尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

米澤穂信『冬季限定ボンボンショコラ事件』、小市民シリーズ完結編(?)

2024年05月13日 21時45分50秒 | 〃 (ミステリー)
 直木賞作家米澤穂信は青春ミステリーのライトノベルから出発した。角川スニーカー文庫の「古典部シリーズ」である。その後創元推理文庫からもう一つの青春ミステリーシリーズが誕生した。人呼んで「小市民シリーズ」というが、題名にスイーツが付いていることが特徴である。『春季限定いちごタルト事件』(2004)、『夏季限定トロピカルパフェ事件』(2006)、『秋季限定栗きんとん事件』(2009)と来たからには、次は冬だと待ち望みながらなかなか出なかった。番外短編集『巴里マカロンの謎』(2020)が一時の渇を癒やしたものの、どんどん作者は有名になってしまった。もう冬は出ないのだろうかと思っていた2024年4月末、ついに出ました、『冬季限定ボンボンショコラ事件』(創元推理文庫)である。

 このような「ジャンルもの」については、本や映画、音楽などを問わず関心がない人には何の意味も持たない。今度の小説はとても面白かったが、これだけ読んでみてもホントの面白さは伝わらないだろう。じゃあ、最初から全部読むべきかと言えば、その価値はあるとは思うけど…。ミステリーは脳トレになるし、青春ものは「あの頃」がよみがえって気分を若くしてくれる。とは言うものの、このシリーズは設定が変わっていて普通じゃない。同じ高校に通う小鳩常悟朗小佐内ゆきは、よく一緒にいるところを目撃されるが交際しているわけではない。身近に起こった「日常の謎」を解決するために「互恵関係」を取り結んでいるだけなのである。
(米澤穂信)
 そりゃ何だという感じだが、二人は謎解きはするのもの、本当はそんなお節介はやめたいのである。しかし生来の謎解き好きの虫が騒ぎ、つい口をはさんでしまう。しかし、中学時代に何か苦い体験となった思い出があり、二人は二度とこんなことはやめようと決意した。目指すのは「小市民」である。その意味は目立たず出しゃばらず、おとなしく学校生活を送る一生徒と言った感じか。しかしながら「あっしにはかかわりのないことでござんす」と言いながら、結局は関わってしまう木枯らし紋次郎のように、小鳩君と小佐内さんも謎があれば解いてしまうのである。で、その中学時代の苦い体験ってなんだろう?

 このシリーズは今度アニメになって7月から放映されるそうである。登場人物の絵は画像で出てくるけど、いやあこんなにカッコよくなっちゃうのか。ちょっとイメージが違う感じで、もっと陰影というか、屈託がある感じを思い描いていた。それは今まで語られない「謎の中学時代」の影とも言える。そして15年ぶりに刊行された今回の作品で、ついに中学時代が明かされたのである。それもとりわけ衝撃的な設定として。今回の作品では、冒頭に主人公小鳩君がひき逃げされて入院してしまうのである。スマホも壊れたから誰にも連絡できない。そこでどうしても中学時代に起こった、もう一つのひき逃げ事件を思い出さずにいられない。
(アニメ化のキャラクター)
 小鳩君と小佐内さんも高校3年の受験生、もう謎解きもないはずの2学期末、たまたまスイーツ好きの小佐内さんについて鯛焼きを買いに行き堤防沿いの道を歩いていた時のことだった。年内に早くも雪が積もったため道も歩きにくいが、そこに車が突っ込んできたのだった。全治数ヶ月で、なんと受験もフイになった小鳩君である。一緒にいた小佐内さんはどうなったんだろう? そして同じ道路で起こった前のひき逃げ事件は? その事件は同級生が轢かれ、二人は協力して犯人捜しをしたのだったが…。ある解けない謎を残したまま、心に傷を残して終わってしまったのだった。 

 てなことを字が書けるようになった小鳩君はつらつら思い出してはノートに書いていたのである。そんな小鳩君に小佐内さんが差し入れしたのが、「冬季限定ボンボンショコラ」だった。いつまで昔話に興じているんだと思うと、やはりその中に伏線が散りばめられているではないか。ラスト近くの「怒濤の展開」、それはまあミステリー小説の定番ではあるが、えっそうだったんだの連打に打ちのめされた。回顧談かと思うと、ちゃんと現在進行形のミステリーじゃないか。まあ、僕は設定にちょっと無理があるなという気もしたけど、まずは満足の傑作。そして、春夏秋冬すべて終わって完結編かと思われるが、もしかして大学編もあるの?的な終わり方に期待が高まる。ところでアニメ化連動企画で、限定スイツをどこかで食べてみたいもんだ。
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『受験生は謎解きに向かない』、ピップシリーズ前日譚+『愚者の街』『印』

2024年01月29日 22時20分01秒 | 〃 (ミステリー)
 ミステリーについて書くと、グッと(有意に)読者数が減るんだけど、まあ自分が面白かった本だから書きとめておきたい。年末年始にいっぱい買い込んでしまって、ゆるゆると読んでいるところ。まず今月出たばかりのホリー・ジャクソン受験生は謎解きに向かない』(KILL JOY)である。ホリー・ジャクソン(1992~)は『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』『卒業生には向かない真実』三部作で一躍注目されたイギリスの若手ミステリー作家だ。

 その彼女がもう一冊ピップ・シリーズを書いたのである。町を揺るがした殺人事件の真相を女子高生が解き明かす趣向で、第一作は大人気となった。しかし、2作目、3作目と苦さが増していき、最後の作品は一体どう評価するべきか大いに悩む問題作になってしまった。ところが今回は第一作の直前に時間を戻して、高校生が謎解きゲームをするという趣向の中編である。つまり、シリーズの前日譚で、ボーナス・トラックみたいなものだろう。

 それは高校2年生が終わった後の夏休みに、仲良し高校生6人が集まって謎解きゲームをするという話なのである。舞台は1924年に設定され、孤島の豪邸で行われる富豪の誕生会で殺人事件が起きる。もちろん、そんな設定を実際に再現するのは不可能だから、親が留守の家に皆で集まり「ここは孤島です」とみなし、執事が配膳する料理はドミノピザを頼んで良しとする。皆はそれらしき服装をして集まるように指定され、配布されたブックレットを読みながらゲームが進行する。

 要するに現実に演じるロール・プレイング・ゲームである。設定はなかなか良く出来ている。作家が書いてるんだから当然だが、どうやらイギリスには実際にそんなゲームがあるらしい。主人公ピップはその時余り乗り気じゃなかった。新学期が始まったら取り組むべき「自由研究」のテーマが未定だったからだ。ところが思わず謎解きに熱中してしまい、作者(小説中のゲームの作家)の思惑を超えて大暴走していく。その「キレッキレ」推理が実に楽しく、僕は明らかにピップの推理が正しいと思った。この推理ゲームに参加したことから、ピップは自由研究で町の長年の謎(第一作の事件)に取り組むと決意した。

 もう一つの読みどころは、三部作を先に読んでいれば、この登場人物にはこの後どんな苦難が降りかかるのかを読者は知っていて読めるのである。今は仲良しの彼らもその後亀裂が入ることになる。そういう苦さを味わうのも、シリーズものならではの醍醐味だ。またヤング・アダルトの高校生もので売り出したホリー・ジャクソンだけど、やっぱりイギリス人であって、アガサ・クリスティばりの密室ミステリーが大好きなのも面白い。まあ、このシリーズのファン向けボーナスだけど。

 ついでに年末年始に読んだ外国ミステリー。ロス・トーマス(1926~1995)の『愚者の街』(1970)は、こんな面白い小説が未訳だったのかと驚く。よくも半世紀前の傑作を発掘してくれたと新潮文庫に感謝。もっともとぼけたスパイ小説なんかが持ち味のロス・トーマスは通好みの作家かもしれない。僕は生前はずいぶん読んでいて好きな作家だった。この小説は失敗したスパイが、元悪徳警官や元娼婦と組んである町を「腐らせる」仕事を請け負うという話。町を再生させるために一方の勢力から雇われるが、誰が誰やら大混乱する中でマフィアが入り乱れる。上下2冊あるけど、終わるのがもったいない面白さ。ただ、この手の小説は苦手という人も多いかも知れない。ふざけすぎだし、流血も凄いから。

 アイスランドのミステリー作家アーナルデュル・インドリダソンの6作目『』(サイン)。『湿地』『緑衣の女』『』『湖の男』『厳寒の町』に続くエーレンデュル捜査官シリーズである。ミステリーとしては『声』が傑作だと思うが、このシリーズはアイスランドの厳しい自然と独特の歴史を知る意味も大きい。どの作品もなかなかの出来だが、ミステリーとしてはどうなんだという作品もある。それは人口が少ないアイスランドで、派手な銀行強盗や連続殺人魔なんかの事件が起きるはずがないからだ。だからしみじみ系のミステリーが多くなる。それは主人公の生活にも言えることで、こんな捜査で良いのかなと思うときもある。

 『』は事件としての決着は付いている自殺事件を追い続ける話である。『印』というのは、あの世からのサイン、つまり霊媒なんかが死んだ人の言葉を伝えるような「印」を指している。昔のエピソードを延々と追い続け、それは正規な仕事じゃないので、同僚に苦情を言われる。また、今さら解決しようもないだろう失踪事件も追う。そんな昔のことばかり、趣味のように調べ続ける。そして一応「真相」が見えてくるんだが…。今は火山噴火で大変らしいアイスランドの暮らしを垣間見る本でもある。
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米澤穂信『可燃物』、真相を見抜く主人公に驚く

2023年12月30日 20時39分05秒 | 〃 (ミステリー)
 年末恒例のミステリーベストテンが発表され、『このミステリーがすごい!』『週刊文春』『ミステリが読みたい』で米澤穂信可燃物』が1位となった。今本屋に行くと、カバーが掛かったこの本が何冊も置いてある。最初は文庫まで待てば良いと思っていたけど、なんか急に読みたくなって単行本を買ってしまった。買っちゃうと、すぐに読み始めるしかない。これが大当たりで、最近こんなに感心したミステリーはない。もちろん素晴らしく面白い一気読み本だから、年始に大のおすすめである。

 米澤穂信(1978)は割と早くから青春ミステリーを読んでいたが、本格ミステリー作家としてどんどん大きくなり、2022年には『黒牢城』でついに直木賞を受賞したばかり。あの本は織田信長に反逆した荒木村重を主人公にした歴史ミステリーだが、戦国の合戦最中に「不可能犯罪」が起きるという超絶的設定に驚いた。その論理性が時に面倒くさいぐらいの本だった。この論理性がないと、本格ミステリーは成り立たない。しかし、論理性の説明が面倒くさいミステリーはたくさんある。
(米澤穂信)
 今度の『可燃物』も「論理性」に驚かされる本だが、警察小説でもあるので現実社会に生きている現実の人間が登場する。いずれも不可解さが残ると主人公は判断するが、一見不可解じゃないとみなす方が自然な状況でもある。主人公は群馬県警本部刑事部捜査第一課葛(かつら)警部という。名前は出て来ない。家族などの私的な情報も不明である。趣味も何も判らず、いつも事件捜査中は菓子パンとカフェオレで済ませている。上司にも部下にもちょっと疎まれている。あまりにも独自な発想で事件の真相を見抜くので、上司からすると部下が育たない「個人プレー」型に見えるのである。

 しかし、そんなことはどうでも良い。葛警部は事件解決を仕事にしていて、まさに切れ味鋭く真相を見抜く。証拠がそろうと、証拠がそろい過ぎじゃないかと恐れる。動機は重視しないが、動機こそが鍵になる事件では動機を探る。バラバラ事件の死体が発見されると、発見されやすい場所に放置されていたのは何故だろうと考える。5篇の短編が収録されていて、いずれも傑作。

 どんな事件かというと…。雪山で発見された死体が殺されていた。行動確認中の容疑者が正面衝突の交通事故を起こしたが、どちらが信号無視だったのか。バラバラ死体が榛名山で見つかり犯人と思われる人間も見つかるが、バラバラにした動機が判らない。放火事件が相次ぐが、どれも可燃ゴミにちょっと火を付けただけで終わる。捜査に乗り出すと放火が止まるが、真相はいかに。そしてファミレス立てこもり事件が起きて、これは他と違うのかと思うと、それにも驚きがあるのだった。

 こんなことを書いても全然判らないですよね。ミステリーの紹介は筋が書けないから困る。ただ、殺人だの放火だのといった重大犯罪じゃなくても、仕事をしていれば毎日のように何かの「事件」が起きている。それが仕事というもんじゃないだろうか。僕が勤めていた「学校」という職場でも、深刻な暴力やいじめ事件もないではなかったけれど、もっと軽い人間関係のイザコザなどの「事件」はよく起きていた。そして、それを何というか判りやすく「解釈」して終わりにすることも多かったと思う。

 是枝裕和監督の映画『怪物』でも、表面上見えているものと、子どもの心にある「真実」には大きな違いがあった。葛警部のように何でも見抜くことは、凡人たる我々には不可能だ。だが、「真実」はそんなに判りやすい形を取るわけじゃないと知っていることは何かの役に立つだろう。別に役立つから薦めるのではないが、なるほど人間の真相は深いなと思う小説ばかり。そして、読みやすいからすぐに読める。ミステリーはジャンル小説だから、読む人は読むし、いくら薦めても読まない人はなかなか手に取らない。だから、あまり書かないようにしてるんだけど、これは日常を生き抜く時にもヒントになりそうだから、書いた次第。
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『ナイフをひねれば』(アンソニー・ホロヴィッツ著)を読む

2023年10月05日 20時35分31秒 | 〃 (ミステリー)
 秋にアンソニー・ホロヴィッツの新作ミステリーを読むのも、今年で6年目。これほどレベルの高いミステリーを世に送り出し続けるホロヴィッツの才能に改めて驚く。今回の『ナイフをひねれば』(The Twist of a Knife、2022)は、ホーソーン&ホロヴィッツ シリーズの4作目だが、驚くべき趣向でミステリー史に残る作品だろう。

 シリーズの趣向を簡単に紹介すると、作者自身のアンソニー・ホロヴィッツが、元警官の凄腕探偵ダニエル・ホーソーンの捜査過程を記録していくミステリーである。つまり、自分自身(と同じ名前の人物)がワトソン役となり、ホームズ役のホーソーンの推理を語るわけである。その際ついアンソニーも自ら推理してしまい、それが全く外れてしまうのがお約束になっている。作中のアンソニー・ホロヴィッツはまさに実在の作家本人を思わせる楽屋オチ満載で、それも楽しい。

 だが今作ではその趣向が「楽屋オチ」では済まないレベルになっている。最初に語られるのは、ホロヴィッツの演劇への情熱である。若い頃から舞台に憧れ、自ら戯曲も書いてきた。そして『マインド・ゲーム』という台本を認めてくれる製作者が出て来て、地方だけど公演も行われた。そして、ついにロンドン公演も実現することになる。たった3人だけの舞台で、二人は今までと同じだが、もう一人若い男優は降りてしまい、代わりに売り出し中の若手が入る。彼はこの後クリストファー・ノーラン監督の『テネット』に出演が決まったとか。そんなこんなで初日が近づき、舞台の裏話が語られる。
(原書と作家)
 初日の客はなかなか楽しそうに観劇していたと思うのだが…。初日の打ち上げパーティでは、製作者が前に失敗した『マクベス』(野外劇が雨で大コケ)で作ったナイフを出演者や作家、演出家に記念に配った。ところがそこに、酷評することで嫌われている女性劇評家が現れ、皆に毒づき帰って行く。気分が沈んだ面々はもう一回劇場に戻って飲み直そうということになる。ところがその最中に、スマホを離さぬ若い女優が、早くも劇評が出たと知らせる。これがもうとんでもない酷評で、特にホロヴィッツの台本が大失敗の原因と決めつけるのだった。主演俳優も怒り出し、「殺してやる」とわめく始末。

 もちろんその劇評家が翌朝殺害されるのだが、何と警察当局が逮捕したのはアンソニー・ホロヴィッツその人だった。何も酷評されたからという理由ではない。凶器は当日配布のナイフで、他の人はすべてナイフを持っていたがアンソニーだけはナイフをどこに置いたか記憶がない。凶器のナイフからはアンソニーの指紋も検出される。ということで、作者本人と思われる人物を逮捕させてしまうという、ミステリー史上類例のない荒れた展開となる。アンソニーはホーソーンに助けを求め、「何故か」科捜研(にあたる部署)のコンピュータが故障して証拠を示せなくなり、一端仮釈放されるが…。
(舞台となったロンドンのヴォードヴィル劇場)
 今作は「謎解き」としては少々弱いと思う。まず凶器の問題から、容疑者が絞られている。今までのホロヴィッツ作品を思い出しても、殺人にまで至るのは単に劇評だけが動機とは思えない。となると、僕でも展開は予想可能なのである。もちろんミステリー小説はすべてを疑って読まなくてはいけない。語り手が実は真犯人だったという小説もある。だがこのシリーズはホロヴィッツが犯人か、無実でも裁判で有罪になってしまえば、それで終わりである。英国ではすでに第5作の刊行が予定されているという。今後もアンソニー・ホロヴィッツは書き続けるのである。これは「ミッション・インポッシブル」と同じだ。ミッションが不可能なら生還出来ないはずが、シリーズ化されている以上、「ミッション・ポッシブル」になるわけである。

 しかし、では何故ホロヴィッツのナイフが使われたのか。疑わしき証拠の数々は何故相次いでホロヴィッツを指し示すのか。「犯人当て」以上にそっちの「いかに」の解明に鋭さがある。実に見事なもので、ミステリーの読みどころである。また作中で語られる様々な社会問題への感想も興味深い。特に少年犯罪の裁判には驚いた。小学生の年齢に当たる被告人が、普通の刑事裁判を受けている。またその事件に関して実名が出ている本が刊行された。ちょっと日本の感覚では信じられない。この小説には様々な子どもをめぐる問題が出て来るが、現実のアンソニー・ホロヴィッツも子どもを守る活動で知られているという。
(現実の『マインド・ゲーム』舞台)
 この小説に出て来る戯曲『マインド・ゲーム』は実際にホロヴィッツが書いている。舞台公演も行われていて、その画像が上記のもの。日本ではまだ上演されてないようだ。そういうホロヴィッツが語るロンドンの演劇事情も興味深い。さすがに小説内に出て来るほど、ひどい劇評家が日本には(イギリスにも)いないと思う。これでは書いても新聞では掲載不可になるだろう。イングランドの風景美もいつもながら印象的な小説だった。日本の桜がちょっと使われているのも面白い。
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『卒業生には向かない真実』、ピップ最大の危機、苦い完結編

2023年08月15日 22時14分32秒 | 〃 (ミステリー)
 ホリー・ジャクソンのピップ・シリーズの3作目『卒業生には向かない真実』(服部京子訳、創元推理文庫)が刊行された。670ページもあるシリーズ最長の問題作で、完結編になるのだろう。正義感にあふれた女子高生ピップが活躍する溌剌たる青春ミステリーとして始まったシリーズも、次第に苦みが増していって、今回はほとんど「イヤミス」レベルじゃなかろうか。第1作『大収穫、「自由研究には向かない殺人」』、第2作『『優等生は探偵に向かない』、ピップ大いに悩むの巻』と内容的に連続していて、続けて読む必要がある。一話完結のシリーズではなく、ピップが登場する連作と言うべきだろう。

 第1作を簡単に振り返っておくと、17歳の女子高生ピッパ(ピップ)・フィッツ=アモービは学校の「自由研究」として、町の未解決事件に取り組んだ。5年前に高校生のアンディ・ベルが行方不明となり、付き合っていたサリル(サル)・シンの死体が発見された。警察はサルがアンディを殺害して自殺したとみなしたが、未だにアンディの死体は発見されていない。ピップにはもちろん強制捜査権がないから、公開されているSNSを探ったり、関係者に接触したりして真相を探っていく。この小説は英米に多い「スモールタウン・ミステリー」に、「学園ミステリー」、そして「デジタル捜査小説」の味わいを加えた傑作だった。

 第1作は5年前の事件の真相を探る中で、町の暗部をあからさまにした。何人かの登場人物が逮捕、起訴されることになったが、小説内の現在では誰も死なない。それもあり、真相を探る主人公ピップのひらめきや人権感覚が印象的だった。ピップは小説内でも評価されて、ケンブリッジ大学への進学が決まっている。母親からは「探偵ごっこ」はもう止めて欲しいと強く言われたが、第2作では行方不明者の発見に協力を求められ、再び自主的な捜査を始めてしまう。警察は若者が数日どこかへ行っただけと相手にしてくれなかったからだ。その事件の真相は驚くべきもので、何が正しいのか、ピップも人間性の深淵におののく思いをする。

 その事件は悲劇的な結末を迎え、ピップは第3作冒頭では「壊れて」しまっている。明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。そんなピップにはさらに憂慮すべきことがある。どうやら誰かに後を付けられたり、悪意を持たれているらしい。家の前に謎の記号が書かれていたり、鳩の死体が置かれたり。警察に相談しても、イタズラだろうと相手にされない。ネットで検索してみたところ、同じような前兆があったケースが見つかる。それは連続殺人事件で、「DTキラー」と呼ばれている。ただし、犯人はすでに逮捕されていて、有罪を認めて服役中。その後、事件は起きていない。事件は冤罪で真犯人は別にいるのか?

 やがて真相が明らかになるが、ミステリー通ならばある程度予想通りだろう。だが、この小説の読みどころはそこではない。その「真相判明」は小説の前半にしか過ぎない。ピップの恐怖、そして驚くべき計画。こんな展開はあっても良いのか。これ以上詳細を書くわけにはいかないが、第1作から思えば遠くへ来たもんだ。高校を卒業して、まだ大学は始まってない。そんな18歳の少女は、すでに人生を見終わってしまったかの感がある。原題は“AS GOOD AS DEAD”で、これは調べてみると「死んだも同然」という意味らしい。それはピップの心理状態を指すだけではないだろう。

 むしろ作者はイングランドの警察や司法制度を批判する意味合いで言っているのかもしれない。後書きには作者も警察に信用して貰えなかった経験があると書かれている。確かに第1作から、警察は「無能」である。それは作品成立の条件としてそうなっているのかと思っていた。(警察が有能で、何でも解決出来ていれば、素人探偵は不要である。)しかし、どうもそれだけでもないらしい。作中で出て来る冤罪主張者の供述は日本と非常に似ているではないか。この小説をどう評価するべきか、なかなか決めがたい。驚くべき問題作であると言うだけ。だが着地点を目指してドキドキしながら読むのは間違いない。
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フェルディナント・フォン・シーラッハ『刑罰』を読む

2023年01月13日 22時34分30秒 | 〃 (ミステリー)
 映画などへは行かず時事問題も書いてないから、書くことが尽きてきたけど本の感想なら書ける。(ちなみに時事問題を書いてないのは、ウクライナ戦争や日本の防衛政策大転換など、とても一回では終わらない大問題で、今集中して取り組める精神的余裕がない。)ドイツのフェルディナント・フォン・シーラッハが書いた『罪悪』(創元推理文庫)を読んだ。この人に関して、今までここで書いたかなあと思って探してみたら、『映画「コリーニ事件」、法廷ミステリーでドイツの過去を直視する』(2020.6.22)を書いていた。シーラッハ原作の『コリーニ事件』の映画化をコロナ禍に見ていたとは、自分でも忘れていた。

 フェルディナント・フォン・シーラッハ(1964~)という人はドイツの弁護士である。非常に有名なドイツを代表する弁護士の一人らしい。その人が2009年に『犯罪』という本を出した。掌編と呼ぶべき短編が11編入った作品集である。ドイツでクライスト賞を受賞したが、それはヘルタ・ミュラー(ノーベル賞受賞者)や多和田葉子も受けている賞である。一方、日本では東京創元社から翻訳(酒寄進一訳)が出され、年末の各種ミステリーベストテンで2位に選ばれるなど、「ミステリー」として受容された。そして、その後『罪悪』『コリーニ事件』『禁忌』などを続々と発表して作家として地歩を固めた。
(フェルディナント・フォン・シーラッハ)
 今回読んだ『刑罰』(2018)も「創元推理文庫」から刊行されている。翻訳は2019年に出て、2022年10月に文庫になった。この本は『犯罪』『罪悪』に続く作品集で、一応ミステリーと言えるけど普通の意味のミステリーとは全然感触が違う。先に挙げた映画の原作『コリーニ事件』(2011)はある程度「法廷ミステリー」的な作品になっているが、『犯罪』『罪悪』『刑罰』の三部作は「ミニマリズム・ミステリー」とでもいうか、感情描写には踏み込まず犯人当てもなく、ただ事実を淡々と綴るのみである。ただ、それがものすごく面白い。謎解きではなく、犯罪を通して見えてくる人生が心に沁みるのである。

 難しいところはどこにもなく、誰でもすぐに読める。でも、こういう本は今まで読んだことがないと思うだろう。ここに書かれている「事件」は著者が弁護士として体験したことだろうか。もちろん違うだろう。直接自分が担当した事件を小説にするのは、弁護士としての倫理に反する。しかし、法廷で見聞きしてきたことのエッセンスは間違いなく小説の中に生かされている。確かにこういう人生は存在するだろうという、自分や隣人のことが書かれている気持ちがする。今回は特に「孤独感」、人生中で孤独がいかにその人を蝕んでしまうかを描く作品が多い。

 最初に置かれた「参審員」、2番目の「逆さ」、さらにトルコ系ドイツ人女性が弁護士になる「奉仕活動」など、法律の意義を問い直すような作品が多い。裁判はもちろん「法律」に基づいて行われるもので、人間の真実をあぶり出す場ではない。人間として「有罪」であっても、法廷では「無罪」になることもあり得る。やむを得ないと言えば、その通りである。しかし、その裁判の結果、大きな過ちがもたらされた場合はどうなのか。「法の限界」があることをこの本は静かに告発している。つまり、この本は題名の通り「刑罰」を考えさせるのである。

 法廷が下す「刑罰」よりも重いものは、自分が自分に与える「自罰」だろう。ここには自分で自分の人生を罰するような、閉じられた生を生きる人々が数多く登場する。彼らは我々の隣人であり、また自分の中にも住んでいる。多くの人がそのように思うのではないか。そして彼らが静かに人生を送っている限り、「犯罪」に関わるはずがない。だが、静かな生活が周囲の人々によってかき乱される時、思わぬ形で彼らが犯罪の「被害者」だけでなく「加害者」にもなってしまう。人生の恐るべき秘密をこの本は淡々と語るが、事実のみを提示するだけの作品が読むものの心に染み通っていく。

 『犯罪』『罪悪』は図書館で借りて読んだこともあって、ここでは書いてなかった。短い作品が集まって、読みやすいから、出来れば順番に読む方が良いと思う。何故なら『刑罰』の一番最後にある「友人」という作品はやはり最後に読むべきものだと思うから。その作品は感触としては事実がベースになる気がする。プライバシーに配慮して変えてあるところが多いだろうが、実際の知り合いを描いているのではないか。そこで思うのは「人生いろいろ」だという当たり前のことなんだけど、自分の人生を振り返ってしまう本である。なお、著者の祖父にあたるバルドゥール・ベネディクト・フォン・シーラッハ(1907~1974)という人は、ナチス時代の高官でヒトラーユーゲント(ヒトラー青少年団)の責任者だった。「フォン」がつく家柄では珍しい。戦後のニュルンベルク裁判で禁錮20年を宣告されたという。ウィキペディアでは孫よりも遙かに長く記されている。
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『殺しへのライン』(アンソニー・ホロヴィッツ)を読む

2022年10月01日 22時24分00秒 | 〃 (ミステリー)
 アンソニー・ホロヴィッツのホーソーン&ホロヴィッツ シリーズ第3作『殺しへのライン』(A Line to Kill、山田蘭訳、創元推理文庫、2021)をさっそく読んだ。ホロヴィッツはここ4年ほど毎年1作ずつ翻訳されて、すべて大評判になってきた。ここでもその都度書いてきたが、このシリーズの方だけ紹介すると『メインテーマは殺人』、『その裁きは死』である。元刑事ホーソーンの名推理を描くシリーズだが、作者が作中に出て来るなど独創的なミステリーになっている。特に第1作は傑作だった。

 エンタメシリーズとして、この作品から読んでも可能になっているけど、登場人物には前からの経緯もあるから順番に読む方が面白いだろう。今回はもうすぐ第1作『メインテーマは殺人』が刊行される直前で、すでに第2作『その裁きは死』の事件も解決した後という時間設定である。宣伝のため、文芸フェスティバルに参加してはどうかということになる。探偵役のダニエル・ホーソーンは何しろヘンクツで、個人的なことはほとんど明かさない。だから文芸フェスなんか嫌がるかと思うと、場所がチャンネル諸島オルダニー島だと聞いて参加に前向きになる。
 (チャンネル諸島、後の地図の赤いところがオルダニー島)
 チャンネル諸島は上に掲載した地図にあるように、英仏海峡のほぼフランス寄りにある島々である。英国王室の私領という不思議な存在で、イギリスが外交・防衛を担うけれど独自の憲法があって行政は別になっているという。一番大きなジャージー島は人口10万を超えていて、「ジャージ」「ジャージー牛」の語源。オルダニー島なんてところは知らないし、いかにも的な地図が載ってるから、きっと架空かと思ったら実在していた。チャンネル諸島の中では北東に離れた人口2400人の小さな島である。チャンネル諸島は第二次大戦中にドイツに占領され、オルダニー島には強制収容所が作られている。そのことは小説の中にも出て来る。
(オルダニー島)
 さて肝心の文芸フェスだが、今回が初開催ということで、主催者のジュディス・マシスンは張り切っているが参加者はパッとしない。児童文学者のアン・クリアリーは前にホロヴィッツも会ったことがあるが、他にはテレビで評判の料理人マーク・ベラミーとその助手キャスリン・ハリス、本が売れている盲目の霊能者エリザベス・ラヴェルとその夫シド、フランスの朗読詩人マイーサ・ラマルなどが参加している。ホロヴィッツは何しろ紹介するべき本が未刊行とあっては知名度も今ひとつ。

 一方、島側では後援者である大金持ちのチャールズ・ル・メジュラーは、オンラインゲーム会社で大もうけして、島に「眺望館」という大邸宅を作った。今は彼も関わって、ノルマンディー半島から島を通ってイギリスに通じるケーブル設置計画があり、島を二分する争いになっている。ル・メジュラーは料理人マーク・ベラミーと同じ学校で、過去に因縁があったらしい。一方、彼の財務顧問をしているのがデレク・アボットという人物で、これがまたホーソーンと過去の因縁があったのである。どうやらホーソーンはアボットがオルダニー島にいることを知っていて、この文芸フェスに参加したかったらしい。
(オルダニー島の強制収容所跡)
 しばらくは文芸フェスの様子が順を追って描かれる。そしてル・メジュラーは彼の大邸宅に関係者を集めて、マーク・ベラミーが料理を担当する大パーティを開くことになった。ル・メジュラーの妻、ヘレン・ル・メジュラーも島に帰ってきた。ミステリーなんだから殺人事件が起こるんだろうけど、いつ起こるんだという感じで進んで行き、450頁中の150頁ほどになって事件が起きる。島にはすぐ動ける警官がその時はいなくて、ガーンジー島から派遣されてくるが、ホーソーンも捜査への協力を依頼される。

 ホロヴィッツは作中でミステリーでは意外な犯人が多いものだなどと言いながら、今回だけは違うかもしれない。それだと作品にまとめるのは苦労するなどとつぶやいている。英国本土から遠く、一種観光小説的な興趣で進んで行く。そのためスラスラ読んでしまうのだが、もちろん奸智にたけた作者だけに何も起こってないはずの文芸フェスの間にも様々な伏線が散りばめられている。

 それが最後の最後になって、電撃的に真相が明かされて、自分は何を読んでいたんだろうと思う。まあ作りすぎ的な感じも否めないのだが、いかにもホロヴィッツ的なミステリーだ。読んで傑作だと思ったけど、どうにもホーソーンという謎がますます大きくなってくる。イギリスではすでに次回作“The Twist of a Knife” が発表されている由。来年の翻訳刊行が待ち遠しい。
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『優等生は探偵に向かない』、ピップ大いに悩むの巻

2022年08月17日 22時17分05秒 | 〃 (ミステリー)
 ホリー・ジャクソン優等生は探偵に向かない』(服部京子訳、創元推理文庫)が刊行された。昨年翻訳されて大評判になった前作『自由研究には向かない殺人』の続編である。この作品はイギリスの女子高生が探偵役になる小説で、フェアな謎解き、現代のSNSを駆使した推理、主人公の魅力など非常に素晴らしい小説だった。だから続編も早速読んだわけだが、全く期待を裏切らない傑作だ。邦訳だと「向かないシリーズ」という感じだが、原題は第1作が“A GOOD GIRL’S GUIDE TO MURDER”で、第2作が“GOOD GIRL,BAD BLOOD”なので、GOOD GIRLシリーズということになるだろうか。

 この作品は前作から引き続く設定になっている。最初の方で1作目の真相が明かされているから、1作目から読まないといけない。前作は女子高生ピップが学校の自由研究として、町の未解決事件を調べる話だった。事件と探偵役ピップの細かな設定は前作の記事を参照。1作目は「ピップ大いに頑張るの巻」とでもいう感じで、ピップは二人の死者にまつわる驚くべき真相を明らかにした。その結果、ケンブリッジ大学への推薦入学も決まり、全国的にも注目された。イングランドのスモールタウン、小説の舞台リトル・キルトンでは、前作で真相が明かされたアンディとサルの追悼会が開かれることになった。

 ところがその追悼会に出たまま、同級生コナー・レノルズの兄、ジェイミーが行方不明となる。今までに家出したこともある24歳、警察にも届けたが重大性を認めず捜査はしてくれない。しかし、突然スマホのやり取りも止まってしまい、コナーと母はいつもと違うと心配する。思いあまったコナーはピップに頼むことを思いつく。ピップは第1作事件に関するポッドキャストをやっているので、そこで情報を集めて欲しいというのである。ポッドキャストというのは米英の小説に時々出てくるけど、もともとはiPodなど携帯プレーヤーに音声データをアップして配信する仕組み。今では画像も配信できるというが、ピップは音声でやってるらしい。日本では聞かないけど、感じで言えば「人気YouTuber」というあたりか。
(原書)
 しかし、ピップは悩む。前作の最後で大変な目にあって、心配した母に二度と「探偵のまねごと」はしないと堅く約束させられたのである。だから、ピップはまず警察に捜査を督促に行くが、相手にされない。その後もまったくジェイミーとは連絡が取れず、家族が心配するのも無理はない。ピップしか頼れる人がないといわれ、「義を見てせざるは勇なきなり」と持ち前の正義感と義侠心から捜索に手を貸すことになる。まずはコナーと母から情報を集める。何故か父親は大事視してなくて相手にしてくれないけど。ジェイミーのパソコンを見たいのに、パスワードを何度試しても入れない。まずは写真入りのポスターを作ることにする。

 こうしてピップは再び捜査を始めてしまう。次第に明らかになるジェイミーの不審な行動。追悼会で彼は誰を見たのか。その夜、彼はどこに行ったのか。いろいろと判明するおかしな行動。最近のジェイミーには明らかにいつもと違う様子だったらしい。その原因には「ある女性」とのつながりがあったようだが、その人物の正体は何か。深まる謎の迷宮の中、時間だけがどんどん過ぎていく。しかし、ネット上で情報を集めることから、様々な誹謗中傷も殺到する。前作の事件で逮捕され起訴された裁判も思わぬ展開に。ついにピップは学校でも問題を起こしてしまう。
(2作を手にする作者ホリー・ジャクソン)
 そしてピップやコナーらはある夜「秘かな行動」に出るのだが…。ラストの急展開、思わぬ真相はピップに深い衝撃を与えるものだった。そこは読んで貰うとして、前作では「女子高生頑張る」という明朗青春ミステリーの趣が強かった。事件は数年前に起こっていて、問題は「真相は何か」に絞られる。新たな死者が出るケースではなかった。しかし、今回は同時進行の事件である。もしかしたらピップの間違いで、助かる命が失われるかもしれない。その緊張感があり、また予想外に深い真相の衝撃がある。言ってみれば「ピップ大いに悩むの巻」とでも言うべき一冊だ。

 もちろん夏バテ中でもスラスラ読める極上の小説で、530頁以上にもなるが長いという感じはまったくしない。(まあ前作を読んでない人はそっちからだから倍になるわけだが。)それを前提にして、ピップの周りでは何故こんなに事件が起きるのだろうか。シリーズ小説なんだから、そんなことを言っても仕方ないけど。でも、何やら映画『ダイ・ハード』シリーズのブルース・ウィリスみたいではないか。「世界で一番不運な女子高生」である。しかしながら、自由研究で未解決事件を扱う高校生なんて考えられるだろうか。そんな設定を支えるピップの性格は、かなり「面倒くさい人」なんだなとようやくはっきりしてきたと思う。ラヴィやカーラなど脇役陣も魅力的だが、今後ピップに幸せが訪れるんだろうかと心配だ。
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ライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』を読む

2022年06月05日 20時56分04秒 | 〃 (ミステリー)
 新潮文庫4月新刊で、ライオネル・ホワイト気狂いピエロ』(矢口誠訳)が刊行された。原題は『Obsession』(1962)で、本文中では「妄執」と訳している。何とこのアメリカ製の犯罪小説がゴダールの映画『気狂いピエロ』の原作なんだという。初めての翻訳で、今まで原作なんて考えたこともなかったけれど、確かにこれを読んで納得出来ることが幾つもある。著者のライオネル・ホワイト(1905~1985)はものすごくたくさんのミステリーを書いたが、翻訳されたものは少ない。どこかで名前を聞いたような気がしたのは、キューブリック監督『現金(げんなま)に体を張れ』の原作を書いてるからだろう。

 ゴダールの『気狂いピエロ』は僕の大好きな映画で、ビデオソフトも持ってたから何度も見た。最近も上映されたが、それは前に公開されたものと同じ素材なので、まあいいかと思って見ていない。2019年の年末に『勝手にしやがれ』と一緒に見たときには、「ゴダールの「気狂いピエロ」について」を書いた。最初に見たのは中学3年生の時で、圧倒的な影響を受けた。最近シャンタル・アケルマン映画祭を見たので監督を調べたら、15歳の時に『気狂いピエロ』を見て映画監督を目指したと出ていた。やはりそういう人がいるのである。映画のことは先の記事で書いたので、ここでは触れない。
(ゴダールの映画「気狂いピエロ」)
 はっきり言ってしまえば、この小説はアメリカのごくありきたりのノワール小説である。『気狂いピエロ』が大好きだという人以外は特に読む必要もないだろう。この小説と映画との関係は山田宏一さんの解説に詳しく、それ以上書くことはない。68年の「五月革命」まで盟友だったゴダールとトリュフォーは、競い合うようにアメリカのB級小説を読みあさっていた。トリュフォーの『ピアニストを撃て!』はそんな中から見つけた原作を映画化したものである。ゴダールは明らかに『Obsession』をもとに映画を作ろうとしていたことが解説に良く判るように書かれている。

 特に冒頭の逃亡へと至る展開は基本的に原作通りだった。映画ではジャン=ポール・ベルモンドがつまらないパーティに妻と出かける。つまらなくて先に帰ると、ベビーシッターのアンナ・カリーナがいた。実は二人はもともと知り合いで、家に送っていくと関係してしまう。そのまま朝を迎えると、隣室に謎の死体が…。壁にはOASと赤い文字で書かれている。OASはアルジェリア問題で独立反対のテロを起こしたフランスの極右組織である。もちろん原作にそんな政治的ニュアンスは全くない。そもそも二人は知り合いではなく、ベビーシッターはなんと17歳の女性アリーである。しかし、一人暮らしで謎が多い。死体は彼女が殺した組織の集金屋で、彼は女の部屋代を出していた。その集金の金を持ち逃げするのである。
(ライオネル・ホワイト)
 主人公はコンラッドと言ってニューヨーク近郊に住む失業者。自分で殺したわけではないから警察を呼ぼうと言うが、信用されるわけないと一蹴される。結局アリーと一緒に逃げることになるが、わずか17歳といえど平気で人を殺せるアリーの「ファム・ファタール」(運命の女)性がすさまじい。最初は南部に逃げて、家まで借りる。二人は結婚して別人になりすます。結婚してるのに、何故重婚が可能なのか。なんと結婚を届け出る時には、身分証明書が不要だと書いてある。だから偽名で結婚を申請したら、認められたのである。今でもそうなのかは疑問だが、とにかく戸籍で確認されてしまう日本と違って、別の州に移ってしまえばアメリカでは別人になれるのである。もっとも警察のお世話になってしまえば、指紋が手配されるからバレてしまう。

 ただ逃げているだけの映画と違って、小説ではもっと具体性が求められるから、あちこち逃げ回る様子が細かく書かれる。マイアミで組織に捕まり拷問される。これは映画にもあるが、経過は良く判らなかった。小説では明らかに「女に売られた」のである。生き延びたコンラッドは女を探し回って、ラスヴェガスで見つける。映画も小説も、女の方では「兄がいる」と言うが、映画では兄なんだかよく判らない。しかし、もちろん小説では兄なんかではない。ヴェガスのカジノで働いていた「兄」は強盗事件を仕組む。追いつめられたコンラッドはその犯罪に協力するしかない。そこら辺は映画にはない部分で、結局原作は逃げる話ではなく、カジノの金を奪おうという犯罪小説になっていく。

 映画にあった「詩と政治」は原作にはもちろんない。しかし、圧倒的な疾走感は共通している。設定は最初の出発点、滑走路地点は明らかに似ているが、飛び立つと景色はどんどん違っていく。ゴダールは別れたばかりの妻アンナ・カリーナを悪く描きたくなかったのか、彼女の性格付けが謎めいている。そこが映画の魅力なんだけど、原作では17歳にして極悪である。それもまた魅力と思える人には面白いかな。ノワール小説の『ロリータ』という設定だが、女がすべてを引き回すところが凄い。まあ特に書くまでもないんだけど、あの『気狂いピエロ』の原作という点を珍重して書き残すことにした。
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ホロヴィッツ「絹の家」「モリアーティ」ーシャーロック・ホームズの「続編」を読む

2022年05月04日 22時05分59秒 | 〃 (ミステリー)
 アンソニー・ホロヴィッツと言えば、現在各種のミステリー・ベストテンで4年連続第1位を獲得して、もっとも注目されているミステリー作家だ。「カササギ殺人事件」「ヨルガオ殺人事件」、「メインテーマは殺人」「その裁きは死」はここでも感想を書いたが、圧倒的な面白さと充実感には大満足である。そのホロヴィッツはこのように認められるまでに、テレビや少年小説など多方面で活躍してきた。その中には、シャーロック・ホームズ007シリーズの「公認」の続編を書くという仕事もあった。

 ホームズものでは「絹の家」(2011)と「モリアーティ」(2014)、007では「007 逆襲のトリガー」(2015)がそれで、いずれもアーサー・コナン・ドイル財団、イアン・フレミング財団の公認を得た正式な「続編」という扱いである。日本ではどれも駒月雅子訳で、角川文庫から出ている。しばらく入手できなかったのだが、最近たまたま本屋の棚で見つけた。去年の12月に増刷されていたのである。007はもともとを読んでないので、まあいいか。でもホームズは是非読んでみたいなあと思って、買ってみた。
(「絹の家」)
 ホームズものは全部読んでるが、何度も読み返したり細かな知識を競うほどではない。だから、ホームズの贋作、模倣作はいっぱいあるらしいが、読んでない。「絹の家」(The House of Silk)を手に取ったのは、多分ホロヴィッツの「名人芸」を味わえると思ったからで、全く期待を裏切られない。文庫本だが400頁もあって、ホームズものは長編でも案外短いから、読みでがある。「続編」の書き方にはいろいろとあるだろうが、これは「公認」だけに本格派。当時ワトソンによって書かれていたのだが、国家的スキャンダルを恐れて100年間公表禁止にしていたという設定になっている。

 「もともとワトソンが書いていた」のだから、当然ヴィクトリア朝時代(設定は1890年)らしき文体と描写が完璧に再現されている。それでも原作との食い違いは存在するらしく、訳者によって指摘されている。それに公表禁止って言っても、ホームズが関わるのは市中の事件であって、国家間の外交的機密じゃないはずなのに、そんなことがあるんだろうか。しかし、最後まで読んでみると、なるほど「当時は公開できない」ことが納得出来る。そして、今ならそれが書けるということも。でも、それだけに「多分あれかな」と読者は想像出来てしまうかもしれない。(僕は想像が的中した。)

 もう一つ、今回書かれた2作は、いずれもアメリカ絡みになっている。アメリカも発展してきて、イギリスまで犯罪者が「進出」してくる。それは時代を表現するだけでなく、世界最大のミステリー・マーケット向けのサービスかもしれない。ホームズが「ベーカー街別働隊」(街頭の悪童連)に捜査の協力を頼むと、少年の一人が殺されてしまう。真相を探っていくうちに、ホームズ史上最大の危機、ホームズが逮捕され監獄に送られるというあり得ない事態が起きる。そこから「脱獄」する経緯など、実に上手く作られて関心する。そして驚くべき真相に至るわけだが、それは王室まで巻き込みかねない大スキャンダルだったらしく、公式には「封印」されてしまったということになる。「よく出来ました」という作品。
(ライヘンバッハの滝)
 「絹の家」事件の翌年、1891年にホームズはスイスにある「ライヘンバッハの滝」で宿敵モリアーティと対決、二人して滝に落下して行方不明となった。公式的には二人とも死亡したとされる。コナン・ドイルはホームズものばかり書かされるのに飽きてしまって、歴史小説などを書くためにホームズを死なせることにしたらしい。しかし、読者の期待、あるいは抗議が絶えず、結局「過去の未発表の事件」を書かざるを得なくなり、さらに「実は生き残って東洋を放浪していた」ことになって復活した。テレビで死んだはずの寅さんが、要望が多くて映画化されたようなものである。
(「モリアーティ」)
 ところで、そのイギリス犯罪界の黒幕、モリアーティ教授という人も取って付けたように登場する感じが強い。そんな黒幕がいたんだという突然の登場である。ホロヴィッツの「モリアーティ」(Moriarty)は、そのモリアーティが国外に出た事情がはっきりされる。アメリカの犯罪王がイギリスを支配下におくべくロンドンに来ていた。そしてモリアーティの部下たちも、どんどん寝返るか、殺されるか、逮捕されてしまった。そんな中で、ホームズとモリアーティは追われるようにヨーロッパ大陸へやってくる。

 そして彼らを追って、アメリカのピンカートン探偵社から調査員が送られる。また、ロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)からもジョーンズ警部が出張してくる。(この人は原作にも登場するという。)調査員によれば、アメリカの犯罪王クラレンス・デヴァルーからモリアーティに手紙が送られた形跡があるという。モリアーティらしき死体から、確かに手紙が発見され、その暗合が解かれる。かくして二人はイギリスに戻って、二人の出会いの場で待ち受けることにするが…。そこから続く謎また謎、殺人また殺人の連続を語るのは、ピンカートンのフレデリック・チェイスという調査員である。

 この作品は、直接にはホームズもモリアーティも登場しないという体裁で進行する。いわばホームズ外伝なのだが、本当にそうなのかと最後まで疑いながら読む。それでも最後近くの展開は予想外で、いやあ驚き。この小説では、基本的にはアメリカの犯罪組織対イギリスの犯罪組織という構図がある。ホントにそんなことがあったわけではないだろう。まあ、今の時点で面白くする趣向だ。どっちも「過去に書かれた犯罪実録」ということになっているが、実際は現代ミステリーである。ホームズものは案外簡単に結論が出てしまうが、この2作はあちこちに飛びながら細かな分析がなされる。長いから「ホンモノ」のホームズより、読むのが大変だが充実感もある。さすがホロヴィッツだなという読後感。
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ピエール・ルメートル「われらが痛みの鏡」

2022年01月27日 22時41分56秒 | 〃 (ミステリー)
 ずっとミステリーを読んできて、次はピエール・ルメートルわれらが痛みの鏡」(Miroir de nos peines、2020、ハヤカワ文庫)である。2021年6月に翻訳が出たが、ほとんど評判にならなかった。これは「天国でまた会おう」「炎の色」に続くフランス現代史ミステリー三部作の最後の作品であるが、まあ普通の意味ではミステリーではない。第二次世界大戦勃発後の、いわゆる「奇妙な戦争」から「電撃戦」に掛けての数ヶ月を描く戦争文学と言うべきだろう。
(上巻)
 ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre、1951~)は、日本では「その女アレックス」が翻訳されて大評判になったミステリー作家である。これはカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズというジャンル小説である。ルメートルは40歳を超えて小説を書き出したが、その後2013年に「天国でまた会おう」が大評判となってゴンクール賞を取ってしまった。この賞は基本的には純文学系の新人賞だから、驚くような選考である。そして、いよいよ三部作を完成させたのである。今までこのブログでもルメートルに関しては「傑作ミステリー「その女アレックス」」、「「天国でまた会おう」「炎の色」-ピエール・ルメートルを読む」を書いた。

 「天国でまた会おう」は第一次大戦で顔を負傷した傷痍軍人がフランス社会に壮大な詐欺を仕掛ける物語だった。「炎の色」は第一部の主人公の姉が父親が遺した銀行の財産をだまし取られ、復讐を仕掛けて行く物語。どちらもいわゆる本格ミステリーではないが、人生を掛けたコンゲームという意味で、ミステリーの一種だろう。それに対して「われらが痛みの鏡」には、確かに幾つもの犯罪と謎が登場し詐欺師も活躍する物語だが、戦争を舞台にした人間模様を描くという色彩が強い。この三部作はハヤカワ・ミステリ文庫の棚に並んでいるが、ミステリー・ファンよりも、フランス現代史に関心がある人の方が面白く読めると思う。
(下巻)
 今回の主人公は1作目に出てきた少女ルイーズである。ルイーズの母は家の一部を傷痍軍人に貸し出していた。そこに住む主人公が顔面を隠す仮面を作るときに手伝っていたのがルイーズ。そこに住み続け、小学校教師をしながら、向かいにあるレストランで週末だけウェートレスをしている。そこで毎週通ってきている老医者がいて、あるときルイーズにとんでもない話を持ち掛ける。そこからルイーズの人生は変転を重ね、母の隠された人生を垣間見ることになった。

 一方、フランスの東部戦線、いわゆるマジノ線でドイツと対峙している兵士たちがいる。そこでは宣戦布告以後も戦闘が起こらず「奇妙な戦争」と呼ばれる日々が続いていた。軍曹ガブリエルと兵長ラウール・ランドラードはそこにいて、戦闘のない日々に飽いている。ラウールはいかさま賭博などでもうけて、さらに物資の横流しなどで軍内で勢力を振るっている。マジノ線はドイツ軍が突破できないと言われていたが、ある日ドイツ軍の大戦車隊が押し寄せる。フランス軍は壊滅してしまって二人は独自の戦いを行うが、結局は敗走。その間に無人の館に入り込んで略奪して逮捕されてしまう。

 ルイーズの話と二人の兵士の話が交互に進むので、一体どこで絡んでくるのかと思う。そこにさらにデジレ・ミゴーなる詐欺師、あるときは難事件の弁護士、あるときは情報省のスポークスマン、そしてあるときは難民キャンプを運営する司祭と幾つもの顔を持つ弁舌爽やかな若い男が登場し、フランス社会の欺瞞性、偽善とともに、そこに潜む気高さや宗教性などを示して行く。兵士二人は刑務所に閉じ込められるが、戦況が悪化する一方で他の刑務所に移送される。それを警護する機動憲兵隊の曹長フェルナンにも様々な事情がある。これらの人々はラスト近くで一堂に会することになる。
(ピエール・ルメートル)
 そのラスト近くまで、流れるように進行して行く大河小説で、フランスでは最高傑作の声もあるとか。しかし、日本人として言えば1作目、2作目、3作目という順番で面白いというのが実感だろう。この小説は時代背景としては1940年4月から6月まで、パリが占領されてフランスがナチス・ドイツに屈するまでとなっている。フランス政府、フランス軍はドイツ軍を押しとどめている、兵器も十分、英仏軍は善戦していると言い続けている。まるで大日本帝国の大本営発表みたいである。ひたすら負けているのに、悪いのは国内に「第五列」(スパイ)がいたからだと言い張っている。これもまた日本で見聞きしたような風景だ。

 日本での「電撃戦」への関心はドイツを中心にしたものが多かった。フランス国内がこんなに乱れきっていたことは僕も知らなかった。まるでソ連軍が「満州国」に侵攻した時の大混乱に近いと言ったら大げさ過ぎるけれど、まあとにかく国内で膨大な難民が発生した。オランダ、ベルギー、ルクセンブルクからも難民が押し寄せたが、次第に厄介視されていく。そんなフランスの情けない偽善ぶりが容赦なく暴かれていく。そのような「反仏小説」として読み応えがあった。戦争のさなかに何が起きるか。人間の運命をめぐる壮絶な物語だった。
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陳浩基「13・67」、驚愕の香港ミステリー

2022年01月22日 23時04分24秒 | 〃 (ミステリー)
 陳浩基13・67」(文春文庫、上下)を読んだ。近年、中華圏(中国、香港、台湾)のミステリー、SFなどが注目されている。この「13・67」(2014)はその中でも広く評判を呼んだ作品で、2017年に翻訳が出版されると日本でも非常に高く評価された。「週刊文春」「本格ミステリベスト10」で1位となり、「このミステリーがすごい!」では2位になった。(1位はイギリスの「フロスト始末」。)しかし、単行本はかなり分厚いので、文庫化を待っていた。文庫は2020年9月に出たが、やっぱり手強そうで1年以上放っておいた。そして実際に相当に手強い本だった。6章に分かれるが一日一章しか読み進めない。内容がぶっ飛んでいて全体像がつかみにくい。最後の最後まで読んで、すべてのピースがはまるという驚愕の傑作ミステリーだった。

 陳浩基(1975~)はホラーやファンタジーも書いているが、ミステリーは台湾の出版社から出してきた。台湾で作られた島田荘司推理文学賞の受賞者である。日本のミステリー作家島田荘司は東アジア一帯にファンが多く、日本のいわゆる「新本格」に影響された作家を輩出した。だから「論理」で究極的な謎を解く「本格」風味があるが、それだけではない。作家本人が言うように、香港を舞台にすることで、「社会派ミステリー」にもならざるを得ない。警察官を主人公にするから「警察捜査小説」になるが、香港マフィアとの闘いを描く章が多いので「読む香港ノワール」とも言える。それも何重にも入り組んでいるので、まるで「インファナル・アフェア」を彷彿とさせる。誰も予測できない展開に唖然とする大傑作だ。

 1の「黒と白のあいだの真実」ではローという捜査官が大企業豊海グループ総帥の殺害事件を捜査している。関係者一同を集めたのが、何とグループが所有する病院の一室だった。そこには死期間近のクワン・ザンドー(關振鐸)が横たわっている。ローはかつて解決率100%の名捜査官クワンの薫陶を受けた。そしてクワンは今ではもう意識不明になっている。ローによれば人間は言語を発せなくても、人の言葉は聞いていて意識下では理解可能なんだという。その理解度を測定できる計測器を開発出来たので、今からここでクワン元捜査官の判断を仰ぐという。その結果、家族一同の抱える秘密が次々と暴かれ…。面白いんだけど、一体これは何? SF? 霊媒探偵みたいなヤツ? と思うと、もちろん最後に合理的な解決に至るが、ここでクワンは最期を迎えてしまう。

 以後を読むと判るが、最初僕はローが主人公かと思ったが、実はクワン捜査官の物語なのである。「13・67」という謎の題名も、クワンが若かった1967年から、クワンが亡くなる2013年までという意味である。それを時間的には遡って叙述しているので、最初は判りにくいのである。1967年と言えば、中国大陸の文化大革命に影響されて香港で反英大暴動が起こった年である。クワンはそこから出発し、警官の汚職が激しかった時期、香港が「新興工業地域」として発展しマフィアによる犯罪が多発した時期、英国統治から中国に返還された時期、そして香港内部で親中派と民主派の対立が激しくなった時期を見つめ続けてきた。クワンの捜査は時には規則をはみ出し、同僚をも欺すことがある。かなり突拍子もない策を用いることがあるが、腐敗や政治的偏向はない。

 2の「任侠のジレンマ」になって、ようやく香港ノワールの世界になる。ヤクザ組織が数年前に分裂し、片方が優勢である。しかしボスは堅気の芸能事務所社長を隠れ蓑にして、捕まえる証拠が得られない。そこに小さな芸能スキャンダルが起きる。その芸能事務所から売り出し中の少女スターに、あるイケメン俳優がちょっかいを出して揉めているという。問題はその男優スターが実は弱小ヤクザ組織親分の隠し子らしいということである。そして男優が何人かに殴られたという。これをきっかけに抗争が始まるのか。そんな時に捜査担当者のローのもとに、秘かに撮られたビデオが届く。少女スターが襲われ、歩道橋から転落する様子がそこには映っていた。と始まる事件の驚くべき真相は誰も見抜くことは出来ないだろう。「任侠のジレンマ」という言葉の意味が判るとき、深い驚きに感嘆するしかない。

 謎解きと警察捜査小説の白眉は3の「クワンの一番長い日」だ。50歳でリタイアすることを決めたクワンの最後の日に、恐るべきギャング石本添が病院から脱走した。石兄弟は何の配慮もせず一般人も殺害する非情なギャングだが、数年前に弟は射殺され兄の石本添はクワンが逮捕した。しかし、その日腹痛を訴え病院に運ばれ、トイレから脱走したと見られる。ところがその日は前に起こっていた「硫酸爆弾事件」がまたも発生。警察もてんてこ舞いの一日だった。これは全く「実録ヤクザ映画」のような世界だが、「フロスト警部」並みのモジュラー捜査小説(事件が複数同時発生する)になり、その後にクワンの驚くべき論理的解決に至る。この章こそクワンの最高の解決だが、その日が最後の日だったとは…。
(陳浩基)
 以上が上巻で、こうして書いていると終わらないから、下巻は簡単に。4の「テミスの天秤」は3で脱走した石の弟たちが殺害された数年前の事件捜査の物語。この時ローはまだ下っ端の刑事である。ここでも警察内部の状況を見抜くクワンの目は鋭い。5の「借りた場所に」では香港警察の腐敗を正すイギリス人捜査官の子どもが誘拐されたと電話がある。そこにクワンが呼ばれて誘拐の解決、真相を目指す。最後の6「借りた時間に」では1967年の反英暴動さなかに、中国共産党系の左翼青年たちが爆弾を仕掛ける。その相談を隣室で聞いてしまった青年と相談された若き警官。二人が奔走して事件を防ごうとするが…。

 時間を遡って香港現代史を逆転して行くことになる。その結果、この親中派(67年当時の左翼青年たち)がもし香港返還の後に実権を握ったら大変なのではないかという声を書き留めている。2014年当時の、まだ現在と違う香港の「一国二制度」が生きていた時点で、未来の「予感」として書かれていたのだろう。香港の地理が判らないと理解しにくい部分もあるかもしれないが、僕は一度行っているので地名になじみがある。中華圏のミステリーを読んだのは初めてなんだけど、この小説は非常に面白かった。知らない人も多いと思うが、驚くべきミステリーである。
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「ミレニアム6 死すべき女」、全部のせ大河ミステリー終幕

2022年01月16日 22時29分44秒 | 〃 (ミステリー)
 ダヴィド・ラーゲルクランツミレニアム6 死すべき女」(ハヤカワ文庫、ヘレンハルメ美穂・久山葉子訳)を読んだ。これで全世界で大評判になった「ミレニアム」シリーズも一応終わりである。2019年に発表され、同年暮れに翻訳が刊行された。2021年2月に文庫化され、まあ文庫なら買うしかないなと思った。半年ほど放っておいて、秋頃には読む気になっていたところ、2021年10月7日夜に東京で震度5の地震が起こった。日暮里・舎人ライナーが脱線して止まってしまった地震だが、僕の家でも枕元の積ん読本が崩れてしまって、一番上にあったはずの「ミレニアム6」が見つからなくなってしまった。ところがエドガー・アラン・ポー盗まれた手紙」じゃないけど、まさか目の前にあるじゃないかという場所で「発見」したのである。

 帯には「全世界1億部突破!」と大きく書かれている。しかし、解説によればそのうち8千万部は第1部から第3部だという。最初の3巻はスティーグ・ラーソンが書いた。しかし、母国のスウェーデンで第1部が刊行される前の2004年11月、ラーソンは心筋梗塞で僅か50歳にして亡くなった。世界でベストセラーになるのを全く知らないままに。そんなことがこの世の中に起こるのか。死の時点では全10部の構想を持ち、第4部も大方は書き終わっていたと言われる。しかし、ラーソンの原稿が残されたパソコンは現時点では封印されていて、内容は不明である。そして受け継いだダヴィド・ラーゲルクランツが、第4部から第6部までを完成させた。

 この「ミレニアム」シリーズに関しては、以前に「スウェーデンの傑作ミステリー「ミレニアム」、原作と映画①」「「ミレニアム」の志を継ぐもの-「ミレニアム」原作と映画②」を書いたので、細かいことは繰り返さない。第3部までにはずいぶん書き散らされた感じの伏線が残っていて、それをラーゲルクランツが完全に回収しているのには感心した。しかし、世界的大ベストセラー・シリーズの続編を手掛けるというのは、とても大きな精神的負担だったという。それも当然だろう。その結果、第6部で終わらせるということになった。僕は続編に満足出来たし、ここで終わるのもやむなしと思う。

 「ミレニアム」というシリーズ名は、主人公であるミカエル・ブルムクヴィストが共同経営者を務めるスウェーデンの雑誌である。季刊のルポールタージュ専門誌で、人種や女性の差別、大企業のスキャンダルなどを追求する左派の立場に立っている。さすがスウェーデンではそんな雑誌が存在するのかと思うが、まあ現実ではなくてラーソンの理想で作り出されたものなんだろう。

 ミステリーとしては、まさに「全部のせ」である。第1部は孤島で行方不明となった少女という典型的な「謎解き」だったが、その後はスパイ・謀略小説となり、さらに法廷ミステリー情報小説になっていく。さらにハードボイルドサイコ・スリラーの要素もあるから、まさに「全部のせ」なのである。もう一人の主人公であるリスベット・サランデル、「ドラゴン・タトゥーの女」と呼ばれる天才的ハッカーは、実はスウェーデン戦後史の隠された闇に関わる存在だった。それが判ってからは、心理的、歴史的な深みも増してくる。そして、第4部、第5部に引き継がれてからは、妹である絶世の美女カミラとの暗闘という方向性がはっきりしてきた。
(ダヴィド・ラーゲルクランツ)
 今回の「死すべき女」は、どうもここで終わらせるしかないという感じがあって、今までで一番内容的な不満がある。それはやむを得ないと思って読んだけれど、新味としては「山岳ミステリー」がある。著者自身が登山を趣味にしているらしいが、なんとエベレスト登山隊の悲劇が大きく内容に関わっている。ストックホルムの公園でホームレス男性が謎の死をとげる。その人物が誰だか全く判らない。その男はある女性ジャーナリストに対して、国防相の名を出して食ってかかるところを目撃されていた。

 ミカエルはそのジャーナリスト、右派的論調で知られていた女性に会いに行くと…。なんとロマンスが発生してしまうのは、恋多きミカエルの定番だが、それにしても立場を軽々と乗り越えたのは作中のお互いが一番驚いている。そしてリスベットの協力によって遺伝子調査の結果、謎のホームレスはシェルパらしいと判るが…。国防相はかつて、ロシアに滞在する情報員だったが、辞めて後にエベレスト登山隊に加わっていたことで知られる。その時の登山隊では死者が出る悲劇が起こっていた。その国防相は実はミカエルの知人であり、別荘から飛び出し海で溺れかかっているところを何とかミカエルが助けようとする。

 という主筋に、リスベット対カミラの究極の対決が随所に挟み込まれ、ラスト近くではミカエルを罠に掛けて誘拐し、それを餌にリスベットをおびき寄せようとする。捕まったミカエルは足を暖炉で焼かれ、それがリスベットにも伝えられる。という展開にハラハラするかというと、まあそこは超人的なリスベットが助けに来るだろうと想像できる。そりゃあ、後を引き継いだラーゲルクランツがミカエルとリスベットを死なせて終われるかと思う。誰だってそう思うに決まってるから、ここでも書いてしまう。それが作家としてもう書きたくないところでもあるんだろう。

 特に第4部以後に見られるのは、リスベットの実の父の出身地であったロシアが妹のカミラの本拠地として重要な意味を持つことである。ロシアではハッキングや麻薬などで違法行為を繰り返すロシア・マフィアが暗躍している。現実のニュースでも、日本初め世界中の企業に「ランサムウェア」などの脅迫ウイルスを送りつけるハッカー集団はロシアに多いとされる。ソ連時代が再来したかのようなプーチン政権だが、ソ連には一応イデオロギー的な背景があった。そういうタテマエが無くなって、ひたすら利潤追求に明け暮れる「ギャング資本主義」になっている。そんな現実を背景にした大河小説でもある。

 中立福祉国家として知られるスウェーデンの現実の悩みにも思いを馳せる。ひたすら面白く、一度読み始めたら止められない小説だが、同時に読者に「政治的」な立ち位置を確認するような小説でもあった。
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佐藤究「テスカトリポカ」を読む

2022年01月09日 21時04分28秒 | 〃 (ミステリー)
 ミステリー系で次に読んだのが佐藤究(きわむ)「テスカトリポカ」(角川書店)。2021年に第165回直木賞、第34回山本周五郎賞を受賞した作品である。直木賞受賞前に評判を聞いて買ったものの、何しろ500頁を越える大作だから年を越すまで放っておいた。作者はよく知らなかったが、2016年に「QJKJQ」で江戸川乱歩賞を受賞した人だった。昔は乱歩賞受賞作は全部読んでたんだけど、最近は読んでないから知らなかった。それ以前は純文学を書いていて、佐藤憲胤(のりかず)名義で書かれた「サージウスの死神」で、2005年の群像新人文学賞優秀作に入選していた。その後なかなか成功せずにミステリーを書いたということらしい。

 何しろとんでもない作品で、好き嫌いは分かれるだろうが、作品世界の壮大さは誰しも否定できないはずだ。題名が覚えられないが、「テトラポット?」「テストポテチ?」「テスラ?」とかつい言ってしまう。やっと覚えた頃には、最初の方に出て来た人物を忘れかけてしまう。困った小説だが、この題名は古代メキシコアステカ帝国の最高神の名前なのである。作品空間はメキシコに始まって、ペルー、日本、メキシコに戻って、リベリア(アフリカ中西部)、インドネシア、そして日本に戻ってくる。特に重要なのは、メキシコインドネシア日本の川崎市である。時間的にはアステカ神話から、何と2024年までに及んでいる。刊行(2021年2月)の半年後の2021年8月に重大事が発生することになっている。

 メキシコとアメリカの国境地帯は麻薬カルテルが支配する暴力地帯となっていると言われる。そのことは時々悲惨なニュースが報じられるし、映画などにも出て来る。ミステリーではドン・ウィンズロウ犬の力」のシリーズが知られている。その地域で暮らしていた娘が兄が殺されて脱出する。いろいろと逃れて日本に来る。日本で働くが、ヤクザと結ばれて子どもが生まれる。しかし、父親は暴力が激しく、母親も薬物中毒になる。子どもはちゃんと学校へも通えずネグレクトされて育つ。そしてこの少年コシモはどんどん背だけが成長していく。この少年が主人公なのかなと思う頃に、話はまたメキシコに戻ってしまう。

 今度は麻薬カルテルを支配する4兄弟の話だが、敵対勢力に襲撃されて一人だけが生き残る。兄弟はネイティブの祖母に教えられたアステカの神々を信じていた。生き残りのバルミロは敵には北へ逃げたと思わせ、実際は南へ逃げて南米、アフリカを経てインドネシアに行き着く。そこでコブラ焼き(毒蛇のコブラを焼いて食べさせる)の店を開きながら、じっくりと時期を待っていた。そこで日本を逃れてきた心臓外科医末永と知り合う。今は腎臓移植のコーディネートをしている。事情あって闇医者になっているが、いずれは心臓外科に関わる仕事をしたいと思っている。
(佐藤究)
 この二人が出会うところから、悪魔的な大プロジェクトが始まるのである。インドネシアの過激イスラム勢力、中国マフィア、それに日本のヤクザ、闇医者が関わって、恐るべき闇の心臓移植が計画される。そこへ向けて、バルミロや末永も日本へやって来る。バルミロは川崎の自動車解体工場に、怪物的な部下を養成する。コシモはどうなったんだと思う頃、再登場したコシモはバルミロを父と仰ぐようになるが…。様々な人物が多々登場し、今は主要人物しか書いていない。バルミロがアステカ神話に基づく名前を日本人にも付けてしまい、小説でもそれで表記されるから人物一覧を付けて欲しかったと思う。

 あまりにも壮絶、壮大、残虐な血の描写、死のイメージが連続する小説で、体質的に読めない人もいるだろう。しかし、コシモを通して「暴力」を越える世界を遠望していると読むべきだろう。明らかに面白い世界レベルのノワール小説だと思うが、アステカ神話を背景にしたために説明的描写が多くなってしまった。神話的壮大さがある反面、説明で物語が進行してしまう弱さも感じる。コーエン兄弟の映画「ノー・カントリー」の原作、コーマック・マッカーシー血と暴力の国」はずっと短い分量で同じような世界観を示しているとも言える。しかし、長いといってもドン・ウィンズロウ「犬の力」ほどではない。メキシコからアフリカ、インドネシア、日本と広がっていく物語は世界レベルの傑作だと思う。まあ、あまり好きにはなれないなと思ってしまったが。
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米澤穂信「黒牢城」、戦国大名「荒木村重という謎」に迫る

2022年01月02日 22時56分39秒 | 〃 (ミステリー)
 今本屋でいっぱい並んでいるのが米澤穂信黒牢城」(角川書店)である。「このミステリーがすごい!」「週刊文春」「ミステリが読みたい」「本格ミステリ・ベスト10」で、それぞれ2021年のベストワンに選出された。だから「史上初 4大ミステリランキング完全制覇」とうたっている。他に第12回山田風太郎賞を受賞し、また直木賞の候補にもなっている。

 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)は僕がものすごく読んでる作家である。「古典部シリーズ」「小市民シリーズ」など高校生が主人公のライトノベル風な「日常の謎」ミステリーが好きなのである。今まで各種ミステリーベストテンでは「満願」「王とサーカス」などが高く評価されたが、僕はどうもなあと思うところがあってブログでは書いてない。(中世イングランドを舞台にした「折れた竜骨」は読んでない。)今度の「黒牢城」は戦国時代の史実をもとに「本格推理」を展開するとともに、歴史に潜む謎をも解き明かすという驚くべきアイディアで書かれている。

 時は1578年。畿内をほぼ統一した織田信長は残された石山本願寺(一向一揆)との戦いと進めるとともに、羽柴秀吉や明智光秀に命じて山陽、山陰への進出を進めていた。しかし、秀吉と共に播磨(はりま)の三木氏を攻略していた荒木村重が突如信長に反旗を翻した。村重は一代で摂津(せっつ、大阪府北部、兵庫県南東部)を制圧し、摂津守に任じられていた。ところが突然、本願寺や毛利氏と連携して反信長陣営に加わったのである。古来より何故反乱を起こしたのかには諸説があって確証がない。

 信長もこの謀反には驚いたらしく、明智光秀らを説得に派遣している。一度は説得に応じようとした村重だが、中川清秀から信長は一度反旗を翻した臣下を許さないと言われて、本拠地の有岡城(伊丹城)に戻った。(中川清秀が逆にその後信長に投降する。)秀吉も村重と旧知の小寺官兵衛(後の黒田孝高)を説得に派遣したが、村重は当時の通念に反して官兵衛を生かしたまま土牢に閉じ込めてしまった。(官兵衛は後の筑前福岡藩黒田家の祖になった。)こうして荒木村重の反信長籠城戦が始まった。

 ここまでは完全に史実そのままである。荒木村重の謀反は教科書に載るほどではないが、戦国時代に関心がある人なら誰でも知っている。黒田官兵衛が幽閉されたのも史実。有岡城開城後にからくも救出されて、以後秀吉のもとで武将として大成する。ところで、この「黒牢城」は信長軍と対峙しながら毛利の援軍を待ち続ける有岡城内で、奇妙な不可思議事態(不可能犯罪)が発生する。その謎と背景に潜む思惑を村重が解き明かそうとするが、なかなか解明できずに困り果てると城内の牢を降りていって官兵衛に謎を語る。官兵衛の言葉をヒントにして、村重が謎を解く。という超絶的発想の謎解きミステリーなのである。
(有岡城址)
 それぞれの謎は、「密室殺人」に近い事件、戦場の手柄首の消滅事件、旅の僧侶の殺人事件など、なかなか工夫を凝らしている。しかし、最後になって判るが、それらは実はもっと深い背景事情があって起こっていた。僕はそれまでは何で厳しい籠城戦を持ちこたえている有岡城で、よりによって「不可能犯罪」が起こるのか、疑問を持たざるを得なかった。設定に無理があるんじゃないかという感じである。無理にミステリーにしなくても、単に歴史小説で良いのではないか。しかし、最後まで読むと、官兵衛を生かした意味、その献策が持つ意味を通じて、村重最大の謎に迫るのに驚いてしまった。

 村重最大の謎とは、状況が悪化した時点で自ら城を抜け出て、尼崎城に移ったことである。有岡城は主を失って開城を余儀なくされる。村重や主要な武将の妻子は信長の命によって無惨に処刑された。村重はその後も花隈城によって信長軍に抵抗を続け、敗北しても毛利家に亡命して生き延びた。1582年の本能寺の変で信長が横死すると、堺に移って茶人として復活した。もともと「利休十哲」の一人で茶人として有名だった。そのことは小説の中でもうまく生かされている。村重はその後1586年に死去して秀吉による全国統一を見ることはなかった。しかし、信長の死後まで生き延びた。それは武将としては恥辱だったかもしれないが。

 僕はこの超絶的なミステリーを面白く読んだが、結構長くて大変だった。正直言って戦国時代のイメージや予備知識がないと大変だと思う。ミステリーとしても、先に読んだ「自由研究には向かない殺人」の方が間違いなく面白いと思う。やはり、このような本格ミステリー仕立てにしなくても、歴史的事実そのものが謎に包まれているんだから歴史小説で良かったんじゃないかと思ってしまう。歴史上の有名人物が探偵役になるミステリーはかなり書かれている。「黒牢城」もその一つになるが、主人公(村重)が抱えている苦難は飛び抜けている。とても謎解きをしてるヒマはないだろう。

 まあそこは上手に設定されているが、ここではミステリーだから詳細は書けない。結局光秀も謀反するんだから、村重は「早すぎた決起」ということになるのか。それにしても、何故有岡城を脱出したのかはこの小説の解釈でも僕は完全には判らなかった。この小説では「官兵衛の画策」に大きな意味を見出している。が、それはフィクションなんだから不明と言うしかない。結局「荒木村重という謎」の方が大きすぎて、 この力作ミステリーでも完全には納得できなかったという感じ。なお、浮世絵の祖といわれる岩佐又兵衛は村重の子供だと言われている。そこもミステリーである。村重の子は何人か生き延びて、諸家に仕えている。
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