尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

死刑をなくそう市民会議設立集会

2019年08月31日 22時43分20秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「死刑をなくそう市民会議」という会が出来て、その設立集会が開催された。(明治大学リバティホール)「死刑廃止」というのは、今でもなんとかしたいと思っている残された数少ないテーマだ。(他はずいぶん諦めてしまった。)だから時々は集会にも行きたいと思ってる。今度は新しい動きだし、リバティホールは行きやすいから出かけてきた。カメラを持って行くつもりが、めんどくさいからスマホで撮ればいいやと思って、今度はスマホも忘れてしまった。年に数回はやってしまう。そこで写真を検索したら、載ってたので借りることにする。よく見ると自分も写っているではないか。

 開会の辞が民主党政権時代に第88代法務大臣を務めた平岡秀夫氏。その後、前日弁連会長中本和洋氏による講演「私と死刑問題」。日弁連(日本弁護士連合会)は「2020年までの死刑廃止」を決議している。しかし直近の参議院選挙でも、死刑廃止を主張する政党など全然ないんだから、もう無理に決まってる。(もともと無理な目標だ。)日弁連の中でも様々な議論があったというが、「人権」を掲げる弁護士には通じても、日本では「死刑廃止」はなかなか浸透しないテーマである。

 続くシンポジウムでは、毎日新聞記者の長野宏美氏(元プロテニス選手)のアメリカの事例紹介が興味深かった。アメリカでは19州が死刑を廃止し、4州が死刑執行のモラトリアム宣言(執行停止)を行っている。(2016年に死刑を執行したのは5州だけ。)しかし、死刑制度をめぐっても共和党が賛成、民主党が反対と党派による分断が際立っている。会場で配布された日弁連の資料には、世界の状況が載っている。2016年12月現在、法律上の廃止国は111国事実上の廃止国は30国(法律上は残っているが、10年以上執行のない国のこと)、存置国は57国である。国際的な状況はもうはっきりしている。

 この問題で必ず語られるのが「被害者感情」である。シンポジウムには今回、片山徒有(ただあり)氏が参加していた。1997年に8歳の次男がダンプカーにひかれて亡くなった「犯罪被害者」である。その後、被害者が刑事裁判の情報を得られない仕組みに関して問題提起を続け、制度が変わるきっかけとなった。被害者として刑事裁判を考える中で、死刑制度への問題意識も持つようになったらしい。深い発言が多かったが、声が小さくて僕には判らないところも多かった。またカトリックとして「死刑を止めよう宗教者ネットワーク」の柳川朋毅氏が加わり、司会を弁護士の船澤弘行氏。

 休憩後に神田香織氏の講談をはさみ、中山千夏さんや玉光順正(元東本願寺教学部長)、金山明生(明治大名誉教授)両氏による「鼎談」が行われた。そこで中山千夏が述べたが、80年に参議院に当選以後ずっと死刑廃止を言ってるが、ずっと同じ議論をしてる。全くその通りで、国家による殺人冤罪誤判被害者感情という問題をめぐって論じている。通じる人にはすぐ通じるが、通じない人には全然届かない。もちろん国も全然情報を広く知らせる考えはないから、皆が世界情勢を知らないままである。

 国民の多くは、何となく死刑は当然あると思っている。「人を殺したら死刑でしょ」なんて言って終わりにする人が結構いる。しかし、「人を殺してもほとんどの場合は死刑にならない」ことを知っているのかどうか。「平成最後」とか「令和初」とか、けっこう若い人でも浮かれてようだから、結局日本人は「国家」を相対化出来ずに生きているんだろうか。オウム真理教事件や「北朝鮮問題」、小泉内閣の「構造改革」などを通して、国家依存、過罰感情の社会になってしまった感じだ。

 性的少数派への問題意識はここ数年で大きく変わったように思う。だから、僕は死刑制度に関しても世の人の認識が大きく変わる瞬間もあるだろうと思う。中国やイランの死刑制度廃止はものすごく難しいだろうが、世界のほとんどが死刑を廃止する時代に日本だけが毎年執行を続けるおかしさが永遠に続くとは思えない。だが、そのための道筋が僕にはまだよく判らない。国会議員の状況は帰って悪くなってしまっている。国会でもう少し議論出来るようにするのも緊急の課題だろう。でも「集票」にマイナスと思うのか、声を挙げる人が少ない。そんな状況が変わらないといけないんだけど。
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強烈な迫力、イタリア映画「ドッグマン」

2019年08月30日 22時25分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 イタリア映画、マッテオ・ガローネ監督の「ドッグマン」が公開された。2018年のカンヌ映画祭で主演男優賞を得た作品。イタリア最高の映画賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で作品、監督など9部門で受賞した。そんな傑作なんだけど、小さな公開だから、見る以前にやってることを知らない人が多いだろう。そして実際、多くの人にオススメできないほどのド迫力の大傑作だった。この映画を見て、気分が良くなるとか、人生が楽しくなるなんていう人は皆無だろう。だからこそアートの力が発揮されるのだ。

 「ドッグマン」というのは、犬を愛するマルチェロの店の名前。海辺の寂れた町の寂れきった一角にある。トリミングとか犬のホテルとか、まあ犬に関する様々なことをやってる。トリミングのコンテストに出て受賞したりしている。離婚した妻と娘がいて、娘は応援に来ている。近くの住民と食事したりサッカーしたり。まあそれなりに生きている善人のような感じである。だが、この地域には「困り者」のシモーネがいる。とにかく乱暴者で手が付けられない。ゲーセンで負けてゲーム機を壊したりする。警察を呼ばないのかと思うが、多分「微罪」で通報しては「お礼参り」に来るから、誰も関わりたくないんだと思う。
(シモーネとマルチェロ)
 シモーネはマルチェロを「友だち」と呼んで、暴力的に支配している。シモーネの犯罪にもムリヤリ運転手をさせる。うるさい犬は冷凍庫に入れたとシモーネが自慢気にしゃべると、マルチェロは後で一人で犬を探しに行く。このように、「ドッグマン」というけど、犬を愛する男の話というより、「パシリ」として生きてきた男に関する「暴力」の考察だ。そしてその「支配」の状況があまりにも強烈なので、見てる方も肉体的な苦痛を感じるぐらい。こういうケースは、現実にも小説などでも見られるが、ここまで粗暴なのは珍しいかもしれない。だけど、家庭内でも会社でも似たようなことはある。
(主演のマルチェロ・フォンテ)
 主演のマルチェロ・フォンテ(1978~)は、監督経験もある俳優だというが、端役が多かった程度の役者のようだ。元囚人の社会復帰の劇団にいて注目された。この映画で一躍大成功して、カンヌ映画祭やヨーロッパ映画賞などで主演男優賞を得た。監督は「非常に心優しい男が、自分が犯した小さな過ちの繰り返しで、暴力のメカニズムから逃れられなくなり、がんじがらめになってしまうところを描きたかった。彼が人間性に溢れていればいるほど、暴力に囚われてしまった激しさというのが見えてくるのではないかということで、それを体現したのが彼でしたね。」と語っている。

 マルチェロはシモーネに比べると、肉体的にも精神的にも弱くいかにも支配されそうな感じ。だが決してそれだけの男ではなかった。昔の日本映画では、このように卑小でこすっからい男はよく描かれていた。戦時中や戦後の日本には多かったのである。あるときは善人だが、時によってはずるさをむき出しにする。後半の展開は書かないが、いくら何でもという経過をたどって破滅が訪れる。実話を基にした犯罪映画だというが、日本で近年作られた実話を基にした「冷たい熱帯魚」や「凶悪」を思い起こさせる。でも肉体的にぶつかる度合いはこの映画が一番か。

 マッテオ・ガローネ(1968~)は、日本では知名度が低いがイタリアでは巨匠である。「ゴモラ」(2008)と「リアリティ」(2012)で、カンヌ映画祭グランプリを獲得している。(「リアリティ」は映画祭のみ上映で正式公開なし。)「ゴモラ」はナポリを支配する暴力組織カモッラの実態を厳しく描き出した勇気ある作品だった。他に古典ファンタジー物語の「五日物語」(2015)も監督している。舞台になったのは、ナポリから40キロほどの村でヴィラッジョ・コッポラという村。実に廃墟的なムードに満ちた魅力がある。
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暴かれたトリック、関東大震災時の朝鮮人虐殺「否定」のやり口

2019年08月28日 22時44分29秒 |  〃 (歴史・地理)
 9月1日の「関東大震災」の日が近づいてきた。加藤直樹氏の『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(2019.6、ころから、1600円)を読んだ。「ころから」は出版社の名前。加藤直樹氏は、大震災時の虐殺現場を訪ね歩いた『九月、東京の路上で』の著者である。劇団燐光群の坂手洋二氏によって舞台化され、見た感想を書いた。

 「なかったことにしたい人」と言っても、外地で起こった戦時中の出来事と違い、首都のど真ん中で白昼公然と起こったことである。普通は誰も否定など出来ないと考える。実際「諸説ある」わけではない。歴史学界では相手にされていないトリック本の工藤美代子関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』(2009、産経新聞出版)と、その文庫化とされる加藤康男関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック、2014)があるだけである。文庫化で著者名が変わるのはおかしいが、この両人は夫婦である。後者の本には少し加筆があるらしいが、内容的にはほぼ同じだという。

 「なかった」本は、この「夫婦で一冊」みたいな本しかない。だが、それだけで「諸説ある」とみなす政治家がいる。そして「政治的中立」と称して、真実から目を背ける人もいる。著者はブログ等で今までも批判してきたが、今度書籍化することにした。今まで工藤夫妻の本が存在することが政治的に利用されてきたからである。だから、その本のトリックはこうですよと指摘する本が必要なのである。この本は、朝鮮人虐殺事件の全体像を示す本ではない。「虐殺があった」ことを証明する本でもない。それは政治的立場を超えた「常識」である。どうすれば「虐殺はなかった」などと言えるかの「トリック究明本」である。

 僕は「なかった」本は読んでない。さすがに金と時間のムダだと思い、買わなかった。加藤氏「トリック」は、すべての引用を元の本にあたり、さらに元の史料集に載っていない原典にも当たっている。すごく根気の要る作業だが、誰かがやるべき作業を公刊した加藤氏の苦心のほどがうかがわれる。僕はこの本を読んで、今さら「虐殺はなかった」なんて本を書くとは、それなりの「知能犯」かと思っていたが、とんでもない「粗暴犯」だったのに驚いた。もちろん言論の世界ではあるから、「粗暴犯」というのはおかしいけれど、その手口の悪質さのレベルがすごい。

 この本で判るのは、「なかった本」の著者が「虐殺がなかった」と自分では思い込んでいるのではなく、本当は虐殺があったことを知っているということだ。何でそう判断出来るかというと、自分に都合のいいように史料を改ざんしているからである。都合が悪い部分を「略」と書かずに、ひっそりと消して引用する。元の史料に当たる人は少ないだろうから、そんなものかと思ってしまう。あるいは、当時の地方新聞に掲載された「デマ記事」を「証拠」とする。しかし、引用元の資料集には、それは震災当時の混乱の中で書かれた間違い記事で、後に当局の調査で間違いと判ったという説明がある。

 そういう資料集を引用してるのだから、およそマトモな読解力があれば「震災に伴う朝鮮人暴動など存在しなかった」ことは理解できるはず。知っていて書いていると判断出来る。例えてみれば、冤罪事件資料集に「自白調書」が掲載され、その後新鑑定で「自白」が否定され再審で無罪になったとする。その資料集から「自白調書」だけを「引用」して有罪と書くようなものである。

 この問題の研究のベースとなった「現代史資料」の第6巻「関東大震災と朝鮮人」(みすず書房、1965)という資料集がある。(この問題だけじゃなく、現代史の様々なテーマに関する膨大な資料集である。)夫妻の本もそこから引用して「謝辞」まで書かれているというから、ブラックユーモアの世界である。しかも、編者である姜徳相、琴秉洞両氏の名前は隠され、「みすず書房」としか書かれてないという。

 夫妻の「なかった」本は、要するに「本当に朝鮮人による暴動があった」「だから日本人の正当防衛である」という荒唐無稽な主張らしい。しかし、争いがあったという証言は一つもなく、自警団による一方的な暴力の犠牲者ばかりだ。それより何より、暴動があったら軍や警察の出番であって、住民が勝手に殺したら虐殺でしょうが。歴史を知らないから、そんな愚説を言える。朝鮮人労働者は集住していなかった。大地震がいつ起こるかは誰も判らないから準備することが出来ない。学生などで「独立運動」傾向のある朝鮮人は警察の厳しい監視が付いていた。そういう警察の動向は文書で残されていて、今では公刊されている。映画になった「金子文子と朴烈」のグループも監視されていて、震災後に「保護」された。

 笑うに笑えない本だが、この問題だけでなく「フェイク言説」の作られ方の本として大切だと思う。自分で買うのもいいけど、朝日新聞の書評にも載ったので地元の図書館でリクエストして読んでみるのがいい。すぐに読み終わるし、難しいところもない。ただ、こんなヒドイ手口で本を書く人がいるんだとビックリすること請け合い。
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西日本の最高峰、石鎚山ー日本の山⑧

2019年08月27日 22時19分26秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 毎月の終わり頃に書いている「山シリーズ」。今まで東日本の山ばかりだったので、これから少し西日本の山を書いていきたい。近畿地方以西の最高峰を見てみると、近畿は大峰山(1915m)、中国は大山(1709m)、九州は屋久島の宮之浦岳(1936m)だから、四国・愛媛県の石鎚山1982m)が一番高い。四国から百名山にもう一つ選ばれている徳島県の剣山(1955m)が西日本の第2位になる。
(石鎚山=いしづちやま))
 僕は人生で四国に行ったのはたった2回だけ。何日もまとめて休みを取れるのは夏休みだけだったから、暑い西日本は避けて北海道や東北に行きたいのである。でも、それでは九州や四国の山に登れない。温泉にも入れない。というか、日本史を考えるときに九州や四国にも行ってないとマズイかなあと思って、21世紀の初め頃に九州や四国にも行ったわけである。で、もうものすごく暑かった。もう夏に行くのは勘弁という感じだった。(四国に行ったもう一回は、若い頃に徳島ラジオ商殺人事件の再審開始決定の日に立ち会いたいと思って徳島まで行ったことがある。)  
(石鎚山テレカ)
 四国へは自家用車で行った。ひたすら西へ向かうわけだから、午後になると西日を浴びて走る。そこまで考えてなかったな。一日じゃいけないから、初日は有馬温泉、二日目は琴平に泊まった。有馬はそんなに観光してないけど、瀬戸大橋を通って四国へ入ると屋島のあたりで讃岐うどん。その後、栗林公園とかと予定を立てていたけど、いや暑いからやめよう。金刀比羅宮(こんぴらさん)は延々と階段を上ったけど、正直もう熱中症みたいな感じだった。3日目に愛媛県に入り、まずは国民宿舎石鎚へ。
(国民宿舎石鎚)
 登山前日にどこに泊まるか。石鎚山にはロープウェイもあるけど、ロープウェイの山頂駅は1280m。国民宿舎石鎚1492mだから登り口が200mも違う。それに車で行くなら、止めておいて自由な時間に出発して帰ってこられる。この地域はよく知らないから、絶対楽な方がいいと思って、国民宿舎を予約したわけだ。宿はまあ普通だと思うけど、これは正解だった。登山コースが楽なのである。石鎚山には4方向からの登山ルートがあるが、今はロープウェイからの成就社コース、国民宿舎からの土小屋コースが多いようだ。他にも面河渓(おもごけい)コースなどもある。

 土小屋コースの細かいことは、もう全然覚えてない。それはつまりはほぼコースタイム通りに登れたということだ。尾根筋を歩くコースで、割合楽と書いてあるが、多分そんなことだったんだろう。コースタイム2時間ほどで二ノ鎖小屋につくことになっている。まあ、そんな感じで登ったと思う。そして、石鎚で有名な「鎖場」(くさりば)になる。石鎚は修験の山で、今でも信仰で登っている人が多い。そういう人は成就コースで登っている。「一の鎖」はそっちにしかない。しかし、土小屋コースでは「二の鎖」から、どのコースでも「三の鎖」が立ちふさがる。これが難所であり、修行なのである。
(三の鎖)
 「二の鎖」は65メートル、「三の鎖」は67メートルもある。これじゃスポーツクライミングかという感じ。鎖場というのは、時々山にあって「三点支持」で登ってゆく。決してぶら下がって登るものじゃない。出来ないことはないと思うけど、石鎚山の鎖場は長すぎて怖い。どうしたらいいかと言うと、実は「巻き道」(迂回路)が付いてるのである。何だという感じ。別に修行じゃないんだし、四国旅行も始まったばかりでケガするのは嫌だから、まあ巻き道を行くかという感じで登頂したのだった。写真の鎖はやはり怖いよね。

 山頂は見晴らし抜群と書いてあるが、確か曇っていた。周囲の山々は見えていたが。大江健三郎の小説を読むと、四国の森の奥深さを印象的に書いている。この後、道後温泉に二泊し、続いて大江の生まれた内子のあたりを通り、徳島へ向かった。愛媛県や徳島県の山道を通っていると、その山深さに驚いた。国道なのにすれ違いが出来ない箇所があるんだからビックリ。道後温泉は素晴らしかったが、本当に暑くて松山城を飛ばした。高知県もちゃんと行ってない。まだまだ四国は行きたいところがいっぱいある。そのうちまた行きたいものだ。
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「対抗措置」だった対韓輸出規制

2019年08月26日 22時31分52秒 | 政治
 日本政府は韓国に対して、半導体材料の輸出管理を強化する措置を決めている。8月2日に閣議決定を行い、8月28日から発効するということになる。これは、貿易管理上の優遇措置を受けられる「ホワイト国」のリストから、韓国を除外する政令改正だが、もともとは昨年来の「徴用工判決」への「対抗措置」である。そんなことは誰でも判っているのに、日本政府がそうじゃないと言い始めて、マスコミの中にも手のひらを返すように「対抗措置じゃないのに、韓国は間違って反発している」などと言う人がいる。どうなってるんだろうか。たった1,2ヶ月前のことなのに、もう忘れているのだろうか。
(7月1日読売新聞朝刊、1面左トップ)
 この政府方針を最初に報じたのは、7月1日の読売新聞朝刊である。もう忘れている人が多いだろうが、この日付には意味がある。G20大阪サミットが、6月28日(金)、29日(土)だった。日本政府は韓国のムン・ジェイン政権に対して、「徴用工問題への具体的解決策」をG20サミットまでに出すように求めていた。それに対して、韓国側は答えずに、結局は首脳会談も開かれなかった。

 参院選の公示は7月4日(木)である。G20サミットと参院選の間を狙って「対抗策」を出したのである。朝刊で報じているのは読売だけ。それまでの報道をチェックしてないけど、読売しか載せてないから特ダネなのかもしれない。本来なら一面トップなんだろうが、あいにく韓国を訪問したトランプが板門店でキム・ジョンウンと会うという大ニュースがトップになってしまった。それでも記事を見て貰えば判るけど、「徴用工問題に『対抗措置』」と大きく見出しを付けている。本文の中でも「韓国人元徴用工訴訟を巡る問題で解決に向けた対応を見せない韓国への事実上の対抗措置となる」とはっきりと書いている。

 夕刊でも同様に「事実上の対抗措置となる」と書いている。他紙は夕刊で報じたが、同じように「対抗措置」としている。夕刊のない産経新聞は、2日朝刊で大きく「事実上の対抗措置」と報じ、社説でも「不当許さぬ国家の意思だ」といち早く安倍政権にエールを送っている。朝日はそれに対し、3日の社説で「『報復』を即時撤回せよ」と逆の立場から論じている。しかし、どっちにせよ、朝日も産経も「対抗措置」であることは自明の前提としている。なお、一番早く書いてもおかしくない読売は、6日になって「文政権は信頼に足る行動を取れ」という社説を載せている。

 この規制強化に関しては、まあ今までよりは面倒くさいだろうけど、優遇措置をなくすだけで「韓国は騒ぎすぎ」みたいなことを言う人がいる。しかし、なぜ韓国が大きく反発するかは、読売新聞の最初の記事を見ると判る。一番大きい見出しは「韓国へ半導体材料禁輸」なのである。本文を見ると、「日本政府は基本的に輸出を許可しない方針で、事実上の禁輸措置となる」とまで書き飛ばしているのだ。この第一報が韓国に伝わったわけだから、他紙を読んでいると判らないけど、韓国側は「禁輸措置」と受け取ったのは間違いないだろう。他のマスコミはそんな報道はしていないと言うのに。

 軍事製品でもないものを「自由貿易」を国家の方針とする日本が禁輸出来るはずがない。なぜこのような「出来ないこと」を読売は書いたんだろう。読売が安倍政権に近いことは周知のことだから、ここでは政権側が「ホントだったらやりたかったこと」をブラフ(脅し)として読売に書かせたのか。とにかく今後は「一件ごとに輸出許可を取る」わけだから、やる気になれば「できるだけ許可を引き延ばして嫌がらせをする」道が開かれた。韓国側がそう受け取っても当然ではないか。

 このように誰もが「対抗措置」と判っていたことが、いつの間にか「対抗措置ではない」ということになっていった。そのプロセスはきちんと調べてないけれど、もともと輸出関連の政令改正だから、世耕経産相が表に出てきて「対抗措置ではない」と発言するようになってゆく。それ以前は菅官房長官も「G20首脳会談までに解決策を示さなかった」ことを政令改正の理由に挙げていたのだが。これは多分、貿易と関係ない問題でルールを変更することはWTO(世界貿易機関)で批判されると踏んだのではないか。

 2019年に4月に、WTOで韓国の日本産水産物に対する禁輸措置が認められた。一審にあたる小委員会では日本側の主張が認められていたが、二審にあたる上級委員会では逆転したのである。日本政府では、この時の「敗訴」が「トラウマ」となっているらしい。その問題を検討した結果、自国の「安全保障」を理由にすれば、WTOで認められやすいと判断したのではないかと思う。そこで「対抗措置」と言わずに、「安全保障上の問題」と言うように統一したんだと僕は考えている。

 その「安保上の問題」ということが「GSOMIA破棄」につながったわけである。しかし、僕が言いたいのはそのことではない。当時のニュースを録画しているわけではないけれど、新聞各紙が皆「対抗措置」と書いてるんだから、テレビニュースでも「事実上の対抗措置に当たるものです」などと解説していたはずだ。ところが、たった一ヶ月ほど前のことなのに、それを忘れたかのように、輸出規制強化は対抗措置なんかじゃないんですよなどと語る人がいるのである。(僕はちゃんとテレビで見た。)これはいくら何でもひどいんじゃないだろうか。自分で言ってたこと、書いてたことをこんな簡単に言い換えて平然としているとは。先月の新聞なんだから、地元の図書館に行けばすぐに確かめられることだ。
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韓国大法院「徴用工判決」に関する確認

2019年08月25日 22時17分28秒 |  〃  (国際問題)
 日韓の対立問題を書くと、触れられなかったことが多いから追加を書きたくなる。一回書いちゃったので、何回か書き足したいと思う。最初に、簡単に書けるから、「徴用工判決」をめぐる問題。これは昨年書いたので、「確認」になる。しかし、きちんと理解するのは大変だから、無理解な言動も多いような気がする。以下に示す記事を全部読んで貰うのも大変だから、簡潔に問題点を示しておきたい。

日韓それぞれの「国家の体」-徴用工判決考①
日本側の立場-徴用工判決考②
韓国大法院(多数意見)の論理-徴用工判決考③
「徴用工」とはどんな人々か-徴用工判決考④
「植民支配責任」をどう考えるか-徴用工判決考⑤
 (新日鐵住金(当時)本社に向かう原告弁護士ら)
 韓国の原告が戦争中に働いていたのは、「日本製鐵株式會社」だった。これは官営八幡製鉄所から続く半官半民の会社である。戦後に八幡製鉄と富士製鉄に分離され、1970年に新日本製鐵(新日鉄)となった。2012年に住友金属工業を合併し「新日鐵住金」となり、これが判決当時の会社名。2019年4月1日から、社名変更して「日本製鉄」(今まで「鐵」と旧字体だったが、今回は「鉄」)となった。70年以上経って、元の名前に戻ったわけだ。しかし、ホームページを見てもNIPPON STEELと書いていることが多い。

 会社名はともかく、この訴訟は私人どうしの民事訴訟である。日本国が被告になった場合はもちろん、請求権協定で「不払い賃金」も解決済みになっている。それは法解釈上間違いないと思うが、原告は国家賠償や不払い賃金を求めているのではない。何を求めているかと言えば、「戦時強制動員に対する慰謝料」である。それに対して、恐らく安倍政権は「戦時強制動員」という認識そのもに同意しないだろう。そのような「慰謝料請求権」があるかどうかは、請求権協定上は決定できないと思われる。

 日本の法体系では、多分認められないだろうと思う。しかし、三・一運動と臨時政府を憲法の淵源として認めている韓国憲法の下では、この慰謝料請求権は認められるのである。三権分立である以上、韓国政府は最高裁判決に干渉できない。だから、この問題の法的解決は難しいだろう。ただ法的な正しさを論じる前に、現実に戦争中に大変な目にあって、賃金も不払いになったままの元労働者がいるのである。裁判で勝利した弁護団が日本を訪れたときに、会社側は何の対応もせずに「解決済み」の一言で警備員が応対しただけ。そんなことでいいんだろうか。

 それが人間的に許されることだとは思えない。こういう対応を続けているのは何故だろうか。日本国内では安倍長期政権が続き、その意向に従うしかないのだろうか。だが「法的」な次元を超えて、「人間的」な発想をすることが何故出来ないのか。歴史を直視して、他民族の若者を戦時下に労働させていたことを、今になっても何の反省もしないままで、今後の日本企業に未来があるのだろうか。ただし、他にも裁判を起こしていない元労働者も多いだろうし、単に裁判で決まったとおりにすればいいんだとは言えないと思う。そこで立ち止まらず、「知恵を絞る」ことが必要だ。
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「表現の不自由展」、再開に向けて考えること

2019年08月23日 22時59分05秒 | 社会(世の中の出来事)
 8月22日夜に開かれた「緊急シンポジウム『表現の不自由展・その後』中止問題を考える」(文京区民センター)に参加したので、その報告。このシンポは事前にマスコミで告知されたこともあり、非常に多くの参加者があった。何度も来た会場だけど、今まで僕が参加した集会では机があって椅子を置いていた。今回は机をなくして椅子だけを目一杯入れる状況。実際に出品していた作家等の報告が充実していて、大変面白い集会だった。一人ぐらい知人がいるかと思ったけど、誰にも会わなかったな。なお、「あいちトリエンナーレ」の、「表現の不自由展・その後」が開催直後に中止された問題に関しては、『あいちトリエンナーレ、「少女像」問題を考える』(2019.8.3)を書いた。
(会場のようす、画像検索で探した写真)
 雑誌「創」が開催の中心で、そのホームページで予約を募っていた。第1部の「何が展示され何が起きたのか」は、作家自らの発言は非常に貴重だった。パワーポイントで作品を紹介しながら説明し、今は見ることが出来なくなった展示を想像できた。第2部のシンポジウムは、司会進行が篠田博之(「創」編集長)と綿井健陽、参加者は金平茂紀鈴木邦男森達也香山リカなど。参加メンバーは「いかにも」的な感じだが、第1部が延びたため実質的討議の時間は取れなかった。

 最初に語ったのは、写真家の安世鴻(アン・セホン)氏。中国に残った朝鮮人慰安婦の写真展を撮り続けている。かつてニコンサロンで開催予定の写真展が中止になり、裁判で勝訴して写真展開催にこぎ着けたことがあった。(僕もその写真展は見ている。)安氏の指摘したことで重要なのは「見たい人の権利も犯された」ということだ。今回攻撃の対象とされた昭和天皇の映像をめぐる問題では、実際の作者である大浦信行氏が自ら登壇した。部分的に切り取られて問題視されるが、20分間ある映像を全部見てもらえば単なる天皇批判の作品ではないことが判ると述べていた。後で別の人が指摘したことだが、以前から問題扱いされたことがあるが、80年代には作品の写真が新聞記事に載っていたが現在ではどこも掲載しないという。「平成」なる時代は、ひたすら自由が奪われてゆく過程だったのだ。

 他にも美術家の中垣克久氏の発言が重要だった。芸術監督や実行委員会との関わりも含めて、議論があえて足りない中で開催されたのではないか。展示も一貫したものがなく、説明も少ない。ただ並べただけみたいな感じだったのではという。「少女像」は「ファインアート」(芸術的価値を専らにする作品、純粋芸術)ではなく、だから悪いわけではないが、他の作品と雑多に並べられるのはおかしかったのではとも語った。「少女像」が「大衆芸術」的なものであることは、僕もアート論で書いたけれど考えさせられる視点だ。他に「マネキンフラッシュモブ」の朝倉優子氏、「九条俳句」市民応援団武内暁氏の発言なども非常に面白く考えさせられた。知らないことは多い。

 先に書いた記事では、「「あいちトリエンナーレ」の他の参加者がどのように反応するのか」と書いたが、案の定この問題に反発して自分の作品出品を取り下げる作家が何人も出てきた。ある作品を権力が排除するならば、逆に排除されなかった作品は「権力のお墨付き」になってしまう。厳しい環境の中で製作してきた作家の中には、非常に傷つけられたと感じる人が出てくるのは当然だろう。自分の作品ではないけれど、芸術家の感性を持つならば同じように傷つくはずだと思う。

 また先に「まだ会期は2ヶ月以上あるから、もう少し冷静になれる場があれば」とも書いた。この時点では実情がよく判らない時点だったので、「冷静になれる場」としか書かなかったが、「冷静」になれたならば「再開の余地」を探らないといけない。このままでは「右派ポピュリスト政治家」や「政権」の意向を振り回せば、「脅迫によって中止に追い込んだ成功例」を残してしまう。

 今まではいろんな攻撃が行われてきたが、今回は菅官房長官発言が「事実上の後押し」をした。本人は中止の決断には影響していないとしているが、誰もが安倍政権はやっぱり「あっち側」だと感じた。これが脅迫の追い風になったのは間違いない。それはこの時に、どこかでテロ事件が起きたときと同様に、官房長官が「脅迫に屈してはならない」と発言していたらと考えれば判るだろう。本来はそのように語るべきだったのである。今回何も変わらなかったら、以後日本中で「権力側が政治的に中立ではないと決めつける」展覧会(あるいは集会など)は開けないケースが頻発するに違いない。

 表現の自由、言論の自由で重要なのは、自分が同調できない表現こそ守らなければならないということだ。自分は賛成しないけれど、その表現の自由は尊重しなくてはならないということだ。音楽を聴かない人、映画を見ない人、小説やマンガを読まない人…そんな人はいないだろう。だから、本来はこの問題はあらゆる人の問題だ。しかし香港は語っても、この問題は語らない人がいる。最初から期待もしていないけれど、野党の反応も鈍すぎる。こうやって自由な空間が奪われてゆくのだろうというケーススタディみたいな状況になってしまった。こうやって書いておくことも大事だろうと思っている。
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新海誠監督の新作「天気の子」

2019年08月21日 20時21分38秒 | 映画 (新作日本映画)
 2016年に公開された「君の名は。」がメガヒットとなって社会現象化してから早くも3年。新海誠監督の新作「天気の子」が7月19日に公開された。公開直後から3週連続で興行収入トップを記録したが、その後「劇場版 ONE PIECE STAMPEDE」や「ライオン・キング」に後れを取っている。まあ大ヒットは大ヒットで、興収100億を軽く突破しそうだが、前作ほどの「社会現象」とまでは言えない。前作以後で、すごく大きく盛り上がったのは「ボヘミアン・ラプソディ」だろう。どっちも「驚き」がヒットを加速させたけど、今では新海アニメが素晴らしいというのは、「驚き」というより「確認」の対象なのかもしれない。

 「天気の子」の映像は相変わらず美しい。見応えがある。そういう意味では満足できると思うが、問題は作品世界の設定。ここではその問題を中心に書いておきたい。僕がまず思い出したのは、ガルシア=マルケス「百年の孤独」と中村文則「」だった。後者は2018年に武正晴監督、村上虹郎、広瀬アリスで映画化されたが、いくら何でも暗すぎるかなと思って、ここでは紹介しなかった。この二つの小説をどうして思い出したのかは、作品内容に関わるから書かない。でも、監督は武正晴だったなと思い出し、「正しく晴れる」っていう名前かあと感じた。

 公開された頃は、まだ関東が梅雨明けしてなくて、今年はおかしいと皆が言っていた。7月末に明けると、今度は極めつけの猛暑となって、これじゃ来年の五輪はどうなるんだという話を皆がしている。何にしても、日本人が会うたびに話しているのは、参院選とか世界情勢なんかじゃなくて、「今年は異常気象だ」という話ばかり。そんなところへ「天気の子」。作品世界では雨が降り続き、8月に雪が降る。そこへ登場するのが「100%の晴れ女」。うーん、この発想に共感するとともに、あまりにも現実にはまりすぎたかという感じもしてしまう。それに猛暑の東京には「雨女」が欲しかったかも。

 今までの新海作品では「天と地を貫くもの」が描かれてきた。それは巨大な塔だったり、ロケットの打ち上げだったり、あるいは彗星の落下だったりもした、しかし今回の「雨雲から差し込む太陽の光」は、最も壮大で美しいと思う。今回のような「天気雨」みたいな光景は「デジャヴ感」がある。人為的に操作する能力だって、ありそうな気もしてくる。光と雨に彩られた東京の風景は、いつにもまして美しい。よく出てくる新宿周辺ドコモタワーに加えて、池袋周辺新国立競技場周辺も出てくる。また田端駅南口が印象的に使われる。100年前に芥川龍之介が住んでいたあたりだ。

 「天気の子」は家出少年が「真のテーマ」に巡り会うまでがかなり長い。主人公の追い詰められた描写を面白く見てたら、それがテーマじゃなかった。多くの大衆芸術では「時間との戦い」が課せられることが多い。「君の名は。」もそうだったし、ミステリーでもラブコメでも「何かの期限」に向かって主人公が疾走する姿が描かれる。でも今回は、時間的リミットがない。まあ考え方によってはあるとも言えるが、それは弱い。肝心の「気候変動」については、「地球はもともと狂ってる」のであって、人間にはもう防げない。映画のラストでは東京は大きな災厄に見舞われる。雨はもう何年も降り止まない。

 こんな「問題作」は珍しい。前作では多くの若者が手をつないで「大災厄」を防ごうとした。ファンタジー物語では、「ファンタジー界」でのヒロインの自己犠牲が世界を救うことが多い。物語の外にある「現実界」では、そのことによって初めてヒロインが日常生活にカムバック出来るのだ。しかし、今回は「ファンタジー界」での自己犠牲によって世界を救うことが出来ない。もう世界はずっと雨降りで、止められない。主人公たちは日常に回帰する以外にない。壮大で美しい映像の傑作アニメだが、その世界観にはペシミズムを感じてしまう。「気候変動」を正面から描いた問題作と言うわけである。

 RADWIMPSの音楽は、前作以上に力強い。見てない人の楽しみを奪うことになるから、具体的なストーリーはほとんど書かないことにしたい。。ただ、主人公の名前は「森嶋帆高」というのである。やはり「今年の名前」は「ほだか」になるかなと思った。もっとも漢字表記はラストまで判らないけど。なお、映画内で前作とのつながりが様々に暗示されているということだが、僕は関心がないし判らない。「世界破滅」ものは、多くは核戦争とか砂漠化のケースが多い。「マッドマックス」シリーズなど典型。しかし、日本では「日本沈没」は地殻変動によるものだが、やはり「水没」がテーマ。日本では破滅イメージは「水の過剰」なんだろうかと思った。アニメやファンタジーものの好き嫌いと別に、見ておくべき作品だ。
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フランス映画の傑作「田園の守り人たち」

2019年08月20日 22時14分53秒 |  〃  (新作外国映画)
 岩波ホールで23日まで上映中のフランス映画「田園の守り人たち」(2017)は、静かな傑作だった。135分もあるし、猛暑の中で見に行っても涼しくて気持ちよくなって寝ちゃうんじゃないかと心配だった。でも全然退屈なシーンがなく、画面に見入ってしまった。もっとも映画の前半は、小麦の農作業をじっくりたっぷり見るだけ。だがそれが面白い。時代は第一世界大戦中で、男たちは戦争に取られている。残された女性たちが農業を必死で支えている。まだ機械化されてなく、すべて昔風に人力でやってる。まるでミレーの絵画を見るような画面が素晴らしい。そんな苦労をきめ細かく描いていく。

 主人公オルタンスは農園の未亡人で、二人の息子は戦場にいる。娘のソランジュの夫も従軍中で、農園は母娘で支えているのである。オルタンスを演じるのは名優のナタリー・バイ。1948年生まれだが、実際に農作業を実演している。ナタリー・バイはセザール賞の主演、助演女優賞を各2回ずつ計4回受賞した名優。トリュフォーの「緑色の部屋」の主演女優で、僕は来日したときにトークを聞きに行ったことがある。大歌手のジョニー・アリディとの間に娘がいて、そのローラ・スメットがソランジュを演じている。初めての母娘共演だというが、見事なアンサンブルに見応えがあった。
(右がナタリー・バイ、左がイリス・ブリー)
 しかし、さすがに人手がもっと必要で、永続的な働き手を探すと、20歳のフランシーヌがやってくる。孤児で恵まれない人生を送ってきたが、誠実に働き次第に信頼されて行った。フランシーヌを演じるのは、新人のイリス・ブリーで、偶然見つかったんだというが実に素晴らしい。20世紀初頭のホンモノの農民っぽい。フランスでは時たま兵士が休暇で帰省できるようだが、次男が帰ってきたときにフランシーヌを見初めて二人は仲を深めて行く。森を訪ねてドルメン(支石墓)の前で結ばれるシーンが素晴らしい。そしてハッピーエンドになるかと思えば、そこからが思わぬドラマの始まりだった。
(次男とフランシーヌ)
 最初は手作業が主だった農業も、やがて機械化の時代へ少しずつ変わって行く。第一次大戦というのは、戦車や飛行機が戦術として一般化して行く時代だが、同時期に農業機械も一般化していたということが示されている。そんな変化を受け入れて行く一家なんだけど、まだまだ古い閉鎖社会の名残りが人々の心には残っている。大戦に参戦したアメリカ兵が到着し、前線に行く途中に付近を通って行く。これらの若い米兵の存在が村の秩序にも影響を与える。そして一家の心も引き裂いて行く。

 「女性と戦争」をテーマにして、日本映画でも多くの作品が作られてきた。どの映画でも女性の強さが描かれることが多い。この映画でも同じなんだけど、自らの力で時代を切り開いて行くと同時に、オルタンスは家族を守るために「怪物」にもなる。そういう凄みを描くのが特徴だろう。田園地帯は単に美しいだけではないということだ。監督はグザヴィエ・ボーヴォワ(Xavier Beauvois、1967~)で、カンヌ映画祭グランプリを取った「神々と男たち」で知られる。これはアルジェリアで実際に起こったイスラム過激派による修道士襲撃事件の映画化で、恐るべき迫力だった。音楽は亡くなったミシェル・ルグランで、さすがに見事に人々に寄り添う。戦時下に人々の生活がいかに変えられてゆくか。戦争の恐怖がいかに男たちを変えてゆくか。静かに見つめた反戦映画でもあった。
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「地獄の英雄」と「異国の出来事」ービリー・ワイルダーの初期映画②

2019年08月19日 22時08分49秒 |  〃  (旧作外国映画)
 ビリー・ワイルダー監督の初期作品の続き。1945年の「失われた週末」がアカデミー賞作品賞を取った後、しばらく作品がない。1948年に「皇帝円舞曲」(今回もやってないし、見たことがない)、「異国の出来事」を撮り、1950年に傑作「サンセット大通り」で大成功を収めた。今回は見てないけど、ワイルダーの最高傑作だと思う。続いて1951年に「地獄の英雄」、1953年に「第十七捕虜収容所」を作っている。「地獄の英雄」は当時は散々な評価だったらしいが、その後再評価され50年代の代表作と言われているらしい。以後は「麗しのサブリナ」「七年目の浮気」「情婦」と有名な作品が続く時期が始まる。
(地獄の英雄)
 製作順じゃないけれど、まず「地獄の英雄」(Ace in the Hole)から。30年代に脚本家として認められた時代から、ワイルダーは脚本家のチャールズ・ブラケットとコンビを組んできた。しかし、そのコンビはアカデミー賞脚本賞を受賞した「サンセット大通り」を最後に解消された。その次の映画が「地獄の英雄」で、アカデミー賞脚本賞にノミネートはされたものの、興行的にも批評家の評価でも失敗作とみなされてきた。主役の新聞記者役のカーク・ダグラスの性格作りが強烈で、当時の観客には受け入れられなかったんだと思う。カーク・ダグラスは3回ノミネートされたが、ついにアカデミー賞を受賞できなかった。今見ると、この映画でノミネートもされていないのは不当だろう。
(地獄の英雄)
 カーク・ダグラス演じる新聞記者チャールズ・テイタムは酒でしくじってニューヨークタイムズをクビになる。その後も酒の失敗が続き、ついにはニューメキシコ州アルバカーキまでやってくる。そこの小さな新聞社で強引に職を求め、やがて中央への復帰を夢見ている。しかし、大したニュースも起こらず、一年後もガラガラ蛇駆除大会の取材に出かけるところ。ところが給油のため寄ったドライブインの様子がおかしい。聞いてみると、裏山の洞窟が崩れてリオという男が生き埋めになっているという。チャールズはこれを大ニュースに仕立てることを考え、地元の警察署長と組んでわざと遅れるような救出方法を進める。案の定この救出作戦は全国ニュースになり、続々と観衆が集まってくる。

 チャールズが一人だけリオに食料や水を届けるが、予想外に体の衰弱が進んでしまい…。リオは先住民の呪いかと恐れるが、ドライブインをやってるリオの妻は出ていこうとしている。そんな人間模様を描きながら、焦点は事態をコントロールして行くチャールズのアクの強さ。圧倒的な存在感だ。まだ「報道被害」とか「炎上商法」といった問題意識がない時代だから、カーク・ダグラスが嫌みなやり過ぎ男に見えたのは仕方ないかもしれない。そして「フェイクニュース」の時代に、この強烈な映画が再評価された。今でこそ傑作とみなされる作品だ。

 「第十七捕虜収容所」(1953)はウィリアム・ホールデンにアカデミー賞をもたらした映画である。(「サンセット大通り」ではノミネートされたが受賞できなかった。)ドイツ軍の捕虜収容所で、生き抜くために自己防衛的な男がドイツのスパイと疑われる。しかし、実は真のスパイが紛れ込んでいて、その疑心暗鬼の様子を描く。「大脱走」なんかとは違うシリアスな収容所ものである。ナチスを逃れてドイツを後にしたワイルダーだが、戦争直後のドイツにロケした異色作が「異国の出来事」(A Foreign Affair、1948)で、占領下の日本では未公開に終わった。その意味でも貴重な上映機会である。
(異国の出来事、作品は白黒)
 「異国の出来事」はジーン・アーサーマレーネ・ディートリッヒというムードが違う二人の女優が重要な役をやっている。ジーン・アーサーはキャプラ映画(「オペラハット」「我が家の楽園」「スミス都へ行く」等)で戦前に人気があった女優で、「シェーン」で農場主の妻をやっていた。この人がアイオワ州選出の女性下院議員の役で、他の男性議員と一緒にベルリンに出張してくる。目的はドイツ占領軍の米兵が「堕落」しているという噂の真偽を確かめること。つまり、売春婦などとの「汚らわしい交際」で米兵がケガされていないかという調査なのである。

 脚本はアカデミー賞にノミネートされたけれど、全体としては成功作とは言えないだろう。しかし、この「占領軍と女性」というテーマが興味深い。ホントにこんな視察団があったのかは知らないけれど、映画では接待役の大尉が実はナチスの大物の愛人だった歌手(ディートリッヒ)の愛人になっていて、何かと裏で配慮している。そのことを隠すため、大尉は同じアイオワ州という地縁で女性議員に言い寄る。お堅い議員だが本気になってしまって…というコメディである。

 ディートリッヒの歌も楽しい映画だが、戦後ベルリンの破壊された町並みが心に残る。それをアメリカ国民に見せたかったのかもしれない。女性参政権があり、女性議員もいることが軍隊にとって「歯止め」になることをこの映画は示している。アメリカは1920年に(全国的な)女性参政権が認められた。そのことが選挙を意識せざるを得ない大統領や議員を通して、戦争政策に一定の影響を与えるわけだ。一方、戦後になって女性参政権が認められた日本では、占領後に米駐留軍が「地域の風紀を乱す」という「反米愛国」をテーマにした映画も作られた。興味深い問題じゃないかと思う。
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ビリー・ワイルダーの初期映画①

2019年08月18日 21時13分09秒 |  〃  (旧作外国映画)
 猛暑続きで家にいる日もあるけど、最近割合行ってるのがシネマヴェーラ渋谷の「名脚本家から名監督へ」という特集だ。日本の映画じゃなくて、昔のアメリカ映画。プレストン・スタージェスビリー・ワイルダージョゼフ・L・マンキウィッツ の3人を中心にした特集で、戦中期から戦後初期の映画が多い。この辺になると、僕も見てない映画が多いからすごく貴重な機会だ。この中で、特に知名度の高いビリー・ワイルダーに関して、全然知らなかった初期映画を書いておきたい。
(ビリー・ワイルダー監督)
 ビリー・ワイルダー(Billy Wilder、1906~2002)は、日本では後期のウェルメイドなコメディが特に有名で、近年も三谷幸喜に大きな影響を与えている。「七年目の浮気」「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」などが代表。マリリン・モンローが主演した「七年目の浮気」「お熱いのがお好き」の他、オードリー・ヘップバーンが主演した「麗しのサブリナ」「昼下がりの情事」も有名だ。アガサ・クリスティ原作映画の最高峰、法廷ミステリーの大傑作「情婦」も何度見ても感心してしまう出来映えだ。

 ところで以上のワイルダー作品はどれもベストテンに入っていない。キネマ旬報ベストテンで、ワイルダー作品が入選しているのは、「失われた週末」(48年8位)、「サンセット大通り」(51年2位)、「翼よ!あれが巴里の灯だ」(57年3位)、「フロントページ」(75年9位)のたった4本なのである。75年は時代が変わって、コメディの「フロントページも選出されている。しかし、50年代を見ると、シリアス系はベストテンの対象になるけれど、エンタメ系はベストテンの対象外だったことが判る。

 ちなみに、「第十七捕虜収容所」は17位、「七年目の浮気」は19位、「昼下がりの情事」は15位、「情婦」は11位、「お熱いのがお好き」は29位、「アパートの鍵貸します」は17位、「あなただけ今晩は」は17位、「恋人よ帰れ!わが胸に」は26位…で、まだまだ続くけど、もうやめる。晩年の作品はもともとベストテン上位になるほどの完成度が足りない。さすがに「情婦」は11位と次点になっている。70年代になるまで、エンタメ作品をベストテンに投票する批評家が少なかったのである。

 ビリー・ワイルダーは、生まれたときはSamuel Wilderだった。オーストリア=ハンガリー帝国の、今はポーランド領に生まれたユダヤ人だった。ワイマール政権下のベルリンに移住して、新聞記者から映画の脚本家をするようになった。しかしナチスの台頭に危機感を感じ、国会議事堂放火事件の日に、まだ議事堂が燃えている間に荷造りしてパリへ逃げたという。フランスでも脚本家をしていて、その時に最初の監督作「ろくでなし」(1933)を作った。ダニエル・ダリューが出ていたこの映画を今回見られたが、まあこれは失敗作だろう。どら息子を更生させようと、父が車を売り払うが、かえって息子は自動車窃盗団に入ってしまう。自動車のドライブシーンはうまいけれど、人間関係の描写がまだまだ。

 その後、さらにアメリカに渡り、ハリウッドで脚本の仕事をするようになった。エルンスト・ルビッチ監督の「青髯八人目の妻」「ニノチカ」など傑作シナリオを書いた。「ニノチカ」「教授と美女」などではアカデミー賞にもノミネートされた。1942年には「少佐と少女」を監督し、アメリカでも映画監督となった。これはやってないので見てない。次が「熱砂の秘密」(1943)で、日本でも1951年に公開されている。これは戦時中に作られた戦争映画で、北アフリカ戦線のロンメル将軍との戦いを描いている。ロンメルは有名な俳優、監督のエリッヒ・フォン・シュトロハイムが演じている。後の「サンセット大通り」の怪演も有名。
(熱砂の秘密)
 ドイツ軍のロンメル将軍は第二次世界大戦の超有名人物だから、その後何度も映画になっているが、これが最初だろう。英軍が敗退して、一人生き残った伍長がホテルにたどり着く。そこへドイツ軍が到着し、伍長は空襲で死んだ給仕に変装して生き延びる。フランス人の女中(アン・バクスター)は弟がダンケルクで捕虜となり、英軍に複雑な思いを持っている。死んだ給仕はドイツのスパイで、伍長もロンメルの秘密に近づくが。「帝国ホテル」という戯曲の映画化だというが、戦中だし国策映画的な作りではある。「砂漠の美」を描き出したモノクロ映像が印象的である。

 次の「深夜の告白」(1944)はアカデミー賞の作品、監督、脚色の三部門にノミネートされた傑作フィルムノワール。これは以前に見ているので今回はパスしたが、すごく面白い。脚本にレイモンド・チャンドラーが参加していることもあるが、光と影を生かしたモノクロ映像や演出の冴えを随所に感じる。ビリー・ワイルダーが巧みな脚本家に止まらず、監督の才能があることを認めさせた作品だ。そして次の「失われた週末」(1945)で、ついにアカデミー賞作品、監督、脚色各部門で受賞した。主演のレイ・ミランドも主演男優賞を得た。しかし、内容は暗いアルコール依存症の物語で、当初は失敗作と思われていた。この映画も大分前だが見ているのでパスした。

 「異国の出来事」と「地獄の英雄」という2本を主に書きたいと思っているんだけど、ここまででずいぶん長くなってしまった。一度切って、2回に分けることにする。
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限界芸術ーアートのとらえ方③

2019年08月16日 22時43分26秒 | アート
 芸術表現について考えるときに、まず「ジャンル」を考えることが多い。美術音楽文学…などで、さらに美術が絵画彫刻版画陶芸…などのジャンルに分けられる。写真建築映像マンガなどは、美術館で展示されることもあるけれど、今では隣接した独立ジャンルに分けることが多いだろう。さらに絵画だったら、油彩水彩テンペラパステルなどのサブジャンルに分けられる。

 そういうジャンル別に芸術を考えることもできるけど、もう一つの分け方がある。例えば小説だったら、純文学大衆文学という分け方である。日本で言えば、新人作家が芥川龍之介賞にノミネートされる「純文学」と、直木三十五賞にノミネートされる「大衆文学」に一応分類されている。もっとも推理作家の松本清張は芥川賞を受賞しているし、直木賞を受賞した山田詠美は現在芥川賞の選考委員を務めている。昔はまだ双方の差がはっきりしていたが、今じゃ両者の違いはそんなに大きくはないだろう。

 それでも他ジャンルでも、「芸術的」であるものと「大衆的」であるものに分けられることが多い。音楽だったら「クラシック」と「ポピュラー」という分け方があったし、映画でも批評家が選ぶベストテン興行収入ベストテンに入る作品には違いがあることが多い。しかし、この「純粋芸術」と「大衆芸術」という分け方は、いずれも「プロのアート作家」が職業として製作するときのものだ。

 世の中にあふれている「芸術表現」には、そのような「職業芸術」ではないものがいっぱいある。むしろ世の中に一番多いアートは、作者が作者本人の「自己満足」のために作っている。日本だったら、昔から俳句や短歌の結社がいっぱいあって、専門家じゃない人が作ってきた。また地域や職場単位の絵画展、写真展も多いし、素人の音楽バンドもいっぱいある。プロのオーケストラと一緒に歌う年末の「第九合唱団」なんてものもある。映像やパフォーマンスを自分でYouTubeに投稿する人も山のようにいる。自分じゃなくても、家族や知人の誰かは何かやってる人が多いだろう。

 そのような非専門家によって作られて大衆的に享受される芸術を、かつて鶴見俊輔は「限界芸術」と呼んだ。鶴見によれば「純粋芸術」「大衆芸術」「限界芸術」がある。「限界芸術」は英語で表記すれば、marginal art で、つまり芸術と生活の境界領域にあるということだろう。ウィキペディアを見てみると、限界芸術と鶴見が考えたものとして「落書き、民謡、盆栽、漫才、絵馬、花火、都々逸、マンガ」などが例示されている。これはインターネット出現以前のもので少し古い。デジタル技術の発展とインターネットで、アートの状況は大きく変わってしまった。
(講談社学術文庫「限界芸術」)
 ところで、鶴見による芸術の3分類は今も有効だろうか。現代では多くの商品デザインや広告も当然プロが作っている。そのような「プロの作者によって作られている」が「芸術と非芸術の境目にある」ものが多くなっているのではないか。「小説」や「レコード」(CD)では、もちろん本や音楽の内容が一番重要だけど、中には「ジャケ買い」する人もいる。映画や演劇の場合、チラシの宣伝で行く気になることがある。このような「ジャケット」や「チラシ」の作成はプロによる「限界芸術」みたいなものだ。

 あるいは公共の空間にある銅像はアートだろうか。例えば、渋谷のハチ公像や上野公園の西郷隆盛像は、芸術なんだろうか。これは素人では製作できない。間違いなくプロの仕事で、作者ももちろん判っている。だけど、誰も作家の作品とは思ってないんじゃないだろうか。もう町の風景に同化していて、作家性や作品性を感じる余地がほとんどない。これは「限界芸術」に近いのではないか。

 そうすると、いわゆる「慰安婦少女像」のケースはどう位置づけたらいいんだろうか。日本では「政治的文脈」から展示が「異化効果」を発生させてしまったが、本来は見るものに「同化」を求めるものだろう。そして、「公共空間に設置される」ことを前提にしたという意味で、「限界芸術」的なものなのではないか。「少女像」そのものと、「世界各地に設置を進める社会運動」と、「日本大使館前に設置する行為」は厳密に分けて考えるべきものだ。今のところ、「少女像」は「作家性」を幾分か帯びているけれど、長いスパンで見るならば「無名」のアート、限界芸術のようなものになっていくんじゃないかと思っている。
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アートの中の「ノイズ」ーアートのとらえ方②

2019年08月15日 20時56分54秒 | アート
 最近はそんなに演劇や展覧会にも行かなくなってしまったから、カテゴリーをもう「アート」にまとめてしまうことにした。その中で「アート論」も考えたい。「異化効果」に続いて、アートの中の「ノイズ」について。ここで言う「ノイズ」とは、複製芸術に時々見られる実際の「雑音」のことではない。昔のレコードは何度も聞いていると傷が付いて「レコード針が飛ぶ」現象が起こった。場末の映画館で昔の映画を見る時も、画面にザアザアと「雨が降る」(フィルムの傷が映写される)現象が多かった。そんなホンモノの「ノイズ」は無くなった方がうれしい。

 ここで言うアートの中の「ノイズ」というのは、芸術表現の中にある「美的基準」だけで判断するならば「余計な表現」(と思われるもの)のことである。直接的な政治的メッセージ政権批判などは、本来はアートの中の「ノイズ」に当たるだろう。もっとも、だからダメとはならない。「ノイズ」が全くない表現は考えられないし、「ノイズ」を極小にしてしまうと今度はそれが「ノイズ」に感じられてくる。現実社会には「ノイズ」が満ちているからだ。例えば人間の顔はホクロがあったり、髪が乱れたりしている。アニメ映画で主人公の顔があまりにキレイに描かれてしまうと、現代人はかえって「ノイズ」と感じる。

 こういう「ノイズ」は作家が意図して行う場合意図せずに結果的にノイズ化した場合がある。意図しないノイズの典型は、もう理解が難しくなってしまった「古文」だ。今では明治中期の一葉、鴎外らの文語文も理解しにくい。そうなると耳で聞いても、それこそ「ノイズ」としか感じられない。演劇なら古い戯曲を上演するときにアレンジすることが多い。しかし昔の映画は完成時の形で見るから、意図せざる難解さが生じることがある。昔生徒に黒澤明の「椿三十郎」を見せたことがあるが、この面白い映画が理解できないと言われてビックリした。「ゴカロウサマ」(御家老様)などセリフが理解不能だったのである。

 このように作者が意図しなくても時代とともに作品の受容度が変わって行く。今でも「ノイズ」をほとんど感じることなく受容できるアートは、モーツァルトの音楽ぐらいじゃないだろうか。特に室内楽や器楽曲は、よく言われる「天国的」という世界に浸ることができる。音楽だから、天才だからというだけじゃなく、時代的にアートの作り手と受け手がごく狭い小サークル内に止まっていたことが大きいと思う。モーツァルトは1791年に35歳で亡くなったから、最晩年にはフランス革命が起きていた。だがハプスブルク帝国の首都で暮らしたモーツァルトには、まだ時代の風が届いていない。少し後のベートーヴェンだったら、もう時代の変転を無視することが出来ないわけだが。
(モーツァルト)
 そもそもアートが作家個人の「個性」の表現だという考えがおかしい。マルクス主義フロイトの「精神分析」が現れたことによって、作家の表現の中には本人も意図しない「階級的バイアス」や「無意識的領域」が反映されることが認められるようになった。20世紀後半のフェミニズム批評が登場すると、今までの表現に性差別があったことが明るみに出た。作家の表現には、多くのバイアスが入り込んでいて、もともと「ノイズだらけ」だったのである。

 そういう風にアート表現の変遷を考えてくると、一つ一つの作品に「直接的な政治的メッセージがあること」は特に大きなノイズとは考えられない。「政治的メッセージがないこと」の方がおかしいと感じられる場合だってあるだろう。最近は多くの展覧会で「政治的中立性」を理由にして展示が不可とされる事態が起こっている。しかし、政治的表現がないこと=中立ではない。どんな作品にも何らかの「政治的ノイズ」が入り込むわけだから、そのことに無意識であることが政治的な意味を持つこともある。

 ここで書いているのは一般論である。それぞれの作品を見ると、政治的メッセージが効果を上げている場合もあれば、逆にノイズが大きくなってしまう場合もあるだろう。でも、これだけ日本の各地で「表現の不自由」が起きているということは、あえて「政治的なリトマス試験紙を作るというアート表現」があってもいいはずだ。それぞれの表現自体は「ノイズ」である場合もあるだろうが、こうして現代日本の「表現の不自由」を可視化したことを考えると、この展覧会の「リトマス試験紙」的意味合いが見えてくる。
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「同化」と「異化」ーアートのとらえ方①

2019年08月13日 23時43分22秒 | アート
 あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の中止問題は非常に重大な問題だと思って、その後も注視している。いろんな人がいろんなことを言っていて、それらを批判的に紹介するのも大事だと思うが、ことはアートに関わっている。多くの人の「アートのとらえ方」も問われていると思う。そのことをテーマにして、何回か考えてみたい。アート論に関するカテゴリーを作ってないけど、とりあえず劇作家のブレヒトを取り上げるので「アート(演劇)」に入れておきたい。

 多くの人と同じように、僕も最初に接した「アート」は幼少年期の絵本とか児童文学テレビのアニメ子ども向けの映画なんかだ。60年代半ばころで、テレビの影響が強くなり始めた初期の頃である。「鉄腕アトム」とか「鉄人28号」、あるいは「ウルトラQ」(「ウルトラマン」の前にあった円谷プロの怪獣特撮もの)なんかに夢中になった。それらは大体主人公に「感情移入」して一緒になって活躍するような気持ちで見ていた。中学生になると、次第に自分で名作文学を読んだり、評判の映画を見に行くようになった。またラジオの深夜放送を通して、世界のヒット曲を聴いたりするようになった。

 そうやって新しく、自分なりに世界を考えたり人生観を作っていったわけだが、その時も大体は「価値観に同化する」ことを通してアートに接していたと思う。背伸びして三島事件以前に多くの三島由紀夫作品を読んでいたが、もちろん「仮面の告白」なんかよく判らず「潮騒」をドキドキしながら読んでたわけである。あるいは中学3年の時にリバイバルされた映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見に行って、すごく感動して翌週も見に行って、サントラ盤のLPまで買ってしまった。(「ドレミの歌」や「エーデルワイス」なんかを英語で歌いたかったから、歌詞カードが見たかった。)歌も良かったけど、ナチスに反抗して自由を求めて脱出するというストーリーに感動したのである。

 多くのアートはジャンルは違っても、あるいは「純粋芸術」であれ「大衆芸術」であれ、「同化」が基本になっている。ストーリー性のある文学、映画、演劇などは当然、音楽や美術なんかでも同じだ。アートの「消費者」を一喜一憂させ、感情的に引っ張って行く。一年にほとんど映画を見ない人が評判を聞いて見に行く映画、それはやっぱり主人公に感情移入しやすい「同化」の映画だろう。テーマ性の強い「社会派」というジャンルも存在し、テーマを重視して高く評価する左派批評家もいたものだが、物語の構造はほとんど一般向けの娯楽作品を同じことが多い。

 だけど、僕が自我に目覚めた頃といえば、60年代後半である。ヴェトナム戦争の時代である。世界的な文化革命の時代だった。僕も自分なりに映画を見るようになると、その頃評判のアメリカン・ニューシネマゴダール大島渚の映画も見るようになった。あるいは最初はなんだかよく判らないロックやジャズ、例えばピンク・フロイドなんかを聴いたりするようにもなった。それらに慣れてくると、「同化」だけじゃ理解できない。ゴダールの「気狂いピエロ」とか「ウィークエンド」とか、僕はメチャクチャ面白かったけど、それを自分で言語化できない。面白いのはスト-リーじゃないのである。

 そんなときに読んだのが、佐藤忠男氏の「ヌーベルバーグ以後 自由をめざす映画」という本だった。(1971、中公新書)後に何冊も読む佐藤忠男氏だが、もちろんこれが初めて読んだ本である。ここで僕はドイツの劇作家ベルナルト・ブレヒトの主張した「異化効果」という概念を知ったのである。ブレヒトはそれまでのような感情移入させる「劇的演劇」を批判して、観客に批判的な思考を促す「叙事詩的演劇」を主張したのである。そして、そのための方法として「異化効果」を考えた。観客に感情移入させるのではなく、むしろ違和感をもたらして批判的考察につなげるという考え方である。
(ブレヒト)
 これは大変よく判る気がした。主人公に感情的に同化してスカッとして終わってしまう「社会派」がそれまで多かった。しかし、自分たちを取り巻く現実はもっと重くて、もっと暗いものだと思った。だから見た後に「違和感」が残り続けるような映画、演劇、文学などの方が自分なりに納得できると思ったわけである。もっともブレヒトの演劇も、今になると「三文オペラ」「セチュアンの善人」「肝っ玉おっ母とその子どもたち」など、いずれも見慣れてしまって「同化」して見られる。20世紀前半の当時は判らないと言われた音楽や美術の多くも、今では慣れてしまって「同化」して鑑賞可能だ。(例えばエリック・サティの音楽など。)時代により、社会により、何が「異化」をもたらすかは変わって行くのだろう。

 今回の「表現の不自由展・その後」の出品作品は、よく知らないものも多いけど、いずれも今までどこかで「不自由」な扱いを受けてきた作品だということだ。今回も「日本人の心を踏みにじる」などと強い不快感を持つ政治家がいる。「これは芸術ではない」などと言う人もいるが、芸術じゃなければ何も感じないはずだ。不快感を持つんだから、何らかのメッセージが届いているのである。それが「異化効果」というもんじゃないか。いや、反対者たちはこれは「政治メッセージ」であり、そのメッセージ性に反対しているだけだというかもしれない。しかし、メッセージ性を含めて「表現」なんだから、やはり「表現」として成り立っているということだと思う。
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佐藤賢一のフランス王朝史3部作

2019年08月12日 22時29分44秒 |  〃 (歴史・地理)
 「王妃の離婚」(1999)で第121回直木賞を受けた佐藤賢一は、その後も主にフランス史を舞台に旺盛な作家活動を続けている。長大な「小説フランス革命」(単行本で全12冊、文庫本だと全18冊)完結以来数年、今度は「ナポレオン」3部作の刊行も始まった。佐藤氏は歴史ノンフィクションも多い。もともと東北大学大学院博士課程フランス文学専攻を修了していて、原文史料を読みこなせる。そんな佐藤氏が書いてきたフランス王朝史が、「カペー朝」(2009)、「ヴァロワ朝」(2014)に続き、「ブルボン朝」(2019)で完結した。(いずれも講談社現代新書)。

 フランスの王様に特に大きな関心があるわけじゃない。しかし、重要国のフランスの王朝を歴史的にたどるのも大事かとまとめて読んだ。「カペー朝」(250頁)、「ヴァロワ朝」(365頁)に続き、「ブルボン朝」(450頁)とどんどん長くなって行く。「ブルボン朝」など、もう新書とは思えない厚みである。フランスの王様と言えば、ルイ14世ルイ16世ぐらいしか思い浮かばない。それが「ブルボン朝」だから、一般的にはそれだけ読めばいい気がする。でも、歴史というのは「創業期」こそ面白い。名前もよく知らない「カペー朝」や「ヴァロワ朝」にこそ知らないことを知る楽しみがある。

 フランスの王様は、みんな「ルイ」ばかりという思い込みがある。18世までいるが、実はフランス以前の西フランク王国から数えているとは意外。「メロヴィング朝」とか「カロリング朝」というのがフランク時代にあるが、そのカロリング朝に「ルイ」が5人いる。「フランス」最初の「カペー朝」は「ルイ6世」から始まるのだ。名前は「肥満王」である。列聖されているという「聖王ルイ9世」もいた。でも「アンリ」とか「フィリップ」という王も案外多い。「美男王フィリップ4世」という人もいる。

 佐藤氏はカペー朝を個人商店に例えている。確かに地図を見ると、カペー朝時代はパリ周辺の小領主でしかない。一応「フランス王」なんだけど、個別の領主権に介入できない。日本史で言えば、室町時代後半の足利将軍みたいなもので、畿内にしか勢力が及ばない。一応全国的な権威があることになってるけど。ヨーロッパ史でよく判らないのは、「王権の相続」である。王国があって、王家があるんじゃない。王家があって、領地はその私有物である。王族は他の王朝と政略結婚を繰り替えして、後継者の男子がいないと、領地が女子に相続されて転々とする。

 カペー朝からヴァロワ朝への交替(1328年)は、直系が絶えた時に前王の弟の息子、つまり王の従兄弟が継いだから、王朝の交替というほどではない。日本で言えば徳川家康直系から、紀州の吉宗が継いだ時なんかもっと遠い。天皇家でも似た例がある。でもフランス史でここを王朝交替と考えるのは、実は前王の娘がイングランド王エドワード2世と結婚していて、イングランド王も王位を主張したからだ。これが「英仏百年戦争」のきっかけである。ジャンヌ・ダルクは知ってても、時のフランス王は覚えてないだろう。その試練を乗り越えてフランス王として権威を確立したヴァロワ朝だが、今度は宗教改革の波がフランスを覆う。有名なサン・バルテルミーの虐殺など新旧の争いが絶えず、第8次宗教戦争まで続いた。

 1589年にヴァロワ朝最後のアンリ3世が暗殺され、ブルボン朝初代大王アンリ4世が即位した。王家の相続は、ヴァロワ朝時代に賢王シャルル5世がルールを定めた。外国勢力の介入を防ぐため、女系は認めず男系の王族に限定した。しかし多くの王家が絶えて、カペー朝時代に分かれたブルボン公家しか残っていなかった。もっとも女系ではもっと近い関係にあり、当時の人々もルール上アンリ4世が継ぐことは判っていたという。だが、重大な問題があった。アンリ4世はプロテスタントの家系だったのである。本人は過酷な人生行路をたどって、改宗を何度も繰り返している。最終的にはカトリックに何度目かの改宗をして収まった。そして「ナント勅令」を出して宗教戦争を何とか終わらせた。アンリ4世は確かに大王と呼ばれる資格がある。

 その次から「ルイ」ばかりになる。ルイ14世とルイ16世がいるんだから、当然ルイ13世ルイ15世もいるはずである。ちゃんと知ってる人は少ないだろうけど。「正義王ルイ13世」(1610~1643)は、「三銃士」の時代の王である。アンリ4世が暗殺され、幼少で継いだが摂政を務めた母と争いが絶えなかった。次が「太陽王ルイ14世」(1643~1715)で、同じく幼少で継いだため非常に長い治世となった。そのため、子どもどころか、孫も死んでしまって後継者「最愛王ルイ15世」(1715~1774)はひ孫である。ルイ14世は太陽王と言われるけど、ダンスが大好きで自分も踊ったという。自身をアポロン(太陽神)になぞらえたダンスをしたから「太陽王」なんだという。知らなかった。

 ルイ15世は興味深い。前後が有名で忘れられがちだが、特に女性関係などすごすぎ。14世、15世は戦争をやり過ぎた。宗教戦争もあり、ヨーロッパの大国が両陣営に分かれて大戦争が続いた。フランスだけ無関係というわけにも行かないだろうけど、これだけ戦争すればお金がなくなるのは当然だ。それがルイ16世時代に爆発する。まあ、そんなに悪い人じゃなかったんだと思う。革命を逃れて、ナポレオン後に「復古王政」で王位についたルイ18世シャルル10世が王権神授説を信じるウルトラ保守だったのに比べて、この二人の兄だったルイ16世の方がマシだったかも。この間、「王家あっての王国」から、次第に「国家あっての王」という考え方が一般的になって行く。次第に「近代国民国家」が近づいてくる。その長い長い大河ドラマのフランス編である。
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