最近ずっと過去記事の見直しをやってて、もう残して置かなくてもいいなという記事はどんどん削除している。読もうとして、もう見つからない記事が増えているのは、そういう事情である。基本的にどのカテゴリーもかなり減らしたが、「追悼」として毎月まとめている訃報特集は、その性格上削除しにくい。いつから月ごとにまとめているのか、自分でも覚えていなかったが、今回見直してみたら「2014年」以後の訃報特集を書いていることが判った。(それ以前は個別に書いていて、中身が薄い記事は削除した。)
ノンフィクション作家の阿奈井文彦さんは、若い頃に参加したFIWCの韓国ワークキャンプで知り合った。もう大分前に亡くなったが、それがいつかと言われても思い出せない。今回昔の訃報記事を読み直していて、2015年3月9日に追悼記事を書いていた。もう10年経ったのか。その後6月になって追悼の会が行われた。『 アホウドリが飛んだ-阿奈井文彦さん追悼会』を書いたが、書いておかないと何があったか忘れちゃうから、書いておくと出ていた。その通りで、僕は東中野で追悼会があったことは覚えているけれど、中身については全く覚えていないのである。実は読み直しても思い出さない。そんなものなのかな。やはり記録は大事だ。
この訃報特集は、当初は「2014年3月の訃報」といった素っ気ないタイトルで書いていた。長く書いているうちに、それじゃ記事内容が後で判らないと気付いて、今は「自分にとって重要な訃報」の個人名を書くようにしている。今回昔の記事も全部書き直して、その月も「蟹江敬三、朝倉摂、宇津井健、大西巨人、安西水丸ー2014年3月の訃報」と変えた。ところで、そうやって読み直していると、自分でも忘れてるような、そう言えば「こんな人がいたんだ」という人に巡り会ったので、是非再掲してみたい。
まず2014年7月30日に亡くなった山田昭男氏である。名前でも「未来工業創業者」でも知る人は少ないだろう。
★未来工業創業者で相談役の山田昭男(7.30没、82歳)が死去した。と言っても知らない人が多いだろう。もともとは岐阜で活動していたアマチュアの「劇団未来」だったのである。演劇では食べていけないことから、1965年に劇団の仲間4人で資本金50万円の会社を設立。それが電設資材メーカーとして、順調に発展していった。「残業禁止」「年間140日の休日」など他の企業に見られない経営で知られ、地域文化への貢献も続けてきた。会社のホームページを見ると、ロシアの国立モスクワマールイ劇場「桜の園」とかアントニオ・ガデス舞踏団「カルメン」の公演を行うなど、ちょっとビックリ。
「グループの行動基準」というのが素晴らしく、ちょっと紹介すると「企業活動において不公正な競争は行いません」「従業員の人権を尊重するとともに良好な職場環境の維持を図り、災害等が起こらないよう努めます」などと言った具合。そんな会社が果して儲かるのかと心配する人もいると思うけど、この未来工業は「名証2部」ではあるけれど、れっきとした上場企業なのである。8月1日付の株価は、1540円。単位株は100株なので、15万4000円で買える。(証券会社の手数料等は除く)。一株当たりの配当は会社予想で42円。ちゃんと利益も上げていて、配当性向もいいではないか。この未来工業という存在は、「そんな夢みたいなこと言っててどうするんだ」などと訳知り顔で語る輩のくだらなさを証明している。青春時代の夢は、確かに演劇では実現できなかったけれど、こういう会社を作り上げることで実を結んだ。そういう会社を作ったのが、山田昭男という人だったのである。
次にハンセン病療養所多磨全生園のハンセン病図書館を整備した山下道輔さん。いわゆる「活動家」じゃなかったけど。
★僕の心に残る人として、山下道輔さんが死去した。(10.20没、85歳)朝日に訃報が載ったが、「肩書き」は「国立ハンセン病療養所多磨全生園入所者」となっている。これは「肩書き」と言えないが、公的な役職に就いた人ではないので他に書きようがないのだろう。山下さんは、全生園でハンセン病図書館に拠って、ハンセン病資料を集め続けた人である。各地の自治会資料や新聞記事などを丹念に集めて、散逸しないように努めた。ハンセン病関係の知名人では、療養所の自治会活動や国賠訴訟の活動、さらに小説や詩が評価されたり、ハンセン病問題を当事者として告発するとか…。山下さんは直接そういう活動をした人ではなく、「縁の下の力持ち」的に図書館を守り続けた。大きな集会があると、集会で皆に呼びかける方ではなく、ロビーの書籍売り場で本を売った。そういう形で「ハンセン病問題」を残した人である。ハンセン病問題に関心を寄せる人なら、多くの人に慕われていた。心に残る人である。(山下道輔)
次に篠塚良雄さんも挙げておきたい。かつて「731部隊展」に関わったときに何回か話も聞いている人である。
★あまり知られていない人だろうが、篠塚良雄さん(4.20没、90歳)の訃報を最後に書いておきたい。この人は、千葉県に生まれ、同郷の石井四郎の作った関東軍第731部隊の少年隊員となったのである。その仕事はなんと細菌兵器を作るというものだった。少年時代の残虐な出来事を忘れられず、731部隊の出来事の証言活動を続けてきた。僕は「731部隊展」に関わった時に篠塚さんの話は何回か聞いている。誠実な人柄を偲ばせる証言だったと思う。アメリカでも証言しようとしたのだが、米国は戦争犯罪に関わったとして、入国ビザを出さなかった。自国の戦争犯罪隠ぺいを暴かれるのが怖かったのだろうか。日本の細菌戦は戦犯裁判で裁かれず、情報はアメリカ軍が独占し、朝鮮戦争では実戦にも使われたという疑惑がささやかれている。
最後に大塚明彦氏。大塚ホールディングズ会長だったから、今までの人に比べれば名を知られているだろう。しかし、この人の業績と言われて、すぐに答えられる人がどのぐらいいるだろう。日本人の食生活を変えたと言って良い人である。
★大塚ホールディングス会長、大塚明彦(11.28没、77歳)は、「ボンカレー」を発案した人だが、「ポカリスエット」「カロリーメイト」もこの人だったか。そうすると現代日本に大きな貢献をしたことになる。「オロナミンC」「ソイジョイ」もある。でも、98年に新薬開発をめぐる贈賄事件で有罪になったと書いてある。それほどの事件なら当時報道で知っていたはずだが、全く覚えていない。忘れてしまうもんである。でも、そういう経歴があると、死後も叙勲などはないんだろう。大塚グループは徳島にあり、陶板画で名画を複製した大塚国際美術館が鳴門にある。(大塚明彦)
大塚国際美術館は、その後2018年の紅白歌合戦で米津玄師がここで歌って有名になった。ボンカレーは最初のレトルトカレーで、ポカリスエットは最初のスポーツドリンクである。ただの商品でなく、市場に初の商品を売り出して成功させたのが凄いのである。ちなみに一番最初の未来工業の本日付株価を調べてみたら、3880円で倍以上になってる。配当予想も130円と倍以上。