尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「背水の孤島」を観る

2012年08月31日 01時32分34秒 | 演劇
 中津留章仁作、劇団TRASHMASTERSの演劇「背水の孤島」を見た。下北沢・本多劇場。7時から始まって、休憩なしで終わったのが10時半。全然長いとは感じないけど、帰りが遅くなるのは困る。明日でもいいんだけど、上演期間が短いから簡単に紹介しておきたい。公演は、2日まで。1日は2回上演がある。

 昨年9月に初演されたときは、小さな劇場で僕も知らなかった。その後、震災をテーマにしたすごい舞台だという評判が高くなり、紀伊國屋演劇賞や読売演劇大賞なども受賞した。是非一度見たいと思っていたけれど、震災1年半、上演1年後に再演されたわけ。下北沢の本多劇場は小劇団の目標とも言えるところだから、「堂々の凱旋公演」という感じだけど、中身が重い。

 劇は大きく3部に分けられている。中身の筋を書かないと通じないのだが、時間も遅いので省略したい。最初は震災直後の東京。「野党代議士」の小田切が取材を受けている。「なぜ東電をつぶさないんですか」。それが劇の始まり。その後に何人かが登場する。そういう劇が始まるのかと思うと、長い字幕が出て早口で事情が説明され、その間に舞台装置が字幕の裏で被災地の納屋に変わる。1部で取材していた記者は、東京で伝えることに限界を感じ、異動を希望して津波被災者のドキュメントを撮っている。「もっとも貧しい被災者」を探して長期取材中である。納屋に住むしかなく、母親は津波で見つからず、父、姉、弟で住んでいるが、姉は医学部を休学中、弟は受験生で東大を目指している。この弟が東大受験が終わるまで取材を続ける予定だが、弟は取材チームに口をきかない。

 この2部が劇としてもまとまりはいいのだが、「よくある頑張る被災者」の枠で撮りたいマスコミと、被災者やボランティア、男と女、父と子などの相克が実は隠されていることが明かされていく。それぞれが大きな悩みを隠し持っていて、なかなか判りあえない。「被災当日」の「特別な時間」は、被災者ではない人だけでなく、その場にいた人たちでもなかなか共有することが難しい。例えば、ボランティアで来ている大学院生が余ってる洗濯機があるんだけどと伝えに来ると、撮影クルーが「一番貧しい被災者」ということで撮ってるんで洗濯機はちょっと…などと言う。ボランティアが余って食べきれないおにぎりを被災者に持ってくると、被災地で避難所で働いている公務員が、「被災者をバカにするのか」と反発する。もっともっと大変な重い現実がこの家族にのしかかっていることが次第に判ってくる。登場人物の葛藤が頂点に達し、判りあえるかに見えるときもあるが、解決しようもない問題に直面する人もいる。それでけで重い現実を劇的に表現したすぐれた達成になっている。

 ところがこの劇はここで終わらない。3部は12年後とされる。震災12年後だから2023年である。登場人物は今までの人物が関わっている。小田切は「原発ゼロ」を掲げて与党となるが、日本は電力不足で企業が外国に移転して不況が続くので、一転してフランスから最新原発を導入するという政策に転向している。しかし日本はもう国内で国債を発行できず、外債に頼るしかない。福島第一原発では日本人の働き手がなく、外国人労働者を使ったため、放射性物質が大量に持ち出され、世界のテロは「原子力爆弾」が主流となってしまった。福島から除染の済まない車が首都圏に入るのを阻止する体制が作られ、警備会社が力を持っている。先の家族の弟は東大に合格し、財務省に入り小田切大臣の秘書をしている。それぞれが辛い、さまざまの12年を生きてきている。そして、劇中で原発やデモの有効性、財政問題などを討論する。

 この討論劇と個人的決起をどう見るか。リアリティがある部分とあまりリアリティがない部分が混在していると僕は思った。しかし、2部で終わらず、3部があるところがすごいポリティカルSFというか、未来の政治討論劇として非常に面白い。ただ、ずいぶん前から日本は国内でものつくりをする段階から「投資」国家に変わりつつあると思うし、12年後ともなれば少なくとも中国と日本の賃金格差はかなり縮まっているはずだと思う。電力事情も原発問題も大きなファクターではあろうが、石油との関連だけでは解けない。節電はもとより「蓄電」技術は大変に発達するだろうし、太陽光の可能性が低いかもしれないが、すでにオイルシェールの可能性は大きくなっている。放射性物質の問題もそうで、必ずしも正しいとは思えない議論が交わされている。外国人労働者が放射性物質を福島から世界に持ち出すという設定なんかは、ちょっと「トンデモ」度が高すぎると思う。しかし、そういう個別の問題ではなく、「国のあり方」を皆で議論するという劇の刺激がすごい。また、「一度脱原発を決めたものの、10数年後に再び原発再導入を決めざるを得ない」というシナリオに妙に「既視感」がある。そう言う点を含めて、議論はしかし、最終的には「個人の思い」と密接に結び付き、劇的展開を見せる

 なんだか面白いけど、重くて大変なものを見た感じ。上演一年たって少しリライトしたという。デモの議論の辺りはそうかなと思う。この劇では、震災をきっかけに日本の没落が進み、地方の経済は振るわないという設定になっている。日本は経済しかないと大臣が言っていたけど、それは大間違いで日本の文化の魅力がそう簡単に失われることはないと僕は思っているんだけど、ね。もしチケットが取れるなら、演劇と言う以上に震災後の日本の行く末に関心がある人は、是非見ておいたほうがいい。
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生徒会長は集めないのか?-「減いじめ」のために③

2012年08月29日 23時59分58秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 今まで何回か書いてることは、「いじめを減らすためには、どういうことができるだろうか」ということなんだけど、7月頃に「減いじめのために」とサブタイトルをつけて2回書いていた。少し具体論を書いてみたいので、「減いじめのために③」として書くことにする。

 学校で「不祥事」が起きると、きまって教育委員会が校長を臨時に集める。集まりの冒頭の映像がニュースで流れる。なんでそういうことをするんだろうか?僕には、「教育委員会のアリバイ作り」だと前から思っていて、「税金のムダ遣い」だと思ってきた。(校長の出張費が公費負担である。)何故かと言って、いじめ調査をやると言う程度の話なら、今では学校と教育委員会はインターネットでつながっているので、他の無数の調査と同じく、電子メールの添付ファイルで送りつけてくればいいのである。校長は直接は生徒をほとんど知らない。生徒の問題も校長が最高責任者ということにはなってるけど、授業や部活動を担当しないんだから、生徒の名前もあまり知らない。よほど表彰が多いか、逆に問題行動が多いかしないと、校長も覚えられない。(小規模校なんかだと、校長が毎朝校門に立って挨拶を続けて、名前も知ってると言う人もいるけれど。でも、全校生徒が千人近い大規模進学高校なんかだと、教師だって自分の教えている学年の生徒しか判らないくらいで、校長が知ってるわけはない。)最高責任者だから、大事な時に教委に呼ばれているのではなく、校長は「学校にいなくても一番不都合がない人」だから呼ばれているのかもしれない

 それより僕が昔から思っているのは、地方の小都市の中学なんかで「生徒会長会」をやるところはないんだろうか。生徒会長も「内申書ねらい」の「雇われマダム」みたいな存在の学校も多いとは思うけれど、副会長でも書記でもいいけど、各学校の生徒に直接行政が働きかけることはしないのか。そういう面倒なのはいやだと思う会長も多いだろうけど、それは今までやってないからで、続けていれば誇りに思う人も出てくるはずだ。今は何かと言うと、教師を通して「ボランティアという名前の強制動員」を学校にかけてくる。町の祭りだの、スポーツ大会のお手伝いだの、外国から誰か親善訪問団が来たの、なんてときに都合のいい動員対象と考えている自治体は多いだろう。でも、行ってみると言われた通りのお手伝いに使われて、Tシャツだの弁当とお茶かなんかはくれるけど、つまらない。外国の姉妹都市から子ども使節団が来るなんて時に、行事の企画そのものから子どもの声を生かし、子どもの力でやらせてみるというところは少ないだろう。でも、ホントはそういう積み重ねがあったうえで、地域の学校で問題が起こったら生徒の代表も集めて「君たちの力が今こそ必要だ」と呼びかける試みがあるといいなと思う。

 大体学校の中で「生徒会」の意味がとても小さくなってしまった。行事の補助、教師の手伝い機関という感じが強くなり、「学校に生徒の意見を伝える」という発想が無くなってきた。伝えられても、教師も多忙な上、教師の意見も職員会議で取り上げられない時代になってしまって、生徒の声を職員会議で議論することができない。教師も「我々に言われてもどうしようもない。学校に不満があるなら直接校長か、教育委員会へ伝えて欲しい」なんて、ホントのことを言いたくなってしまう。まあそれも何なので、何とか生徒会担当で引き取るが、他の教員集団の支援が得られない。

 生徒会活動がもう意味を持たなくなって長いので、教師の側も「生徒会を通して生徒の自治を育てる」などと言う取り組みを経験したことがない人ばかりになってしまったのである。生徒会の意見を聞くなどと言うと、生徒のわがままを容認していく危険性しか頭に浮かばないのである。どうせ教師に認められないと判っているんだったら、活動するだけ時間と労力のムダで、だから生徒会役員の成り手を見つけるのに苦労する時代である。高校では部活や受験勉強が大変な上、それらに関係ない生徒は「バイト」があるので、放課後に奉仕的に生徒会活動をする時間がない。高校に入った時点で、(有名大学合格とか就職とか)路線が大体決まってるので、それに向けた限られた時間と言うことで、生徒も「自治」を必要としないと思い込んでいる。推薦で大学へ行きたい人なんかが有利な点数稼ぎで生徒会をやるという風に思われているかもしれない。修学旅行も文化祭も「先生が決めてくれれば、それでいい」。それで学校が決めた範囲内で楽しんでいる。その範囲内で楽しめない生徒は、校外でバイトして自分のお金でコンサートに行ったりする。

 中学はまた少し違うと思うけど、他の目を気にする世代だから、生徒会活動は難しい。でも僕の経験だと、生徒会役員を見つけるのに苦労する学年は他の問題でも大変。うまく教師と生徒の相互関係が出来ている学年では、生徒会役員にどんどん立候補してくれる。いまどき定数以上が立候補して選挙で落とすしかなかった選挙も何回かあった。そういうこと(生徒会役員になりたい生徒が多くいるような生徒の状態)がいじめや他の問題の情報が教師に集まってくる前提条件だと思う。行事などで生徒会、各委員会組織の力をもっと付けていくこと。それは大変面倒くさいのである。教師がどんどんやってしまう方がはるかに早い。「だったら先生やってよ」というのを押しとどめて、生徒がやらなきゃ学校ではないと押し切る。その面倒くさいプロセスに付き合えるだけの、「生徒と関わることを楽しめる教員」であるかどうか

 教師の側が意識して、生徒の中に生活リーダーを育成していく意識を持たないとリーダーは育たない。忙しいから簡便な方に教師は流れやすい。でも生徒の中に「学校を自分たちで良くしていく」意識がないと、結局は何もできない。いじめを深刻なものにしないためには、生徒の関心をもっと他のポジティブなものに向けていくことが必要だし、またここまで行ったら先生に相談しないと大変だという感覚を生徒が持っていることが大切である。そういう感覚は、行事を生徒会とともに作っていく中で養われていくものではないか。生徒のリーダーが育ってもすべての情報が集まるわけではない。気を付けていないと今度はその生徒が浮いてしまって情報が集まらなくなる。またそれよりも、「悪い情報」は教師にあげても、「いい情報」は自分たちの中で留めるということも多い。点数稼ぎみたいな「いい話」はあえて教師には秘密にするのである。でも、そうなって初めて「自治」が少しは根付いたと言えるのではないか。卒業して数年してから、あのときこんなことがあったんですよ、などと聞くわけである。

 「リーダー育成」というのは「エリート育成」とは違う。成績優秀な生徒を選抜して英語などをたたきこみ留学などカネもかけて、日本の次代のリーダーを育てるなどと言う発想が最近は多い。それじゃ実際の社会では働けない。大学を出て正社員になると、すぐにパート従業員のリーダーにさせられ、人間関係が作れないで辞めてしまう「エリート」は多いはずだ。エリートだけ選抜するのではなく、それぞれの学校で意識の高い生徒が皆を行事などで引っ張っていく、などという体験。人は「真のリーダー」になる前に、小集団の「サブリーダー」で鍛えられる体験を積む必要がある。その原体験として、行事や生徒会活動がある。今こそいじめ防止に生徒会の総量を結集する運動がいるのではないかと思う
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「減いじめ」は「学校の目標」ではない

2012年08月29日 00時05分07秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 いじめ問題が数年に一度大問題になると、報道などで「いじめは絶対にあってはならない」と大きなキャンペーンが始まり、「学校でいじめをなくすにはどうしたらいいのか」という議論が起きる。まるで「いじめ根絶」が学校の存在理由であるかのような議論が続く。そうして「学校はいじめに毅然とした対応をせよ」と言い出す人が出てきて、「いじめに対処できない今の教員が問題なのだ」となっていく。でも、いじめは学校が学校である以上根絶できないので、対応を求められる教員の疲弊がますますひどくなる。こういう(いじめ問題に限らないのだが)「負のスパイラル」が学校現場を覆いつくしてから、もうずいぶん経っている。

 そういう議論は教育に害をなすだけで、教育現場を荒廃させるだけである。どうしてかと言う理由はいろいろあるが、そのひとつは学校の対応を短期的なものにしてしまうことである。いじめが起こったら当然「いじめられている生徒」への配慮を第一に考えなければならないが、同時に「いじめている生徒」への支援も緊急に必要だし、「傍観している生徒」への指導も忘れてはならない。そしていじめ対応で疲弊する教員集団への支援も欠かせない。ところが、「いじめをなくすのが教員の責務」という発想だけで考えると、とりあえず今いじめられている生徒へのいじめを止めることにのみ関心が集中してしまう。それが緊急の課題であるのはもちろんだが、「学校の毅然とした対応」でいじめが止まったとしても、いじめる側のケアがなされていないと、しばらくすると標的を変えて次のいじめが始まってしまう。次々に指導を繰り返していくと、いじめ生徒は学校にいられず校外で問題を起こすようになる。「学校で問題を起こされるよりはいい」と考えて、後は警察まかせという発想になってしまう。

 学校だけで考えると、教師はそれでいいわけなんだけど、社会全体で考えると学校が問題生徒を見放すデメリットは大きい。「中学を出てなんとか高校に入り卒業したい」というのは、今の社会で要求される最低水準で、生徒の側でもその価値観を内面化している。中学、高校の段階で学校から排除されてしまうと、今の日本では非常に生きにくい。多くの若者がアウトロー集団で生きるようになると、犠牲も大きいし社会のコストも高い。学校が毅然と対応して問題生徒を校外に追い出すと、結局数年後、数十年後に犯罪の増加や社会保障費の増加につながる。今の日本では、ほとんど報われることもないのに多くの中学、高校教員が時間外労働で多くの若者がドロップアウトするのを最後の最後で救っている。このように「問題生徒への対応」こそが長期的には大変重要なものなのである。

 そういう問題もあるわけだが、僕が一番言いたいのは、そもそも「マイナスをなくす」が学校の目標であっていいのかということである。最近は「いじめをなくす」も学校の大きな取り組み目標になってきて、「思いやりの心を育てる月間」とかが設定されていることが多い。こうなると、もう「学校の目標」に近くなっている。しかし、「小さないじめ」が無くなることはないし、もしあったら教師が見回り、呼び出しを繰り返し、他の教育活動を差し置いても(教材研究や部活指導をほとんどせずに)、「生徒を見張る」ことにエネルギーを費やしている場合だろう。しかし、その結果いじめが全然報告されなくなっても、それが生徒を伸ばしたと言えるだろうか。「悪事」をなさないけれども、「善事」をなす知恵と力も育たないのでは、教育とは言えない

 新聞に載るようないじめ事件は極めてまれである。いじめだけでなく、学校では小事件はいろいろ起こるが、大事件はめったに起きない。ほとんどの教員は何十年も勤めて一度も経験しない。反対に授業や部活での活躍で新聞に載ることも普通の教員にはまずない。すごくいいことにも悪いことにも当たらず、教員生活を終えるというのが大方の教員である。そういう学校の日常のあり方の中では、「大きないじめ問題」がないのは当たり前であって、「遅刻を減らす」がクラス目標になるときはあるけど、「いじめをなくす」は当たり前すぎて学校の目標にはならない。テストの目標が「赤点を取らない」では情けない。それが現実的目標だという生徒もいるだろうけど、大方の生徒はもっと高い目標を立てなければいけない。

 同じように学校としては、いじめやその他の問題行動をなくすというのは当然どの教員の前提ではあるけれど、大きな目標とすることはもっと違うことになるはずである。「マイナスをなくす」ではなく、「プラスをつくる」という方向の目標があるはずである。それは「生徒一人ひとりにあった進路の実現」であるとか、「生徒皆が生き生きと取り組む学校行事の成功」であるとか、「生徒が主体的に学びあう授業の創造」とかなんとかである。言葉にしてしまえば、どういう目標をたてようが、「絵に描いたモチ」である。しかし、それに向けた具体的な生徒の取り組みを作っていくと、そこには大きな違いが表れてくると思う。「マイナスをなくす」を目標にすると、例えば「遅刻を減らす」で言えば、生徒の委員会を動かして遅刻回数比べをして、クラスごと、班ごとに競わせたりする。たまにやると生徒の意識向上になるのは間違いない。でも一年中そういう取り組みだけをしていると、目標にした問題行動自体は消えても、競争で競うために集団規制で消えただけで、生徒の本質は変わらない。自主性が育たないから、他のところで別の問題行動が起こってしまう。

 それにそういう「マイナスなくせ運動」だけやってると、学校がつまらないものになってしまう。教師も生徒もつまらないなあと思いながら、「決まったことだから」と言い聞かせてみんなでガマンする。そういう学校を作ってしまうことになる。学校の日常、授業や日々の生活は楽しいことだけではない。それは間違いないんだけど(集団生活はガマンを強いられる場面があるし、授業は難しく、あるいはやさしすぎ、またはまったく関心が持てない内容の場合も必ずあって、楽しいとは思えない場合が多い。)でも、だからこそ、日常を抜け出す学校行事、特に宿泊行事なんかは楽しいものである。いや、それこそ面倒なことがいっぱいで大変とも言えるけど、学年皆で泊まりに行くと言うことだけでワクワク感があるものだ。(全員ではなく、行事こそ辛いという問題を抱えた生徒もいることは確かだけど。)

 教師は本当はそういう「ワクワク感」を様々な行事をとおして作っていくのが仕事ではないのか。問題行動をなくすということだけを考えるのではなく、生徒とともに「何か充実したもの」を作り出していく。子どもの自主性を伸ばしながら、共に行事や部活動を作っていく。その結果(かどうか誰にもわからないんだけど)、リーダーが育っていって、他の問題行動も減っていく。そして行事などの成功を見て、生徒が自分の学年、学校に誇りを持っていく。その「生徒内世論」がいじめ、仲間はずれなどの行動を内面から抑えていく。そういう「正のスパイラル」を作り出すというのが本当の「学校目標」なのではないか

 今のいじめ(だけでなく)に見られる、教員や生徒に多くの負担を強いる形で「マイナス行動を学校からなくせ」キャンペーンだけでは、学校がますますつまらなくなる。教師がいつも「これはいじめではないか」という目で生徒を疑うようなピリピリした学校になっては、生徒は安心して暮らせない。いられなくなってしまう生徒も出てくる。生徒だけでなく、教員も居づらくなり病気休職が増えていく。教師はホンネが言えなくなり、「今の学校が楽しいとは思えない」という気持ちになり、どんどん転勤していく。そうなってはいけない。

 卒業式を迎えて、この学年でやった修学旅行は楽しかったね、文化祭のクラスの出し物面白かったよね、運動会も合唱コンクールもみんなの力でうまく行ったねと言えるかどうか。生徒をそういう気持ちで送り出し、教員の飲み会では「今年の生徒は楽しかったね」と言える。「そういえば、あんまりひどいいじめ事件もなかったしね」となる。「まあ、小さないじめはあったし、タバコや万引きもあったけどね」。「でも、生徒にリーダーがいたからか、行事もうまく行ったし、大きな事件も起こらずに済んだ。良かった、良かった」と美味しく飲み交わす。そういうのが、あえて言えば「理想」であって、なんで大事件がなかったかは誰にも判らないけど、行事や進路活動は大体うまくいき、生徒も感謝して卒業していった…となるのがいいと思う。

 「いじめをなくす」は「目標」ではなくて、生徒を育てた「結果」だと思うのである。生徒はいじめはよくないと思っているのが圧倒的に多数であるけど、その気持ちを力にできていない。その生徒の力を、行事などで育てていくことで引き出していく。結果、生徒の思いが学年作りの力になっていく。これが本来の学校の目指すものではないかと思う。ここで次に考えるべきことがある。「リーダー育成」「行事の作り方」「学年団の団結」である。このあとはそういう「各論」を書いてみたい。 
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映画「桐島、部活やめるってよ」

2012年08月27日 23時34分07秒 | 映画 (新作日本映画)
 朝井リョウ原作、吉田大八監督の映画「桐島、部活やめるってよ」。ほぼすべてが学校内のシーンという「学校映画」だが、かつてなく日本社会を深く描いた社会映画だと思う。あまり思い出したくない「学校社会」のリアルを巧みに描いている。

 原作とは少し違うらしいけど、原作も映画も「桐島」その人が登場しないという点は同じ。「何でもできる万能タイプ」のバレーボール部長が、部活をやめてしまったらしく、学校自体にも来ない。バレー部員も「親友(のはずの友達)」も「カノジョ」も理由がわからないまま、当たり前と思っていた世界が変わってしまう。そういう高校2年の2学期のある金曜日から火曜日にかけての日々。

 若い時期と言うのは、すべての世界は相対的なものだということを知らないから、一生懸命であれ斜に構えてであれ、何にしても思い出すと恥ずかしい。なんであの頃、あの子をあんなに好きだったんだろう。なんであの頃、クラスメートとあんなにうまく行かなかったんだろう。なんであの頃、あんなに部活動に熱中できたんだろう。そして、なんであの頃、何も考えずに勉強や部活を「普通に」やっていられたんだろう。そう言うことが見えてしまえば、恥ずかしくて思い出す気にもならない。それが高校時代だろう。そういう高校時代を「断片」の重なりとして、いくつものエピソードを積み重ねて描く

 映画は普通、タイトルが出て始まる。寅さんのように主筋に入る前に「寅さんの夢」がお決まりで出てくる映画もあるけど、大体は映画の名前が最初に出る。でもこの映画は、タイトルが出ない。タイトルは最後になってやっと現れる。まず、最初に「金曜日」と出て、職員室の場面である。登場人物も判らないし、相互の関係も判らない。ところが、次のシーンも「金曜日」、次も「金曜日」…。同じシーンが登場人物の視点を変えて違った目で描かれる。そうしてだんだん相互の関係、すれ違い、対立、無関係と言う関係が見えてくる。この「断片」の積み重ねという手法が、ロバート・アルトマン監督の「ナッシュビル」「ショート・カッツ」を思い出させるという評もあるけど、同じ話を違う視点で描き直すという感じが内田けんじ「運命じゃない人」に似てるかもしれない。

 桐島はバレー部長であるにも関わらず、「帰宅部」の友人3人がいつもバスケをしながら帰りを待っている。(「帰宅部」の中にも、野球部で期待されながら出ていない生徒もいる。)また、いつも「カノジョ」が部活の終わるのを待っている。恵まれていると一応言うわけだが、けっこうウットウシイのかもしれない。「カノジョ」が日常的にいる女子グループも内情は複雑。バドミントン部の実果は、なんで部活やってるのと聞かれて、あたしは内申書ねらいだからというが、直後に同グループで同じバド部のかすみには、「あれはウソ。ホントはバドが好きだから。あの人たちに言ってもなんだから」みたいに言う。かすみは実は「帰宅部」の竜汰とつきあってるけど、それは竜汰が秘密にしたいということで実果にも言ってない。桐島がいないため、今まで試合に出られなかった背の低い小泉が日曜の試合に出られたが、結果は負け。桐島に最後まで一緒に部活やろうと言われて入った小泉は、部活の猛練習についていけない。実果はそう言う小泉を見ていて、「好きとかじゃないけど、小泉君見てると、熱心にやってても、負けるときは負けるんだなと思って」と思いがいっぱいになり、「ゴメン、今日は部活ムリ」と帰ってしまう。

 金曜に朝礼があるらしく、部活動紹介で映画部が「映画甲子園」1次を突破したと紹介された。映画部の部長前田は自分で書いたシナリオ映画にしたいのだが、顧問は自分で書くと言い張る。「宇宙ゾンビなんて、リアルじゃないだろ」。「半径1メートル以内の映画を作れ」。高校生なんだから、進路とか男女交際とかの悩みこそがリアルなはずだという思い込みである。しかし、映画部はカノジョができそうもない、学校内モテ度ランキングで低い位置にいる生徒たちばかりである。スポーツ不得意で、見た目も地味で、オタク的映画ファンなんだから。だから派手系女子(桐島の「カノジョ」たち)からは、無視というか違った存在として扱われている。日曜に映画館で「鉄男」を見てると、たまたまかすみが来ていて(来てた理由はラスト近くでわかる)、中学時代は映画ファンで時々話をしたねという。今は高校のクラスメートだというのに、住んでる場所が違ってしまった。授業中もシナリオ改定の「内職」をしてる前田たちは、放課後の映画撮影で生き返る。まさに学校で「ゾンビ」として生きているのだ。授業や「校内恋愛」では死んでいて、趣味の世界だけでよみがえるのである。勉強や恋愛などの青春の方がリアリティがなく、彼らにはゾンビの方がリアリズムの世界なのである

 
 映画を校庭で撮っていると野球部がジャマになる。野球部には言えないから屋上に移って撮ろうとすると、吹奏楽部長亜矢が一人で練習をしている。実は「帰宅部」でバスケをしてる男子を見ているらしい。ジャマになるからどいてくれないかと頼むかどうか。「吹奏楽部なら同じ文化部だし言えるだろ。」でも亜矢は何のかのとヘリクツを言ってどかない。この映画部と吹奏楽部長だけが「桐島」の関係の枠組みから自由である。火曜日、桐島が屋上にいるらしいとの情報が携帯で流れて、桐島関係者(バレー部、帰宅部、カノジョたち)が一斉に屋上をめざし、ゾンビ撮影中の映画部をめちゃくちゃに荒らしてしまう。小道具の隕石を壊されたのを見た前田はバレー部の副部長に「謝れ」と詰め寄るのである。そのあとの「乱闘」とラスト。しかし、結局は「何も変わらない」。桐島は現れず、なんで辞めたのかもわからない。すべての登場人物にとって、世界は少し変わったのかもしれないが、何も変わらず時間だけがたっていくのかもしれない。

 重層的な人間関係のつながりの中で、何もリアルなものがつかめないという感覚だけがよく伝わる。何も見えていない「青春」の時期を通して、少しは自分の位置が見えてしまったのかもしれない。でも、まったく「青春の甘酸っぱい思い出」が出てこなくて、「いま」の生きにくさだけが描かれるという、稀なる青春映画。学校内の「階級」を描いた傑作だと思うけど、同時に「学校には様々な人がいる」ので、時々素晴らしいダイヤモンドのようにキラキラ輝く瞬間がないわけではない。そのことも多くの生徒に言える。そういう「学校という空間」がとてもうまく描かれている。

 原作者は岐阜出身だけど、この映画は高知県で撮影されている。山が遠くに見える高校の様子は新鮮である。(日本のほとんどの地域は学校から山が見えると思うけど、関東平野の端にある東京では山が見えない。冬の寒く晴れた日だけ遠くに富士山が見える学校があるけれど。)監督の吉田大八は、CMディレクターから2007年に「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」でデビュー。サトエリの代表作になるだろうけど、永作博美も最高。その後、「クヒオ大佐」「パーマネント野ばら」の作品がある。映画部は8ミリで映画を撮ってると言う設定で、その映写機がいい。俳優は映画部長前田が神木隆之介、かすみが橋本愛などの若手が出てる。実果をやった清水くるみが良かった。
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すべての自治体に「子どもオンブズ」を!

2012年08月25日 23時50分52秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 「減いじめ」の具体的な話を書いて行きたい。もっとも「いじめをなくすために、どうすればいいのか」という発想自体が間違っている。どういう問いならいいのかは次回にして、まずは本の紹介。

 今回いろいろ考えた中で一番役立ったのは、桜井智恵子「子どもの声を社会へ―子どもオンブズの挑戦」(岩波新書、2012.2)という本だった。出たときに見逃していたけど、これは教育に関わる人、特に自治体関係者などに必読の本だ。著者は教育学専攻の大阪大谷大教授。

 兵庫県川西市の「子どもの人権オンブズパーソン」制度に関わって、「オンブズパーソン」をしてきた体験が興味深く語られている本だ。最後の方は教育思想史をたどって、日本の社会のあり方自体が学校をゆがめてきた歴史がまとめられている。その部分も刺激的けど、やはり「子どもオンブズ」の紹介の意味が大きい。これを読んで、「すべての基礎自治体に、子どもの人権オンブズパーソン制度を作らなければ!!」と強く思った。

 オンブズマンという言葉は、時々マスコミにも載るから聞いたことがあるかもしれない。もとはスウェーデンの制度で、行政を監視するために議会が設置した人々である。「行政から離れた立場で、行政を監視する」という仕組みが必要だということで、世界各地に広がった。「オンブズマン」の「マン」が性差別だと、アメリカで「オンブズパーソン」という言葉ができた。でも、スウェーデン語では「マン」は両性を指しているから「オンブズマン」でいいという意見もあるらしい。それはともかく、今は公的な組織だけでなく、市民運動で行政監視をしている人も「市民オンブズマン」と名乗ることが多い。「行政組織そのものではなく、違った立場で関わる役目」として世界に広がっている。

 川西市というのは、兵庫県東南部にある人口16万弱の市。清和源氏2代目の源満仲が住みついて摂津源氏と呼ばれるようになった由緒のある町である。古田敦也や由美かおるが育った町だという。そこに90年代半ばに「子どもの権利条約」をきっかけにして、「子どもの人権オンブズパーソン」という制度ができた。仕組みや条例そのものは川西市のサイトに出ている。

 この制度では「オンブズパーソン」が一定の権限・強制力を市条例により与えられている。子ども、学校、教育委員会、保護者からの相談を受け、教委、学校に対する調査権・指導権を持ち、報告を課す権限も与え、是正指導できる機関である。子どもや保護者だけでなく、教員にとっても相談機関・対応機関になっている。子ども同士の関係がこじれたり保護者対応がもつれた場合なども多くの相談が寄せられているそうだ。

 そうなるまでには時間がかかったようだけど、今では学校で相談を勧める連絡をするようになった。オンブズパーソンには、弁護士、心理学、教育学などの専門家が選ばれ、別に相談員がいる。子どもからの相談は、いじめと交友関係の悩みが多く、二つで半数を超えている。大人からの相談では、子育ての悩みや不登校が多い。それぞれ3位には「家族関係の悩み」が入っていて、学校と関係のない子どもの悩みを受ける役割も果たしている。

 大事なことは単なる電話相談コーナーではなく、調査権限があり具体的な報告を出して現実を変えていく力を持っていることである。だから、本に出ている事例で言えば、アレルギーがある子にとっての給食の配慮の問題、高校受験校の志望変更を中学が認めなかったケース(出願後に志望変更できる制度が兵庫県にあったにも関わらず、中学校が「転居など特例がないとダメな制度」と誤認して志望校変更認めなかった)などでは具体的な制度上の取り組みがあった。

 でも、やはり「いじめ」の相談が多く寄せられる。その時は「関係に働きかける」という。「人が生きる力を取り戻すために、本人ばかりを励ますよりもむしろ、本人が力を失う元になっている関係に働きかけつつ、その関係が回復するよう支援することが最も有効」だからである。

 「川西オンブズの思想」(33ページ)
 子どもの意見をスタートに、
 敵対するのではなく、対話を重ね、
 関係に働きかけ、衝突を解決するために、
 子どもの傍らに立つ

 同書によれば、この制度はユニセフなどにも注目されている。しかし、僕は全く知らなかった。ほとんどの人はそうだと思う。まだ日本ではほとんど知られていないのではないか。でも、これは全国に必要な制度で、緊急に皆が知るべき制度だと思う。。学校が変わっても、地域の子育て全体を変えることはできない。いろいろな家庭、いろいろな子どもがいるわけだし、学校では様々な問題が起こり続ける。学校を変えることももちろん大切だし、カウンセラーなども必要だけど、実際に行政に働きかける権限を持った第三者機関を制度化するという発想はとても重要だと思う。
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「いじめアンケート」への疑問②

2012年08月23日 23時55分08秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 アンケート的なものはよくあるけど、一体それは誰が見て集計し、どう役立つものだんだろうか。多分、取ってみましたとアンケート自体が自己目的化していることも多いに違いない。学校でも実に様々なアンケート的なものを書かせるけど、一体だれが見て集計するんだろうか

 当然ながら、生徒本人、クラスに関係する調査やアンケート、つまり進路希望調査、クラスの文化祭出し物希望、給食の人気メニューアンケート…なんて言うものは、学級担任がまず見て集計することが多いだろうと思う。普通はそれでいいわけだし、担任に見せるものとして生徒も書いている。

 ところで、今のイジメ論議は本質のところで、大事な問題を落としている。学校は基本的には、教職員と生徒(児童)によって成り立っている組織である。それなのに、「生徒が生徒をいじめる」ケースしか調査の対象にしていないのである。実際は「教師が生徒をいじめる」「生徒が教師をいじめる」「教師が教師をいじめる」という「事件」もかなり起こっている。本当はそれも視野に入れて問題を考えて行かないとまずい。それらの場合は、「いじめ」という扱いを受けていない場合も多い。「学級崩壊」「体罰」「パワハラ」などと呼ばれて、生徒同士のイジメ事件と別扱いを受けることが多い。しかし、実際は学校と言う空間で、強い者が弱い者を見つけて標的にして、言葉や暴力でいたぶり楽しむ(としか思えない)ということが起こっていることで同じなのである。

 だから前回、いじめ調査の都教委サンプルの話を書いたけれど、本当は以下のようなことも聞かないといけない。「あなたは授業や部活動などの中で、先生が生徒に対して暴言や体罰など不適切な言動をしているのを見たり聞いたりしたことがありますか」、「あなたのクラスや学年で、一部の先生の授業だけ授業が成り立たず、先生が注意しても暴言を言ったり席を立ったりすることを見聞きしたことがありますか」。

 まあ本当は教師同士の問題も聞いてみると面白いだろう。「本校の教員の中で、先生どうしの間で悪口を言ったり、先生どうしの関係が心配になるような言動を見たり聞いたりしたことがありますか」。でもこれを生徒に聞いてみる勇気のある学校はほとんどないだろう。生徒もまだ子供で先生同士の関係まで見えていないことが多いし、大人の間のことなんだから生徒に聞かなくてもいいんだろうけど。でも、教師が生徒、生徒が教師、という2パターンは是非聞いてみなくてはいけない。それは生徒同士のいじめとも密接に絡んでいることが多いし、学校として緊急に解決しなくてはいけない問題であることは同じである。

 それで最初の設問、調査用紙は誰が見るのか、という問いに戻る。本来「いじめアンケート」はクラス担任が見てはいけないものなのではないか。そうでなければ、学級担任の対応こそ問題な場合、あるいは担任が体罰教師だったり、生徒に無視されているような場合は、生徒が何も大事なことを書かないだろう。

 しかし、では誰が見るのか?第3者組織を常設するというのが究極的には一番だと思うけど、とりあえずはできない。管理職のみが見るというのも一つの案だが、担任への不満もいろいろ書かれているかもしれない調査を担任本人が見ることができないなら問題だ。管理職の人事考査に利用されてもわからない。それを避けるために、生徒の評判を第一に考えるようなクラス運営になってしまう。まあ、学校の教師全員が信用できないと生徒が思っている場合は、どんなアンケートを取っても無意味である。だからそういうことは考えなくてもいいだろう。そうすると、いじめ問題を担当する部署、例えば生活指導部で自分の学年でないところを見るということになるのかな

 そういうのは学校それぞれで工夫すればいいと思うけど、僕はクラスで配ってその場で書かせるという取り方自体、きちんとした情報が集まるやり方とは思ってない。郵送して家で書いて返送するというやり方をしなければいけないと思う。教育委員会できちんと臨時予算を組んで郵券(切手)を手配するべきだ(というか大量になるから料金別納になるだろうけど。)保護者のアンケートもした方がいいから、送るのに80円、返送に生徒分、保護者分で160円、合わせて240円。1学年の生徒100人として2万4千。3学年として、約10万。それ以上生徒がいる学校が多いだろうし、すべての学校でやるには相当の予算がいる。しかし「いじめアンケート」で情報を得たいんだったらそのくらいの金がかかるということである。

 僕は前回面談しなければいけないと書いたけど、調査用紙に書かせるという方式も全く無意味ではない。しかしそのためには、家に郵送するというやり方をするべきだと思う。特に、保護者の意見はなかなか面談できないので郵送アンケートのやり方しかできない。生徒と保護者と一緒に返送してもらえば予算が助かるが、そういうことができる家庭ばかりではない。いやがる生徒もいるだろうから、別の返送用封筒を用意したほうがいい。

 そしてその調査用紙には、名前は記名、無記名を選べることとするが、学年、クラスは書いてもらい、読んで集計するのは担任ではないことを書いておく。そこまでやる意味があるか。そこまで面倒なことをする必要がない学校の方が多いだろうと思う。でも、もし全校で全生徒に書かせるいじめ調査をするというんだったら、それだけでは形骸化してやったと言うだけの意味しかないのは明らかだから、できるんだったらここまでやるべきだという意見である。

 特に、教師の指導に関する項目こそ本来は一番必要なのではないか。生徒の中の問題を見つけるという以前に、学校の組織としてもあり方なども含めて意見を聞くこと必要だろう。なお、たぶんほぼすべての学校でホームページが開設されていると思う。そこにパスワードを打ち込んで、電子メールで相談、情報を寄せるというやり方をやはり早急に検討するべきだろう。ただ、パスワードは生徒に教えなければ意味ないわけだが、生徒の中にはどこかのサイトに載せる不届き者も出るだろう。また教員は多忙ですぐに見ることができずに、対応が致命的に遅れてしまうことも起こりうる。やっぱり本当に大事な問題は、直接面と向かって言うしかないだろと思う。そのことができやすい仕組みを考えて行くことも大事である。
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「いじめアンケート」への疑問①

2012年08月23日 00時50分13秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 さて、いじめ問題に戻って。いろいろな問題があるんだけど、まずは「いじめアンケート」に対する疑問。この「アンケート」なるものには様々な問題があると思うけど、(大体「アンケート」というべきなんだろうかと思うけど)、最初に書きたいのは「調査方式そのものへの疑問」である。(なお、夏の初めの頃にこの問題に数回書いて、根絶できない学校と言う場所の本質などについて書いてあるので、是非読んでおいてください。)

 こういう問題が起こると、教育行政当局はすぐに責任者を集め、全校で調査を行い報告せよと来る。東京都の場合は、「いじめの実態把握のための緊急調査について」というのを行うこととした。「臨時区市町村教育委員会指導事務主管課長会」と「都立学校臨時校長連絡会」というのを7月17日に行って、全公立学校から報告を求めている。夏休み直前(または学校によっては夏休み中)なので、いつ調査をするのか判らないが。「質問例」と「報告用紙」もホームページに掲載されているので、そうしたもののサンプルとして面白いかもしれない。

 この「質問例」は、まさに例であってそのまま刷っただけでは使えない。それにしても、テレビである中学校の校長が述べていたが、全部書かせる方式なので、このままでは使えないものである。例えば「あなたは、悪口を言われたり、暴力を振るわれたりしたことがありますか。・それは、だれから、いつ、どのような内容ですか。」などということを、プロレスごっこ、メールや掲示板の悪口、仲間はずれなど様々な事柄について同じように聞いて行く。

 これではクラスに配った時に、一生懸命書き込んでいる生徒がいたら、それは自分か友人のことを学校に「チクっている」ということが周りに判ってしまう。本当に何も困ったことがないクラスや生徒は書くことが何もないという調査になってしまう。それでは困るので、誰もがどこかに○をできる方式や意見を書く項目を作るなどの工夫が必要になってくる。もすこし、現場で使いやすい例を作れないものなのかと思ってしまう。

 そういう問題もあるわけだが、それにしても何かと言うと生徒に書かせる「自書主義」というのが、日本の学校の基本となっている。学校だけでなく、選挙も候補の名前を有権者が書く「自書主義」だし、就職には自書した履歴書がまず必要。裁判も(少なくとも今までは)、被告の「自白調書」をめぐって行われることが多かった。とにかく書かせて、文章で残るものが基礎になるという発想は、たぶん識字率が前近代から世界の中で極めて高かった日本社会のあり方に遠因があると思う。現代教育だけの問題ではない。

 で、実際にいじめ(ケンカや万引きや喫煙などなど)があった場合はどうなるかというと、本人を呼んで「事情聴取」、その後「反省文」「謝罪文」などと進んで行く。いじめ、ケンカなどの場合は、「関係修復」に向けた取り組みへ続いて行くが、喫煙なんかの場合だと「自白調書」を取り「反省文」で「二度としない」と「悔悛」を求める。この「反省を書かせて学校で保管する」というのは、現場的には実際に多くの生徒には有効なので、僕も指導法として否定はできない。仮に次にまた事件を起こしても、「二度としないと約束したじゃないか」という「印籠」として機能するわけで、生徒はやっぱり約束を守らなかった自分が悪いと恐れ入ることになる。

 ところで、この「自書主義」方式いじめ調査は、本当に役立つのだろうか。こういうのは「やらないよりはいいのではないか」ということになりやすく、学校では使われやすい。確かにそれで情報が集まることがないとは言えない。でも、大津市の問題が起こった学校では、毎月やることになっていたが、直前のアンケートは多忙で出来なかったという話である。毎月やれば形骸化するに決まってるし、生徒もまたかよと思って大したことは書かなくなる。また例の調査か、テキトーに書いとこうとなるし、また来月あるんだったら今はまだガマンできる段階だから今月では書かないでいいや、となるはずだ。逆効果になりやすい。

 大人だって、例えば異動希望調査用紙を職員会議で配られて、会議中に書いて提出と言われたら、隣の先生にも見えてしまうし、時間もない中で書かなくちゃいけないので反発するだろう。あるいは全国の会社で一斉に「職場への不満アンケート」を行って、それにきちんと書き込む人がどれだけいるだろう。「親子関係」「夫婦関係」なんかは聞かれても答えにくい。まあ大問題になっていなければ、「特に問題はない」に○して終わりだろう。子どもだって当然、いじめのような答えにくい、あるいは自分でもうまく伝えられない問題について、教室の中で書かされても書く人がどれだけいるんだろうかと思う。でも、こういう調査を定例でやっていると、困ったことに「生徒が書いてないから、きっと大きな問題は起こってないだろう」とつい思ってしまうようになりがちなのである。

 じゃあどうすればいいか?抜き打ち的に、いじめに限らず学校にある諸問題を書いてもらうことは大事だと思う。でもそれだけではダメで、基本は「面談」ではないかと思う。もちろん学校にカウンセラーが常駐して、生徒の相談に乗るということも大切である。しかし、そういう問題を自覚した生徒が相談に来るというのではなく、担任の先生と定期的に個別またはグループで面談する機会を作る。三者面談、家庭訪問ではなく、バカ話でもいいから生徒とフォーマルに話す場を確保するのが大事だと思う。そういう時間が取れないから紙を配って書かせるんではないか、というのがいまの学校の状況である。だから今の、授業確保優先をまずやめなければならない。定期テストがあった日に授業をするような学校がいまはあるという変な時代である。そういうのをやめて、また生徒だけで進められるような行事指導を進めていって、時間確保できる態勢を作らないといけない。

 大切なことは、「情報をつかむために面談をするのではない」という原則である。いじめ情報が出てくるかもしれないが、進路希望や部活の話なんかが多くなるだろう。好きな生徒の相談、親への不満、他の先生への不満なんかもかなりたくさん出てくると思う。そういうのが学校社会のベースで、解決しなくても話すだけで大分すっきりするはずである。先生はいつも忙しそうで、問題が起こった場合だけしか向き合ってくれないと生徒が思うようになってしまうと、気を引くためにわざと問題行動に出るということになりやすい。そういうこともかなり起こっているはずである。男子生徒なんかだと話と言っても、自分で見つけたゲーム攻略法とかAKB48論とか、そんなことしか関心がなくてどうでもいい問題をしゃべりまくるタイプもいる。いいじゃないか、たまにはそういう話に付き合ってあげれば。でも大人びた女子なんかだと、教師よりはるかに深い情報を持っていて、驚くべき生徒の変容を教えてくれることも多い。僕は、目の前にいる生徒の問題は、「直接話をする中で見つけていく」というのが大事なんではないかと思うのである。

 時々捕まえてしゃべるのも大事だが、学校行事の中に組み込まないとやりにくい。そういうことも考えなくてはいけない。また、生徒と話していても、その分書類作りの仕事が積み残されるなんだったら、自分の仕事を増やすだけである。授業を短縮にするとかも大事だし、ホントは学校選択制や自己申告書(人事評価制度)なんかをやめればいい。それと教師の方が生徒と話すのが好きなタイプでないとダメである。話しやすい雰囲気を作るとか、さりげなく答えにくい情報を聞き出すテクニックとか、カウンセリング研修のようなことを学校でも積み上げていくことが必要である。

 とにかく、行政の側が本当に生徒を心配し、いじめの情報をつかみたいんだったら、調査用紙に書かせるのではなく、授業を止めて(短縮にして)「生徒全員と面談を行う」ということをするべきだ。それをやれば、学校が本気だということが伝わるはずである。
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感動って、「貰えるもの」なの?

2012年08月21日 21時37分03秒 | 気になる言葉
 早くいじめや選挙制度の問題に行きたいんだけど、映画を見て書いてしまうことが多い。それ以外に前から「違和感を感じる言葉の使い方」について書きたいなと思ってきた。いくつか用意があるんだけど、それらは置いといて、五輪関係で違和感があった言葉について忘れないうちに書いてみたい。

①「感動」は「貰えるもの」なんだろうか?
 オリンピックフィーバーも50万人銀座大パレードで一段落なんだろうか?松本薫の「工事現場のおじちゃん」発言は笑えた。確かにみんな工事しないでパレード見てる映像が流されていた。ところで、この間「大きな感動を日本中がもらえました」とか「たくさんの元気をありがとう」とか、そんな言葉が日本中にあふれていた。それを聞いて思った。「感動」とか「元気」って、あげたり貰ったりできるもんなんかなあ

 「感動」って言う「実体のある物質」があって、放り投げたり受け止めたりできるような感じである。もちろん、選手の頑張り、素晴らしい技術、一生懸命さ、チームワーク、今までの努力なんかを、見ている側が大きな感動を持って受け止めるということはある。でも、それは見ている我々が「感動する」ものであって、なんかもう出来上がっている「感動というもの」を選手から貰うという表現には僕は違和感を感じてしまう。「感動をもらいました」なんて言わずに、「とても感動しました」と言えばいいではないか。なんなら「チョー感動した」でもいい。「チョー感動」には、自分が能動的に感情を動かしている様子が現れている。思えば数年前までは、みんな自分で感動していたのである。いつのまにか、自分の心で感動できずに「出来上がった感動」を貰うようになってしまったのではないか

 これは「いじめ」でも、「原発」でも、すべてに通じていく問題ではないか。メダリストに「感動をありがとう」と言ってるうちはまだいいけど、やがて自分が主権者であることを忘れて「感動をくれる政治家に一票を」ということになって行かなければいいんだけど

②「はい、そうですね」問題
 選手も大変である。全力で闘って勝ったり負けたりした直後に、すぐにも「報道インタビュー」に答えなければいけない。いや、大変だ。でも多くの人が応援してたんだし、税金も投入されてるんだから、五輪選手もある意味「公人」なんだし、仕方ないだろう。その競技では日本最高レベル、世界でも何十人に一人というレベルの人間なんだから、少しは気の利いたことが言えてもいいだろう。

 ということで、メダルとか予選突破とか、まず「おめでとうございます」と言われるインタビューが始まる。すると、もうほとんど全員の選手が、まず「はい、そうですね」と応じるのである。みんながそう言うんだから、これは多分、「まずそのように受けて、その間に答えることを頭の中でまとめる」というトレーニングを受けてるに違いない。それはそれで、他の人でも応用可能な言葉ではないかとは思うけど、みんな同じ言葉では何だかなあ。

 もっと自然な第一声、「ありがとう」でもいいし、「とってもうれしい」でもいいし、「ホントは悔しい気持ちでいっぱいです」でもいいじゃないかと思う。どうもなんだか、失言のようなことを思わず言ってしまわないような配慮、ちょっと一拍おいて、少し考えて語る配慮なのかなと思う。そのため「応援して頂いた皆さんのおかげです」とか優等生的発言が多くなる。でも、インタビューが終わると、家族のところに飛んで行って一緒に喜び合うというシーンが多かった。だから、本当のところを言うと、日本、特に被災地の人に喜んでほしいという気持ちももちろんあるとは思うけれども、それはタテマエで、まずは家族に「メダル、取れたよ」と言いたいんだろうと思う。まだ20代前半くらいの選手が多い。今まで選手を続けてこれたのは、親の影響や理解や経済力であり、また親が指導していた選手も多い。「お父さん、お母さん、メダル取ったよ。今まで、ありがとう」が第一声でいいんじゃないか。

③「走り」と「泳ぎ」問題
 いつの頃からか、「明日はベストの走りをしたいと思います」というような表現が普通になってきた。「最高の泳ぎができました」とも言う。一応今のところ「走り」と「泳ぎ」に限られていると思う。それは「3語」の語感によるものだろう。

 「室伏さん、明日は最高の投げを期待しています」とは言わないだろう。「跳び」も使わない。そもそも「構成力」を必要とする体操やシンクロナイズトスイミングでは、身体の動きは様々だから「演技」という言葉になる。サッカーでは外国由来の競技だから、「見事なゴールでした」「素晴らしいミドルシュートでした」と外来語を使う。「見事な蹴り(頭突き)でしたね」という表現はしない。トラック競技や競泳は、身体の動きがシンプルで「走る」「泳ぐ」という3文字の動詞が存在する。だからそれを名詞化して使いやすい。

 この問題はスポーツ以外にも使われていて、学校の教員だったら「授業」と言えばすむところ、カルチャーセンターでヨガや生け花や絵手紙なんかの講座を持ってたりする人は、「教え」と言ったりすることが最近はあるようだ。「徳川家康の教え」(人生はガマンだ)などと「教え」という名詞を使うことはあったけど、今までは「今日はこれから教えがある日なので」なんて用法は聞いたことがなかった。

 これは何なのかということはまだ僕はよくわからない。漢字熟語に「する」をつけて動詞化することが日本では多い。「読書する」「旅行する」などなど。これは本来は「読書をする」「旅行をする」なんだろう。一方、動詞を名詞化した場合、すぐに「する」を付けることは今はまだできない。「走りする」「泳ぎする」とはいかになんでも言えない。だから「を」を入れないといけない。「走りをする」「泳ぎをする」と言わなけらばならない。これが僕には違和感があって、「走りをする」というくらいなら、「走る」と言えばいいと思うしシンプルで省エネではないか。

 多分これは「全力で走る」だけではダメで、「ベストの走りをお見せしたい」「最高の泳ぎを期待してください」という気持ちが入っているんだろうと思う。つまり「ひたすら一人で頑張る」という段階から、「パフォーマーとして、他人に見せる目的でスポーツをする」という段階に変わってきた。陸上も水泳も、事実上プロ化して、「走り」や「泳ぎ」というものを売ってるという自覚があるのではないかと言う気がする。でも、僕は「全力で頑張ります」と言えばいいと思っていて、「ベストの走りをしたい」なんて表現はおかしいなあと思っているわけである。
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相米慎二監督「台風クラブ」

2012年08月20日 23時27分37秒 |  〃  (旧作日本映画)
 相米慎二(そうまい・しんじ)監督の「台風クラブ」「お引越し」を高田馬場の早稲田松竹で見た。相米監督(1948~2001)は80年代に登場した当時の若手監督の中で一番好きだった。遺作となった「風花」もその年の僕のベストで、亡くなって本当に残念だった。去年の東京国際映画祭で特集が組まれたが、一番好きな「ションベンライダー」しか見なかった。今年になって、淡島千景追悼特集で「夏の庭」、日活ロマンポルノ特集で「ラブホテル」を見直し、すべて素晴らしい作品だった。

 「お引越し」(1993)は両親の別居に伴う少女の心の揺れをていねいに追う素晴らしい映画。最後の琵琶湖彷徨が少し長いけど、ほとんどひっかかる点がない名作である。少女を扱うので、学校のシーンも多く、いじめもあれば仲の良い男の子も出てくる。実に自然な子どもの姿が描かれている。ただ小学校の担任教師(笑福亭鶴瓶)が火を使う理科の実験を子供だけでやらせていて、自分が準備室にいる場面は不自然だと思う。(というか、あってはならない。)少女を演じた田畑智子は当時大評判になり、僕もこの子が大人になってどういう演技をするか楽しみだった。そして確かに素晴らしい女優になった。

 「台風クラブ」(1985)は東京国際映画祭でヤングシネマ部門の第1回大賞を受賞した傑作。工藤夕貴、大西結花らが出ている中学生映画で、ほとんどが学校を舞台にしたシーンである。三浦友和が「素晴らしい名脇役」という路線を印象付けた名演。三浦演じる梅宮先生は数学教師で、三平方の定理を教えている場面が出てくる。素晴らしい「青春(前期)映画」というべきだろう。出てくる教師は梅宮だけ。主な生徒も梅宮クラスの8人ほど。しかし、思春期の混沌を見事に描いた作品である。とても気になる作品なんだけど、昔見たときからどうもよく判らない部分が多かった。今回見てもよくわからない。
 
 ある土曜日、台風が近づいてきて、部活も中止で全員下校となる。しかし、いろいろな理由で学校に取り残されてしまった生徒が6人いた。その6人、及び原宿に家出中の少女などの複雑な関係、いじめや性的な衝動、好きな感情などが出てくる。そして台風が襲来して、思わざる非日常空間が出来し、「祝祭空間」ともなっていく。そして「人生の悩み」を抱える生徒はある行動に出る。

 昔見た時には、「なんで彼女たちはいつもあんなに踊っているのか」と思ったが、これは今になれば予見していたということだ。今の女子生徒はいつも踊っている。それより「三浦という生徒は何を悩んでいるのか」という問いは今もある。彼は病気だというので、それが背景にあるのは明らかだろうが、現実にはあまりいないタイプではないかと思う。様々な生徒の中には奇異な行動も見られる。そういう心の揺らぎの中に思春期はあるのだが、精神疾患や発達障害の知識が増えてきた今からみると、病気や障害が潜んでいる生徒がいたように思う。

 ある日、授業中に梅宮が付き合っている女の母とおじが乗り込んでくる。そして娘をいつまで待たせるのか、娘にいくら貢がせたのかと大声で責め立てる。この「事件」で梅宮の権威は失墜し、土曜日には授業をさぼる女子生徒3人が出る。またミチコ(大西結花)は「事件」に対する答えを授業中に求めて引かない。仕方なく梅宮は「放課後にいくらでも説明してやる」と言ってしまい、そのためミチコは教室に残り続け、台風にあうことになる。台風中に梅宮に電話すると、梅宮はカラオケで(自分の部屋だけど)「北国の春」を熱唱している最中。酔った梅宮は生徒の言うことをよく理解できず、「お前らもな、あと15年すれば判るんだよ。」と言い放つ。今思うと、今では30になっても何が判るのかという感じだが。

 その時、梅宮は乗り込んできた女の母とおじの3人で飲んでいた。おじは浴衣を脱ぐと背中は入れ墨である。生徒一人ひとりもそうだが、映画では描かれていない背景がかなりある。学校は地方の農村部にあり、生徒は数学に関心がなく、ほとんど授業に集中していない。(80年代の中学にはよくあったと思うけど。)梅宮は「聞いてるのか、百姓」と言う。「百姓とは何ですか」と反撃する女子生徒に「三平方の定理とは何だ」と言い返すと生徒は一言もない。「黒板に書いてあるだろ」。教師も生徒も差別社会に生きていて、ウックツしている。その状況を一時の祝祭空間に変えてしまうのが「台風」なのだ。災害など非日常的な状況で、「学校に閉じ込められる」というのは、多くの人々の想像力を刺激するシチュエーションだろう。その意味で「学校という空間」に題材を取った問題作である。

 記憶の中では台風中ほとんど教室にいたように思っていたが、体育館や校庭(台風の目なのか一度雨があがる)、職員室などのシーンが案外多かった。地方では中学でも「部室」があるのが一般的なのか。普通、中学ではほとんどないと思うけど。そもそも台風が近づく中、学校に誰も居なくなるのも不自然である。今は機械警備だろうから、あれだけ動き回れば機械が知らせてセコムかなんかが駆けつけるだろう。冒頭のようなプールに忍び込む冒険も今は不可能。

 でも昔も警備員がいたはず。学校は金がかかった機械と危ない薬品と外部に出せない個人情報の宝庫なので、もちろん土日の夜も警備員が宿直していた。そういう意味で、学校を舞台にした映画はいつもどこか不自然である。台風直前なら早めに部活中止、完全下校だろう。授業終了後、生活指導部を中心に最上階から見まわって「追い出し」があるはず。トイレも必ず見回るので、トイレで考え事をしてたら締め出されたという設定も不自然である。ま、そういうことを言ってたら映画にならないが。

 学校は長野県佐久市の中学でロケしたとウィキペディアに出てる。木造の校舎で、実にいい味があって、「学校映画」としても魅力を増している。校庭で下着で踊りまくるシーンなどもあって、学校での完成上映は実施されなかったという。不思議な感性で作られた作品で、好き嫌いはあるかと思うけど、やはり相米作品は僕は好きだなあ。
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映画「かぞくのくに」

2012年08月19日 23時21分23秒 | 映画 (新作日本映画)
 ヤン・ヨンヒ(梁英姫)監督の劇映画第1作「かぞくのくに」。ベルリン映画祭フォーラム部門国際アートシアター連盟賞受賞。非常に複雑な思いをさせられる、切ない感情にあふれた傑作である。北朝鮮への「帰国事業」について知らないとよくわからない部分もあるかもしれないが、とても心揺さぶられる映画で、是非見て欲しい。「フィクションの力」についても、改めて考えさせられた。東京では「テアトル新宿」で上映中。
 

 1997年のこと、「あの国」から兄が25年ぶりに帰ってきた。脳腫瘍の治療のために。「監視役」の「ヤン同志」に連れられて。父は「同胞協会」(当然、朝鮮総連のことである)の幹部、兄の「帰国」後は、母が喫茶店を営みながら妹を育ててきた。妹は、父が信じ、兄が住む「あの国」をもう信じてはいない…。25年ぶりにあった兄は、口数の少ない感情を失ったような人間になっていた。久しぶりの同窓会にも、家族にさえも打ち解けられない部分がある。そして妹には「ある頼み」をしてくるのだった…。3か月とされていた帰国期間は突然短縮され、明日には帰らなければならないと告げられる。「こういうことはよくあるんだ」「決定には従わなくてはならないんだ」という兄。「考えてはいけないんだ。思考停止。楽だぞ、思考停止。」「でもな、お前は、お前には考えて欲しい。お前、たくさん考えろ。どう生きるか考えて、納得しながら生きろ」。

 これは「北朝鮮」帰国事業をめぐる非人道的な状況を描き出すとともに、「在日」家族の生活の日々をつづったホームドラマでもある。と同時に、今あげた上記のセリフに見られるように、「考えさせない仕組み」を持つ企業社会や「いじめ」問題などにも、直接は触れてないけど見る側の想像力が及んでいく。自分が自分らしく生きる社会について考えさせられる、優れた映画になっていると思った。

 ヤン・ヨンヒ監督は、1964年大阪生まれの在日コリアン2世。父は総連幹部で、実際に兄3人が「帰国」している。自分も朝鮮大学校を出て90年まで大阪朝鮮高級学校で教師をしていた。辞職後に劇団女優、ラジオパーソナリティを経て、映像作家としてドキュメンタリー作品を作るようになり、97年に渡米した。03年帰国後、05年に長編記録映画「ディア・ピョンヤン」を発表、09年に「愛しきソナ」を発表。どちらも自分の家族を題材にした「私ドキュメンタリー」で、重い題材を身近な家族の中にとらえる視点が評判となり、ベルリンを初め世界の映画祭で上映。これらの映画を見て、劇映画の素材を持っていると考え製作を持ちかけた人がいる。「慧眼」というべきだろう。ドキュメントではなくフィクションでしか語れない、ものすごく重い体験がいっぱいヤン・ヨンヒ監督の中にはあったのだから。

 「帰国事業」については、今ではかなり細かく判ってきている。今までよく「川崎の貧しい朝鮮人が金日成主席に直接手紙で訴えた」ことがきっかけと言われた時があるが、それ以前から日本国内でも構想があった。50年代には、在日朝鮮人が在日のまま日本で生きて行くことは大変なことで、経済的にも社会的にも、子どもが大学に進学したり大企業に就職することは事実上考えられなかった。朝鮮戦争休戦からまもない時代で、韓国は李承晩大統領の独裁時代で経済的にも貧しかった。北朝鮮の方が中ソの支援もあり「計画経済」で順調に復興していると言われていた時代なのである。社会主義への期待が強かった時代で、日本で貧しい暮らししかできないなら、「祖国の社会主義建設に参加しよう」という訴えが心に響いた。一方、日本の治安当局は朝鮮人社会主義者への警戒を怠らず、また貧しい朝鮮人を「厄介払い」できる機会として、「帰国事業」に内心では反対でなかった。「在日」はほとんどが南部にルーツを持つが、こうして家族も親戚もいない北部にたくさんの若い世代が渡っていった。

 その当時は行きたいところへ行く、住みたいところに住むという権利を実現させた、世紀の人道事業と思われていた。今その様子をうかがえるのは、傑作映画「キューポラのある街」で、家族や友人と離れ離れになる悲しいことも起こるが、基本的には人道的な出来事として描かれている。ところが実際に行ってみると、思っていた以上に貧しく、大学へ行かせてくれるというのも宣伝で、労働力として使われるのはまだしも、資本主義社会を経験している「腐敗分子」として警戒された。また帰国者は一部の才能や資産に恵まれた人を除き、「出身成分の悪い被差別階級」として扱われた。「地上の楽園」と日本では宣伝していたが、実は貧困と差別の渦巻く「封建社会」だったのである。

 そのような実情は秘密にされなかなか明るみに出なかったが、80年ごろからはかなり情報が多くなり、内部でも問題になってきたようである。しかし、朝鮮総連ではタブー視され、家族を「人質」にされて発言できない人が多かった。経済環境が大変で家族は仕送りに追われた様子は、崔洋一監督の傑作「月はどっちに出ている」に見ることができる。「脱北」して帰国したような人もいないわけではないのだが、健康を害して早死にしたり、収容所に政治犯としてとらわれたりしたものも多いという。日本から「祖国訪問事業」で家族を訪ね少しだけ会うことはできたが、朝鮮人の夫について行った日本人妻を含め、ほとんどが日本を再訪することができないままになっている。これは戦後の日本に起こった悲劇的な人権問題なのだが、あまり取り上げられることがない。

 この映画で描かれていることは基本的には、全部事実がもとになっている。ただし実際は兄が3人いるわけだが、映画では兄1人とされている。また韓国の映画監督ヤン・イクチュン(傑作「息もできない」)が演じている「監視役」は実際はいなかったという。本当は日本の公安警察が見張っていたのだというが、気持ちの上では常に「北」に監視されている気分が続き、その気分の形象化が監視役ユン同志なのである。この役が非常にうまく効いている。安藤サクラが演じる妹リエはある夜、ユン同志につめより「あなたも、あなたに国も大嫌い!」と言い放つ。しかしユンは「あなたの嫌いなあの国で、お兄さんも私も生きているんです」と告げる。

 実際の人生では、このような言葉は言えなかったという。フィクションの世界の中で、何十年も経って本当に言いたかったことを登場人物に言わせたのである。実際に突然帰国命令があったらしいが、その時にはヤン監督は何も言えずに兄をただ見送るしかできなかったという。今回も兄をただ見送るシーンも撮ったというけれど、どうしても違うヴァージョンを撮りたくなり、安藤はアドリブで演技をした。そのシーンが映画のラストに使われているが、妹は出発しようとする兄の手をずっと離さず、車は一度停まってしまう。ただそれだけのことしかできないわけだが、それでも本当はしてみたかった小さな抵抗をフィクションの中で実行することで、ものすごく「救い」となったのではないか。これが人がフィクションを必要とする理由なのだと思った。

 同窓会として数人が集まった時(当然、朝鮮学校の同窓生なんだろうけど)、「白いブランコ」を歌うシーンがある。ビリー・バンバンのうたった1969年の曲である。60年代末から70年代初頭の「フォークソング」ブームの世代であるということを示している。「君は覚えているかしら あの白いブランコ…」。思い出が切なくよみがえる歌。このシーンを撮った時、俳優も皆泣いてしまったという。その気分直しで「あの素晴らしい愛をもう一度」も歌ったということだが、それはカットされている。忘れがたい心に沁みるシーンである。

 兄は井浦新で、この前「11・25 自決の日」で三島由紀夫を演じていたが、今回は全く違う役柄を実に似合いで演じている。全くその通りの感じ。ヤン監督は初の劇映画だが、素晴らしい緊張感で画面にあふれている。遠くに引いて見つめるのではなく、登場人物に寄り添いすぎるのでもなく、微妙に揺れるカメラが観客の心に共感を呼び起こす。ある夜、兄が妹に「頼みごと」をする場面は忘れられない名場面である。
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タルコフスキーの映画を見る

2012年08月18日 01時03分01秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ソ連というよりロシアと言うべき、映画監督アンドレイ・タルコフスキー生誕80周年記念上映があって、全部見直してみた。タルコフスキーは、1932年4月4日生まれで、1986年12月29日に亡くなった。突然の訃報から、もう四半世紀以上経っているのか。奇しくも、1932年2月6日生まれで全く同年代のフランソワ・トリュフォーも、1986年10月21日に亡くなっている。トリュフォーもタルコフスキーも亡くなってしまって、これからも映画という芸術はありうるのだろうかと僕は大変に悲しかった。でもペドロ・アルモドバルやアキ・カウリスマキなど新しい才能が現れてくるのだが。東京の上映会はもう終わったんだけど、タルコフスキー体験を自分で考えるために書いておきたい。

 タルコフスキーの映画は誰にでも勧められるというものではない。思索的で、暗くて、長い。それでも「奇跡」と「救済」を求める深い映像体験が、タルコフスキーを必要とするファンを見つけていく。疲れているときに見ればよく寝てしまうが、かつて蓮見重彦もタルコフスキーを見るとは途中で寝てしまうという体験を含むみたいなことを確か書いていた。水のイメージを中心にして様々な象徴的な映像が長々と続く。独自のリズムがつい眠気をさそうこともあるわけだが、今回は比較的寝ないで見た。それでも続けて昼夜見たときの、夜の上映冒頭はなかなか辛いところもあった。

 タルコフスキーは、短編1と長編7つしか作品を残していない。しかし、一つ一つの作品が長いことが多い。どれも魅力的で、独自の作家として忘れがたい。僕は映画大学の卒業制作の「ローラーとバイオリン」は今まで見ていなかった。また第1作「僕の村は戦場だった」は、63年日本公開だから当然その時は見ていない。残りの6長編はいずれも日本公開当時に見て、深い影響を受けたが、以下に見るように日本での評価は必ずしも高かったとは言えない。

作品リスト
①1960(日本公開65) ローラーとバイオリン(46分)年ニューヨーク国際学生映画コンクール1位  
②1962(日本公開63) 僕の村は戦場だった(94分) キネ旬11位 ヴェネツィア金獅子賞
③1967(日本公開74) アンドレイ・ルブリョフ(182分) キネ旬27位 カンヌ批評家連盟賞
④1972(日本公開77) 惑星ソラリス(165分) キネ旬5位 カンヌ審査員特別賞
⑤1975(日本公開80) (110分)      キネ旬17位
⑥1979(日本公開81) ストーカー(163分)  キネ旬20位
⑦1983(日本公開84) ノスタルジア(126分) キネ旬8位 カンヌ創造大賞等
⑧1986(日本公開87) サクリファイス(149分)キネ旬12位 カンヌ審査員特別大賞、批評家連盟賞等

 国際的な映画祭では受賞しているが、日本のベストテンでは2回しかランクインしていない。当時は難解な映像派と思われていたし、ソ連映画、SF映画というだけで敬遠する人(その反対もいたが)もいたんだろうと思う。それに「ソラリス」「鏡」は岩波ホールで公開されたが、「アンドレイ・ルブリョフ」なんて非常に小さな限定的な公開だった。僕はソ連でなかなか公開が認められなかった反体制的作品として、前からこの作品を見たいと思っていて、何はさておき劇場に駆け付けたものだったけど。ソ連を離れてイタリアで作った「ノスタルジア」、スウェーデンで作った「サクリファイス」は、ミニシアターが東京に増えた時代でカンヌ受賞作の名作公開という感じだったと思うけど、ソ連時代の作品は公開自体もなかなか大変だった。③から⑧までをすべて同時代に見たわけだが、これは19歳から32歳の時のことで、僕の20代にほぼ当てはまる。タルコフスキーの特集上映は今までも時々あったけれど、僕が一番好きな「ノスタルジア」を除いて一本も見ていない。長いからなかなか再見する気にならなかった。

 この前紹介した世界映画ベストテンにタルコフスキー作品は3本入っていた。「」が一番評価が高いし、これを最高傑作とする評価も今では多いようだが、僕にはやはりあまり判らなかった。私的にすぎて難解を究め、魅力的な映像に満ちてはいるけど、どうも理解が他の作品以上に難しい。なんだか判らないのが実人生ではあろうが、もう少し作品的なまとまりが欲しい気がしてならない。では何が一番好きかというと、当時見ていた時はソ連を離れて望郷の念を描いた「ノスタルジア」が完成度が高いと思っていたけど、今回見ると「惑星ソラリス」「ストーカー」の魅力が増しているように思い、また「アンドレイ・ルブリョフ」の魅力が大きいと思った。「サクリファイス」は当時見たときは、長い失敗作と思ったんだけど、今回見ると風景の美しさもあり黙示録的な魅力が増していた。じゃ、何が一番いいかということは決められない。富士山型の一点傑作ではなく、八ヶ岳型のたくさん突出している作家ということなんだろう。もっと言えば、生きていればもっともっと作っただろう作品が真の最高傑作であり、そこへの途上で倒れた作家ということだ。

 「ルブリョフ」「ストーカー」「サクリファイス」などが一番そうなんだけど、破壊があり再生があり、今を生きる中で何を頼りに生きて行くべきかということが徹底して追求されている。これは大震災、原発事故を想起せずして見ることができない現在、バイアスがかかってしまうのを避けられない。「ストーカー」は今では題名が「つきまとい」を意味してしまうが、当時はまだそういう使い方は発明されていず、「ゾーン」と呼ばれる立ち入り禁止地区への案内人が「ストーカー」と呼ばれている。この地域は隕石が落ちたのではないかとも言われているが、もちろん時代が違うんだけど、チェルノブイリ原発事故近くなのではないかと思わずにいられないような設定である。事故は86年だから79年の作品に描かれるはずがないのだが。この映画は記憶ではほとんど怪しげな屋内をうろついている感じだったけど、前半部分はほとんどハイキングのような屋外シーンだったのが意外。中心部の「部屋」とは何か、禁忌と奇跡をめぐり、人間の醜さがあぶりだされていく。今回もよく判ったとは言えないし、というか通常の理解を拒絶していると思うけど、魅力的な映画である。

 「奇跡」が起こりうるか、「世界」を救いうるかという問いそのものを描いたと思うのが「ノスタルジア」でイタリアの温泉地の魅力的な映像とともに、やはり僕は大変好きな映画である。ソ連時代は製作以前の検閲などにエネルギーを取られ、「ソ連体制の抑圧」が画面に反映していたように思った。しかし、ソ連を離れてもタルコフスキーはやはり、暗い映像で世界は救えるかという映画を作った。世界を全部背負って生きる芸術家だったのであり、単なる「ソ連反体制派」ではなかったのである。20世紀後半を生きた本当の映像詩人だった。

 「アンドレイ・ルブリョフ」も難解な映画で、そもそも15世紀の聖像画家であるルブリョフ自体をよく知らないし、中世ロシアの状況もよく判らない。筋がよく把握できないけど、10のエピソードの映像的魅力が素晴らしい。宗教を真正面から扱い、ソ連で批判されて公開できなかった。67年製作で、2年後にカンヌ映画祭に出品を許可され受賞。国内公開は72年になり、日本では74年に小規模で公開された。恐らく前作「僕の村は戦場だった」が世界に受けて、その実績で大規模なロケをできたんだろうと思う。またタタール人の襲撃を「大祖国戦争」に見立て、民衆の抵抗を描くと言った感じで映画化を認めさせたのかと思うが、この作品の力は単なる歴史映画でも、宗教映画でもなく、ソ連内の反体制という枠も超えている。はっきりと「作家の映画」になっていて、戦争の世紀に作家が表現し沈黙し再生するということをテーマに描き切っている。これも暗い映像で、難解な映画だが、大変大きな魅力にあふれている。

 「惑星ソラリス」は、ポーランドのSF作家レムの有名な原作の映画化だが、映画化においては原作者と対立があったという。人間の無意識を実体化してしまう「惑星ソラリス」の「海」に立ち向かう探検隊員。この基本アイディアは割とポピュラーになってしまったけど、見直すと画面の緊張感がすごい。どんなSF映画よりもすごいかも。ある意味で「奇跡」が起こってしまったという状況下で人間は生きられるかというテーマではないかと思った。

 「僕の村は戦場だった」は、いかにも若手ソ連映画人の映画という感じで、映像感覚の素晴らしさは見て取れるけど、新人のあてがい企画(ベストセラーの映画化)で、世界に「大祖国戦争の悲劇」を伝える「ソ連製反戦映画」として成功した。ソ連の映画人は自分の映像や思想を少しでも語りたかったら、戦争中の悲劇に人間性を描くか、チェーホフやツルゲーネフなど古典文学の主人公に感情移入して作るかしかなかった。どちらも世界にソ連文化紹介として売りやすく外貨獲得にもなったんだろう。ここで終わって、「アンドレイ・ルブリョフ」を作らなかったら、学生時代からの盟友コンチャロフスキーが米国に亡命したら普通の商業映画監督になってしまったような歩みをしたかもしれない。

 タルコフスキーはソ連の体制を闘う中で、父である詩人の影響が大きくなり、だんだん幻視者として、体制を超えて人類の救済を追及する映像詩人になっていった。映像はいつも暗く、判りにくいので、誰もが見るべきとも思わないけど、今回も小さな会場だがほぼ満員で、子どもに教えられ母が来ていたり、今までDVDで見ていて初めて劇場に来るような人が結構いたようだ。(会場で待ってる時の他の人の会話。)きっとタルコフスキーを必要とする人がこれからも一定程度ずっといるんだろうなと思った。

 そして遺作の「サクリファイス」。僕は改めてなかなか魅力的な映像だと思ったし、日本への言及がかなりあったのにビックリした。この映画に「救い」はあるのか。核戦争と思われる世界の破滅を生き抜くことが主題と想えるように作ってあるとは思うが。まだまだ読み解くことの難しい、何か世界の秘密が隠されているような気もした。はっきり言って僕にはよく判らないところの多い作品である。病気でもあったわけで、ちょっと失敗作であるということなのかもしれないが。タルコフスキー、謎が多いなあ
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ロンドン五輪総まとめ

2012年08月16日 02時09分00秒 | 社会(世の中の出来事)
 ロンドン五輪も前の話題と言う感じだけど、データをじっくり見ることが好きなので、各種目の結果を見てみた。そして思ったことのまとめ。まずクイズ。(答えは最後の方で。)

Q1.日本は金メダル7個で、世界10位だった。では、金メダル獲得数が日本を上回り8個以上獲得した9か国をすべて答えなさい。(ちなみにオーストラリア、カザフスタンも7個で同数。)これは国別ランキングを見てない人には、超難問。もちろん誰でも8国中の5つ位は判るだろうけど。

Q2日本が今までにメダルを取ったことがない競技種目を答えなさい。(11種あると思う。)

 オリンピックというか生中継のスポーツは割と好きだけど、今回はいつもより見た気がする。朝早起きする必要がない「自由人」の上、時差の関係で見やすかった。北京やシドニーなどは時差がないから見やすいかというと、昼間行われる大部分の競技は仕事などで生では見られなかった。日本は東経135度が標準時だから(経度ゼロのロンドンとは)、時差が9時間あるはずである。(細かい説明はしないけど、経度が15度ずれると1時間違う。国ごとに統一するので計算通りではないけど。)でも時差は8時間と言ってたから、きっとサマータイムなんだろう。現地の正午が日本で午後8時。夜7時が日本で午前3時。だから夜間に行われた決勝などを別にすれば、まあ時間的にはいい感じだった。ブラジルは日本の正反対でちょうど12時間違うので、リオ五輪は見にくいな。(日本が午前0時の時、リオは前の日の正午。)

 今回一番すごかったのは、やはりウサイン・ボルトだと思う。ジャマイカの予選では2位だったけれど、やはり五輪では圧倒的だった。100m、200mであんなに差が付くものなのか。何よりすごいのは400mリレータイムは36秒84である。初の36秒台。ボルトの100mは五輪新の9秒63。全員このタイムで走れば、38秒52になるはずである。それが1秒以上早い。タイムを4人で割れば一人9秒21である。まあ、2走以後は助走しながらバトンを受けるので、スタートが違うんだろうし、ボルトも一番一生懸命走っている気がした。200m男子はジャマイカが金銀銅だったけど、では女子はどうなのか。あまり報道されなかったけど、100m金、200m銀を取ったのがフレーザープライス、100m銅、200m4位がキャンベルブラウンというジャマイカの女子選手である。遠からず女子短距離界もジャマイカ選手が独占するのではないか。

 日本の男子400mリレーはメダルも期待できると言われていたが、結局5位だった。しかし、期待できるという中には、バトンで失格するチームが出やすいので頑張って欲しいと解説者が言っていた。北京はそれで銅メダルだと思ったけど、他国の失敗期待とはねえ、と思った。結局どこも失敗せず5位だけど、日本は100も200も準決勝にようやく残った選手がいるだけなのに、よくチームで健闘して5位になったということだと思う。失格と言えば、競歩というものを生で全部見てしまった。女子20キロ。これは実に不思議な競技だなあ。不思議な歩き方はもちろん知ってたけど、失格があんなに多いとは知らなかった。審判員が何人も見ていて、選手にイエロー、レッドの通知を出す。日本の男子選手も一人失格してるけど、とにかく歩形違反でたくさん失格する競技なのである。一人二人ではない。もう何人もいっぱい失格していくのである。そのカードの出し方も複雑なルールがあるようだ。競技中にリスが道に出てきて飛び跳ねていた。アナウンサーは「このリスは足を付けずに跳ねてるので、歩形違反で失格ですね」なんてジョークを飛ばしてた。競技はロシアのベテランが世界記録レベルでどんどん行って、優勝かと思う直前にロシアの若手が追い抜いて逆転で世界新を出した。どんどんベテラン選手が飛ばしてる時に、放送では「先頭をひた歩いています」と言っていた。「ひた走る」という言葉は、「ジャイアンツが優勝に向けひた走っています」などと比喩で普通に使うけど、競歩ではその言葉が使えないわけだ。「ひた歩く」と言うしかない。

 
 今回日本はチーム競技が頑張っていたので、最後まで楽しめた。男女サッカーや女子バレーが予選敗退だったら後半の盛り上がりが大分そがれた。個人競技でも、団体戦やダブルス、リレーなどの成績が良い競技が多かった。卓球、フェンシング、アーチェリー、水泳の男女メドレーリレー、バドミントンなどなど。これは東日本大震災以来の「絆」の勝利だと言われると「ホントかな」という気もするけど、僕ではなく高橋尚子がそう書いていた。各競技とも有力選手は大体、被災地を訪れ慰問や子どものスポーツ教室などに参加してきたという。そういう経験はやはり団体競技のモチベーションを高めるんだというから、まあそうかもしれない。それより「ジャパンハウス」の設置なんかの方が大きかったのかもしれないが。でも今回もやはり各選手には「家族」の方が大きかったと思う。選手は大体20代が多く、若いと10代。30代もいるけど、そうなると配偶者や子ども。若いうちは親の力が大きい。世界的選手になるには家族の支えがないとダメなのは当たり前だろうけど、それにしても報道は「家族の物語」がいつも多い。でも競技の場に立つときは、最後は一人である。「個の力」をアップするということが、スポーツに限らず日本人の課題なのではないかとも思った。

 見ていて僕が一番緊張したのは、実はアーチェリー個人古川選手の準決勝である。オランダの選手と決勝進出をかけ、70m離れて射る。1射ごとに的の中心との距離で得点が決まり、その回のポイントとなる。リードされていたけど、最後に追いついて同点になった。そこでお互いに1射して決着をつけることになった。1回しか射ることができない。屋外で少し風もある。その1射の勝負に勝って古川選手は決勝進出になった。この1射は見ていて、ヒリヒリするような緊張感があった。その生中継が突然NHKに入ってきたのである。(そのくせ決勝はなんか他競技があって生中継はなかった。)ついでに書くと、今生中継見てたところだというのに、そういう時にNHKは「ニュース速報」を出して、「アーチェリー古川選手、メダル確定、決勝進出へ」なんて出る。知ってるよ、今見てたんだから。

 さて、僕は日本のメダル数のそんなに関心はないけど、この前5個くらいかなと書いた。女子レスリングで3個と見たのである。男子レスリングとボクシングが最後の最後に金メダル。特にボクシングは快挙ではないか。柔道は女子金1個で、男子惨敗というけど、確かに世界選手権はもう少し取れるときが多いようだけど、メダル数はこんなものではないか。去年の世界選手権はメダル数が男子5、女子10。今回は男子4、女子3である。女子の世界選手権メダル数が多いのは、1国で2人出ていいためで、金銀とも日本が取った階級が2つある。優れた選手が多いため国内選考に関心が集まり、五輪代表になれた時点で目標のかなりを実現してしまったのではないか。今回はむしろ女子柔道が期待外れだったことになる。でも、韓国生まれのテコンドーは、さぞ韓国が独占してるだろうと思うと、男女4階級で全32個のメダル数のうち、女子が金1、男子が銀1の2個しか取っていない。韓国では「韓国のお家芸がこれでいいのか」という声はあるのだろうか。柔道もテコンドーも世界競技になったということを証明しているだけなんだと思う。

 冒頭のクイズの答え。8個以上取った国は、米中、地元のイギリス、ロシアと来る。韓国が大活躍で5位。あと4つはどこか。ヨーロッパの大国を挙げておこうかと、ドイツ、フランス、イタリアと答えれば当たり。でもそれでは8つにしかならない。もう一つはどこか。これは見て知ってる人以外は当てるのは難しいだろう。ハンガリーである。カヌーで3つ取ってる他、ハンマー投げや体操のあん馬はハンガリー選手が金だった。小さい国、特にアジア諸国も少しずつメダルを取りつつある。ペルシア湾岸のカタールが銅を2つ、バーレーン、クウェート、サウジアラビアが銅1個を取っている。何かと思えば、女子1500mでバーレーンのジャマル選手が取っている。(エチオピアの少数民族出身で、母国では選手に選ばれず、米国とノルウェーへの亡命が認められず、バーレーンに国籍を移した。)カタールの一人は男子走り高跳び、もう一人は射撃。クウェートも射撃。サウジは馬術団体。王族がヨーロッパで馬術をしてるんかな。射撃はインドが2つメダルを取ってる。日本でも射撃選手は自衛隊や警察が多いわけで、どの国にも警察や軍隊はあるから射撃は新興国でも強化が可能なのではないか。イスラム圏のチュニジアのグリビ選手が女子3000m障害で銀メダルを取っている。これはムスリム女性の快挙ではないかと思うけど、ユニフォームが肌の露出しすぎと非難されてるらしい。

 さて、日本がメダルを取ったことがない競技。まず思ったのがバスケットボール。ついで近代五種新体操トランポリントライアスロンビーチバレーといった新種の競技。ボートカヌーもメダルがない。(セーリングはある。)水関係では、飛び込み水球も。ハンドボールもそう。(ハンドボールが五輪種目ということ自体がなかなか思いつかないけど。)この11種目ではないかと思う。(間違ってるかもしれない。)

 すごくびっくりするんだけども、ホッケーは戦前の32年ロサンゼルス大会で銀メダルを取ってる。しかし、インドとアメリカと日本しか参加国がなかったという話。出ればメダルのところ、日本はアメリカに勝って銀メダル。インドは大英帝国の植民地だけど、インドとして参加が認められていた。この大会では馬術でもバロン西(西竹一)が取っている。テニスはもっと前の1920年アントワープ大会で、シングルスで熊谷一弥、ダブルスで熊谷&柏尾誠一郎が銀メダルを取った。日本初のメダリストはテニス。卓球、バドミントンが今回が初メダル。

 今回ボクシング女子が種目となって、男子がある種目は全部女子もあることになった。でも、全種目男女で実施と書いた記事も見たけど、それは間違い。シンクロナイズド・スイミングと新体操は女子だけではないか。(ビーチバレーは男女ある。)長くなってしまったけど、トリビアルな五輪談義も終わりにしましょう。
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チャーチルの「第二次世界大戦」を読む

2012年08月14日 01時52分20秒 |  〃 (歴史・地理)
 ロンドン五輪の期間中ほとんど第二次世界大戦当時のイギリスの首相ウィンストン・チャーチル「第二次世界大戦」(全4巻、河出文庫)を読み続けていた。いやあ、長かった。さすがに飽きて途中で他の本を2冊読んだけど、後はひたすら読み続け。昔の文庫が10年ほど前に復刊され買ってあった。もともと6巻本だったものを資料等を抜いて読みやすくまとめ直したが、字が小さいし、誤植も多い。ノーベル文学賞受賞作品である。昔はベルグソンやバートランド・ラッセルなど哲学者や歴史家も受賞していた。それでもサー・ウィンストン・チャーチルはノーベル文学賞史上一番意外な受賞者だろう)。教科書に載ってる大政治家が文学賞を受けていたとは。

 チャーチル(1874~1965)は、BBCが2002年に行った「偉大な英国人」選出投票で堂々の1位に選ばれた。(2位は鉄道会社を作ったブルネルという人で、続いてダイアナ妃、ダーウィン、シェイクスピア、ニュートン、エリザベス1世、ジョン・レノン…。)そういう大政治家が自ら書いた大回想録で、歴史的価値は測り知れないと言いたいところだが、今になると欠陥も多い。今では「すべての人が必ず読むべき本」とは言えない。第二次世界大戦やイギリス政治史を調べたい人向けだろう。チャーチルは若いときから何冊もベストセラーを書いてていて、自分で書いたのは間違いない。

 第二次世界大戦論としては、読んでいて新味はない。というかチャーチルの見方こそ通説であり、基本的な見方になっている。「連合国から見た世界大戦」である。それが国際連合につながり、現代世界を作っている。チャーチルは早くからヒトラーの危険性を訴え、ミュンヘン会談の「偽りの和平」を批判した。同時にソ連のスターリン体制を警戒し、東欧の「ロシアによる植民地化」を批判した。戦後の有名な「鉄のカーテン」という「冷戦」を象徴する言葉はチャーチルが作った。そのような歴史の見方は、今や当たり前すぎて、チャーチルは歴史そのものになったわけである。

 チャーチルはイギリス帝国主義者そのものであり、インド植民地確保、スエズ運河死守をやりきる。国内的には初めて失業保険を導入した人だが、対外的には大英帝国の利権を当然視した。だからソ連と組んでイラン(ペルシア)を南北に軍事占領したことを正当化している。こういう今から読むとひっかかる記述がかなり出てくる。イギリスはドイツのエニグマ暗号を解読していたわけだが、そういうことも触れていない。当時はまだ機密指定が解除されていなかった。

 でも、この本は以下のような点が「不朽の価値」となっている。まず、大戦指導者が直接語る肉声。ルーズベルトは現職で死ぬし、スターリンが回想録を書くことはない。もちろんヒトラーやムッソリーニの回想録があるわけない。死んで伝説となった米大統領ルーズベルトの偉大さは随所で強調されている。これは政治的配慮もあるだろう。一方、スターリンとの緊張感ある気遣いの関係もよく描かれている。「無視できない、うっとうしい大物」との付き合い方の勉強になる。

 チャーチルは実によく出かけている。大西洋会談、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談、ポツダム会談など有名な歴史的会談も出てくるが、それ以外にも何度も何度もアメリカに行き、モスクワにも2度行き、アフリカにも行き、あっちこっちに行っている。前線にも出ている。もう60代後半だというのになんという元気。そして好奇心の旺盛さ。やはり超一級の人物なのである。とにかく、アメリカとの関係がすべてとばかり、何度も直接ワシントンを訪問する。ルーズベルトが小児マヒの障がいで車いす生活だったこともあるだろうが、実に驚くべき肉体、精神の力である。

 チャーチルの頭の中にあるのは、ほとんどが人事である。外国首脳との関係もそうだが、重大作戦を開始するにあたり誰に指揮を任せるか。閣僚や大使の人事、他党との関係、保守党内の人間関係、これを長年の政治、軍事の経験と、人間観でまとめていく。実に見事で、「政治は人事」だと感じ入った。そこに関心がある人には、ものすごく役立つ本ではないかと思う。

 チャーチルはよく知られているように、有名な「日曜画家」だった。第一次世界大戦中に閣僚を務めたが、1930年代は(労働党が政権を取ったこともあり)、ほぼ10年間の在野の時期があった。そういう時も、絵筆と葉巻を離さず、フランス、ドイツ、イタリアなどに絵を描きに行っている。外国視察でもあるけれど、実際に有名な画家で才能もあった。自身の一族(貴族)の評伝を書いたり、趣味と実益を兼ねた「風流」な生き方をした人物で、これは大事だなあと思った。

 一番印象的だったのは、イギリスの民主主義システムへの信頼。保守派で国益優先主義者だけど、人間として一番大事な部分がしっかりしていた。閣僚じゃない時期にミュンヘンに滞在した時、首相になる前のヒトラーもミュンヘンにいた。ある人が「ヒトラーに会ってみませんか」と誘ったら、会ってもいいけど「ナチスというのはどうして反ユダヤ主義なんですか」と問い返した。犯罪を犯したユダヤ人を非難するのはいいが、誰も生まれは自分で決められないんだから、ユダヤ人に生まれたというだけで追放するのはおかしい。そう言ったら、ヒトラーと会う話はなくなった。間に入った人物が、ヒトラーの前で反ユダヤ主義批判をされては困ると思い、「チャーチルは都合が悪い」ということにしたんだろう。こうしてチャーチルがヒトラーと会う機会はなかった。人種差別、民族差別に対する一番素朴な批判で、チャーチルが「まともな感覚」を持っていたことが判る。

 議会対応に苦しみ続けたが、議会というシステムは信頼していた。後にチャーチルを継いで首相となるイーデン外相と情報を共有し、分担して外国を訪問した。また労働党のアトリーを反対党の代表(戦争中は国家非常時の大連立内閣なので、閣僚の同僚でもある)として重視していた。スターリンはもとより、アメリカのルーズベルトも側近を重用して副大統領のトルーマンには相談しなかった。チャーチルは議院内閣制を独裁政治にならない制度と評価し、だからイギリスは戦争に耐えられたと自信を持って肯定している。しかし、ポツダム会談中に選挙の開票があり、労働党が勝利しチャーチルは去る。本人も残念だったし、米ソもビックリした。それが議会政治である。

 大量生産による工業社会、選挙による議会制民主義はイギリスの発明だった。だからイギリス史を考える意味は非常に大きい。1940年6月のフランス降伏後、1941年6月の独ソ戦開始までの約1年間、イギリスはヨーロッパをほぼ押さえたヒトラーとただ一国戦い続けた。この時の空襲とそれに対する空軍の戦いを「バトル・オブ・ブリテン」と呼ぶが、その世界史的意義は日本ではあまり理解されていない。この時イギリスが講和に追い込まれていたら、世界史は悪い意味で全く違っていた。日本はドイツの電撃戦を見て「バスに乗り遅れるな」と言う人がたくさんいた。いずれイギリスも降伏するだろうと思っていた。英米という英語国民を理解する重大性をよく理解できる。

 また、東欧民主化の問題、ギリシャの問題、パレスチナ問題、インドとパキスタンの問題など、現代史の焦点がみなチャーチルと関わりがある。ギリシャはスターリンに対してチャーチルが(ルーマニアを犠牲にして)死守したと言っていい。徹底して革命を阻止し、ギリシャ(内の保守派)に肩入れした。それがEU加盟、ユーロ導入にもつながる。アンゲロプロスの映画「旅芸人の記録」に、戦勝後のデモに英軍が発砲する場面があるが、チャーチルの指示によるものだった。

 歴史に「もし」はないが、スペインのフランコが独伊の支援で内戦に勝ったのに大戦では中立を守ったように、ムッソリーニのイタリアが日独伊三国同盟を抜けて中立を守ったらどうなったかという問題があると思った。なお、最後に原子爆弾が出てくる。原爆が米英の多くの兵士を救ったという史観である。それを含めて日本の記述も多いが、やはりヨーロッパの戦いがイギリスには重大だったことが理解できる。いわば米英中心世界の通説を作った本とも言える。歴史的限界もある本だけど、チャーチルを通していろいろ考えさせられた。(2017.11.21改稿)
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更新制、文科省交渉の報告

2012年08月10日 22時21分33秒 |  〃 (教員免許更新制)
 第3回「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会で行われた文部科学省交渉に行って来ました。様々な課題に関して交渉しましたが、僕は特に「教員免許更新制」に関する事項を取り上げると言うので参加した次第です。

 事前に質問項目を提出していました。大項目を書いておくと、以下のようになります。
1.日の丸・君が代問題
2.大阪府・市条例関係
3.国際人権関係
4.教科書関係
5.教員免許更新制関係

 文部省関係者は若手官僚ばかりで、デジカメを持って行ったんだけど写真を撮るまでもないかなと思いました。最初、1や2は主に地方で起こっている問題を取り上げたこともあり、文科省と教育委員会の法的な権限問題のような答弁が多く、かみ合わないというか、論点がずれているというか、問題意識の差というべきか、答えになってないような感じでした。まあ、東京都の「10.23通達」や大阪の教育関係の各条例に「問題意識」を持っていては文科省官僚をやっていられないかもしれませんが。

 教員免許更新制に関しては、質問事項は資料として最後に載せますが、大きく言うと「被害救済問題」と「今後の制度設計問題」。今後の制度設計は中教審でも課題とされているところで、「10年研修」と「更新制」の二重負担問題などを問題として取り上げておきました。その課題は文科省として認識しているのは確認できました。

 問題は「被害」。熊本で昨年度1名、東京で今年度4名の失職者が出ていることは、各教育委員会より報告を受けて承知しているとのことでした。失職という事態になることは、答弁者も公務員なので重大性は理解していると言ってました。防止策、救済策はできることがあるか検討しているとのことを言ってました。(僕は今後の制度設計はともかく、東京の失職者の「救済」が今は一番重要だと思っています。本人だけではなく、都教委や国にも責任があるのは明白だと思っているので。)

 「3月31日に遡って失職」は法的に有効かという質問には、最初は有効と言ってましたが、「3.31には免許が有効なはずで、4月にならなければ失職しないはずではないか。3.31日付で失職と言う辞令は法的には無効なのではないか」と再質問したところ、「検討させてほしい」とのこと。さらに「3.31に遡ることができるなら、1.31に遡って更新申請を受理することも可能なのではないか」との追加質問にも「検討させて欲しい」とのことでした

 その後、各県からの参加者から、更新制そのものの意義についてなど質問が相次ぎ、ある程度「更新制が教師の資質向上に役立っていない現状」を伝える機会になったのではないかと思っています。時間のない中で「更新制そのものの持つ非教育的問題」はあまり触れることはできませんでしたが、少なくとも「失職を防げなかった制度上の欠陥」があるという問題意識は伝えられたと思います。

 なお今回は敢えて触れませんでしたが、私立学校や管理職教員などに「全員調査」を文科省が行ったら、大変な実態がもっと明らかになると思っています。ただ教育現場を混乱させるのは本意ではないので、やれとは言いませんが。ただ公立学校の教員のみ細かく調査され失職につながったのは納得できない感じを持っています。以上、簡単な報告。

 教員免許更新制の関する事前質問は以下の通り。

(1)被害実態と救済について
①教員免許更新制の実施以後、熊本県や東京都で「失職者」が出るなどの事態が生じていることを把握しているか?特に、東京都では実施2年目が終わった今年度途中で正規教員だけで4人(講師等を含めると7人)もの「失職者」が出ていることをどう考えるか?
②更新講習は終了しているものの更新手続きをしていないというだけで免許が失効し、失職につながるという現行制度は、あまりにも不利益が大きいと思うが、救済措置を考えるべきではないか?
③救済措置がない現状は、制度の欠陥というべき状態ではないか。再発防止策および今後の制度改正の方向性を示してほしい。
④年度途中で失職者が出た場合、東京都では「3月31日に遡って失職」という措置を取っているが、法的に問題はないか。その場合、本来は免許が失効していた教員が教えていた期間の学習活動はそのまま認められるのか?

(2)「10年研修」との関連性について
①2002年の教育公務員特例法改正により、いわゆる「10年研修」が制度化された。更新制導入後も「10年研修」は残されたため、若手教員には二重の負担になっている。これは現場の多忙化をもたらす要因の一つだと考えないか?
②今後も更新制が続行されるなら、「10年研修」を廃止または凍結する考えはないか?

(3)これからの免許制度の見直しについて
①教員免許制度の全面的再検討は、中教審の「教員の資質能力向上特別部会」のまとめも発表されたが、文科省として今後どのようにすすめる見通しを持っているか?
②教員免許制度の今後の在り方については、大学における教員養成のみならず学校現場にも大きく影響するものと思うが、教員の声を聞き生かしていく考えはあるか?
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全国学力調査の諸問題

2012年08月10日 00時17分36秒 |  〃 (教育行政)
 いじめ問題について書き終わっていないんだけど、オリンピックを見てる間に時間が経ってしまった。その続きを書く前に、「全国学力調査」の結果が発表されたので、その問題について。なお、ホームページ上では、国立教育研究所の「平成24年度 全国学力・学習状況調査 調査結果について」に結果が掲載されている。

 前から僕は「全国学力調査」などというものは、税金の無駄遣いだと言っていて、早く止めて欲しいと思っている。この結果を見ても、それが裏付けられる。特に中3はいらない。やるにしても抽出だけでいい。民主政権になり抽出になったはずが、「数年に一度は『きめ細かい調査』が必要」なんていう専門家がいて、来年は全員参加の予定である。学力調査のニュース解説なんかで「子どもの論理的思考力が弱いことがわかった」なんてよく言うけど、むしろ政治家や官僚、学者なんかの「論理的思考力」の方がずっと心配である。

 今回は理科を初めて実施したが、「観察・実験の結果を考察する問題の正答率が低かった」「記述式の平均正答率は33・2%で、選択式や短答式を大きく下回った」。当たり前である。そんなことはテストしなくても判っている。記述式より選択式の方が正答率が高いのは、選択式は当てずっぽうで答えられるんだから、当たり前である。どんなテストでもそうなるし、そうなるためにわざわざ教師が選択式の問題を作ってあげるわけである。

 国語と数学(算数)では、基本のA問題と応用のB問題がある。その平均点の差を取り上げて、「応用力が伸び悩む傾向」などと分析するのもいつも通り。そうなるに決まってるんだから、毎年やる意味がない。そもそも基本問題ができないのに、応用力だけあるという人はいない。「基本、応用ともにできる人」「基本はできるけど、応用力が足りない人」「基本、応用ともにできない人」の、この3パターンしかない。だから当然、基本と応用の平均点の間には、「応用問題が苦手な人」の分だけ差が出てくる。問題はその差がどのくらいあるなら適当な範囲と言えるかということである。(なお、個人では「応用問題はできるけど、基本問題ができない人」が少数いることはいる。理解力が非常に高いが注意力が散漫な「自己中心的できる子」タイプで、基本の計算問題などはサッサと片付けて検算もしないのでケアレスミスが直されない。すぐに大好きな証明問題に取り掛かり、終わっても基礎の検算ではなく応用問題の別解探しかなんかに熱中する。結果として、基本問題で減点されて満点が取れない。そういうタイプが少数ながらいるわけである。)

 全国平均で差を見ると、小6国語は25.9点。小6算数は14.3点。中3国語は11.9点。中3数学は12.5点。小6国語が少し大きいけど、一昨年(昨年は震災で中止)の平均がAで83.5点、Bが78.0点と高かった。多分問題がやさし過ぎたからだろう。そこで今回は逆に難しくし過ぎて過去問では対応できなかったのではないかと思う。(2010年小6国語Aの平均は83.5、今年は81.7。同じく一昨年Bの平均は78.0、今年は55.8。この急落は学校や子どもの側の要因では説明できない。問題が難しかったという説明しかありえない。基礎力は落ちていないんだから。)つまり、国数とも基本、応用の平均点差はおおよそ10~15点。僕の感覚では、これは全く正常値で、どこに住んでる人間でも必ず見られる「理解力の個人差」が正当に反映されただけで、「日本の子どもは応用力が苦手で、それが日本の学校の大問題」なんていう理解は無意味というより害が大きい

 というのは、基本問題こそ低学力の子どもにとって反復練習などの努力で習得できる「伸びしろ」部分のはずなのに、「応用力が問題」という問題設定をされるとそちらに学校の力が取られてしまう。しかし、応用力向上は本人の努力だけではなかなか難しく、もともとの能力差もあるし家庭の文化力なども関係してくる。学校で時間を掛ければ学習時間に比例して伸びるというものではない。中学3年にもなると数学も難しくなってきて、数学Bの平均は50点くらいだが、数学Aだって60点を少し超す程度である。この「中3数学A」はそこにもっと力を注げば70点くらいに伸ばせるのではないかと思うが、「課題は応用力」と言われて証明問題なんかばかりやってると、数学嫌いの子どもにはますます嫌いになってしまう。

 ところで、学力調査が学校の序列化が目的ではなく、学習の定着状況を確認して今後の政策に生かすということが本当の目的だとするなら、「抽出で十分」である。抽出では不十分な理由とは何なのだろうか。抽出では不十分だというのなら、政府がやってる世論調査なんていうのは全部税金のムダということになる。テレビの視聴率調査なんて、ほんのわずかの家庭にしか調査の機械をつけていない。それでも意味を持つのは、抽出でも全体を反映するという統計学的な裏付けがあるからである。そうじゃなきゃ様々なサンプル調査全部が意味を失う。選挙直前になると投票行動調査の報道が行われるが、直後には選挙という「全員調査」も行われる。アナウンス効果などで少し違ってくることもあるが、大きな傾向としては大体各マスコミの予測報道が当たっているはずである。だから、抽出調査で十分なのである。特に中学3年生の場合、選挙と同じように「高校入学試験」という実際に学力を試す場面がやってくる。進路結果を見れば、その学校の卒業学年の学力結果をある程度はかることができる。だからやる意味が少ないと思う。

 平均点で比較するのもどうかと思うが、県別の平均点はずっと公表されているが、大体ほとんど同じである。毎年変わってもおかしな話で、当然のことだろう。よく知られているように秋田県が全部トップクラスで北陸各県も高い。これは何故だろうか。少人数教育に力を注いできたとか、家庭や地域の安定などが言われてきた。そういうこともあるだろうが、僕はもう一つの観点を提出してみたい。全国学力調査を言い出したのは、2007年の中山成彬元文科省だが、その後になって「全国学力調査は組合が強い県は学力が低いことを調べるためだった」などと放言した。だから思惑通りの結果なら、鬼の首を取ったように「組合が低学力の原因」と騒ぎ立てるのではないかと思うのである。ところが結果発表後も誰もそんなことを言わない。全国の組合加入率は判るが、都道府県別、校種別の加入率はホームページ上では判らない。だから印象で言うんだけど、東北や北陸などは教員組合加入率が全国では結構高い地域なのではないかと思うのである。

 組合加入率はともかく、ちょっと古い資料になるが、「副校長、主幹教諭、指導教諭」の導入状況は判る。2009年11月1日の朝日新聞に載っていたものである。これらの職は学校教育法改正により、2008年度から置けるようになった。「校内の指揮系統の明確化」、つまりは教員の序列化、校内の教員集団の分断が目的で、組合は(特に主幹などは)反対してきた。東京なんか法改正のはるか前から、勝手に主幹や副校長と言う職を作ってきた。その後導入されたかもしれないが、とにかくその新聞報道で三つとも導入されていない県は以下の通りである。そして今回調査で一つでも上位5位以内がある県に下線を引くことにする。

 青森秋田、福島、茨城、群馬富山福井、山梨、長野、三重、和歌山、山口、鹿児島

 細かく見ると全国平均を下回る県(教科)もあるけれど、下線のない県でも全国平均より上の結果が多い。大きな傾向としては「2009年段階で主幹教諭を導入していない県」の学力が高いということが言えるのではないか。そう言っては間違いか。校内で教員の階層化を進めていては、皆で学力向上に取り組めない。この点はもっと検討して欲しいと思うところである。
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