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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「サニー 永遠の仲間たち」

2012年06月16日 23時21分06秒 |  〃  (新作外国映画)
 韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」。これは「感涙必死の女子会映画」だった。1986年の韓国で、女子高の7人組「サニー」の仲間たちがいた。「永遠の友情」を誓って卒業したものの、その後会う機会がなかった。最近、イム・ナミ(画家を目指していたが、今は主婦として夫と高校生の一人娘と暮らしている)の母親が入院して面会に行くと、かつて「サニー」のリーダーだったハ・チュナが末期ガンで入院しているではないか。彼女の最後の願いは、あの頃のメンバーにもう一回会いたいということだった。イム・ナミは母校を訪ね、かつての担任に会うと、最近保険の勧誘に来たメンバー、キム・チャンミを教えてもらう。二人が中心になって、残りの5人を探していくと…。

 あとはエンターテイメントのお約束に従って映画が進行する。高校時代と現在、現役の女子高生である娘のようすが、描き分けられていく。現在を調べて行くと、夫婦仲に悩んでいたり、作家になるはずが姑との関係で悩んでいたり、ミス・コリアになってるはずが思わぬ不幸が襲っていたり…。でも、どうしても一人だけ見つからない。それが当時からモデルをしていた美女のチョン・スジ。昔に戻ると、そのスジこそはイム・ナミとは不思議な因縁があるのだった。元々全羅道からの転校生だったイム・ナミは、最初はソウルの女子高生に圧倒され、方言をバカにされ、いかにもダサい。それをかばって仲間に入れてくれたのが、リーダーのハ・チュナだったが、何故かスジはナミを仲間に入れるのを喜ばない。何が理由なんだろうか。クラスの別グループに因縁を付けられた時、たまたま居合わせたのは、一人でタバコを吸いに来ていたスジではないか…。

 ということで、昔の場面は全く「スケバン映画」のパロディである。韓国でもこうだったのか。女子のグループの意地悪や敵対心、お昼の食堂(食堂があるのだ)でのやり取り、恋愛へのあこがれ、みな懐かしい音楽とともに楽しく描かれている。違う国で、性別も違うけど、懐かしい。でも反政府デモを前にして、女子高生どうしの乱闘がパロディで描かれる場面などを見ると、「韓国でも民主化運動は歴史になったんだなあ」と感慨深かった。

 これが「86年の韓国」を描いている意味は、簡単に解説しておきたい。韓国では長く軍事独裁政権が続いていた。パク・チョンヒ大統領が1979年に情報部長に暗殺されたあと、80年に「ソウルの春」と呼ばれた時代があったが、チョン・ドゥファン将軍のクーデターで逆戻り。そのような自由なき時代に、イム・ナミの父親は軍事政権から仕事をもらいソウルに出てきた。一方、兄は労働運動に参加し、政権打倒を目指している。1986年6月の学生、市民の大規模な反政府デモにより、ついに政府は大統領直選制(大統領を国民の選挙で直接選ぶ)を実施し、民主化すると約束せざるを得なくなった。そういう、韓国民主化運動の一番の画期が1986年。去年のエジプトのタハリール広場みたいなことが、25年前の韓国で起こっていたわけである。この年は「88」(パルパル=88年ソウル五輪)の2年前だった。だから、韓国人にとって、一番輝いていた「サニー」の時期そのものであり、それがあってこそ韓国で大ヒットしたんだと思う。

 「サニー」というのは、元はドイツのディスコ音楽だということだけど、昔みんなで文化祭で踊ろうと練習していた。ある事件で、それができなくなったままになったが、今回皆で集まって「サニー」を踊ろうという、最後はダンス映画。その文化祭をみても、同じだったり違っていたりする。キリスト教系女子高で制服もないみたい。日本の高校と比べると面白い。でも、やっぱり「学校」という空間の懐かしさが画面いっぱいにあふれてる。じゃあ何で卒業後に会わないのかと思うけど、まあインターネットとか携帯電話がなかった頃はそんなものなんだよね。大学も大変だし。それと韓国では「整形手術」をするかどうかという問題も女性の大問題らしい。娘のようすを見ると、現在の高校も大変。でも、最後はおとぎ話で終わる感じだなあ。

 ということで、韓国の女子高生リユニオン映画で、大人が見れば絶対泣ける。僕は外国でリメイクするのはあんまり賛成ではないんだけど、この映画に関しては、なんだか各国でリメイクしてもいいような…。登場人物たちが、ピンク・レディやキャンディーズを踊るのも見てみたい。日本人向けヴァージョンもどこかで作って。
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映画「道-白磁の人-」

2012年06月13日 21時57分10秒 | 映画 (新作日本映画)
 浅川巧の生涯を描いた「道-白磁の人-」と言う映画が公開中。なかなかの感動作で、近代日本と朝鮮の歴史を扱っているから、多くの人に見て欲しいなと思って紹介する。


 浅川巧(あさかわ・たくみ 1891~1931)と言っても、まだまだ知らない人が多いと思う。植民地下の朝鮮で、林業試験場に勤務しながら、おとしめられていた朝鮮美術の美にめざめ、陶磁器などの収集、研究をした人。朝鮮語を学び、朝鮮の服を着て、日本の朝鮮統治に批判的な姿勢を表した人でもある。「民藝」の発見者として名高い柳宗悦に協力して、「朝鮮民族美術館」を開くのに力をつくした。柳宗悦は三一独立運動(1919年)に対する日本の弾圧を批判し、当時「朝鮮人を想う」という一文を発表した。そのことは、70年代に広く取り上げられたが、浅川巧のことは1982年に高崎宗治さんの「朝鮮の土になった日本人」で初めて広く知られたと思う。

 浅川巧が朝鮮に渡ったのは、兄の浅川伯教(のりたか 1884-1964)が先に行って教師をしていたからである。朝鮮陶磁器の美も、先に伯教が見出していた。兄弟は協力して収集に力をつくし、その業績は昨年、千葉市美術館で「浅川巧生誕120年記念 浅川伯教・巧兄弟の心と眼―朝鮮時代の美」で紹介された。展覧会は終了しているが、ホームページで見ることができる。実はこの展覧会は僕も行ったのだが、正直言って「焼き物の世界はわからない」という感想だったのでここでは書かなかった。映画は江宮隆之「道-白磁の人」(河出文庫)と言う小説の映画化。

 この映画のかなりの部分は、「林業家としての浅川巧」を描いている。最初に朝鮮の木がない山を見て「ロシアや清国の侵略で、木が切られた」と教えられる。実際に山を歩く中で、「日本が共有地の山を国有地にして切ってしまった」と聞かされる。日本にいたときから根っからの植物好きだった巧は、仕事を通して朝鮮の山を緑にすることを夢見る。どの木が、どうやって発芽して根付くか、辛抱強く実験を重ね、朝鮮に風土にあった植林を実現していく。そうか、浅川巧は「木を植えた男」だったのか。「木を植えた男」というのは、フランスのジャン・ジオノの小説をフレデリック・バックがアニメ化して有名になった。あれは実話ではなく小説なんだけど、浅川巧は実際にいた「木を植えた男」だったのだ。そういうエコロジー映画というのが、この映画の一つの視点。

 一方、植民地の朝鮮で、日本人と朝鮮人は判りあえるかという重いテーマもこの映画にはある。今は韓国も民主化され、韓流ブームが起きる時代になったわけだけど、80年代頃までは韓国に関心を持つ日本人にとって「判りあえるか」という問いが常にあった。「韓国は面白い」などと言った接近法は、なんだか批判されるような風潮があった。それは日本と朝鮮(韓国)というより、「支配する(した)もの」と「支配される(された)もの」は判りあえるか、という問題である。浅川巧も、この映画の中で、支配者である日本人は朝鮮を理解することはできない、と問われる。しかし、巧は支配される側の言語を学び、支配される側の服装を身にまとう。「できることをする抵抗」か、「良心的日本人のポーズ」か。しかし、住んでいる土地の「現地人の言葉」を理解しようとするのは、本来は好奇心のある人間にとって自然なことである。「人間にとって自然な好奇心や同情心」を普通に発揮しただけのことなのだと思う。

 でも、それは「支配-被支配」の網の目の中に生きている植民地の日本人にとって、「おかしな生き方」だった。だから、浅川巧は「支配者の世界から降りて行った人生」を生き、「あっち側にいっちゃった人」になったわけである。同時代的には「変人」である。この、「同時代の人からは変人と思われる生き方」というのが大事なのだと思う。これは、植民地時代の朝鮮だけの話ではない。会社でも学校でも、どんな世界でも、「少数派として生きる」とはどういうことか、という話なのである。ただし、「こっち側の世界を出ていく」のはいいけど、「あっち側でも受け入れられない」で、思いが宙に浮いてしまうこともありうる。巧の場合はどうだったろうか。いろいろな見方はあると思うけど、とりあえずそれは映画で確認を。

 僕は浅川兄弟の強い所は、「美」に対する自分の見方を信じていたことが大きいと思う。「文化」こそが民族友好の基礎になるもので、美しい白磁の壺を作った朝鮮の美への敬愛を失うことがなかったから、その立つところが揺るがなかったのだと思う。

 高橋伴明監督が手堅く演出している。日韓で撮影されている。吉沢悠、ペ・スビン主演。柳宗悦役は塩谷瞬、チョイ役で市川亀治郎(今はもう猿之助)も出ている。母親役を手塚理美がやっていて、朝鮮人への偏見を持つ年長の日本人をうまく演じている。一方、独立運動に加わる朝鮮人も出てきて、その複眼的な世界がなかなかよく出来てる。浅川巧がちょうど満州事変直前になくなるので、皇民化運動の激しい頃は出てこないが、「併合」4年目から三一独立運動、関東大震災など当時の歴史の流れも判るようにできている。
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映画「ブラック・サンデー」、公開中止映画が35年ぶり公開

2012年06月11日 20時40分23秒 |  〃  (旧作外国映画)

 「ブラック・サンデー」という映画を見たので紹介。これは「午前10時の映画祭」の一本である。昔の名画を午前10時から上映する企画だが、10時始まりではなかなか行けるものではない。だけど複数回上映を行っているところがいくつかあり、特に東京・日比谷のTOHOシネマズみゆき座、大阪のTOHOシネマズ梅田だったら、終日上映をしているのである。


 「午前十時の映画祭」のキャッチコピーは「何度見てもすごい50本」である。しかし、この「ブラック・サンデー」だけは、このコピーが当てはまらない。実は「未公開作品」なのである。だからこのラインナップが発表されたときから、僕は是非見たいものだと思ってきた。「未公開」というより、正確には「公開中止」である。1977年夏の公開直前に「爆破予告電話」があって、公開が中止されたのである。この映画はパレスティナ・ゲリラのテロ組織「黒い九月」がアメリカでテロ攻撃を行うという筋立てなので、政治が絡んではいる。当時は75年のクアラルンプール事件、77年9月にはダッカ事件など、日本赤軍による大使館占拠やハイジャック事件が起きていた頃なので、映画会社は万一を恐れて公開を中止してしまったのだ。

 しかし、国内で反対運動があったわけでもなく、映画も単なる娯楽作品なんだから、「イタズラ電話」なのではないかと僕は当時から思っている。「すごく面白い」「よく出来たエンターテインメント」という評判は、試写会などを通して聞こえて来ていた。だから、まあ見てみたいなと思っていたけど、見られなくなったのでずっと残念に思ってきた。


 ところで、この映画の原作はこれが第一作目のトマス・ハリス。これがまた伝説である。名前を見てもミステリーファンじゃないと判らないかもしれないが、製作当時は無名の新人作家で、原作者に全然興行価値はなかったのである。1940年生まれのトマス・ハリス、作家としてたった5つの作品しか発表していない。次の作品は「レッド・ドラゴン」だが、そこで創造したキャラクターがハンニバル・レクターなのである。次の大傑作「羊たちの沈黙」が大評判になり映画としても大成功した。以後「ハンニバル」「ハンニバル・ライジング」とハンニバルシリーズを書いてきた。ということで、あのトマス・ハリスのただ一つのハンニバル以外の作品、という価値が出てきたわけである。(原作は新潮文庫で刊行され、一時なくなったが現在は復刊されている。)

 映画の主役は、ロバート・ショーブルース・ダーンという、まあ主演大スターではない。だから新人作家の映画化で、そんな超大作として期待されて作られたわけではない。パレスティナ・ゲリラとヴェトナム帰還兵(捕虜になった経験があり祖国に不満がある)が結びつくという発想もムチャ。イスラエル側の責任者(モサド?)が、女につい情けを掛けてしまう冒頭も不自然。全く無理な筋立てなんだけど、スーパーボウル(アメリカンフットボールの最高峰を決める決勝戦で、アメリカ最大のスポーツイヴェント)を襲撃するという(どうやって?)という、とてつもない発想が見せて、終盤はかなり手に汗握る盛り上がりとなる。

 テロを扱った政治的サスペンスのアクション映画として、まずは見応えあり。当時は「パニック映画」とよく呼ばれていたが、後に作られる「ダイ・ハード」「スピード」「タイタニック」などをすでに知っている我々としては、多少展開が遅かったり、対応に疑問を感じたりするところもある。2001.9.11でアメリカは大きく変わってしまったわけで、昔はこんな遅い対応だったのかという感じもある。イスラエル側の対応も、「ミュンヘン」なんかを見てしまうと…?

 監督はジョン・フランケンハイマー(1930~2002)。60年代アメリカでは、アーサー・ペン(「俺たちに明日はない」)やマイク・ニコルズ(「卒業」)などとともに若手監督として期待されていた。「終身犯」「影なき狙撃者」「五月の七日間」など、政治的背景のあるサスペンス・アクションによく起用され得意としていた。75年には「フレンチ・コネクション2」を監督している。代表作はマラマッド原作の「フィクサー」(1968)。後にイタリアの「赤い旅団」を描く「イヤー・オブ・ザ・ガン」も作っている。手慣れたアクション描写で飽きさせない手腕は、職人監督の技である。

 「黒い九月」は、当時を知ってる人には耳慣れた実在のテロ組織で、ミュンヘン五輪のイスラエル選手団襲撃事件で有名。名前は1970年のヨルダン内戦から付けられている。当時ヨルダン内にあったPLOやPFLPの活動が過激化して、ヨルダンのフセイン国王の統制が及ばなくなり、ヨルダン政府は1970年9月に大弾圧に踏み切った。多くのメンバーが殺されたPLOの主流派ファタハの秘密組織が「黒い九月」で、イスラエルだけでなくアラブ内の親米保守派のヨルダンやサウジの王政も襲撃対象とした。ヨルダンにいられなくなったPLOはベイルートに移動し、イスラエルの侵攻作戦でチュニジアのチュニスにさらに移動することになる。そういう実在の有名テロ組織だけど、この映画(原作)では「名前を使われた」といった程度の存在で、リアリティはあんまりない感じ。

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レイ・ブラッドベリを哀悼する

2012年06月07日 22時00分20秒 | 追悼
 レイ・ブラッドベリが亡くなった。(1920~2012)6月6日のことである。91歳。もう90を過ぎていたんだから、やむを得ないと思うんだけど、悲しい。新作が出るわけではなかったけれど、古い短編が新しく本になったりして最近までよく邦訳も出ていた。僕のもっとも愛する作家と言ってもいいし、読書の楽しみを教えてくれた人の一人である。

 一応ジャンルとしては「SF作家」ということになっていて、「SFの叙情詩人」とよく言われてきた。特に異論があるわけではないし、一代の大傑作と言えば「火星年代記」で、地球人が火星に移住したり、火星人が出てきたりする本なんだから、まあSFという括られ方をするのも当然だろう。でも、この作品を読んでる人は納得してくれるだろうけど、普通の意味での「空想科学小説」の面白さではなくて、人間の哀愁やノスタルジア(郷愁)が心に沁みる幻想小説と言うべき作品だ。特に、ポーを下敷きにした「第二のアッシャー邸」なんか、その滅びの哀愁の深さで忘れられない。

 僕が大人の本を自覚的に読み始めたのは中学1年の夏のことで、突然「自我の目覚め」みたいなものに襲われた。以後、小説を読んでもう一人の別の人生に触れなくては生きられなくなって、現在に至っている。その時最初に読んだ本のタイプは、学校で勧められたタイプ(当時は旺文社文庫なんか学校で紹介された)で芥川とか。続いて、当時文庫本で出ていた日本、世界の小説を買ってみて自分で発見した作家。カミュとか大江健三郎とか。そして、最後が父親の持ってた大量のミステリーとSFである。エドガー・ライス・バローズの火星シリーズ(最近、「ジョン・カーター」として映画化された)なんか熱中して読んだけれど、そんな中で僕に決定的とも言える影響を与えたのが、レイ・ブラッドベリJ・G・バラードだったのである。父親は創元SF文庫を見境なく買っていただけだと思うけど、僕は中学生の時からJ・G・バラードに夢中だったのである。

 ということで、あのいつになっても少年の日のときめくような憧れと悲しみを忘れなかった不思議な世界が僕の心の中に沁みわたっていったのである。特に好きなのが、短編集「10月はたそがれの国」とか長編の「何かが道をやってくる」(いずれも創元文庫)。最近は10月になっても暑かったりするけど、それでも秋風が吹きすさぶ季節になると「10月はたそがれの国」(原題は「The October Country」)という言葉をつぶやいたりする。もちろん「火星年代記」(ハヤカワ文庫)は素晴らしいけど、本が読めなくなった世界を扱う「華氏451度」(紙が燃え上がる音頭だという)は、今読むとそれほどでもないかもしれない。社会批判の反ユートピア小説や映画はたくさんあるので、それを比較すると図抜けた傑作とまでは言えないのではないか。だから、「初めてのブラッドベリ」は、まず短編集から始める方がいいと思う。(「太陽の黄金の林檎」「刺青の男」なんかの初期のものがいいと思う。)(「華氏451度」は、マイケル・ムーアの反ブッシュ映画「華氏911」の題名に引用されて、改めて注目された。トリュフォーがイギリスで映画化したが、その後日本では上映されていない。どこかでやってくれないかな。)

 チェコにカレル・ゼマン(1910~1989)というアニメーション作家がいて、少年の夢、宇宙感覚、恐竜など、共通の趣が感じられると思う。日本の作家で言えば、宮沢賢治とか稲垣足穂なんかに近い部分があるが、ちょっと違うかな。フェリーニの映画にあるサーカスものなんかのムードもちょっと近い。夏の終わりに、避暑地にあった遊園地で、もうガランとした寂しい中を、家と学校を抜け出してきた少年が、見世物小屋に忍び込む。その時の憧れと恐怖、初めて感じた哀愁と垣間見た大人の世界の秘密。なんていう感じが、僕の感じるブラッドベリの世界かな。

 ブラッドベリの書いたミステリがあって、3作シリーズになっている。「死ぬ時はひとりぼっち」という邦題だけど、原題の「Death is a Lonely Business」というのが妙に心惹かれた。昔サンケイ文庫で出た後、近年になって文芸春秋からやけに高い本として出た。「黄泉からの旅人」「さよなら、コンスタンス」の3冊シリーズで、そんなに厚い本でもないのに、合わせると1万円位する。けれど、これは買ってしまったし、大満足だった。やっぱり通常のミステリーではない。それと、吸血鬼ものをまとめて年代記にしてしまった「塵よりよみがえり」(河出文庫)も出来がいいと思う。哀愁系が多いけど、「たんぽぽのお酒」みたいな明るい作風のものもある。僕も昔「たんぽぽ酒」を作ってみたいと挑んだ年があったけど、失敗した。

 あんまり作品が多いので、僕もまだ全部を読んでいない。何冊か楽しみに残してあるとも言えるし、ジョン・ヒューストン監督の「白鯨」(メルヴィル)映画化に脚本家として加わった時の回想なんか、高くて買う気にならない本もある。とにかくブラッドベリを読まない人生は、つまらないと思う。僕に大人の本の世界の、悲しみと幻想を教えてくれた人だった。
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スマイリー三部作を読む-ジョン・ル・カレを読む①

2012年06月07日 00時32分04秒 | 〃 (ミステリー)
 スパイ小説が昔から好きだけど、スパイ小説の最高峰、ジョン・ル・カレをちゃんと読んでいなかった。ハヤカワ文庫で出た文庫本はずっと買ってて、その数20冊位にもなる。昔「寒い国から帰ってきたスパイ」など初期の3冊を読んで、それなりに面白かった。しかし、さすがに「寒い国」は古い感じがしたし、展開が途中で読めた。順番では次が「鏡の国の戦争」と「ドイツの小さな町」になるが、これが厚くて中身も手ごわそうなので中断してしまった。今回、そこから始めて、「ティンカー、テイラー・ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」のいわゆる「スマイリー三部作」と「リトル・ドラマ―・ガール」まで読んだ。2冊本もあるので、文庫本計9冊になる。いや、大変だった。忘れないうちに、今までの分を書いておきたい。
 (ジョン・ル・カレ)
 今回読んだのは「ティンカー、テイラー・ソルジャー、スパイ」が「裏切りのサーカス」として映画化されたからだ。見る前に読まないと気が済まない。「裏切りのサーカス」については、難しいという意見もあるようだ。世界地理やスパイ小説に知識がない人には、確かにちょっと難しいかも。でも、あの難物の原作をよくここまでまとめあげた、とても出来のいいスパイ映画である。数年前の「ナイロビの蜂」も良かったけど、純粋なスパイ映画としてはこちらの方が成功していると思う。

 原作からは少し改変がなされている。発端となる事件が、チェコからハンガリーへ、また香港からイスタンブールへ変えられている。チェコと香港はかなり本質的な部分だと思うけど、まあ香港ロケができないのだろう。ラストも少し違っていて、なるほどと僕は感心した。日本題名にある「サーカス」は、英国情報局のあるロンドンの地名で、情報局の通称である。英国情報局は小説ではよく「MI6」と出てくる。サマセット・モーム、グレアム・グリーン、イアン・フレミング(007シリーズの原作者)などの有名作家が、実際に所属していたことでも知られている。ジョン・ル・カレもその一人である。でも32歳の時に「寒い国…」が世界的ベストセラーになって作家に専念した。変わった名前だが、もちろんペンネームで、本名はデイヴィッド・ジョン・ムア・コーンウェルという英国人である。

 英国情報機関史上最悪の事件は、言うまでもなく、かの有名な「キム・フィルビー事件」である。MI6長官候補とまで言われた通称キム・フィルビー(ハロルド・エイドリアン・ラッセル・フィルビー)が、実は戦前以来長きにわたってソ連のスパイであったという事実が明るみに出たのが、1963年の1月である。50年代以来何回か疑惑が取りざたされ、本省は一時的に罷免されたが、その後新聞記者としてベイルートに赴任していた。本人はソ連のスパイであることを認めた後、ソ連船で亡命してしまった。ソ連では厚遇され、たびたび勲章をもらい、1980年には最高のレーニン賞を授与され、ソ連崩壊前の1988年に死んでいる。1990年にはソ連で切手にもなっている
 (キム・フィルビーの手紙)
 キム・フィルビーだけでなく、「ケンブリッジ5人組」と呼ばれる二重スパイ集団が存在した。みな知識階級出身で、30年代のナチス躍進と世界恐慌の中で育ち、イギリスの階級社会に絶望してマルクス主義に未来を見た。大学時代にソ連の諜報員にリクルートされたと言われているが、カネや女がらみではなく、ソ連の諜報員になることを名誉なことと考え率先して受け入れた。第二次世界大戦では、41年の独ソ戦以後は英ソは同盟国になったからバレずに活躍できた。冷戦時代にはソ連諜報員の亡命阻止や英米の情報をソ連に伝えるなどの「実害」があったと言われる。

 そういう深刻な「二重スパイ」が現実にイギリスに存在したという有名な事実を知ってないと、本や映画が判らない。金で買われたチンピラ・スパイがいたって「体制の危機」ではないが、知識階級の「幹部候補」が自覚的な二重スパイを何十年も務めていたとなると、これは「イギリス的価値観の崩壊の危機」である。この事件がモデルになって、グレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」やル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャ-、スパイ」が書かれたわけである。いずれもスパイ小説史上の最高傑作と評価されるような傑作である。(ついでに言うと、逢坂剛のイベリアシリーズというのがあって、敵役的存在としてキム・フィルビーが実名で登場してくる。面白いシリーズ。)

 キム・フィルビー事件がモデルだと知っていても、どう小説化(映画化)されているかはわからない。要するに「誰かが二重スパイであるが、誰かは判らない」というのが、話の前提になる。そこで囲碁や将棋のように(というかチェスですね)、先を読んで一手一手布石を打って行って、スパイを追い込みあぶりだそうという作戦が展開される。標的は4人で「ティンカー」(鋳掛屋)、「テイラー」(仕立て屋)、「ソルジャー」(兵隊)、「プアマン」(貧民)とマザーグースにちなむコードネームが付けられる。知っている可能性があるハンガリーの将軍が亡命したいという情報を得て、情報員をハンガリーに派遣するが、情報が漏れていたのか銃撃され、からくも帰国した事件が数年前。

 これで情報部がガタガタになっている。それから数年、イスタンブールで亡命希望者のソ連人が上層部に黙殺されるというケースが起こった。誰かがスパイで情報を握りつぶしてソ連に流したのではないか、という話。とにかく展開は、目で見るチェス、みたいな知的遊戯の世界で、007やフォーサイスなんかのスパイものとは全く違う。主導するのは、この間情報部を干されていたジョージ・スマイリー。ソ連の「カーラ」という恐るべき宿敵と渡り合う。誰がスパイなのか、そのサスペンスで盛り上げていく手腕は見事である。

 ル・カレの原作は映画以上に大変で、「バナナの皮に滑って転んだ」というような話をするために、バナナ農園の建設から話を始めるみたいな感じの小説である。話が全然進まないし、半分読んでも事件の構図がわからない。そのうちに人物が判らなくなる。どの小説もそんな感じで、スマイリー三部作はまだ展開が早い方だろう。その点、映画は人物のイメージが一致するので、やっぱりわかりやすい。だんだん読み進んで行くと、それまでの布石が生きて来て、なるほどこのような物語であり、人生がここにあったという感慨を持つことになる。スパイ小説の純文学である。大変だけど、大変さを味わってみたい人は、知的な挑戦として読んでみてはどうだろう。欧米では「知識人の読み物」として必須アイテムなんだから。

 「スクールボーイ閣下」は、ベトナム戦争終結時の香港を舞台にした話で、スマイリーも香港に出張してくる。大長編だけど、70年代半ばの時代色が強い。時代に殉じたあるスパイの「純愛」ものと言うべき話。「スマイリーと仲間たち」は、最後の決着編だけど、この展開はどうなんだろうか。人間には皆弱みがあるものではあるけれど、と思わないでもない。それにしても、この3冊、今もハヤカワ文庫で出てるけれども、とにかく手ごわい。でも、特に「ティンカー、…」は大傑作に間違いない。
(2018.11.12 写真を入れ一部改稿。その後読んでないので②はまだない。)
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「生活保護バッシング」の問題

2012年06月04日 21時50分55秒 |  〃 (社会問題)
 「人気お笑い芸人」の母親が生活保護を受けていたという問題で、25日に記者会見があった。その前後から冷静な議論ではなく、大騒動になっている。という話なんだけど、僕はそのネットの議論を全然見ていない。この問題に限らず、あまり見ないようにしている。大体、「人気お笑い芸人」だという「次長課長」を知らない。そんなに有名なコンビなの?まあ、テレビはほとんどニュースとスポーツしか見ないし。それはともかく、議論の本質がずれたまま、政治的に利用されているようで、ちゃんと書いておきたいと思っていた。しかし、生活保護についてよく知らないので、なかなか書けない。書けないままにするより、少し情報提供でいいかなと思って、書いておく。

 まず、僕の基本的理解。「生活保護」受給者は増大しているけれど、不要なのにもらっている人より、必要なのに受けられていない人の方が圧倒的に多いはずだと思う。どんな制度であっても、また制度改正をいくら行っても、それを「悪用」されることは完全には防げないだろう。「悪用を完全に防ぐ」ためには、「善用」することも困難なほどに面倒な申請手続きと、情報の行政への集中が必要である。だから、「悪用」を防ぐ手だてを考えることも大事だけど、その制度が「善用」されているかをまず考えなくてはならない。僕が「受けられていない人の方が圧倒的に多い」と判断するのは、ホームレスの人々や「孤立死」する人がたくさんいるという事実があるからだ。

 データを見てみると、95年に88万人だった受給者は、2012年3月現在で210万人。今年度の生活保護費は3兆7千億円。2010年度に明らかになった不正受給額は、130億円だという。

  生活保護問題対策全国会議のブログに載せられている、「生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明」(5.28)には、以下のように出ている。

①雇用の崩壊と高齢化の進展が深刻であるのに雇用保険や年金等の他の社会保障制度が極めて脆弱であるという社会の構造からして、生活保護利用者が増えるという今日の事態はて当然のことであること、
②生活保護制度利用者が増えたといっても利用率は1.6%に過ぎず、先進諸国(ドイツ9.7%、イギリス9.3%、フランス5.7%)に比べてむしろ異常に低いこと
③「不正受給」は、金額ベースで0.4%弱で推移しているのに対して、捕捉率(生活保護利用資格のある人のうち現に利用している人の割合)は2~3割に過ぎず,むしろ必要な人に行きわたっていないこと(漏給)が大きな問題であることなど,生活保護制度利用者増加の原因となる事実が置き去りにされている。

 そういう基本的な問題もあるんだけど、今回のケースがなんだか嫌な推移をしているのは、「親族の扶養」の問題が絡んでいるからである。親戚はもとより、親子関係(は原則扶養の義務はあるのは当然だけど)に、扶養できるかどうか行政が踏み込んで行くというのは、どうもいい気がしない。小宮山厚労相は、25日、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す生活保護法改正を検討する」と述べている。これはすごく怖い話ではないか。

 聞かれて全然かまわないという親子関係なら、初めから仕送りしているだろう。扶養の気持ちがあっても、忙しくて(残業や夜勤続きで)連絡もつかないという人はたくさんいるだろう。親は田舎で一人暮らし、子は都会で働いていて、親は携帯電話がない、子供は固定電話がない、ハガキ一枚書けばいいわけだけど、字を書くのもおっくうだという、別に関係が悪くなくてもそういう親子も多いのではないか。もちろん、親から逃れるために、故郷を捨て東京に出ている子もいるだろう。それより、親の側が、生活保護を受けないとやっていけないくらい貧困、病気になっても、子供の方で面倒な書類を書かないといけないと考えただけで、「申し訳ないから初めから申請しない」という例が増えることになるだろう。

 昨日ニュースでやっていたが、相模原市の場合、1万件くらい扶養できるかの調査を送って、返信されてくるのは300通くらいしかないと言ってた。公務員の数を劇的に増やしでもしない限り、家族が扶養できるかの調査なんかできるわけがないだろう。
 この扶養問題についても、先の生活保護問題対策全国会議のブログにある、「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」(5.30)が諸外国の例もあげながら詳しく解説している。また、そのブログには、緊急記者会見の動画もアップされている。

 先の緊急声明の最後の方を引用しておく。
 「今年に入ってから全国で「餓死」「凍死」「孤立死」が相次いでいるが,目下の経済状況下で、雇用や他の社会保障制度の現状を改めることなく、放置したままで生活保護制度のみを切り縮めれば、餓死者・自殺者が続発し、犯罪も増え社会不安を招くことが目に見えている。」
 細かい論点とデータなどは、リンク先のブログを是非見て下さい。
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今村昌平の映画を見る③60年代の傑作から80年代の作品へ

2012年06月03日 01時02分12秒 |  〃  (日本の映画監督)
 今村昌平の映画を全部見たら疲れた。(9分11秒の短編を集めた「セプテンバー、11」を除く。)2作目の会社企画「西銀座駅前」を除き、実に面白い作品ばかりだ。(ちなみに、東京メトロが銀座線と丸ノ内線しかなかったときは、丸ノ内線の駅は「西銀座」と言った。日比谷線が両者をつなぐ位置にできた時に、合わせて銀座駅と改称された。)今村昌平はやはり日本映画史で最高の映画監督だと思う。素晴らしい作品ばかりで、一つが傑出している「富士山型」ではなく、山頂が並び立つ「八ヶ岳型」なので、日本映画歴代ベストテンなどを企画すると票が分散してしまう。いずれ小津や溝口に匹敵する映画監督という評価が定着するだろう。

 最高傑作はまぎれもなく「神々の深き欲望」(68)。これは復帰前の沖縄で長期ロケした南島神話みたいな作品で、神話的共同体が製糖資本、観光資本によりいかに変容していくかを、壮大な規模で描き出した作品である。名優、怪優が入り乱れ、登場人物の関係も複雑(性的にも)だけど、壮大な映像の大傑作。続いて、「赤い殺意」(64)が大長編で、「にっぽん昆虫記」(63)とあわせて東北の土俗的な世界から出てきた「女の一代記」みたいな作品。この3作はあまりにも壮大、複雑な世界で、完全に「日本人論」「日本文化論」を展開することになってしまう。だから今は名前を挙げるだけにしておく。
(「赤い殺意」)
 今村昌平の作品は、このように「近代日本に取り残された」土俗的な世界で生きる女たちの性と民間信仰を扱うことが多い。しかし、本人は東京の中産階級の出身で、下北半島出身というホントの土俗世界を知っている川島雄三監督(「幕末太陽傳」など)からは、おまえの世界は頭で作ったもので、伝統社会とはそんなものではない、と言われていたという。実際に地方で生まれた作家は、例えば宮沢賢治や寺山修司を思い出しても、土俗的な世界に解放を求めるよりも、「モダン(近代)への憧れ」が作品を魅力的なものにしている。今村昌平の映画には、そういう「モダンへの憧れ」がほとんどないのが特徴だが、その辺の逆説が興味深い。

 67年の「人間蒸発」は実際に行方不明になった人を婚約者とともに追う設定の記録映画。記録映画となっているが、どこに仕掛けがあるかは判らない。そこがスリリングだし、当時の風景は面白いが、なんだか判らないという感じ。横須賀で米兵相手にバーをしている女性へのロングインタビュー「にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活」(70)も興味深いけど、やはりよく判らない。吉倉市という架空の地名で、被差別の出身で小さなころからの人生行路とニュース映画への意見が交錯する。面白いけれど「判らない」というのは、これをどう位置付けていいか、どうもしっくりこないのだ。庶民そのものをずっと追って行っても、そんなに面白いものにならないのかもしれない。

 だからドラマの仕掛けがいるのであって、「赤い殺意」で妻が襲われる事件のようなものである。あるいは快作「豚と軍艦」(60)の米軍残飯で養豚するヤクザという設定などもそうである。この映画は実際にたくさんの豚を町に走らせるラストシーンがすごくて、予算オーヴァーらしいけど昔はすごかったなと思う。主演の長門裕之も、丹波哲郎や小沢昭一もみんな若い。後で長い作品ばかりになるけど、108分という時間で描き切った傑作である。米軍とのコネで残飯を入手し、豚を飼うヤクザという設定は、もちろん日本社会そのものの風刺だ。60年安保の年に作られた思想史的意味は大きい。

 60年代の白黒の傑作群を見ると、80年代以後の大作はどうも薄味になった。「ええじゃないか」(81)は150分もあるが、世界が大きすぎて人物が図式的になった。両国橋際の見世物小屋を再現するセットはすごいけど。江戸幕府、薩摩藩、列強、生糸資本などの世界を、米国から戻った漂流民泉谷しげる(上州出身)、今は見世物小屋に出ている昔の妻桃井かおりを中心に多くの人物が動き回る。
(「ええじゃないか」)
 最終的に「ええじゃないか」の大乱舞になり、これぞ庶民の革命的エネルギーの爆発だというような発想なんだろう。しかし、「ええじゃないか」が庶民の革命と言うには無理があるし、幕府が両国橋を渡らせないように弾圧するという設定も無理。「ええじゃないか」踊りは、バスティーユでも血の日曜日でもないでしょ。結局、幕末段階で庶民のエネルギーに革命を幻想するという最初の発想に無理がある。でも、草刈正雄という琉球出身の登場人物を作って、薩摩対琉球をきちんと描いているところなど、やはりさすがである。幕府対薩長だけしか語らない幕末ものを一頭抜いている。

 83年のカンヌ最高賞「楢山節考」、僕はタルコフスキー監督の最高傑作「ノスタルジア」が受賞するべきだったと思うんだけど、それはともかく、共同体の凄絶なルールを生き抜く村人を、動物や虫の視点で描く。ユーモラスな描写も多いし、すぐれた作品だと思うけど、見ていてつらくなるような映画である。深沢七郎の原作自体が、「近代」と無縁なところから出てきた「残酷な童話」のようなところがあった。しかし、映画は俳優の肉体を見続けなければならない。ここまでリアルだと、すごく辛い。村の掟に従って生きるしかない時代なんだけど、救いのようなものを描かないところがすごい。
(「楢山節考」)
 87年の「女衒」(ぜげん)は、逆に悪者が出てこない。女を売り買いするのが「女衒」だから否定的人物のはずだが、快男児すぎる。明治の日本で、故郷で食えない女が海外の娼婦になる。それが日本進出の先兵となり、やがて貿易や日本軍も出ていける。だからお国のために海外進出していると心底信じていた男。だが本当に日本が成長すると、「醜業婦」を海外に送るのは国辱としてお国に切り捨てられる。壮大な勘違い男の一代記である。みんな楽しそうに演じていて、面白い。だけど、映画の中に否定的な契機が描かれていない。否定すべきは主人公の生き方そのもので、そうすると映画自体作る必要はなくなる。困ったねと言う映画。今村の目論見通り、もっと早く「サンダカン八番娼館」が映画化されたころ(74年)に映画になっていたら、だいぶ印象が違ったかなと思う。

 「黒い雨」(89)を作ってカンヌで受賞できなかった後、しばらくまた映画がない。最後の3本は、息子の天願大介が脚本に加わり、軽い味の作品に仕上がっている。「うなぎ」(97)はカンヌ最高賞だけど、軽い感じがしてしまう。最後の「赤い橋の下のぬるい水」(01)とあわせて、役所広治、清水美砂のコンビである。見直してみると、やっぱり面白かった。坂口安吾原作の「カンゾー先生」(98)は、柄本明がずっと走っている。こんな走る映画だったか。戦時中になんでも肝臓炎と診断してしまう地方医者の話で、捕虜虐待、731部隊、原爆、鯨などずいぶん多くのテーマが伏在していたことに改めて驚いた。麻生久美子が素晴らしい。最後の3本の中では、当時から「カンゾー先生」が好きで、それは見直しても変わらなかった。今村監督の作品は、できれば大きな画面で見るべきものだと思う。人間とはなんと奥深く、判らない存在なのだろうという思いが、改めてしている。
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