尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

変身型コスプレヒーローの「狂気」ー「ドン・キホーテ」を読む②

2022年02月28日 21時10分04秒 | 〃 (外国文学)
 「世界初のコスプレ小説ー「ドン・キホーテ」を読む①」を2月12日に書いた。その後も「ドン・キホーテ後編」を読み続けていて、先頃ようやく読み終わった。何しろ長いのである。文庫とは言え、2冊合わせると千頁を越える。北京五輪のカーリングの試合があると夜でも見ていたんだけど、要するに読み飽きてしまって進まないのだ。数日前、ブログを休んで思い切って頑張って残りを読み終えた。「ドン・キホーテ」前後編を全部読んだ人は少ないと思うが、忍耐力という意味では自慢になるかもしれないが、文学的な意味で全部を読む意味は今では少なくなっているかもしれない。

 訳者の会田由氏は後編こそが近代文学史上に大きな意味があるのだという。前編は1605年に出て大評判になったが、後編が出たのは1613年である。待ち望まれた続編がなかなか出ないので、1614年にアベジャネーダという人による続編が先に出てしまった。これは「贋作ドン・キホーテ」としてちくま文庫に入っていた(品切れ)。それに怒ったセルバンテスの筆も進んで、翌年に本当の後編が刊行された。その続編では何と前編を皆が読んでいて、出会う人出会う人「あの有名なドン・キホーテ様ですか」と反応する。贋作の方を読んだ人も出てきて、そんな本は全くの偽物じゃとドン・キホーテご本人が保証する。このような「小説の中に小説的世界が出現する」という「メタ小説」は確かに新しい感じである。
(「ドン・キホーテ」後編Ⅰ)
 大昔の小説の大部分は「説話集」みたいなものである。物語とは立場や性格が異なる人物同士の葛藤だというのは、近代になって「個人」というものが確立する中で作られた考えである。シェークスピアの劇には「個性を持った登場人物」の萌芽があるが、ベースは「運命を生きる人々」である。「ドン・キホーテ」前編はドン・キホーテというトンデモ主人公を創造したが、その狂気の行動だけでは持たなくなってくる。だから前編の後ろ半分は道中で出会った人々の不思議な運命のもつれ合いを語っている。三遊亭圓朝の怪談を読むと、語り口調は言文一致で新しいが、内容は奇縁で絡まり合った因果の物語である。ドン・キホーテ前編の終わり頃も、そういう感じだ。内容は怪談ではなく、ラブ・ストーリーだけど。
(「ドン・キホーテ」後編Ⅱ)
 それに対しては批判も多かったようで、セルバンテスも後編を書くときには考えたようだ。だから、最後までドン・キホーテが中心になる物語になっている。しかし、ドン・キホーテの「冒険」(実は傍迷惑な思い違い)をそう何度も繰り返しても読者も飽きてくる。前編最後で故郷に連れ戻されたドン・キホーテだが、周囲の人々に騎士道小説を焼き払われて、一時は「狂気」が癒えたかと思われた。しかし、それでは続編にならない。今度は「得業士」サンソン・カラスコという村出身の人物が現れる。得業士が判らなかったが、要するに「学士」など大学で得た資格を持つ人のことだという。やはり騎士であると思い込んでいるドン・キホーテは再び遍歴の旅に出ようとする。それをカラスコが中心になって、今度は許容する。

 旅に出て少しすると、「鏡の騎士」が待っていて戦いを挑まれる。これは「ラ・マンチャの男」にも印象的に出て来て、幻想的な戦闘シーンになる。この戦いは鏡の騎士の馬が弱くて、ドン・キホーテが勝ってしまう。敗れた騎士の兜を取ってみれば、それは実はカラスコだった。彼は村の住職らと話し合って、ドン・キホーテの「迷夢」を打ち破るために、同じく「騎士」に扮して戦いに勝つことでドン・キホーテを屈服させるという計略をめぐらしたのだが、無惨に失敗したのである。その後は謎の洞窟に潜り込んだり、ライオンと戦おうとするなど新冒険を繰り広げる。
(ピカソ「ドン・キホーテ」1955年)
 さらに後編の相当部分を占めるのは「公爵夫妻」との出会いである。公爵はホンモノの大貴族で大領主である。好奇心も旺盛で、もちろん大ベストセラー「ドン・キホーテ」も読んでいる。その当人と狩場で出会って、大喜びでホンモノのお城に連れてくる。そして臣下に言い含めて、みんなドン・キホーテが偉大な騎士であると信じている振りをさせるのである。小説の中で自己パロディを繰り広げるのである。お城の人々は皆ドン・キホーテとサンチョ・パンサを偉大な人物として遇する。遠国からの救いを求める使者までやって来るが、もちろん大公の従者が演じているのである。そして巨大木馬に乗って彼方まで遠征する(と信じ込ませる)。
(ドレの挿絵)
 さらに凄いのは、今までサンチョ・パンサに「島の太守にする」とドン・キホーテが約束していたのを知っていた公爵は、自分の領地を「島」と偽ってサンチョ・パンサを太守に任命してしまったことである。冗談もここまで来れば立派というしかない。そしてサンチョはエラい目にあいながらも、案外名判決を連発して笑わせる。この辺は「大岡政談」みたいだが、名君(迷君)がワケあり事件の関係者を前にズバッと解決策を言い渡すという物語は全世界にあるんだろう。それにしても、ことわざを連発しながら案外真実を突く名言を吐くのがただの農民なんだから、当時の人々は大いに笑ったことだろう。

 サンチョ・パンサは「ラ・マンチャの男」では「主君」が大好きで、いつも付いてくる好ましい人物という感じで出て来る。しかし、前編においては、「島の太守にしてやる」というドン・キホーテの口約束を信じ込んで、報奨目当てに付いてくる人間として描かれている。思えば大航海時代には、スペインでは大した家柄ではなかったピサロやコルテスが新大陸に行って征服者になることが出来た。多くのスペイン人が新大陸でぼろ儲けした時代も終わりつつあっただろうが、そのような社会では底辺でも欲深な民衆がたくさんいたに違いない。サンチョはそういう欲深な民衆をからかうためのキャラだったと思うが、人気が出て後編ではことわざ連発を得意技にして大活躍する。ドン・キホーテも「わが友サンチョ」などと呼んで、道中は「弥次喜多」化していく。
(ドレの挿絵)
 ということで、後編は自分たちが大人気だと言うことを知っている二人組の珍道中だが、周りは一貫してドン・キホーテを「狂人」として遇している。自分を有名な騎士と思い込む「妄想」だが、本人は別に困っていない。セルバンテスは精神医学に基づいて書いているわけじゃなく、頭の中で作り上げた架空の存在である。だから、あまり考えても仕方ないのだが、今も「自分は宇宙人だ」とか思い込んでいる人は一定数いるだろう。普段は一般人だけど、いざとなったら街を救うヒーローに変身するんだという設定は映画や漫画の常道である。ドン・キホーテを病気ととらえれば「統合失調症」に近いかなと思うが、それよりも「変身型コスプレヒーロー」の走りと見るのが相応しいかなと思う。
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長野県の中房温泉、最も素晴らしい山の秘湯ー日本の温泉⑭

2022年02月27日 20時02分42秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 日本の温泉を毎月一回書いているが、ウクライナの事態に気が取られて2月が短いのを忘れていた。関東・伊豆を書いたから、次は甲信越である。山梨県では南アルプスの麓に奈良田温泉白根館がある。素晴らしいアルカリ泉だが、近年宿泊を止めてしまった。立ち寄りは継続しているようだが、この秘湯に泊まれなくなってしまったのは残念だ。新潟にも素晴らしい温泉が多いが、行ってないところも多い。前に書いた糸魚川の姫川温泉や赤倉温泉の赤倉観光ホテルも新潟県。他では松之山温泉が素晴らしい。

 しかし、何といっても素晴らしい温泉に恵まれているのは長野県だろう。渋・湯田中温泉郷野沢温泉別所温泉白骨温泉高峰温泉など全国レベルの素晴らしい温泉がいっぱいある。その中でも一番素晴らしいのは、安曇野の奥の奥、北アルプスの「表銀座」燕岳(つばくろだけ)の登山口でもある中房温泉だ。ここは日本中の温泉の中でもベスト・オブ・ベスト級で、なかなか二度と行けないお湯が多い中、あまりにも素晴らしいのでまた行ったところである。お湯も料理も立地条件も全部いいけど、ここで見た星空の素晴らしかった事も忘れられない。もっとも冬季休業だから、今書いてもすぐは行けない温泉。
 
 中房温泉は山の中にあって、標高1462mという。これより高所の温泉は他にいくらもあるが、それでもずいぶん高い。下界が猛暑の夏も、ここまで来れば涼しいことこの上ない。僕は夏しか大旅行が出来ないから、ここへ行った2回も夏である。東京を逃れて中房温泉まで行き着けば、本当にホッとしたもんだ。僕が行った頃は旅館に大きな犬がいた。おとなしくて可愛い犬だったな。

 温泉が数ある日本の中でも中房温泉は特に素晴らしい。湧出量も泉質も素晴らしくて、立ち寄り専用や足湯、地熱浴場などを含めて14ものお風呂がある。大浴場などは混浴だが、女性専用タイムがあるから、男女とも全部のお風呂を満喫できる。とはいえ、正直言えばそんなに入っても仕方ないから、全部は入ってない。数もそうだが、単純硫黄泉(アルカリ性低張性高温泉)の泉質が素晴らしい。一浴、おっ、これはいいなと思う。アルカリ泉の肌に優しい素晴らしい湯だ。30もの源泉があるが、ほぼ同じ泉質だと思う。90℃もあるが、加水せずに冷却して掛け流している。あっちにもお風呂、こっちにもお風呂で大満足である。

 お風呂をハシゴして、一日の旅の疲れを取れば、ちょっとグッタリした感じになる。そんな時は入浴で失われた水分や塩分を補いたくなるが、中房温泉の配慮は完璧だ。あちこちに冷水があって、水も飲めたと思うけど、トマトやキュウリも冷えている。自由に食べてよくて、キュウリに付ける味噌まである。座れて休めるようになっていて、浴衣姿でノンビリ。そういう宿は他にもあったけれど、山の秘湯でこういうサービスは本当にうれしい。

 ここは古い歴史がある温泉で、「本館菊」など7棟が登録有形文化財になっている。坂上田村麻呂時代から温泉が知られていたという話。湯宿を始めたのは文政4年(1821年)のことで、松本藩の命でミョウバン採取を主目的に温泉小屋も始めたと出ている。今も残る「御座の湯」は藩主も浸かった湯だという。ホームページには今までに訪れた著名人が掲載されていて、現天皇も燕岳登山の前に泊まったという。秩父宮も泊まったとか、大町桂月、永田鉄山、阿部次郎、賀川豊彦、務台理作、中河与一など、今では誰それ?と宣伝になりそうもない名前がいっぱい載っている。それでも以上の名前は僕も知っているが、浅井冽、若山登志子は僕も誰それ? 後者は若山牧水の未亡人だとか。しかし、最近の著名人は誰も行ってないのか?そんなことはないと思うけど。
(登録有形文化財の本館菊)
 もう一つ、他のどこにもないのが「焼山」である。これは裏にあるちょっとした山だが、上の方が地熱で熱い。歩いている分には別に問題もないが、頂上は確かにいるだけでも熱くなってくる。そこをちょっと掘って、食材を入れておくと蒸し焼きが出来あがる。売店でジャガイモ、卵、ソーセージなどを売っていて、買って蒸し焼きにして楽しむわけである。箱根大涌谷の黒卵のように温泉に浸けるのとは違うけど、自分で出来ちゃうのが面白い。他では見たことがない。
(焼山)
 その他に、国指定の天然記念物もある。「中房温泉の膠状珪酸(こうじょうけいさん)および珪華(けいか)」である。前者は好熱性原核生物に珪酸が吸着したもので世界的にも珍しいという。と言っても、僕はそれらを見たことがない。温泉に入っただけで、もう充分という気持ちになってしまい、蒸し焼きも天然記念物も今回はいいやという気持ちになる。歴史も自然も見るところが多い温泉だけど、それよりもお湯の素晴らしさこそ第一の魅力だ。料理も美味しくて、料金が少し高くなっている感じだが、登山者用の安いプランもある。車がないと行きにくいところだが、また何度でも行きたい温泉。
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ウクライナ戦争、ロシアの勇気ある反戦運動に連帯を!

2022年02月26日 20時28分55秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ戦争は首都キエフにロシア軍が迫り重大局面を迎えている。ウクライナのゼレンスキー大統領は亡命や首都移転はせずにキエフで戦うと言っている。ウクライナと国境を接するポーランドには避難する人々が殺到している。ウクライナはロシア、ベラルーシ、モルドバの旧ソ連諸国の他に、ポーランド、ルーマニア、スロヴァキア、ハンガリーと国境を接している。しかし、第3都市リビウに近く鉄道も通じているポーランドが最も出国しやすいと思われる。周辺諸国への支援も必要になるだろう。

 今回の戦争が始まって、いろいろな動きがある。案外「親ロシア的言動」が多いことに驚いているが、一方では全世界で反戦運動も盛んになっている。ロシア国内でも多くの反戦の動きが報じられている。少なくとも60以上の都市で反戦デモが行われ、1800人以上が拘束されたと言われる。第2都市サンクト・ペテルブルクでは1000人近くがデモに参加したという。欧米的感覚ではあまり大きなデモとも言えないが、戦争を起こした当事国のロシアで公然と反戦の声を挙げることは非常に勇気があることだ。
(ロシア国内で反戦の動き)
 テレビニュースでは、ウクライナ大使館の前に並べられた花束を映し出していた。多くのロシア人がウクライナのために花を捧げている。インタビューに答えた男性は「謝罪したい」と語っていた。ロシアとウクライナは歴史的に深い関係がある。だからプーチン大統領は「ロシアの勢力圏」だと考えるのだろうが、そのような関係の国に戦争を仕掛けたプーチン大統領への反発もまた強いのである。そのようなデモがすぐに効果が出るわけではないが、勇気あるロシア人の存在を歴史の中で心に留めたい。

 日本でも26日に渋谷駅ハチ公前に2000人もの人が集まって、ロシアに抗議をしたという。これは正規の集会というよりも、SNSで呼びかけられた自然発生的な集まりだろう。かつてのイラク戦争を思い出せば、世界でいくら反戦デモがあってもプーチン大統領の決心を変えることは出来なかっただろうと思う。しかし、もっと早くこのような動きが世界中で行われたら、ロシアに対して一定の抑止力になったかもしれない。その段階ではこのような全面戦争を始めるとは信じられなかったのかもしれない。
(26日、渋谷駅前に集まる人々)
 ロシアからのニュース報道は今のところ自由に出来るようだ。テレビニュースでは街頭インタビューも可能である。このような自由な取材活動は中国では不可能だろう。冷戦終結、ソ連崩壊後、形の上では自由社会になって選挙も行われる。そのような中で形成された「市民社会」が未だ完全には失われていないのだろう。反政府的言論活動や選挙への立候補などは制限されてきたが、それでもまだまだ社会には許容される自由がある。しかし、ロシア国内ではFacebookが制限されたという報道もあった。今後国外への自由な発信は難しくなると想像される。もちろん政権寄りの好戦的世論の方が大きいのだと思う。しかし、今の段階でロシア国内に反戦的心情が決して無視できないレベルで存在することが判ったことは大きな意味がある。

 年末以来の何度ものアメリカの警告が、かえって戦争をあおっているのではないかと言う人がいた。引っ込みが付かなくなったロシアを戦争に追い込むものだと言うのである。振り上げた拳の下ろしどころを考えなかった欧米やウクライナ側にも大きな責任があると論じる人もいる。僕もアメリカの情報能力には完全な信頼は置いていなかったが、結果的に当たっていたことになる。プーチンの内心は判らないが、これだけの戦争を始めるには準備がいる。それをつかむ兆候は様々にあったのだと思う。攻撃を命令したプーチン大統領の責任をまず問わずに、ウクライナやアメリカ、NATOの対応を問うのは順番が逆ではないか。何があったとしても、戦争を支持する理由にはならない。
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ウクライナ侵攻、戦後国際秩序に挑戦するロシアの侵略

2022年02月25日 23時10分53秒 |  〃  (国際問題)
 ロシアがウクライナに対する全面的侵攻を開始した。すでに首都キエフにロシア軍が侵入しているという報道がある。現時点では不明なこともあるが、2月24日のモスクワ時間午前4時にプーチン「事実上の宣戦布告」演説が行われ、キエフ、ハリコフ、オデッサ等各地にミサイル攻撃が行われた。ウクライナ国防省によれば、ウクライナ時間午前5時(日本時間午後14時)頃にロシア軍が東部戦線で全面攻勢を始めたという。また午前7時頃にはベラルーシ国境からもロシア軍が越境したという。今後さらに詳しく詳しく明らかになっていくと思うが、世界の多くの人は驚きと恐怖をもってニュースを聞いただろう。
(攻撃される首都キエフ)
 僕も今ここまで本格的な攻撃が始まるとは思っていなかった。プーチン大統領は21日にウクライナ東部から事実上の「独立」状態にあった「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を国家として承認すると発表した。それ自体が国際法違反なのでタテマエでは非難すべきことだが、現実的には「それ以前と変わらない」わけである。そこで「独立」した国同士で条約を結び、「合法的」にロシア軍を駐留させ、ドネツク、ルガンスク両州を「切り取る」方向にロシアが行動すると思っていたのである。だから、当面首都を攻略するというリスクの大きな戦略は採らないのかと思っていたわけである。

 ところでプーチンの事実上の宣戦布告では「特別な軍事作戦を行う」としている。目的は「キエフの政権に8年間虐げられてきた市民の保護」で「ウクライナの非軍事化に努める。領土の占領は計画していない。」と言う。「ロシアに希望を持つ100万人へのジェノサイド(集団殺害)を止めなければならない。ドンバスの人民共和国の独立を認めたのは、人々の望みや苦痛が理由だ。」とも言っているが、どこにジェノサイドがあるのか。「ウクライナの極右勢力とネオナチ」に責任があり、「ヒトラーの共犯者同様、市民を殺害する。ロシアと自国民を守るにはこの手段しかない。」ここまで言うかという非道な演説である。
(「特別な軍事作戦」演説のプーチン)
 ところでこの24日に放送された演説と以下に載せる21日に放送された演説(東部二つの「人民共和国」承認)をよく見ると、背景もネクタイも全く同じではないかという指摘がある。なるほどほとんど同じである。その指摘の意味は、実は21日演説と24日演説は同じ時に取ったのではないかという「疑惑」である。ヴァラエティ番組などでは2回分の収録を同じ日に行うことはよくある。そういうことだったのか。いや、場所が同じなのは当然、ネクタイもたまたまとも言えるが、要するに「すべては事前に決められていた侵攻作戦だったのか」ということである。現時点では何とも言えない問題だ。
(2つの「人民共和国」承認演説)
 ウクライナ危機は昨年末からアメリカなどから何度も警告されていた。しかし、日本での関心は低かったと思う。僕も今までに2回書いたが、読まれた数は映画の感想に比べて明らかに少なかった。24日朝にラジオを聞いていたら、新聞がウクライナ問題ばかりでコロナを軽視しているという特集をしていた。(朝日新聞に抗議したという聴取者がいた。)しかし、東京新聞を見ていると、さすがに今日は別だけど、今までに一度も一面トップでウクライナ問題を報じていない。2つの「人民共和国」承認時も一面トップは「優性保護法、違憲判決」だった。それはもちろん重大判決だが、時事的緊急性からは順序が逆だったと思う。一般では「物価が上がると困る」レベルの心配が多いのではないだろうか。

 しかし、このウクライナ戦争は第二次世界大戦後、もっとも重大な問題と言っても言いすぎではないと思う。第二次大戦後の世界は、国際連合が作られ、国連安全保障理事会が世界の平和を維持することが考えられた。それでも今までに戦争は幾つもあり、悲劇が起こってきた。冷戦時代はその多くが「代理戦争」だった。朝鮮戦争ヴェトナム戦争などである。それらもアメリカ、ソ連などが関わっていたものの、米ソが直接戦ったわけではない。英仏が参戦した「スエズ動乱」(1956)は英仏イスラエルがスエズ運河をめぐってエジプトに侵攻したが、失敗に終わった。

 2003年のイラク戦争では、米英がイラクに侵攻してフセイン政権を打倒した。「戦争という手段はダメだ」「かえって中東情勢を混乱させる」という反対論が多く、結果的にまさにその通りになった。しかし、フセイン政権が独裁政権であるのは間違いなく、アメリカもイラクを領有するわけではない。フセイン政権を打倒した後は、民主的な政権を樹立するとしたわけで、一応その通りになっている。1979年のソ連のアフガニスタン侵攻は、当時のアフガニスタンでは社会主義政党が政権にあり、政権崩壊を避けるため軍の派遣が要請された。だから良いわけではないが、相手政府からの要請に基づくものだったのである。

 それを考えると、戦後で一番似た事態は、1990年8月のイラクによるクウェート侵攻になるのではないか。この時はアメリカを中心にした多国籍軍がクウェートを解放する湾岸戦争(1991年)となった。本来は国連憲章に基づき、ウクライナ防衛のために国連軍が結成されるべきである。しかし、それはロシアの拒否権で不可能だ。では多国籍軍を結成して、ウクライナ支援を行うのか。それも無理だろうと思われる。どこを本拠地とするのか。NATOが介入した場合、「核戦争になる」とプーチンは明言している。自国に核ミサイルが飛んでくる可能性があるのに、ウクライナに介入するヨーロッパ諸国はない。

 プーチンはウクライナ政権を「極右」「ネオナチ」などと呼ぶ。それが自国存立に危機を及ぼす場合、自衛戦争を起こせるというのは、イラク戦争直前の「ブッシュ・ドクトリン」そのものだ。しかし、その論理を主張するなら、ウクライナ現政権を打倒した後で、「国連管理下で真にウクライナを代表する民主的政権を選ぶ自由な選挙」を実施しなければならない。しかし、そんなことをしたら、反ロシア政権樹立が確実である。従って、ロシア軍が長期にわたって駐留してかいらい政権を成立させるということにならざるを得ない。主権国家が侵略されるのを「核の脅し」によって見殺しにするしかないのか

 そんなことは起こらないということを前提に、第二次大戦後の世界は構築されていた。ロシアが安保理常任理事国であって良いのか。この前提が大きく崩れるとき、様々な問題に波及していく可能性がある。それはまた考えるとして、今回のロシアの行動は、2020年のベラルーシの民主化運動をロシアが介入して弾圧したことあって可能だった。ルカシェンコ政権なくして、キエフ攻撃は不可能だった。従ってベラルーシの民主化支援も同時に行う必要がある。ロシアの行動は「支配権確保」という「帝国主義的ふるまい」に近い。僕の見るところ、プーチンこそナチスに近く、2共和国問題はヒトラーによるチェコのズデーテン地方割譲要求に近い。キエフ攻撃は大日本帝国による中華民国首都の南京攻撃に近い。そう思っている。
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ワリエワ問題とロシアのドーピングー北京冬季五輪②

2022年02月24日 23時15分29秒 | 社会(世の中の出来事)
 いよいよロシアによる全面的なウクライナ侵攻が始まった。何を最終目標にしているのか現時点では不明だが、注視していかなくてはならない。第二次世界大戦後、最大級の危機が起きているのは間違いない。この問題はまた別に考えたいが、まずは書き残している北京冬季五輪での「ワリエワ問題」。正確な事情は僕には判らないが、カミラ・ワリエワに「ドーピング」(禁止薬物の摂取)が明らかになったと報道された。しかし、スポーツ仲裁裁判所(CAS)がIOCやWADA(世界アンチ・ドーピング機関)、ISU(国際スケート連盟)の控訴を却下したため、北京五輪には出場出来ることになったわけである。
(ワリエワ)
 そんな騒動の中で登場したワリエワのショート・プログラムの演技は、確かに素晴らしかった。ワリエワは首位に立って、事前に金メダル最有力と言われただけのことはあるなと思った。カミラ・ワリエワは2006年4月26日生まれで、現在15歳。昨シーズンまではジュニアで、今シーズンからシニアに昇格した。調べてみると、一昨年の世界ジュニア選手権で優勝、昨年はコロナで大会が中止になったが、今シーズンのグランプリシリーズ・カナダ大会では世界最高得点で優勝し、ロシア大会ではさらに得点を更新して優勝した。だから間違いなく金メダルに一番近かったのである。

 日本ではここ20年ぐらい、とてもフィギュアスケートの男女シングルが盛んになっている。だから、ほとんどの人は何人ものスケーターの名前を挙げられるだろう。男子に3連覇が掛かる羽生結弦がいたこともあって、冬季五輪の各種目の中でも非常に注目度が高い競技だった。男子に関しては羽生は4位だったが、2位に鍵山優真、3位に宇野昌磨が入った。しかし、女子はロシアが圧倒的に強く、メダルを独占するのではないかと見られていた。ショートで4位だったトルソワがフリーで高得点を挙げたため、まさにそれが実現するかに見えた。ところが最後の演者ワリエワがあり得ないような転倒を繰り返し、フリーの得点が伸びず4位となった。

 という展開はナマで見ていた人も多いと思うから、これ以上詳しくは書かない。可哀想だとも思うが、競技とは違う問題で注目を集めてしまい、15歳では支えきれなかったのか。フィギュアで転倒するのは誰にも起こりうることだが、世界トップ級の選手がこれほど何度も転倒するのは珍しいと思う。事前にワリエワがメダルを獲得した場合は表彰式を実施しないと言っていた。「ワリエワが転べば、すべて丸く収まる」というムードがあったのは否定できないだろう。結果的に金メダルはアンナ・シェルバコワ銀メダルはアレクサンドラ・トルソワ銅メダルは坂本花織となった。
(シェルバコワ)(トルソワ)
 坂本花織は五輪という場所で自己最高得点を出した。確かに高度なジャンプはなかったが、非常に素晴らしい会心の演技だった。ワリエワの失敗で銅メダルが転がり込んできたと言えば、まあその通りなんだけど、やりきったことで獲得したメダルだろう。仮にメダルが取れなかったとしても、笑顔で五輪を終えていたに違いない。ロシアの選手はシェルバコワとトルソワがいずれも17歳、ワリエワは15歳で、体格的にはまだ大人になっていない感じがした。だからこそ高度なジャンプを針金のような体で見事に演じた。坂本花織は21歳で、演技の質が違っていた。より芸術的で優美な演技をしていた。女子体操の「コマネチ」か「チャスラフスカ」か問題に似ている。坂本選手はコロナで試合もなくなってしまった時に、そういう時こそ基礎を鍛えるべきと考え、ランニングや体幹トレーニングを行ったと述べていた。他にも同じような選手がいたが、やはりそういう努力あっての活躍だったのである。
(坂本花織)
 今までは今回の北京五輪の話だが、ちょっと今までの女子フィギュアの結果を振り返ってみたい。2006年トリノ五輪の金メダルは荒川静香(24歳)、2010年バンクーバー五輪の金メダルはキム・ヨナ(19歳)だった。2002年ソルトレークシティー五輪の銀、トリノ五輪の銅はロシアのイリーナ・スルツカヤだったが、最初のメダルは23歳である。ソチ五輪金アデリナ・ソトニコワは17歳。ピョンチャン五輪金アリーナ・ザギトワは15歳、銀のエフゲニア・メドベージェワは17歳である。そして、ソチのスルツカヤを除き、ピョンチャン、北京の五輪に出た全選手は、下記画像のエテリ・トゥトベリーゼというコーチが指導した選手だ。
(エテリ・トゥトベリーゼ)
 結局問題はこのコーチになりそうである。そして北京五輪後にはワリエワを激しく叱責したとか、トルソワがコーチを非難したとか言われる。そこら辺はなんとも言えないが、他の多くの競技では成功しても失敗しても選手はコーチとハグしたりしている。前回の金銀選手は今回は出ていない。まだ10代だったのに一回メダルを取って終わりというのも、何だかおかしい。今回ワリエワ側は「祖父の心臓病薬が間違って混入した」などと主張しているようだが、その当否は現時点では誰にも証明できないが、そんなことを言ってる時点でスポーツ選手として失格だと思う。ドーピングに厳しい世界の動向を判っていれば、仮に15歳だったとしてもそんな混入には気をつけるし、ドーピングに気をつけろという指導をするものだ。

 ロシアでは恐らくこれも「陰謀」と思っている人が多いと思う。12月の検査が五輪中に明らかになったことで、「西側の陰謀」を疑う。そもそもロシアのドーピングは根が深い。単に選手の誰かがドーピングしたという問題ではない。組織的に検体ごと取り替えてしまうなど、非常に悪質極まりない。そんな大きな不正は恐らく政権が関わらないと出来ない。そのような事態はロシア国内では報道されていないと言われる。この間プーチン政権のもとで、自国に都合の悪いことは報道できなくなり、すべては外国が悪いというフェイクニュースを信じるように慣らされてきた。そのような積み重ねがあって、ウクライナ戦争があるのだろう。スポーツにおける不正を許さないということも、「平和」につながっている。
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スピルバーグ版「ウエスト・サイド・ストーリー」

2022年02月22日 22時48分24秒 |  〃  (新作外国映画)
 スティーヴン・スピルバーグ監督「ウエスト・サイド・ストーリー」が公開された。12月10日公開予定が何故か日本では2月11日公開に延期された。言うまでもなく有名なミュージカル作品であり、1961年のロバート・ワイズ監督映画の60年ぶりのリメイクでもある。前作は日本でも大評判となって1年以上のロングランになった。アカデミー賞でも作品・監督・助演男優・助演女優・撮影など10部門で受賞した伝説的名作となっている。しかし、何故リメイクするのか、日本では今ひとつ理解されにくい面があり、賞レースの発表を待っての日本公開ということなのか。ゴールデングローブ賞ではミュージカル・コメディ部門作品賞、同主演女優賞、助演女優賞を獲得し、アカデミー賞では作品賞、監督賞、助演女優賞などにノミネートされている。

 巨匠が力を入れたリメイクだけにアカデミー賞最有力かと思われたが、案外予想は厳しいようである。そもそも自国映画のリメイクは弱いらしいし、前作と脚本、音楽などが同じなので新たな受賞対象にならない。スピルバーグも8回目の監督賞ノミネートだが(「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」で2回受賞)、今回も立派な出来になってはいるものの判断は難しい部分がある。山田洋次監督が「たそがれ清兵衛」で初めて時代劇に挑んだとき、多少の心配があったものだ。スピルバーグも初のミュージカル挑戦だから、ちょっと心配な面があった。でも考えてみれば、殺陣(たて)や振付を監督自身がやるわけじゃない。
(61年版)
 ニューヨークのマンハッタン島のウエストサイド地区。街はポーランド系少年の「ジェット団」とプエルト・リコ系少年の「シャーク団」に分かれて抗争している。中立地帯の体育館でダンス・パーティが開かれ、ジェット団のリーダー、リフは親友の元リーダーのトニーとパーティに参加する。そこでトニーはプエルト・リコ系のマリアと出会って、お互いに一目惚れしてしまう。しかし、彼女はシャーク団のリーダー、ベルナルドの妹だった。ベルナルドは二人の交際を絶対に認めるつもりはない。二人は燃えあがって結婚を約束するが、周りではジェット団とシャーク団の決闘の準備が進んでいく。
(トニーとマリア)
 このミュージカルは、もちろん「ロミオとジュリエット」である。ロミオとジュリエットは親同士が敵対する関係だったが、どっちも同じイタリア・ヴェローナの裕福な一族である。つまり、同じ文化圏に属している。一方、ウエスト・サイド・ストーリーでは違ったエスニック・グループに属していて、言語的にもプエルト・リコ系は主にスペイン語で会話していて、なかなか通じない。前作はプエルト・リコ系を他の人種が演じていたが、今回はヒスパニック系の俳優が演じてスペイン語で会話している。だから描写に真実性が強まったけれど、逆にこれほど違った文化圏に属する二人が一目惚れしてしまうなんてありうるだろうかと疑問も持つ。

 前作ではマリアナタリー・ウッドトニーリチャード・ベイマー(「アンネの日記」のペーター役)が演じた。そういうもんだと知ってたこともあるし、違和感はあまり感じなかったと思う。(見たのは半世紀前だが。)今回はマリアをレイチェル・ゼグラー、トニーをアンセル・エルゴート(「ベイビー・ドライバー」のベイビー役)が演じている。でも、どちらもあまり知名度は高くないだろう。だから、エスニック的な「当事者性」を確保したことで、かえって二人が恋に落ちたことに納得できない面がある。もちろん文化を越えた恋はありうるわけだが、そのためには相互理解の長い時間がもっと必要じゃないだろうか。

 マリアの兄で二人の交際に強く反対するベルナルドは、前作ではジョージ・チャキリスげ演じてアカデミー助演男優賞を取った。今回は デヴィッド・アルヴァレスという人が演じている。その恋人アニータを演じたリタ・モレノもアカデミー助演女優賞を獲得した。リタ・モレノは今回ただ一人再出演していて、地域の交流拠点のような店の女主人ヴァレンティーナを貫禄で演じている。(リタ・モレノのために新設された役である。)今回のアニータアリアナ・デボーズ(「ザ・プロム」の主人公の同性の恋人役)が演じて、アカデミー助演女優賞最有力と言われる。あまり知名度がある俳優がいないため、前作の印象が強い。

 さすがにレナード・バーンスタインの作曲は素晴らしい。振付も一新されたということでダンスシーンも迫力がある。ストーリーを知っているわけだが、2時間37分を退屈せずに見られる。それを前提にして、僕は物語そのものに違和感を感じる部分があった。昔のミュージカルだから、アフリカ系やアジア系の少年が出て来ない。今映画化するなら、そこも変えるべきではないか。それもあるが、そもそも何でダンス・パーティなんか開くのか。警官が警備している。衝突が起きると予測されているのである。それは恐らく「相互理解」のためのプログラムなんだろう。で、二人が出会った。民族性を越えた愛である。昔はそれを「愛の素晴らしさ」として僕たちは称えたのである。

 でも、この二人の恋のために、3人が死ぬことになる。それは結果的には偶然とも言えるが、やはり一種の宿命的な悲劇と描かれる。(原作が「ロミオとジュリエット」なんだから。)恋愛には3人もの命を賭けるほどの価値があるのだろうか。その後、アメリカでも何回も暴動や銃撃事件が起きた。ボスニアやルワンダで、あり得ないような民族紛争が起きて、殺しあいが始まった。そういうことを知っているわけだから、安易に「愛は素晴らしい」と言ってはいけないような気がしてくる。マッチを擦れば大火事になるような、ガソリンがまき散らされたような地区で、トニーとマリアはもっと慎重に行動するべきではなかったか。高齢者になってしまった自分としては、ついそんなことも感じてしまったのである。
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スマイルとチャレンジ、日本の若い世代はスゴイ?ー北京冬季五輪①

2022年02月21日 23時40分54秒 | 社会(世の中の出来事)
 北京冬季五輪が終了したので、簡単に感想を。コロナ禍にあって、感染により出場出来なかった選手が各国にいたけれど、日本や世界のおおよその選手は参加できた。防疫に関しては厳しい措置が取られたが、中国政府が力を入れただけの「成功」はもたらされただろう。「中国の人権問題」が当初は大きな問題とされたが、ちょうどウクライナ問題が大問題になった時期と重なった。ロシア選手のドーピング疑惑も持ち上がり、「ロシア」の特異性に注目が集まって中国が忘れられたかも。ロシアは今回も「ロシア・オリンピック委員会」(ROC)としての参加しか認められず、表彰式ではチャイコフスキーが流れた。僕が思うには、世界各国皆こうする方がいいのではないか。(ところで「ペキン」はもう「ベイジン」に変えたらどうか。)

 日本選手団は金3、銀6、銅9の計18個のメダルを獲得して、冬季五輪史上最多となった。というけど、昔はなかった種目もあるし、全体のメダル数もきっと増えているに違いない。メダル数にこだわる気はないし、日本としても従来から強い競技でメダルを取ったという感じ。日本に有力選手がいないから、スキーアルペンクロスカントリーバイアスロン、あるいはそり競技リュージュボブスレースケルトンなんかはほとんどテレビ放送もないし、どういう結果なのか知らない。まあ日本選手が全競技で活躍する必要もないし、どの国も有力選手がいる競技だけ注目しているんだろう。

 今回は結構ドラマが多くて、良い方でも悪い方でも印象に残った。スキージャンプ団体、高梨沙羅スーツ規定違反失格問題スノーボード・ハーフパイプ平野歩夢2回目採点問題、3回目で金メダルフィギュアスケート男子羽生結弦のフリーでのジャンプミス。スピードスケート、パシュート女子決勝の金メダル目前の高木菜那の転倒。この時高木美帆は「姉は泣きじゃくっていたので、自分がしっかりしないといけないと思って、カナダ選手団に祝福に行った」と言うのを読んで、凄いなと思った。その2日後のスピードスケート女子1000m高木美帆の金メダルは、そういうことがあっただけに魂に触れるものがあった。

 そして次に女子フィギュアスケートがあったわけだが、それは別に書きたい。そして最後の最後に、予選敗退と思ったカーリング女子が決勝トーナメントに進出して、スイスに勝ってまさかの決勝というご褒美のような展開があった。ところで、僕は高木美帆でも坂本花織でも平野歩夢でもなく、ノルディック複合団体の銅メダルが一番心に響いた。渡部暁斗は個人で銅メダルを獲得していたが、団体ではメダルが難しいと思われていた。かつては日本の得意種目で、荻原健司河野孝典らを中心に92年、94年の五輪で金メダルを獲得した。だからメダル獲得は28年ぶり。しかし、メダルがどうのというより、クロスカントリーでラスト山本涼太選手の「魂の走り」でメダル圏内に飛び込んだのが凄かった。高木美帆金メダルと女子フィギュアの間の時間だったから、ナマでは見逃した人が多いんじゃないだろうか。
(ノルディック複合団体のゴールの瞬間)
 失敗した選手も多いわけだが、日本チームは勝っても負けても笑顔で迎えていた。ノルディック複合団体も先に終わった3人が一緒に祝福した。カーリングの「ロコ・ソラーレ」も4年前と同じように、コミュニケーションをよく取って笑顔で競技していた。笑っている場合じゃないとか、国を背負っているんだぞなどとハッパを掛ける人は皆無じゃないだろうが、ずいぶん減ったと思う。皆がその競技が好きなんだなあ、だから全力でやってるんだなあという気持ちが伝わった。あれ、日本人はこんなに笑顔で頑張れるんだったか。昔は強いものにへつらってヘラヘラ笑うと言われたものだが、今の選手たちはもっと素直で、辛いことがあっても笑顔で頑張るんだという「成熟」したスポーツ文化になってる。
(ロコ・ソラーレ)
 そもそも開会式前に最初に始まったアイスホッケー女子は、愛称が「スマイルジャパン」だった。アイスホッケーも日本じゃなかなか見る機会がないけれど、凄く面白いじゃないか。そして、フィギュアスケート・ペアの「りくりゅう」(三浦璃来/木原龍一)ペア。ジャンプなどが次々と決まって、途中から自分たちも笑顔でニコニコしながら演じきった。フリーの8位を一つあげて7位。その後のペアを見ると、まだまだレベルが違うなと思ったが、これほど見ている人に幸せな気持ちを与える演技も珍しいんじゃないか。入賞したわけだが、順位を越えた価値があると思った。
(りくりゅう」ペア)
 これらの選手たちは大体が20代の若者である。10代もいっぱいいて、30代になった選手もいるけれど、一番多いのは1990年代生まれだろう。だから大きな批判にさらされた「新カリ」(2002年から実施の学習指導要領)で育った世代だろう。「総合学習」を新設し、「生きる力」を育むとした。上の世代からは悪意を込めて「ゆとり世代」などと言われた時代である。学力低下をもたらすなどと猛烈な批判を受けて、その後教育政策は変わるがベースにあるものは変わっていない。教育に関しては、いつの時代もそうだが誰からも批判されやすい。右からは「道徳教育強化」を求められ、左からは「国家による統制強化批判」と言われる。マスコミでは学校は「同調圧力」が強く、いじめが発生すると非難されやすい。
(女子アイスホッケー「スマイルジャパン」)
 一般論でも、「今どきの若者」は「チャレンジ精神がない」とよく言われる。少子化で兄弟も少なく、多様な体験が出来ない。祖父母世代が元気で、若者は萎縮して内向きになっている。海外留学も減っているとか、コロナ禍前は散々言われたものだ。だけど、どうなんだろう。例えば平野歩夢選手は3度目の演技でも大技に挑んで成功させた。彼は去年はスケートボードで夏の五輪にも出ていた。二刀流と言われたが、昨年は大リーグの大谷翔平選手が「二刀流」で大成功して、本場アメリカの野球文化に大きな刺激を与えた。これはスポーツに限られたことではない。ちょうど同じ時期に将棋の藤井聡太が10代で五冠を達成した。2021年1月には現役大学生の宇佐美りんが芥川賞を獲得した。これらは偶然なのだろうか。

 教育とは短期的に結果が出るようなものではない。それに夏季五輪の種目ならともかく、冬季五輪の種目は学校教育で触れる事は少ない。北海道ではスキーやスケートを体育でやるところがあるかもしれないが、それでもスノーボードはやらないだろう。夏のスケボーなども同様で、部活にあるスポーツじゃない。10代から活躍している選手が多いけれど、それは家庭で支えるしかない。子ども時代から知られる選手は大体親が熱心で、一生懸命になっている。だから、80年代から90年代に掛けて、日本が一番経済的に豊だった時代が今になって実っているのかもしれない。また中曽根内閣の「臨時教育審議会」で開かれた教育の複線化、エリート教育化が影響したのかもしれない。

 だけど、それだけではないと僕は思う。ちょっと前まではまなじりを決して、全力でぶつかって笑ったりするもんじゃないというスポーツが多かった。学校の名誉を賭けて部活動に取り組む教師がいて、ミスをしたり負けたりすると怒鳴りつけたりしていた。それが珍しいことでもなかったと思うが、ずいぶん変わったと思う。笑顔で語る選手たちを皆が温かく歓迎している。スポーツや芸能、芸術の分野では、他分野より早く才能が開花する。研究者を目指す若者はまだ大学院で学んでいる年齢だろう。政治や経済に90年代世代が出て来るのは、もっと先になる。でも僕は思うんだけど、もっと早く彼らに道を開いてはどうだろう。東京五輪組織委の森喜朗元会長みたいな人はどんどん引退してもらって、若い世代が活躍できるようになれば、変わらないと思った日本社会もあっという間にガラッと変われるんじゃないだろうか。五輪を見ていて、若者たちの素晴らしい笑顔がいっぱい見られたと喜んでいる。
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「真田風雲録」と渡辺美佐子トークショー

2022年02月20日 21時01分10秒 |  〃  (旧作日本映画)
 18日は新宿末廣亭で落語を聞いて終了が20時38分頃。そこから急いで帰ったのは、カーリング女子準決勝を見るためである。終わったのは12時近く、それから風呂に入って、未だにダラダラ読んでる「ドン・キホーテ続編」を少し読んで(活字を少しでも読まないと寝られない)、寝たのは1時近かった。だから、19日は疲れていたわけだが、それでも土曜にしては早く食べて(土曜は自分でスパゲッティを作る)、早出してシネマヴェーラ渋谷に向かった。この日渡辺美佐子のトークがあるのである。2月5日にもあったが、その日は夕方だったので敬遠した。(7日夜が「ラ・マンチャの男」だから体力温存。)今度も疲れていて、5種目目に挑む高木美帆みたいな気持ちだったが、頑張ったらやはり金メダル級のトークを聞けたから大満足。
(井上淳一監督と渡辺美佐子)
 この日は「真田風雲録」の上映があって、その後に井上淳一監督の司会でトークが始まった。井上淳一は2019年に「誰がために憲法はある」で渡辺美佐子と仕事をした監督である。(上記画像はシネマヴェーラのツイッターから))トークの中で紹介されたが、20日発売のキネマ旬報3月上旬号(表紙が「ウエスト・サイド・ストーリー」になっている)で、渡辺美佐子の長いインタビューが掲載されている。それを聞いて、帰りに早速東急百貨店本店の7階にある本屋に買いに行った。そのインタビューも貴重な話が満載である。(聞き手は濱田研吾氏。)なお、加藤泰監督の「真田風雲録」(1963)に関しては、2016年に「映画「真田風雲録」と加藤泰監督の映画」を書いた。原作の福田善之の戯曲と林光のテーマソングに深い思い出がある映画だ。

 渡辺美佐子といっても主演スターじゃないから、判らない人もいるだろう。活動の主体は舞台だったが、昔の新劇俳優の常として全盛期の映画に出ないと公演が続けられない。俳優座養成所第3期生で、卒業後に小沢昭一らの劇団新人会に入団した。今回シネマヴェーラ渋谷の特集「役を生きる 女優・渡辺美佐子」で21本の映画が上映されている。そのうち18本が日活作品になっているが、小沢昭一とともに日活と一年間5本の契約を結んだからだ。(「真田風雲録」を含めて3本は東映作品。)主演は一本もないが、見れば忘れられない重要な脇役が多い。(特に今村昌平監督「果しなき欲望」ではブルーリボン賞助演女優賞を受けた。)
(シネマヴェーラ渋谷のチラシ)
 舞台では井上ひさしの一人芝居「化粧」で知られるが、もう一つ朗読劇「この子たちの夏」など戦争を語り伝える活動を続けたことも忘れられない。今回のトークでも反戦平和の思いを語っていたが、その原点は養成所時代に出た今井正監督「ひめゆりの塔」にあった。養成所にスカウトに来た今井監督が数人を選んで出演することになった。しかし、ラッシュフィルムの試写を見たら何か違うと感じて泣いてしまった。今井監督は「何が違うかよく考えてみなさい。一週間後に撮り直すから。」と言ったという。そこで振り返ってみたら、自分はポチャッとしているけど、当時のひめゆり学徒がそんな姿のはずがない。そこで一週間絶食して、あるいは醤油を薄めて飲んだりもしてみて一週間後に撮り直した。自分じゃ何も変わってないと思ったが、監督には「眼がギラギラしていた」と言われた。女優は体が資本なんだと思い知ったという。

 渡辺美佐子は1932年生まれで、もう89歳である。それなのに何と元気で生き生きと昔のことを語るのだろう。もう驚くしかない。僕がちょっと驚いたのは、俳優座養成所では演技指導が僅かしかなかったということである。一週間に2時間だけ。後は座学でシェークスピアなどを学ぶ。「教養主義」みたいなものが生きていた時代なんだろう。ところが映画に出るときは劇団出身ということで、監督は演技指導などほとんどしてくれない。午前中に女学生、午後に芸者みたいに掛け持ちで映画撮影に臨んでいた時代である。困った渡辺美佐子は衣装係や小道具係に相談に行ったんだそうだ。普段着たことがない着物の着方、お猪口の上手な持ち方など熱心に指導して貰って演技を覚えたという。だから「映画育ち」なんだという。

 当日上演の「真田風雲録」は、舞台版から「お霧霧隠才蔵)」の役が渡辺美佐子の当たり役だった。評判を呼んであちこちで上演されたが、京都公演に中村錦之助有馬稲子夫妻が見に来た。その辺りから、東映で映画化の話が出て来たわけだが、結構すったもんだあったようだ。(ウィキペディアの「真田風雲録」に出ている。)錦之助が出ることで、猿飛佐助が主演のスター映画になった。それは仕方ないと思うが、もともとこの原作戯曲は「60年安保闘争の総括」である。何よりも「統一と団結」を最優先にする大坂城「実権派」を「既成左翼」とみなすわけである。突撃する真田隊を批判する人々は「統一を乱すものは敵を利する。敵を利するものは、すでに敵である」と言う。こういう物言いは当時の左翼活動家の常套句だった。
(映画「真田風雲録」)
 ところで渡辺美佐子の衣装は網タイツ姿になっている。これは舞台版演出を担当した千田是也のアイディアだそうで、そこから「くノ一」(女忍者)の衣装と言えば網タイツになったんだという。知られざる秘話だろう。撮影では馬が荒れて大変だったという。そもそも乱戦という設定だから、馬も驚いてしまうのだという。ホントは落馬しないはずが、馬が鳴り物に驚いてしまって渡辺美佐子も落馬してしまった。監督はカメラマンを呼んで、ここ撮ってと指示して、終了してから病院へ運べとなったという。網タイツが皮膚に食い込んでしばらく痕が残ったそうである。

 草創期のテレビの話も興味深かった。石井ふく子、橋田壽賀子らと視聴率を気にせずドラマを作ってた時代を生き生きと語った。この時代のテレビ放送はビデオが残っていない。渡辺美佐子はTBSのプロデューサーだった大山勝美と結婚したので、テレビ界の知られざる話ももっとあるに違いない。司会の井上淳一監督の「誰がために憲法はある」という映画で、渡辺美佐子は「憲法くん」という役を演じた。そして「地人会」「夏の会」を通して「この子たちの夏」朗読を続けた。さすがに2019年で終わりになったが、若い人に替わって続けられている。この日3回目の接種を受けてきたといいながら、元気で昔の思い出を語り続ける。そんな渡辺美佐子のトークを聞けたのは、大きな宝物だなあと思って聞いていた。
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新宿末廣亭で桂宮治と「成金」競演を見る

2022年02月19日 22時33分11秒 | 落語(講談・浪曲)
 2月18日に新宿末廣亭2月中席夜興行を見てきた。トリを「笑点」新メンバーで一般知名度が一気にアップした桂宮治が務める。他にも旧「成金」メンバーが勢揃いで、勢いだけで言えば現在最強かもしれない。ということで行きたいと思ったのだが、こういう人気番組は今までだとかなり早くから並ばないとダメだった。寒い中並んで、自分の前で終わったら悲劇だから行きたくなかったが、この興行からイープラス(e+)で前売するようになった。そこでイープラスに新たに登録して買っておいた。

 と思ったら、末廣亭ホームページには、何と桂宮治が「みなし陽性」で自宅待機になって初日から5日間休演と出た。結局6日目まで休演で、7日目から登場した。僕は18日だから間に合った。休演ばかりになっている「ラ・マンチャの男」を前日に見たのに続き、今回も予定通り。何だか運がいいけど、今年の運を使い果たしてしまわないか心配。やっと出られた前日にはテレビ局が何局も入っていたというが、18日は「ヨネスケちゃんねる」(桂米助のYouTube番組)だけが来ていたというのが笑える。

 「成金」というのは、落語芸術協会の二つ目11人で結成したユニットで、2013年から2019年まで活動した。誰かが真打に昇進したらオシマイと決めていて、柳亭小痴楽の昇進で解散した。その後、六代目神田伯山、「昔昔亭A太郎、瀧川鯉八、桂伸衛門」、桂宮治、「三遊亭小笑、春風亭昇々、笑福亭羽光」と次々に昇進して、ここで書いた人も多い。2022年5月に「春風亭柳若、春風亭昇也」が昇進して全員が真打となる。カギ括弧は同時昇進で、ない人は単独昇進。今回は全員が出ている。(昨日は昔昔亭A太郎が休演。伯山は浪曲の玉川大福と交代出演。)これだけそろうのは貴重な機会だ。見逃せない。

 トリの桂宮治から書くと、鬱憤を晴らすかのような異様なハイテンションで、マクラからオチまで駆け抜ける。いつも全力投球ではあるが、知名度急上昇さなかの定席トリが、まさかの6日休演。これは悔しいだろうが、他の皆にネタを提供していた。「絶対ズル休み」などと言われる中、ぶっ飛んでおかしかったのは瀧川鯉八。「冬の寒い夜、新作を作っていてどうしても出来ないで悩んでしまう。そんな時に、欲しくなるのは、薬物です。」なんて始まって、「宮治はやってますよ。あのハイテンション見れば判るでしょう。私も宮治から買っています。」と続くあたりの悪ノリに爆笑である。

 演目は「死神」で非常に素晴らしかった。この前好楽でも聞いたけど、勢いでは宮治が上だったと思う。まあ落語は勢いではなく、淡々と話す中に深みを感じさせるという方向もあると思うが、宮治の場合は話芸という以上に「一人芝居」に近い。体全体で演じるという趣で、緩急、陰影のある話ぶりが立体的に伝わる。ちょうどⅠ年前の真打昇進興行の時はマクラの面白さばかり覚えているが、やはり相当の実力だなと思った。願わくば「笑点」で変になっちゃわないことを祈る。
(桂宮治)
 今回聞いた中で、話の面白さで抜群なのは柳亭小痴楽だなあと思った。「粗忽長屋」という何度も聞いてるネタだけど、小痴楽がやるといつも以上におかしい。行き倒れの死体に行き会って、ああこれは熊の野郎だ、今朝会ったから間違いない、みたいな展開がおかしいわけである。大体落語というものは、人の「粗忽」を笑うものだが、これだけおバカぶりが堂に入っていると、嫌みにならずにほとんどシュールになる。久しぶりの小痴楽だが、やっぱり面白い。
(柳亭小痴楽) 
 前座は別にして最初は春風亭昇也で、最初だから宮治をいじって受けていたが、噺は「時そば」。奇術のポロンに続いて、三遊亭小笑は「転失気」(てんしき)。「おなら」のことであるが、それを知らずに知ったかぶりをする。最初の方だから大ネタは出来ないが、今ひとつ。笑福亭羽光は大阪出身だが、東京で活躍する鶴光に弟子入りした。関東、関西の友人二人が秘湯の宿に泊まるが、そこの主人は関西出身者にいじめられて死んだので、関西人っぽいシチュエーションになると化けて出る。何か飲み物をお出ししますと聞かれて、関東人が「アイスレモンティー」を注文するが、関西人が「レイコ」というと幽霊が出るという新作。

 バイオリン漫談のマグナム小林を間にはさみ、今も大人気の神田伯山。こういう中にはいると、何だか普通に思えてくる。ネタは平手造酒で、これは一発変換できないから「ひらて・みき」とフリガナを付けないと今は読めない人が多いだろう。天保時代の下総(千葉県北部)にいた剣客で、博徒笹川繁蔵方に付き飯岡助五郎との出入りで死んだ。「天保水滸伝」の途中まで。
(神田伯山)
 桂伸衛門は前に超絶的「寿限無」を聞いたけど、この人も相当変な人だと思う。今回は「マスクの女」という新作で、ある女子生徒を男子生徒が好きになる。コロナ禍の高校生事情を軽妙に描く作品で、女子高生のマネがおかしい。確かに今はマスク越しの会話が多く、マスクなしの顔を体育の時間に見て好きになったというと、「キモい」と返される。女子が男子を見るのはいいけど、男子が女子のマスクなし顔をチェックするのは「キモい」という。だからマスクを取って見せてくれと言って、もめてるところに用務員が現れて…。コロナ時代を代表する新作に磨き上げられていくのか。それとも忘れられてしまう作品か、まだ見極めは難しい。
(桂伸衛門)
 18日が誕生日の「ねづっち」の謎かけ、小痴楽で中入り。春風亭柳若は古典が多いと言うけれど、今回はロック音楽ファンならではの新作。ロックでメジャーデビューしてインタビューを受ける兄弟グループ。父親がロックなんだから、スラム育ちと言えとか押しつけてくる。瀧川鯉八は前に聞いてるけど、どうにも可笑しなニキビの新作。「ニキビ」というらしいが、ニキビをつぶすかつぶさないかをめぐる祖母と孫の会話なんて、どうしてこんな新作を思いつけるのかな。次の春風亭昇々は見習い泥棒の間抜けぶりを描く「鈴ヶ森」。曲芸のボンボン・ブラザースを経て、いよいよトリの宮治である。
(瀧川鯉八)
 全体を通して、かつてないほど受けていた落語の定席だったと思う。しかし、コロナ禍で飲みにも行けないかつての仲間たちが内輪ネタで盛り上がるサークル同窓会の趣がある。盛り上がりすぎじゃないか、と思わないでもない。桂宮治は笑点メンバーに選ばれたが、それが吉と出るかは本人次第。「笑点」には株価ばかりを気にする外資ファンドみたいなところがある。じっくり聞かせることより、目先の受け狙いにならないで欲しい。とにかく現時点ではもっとも受ける芸人の一人。
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「寒い朝」でも「心ひとつで暖かくなる」のか?

2022年02月17日 23時36分54秒 | 自分の話&日記
 何だかいつまでも寒い。冬なんだから寒いのはやむを得ない。でもその地域ごとに平均気温があって、体はそれに適応している。今年は明らかに寒いなあと思う。これは昨年に気象庁が「ラニーニャ現象」が発生していると発表した時から予想していた。ラニーニャ現象に関しては、ちょうど一年ぐらい前に「エルニーニョ現象とラニーニャ現象」を書いたので、それを参照。2020年秋もラニーニャ現象が起きたが、2021年2月頃には解消して暖かくなった。そのため観測史上最も早い桜開花日を記録したところが多かった。東京を調べてみると、3月14日に開花、23日には満開だった。春休みから入学式には散っていたわけである。

 今年はどれぐらい寒いのだろうか。僕が住んでいる東京都足立区の例年平均気温を調べてみると、以下の通り。1月は平均気温5.2℃、平均最高気温9.5℃、平均最低気温1.2℃、2月は平均気温5.6℃、平均最高気温9.7℃、平均最低気温1.7℃になっている。12月と3月の平均最高気温は12℃を越えていて、昼間がかなり暖かくなるときがある。1月、2月は最高気温の平均が10℃を下回るわけだが、平均なんだから時には10℃を越える日がないとそういう数字にならない。今年は10℃を越えたのが12日で、下回ったのが19日。6日には2.6℃という低さで雪が降った。2月は10℃に達しない日が10日。(今日は17日なのだから、半分以上。)朝もそうだけど、一日通して気温が上がらないのが寒い印象になる。

 まあそういうことを言っていても仕方ない。寒くても2月になれば、日は長くなる。冬至からもう2ヶ月近く経っている。10月下旬頃と同じぐらいの太陽になっているわけだ。年末には4時過ぎには暗い感じがしたが、今は5時半頃でも明るさが残る感じ。寒い朝が続くと、僕は何となく「北風吹き抜く 寒い朝も 心ひとつで暖かくなる」と口ずさんでしまう。吉永小百合・和田弘とマヒナスターズによる1962年の歌である。これは調べてみると、石坂洋次郎原作「寒い朝」の映画化「赤い蕾と白い花」の主題歌だったそうである。それは僕は見てないので判らないが、「いつでも夢を」という映画に出て来たのはよく覚えている。
 (「寒い朝」)
 3番には「いじけていないで 手に手を取って 望みに胸を元気に張って」とある。佐伯孝夫作詞で、いかにも60年代的だ。「いつでも夢を」という映画は1963年1月に公開された。橋幸夫・吉永小百合の歌が1962年9月に先に発表されていた。大ヒットして、62年のレコード大賞を受賞した。「寒い朝」と同じく、佐伯孝夫作詞吉田正作曲である。デュエット曲として、今でも有名で知っている人が多いだろう。映画は野村孝監督作品で、東京下町の青春模様を描いている。橋幸夫と浜田光夫が吉永小百合をめぐって殴り合うシーンがある。そんなこともある青春である。
(「いつでも夢を」)
 「いつでも夢を」が興味深いのは、定時制高校で学ぶ若者たちを描いているからだ。それも東京東部の高校である。どことは出て来ないが(セットで撮影された架空の学校)、荒川土手や千住、墨田区あたりの町工場が出て来る。当然そのあたりの高校という設定だろう。昔はそのあたりにたくさんの定時制高校があった。ほとんど無くなってしまったが。吉永小百合は「准看護婦」の役だった。クラスメートの松原智恵子は結核が悪化して休学せざるを得なくなる。60年代初期は高度成長が始まり、64年の東京五輪を前に「いつでも夢を」の時代に描かれることが多いが、まだまだ日本は貧しかったのである。
(映画「いつでも夢を」)
 僕はもう「心ひとつで暖かく」になんかならない。それは自分の実人生がピークを過ぎているんだから当然であるが、それだけでもない。皆で「手に手を取って」なんて、実は信じていないのである。困難に立ち向かうのは大事だが、それでも「心ひとつ」では変えられないものがある。それを変えていくには、どうすればいいんだろうか。そんな歌を皆で歌えた時代を良い時代とも思わない。一人一人がブツブツ自分でつぶやける時代の方がいいじゃないかと思う。季節で言えば、今は寒くても必ず夏が来る。それは地球が傾いて公転しているんだから、そうなるのである。しかし、世の中はどうしても自分を中心にある「天動説」みたいに思いやすい。でも、ホントは世の中も「地動説」。自分の思いだけでは、なかなか変わらないという現実に心が沈んでしまう。
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映画「ラストナイト・イン・ソーホー」、上出来のサイコホラー

2022年02月16日 23時33分16秒 |  〃  (新作外国映画)
 エドガー・ライト監督「ラストナイト・イン・ソーホー」(Last Night In Soho)という映画が12月に公開された。その時は見逃してしまったのだが、キネ旬ベストテンで何と6位に入っているじゃないか。どこかで見たいなと思ったら、角川シネマ有楽町や新宿シネマカリテで遅れて上映されている。早速見たところ、これは素晴らしい傑作だった。音楽と映像に酔いながら一気見してしまう。拡大公開は終了しているが、どこかで見る機会があったら是非見逃さないで欲しい。絶対に大画面で見るべき映画だ。

 この映画は知っていたけど、「モダンホラー」とか「サイコホラー」などと宣伝されていたから見逃してしまった。僕は「ホラー」「SF」「戦争映画」なんかは見逃すことが多い。怖いからホラー映画が嫌いなんじゃなくて、ほとんど怖くないからつまらないのである。SFや戦争映画もそうだが、現代ではほとんど特撮をウリにしている。しかし特撮は技術的にいくら凄くても、ホントではない。劇映画なんだからホントじゃなくていいんだけど、物語では「世界観」こそ決め手である。(あえてチープな特撮でパロディにするのはアリだが。)この映画も僕は怖いとは思わなかったが、とにかくよく出来ている。
(左=エリー、右=サンディ)
 一体どういう映画なのか、それ自体がミステリーになっているので、全部書いちゃうわけにはいかない。そこで映画館の宣伝からコピーする。「エロイーズは、ファッションデザイナーになるべくロンドンのデザイン学校に入学するも、同級生たちとの寮生活に馴染めず、ソーホー地区の片隅で一人暮らしを始めることに。新居のアパートで眠りに着くと、夢の中で60年代のソーホーにいた。そこで歌手を夢見る魅惑的なサンディに出会うと、身体も感覚も彼女と一体化してゆく。夢の中の体験が現実にも影響を与え、充実した毎日を送れるようになったエロイーズは、タイムリープを繰り返していく。だがある日、夢の中でサンディが殺されるところを目撃してしまう。その日を境に現実で謎の亡霊が現れ始め、徐々に精神を蝕まれるエロイーズ。そんな中、サンディを殺した殺人鬼が現代にも生きている可能性に気づき、エロイーズはたった一人で事件の真相を追いかけるのだが・・・。」

 エロイーズ(エリー)はもともと霊能力の素質があって、若くして亡くなった母を見ることがある。イングランドの地方(コーンウォール半島)出身で祖母に育てられた。だから60年代の音楽を聞いてるし、レトロなファッションが好き。母もロンドンに出たが、都会に負けて自殺した。だから「ロンドンは怖い」と言われて育つが、やはりファッションデザイナーが目標でロンドンに出たい。母の敵を討つつもりでロンドンに出て来たが、やっぱり田舎娘で堅いからクラスメートになじめない。バカにされて居心地が悪く、寮を出て下宿したい。そして、昔気質のミス・コリンズの屋根裏という格好の場所を見つけた。
(サンディとエリー)
 ところが下宿した頃から、夢に60年代のロンドンが出て来るようになる。そこでは「007/サンダーボール作戦」(1965)が上映されている。(なお、下宿の大家をやってるダイアナ・リグは「女王陛下の007」のボンドガールだった人だという。)そして夢の中にはロンドンでスターになりたいサンディという女性が出て来るようになる。サンディとは誰か、現実にいるのか、誰かの若い頃なのか。それがラストまで判らないけれど、とにかく夢の中の60年代が素晴らしい。エリーとサンディが鏡の中で向かい合うシーンなど、鏡を使った映画史上「上海から来た女」(オーソン・ウェルズ)を上回るような魅力だ。しかし、サンディの夢は男たちに収奪されていき、エリーはサンディの夢を見るのが次第につらくなる。
(サンディ)
 エリーはトーマシン・マッケンジー、サンディはアニャ・テイラー=ジョイで、どちらも知らない。まあ経歴を見ると見た映画もあるが判らなかった。どちらも非常に魅力的で注目株。また謎の男をテレンス・スタンプがやっている。60年代に活躍した俳優で、ケン・ローチ「夜空に星があるように」、パゾリーニ「テオレマ」と旧作が今年日本で上映されるのも不思議な縁。先に触れたダイアナ・リグは撮影後に死亡して遺作となった。サンディを見ると、60年代東京を舞台に小松菜奈主演でリメイクしたくなる。
 
 60年代ファッションと音楽が素晴らしく魅力的だ。題名の「ラストナイト・イン・ソーホー」もデイヴ・ディー・グループの曲だという。他にもペトゥラ・クラークの「恋のダウンタウン」が効果的に使われている。そういうところだけを取ると、懐古趣味のサイコホラー、あるいはタイムリープものに感じるかもしれない。というか、そういう映画であるのは間違いないんだけど、この映画はそれだけではない。「大都会」の中で「男たち」によって「性的商品化」されてきた女たちの時空を越えた叫びこそが映画のテーマなのである。霊能力がある(と映画内でされている)エリーを通して、そのことが示される。

 この映画の脚本はエドガー・ライトクリスティ・ウィルソン=ケアンズによって書かれた。エドガー・ライト(1974~)は2017年の快作「ベイビー・ドライバー」で知られる。低予算で趣味的な作品が得意な人。クリスティ・ウィルソン=ケアンズは「1917 命をかけた伝令」でアカデミー賞にノミネートされた。構想の大きさ、テーマ性などは彼女がもたらしたものかと思う。趣味的な細部へのこだわりの裏に骨太な感性がある。また撮影を韓国のチョン・ジョンフンが務めている。パク・チャヌク監督の「オールド・ボーイ」「渇き」「お嬢さん」などを担当した人で、なるほど同じような魔術的な映像世界を見せてくれる。
(ソーホー地区)
 ソーホーという地名はニューヨークなど各地にあるが、もともとはロンドンからだという。20世紀には性風俗店が多い歓楽街だったという。現在では高級レストランが並ぶ地区に変わって、性産業はなくなったというが、この映画では60年代ソーホーの猥雑でいかがわしい雰囲気が再現されている。とにかく映像の疾走感が素晴らしくて、真相はいかにとドキドキして見る快感がたまらない。「鏡映画」であるとともに「階段映画」でもあって、魔術的映像美の中をエリーの叫びとともに60年代を走り回る。
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緊迫するウクライナ情勢ー戦争回避への道はあるか

2022年02月15日 22時47分28秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ情勢が緊迫している。アメリカの情報によれば、16日にもロシアが侵攻を開始する可能性があるとか。イラクの大量破壊兵器に関して大誤報を冒した米国情報機関がどれほど信用できるのか、僕には疑問がある。現在北京冬季五輪が開催中だから、いま戦争を起こすなら、中国の顔をつぶすことになる。国連安保理常任理事国の中で、唯一ロシアを支持するのが中国なんだから、本当に侵攻するのだろうか。しかし、2008年の北京夏季五輪開催中にロシアとジョージアの軍事的衝突が起きた。2014年のソチ五輪後にはクリミア併合を実行した。ロシアにとって、五輪は「隠れ蓑」として利用できるいうのがホンネなのかもしれない。

 先に「「ウクライナ危機」、ロシア軍の侵攻はありうるか」(2022.1.13)を書いた。その後、米欧各国の外交調停がいろいろ行われた。何とかまとまることを期待したが、今のところ功を奏していない。それどころか、ロシアはベラルーシと合同軍事演習を行っている。ロシア海軍を黒海にも展開させていて、「三方から侵攻出来る態勢を整えた」と言われている。(下記地図を参照。)実際の侵攻の有無に関わらず、現在のロシア軍の展開は国連憲章違反の脅迫的行動である。
(三方から包囲されるウクライナ)
 「国際連合憲章」では加盟国の安全保障に関して、以下のように定めている。
1.この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。
2.すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。
3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。
4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。(以下略)

 誰がどう見てもロシアの行動はこの規定に抵触する。しかし、ロシアが常任理事国であって「拒否権」を持っているから、国連安保理は全く機能していない。今までも米国の露骨な軍事行動を国連は止められなかった。同じようにロシアの軍事行動にも国連は無力なのか。それを見れば、中国も「国連無視」を学ぶに違いない。一体、どうしてこんなことになってしまったのか。

 このウクライナ情勢に関しては、いろいろな疑問がある。まずロシアの侵攻を止めるための反戦運動がほとんどないこと。小さな行動はあるようだが、大規模なデモなどが起こっていない。そこが2003年のイラク戦争との大きな違いである。それはやはり新型コロナウイルスのパンデミックという現状が大きいだろう。また日本ではやはりウクライナ問題は遠いということもあるだろう。寒い冬だし、コロナ禍でもある。外出もままならない。

 デモも集会もないまま、国連も機能せず、世界は有力リーダーの調停に期待をつなぐしかなくなっている。しかし、ドイツのショルツ新首相にはまだ外交的業績がない。フランスのマクロン大統領が存在感を高めている感じだが、大統領選絡みの思惑もあるだろう。マクロン訪ロ時のプーチンとの会談では、大きなテーブルに離れて座った写真が現状を象徴している感じがした。これはロシアのPCR検査を受けないということで、ソーシャル・ディスタンスを取ったらしい。(マクロンもショルツもロシアのPCR検査を受けなかったが、それは遺伝子情報をロシアに与えないためと言われている。)
(プーチン・マクロン会談)
 結局マクロン訪ロは成功したのかどうか、今ひとつはっきりしない。ベラルーシからは演習終了後ロシア軍を引き揚げると言ったという情報もあるが、それは確約ではないとも言う。アメリカは周辺諸国への派兵、軍事援助を増やしている。どうもアメリカの行動もよく判らない。ロシアに対してはどう出るべきなのか。63年のキューバ危機などの経験から、妥協しなければ折れてくる、弱腰を見せればどんどん攻めてくる、強く出る方が良いという教訓を得ているのかもしれない。しかし、今はソ連時代ではない。プーチンといえど、普通選挙を経て選ばれている。あまり弱腰を見せられない「文化」の中にいるとも考えられる。

 双方戦争を始めるつもりはなかったものの、振り上げた拳を下ろせないまま追い込まれるように戦闘が始まってしまったという戦争は歴史には多いだろう。現状をロシア側から見ると、アメリカなどがウクライナや東欧諸国に軍事的援助を強化しているニュースばかり見て、被害者意識が強いようだ。ロシアの世論調査では「ソ連崩壊は大惨事だった」という認識が強くなっているという。下記地図で判るように、ソ連時代は自国の勢力圏だった東欧諸国はほぼNATOに加盟してしまった。旧ソ連のバルト三国まで加盟している。バルト三国はもともと独立国で、ソ連が第二次大戦時に侵略したわけだが、そういう認識はほとんどのロシア人にはないという。それに加えて、スラブ系であるウクライナまでNATOに加盟する意向を持っている。ロシアに向かって攻めて来ているのはNATOの方だというのがロシア人の世界認識だろう。
(ウクライナ周辺国とNATO加盟国)
 ロシアのマスコミでは政権側の報道統制もあって、自国の暗黒面は報じられない。ロシアは現時点では五輪に「ROC」(ロシア・オリンピック委員会)としか出られないが、過去の悪質な国家的ドーピング隠しもロシア国内では報じられていないという。ロシア国内では言論の自由、報道の自由がどんどん奪われていて、野党指導者ナワリヌイ氏は収監されたまま「テロリスト」認定を受けてしまった。昨年末にはスターリン時代の大粛清を記憶するために活動してきた人権団体「メモリアル」に解散命令が出される事態にまで至った。そんな状況の中で、ロシア国内で戦争はおかしいという声は挙げにくいと推測できる。しかし、双方で角突き合っている状態が良いとは思えない。

 ウクライナには自国の方針を自国で決める権利がある。だからといって、かつてソ連を相手国として結成されたNATOにバルト三国を除く旧ソ連形成国を加えるのは、僕には挑発が過ぎるという気もする。ロシア軍が東部地域とクリミア半島から撤退すれば、NATOに当面加盟しないで良いと思う。しかし、ロシアはクリミアから撤退はしない。そこで妥協が出来なくなるわけだが、あくまでも外交交渉を続けるという確認がまず必要だ。実際にウクライナ侵攻ということになれば、ウクライナはもちろん、ロシアも世界全体もあまりにも大きな傷を負う。ウクライナでは多数の死者が出るのは避けられないし、ロシア軍でも多くの若者が犠牲になる。悲劇を防ぐために世界中で声を挙げないといけない。
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「学校に複数の新聞を」、文科省の方針を考える

2022年02月14日 23時38分45秒 |  〃 (教育問題一般)
 1月24日に文科省が学校の図書館整備に関する5カ年計画を策定した。その目玉は、「公立小中高校全てで図書館に新聞を複数紙置くように都道府県教育委員会に通知したことである。目安の部数を各学校で現行計画より1つずつ増やし、小学校は2紙、中学は3紙、高校は5紙とする。国は配備費用として5年間の合計で190億円の地方財政措置を講じる。」という。

 新聞には小さく載っていたが、テレビやウェブニュースではあまり取り上げられていなかったから、気付いていない人も多いと思う。この方針をどう考えるべきだろうか。もともと新学習指導要領で「新聞を教材として活用すること」が求められている。文科省によれば、「選挙権年齢の18歳以上への引き下げ」や、「民法上の成人年齢が22年4月から18歳に引き下げられる」などを踏まえて、「児童生徒が社会の課題を多面的に判断する必要がある」というのである。この方針はその通りと思うし、学校や地方自治体の予算と別枠で国の予算が付くんだったら、一見何も問題なさそうに思える。
(新聞を学校に置く状況)
 でもよくよく考えると、これをどう考えるか心配もある。一つは多忙な学校現場が新聞を活用できるのか。そもそも図書館に置いてあっても、小中だと図書館が常時開館していない学校だって多いだろう。開いてたって、生徒は放課後も昼休みも忙しくて読みに行けるか。新聞のバックナバーをずっと取っておくわけにはいかないから、いつか捨てるしかない。家庭ゴミは無料だが、学校も事業所だからゴミ出しは有料になる(はず)。学校は紙ゴミが(多分昔よりずっと減ってるだろうが)、すごく多い。個人情報漏洩にならないように、紙ゴミは気を遣う。古新聞には個人情報はないけれど、ゴミ処理費が増えるのは間違いない。

 まあ、その問題はともかくとして、その「複数紙」はどこにするのだろうか。今までは取る新聞は学校が決めていたと思う。しかし、国費を投じるとなれば、それをどこにするか気を遣う。高校はともかく、小中は教科書のように、教育委員会が「採択」するなんてことにならないか。右派系首長がいる自治体が無理やり「産経新聞」を取れと決めてしまうとか。中学3紙といえば、シェアと論調を考えると、まずは「朝日」「読売」が入る。その地方に有力地方紙(中日新聞、北海道新聞、河北新報、信濃毎日新聞等)があれば、それで決まりの場合が多くなるのだろうか。
(新聞配備校の現状)
 高校の場合は、そこに「毎日」「日経」「産経」等から選択することになるだろうが、果たしてそれで生徒が読むのだろうか。生徒が読みやすい点だけを考えれば、「スポーツ紙」を選択した方が良い。しかし、今はどうだか知らないが、昔は性風俗が載ってる頁もあったし、それは別にしても競馬競輪などのニュースは必ず載ってる。競馬は一般紙にも載るが、比重が違う。公営とはいえ、ギャンブルを大きく取り上げるのはまずいと言われるに違いない。だけど一般紙だけだと、よほど授業で使わない限り、多くの生徒が読みに行くとは思えない。朝日と読売が置いてあっても、社説を読み比べる生徒なんているとは思えない

 もう一つ、高校では英字新聞を取ることも考えられる。大人向けの英字新聞だと難しいかもしれないが、こういう方針が出て、今後学校向け英字新聞を出す新聞社があるかもしれない。(ところで普通「英字新聞」と言って、「英語新聞」と呼ばないのは何故だろう。)あるいは「朝日中高生新聞」というのもある。(「毎日中学生新聞」もあったが廃刊。「読売KODOMO新聞」「読売中高生新聞」もあるが、週刊なので対象から外れるだろう。)

 僕は昔「新聞記事を読んで感想を発表する」という授業をしていた。その頃は大体の家が新聞を取っていた。家庭の経済事情が判ってしまうから、そんな授業をするなとか誰にも言われなかった。それでも僕はまだ「世間」を知らなかったから、生徒の家は皆一般紙を取っているもんだと思っていた。実際は報知新聞聖教新聞を取り上げる生徒がかなりいた。(報知は読売系のスポーツ紙で、下町はジャイアンツファンが多い。)それでもまだまだ「新聞を読む」授業は生徒や家庭から文句を言われず成立していた時代だった。実は自分の中学時代に同じような授業を受けて、それを受け継いだのである。でも今の教員はどれだけそういう経験があるだろう。

 紙の新聞に学校で触れることは重要だと思う。家にない場合もあるし、ニュースはスマホで見れば良いというわけには行かない。新聞にはテレビやインターネットでは得られない、深堀り解説がある。速報性に劣っても、じっくり読んで考えるには紙媒体の方が合っている。また「実用文を読む訓練」にも紙の新聞の役割は大きい。社会、国語などは当然だが、他教科でも活用方法を考えていかなければいけない。「数学」でもやりようによっては大いに活用できる。記事の大きさ、文字数など様々な情報を数値化して、そこから情報の重要性を考えるなどである。最近は生活や健康の記事も多いから、家庭保健体育でも新聞を活用できる。だが、まずは多忙な教員が自ら新聞を読まない限り何も始まらないだろう。
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感動的な「Coda コーダ あいのうた」

2022年02月13日 22時50分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 「コーダ」(CODA)という言葉を初めて知ったのは、丸山正樹「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」を読んだときのことだった。”Children Of Deaf Adults”の略で、「聴覚障害者の中で育つ子ども」のことである。丸山さんの本はミステリー仕立てで「ろう者」の人生をテーマにしている。その後、シリーズ化されているようだが、僕は読んでいない。その小説では父母兄が「ろう」で、自分だけが健聴者である女性が主人公だった。その後、ちょうど同じ設定の家族を描いたフランス映画「エール!」(2014)が作られた。それも見てないけれど、その映画がアメリカでリメイクされたのが「Coda コーダ あいのうた」である。

 アメリカでは外国映画を英語映画にリメイクすることが多い。それはどうなんだろうという気もする。世界で一番通用する「英語」映画にしてしまおうという感じがして、なんか釈然としない。アメリカ人は字幕付きで外国映画を見ないんだろうなあ。フランスで大ヒットした「最強のふたり」もアメリカでリメイクされたが、あまり評判にならなかった。でも今度の「Coda コーダ あいのうた」はアカデミー賞作品賞にノミネートされている。他にも助演男優賞、脚色賞にもノミネートされた。「アカデミー賞最有力」という宣伝は誇大だと思うけど、確かに上出来の感動作になっている。

 フランス映画では酪農を営む農家という設定だったはず。それがこの映画では冒頭が漁業シーンになっている。一家で朝早くから漁業に出ていて、父、兄とルビーが一緒に働いている。父、兄は耳が聞こえないから、値段交渉などはルビーが「通訳」するしかない。父も兄も頑固な感じで、ルビーもそんな暮らしを当たり前と思ってきた。それから高校へ行くから、時には授業で寝てしまう。着替えしないで行くこともあって、魚臭いと思われている。ろう者の中で暮らしてきたから、言葉遣いがおかしいと言われたこともあって、あまり人前に出たくない。そんなルビーがちょっと気になるマイルズにつられて合唱クラブを選択してしまう。
(船上のルビー)
 歌を教えるのがメキシコ系のベルナド・ヴィラロボス先生で、どういう立場で学校にいるのかよく判らないけど、非常に自由な教え方で面白い。最初は人前で歌えなかったルビーの歌の才能を先生が見つける。そしてマイルズと一緒にデュエットするようにと、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル「You're All I Need To Get By」という歌を練習するようにと言う。家にマイルズが来て練習していると、何と両親の「あの声」が聞こえてきて。それを学校でからかわれて、マイルズとの関係もこじれてしまう。そんな中で漁業をめぐる一家の事情も大きく揺れる。仲買を通さず自分たちで漁業協同組合を作ろうとする父。
(ルビーとその家族)
 ますます「通訳」としてルビーが必要になるが、先生は自分の出身でもあるボストンのバークリー音大に行ってはどうかと勧める。こうして「家族」と「彼」との関係が悪化するわけだが、そこがどうなっていくか。家族ともめて船に行かなかった日に、検査官が乗り込んできて最悪の状況に陥る。自分はやはり家族と生きて生きていくしかないとルビーは決心する。そして発表会の日が来て…。アメリカ映画では良くある設定だが、高校で音楽や演劇の発表会があり、家族の事情と青春模様が交錯しながら、いよいよ舞台の幕が開く。そこが感動の最高潮になるはずが、この映画では突然音声が消える。つまり、それが父や母の状況なのだ。周りは熱狂し楽しんでいるようだが、自分には全く聞こえない。周りに合わせて拍手はするけれど…。

 親は子どもを離したくない。と同時に好きな道を歩ませたい。兄は家族の犠牲になるなという。大学のオーディションが来て、結局一家が送り出してくれた。(父も自動車免許を持っている。)遅刻して最後に歌を歌うシーンが素晴らしい。歌はジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」(Both Sides, Now)で、映画にピッタリ合っている。この曲が今も歌われているのが嬉しい。入っちゃダメと言われた家族も秘かに2階に見に来る。それに気付いてルビーは手話を交えて「青春の光と影」を熱唱。こういう歌詞だったのか。このルビーをやってるのはイギリス人のエミリア・ジョーンズで、今まで子役でずいぶん活躍している。「ロック&キー」というテレビドラマで知られたという。それは知らないが、今回はアメリカ手話を熱心にマスターして、素晴らしい演技を披露している。
(母親役のマーリン・マトリン)
 リメイク権を持っていたプロデューサーが女性監督のシアン・ヘダーに企画を打診して、手話を学ぶとともに家族の設定を漁業に移した。その脚色が実にうまく功を奏している(シアン・ヘダーが脚色賞にノミネート)。そしてまず母親役にマーリン・マトリンをキャスティングした。知ってるだろうか。1986年に「愛は静けさの中に」でアカデミー賞主演女優賞を受賞した人である。その時21歳で、これは未だに最年少記録になっている。それ以上に凄いのは、本人が聴覚障害者だったのである。その後は目立った活躍をしてなかったが、久しぶりに中年になった姿を見られて嬉しい。マトリンの提案で父と兄役も実際の聴覚障害者が演じている。
(「愛は静けさの中に」)
 父役はトロイ・コッツァーという人で、アカデミー賞初め各種映画賞で助演賞にノミネートされた。非常に印象深い奥行きのある役柄を見事に演じた。兄はダニエル・デュラント。キャスティングに関しては、エスニシティやセクシュアリティに関して「当事者性」を強く求める考えがある。スピルバーグがリメイクした「ウエスト・サイド・ストーリー」ではプエルトリコ人役はプエルトリコ人が演じた。セクシャル・マイノリティに関しても、本人の性自認と同じキャスティングをするべきだという意見もある。様々な考え方があるだろうが、この映画に関しては聴覚障害者を健聴者が演じることは考えられない。しかし、いずれもシロウトではなく、今までにデフ・シアターなどで活動している。日常的な障害者のアート活動があってこその見応えなのである。
*「誇大宣伝」と書いたけれど、アカデミー賞作品賞を受賞した。ノミネートされた助演男優賞、脚色賞も受賞。ちょっとビックリ。女性監督作品が2年連続で作品賞を獲得した。「ドライブ・マイ・カー」とは「手話」という共通性がある。(2022.3.28追加)
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世界初のコスプレ小説ー「ドン・キホーテ」を読む①

2022年02月12日 22時47分02秒 | 〃 (外国文学)
 「ドン・キホーテ」を検索すれば、まず「驚安量販店」が出てくる。でもその名はスペインの小説から来ているぐらいは常識だろう。ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラが書いた「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」である。でも、ちゃんと読んでる人は少ないと思う。子ども向けのリライトで読むけど、全訳は読まない本である。今回「ラ・マンチャの男」を見るから、読んでみる気になった。本はちくま文庫版、会田由(あいだ・ゆう)訳で、1987年に出ている。いや、35年前の本とはビックリ。そもそもは筑摩書房の文学全集として1965年に出されたもの。つまり半世紀以上も前だが、まあ内容時代が古めかしい世界を描いているので、ほとんど違和感はなかった。これは今は品切れで、後から出た岩波文庫(牛島信明訳)にはワイド版もあるようだ。
(「ドン・キホーテ」前編上巻)
 作者のセルバンテス(1547~1616)はシェークスピア(1564~1616)とほぼ同時代の人である。二人とも同じ年の4月23日に死んでいる。(スペインはグレゴリオ暦で、イングランドはユリウス暦だったから、実際は違う日だというけれど。)「ドン・キホーテ」前編は1605年に出版されて大評判になった。これは「リア王」が初演された年で、前年に「オセロ」、翌年が「マクベス」である。日本で言えば徳川家康(1543~1616)とほぼ同時代の人になる。つまり戦国時代から江戸時代になる頃で、スペイン人は貿易や布教のために来日していた。「大航海時代」も100年前になる。「騎士」が活躍した時代なんかは遙か前である。時代は「国家」が強くなって、軍隊は傭兵を集めるという時代になっていた。
(セルバンテス)
 セルバンテスの人生は、それ自体が非常に興味深いものだった。下級貴族の次男に生まれたが、父の仕事がうまく行かず各地を転々とした。20代初めに枢機卿の従者となってローマに赴き、その後ナポリでスペイン海軍に入った。1571年にスペイン・ヴェネツィア・教皇領連合軍がオスマン帝国海軍を破った有名なレパントの海戦に従軍、セルバンテスは左腕に障害を負った。その後も従軍したが、4年後には海賊に襲われて捕虜となり、アルジェで5年間囚われた。ようやく帰国出来た後も苦労の多い生活が続き、徴税吏になったときは預けておいた銀行が破綻し、未納金を払えず投獄された。その時に獄中で「ドン・キホーテ」を構想したというが、小説が大成功しても版権を売り払っていて本人の収入にならなかった。
(ドン・キホーテ」前編下巻)
 「ドン・キホーテ」は世界初の「コスプレ小説」じゃないかと思う。「コスプレ」はもともと「コスチューム・プレイ」(Costume play)の略で、「時代劇」のことである。昔のハリウッド映画などで、古めかしい衣装をまとって王様や海賊なんかが活躍するものだ。「コスプレ」はその後、特に日本で「アニメのキャラクターに扮する」という意味になって、外国の辞書にも載ってるらしい。「ドン・キホーテ」は郷士アロンソ・キハーナ騎士道小説を読み過ぎて、自分も騎士だと思い込んでしまう。そこで騎士の扮装をして、遍歴の騎士を気取って旅に出るという、これぞ「コスプレ小説」なのである。

 日本にも「時代劇」はいっぱいあった。でも、水戸黄門が大好き過ぎて、自分が黄門様になったつもりで助さん格さんを連れて諸国漫遊に出るという話は日本ではないと思う。時代が違いすぎるというのもあるが、要するに「時代劇」はエンタメの一種であって、思想に基づかないということが大きいと思う。騎士道に対して、日本にも「武士道」があった。武士道は近代になって帝国軍人に受け継がれた。自分を「帝国軍人」とか「特攻隊」のつもりで軍服を着てデモをする人なら存在する。中には旧軍に憧れるあまり、世直しに立ちあがる人なら存在すると思う。つまり、それが「ドン・キホーテ」なのである。
(ラ・マンチャ地方)
 「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」(Don Quijote de la Mancha)の「ドン」というのは騎士階級の尊称で、ラ・マンチャはスペイン中部の地名で、マドリッドの南部に広がる乾燥地帯。アラビア語で「マンチャ」が「乾いた土地」だそうである。画像検索すると、上記のように風車がある風景がいっぱい出て来る。スペインは中世にイスラム勢力に支配され、キリスト教王国の「国土回復」(レコンキスタ)時代に掛けて、様々な騎士団が活躍したらしい。それもドン・キホーテの時代から200年ぐらい前のことで、当時この小説を読んだ人はドン・キホーテの「時代錯誤」ぶりに抱腹絶倒したわけである。

 ミュージカル「ラ・マンチャの男」のように、ドン・キホーテを「夢に向かって突き進む人」と解釈するのは原作を読む限り「美しき誤解」というしかない。いま日本で旧軍の制服を着て軍人風を吹かす人物がいたら、傍迷惑というしかないだろう。そういう迷惑な人間を造形したわけだが、しかし、ただ迷惑なだけではない。寅さんと同じように、ズレたことを言うからおかしいのである。傍迷惑だけど、何となくおかしいコスプレおじさんを造形したところがセルバンテスの功績だろう。

 ドン・キホーテは3回「遍歴の旅」に出た。僕もよく知らなかったのだが、最初はサンチョ・パンサも連れずに出かけて、宿屋の主人(ドン・キホーテは城主と思い込んでいる)から「騎士には従者がいる」と諭され、一度は村の自宅へ戻る。彼の「狂気」に困り果てた家族や村人は、思い切って多くの騎士道小説を焼き払うが、ドン・キホーテの狂気は終わらない。再び遍歴に出るが、その「冒険」と称するものは全部迷惑なものである。一度は囚人を連行する一行に襲いかかって、弱者を解放するのが騎士の務めと言うが、解放した囚人に襲われて持ち物を取られる。宿屋(本人には城)で敵をやっつけて血を流したというのは、実は赤ワインの袋を破っただけである。実は迷惑な時代錯誤を笑いとばすのがテーマなのである。
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