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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「カルロス」

2012年09月27日 23時34分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 「ジョルダーニ家の人々」という長い映画の話をこの前書いたけれど、今日は5時間半の「カルロス」という映画。3部構成で長いけど、時間は感じない。フランスのオリヴィエ・アサイヤス監督。「クリーン」(カンヌでマギー・チャンが女優賞)、「夏時間の庭」などを作った中堅の監督である。

 「カルロス」っていうのは、あの「伝説的テロリスト」である。と言っても若い人は知らないだろうけど、テロが「極左集団」によるものだった時代の話である。今はテロと言えば、宗教的背景(オウム真理教とかキリスト教とかイスラーム教など)がある場合がほとんどになってしまった。70年代には、「日本赤軍」という世界革命を目指す組織もあって、いろいろな事件が起こった。(ハーグとかクアラルンプールとかダッカとかで。)第1部はハーグ事件から始まるようなもんで、ちゃんと日本語をしゃべっている。西欧、東欧、中東諸国を股に掛けた内容で、きちんとロケして現地俳優を使おうと努力して作られた「カルロス一代記」である。

 21世紀になって70年代の極左テロ集団をふり返る映画が各国で作られた。日本の若松孝二監督「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008)、ドイツの「バーダー・マインホフ 理想の果てに」(2008、ウーリ・エーデル監督)、イタリアの「夜よ、こんにちは」(2006、マルコ・ベロッキオ監督)などである。「夜よ、こんにちは」はモロ元首相誘拐殺害事件を起こした「赤い旅団」を描いた。これらの映画は、正直言って見るのがしんどい。どんどん過激化し仲間同士で争い自滅していく。陰々滅々たる映画で、画面も暗い。

 それに比べると、「カルロス」は割と暗くない。最後は捕まって(94年に捕まった時はビックリ)、今はフランスで無期懲役で服役中である。フランス人監督が作ったが、カルロスはフランス人ではないし、フランスの組織でもない。インタ―ナショナルな革命を目指した「テロリスト」のてん末を、ある種客観的にアクション映画的に伝記を作った。ウィーンのOPEC総会襲撃事件がほぼ第2部だけど、アクション映画として見ることができる。それが面白いわけだが、日本では連合赤軍や日本赤軍、あるいは日航機ハイジャック事件を起こした赤軍派、それらをただ「面白く描く」ことはできない。今でも倫理的判断を抜きに語ることができないテーマである。
(指名手配のカルロスの写真)
 カルロスこと、イリイッチ・ラミレス・サンチェスは1949年生まれのベネズエラ人である。イリイッチという名前で判る人がどれだけいるだろうか。親が左翼で、子供3人にイリイッチ、ウラジミール、レーニンという名前を付けたのである。で、モスクワのルムンバ友好大学に留学。それからパレスティナに飛んで、左翼のPFLP(パレスティナ解放人民戦線)に関係した。そこらは描かれてなくて、ロンドンやパリで事件を起こす段階から描かれている。

 つまりそれまでの左翼革命運動(労働者や学生を組織してストなどで蜂起して権力を握る)がうまく行かなくて、「テロしかない」という方向性(日本だったら「爆弾闘争」)で悩みながら「武装化」していく段階は飛んでる。映画の中では初めから「テロリスト」である。ラテンアメリカで生まれ、パレスティナに行ったという経歴から、暴力やテロにためらいが少なかったのではないか。それにソ連に留学すると普通「反ソ」になるんだけど、この人はそうならなかった。思想的ではない。

 75年にフランスでアジトに来た警官2人を射殺して逃亡、12月にPFLPの指令でOPEC(石油輸出国機構)襲撃事件を起こした。これで世界に名を売り、カルロスという伝説的テロリストが誕生した。その後は何か事件があるとカルロスだという話が日本の新聞にも載るぐらい有名だった。でもこの映画で見ると、OPEC襲撃はイラクの秘密警察長官だったサダム・フセインがクルド人とその背後にいるイラン(王政時代)をたたくため、石油価格を上げようとしてサウジのヤマニ石油相イランの石油相を殺害する目的があった。

 タテマエ上は「パレスティナの大義」を掲げつつ、PFLPもスポンサーのサダムの手駒だったのだ。ところがリビア人警備役をカルロスが射殺してカダフィが怒り、カルロス一派は襲撃に成功したが行先がない。アルジェリアが受け入れるが、イラクまでは遠くて行けない。リビアに強行着陸するが、カダフィの意向で引き返すしかない。結局、カルロスはサウジとイランの石油相殺害をあきらめ、カネで収める。これが「兵士は命令を守ればいい」というPFLPの激怒を招き、カルロスは追放されてしまう。

 以後は伝説的テロリストと言いつつ、その名声をアラブの左翼政権に買ってもらって生きる「傭兵」になった。イラクのサダムと対立するシリアのバース党アサド政権(今のアサドの父)にかくまわれた時代が一番長い。エジプトのサダトがイスラエルと平和条約を結ぶと、激怒したソ連KGBのアンドロポフが直接シリアに来て、サダト暗殺を依頼する。そして、東欧に拠点を作ることを認められ、東ベルリン、プラハ、ブダペストなんかに拠点を作る。これらも西側に知られ、やがて冷戦終結とともにシリアからも追放される。そこで94年までスーダンにかくまわれていた。最後の頃は「太った逃亡者」でしかない。PFLPを批判したが、結局カルロスも中東のスポンサー国家の言いなりに生きるしかない「国家の持ち駒」でしかなかった。
(有罪判決時のカルロス)
 カルロスの女性関係なんかも描かれ、モテぶりが印象的。でも最後は腹も出て、かつての兵士が中年太りしてしまった。その場面のため3週間撮影を中断して、カルロス役の俳優が太ったんだという。3週間であんなに腹が出るのか。逆に言えば、若い頃を演じるために相当しぼっていたらしいのだが。主演はエドガー・ラミレスという俳優。「ドミノ」「チェ 28歳の革命」なんかに出てたらしいけど、本人自身がカルロスと同郷のベネズエラ人で、数か国語をあやつるという。カルロスを演じるために生まれたような俳優である。僕はこういう歴史絵解きのような映画は嫌いではない。面白く見た。カルロスは色男の「武闘派」で、自己への懐疑がないから革命思想映画としては刺激がない。現代史アクションという映画。(2021.5.8一部改稿)
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「反いじめ文化」を育てる②

2012年09月17日 00時42分37秒 |  〃 (教育問題一般)
 つい他のことを書いてしまって、書き切ると言った「いじめ問題」が終わらない。まあ前回の続きを書いてしまいたい。
 
 一体学校で「いじめ」が起きたら何が悪いのだろうか?いじめは防げないが、学校や教育行政が「隠蔽するのが怪しからん」という人もいるようだ。「生徒がルールを守らないのに、学校がきちんと指導できていないのがおかしい」という人もいる。そういう考え方によれば、学校がもっと毅然と対応すべきだし、また毅然と対応する教員の給料を上げて教師を競わせればいじめがなくなるという意見もある。もっと極端になると「いじめを犯罪にして警察が解決すればいい」という人までいる。僕からすれば、あまりにもナイーブな人間観に驚いてしまう。きっと「いい家庭」「いい学校」で育った「二世議員タイプ」で、実際にルール違反をする生徒や女子グループの複雑な人間関係のもつれなんかと格闘したことがないんだろう。だから、そんな「厳しくすればいじめは防げる」みたいなバカみたいなことが言えるんだろうと思う。

 もっとも僕も「深刻ないじめ事件」を緊急に止める必要があるときは、教師の強制力で指導したり、警察力を導入することも大切だと思う。でも、大人になっても職場や家庭で人間関係がもつれることはつきまとう。未成熟な生徒がいっぱいる学校内で、人間関係でトラブルを起こさせないことだけが学校の目標ではダメだろう。教師の力で学校にいる間だけは守られていても、卒業して「狼の群れ」の中に放されたら何もできない人間であることを暴露してしまうことはけっこう多い。学校時代に、基本的な「反いじめ文化」が育てられていないということで、それが一番問題なのではないかと思う。

 「いじめ」のニュースを見聞きすれば、「かわいそう」な事例が一杯ある。教科書を隠されたり、虫の死骸を入れられたり、誰も話しかけてくれなかったり、カネを持ってくるように強要されたり、そんな行為を受けている生徒を「かわいそう」と思う。それは自然である。かわいそうだから「同情」するというのは、確かに「何かを考え行動するときの最初の一歩」になることが多い。戦争で子どもが死んだり、飢餓が広がり難民になったり、津波で家族や家を失ったり、原発事故で突然村ごと住めなくなったりするのは、まさに「かわいそう」。子どもも大人もそういうニュースを聞けば皆「同情心」が高まる。それを否定する必要はないし、最初は同情からでもいいだろうと思う。でも、「同情」には明らかに限界がある。「緊急の時期」を過ぎてしまえば、どんなところに住む人間にも「日常生活」がある。被災地にもある。いじめ事件が起こった教室にもある。「忘れてはいけない」とマスコミは言ったりするけど、「だんだん忘れていく」ことは避けられない。そして「同情される側」も「同情だったらもういらない」と普通は思うようになる。非日常の緊急時期には同情も大切だったけど、「かわいそうだから助けてあげる」という発想では、「同情する側が上」で、同情される側の自立が阻害される

 それと「同情」から発する行動は、「義務感」と結びついてしまうことが多い。「経済が発展した我々は、飢えと戦争に苦しむ発展途上国を助けなければいけない」「被災地の人々を支援するのは国民の義務である」などなど。まあ、そういう「義務」もあるかもしれないけど、義務感だけでやっていると、楽しくないし疲れてくる。皆の熱が下がってくると、義務だと思って頑張る人だけ負担が多くなり、冷めてきて手伝ってくれない人を批判する気持ちが起こる。そうして気持ちがバラバラになって終わってしまうと言うのが、多くのボランティア活動や社会運動のてん末である。「いじめ問題」も似ていて、同情と義務感だけでやっている学校だと、「いじめ防止ポスター」なんかを作らされる生徒会役員や学級委員なんかだけ負担感を感じてしまい、結局試験勉強と部活動の日常に呑み込まれてしまう。

 人間は楽しくなければ続かない。これが大原則であって、いじめがいけないのは「かわいそう」だし「ルール違反」だからでもあるけれど、一番は「いじめがあるクラスはつまらない」からである。そのことを教師はもっと発信していかないと行けないと思う。そうでないと何だかマジメ主義になってしまい、みんながいじめはないかと見張っているようなムードになってしまう。「いじめはないけど、つまらない学校」は、いじめ問題のニュースが報じられなくなった数年後にいじめ事件が起きてしまうかもしれない。いや、いじめが起きないにしても、それでは「反いじめ文化」を育てたことにならない。では、「楽しい学校」をどうしたら作れるのか。教員処遇の問題は別に書くとして、「大胆に外部の風を入れる」ことと「マイノリティの文化を学ぶ」ことかなあと思う。

 「マイノリティの文化」と書くのは、やはり差別や偏見をなくすと言うのが、いじめを学校から減らしていくことと結びついていると思うからだ。差別について学ぶということは、「差別がかわいそう」ということではない。「差別の中でも差別に負けない生き方を作ってきた人から学ぶ」ということである。「差別や偏見はありません」という人が、実は「出身者だからと言って差別する気はない」と自分で思っているだけで、「学歴がない人はダメ」という理由で「被差別や外国人や経済的に大変だった人」を排除している、そしてそれを「合理的な理由だから差別ではない」と思い込んでいるということはかなり多い。実際にマイノリティで素晴らしい生き方をしてきた人を具体的に知らないから、「偏見はない」と思い込んでるだけで、「マイノリティへの敬意」もない。「敬意」がなければ「無関心」なだけで、「無関心であることを差別してないことと思っている」のである。それでは「反いじめ文化」は育たない。これは大切な点で、無関心であるということ自体が偏見を持っていることだと判らないと、「いじめを傍観する」=友達ではないから無関心だっただけでいじめてはいない、という子供たちの多くの心を動かすことができない。
 
 また「楽しい学校」と言うのは「遊びがある学校」という意味ではないわけで、もちろんレクリエーション大会をいっぱいやるというようなことではない。「生徒にも教師にも、深い知的、身体的刺激があって、人間や社会について新しい考え方、生き方を学ぶこと」である。学校なんだから「学ぶ楽しさ」を教えられなければいけない。「身体的」とわざわざ入れたのは、人間関係作りのゲームや演劇のワークショップ、伝統芸能や伝統工芸の体験授業などを想定しているからだが、基本は講演で「話しを聞かせる」ことが多くなると思う。聞かせるだけでは生徒は飽きるので、テーマ設定と講師の選定はよく考えなければいけない。今は「総合学習」もあるし、外部の講師を呼ぶことも昔より難しくない。仮に予算措置がなくても、僕の体験では「学校で生徒に話してほしい」と頼めば、日時さえあえば断られることはほとんどないと思う。

 「マイノリティ」と僕が書いたのは、いわゆる「差別問題」だけを指しているのではない。大企業に対しては中小企業が「少数派」であって、地域の中で「技術で頑張っている中小企業」を見つけて話してもらう。地域の中で「有機農業」を続けてきた農家、厳しい環境の中で頑張っている伝統工芸家、そういう人々も広い意味で「マイノリティ」と考えて、頑張ってきた姿に学ぶところが大きい。また、もちろん地域の中の外国人文化との触れ合いも大事だし、自分の地域ではない問題(アイヌ民族や沖縄の文化など)を特別に呼ぶことも考えられる。(特に高校の修学旅行で、北海道や沖縄へ行く場合。)ただ学校としてどうしても考えておかなくてはいけない問題もある。教員も一般社会の差別の中で生きてきたのであって、もちろん差別や女性差別、障害者差別などについては勉強したことはあっても、一般社会でまだ認知度が低いような問題については特に意識が高いというわけではない。今イメージしているのは、性的マイノリティホームレス刑余者(前科のある人、刑務所から出所した人)、難病を比喩に使う問題実験動物や毛皮などの問題などである。

 難病を比喩に使うというのは、例えばいつも掃除をさぼりがちな生徒を「お前はこの班のガンだな」と教師が言ってしまい、身内にがん闘病中の家族がいるマジメな女子が傷つくと言った場合である。「そんなに勉強しないと、お前の将来はホームレスだ」とか「そんなことをしたら刑務所行きだぞ。二度と誰も雇ってくれないぞ」などと教師が言ってしまうこともあるかもしれない。生徒の中に親が刑余者である場合がいないとは言えない。教師がホームレスの差別意識を持っていると、生徒が襲撃事件に関わらないとも言えない。(これは都市部では緊急に教員全員に対する研修が必要である。)そして何より深刻なのは性的マイノリティの問題で、教師が一生懸命制服の指導をすればするだけ、性同一性障害の生徒を傷つけてしまうことが現に起きている。なんとか全日制の高校に入っても制服でつまづき、制服のない定時制高校へ変わるという例も多い。中学段階では学校側にカミングアウトできず、高校段階で自分の「性自認」をはっきりさせたということである。それもできないで悩んでいる生徒がいるということを中学や全日制高校の教員は一応頭の中に入れておかないといけないだろう。この性的マイノリティ(いわゆるLGBT)の問題がいじめに直結していることもあるので、問題自体を意識するとともに、「性的マイノリティの人々の豊かな文化」を紹介することは重要である。

 そういう問題を一度にできるものではないだろうが、学校の特色を生かしながら、特別授業(人権や健康の講演会)、進路指導、行事(文化祭の講演会など)、道徳、総合学習、各教科の授業などで試みていく。問題は生徒に教え込むのではなく、生徒の心と触れ合う授業を作って、「大変だけど教師も楽しむ授業」を探っていくこと。そのためには「教師の感度を高めること」が必要である。学校自体が差別やいじめを生み出す場合も多いので、「自分を見直す」ことも求められる。従って、自分を見直すことができない教育委員会が開く「官製の人権研修」には全く期待はできない。人権研修会と言いながら都教委の反人権的施策を自己批判できない。そういう人しか講師に呼ばれない。そういう中で、現場で教員一人ひとりが自分の感度を上げて、できることをやっていくしかないだろう。でも、義務でやらなければいけないのではない。自分がもっと納得して働ける学校を作っていくということである
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「反いじめ文化」を育てる①

2012年09月13日 19時48分34秒 |  〃 (教育問題一般)
 いじめ問題を書いてしまいたい。この何十年か、何度か時々「いじめ」問題が大きく取り上げられる。そのたびに「いじめ対策」とか「いじめ調査」とか「強い対応」とかが言われる。そして、数年後にまたいじめが大きな問題となってしまう。それは「学校の対応が問題」だとして捉えられ、特に「公立学校バッシング」と結びついて取り上げられることが多かった。その言説の構造こそが、いじめ問題を大きくしてきたのではないか。

 「いじめが根絶できない理由」は前に書いたけど、学校外部の負の影響を受けるだけでなく、「評価」を避けられない「学校そのもの」の中に「いじめの芽」が存在する。だから、いじめを根絶するという目標を作ると、かえって「いじめ隠ぺい」を招くと考えられる。「いじめ事件」を仮に防止できたとしても、「いじめ的言動」のすべてを学校からなくすことはできない。学校だけでなく、すべて人間の住むところどこでも、差別や偏見を完全になくすことはできない。

 では何をすればいいのか。事件になるような大きな問題さえ起こらなければ、それでいいのか。そうではないだろう。本当は生徒を取り巻く「差別社会」の中で、それに巻き込まれず立ち向かっていけるような「反いじめ文化」を育てていくことが学校の目標ではないかと思う。しかし、それはなかなか難しい。生徒を取り巻く「現実社会」の影響力は強い。生徒は教師の言葉よりも、テレビやインターネットの伝える「怪しい話」の方を信じている場合が多い。テレビのヴァラエティ番組などは、出演者の中に「差違」を見つけて、からかったりバカにしたりする趣向がとても多い。そういう番組を見て育つ生徒が、「普通と違う」生徒をバカにしたり偏見を持つようになるのは当然だ。

 最近は偏見を持つ段階から進んで、今回の大津市の場合のように「教育長を襲う」というような暴力的直接行動(テロ)をもてはやす段階まで来てしまった。いじめに反対するように見えて、実は自分がいじめを行っている。それをまたネット空間で持ち上げる。このような「匿名空間」ではなんでも可能になる。「教室」(クラス)も、そのような「匿名空間」化してしまうと、皆が無関心になる中で「いじめ」が起きても誰も止められなくなってしまう。だから、クラスが「学習集団」として機能するような、行事の盛り上がりや生活規律作りが必要なのである。そしてそれを作るのが、学年担任団の仕事であることも前に書いた。

 このように生徒の世の中は、差別や偏見に満ちているのだが、それを今「差別社会」と表現すると誤解されるかもしれない。日本社会にあった歴史的な社会的差別(差別や性別差別など)は、学校では否定されているし人権教育を通して理解が進んでいることになっている。もちろん完全ではないが、数十年前よりは「あからさま差別事件」が起きることは少ないだろう。「いわれなき差別」については、確かに量的には減っているのではないかと思う。しかし人間集団である以上、一人ひとりは「差違」を抱えており、学校と言う「能力によって評価される社会」では、「いわれある違い」は大きな問題になってしまう場合がある。「行事」を通してクラスのまとまりを作ると言っても、球技大会をやれば優勝もあればビリもできる。優勝したクラスはいいけど、ビリになったクラスで「戦犯さがし」が始まれば「いじめ」のきっかけを作ってしまう。「クラスでまとまる」「みんなで決めて、みんなで頑張る」などと言うクラス目標だけでは、うまく行ったときはいいけど、条件の違いで他の仲間と同一のペースで頑張れない生徒はかえって排除されてしまうこともある

 ではどうすればいいか。「マイノリティへの配慮」がすべての活動の前提に必要なのではないか。「誰も悲しい思いをしないクラス」というようなスローガンである。学校では勉強やスポーツをするが、勉強もスポーツもできる方がいいに決まってる。そして少しの努力や協力で、みんなで試験を頑張ったり、スポーツ大会でいい成績をあげたりできることが多い。その「少しの努力や協力」をしない生徒に対しては、教師が努力や強力を求めるのは当然である。だけどその時の加減が難しいのだが、十分努力してるけど結果が付いてこない生徒や、努力自体が大変な生徒(障がいや病気を抱える生徒など)もいるわけである。そういう生徒のプライドにも配慮しつつ、どうやってクラスのまとまりを作っていけばいいのか。それは難しい。うまく行ってるクラスを見て、「技を盗む」ことを繰り返して教師も成長していくんだと思うけど、今のように「教師どうしを競争させれば、教育がうまくいく」みたいな競争政策の下ではそれも難しい。それぞれの教師が孤立しながら悩んでしまうのが今の学校ではないか。

 多くの場合、「いじめ事件」の前に「いじめ言動」があり、その前に「いじめ的な言葉が飛びかう教室空間」がある。「言葉」が重要だと思う。人を馬鹿にするような言葉遣いを生徒がするようになるときがある。強い者へのへつらいか、テレビなどの影響か。例えば、本当に友達同士の間で、「こんな問題もできないのか」「うるせえな、チビのくせに」などなど。この「くせに」がいけない。友達同士だからいじめではなくても、いけない。こういう言葉が教室で当たり前になると、皆が自分の偏見(ホンネ)を出しやすくなってしまう。今は「キモイ」というような言葉が一番問題だ。「テレビを見てたら、タレントの誰それがキモイこと言ってんの」と誰かが言う。別にこの学校の生徒や教師を言ってるわけではない。だけど、この言葉は使わない方がいいと教師が言う方がいい。これは難しいと思うけど。「反いじめ文化」を育てるには、「言葉」に敏感になることから始まると思う。

 その時に生徒は「なんで使ってはいけないの」と聞くだろう。言葉で説得するのも大切だけど、最後の最後は「先生はその言葉が嫌いだから、このクラスでは禁止だ!」と決めてしまう方がいい。そうでないと、うまく説得に応じない生徒がヘリクツを述べたてて(「言論の自由」とか)、問題がこじれてしまうことがある。「賢い生徒」の方が問題で、自分が傷つかない立場にいて教師をやり込めることを喜びとしがちなのである。「キモイ」は人を不快に思う時の言葉だから、教室で使う必要はない、と言い切ってしまう方が問題は少ない。それで問題が見えなくなるようでは困るんだけど、「うちの担任は誰かが不快な思いをする言動を許さない人だ」と思ってもらう必要がある。しかし、このような「担任権限で禁止」がうまく行くためには、それ以前の前提として「学校と担任教師への信頼」が存在してなければならない。そうでないと「何か、うちの担任、変なこと言ってたよ」になってしまうだろう。だから、今はなかなか難しいだろう。「学校バッシング」「教師バッシング」こそが学校の体力を擦り減らしてしまい、いじめを防げない「内向きの学校」を作ってしまったのではないかと思う

 以上は主に中学を念頭に、「原論」として書いた。もう少し具体的な話、あるいは高校段階での話は次回に書きたい。
 なお、中学と高校の違いは以下の通り。現在、日本社会では大きく学歴の三層差が存在する。(橘木俊詔「日本の教育格差」、2010、岩波新書)「有名大学卒」「大学卒」「高卒」である。専門学校や短大は中身に応じて、大卒(それほど有名でない大学)や高卒のカテゴリーに入れる。「高校中退」は「アウトカースト」である。この三層はおおむね、入った高校で決まる。どこの大学を受けるかは受験料さえ払えば自由だが、いわゆる有名大学に入るには進学高校(普通科上位校)へ進む場合が多い。普通科中位校では「それほど有名ではない大学」または専門学校、職業高校では就職というコースが多くなる。いじめなど多くの問題が中学で起こるのは、発達段階もあるが、一番大きいのはこの「人生の大選抜」に直面しているからである。しかし、まだ選抜前なので、できることはかなり多いとも言える。高校は「選抜後」の生徒たちに直面するので、有名大学へ向けてスルーしていくだけの生徒か、選抜に敗れてしまい教師の役割をもう必要としない生徒が多い。この基本的な現実を踏まえない教育論議はすべて意味がない。
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映画「女の学校」と宝塚の女優たち

2012年09月12日 18時41分35秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターで、宝塚出身の女優が出た映画を特集上映している。そこで宝塚映画「女の学校」(1955、佐伯幸三監督)という映画を見た。映画としてそれほど傑作ということではないけれど、珍しい映画なので簡単に書いておきたい。

 宝塚の女優を高校生役にキャスティングして作った娯楽映画である。大林清という直木賞候補になった娯楽作家の原作。撮影が岡崎宏三。宝塚映画は、1951年に阪急が全面的に資本を出して作った映画会社である。東宝争議の影響で東宝作品が少なかったために作られたが、1968年に製作中止。小津の「小早川家の秋」や成瀬の「放浪記」はここの作品である。だから、現役タカラジェンヌがたくさん出ているわけだ。脇役に水谷八重子(初代)、細川ちか子藤原釜足(「きよしこの夜」を歌うシーンがある)など芸達者が出ている。

 主演は寿美花代(1932~)。1963年に高島忠夫と結婚して退団するまでずっと宝塚にいたから、現代映画の主役はあまりないと思う。実に美しく、若い女教師役を生き生きと演じている。神戸の女学校桜台女学園に、東京の音大を出た寿美が赴任する。同僚の鶴田浩二(理科担当で、実験動物がのモルモットの飼い方を研究している)が迎えに出たはずが…。鶴田浩二は後に東映のヤクザ映画で記憶されるようになるが、若いときは大アイドルスターだった。松竹でデビュー後、東宝など各社で主役をやっている。寿美は音楽の授業と同時に舎監も頼まれ、寮に住み込み生徒の面倒を見る。

 この学校は宝塚音楽学校ではないが、音楽や劇の場面が多い。最初の授業で寿美が皆の実力が知りたいというくらいだから、「音楽科」なのか。最初に呼ばれた相沢雪子が流麗なピアノ演奏(ショパン)を披露する。これが扇千景(1934~)で、中村扇雀(現坂田藤十郎)と結婚して57年に退団する。後の参議院議長の貴重な映像である。続いて、志賀富子が呼ばれて歌を歌うと言う。では伴奏は私がと寿美がピアノに向かい、ジャズも巧みに弾く。この富子役が雪村いづみ(1937~)。宝塚ではないが当時若き人気スターで、魅力全開で若さが弾けている。寿美先生は人気の鶴田浩二先生と親しそうなので、女子生徒はちょっと複雑だった感じだが、この伴奏で生徒の心をつかんでしまう。

 生徒の姉役で淀かほる鳳八千代、生徒役で浦路洋子環三千世らの現役タカラジェンヌが出ている。環三千世が演じる生島弥生子という生徒は鶴田に憧れていたので、寿美が来てから何だかつまらない。姉(鳳八千代)が洋裁店の店で後援者の男に迫られケガして入院してしまい、学校に来なくなって姉の友人の勤めるキャバレーに勤め始める。これを聞きつけた雪村が先生に相談し、寿美、藤原、鶴田の教師と雪村がキャバレーに乗り込む。乱闘になってしまい、新聞カメラマンが鶴田を撮影し新聞に載ってしまう。理事会で鶴田を首にせよと迫る後援会長が、生島の姉に言い寄ってケガをさせた当人である。その辺りが一番のドラマになっている。

 一方、芸大を目指す生徒が2人、相沢雪子(扇千景)と大友宗子(浦路洋子)。宗子の不得意なベートーヴェンが課題曲となり、二人の間にすきま風が…。そこを取り持つ富子(雪村)。雪子は先生の特訓を受け芸大に臨むが、健康に問題があり試験終了後に倒れてしまう。盲目の姉がいて妹の合格を待ち望んでいたが…。と展開は全く通俗そのものなんだけど、実際に歌や演奏ができる若い美女が演じているので、かなり気持ちよく見ることができる。

 そして最後に卒業式。芸大にトップで合格しながら亡くなった雪子に代わり、宗子が答辞を読む。雪子には卒業証書が出され、富子に手を引かれた盲目の姉が受け取る。問題生徒はいないし、多少の葛藤はあるけど、皆うまく行く。だからこれは「学校のリアル」を描いている映画ではない。なんと恵まれた女子高生かと思うが、「太陽族」と同時代でもある。見ていて気持ちがいいのは、生徒のリーダーとしての雪村いづみの魅力。皆を心配し、いろいろ手配し、手をつくす。明るくて能力もあり、人望が篤い。こういう明るい女子生徒のリーダーが一人いると、クラスは全然違ってくる。新任の寿美花代のクラス運営がうまく行くのは、(教師の権威が確立していた時代の「良い学校」の話であるが)雪村いづみ(富子)がクラスにいて協力してくれるからである。

 亡くなっている生徒に卒業証書を出すという卒業式シーンも良かった。それに近い出来事にぶつかることも教員人生にはあるだろう。ほんものの卒業証書は渡せないので、たぶん「公印を押していない」ものを渡すことになるのだろう。家族からすれば「墓前に捧げる」ものが欲しい。寿美花代の魅力と雪村いづみ、扇千景の若き日の姿が印象的。その後の3人の実人生を想いながら、見るわけである。
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ウェスカー連続上演を観る

2012年09月12日 00時43分43秒 | 演劇
 東京演劇アンサンブルで、イギリスの劇作家、アーノルド・ウェスカーの「大麦入りのチキンスープ」と「ぼくはエルサレムのことを話しているのだ」を連続上演中。10、11がチケットが安い日なので続けて観劇。(17日まで、2作品を交互に上演。)公演があった「ブレヒトの芝居小屋」は東京演劇アンサンブルの本拠だが、遠いので実は初めて。西武新宿線の武蔵関と言う駅である。

 アーノルド・ウェスカー(1932~)は50年代後半から続々と作品を発表してきて、政治的というか思想的というか、そういう趣が強い家族劇が多い。50年代後半のイギリスでは、オズボーン「怒りをこめてふり返れ」と言う劇が評判を呼んで、アラン・シリトーの小説などを含めて「怒れる若者たち」と呼ばれた。ウェスカーはそこに入るのかどうかよく判らないが、日本では60年代、70年代にたくさん上演されたはずである。特に今回の2作も木村光一訳だけれど、文学座、地人会で木村光一が手掛けたことが多いと思う。数年前には蜷川幸雄も「キッチン」をシアター・コクーンで上演していた。そういう風に日本ではけっこう知られている作家だけど、僕は初めて見る。時代が少し違って掛け違ってきた作家と言える。

 「なんとかしなければ、あんたは死ぬだけよ。」(大麦入りのチキンスープ)
 「絶対に泣いたりしちゃけないんだ、ぼくたちは!」(ぼくはエルサレムのことを話しているのだ)

 チラシに載せられている、それぞれのラストのセリフ。何だか今の日本で、震災後の状況を語っているようなセリフである。だからこそ今の時点で再演されたのではないかと思う。しかし、戯曲としての知名度が高い「大麦入りのチキンスープ」(1958)はユダヤ人共産党員の家族の話なので、今では少し古い。50年代という時点を知らないと、よく判らない人もいるだろう。話は1936年、イギリスのファシストが行進をするのを、左翼ユダヤ人が阻止しようとする「ケーブル・ストリートの戦い」の日の場面から始まる。意外かもしれないが、イギリスにもモズレーらのファシスト一派がいたし、少数派なのだがソ連派の共産党も存在した。「党」と言えば「共産党」を意味する知的風土は日本でも、ある時期まで知識人や労働運動の中にあった。この一家、ハリイ・カーンとサラ・カーンの夫婦は強固な党員として生きてきた。しかし、ハリイは性格的に弱く、仕事が長続きしない。一家を支えるのがサラで、「大麦入りのチキンスープ」(ユダヤのペニシリンと言われるくらい、ユダヤ人の健康を支えた伝統料理なのだそうだ)がその象徴である。娘のアダも党を信じ、婚約者のデイヴはスペインに義勇軍として参加する。そういう一家なんだけど、戦時下、戦後と話が進むにつれ、アダや弟のロニイは党への不信を強めていく。父親ハリイは何度か脳梗塞で倒れ、一家のこころは離れていってしまう。時代は労働党政権となるが、わずかな成果を得た労働者は満足して革命を目指さない。しかし、サラの党への信頼は揺るがない。最後に1956年のハンガリー事件で、子ども世代の不信感は頂点に達する…。

 という話だから、50年代には切実な「スターリン批判」、党の無謬性への批判という主題が家族の争いの中に描かれるが、今では古い感じ。ユダヤ的な風習、イギリスの下町の貧困地区の様子などは興味深いけれど。全体としては、「共産党一家に育った子供たちの苦悩」(日本で言えば米原万里みたいな)という主題が大きいような気がする。一方、「根っこ」(1959)をはさんで書かれた「僕はエルサレムのことを話しているのだ」(1960)は、娘のアダとロニイの夫婦が中心人物として描かれる。二人はロンドンを離れ田舎に住み、家具職人として生きて行こうとする。ウィリアム・モリス風の社会主義を目指すのである。親世代はソ連的共産主義を信じていたわけだが、娘世代は「生活に根ざした社会主義」を目指す。母のサラには理解できない敗北主義と映るのだが。そしてその試みも、産業社会の進展の中、結局手仕事の仕事は認められず、ロンドンに戻っていかざるを得ない。「エルサレム」というのはユダヤ人のとっての「理想の地」という意味なんだと思う。この「敗北」の方は、今でもかなり意味があるだろう。社会制度を変える革命なしに、生活のあり方に美を求める生き方だけでいいのか。反原発、自然エネルギー論議もそうだけど、60年代以後の様々な試み、コミューン、身体の解放、自然食なんかにも関わってくるテーマである。でも60年に書かれているので、テーマとして早すぎたのかもしれない。

 全体に家族で論争し続けるところが、日本の家族と違う。日本でこんな会話をしている家族はいないだろう。「かぞくのくに」の在日の一家でも、こんな論争は家ではしていない。親が「党」を信じ、娘が「芸術」を求めると言う構図は似ているのだが。一方、これだけ政治的、思想的な話が立て続けに出てくる劇なのに、インド独立や朝鮮戦争が一言も出てこない。全くアジアが出てこない。イギリス共産党員の世界でも、ヨーロッパ中心主義だったわけである。日本で同じような劇を書けば、ハンガリー事件やサルトルなども出てくるが、同時にアジアの政治情勢が大きなウェイトを持つだろう。そういう意味では、面白い戯曲なんだけど、少し時代が古くなった感じもした。
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吉村公三郎監督「一粒の麦」と集団就職

2012年09月11日 00時36分36秒 |  〃  (旧作日本映画)
 シネマヴェーラ渋谷吉村公三郎監督、新藤兼人脚本の特集で、1958年作品「一粒の麦」を見た。昨年フィルムセンターで吉村監督特集があったけれど、その時は震災直後にあたっていて、見逃していた。当時のキネマ旬報ベストテン13位。

 この映画が見たかったのは、福島県の集団就職を扱った映画だからである。冒頭が福島駅の集団就職列車の場面。仙台方面から中卒就職者を乗せてやってくる。車両の半分は二本松から乗ってくる生徒のために空けておく。菅原健二演じる中学教師が夜行列車に付き添っている。「職安」(今のハローワーク)の担当者も付き添っている。「東北の生徒は粘り強い」ので、「金の卵」と言われて高度成長の始まる頃の東京で重宝された。まだ高校への進学率が半分にもならない時代の話である。

 上野に着くと、全員を引率して近くの広場に連れて行く。そこに座らせて、各区ごとに並べて会社側の迎えに引き渡すのである。一方、教師はさらに浜松の紡績工場に勤める女子生徒を引率していく。就職担当教員の仕事ぶりを丹念な取材で再現して、貴重なドキュメント的価値がある。中学と職安の献身的な努力で、中卒就職者が大都市に出て働けるようになるのである。この過酷な仕事ぶりに菅原は不満で、校長にまた次の年もやってくれと言われてすぐには引き受けない。自分が勉強する時間が持てないと言うのである。結局いろいろの経験を積んで、最後は自分から引き受けるところで終わるが、この教師の仕事を「一粒の麦」と表現しているのである。

 生徒の行先は様々で、「三丁目の夕日」のような牧歌的な「神話化」された集団就職ではない。同時代の東京の映像を背景に様々な職場の悩みを描いている。(千住の「お化け煙突」も出てくる。)自動車整備会社に勤めた生徒は、まず「オート三輪」の運転が必要となり練習をしている。自動車免許の中に「自動三輪」という区分があり、16歳から取得できたのである。(今調べて知った。)「オート三輪」という車は若い人には全然判らないかもしれない。僕の子供の頃は町を走り回っていた。こんなに「オート三輪」が出てくる映画も初めてである。
(オート三輪)
 しかし、その整備会社は整備不良車が事故を起こして経営不振におちいる。おりしも同級生三人が勤めていた工場で一人が病気で帰らなくてはいけなくなる。その空いた口を回してもらえるのだが、ちょうどその日に母親の訃報の電報が届く。忌引きを申し出る勇気がなく、母親の葬儀にも帰れない。一方、ガラス工場に勤めた二人は、休暇もない、夜学にも行けない、給料も約束より低い、そんな会社から逃げ出す。(ちなみに「尾形ガラス」という会社である。)行くところがなく、上野から故郷に帰ろうと思っていて、警察の「愚連隊狩り」につかまってしまう。その報を受けた菅原は早速東京に出てくる。

 こういう底辺労働者を生きる生徒と、地方で支える中学教師が描かれていく。ところで、菅原は同僚の若尾文子と恋愛中で、いよいよ結婚する。その式の夜に二人の生徒が捕まるという話が飛び込んできたのだ。結局、若尾も「新婚旅行代わり」に同行することになってしまう。若尾文子の花嫁衣裳姿が見られるという映画でもある。ところで若尾の父は校長の東野英治郎である。いくら当時でも同じ学校に親子で勤務していたとは。若尾はしばらくして妊娠する。「結婚すれば妊娠すると判っているけど、早すぎたかな」と夫は言う。そんな時代だったのか。

 話はいつ辞めるかという問題になる。まだ「産休」という権利が認められていなかった時代である。また先の死んでしまう生徒の母であるが、心臓が悪いと言うことで菅原が見舞いに行く場面がある。そこで枕元でやおら先生はタバコを取りだし一服する。いやあ心臓が悪いという病人の近くでタバコ吸うか、いくらなんでも。と今では思うけど、それが当たり前だったということなんだろう。

 このような集団就職は60年代後半の永山則夫あたりまで続いていくが、ニュース映像ではかなり見たことがある。大体東北から上野に着く列車ばかりである。それ以外の列車もあったのだろうか。山陰から大阪方面へ行く特別列車なんかもあったのだろうか。このように大量の「農家の次三男」が故郷を離れて大都市に出ていかなければならなかった。何とか故郷に産業を誘致することはできないのか。それが「福島第一原子力発電所」だった。歴史的に貴重な映画なのである。リアリズム映画としての出来は、まずまずというところだと思うが。
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映画「ジョルダーニ家の人々」

2012年09月08日 00時11分33秒 |  〃  (新作外国映画)
 岩波ホールのイタリア映画「ジョルダーニ家の人々」。6時間39分という大河映画である。長いからなかなか行けなかったけど、14日で終わってしまうからようやく行った。

 岩波ホールは、かつてはあれほど貴重な映画を初公開してくれたわけだが、ミニシアターがあちこちにできたあたりから、高齢女性客向けのラインラップが多くなってきた。ベストテンにもしばらく入選していない。(調べたら多分2005年のイラン映画「亀も空を飛ぶ」以来、一本もないと思う。)ということで、若い映画ファンには岩波ホールを知らない人が結構いるようだ。今日もまだ大学はやってないだろうに、若い客は誰もいなかった。(女性が8割ほど。)岩波ホールを知らないで、東京で映画ファンと言えてしまうのも困ると思うので、紹介しておく次第。(地下鉄神保町駅の真上。大体神保町書店街を知らない大学生自体があり得ないと思うけど。)

 もっとも1日1回上映。13時40分に始まり、21時15分まで。途中3回休憩という長大な時間を要するので、なかなか行くのも難しい。一般当日券3000円、学生2800円というのも高い。まあ映画4本分あると思えば、安いとも言えるけど。僕は岩波ホールの会員組織エキプ・ド・シネマが1974年に発足して以来の会員なので、会員の前売り券を買っていた。それだって普通よりずいぶん高いので無駄にするわけにはいかない。

 僕はイタリア映画が大好きで、数年前の「輝ける青春」という長大な作品も素晴らしかった。つい最近では、ナンニ・モレッティの「ローマ法王の休日」が佳作だった。(カトリックでは「教皇」と言って欲しいと要望し、教科書はみな「ローマ教皇」なのに、どうしていつまで「法王」と訳すんだろうね。)「ジョルダーニ家の人々」はテレビ映画が劇場公開されたものだが、現代イタリアのローマに住むある家族の数年間の激動、痛みと赦しの日々を丁寧に描いている。僕は全く長さを感じなかった

 父はなんか高給の仕事らしく、母は医者だったけど子どもが出来て辞めた。姉はカウンセラーで妊娠中、長男は国家公務員でPKOで派遣されていたけれど今日帰国する。次男は建築科の大学生。三男は高校生で彼女がいる。それから悲劇、心のやまい、出会い、別れ、同性愛、難民問題、アフガンやイラク戦争、ロシア・マフィア、麻薬などなど、いろいろ関わってきて…。最後になると、血のつながらない子どもをかかえ、イラクから来た難民を含めた「大家族」になって終わる。おやおや、という感じだけど、大河ドラマでやはりテレビ的で少し描写が判りやすすぎる感じもするけど(映画芸術的には時間を半分に削れると思う)、登場人物と親しくなっていくのでこのくらい時間があった方がいい。

 日本の感覚からすると、えっと思うシーンもいくつかあるけれど描写も美しく、イタリア語の響きもステキ。数年間を描くので、何人かの登場人物には悲劇も起こるが、「家族の絆」が見応えがある。今の日本より深く結ばれている感じ。それと隅々の描写を見ていて、「やはりヨーロッパは豊かだな」という思いもする。経済状況はイタリアも大変なんだけど、アメリカ映画だとアメリカも大変だなあとか「貧しい」(料理なんか)と思う時も多いけど、ヨーロッパの映画を見ると、貧困を扱うケン・ローチやダルデンヌ兄弟の映画なんかを見ても、街がきれいだなと思う瞬間もある。それが日本と違う。日本だと自然は美しいが、日常を写すと広告だらけだから。
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日光でウォーキング

2012年09月06日 00時36分39秒 | 旅行(日光)
 日光へ旅行。僕はこの20年くらい毎年日光へ行ってるけど、最近は大体奥日光の湯元温泉、休暇村日光湯元に泊まる。50歳を超えてQカードという会員になってることも大きい。(全国の休暇村で使えるポイントカード。)休暇村なんていうと何だろうと思うかもしれないけど、どこも小奇麗で適正価格のホテルである。今回もそこで連泊。まだまだ残暑の東京を逃れて、涼しいというか夜は寒いとも言える奥日光で熟睡。

 去年も同じころに行ったんだけど、(それはブログに2回分書いた)夏の終わりという感じが好きなのかもしれない。去年は台風が来た後で滝や湖の水量がすごかったし、空気は澄み渡って、写真も実に美しいものが撮れた。今年はなんだか光が強すぎてうまく撮れないし、空気も澄んでなかった。ま、それはいいんだけど、結構人も多かった。湯元へ行くと小学生の団体がいっぱいで、日光に戻ってきたのは嬉しい感じもするけど、静かな旅にはならない。(去年は原発事故で日光旅行をやめた学校が多かった。)

 今年は朝早く、と言っても7時半ころに出た。家の真向かいがマンション工事中で、いつも車が停まってて、早く出ないと車を出せなくなる。それで高速を使わず、国道4号をひたすら行ってみる。「道の駅しもつけ」(栃木県下野町)はシャレた建物でビックリ。帰りに寄って買い物しようと思ったら、水曜日は休みだった。日光市内に入ると、去年は写真も載せた「食堂すゞき」で食べようと思ったら、臨時休業。夏休みと土日が終わったわけで、あちこち休みがあるのも仕方ない。

 今年は久方ぶりに日光山内へ行った。日光山内というのは、いわゆる二社一寺(東照宮、二荒山神社と輪王寺)の世界遺産区域のこと。足立区の小学生は施設が日光にあるから全員一度は行く。結婚後の夫婦旅行でも行ったけど、その時は戦場ヶ原一帯のハイキングの素晴らしさの方が思い出。その後、世界遺産記念で行われた大猷院(たいゆういん=家光を祀る)の家光の墓特別公開に行っただけ。日光はもう30回は行ってると思うけど、東照宮はいつも素通り。今回は久しぶりに行ってみようかとなったのは、東照宮の五重塔内部公開があるということで。でも、山内が複雑で場所がいつも頭に入らないので、まあいいかと共通券を買ってしまう。買った以上、全部見るぞと回ると、これが相当のウォーキング。疲れた。

 まず輪王寺。ここは三仏堂が工事中。工事も見られると言うけど、別料金。説明を聞いてると、とにかくありがたい仏のお守りを買いましょうと言う話になる。どこでもそうで、何だと言う感じ。東照宮へ行くと、団体の人だかり。確かに五重塔の公開はしてたけど、これも別料金。中に入るのではなく、扉があいてるだけ。まあ心柱の凄さは判った。五重塔の柱の知恵がスカイツリーに生かされたという話なのである。東照宮は外国人観光客が多い。それはいいけど、やっぱり陽明門などあまり好きになれない。日光山内で一番いいのは、間違いなく一番上にあって団体客がほとんど来ない大猷院である。静かだし、東照宮より装飾も落ち着いている。

 日光東照宮はキンキンキラキラのキッチュで、権力者の黄金趣味であって、秀吉の黄金の茶室よりはいいかもしれないけど、日本文化史の中では権力者の力の誇示にとどまる。という家永三郎先生の日本文化史の影響もあって、京都ではやっぱりワビサビの石庭なんかが良くて金閣寺は俗悪という考え方は基本的には僕のベースにある。俗悪の魅力を認めないわけではないけれど。と思っていたら、僕の認識を広げてくれたのが、考古学の都出比呂志氏の「王陵の考古学」(岩波新書)。日光東照宮も事実上の「王家の墓」という観点から見るべき建築物で、同時代的にはインドのタージ・マハルと比較できる。あるいは王陵ではないが、王権の誇示という点ではフランスのヴェルサイユ宮殿やオスマン帝国のトプカプ宮殿と比べるべきだというのであったと思う。なるほど。でも多分ヴェルサイユへ行っても、そっちも好きになれないと思うけどね。

 ということで一日目は案外疲れた。二日目は、これも何十年ぶりに刈込湖までハイキング。湯元温泉から光徳牧場までのハイキングコースがよく案内に出ている。そうすると今は車で行ってるので、行ったところに戻りたいのでこのコースは敬遠していた。でも湖まで行って戻ってくるなら、時間もそれほどかからずいいかもね。というコースなんだけど、休暇村の宿近くの林も素晴らしい。空は晴れ渡っている。
  

 昔はずいぶん山へ行ったけど、登りはじめに熱中症みたいになってしまうようになって、最近は本格的な山は難しい。今回も最初がきつい。途中で小学生の団体がいくつも。30分がきつくて、その後割と楽な道なんだけど、最後に今度は大胆に下りてしまう。ここを登り直すのか。そしてしばらくすると、「刈込湖」。少し行くと「切込湖」だけど今回は行かなかった。緑色の湖面が素晴らしく、小学生の一団は歓声を挙げていた。歩いて行かないと見れない「神秘の湖」である。


 戻ると1時過ぎ。連泊だからすぐに風呂に入れる。湯元温泉、それを引いて中禅寺、光徳温泉と言ってるのも含めてすべて掛け流し。まあ強烈な硫黄泉なので循環したくてもできないかもしれないが。季節や天気で色が変わることがある。今回は完全な緑の乳白色だったけど、入れ替えた2日目夜からは緑っぽい透明に近くなっていた。少しして光徳牧場へ行ってアイスクリーム。ここのは特上だと僕は思う。日光自然博物館へ足を伸ばして見学。

 3日目は少しゆっくり出て、10時20分の「低公害バス」で西の湖(さいのこ)入口へ。ここも毎年のように行っている関東有数の秘湖。途中のカラマツ林の美しさは素晴らしい。小田代が原なんかもいいんだけど、西の湖近辺も是非行って欲しい所。でも、今年はあまりの渇水ぶりに驚き。そこから歩いて千手ヶ浜まで。ここから見る男体山も素晴らしい、中禅寺湖は海みたい。
  

 西の湖は去年も行ってるので、ほぼ同じ場所で比較。去年の増水ぶりと今年の渇水ぶりがよく判る。通常はこの真ん中くらい。(今年は樹の前で撮影。樹の後ろでは遠すぎてよく判らない。樹のところまで水が来てるのは今までに去年しか知らない。杭と樹影で判断して。)
 
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鍵は「学年団」の結束-「減いじめ」のために④

2012年09月01日 01時17分18秒 |  〃 (教育問題一般)
 いじめを早期に発見し、レベルがまだ低い段階で指導できる学校体制をいかに作るかある程度の学級数がある中学や高校を対象に考える。(少子化に伴い「1学年1クラス」の学校もあると思うけど、そういう小規模校は事情が違う場合が多い。夜間定時制高校や離島・へき地の学校も生徒像が違う。小学校は教科担任制ではないし、自分で勤務体験もないから事情がよく判らない。)

 最近の教育行政や世論などを見ると、「教員の指導力」をそれだけで取り出して資質を向上できるものと考えているらしい。そうでなければ、「教員免許更新制」とか「教員給与への成績率導入」などを行うはずがない。しかし、それは間違いで、「教員の指導力」というものは、他の教員や生徒との「関係性」の中でしか発揮されないものである。特に中高では「教科担任制」なので、自分の教科だけ一人で頑張っても、自分の担任するクラス、学年の成績向上はできない。もちろん生活面の問題解決もできない。問われているのは、一人の教師の指導力ではなく、「学校の指導力」なのである。

 そのことは学校に勤めている人はほぼ全員判っている。しかし、ドラマなんかだと理想に燃える先生が一人で頑張ると生徒も変わり、学校全体も変わるかのごとく描かれる。そういうのを見ると、教員が一人で頑張れば学校を変えられると錯覚してしまうけれど、それは現実離れした発想である。いいとか悪いとかではなく、学校も行政が法的根拠に基づいて設置した行政組織である。一人の教師はその行政組織の一員に途中から加わることしかできない。

 教師はある年に、新規採用されたり異動を命じられて、ある学校に赴任する。たまたま全くの新設校一年目ということも、ごくまれにはあるだろう。だけど、普通は創立何十年かの伝統がすでにある。自分が来る前の去年も、生徒がいろいろ活動していた。自分がその学校に転勤しても、進学実績が急に上がったり部活で急に勝ち進んだりはしない。1年生を受け持てばともかく、上級生を担当させられると、まず「去年までの先生はこうだった」「前の先生の方がいい」という生徒の大攻撃に会う

 その学校の生活指導の方針は大体決まっている。「朝全員の教員であいさつ運動をして、服装や頭髪をチェックしている」と言われたら、疑問を持っても一緒にやっていくしかない。「この学校の生徒は落ち着いている」と言われる学校もある。それも、今までの教員と生徒がそういう「伝統」を作ってきた成果であり、新1年生にも指導して誇りを持たせていくわけである。このように、自分の「指導力」を発揮するより前に、「学校の伝統」みたいなものがあって、それは生徒実態の変化とともに次第に移り変わっても行くが、とりあえず目の前にいる生徒は自分一人の頑張りで急に変容するわけではない。

 そして、各学年数クラスあると、学年の担任と副担任で「学年団」が結成される。高校だと各科目の専門性があって、例えば日本史が専門だと3年を主に教えて、1年担任だけど自分のクラスも教えなかったりする。でも中学や、高校でも国数英や体育の教員は自分の学年を中心に教えることが多い。各学年に数クラスあれば、教師も他学年の学年の生徒はよく判らない。生徒の側も部活や委員会で接点がある場合もあるけど、大体学年の先生以外は顔と名前が一致しない。つまり、学年に数クラスある学校の場合、学校は(教師も生徒も)「学年」が基盤なのである。教師にいじめを発見せよと言っても、名前も知らない生徒の事情はよく判らない。(名前を知らなくても、喫煙やケンカが問題なのは当然で、そういうケースを見つけることはある。)一方、生徒が教員に相談する場合でも、養護教諭や部活顧問に相談するときもあるが、クラスの問題は学級担任か学年の教師ということになる。

 この「学年教員団」は普通一週間に一回、「学年会」(学年会議)を開いて、学校行事の調整や生徒情報の交換、分析をしている。だから、その学校である学年に問題が多発したとするなら、その学年団がうまく機能していないことになる。一方、学年会で出た問題を皆で共有して、共通の指導態勢で生徒に当たっていけば、すぐに生徒の問題が解決するわけでなくても、少なくとも「先生は皆同じように対処する」ということが生徒に伝わる。それは例えば、こんな具合。

・「修学旅行の班分けを来週のホームルームの時間に行う」→「班作りが難しい可能性が高い生徒がいる場合は、事前に担任がそれとなく周りに声を掛けておく
・「最近ガサツな言動が多く、掃除の時間にさぼる生徒も多い。弱い生徒に掃除をやらせたり、抜け出してタバコを吸ったりすることに結びつきやすい。修学旅行を前に心配がある」→「班分けをする前に、来週のホームルームの時間に臨時学年集会を行ったらどうか。小さなことでも全体で注意した方がいい」→「臨時に学年集会を開く」というように、生徒実態を見て指導のあり方を作っていく。

 そして、臨時の集会はこんな様子。まず集会担当の教員が集合させ、号令をかけ並ばせる。その間、例えば副担任の教員が追い出しを担当し、クラスやトイレでさぼっている生徒を体育館に連れてくる。集会は最初に生活指導担当の教員が、大声で多少威圧的に「最近の様子を見ていると、修学旅行が心配だ。行って事故が起きたら取り返しがつかない。いじめなどにつながる心のスキがあるのではないか」などと強く話す。そのあと学年主任が「修学旅行は学年最大の行事で、今までみんなで勉強や部活を頑張ってきたのに、ここでダメにしていいいのか。この後班分けをするけど、もめて仲間はずれを出したりすると楽しいはずの旅行が、クラスや先生にとっても一番辛い行事になってしまう」と心に訴えるような話をする。そのあとに修学旅行担当の教員が、具体的な班分けの人数、係生徒の問題(各班で班長、副班長、生活係、保健係を決めるなど)を説明する。そして話が重くなり過ぎないように、事前に行ったホテルの様子とかレクの話などを紹介して楽しい旅行になるように終わる。

 僕が何を言いたいかというと、こういう「仕事の分担」が教師の仕事であり、全体統括の教員もコワモテの教員も、事務的な説明も、追い出し担当の副担任も皆同格で学年団を構成して仕事が進む。生徒はそれをよく見ていて、この学年の教員はみんなでまとまっていて、一緒に修学旅行を成功させたいとどのくらい本気で考えているのかを判定しているのだ。そういう「学年団」の結束が生徒に見えたときに、「いじめ」に限らず、心配な生徒の情報が集まってくる。一方、教員間の指導にすきまがある場合、そのすきまが少しずつ広がって行って、ダムの決壊のような大問題の多発につながっていく。

 だから僕は学年教員団が結束していくことが、学校で一番大事なことだと思う。学年団は教科が違う教員で組むことになるので、教育に対する考え方や趣味なんかは必ずしも一致していない。組合に入っている教員も入っていない教員もいる。しかし、組合未加入の教員でも管理職や教育行政の専横には怒っていることも多いから、実際の学年団で問題になることは少ないだろう。どこの人間関係でもそうだと思うが、最後は「馬が合うとか合わないとか」で決まってくるのかもしれない。教師には一風変わったワガママな人もたまにいて、そういう人と組むと大変な場合がある。指導力の有無ではなくて、指導力があり過ぎて自分で勝手にどんどん生徒指導してしまい、他の教員は指導してしまったんなら追認するしかない状況になるのが一番問題。「指導力」なんてそんなにいらないから、他の教員や生徒と一緒に地道に苦労できる人がいいのである。

 いじめを防ぐことに限らず、様々な学校の課題は、とりあえず自分が所属している学年の生徒をよくすることから始めるしかない。一緒に学年を組んでいる教員の協力で、成し遂げるしかない。それを支援するのが管理職の仕事だと思うけど、最近は教育行政の圧力で現場のジャマをすることが多い。学年会で決まった要望が生きて行かないことが多くなると、誰もアイディアを出そうという気にならない。

 学年団の結束と言っても、時には教育観のぶつかりあいもあるし、自分の考えが通らず腐るときもある。でも一緒に仕事をしていく中で、お互いの持ち味が判ってきて、生徒もそれを理解していくようになると、かなりうまく回りはじめる。そのためには地域になじんだ教員が、主任や生活指導担当になっている方がいい。短期間に異動させる方針は、学校の力を削いでしまう。「減いじめ」というより、学校の組織の話そのものになってしまったけれど。
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