圧した。ガニ大統領はアラブ首長国連邦に脱出したと伝えられる。1996年から2001年まで続いたかつての「タリバン政権」時代と同じ名前の「アフガニスタン・イスラム首長国」を樹立したとしている。(ガニ政権時代の国名は「アフガニスタン・イスラム共和国」。)「タリバン」(またはタリバーン、ターリバーン)とはアフガニスタンの最大民族パシュトゥン人の言語で「学生」という意味で、イスラム神学校の「神学生」のこと。
(大統領官邸を制圧したタリバン勢力)
 アフガン情勢急変を受けて書いているのではなく、実は昨日から次は「タリバンの勝利近し」という記事を書くつもりだった。タリバンがもうすぐ首都を制圧するのは間違いなさそうだったが、それにはもう一週間ぐらい掛かるのではないかと思っていた。まさか15日に陥落するとは思っていなかったが、事態が動くときは急変することが多い。1975年のヴェトナム戦争終結時のサイゴン陥落もそうだったし、ベルリンの壁崩壊やその後の東欧革命もそうだった。今回はアメリカ軍の撤退表明を受けて、国軍の空洞化が一挙に進んだ。バイデン政権は遠からずこうなることを予測していただろうが、それは「9・11」の20周年の後になると踏んでいただろう。
(脱出したガニ大統領)
 アメリカ国内ではトランプ政権時代から「アフガン撤退」が進んでいた。そのために「撤退後」を見越したタリバンとの和平協議も行われ、「アフガン国土を外国攻撃の拠点にしない」(かつてのように「アル=カイダ」などテロリスト集団と手を結ばない)という約束がなされている。20年に及ぶアフガン戦争でアメリカは多くの犠牲を払い、もう撤退するのはやむを得ないというのがアメリカの大方の世論だと思う。しかし、「9・11」(2001年の同時多発テロ)をきっかけに始まったアフガニスタンへの武力行使なのだから、20年を前に「我々の犠牲は報われなかった」とバイデン政権の「失敗」を追求する動きも出て来るだろう。
(タリバン兵)
 反政府勢力は普通は少数民族とか思想的な対立関係とかの背景がある。少数派が時間をかけて大きくなって政権を獲得するもので、中国共産党キューバ革命などの例を見れば判る。しかし、タリバンに関しては、それが当てはまらない。1994年に突然強大な武装勢力として出現した。当時のアフガニスタンは、1989年のソ連軍撤退後の「軍閥」割拠時代だった。そのような情勢の中でパキスタンとの国境地帯でイスラム神学を学んでいた学生たちが決起した。そしてその規律ある戦いぶりが住民の支持を受けた。そういうことになっているが、実はパキスタン国軍の諜報機関が関与して「育成」したことが判明している。

 アフガニスタンは工業化が遅れた国だから、武器を自ら作る能力はない。だから「タリバン」も外国の軍備や資金の援助がなければ戦えない。タリバンの黒幕はパキスタンサウジアラビアだった。パシュトゥン人はパキスタンでは少数民族だが、アフガニスタンでは45%を占める最大民族である。この同族意識とイスラム教スンニ派の共通性で、パキスタンの援助を受けながらイスラム国家成立を目指したのがタリバンだった。また麻薬の密売も資金源だと言われている。もっとも近年は支配地域が広がってきたため、通常の「税金」や「関税」が資金の中で大きな位置を占めていると言われる。
 
 1996年には事実上全土を制圧したが、パキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦しか承認しなかった。タリバン支配下ではパシュトゥン人以外の少数民族の圧迫女性の抑圧娯楽の禁止、社会主義時代のナジブラ元大統領を初めとする公開処刑バーミヤン渓谷の仏教石窟(世界遺産)の爆破など、人権無視、イスラム法厳格支配の蛮行が多かった。今回はさすがにそこまではしないと楽観するわけにはいかない。「イスラム国家」樹立を進める以上、「イスラム法」に基づく反近代的な発想がやがて現れてくると思うべきだ。

 しかし、これほど急速に全土を制圧したということは、ある程度旧勢力に妥協しているんだと思う。少数民族は抹殺するぞという方針なら、パシュトゥン人以外の民族は大きな犠牲を覚悟で徹底的に抵抗するだろう。アフガニスタンは全土がほとんど山岳地帯で、各地域の独立性が高い。それぞれの地域に武装勢力がいるが、彼らの実権をある程度保障することで、急速な勢力拡大を実現できたと考えられる。そのまましばらくは事実上の「連合政権」のような統治になるかもしれない。今後の最大の注目点は中国がいつ承認するかだ。実は中国は7月末にタリバン幹部を招待して会談を持っている。そこで何が話し合われたかのか。
(中国の王毅外相と会談するタリバン幹部)
 恐らくは「タリバン政権」は(対米国のテロ支援をしないだけでなく)、中国のウィグル人独立運動も支援しないことを約束したのではないか。その代わりに中国はアフガン内部の人権問題も非難しない。アフガニスタンは「一帯一路」に加わって中国は全面的に支援する。そういうことだと推定できる。米国はアフガニスタンで米国に協力した人々を見捨てる。タリバンはウィグルなど他国で虐げられているイスラム教徒を支援しない。中央アジアは中国が覇権を握る。タリバン政権は当面は世界に承認を求めるためおとなしくしているかもしれないが、銃で成立した政権は支配が固まれば「強硬派」が実権を握るのが歴史の法則だ。僕はそう予想している。
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宇能鴻一郎「姫君を喰う話」と映画「鯨神」

2021年08月15日 22時05分44秒 | 本 (日本文学)
 2021年7月の新潮文庫で宇能鴻一郎(うの・こういちろう、1934~)の「姫君を喰う話」という作品集が刊行されたのには驚いた。1962年1月に「鯨神」で芥川賞を得た作家だが、その時点では東大大学院在学中だった。その「鯨神」はすぐに大映で映画化され、巨大な鯨が特撮で再現されている。現在角川シネマ有楽町で上映されている「妖怪特撮映画祭」でもラインナップに入っているので見に行ってみた。

 宇能鴻一郎なんて言っても若い人は知らないだろう。70年代には「官能小説」の大家として有名で、週刊誌やスポーツ新聞などに「あたし〜なんです」という女子大生モノローグっぽい文体でポルノを量産していた。当然日活ロマンポルノの原作にピッタリで、題名に作家名の付いた映画だけでも「宇能鴻一郎の濡れて立つ」とか(以後作家名省略)「むちむちぷりん」「あげちゃいたいの」など21本も映画化されている。特に作品的に評価されたわけではなく、僕もちゃんと読んだことはないけど、そこらに置いてある週刊誌で流し読んだことはある。

 そんな宇能鴻一郎が芥川賞作家だと知って驚いたものだが、松本清張五味康祐など芥川賞作家がエンタメ作家になる例は珍しくはない。「鯨神」は江戸末期から明治にかけて、長崎県の平戸島和田浦(架空の地名)の鯨漁を生業とする隠れキリシタンの村を舞台にしている。ある年巨大な巨大な鯨が祖父と父の生命を奪い、数年後に兄もまた巨大鯨に挑んで死ぬ。そんな運命のもとで、残された弟シャキは「鯨神」と名付けられた巨大鯨に復讐することを目的に生きている。鯨名主は鯨神を倒したものには娘トヨと一家の財産すべてを渡すと誓いを立てる。紀州で人を殺して逃げてきたという「紀州」も野心を燃やしている。
(映画「鯨神」)
 映画は1962年大映作品で、新藤兼人が脚色し、「悪名」「眠狂四郎」シリーズなどで知られる娯楽映画の名手、田中徳三が監督している。シャキは本郷功次郞、紀州は勝新太郎、シャキの幼なじみエイに藤村志保、トヨに江波杏子、その父の鯨名主に志村喬といったキャストである。特撮についてはウィキペディアに詳しく出ている。鯨神に立ち向かっても死ぬとしか思えない宿命を生きるシャキ、彼をめぐる女性たちと「紀州」。メルヴィル「白鯨」を思わせるが、全体的に小説としても映画としても今ひとつ満足出来なかった。小説は文体的に大時代過ぎる感じで、映画は筋を追うのに精一杯。特撮も今の眼で見てしまうと苦しい。

 芥川賞受賞作の「鯨神」は60年代初期にしてはずいぶん古風な小説だ。石原慎太郎や大江健三郎以後とは思えない感じだが、直前の受賞者が三浦哲郎「忍ぶ川」なので少し反動があったのかもしれない。新潮文庫に収録されているのは、69年、70年頃の作品が多い。まだ官能小説で知られる直前の、「異色」と言うより「異常」、「猟奇的」を超える気持ち悪くなるような小説ばかりである。異常性愛ものが多いので、多くの人にお薦めしない。よほど物好きじゃない限り読まない方がいいと思う。僕も「メンタルヘルス」とか「ルッキズム」を問題にした後で、こういう小説集について書くべきかどうかと思わないでもない。

 しかし、「文学」は何を書いてもいいはずだとは思う。それでも「ズロース挽歌」なんてまずいでしょう。男だからといって、「ズロース」とか「ブルマー」に憧れるなんて心理は不可解である。それを別にしても、「姫君を喰う話」の超B級グルメ話から性欲へ、そして時代を飛び越えて「至上の愛」へと移っていくトンデモぶりにはたまげた。とっても読んでられないと思う人が多いと思うけど、これはこれで傑作だと思う。他では「西洋祈りの女」が敗戦直後の農村地帯(三重県南部)を舞台に、不思議な祈祷師(「和風」ではなく、英語などを交えて祈るから「西洋祈り」と呼ばれた)を描く。「花魁小桜の足」「リソペディオンの呪い」も収録。

 谷崎潤一郎の伝統があるからか、マゾヒズム系の小説が多いように思う。多少「大衆文学」に寄ってはいるが、「異常性愛純文学」とでもいう作品集。作者はもう故人かと思っていたら、存命だったのも驚いた。「横浜市金沢八景の敷地600坪の洋館で老秘書を従え、社交ダンスのパーティを開くなどの貴族的な暮らしぶりが伝えられる」という不思議な情報がウィキペディアに掲載されている。
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「ルッキズム」と女子選手、須崎優衣と女子バスケー東京五輪を振り返る⑤

2021年08月14日 21時02分08秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京五輪をめぐる諸問題を考えるとき、「ルッキズム」(Lookism)の問題を落とせない。「ルッキズム」とは、「見た目差別」「外見至上主義」のことで、特に女性が就職試験で容貌重視で落とされたりする差別である。女子スポーツ選手の場合、成績以上に外見で有名になった選手が昔からいた。女子選手にのみ「芸術的」な演技を求める競技もある。「アーティスティック・スイミング」「新体操」は女子しかない種目である。(それが認められるのは、「水泳」「体操」という競技の一種目だからだ。)また今回初めて知ったが、体操の「床運動」も女子にだけ伴奏音楽がある。

 マスコミで報じられるときも、男子選手には「豪快さ」や「頭脳」が評価される。豪快に「一本勝ち」し、豪快に「ホームラン」を放ち、「沈着冷静」で「優れた戦略」が賞賛される。一方女子選手は「優美」に勝つことが求められる。もっともそれだけでは勝てないわけだが、「闘志むき出し」で立ち向かうことよりも、立ち居振る舞いにも気を配って「試合終了後の笑顔がステキ」だったりすることが報道される。そういうジェンダーバイアスがスポーツをめぐっても存在するわけである。
(開会式で旗手を務めた須崎優衣と八村塁)
 今回記事を書くために何人かの女性選手を検索してみたら、「○○ かわいい」という検索ワードが頻出するのに驚いた。まず容姿でもてはやす人々の目がある。ほぼすべての女性メダリストがそうなんだけど、中でも八村塁とともに開会式で旗手を務めたレスリングの須崎優衣選手は八村との身長差も注目されたのか、「かわいい」が一番最初に出て来る。それをどう考えればいいんだろうか。他人がどう思うかは自由と言うしかないんだろうか。須崎優衣女子レスリング48キロ級で、全試合で相手選手に1ポイントも許さずに「テクニカルフォール勝ち」(相手に10点差を付ける)の圧勝だった。それこそ一番の注目じゃないかと思うけど。
 
 その須崎優衣は東京五輪の代表権をめぐってし烈な争いがあった。そう言えばそんなニュースを聞いた記憶があるが、覚えていなかった。柔道男子66キロ級の阿部一二三丸山城志郞との24分に及ぶ壮絶な代表権争いはよく覚えているんだけど。そもそも女子48キロ級にはリオ五輪金メダルの登坂絵莉(とうさか・えり)がいた。そして7最年長の入江ゆきもいて、日本選手権は世界選手権より大変と言われていた。2019年世界選手権代表争いでは入江ゆきが勝ったため、入江が世界選手権でメダルを取れば五輪内定だった。しかし、世界選手権で入江が準々決勝で中国の孫亜楠に敗れてしまい、代表権争いはまだ続くことになった。
(代表権争いに勝った須崎優衣と負けた入江ゆき)
 2019年12月の日本選手権で、須崎優衣は準決勝で登坂に勝ち、決勝で入江に2対1で勝った。その上で2021年4月の五輪アジア予選で勝って出場権を確保して、代表に決定したのである。五輪決勝は入江を世界選手権で破った孫亜楠だった。このようにギリギリで代表権を得た選手がなぜ旗手に選ばれたんだろうか。開会式からすぐ試合が始まる競技ではなく後半開始から競技で選ぶんだろうが、初めての五輪(須崎は22歳で、早稲田大学在学中)選手を選び、試合でも活躍したんだから精神力もすごいんだろう。

 当初から日本選手がメダル有力候補だった柔道やレスリングと違って、事前には全く予想されていなかったメダルもある。世界的には陸上100m決勝のイタリアのヤコブスなどもそうだろう。(NHKの中継放送では何故かずっとジェイコブスと発音してたけど。)日本ではフェンシング男子エペ団体(金メダル)など、競技そのものを知らなかった。そんな中でも女子バスケットボール銀メダルはかつてない快挙だろうと思う。もっとも僕はバスケは特に関心もなくて、今回も特に熱心に見ていたわけでもない。ベスト8になって準々決勝のベルギー戦は夕方からだったから少し見たけど、リードされてたから負けなんだろうと思って最後は見なかった。そうしたら修了16秒前に町田瑠唯選手のスリーポイントシュートが決まって、86対85の1点差で日本が逆転勝利。
(日本の女子バスケチーム)
 その町田瑠唯選手を検索すると「かわいい」が出て来るのである。女子サッカーの岩渕真奈選手と似ているという話題もあった。そういう話がネットで話題だったけれど、町田選手は準決勝のフランス戦でオリンピック1試合個人アシスト新記録の18アシストを記録した。そのフランス戦は見ていたんだけど、バスケで日本が決勝に進出する日があるんだと思ってしまった。決勝のアメリカ戦は負けたとはいえ、「90対75」は大善戦ではないだろうか。町田選手は身長が162㎝と出ている。バスケ選手として世界で活躍するには異例に低いんだろう。それでも町田選手は今大会の「オールスター・ファイブ」に選出されている。

 今回の女子バスケチームでは、馬瓜(まうり)エブリンオコエ桃仁花(モニカ)のような外国系日本選手も活躍した。まさにこれからの日本を象徴するようなチームだ。小柄であっても動きで相手に勝り、スリーポイントシュートで得点を重ねる。米中のような超大国の間で生きていくしかない日本にとって、単にスポーツに止まらないロールモデルのような気もしてくる。そのぐらいの快挙だと思う。

 今回はベラルーシチマノウスカヤ選手(陸上競技)の亡命問題もあった。また柔道のイラン選手がイスラエル選手との対戦を忌避して棄権したケースもあった。2019年の柔道世界選手権でイスラエル選手との対戦を拒まなかったサイード・モラエイ選手は、その後イランを離れて東京五輪にはモンゴル国籍で参加した。決勝まで進出し、日本の永瀬貴規に敗れて銀メダルだった。いろいろな問題があるがこのぐらいで。
(チマノウスカヤ選手)(永瀬選手とモラエイ選手)
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