尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「おもいでの夏」と「避暑地の出来事」

2018年03月28日 21時15分09秒 |  〃  (旧作外国映画)
 お正月に「もう一度見たい映画・外国編」というのを書いたんだけど、その時に二番目に見たい映画に挙げたのが「おもいでの夏」という映画だった。そうしたら、キネカ大森でやってるワーナーブラザースの映画特集に入っているではないか。今回やる映画の中には最近見直した映画が多いけど、「おもいでの夏」と「避暑地の出来事」は見てないから、この機会に見に行った。

 1971年に作られた「おもいでの夏」(Summer of '42)は、アカデミー作曲賞を得たミシェル・ルグランの甘美で哀切なメロディが忘れられない。だから思い出の中で、ずいぶんロマンティックな映画になってたんだけど、見直してみたら「10代少年のセックス妄想おバカ映画」でもあった。ほとんど足立紳監督の「14の夜」じゃないか。まあ15歳という年齢は確かに「性のめざめ」だろうが、今の時点で見ると多少セクハラ的に問題なんじゃないか。世の中甘美なだけの世界はない。

 この映画は脚本家の思い出がもとになってるが、原題にある「42年の夏」、つまり真珠湾攻撃後半年ほどという時点を描いている。映画製作当時はベトナム戦争真っ最中で、第二次世界大戦を経験した人も数多くいた。そのような「戦争の影」が映画を成立させていて、だからこそ「海辺の家に住む出征兵士の若き妻」という存在が神話的な輝きになる。この「若き人妻」役のジェニファー・オニールは結局あまり大成しなかったけど、この映画一本で永遠に記憶されるだろう。
 (ジェニファー・オニール)
 僕にとって「おもいでの夏」は、ジェニファー・オニールとミシェル・ルグランの映画だったんだけど、今回見たら撮影監督のロバート・サーティーズの映画でもあると思った。「ベン・ハー」などで3回もアカデミー賞を得ているが、活動期間が長く「卒業」も「ラスト・ショー」も「スティング」もこの人。いかにも思い出の中を映像化するかのように、海辺の砂浜や太陽を背景にして、はかない幻のような世界を現出させている。「アラバマ物語」で知られるロバート・マリガン監督の佳作。

 デルマー・デイヴィス監督「避暑地の出来事」(1959)は初めて見た。マックス・スタイナー(「風と共に去りぬ」)作曲のテーマ曲「夏の日の恋」がパーシー・フェイス・オーケストラで大ヒットして、僕も曲だけは昔からよく知っている。美しいテーマ曲だけ有名で、大した映画じゃないというのは映画史的知識として知ってたけど、確かに今では古すぎる青春映画だった。

 もちろん「避暑地の出来事」で「夏の日の恋」の映画ではあるが、内容的には全然ロマンティックではない。ボーイ・ミーツ・ガール映画だけど、ボーイもガールも親の夫婦関係がメチャクチャ。メイン州の島の避暑地パイン・アイランドのホテルに、島で昔ライフガードだった若者が大富豪になってやってくる。ホテルの方が今では閑古鳥が鳴いて、オーナーは酒浸り。ホテルの息子と富豪の娘が出会ってすぐに恋に落ちるが、ある日ヨットが転覆して帰りが翌朝になると…。

 この映画のテーマは、「愛し合う若者はどこまでなら許されるか」である。キスまでならいいのか。愛し合っていれば結ばれてもいいのか。しかしセックスすれば妊娠の可能性もあるわけだから、生計のない若者がセックスするのはどうなんだ。世間体もあれば、財産問題、進学先の問題など様々な問題も起きてくる。こういうテーマは昔はけっこうたくさんあって、「純潔」を守らないとこんなに不幸になるというような映画もある。同じころに書かれたフィリップ・ロスの「さようならコロンバス」でも、若者の意識は変わりつつあるが、親の世代の意識が固いことが描かれた。

 今もこの問題そのものはあるだろうが、いちいち悩んでいく様子を映画にするというのは、アメリカや日本ではもうないだろう。そういう意味で「50年代」の最後の映画という感じがする。主演の若者たちはトロイ・ドナヒューサンドラ・ディー。トロイ・ドナヒューは本人のセリフにあるように勉強に向かないタイプで、まあカッコよいだけみたいな感じ。だから青春スターで売れなくなると、B級映画で殺人鬼みたいな役をやった。サンドラ・ディーは翌1960年に18歳で歌手のボビー・ダーリンと結婚してしまい、子どもを産むがやがて結婚は破たんした。実人生と映画は関係ないけど、なんかなるほどというようなカップルではある。
  (トロイ・ドナヒューとサンドラ・ディー)
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映画「ガープの世界」は今も新しい

2018年02月20日 23時04分12秒 |  〃  (旧作外国映画)
 ジョン・アーヴィング原作、ジョージ・ロイ・ヒル監督の「ガープの世界」(The World According to Garp)を30数年ぶりに再見。新文芸座のワーナー映画旧作特集で、「ビッグ・ウェンズデー」と一緒に見た。ジョン・ミリアスの「ビッグ・ウェンズデー」は、サーフィン映画の傑作である以上に失われゆく青春への挽歌だ。でも僕にはもう昔見た時ほどの感動は得られないなあと思った。一方、「ガープの世界」は今もまったく古びていないだけでなく、むしろ今の世界を予見したかのようだ。

 この映画は1982年製作で、日本では翌1983年に公開されてキネ旬ベストテン2位になった。僕は同時代に見ているが、そこまでいいかなあと思った。というのも同じ年に「ソフィーの選択」や「ガンジー」があった。また何といっても「フィッツカラルド」「アギーレ・神の怒り」があったから、僕にとっては「ヘルツォークの年」だったわけである。それはアメリカでも同様で、先の2作に加え「E.T.」や「トッツィ-」もあったから、アカデミー賞には男女の助演賞がノミネートされただけだった。

 冒頭にビートルズの「When I'm Sixty-Four」(64歳になっても)が流れる。それだけで、もう何だか時代を超越して昔に戻れる気がする。とにかく「語り」が滑らかで、スイスイ見てしまえる映画。とてもウェルメイドな作りに感心した。それ以上に驚いたのが、テーマがまったく古びていないこと。むしろ今の方が切実かもしれない。主人公ガープ(ロビン・ウィリアムズ)の母、ジェニー・フィールズ(グレン・クローズ)は夫はいらないが子どもが欲しいと望む。「看護婦」だったジェニーは、死に際の傷痍軍人と一方的にセックスしガープを身ごもり、シングルマザーになる。

 人間はなかなか思うように生きられないけど、ある段階までその原因を作ったのは戦争や貧困だった。映画でも戦争で引き裂かれた悲劇、なんていうのがいっぱい描かれた。戦後何十年も経ち、「先進国」では戦争や貧困が(完全ではないけど)ある程度遠いものになっていく。じゃあ、前の時代より幸せかというと、以前は問題化されなかったようなテーマが切実なものになっていく。「セクシャリティ」の問題はその最大のものだろう。シングルマザーとその子どもの人生を通じて、性と生の悲喜劇をたっぷりと見せてくれるこのドラマは、今こそ思い出されるべきだ。
 
 LGBTなんて言葉は、この映画の公開当時は知らなかった。というか、なかっただろう。「#Me Too」として「セクシャルハラスメント」が改めて問われる現在に、この映画は驚くべき先見性で迫ってくる。もう一つの大きな問題は、アメリカの銃社会である。これも今もなお、というより今こそまさに現在的な問題。しかし、そのようなセクシャリティや銃の問題以上に、「怒りは怒りを来す」という「スリー・ビルボード」が問う問題意識に再び直面してしまう。人間が怒りを制御できなくなる時に、自分に返ってくる大きな悲劇。今こそこのテーマに真剣に向き合う必要がある。

 アメリカであまり高い評価にならなかったのは、有力作とぶつかった他に原作が面白すぎることもあるだろう。ベストセラーになったから、多くの人が読んだ。そういう場合によくあるが、映画にするとよく出来たダイジェストに見えてしまう。原作の持つ大きさ豊かさがカットされたように感じてしまう。僕も公開当時は、サンリオ文庫の原作を先に読んでたので、ちょっと物足りなかった。今回は大まかな流れは覚えていたが、細部は忘れていた。だからなのか、ものすごく面白く見られた。ロビン・ウィリアムズの悲劇的な最期を思うと感無量。

 ジョン・アーヴィングの映画化には、作家本人がアカデミー賞脚色賞を受賞した「サイダーハウスルール」やトニー・リチャードソン監督による「ホテル・ニューハンプシャー」などがある。だが、「ガープの世界」が一番いいだろう。ディケンズに憧れる長大なリアリズム小説ばかりだから、なかなか読むのも大変。でも現代アメリカを知る意味でも、物語の面白さ豊かさという意味でも挑戦しがいのある作家だ。
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「冒涜」の映画作家、ルイス・ブニュエル再見

2018年01月05日 21時12分18秒 |  〃  (旧作外国映画)
 渋谷のシアター・イメージフォーラムで、ルイス・ブニュエル監督の作品を特集上映している。数年前に四方田犬彦の大著「ルイス・ブニュエル」が出て(未読)、そういえばブニュエルの映画をしばらく見てないなあと思ったものだ。ベルイマンやブレッソンの映画だっていくつか見られることを思えば、ブニュエルが見られないのは映画史的な抜け落ちというべきだ。
 (ルイス・ブニュエル監督)
 今回は1962年の「皆殺しの天使」(カンヌ映画祭国際映画批評家連盟賞)を中心に、1961年の「ビリディアナ」(カンヌ映画祭パルムドール)、1965年の「砂漠のシモン」(ヴェネツィア映画祭審査員特別賞)と60年代前半の傑作群を上映している。(「砂漠のシモン」は48分の中編なので、ダリと共同監督した伝説の短編「アンダルシアの犬」を併映している。)「ビリディアナ」は珍しく64年に日本公開されているが、「皆殺しの天使」は1981年になって公開された。「砂漠のシモン」はDVDは出てたが、初めての劇場公開だと思う。「砂漠のシモン」は初めてだが、他は前に見ている。
  (皆殺しの天使)
 連続で見るのは疲れそうだが、一番効率的だから頑張ることにした。「皆殺しの天使」はオペラにもなったということだけど、究極の不条理劇である。メキシコで製作されている。あるお屋敷でパーティが開かれるが、夜も更ければ皆帰るはずが何故か誰も帰らない。帰らないで朝まで飲んだりしているのは勝手だが、朝になっても帰らない。気が付いてみれば、帰れなくなっている。何か物理的に閉じ込められたわけでもないのに、誰も部屋を出て行けない。そんなバカなという映画である。

 そんな環境に置かれると、果たして人間はどうなってしまうのか。これは何かの寓意か。皆が自分たちで思い込んだ迷路に迷い込んでいて、脱出できない。「核兵器」とか「原子力発電所」などは、みんなで一緒にエイヤっと止めてしまえば良さそうなもんだけど、抜け出せない部屋に入り込んだような状態と言えるかも。それにしても、ここでブニュエルが描く「人間性への悪意」はどうだろう。こんな設定の映画を作ったこと自体が、いかにブニュエルがトンデモ爺さんだったかを示している。

 ルイス・ブニュエル(1900~1983)は、スペインに生まれて「アンダルシアの犬」「黄金時代」「糧なき土地」など常に物議を呼ぶ映画を作って、独裁下のスペインでは映画を撮れなくなる。のちにメキシコ国籍を取り、多くの映画を監督した。1950年製作で、日本でも高く評価された「忘れられた人々」以外は低予算の不思議映画が多い。初期作品から、ブニュエルはシュールレアリスムと言われるが、リアリズム映画もあれば、B級テイストの娯楽作も多い。80年代にメキシコ時代の映画がたくさん上映されたが「幻影は市電に乗って旅をする」や「昇天峠」などメチャクチャ面白かった。

 「ビリディアナ」はそんなブニュエルがスペインに帰って作ってカンヌで大賞を取った。これは反フランコ側からは非難されたが、結局この映画は反カトリックと言われて教会の圧力でスペインでは上映禁止になった。もうすぐ修道女になるビリディアナは、院長に言われて疎遠な叔父に最後に会いに行く。そこで思いがけぬ叔父の行動、運命の変転に見舞われ、彼女の人生は変わってしまうのだが…。その内容は書かないことにするが、この背徳、この悪意は今も色あせない。
 (ビリディアナ)
 もっとも現在のスペインには、ペドロ・アルモドバルという超ド級の冒涜監督がいるから、冒涜度は多少失せた気がする。でも、完成度の高さは並ではない。聖女が堕ちていく様を見つめるブニュエルの目は冷徹である。その後、彼はフランスでジャンヌ・モロー主演の「小間使いの日記」、カトリーヌ・ドヌーヴの「昼顔」「悲しみのトリスターナ」など冒涜映画の名作を作っていく。カトリーヌ・ドヌーヴのような美女を相手に、よくもここまで悪意ある映画を作れたものだ。でも、それが面白い。

 「砂漠のシモン」は製作が中途で中断したともいうが、聖人とあがめられ荒野で修行を続けるシモンに悪魔が試練を仕掛ける。このように、ブニュエルにはキリスト教(の教会組織)に対する反感や批判がよく描かれる。それもスペインの特徴かもしれないが、僕にはこの映画はあまり判らなかった。70年代に作って評価も高い「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」や「自由の幻想」などが素晴らしかった。映画は何でも描けるということを知った気がする。今回見直してみると、映画手法そのものは案外普通で、細かいカット割りなど昔風のきちんとした映画に見えてくる。テーマは飛んでいたけど、方法は案外異端と言えないのかもしれない。僕は昔から「ビリディアナ」が最大傑作レベルだと思っている。
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もう一度見たい映画・外国編

2018年01月03日 22時54分44秒 |  〃  (旧作外国映画)
 もう一度見てみたい外国映画編。外国映画に関しては、日本上映権という期限があるので、昔の映画は基本的に上映できないことが多い。最近は「午前10時の映画祭」でずいぶん昔の映画をリバイバルしてくれたが、それでも70年代、80年代の名作の多くは見られない。とは言うものの、1975年のベストテンに入ってるアルトマンの「ナッシュビル」やキューブリックの「バリー・リンドン」など、二度と見られないと思ってた映画をやってくれたりすることがある。待ってるといろいろある。

 昔の映画が突然まとまって上映されることもあるので注意してないといけない。ただ、それは配給会社がちゃんとしてないと出来ない。民間会社がやってるんだからやむを得ないけど、最近は倒産したり廃業する会社もある。日本で絶大な(過大な?)評価を受けるクリント・イーストウッド監督は、時々特集上映が行われるが、アカデミー作品賞の「ミリオンダラー・ベイビー」だけ上映できない。配給会社が倒産したから。僕の好きな「ブロークバック・マウンテン」も同様。世界の名画をいっぱい公開してくれたフランス映画社も数年前に倒産した。そのフィルムはどうなるんだろう?

 僕の若いころは、外国映画と言えばアメリカ、時々フランスイタリアイギリスぐらいで、その他の国々の映画は珍しかった。ドイツやスペインの映画はほとんどなかった。(そもそも、ドイツは東西分裂、スペインはフランコ独裁だったんだから、映画どころではない。)もちろん、中国や韓国の映画が一般公開されることはなかった。(自主上映みたいな形で公開されることは時々あったが。)ということで、もう一度見たいなあと思う映画も、大体はアメリカやヨーロッパの映画が多い。

 僕が最初に挙げたいのはペルー映画の「みどりの壁」。ペルーはラテンアメリカの中でも映画が盛んとは言えない。そんな国の映画がなぜか1970年に公開された。大阪万博時に国際映画祭も行われて、スウェーデンの「私は好奇心の強い女」、フェリーニの「サテリコン」などが人気の中、ひっそり上映された「みどりの壁」。それが感動的だと評判を呼び、正式に公開されたのである。ジャングルの開拓村に住む若い夫婦、子どもが毒蛇にかまれて…という大自然と貧困、家族の結びつきが印象的な映画。監督のアルマンド・ロブレス・ゴドイは、75年に幻想的な「砂のミラージュ」も公開された。見てみたいが、そもそも上映素材がちゃんとあるのか。

 アメリカ映画では、村上春樹訳で翻訳された「卵を産めない郭公」の映画化「くちづけ」みたいに、大傑作でもないけど若いころに見たから思い出深い映画が誰にでもあると思う。僕が好きなロバート・マリガン監督「おもいでの夏」は甘美なテーマ曲とともに忘れられない。原題は「Summer of '42」で、戦時下の避暑地で夫を戦地に送っている人妻に憧れてしまった少年を描く。大西洋に面した海辺の素晴らしさ、年上の美女に憧れてしまう少年…。ミシェル・ルグランの音楽がアカデミー賞を受賞した。口ずさめる人もきっと多いと思う。ヒロインはジェニファー・オニールという人。

 音楽が忘れられないと言えば、マーク・ライデル監督の「ローズ」。紅白で島津亜矢が英語で歌ってたけど、主題歌だけ残ってる。僕はぜひこの映画を大画面でもう一度見てみたい。ジャニス・ジョプリンにインスパイアされた物語で、主人公をベット・ミドラーが演じた。1980年に日本公開されたとき、たしか2回は見ている。ベトナム戦争は終わっていたけど、ジャニスの破滅的な生き方が身近な感じがした時代だった。すごく好きな人が多かったのに、リバイバルされないのが不思議。

 ヨーロッパの映画では、今は忘れられた感がするコスタ=ガヴラスの映画をまず挙げたい。特に70年にアカデミー外国語映画賞を得た「Z」は、日本でも大きな評判となった。大歌手イヴ・モンタンを主人公にした三部作の最初で、ギリシャの独裁政治に抵抗する政治家を描いた。すごく面白いと思うが、背景の政治事情が違ってしまった。次の「告白」は50年代のチェコスロヴァキアの政治裁判を描く。スターリン主義の実態、ソ連の東欧支配の実態を僕はこの映画で教えられた。最後がウルグアイの左翼ゲリラのアメリカ人誘拐事件を描く「戒厳令」。政治的なテーマをスリリングに描いた傑作群だが、だからこそ忘れられたかなと思う。もう一回見るのは難しいかもしれない。

 他にぜひ見たいのは、ユルマズ・ギュネイ監督作品。トルコのクルド人で、拘禁中に指示を出して作った「」がカンヌ映画祭で大賞を受けた。その後、90年前後に「群れ」や「」などの映画が日本でも上映されて高い評価を受けた。非常にみずみずしい感性で抵抗の精神を世界に示したが、1984年に47歳で亡くなり、日本でも最初の公開以来、ほとんど上映の機会がない。

 イタリアでもフェリーニやヴィスコンティは今も上映されるけど、政治的な映画を多く作ったフランチェスコ・ロージは日本でほとんど忘れられている。「黒い砂漠」や「ローマに散る」など、すごいサスペンスが忘れられない。「キリストはエボリで止まった」(岩波文庫)を映画化した「エボリ」は、ファシズム政権下にイタリア南部の貧しい土地に流刑された男を描き、非常に感動的だった。他にはサム・ペキンパーも何故か「わらの犬」「ジュニア・ボナー」が上映されない。ウォーレン・ビーティがロシア革命を描いた「レッズ」もまた見たい。フランコ・ゼッフィレリ監督がアッシジの聖フランチェスコを描いた「ブラザー・サン、シスター・ムーン」にはものすごく感動して何度も見た。十字軍時代を描いて、ベトナム戦争で傷ついた世代の物語になっていた。物質的な豊かさではなく、精神性を大切にしたいという思いに共感した。大スクリーンで若い人にも見て欲しいがm自分でもDVDを持ってる。テイタム・オニールが可愛らしかった「ペーパー・ムーン」も同様。

 1971年にATG系で上映されベストテンに入った「真夜中のパーティー」もものすごい緊迫感に引き込まれれた。舞台劇で今も時々上演されるが、同性愛をテーマにしている。僕が初めて見たセクシャリティをめぐる映画だと思う。ダスティン・ホフマンとミア・ファローが主演した「ジョンとメリー」は、僕が初めて自分で見に行ったロードショー映画だった。日比谷のみゆき座で、今とは違って芸術座(今のシアター・クリエ)の地下にあった。
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素晴らしきチェコ映画の世界

2017年12月17日 22時39分48秒 |  〃  (旧作外国映画)
 今年は「日本におけるチェコ文化年」ということで、フィルムセンターで「チェコ映画の全貌」が開かれている。初期の無声映画から、60年代の「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」まで多くの映画を上映している。(24日まで。)「全貌」というには、89年のビロード革命以後の作品がないのは残念だけど、かつてない規模の上映企画である。11月にはシアター・イメージフォーラムで「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」特集上映も行われた。すでに相当数を見たのでまとめておきたい。

 チェコ映画といえば、なんといってもまずはアニメ映画だろう。人形劇の世界的巨匠イジー・トルンカ、特撮を使って冒険と郷愁の世界を作り出すカレル・ゼマンなど今も日本ではよく上映されている。(カレル・ゼマンの「悪魔の発明」は1959年のキネ旬ベストテンで10位に入っている。チェコ映画唯一のベストテン入選映画。)近年でもヤン・シュヴァンクマイエルという巨匠がいる。チェコ・アニメは時々どこかで特集上映が行われるほど日本で人気だけど、今回は劇映画が中心なので除外。

 チェコ映画が世界的に一番注目されたのは、1960年代半ばごろである。後にそれが「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれるようになった。アメリカのアカデミー賞外国語映画賞では、65年「大通りの商店」、66年に「ブロンドの恋」、67年に「厳重に監視された列車」、68年に「火事だよ!カワイ子ちゃん」と4年連続でノミネートされ、65年と67年には受賞している。受賞できなかった2作はいずれもミロシュ・フォアマン監督。後にアメリカで「カッコーの巣の上で」や「アマデウス」を撮った。

 僕はチェコ映画を今までかなり見てきた。もともと「プラハの春」やヴェラ・チャスラフスカ以来の関心があって、機会があれば見逃さないようにしてきた。日本でも公開された巨匠としては、イジー・メンツェル(1938~)がいる。チェコ事件後も国を離れず、85年に作った「スイート・スイート・ビレッジ」はアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。シャンテ・シネで公開され、僕は大変に感動したものだ。アカデミー賞を取った「厳重に監視された列車」がメンツェル作品。一度見てるけど、フィルムセンターで見直した。ナチス時代の田舎の駅を舞台に、性に悩む青年を描く傑作。他に、89年以前は公開できなかった「つながれたヒバリ」や、フラバル原作の「英国王給仕人に乾杯!」(2007)がある。
 (厳重に監視された列車)
 チェコ・ヌーヴェルヴァーグ作品で、当時の日本で唯一公開されたのが、ヤン・ニェメツ(1936~2016)の「夜のダイヤモンド」(1964)だろう。68年にATGで公開されている。これは今回フィルムセンターで上映されるので、24日に見たいと思っている。イメージフォーラムでは「パーティーと招待客」「愛の殉教者たち」が上映された。特に「パーティーと招待客」(1966)は、「チェコの恐るべき子供」と呼ばれたニェメツの面目躍如たる傑作だった。田舎のピクニックが、いつのまにか訳の分からない全体主義の恐怖に変わっていく。まさにカフカ的な世界。当局ににらまれた作品だ。
 (パーティーと招待客」) 
 この時代のチェコ映画を見ると、60年代半ばから68年の「プラハの春」につながる文化革命が起こっていたと判る。自由な精神が脱ソ連式社会主義へ結びつき、ソ連によって押しつぶされた。その後外国へ逃れた映画関係者が多いが、国内で沈黙せざるを得なくなった人も多い。今日見た「新入りの死刑執行人のための事件」(1970)の監督パヴェル・ユラーチェク(1935~1989)も映画人としてのキャリアが閉ざされたという。これは「ガリヴァー旅行記」に材を取った大傑作だった。バルニバービとラピュタという二つの国に紛れこんだ不条理体験を描くが、映像的にもシャープで、素晴らしかった。何が何だか判らない映画とも言えるけど、当局ににらまれたんだから風刺は通じたのである。

 もう一本「アデルハイト」(1970)も興味深い。ズテーテン地方と言えば、ミュンヘン協定でドイツに割譲された辺境地方である。歴史の教員なら誰もが名前は知ってるが、じゃあ、どんなところかと言われれば知らないだろう。この映画はそのズテーテン地方を舞台に、ドイツ敗北後に逆にチェコスロヴァキアに戻った時代を描いている。戦時中はイギリスのチェコ軍にいた中尉が戻ってきて、ドイツ人の邸宅を管理する。ドイツ人がユダヤ人から取り上げた屋敷は、ナチ戦犯が住んでいた。その娘が今は家政婦となり、閉鎖された環境の中で言葉の通じない二人に何が起きるか。当時の世相や雰囲気を巧みに描いている。ズテーテンはものすごい山の中だった。

 今後の上映も期待大。チェコ映画史上の最重要作に選ばれたという中世の史劇「マルケータ・ラザロヴァー」(1967、フランチシェク・ヴラーチル監督、ヴラーチクは「鳩」「アデルハイト」と3本選ばれている。)ヴォイチェフ・ヤスニーがカンヌ映画祭監督賞を得ながら「国内永久上映禁止」になった「すべての善良なる同胞」など見逃せない映画が残っている。すでに見た「厳重に監視された列車」や「新入りの死刑執行人のための事件」も2回目の上映がある。ハシェク原作の兵士シュベイクものも上映された。チャペック原作の「クラカチット」は原爆を扱っている。そのようなチェコ映画は長い歴史を通じて、抵抗と諧謔を描いてきた。真正面から反逆するよりも風刺や不条理劇が多いのも面白い。
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これが元祖、映画「グランド・ホテル」

2017年11月02日 22時15分44秒 |  〃  (旧作外国映画)
 映画でよく「グランド・ホテル形式」と言われるジャンルがある。一定の場所に多くの人物が入れ代わり立ち代わり登場して、それぞれ複数のドラマが同時に進行していくような映画である。映画ばかりでなく、今じゃ一種の一般用語になっているかもしれない。元々は1932年に作られたアメリカ映画で、僕も名前は知ってるけど見たことはなかった。

 その「グランド・ホテル」を含む昔のアメリカ映画が国立フィルムセンターで特別に上映されている。東京国際映画祭と連動した「ジョージ・イーストマン博物館 映画コレクション」という企画で、「人生の乞食」「戦艦バウンティ号の叛乱」など大昔の名画が上映されている。一昨年はニューヨーク近代美術館(MoMA)、昨年はUCLA映画テレビアーカイブの所蔵フィルムが紹介された。今年はニューヨーク州ロチェスターにあるイーストマン・コダックの創始者邸にある博物館のコレクション。

 「グランド・ホテル」は大画面で見る機会はほとんどないだろうから、見ておきたいと思って行ってきた。(廉価のDVDは出ているようだけど。)ハリウッド初期の大女優、グレタ・ガルボ(1905~1990)が主演していて、僕はほとんど見てないから新鮮だった。スウェーデン生まれの美人女優と言えば、後のイングリッド・バーグマンが有名で、「カサブランカ」から「秋のソナタ」までずいぶん見てきた。でもガルボはほとんど見てない。早く引退して「神聖ガルボ帝国」と言われた伝説的女優である。

 ここはベルリンの最高級ホテル「グランド・ホテル」って言うけど、ロケなど全然なくハリウッドに作られた壮大なセットなんだろう。クレーン撮影がなんだか懐かしい感じ。ベルリンのホテルだけど、全員英語をしゃべってる。ヴィッキー・バウムという人の小説をウィリアム・ドレイクが劇にしたものがもとだという。冒頭でホテルの電話が飛び交うさまを見せて、さまざまな人生ドラマを簡単に紹介する。

 落ち目のバレリーナ(グレタ・ガルボ)、会社が危機で合併工作に来た社長(ウォーレス・ビアリー)、彼にたまたま雇われた速記タイピスト(ジョーン・クロフォード)、借金で脅迫され泥棒しても金が欲しい「男爵」(ジョン・バリモア)、たまたま社長の会社に勤めていたけど、病気で退職して一生の思い出にホテルに来た男(ライオネル・バリモア)といったあたりが主要人物。

 ジョーン・クロフォード(1904~1975)は、当時のMGMで人気女優だったということで、ガルボとクロフォードが同時に画面に映るシーンはないということだ。そもそも撮影期間が別だったそうで、登場人物が一堂にそろうシーンもない。後にオスカー女優となるが、生涯に4回結婚、最後のお相手はペプシコーラの社長で、夫の死後は役員になったという。ジョン・バリモアライオネル・バリモアはハリウッドで有名なバリモア一家で、ライオネルの方が兄。ジョン・バリモアはドリュー・バリモアの祖父にあたる。この時代の俳優になると、見てるときには判らないので、今調べて知ったことだけど、まあ知らなくても十分楽しめる。だけど、バリモア兄弟はやけに息の合ったコンビぶりを発揮していた。

 皆が皆、どこか苦境に立つ人ばかりで、それは大恐慌下のアメリカ映画にはよくある設定。そこで卑劣、尊大になるタイプもあれば、逃避に向かう人もある。そこを冷徹に見つめるかというと、そこはハリウッド映画だから、おとぎ話みたいにバレリーナと男爵が恋仲になってしまい、ドラマが進展する。監督はエドマンド・グールディング。ベティ・デイヴィスが主演した「愛の勝利」などがあるが、やはり人物の出し入れなどルビッチのような巨匠ほどの腕前はない。まあ今見ると、後に作られたグランドホテル形式の先駆けになったという意味が大きく、まだこのジャンルが練られていなかった段階だろう。

 第5回アカデミー賞で作品賞を受賞しているが、作品賞しかノミネートされなかったのに受賞した珍記録になっている。確かに技術部門も演技部門もとりわけ傑出していない。俳優に共同授賞するわけにもいかないからやむを得ない。社長を演じたウォーレス・ビアリーは、同年に「チャンプ」でオスカーを受賞している。日本では1933年に公開されて、ルビッチの「極楽特急」などと並んでキネマ旬報ベストテン9位に選出されている。1位が「制服の処女」、2位が「巴里祭」という年で、日本ではヨーロッパ映画の芸術の香りが愛されていた。アメリカ映画でも「犯罪都市」や「戦場よさらば」などが入ってる。
(8月5日、12時半に2回目の上映あり。)
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歴史的傑作映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」

2017年04月11日 21時18分32秒 |  〃  (旧作外国映画)
 台湾の故エドワード・ヤン(楊徳昌、1947~2007)の畢生の大作「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」(1991)が、「4Kレストア・デジタルリマスター版」として公開されている。92年に日本で上映されたときは188分版だったけど、今回は236分版である。(日本でも、92年6月に236分版が公開されているというが、自分はその前に見たと思う。)長いからなかなか見る機会を作れなかったけど、ようやく見た。上映時間が4時間近いとなると、そうは見られないと思うけど、これは素晴らしい傑作である。

 昔見た時もすごい傑作だと思った。僕のその年のベストワンである。批評家受けも良くて、キネ旬ベストテンで2位になっている。ちなみに1位は、さらに長いジャック・リヴェットの「美しき諍い女」だったから、これはやむを得ない。台湾映画ではホウ・シャオシェンはヒットするものの、エドワード・ヤンはあまり一般受けがしなかったと思う。都会の孤独をスタイリッシュに再構成するエドワード・ヤンの映画は時代を飛びぬけていたと思う。紛れもなく最高傑作だと思う「牯嶺街少年殺人事件」も、もう二度と見る機会がないかと諦めていた。その後、海外で評価が高まり、今回のデジタル版が昨年の東京国際映画祭で上映された。そして、満を持して一般上映である。

 ただし、この映画は見ていて必ずしも判りやすい映画ではない。ロング・ショットの長回しの画面に、似たような登場人物が点景のように登場し、数人の主要人物以外の特定が難しいのである。表面的には、この映画は「対立する不良少年団もの」だけど、俳優はみな素人を使ってるし、関係が見えにくい。もちろん、そうじゃない作り方も容易にできるわけで、全体に夜の暗いシーンがほとんどであることも含めて、監督の意図した判りにくさである。それでも映画を見ている間は、退屈するということがなく、一貫して傑作を見ているんだという緊張感に支配されている。そんな映画である。

 現代の台北を描くことが多かったエドワード・ヤンには珍しく、この映画は「過去」を描いている。具体的には1960年の台北である。そして、出てくる人々は「外省人」である。1949年、国共内戦に敗れた国民党政府が台湾に移るが、それに伴い台湾に移住した人を「外省人」、もともと台湾にいた人々を「本省人」と呼ぶ。ホウ・シャオシェンの「悲情城市」(1989)は本省人の運命を描いていた。

 蒋介石が支配する戒厳令下の台湾社会。父は外省人の公務員だけど、融通が聞かない清廉な人物で、その子小四(シャオスー)も試験でうまく行かず、名門建国中学の昼間部には落第し、夜間部に通っている。(建国中というのは、日本統治下の台北一中である。)家族は夜間部に多い不良グループとつるむことを心配している。そんな小四は毎日のように仲間と学校の隣にある映画撮影所に忍び込んでいる。そんな彼がある日、小明(シャオミン)という少女と運命的に出会う。家庭的に恵まれない小明は、不良グループのリーダーの彼女である。

 そんな二人を中心に、不良グループの抗争、小四の家族のあり方などが語られていく。10代半ばほどの幼い恋であり、幼い抗争事件なんだけど、彼らにとって生死を賭けたものである。その出口のない痛ましさは、10代の青春映画で多く描かれたものであるとともに、60年代初期の台湾社会の行き詰まりと暗さを象徴している。50年代から60年代にかけて、世界的に「不良青年もの」の映画が多数作られた。ジェームス・ディーンが、石原裕次郎が、ジャン・ピエール・レオが、ズビグニエフ・チブルスキーが…大人社会への反抗と孤独をヒロイックに演じていた。

 この映画でも、不良青年たちは自分たちの仕切る音楽会を開き、そこではエルヴィス・プレスリーが歌われる。英語題の「A Brighter Summer Day」は60年に出たプレスリーのシングル「今夜はひとりかい?」(Are You Lonesome Tonight?)の歌詞から取られている。)だけど、憧れのアメリカは歌詞の中では輝いているけど、現実の台湾社会は暗かった。その中で起きた、ある少年による殺人事件

 現実に起きた事件がモデルで、建国中夜間部を退学になった少年が、在学中の少女を殺害して台湾社会に大きな衝撃を与えたという。エドワード・ヤンはその時建国中昼間部にいたというから、その衝撃は大きかっただろう。日本で言えば、「小松川事件」のようなものである。大島渚は事件をもとに「死刑と国家」を問う「絞死刑」を作ったけど、エドワード・ヤンはもっと乾いたタッチで大叙事詩「牯嶺街少年殺人事件」という大作で台湾社会の過去を総括したのである。

 ところで、以前に見た時は「不良青年もの」の側面から見たと思う。でも、今回見てみると、家族映画の側面がかなり強いと思った。父親を先頭に、誠実で不器用な家族である。大陸から逃れて、両親と子ども5人の家庭。外省人だから支配の末席に連なるけれど、うまく世渡りができない。父は政治に絡んで取り調べも受ける。とても幸せに生きていけそうもない。息子の小四もどちらかというと、うまく生きていけないタイプに見えてくる。それが最後に悲劇につながってしまうのではないか。

 今回は長い分、脇役的人物の描写が多く、それが世界の複雑さをより一層明確にしていると思う。でも、登場人物が多くて、画面はほとんど夜のシーンだから、長い映画を見ているうちに人物がこんがらかってくる。DVDで細かく見直せば新しい発見も多いかと思うけど、判らなくても大画面で少年少女たちの瞳を見つめていたい気がする。(ところで、ヒロイン役はなんでこんなにモテるのか。イマイチわかるような、わからんような…。モテるというよりも「守ってあげたい」ということかな)
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素晴らしきイタリア映画の世界ーネオ+クラッシコ映画祭

2017年03月12日 21時47分44秒 |  〃  (旧作外国映画)
 恵比寿ガーデンシネマで、11日から「イタリア ネオ+クラッシコ映画祭」というのが始まった。ネオレアリズモの映画、つまり「無防備都市」や「自転車泥棒」なんかは、今もあちこちで上映されることが多い。でも「わが青春のイタリア女優たち」として上映される5本の映画は、僕はもう二度と映画館では見られないんだろうなあと諦めていた映画である。こんな企画をやる人がいるのか。

 11日に、さっそくヴァレリオ・ズルリーニの「鞄を持った女」と「激しい季節」を見て、陶然となって帰還した。いや、素晴らしい。もう一人、マリオ・ボロニーニの「狂った夜」「汚れなき抱擁」「わが青春のフロレンス」も楽しみだ。イタリアにかつて、フェリーニやヴィスコンティという巨匠がいたことは知っていても、ズルリーニとかボロリーニとか名前を憶えている人もほとんどいないだろう。

 この中でボロリーニの「わが青春のフロレンス」は、71年のキネ旬4位になっていて、僕は当時見ている。匂い立つような世紀末のフィレンツェで、階級闘争の中を生き抜く若い夫婦を絵画のような映像美に描き出した映画。時々思い出して、この映画とか「エボリ」など昔見たイタリアの素晴らしい映画をもう一回見ることはできるんだろうかと思ったりした。それが簡単に実現しちゃんだから、世の中は面白い。でも、知らなきゃ見る人もいないだろうから、少し宣伝しておく次第。

 ヴァレリオ・ズルリーニ(Valerio Zurlini、1926~1982)は、56歳で亡くなってしまって今ではあまり知られていないだろう。でも「激しい季節」(1959)と「鞄を持った女」(1961)は、いずれも「年上の女」に憧れる若き男を情熱的に描き出した映画。今も力強い魅力を持っている。前者はジャン=ルイ・トランティニャン、後者はジャック・ぺランと「フレンチ・イケメン」を起用した点でも似ている。ちなみに、ヴィスコンティもアラン・ドロンを重用したけど、イタリア映画で有名になったフランス俳優は結構いる。

 「激しい季節」は、1943年のムッソリーニ失脚の日、海辺のリゾート、リッチョーネで戦争未亡人がファシスト幹部の息子と運命的な出会いをする。若者たちのようすと未亡人を取り巻くようすをていねいに描き出し、感銘深い。パッショネートな熱情は、戦時下の不穏と相まって、否応なく高まっていく。トランティニャンがファシズム幹部をやってる「暗殺の森」との類似点も興味深い。

 一方、「鞄を持った女」は、クラウディア・カルディナ―レが「だまされた女」で登場し、だました兄の16歳の弟が親切に対応しているうちに恋に落ちる。その若い恋の初々しさ。そして、カルディナ―レの庶民的というか、ちょっと「お品がない」感じの演技が素晴らしい。カルディナ―レは「山猫」が代表だけど、「庶民的」をウリにする美人だった。この映画は中でも一番魅力的に撮られている映画かもしれない。どっちの映画も音楽がステキで、50年代頃の良質の日本映画っぽい感じもある。

 他にも「イタリア式喜劇の笑み」としてアントニオ・ピエトランジェリ監督の映画が2本。これは全く知らないので書きようがない。「現代の巨匠パオロ・ソレンティーノの初期傑作」も2本。他にもやるけど、僕はズルリーニ、ボロリーニの映画が楽しみ。イタリア映画は全般的に好きなんだけど、このように二度と見れないと思っていた映画をやるのはうれしい。政治情勢や巨匠のアートではない、恋愛映画の傑作。そういうのも大事だろう。
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ヴィム・ヴェンダース「パリ・テキサス」「ベルリン・天使の詩」

2017年01月07日 23時44分22秒 |  〃  (旧作外国映画)
 早稲田松竹で、ヴィム・ヴェンダースの2大傑作「パリ、テキサス」と「ベルリン・天使の詩(うた)」の2本立てを見た。どっちも80年代の公開以来の再見。今までも時々上映されていたけど、かなり長いので見る機会がなかった。30年ぶりに見ても、相変わらず素晴らしい傑作で、心をとらえて離さない。

 僕は昔から「パリ、テキサス」(1984)の方が好きで、映像や音楽が心の奥深くまで届く思いがする。カンヌ映画祭パルムドールである。(日本では85年のキネ旬6位。) 今見ると、ロビー・ミューラー撮影の心奪われるテキサスの大風景と同じぐらい、主人公の震える心に寄り添うライ・クーダーの音楽が素晴らしい。冒頭、テキサスの砂漠で行き倒れの男が見つかる。ロサンゼルスの弟が引き取りに行くが、口を閉ざして何も語らない。兄トラヴィスに何があったのか。弟夫婦はトラヴィスの息子ハンターと暮らしていた。しかし、トラヴィスの妻ジェーンは行方不明である。
 
 「パリ」はフランスの首都ではなく、テキサス州にある小都市パリスのこと。兄弟の父母が知り合った土地で、映画の中には直接は出てこない。前半はロスでの弟夫婦と暮らすトラヴィスの話で、ここが案外長いけど全く忘れていた。ジェーンの手がかりを得たトラヴィスは、息子を連れてテキサス州のヒューストンに行く。そっちからが凄くて、見つけ出したジェーンとトラヴィスをどう出合わせるか。一度見た人には二度と忘れられない心に響くシーンとなっているのは有名である。今回も落涙。

 ジェーンを演じるのは、ナスターシャ・キンスキー。ヘルツォーク映画の怪演で知られるクラウス・キンスキーの娘だが、ポランスキ-の「テス」で主演して大評判になっていた。1961年生まれだから、それが18歳の時。「パリ・テキサス」でも23歳だったのかと感嘆する。原作。脚本がサム・シェパードで、彼のイメージがかなり大きいと思う。初めて見た時よりも、今の自分にはもう取り返しがつかないものが多くなっている。主人公の喪失感の持つ切実な痛みは、今の方が身に迫る。

 「ベルリン・天使の詩」(1987)は、劇映画としては「パリ・テキサス」の次の作品。(その間「東京画」などのドキュメンタリーを作っていた。)カンヌ映画祭審査員賞、88年キネ旬3位。日比谷のシャンテ・シネで大ヒットし、ミニシアターブームの代表作となった。ベルリン上空で人々を見守る天使二人の話だが、シネマポエム的な構成で判ったようで判らないところも多い。脚本にペーター・ハントケが加わっているのも大きいだろう。ブルーノ・ガンツの天使は、最後に地上に降りて有限の生命の人間になる決心をする。それはサーカスの女芸人に恋したから。二人で生きていく決意を語るラストは感動的。

 1987年という年は、今から振り返ると「ベルリンの壁崩壊」(1989)、「ドイツ統一」(1991)の直前だった。だけど、1988年公開の時に、それを予見していた人は誰もいないだろう。もちろんソ連ではゴルバチョフのペレストロイカ真っただ中だったけど、すぐにも東欧革命が起きるとは予測できなかった。天使が上空にいるのは、分断都市ベルリンを両方ともに見る存在ということになる。映画内には何度も壁が映るけれど、今見ると歴史的な意味合いがある。なお、刑事コロンボで有名なピーター・フォークが自身の役で出演し、人間になった天使の先輩を演じている。そこも公開当時面白かったのだが、今回見たら、人間に戻らず天使でいるのもいいのかなと思った。

 ヴィム・ヴェンダース(1945~)は、ユーロスペースの前身、欧日協会でやった「まわり道」や「さすらい」を見て面白かった。だけど、当時はファスビンダーやヘルツォークに続く存在という感じで、ここまで偉大な監督になるとは思っていなかった。「ロード・ムーヴィー」が非常に多いことで有名で、その後作った作品もそんな感じ。「ベル天」の続編「時の翼にのって」(1993)や再びサム・シェパードと組んだ「アメリカ、家族のいる風景」(2005)などもあるけど、どうも二番煎じ感が否めない。最近の「誰のせいでもない」もカナダの雪の風景が素晴らしいけど、まあそこそこだった。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」や「セバスチャン・サルガド」のようなドキュメンタリーの方が素晴らしいと思う。

 「ベル天」のラストで、安二郎フランソワアンドレイに捧げると出る。小津、トリュフォー、タルコフスキーである。小津はともかく、「パリ、テキサス」は僕にとって「突然炎のごとく」(トリュフォー)や「ノスタルジア」(タルコフスキー)に匹敵するほど、心の奥深くまで揺さぶられる映画だなあと改めて思った。旧作は今まであまり書かなかったけど、見てない人もいるんだから紹介していこうと思った次第。
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ハワード・ホークス「脱出」「三つ数えろ」

2017年01月05日 22時58分28秒 |  〃  (旧作外国映画)
 シネマヴェーラ渋谷で、アメリカのハワード・ホークス監督(1896~1977)の特集を行っている。今回はボギー映画2本について。ホークスになると、さすがに同時代には一本も見てない。「リオ・ブラボー」はテレビでよくやっていたし(その後、劇場でも見た)、1970年の「リオ・ロボ」が遺作だから、何となく西部劇いっぱいのアクション監督のように思っていた。

 今回の特集はかつてないほど多くの作品を集めているが、西部劇は「赤い河」だけ。アクション映画も多いけど、それ以上にコメディが多い。自身も飛行機乗りということで航空映画もかなりある。見てない映画が多いので、この機会に全部見ようかと思ったけど、さすがにそれは無理だった。喜劇は時代性が強いけど、「ヒズ・ガール・フライデー」や「ヒット・パレード」はやっぱり面白い。

 「脱出」(1944)と「三つ数えろ」(1946)は、ハンフリー・ボガート(1899~1957)とローレン・バコール(1924~2004)が主演した伝説的なハードボイルド映画である。シネマヴェーラは最近古い映画をいくつも上映しているので、どっちも前に見ている。最近は混んでいることが多いんだけど、もう一回見たいなと思って出かけて行った。魅力的な番組だから大混雑していたけど。

 どちらもウィリアム・フォークナーが脚本に参加している。当時のアメリカ作家の多くは、ハリウッドに招かれて生計を立てていた。(今は大学で作家養成コースを担当することが多い。)まあ、どれだけ内容に関与したのかは知らないけど。「脱出」はヘミングウェイ「持つと持たぬと」の映画化。「三つ数えろ」はチャンドラー「大いなる眠り」の映画化である。もっとも「持つと持たぬと」は、今ではほとんど読む機会がない。日本でも翻訳は大昔のものしかないから僕も読んでない。

 「脱出」はカリブ海にあるフランス領マルチニーク島が舞台である。戦時中のフランスはドイツに占領され、ヴィシー政権ができている。島ではヴィシー派が権力を握っているが、反ナチスの自由フランス派も存在している。ハリーは観光客向けの釣り船をやっていて反体制派の密航を頼まれ、否応なく争いの中に巻き込まれていく。そのさなかに、金が尽きて舞い込んできた怪しい美女マリーが現れる。ハリーをやってるボギーはまさにはまり役で、情に厚い反骨の役柄にぴったりである。
 
 一方、マリーのローレン・バコールはモデル出身で、「脱出」がデビュー作。ずいぶん心配されたようだけど、撮影中にどんどん彼女の役が大きくなっていったという。見れば一目瞭然、驚くばかりのミューズ誕生だった。神秘的な悪女にして蠱惑的な歌姫、清楚でもありながら、男をとりこにする。ボギーの相手役として実に見事な銀幕デビューだった。そして、この二人は歳の差25歳を超えて、実生活でも結ばれ、ハリウッドのおしどり夫婦として映画史の伝説となった。

 原作は1937年だから、ヴィシー政府が出てくるわけがない。戦時中の愛国映画として映画化されたんだろうけど、今見ても素晴らしい出来である。もちろんボギーは、2年前の「カサブランカ」の役柄を背負っている。だけど、今回のボギーは自ら「行動」に踏み切らざるを得なくなる。酔いどれ船員役のウォルター・ブレナンがいい味を出していて、「リオ・ブラボー」も同じような酔いどれ役だった。

 「三つ数えろ」は「大いなる眠り」の映画化だが、原作はどうも筋を忘れてしまう。映画も入り組んでいるけど、原作も同じ。今回は年末に読み直してみた。村上春樹訳で「プレイバック」が出たから、それを読んだ後に、探してきて読み直したわけ。でも、それでもよく判らなかった。ストーリイそのものがちょっとズレていて、一番肝心の事件が主筋になってない。関連の事件を追ううちに、事件の中心ではない人物がどんどん殺されていくから、物語の中心が判らなくなるのである。

 見直してみると、ボギーとしても、ハードボイルド映画としても「マルタの鷹」(1940、ジョン・ヒューストン監督)の方がずっと面白いんじゃないだろうかと思った。映画化に伴って改変された部分も、あまり効果的ではない。ボギーとバコールは1945年に結婚していたから、さすがに二人は息があっている。富豪のスターンウッド家の姉妹、姉のヴィヴィアンがバコールだが、妹のカーメンこそ話の中心である。でも、マーサ・ヴィッカーズという知らない女優がやっていて、要するにマーロウ(ボギー)、ヴィヴィアン(バコール)の映画に作り直されているわけである。

 有名な映画だし、原作がどのように映像化されているかも興味深いので、もちろん見ておかないといけない映画である。チャンドラ―の映画化として一番いいのは、ディック・リチャーズ監督、ロバート・ミッチャムがマーロウの「さらば愛しき女よ」ではないか。まあ現代風にされたアルトマンの「ロング・グッドバイ」も悪くはないんだけど。この「三つ数えろ」の題名の謎は最後に判るけど、もう「大いなる眠り」の名前で上映してもいいのではないかと思う。ボギーもバコールも決して、いわゆる美男美女ではない。バコールも僕はちょっとファニー風なところが味になってると思う。とにかく伝説的カップルの2作は、見るだけで楽しい二本立てだった。
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映画「アルジェの戦い」を見直す意味

2016年10月26日 23時13分00秒 |  〃  (旧作外国映画)
 ジッロ・ポンテコルヴォ監督の映画史に残る傑作、「アルジェの戦い」が新宿のケイズ・シネマでリバイバルされている。1966年のイタリア・アルジェリア合作映画で、ヴェネツィア映画祭金獅子賞。67年に日本公開され、キネ旬ベストテン1位になっている。(プログラムに「圧勝した」と書いてあるから調べてみると、「アルジェ」が301点、2位のアントニオーニ「欲望」が187点、3位のアラン・レネ「戦争は終わった」が180点。確かに圧勝している。)70年代に僕は2回見ているので、数十年ぶり3回目。

 この映画は、実際にアルジェリアの首都アルジェのカスバでロケされている。独立運動に参加した人が脚本に参加し、現地民衆が演じている。ものすごい臨場感で、今見ても圧倒される。監督のポンテコルヴォはイタリア人で、反ナチスのレジスタンスに参加していた。戦後になって、ロッセリーニの映画に感激して映画人になったということだが、遅くやってきた「レオ・レアリズモ」の最高傑作とも言える。そのぐらいドキュメンタリー・タッチの迫力は今も色あせていない。

 だけど、冒頭のクレジットを見ていて、あれ、モリコーネの音楽だと思ったのだが、音楽の付け方などは案外普通のプロの映画である。当たり前かもしれないが、なんだか印象では音楽を忘れてしまっていた。エンニオ・モリコーネといえば「荒野の用心棒」や「ニュー・シネマ・パラダイス」など、聞けばだれでも思い出すような名曲を書いた人である。アメリカ映画でも活躍し「アンタッチャブル」や「天国の日々」などで5回アカデミー賞にノミネート、今年2016年に「ヘイトフル・エイト」でついに受賞した。

 モノクロで描かれる闘争の日々の描写は苛烈である。FLN(民族解放戦線)が結成され、独立運動が開始される様子を追っている。当初は組織確立に力を注ぎ、民族内部の規律確立にも努める。主人公の一人アリはケチなチンピラだったが、獄中で独立運動家に感化され、出所後の運動に参加する。最初は疑われるが、だんだん信用されていく。その最初のころに、麻薬元締めの友人を殺害する描写がある。その後、フランス人の警官をねらうテロを起こし、運動が広がっていく。

 警察側は復讐のために、民衆の住むアパートを爆弾で爆破。その後、FLNもフランス人の民衆が遊びに来るカフェなどで無差別テロを起こす戦術をとる。その描写は緊張感に満ちていて、一気に見てしまうが、このテロ戦術をどう考えるか。公開当時はベトナム戦争の激戦時で、解放戦線によるテロがサイゴンでひんぱんに起こっていた。無差別テロ戦術を安易に認めていいのかという議論も起こったと聞いた気がする。(僕は同時代には年齢的に見ていないので、後で聞いたことである。)

 最近、フランスはじめ世界各地で「無差別テロ」が起こっている。そのことを考えても、これをどう考えるべきか。しかし、フランスのテロ事件は、フランス人の住むところにテロリストがやってきて事件を起こした。一方、アルジェリアのフランス人は、アルジェリアを植民地として支配している人々である。植民地側の民衆からすれば、「自分たちの国を奪った盗人」である。植民地側からすれば「独立戦争」なんだから、あらゆる戦術が認められるという立場だろう。この映画では、無差別テロは最初に警察側が起こしている。植民地主義を否定することは、今では映画を見るときの前提だから、これほど臨場感に富む力強い映画を見ているときには、テロの是非はあまり意識しないで見ることになる。(もっとも僕は展開を知って見ているわけだから、初めて見る人の感想は違うかもしれない。)

 一方、この映画のすごいところは、途中でフランス軍の空挺部隊が投入され、弾圧が強化される経過を丹念に追っているところである。マチュー中佐をリーダーとする部隊が到着すると、アルジェリアに住むフランス人熱狂的に歓迎する。この空挺部隊を見ると、1980年の光州事件や1989年の天安門事件が思い出されて、胸が苦しくなる思いがした。マチュー中佐には完全な「全権」は認められなかったが、事実上激しい拷問を容認し、指導部壊滅を目指す。その様子は、ある種「弾圧側の教科書」になり得るほどのもので、実際そのようにも見られているらしい。

 上の写真がマチュー中佐だが、ピラミッド型の組織を一つ一つつぶしていく。FLNは国連を意識してゼネスト戦術をとるが、中佐はカスバに集中的な捜索を行い、ついに指導部にたどり着く。1954年に始まった蜂起も、そうして1957年にいったん終結を見るのである。それが「アルジェの戦い」と呼ばれた。その後山岳民族との戦いが続くが、アルジェでの組織再建はなかなか進まなかった。そして、1960年、指導部の指示に拠らない民衆の一斉蜂起が起こり、フランスは追い詰められていく。そこまでの様子が描かれている。

 フランス軍と警察による悲惨な拷問は、フランス当局は長いこと認めて来なかった。最近になってようやく直視する動きも出ているが、今もなお解決しない問題となっている。(「いのちの戦場-アルジェリア1959」という映画が2007年に作られている。)当時のフランスでも、多くの文化人がアルジェリア支持を表明し、論議を呼んだ。日本でも、当時は大きな注目を集め、大江健三郎「われらの時代」には独立運動家のアルジェリア人が出てくる。映画化されているが、そこでも大きな意味を与えられている。また福田善之の戯曲「遠くまでゆくんだ」もアルジェリア戦争をテーマとしている。

 そんな風に世界的に影響を与えたアルジェリアの独立運動だったけれど、FLNは独立後に一党独裁となり、やがて国民の不満が高まった。そこで複数政党と自由選挙を認めた1991年の選挙では、イスラム原理主義政党が圧勝した。その結果を認めない軍部はクーデタを起こし、以後悲惨な内戦が10年近く続いた。現在は民政移管されているが、日本人社員も犠牲になったテロ事件が2013年に起きたように、情勢は複雑である。映画内でも、幹部の言葉として「独立してからの方が大変だ」と語らせている。現実にその通りになったわけである。そのことを知っているわれわれにとって、なかなか苦い映画というしかない。「敵」がはっきりしていた時代のモニュメントとして、今もアルジェリア国内では人気があるんだというが。
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ホウ・シャオシェン監督「冬冬の夏休み」

2016年08月27日 21時27分43秒 |  〃  (旧作外国映画)
 神保町シアターで原節子没後1年の追悼上映が始まった。「母の曲」(総集編)という戦前の映画は見てないので、今日はこれを見ようと思ったら、売り切れ満員だった。さあ、困った。そこで早稲田松竹に行って、台湾のホウ・シャオシェン監督2本立てを見ることにした。「風櫃(フンクイ)の少年」(1983)と「冬冬(トントン)の夏休み」(1984)。日本では「悲情城市」と同じく1990年に公開された。「風櫃」はついこの間、台湾映画特集で見直したばかりなんだけど、「冬冬」は26年ぶりということになる。
 
 旧作を、それも名画座で見直しても、普段はあまり書かないことにしている。名画座上映はすぐ終わってしまうし、映画ファンなら知っているような映画が多い。でも、今回は「こういう映画だったか」と感銘を新たにしたこともあるし、ぜひ多くの人に知っておいてほしいと思って書いておくことにした。ホウ・シャオシェン監督は台湾映画の巨匠で、ヴェネツィア映画祭でグランプリを取った「悲情城市」が断トツのベストだと思う。でも、子どもたちを描いた「冬冬の夏休み」ほど、見たものに幸福感を抱かせる映画も少ないだろう。素晴らしい映画を見たという記憶を、僕も四半世紀の間、ずっと持ち続けてきた。それは今回見ても同じなんだけど、でも印象はずいぶん違った。

 この映画は、母親が入院している間、台北の小学生兄妹が田舎の祖父の家(病院)に預けられる話である。なんだか記憶の中では、自然の中で幸せに遊びまわった「奇跡の夏」をささやかに描写した小さな宝石のような作品だと思い込んでいた。まあ、そういう側面もないわけではないけれど、今回見直すと「オトナの事情」もしっかりと描かれていた。冬冬は小学校を卒業し、田舎の子どもたちともすぐ仲良くなるが、同時に大人の世界をも垣間見ている。そういう存在だった。第一、「母の不在」という影が全編を覆っている。ギャングもいれば、村の「知恵遅れ」の娘をめぐるあれこれの騒動もある。叔父の結婚をめぐるドタバタ騒ぎもある。

 「子どもの目」に徹しているので、大きく取り上げられていないが、性や犯罪、親子や夫婦の葛藤…などもしっかりととらえられていた。そのことは見ればすぐに判るんだけど、これほどの「子ども映画の名作」は少ないので、記憶の中ではだんだん幸福な夏休みの側面だけが定着してしまったんだろう。川で水遊びするシーンなど、今の日本ではできないうらやましい場面。色彩デザインも計算されていて、とても感性に深く訴えかけてくる映画である。主人公が「冬冬」(トントン)という愛称なのも、おかしい。夏休み映画にあるまじき命名ではないか。

 冬冬と妹が住むことになる家は、祖父の病院である。これは明らかに日本統治時代の建物だろうと思ったけど、調べてみたらやはりそうだった。建物が主役と言ってもいい映画で、2階の廊下で滑っていて、祖父に怒られるシーンなど忘れがたい。脚本の朱天文の母方の祖父の家だそうである。場所は銅鑼(どうら)というところで、台湾北西部、台北と台中の間にある。冬冬の父を台湾映画のもう一人の巨匠、楊徳昌(エドワード・ヤン)が特別出演している。叔父さんの恋人は、「風櫃の少年」でも恋人役だった林秀玲という女優で、あ、また出てるという感じだった。冒頭の小学校卒業式で「仰げば尊し」が流れ、ラストでは「赤とんぼ」が出てくる。

 映画ファン、台湾ファンだけでなく、すべての子どもたちに一度は見せたい映画。今回上映のデジタル・リマスター版はまだDVDが出てないようだけど、注意していれば今後様々な劇場上映もあると思う。「夏休み」というのは、ドラマの絶好の設定で多くの映画が作られている。アメリカの青春映画では、高校を卒業すると夏休みだから、この期間の映画はものすごく多い。フランスではバカンスだから、エリック・ロメールなんかのバカンス映画が思い浮かぶ。でも、子どもたちの夏休み映画といったら、「冬冬の夏休み」が最高傑作ではないだろうか。ナント三大陸映画祭グランプリ、キネマ旬報ベストテン4位。
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大昔のアメリカ映画を見る-ジョージ・キューカーなど

2016年06月26日 23時08分10秒 |  〃  (旧作外国映画)
 参院選の話は断続的に書くことにして、本や映画の話を随時。新作映画も見てるけど、それよりまずは昔のアメリカ映画の話。まあ、「昔」と言っても「E.T.」とか「ガープの世界」なんかも「一世代」(30年)以上前の映画になっちゃうけど、もっともっと前、僕もリアルタイムでは知らない50年代以前のモノクロ映画である。戦前から占領期ごろの名作ヨーロッパ映画は、ほとんどが川喜多長政・かしこ夫妻の東和映画が配給して、フィルムセンターに映画が残っている。ずいぶん特集をやっているから大体見たと思う。一方、古いアメリカ映画はなかなか見られないから、深夜のテレビ放映が貴重だった。

 若いころに劇場で見られたのは、リバイバル上映された「ローマの休日」とか「カサブランカ」ぐらいで、他にはあまりなかった。その後、ミニシアター時代になると、ジョン・フォードヒッチコックの特集をしてくれるところも出てきたし、マルクス兄弟プレストン・スタージェスニコラス・レイなんかの特集上映まで行われた。ビデオやDVDを丹念に探せば大体見られる時代になったけれど、やはり映画はスクリーンで見たいと思えば、古いアメリカ映画が抜けていることが多い。

 そんな渇を癒す存在が渋谷に10年前にできたシネマヴェーラ渋谷である。自分のところで字幕を付けたデジタル素材で様々な昔の映画を上映してきた。もっとも僕のところからは結構遠いので、他に行きたいところがあると、つい億劫になる。それでもアメリカのフィルムノワール特集などずいぶん楽しんだ。しばらく行ってなかったんだけど、今やってる「ジョージ・キューカーとハリウッド女性映画の時代」特集は、見てないものが多くて通っている。一週目は全作品を見たんだけど、疲れてしまうから少しセーブして見ないといけない。

 ジョージ・キューカー(1899~1983)というのは、「マイ・フェア・レディ」(1964)でアカデミー監督賞を得た人だが、後はジュディ・ガーランド主演で有名な「スター誕生」(1953)ぐらいしか見てない。戦前から長い経歴があり、「フィラデルフィア物語」(1940)でジェームズ・スチュアートに、「ガス燈」(1944)でイングリッド・バーグマンにアカデミー主演賞をもたらした。そのことは知っていたけど、見たことはなかった。「ガス燈」はちょっと「レベッカ」みたいな心理サスペンスもので、バーグマンの心理描写が見どころ。もっとも夫役のシャルル・ボワイエも印象的だし、的確な役作りを指示するキューカーの職人芸も見どころ。もう上映は終わっているが、今後の「フィラデルフィア物語」が楽しみ。

 もっとも一週目で一番驚いたのは、「女たち」(1939)という映画で、何しろ画面上に女優しか出てこない。もちろん会話の中には男も出てくるが、スクリーンには女優のみ。犬もメス犬しか使ってないという徹底ぶり。もっともわが日本映画にも、一年早く1938年東宝作品、石田民三監督「花ちりぬ」という女優しか出てこない名作がある。でも、これは声では男も出てきたと思うので、「女たち」の方が徹底している。それに場所が「エステサロン」みたいなところで、噂好きのネイリストが「不倫」情報をばらまいて、上流階級の女性たちがすったもんだの大騒動という大傑作。いやあ、世界にはとんでもない映画がまだ隠されているんだなあと思った。キャサリン・ヘップバーンスペンサー・トレイシーという私生活でも「コンビ」(ただし、未婚の「不倫」関係だったが)だった二人の「アダム氏とマダム」(1949)も滅法面白かった。監督は違うが(ジョージ・スティーヴンス)同じコンビの「女性№1」(1942)もおかしい。もっともこれは前に見ていたが。野球場のシーンやラストのケーキ作りは抱腹絶倒。

 こういう「昔のアメリカ映画」を見ると、僕はつい思ってしまうことがある。同時代的には戦争を知らない世代だけど、まだまだ戦争の記憶が残る時代に育ったし、専攻が近現代史だということもあるんだろうけど、「こんな国と日本は戦争をしたのかよ」と思うのである。家はでかいし、特に大金持ちでもないのに、みんなが車や家電製品を持っているではないか。製作年代を見れば判るが、それらの映画は戦時中や戦後すぐに作られている。なんとまあ、豊かさのレベルが違っていたことだろう。自動車や家電製品に関しては、今は別に驚きもないけれど、それでも住環境だけはマネができない。まあ、それはやっぱり金持ちの家で、貧民はもっと小さな家に住んでいたんだとは思うが。

 今日見た「三人の妻への手紙」(1949)も素晴らしかった。これも初めてである。1950年のキネ旬ベストテン3位。1位が「自転車泥棒」の年で、「情婦マノン」に次ぐ3位。「無防備都市」や「赤い靴」より上で、これは過大評価なのではないかと今まで思っていたが、いやはや、もすごく面白くてこれも大傑作だった。監督はジョセフ・L・マンキウィッツ(1909~1993)で、アカデミー監督賞、脚本賞を同時に得た。翌年の「イヴの総て」も監督賞、脚色賞を得ている。2年続けて監督賞を受賞したのは、「怒りの葡萄」(1940)「わが谷は緑なりき」(1941)のジョン・フォード、そして昨年と今年のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(「バードマン」と「レヴェナント」)の3人がいるだけである。

 そりゃあ、「イヴの総て」(All About Eve)の方が大傑作だとは思う。これは群を抜いた映画史的大傑作だし、演劇界バックステージもの、新人女優出世物語の最高傑作、基本中の基本である。だけど、「三人の妻への手紙」(A Letter to Three Wives)の語り口のうまさ、脚本のうまさはなんという技量だろう。同時にアメリカの小都市の雰囲気をつかんで社会映画的な面白さもある。ニューヨーク近郊の小都市。5月の第二土曜、3人の仲良しがボランティアで子供会のピクニックに付きそう。そこにアディ・ロスからの手紙が着くと、そこには「あなたたちの夫の誰かと駆け落ちします」と書いてある。アディというのは、町の伝説の美女で、3人の夫はみな若いころから何かの関わりがあった。初めてのキスの相手だったり、憧れの相手だったり。3人はいずれも、自分の夫がアディと駆け落ちしたのではないかと疑心暗鬼になりつつも…。

 このアディという女性がナレーションだけで写真も出てこない。物語の中心にいながら、姿を見せないという脚本がすごい。3人の妻たちはみな事情がある。一人はラジオ作家で成功しながら教師の夫と必ずしもうまく言ってない。一人は戦地でめぐりあって結婚したものに、夫の地元に溶け込めていないと感じている。もう一人は貧しい家庭でデパート店員になり社長と結婚したが、愛情で結ばれていないと思い込んでいる。みなが夫の真の愛情は、「あの伝説のアディ・ロス」に向けられているのではと思うわけである。時間をさかのぼりながら、うまく説明していく脚本作法は、古いけれども、物語的に面白い。アディという女性の過去はあまり語られないが、アメリカの青春映画によくあるような「ハイスクール・クイーン」だったんだろう。付き合いたくて男が群れを成しているような存在である。

 一体誰が駆け落ち相手かという「謎」と同時に、アメリカ社会のありようも描いていく。何しろ家が大きいし、パーティが多い。夫婦で行くパーティなんて、日本じゃ冠婚葬祭しかないと思う。そういうときも外部の店を使うし、自分の家には人を招けるほどのスペースがない。ボランティアもあるし、教師の給料は安い。この頃はまだラジオの時代で、だけどもう三人の夫の一人、カーク・ダグラスはラジオが人を愚かにするというような批判をしている。その後、テレビのことを大宅壮一が「一億総白痴化」と呼び、スマホやパソコンの時代になればもっと安直な知の時代が来ている。もう電車に乗っても本を読んでるのは、自分ひとりぐらいというような時代になってしまった。しかし、それはアメリカではラジオの時代から言われていたのか。

 今後この特集では、ベティ・デイヴィスがオスカーを得た「黒蘭の女」が珍しい。他にも「女相続人」「終着駅」などの他、先に触れた「フィラデルフィア物語」などを上映。またキネカ大森では7月2日から、ワーナー映画の特集として、「カサブランカ」「理由なき反抗」「ダイヤルMを廻せ」「俺たちに明日はない」「スケアクロウ」「ガープの世界」などの上映が予定されている。機会を丹念に探せば結構あるもので、やっぱり昔のハリウッド映画ほど面白くできているものはないので、見ておく価値がある。最近のSFやヒーロー映画よりずっと面白い。新作の話も書くつもりで始めたのだが、古い映画で長くなってしまった。それにしても、と改めて思う。こんなに豊かな国と戦争をするなんて、どうなっていたんだ。
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映画「チャイナ・シンドローム」

2016年05月04日 01時00分12秒 |  〃  (旧作外国映画)
 1979年のアメリカ映画「チャイナ・シンドローム」を37年ぶりに再見。新文芸坐でサミュエル・フラーの旧作をレイトショーしている。自伝刊行に合わせてユーロスペースでやったのを見逃したので、ぜひ見たいのである。最初の「裸のキッス」も良かった。アメリカの優れたB級映画には、離れがたいテイストがある。今日も「ショック集団」を見るのに合わせて、昼間のクラシック映画特集で昔の「クレイマー、クレイマー」と「チャイナ・シンドローム」を見たわけである。

 ついでだから、「クレイマー、クレイマー」に触れておくと、さすがの名作だった。1979年のアカデミー作品賞。(監督、主演男優、助演女優、脚色賞も。)1980年のキネマ旬報ベストワンである。でも、離婚訴訟、女の自立、男の育児という、今では別に珍しくないテーマだから、今見るとどうなんだろうとちょっと心配だった。でも、やっぱり全然古びていない。まあ、ケータイ電話やパソコンはない。ダスティン・ホフマンの格好も70年代という感じ。でも、演出のうまさもあいまって、引き込まれてしまう。メリル・ストリープの最初のアカデミー賞受賞だったが、以後名前を忘れられない女優となった。

 さて、「チャイナ・シンドローム」。言わずと知れた原発事故映画。隠蔽しようとする電力会社とテレビで報道しようとするジャーナリストの闘いを描いている。「チャイナ・シンドローム」という言葉もこれで知ったと思う。メルトダウン(炉心溶融)の大事故のことである。溶けた核燃料が地球を突き抜けて中国に達するという「ブラックジョーク」だけど、よく考えてみると地球でアメリカの裏側は中国ではないではないか。(そもそも北半球の国の反対側は必ず南半球になる。)そんなことも気づかず、この言葉が一種の流行語になった。アカデミー賞の主演男女優賞にノミネートされ、日本でも79年のキネ旬9位に入っている。ビリー・ワイルダーの映画で記憶するジャック・レモンの渾身の演技が素晴らしい。
 
 ジェーン・フォンダが演じるテレビリポーターは、男性アナの添え物的扱いで、虎の赤ちゃんが生まれたとかそういうニュースばかり担当させられている。カリフォルニアの原発に取材に行ったのも、新原発の完成審査を前に、電力会社の宣伝を撮りに行くのである。だけど、コントロール・ルームを取材中に地震があり、その後、あわただしい動きを目撃する。撮影禁止だったけど、カメラマンのマイケル・ダグラス(若い!)は秘密で撮影してしまう。そのフィルムを報道できるのか、そもそも一体何が起こったのか。会社側とテレビ局の動きを追いながら、やがて「真相」に気づいた技師が会社に反逆する。

 地震そのものは非常に軽微なもので、最初はいくら映画でもこれで壊れるというのはどうなんだろと思ってしまったが、それは「伏線」だった。だけど、会社側の対応や「個人決起」する展開などは、「アメリカ映画的展開」で、僕には不満も残る。それは公開時に見た時も思った気がする。ウィキペディアを見ると、この映画公開12日後にスリーマイル島事故が起きたとある。そのことは忘れていたが、現実にメルトダウンが起きたわけである。だけど、映画では大事故直前でなぜか事故が避けられる。

 まあ、今ではスリーマイルどころか、チェルノブイリ、福島第一があったわけだが、それ以前に「過酷事故」が起きてカリフォルニアに人が住めなくなるといった展開の映画は作れないだろう。それは公開禁止を求めた訴訟も予想される。とても製作費をペイできないと判断されるはずだ。だから、この映画では、どうしても「個人」の生き方に焦点があっていく。だから、題名のインパクトほどには、僕は内容を忘れていたのである。今回再見してみると、その迫力ある「ポリティカル・サスペンス」の展開は今も見応えがある。運転する電力会社と同時に、建設した建設会社に大きな問題があるという指摘も、今も大きな教訓と言える。さらに、「経営的観点」に固執する電力会社のありかたも、まるで日本のいまを映し出すようだ。中味はちょっと古いと思うが、基本的な構図は変わっていないということだ。

 1986年4月26日のチェルノブイリ事故から30年。あの時は日本でも大きく反対運動が盛り上がり、僕も夫婦でデモに参加した記憶がある。そして、「3.11」を経て、それでも日本が何も変わっていないのは何故?僕も完全には説明できない。映画の中に「原子力規制委員会」が出てきて、公開当時の日本にはなかったものが、今の日本にあるのが不思議な感じ。だけど、この映画でも真相は報じられないで終わる。それに、核廃棄物問題などは取り上げられていない。(公聴会などの反対派の主張には出てくるが。)ジェーン・フォンダ主演の社会派映画という枠を超えられていないんだろう。70年代のジェーン・フォンダ(1937~)は2回のアカデミー賞を受けた絶頂期で、戦争中にハノイを訪れた反戦女優として知られた「社会派女優」だった。前年の「帰郷」で二度目のオスカーを得た直後の企画で、「売れる社会派」としての枠組みに沿った映画という感じ。一本の映画だけで世界を変えることはできない。
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台湾新電影時代

2016年05月02日 00時08分43秒 |  〃  (旧作外国映画)
 新宿のケイズ・シネマで「台湾巨匠傑作選2016」という特集上映を行っている。(4.30~6.10)その中にはホウ・シャオシェン(1947~)やエドワード・ヤン(1947~2007)の作品から、最近の「セデック・バレ」「KANO」まで多くの作品が含まれている。ドキュメンタリーの「台湾新電影時代」(2014)や是枝裕和が作った「映画が時代を写す時-侯孝賢とエドワード・ヤン」(無料)の上映もある。かねがね中国や韓国の名作に比べて、台湾映画がしばらく上映されていないように思っていた。今後、ホウ・シャオシェンの「冬冬の夏休み」「恋恋風塵」もリバイバル上映が予定されている。この機会に「台湾ニューシネマ」を中心にアジア映画の受容史を振り返ってみたい。
 
 今回上映される中で、劇映画でただ一本見ていないのが、1982年のオムニバス映画「光陰的故事」。ウィキペディアで見ると、この映画が台湾ニューシネマの始まりで、行政院長だった宋楚瑜による改革の成果だという。日程的に今日しか見られそうもないので、行ってきた。台湾の青春の諸相を描くが、オムニバスということもあり、まだそれほど印象には残らない。2作目をエドワード・ヤン(楊徳昌)が監督している。(4話目にシルビア・チャンが出ている。)この映画は日本では正式公開されていないが、1983年の「坊やの人形」は1984年に公開された。これもオムニバス映画で、ホウ・シャオシェンが1話目を監督している。これは当時見たが、やはりそれほど感心しなかった思い出がある。確かに技術的にはまだまだだったと思う。それは同時代の中国映画や韓国映画にも言えることで、アジアへの関心から見に行くが、映画ファンではなくアジアに関心を持つ人が出かけるイベントだったと言える。

 もともと映画はアメリカが世界の中心で、芸術的に優れた映画がヨーロッパ(主に仏伊英、およびポーランド)で作られる。日本の映画は時代劇やアクション映画などが毎週公開されていたが、それらの映画を見る人は外国映画は見に行かない。当時はアジア映画が公開されることは基本的にはなかった。僕が映画を見始めた70年代には、アジア映画はキネマ旬報ベストテンに一本も選ばれていない。(それまでに選ばれたのは、サタジット・レイの「大地のうた」だけ。)でも、アジア映画を知らなかったわけではない。「燃えよドラゴン」の大ヒットを受けて、70年代後半には香港のカンフー映画が山のように公開されていた。また中国や「北朝鮮」の「革命映画」が「友好運動」として上映されていた。

 その後、80年代に入ると、中国の文化大革命終了に伴い、「第五世代」と呼ばれた人々が活躍し始める。陳凱歌「黄色い大地」、田壮壮「盗馬賊」やなどである。これはその頃池袋の文芸坐で行われていた中国映画祭で上映された。また韓国映画の新作も企画上映される機会が増えていた。僕はそのほとんどを見ていると思う。アジア映画への興味関心に止まらず、東アジアの民主化支援、上映館への支援という意味もあるからである。今、キネマ旬報ベストテンを確認していくと、80年代初期は、まだフェリーニ、ベルイマン、ブニュエルなどの新作が入っている時代だった。そんな中で、初めてアジア映画でベストテンに入ったのは、1985年のユルマズ・ギュネイ監督「路」。公開時にすでに亡くなっていたトルコのクルド人監督である。ギュネイの後に、1988年になると謝晋の「芙蓉鎮」が入る。文革の悲劇をうたいあげた多少感傷的な作品だが、岩波ホールで大ヒットしたことは記憶に新しい。

 そして、1989年になると、中国のチャン・イーモウ「紅いコーリャン」が3位。台湾のホウ・シャオシェンの「恋恋風塵」が8位、「童年往時」が10位と一挙にアジア映画が入選している。翌90年にはホウ・シャオシェンの最高傑作「悲情城市」が1位、「冬冬の夏休み」が4位とホウ・シャオシェンの時代となる。1年おいて92年にはエドワード・ヤンの最高傑作「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」、93年にはチャン・イーモウ「秋菊の物語」が2位、ホウ・シャオシェン「戯夢人生」が9位。そして、イランのアッバス・キアロスタミの「友だちのうちはどこ」が8位である。以後毎年書いても仕方ないが、中国、台湾、韓国、イランのどこかの映画が大体毎年一本は入選している。またヨーロッパ映画でも北欧や東欧、あるいはスペイン、ギリシャなど小国の映画がたくさん公開され評価される時代になっていった。

 その後の世代では、台湾出身のアン・リー(李安、1954~)が登場するが、今ではすっかりアメリカで活躍している。「ブロークバック・マウンテン」と「ライフ・オブ・パイ」で2回アカデミー賞監督賞を得た。「グリーン・デスティニー」や「ラスト、コーション」のように中国が舞台の映画を作ることもあるとしても、世界で活躍する監督というしかない。また、ツァイ・ミンリャン(蔡明亮、1957~)がいるが、今後は商業映画を引退しビデオ・アートなどを中心に活動するようだ。もともと大衆的に受けるというより、独自のアート系映画を作り続けた人である。だから、結局台湾ニューシネマと言えば、ホウ・シャオシェンとエドワード・ヤンの二人の存在が大きい。他にも王童監督などもいるが、中国や韓国にはさまざまの映画監督が続々と登場したことに比べ、台湾映画における先の二人の大きさが際立っている。そして、エドワード・ヤンは60歳を前に急逝してしまい、それが台湾映画の大損失だったということである。

 エドワード・ヤンは今回も「光陰的故事」を含めて3本しか上映されない。これではまだ全貌が見えてこない。台湾が「新興開発地域」として韓国や香港、シンガポールと並んで注目されたのは、80年代のことである。経済的に大発展していることは知っていたが、僕はエドワード・ヤンの作品を通して、現代人の孤独をこれほど深く追求する芸術が台湾で生まれていることを理解した。(それはツァイ・ミンリャンにも言える。)監督個々の個性や才能が大きいと思うが、同時に台湾の歴史、特に複雑な現代史が影を落としているように思える。

 その台湾現代史を鋭く追及したのが、ホウ・シャオシェンの「悲情城市」であるのは言うまでもない。「紅いコーリャン」も衝撃的だったけど、「悲情城市」が突きつけてくる歴史認識の重みも衝撃だった。これは歴代の台湾映画の最高傑作で、超えるのは難しい。もっとも、僕はホウ・シャオシェンの映画を受け入れるのに時間がかかった。「童年往時」などあまりにも静かで小さな世界が続くので、だんだん判らなくなってくる。「恋恋風塵」も繊細すぎて、なんだかさらっと見てしまう。後であれッと思うが、まあそれこそ人生だと示すような映画。もしかして、小津や成瀬を初めて見た欧米人もこのように戸惑ったのかもしれない。「冬冬の夏休み」は最高の児童映画で、これはよく判る。普通の意味で一番感動的な映画だと思う。以後はまたよく判らなくなり、日本で一青窈主演で作った「珈琲時光」なんかも、悪くはないけど、なんだと思うような映画。そういうのが多くなっていく。

 台湾は日本の敗戦後、中国国民党が「光復」してくるが、独裁的な政治を行った。大陸で革命が起こった後は、国民党本体が移ってきて、蒋介石の独裁政治が1975年の死まで続く。その後の蒋経国時代に徐々に民主化が進み、次の台湾出身の李登輝主席時代に、「主席公選」制度が実現する。僕は聞いていても判らないけど、台湾では「国語」としての「中国語」(北京語)と台湾で生まれた人(内省人)の話す「台湾語」が違う。民衆を描くということは、台湾語映画ということでもあるから、自分の幼年時代を描くということだけでも社会的、政治的な意味合いが出てくる。そういう要素はよく判らないで見ていたけれど、見ているうちに慣れて行った。それが他のアジア諸国の映画を見られるようになった時に役だったように思う。最近は韓国映画と並び、青春映画が多い。「藍色夏恋」「あの頃、君を追いかけた」「海角七号 君想う、国境の南」「共犯」などなかなか面白い映画が多い。ごくフツーにエンタメ系映画が紹介されるような時代になってきたと言うことだろう。
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