尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

学校と会社の仕事はどこが違うか

2011年03月31日 21時41分13秒 |  〃 (教育問題一般)
 ちょっと難しい話を続けていますが、今日で一時おしまい。もう少し。
 「金八先生」に関して学校は組織で働くと言い、一方昨日は生徒と教師の関係は組織では動かないと書きました。

 どういうことでしょうか。それは学校の「平時」、普段の授業や部活が毎日続いているときは学校の組織性は隠れていて、教師や生徒の様々な人間関係の方が目につくのです。一方、平時ではない「特別な時間」になると、学校の組織性が表に出てきます。たとえば、生徒が大きな事件を起こしたとか、絶対にミスがあってはならない入学者選抜の時とか…です。

 現在は年度代わりの春休みです。教師の転勤等があり、新しい先生を迎えて、新しい時間割が作られ、新しい部活顧問が決まります。こういう時は学校の組織性が全面に出ている時期ですね。
 誰かが時間割の案を作り、誰かが部活顧問の案をつくる。だから、生徒が始業式、入学式を迎えたあとに、スムーズに学校の日常が開始されていくのです。

 要するに学校も社会の一部である以上、先生たちは分業で仕事をするわけで、会社で営業や経理や総務など分業しているのと同じです。そこだけだったら、「学校も会社と同じ」。だから、人事管理や昇給も会社と同じでいいわけです。

 しかし、学校ではそれは「裏の仕事」であって、授業や行事や部活動などの生徒との関わりという「表の仕事」があります。

 この「表の仕事」に関しては、初中等教育では生徒が教師を選べないので、教師の指導力が重要なのはもちろんです。しかし、ただ「指導力」だけを取り出して育成強化しようとすると、「自分は頑張っている」という教師の側の努力についていけない生徒が挫折する「指導力過剰教員」問題がおきます。

 教師をバラバラにして、昇給などで競わせれば学校はよくなる、というような発想がうまく行かない原因はそこが認識できない点にあります。民間企業と同じような人事管理をしていったあげくに、全然効果が上がらず、書類仕事が激増した分、生徒と教員の関係性が壊れかけています。それが、現在の日本の教育界ではないでしょうか。

 ではどうすればいいか?そんなに簡単に答えがあるはずがありませんが、たぶん多くの現場教員が望んでいるに違いないことが二つあります。

 一つは、現場裁量を大きくすること。生徒のことを考えて先生たちが工夫した行事の案が、管理職からストップさせられる、というようなことがあれば、誰もマジメに意見をいう気がなくなります。実は現在の学校ではこういうことが多すぎて、話し合いが成立しなくなっているところも多いと思います。
 
 もう一つが、自主的な研修の拡充です。「指導力」は目に見えるものばかりでなく、氷山の下の「見えない指導力」があるのです。それを支えるのが、旅行や文化、スポーツ体験、読書、ボランティア活動、家族や友人との関係などだと思います。今は夏休みの自主的な研修がほとんどなくなり、教師の「見えない指導力」が減少している恐れを感じます。

 さて、長くなりました。この指導力の問題や学校という職場の現状は今後も折に触れ書いて行きたいと思っています。今日はここまで。

 ところで、この数日間、学校の片付けで手一杯。何とか最終日に片付け終了。今度は家に持ち帰った分を「断捨離」しなくては。ということで、明日、また。 
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学校は「リゾーム」(地下茎)である

2011年03月30日 21時33分19秒 |  〃 (教育問題一般)
 昨日は、指導力不足教員より、むしろ「指導力過剰教員」が問題なんでは、と書きました。
 その通りだと思っているのですが、これだけでは実は不十分です。なぜなら、指導の対象である生徒を抜きにして、「指導力」だけを取り出して、指導力があるとかないとか言うことは実はできないのです

 つまり、ある先生はある科目の時には分りやすい授業をするけど、ほかの科目の時は不得意そうで、クラス担任になったら頼りになる先生だったけど、部活顧問としては「イマイチ」だった、とか。「指導力」は学校の様々な場面で様々な発露をしていくもので、生徒との「関係性」の中でしか発揮されません。

 だから教師の側の「指導力」だけを強化しようとして、学校外で研修したり、面倒くさい書類作りをいっぱいさせるのは逆効果になります。研修や講習に時間が取られる分だけ、生徒理解の時間が減って、教師と生徒との関係性は弱体化していくわけです。

 学校というところは不思議なところです。金八先生の話で、学校は組織で動くと書きましたが、教員の仕事はそうなんですが、生徒と教師、生徒と生徒の関係性は組織的には動きません。
 いや、やはり生徒のことは学級担任(学校の組織の役割)が一番理解していることが多いと思いますが、それでも他の教科の教員に話に行ったり、部活の顧問に悩みを相談したり、保健室なら登校できたり、図書室の司書が一番よく話を聞いていたり…というようなことは、実によくあります。さらに、事務、用務、警備員(今はいないけど)、給食調理などの人と関わりがある場合だってけっこうあります。

 生徒に関する思わぬ情報は、生徒本人から相談があるというより、むしろそういう様々な接点を持ついろんな教職員から入ってくることが多いと思います。
 見回り中にタバコで捕まえたとか、部活でトラブルがあったとか、保健室に話に行ってクラスでの悩みを打ち明けてるとか…。それ以外でも、いろいろな生徒との雑談の中で、学校の教職員は様々な人間関係の微調整をやり続けています

 妙に耳聡い、目聡い教師が学校に一人くらいはいるもので、生徒の誰と誰が付き合ってたけど最近別れたらしいなんて情報をたくさん持ってます。生徒が最近元気なかったりすると、職員室で雑談してるときに、「振られたばかりなんだよね」なんてズバリと言う先生がいたりします。

 学校は、そこに通う生徒と、そこで働く教職員が絡み合う人間関係の網です
 インターネットをワールドワイドウェブ(世界規模の蜘蛛の巣)と表現するなら、学校は「スクールワイドウェブ」(©尾形)と言ってもいいでしょう。

 哲学用語を引用して考えるなら、まさに「学校はリゾームである」と言えます。
 リゾームというのは、ドゥルーズ、ガタリによって唱えられた、ヨーロッパ近代思想史を塗り替える概念ですね。ドゥルーズもガタリもすでに10年以上前に他界して「ポスト構造主義」さえ古びた感もありますが、実際の学校や生徒の行動を理解するときに「リゾーム」(地下茎)や「ノマド」(遊牧民)という概念は有効なのです。

 生徒間の絶えざるグループ編成と崩壊と再編成…及びその際の不思議な人脈関係はまさに「ノマド」というしかないです。
 そして、様々な人間関係が絡み合い、中心を持つようで持たない、いろいろなところでつながっている関係は、地下茎という比喩が一番ピッタリくるんじゃないでしょうか。

 で、今日は学校論でおしまい。しかし、今日の文章だけでも学校をピラミッド型社会にする試みや、教師の研修を強化したり、教員免許を更新制にするのが、ただ間違っているというに止まらず、むしろ学校の教育力を損なうことになるのかが分ってもらえるのではないかと思います。

 毎日、字ばっかりです。長いし。長い文章書くの大好きですから。
 4月になったら、画像も載せると思うので、もう少しお待ちください。
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指導力過剰教員

2011年03月29日 20時30分05秒 |  〃 (教師論)
 教員免許更新制というのは、今は文科省は「教員の資質向上」などと言ってますが、もともと自民党右派議員から出てきたときは、「指導力不足教員の排除」が目的だったことは疑いありません。

 この「指導力不足教員」というのは、不思議なことばだなあと前から思ってます。
 「指導力」とは関係ない、教員個々の思想信条(日の丸君が代に賛成かどうかなど)とか、教員個々の問題行動(わいせつ事件、飲酒運転、体罰などなど…)が「指導力不足」という言葉に一面化されている気がします。

 上(教育行政)から見て問題と感じられるものを、皆「指導力不足教員」としてひとくくりにしている感じがします。言うまでもなく、「指導力」と限定をつけるならば、勤務時間終了後に飲酒運転しようが「援助交際」しようが、学校での指導力は優れているという教師だってありうるはずです。

 また、昔のマスコミでこんな先生が増えてると言われた「ヘンな先生」はどうでしょう?生徒と話せない、目を見られない、あげくは自家用車にこもって職員室に行けない先生がいる、などと報じられたこともありました。今では、もう誰でもはっきりわかると思います。これらの先生は「心を病む教員」だったのだということを。だから、このような、一見指導力不足教員に見える先生は、排除の対象ではなく、支援の対象だったのです。
 (ところで、障がい者雇用比率が全国でもっとも少ない職場の一つが「教育界」なんですよね。)

 「上から目線」で眺めれば「指導力不足教員」が問題に見えるかもしれません。
 しかし、生徒の声が聞きとれる人なら、指導力不足教員と言われかなねない先生は確かにいるかもしれないけど、それらの先生は学校現場でそんなに問題じゃないことがわかると思います。
 生徒にとって、いつもトラブルのは、「指導力過剰教員」(©尾形)なんですよ。

 「指導力過剰教員」は、多くの生徒にとってはいい先生です。指導力がありますから。熱心に指導してみんなついていきます。しかし、全員はついていけません。先生はすぐれているので悪くない、とついていけない生徒は自分を責めるし、先生本人もダメな生徒と見てしまいます。口にはしないかもしれないけど、なんでこんなことができないんだという態度がつい見えます。

 「指導力過剰教員」こそ、ホントに問題なんじゃないかと思うんですけどね。
 じゃあ、どうすればいいのかというようなことは明日に。
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学校は組織で動くー「金八先生」を見て思ったこと

2011年03月28日 22時41分34秒 |  〃 (教育問題一般)
 「金八先生」がラストということで、昨日4時間スペシャルをやってました。全部見てるわけにもいかないけど、ブログ書きながらもなんとなく見てました。

 基本的な感想は「最後までちょっと困ったドラマだったなあ」というものです。
 大体ドラマの中の学校というのは、とても現実の学校とは思えないようなことが多いんですが。

 もっとも僕はほとんど見たことがないので(テレビドラマはほとんど見ないし、始まった当時は学生で金八にはほとんど家にいなかった)、あまり本格的に批判する資格はありません。また、脚本家の小山内さんは基本的に善意で書いてるのは間違いないし、特に性同一障害について社会に知らせた意味は大きいと思います。そのシリーズに協力したことで知られる虎井まさ衛さんを「人権」の授業にお呼びしたこともあるし、その時はTSUTAYAで金八先生のDVDを借りてきて授業で見ました。

 昨日見ていて思ったことは、この学校は組織で動かないのかなということです。こんな学校は日本中どこにもないでしょう。学校というところは、法律で設立された長い歴史を持つ組織で、公立学校もお役所の一つです。(いいとか悪いとかの問題ではなく。)

 従って、大事なことは「ルール」「会議」「先例」などで決まっていきます。昨日のドラマでは、「問題生徒」を受け入れるべきかどうかが、職員室での金八先生の演説で決まっていきます。あれって、何?
 もちろん、反対している先生もいたけど、あれほど重大な問題を会議室で話し合わない学校はないでしょう。

 ドラマの中の問題は生活指導上のことだから、担任の金八先生が指導原案を出すのもおかしい。生活指導部でまず事情聴取して指導案を作るはずです。担任がやると、まさに金八先生がそうであるように、実力のある先生のクラスはいいですけど、そうじゃないクラスもある。あらゆる問題で完全に同一歩調の指導をすることは不可能だし、またそれほど大きい問題でなければ先生ごとの多少の指導の違いもあっていいと思います。
 しかし、いじめ、暴力、飲酒喫煙などの問題は、学校として同一の指導が必要だから、どの学校でも生活指導部が中心となって決めていくはずです。生徒への申し渡しは大体生活指導主任が行います。

 今度のドラマの場合だったら、対教師暴力なので、事件内容の把握をしっかりするとともに、暴力は何があってもいけないというのが学校のスタンスですから、謝罪プログラム抜きの教室復帰はありえません。高校と違って中学では退学処分はないけれど、校長室登校などから始まるのではないでしょうか。
 担任の「思い」で指導案ができてしまうのは問題で、校長の責任です。

 また、3年B組という以上、A組があるはずで、あと何組まであるかは知らないけど、副担任を含め、3年生なんだから数人の学年団があるはずです。学年会はしないのか。当然、学年の問題は担任個々で対応するのではなく、学年会でよく話し合って学年で統一してすすめるはずです。

 こういうドラマを見ていると、教員個々が頑張れば学校が変わるような描かれ方をしています。だから、学校に不満を持った時に、教員個々が頑張っていないからだという批判をするような人が出てきます。また、個人で頑張っちゃう先生が出てきたりする。

 これは困ったことだよなあ、と思うわけです。
 しかし、生徒を自宅に引き取っちゃうなどという、絶対あってはならない指導が平気で行われている以上、あまり目くじらたてずにファンタジーと思っていればいいのかもしれませんね。

 また、最後に今までの卒業生を呼名する場面、確かに感動的なんですが、なぜ金八先生だけ同じ学校にずっといられたんだよ、と思ってしまいました。ちょうど金八先生が始まったころから強制的に異動させるルールが徹底されてきて、長く夜間中学や日本語学級で働いてきた先生が強制的に他校に転勤させられたりしてきました。
 足立区の広報に金八スペシャルの特集がありましたが、確かにあそこの学校は東京都のはず。いやあ、現行の異動要綱に対する小山内さんの批判かもしれませんね。しかし、都教委の人が見れば、同じ学校に長くいると金八先生みたいに昔の話を持ち出して校長より力を持っちゃう先生が出てくる。やっぱりどんどん先生を転勤させちゃう都の異動方針は正しいんだ、と思ったことでしょう。

 「組織で動く」などというと、決まりきったことをやってるだけのようなイメージがあるかもしれませんが、そんなことはありません。学年会がきちんと機能していれば、みんなの意見でどんどん盛り上がり、新しいこともどんどんできるはずです。
 自分が今まで経験した学校では、大体自由闊達な意見交換を行い、楽しく仕事をしました。組織でやるというのは、どんな行事も生徒指導も皆で力を合わせないと成功しないのだから当たり前です。

 生徒を卒業させてからも、学年の先生たちで集まったりする学校ばかりでした。
 僕は生徒と同じくらい同僚の先生に恵まれて仕事をしてきたと思っています。

 僕は、これから現実の学校の姿を発信していきたいと思っています。そうでないと、教育に関する間違った政策(教員免許更新制度のような)ばかりが、出てくるからです。東京都のように。 
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免許更新制度の問題点②

2011年03月27日 20時23分59秒 |  〃 (教員免許更新制)
 教員免許更新制度の中でも、とりわけおかしいと思う点は、講習を免除されている教員がいるということです。文部科学省のサイトで確認すると、ちょっと面倒くさいけど、以下の通り。

 教員を指導する立場にある者
•校長(園長)、副校長(副園長)、教頭、主幹教諭または指導教諭
•教育長、指導主事、社会教育主事、その他教育委員会において学校教育又は社会教育に関する指導等を行う者
•免許状更新講習の講師となっている者 など
 優秀教員表彰者 
 文部科学大臣、教育委員会などから、各教科の指導法または生徒指導その他その者の所持する免許状に関係する知識技能が優秀であることについて表彰を受けたことのある者のことです。
 
 これは非常に不思議な決まりです。教員を指導するべき校長の方が「教育の最新事情」に通じているべきだから、講習を受けるべきだという考え方もあるでしょう。
 一方、校長は講習を受けなくても「教員の最新事情」を理解しているというのなら、校長は「教員を指導すべき立場にある」のだから、その校長が校内で教員を指導すればあえて大学等で講習を受ける必要もないはずではないでしょうか。

 ここに見られるのは、校内で働く教員を、更新講習を免除されるもの、免除されないものに分断するという意思です。
 つまり、教員の世界を「身分社会」に変えていくという強い考えです。

 普通の教員は自費で数万円を払い、夏休みや土日に講習を受けなければ失職します。
 一方、先に挙げたそれぞれの教員は、講習を受けなくても更新されます。

 これを「身分制度」と言わずして、何と呼ぶべきでしょう。

 そして、これが教育に悪影響をもたらすのは、言うまでもないでしょう。
 早く「出世」したり、文科省や教委に表彰されることを考えるようになるだろうからです。

 第1回の今年に関しては、制度廃止の予想もあったので、まあ免除申請したとしてもいいでしょう。
 しかし来年からは、多くの現場教員が講習を受けているのに、平気で免除申請するような人は、僕は教師として認めないことにしようと思います。

 そんなアパルトヘイト体制下の「名誉白人」を喜ぶような人は、教師とは言えない。
 僕はそう思っているのですが。
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フレンズ国際ワークキャンプ

2011年03月26日 20時23分33秒 | 自分の話&日記
 足立区で相馬市向けの救援物資を集めているということで、少し生活用品を持っていきました。車に乗りながらラジオを聞いてると、「久米宏のラジオなんですけど」に、サンパウロ新聞社の大久保純子さんが出てるじゃないですか!いや、懐かしかったです。さっそくサンパウロ新聞のサイトを見てみたら、ブラジルの日系社会での震災救援の動きを知ることができました。

 サンパウロ新聞というのは、ブラジルのサンパウロにある邦字新聞ですね。大久保さんは、昔、フレンズ国際ワークキャンプの韓国キャンプに参加して、その後の集まりで知り合ったと思います。その当時は「消費生活新報」というところに勤めていて、僕の731部隊展の文章を載せてくれました。 そのあと、ブラジルに行ってサンパウロ新聞に勤めて、時々は帰国したときにみんなであったりしていましたが、いつのまにか連絡が途絶えてしまいました。

 この間の「最後の授業」で教員生活の振り返りをやったけど、FIWC(フレンズ国際ワークキャンプ)のことは全部抜いてしまいました。話が長くなってしまうので。でも、僕の人生でFIWCのキャンプは大きな意味がありました。ハンセン病への関心もそのキャンプからの話。

 僕の基本的なスタイルは、かなりこのキャンプでできていると思っています。
 それは特に、韓国キャンプの主催だった関西委員会の流儀ですね。
 「やりたい者がやる
 「やりたくない者はやらない
 「やりたくない者はやりたい者の足を引っ張らない」の三原則です。

 これは、谷川雁や森崎和江の「サークル村」の影響にあるものと思いますが、戦後日本の民衆運動の貴重な知恵として伝承していきたいと思っています。

 関西委員会が建てた、ハンセン病回復者の宿泊施設「交流(むすび)の家」がある奈良の大倭紫陽花邑(おおやまと・あじさいむら)。僕がクラス通信をつくるときは、すべて「紫陽花通信」という名前をつけました。各学校で何回か出してるけど、同じ名前。
 あじさいは、一つ一つの小さい花が集まって大きな花を作っています。このように、一人ひとりが花咲くことにより、全体が輝くというのがクラスの理想だと思うから。

 松江二中のころは、時々「真田風雲録」テーマソングを歌っていたね。
 「真田風雲録」というのは、福田善之の60年安保闘争総括の演劇ですが、同時に歌入りの楽しい芝居になってます。そこで歌われる真田隊のテーマソング。1番だけ。ホントは2番の「生きてる気分になりてえな」のフレーズが好き。

  織田信長の謡いけり
  人間わずか五十年
  夢まぼろしのごとくなり
  かどうか 知っちゃいないけど
  やりてえことを やりてえな 
  てンで カッコよく 死にてえな
  人間わずか五十年
  てンで カッコよく 死にてえな
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免許更新制度の問題点①

2011年03月25日 21時17分33秒 |  〃 (教員免許更新制)
 今月中は毎日書くけど、「教員免許更新制反対日記」だから、今日からその問題を何回か続けて。
 面倒くさい話が続くので、きっと順位は落ちると思うけど、今書いておかないと。

 前に何回か書いてますが、その時は「本質的におかしい」という話だったので、今回は細かい点を書きます。まず、なんで「35歳、45歳、55歳」なの?という問題。

 大学は浪人して入る人も多いし、入ってから留年する人も多い。社会人になってから入り直す人もいるし、大学院に進んでから教員免許を取る人も多い。以上の分類は僕の身近なところに皆いるけど、自分も浪人組です。従って、自分が教員免許を取ったのは23歳の時です。高校の免許は4年生大学卒が必須なので、一番若くて22歳ということになります。

 今だと35歳で最初の更新だから、あれ? 免許は10年期限というけど、最長で13年有効じゃないですか。
一方、27歳とか28歳で取ったら短いし、それより30歳過ぎて免許取ったら、数年で更新じゃないですか?

 つまり、有効期限10年と言いつつ、最初はバラツキがあります。これって不平等ではないですか?これは、更新講習を年齢で区切ったことからおこる矛盾です。教育委員会は何年に誰に免許を出したかをわかってるんだから、全員平等に「免許取得から10年で更新」にするのは、簡単なことです。

 でも、もっと分りやすい年齢による区切りを選んだ。一度社会人になってから、教員免許を目指す人にとっては、これは嫌がらせみたいなことだと思います。様々な経験を持つ人々を教師に迎えようという動きとも明らかに矛盾します。ここには、教員管理優先主義が見られます。

 もう一つ、そもそも「なんで55歳で更新なの?」です。
 現時点では公務員の定年は60歳です。だから、(この制度を作るなら)50歳が最後の更新であるべきです。(そうしたら僕はこの制度と関係がなかった。)

 いや、多くの学校で定年を過ぎた先生もいるではないかというかもしれません。その通り。東京都では65歳まで、再雇用制度などがあります。だから、65歳まで働けるんだったら、55歳で10年有効の更新をするのは正しいのではないか?

 いや、違う。それなら、「必ずすべての教師が、希望すれば65まで働ける」という制度にしてからにしてくれ、と言いたいです。65歳まで働ける権利があるというのなら、55歳の更新講習は問題ないです。
 でも、東京都では「再雇用は権利ではない」ということで、現に希望して面接に行っても落とされる先生が多数いました。裁判になった例も何件もあります。有名なところでは、卒業式の国歌斉唱に不起立だった先生たちが再雇用に不合格となり不当であると訴えている裁判。あるいは、三鷹高校前校長の土肥信雄さんも不合格となり裁判に訴えています。今はそれらの問題の中身には触れませんが、要するに60歳定年以後に働ける保証はないわけです。

 つまり、55歳の更新講習というのは、たった5年間の勤務を保障するだけのもので、これは明らかに不平等です。つまり、35歳や45歳の先生がお金と時間をかけて講習すれば、それ以後10年間の勤務が保証されるのに、55歳の場合は5年間の勤務しか保証されないのだから。(憲法14条違反)

 更新制度自体も頭に来るけど、55歳の場合はまた別の問題があるということでした。
 今日はこれで。もっと知りたい人は、土肥裁判(http://dohisaibansien.blogspot.com/)などを調べてみてください。
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「最後の授業」②

2011年03月23日 21時09分52秒 |  〃 (教育問題一般)
 昨日は感謝の言葉で終わる予定がつい中身まで書いてしまいました。よって、今日はもう書かなくてもいいようなもんですが、昨日は①になってるからなあ。

 当たり前ですが、「思い」だけで生きていけないし、仕事はできません。ドラマでは日常の全部を描かないから、熱いだけの教師がいるかもしれないけど、実際そういう人がいたら生徒はエライ迷惑ですよねえ。

 僕も普段は「テキトー」な教員で、うまく手を抜きながらやってます。それを気づかれないように、あるいはわざと少し気づかれるように、上手にやるのがプロの技ですよ。(いつもうまくいってるわけではない。)(ただし、進路関係では絶対手を抜かないけど。)

 しかし、ベースには「思い」があります。たぶんほとんどの先生に、あるいはほとんどの仕事人に。普段見てると感じないかもしれないけど、あなたのお父さんは、職場ではすごい人なのかもしれません。


 今回「最後の授業」をやったのは、4つくらい理由があって、

①自分がなぜ辞めるかを、生徒に言っておきたかった。やはり、何人かの生徒に対しては、卒業まで関われなかったことで、国が悪いと言いつつも、申し訳ない気持ちがあるのです。

②更新制度に反対していくときの「武器」が欲しかった。今年の卒業生には1年生、2年生のときから教えている生徒も多く、かなり気心が知れていたから、力になってもらえると信じていました。ありがとね。あなた方がいなかったら、この企画は考えられなかった。

③今までのどの学校も思い出がありますが、今の勤務校はかなり特別で、生徒はちゃんと聞いてくれる確信がある一方、僕には伝えておきたい言葉がある。それは昨日書いたような言葉ですが、みんなが勇気をもってこれから進んで行くために、是非最後に残しておきたかったのですね。もう一回書くと、人間は変われるし、許しあえる。しかし、そのためには過去と向き合い、正しい認識を得る必要もあるのです。

④だけど、やっぱり、こういうことが好きなんだよね。「自主講座」(わからないと思うけど)みたいな集会を企画するのが。

 僕は学校の中だけで熱く頑張るような教師ではなかった。むしろ学校の外からの風を校内に持ち込みたいとずっと思ってきました。そしてずっといろんなことをやってきたと思います。
 そういう意味では、やはり僕にあった「最後の授業」だったのでしょう。

 感想文、42枚。卒業生25名(内、今年が16名)、在校生14名。

 朗読だけは、もう少し練習してやりたかったです。会議の連続で1回読んだだけなので。

 吉本隆明「涙が涸れる」も考えたけど、少し言葉が古いのでやめた。

 「とおくまでゆくんだ 僕らの好きな人々よ」 
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「最後の授業」①

2011年03月22日 23時37分51秒 |  〃 (教育問題一般)
 本日、予告していた「最後の授業」を行いました。
 今日は帰りが遅かったので、明日以後、またきちんと報告したいと思います。

 来てくれた人、本当にありがとう
 多くの感想を読ませていただいて、なんて、なんて、素晴らしい宝物なんだろう、と感無量です。

 何人来てくれるかと思い、心配しながらでしたが、やって本当に良かった。

 素晴らしい生徒、卒業生に恵まれて、書くべき言葉がありません。

 そして、国が認めない僕の教員免許更新を、生徒たちが更新認定してくれました
 これこそ、正しい教員免許更新ではないですか!!

 ほんとに、ほんとに、ありがとう。

 今日、中国帰還者連絡会の話をしました。日本史教師として、戦争と平和の認識が重要だと思うからです。そして、中国のBC級戦犯処遇から学ぶことはいっぱいあると思います。

 それは、人は鬼にもなるが、また人間にも戻れる。人間は変われる
 しかし、それは過去の正しい認識の上にたってのことです。
 そして、正しい認識を共有することで、人は許しあえるのです
 そんなに現実は甘くないかもしれないけど、基本的にはそう信じています。

 最後に村上春樹「風の歌を聴け」の「37」節を朗読しました。

 ラジオ局に、寝たきりの少女から手紙が来るというところです。
 「どんな惨めなことからも、人は何かを学べるし、だからこそ少しづつでも生き続けることができるのだということです。」

 そして、ディスクジョッキーはリスナーに向かって叫びます。
 「僕は・君たち が・好きだ
 原作でも、ゴチックで大きな字で表記されています。

 中学不登校だったり、高校中退の生徒が多く通っている、今の勤務校です。
 本校生徒、卒業生に最後にささげる言葉として、選びました。
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現場を責めないということ

2011年03月21日 20時01分32秒 |  〃 (教育問題一般)
 震災報道を見ていて、少しずつ「責める論調」が多くなってきたように思います。
 特に、福島原発関連の報道では、今まさに危険をかえりみず危機に対応する人々がいるときに、責任者出てこい!的な論調もあるように感じます。

 しかし、現場の人々は懸命な努力をしているはずです。まだ東北の多くの地区で、停電、断水等が続いているようですが、復旧に向けた作業が継続中のはずです。「はずです」で、具体的には知らないけれど、今までの災害時の対応から、そう信じられるのです。

 救援が遅いという人もいるけど、まだガレキの中に多くの遺体が残され、行方不明者が膨大な数にのぼるという想像を絶する災害規模でした。普段でも行きにくいところで、道路が寸断された中、従来の支援活動にない多くの避難所があります。それでも一週間もたたずに、仙台港、釜石港、宮古港が復旧しました。恐らく関係者の不眠不休の尽力があったのだろうと思います。

 地震発生日の朝日新聞朝刊は、菅首相に「外国籍の人からの献金があった」と報道しました。特別永住資格のある在日韓国・朝鮮人を、一般的な外国人扱いして非難してよいのかと思いますが、その問題はちょっとおいて。前原前外相が辞任した直後です。まさに菅内閣は追い詰められていました。

 だから、今まで反民主党の論陣を張っていた立場の人は、つい内閣を批判したくなるのもわかります。でも僕は、今は首相も官房長官も「現場の人」だと思うから、批判はしません。
 原発の検証はやがてするべきですが、今は東京電力の個々の対応を批判しません。

 「現場を責める」ということの弊害は、大きく二つあります。一つは、冷静な論議を封じ込めることで、将来の検証の場を閉ざすこと。日本では、時間がたってからの検証がほとんどありません。国政の最高機関である国会こそ、しっかり検証すべきだと思いますが、「阪神淡路大震災」も「オウム」も検証されませんでした。諸外国で行われている「イラク戦争」の検証もまだ行われていません。(まだというのは、岡田元外相は、検証の必要性は認めていたので。)

 検証すべき時には、次の責める対象を見つけて大騒ぎしているからだと思います。
 こういうことをしていると、「その場しのぎ」の発想ばかりになり、(政府や企業の幹部ばかりでなく、全部の)人間は歴史の中で裁かれるのだということを忘れてしまうでしょう。

 もう一つの弊害は、何かあったときに、現場が責められないようにということだけを行動の基準とし、平時のルールを墨守し、臨機応変の対応ができなくなるということです。
 そして、そうやって責められない対応だけうまくなった人物が、マイナス点が少ないという点で、リーダーシップもないのに出世していくということが起こります。

 こうして、日本ではどこの世界でも「小人」が跋扈(ばっこ)する社会になっていったのです。

 これは政治の世界の話をしているのではありません。

 学校に問題が起こるたびに、学校現場を責める声がマスコミで発せられ、それに対応して教育行政や管理職が守りの対応だけ強めていく…ということをずっと見てきました。
 教育に関しては、全国民が一家言あるでしょう。何かあるたびに、昔の学校は、昔の先生は…と言ってくる人がいるのでしょう、きっと。一般市民ならともかく、それが地方議会の議員だったりすれば、行政も対応せざるを得ません。で、くだらない通達や調査ばかり増えていくわけです。

 学校には、それはいろんな先生や生徒がいるでしょう。でも、大体は普通にきちんと仕事してるんじゃないでしょうか。信じて任せて、手を携ええて一緒に学校作りをしていくべきです。

 同じように、自衛官や警官や消防士にもいろんな人がいるでしょう。東電社員にもいろんな人がいるでしょう。被災した地方の役場にもいろんな人がいるだろうし、避難所にもいろんな人がいるでしょう。
 でも、大方は家庭にいれば「フツーにいい人」で、今は危機にあたって懸命に活動している人だろうと思います。

 僕は直接今できることはない。だから、信じて任せて応援するしかありません

 むろん、そのことと、たとえば福島原発で最悪事態を想定することとは矛盾しません。最悪の事態を想定する冷徹な頭を持ちつつ、信じて応援していくということです。
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卒業式の思い出

2011年03月20日 22時37分34秒 |  〃 (教育問題一般)
 昨日予告した卒業式についての話。

 いつの頃からか「卒業証書授与式」が本当の名前なんだなどという人が出てきました。でも、学習指導要領だって、例の「国旗掲揚、国歌斉唱」条項のところでは「入学式や卒業式においては」と書かれています。「卒業式」がホントなんですよ。
 いや、校長が授与する式典なんだなどというエライ先生が増えてきたころから、学校がヘンになってきたような気がします。卒業式は、卒業する生徒を教員・保護者・在校生でお祝いする会ですよね。

 今まで、卒業生を担任した学年では、いずれも入学から卒業まで関わってきました。これは今では、実に奇跡的に珍しいことではないかと思います。

 中学で2回、全日制高校で1回、夜間定時制高校1回、そして現任の単位制定時制高校です。
 今いる高校は、何回と言いにくい。9月末の半期卒業という珍しい制度もあって、卒業生呼名をしたのは4回ですが、同じ入学年次の生徒ばかりだから、合わせて1回みたいな感じもしてます。

 やはり思い出に残るのは若い頃の卒業式です。特に最初の卒業生の時は、クラスで「今日の日はさようなら」なんて歌ったんだよね。今じゃ考えられない。高校が決まってない生徒がいて、2次募集の発表が卒業式当日。ホームルーム中に合格の知らせがあったのをクラスに伝えたのが忘れられません。

 2回目の卒業式は父親の死の直後で、特に思い出深いです。生徒の自主的活動でいろいろな行事を成功させてきた学年で、卒業式でも「大地讃頌」を合唱したり、「歓喜の歌」を原語で歌ったりしました。この中学の時は文集作りが盛んで、特にこのときの卒業生文集は素晴らしいできでした。

 その後、高校に移り、商業高校の卒業式。このときは素晴らしい色紙をもらったっけ。
 そして夜間定時制高校では、高齢の生徒や外国籍の生徒が何人もいて卒業していきました。

 でも、一番感激した卒業式は、今の高校の2年前。今までは学校の種類は大きく違うけれど、学年制という点では共通。クラス、学年の生徒はほぼ全員一緒に卒業する。(いや高校ではずいぶん退学、留年していったけれど。)単位制だと、入学が一緒でも卒業が違ってきます。
 自分で単位を積み上げて、卒業まで至る道のりの重さが、今までの学校と違いました。

 今の学校でも卒業にあたり文集を作りました。このとき生徒たちが一番参考にしたのが、先に書いた中学の文集でした。時間を経て、僕の卒業生がつながっていって本当に嬉しかったです。
 その時に3年で卒業できない生徒が次のように書きました。

 崖っぷちにたっても諦めずにここまでこれたのは/支えてくれる仲間達がいたから
 『一緒に頑張ろ』と手をさしのべてくれて/
 諦めかけた自分を引っぱってくれたから 今自分はここにいる。
 みんなと過ごした3年間は最高の時間でした。/面と向かって素直に言えないけど
 精一杯に気持ちを込めて・・・・ありがとう!!

 これ書いた生徒は、5年かけて今年卒業しました。おめでとう。良かったね、ほんと。
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震災と動物、東北のアンテナショップ

2011年03月19日 23時18分03秒 |  〃 (震災)
 「最後の授業」のための資料を作っているので、本当は書きたいことがあるんだけど、今日は簡単に。もし時間があったら、今までの卒業式の思い出をもう一本書きます。「書きたいこと」はそれじゃなくて、題名だけ予告すると「現場を責めないということ」というものです。

 コメントをつけてくれる人が出てきました。ありがとうございます。「くま部長さん」は容易に誰だかわかりますが、「しゃけ」さんはだれでしょう。(別に知りたいわけじゃないです。)ほぼ100人くらいが見てくれている感じなんですが、大体は僕の周りの人中心なんだろうと思います。ここまで来たら、どんどん増やしたいな。

 さて、震災も一週間たち、原発の推移が重大ですが、その問題はちょっと別に論じるとして、論議がいろいろ広がってきたようです。まだ行方不明の人が多数いますが、今後は他県(特に西日本)への避難とか財政問題、復興への道筋の問題が大きくなっていくのではないでしょうか。

 そんな中で、阪神大震災のとき大きく問題化した被災動物の問題が今回はあまり報じられていないことに気が付きました。あの大津波ですから、ペットの犠牲のことまで考えていられないのは当然でしょう。でも、たぶんたくさんの犬や猫などが津波の犠牲になったと想像されます。しかし、なんとか生き延びたけど帰るところがない犬はいませんか?また、少しおちついてきたら、ペット・ロスで悲しむ被災者も多数出てくると思います。そんなことも思ってみたけど、少し時間がたったということなのかな。

 今日の東京新聞に、いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」から動物が首都圏に避難したという記事がありました。セイウチ、トド、あざらしが鴨川シーワールドに行ったそうです。カワウソが上野動物園、エトピリカ、ウミガラスが葛西臨海水族園に受け入れられたそうです。こういうニュースはほっとしますね。

 もう一つ、東北地方のアンテナショップが情報交換の場ともなっているというニュースもありました。
 岩手県の「いわて銀河プラザ」が東銀座の歌舞伎座(建て替え中)の道を隔てた真向いにあります。
 宮城県の「ふるさと宮城プラザ」は池袋の駅からサンシャインに行く途中にあります。
 福島県は八重洲にあるらしいけど、行ったことはありません。ちなみに、鶏インフルと新燃岳噴火(その後どうなってるんでしょう?)の宮崎県は新宿駅南口サザンテラスにあります。
 近くに行ったら、応援に行きましょう。おいしそうなものを買うのも支援でしょう。
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卒業生に贈る言葉

2011年03月19日 00時33分13秒 |  〃 (教育問題一般)
 昨日(もう一昨日ですが)は計画停電になり、パソコンからの投稿ができませんでした。
 しかし、パソコンや電灯はまあいいです。問題は暖房でした。昨日は、じゃあ星でも見よう、ジョギングしようなどとは言えない寒さでした。しかし、それって東北の避難所では24時間続いている事態ですよね。
 それを思うと、数時間で復旧するのが、いかに恵まれているか。改めて思った次第です。

 で、卒業式。勤務校は単位制高校です。生徒は3年から6年かけて卒業します。ここ3年間連続で卒業担任です。でも、担任していても教えてない生徒もいれば、担任じゃないけど授業で何回も教えた生徒もいるということがおこります。
 生徒は様々な授業の単位を積み上げて卒業認定を受けるわけで、卒業まで到達したという達成感は今までのどの学校よりも大きい感じがします。
 今までだと、自分の学年じゃない年は思い出に残らないことも多いですが、現在の学校では毎年の思い出がかなり濃いですね。

 今年は卒業式に先立ち、黙祷から始まりました。自分が提案したのですが、やはり今年の卒業生には一週間前の大震災が大きい意味を持っていると思います。そのことを抜きにして、新しい進路を見つけていくということはないだろうと思っています。(もちろん、全日本人が多かれ少なかれそうなんですが。)

 僕がよく書く言葉

 ≪泣く人とともに泣き、笑う人とともに笑いなさい
 これは新約聖書のパウロの言葉だそうですが、遠藤周作の本で読みました。 

 アメリカの難聴者が書いたという詩も書くことがあります。 訳もある。
Don’t walk in front of me    私の前を歩かないで
I may not follow         ついていけないかもしれないから
Don’t walk behind me       私の後ろを歩かないで
I may not lead          引っ張ってあげられないかもしれないから
Walk beside me          一緒に歩いて欲しいの
And just be my friend       そして ともだちになって 

 前任校の夜間定時制の生徒の答辞もぜひ紹介しておきたいと思います。(一部だけ)
 境遇が似ているので、現任校の生徒にも通じると思います。

 四年間の学校生活の中では、先生方に温かい目で見守ってもらい、ぬるま湯につかっていたと思いますが、昼間一生懸命働きながら学校へ通ったことは私達にとってキツイことだったと思います。それを乗り越えてきた力は、これからの私たちを支えていってくれると思います。この定時制に通ったそれぞれの年月はかけがえのない大切なものになったと思います。

 この四年間で学んだことを活かしながら、自分達の道に悔いのないよう歩いていきたいと思います。わたしがまなんだことは、寄り道や遠回りは悪いことではないということです
 一緒に卒業したいやつがいました。残念ながらむりだったけれど、これからも仲良しでいたいと思います。今年卒業できずに留年したり転校した人たちも、来年はきっと卒業できると信じています 
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ただ今停電中

2011年03月17日 20時33分09秒 |  〃 (原発)
足立区ですが、停電中。
やむを得ないのですが、それでも早く終わって欲しいものですね。

携帯電話は使えるわけだから、ケータイとは偉大なもんですね。

阪神大震災の時はまだケータイは一般的ではなかったですよね。
いや、大変でしたね。

帰りの電車も大混雑。
普段の倍の時間がかかりました。
駅からの帰り道、もう停電していたけれど、月明かりだけでも、結構明るかったです。
正面にオリオン座がきれいに見えました。
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大震災と知事発言

2011年03月16日 20時25分12秒 |  〃 (震災)
 地震のことで気持ちがいっぱいで、教員免許更新制のことがなかなか書けません。
 しかし、どうしてもこのことを書いておきたいと思います。

 大震災が起こり無神経な発言をした知事がいました

 そうです。大阪府の中川和雄知事です。阪神大震災の翌日、「(被災者は、大阪を頼らず)コメと台所があれば自ら炊き出しができるのにそれをしようとしない」と発言しました。
 覚えていますか?
 結局中川知事はこの発言が批判されたことも一因で、4月の知事選には立候補せず、1期で退いたのでした。(後任に当選したのは、横山ノックでした。)

 ♪まわる まわるよ 時代はまわる
 
 さて、今回の大震災に対して「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。」と石原都知事が発言しました。

 無神経度では、今回の方が上回ると思うのですが、どうでしょうか?

 4月の都知事選に不出馬の観測が強く、あろうことか隣県の知事が後継含みで立候補宣言までしたのに、急遽4選出馬を宣言。理由が「このまま割れると1位の得票率が25%に満たなく決選投票になる可能性があるから」「これまでの石原都政が大きく変化する可能性があるから」とかいうものらしいです。
 これは「我欲」ではないのですか?

 是非、中川氏にならったきれいな出処進退を強く望んでいます。

 こういうことを言う人はいつもいます。関東大震災のあとでは、「天譴論」(てんけんろん。堕落した東京に対して天が譴責したという議論)が現れました。地震という自然現象に社会的な意味を見出すのはおかしいですが、それでも天譴論の場合、批判対象=東京と被害地域=東京が重なってはいました。今回の天罰発言では、東北地方の海岸地域の住民が特に「我欲」で生きていたとでも言うのでしょうか。

 もちろんどんな地域にもいろんな人がいるでしょうが、今回の被災地域にはこんな素晴らしい人々がいます。読んだことがありますか?必読ですよ。
 気仙沼市の畠山重篤さんの本。「森は海の恋人」「リアスの海辺から」(どちらも文春文庫)
 「森は海の恋人」運動については、http://www.mori-umi.org/

 勤務先では、あさってが卒業式。明日からは、学校の思い出について書いてみたいと思っています。
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