金井美恵子を読むシリーズは断続的に続けて行く予定。スマホ変更話が入ってしまったので、2回に分けて書こうと思っていた本の話を1回にまとめることにする。まず2017年に新潮社から刊行された(2024年に中公文庫に収録)『カストロの尻』。何という題名かと思う人が多いだろうが、見ただけでニヤリとする人もまた多いんじゃないか。これはスタンダールの『カストロの尼』という小説を登場人物が間違えているのである。1839年に発表された中編小説だから、もちろんキューバ革命のカストロとは何の関係もない。だけど、登場人物は『カストロの尻』と聞いて、それはグアンタナモ基地をめぐるスパイ小説かと思ってしまった。
『カストロの尻』は2018年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞していて、それをめぐる様々なエピソードは著者自らが後書きに書いている。賞金は30万円だったとか。金井美恵子は生涯に3回文学賞を受賞したが、1979年に泉鏡花文学賞(『プラトン的恋愛』)、1988年に女流文学賞(『タマや』)で、それ以後30年間文学賞に無縁だった。さらに「文壇」内で一番重要な出版社が出している野間文芸賞(講談社)、谷崎潤一郎賞(中公)、日本文学大賞(新潮社、1968年~1987年、それ以前は新潮社文学賞、それ以後は新人賞である三島由紀夫賞、山本周五郎賞となる)は受賞出来なかった。特に賞金300万の野間賞が欲しかったと正直に書いている。
ま、そんな話題はいかに金井美恵子が「文壇」的には「異端」だったということだが、最後に何と(僕も知らなかったのだが)「70歳という年齢制限のある」芸術選奨文部科学大臣賞に滑り込んだのである。1947年生まれだから、刊行時70歳でギリギリ。しかし、まあよくぞ「オカミ」がこの賞をくれたもんだと思う。別に内容的に特に不道徳過ぎるとは言えないし、破壊的でもないけれど、なかなか判りにくいのは間違いない。でも、間違いなく大傑作。めくるめくイメージの連鎖に酔いしれるしかない作品である。岡上淑子(おかのうえ・としこ、1928~)という写真コラージュ作家の作品に触発されたイメージをもとに書かれている。
もっともまさに蓮実重彦(このフランス文学者&映画評論家に著者は大きな影響を受けているが)が誉めそうな、よく判るようで判らない、でも不思議に懐かしいイメージが連続するような映像体験に似た小説。そもそも小説なのか。明らかにエッセイ(あるいは評論)にはさまれて、小説風の文章が連続するがその内容は幼年時の記憶や映画体験などを中心に連続して浮遊していて、一見して理解しやすいストーリーは語られない。様々なレベルの「語り」が混在していて、なかなか判りにくいが、一度とりこになると忘れがたい世界だ。ただし世界文学や映画に関してコアな議論が出て来るから、無理して多くの人が読む本でもないだろう。
一回目でまるで金井美恵子を初めて知ったかのように書いたけれど、それはレトリック。ホントは若い頃に第一作品集『愛の生活』が新潮文庫に入った時に買っている。だけど、ちょっと斜め読みした感じでは難しそうだったので、きちんとは読まずに今も本棚のどこかにあるはず。そのちょっと後に第一エッセイ集『夜になっても遊び続けろ』が講談社文庫に入った時、買いはしなかったんだけど題名が妙に気になったのを覚えている。その後はずっと読んでなくて、たまたまちょっと前に小川洋子編著『小川洋子の偏愛短編箱』(河出文庫)に入っている『兎』という短編を読んで、完全にノックアウトされてしまったのである。
その本は幾つかのアンソロジーに入っている他、講談社文芸文庫の『愛の生活/森のメリュジーヌ』に収録されてる。1500円で文庫としては高いけど、講談社文芸文庫としては安い方だ。金井美恵子は半世紀以上の作家生活の中で、かなり違った作風の小説を書いているが、初期はヨーロッパの幻想小説みたいな短編が多い。その時期(1980年以前)の重要短編を収めた本で、これは好き嫌いが分れるだろうが幾つかの作品は紛れもなく傑作。ただし『兎』は凄いんだけど、兎が可愛いという話では全くなく、題辞にあるルイス・キャロルの世界とも相当違う。日本文学史上屈指の「トラウマ小説」なので、無理して読まない方が良い作品。
でも確かに傑作であって、欧米での評価も高いらしい。『愛の生活』は1967年に太宰治賞の最終候補となって注目された作品。この作品や次の『夢の時間』はなかなか面白くはあるけれど、いかにも「若書き」である。若書きの魅力と若書きの退屈さが同居している。『森のメリュジーヌ』のメリュジーヌというのは、フランスの水の妖精だという。いかにも的なヨーロッパ風ファンタジー。『アカシア騎士団』『プラトン的恋愛』という最後の2短編は幻想、怪奇味のある傑作短編。物語性の豊かな作風が成功している。
しかし、それらを超絶しているのが『兎』で、こんなに変テコで、怖いぐらいの少女小説は絶対に他では読めない。映画でも演劇、漫画などでもないと思う。だけど、ホントにトラウマ必至なので、そういうのが大丈夫だと思う人だけ読むべき小説だ。
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