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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中国はどうなってしまったのか-「社会主義」と「独裁国家」

2021年03月31日 22時42分37秒 |  〃  (国際問題)
 中国は一体どうなってしまったのだろうか。最近こう思うことが多い。いや、前からずっと「中国は中国」とも言えるだろう。中国の大自然は変わらず、今日も長江は流れ黄砂は飛んでくる。しかし、ここでは主に「中華人民共和国」の政治体制を問題にしている。それも習近平指導部になってからのあり方だ。現在の中華人民共和国に限らず、大昔の歴代王朝を振り返っても、とんでもない驚くべきエピソードが歴史を彩っている。それは連綿たる「独裁者」の歴史だった。

 毛沢東鄧小平も独裁者だったが、その後はもうそういうタイプの独裁者は出て来ないと思っていた。中国の最高指導者は中国共産党総書記だが、21世紀になってからは「一期5年、二期まで」が慣例になっていた。しかし、その規定は撤廃され習近平総書記が3期目まで続くことは確実だ。その中国をめぐっては、ウィグル香港の人権状況が問題化している。しかし、中国は「内政不干渉」をタテにして全く批判を受け付けない。それどころか、軍部がクーデタを起こし国民を弾圧するミャンマーの後ろ盾となっている。

 王毅外相は最近中東6ヶ国を訪問したが、その中にはサウジアラビアも含まれている。イランを訪問して対アメリカで共闘するのは理解出来る。しかし、中東一番の親米国であり、議会政治さえ存在しない独裁的な王国のサウジアラビアを訪れて、最高実力者のムハンマド皇太子と会談したのである。サウジ側はウイグルや香港で中国の立場を支持し、中国側は「サウジ内政に口を出すいかなる勢力にも反対する」と述べたという。アメリカではトランプ政権が発表しなかったCIA報告書をバイデン大統領が発表した。そこではムハンマド皇太子がトルコで起こったカショギ氏殺害を承認していたとされている。そんなムハンマド皇太子と会談したわけだ。
(王毅、ムハンマド会談)
 今から半世紀以上も前には、世界に独裁国家があったら支持しているのは必ずアメリカだった。その国で独裁反対の反政府運動が起こったら、それを支持するのがソ連や中国だった。いつからか、それが逆になってしまった。世界に独裁国家があれば、それを支持するのが中国やロシアなのである。何でそうなったのだろうか。中国は中国共産党の「一党独裁」国家である。「革命」をするわけだから、普通の意味での「民主」ではない。それは自明の前提だと思うが、それでも「共産党」と名乗る以上は今でも共産主義社会の実現を目指しているのだろうか。

 共産主義社会では「国家の廃絶」が実現するはずだ。一体全体、最近のような「国家主義」そのものに変異してしまったことに理論的説明は付くのだろうか。もっとも中国は「社会主義市場経済」という不思議な経済体制を取っている。株式市場が存在し、多くの国民が参入できるようだから、そういう経済体制は「資本主義」と呼ばれるはずだ。しかし、「市場の自由」というよりは最終的には「党がコントロールできる」ようだ。それは「国家主義的資本主義」と言うべきだろう。
(全人代での習近平国家主席と李克強首相)
 本質を隠蔽して「社会主義的用語」を駆使してそれらしい理論的粉飾を行う。それが党官僚の役割なんだろうが、いくら何でもこれではおかしいと思っている人はいないのか。きっといるに違いないと思う。それは数少ないかもしれない。最近アメリカ新政権のブリンデン国務長官と中国の楊潔篪(よう・けっち)中央政治局委員がアラスカで会談した。アメリカ側がウィグルや香港情勢などを取り上げたところ、楊は「我々が西洋人から受けた苦しみはまだ足りないというのか。外国から押さえつけられた時間がまだ短いというのか」などと語気鋭く反論した。

 ほとんど「言葉の戦争」のようになったが、この楊氏の反論は中国で受けているらしい。その事を聞いて僕が思い出したのは、1933年の国際連盟総会で脱退を表明した松岡洋右の演説だ。これも日本で大喝采を受けたが、結局のところ歴史の中で愚かだったのは松岡の方だった。世界からの批判は謙虚に受け止めないといけないというのは、日本が世界に伝えていくべき歴史的教訓だと思う。「ウィグルで何が起こっているのか」。非難されたら、中国はなぜ「新疆ウィグル自治区を自由に取材して真実を報道して欲しい」と言い出さないのだろうか。

 中国に「報道の自由」なんかないし、世界の報道機関に自由な取材を許すなんて発想は全く浮かばないだろう。僕はこういう問題が起きるたびに、自由な取材を認めていない側に何かしら隠すべきことがあるのだと判断することにしている。先の会談では中国側はアメリカの黒人問題などを取り上げていた。アメリカの国際法違反の事例なんか幾らでも思い浮かぶのに、何で中国はそれら(中東政策など)を取り上げず、アメリカに「内政干渉」したのだろうか。もちろん自分たちの反論がトンチンカンなものであることぐらい認識しているだろう。このやり取りの中に、中国共産党の知的退廃を見ることも出来るのかもしれない。この問題はもう少し考えたい。
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映画「夏時間」、韓国女性監督の傑作

2021年03月30日 22時28分13秒 |  〃  (新作外国映画)
 渋谷ユーロスペースで上映されている「夏時間」は傑作だった。予想以上に魅力があったので書いて紹介しておきたい。2020年公開の大傑作、キム・ボラ監督「はちどり」と同じく、今回の「夏時間」を作ったのも若い女性監督ユン・ダンビ(1990~)である。タッチも似ている。日常生活を静かに見つめていく中に、家族のあり方を繊細に描き出す。大きなドラマもないような日々のリズムを堪能しているうちに、背後に家族の葛藤が潜んでいることが判ってくる。

 冒頭でアパートに一人の娘オクジュ(高校生か中学生ぐらい)がいる。父親が夏休みに祖父の家に行こくんだと急かしている。小さな弟ドンジュも入れて3人が車に乗り込んで、ソウルの町を駆けていく。そのリズムに浸りながら、父が「広い家だ」と言うから自然豊かな村へ行くもんだと思っていたら…。それは確かに元のアパートよりは大きいけれど、町中にある普通の家だった。そこにいる祖父は夏バテして病院に行っている。最初は不満そうな顔をしていたオクジュだが、夜になれば二階に蚊帳を吊って、一緒に寝たいという弟を追い出して一日が終わる。

 母親はどうしたんだろう。父親は何をしているのか。そういうことは説明されないが、やがて段々感じ取っていく。夏休みに帰省したんじゃなくて、暮らしが立たなくなって親のところに転がり込んだのである。そのうち、叔母(父の妹)までワケありで転がり込んでくる。料理を作ったり、庭で唐辛子を摘んだり、姉と弟のケンカ、叔母さんとの語らい、そんなあれこれを描き出しながら、祖父はだんだん衰えていく。オクジュにはカレシもいるけど、向こうからは連絡がない。弟は母親に会いたがるが、オクジュは絶対に会いたくない。なんだか不満いっぱいの夏が過ぎていく。
(オクジュ役のチェ・ジョンウン)
 チラシからコピーすると、「緑色の庭夏の西陽風に揺れる蚊帳懐かしいミシン真っ赤なスイカ午睡の夢――」。なんだか懐かしい暮らしが描かれる。姉オクジュを演じるチェ・ジョンウンは監督が見つけて抜てきしたというが、本当に素晴らしい。彼女の不満、不審、笑顔や涙を見るための映画と言いたいぐらいだ。弟のドンジュ役のパク・スンジュンは「愛の不時着」にも出ていたという子役だというが、こちらも本当に素晴らしい。特に踊るからと言ってダンスする2回のシーンは、心に残る。
(祖父とドンジュ)
 「夏休み映画」は今までに数多い。台湾のホウ・シャオシェン監督「冬冬の夏休み」、相米慎二監督「夏の庭」、ロブ・ライナー監督「スタンド・バイ・ミー」、大林宣彦監督「HOUSE」、それにエリック・ロメール監督の数多いバカンス映画。日本の「部活映画」は大体夏の大会が中心になるし、アメリカでは高校卒業後の夏を描く青春映画がいっぱいある。それらに比べて「夏時間」はちょっと違った感じがする。
(ユン・ダンビ監督)
 描くのは「家族」であって、「夏休み」映画にはよく出てくる学校の友人が出て来ない。いや、オクジュのボーイフレンドは学校の知り合いなんだろうけど、映画はほぼ祖父の家をめぐって進行する。この家はインチョン(仁川)にある実在の古い民家だそうだ。二階に上る階段に扉があるなど、日本から見てちょっと不思議。広いようで、叔母も来れば誰かが同じ部屋になる。庭は家庭菜園が実っているが、映画用に整備したという。この家が素晴らしい存在感で、「冬冬の夏休み」を思い出した。海外評でも小津安二郎ホウ・シャオシェンを思い出すという声が高い。心に沁みる映画を作る女性監督がまた一人韓国で生まれた。
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ローレンス・ブロック「石を放つとき」、最後のマット・スカダー

2021年03月29日 20時37分29秒 | 〃 (ミステリー)
 アメリカのミステリー作家、ローレンス・ブロック(2018~)の「石を放つとき」(二見書房)が2020年12月の終わりに出ていた。全然気付かないで、ついこの間大型書店で見つけて買って帰った。これはブロックの代表的なシリーズ、マット・スカダーものの最新作「石を放つとき」(2018)と今まで書かれた短編の代表作を集めた「夜と音楽と」(2011)を日本で合本したものである。翻訳はすべて田口俊樹氏で、名訳で読むスカダーとニューヨークの移り変わりに心打たれる。

 ミステリーというのは謎の解決を堪能するジャンル小説だが、もう「石を放つとき」を読むときにはそんなことは二の次だ。マット・スカダーはいつからか、作者ローレンス・ブロックと同じ年という設定になった。そうすると80歳を超えているわけで、この作品でも「足が痛む」とか「体力が落ちた」とかいつも愚痴っている。だから、昔のように大変な事件を扱うわけにはいかない。もちろん「事件」はあるわけだが、その謎の解決のために昔の知人を思い出し、旧知の人物が語られる。その意味ではスカダー「最後の事件」になるような気がする。

 ローレンス・ブロックは単発作品もあるが、ほとんどはシリーズものを書いてきた。泥棒バーニイ・シリーズ殺し屋ケリー・シリーズもすごく面白いけれど、やはり「マット・スカダー・シリーズ」が一番だと思う。警官だったスカダーは、ある日強盗を追っていて発射した銃弾が弾けてヒスパニックの少女に当たってしまった。法的な責任はないものの、それをきっかけにスカダーに警官を辞め、家庭も崩壊した。酒に溺れながら、探偵免許もないまま頼まれて一人ニューヨークを駆け回る日々。ニューヨークの裏面を描く「酔いどれ探偵」としてシリーズは始まった。
(ローレンス・ブロック)
 最高傑作「八百万の死にざま」(1982)をはさみ、しばらくシリーズは休止した。そして再開されたとき、スカダーは「断酒」していた。断酒グループの集会に参加しながら、相変わらず頼まれた事件を調べる生活が続く。ニューヨークの実在の店が出てきて、ジャズなどの話も多い。スカダーものに出てきた店をめぐる人もいる。妻と別れた後は事件で知り合った彫刻家のジャン・キーンと交際した時期があるが、そのうち消滅。やがて過去の事件に絡んで、「美人で賢い元コールガール」というエレイン・マーデルと再会する。二人はウマがあって結婚して、すでにもう長い。

 「夜と音楽と」にある短編で判るけど、二人はイタリア旅行やオペラ鑑賞など関係はずっと良好だ。だから最近は謎解き以上に、エレインや不思議な因縁の友人ミック・バルーとの交友の話が多い。それが滋味深くて読み飽きない。だから今回の「石を放つとき」も僕は面白くてたまらないけど、やっぱりシリーズの経緯を知らないと面白みが少ないかもしれない。だけど、前半の「夜と音楽と」は傑作短編ばかりで、ミステリーファンだけの楽しみにしておくのはもったいない。

 謎解きの妙味人生の不可思議社会的関心がほどよいバランスでブレンドされていて、これは傑作だと思うような短編ばかり。特に「窓から外へ」「バッグ・レディの死」「夜明けの光の中に」は現代に書かれた短編ミステリーの最高峰だろう。今までローレンス・ブロックの短編集も文庫で出ているから、大部分は読んでるはずだが細部はもう忘れている。過去の警官時代の事件を語る「ダヴィデを探して」「レット・ゲット・ロスト」も奇想が見事に着地する。短編だから内容に触れるわけにいかないのが残念。

 ミステリーと言えるかどうかの境界線にあるのが「バットマンを救え」と「慈悲深い死の天使」だ。前者では元警官たちが雇われて、ニューヨークの街頭でバットマンの違法商品を没収していく。売っているのはほとんどがアフリカから来た若者だ。著作権違反だから没収されても仕方ないわけだが、スカダーは次第に疑問を持つ。買い上げる方が安いぐらいなのに、なんで元警官を雇って没収して回るのか。後者はエイズで余命わずかの人が集まるホスピスに謎の「死の天使」がいるとか。彼女が見舞いに来ると患者が死ぬ。ホスピスなんだから死んでもおかしくないけれど、それにしてもあり得ないような確率だ。果たして彼女の正体は?

 そんな中に小品の表題作「夜と音楽と」がある。マットとエレインがオペラ「ラ・ボエーム」を見に行って、エレインは悲しくなる。何度も見ているんだからミミが死ぬのは判ってみているんだけど、それが悲しい。そのまま二人は終夜でやってるジャズの店に行って夜明けまでジャズを聞く。ミステリーじゃなくて、ニューヨーク気分を味わうための小品。朗読会用によく使うという。野球のヤンキースメッツ、バスケのニックスニューヨーク近代美術館など、いかにもニューヨーカーの話題もたっぷり。恐らくマット・スカダーものもこれが最後かと思えば、贅沢なボーナス・トラックを堪能できる一冊だった。
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マイナンバーと戸籍制度ー「デジタル改革」の本質

2021年03月27日 22時57分45秒 | 政治
 「デジタル改革関連法案」は「個人情報」に関して課題が指摘されている。無料通信アプリ「LINE」の個人情報が中国の関連企業からアクセスできる状態だったという問題も表面化した。「個人情報保護委員会」(という組織が政府にある)の監督が機能しているかと問われている。デジタル改革関連法案だけではないが、内閣提出法案に多くのミスも見つかった。コロナ禍で官僚の長時間労働が続き、提出法案のチェックが不十分だったということだ。現在の日本において、「デジタル改革」そのものが果たして必要なのかと思ってしまう。
(デジタル法案に多くのミス)
 ところで、朝日新聞3月25日朝刊の記事では、この法案の提出目的について以下のように説明されている。「今回の法案のきっかけの一つに、コロナ禍で公的な給付金の手続きが滞ったことなどで浮き彫りになった「デジタル化の遅れ」(菅義偉首相)がある。平井氏(平井卓也デジタル改革相)は「すべての行政手続きをスマートフォン一つで60秒以内で可能にする」と話すが、集めた情報をいかに流通させ、使いやすくするかという狙いがある。」と書かれている。

 これは果たして実現可能なのだろうか。例えば平井卓也氏のホームページを見ると、「昨年の特別定額給付金における反省も踏まえ、国民が任意で一人一口座を公金受取口座としてマイナンバーとともに登録できるようにします」と書いてある。しかし、2020年の特定給付金は「国民一人一人」に支給されたものではなかった。確かに支給対象は「一人一人」だったけれど、支給方法は「世帯ごと」だった。僕はそれを当時やむを得ないことだろうと書いた。何故なら、政府資金の給付も民間金融機関を通して行われるから、「振込手数料」が発生するはずだからだ。世帯ごとの振込みなら手数料は半減するだろう。

 「マイナンバー」とは「パーソナルナンバー」であって、「ファミリーナンバー」ではない。昨年、給付金をマイナンバーカードから申し込めるという大宣伝を行った。しかし、そのうち自治体からはマイナンバーカードからの申し込みは止めて欲しいと言う声が聞こえてきた。マイナンバーカードからの申請だと、本人は判るけれど申請通りに同居家族がいるかどうかは手作業で確認していくしかない。かえって面倒だったのである。それなら初めから郵送で申請して貰った方がいい。

 じゃあ、どうすればいいのか。「マイナンバーカード」を「ファミリーカード」にすることは出来ない。世界に「アイデンティティカード」の持参を国民に強制する国はいくつもあるだろうが、家族全員の情報を載せたカードを作っている国はないだろう。面倒だし、そもそも「本人確認」が目的なんだから。日本の現行のやり方だと、写真を載せた上で本人が引き取る必要がある。そうなると「ファミリーカード」だと、家族全員の写真を載せて家族全員そろって受け取りに行く必要が出て来る。そんなことは不可能だ。

 そもそも日本では「家族関係」で国民を把握してきた。律令以前から「戸籍」が残っている国だ。近代になって、再び国民全員の戸籍が作られてきた。今でもパスポートの発行年金の受給手続き相続手続き婚姻届の提出(本籍地以外に届ける場合)など多くの場合に「戸籍謄本」が必要になっている。平井氏が言っているのも、多分「戸籍謄本を取らなくても、パスポートの申請が出来るようにする」ということではなく、「マイナンバーカードがあれば、スマホから戸籍謄本を取れるようにする」ということだろう。

 では「戸籍そのものをデジタル化すること」は可能だろうか。それは不可能だし、やってはいけないと思う。150年以上もある全国民の家族情報をデジタル化するのは、あまりにも膨大な仕事量が必要だ。よほどの人員とお金を投じる必要がある。そういう事情もあるが、「戸籍は差別の大本」である。デジタル化して、情報が流出したら内閣総辞職ものだ。やるとしたら、国が発注した会社が子会社に派遣社員を集めてデジタル化作業を進めるに決まってる。差別外国人差別ハンセン病差別などが残る中で、安易に戸籍情報をデジタル化は出来ない。

 政治家や芸能人のそれまで公にしてない家族情報を見てしまったら、どうするか。罰則をいくら厳しくしても、中には戸籍をスマホで撮ってツイッターに上げる輩がいないとは限らない。だから、戸籍をデジタル化は出来ない。そうすると、日本で「デジタル化」というのは「紙の書類を取りやすくする」ことにしかならない。スマホから出来れば便利かもしれないが、役所に行けば済むことばかりである。そうなるだろうと僕は思う。

 自民党保守派には何よりも「家族の絆」を強調して「夫婦別姓」に反対している人がいる。しかし、家族をバラバラにして「個人」で把握していこうというのが「マイナンバー」制度であり、デジタル化である。何で保守派はこれに大反対しないのか。多分よく判ってないのだと思う。僕はじゃあ、どう考えているか。「マイナンバーは要らない」と反対運動をしている人たちもいる。僕も要らないとは思うが、「戸籍制度」の方が要らないような気がする。それも考えてみる必要がある。世界でも戸籍がある国はほとんどない。「顔写真のない個人ナンバー」で済むのではないか。
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十勝平野のモール泉、黒湯と北の大地の魅力ー日本の温泉③

2021年03月25日 23時19分23秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 温泉の泉質と言えば、「単純温泉」「硫黄泉」「食塩泉」などという言葉が思い浮かぶが、今は名前が変わっている。「単純温泉」や「硫黄泉」は同じだが、「食塩泉」は「ナトリウム-塩化物泉」と書いてある。かつての分類では「重炭酸土類泉」だったものは「カルシウム(・マグネシウム)-炭酸水素塩泉」である。これらは源泉中に含まれる元素イオン量で分類するわけである。

 だがそれらと全く違う泉質をうたう温泉がある。それが北海道の「モール泉」だ。90年代の初め頃、北海道の山と温泉を夏休みにドライブしていた時期がある。その時に十勝地方にある十勝川温泉ホテル大平原という宿に泊まったら、そこは「モール泉」と称して真っ黒な湯だったのに驚いた。湯あたりは柔らかく、肌に優しいお湯だった。この「モール泉」とは植物由来の有機物が溶け込んだ湯で、世界でドイツのバーデン=バーデンと2箇所しかないとも書かれていた。
(ホテル大平原のモール泉)
 「モール」というのは、ドイツ語の泥炭のことだという。この「モール泉」というのは、温泉法上の分類ではないが、強烈なインパクトがあった。その後、他にも十勝地方の温泉には同じような泉質があることを知った。幕別温泉もそうらしいし、十勝地方の中心都市の帯広にあるホテルにも温泉があるところが多い。「帯広天然温泉」をうたう「ふく井ホテル」や「森のリゾートホテル」をうたう「北海道ホテル」に泊まったことがあるが、どっちもモール泉だった。
(北海道ホテルの風呂)
 これら十勝地方の「モール泉」は、今では「北海道遺産」に指定されて北海道の魅力として認められている。しかし、「モール泉」は世界に二つというものではなかった。東京によくある「黒湯」の銭湯なども、同じく「モール泉」らしい。ウィキペディアで「モール泉」を調べて貰えば、日本全国あちこちに同じ泉質の湯があることが判る。お湯に入った時の感触が似ているから、僕もそうだろうなと以前から思っていたのだが、やっぱりそうだった。
(十勝平野テレカ)
 植物由来の有機物が溶け込んでいるのが、果たして体にどんな意味があるか。僕にはよく判らないけど、透明だけど黒いお湯が掛け流しされているのが気持ちいい。調べれば世界にもあちこちにあるんだろうが、僕はやっぱり十勝平野のお湯という感じがする。広々とした大地と大きな空、観光して一日を過ごした後に入るサラサラした黒湯。それが魅力なのである。帯広のホテルを調べてみれば、ずいぶん多くのホテルに温泉が付いている。ビジネスホテルもあれば、「北海道ホテル」など町の中にありながら、森にいるようなリゾート感があった。

 ところで十勝平野の魅力は温泉だけに止まらない。ジャガイモ、小豆、インゲン、小麦、テンサイなどを中心にした一大穀倉地帯になっている。だからお菓子が美味しい。「マルセイバターサンド」やホワイトチョコなどで知られる六花亭や、バームクーヘン「三方六」で知られる柳月など全国に知られる菓子メーカーがある。六花亭本店があることは知っているが、車で行くとつい宿を出るのが億劫になってまだ行けてないのが残念。しかし六花亭がすごいのは、「六花の森」や「中札内美術村」という文化施設を作っていることだ。
 (中札内美術村)
 帯広から南へ行った中札内(なかさつない)村に画家坂本直行(さかもと・ちょっこう)の記念館がある。誰かと言えば、見れば誰もが一度は見てると思う六花亭の花柄表紙絵を描いた画家である。僕が最初に行ったときは、それぐらいしか出来てなかったけど、その後どんどん増えてちょっと離れたところに「美術村」を作ってしまった。ホームページを見たら、いっぱい美術館が並んでいるので驚いてしまった。絵に関心がなくても、美しい森とレストランがある。是非一度訪れて欲しいい場所だ。こういう施設を作るお菓子メーカーを生む十勝の力を感じる。

 また十勝には池田町もある。誰も思いつかなかった北海道でのワイン作りを成功させた町である。元祖町おこしの象徴みたいな町で、「ワイン城」まで作ってしまった。また近くにはアイスクリームが美味しい「ハッピネスデーリィ」という魅力的なお店がある。以前はスパゲッティが美味しかったが、今はピザが食べられるようだ。もちろんアイスクリームやソフトクリームも必須。北海道でずいぶんアイスやソフトを食べた気がするが、ここはベスト級だと思う。お土産で飼って家に送って、当時飼っていた犬にもちょっとあげたら「今までで一番美味しいアイスだね」と言ってた。
 (ハッピネスデーリィとアイスクリーム)
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映画「ミナリ」、韓国系移民の「アメリカン・ドリーム」は…

2021年03月24日 22時06分40秒 |  〃  (新作外国映画)
 「ミナリ」という映画が注目されている。アメリカ映画だけど、セリフのほとんどが韓国語なので、ゴールデングローブ賞では作品賞の対象から外されて「外国語映画賞」を受賞した。この対応が批判されたからか、アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演男優、助演女優、作曲と6部門でノミネートという快挙となっている。日本では3月19日に公開されたので早速見に行った。

 監督・脚本のリー・アイザック・チョン(1978~)は、公式サイトを見ると「コロラド州に生まれ、アーカンソー州リンカーンのオザークにある小さな農場で育つ」と出ている。映画の舞台はアーカンソー州の農場だから、これは監督の自伝的な設定なのだろう。今までに3本の作品があるようだが、日本未公開なので名前も知らなかった。新作は「君の名は。」の実写版リメイクなんだという。脚本が評価され、「ムーンライト」など作家性の強い作品を作ってきたA24とブラッド・ピット率いるPLANBという2社が組んで製作した。

 1980年代のアメリカで夫婦と幼い子2人が田舎をドライブしている。前にトラックがあって、荷物を運んでいる。引っ越してきたと判るが、家がトレーラーハウスなのに驚く。家の周りは広い草地で、夫はこの環境がいいと喜ぶ。しかし妻は勝手に進める夫に不満がある。下の子のデヴィッドは心臓に病気があって、もっと病院が近いところに住むべきだという。夫のジェイコブはスティーヴン・ユァンで、「バーニング劇場版」の主演だった人。妻のモニカはハン・イェリで、韓国で映画・ドラマに活躍しているという。上の子のアンだけではデヴィッドの面倒が見られないから、結局韓国から妻の母を呼び寄せることになる。
(一家5人が揃って)
 この祖母が傑作で、演じたユン・ヨジョン(1947~)はアカデミー賞助演女優賞の有力候補となっている。キム・ギヨン監督「火女」でデビュー以来、数多くの映画、ドラマで活躍してきた人で、70歳を過ぎて世界でブレイクした。祖母は韓国から大量の食材を持ち込み、粉唐辛子や煮干しに娘が歓喜する。家の間取りの関係で、祖母はデヴィッドと同室になる。しかし、韓国の煎じ薬をデヴィッドに飲ませるので、デヴィッドはおばあちゃんは韓国臭いと毛嫌いする。そんな関係がゆっくりと次第に変わっていく様を映画はじっくりと見つめていく。
(ブランコで遊ぶ姉弟)
 夫婦は以前カリフォルニアにいて、ヒヨコの雌雄鑑別をしていた。(雌だけ残して雄は処分されるらしい。)アーカンソーでも最初は同じ仕事をしている。ジェイコブは名人でさっさと進められる。しかし、本当にやりたいことは農地を切り開いて、韓国野菜を育てることだった。仕事の合間に開墾を進めるが、まずは水の確保。現地の農民は「ダウジング」で水場を探そうとするが、それは迷信だとしてジェイコブはデヴィッドを連れて水を探り当てる。手伝いにポールに来て貰うが、ポールは独自のキリスト教を信じていて悪魔払いをしたりする。しかし、朝鮮戦争の経験者でキムチも好きだという。この人の存在感は大きく、深南部の雰囲気を感じさせる。

 竜巻が襲ったり、水が不足したり、韓国ともカリフォルニアとも違う環境に戸惑いながら、少しずつ野菜も育っていく。しかし、同じく少しずつ夫婦の間にも亀裂が入っていくのである。大きなドラマが起きるというより、ほとんどが韓国語で一家の行く末を描いていく。面白くないかというと、それが決して退屈ではない。彼らは地域で孤立しているが、地域に溶け込もうと教会に行ったりもする。ヒヨコ孵卵場には韓国人もいて、何で韓国人教会を作らないのかとモニカが聞く場面がある。答えは韓国人教会が嫌な人がここまで来たのだというのである。
(祖母がセリのタネをまいた川辺)
 映画半ばで題名の「ミナリ」の意味が判る。それは韓国の「セリ(芹)」のことだった。映画を見ているときは判らなかったが、公式ホームページを見ると「たくましく地に根を張り、2度目の旬が最もおいしいことから、子供世代の幸せのために、親の世代が懸命に生きるという意味が込められている」とのこと。この家族は夫が夢追い系だが、末っ子に病気がある。そこに韓国から祖母がやって来る。祖母からすれば、自然の中を走り回ることも止められた孫を不憫に思うのは当然だ。ラスト近くの展開は予想を超えて、しかし深い余韻が残る。

 1984年に作られたペ・チャンホ監督「ディープ・ブルー・ナイト」という映画があった。大鐘賞で監督賞、主演男優賞(アン・ソンギ)などを得た傑作である。その映画では「アメリカン・ドリーム」を目指して偽装結婚するカップルがテーマになっていた。この映画もちょうど同じ頃、レーガン時代のアメリカを舞台としている。韓国人はその頃外国、特にアメリカに移住する人が多かった。いろんな理由があったんだろうけど、多くは都市に定住しただろう。この映画のように南部で農業をやったというのは珍しい。彼らの「アメリカン・ドリーム」は実るのか、潰えるのか。

 アカデミー賞最有力と言われる「ノマドランド」は中国系女性監督クロエ・ジャオが作っている。アメリカでアジア系映画人の活躍が目立つようになっている。日本でも注目していく必要がある。
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映画「あのこは貴族」ー東京と地方、女性の「分断」

2021年03月22日 22時37分14秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画「あのこは貴族」は事前予想を超えて面白い映画だった。現代日本の女性たちの「分断」を身に迫る痛さで描き出す。山内マリコ原作、岨手由貴子(そで・ゆきこ、1983~)監督・脚本、門脇麦水原希子という布陣で作り上げた女性映画の秀作だった。

 岨手由貴子監督の名前は知らなかった。ぴあフィルムフェスティバルで評価され、2015年に初の長編商業映画「グッド・ストライプス」が公開された。その作品で新藤兼人賞を受賞したというけれど、全然覚えてない。監督は金沢在住ということだが、原作者の山内マリコは隣の富山県出身である。水原希子演じる時岡美紀は富山県出身で、富山でロケされている。日本海側の冬は曇天が多く、東京の冬が毎日晴れているだけで世界が違うように感じてしまうものだ。

 2016年正月、高級ホテルで榛原(はいばら)家が会食している。華子門脇麦)だけが遅れている。到着した華子が一人なので、婚約者はと聞くとその日に別れたのだという。親は医者で、裕福な一家である。「箱⼊り娘」として育てられた華子は「結婚」を信じて疑わない。家族はお見合いを勧め段取りが進む。学生時代の友人もヴァイオリニストの逸子(石橋静河)以外は皆結婚している。華子はお見合いしたり、いろいろと結婚相手探しに奔⾛し、ついに義兄の会社の顧問弁護士、青木幸⼀郎高良健吾)と出会った。
(東京国際映画祭で、監督と主演者)
 一方、美紀は一生懸命勉強して慶応大学に合格した。一緒に合格した平田里英山下リオ)を含めて、「内部生」とお茶に行ったら、アフタヌーンティーが4200円で驚いてしまう。しかし、家の経済状態が悪化して学費が払えなくなり、自分で何とかすると夜の世界に踏み込む。結局退学するも、一度ノートを貸したことがある幸一郎に、夜の仕事で巡り会う。その後イベント業の仕事を紹介され、ヴァイオリンを弾いていた逸子と知り合う。その時美紀と幸一郎が親しいことに、逸子は気付いてしまった。

 以上、映画を見ていて後で判ったこともあるけれど、映画は二人を交互に描いていく。映画内で華子と美紀は二度会うことになる。一度目は逸子の仲介で。二度目は偶然華子がタクシーで見つけて美紀の家まで行く。美紀の家で東京タワーを見て、東京で始めた見た景色だと言う。華子の家は松濤(しょうとう、渋谷区)にあるのだ。美紀は故郷で開かれた同窓会で里英と再会し、故郷では居場所はなく起業するつもりだと言われる。一方、華子は順調に交際を続け青木家に紹介され、結婚したものの…。青木家は政治家の家系で幸一郎もやがて出馬するらしいと知らされる。
(華子と幸一郎の結婚式)
 こうして筋を書いても、この映画のヒリヒリするような感触は伝わらない。人は皆「枠組」にとらわれて生きていて、枠の外の世界を知らない。知らないから特に見下しているわけでもなく、単に世界が「分断」されている。地方は寂れていて、「東京」に憧れる。山内マリコ原作の「ここは退屈迎えに来て」という映画を見たことを思いだした。しかし、憧れの東京でも人はまた分断され、細分化された人生を送っている。その様子がシャープな映像で切り取られ、的確な編集と音楽で描かれていく。そんな中で、救いは華子には逸子が、美紀には里英がいたことだ。

 「富裕層」の生活をのぞき見ることも映画の楽しみではある。松濤に住む医者は富裕層だが、真のセレブではない。榛原家に比べれば、青木家はさらに上層である。だから青木家では、結婚前に榛原家を調査する。しかし、青木家も選挙に出る政治家を抱えているんだから、まだ本当のセレブではない。本当に豊かな階層は医者や弁護士で働く必要はなく、都心に住んでいるわけでもないだろうと思う。もっとも僕なんか、映画で出て来るレベルの階層とも会ったことがない。

 一方、美紀の方も中退したと言っても慶応に合格し、今は東京タワーが見えるマンションに住むんだから、ずいぶん「上」の方である。そんなにうまく行かなかった人の方が多いだろう。「花束みたいな恋をした」では調布市の駅から30分に住んでいる。23区を出ないと手が届かないのだ。東京の東側に行けばもっと安く住めるだろうが、大学が少ないから下宿も少ない。東京に住む若者のほとんどは「ジモッティー」である。たまに都心に行ったり、ディズニーランドに行くとしても、普段は世田谷とか練馬とか吉祥寺とかで完結した生活をしている若者が多い。

 そういうことは出て来ないので、「東京と地方」が対立関係に見えるけど、実は「東京」も「小さな地方」の集まりだ。そして「東京の中の地方」も「ムラ社会」である。セレブに見える榛原家や青木家もムラ社会を生きている。映画に出て来る人は皆悪人ではないけれど、幸せではないように見える。そこが日本の現実だ。
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原発事故から10年、日本は変わったのか

2021年03月18日 22時56分52秒 |  〃 (社会問題)
 2021年3月18日、水戸地裁は日本原電の東海第2原発運転差し止めを認める判決を出した。日本最初の原発は茨城県の東海原発で、こちらは廃炉作業中である。同じ場所にある東海第二原発1978年に稼働したので、すでに40年を経過している。東日本大震災では5.4mの大津波が襲来して一部の非常用電源も失われたが、残された電源で辛うじて冷却できたのである。
(東海第二原発差し止めを報じるニュース)
 茨城県の津波想定に対して、一応の津波対策を講じていたのである。6.1mの津波に対応できる防水工事は震災の2日前だったとウィキペディアに出ている。つまり、もっと高い津波が来ていたら「重大事故」が起こり、首都圏が「壊滅的被害」を受けていた可能性があった。再稼働を求めているということは、「40年を超える対策」が原子力規制委員会から2018年に認められているのである。しかし、こんな原発が必要だろうか。早く廃炉にすべきだと思う。
(勝訴を喜ぶ弁護団)
 かつてはほとんどなかった原発差し止め判決が、原発事故後には時たま出るようになった。事故以前は2006年の金沢地裁による志賀第二原発だけ。以後には大飯原発高浜原発伊方原発と差し止め判決が出ている。こういう判決が出るようになったのは、日本の司法も変わってきたのだろうか。そういう部分もあるだろうが、東海第二原発差し止め判決が出た同じ18日に、広島高裁は伊方原発差し止め決定を取り消す決定を出している。
(伊方原発差し止めを取り消す決定)
 上級審でひっくり返るというのは、大飯、高浜原発でも起こっている。そこで思うのは、「少しは変わったけれど、最後は負けてしまう」という日本の現実である。これは他の多くの裁判でもよく見られるし、裁判以外の人権問題でもよくある。「市民運動」の側は生活があるから永遠にやっていられない。「国(自治体)」「会社」は担当者が代わりながら誰かが仕事として遂行する。「仕事」だから、それでお金を貰えるが、「市民運動」は全部自腹なのである。

 かくして、東京五輪組織委員会前会長の「森発言」のようなことが起こる国が続いてしまった。10年前は僕もあれほどの大災害を目の当たりにして、日本もこれで大きく変わらざるを得ないだろうと思った。しかし、今は「徒労感」が残っているというのが正直なところではないか。もちろん変わっていることも多い。しかし、それは「良く変わった」のか、「悪く変わった」のか。少なくとも原発だけは、すぐにゼロでなくても縮小の方向に行くだろうと思っていた。
(現在の福島第一原発)
 10年経って、何か変わったどころか、日本はもっとどん詰まりになったという気がする。だけど、もっととんでもない苦難の地が世界にはいくつもある。「100%忖度なし」は僕だって難しい。でも、「書ける自由」がある間は、次の世代のために書いていきたい。10年経って、いや、50年、60年と言ってもいいけど、正直言ってこのような社会が来るとは思っていなかった。それでも「政治」を考えなければダメである。誰だって、「先人」があって生きてきた。未来の人にとっては、今生きている人が「先人」になるんだから
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「3・11」から10年、「防災教育」のこれから

2021年03月17日 22時46分38秒 |  〃 (社会問題)
 「東日本大震災」から10年が経った。一週間近く前になるが、この間図書館で借りていたカミュの本があったので、そちらを先に書いていた。3月11日は結構テレビのニュース番組を見ていたが、いろいろと思うところがあった。しかし、その日に書かなかったことで、文科相が中教審に諮問した「学校安全」の問題を書けることになった。
(大槌町で花火)
 「10年」は確かに大きな節目だが、その日付自体には意味はない。しかし、そういう時しか大きな報道はないわけで、現に一週間すればテレビも新聞もほとんど報じていない。「風化させてはいけない」と毎年のように言われつつ、その後に生まれた人が多数になっていけば「風化」が進む。それでも原爆や沖縄戦のことを思い出すと、50年ぐらい経ってから初めて思い出を語れるようになった人がいる。まだ行方不明の人も多いし、原発事故から戻れない地区もある。僕はまだ語られていないことも多いのではないかと思っている。
(東北三県の被害状況)
 今回久しぶりに当時の津波や原発事故の映像をずいぶん見たことで、僕も当時の状況を思い出すことが多かった。自分も陸前高田気仙沼の惨状を見ているが、テレビ映像で毎年の変遷を見れば、10年で大きく変わったことが判る。それを「形の上では復興が進んだ」ということはできる。それが本当の意味での「復興」になっているのかとも思うが、「世の中はそういうもんだろう」とも思う。決めつける言葉ではなく、いろいろな人がいることを想像したい。

 10年経って、当時は中学生・高校生だった人が今では教師や自治体職員になっている人がいる。取材に応じて、いかに記憶をつないでいくかを語っている。自分も大きな犠牲を受けたことを話せるようになっている。今度は伝えていく側になっている人がいる。それはもちろん素晴らしいことだと思ったけれど、当然取材に応じない人もいるだろう。

 そもそも被災者だからと言って、頑張って自分のなりたい職業に就けたという人ばかりじゃないだろう。当然だが、10年前に思ったのとは違う人生を歩んでいる人の方が多いはずだ。テレビ画面の奥の方に、今はまだ語れない人が多くいるだろうことを思っている。

 ところで「記憶をつなぐ」という意味では「防災教育」が重要になる。前日に書いた中教審への諮問事項の二つ目が「第3次学校安全の推進に関する計画の策定について」になっていて、ちょうどこの問題を扱っている。前回も挙げた「中央教育審議会(第128回)配付資料」には多くの貴重な論点が指摘されていて、学校関係者だけでなく広く検討されるべきだ。

 現状認識の部分を引用すると、「甚大な被害をもたらした東日本大震災から10 年を迎え、時間の経過とともに震災の記憶が風化し取組の優先順位が低下することが危惧されています。また,今後発生が懸念されている首都直下地震や南海トラフ巨大地震等に対して,児童生徒等の命を守るための対策が喫緊の課題となっています。さらに近年,豪雨災害が激甚化・頻発化しており,防災教育の充実は喫緊の課題です。」となっている。
(内閣府の「防災教育」ページ)
 さらに「防災教育」に止まらず、SNSをめぐる問題新型コロナウイルス感染症など、児童生徒の安全に関する環境が悪化しているということで「安全教育」の重要性に触れている。現状認識は多くの人が共有するものだと思う。ただそれに関して、「学校における組織体制の在り方や関係機関との連携」「校内体制の在り方」などを指摘するのは、いかにも文科省の発想だ。

 もちろんマニュアル整備も重要だし、校内研修も大事だ。教員養成段階での安全教育も大切だ。しかし、「大川小学校の教訓」は何だっただろうか。地震はいつ起こるか判らない。管理職はよく出張するし、教員だって出張も休暇もある。いくら事前に訓練していても、まさに地震発生時には教員は全員はいないのである。学校に「組織的に対応する」ことだけを求めていたら、いざという時に「指示待ち」で動けない教師がいて、手遅れになりかねない。

 それは教師だけに限らない。会社や飲食店でも同じで、最後は自分が責任を持って判断するしかない。そういう時のための教育でなくてはならないと思う。いくら準備していても、地震は学校や自宅にいるときにだけ起こるわけではない。関東大震災はお昼に、阪神大震災は早朝に、東日本大震災は午後に起きた。次は通勤・通学の時間帯に起きるかもしれない。いろんなことを想定しなければいけない。

 高校生はアルバイトしている生徒も多い。バイト先で被災して自宅に帰れないことも起こる。バイトであっても、その店では客を避難誘導する立場にある。そういうことなども考えて、単に学校内に止まらない「防災教育」を考えていく必要があるだろう。
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中教審、「教員免許更新制」を抜本的見直し

2021年03月16日 22時04分53秒 |  教育(教員免許更新制)
 2021年3月12日に第11期の中央教育審議会(中教審、渡邉 光一郎会長)が開かれ、①「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方第3次学校安全の推進に関する計画の策定について文部科学大臣から諮問があった。「学校安全」の問題も大切だが、①で「教員免許更新制」の抜本的見直しが議論されるので、それについて書いておきたい。

 文科省ホームページには、報道発表として「第128回中教審総会にて「「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について」等を萩生田大臣が諮問」がある。また「中央教育審議会(第128回)配付資料」がアップされていて、非常に貴重な情報がある。細かくなりすぎるのでここでは省略するが、今まで見たことがなかった免許取得状況などが紹介されている。以下、そこにでている問題意識を紹介したい。
(萩生田文科相が渡邉中教審会長に諮問)
 資料では、「趣旨である「最新の知識・技能の修得」には一定程度の効果がある一方で、費やした時間や労力に比べて効率的に成果の得られる制度になっているかという点では課題がある。また、学校内外で研修が実施されていることに鑑みれば、10年に一度の更新講習の効果は限定的である。」と書かれている。何を今さらという感じだが、全くその通りだ。「学校内外で研修が実施されていることに鑑みれば」など、「教員免許更新制」不要の証明だろう。

 それに続けて、【関係者へのヒアリングの際の意見】として「教員免許更新制の課題について」が5点にわたってまとめられている。資料として全文引用しておく。
①教員免許更新制の制度設計について
教員免許状の更新手続のミス(いわゆる「うっかり失効」)が、教育職員としての身分に加え、公務員としての身分を喪失する結果をもたらすことについては疑問がある。教員免許更新制そのものが複雑である。
②教師の負担について
教師の勤務時間が増加している中で、講習に費やす30時間の相対的な負担がかつてより高まっている。講習の受講が多い土日や長期休業期間には、学校行事に加え補習や部活動指導が行われたり、研修が開催されている場合もあり、負担感がある。申込み手続や費用、居住地から離れた大学等での受講にも負担感がある。
③管理職等の負担について
教員免許更新制に関する手続や教師への講習受講の勧奨等が、学校の管理職や教育委員会事務局の多忙化を招いている。
④教師の確保への影響について
免許状の未更新を理由に臨時的任用教員等の確保ができなかった事例が既に多数存在していることに加え、退職教師を活用することが困難になりかねない状況が生じている。
⑤講習開設者側から見た課題等について
受講者からは、学校現場における実践が可能な内容を含む講習、双方向・少人数の講習が高い評価を得る傾向がある。一方で、講習開設者は、講習を担う教員の確保や採算の確保等に課題を感じている。
(オンラインで開会された中教審総会)
 はっきり言えば、②も③も僕だけでなく多くの人が10年前から指摘してきた問題だ。しかし、それに加えて③として「免許状の未更新を理由に臨時的任用教員等の確保ができなかった事例が既に多数存在している」と明記されている。これも僕が起こりうる事態として書いておいたが、10年経って実際に講師などの任用に不便を来しているのである。そして「更新手続のミス(いわゆる「うっかり失効」)が、教育職員としての身分に加え、公務員としての身分を喪失する結果をもたらすことについては疑問がある」と認めている。

 「疑問」などというレベルの問題ではなく、教員としての執務に問題がなかったにもかかわらず、実際に公務員として失職してしまった人が全国で何人も出た。これは「公務員」の身分の問題なので、私立学校においては「教員」としては資格喪失しても「学校職員」として雇用が継続された例もあるらしい。そんなバカげた差があるとは信じがたいことだ。このことは当初から言ってきたが、今回見直しの対象とされたことに「声は届いた」と受け取っておきたい。

 今後は現場の声を集めて、より良い見直しに向けて注力する必要がある。最低でも「ミスで失職する」ような奇怪な制度はなくす必要がある。ただし、大学等で講習を受けること自体は悪いことではない。今年度はコロナ禍でほとんど大学に通うことは出来ず、オンライン講習だったと思う。来年度もそうだろう。そうすると、やり方が大きく変わってしまったことになる。しかし、大学等の講習を教員人生の中で何回か受講する意味はある。

 前から「教員免許に修士(大学院博士課程前期)終了を義務づける」という議論がある。医学、薬学と並んで6年の大学学習を求めるものだが、今これを直ちに実施すれば教師を目指す人の多くが断念せざるを得ないだろう。だが、学校での指導的教員層には大学院卒が求められる時代になりつつあると思う。教員人生の中で、30代、40代になって、休職して通うのではなく、オンラインで受講できる教職大学院が増えれば、希望する人も多いのではないか。

 大学院を受講中の人は、「免許更新講習」など必要ない。(大学院に提出する論文で講習に替える。)他にも代替できる講習は多いだろう。また現在の35歳、45歳、55歳で受講という回数は多すぎる。教員採用試験の受験年齢制限も高くなっている。正規教員になったら初任者研修があるんだし、年齢で切るのではなく在職年限で切る方が合理的だろう。「ペーパー・ティーチャー」や「非常勤講師」には更新は要らない。ずっと有効でいいと思う。学級担任をしたり、学校経営に関わるような教員だけ、大学で学び直すような研修がいるのだと思う。

 他にもいくつもの論点があるが、現在のようなコロナ禍において通常の更新講習は出来にくい状況が続くと思う。このような見直しが検討されるということならば、今年来年などの該当教員に関しては、一端「休止」という判断もあると思う。今後も中教審の動向を注視していきたい。教員団体や教育学会でも様々な検討や働きかけが必要だ。
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ヘイトクライムとしての「異邦人」ーカミュ「異邦人」をめぐって④

2021年03月15日 22時56分58秒 | 〃 (外国文学)
 カミュの「異邦人」は今も力を持っているし、現に読まれている。それは極端に省略された文体の魅力が大きい。「ヘミングウェイが書いたカフカ」と誰かが評したらしいが、確かに「ハードボイルド」な文体で作られた不条理世界である。しかし、あまりにも作品内に情報が少ない。主人公ムルソーの名前も、アラブ人の被害者の名前も出て来ないのは前回までに書いた通りだ。それを考えると、「ムルソー」に関しては作品に書かれていない部分が隠されていると思われる。

 「異邦人」が昔から「不条理殺人」「動機なき殺人」と言われてきたのは何故だろうか。ムルソーは作品の中で「それは関係ない」「自分はなんとも思わない」などと何度も口にする。そういう主人公はそれまでに見られなかった。だからムルソーをいかに理解するべきか、多くの人が戸惑った。しかし、僕は70年代以後の若者が「三無主義」などと呼ばれた時代を覚えている。「三無」とは「無気力、無関心、無責任」のことで、それまでの若い世代はやる気があって社会的な関心が強いと思われていたのである。

 今から考えれば、それまでの世代の方が歴史的に特殊なのである。しかし、第二次世界大戦前後の時期は若者の政治的関心は高かっただろう。自分たちの世代が戦地に赴くのだから。「異邦人」が書かれた当時は、フランスはドイツに敗北し南部にヴィシー政権が存在していた。植民地アルジェリアもドイツ寄りのヴィシー政権が支配していた。(その後1942年11月に連合軍がモロッコ、アルジェリアに上陸し、1943年前半には連合軍が北アフリカを制圧する。)そのような時代に、ムルソーは何ら社会的関心を示さない。「元祖しらけ世代」と言うべきか。
(現在の装丁の新潮文庫)
 この小説は2部に分かれていて、第一部で「事件」、第二部で「裁判」が描かれる。そういう構成のミステリーは山のようにあるだろう。しかし、「異邦人」裁判は初めから結論が決まっている。それは一見「動機なき殺人」だった。だから検察官は理解出来ず、ムルソー個人を事件の原因と見なした。ムルソーはその結果「精神的な母親殺人犯」に仕立てられた。「動機」が何で問題になるかと言えば、近代的な刑法では「殺人」には「殺意」の立証が必要だからだ。

 「殺意」は「未必の故意」でも構わない。「未必の故意」とは、絶対に殺してしまいたいという強い殺意ではなくても、「このままでは死んでしまうかもしれない」「死んでしまっても構わない」と思って、殴る蹴るなどを続けた場合である。その場合は「傷害致死」ではなく、「殺人」が適用される。ムルソーの場合、銃撃一回ならば「過失致死」「傷害致死」「過剰防衛」を主張できたかもしれないが、その後に4発の銃弾を撃っている。「未必の故意」の適用は避けられないだろう

 ムルソーは動機を「太陽のせい」と答えた。通常の殺人事件、現実にもたくさん起こり、小説でも何度も描かれてきた「痴情のもつれ」や「怨恨」「金銭」ではないから、一般常識にとらわれると理解出来ない。しかし、現実には様々な「動機が理解出来ない」事件は数多い。例えば「ホームレスの人に面白半分で投石を繰り返す」というような事件である。被害者個人に恨みはないし、そもそも名前も知らない。「動機」を追求しても、確実な意味での「殺意」は出て来ない。
(昔の装丁の新潮文庫)
 そういう事件は「ヘイトクライム」(憎悪犯罪)に近いだろう。「ホームレス」を下に見ているから、そういう事件が起きる。学校のいじめ事件などでも、一見「動機なきいじめ」に見えても「強い者が弱い者を排除する」ことに違いない。「動機なき殺人」と言って、自分より強い者を襲ったケースはあるのか。「太陽のせい」なら、無差別に自分の友人知人を襲うのではないか。何故ムルソーはアラブ人を銃撃したのか
 
 作品内のムルソーの行動を検証すると、あれほど何事にも無関心、無気力な応対をしている彼が「レエモン」関係だけ自ら行動している事実に注目する必要がある。周辺で評判が悪く、「ヒモ」と言われている。これは「女衒」(ぜげん)のような者で、風俗業に女性をあっせんして金を取るのだと思う。レエモンは自分では「倉庫業」と言っていて、そういう仕事もしているのかと思うが他に裏仕事があるのだろう。映画で見てもレエモンは裏社会の人間のような風貌をしている。

 そんなレエモンと何故付き合うのか。強い者に逆らえないのか。いや、ムルソーは職場の上司にはパリ行を断っている。さらに、ムルソーはレエモンに頼まれて女に「呼び出しの手紙」を書く。女がやってきて、レエモンが暴力で対応して大騒ぎになって警察が来る。事情を知らないマリーは「警察を呼んで」とムルソーに頼むが、彼はそれは意味ないと断る。だが、その後ムルソーは頼まれて警察にも出掛けてレエモンに有利な証言をする。

 レエモンに頼まれた場合だけ、ムルソーは行動的になるのである。そして、その事件の後に「女の兄」が仲間たちと現れてレエモンにつきまとうようになった。それは「文化的対立」でもあり、「民族的対立」でもある。暴力を振るったのはレエモンなのだから、レエモンこそが謝罪しなければならないはずだ。ムルソーは明らかに「女性蔑視」的な部分があるから、同時に現地のアラブ人も下に見ていたことだろう。それは特に書かれていないが、貧民街に育ったムルソーには自明のことだったと思う。

 そして浜辺で彼らは出会う。衝突になってレエモンはナイフでケガをする。その後、ムルソーは何故か現場に戻って再び「女の兄」に会う。レエモンが持っていたピストルはムルソーが持っていた。再会したときにムルソーはナイフを見て恐怖に駆られて、ピストルを発射する。「動機なき殺人」なんかじゃなくて、それ以前から続いた民族的対立の結果だと理解する方が自然ではないか。特に不思議な読み方ではなく、原作を自然に読んでいけば、今ではそのような理解になるような気がする。つまり、あの事件は「ヘイトクライム」だったのだと思う。
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奇妙なムルソー裁判ーカミュ「異邦人」をめぐって③

2021年03月14日 22時19分09秒 | 〃 (外国文学)
 アルベール・カミュ異邦人」(1942)は第二次世界大戦後の世界でもっとも読まれた小説の一つだろう。日本では窪田啓作訳で1951年に翻訳が出され、1954年に新潮文庫に収録された。2014年に128刷で改版され、2019年5月に133刷になっている。もっとも今では改訳が必要だと思う。原作に従って「レエモン」と書いているが、今なら「レーモン」と表記するのが普通だろう。

 その「レエモン」が初めて出て来る場面(36頁)では彼は「拳闘家の鼻をしている」と書かれている。彼は「部屋に腸詰とブドウ酒があるんだが、一緒に少しばかりやらないか」とムルソーを誘う。ここに出て来る言葉は、ボクサーソーセージワインと訳さなければ、今では伝わりにくい。全体的に古い感じが否めないが、まあそこも一種のムードと言えるかもしれない。
(アルベール・カミュ)
 「異邦人」が世界中で読まれたのは、第二次世界大戦の大惨事が大きいだろう。「不条理」「動機なき殺人」が世界にあふれていた時代だった。自分たちはいかに生き残ったのか、そこに意味を見いだせない。そこでムルソーの運命が自分の運命であるかのように思われた。ムルソーの裁判には多くの人が呼ばれるが、その証言はことごとく悪く取られて人格攻撃がなされる。「母の葬儀で泣かなかった」「葬儀の次の日に情交関係を持った」などが理由だ。(それを言ったら伊丹十三監督「お葬式」では、山崎努の主人公が葬儀前に訪ねてきた愛人と関係してる。)

 ムルソーは何故「世間のしきたり」に無頓着だったり反逆したりするのか。それは「異邦人」発表当時より多くの人に論じられてきた。「もうひとつの『異邦人』」の後書きで、三野博司増補改訂版 カミュ『異邦人』を読むーその謎と魅力」(彩流社、2011)という本を知った。著者はフランス文学者で奈良女子大学名誉教授、国際カミュ学会副会長という人である。この本は地元の図書館にあったので読んでみると、今までの様々な読解がまとめられていて文学理論の勉強になった。
(カミュ『異邦人』を読む)
 カミュの父は第一次大戦で戦死している。ムルソーも同じように父がいない。いなくなった事情は書かれていないが、確かに「異邦人」における「父」と「母」の問題は重要だ。「母」が死ぬことで始まる「異邦人」は、最後に死刑判決を受けたムルソーが教誨師の神父から「自分は父である」と迫られる。母親が養老院で仲良くしていた老人ペレーズ(Perez)にはフランス語の「」(père)が入っている。言われてみれば、なるほどと思う。そもそも「ムルソー」は、「」(mort)と「太陽」(Soleil)が掛かっている。

 そういう議論も面白くはあるが、僕は原作を久しぶりに読み直して「裁判のおかしさ」に驚いた。検察官は被告人ムルソーを重く罰したい。それならば「被害者家族」の証言は欠かせないはずだが、それが全く出て来ない。ムルソーの人格を攻撃する証人ばかりが呼ばれる。殺人という犯罪ではなく、むしろ「葬儀でのふるまい」などが糾弾される。ムルソーは「殺人罪」ではなく、キリスト教(神)に対する「不敬罪」でこそ裁かれているとしか思えない。

 証人に呼ばれる人もおかしい。常連の食堂主セレストや同じアパートに住む犬を飼っていた老人など、事件には何の関係もない人が呼ばれている。セレストが呼ばれるなら、職場の同僚のエマニュエル上司(海運会社の主人)が呼ばれるべきだろう。上司はムルソーを新設予定のパリの支所に派遣しようかと考えていた。ムルソーはそれを断るけれど、仕事ぶりは認められていたのである。その証言があれば、ムルソーにかなり有利になったはずだ。

 弁護人もそういうところを追及するべきだが、全然触れない。そもそも「被害者はアラブ人」であり、「レエモンはナイフで傷つけられていた」のである。その事を強調すれば、「正当防衛」とまではいかなくても「過剰防衛」ぐらいは主張できるだろう。しかし、弁護人は全く被害者に触れない。そもそも裁判から被害者のアラブ人が全く消去されている。

 若い頃に読んだから、僕は裁判のおかしさを感じなかった。今になって読み直すと、こんな裁判はあり得ないと判る。もちろん弁護人の弁論が陪審員に受け入れられたら、この小説は成り立たない。「ムルソーが『異邦人』として死刑を宣告される」というのが、小説のテーマなのだから。弁護人が「たかがアラブ人殺しじゃありませんか」と弁論して、そのためにムルソーが無罪になったりすれば、「差別裁判」というテーマになってしまう。

 裁判の奇妙さは誰でもすぐ気付くはずだが、案外論じられていない。そもそも「アルジェリア植民地の裁判」を僕は全然知らない。しかし、いくら何でもこれほど奇怪な裁判はなかったと思う。それを読ませてしまうのはカミュの特徴的な文体や、前半でのエピソードが裁判で反復される巧みな構成にある。そもそも小説はムルソーの「一人語り」だから、裁判の全体が描かれているとは限らない。「殺人罪」なんだから、いくら何でも一番最初に死亡原因の証明ぐらいなされたはずだ。それにしても、その後の裁判叙述を読む限り、「ムルソーを死刑にするための装置」でしかなかった「奇妙な裁判」というしかない。
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カメル・ダーウド「もうひとつの『異邦人』」ーカミュ「異邦人」をめぐって②

2021年03月13日 20時33分28秒 | 〃 (外国文学)
 カミュ異邦人」をめぐる考察2回目。1回目に、原作には主人公(語り手)ムルソーの名前が書かれていないと書いた。映画で初めて「アルチュール」という名前が与えられた。ムルソーは殺人罪で裁かれるが、それでは彼によって殺されたアラブ人の名前は何だったか、答えられるだろうか。原作を読んでる人は多いだろうが、大部分の人は「いやあ、昔読んだから覚えてないなあ」と答えるかもしれない。何人かの人は「確か原作には名前が書かれていない」と言うだろう。そして、ほとんどいないだろうが、それは「ムーサー」だと言う人がごく少数いるかもしれない。

 実は原作には被害者の名前が書かれていない。ムルソーは死刑まで宣告されるというのに、何故か被害者の名前がどこにもない。それに対して、この殺されたアラブ人の立場に立って「被害者の家族」の立場から書かれた小説がある。アルジェリアの作家カメル・ダーウド(1970~)の「もうひとつの『異邦人』 ムルソー再捜査」である。2013年にアルジェリアで、2014年にフランスで刊行され、ゴンクール賞の「優秀新人賞」を受けた。日本でも2019年に鵜戸聡訳で、水月社から翻訳が出ている。この本によって、初めて被害者のアラブ人に名前が与えられた。それはムーサー・ウルド・エル=アッサースというのである。
(「もう一つの『異邦人』」)
 「もう一つの『異邦人』」は、被害者ムーサーの弟、ハールーンの語りとして書かれている。アルジェリアに今や数少なったと書かれているバーに毎日通いながら、老境のハールーンがインタビューする新聞記者に語っている。彼によれば、ムーサーとハールーンは二人だけの兄弟だった。アレレ、「被害者のアラブ人」には妹がいたはずじゃないのか。ムルソーの友人「レエモン」が彼の「女」(例によって原作には名前がないが、映画では「ヤスミン」とされている)をひどい目に遭わせたため、兄がレエモンにつきまとっていると書かれている。そしてムルソーがマリー、レエモンと海辺の友人を訪ねた日も、兄とその友人(?)が海辺にいた。

 これは一体どう理解するべきだろう。本の中でハールーンは、兄の死を書いた本を何度も読んでいると書かれる。だけど、他に姉妹はいなかったと断言するのである。「異邦人」で姉妹と書かれたのは、同じ街区に住むムスリム女性は皆姉妹であるということをフランス人が知らなかったのだとされる。そう言われると、なるほどそうかもと思わないでもない。もっともハールーンは自分でも嘘つきと自認していて、この本も知的な企みに満ちた本なので油断はできない。兄の死体はなくなってしまって、ついに発見されなかったと書かれている。そんなことがあるだろうか。浜辺の事件だから、満潮になったら死体が流されるということが絶対にないとはいえない。

 でもそういうことではなくて、植民地のアルジェリアにおいてアラブ人の死体が発見されないまま、支配者側のフランス人が起訴されるという事態が想定できるだろうか。最近公開されたフランス映画「私は確信する」という映画では、死体がないのに起訴された事件が描かれている。実在の裁判がモデルだというから、フランスに「死体なき殺人裁判」があるわけだ。日本でも死体未発見の事件もないわけではないが、「支配ー被支配」という関係の植民地で、被支配者が行方不明になったというだけでは、銃撃が確認されたとしてもフランス人を起訴するのは難しいだろう。
(カメル・ダーウド)
 この小説はまさに「異邦人」とポジとネガの関係にある。まず冒頭は「今日、マーはまだ生きている」と始まる。「きょう、ママンが死んだ」と始まる「異邦人」と正反対である。ムルソー、あるいはカミュ本人と同じく、ハールーンにも父がいない。兄ムーサーが殺されて、ハールーンは母と二人残される。幼かったハールーンは、無学な母と生きていくのに必死で、ついに結婚できなかった。母は残った息子を必要として、ハールーンを家につなぎ止めた。彼は独立戦争に参加できず祖国の英雄になりそこね、独立以後は日陰の人生を送らざるを得なかった。その点でもハールーンはまた「もう一人の異邦人」なのである。

 彼の人生にも「秘密」があった。ムルソーが殺人を犯したように、ハールーンも人を殺したことがあった。それはアルジェリア独立直後のことで、フランスへ帰った植民者の家に住んでいた彼らのもとへ、村に残ったフランス人が紛れ込んできた。そのフランス人ジョゼフを深夜に銃で殺害したのである。死体は母とともに庭に埋めた。村のフランス人がいなくなって、捜査はなされた。銃撃音が聞かれていてハールーンも捜査されたが、起訴されなかった。ムルソーと逆である。ハールーン親子は「フランス人に家族を殺された」ということが、「戦没者遺族」のような重みを持ち「水戸黄門の印籠」になるのだ。が、死は心の中にその後も住み着いてしまった。

 このようにムルソーと正反対でありながら、運命は似たような歩みを続けて行く。その結果ハールーンの人生も破壊されて、ムスリムには本来許されない飲酒癖をもたらした。そしてムルソーと同じく、彼は「無神論」に近づいていく。作者のカメル・ダーウドはもともとオラン(「ペスト」の舞台となったアルジェリア第二の都市)でジャーナリストとして活躍していた。常に反権力、反イスラム過激主義の立場に立ち、そのため反イスラム的とみなされて起訴されたり、イスラム政党から「死刑」のファトワ(宗教上の宣告)を受けたりしている。「異邦人」の正反対であるはずの「もうひとつの『異邦人』」もまた同じく祖国に受け入れられない「異邦人」の物語なのだ。

 当初は「この物語には二人の死者がいる」のに、世界的に有名になったのはあのフランス人で、自分の兄は名前さえ伝わらないとハールーンは怒っている。そのため彼は「ムルソー再捜査」を行い続けたが、残っている情報は手に入らない。同じくムーサーの足跡を追っていた女性教師メリエムが独立後に訪ねてきた。ハールーンは一時彼女と交際するものの、母は歓迎しない。この短いエピソードを除き、「弟」の人生はすっかり「兄の死」で壊されてしまった。しかし、次第に独立後のアルジェリアの歩みも彼が思ったようなものではなかったことが判ってくる。重ね合わされた幻滅の日々を生きてきたのである。

 この小説はカミュ「異邦人」を反転させ、もう一つの読み方を突きつける。その意味で非常に重要な意味を持つと思う。かなり読みにくい小説ではあるものの、そういう試みは大切だろう。死者に名前さえ与えられなかった「異邦人」を被害者の側から読み直すこと。それは大事だと思うが、同時にテクストとしての「もうひとつの『異邦人』」をも疑って掛かる必要がある。

 ムーサーは1942年に殺された(死体は未発見)とされるが、「異邦人」は1942年6月にパリのガリマール社から発売された。よって、ムルソーが事件を起こした夏は1941年以前でなければならない。この食い違いは、有名な本が出た頃に行方不明になった兄を小説内の人物だと「妄想」したという読み方の可能性を作者が埋め込んでいるのではないだろうか。
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ヴィスコンティ監督の「異邦人」ーカミュ「異邦人」をめぐって①

2021年03月12日 20時40分17秒 | 〃 (外国文学)
 柳町光男監督に「カミュなんて知らない」(2005)という映画がある。2005年のキネ旬ベストテンで10位に入っている。立教大学で撮影されているので、僕には懐かしい風景がいっぱい出て来る。今はなき「ここのつ」という蕎麦屋の店主役を柳家小三治がやっているのも面白かった。ところでユーロスペースでこの映画を見ていたとき、僕の後ろに座っていたカップルが「カミュって誰だっけ?」「ほら『変身』を書いた人じゃない」と言ってるのを聞いてしまった。ふーん、ホントに「カミュなんて知らない」んだなあと思ったものである。

 その映画は大学生が映画を製作する過程を映画にしている。テーマは少年犯罪で、動機を問われて「人を殺してみたかった」と答えた高校生が起こした実在の事件がモデルになっている。つまり、動機を問われて「太陽のせい」と答えたアルベール・カミュ異邦人」の主人公「ムルソー」こそが「知らない」と言われる中身だったのである。日本で起きた少年による「不条理殺人」を媒介にして、元祖不条理殺人の「異邦人」が思い出されているわけだ。

 「カミュなんて知らない」はずが、2020年になって世界的にカミュが思い出されることになった。パンデミックの中で「ペスト」が世界中で改めて読まれ始めたのである。僕は「異邦人」も「ペスト」も中学生の時に読んでいて、それ以来読んでない。その当時の「ペスト」は上下2分冊になっていて、字も小さいから、買い直して僕も読もうと思った。他の本を先に読んでいて、まだ積まれているけれど。この機会にカミュの他の本もまとめて読もうかと思って、まず「異邦人」を読んでみた。そうしたら問題がいろいろと出てきて、何回か掛かりそうな感じ。

 ところでルキノ・ヴィスコンティ監督による映画「異邦人」(1967)がデジタル修復されてリバイバル公開されている。ヴィスコンティ監督は1976年に亡くなっているが、今も人気が高くほとんどの映画がリバイバルされている。その中で「異邦人」と「地獄に堕ちた勇者ども」(1969)だけが全然見られなかった。そこでまず映画について書きたい。映画「異邦人」は、僕は昔テレビで見た記憶があり、またどこかで映画も見たと思うが16ミリだったかもしれない。

 今回何十年ぶりに原作読んで、映画を見た。映画は基本的に「原作の完全映画化」だ。大長編の映画化だと、エピソードや登場人物を多少カットしないと時間が長くなる。ヘミングウェイ「殺し屋」みたいに短すぎると、映画化の際にストーリーを膨らませる。しかし「異邦人」程度の長さなら、まあほぼすべてを映像化出来る。しかし、もちろん違っていることもある。中でも最大の違いは、「ムルソーの名前」である。原作は一人称で描かれていて、ムルソーによる情報の取捨選択がなされている。その結果、ムルソー(姓)しか書かれていないという特殊な原作なのである。

 映画でも「一人称」の映画も存在する。しかし、映画には多額の資金が必要だから、有名な俳優をキャスティングしてヒットするようにする必要がある。客観的な描写にするならば、主人公に名前が必要だ。冒頭も違っていて、手錠姿で連れてこられ検事の調べを受けるところから始まる。その後、拘置所で名前が呼ばれるが「アルチュール・ムルソー」である。当初は英語版で公開されたからか、ウィキペディアには「アーサー・ムルソー」と書かれている。(今回はイタリア語版。)作者のアルベールと似ていて、アルチュール・ランボーも想起させるから、何か名前を付けるならふさわしい気がする。

 ムルソーはマルチェロ・マストロヤンニが演じた。1924年生まれだからムルソーには上過ぎるけれど、他には考えられないだろう。フェリーニの「甘い生活」で世界的スターになり、ピエトロ・ジェルミ監督の「イタリア式離婚狂想曲」ではアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。知名度と演技力から、他にはいないだろう。フェリーニ映画の印象が強いが、もともと戦後すぐにヴィスコンティに認められたという。ヴィスコンティの映画では「白夜」(1957)と「異邦人」しか出ていない。マストロヤンニが演じたことで、ムルソーが立派すぎてしまった感じはする。

 恋人というか「母の葬儀翌日に情交関係を持った」と非難されることになるマリーは、アンナ・カリーナが演じている。2019年に亡くなったアンナ・カリーナを思い出すときは、どうしてもゴダール作品になる。「女は女である」「女と男のいる舗道」「気狂いピエロ」などである。「異邦人」のことは忘れていたが、アンナ・カリーナだから原作以上に同情的になる。つまり映画は原作のエッセンスを改編した部分はないが、「不条理殺人」を犯したムルソーがいかに不当な裁きを受けたかという点が強調されている。今の僕の問題意識では、果たしてそれで良かったのだろうかと思う。

 原作をどう評価するかは後回しにして、それ以外の問題を先に書きたい。映画では「太陽のせい」をどのように描くか。ナイフに当たる陽光がムルソーの顔を照らす。そのギラギラッとした瞬間が心を狂わせる、と解釈できなくもないように。かつて黒澤明監督「羅生門」で、撮影監督の宮川一夫が木漏れ日を印象的に映し出した。「異邦人」の撮影は先月亡くなった名手ジュゼッペ・ロトゥンノである。撮影もあって、非常にうまく原作を映像化したなと感心した。

 どこでロケしたのかなと思って調べたら、昔の映画パンフの情報をネット上で紹介しているサイトがあった。それによると、アルジェリアの首都アルジェ、つまり原作通りだった。原作(1942年)から25年、独立戦争はあったものの当時のアパートなどがまだ残っていたという。独立当時のベン・ベラ政権は65年にクーデタで倒され、映画化時はブーメディエン政権だった。まだイスラム主義的な影響が強い時代ではないから、ロケが可能だったのだろう。今年公開された「パピチャ 未来へのランウェイ」に出て来るが、アルジェリアでは90年代に軍部とイスラム政党の間で激しい内戦があった。フランス人作家が書いた無神論者を描く原作は今では難しいのではないか。

 映画の前半は、細かく検討すると原作から抜けている箇所も多い。例えば、冒頭の取り調べシーンが終わると、ナレーションで「きょう、ママンが死んだ」と流れて、もう養老院のあるマランゴ行きのバスに乗っている。原作も説明が少ないが、映像だけだとさらに判りにくいから、時々ナレーションで説明される。原作ではアラブ人の姿がほとんど出て来ない。しかし映画のロケでは、否応なくアラブ人の姿がとらえられる。最初の方でムルソーが町を眺めて過ごす描写があるが、アラブ人は出て来ない。だが映像にはアラブ人が働いている姿が目に入る。「ムルソーが何を見ていないか」(あるいはカミュが何を書かなかったか)が映画で見て取れる。

 後半の裁判シーンでも原作では判らなかったことが判る。まず「陪審員」は全員が「高齢のフランス人男性」である。女性やアラブ人がいないのは予想出来るが、若い人もいない。傍聴者には女性もいるが、全員がフランス人である。「アラブ人殺害事件」を裁いたわけだが、一人も現地住民の傍聴者がいない。また裁判官が高いところにいるのは当然だが、検察官がその次に高く、弁護士は一段低いところにいる。(戦前の日本でも同様。)裁判官は弁護人の反対尋問を全然認めない。今ならこの訴訟指揮だけで、上訴審で破棄判決が出るだろう。

 ヴィスコンティは晩年に作った耽美的、頽廃的な「滅びの美」の印象が強くなったが、元々はミラノ公爵家出身ながら共産党員となって「赤い貴族」と呼ばれた。ネオレアリズモの旗手として、演劇や映画で活躍してきた。「異邦人」は原作をリアリズムで映像化した手際の良さは見事だが、原作を知っている人には、あまり刺激がない面もあるだろう。海外では映画賞などには恵まれなかった。日本では68年のキネ旬ベストテンで8位になっている。意外なことに、これが初のベストテン入選だった。以後はすべて入選し、「ベニスに死す」「家族の肖像」で2回ベストワンになった。「若者のすべて」「山猫」がベストテンに入ってないのはおかしいが、どっちも11位だった。
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国立演芸場で春風亭小朝を聞く

2021年03月10日 21時06分58秒 | 落語(講談・浪曲)
 国立演芸場3月上席の千穐楽。トリは春風亭小朝である。落語協会は大御所の元会長・鈴々舎馬風や気鋭の桃月庵白酒などを中心にコロナ感染者が出て休演期間があった。落語協会だけ出演の上野・鈴本演芸場は今も休業中である。白酒は今月から復帰し、浅草演芸ホール夜の部でトリを取っている。そっちは時間的に大変だから国立演芸場に行こうと思った。ここは時間が短くなっている(1時開始で3時半上がり)。椅子も他の寄席よりいいし、国立で料金が安い。「津波の霊たち」のような本を読んでいると、重さを抜く必要がある。
(春風亭小朝)
 春風亭小朝は1980年に36人抜きで真打に昇進した。その頃は落語に関心がなかったけれど、これは大きく報道された一般ニュースだった。そして80年代、90年代には、テレビでも大活躍していた。20世紀の終わり頃から落語を聞きに行くようになって、小朝も何度か聞いている。今も大スターだけど、昔ほどの勢いがなくなった感じもある。「春風亭」と打ち込むと、一之輔昇太に次ぐ3番目で、下に昇太の弟子の昇吉、小朝の弟子の「ぴっかり☆」が迫っている。どんな大名跡を継ぐのかと期待されていた小朝も、3月上席中に誕生日が来て66歳である。

 今日はたっぷり「男の花道」を語った。これは初めてで、昔映画にも何度もなったけど、そっちも掛け違って見ていない。映画と落語、講談では少し内容が違うようだが、基本は上方の歌舞伎役者が東上する途中で失明の危機におちいる。それを東海道の宿場町に同宿していた目医者が治す。江戸で大人気を取った中村歌右衛門は、かつての恩義を忘れず医者の危機に舞台をなげうち駆けつけようと思うが…。という話で、途中少し言い間違いもあるが、長い話を聞かせた。

 前座が終わって、最初が先に名前を書いた「ぴっかり☆」。☆までが芸名である。元女優だそうで、年をごまかしてAKB48の第一期オーディションに参加して最終予選まで残ったという。最後は秋元康に年齢を見抜かれたということになっている。二つ目ながら、すでに大人気らしいが僕は初めて。演題は「やかん」という、横町の隠居先生が言葉の由来を無理やり語呂合わせするバカ話。訪ねた八五郎を先生が「愚者」「愚者」と呼ぶから、やる人によっては嫌み感が出る。アイドル系のぴっかり☆がやると、おかしさだけ伝わる感じがした。若いようでも不惑が近いけど、二つ目も10年目。そろそろ飛躍が期待できそう。
(春風亭ぴっかり☆)
 トリの前に僕のごひいきの音楽パフォーマンスのだゆき。今日は座ってやったのが珍しい。今まで何回か聞いてるが、いつも立ってやっていた。毎回鍵盤ハモニカでコンビニの音を再現するけど、それは手始め。パイプオルガンに再現には驚いた。簡単に演奏できる楽器をいくつか持ってくるが、この人はアルト・リコーダーソプラノ・リコーダーを一緒に吹ける。一人合奏で「ふるさと」を吹くんだからすごい。でも音楽だけでない雰囲気に持ち味がある。
(のだゆき、立って二つのリコーダーを一緒に吹くところ)
 前半はぴっかり☆に続き、春風亭柳朝、曲芸の翁屋勝丸林家三平で終わり。三平は「悋気の独楽」という、嫉妬深い奥さんが浮気旦那の後を小僧に付けさせる話。三平はだんだん風貌が先代に似てきたと思う。去年も浅草で聞いたけど、三平はうまくなっている。中入り後は桂文雀。この人も初めてで、調べると持ちネタがたくさんあるらしい。今日は「歯ンデレラ」という新作で、お婆さんが合コンに行って入れ歯を落とす。それを妻を亡くした社長が拾って落としたお婆さんを探すという、実におかしくも哀しいバカ話である。これは笑えた。時間が短いから疲れなくていい。でも国立演芸場はやはり「寄席」っていう感じが薄いんだなあ。
(林家三平)(桂文雀)
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