尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『ゼンブ・オブ・トーキョー』と『侍タイムスリッパー』

2024年10月31日 22時16分15秒 | 映画 (新作日本映画)

 最近はずっと衆議院選挙の話ばかり書いていたが、この間もアメリカや日本の野球中継を見たり、映画を見たりする「日常」があるわけである。最近ようやく涼しくなってきたので、散歩をすることが多く、映画もあまり行ってないが、その中で見たものを。どっちもテーマ性や芸術性でどうこうというわけじゃない。ま、楽しい映画だったかなという感じで紹介する。

 熊切和嘉監督の『ゼンブ・オブ・トーキョー』という映画をやってる。何でも「日向坂46の四期生全員!アイドルデビューから約2年で演技初挑戦の11人がメインキャストとして大抜擢」というアイドル映画だそうだけど、僕には関係ない。熊切監督は『海炭市叙景』『私の男』『658㎞、陽子の旅』など割合とお気に入りの監督だが、それも一応チェックしただけ。東京国際映画祭で『グランド・ブダペスト・ホテル』を見るので、その前に見られる映画を探していて、珍しい「修学旅行映画」を見ようと思ったわけ。

 「部活映画」「文化祭映画」はかなりあるのに、「修学旅行映画」はそう言えばあまり記憶にない。(和泉聖治監督『この胸のときめきを』という京都の修学旅行を描く1988年の映画があったぐらい。)それはそうだろう。ロケが大変だし、時間が限られていて物語を深めるのも大変。文化祭のような「最後の盛り上がり」も作りにくい。だけど、教員時代は一番「旅行行事」に思い入れがあったので、なんか懐かしいのである。もっとも当然「東京修学旅行」は経験してない(東京都の教員なんだから)。東京に行くと、こういうところを巡るのかと興味深かった。浅草、スカイツリーに始まり、諸事情から上野、新宿、渋谷、池袋、下北沢、月島、お台場なんかが出て来る。50年後に「2020年代の東京を記録した貴重な映画」として再発見されるかもしれない。

 班長を務める池園さんが頑張って「東京の全部」を楽しめる緻密な計画を作る。しかし、お昼に予定していた店が満員で長蛇の列。自由昼食にして時間を決めて集合する予定が、皆バラバラに。何これ、マルチバースに迷い込んだのか。実は班長以外のメンバーは、他に行きたいところがあって勝手に自由行動にしてしまったのだ。東京から転校してきてクールぶっていた人、実はアイドルのオーディションを受けに来た人、好きな同級生を追っかけている人…。まあいろいろあって、最後に皆がまた集まるまでを軽快に描くコメディ女子高生映画。「旅行」という行事でお互いに知らなかった姿を見て、一歩成長できるハートウォーミング映画。

 次は『侍タイムスリッパー』。単館上映から始まった独立プロ作品が、面白いと評判になって全国で拡大上映中である。安田淳一監督・脚本、撮影、山口馬木也主演って、誰ですか? 安田監督はビデオ撮影の傍ら自主映画『拳銃と目玉焼』『ごはん』を作った人で、2023年に父が亡くなった後は実家の米作りを継いだ。そして製作したのがこの映画だというのである。脚本が面白いと東映京都撮影所が全面的に協力して作られているので、自主映画的な感じはせず本格的エンタメ映画になっている。で、確かになかなか面白いのである。展開は予想通りなんだけど、それもまた良しというタイプの映画である。

 幕末の京都、会津藩士二人が長州藩士を暗殺する命を受ける。今やまさに斬り合うという瞬間に、雷が落ちるのである。気付いたときには高坂新左衛門は現代の東映撮影所にいた。まあ確かに近い場所にいたかもしれない。そこではテレビ時代劇を撮影していたが、セリフで「江戸」と出て来る。浪人が女に狼藉しようとしていると、高坂は助けに行こうと出ていく。ま、そんなバカなという設定をあれこれ言っても仕方ない。結局周りからは、記憶喪失の変なオジサンと思われて(言葉遣いが昔のままなので、役に成りきったまま記憶を失ったとみなされた)、切られ役専門の俳優として撮影所で生きていくことになっていく。

 そこへある大物俳優が時代劇に復帰することになり、その相手役に高坂を指名してきたのである。なんとまあ、そいうことで後は書かないけれど、あれよあれよの展開でクライマックスに突入する。その大物俳優は冨家ノリマサ、何くれとなく面倒を見てくれる助監督を沙倉ゆうの(下画像)と言われても初めて見る顔ばかり。この沙倉さんは安田監督の前2作でも重要な役で出ているらしい。この助監督役あっての映画で、ウソの話をホントらしくする脚本の妙である。そして「時代劇」とは何か。変革の時代に残すべきものは何かと熱く語られる。なお、幕府滅亡から140年と出ているから、これは2020年代の話ではなく2008年頃の設定らしい。

 修学旅行の映画を探そうとして「修学旅行 映画」と検索したら、「修学旅行 映画村」がいっぱい出て来た。僕も修学旅行で太秦映画村を企画したことがあるが、まさにそこで撮影された映画。テレビドラマや映画のメイキング、映画を作る過程を描く映画という趣もあって、それが一番面白いところかも知れない。どっちの映画も「頑張っていると報われる」という映画でもある。

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各党の比例区票、「国民」「れいわ」の躍進、「公」「共」の停滞ー衆院選の結果③

2024年10月30日 21時59分40秒 |  〃  (選挙)

 2024年衆院選の各党の比例区票を検討したい。なお、比例区当選者数だけを見てみると、自民党=59議席、公明党=20議席で、与党計は79議席立憲民主党=44議席、国民民主党=17議席、日本維新の会=15議席、れいわ新選組=9議席、日本共産党=7議席、参政党=3議席、日本保守党=2議席になる。野党系議席は総計で97議席。比例だけなら、与野党の差はもっと大きくなる。(国民民主党は比例名簿登載者が足りず、自民、公明、立民に各1議席を譲ったので、本来なら与党=77、野党=99だった。)

(国民民主党の玉木代表)

★各党を順番に見てみる。まず自民党だが、今回比例区で1458万票、全体の26.7%になる。これは2021年の衆院選の得票率34.43%から激減した。前に紹介した朝日新聞(21日)掲載の情勢報道では、自民党の獲得予想議席は、小選挙区は135~144~154、比例区は49~56~63だった。合わせると、184~200~217となっている。この時は例の「2千万円問題」はまだ報道されてない。最終盤に小選挙区で落ち込んだことが想像できるが、比例区はむしろ予想の中心値より多かったのである。この10数年の政治史を思い出せば、自民党を離れて、より右の、または左の党を作るのは(大阪の「維新」を除き)成功しなかった。従って、自民党を離党して日本保守党に加わったりする政治家は、いても少数に止まり、数年後の党勢回復を待ち望む人の方が多いだろう。

以下に最近6回の国政選挙の得票数を示す。(参院選後のカッコは獲得議席。)
 (16年参院選)→17年衆院選→(19年参院選)→ 21年衆院選→ (22年参院選)24年衆院選
 (2011万=19)→1856万  →(1711万=19)→1991万  →(1826万=18)→1458万
公明党596万票ほどで、ついに600万票を割り込んだ
 (753万=7)→ 698万→ (654万=7)→711万→ (618万=6)→596万
 公明党は16年参院選から減り続けていたが、21年衆院選で久しぶりに700万票台に載せた。しかし、22年参院選で100万票減らし、今回はついに600万票以下に落ち込んだ。自民党の低調に影響されただけではないだろう。比例区票が減っているのは、構造的な原因があると思われる。選挙運動もかつてほどの勢い(というか、「熱心さ」「強引さ」)が見られなくなった。組織の弱体化が進んでいるのかと思う。今後、一時600万票を回復するかも知れないが、遠からず500万票台前半になるのでは。

(公明党の石井代表は落選)
★次は野党を見る。立憲民主党は2017年衆院選で登場したので、そこから見ることにする。立憲民主党は小選挙区では1,540万票を得ていて、非自民票の受け皿として一応の存在を示している。しかし、比例票は下の推移に明らかなように、おおむね過去の衆院選と大差ない。確かに今までで一番多いけれど、今回の「躍進」は自民票が減ったから浮上しただけなのである。

 1108万 → (792万=8)→ 1149万 →(677万=7)→1156万
 
★続けて国民民主党を見ると、ここは確かに22年参院選から300万票増やして「倍増」に近い。「手取りを増やす」と若者向け政策を打ち出したのが一定の効果を上げたらしい。今まで時に自公政権に協力する時もあり、その「中間的立ち位置」は「維新」と共通し、競合する存在なのではないか。近畿を除き、今回は「維新」ではなく、国民民主党が選ばれたということか。
 19年参院選から、(348万=3)→ 259万 →(316万=3)→ 617万
★次に「日本維新の会」を見るが、16年参院選は「おおさか維新の会」で、その時は515万票・4議席だった。今回は前回衆院選から約300万票減らした。大阪万博や兵庫県の斎藤前知事問題などで、一度失った勢いが全国に波及したということか。大阪の小選挙区は全勝したが、それが比例に及ばない。(大阪府でさえ、小選挙区は164万票だが、比例は115万票なのである。)それでも福岡11区で武田良太を破ったのは、維新だった。ここは立民、国民、共産、れいわなど主要野党が立たず、維新と社民党が対抗馬だった。そういう時は維新が受け皿になるときがある。
 (515万=4)→ 339万 →(491万=5)→ 805万 →(785万=8)→ 510万 
共産党336万票ほどで、7議席。どんどん減らしていて、どこで落ち着くのか判らない。今回委員長が田村智子に交代したが、大きな効果はなかった。共産党と競合する立ち位置にあるのは、「れいわ新選組」かなと思う。物価高で困窮する国民への訴求力では、共産党ではなく「れいわ新選組」に分があった。「政治とカネ」問題、あるいは今回の自民非公認候補への2千万円問題などを報道したのは、確かに「しんぶん赤旗」だった。だから「新しいプロセスへ扉を開いたのは共産党」と言うけど、共産党への投票にはつながらないのは何故か。「科学的」に分析してみれば、党の抜本的改革が必要なことが理解出来るはずだが。
 (602万=5)→ 440万 →(448万=4)→ 417万 →(362万=3)→ 336万
(共産党の田村智子委員長)
れいわ新選組は、前回19年に228万票、21年衆院選は221万票、22年参院選は232万だった。今までは200万票台前半を越えられなかったが、24年衆院選で380万票(7.0%)を得た。特に沖縄県で12.1%の得票があり、自立公につぐ第4党になったのが注目される。沖縄4区で立候補した山川仁(元豊見城市長)が比例で当選して、今後沖縄政界にどんな影響を与えるか注目される。一時「沖縄1区」にも擁立の動きがあったし、山本太郎代表は「オール沖縄は歴史的役割を終えた」と発言した。ただ「れいわ新選組」はまだ地方議員が少なく、地域の基盤が共産党、公明党などに及ばない。しかし、徹底したポピュリズム路線でしばらくは拡大するのではないか。
社民党は、93万票で比例区票はゼロだった。まあ全国で集計する参院選比例区なら1議席に届くが、ブロックごとの衆院選比例区では、もう社民党が当選することはないだろう。
 (154万=1)→ 94万 →(105万=1)→ 101万 →(126万=1)→ 93万
★「参政党」は22年参院選で、177万票、3.3%で1議席を獲得した。24年衆院選は187万票を得て3議席を獲得。一時は日本保守党の方に勢いがあるのかと思ったが、実際は参政党の方が多かった。地方議員などもいて、基盤的には大きいのである。極右的、陰謀論的世界観はいずれきちんと論じる必要を感じている。

★今回初参加の「日本保守党」は、1,145,622票を獲得して、政党要件をクリアーした。僕は東京ブロックで1議席取るのかと思ったが、獲得議席ゼロの参政党に及ばなかった。(比例で獲得したのは、東海と近畿。)しかし、社民党より多いのである。この党がどうなるのかは、要注目。今のところ、参政党と日本保守党が競合する可能性もあり、どこまで本格政党になるのかは、2025年参院選を見る必要がある。

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案外低かった投票率、多かった接戦区ー2024衆院選②

2024年10月29日 22時40分52秒 |  〃  (選挙)

 2024年衆院選の話。2回目は、まず投票率を検討したい。今回の投票率は、小選挙区で53.85%比例区で53.84%だった。(少数だけど、比例区だけ投票しない人がいるのである。)前回はそれぞれ、55.93%、55.94%だったから、今回は3.1%ほど低かったのである。全国の比例区票は、54,549,720票だった。日本の人口は約1億2千万人。有権者は約1億人になる。今回の投票率が約54%ということで、全国でおおよそ5400万人が選挙に行ったわけである。

 前回の投票総数は57,465,978人だったから、大体300万人が減ったことになる。この間に亡くなった人、新たに選挙権を得た人などもいるので、何も前回行った人が今回は棄権したということではない。しかし、これほど減ったのには理由があるはずだ。一番先に思いつくのは、「自民党支持者がお休みした」という仮説だ。「裏金」問題で批判が強く、今回は自民党に入れる気がしなかった。しかし、立憲民主党や他の野党に入れちゃうほどの気もしない。そういう人が存在したんじゃないだろうかという予想である。

 前回の自民党比例区票を見ると、19,914,883票だった。今回の自民党比例区票は、14,582,690票である。約533万票も減らしている。300万人より多いが、今回から衆院選に参入した参政党が約187万票日本保守党が約115万票ほどを獲得している。「維新」も約300万票ほど減らしているし、他党の動向を細かく検討する必要があるが、大体の方向として「保守票が自民、新興政党、棄権」に分れ、前回自民票に入れた人たちが減った分、投票率が下がったと考えてよいのではないか。その傍証として、自民党大物議員の得票も減らしている人が多い。(区割り変更の影響があった人もいるだろうが。)

 例えば、岸田文雄(13万4千→10万)、麻生太郎(10万5千→9万2千)、菅義偉(14万6千→12万)、河野太郎(21万→13万)、小泉進次郎(14万7千→13万)、高市早苗(14万2千→13万)といった具合で、これら直接「裏金」に関与したわけではなく、少し減らしても悠々と当選出来る(一人も対立候比例で当選していない)人たちも、軒並み減らしているのである。(河野氏などは激減である。)なお、さすがに石破茂(10万5千→10万6千)首相だけは、少しだけど増やしている。これらの人の選挙区には、有力な対立候補もいないので、どうせ自分が行かなくてもという気になりやすいこともあるだろう。

 ところで、それより気に掛かるのは、広島県と沖縄県で投票率が5割を切っていることだ。広島は前回52.13%が、今回48.40%沖縄は前回54.89%が、今回49.96%である。沖縄の激減ぶりはよくよく考える必要がある。自公政権にも、野党と一部保守系が協力する「オール沖縄」にも、期待出来ない、本土の政権枠組がどうなろうと、沖縄が抱える問題は解決出来ないという「怒り」「抗議」「諦め」のような気分が投票率低下の背景にあるのではないか。

 広島の場合はよく判らないけど、地元の岸田首相を支える意気込みだった人が失望したのかもしれない。あるいは日本被団協のノーベル平和賞受賞にもかかわらず、核禁条約に後ろ向きな自民党への失望が他県より大きいのかも。(長崎県も56.89%から、52.48%へと全国平均以上に減っている。)さらに河井元法相の事件が後を引いていて、地元の保守系地方議員の動きが今も弱くなっているのかもしれない。(7区から6区へ減区され、なじみが少ない候補になった地区が多かったのも影響したかも。)

 続いて接戦区を見てみたい。今回は今まで以上に超接戦が多く、1,000票以内の決着が9選挙区もあった。投票率が低く、与党の勢いが弱いことの影響だろう。また野党乱立の結果、比例区で復活当選する人が2人いて、合計で3人当選者がいる選挙区も多かった。(5つもある。)

和歌山1区 124票差 山本大地(自民、当選=70,869)、林佑美(維新、比例当選=70,745)

愛知10区 162票差 藤原規真(立民、当選=59,691)、若山慎司(自民、比例当選=59,529)

栃木3区 178票差 梁和生(自民、当選=45,546)、渡辺真太朗(無所属、落選=45,368)

群馬3区 214票差 笹川博義(自民、当選=74,930)、長谷川嘉一(立民、比例当選=74,716)

東京28区 336票差 高松智之(立民、当選=50,626)、安藤高夫(自民、比例当選=50,290)

東京10区 591票差 鈴木隼人(自民、当選=93,490)、鈴木庸介(立民、比例当選=92,899)

富山1区 738票差 田端裕明(自民、当選=45,917)、山登志浩(立民、比例当選=45,179)

秋田1区 872票差 冨樫博之(自民、当選=60,387)、寺田学(立民、比例当選=59,515)

神奈川6区 926票差 青柳陽一郎(立民、当選=80,207)、古川直季(自民、比例当選=79,281)

 こんな僅差で決まることもあるんだから、「選挙なんて自分が行っても変わらない」というもんでもない。確かに一票差ではないけれど、名も顔も知らぬ何十万人かの中で、200人以内で決まることもあるのだから。それにしてもこういう選挙区は候補も支援者も大変だろう。痺れるような大接戦、両チームがノーヒットノーランのままで9回を迎えた野球の試合みたいな感じだ。ま「開票速報」を見るのが好きな「選挙観戦ファン」の感想だけど。それにしても以上で勝った9人のうち、6人は自民党。自民はもっと減らすところを数百人の投票行動により、何とか191議席になったわけである。

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しばらくは石破「少数与党内閣」で、2025衆参同日選挙か?ー2024衆院選①

2024年10月28日 20時37分03秒 |  〃  (選挙)

 2024年10月27日投開票の衆議院選挙が終わった。その結果を何回か書いておきたいが、まず今後の内閣がどうなるか。自民党・公明党の連立与党は大きく減らし、過半数を割り込んだ。自民党が大きく減らして191議席公明党が予想以上に減らして24議席。合計で215議席で、過半数の233議席を大きく割り込んだ。牧原秀樹法相、小里泰弘農水相と二人の現職閣僚が比例区当選もならず落選。それ以上に驚いたのが、公明党の石井啓一代表が埼玉14区で落選したことだ。当選した鈴木義弘は今まで比例で3回当選した前職議員だが、立憲ではなく国民民主党。維新や共産も出馬した野党乱立区だから、やはり石井当選かと思っていた。

(ニューヨークタイムスWeb版に掲載された石破首相の写真)

 過半数を下回っている以上、数字上は石破氏以外が内閣総理大臣に指名されることもあり得る。そういう情勢の責任を取って、石破氏が総裁を辞任する可能性も絶無ではない。だけど、今日の記者会見では続投を目指すということだった。党内には反発もあるだろうが、じゃあ誰が後継になるのか。過半数割れの状況から、次の自民党総裁になるだけでは総理への道につながらない。野党と連携すると言っても、どこも(すぐには)組むところはなさそうだ。総裁選で2位だった高市陣営は旧安倍派が大量に落選して支持基盤を大きく減らした。それに来年には参院選があり、今「石破辞めろ」と言うと、参院選で負けたら自分も辞めなければならない。

 一方の野党側だが、数字上は全部まとまれば政権を取れるわけだが、むしろ各党の違いは大きくなっている。労働組合「連合」の支持を受けるという意味で、一番可能性が高いはずの立憲民主党国民民主党の間でさえ政策や方向性が一致していない。ましてや「維新」、「れいわ新選組」、共産党などは立憲民主党との距離が開いている。お互いに組んだからといって過半数を超える組み合わせはない以上、自分の方が譲って首班指名で「野田佳彦」と書く党があるとは思えない。むしろ来年に参院選を控える事情から、各党ともに独自性を高めることが予想される。(下の画像は野田佳彦立憲民主党代表)

 そうなると、1回目の首班指名で1位石破、2位野田となって(他党はそれぞれ自党のトップに投票)、両者の決選投票となる可能性が高い。2回目は自公、立民以外が棄権して、結局衆議院で石破茂氏が指名される(参議院では問題なく石破指名)。そういう少数与党内閣発足の可能性が高いと思う。決選投票は、1979年の大平内閣、1994年の村山内閣の指名で起こって以来の事態となるが、まあそういう想定をしている。結局は来年に参議院選挙が控えている以上、野党も選挙で訴えた「反自公政権」の旗を降ろせないし、野党の選挙協力もなかったのに選挙後に突然組むことも不自然。参院選までそういう状況が続くのではないか。

(議席4倍増となった国民民主党の玉木代表)

 しかし、もしそういう少数与党内閣になると、非常に不安定な政治になる。かつて小渕政権で自民党幹事長だった野中広務氏は、「ひれ伏してでも」と言って、自由党(当時、小沢一郎氏が新進党解党後に結成した党)、さらに公明党との連立をまとめたことがあった。(当時は自民、公明それぞれに連立に否定的な声が強く、最初は「自自公連立」として発足した。)今回もやがては、新しい連立枠組成立(あるいは自民党分裂、政権交代など)が起きて来るもんじゃないだろうか。

 2025年の通常国会は、参院選が控えている関係で大幅延長が不可能だ。従って、予算成立後は政治資金規正法の再改正など以外はなかなか懸案に取り組むのは難しいだろう。そうなると、野党が不信任案を出すのは確実で、過半数を持ってない以上、不信任案が通ってしまう可能性がある。その場合石破首相は総辞職ではなく、衆議院を解散するだろう。ほぼ半年ちょっとしか経ってないけど、衆参同日選になるかもしれない。1980年の大平内閣、1986年の中曽根内閣以来となるし、あまり望ましくないと思うんだけど、止むを得ない場合は許されるだろう。

 そういうこともあるかもという想定で、それまでに突然石破首相が辞めちゃうかもしれないし、どうなるかは読みきれない。取りあえず、国民民主党も維新も連立に加わりそうもなく、逆に立憲と組む可能性もないようだ。となると、こうなるのかなという話。

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「選挙が一ヶ月で出来る国」は誇りであるー「ユポ」という投票用紙

2024年10月27日 22時57分20秒 |  〃  (選挙)

 2024年の衆議院選挙が行われ、まさに今開票中である。テレビの開票速報では、「自公の過半数は微妙」と報じている。まあ、その結果がどうなるかは明日朝までには判明する。結果の分析、そして今後どのように政治が動いていくかは明日以後に考えていきたい。今日はお休みにしようかと思っていたのだが、そう言えば書こうと思って忘れていたことがあったなと思い出した。

 それは日本が「選挙が一ヶ月で出来てしまう国」だということである。もっとも選挙運動期間が短すぎると思っているのだが、それはそれとして、首相が表明して一月も経たずに全国で選挙が可能になった。選挙期間に支持者どうしの衝突などもない。自民党本部に突っ込んだ車があったが、大きな騒乱にならなかった。27日の投開票日には、投票所、開票所に予定される公民館、学校、体育館などに予定が入っていたケースが多かったという。スポーツ、文化行事が多い時期だから、多くの人に影響しただろう。

 それにしても、1億人ほどの有権者の半数以上が投票する。それが夜だけで開票出来るのである。諸外国に比べても、このスピードは半端ない。直接開票作業を担当する地方公務員の人々には、大きな負担だろう。そういう苦労をしている人がいて、初めて日本の民主主義が成り立っている。だけど、公務員の人々が頑張っているだけではない。特にいつの頃からか、投票用紙が大きく変わった。書きやすくて折りやすいが、箱に入れるとすぐに開くという。そんな素晴らしい用紙なんだけど、これは何だろう?

 調べてみるとこれは「ユポ」という紙である。株式会社ユポ・コーポレーションの登録商標。そんな会社は知らないと言う人が多いだろう。三菱ケミカルと王子製紙が5割ずつ出資する会社である。独自に開発された合成紙で、プラスチックフィルムの一種。ポリプロピレン樹脂と、目では識別できないほど細かくした「無機充填材」を混ぜて作られているという。(ハフポスト日本版編集部の記事による。)あれがツルツルしているのは、普通の意味の紙じゃなかったからなのである。そして、選挙ポスターもユポ。(名前の由来は、三菱ケミカルの当時の社名「三菱油化」の油化とペーパー、王子製紙の頭文字を組み合わせたものだという。

 いや、これは知らなかった。いつ選挙になるか判らないから、ある程度ストックしてあるらしいが、こういう「選挙の道具」を支える会社があっての「一ヶ月選挙」なのである。また、ポスター掲示板の製造、設置もあっという間に進んで凄いなと思った。特に東京は知事選が終わって3ヶ月ほどでまた設置したわけで、大変だっただろう。

 開票作業は粛々と進んでいき、開票結果に疑いはない。いや、時々不審票があって処理が問題になる。票数が合わなくて無理やり辻褄合わせをする事件が起きている。だけど、政権が命令して票数を不正に操作するなんてことは起きない。開票作業も見ることが出来るし、結果はその地区の選挙管理委員会のホームページに公表される。それを見れば、ここ10数年ほどの選挙結果は調べることが出来る。どの党が勝つかももちろん大切なんだけど、選挙というシステムを支える多くの人がきちんと働いていること。それを認識することも大事だと思う。

 

 上の2枚目の画像は都知事選の新宿区の開票風景。探すと「リハーサル」の画像もあった。そうかリハーサルしているんだ。まあ学校でも卒業式の予行練習とかしてるのと同様だろう。失敗が許されないものは、手順を確認する必要がある。そうやって今開票しているわけで、比例区もあるし、最高裁裁判官国民審査もあるから大変な仕事だ。終わったらゆっくり休んで欲しいと思う。

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無所属候補の動向、政党票のゆくえー2024衆院選

2024年10月26日 22時35分25秒 |  〃  (選挙)

 この前『二つの季節しかない村』というトルコ映画を見たが、近年の日本もそんな感じ。10月末だというのに「夏日」になって半袖を着たりしている。それでもやはり「暑からず寒からず」の日々が多くなって、ようやく散歩をしてる。美術館に行くことも多くなった。また、この頃谷崎潤一郎をずっと読んでて、そろそろまとめを書きたいんだけど、やはり衆院選の話。衆院選投開票が明日27日に迫っていて、他の記事を書く気になれない。ただし、政策論や勝敗のゆくえなどは書かない。明日になれば当選者は判明するわけで、今さら予測を検討しても仕方ない。じゃあ、何を書くかというと、まず「無所属議員」の検討。

(「裏金非公認候補)

 今回は与党(自民、公明)が過半数割れするかもと言われている。野党各党の考え方は相当違っているが、政権に入ってない党は全部「野党」。そこで開票速報を見ると、「与党」「野党」を大きなくくりで今当確は何人かと出る。両者のちょうど真ん中に「無所属」というのがあり、小選挙区で勝利する候補も10人強いると見込まれている。それらの人々は一体与党寄りなんだろうか、野党寄りなんだろうか。場合によっては、過半数割れしたはずの自公両党が実は「追加公認」などで増えていたりするのである。

 今回は自民党に「裏金問題」があって、非公認候補が10人いる。ホントは13人だったけど、越智隆雄、菅家一郎、今村洋史各氏が立候補を辞退したので、10人となる。諸情報によれば、確実平沢勝栄(東京17)、優勢西村康稔(兵庫9)、三ツ林裕巳(埼玉13)、線上萩生田光一(東京24)、下村博文(東京11)、苦戦上杉謙太郎(福島3)、中根一幸(埼玉6)、小田原潔(東京21)、細田健一(新潟2)、高木毅(福井2)あたりではないかと思われる。もともと同じ選挙区に有力な立憲民主党候補がいたかどうかが大きな違い。有力議員としては、兵庫の西村康稔は対抗馬が立憲、維新、共産の新人候補で、一歩リードと言われる。

 東京の下村博文は立憲民主党の元議員阿久津幸彦が前回から転区してきて2回目で、大分浸透してきたとされる。他に維新、共産、無所属がいるが両者接戦という情報。阿久津が14年まで立っていたのが東京24区で、2009年には萩生田を比例復活もさせなかった。その最注目の萩生田光一はここ数回楽勝だったが、今回は立憲民主党の有田芳生が立った。他に維新、国民、参政、無所属と候補が乱立しているが、情勢報道では有田がややリードとも言われる。最終盤で萩生田が追い上げたという情報もあり、両者の接戦が続いている。ここは創価大学がある地域で、統一協会報道もあった中、公明党の推薦がないことがどう出るかが注目される。

 ところで、「裏金議員」はもう一人いる。和歌山2区の世耕弘成で、そもそも参議院議員だったから公認問題とは関係ない。裏金で離党勧告となり、党を離れているから誰に遠慮することなく衆院選に立候補した。もともと総理を目指すと公言し、いずれ衆院に出ると思われていた。自民党公認候補は二階伸康で、公認がいるのに立候補するのは「反党行為」だ。しかし、大差で世耕がリードしていると諸報道が一致している。当選してもすぐには「追加公認」が出ない見通しだが、首相指名では自民党総裁に入れるはず。

 一方、与党ではなく「有志の会」という独自の会派で活動してきた議員がいる。元々2009年には民主党から当選して、その後落選、民進党や希望の党などいろいろあって、結局2021年衆院選に無所属で当選した人々である。福島伸享(のぶゆき、茨城1)、北神圭朗(きたがみ・けいろう、京都4)、緒方林太郎(福岡9)、吉良州司(大分1)の4人である。本当はもう一人、仁木博文(徳島1)もいたんだけど、同選挙区で競っていた後藤田正純が知事に転じた後釜として自民党から出ている。いずれも当選が有力。

(左から福島、吉良、北神、緒方)

 それ以外の有力無所属候補が数人いる。北から見ると、中村勇太(茨城7)は中村喜四郎の長男で後継。一応野党系。渡辺真太朗(栃木3)は松下政経塾出身だという。この地区出身だった渡辺美智雄、渡辺喜美と関連があるのかと思ったが、そういう情報は出ていないようだ。飯泉嘉門(徳島2)は元徳島県知事で、自民党山口俊一がいるため公認されなかった。広瀬健(大分2)は広瀬勝貞前知事の次男で、自民党江藤征士郎がいるため公認されずに出ている。三反園訓(鹿児島2)も前知事だが、前回無所出て出て当選した。ここも保岡宏武がいるので公認されない。以上は線上が多いが、数人は当選しそう。追加公認もありうる存在である。(東京9区に公民権回復直後の菅原一秀が出ているのを忘れていた。また福井2区に山本拓も出ている。高市早苗の夫で、一度離婚後復縁し、今は高市姓だという話。二人とも元議員で、苦戦が伝えられている。)

 これだけ書いてるだけで長くなってしまった。各党が比例区合計で何票ぐらい取るかを最後に見ておきたい。自民党は前回衆院選で1991万、前回参院選で1826万を獲得していた。今回は日本保守党の登場などもあり、どこまで減るか注目。公明党は前回衆院選では711万票、参院選では618万票だった。支持母体の創価学会会員の高齢化、池田大作氏の逝去、さらに自民党が公明党に譲る(「比例は公明党」と支持者に呼びかける)余裕がなく、どこまで踏み止まるか注目。

 野党系では立憲民主党は前回衆院選で1149万票あったのだが、前回衆院選では677万票だった。どこまで回復して伸ばすか。「維新」はここ数回は全国で800万票程度獲得していたが、今回はどこまで踏み止まるか。国民民主党は今まで300万票程度だが、これを増やせるか。共産党はここしばらく400万票だったが、前回参院選では362万票まで落ち込んだ。今回小選挙区に多く擁立した影響がどう出るか。議席増が予想されているが、問題は票がどこまで出るかだろう。れいわ新選組は結成以来、200万票台前半しか取っていない。これが今回どこまで伸ばせるかも注目だろう。それらは選挙後にまた総括したいと思う。

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映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』をどう見るか

2024年10月25日 22時06分37秒 |  〃  (新作外国映画)
 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が公開された。『シビル・ウォー』の日本公開がアメリカから半年遅れて何故だろうと問題視されたが、この『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の場合はアメリカから一週間遅れの公開だった。アメリカでは公開2週目に観客動員が8割減になって衝撃を与えたが、日本では1週目も2週目も2位を維持している。(1位はどっちも『室井慎次 敗れざる者』)。 

 前作『ジョーカー』はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞の大傑作で、アカデミー賞大本命と目されたが、何と韓国の『パラサイト 半地下の家族』が作品賞、監督賞など4部門で受賞してしまった。『ジョーカー』は最多11部門にノミネートされながら、主演男優賞ホアキン・フェニックスと音楽賞の2部門受賞に止まったのである。しかし、前作の重要性はその後ますます増大していると思う。安倍晋三元首相銃撃事件の容疑者も見ていたようだが、あの映画以後世界で同様の事件が起きるたびに、映画『ジョーカー』を思い出してしまう人も多いんじゃないか。

 そこで続編が期待されたわけだが、満を持して放つ大問題作には違いない。アメリカの例もあるからあっという間に上映が少なくなるかと心配して、早めに見に行った。今週末の上映も余り減っていないので心配は無用だったかもしれないが、吹替え版の上映が多く字幕で見たい人には厳しいかも。続編は「フォリ・ア・ドゥ」と題されているが、まずこれが意味不明。映画内では説明されないので調べてみると、「Folie à Deux」(フォリ・ア・ドゥ)というフランス語で「二人狂い」の意味だという。

 「感応精神病」と呼ばれる妄想性障害の一種で、Wikipediaには「一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有することが特徴」と出ている。この映画でジョーカーことアーサー・フレックホアキン・フェニックス)と感応するのが、リーレディ・ガガ)という女性。アーサーはアーカム州立病院に収容されていて、裁判を待っている。病院の音楽セラピーに参加していた女性がリーで、参加を許された映画会で知り合う。そのためにリーが取った手段は衝撃的なまでに過激である。

 リーは家族に無理やり入院させられた犠牲者だと語り、ジョーカーに共感していたと語る。そこには虚言もあったことが後に判明するが、ともあれ今まで誰も理解者がいなかったアーサーは、ここで「宿命的な愛」に目覚めたのである。そして、それを二人で歌いあげるのである。そう、この映画は「ミュージカル映画」という作りになっているのである。それは成功しているか。判断は難しいが、大きな違和感はないけれどベストな方法でもないという気がした。
 (トッド・フィリップス監督)     
 そして、ついに裁判が始まる。そこら辺は制度の違いがいろいろあって、ななかなよく判らないところが多い。そもそも「責任能力」があると判断されたら、病院じゃなく拘置所にいるはず。病院に入院しているリーと知り合えるのが不思議。連続殺人事件の容疑者がけっこう自由にしているのも不思議だ。裁判でも弁護方針をめぐってアーサーは弁護人を解任して自分で弁護するという。日本だと殺人容疑の場合、弁護人抜きの裁判は刑訴法上不可だがアメリカでは可能なのか。(最高刑が死刑、無期、懲役3年以上の事件は、「必要的弁護事件」となり、弁護人なしでは開廷出来ない。)

 その後の裁判経過もよく判らないが、一番の問題は「ジョーカーかアーサーか」。リーなくして生きていけないアーサー=ジョーカーは、アーサーとしてリーを愛したいと思うのだが…。まさに「フォリ・ア・ドゥ」の面目躍如。その選択が裁判、そして場外の支援者にはどう受け取られるだろうか。ここでは内容はこれ以上書かないが、僕にはちょっと違和感、不満のようなものが残った。というか、理解出来ない展開と言うべきか。エッ、こうなるの的な怒濤の展開が続くが、面白いことは面白い。

 ミュージカル的な作りも完全に成功しているとは思えないのだが、じゃあ間違っているとも決められない。ミュージカルシーンはなかなか興味深いのである。(レディ・ガガだし。)じゃあ、何が不満かというと語り口がこなれていない感じがする。138分もあって長い割に、ゴタゴタした感じが残る。内容的にも「ジョーカー裁判」という難問をいかに描くか、苦闘している。内容的に見ておくべき映画だと思ったが、評価は難しい。リーを出さないと成立しないが、リーがいることで(物語上の)限界も生じた。
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『田中一村展 奄美の光 魂の絵画』ー田中一村の全画業を一望に

2024年10月24日 22時28分15秒 | アート
 東京都美術館で開かれている『田中一村展 奄美の光 魂の絵画』(9月19日~12月1日)を見た。平日用のシニア前売券を買っていたので、そろそろ行かないと。平日午前なのにかなり混んでいたが、実に見どころの多い展覧会。初めて田中一村(1908~1977)の全画業を統一的にとらえられた気がした。
 (「アダンの海辺」1969年)
 田中一村は無名の画家として亡くなり、没後に最期の地・奄美大島で「発見」された。NHK「日曜美術館」で全国に紹介されたのは、今調べてみると1984年末だった。それから「日本のゴーギャン」と呼ばれて、ちょっとしたブームがやって来た。その頃東京でも何度か展覧会が開かれて、僕も見に行った記憶がある。南国の自然風景が実に鮮烈に描かれていて、一見して心がとらえられた。アンリ・ルソーに通じる独自の幻想的風景画で、小さい頃からルソーやゴーギャンが好きだった自分にとって、こんな人が日本にもいたんだと興奮させられた。しかし、その頃は奄美時代の作品以外はほぼ見られなかった。
 (「檳榔樹の森」1973年)右下=田中一村
 当時の理解としては、若い頃に日本画家を目指し東京美術学校(現・芸大)に入学するも家庭事情で退学。(なお、美校同期に東山魁夷や橋本明治らがいた。)その頃から「田中米邨」と名乗って、若き画家として活動していたことは知られていた。しかし、その後は中央画壇で成功せず埋もれていったと思われ、その間は「空白期」とされていた。戦後になって日展などに出品するも落選、長い不遇の時期を経て、東京から追われるように奄美大島に行き着いたというストーリーだった。

 その後、2001年には奄美大島に田中一村記念美術館がオープン、すっかり「奄美の画家」として定着したが、80年代の「発見」を知らない人も増えてきた。その間に「有名画家」となったことで、各地から「新発見」が相次いだらしい。その結果、確かに日展などでは落選していたものの、「空白期」などなく常に日本画家として活動を続け、支援者もいたことが判明してきた。(ただし戦時中は徴用されていたようだ。)そのような近年の発見を一堂に展示したのが今回の展覧会である。

 それらを見ると、豪華絢爛たる屏風なども多いし、緻密な描写を堪能できる風景画、見事な構図で郷愁を感じさせる風景画などが並んでいる。一村の絵は奄美で初めて開花したのではなく、それまでの長い画業の末に結実したのである。そのことがよく理解出来る展示構成になっている。ただし、もし奄美時代がなかったら、それまでの作品だけで展覧会が開かれ多くの人が詰めかけたりはしないと思う。やはり奄美時代あってこその作品ではある。  

 上の絵は「椿図屏風」で、1931年作品。「空白期」とされてきた20代後半のイメージを一新させた作品だという。
 (「千葉寺 春」1953、54頃)     
 1938年に30歳の一村(当時はまだ米邨)は、親戚を頼って千葉市の千葉寺付近に引っ越した。農業をしながらも、身近な風景画、木彫、仏画、デザインなどの仕事をした。展覧会向けの画家ではなく、身近な相手に向けて作る画業を続けていたのである。そして、1947年に「柳一村」と画号を改め、風景画に独自の境地を開いていく。

 上掲「白い花」(1947)は、一村を名乗った初の作品にして、第19回青龍展に入選した作品。実に生前唯一の公募展入選だった。見事な作品だが、従来の日本画の枠内だとは思う。1955年には石川県羽咋市の宗教施設「やわらぎの郷」聖徳太子殿の天井画を依頼された。現地にも滞在して完成まで見届けたという。桜の名所として今も知られている場所だというが、今まで全く知られなかった業績だろう。その後、九州を旅して素晴らしい風景画を残している。
      
 前者は「初夏の海に赤翡翠(アカショウビン)」(1962頃)、後者は「不喰芋と蘇鐵」(1973)で、読みは「クワズイモとソテツ」である。このような素晴らしい絵は幾つもあるわけだが、ネット上でいろいろ見ることも出来る。奄美時代は確かに困窮していたようだ。姉や支援者が亡くなり、奄美で覚悟を持って絵を描き続けた。一時は国立ハンセン病療養所「奄美和光園」の官舎を間借りしていた。ここはハンセン病の理解をめぐって光田健輔らの「隔離主義」と対立した小笠原登医師がいたところである。

 そういった意味でも興味深いのだが、絵としてはどう位置づけるべきだろうか。僕には今ひとつはっきりしないのだが、とにかく見ていて心をつかまれる気がする。それはどういうところに理由があるんだろう。豪華絢爛たる作品も残しているが、やはり何故か寂しくてノスタルジックな思いを呼び起こされるのが田中一村の本領ではないか。
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与党過半数割れの可能性、「日本保守党」の影響もー2024衆院選終盤情勢

2024年10月23日 19時29分57秒 |  〃  (選挙)
 衆議院選挙の序盤戦情勢を19日に書いたが(『衆院選、「自民単独過半数」をめぐる大激戦=序盤戦情勢報道を読む』)、その後中盤から終盤にかけての報道が出た。21日(月)に朝日新聞が「自公、過半数微妙な情勢」と報じて反響を呼び、それに続くFNN(フジ産経グループ)も同様の傾向だった。そして今日になってJNN(毎日TBSグループ)も「与党失速、過半数微妙 自民苦戦、立憲続伸、国民躍進」と報じた。朝日は19、20の調査だが、毎日は22、23の調査である。そして今日の「文春オンライン」が「《自民衝撃の197議席》衆院選、どこよりも詳しい「最終予測」は…政権交代以来の大惨敗!」と報じている。
(朝日新聞の情勢報道)
 これは一社だけの報道ではないので、序盤から続く自民苦戦が中盤以降にさらに進行していると見るべきだろう。近年の選挙では、情勢報道で優勢と出た陣営が終盤にさらに勢いを強めることが多い。「中選挙区」時代は同じ選挙区から自民党でも数人が立候補していたので、むしろ「当落スレスレ」と報じられた方が同情票が集まると言われていた。「小選挙区」になってからは、選挙区で当選するのは一人なので、当選しそうな方に投票する傾向が強まっていると思う。

 今回は「自民党裏金議員」の対立候補に立憲民主党がいる場合は、他の野党が立っていても立民に集中する傾向が強い。さらに立憲民主党候補がない地区で、国民民主党が立っている場合は(今回好調な)国民民主党が(維新や共産が出ていても)「迫る」などと報道されている。一番強そうな野党候補を選んで投票するということだろう。それだけ「自民党裏金議員」に対する(すごろくにあるような)「一回お休み」を求める有権者の意思がうかがえる。

 朝日新聞の情勢報道は近年当たる傾向が強いので、一応紹介しておきたい。朝日の特徴は(数回前の選挙から)、「上限」「下限」「中心値」を示していることだ。そのため、自民上限=217、公明上限=33が当選した場合、自民党は単独過半数を失うが、与党合計では250議席を確保出来る。しかし、自民下限=184、公明下限=17の場合は、与党合計201と過半数(233議席)を大きく割り込むのである。中心値で見ると、自民=200、公明=25になっていて、合計225議席だから過半数割れということになる。
(石破首相の勝敗ライン)
 野党側も紹介しておく。立憲民主党は、122~138~154となっている。(左から下限、中心値、上限である。)日本維新の会は、28~38~49。日本共産党は、7~12~17。国民民主党は、15~21~27。れいわ新選組は、7~11~15、社会民主党は、0~1~2、参政党は、0~2~5、諸派は、2~3~5。無所属は小選挙区のみだが、11~14~17となっている。

 ここで注目されるのが「諸派」である。東京で「みんなでつくる党」、北海道で「安楽死制度を考える会」というのが出ているが、もちろんそれではない。当選可能性があるのは「日本保守党」である。社民党、参政党は下限がゼロだが、日本保守党は下限でも2議席、中心値が3議席あって、上限5議席を取る可能性もある。その場合公選法上の政党要件を一回で満たすことになる。全国11比例ブロック中で、東北、北陸信越、中国、四国、九州を除くブロックに立てている。中心値の3は、愛知1区の河村たかし、比例東京1位の有本香、比例近畿1位の島田洋一だと思われる。
(日本保守党)
 恐らく自民苦戦の一因は、日本保守党の参戦だろう。日本保守党に共感する有権者は、本来自民党に入れていたはずだ。しかし、安倍元首相死亡後の保守陣営の混迷の中で、日本保守党が結成された。もともと支持していた旧安倍派議員は裏金問題の影響で比例名簿に登載されていない。よって比例区で自民党に入れても、高市支援にならない。もし石破氏が辞めて再び総裁選があっても、高市総裁実現のためにならないのである。今回自民党は比例区で前回の65議席から、10~15議席減らしそうだが、その原因として前回はなかった日本保守党、参政党が登場したことも大きいと思う。

 実際に予測通りになって、ここまで減るとどうなるだろう。自民党は石破カードを切ったのに意味がなかったことになる。辞任を求める動きも出てきて、イギリスのトラス元首相のように1ヵ月で退陣ということもありうる。石破首相が「ぶれた」「従来の自民党に取り込まれた」「総裁選中に主張していたことがなし崩しになっている」という批判はかなり強く、期待外れとして石破内閣の支持率も相当低くなってきた。しかし、今回衆院選では「旧安倍派」を中心に高市陣営にいた議員ほど当選が難しいだろう。自民党内の反石破派は何人生き残るだろう。本来なら起きるはずの「石破おろし」を仕掛ける人がいなくなってしまう可能性もある。

 また数人はいると思われる「自民党追加公認」を繰り入れれば、何とか過半数に達する可能性もある。都知事選のように数十万票単位の差が付くわけではないので、調査で接戦と出ているところがどうなるかは最後まで予測出来ない。数百票単位で決まることもあるから、最後まで油断出来ない。あと数日になったけれど、次第に緊迫感が強まっている。
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謎の石切山脈と笠間栗モンブランー秋の笠間散歩

2024年10月22日 21時59分49秒 | 東京関東散歩
 昨日(20日)、茨城県笠間市を訪れた。事情あって月曜日に行ったが、月曜だと笠間日動美術館など諸施設が閉まっている。まあ結局時間がなくなって、開いてても行けなかったのだが。今回一番行きたかったのは「石切山脈」である。笠間は以前2回行ってるが、そこは当時はまだ知られていなかった(公開してなかったのかも)。笠間は笠間稲荷神社笠間焼で知られている。参拝や陶磁器を求める客で一年中賑わっている。そんな町が最近では「日本一の栗」で知られてきた。そして市の北方に「稲田石」という優れた石材が発掘されるということも知られてきた。
   
 上掲のような風景をテレビなどで見た人もいるんじゃないだろうか。石を切り出した跡に水が溜まって「地図にない湖」が出来ている。これが「石切山脈」と呼ばれる地帯で、東西約10km、南北約 5km、地下1.5kmに及ぶ岩石帯とホームページに出ている。明治32年に始まる日本最大級の採掘現場、ここの「稲田石」が国会議事堂、東京駅、最高裁判所などに使われた。「稲田石」は、約6,000万年前に海底深くで長い時間をかけ冷えて固まった花崗岩だという。車で行くと北関東自動車道笠間西インターを下りて、東の方に少し行ったところで曲がる。案外判りにくくて迷ってしまった。
  
 「石切山脈」は通称で、大きく入口に出ているわけではない。だから、うっかり通り過ぎてしまった。入場料300円で見られるが、本当は1000円払って「プレミアムツァー」に参加すると、奥の方の入場禁止区域を案内してもらえる。インターネットで予約出来るけれど、大体埋まっている。平日の朝9時半とかじゃないと、なかなか予約が難しい。まずはただ見て来ようと思ったんだけど、やはり奥まで行きたいなと思った。入口付近はストーンアート展示場になっていて、いろんな彫刻がある。その向こうに湖が間近に見えている。これだけで終わりかなと思ったら、左手奥の方に第2展示場があった。
  
 さらにずっと奥の方まで進んで行くと、また違った方向から湖を見られる。少し湖面に近くなった感じで迫力がある。ここは「前山採掘場」で、すべて石を掘った跡地だというのがスゴイ。宇都宮の大谷石採掘場も地下神殿風で素晴らしいが、こっちは謎めいた秘湖で面白い。まあ写真を何枚撮っても同じような風景なんだが、一応。
  
 階段を下って、さらに奥に行けた。まあ写真的には同じようなものになってしまうけど。周囲は石の跡地で、何だか飛鳥の石舞台みたいだ。よくよく湖面を見ると鳥がいる。遠くて全然見えないけど。
  
 立ち入り禁止やの工場もあった。排水を溜める貯水場もあった。なお、ここにもモンブランを出すカフェがある。2000円以上と高いんだけど、行った時はもう売り切れだった。石切山脈とは出てないけど、モンブランという旗が目印になる。
 
 昔の学校をカフェにしている「カサマロン・カフェ」がガイドに載っていたので、行ってみたが休み。事前に調べるべきだなあ。けっこう遠かったので時間をムダしたが、面白そうなところなので、いずれ行きたい。ということで時間も遅くなってきたので、もう「道の駅かさま」だけ行けば良いと判断したが、ここがまた大混雑。2021年に出来た「道の駅」なので、まだ行ってない人が多いと思うが、関東地方の秋のテレビではよく紹介される。笠間栗を使った「モンブラン」を出す店が集まっていて、大人気なのである。しかし、秋の時期は車を停めるだけで30分は待つと思う。
   
 ここで有名になったモンブランは、「錦糸栗クリーム」というか、栗あんを細切りにして掛けるのが特徴。機械から雨のように細い栗糸が降り注ぐ様子はパフォーマンス的にも面白い。中で食べる店はもう売り切れだったが、キッチンカーで出している店があった。それがまた長蛇の列だけど、裏の方も見たらもう一軒(一車)あったので、そこで頼んでみた。1200円なり。美味しそうでしょ。でもねえ、この錦糸栗は案外食べにくいんだな。食べるときにボソボソこぼれてしまうし。まあ、話題ということで一度はいいか。ここは帰りに寄る「道の駅」という意識ではなく、家族連れやカップルならここだけ目標に行くべきところなんだろう。
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衆院選、マイナ保険証を争点に!ー各党の公約を見る

2024年10月21日 21時41分08秒 |  〃  (選挙)
 東京新聞(10月20日)1面トップに『健康保険証 廃止する? 衆院選2024』という大きな記事が掲載されていた。僕は今まで何度も「マイナ保険証」反対の記事を書いてきたから、また書くのも気が引けるが、大事なことだと思うから何度でも書いておきたい。僕に言わせれば、この問題は今回の選挙の一大争点であるべきだ。高齢者・障害者や医療・福祉関係者にとっては、自身に大きな影響があるテーマである。それなのに、あまり取り上げられていないのは何故なんだろうか。
(東京新聞の記事)
 テレビニュースの街頭インタビューを見ていたら、争点には「物価対策・景気」と「政治とカネ(裏金問題)」を挙げる人が多かった。また「国会議員が多すぎる」と言う人も多かった。しかし「マイナ保険証一本化(紙の保険証廃止)」を取り上げる人はなかった。これは聞いている場所が影響していると思う。銀座・有楽町・新橋などで聞いているのだ。新橋で聞けば、仕事帰りのサラリーマンが「景気をよくして」という。銀座で聞けば、買い物帰りの女性たちが「物価」「裏金」を語る。

 だけど大病院の待合室で順番を待ってる人社会福祉事務所に生活保護の申請に来ている人障害者施設に通っている当事者などに「選挙の争点」を聞いてみれば、保険証の問題も出てくると思う。もちろん、そんな取材は不可能だ。顔をマスキングし、声は変えたとしても、そういう取材は断られるだろう。プライバシーを恐れる心配のない人だけが「世論」として通用する。

 自民党には高齢議員がかなり存在する。二階俊博氏は引退したが、麻生太郎氏はまだ出ている。80代を超える人はさすがに少ないが、70代は相当多い。別に僕は年齢が高いからどうのという気はない。だけど、マイナンバーカードはどうしているんだろう? マイナ保険証は使ってるんだろうか? 自分でパソコンやスマホを操作して「マイナ保険証」にしたんだろうか。それとも秘書をしている家族がやってくれたのか? 政治家に「マイナ保険証を見せてください」と聞くべきだ。

 僕も若い頃は一年に一度も病院に行かない年が多かった。(ホントは時々歯医者に行く方が良いんだけど。)その頃は「保険証」なんて気にしたことがなかった。勤め先で入ってる保険証が自動的に貰えたから、それで良かった。それを「自分で設定してください」なんてことにしたら、大変なことになるのは火を見るより明らかだ。「マイナンバーカード」にも期限があるし、「保険証」にも期限がある。それ以上に保険料の支払いが滞る人の場合どうなるのか。

 まだ元気な人は何とかなるだろう。でも世の中には、配偶者も子どももいない高齢者がたくさんいる。お金もない人もいる。病気や障害を抱える人もいる。自分でマイナンバーカードを作って、自分でマイナ保険証を設定する。一体何歳までスマホやパソコンを使えないとダメなんだろうか。スマホを持ってるのが前提みたいな社会になってるけど、スマホを持ってない人もたくさんいるって知らないのだろうか? ま、そんなことは今までも書いたと思うが、書いてると段々腹が立ってくるのである。
(各党の公約)
 それはさておき、今回の各党の公約を紹介しておきたい。自民党は総裁選中は見直すようなことを言ってた人もいたが、結局「マイナ一本化」である。公明党も「マイナ保険証を基本とする仕組みへの移行に向けて、医療機関と連携し、安全かつ着実に運用を図る」。日本維新の会は「マイナンバーの徹底利用」、国民民主党もマイナンバー重視である。

 一方、立憲民主党は「健康保険証の廃止を延期し、一定の条件が整うまで存続」。共産党は「マイナンバーと保険証・運転免許証との一体化の押しつけをやめさせる」、れいわ新選組は「保険証や免許証を現状のまま維持」、社民党も「現行の保険証を残す」。なお参政党は記載なし。日本保守党は現時点で国会議員がいないため出て来ない。まあ改めて見るまでもなく、他の政策と同様な感じで「想定内」というべきか。どの党の公約に共感するかは自由だが、僕はこの各党の公約を投票に生かしたいと思っている。
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『田名網敬一 記憶の冒険』展、イメージと色彩の氾濫に圧倒

2024年10月20日 22時18分45秒 | アート
 行きたい展覧会がたまってしまった。今日はまず六本木の国立新美術館(地下鉄千代田線乃木坂駅より直結)で開かれている『田名網敬一 記憶の冒険』展に行ってきた。8月7日に始まり、11月11日までなので、そろそろ見ないと終わりが近くなってきた。(ここは火曜日が休館日。)開会直後の8月9日に田名網敬一が88歳で急逝し、驚かされた。料金2000円とかなり高いし結構遠いから迷ってたんだけど、渋谷で映画を見た後に時間があったので寄ってみることにした。

 六本木方面の入り口前には巨大なオブジェが置かれていた。「金魚の冒険」と題された作品で、家族連れで写真を撮っていた。展覧会の中もすべて写真可(フラッシュ不可)で、皆スマホ越しに見ている。そういう質の作品が並んでいるわけだが、とにかく圧倒的な色彩の氾濫に驚く。食あたり、湯あたりという言葉があるが、色にあたるぐらいの部屋の中。遊園地というか、田名網敬一ワンダーランドである。すごいイメージの氾濫で、単に美術という枠を越えて「戦後民衆文化史」の大収穫だろう。
  (国立新美術館)
 「グラフィック・デザイナー」とか「イラストレーター」というカタカナの職業は戦前にはなかった。日本経済が高度成長をとげた60年代に一般に使われるようになった。最近その時代を切り開いてきた人々の業績が振り返られているが、今回の田名網敬一展も大きな収穫だろう。映像作品の出品も多く、じっくり見る気なら一日中楽しめると思う。僕はそこまで見なかったが、そう言えば昔見た実験映画もあったなあと思った。単に絵だけじゃなく、映像、立体工作などいろいろある。
   
 僕がどうのこうのと書くべきことはあまりなく、というか、個々の「作品」にはほとんど関心もなかった。出品されている作品があまりにも多いのである。そして、いろんなモノが置かれていて、 会場はおもちゃ箱をひっくり返したような祝祭感にあふれている。それは60年代、70年代の「ポップ」な感覚の弾けるような散乱である。それはまたアメリカの大衆文化への憧れでもある。アメリカのコミック、テレビ番組、音楽などは戦後日本の少年たちにとって最も身近な外国だった。
   
 だけど田名網敬一にとって、アメリカは単なる憧れだけではなかった。1936年に東京・京橋で生まれた田名網にとって、東京大空襲の記憶はほとんど「原風景」というものだった。Wikipediaから引用すると、「轟音を響かせるアメリカの爆撃機、それを探すサーチライト、爆撃機が投下する焼夷弾、火の海と化した街、逃げ惑う群衆、そして祖父の飼っていた畸形の金魚が爆撃の光に乱反射した水槽を泳ぐ姿」ということになる。幼い頃に見た風景こそは、まさにイメージと色彩の氾濫だったのである。下1枚目の絵には、「DO NOT BOMB」と大きく書かれていることが象徴的だ。
                 
 会場はいくつかの部屋に分れていて、間に映像作品を流すゾーンがある。それぞれ作成された時代、内容などで違いがあるようだが、見ていると何だか違いがよく判らない。ただイメージに圧倒されるだけ。単に絵が順番に並んでいる展覧会ではなく、様々な作品を作ってきた田名網ワールドを複合的に展示している。僕には正確に理解する自信がないが、戦後日本のポップアートの実力を見せてくれた展覧会だった。
   
 以上に掲載した画像は、僕が特に気に入ったものというわけではない。むしろ人が殺到してなくて写真が撮りやすかったものが多い。だから、実際に見に行けば、もっとスゴイのがいっぱいあるのに驚くだろう。見逃さなくて良かったなと思う。
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衆院選、「自民単独過半数」をめぐる大激戦=序盤戦情勢報道を読む

2024年10月19日 22時04分44秒 |  〃  (選挙)
 15日に公示された衆議院選挙、序盤戦の情勢に関する報道が出始めた。この「序盤」に関しては、選挙期間が短いため調査しないマスコミもある。しかし、いくつかの報道を総合すると、大体同じような傾向がうかがえる。それは「自民党の退潮」と「立憲民主党の堅調」だが、そんなことは言われなくても誰でも知っているだろう。しかし、減るといってももともと議員数が多い自民党だから、石破首相が目標に掲げた「自公で過半数」には届くんじゃないかという予測が多い。それは逆に言えば「自民党単独過半数は微妙な情勢」ということだ。これを「与党過半数確保の情勢」と報じるか、「自民党単独過半数割れも」と報じるかで、ずいぶん印象が変わってくる。ちょっとしたことで情勢は大きく動く可能性がある。
(テレビが報じる予想獲得議席)
 今回は様々な事情が重なり、結果が読みにくい選挙になっている。投票率がどうなるかも、全然予想出来ない。一つには「10増10減」の影響で、今までとは小選挙区の区割りが変更されたところが多く、票の出方が読みにくいのである。自分のところもそうなんだけど、前回から変わって知ってる候補者が一人もいない。「なじみ」がいなくなって自由に投票するのか、それとも棄権が多くなるのか。自民党非公認、比例名簿不登載の影響も読み切れない。小選挙区で当選しないとダメだから陣営が固まる可能性もあるが、有権者が「懲罰」的投票を行う可能性も否定出来ない。
(選挙関心度)
 世論調査による選挙関心度は、「大いに関心がある」から10ポイントぐらい減るのが実際の投票率となる。聞かれた時に「ある程度関心がある」と答える人は、実際には行かない。衆院選は5割は行くが、近年は6割には届いていない。政権交代をもたらした2009年が69%と異例に高く、2012年は59%。その後は、おおよそ53、54、56%推移してきた。これが6割に近づくか、それとも保守系に棄権が出て下がるかは結果に直結するが、どうも読みにくい。
(解散時勢力)
 前提になる議員数を確認しておきたい。衆議院議員の定数は、小選挙区289、比例代表区176の合計465議席。だから、過半数は233議席となる。だけど、それでは議長を出した後の総理大臣指名選挙で過半数を得ることが出来ない。(実際には保守系無所属がいるので、自民党が優位となる。)前回の当選者は、自民党=261、公明党=32で、与党合計293議席だった。小選挙区だけを見ると、自民=189、公明=9だった。解散時勢力は、自民党256、公明党32。野党は前回、立憲民主党=96、日本維新の会=41、国民民主党=11、日本共産党=10、れいわ新選組=3、社会民主党=1、無所属=10。 
 
 今回の解散時議席は、自民党=256、公明党=32で与党合計288、野党は立憲民主党=98、日本維新の会=41、日本共産党=10、国民民主党7、教育無償化を実現する会=4、れいわ新選組=3、社会民主党=1だった。「10増10減」は、まあおおよそのところ自民党が強いところを減らして、野党が強い都市部を増やすんだから、今回は自民が10程度減らすのが前提になる。その上に「安倍派裏金問題」があって、自民党全体が逆風にさらされている。同時に非公認議員や比例名簿不登載があって、地元議員への支持は継続しても、比例区の自民票が減りそうだという観測が強い。

 そのうえ、大阪・兵庫の「公明党擁立区」に「維新」が新たに候補を立てて全面対決になっている。10増10減に伴い、今回公明党は11小選挙区に候補を立てたが、今まで(2009年を除き)「全勝」を誇ってきた公明党だが、今回は小選挙区で全部勝つのは不可能である。ひょっとすると近畿で全滅もあり得る。比例区でも減る可能性もあって、公明党が微減になる予測が多い。そのことも考えると、「自公で過半数」も微妙になるかもしれない。

 「自公で過半数」なら良いはずだが、実際には「自民党単独で過半数割れ」だと、わざわざ禁じ手の石破総裁にした意味がないと考える人も出て来る。「石破首相では参院選が戦えない」と判断して「倒閣運動」が始まるのではないか。石破首相からすれば、安倍派問題で足を引っ張られたのに自分が辞める理由がない。自民党の減り具合では、反石破派が高市早苗を首相候補に立て、それに数議席獲得の可能性がある「日本保守党」などが乗る可能性もあるか。一方、石破側は国民民主党などに働きかけて首相指名を模索する。その可能性は高くはないと思うが、一応頭には入れてある。

 立憲民主党は「保守系」の野田元首相を代表に選出したのがどう出るか。今のところ自民を離れる保守票を獲得する可能性もあって、功を奏したような印象になっている。野党側は(まあ「維新」は除くとしても)乱立が目立ち、その影響は終わってみなければ読めない。共産党やれいわ新選組などの票がどのぐらいになるか、今は読み切れない。立憲民主党が野党の中では一番大きいのは間違いなく、その意味で反自民票が立憲民主に集まる傾向はあるようだ。それが自民系候補を圧倒するまでになるのか。

 まとめてみると、今回で与野党逆転はなかなか厳しいが、石破首相への批判、不満も強く、それは自民党政治そのものへの批判でもある。従って、このままだと2025年参院選の自民党はかなり厳しいことが予想される。次の参議院選挙こそ「天下分け目の戦い」になるんじゃないだろうか。
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栃尾又温泉自在館(新潟県)で、プチ湯治

2024年10月18日 22時55分15秒 |  〃 (温泉)
 どこか温泉へ行きたいと思いながら、なかなか機会が取れなかったのだが、一泊で栃尾又温泉自在館に行ってきた。「日本秘湯を守る会」に入っているので名前は前から知っていたが、今まで行ったことがなかった。調べてみると、上越新幹線浦佐駅から送迎車がある。11時半過ぎに上野から乗って13時過ぎには駅に着いて、13時半の送迎車で14時頃にはもう宿に入ってしまう。そして部屋に入って、もうお風呂に入れるのである。だがお湯に関しては、最近になく独特な宿だった。完全に「湯治」向きの宿なのである。今回は一泊しか取れなかったから一日で帰ってきたが、連泊する客も多いようだった。
   
 栃尾又温泉は、今は魚沼市、かつての湯之谷村にある「湯之谷温泉郷」の一つ。全然知らなかったが、伊東園ホテルズの宿もある大湯温泉など6つの温泉が集まっている。道路をずっと行くと奥只見湖から福島県に通じるという奥の方にある。温泉の入口には「越後三山只見国定公園」の案内があった(写真4枚目)。「秘湯」だから一軒家かと思ってたら、実は3軒あって、向かい合う「神風館」はやってるのと思うぐらいレトロ感あふれる宿で、家に帰って調べたら湯治専門だった。バスも一応通っていて、バス停も何だか趣がある。今は選挙中だから隣にポスター掲示板。自民と立民一騎打ちである。
 
 全体にレトロっぽい温泉で、一番奥にある建物(写真下1枚目)はつぶれた公営の日帰り温泉施設「栃尾又温泉センター」。行基が開湯したという伝説があるらしい(2枚目)。空中で二つの建物がつながっているが、向い側は自在館の「大正館」というところだった。自在館の館内は複雑怪奇で、チェックイン時に説明されたが全く覚えられない。カメムシが多いと注意されたが、どこからかカメムシが入り込んでくる。部屋にガムテープが置いてあり、(多くの家庭で同様かと思うが)男の自分が虫退治担当を命じられてせっせと捕まえていった。(両日で30匹以上。)貸切風呂は部屋のタブレットから予約というが何度やっても不可能。
   (したの湯入口)
 タブレットはフロントに言ったら直ったので予約したが、何だか最初はちょっと困った宿かなと思ったのである。ところがお風呂に入ると、これがとても良い。最近はお風呂で写真を撮るなと書いているので、ホームページから取ったが下のような感じ。貸切の「うさぎの湯」は広くて適温、源泉温度が低いので加温しているが源泉掛け流し、塩素殺菌なしの名湯で長く入っていられる。泉質はラジウム泉で、どうなのよと思うけど、経験上ラジウム泉はすごく効く。そして、メインイベントはここじゃなかった。「したの湯」は洗い場もない完全湯治仕様。小さな加温湯もあるが、大部分は35度ぐらいの「源泉そのまま」の風呂である。そこに1時間から3時間もじっくり浸かる。10分ぐらいで出るなんて、何しに来たんだよとは言われないけど、そんな無言の圧力を感じるぐらい。目をつぶってずっと湯に入っている客が何人かいる。外湯「おくの湯」「うえの湯」も同様で凄い温泉である。
(うさぎの湯)(したの湯)(おくの湯)
 食事も17時半か19時40分と、他と違う。5時半に食べることにしたが、これも「湯治食」と称して刺身とか鍋とかは出ない。ご飯は「コシヒカリバイキング」とあって、白米の他、雑穀米、玄米、お粥が置いてある。朝は味噌汁だったが、夜はミネストローネというのも変わってる。この新米が美味しくて、おかずなしでもどんどん食べられる感じ。頼んだ純米酒「緑川」がまた美味しかった。テレビやスマホはあるし、本も持っているが、どっぷりお湯に浸かるともうそれでいいやという気分になる。9時半前に寝てしまったら、12時頃に一度トイレに行ったきり再び寝込んでしまい、目覚めたのは6時40分だった。
   
 こんなに寝たのは久しぶりだぞ。これこそ温泉の力なんだろうか。ということで朝食後に渡り廊下を通って、外湯へ。霊泉の恩恵を受けるために再びじっくり湯に浸かる。実は宿の送迎は11時半までないので、それまで部屋にいるか温泉に行くか。とにかく全体に湯治向きに出来ている。肌はツルツルになるし、何だか判らないけどポカポカするし、やっぱり名湯だったんじゃないか。帰りは越後湯沢で途中下車して、ロープウェーに乗った。前に行ってるし高い(一人往復2800円)んだが、他に観光しないのも物足りなく、また少しは歩かないと。新潟の方ならもう紅葉してるか、寒いんじゃないかと思ってたが、今年は全然紅葉してない。何しろ今日なんて新潟の方が温度が高く(29度)驚き。ロープウェーで上に登るとさすがに冷たい風が吹いている。コキアがキレイ。
  
 車で行くなら遠いけれど、新幹線と送迎車なら、こんなに近いのかと思った。その代わり他の観光施設に行きにくいが、湯治のつもりで行けば、こういう宿もあったのか。確かにカメムシは困ったが、こんなお湯もあったんだ。最近寝られない、疲れ気味という人は連泊で行ってみるのも良いかなと思った旅。
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映画『二つの季節しかない村』、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督最新作

2024年10月16日 22時32分57秒 |  〃  (新作外国映画)
 トルコの巨匠ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『二つの季節しかない村』が公開された。2023年のカンヌ映画祭最優秀女優賞メルヴェ・ディズダルが受賞した作品である。これがまた198分もある超大作で、こういう映画はすぐ上映が少なくなるに決まってるから早速見て来た。この監督の映画は素晴らしい自然描写の中で、卑小な人間が繰り広げる壮大なドラマが展開される。非常に見ごたえがあって大好きだ。今回も全く退屈せずに見ることが出来たが、しかし3時間超は長過ぎだろう。

 映画はトルコ東部の山地にある村の学校で展開される。学校というのは誰もが行った思い出があるから、多くの映画や小説などに出て来る。だけど、その国の人には常識なことは説明抜きで進行する。ホームページにトルコの教育制度に関して詳しい説明があって、やっと理解出来た。トルコの学校は「4・4・4」の12年間が義務教育で、多分主人公の教師は真ん中の「Elementary」スクールで美術を教えていている。日本で言えば中学1年生の担任になると思う。一部私立学校もあるが、ほとんどが国立学校。主人公は東部のへき地から次はイスタンブールに転勤したいと言ってる。日本じゃ都道府県ごとの採用だから、北海道から東京の学校に転勤するなんてあり得ない。しかし、トルコでは教員は国家公務員で社会的地位が高いんだという。
(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)
 トルコ東部を舞台にする映画は時々あるが、複雑な背景事情がある地域だ。この地は政府が言うところの「山岳トルコ人」、つまりクルド人が多く住む。トルコ政府はクルド独立運動を激しく弾圧し、軍が駐留している。この映画でも主人公は軍警察に警戒されている。学校は基本的にケマル・アタチュルク以来の「世俗教育」が行われていて、女性教師にはスカーフを被っている人がいない。村人も同様で、エルドアン政権への支持が低い地域なんだと思う。メルヴェ・ディズダル演じる女性教師は、自爆テロで片足を失っている。これは恐らくISによる首都アンカラの無差別テロだろう。彼女は左派活動家で、集会が襲撃されたんだと思う。
(ホームページにある地図)
 物語をホームページからコピーして紹介すると「美術教師のサメットは、冬が長く雪深いトルコ東部のこの村を忌み嫌っているが、村人たちからは尊敬され、女生徒セヴィムにも慕われている。しかし、ある日、同僚のケナンと共に、セヴィムらに虚偽の"不適切な接触"を告発される。同じころ、美しい義足の英語教師ヌライと知り合い......。プライド高く、ひとりよがりで、屁理屈を並べ、周囲を見下す、"まったく愛せない"のに"他人事と思えない"主人公サメット。辺境の地でくすぶる男は、雪解けとともに現れた枯れ草に何を見つけ出すのか――。」
(サメットとヌライ)
 主人公サメット(デニズ・ジェリオウル)は冒頭では頑張ってる感じだが、途中で「生徒指導」を間違う。この展開は教師にとって他人事ではなく、誰にでも起こりうることだと思う。それにしてもきっかけは「抜き打ち持ち物検査」で、トルコじゃ今でもそんなことがあるのかと思った。そこからサメットの人間的狭量さが見えてきて、生徒相手に癇癪をぶつけるなど困ったものである。一方ヌライ(メルヴェ・ディズダル)は今もなお若い頃の理想主義を手放していない。そんな二人がラスト近くで10分以上人生論を闘わせる。圧倒的なシーンだが、その後の展開も人生の機微を感じさせて見事だ。
(セヴィム)
 ヌライは英語教師だが「英語を教えるよりクルド語を教わっている」という。この言葉にヌライの生き方も示されている。しかし学校の様子は出て来ない。サメットの学校の様子はかなり詳しく描写されるが、貧しい東トルコでは生徒の将来も希望が持てない。サメットも早くこんな学校、こんな地域を出ていきたいとしか思っていない。そういうタイプの教員が見事に描かれるが、見ていて辛いものがある。セヴィムという女生徒の描き方もリアルで、関係が壊れた生徒との難しさが身に応える。サメットもまずいと思うが、まだトルコでは「教師の権威」で押し切れるんだろうか。

 題名に反してほぼ冬しか出て来ないが、ラスト近くになってやっと夏が来る。サメットとヌライはケナンも一緒に、遺跡を訪ねる。これがまた素晴らしい映像で、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の映画はそこが魅力でもある。1959年生まれの監督は構想が大きいこともあり、最近は数年に一作の寡作になっている。今までにカンヌ映画祭で、パルムドール、グランプリ(2回)、監督賞、女優賞を獲得してきた巨匠である。あと幾つ見られるかわからないが、数作は見たいものだ。なお、今までに『トルコ映画「雪の轍」と「昔々、アナトリアで」』と『トルコ映画「読まれなかった小説」』、2回記事を書いている。
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