尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

スポーツ選手と国籍問題-政治家と国籍⑥

2016年09月30日 22時55分03秒 | 政治
 「二重国籍」問題も最後にしたいと思う。今は「国籍」と言えば、まずスポーツ界の問題である。五輪が終わったばかりなので、誰でもいろいろと思い当たるだろう。政治家と同様に、オリンピックなどでも、「人は一時期には一つの国しか代表できない」。

 国家にも様々あるけれど、どんなに大きな国も、小さな島国も、主権を持つ独立した「国民国家」とみなされる。とりあえず、そういう時代に生きているので、国民国家ごとに一つ認められた「オリンピック委員会」から派遣されないと、五輪大会に出場できない。人口13億を超える中国からも、一国の選手定員しか出場できない。マラソンに強い東アフリカ諸国も、国内の競争が激しく五輪出場が大変である。五輪後の9月25日に行われたベルリンマラソンでは、五輪に出場できなかったエチオピアのケネニサ・ベケレが世界記録にわずかに及ばない記録で優勝した。(調べてみると、アテネと北京の1万m、北京の5千mの金メダリストである。)

 こうなってくると、自国の代表になれないなら、国籍を変更して他国の代表として五輪を目指したいという人が出てくるのも当然だろう。卓球の中継を見ていると、ヨーロッパ代表に元中国選手がいっぱいいた。陸上競技の100m走男子のアジア記録を持っているのは、フェミ・オグノデというカタールの選手だが、ナイジェリアから国籍を変更した選手である。日本だって無縁ではなく、ソフトボールの宇津木麗華は中国から、アーチェリーの早川浪、漣姉妹は韓国から国籍変更した選手だった。サッカーとなると、もうあまりにもたくさんいて、ワールドカップにも主力メンバーとして何人も出場したのは、皆知っているところだろう。

 その逆に、日本人が外国籍を取る場合もある。フィギュアスケートの女子選手、川口悠子はロシアの国籍を取得して、ロシアの男子選手とペアで世界選手権や五輪に出場している。五輪でメダルは獲得していないが、世界選手権では銅メダルを取っている世界的選手である。一方、「猫ひろし」という「日系カンボジア人のお笑いタレント」(ウィキペディアには、こう書かれている)もいる。この前、「笑点」に出ているのをたまたま見たけど、問題があるというなら、蓮舫よりこっちだろと思う。日本で「外国籍の芸能人として活動している」のだろうか。活動の中心が日本だったら、国籍変更して五輪に出るというのもおかしい。というか、そもそも選手歴として世界的記録を持ってない人物が、国籍を変えてまで五輪に出ることが認められるなら「スポーツの価値」はどうなるのか。

 こういう問題を考えていると、現在では「国籍を変える」ということが、それほど問題ではない時代になっているのかなと思う。だからこそ、逆に「国籍問題にこだわる」という人も出てくるんだろう。でも、それは実は世論の中ではごく少数なのだと思う。日本でも、世論調査を見ると、蓮舫氏の国籍問題を重視する人はほとんどいなかった。近年になって、外国人の父親を持ち、父の姓を名乗るスポーツ選手がたくさん活躍していることからも、それが判る。昔はほとんどいなかったと思うのだが。それもアジア系やアフリカ系がたくさんいる。世の中がずいぶん変わったような気がする。

 スポーツ選手というのは、10代後半から30代ぐらいに活躍することが多い。だから、同世代の中で、最初に世の中に知られる存在となる。軽々しく言えないけど、日本社会のようすがかなり変わってきているのかもしれない。もちろん、今までにも室伏広治のように、母親が外国出身(ルーマニア人で五輪のやり投げ選手)の場合はあった。だけど、父が外国人であって、日本で活躍したという選手はあまり記憶にないように思う。母が外国人の場合、言われないとわからない場合もあるけど、父方の姓を名乗っていれば外国系とすぐに判る。子どもの学校生活(いじめ等の心配)を考えて、母の姓を名乗って学校へ通うという場合が昔は多かったと思うけど、やはり少し変化があるんだと思う。

 思いつく限りで何人か(生年順で)挙げておくと、
ダルビッシュ有(1986~) イラン系、野球、テキサス・レンジャーズ所属
ディーン元気(1991~) イギリス系、陸上やり投げ、ミズノ所属
ケンブリッジ飛鳥(1993~) ジャマイカ系 陸上短距離走、「ドーム」所属
鈴木武蔵(1994.2.11~) ジャマイカ系、サッカー、アルビレックス新潟所属
ファン・ウェルメスケルケン際(1994.6.25~) オランダ系、サッカー、オランダチーム
ベイカー茉秋(1994.9.25~) 米国系、柔道、東海大学所属
オナイウ阿道(1995~) ナイジェリア系、サッカー、ジェフユナイテッド千葉所属
オコエ瑠偉(1997.7.21~) ナイジェリア系、野球、楽天イーグルス所属
大坂なおみ(1997.10.16~) ハイチ系、女子テニス、
宮部藍梨(1998~) ナイジェリア系、女子バレー、金蘭会高校所属
サニブラウン・アブデル・ハキーム(1999~) ガーナ系、陸上短距離走、城西高校所属

 まだまだいるようだけど、ここでは若くして世界的に、あるいは日本代表レベルで活躍をしている人を挙げてみた。オコエ瑠偉の妹も、高校のバスケ選手で、高校大会レベルでは活躍しているので、やがて日本代表レベルになるかもしれない。こうしてみると、「90年代半ば」、阪神大震災やオウム真理教事件などがあった1995年前後に生まれた選手が多い。やはりその頃は日本社会の大きな変わり目だったのだろうか。以上の全員は僕もすぐに出てこないで、検索して調べてみたけど、確実に何人かは顔が判ると思う。

 こういう時代に、「国籍」にこだわりすぎると、もっと大事なものを見失うような気がする。「二重国籍」だからなんだって言うんだろう。むしろ、どんどん二重国籍を認めて、日本人も世界で活躍してもいいし、外国人も日本に来ればいいじゃないか。いや、ラグビーのように、国籍を問わず外国人選手を受け入れる競技の方がいいのかも。ラグビーは、「7人制」が五輪に採用された結果、逆に国籍が問われるようになったという。ニュージーランド出身の「マイケル・リーチ」も、7人制日本代表になるため日本国籍を取り「リーチマイケル」と表記するようになったということである。「五輪」というものが、「国家意識」と結びついて存在しているということである。

 産経新聞に掲載されていた記事に、国籍を取ったなら「身も心も日本人になれ」とお説教が書いてあった。蓮舫は戸籍名「村田蓮舫」だが、「本名で選挙に出ない」ことがまず問題なのだという。それは(前に書いたように)、山本総務相や大塚五輪担当相に先に言ってくれと思うけど、選挙に「芸名」で出た人もどの党にもいるだろうに。「扇千景」で出て、参議院議長までやった人もいた。「イチロー」は鈴木名で登録しないと、国辱なんだろうか。どうも発想がイマドキではない気がする。もう国籍や父系主義にこだわる人は、グッと少なくなってきたんじゃないか。だからこそ、一部の人は過敏に反応しているということなんだろう。
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女性が「被支配者」と結ばれると-政治家と国籍⑤

2016年09月28日 23時08分44秒 | 政治
 二重国籍問題の話は、大体終わっているんだけど、今までとは違った観点でもう少し考えておきたい。それは「支配・被支配」の関係と「父系重視」の考え方が交錯するところで、どのような心理的偏見が生み出されるかという問題である。「深層」に潜む社会心理の問題である。

 蓮舫氏とはまた違った問題だが、アメリカではバラク・オバマ大統領の「出生」が長らく問題になってきた。バラク・オバマ(1961~)はハワイで、ケニア人留学生の父と「白人」の母の間に生まれた。母親の民族的背景は、イングランドやスコットランド、アイルランドなどが混ざっているということで、要するに「白人」(ヨーロッパ系)としか言えない。

 ハワイ大学のロシア語の授業で知り合って、正式に結婚した時に、母は18歳だった。まだ60年代の公民権運動の前だから、大変な反対があったという。父はその後、ハーバードの大学院に進み、ユダヤ系女性と親しくなり、一緒に帰国した。帰国後は石油会社に勤務し、のちに政府のエコノミストを務めた。優秀な人物だったわけだが、交通事故で1982年に亡くなっている。

 母親アン・ダナムは、夫がハーバードに去ったのち、1964年に正式に離婚した。1967年にはインドネシア人学生と再婚し、インドネシアに引っ越した。(子どものバラクを同行した。)女子が生まれているが、1980年には離婚した。その後、人類学の研究を続け、人類学の博士号を取得したが、1994年にガンで死去した。このようにオバマ大統領は、すでに早く両親を失っているわけである。

 こういう経緯を見ると、(出生証明書を公表しているように)、バラク・オバマはハワイ生まれであることは疑いない。ハワイは1959年に州に昇格しているから、出生地主義のアメリカでは、生まれた時からアメリカ市民権を持つわけである。だけど、それに対して「オバマはケニア生まれ」と疑問を投げかける人が一定程度いる。ドナルド・トランプもつい最近まで、そういうことを言っていた。

 トランプは同じ共和党のテッド・クルーズ上院議員の「大統領資格」も問題視していた。テッド・クルーズは紛れもなく「カナダ生まれ」だけど、父親は仕事の都合でカナダに行っていた。後にテキサスに戻り、以後ずっとそこで過ごしている。(なお、父親はキューバ移民で、福音派キリスト教の伝道師でもある。)大統領は「出生によるアメリカ国民」と憲法で規定しているけど、いくら「出生地主義」のアメリカといっても、親がアメリカ人なら「自国民」と認めているわけである。そうでなければ、現代のようなグローバル社会に対応できない。外国で多数の国民が勤務しているのに、子どもが生まれたら国籍が無いとなったら、外交官やビジネスマンが外国へ赴任しない。

 そういう観点で見れば、どこで生まれようが、「母はアメリカ人」であることが疑いないバラク・オバマはアメリカ市民権を持っているはずだ。だけど、ずっと「疑いの目」が存在する。何故だろうか? それは恐らく、60年代にアフリカ人やアジア人と結婚した「母親の生き方」が理解できないからじゃないか。本人を目の前にしたら言えないことでも、死んでいるから陰であれこれ言える。よりによって、アフリカ系とアジア系の子どもを二人も生んだ母親は、一種の「裏切者」「転落者」に見られる。

 これが、戦争に行った後に外国から帰還した米兵が、女性を連れて帰った場合は違ったんだろうと思う。占領軍として来た兵士が日本女性を連れて帰った例は、ものすごくたくさんあるし、うまく行った場合ばかりではない。よりによって「敵の娘」を連れ帰ったことに、家族が違和感を持つ場合もあっただろうが、「一種の戦利品」として受け入れ可能な存在である。

 一般的に、男性優位社会では「男性優位婚」になる。「大卒男子」は会社で高卒の派遣社員と結婚しても非難はされない。(ただし、相手の「容姿」レベルは問われる。)一方、「大卒女子」の社員が、出入り業者の高卒社員と結婚するのは、「不釣り合い」と見なされる。本人同士が良ければどうでもいいことだけど、以上の例は理解可能だと思う。これは「強い者」「弱い者」の結びつきでは、同じようになる。男性が「弱い者」から結婚相手を見つけるのは、条件付きで許される。だけど、女性は「より上位の男性」に選ばれないと価値が証明できないわけである。

 植民地においては、支配民族の男性が「現地の被支配者の女性」を「性的対象」にするのは許される。(そうじゃないと、戦争や貿易に男がやってこない。)ただし、「正妻」にするのは問題で、そういう「変人」(原住民を愛情の対象にしてしまうというのは「掟破り」の変人)は支配者の社会から追放されることが多い。「愛人」ではなく、「現地妻」といった存在でなら許容される。(祖国に正妻がいる場合もあるが、「現地妻」は許される。「現地妻」の存在を正妻がとやかく言うのは、「男の仕事」に口をはさむはしたないこととされる。)

 一方、植民地社会が安定してくれば、医師や教師などの専門職の人々が、(祖国よりも有利な条件で職にありつける可能性が高いので)やってくることになる。一家で住み着けば、子どもも生まれる。男子は祖国の学校に送って教育するが、女子は手元に置くことが多い。だけど、支配民族の中で配偶者を見つけるのが当然で、いくら相手が現地のエリート階層であっても、支配民族の女性が被支配民族の男性を「性の対象」にするのは、許されない。(相手が王族などの有力者にまでなれば、「政略結婚」として支配者の女性が嫁ぐ(嫁がされる)ことはよくあるが。)

 まあ、そういう原則ばかりでは語れないけど、サマセット・モームの「南海もの」などのイギリスの小説を読むと、こういう話がよく出てくる。あるいは、マルグリット・デュラスの「愛人」(ラマン)は、現地の男性と性的関係を持つ支配民族の娘の状況を深くとらえている。要するに、「男には許される」が「女には許されない」わけである。そして、子どもに関していえば、子どもは父親の民族を受け継ぐべき存在と見なされるわけである。

 そうなると、バラク・オバマの出生問題の本質は、「アフリカ人男性と結婚した母から生まれた子ども」はアメリカ人と認めたくないという心理ではないかと思う。蓮舫問題の深層にあるものも、「旧植民地」である台湾の男性を父とするものは、日本人というより、父の国籍の台湾人と見なしたいという心理ではないだろうか。だから、二重国籍とか日本国籍取得などの経緯は、一番重要な問題ではないように思うのである。もちろん、それは「女性差別」であり、「民族差別」だから、表立っては言われない。言ってる本人も気づいていないかもしれない。だけど、僕は「帝国支配の残りかす」のような、ゆがんだ感覚を感じてしまうのである。後、もう一回。
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「台湾問題」をちょっと-政治家と国籍④

2016年09月26日 23時37分16秒 | 政治
 今回の「二重国籍問題」では、政府・自民党筋からはほとんど反応がなかったと思う。そりゃあ、そうだよなと少しでも歴史的経緯を判っている人は思っただろう。でも、学校教育でもほとんど取り上げないし知らない人もいるだろう。簡単に「台湾問題」を振り返っておきたいと思う。

 蓮舫氏が二重国籍だったと非難する人がいるわけだが、では「どことどこの国の二重国籍なのか」と問えば、何と答えるのだろうか。もちろん一つは「日本国」だけど、もう一つはどこか。マスコミ等も「台湾籍」と書いているけど、そうなってくると「台湾は国なのか?」という大問題が発生する。そこに関しては、日本政府としては「台湾を国と認めているわけではない」と答えるしかないだろう。

 「台湾」は、「中華民国」という「国名」を持っている。日本も、1972年9月29日までは「中華民国」を承認していた。田中角栄内閣による「日中国交回復」、それをもたらした「日中共同宣言」により、日本は中華人民共和国を承認した。それに伴い、自動的に日本と中華民国間の外交関係は断絶することになった。以後、ずっとそのままながら、民間交流という形で双方の関係は維持されている。

 「中華民国」は、だんだん世界的な孤立が進んでいるけれど、今もなお世界で22か国が承認している。だけど、政治的、経済的な大国である「中華人民共和国」を無視できる重要国はないと言っていい。だから、いまも「中華民国」を承認している国は小国ばかりである。太平洋やカリブ海の島国が多く、中米のパナマ、ニカラグア、ホンジュラスなんかが大きい方になる。中国は少しでも「寝返り」を期待して援助を持ち掛け、一方台湾側も援助で引き留めているという熾烈な争いが続いている。

 この「台湾問題」は、朝鮮半島の南北分断とはまた違った意味を持っている。戦後の米ソ冷戦の中で、東西ドイツ、南北朝鮮、南北ヴェトナムなどの「分断国家」があった。(ドイツは冷戦終結後の1990年に統一し、ヴェトナムは1975年に北が武力で統一した。)その分断のいきさつはそれぞれだが、(細かくなるので省略)お互いに「自分が正しい」と主張はするものの、「分断されている事実」そのものは認めていた。だから、両方の国と国交を持つことは可能になる。日本もある時点で東ドイツや北ヴェトナムを承認していた。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)だって、実は日米仏などの数か国を除いて、世界のほとんどの国と国交を持っていて、南北双方と国交を有することが可能である。

 でも、それは中国に関してはありえない。どっちかとしか正式な国交は持てない。それが「一つの中国」の原則である。この原則は中華人民共和国が世界に求めたものだが、世界各国も認めているわけである。その差はどこにあるのか。中国の場合は、戦後の国際関係で生じた分断ではなく、国内で起こった革命戦争の勝者と敗者がいるだけだということだろう。中国史に時々出てくる、全国統一までの間に一時的に存在した「単なる地方政権」だという扱いになるんだと思う。

 中国近代史は、国土が外国勢力に踏みにじられた歴史である。だから、「国土統一」は中国政府(だけでなく国民にとっても)非常にナーバスな問題である。日本ももちろん「踏みにじった側」だし、イギリスやフランス、ドイツ、アメリカ、ロシア…世界の重要国はみな同じである。そこからの抵抗の中で、1911年の辛亥革命が起き、清国が倒れ中華民国が誕生した。(ちなみに、中華民国はアジア初の共和国、つまり君主制ではない国である。)

 だけど、この中華民国もなかなか統一されず、指導者の孫文の死後、後継者の蒋介石によって、ようやく国土統一がなされる。しかし、蒋介石を脅かす存在があった。一つが毛沢東を指導者とする中国共産党、もう一つが中国東北部(満州)を事実上の植民地(「満州国」)にした日本軍である。蒋介石は、日本と戦う前に国内を固めるとして、共産党攻撃を優先した。これに対して国内で争わず日本に抵抗せよとの声が高まり、ついに蒋介石の国民党と毛沢東の共産党は「国共合作」に踏み切る。

 まあこの説明は簡略すぎるし、もう少し詳しいことを知っている人も多いだろう。国民党も共産党も、そういう公式的な解釈では理解できない複雑な面もあった。だけど、非常に簡単に書けば、1937年に日中全面戦争が始まった時に、共産党軍は「八路軍」として正規の抗日部隊として認められていた。日本の攻撃で、蒋介石は首都の南京から、武漢へ、そして「抗日首都」重慶へと移りながら抵抗をつづけた。アメリカやイギリスは中国を支援したが、その援助物資は重慶の国民党を腐敗させ、共産党への支持が大きくなっていく。

 1945年8月に大日本帝国が敗北した時、正式な中国政府は蒋介石の「中華民国」(国民政府)である。だけど、この勝利は「惨勝」と言われたように、破壊された国土の中で、国共両党の内戦が復活しただけだった。次第に共産党が優勢となり、1949年10月1日、北京で中華人民共和国の成立が宣言された。しかし、その時に蒋介石と国民党は、日本の植民地から「解放」されたばかりの台湾に政府を移したのである。もっと簡単に言えば、逃亡したわけである。

 こういう経緯からすれば、その後、まあ文化大革命など様々な悲惨事があったとはいえ、中華人民共和国が全土を支配する統治機構を持つ、有効な全国政府であることは疑えない。だから、中国の正統政府は中華人民共和国である。この原則はいまさら変更できない。それに中国近代史を見れば判る通り、中国共産党が革命に勝利したのは、日本の中国侵略にもっともよく抵抗したからである。かつて日本は日清戦争の勝利により台湾を植民地とした。そういう日本が台湾の国際的位置に関して発言することは、慎まないといけない。内容がどんなことであれ、中国だけでなく、(かつて第二次大戦では中国の同盟国だった)アメリカなどの誤解を招きかねない。「外交的センス」のなさに世界を呆れさせるだろう。

 人民共和国成立後、中国側は「台湾統一」を叫ぶものの、アメリカと結ぶ台湾を武力で統一できる海軍力はなかった。一方で、人民共和国建国の翌年に、朝鮮戦争が起こり、中国は劣勢に立たされた北側を支援して「義勇軍」を送り、大変な人的、経済的負担を強いられた。(それが現在に残る「中朝の血の絆」になる。)だから、台湾統一にさける余裕はなかったのである。今に至るまで、台湾が中国本土と違う政治体制を続けてこられたのは、こういう東アジアの複雑な現代史によるものである。

 だけど、台湾は1895年以来、120年間も大陸中国から切り離されてきた。そこでは独自の歴史、独自の文化が生まれるのは当然である。特に1975年に蒋介石が死んだのち、息子の蒋経国が後を継ぎ、少しづつ政治や社会の民主化が進められていった。経済的にも本土に先がけて工業化に成功し、韓国やシンガポール、香港と並んで「アジアの4匹の龍」と言われるまでになった。中国本土が1989年の天安門事件以後、政治的自由が極度の制限されているのに対し、民主主義的成熟度では台湾が圧倒的にリードしているのが事実だ。

 となると、どうなるか。事実上、台湾側は「中国全土の正式国家」だという主張を今はしていないけど、だからと言って「台湾独立」は認められない。一方、中国は世界的大国として、台湾問題を軍事的に解決しようとすることは認められない。日本が政府レベルで守るべきことは、以上二つの原則になるだろう。だけど、まあ、僕は政府の立場ではないから、中国はウィグル族やチベットに対する自治を検討するべきだと思う。そういう中で、将来的には台湾も「高度な自治」という形で、統一が可能になる日が来るかもしれない。しかし、そのためには中華人民共和国における「政治改革」が先決となる。複数政党制が導入されれば、台湾と同じということになるのだから。

 だけど、そういう遠い将来のことは置いて、当面は「独立」も、「統一」もないという現状を維持しないといけない。台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という名前でオリンピックに参加し、中台交流も維持されるべきだろう。民進党政権が誕生して、ギクシャクしているのが実態だろうが、いずれ何らかの解決が図られることを期待したい。なんだか長くなってしまったけど、こういう問題が背後にあるから、蓮舫氏は「二重国籍」だなどと簡単に発言してはいけないということである。判っていて挑発しているなら困ったことで、「右派」が国政の運営に責任感がないということだ。知らないならもっと困ったことだけど。
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そもそも「二重国籍」は問題なのか-政治家と国籍③

2016年09月25日 22時43分42秒 | 政治
 そもそも政治家にとって「二重国籍」だと問題が起きるのだろうか。今まで、その根本的な問題が、きちんと考えられていないと思う。深く考えていくと、「二重国籍」を問題視する考えは、「国家主義的な国家観」によるものではないかと思われるのである。

 ちょっと考えると、国会議員は国政の進路を決定するわけだから、「二重国籍」だと「どっちの国の利益を優先するのか」という問題が起きそうに思う。この「利益相反」というのが、一番最初に言われるんだろうと思う。確かに、弁護士が民事裁判で原告側、被告側双方の代理人になったりしてはおかしい。(もちろん禁止されている。)だけど、その場合は弁護士は仕事でやっているわけだから、「争っている双方から弁護料を得る」ことになり、おかしいのは誰でも判る。

 しかし、蓮舫氏は日本国の国会議員しか務めていない。今まで「二重国籍者」が、同時に二つの国の要職を務めたり、国会議員になったことはないんじゃないかと思う。同時に二つ以上の国の政治家になるのは、その場合は確かに「利益相反」の恐れがあるから問題だろう。でも、アルベルト・フジモリの場合だって、ペルー大統領は辞任していた。世界を見てみると、元ジョージア(グルジア)大統領のサアカシビリは、2012年の大統領選挙に敗れた後、事実上ウクライナに亡命状態にある。同地でポロシェンコ大統領の支持でウクライナ国籍を取り、オデッサ州知事に任命された。そういう人もいるわけだが、同じ時期に両方の国の要職を務めたわけではない。

 だから、「二重国籍」が問題なのではない。もちろん蓮舫氏が台湾立法院選挙に出るというならば問題だけど、そんなことではないのだから。でも、それを問題視する人がいる。民主政治における「国会議員」(地方議員も)の意味を判っていないのかもしれない。蓮舫氏が「誰を代表するか」と言えば、それは「日本国民」を代表している。日本の国政選挙に当選するというのは、そういうことである。参議院の東京選挙区から選出されているが、東京都民の代表ではない。国会議員は地方の利益代表ではない。どこで選出されても、日本国民全体の代表となる。仮に「二重国籍者」であったとしても、議員は選ばれた代表なのだから、その議員を選んだ国しか代表できない。だから問題ないのである。

 だけど、なんとなく「二重国籍」だと問題に思ってしまうのは、「古い国家観」というか、昔ながらの感覚があるんじゃないか。「二つの国に忠誠を誓えるのか」といったような。でも、政治家に限らず、国民全員が、何も「国家に忠誠を誓う」必要はないはずである。君主制国家における「二人の君主に仕えるのは不忠である」みたいな感覚ではないかと思う。今の民主政治では、国会議員は主権を持つ国民の代表である。だけど、自民党改憲草案では「天皇元首化」「国防軍設置」などが明記されている。そういう感覚で見れば、「二重国籍者」は「天皇に対する不忠の輩」と批判されるのかもしれない。

 大昔の中国に、「伯夷・叔斉」(はくい・しゅくせい)という兄弟がいた。殷が滅んだあとに、周に仕えることをせず、山奥で隠者となって山菜を食べていて餓死したという。この兄弟が儒教では聖人とされ、「二つの王朝に仕えなかった姿勢」が理想とされた。日本の武士の考えの中には、「主君の家」どころか「主君個人」に恩顧を受けているという意識から、主君の死後に「殉死」することさえ江戸初期まで見られた。武士というのは、本質的に戦争が仕事という存在だから、戦争で「味方を貫くか敵に回るか」は命を懸けた決断となる。そこで、武士にとっては「絶対に主君を裏切らない」というのが、至高の道徳とされたわけだろう。

 でも、現代の民主社会では、国民には自国の戦争を批判する自由もある。それどころか、日本は「国際紛争を解決する手段」としての戦争を憲法で放棄した。大日本帝国憲法にあった「兵役の義務」も今はない。「徴兵制度」は憲法違反とされている。だから、もし戦争になった時に「二重国籍者」はどちらの国で戦うのかという問題も存在しないはずである。それなのに、つい「国家への忠誠」などという発想をしてしまう。そこに「国家主義的思考」の名残りがあるというべきだろう。どうしても「忠誠」という言葉を使いたい人は、政治家は「選出国民への忠誠」が必要というべきだろう。

 ところで、「国民には権利だけでなく義務もある」などとやたらに強調する人がいる。その通りだけど、義務といっても日本国憲法には「兵役」の義務はない。「教育」「労働」の義務もあるけど、実質的に重要な意味があるのは「納税の義務」である。「二重国籍」であっても、納税のもとになる経済行為を行っていなかったら義務を果たしようもない。一方、「多国籍企業」は税額が安い国に資産を移したりして節税している。今世界で問題なのは、「二重国籍」ではなく「多国籍」の方ではないのか。まさに「非国民」として活動している企業のありようを覆い隠すのが、「二重国籍」問題のもう一つの意味ではないか。
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蓮舫氏は「生まれながらの日本人」である-政治家と国籍②

2016年09月24日 23時17分49秒 | 政治
 民進党新代表の蓮舫氏は、周知のように、実際の「事実」としては、「台湾籍」を保持していたということである。今回、「台湾籍」を離脱する手続きを行い、完了したということだ。そのような「事実」は認識しているけれど、蓮舫氏は「生まれながらの日本人」だと解釈するべきだというのが、僕の考えである。どうしてそう考えるのかを、以下で説明したい。

 「事実」は事実なのであって、変えられないと言われるかもしれない。だが、「事実」というのものは、ただ単なる「出来事」に過ぎない。それをどのような「文脈」(コンテクスト)で位置づけるか、その「評価」が一番大事なのである。それは「歴史学」ということになるが、何も大昔のことばかりではなく、自分の周りで日々起きていることも「歴史」なのであって、歴史学的な「史料批判」は重要だ。

 例を挙げておくと、例えば「学校の定期テストで、50点だった」という生徒がいるとする。平均点は60点だったとする。この生徒は「テストの半分しか正解できず、平均点にも10点及ばなかった」ということが、「冷厳なる事実」である。だけど、そういう時に「事実」だけを取り上げることは意味がない。なぜならば、人間はただ現在だけを生きている人はいなくて、「過去」と「未来」の中間点に「現在」があるからである。もともと学力レベルが低い生徒が、前回の中間テストで40点を取り、今回期末テストで50点を取った。そういう場合は、「50点」は「よく頑張った」の指標である。

 もちろんその逆もあり、今回はさぼったという場合もある。数学や物理などの場合、中身が本格的に難しくなって付いていけないということもある。50点なら、(高校だったら)単位は取れるだろうから、それでいいということもある。数学なんかだと、計算問題のケアレスミスなんかもあるから、生徒によっては「きちんと見直しをして、注意深くなること」が課題だという場合もある。同じく「50点を取った」という「事実」が共通していても、人さまざまの事情や経緯があるから、意味が違ってくるのである。

 もう一つの例を挙げる。僕がたびたび取り上げている「ハンセン病」の場合である。かつて「らい予防法」という法律があり、ハンセン病患者は全員の「隔離」が定められていた。1996年に「らい予防法」は廃止され、2001年のハンセン病国賠訴訟判決(熊本地裁)で、隔離政策は厳しく断罪された。特効薬が開発され、世界的に「隔離政策」が見直されたけれど、日本では長く政策の見直しが行われなかった。そのことに対して、熊本地裁判決は、遅くとも1960年には「違憲」だったとし、さらに見直しを進めなかった国会の「立法不作為」をも認めたのである。つまり、国会は法律を作るところだけど、それだけでなく「法律を作らなかった(見直さなかった)こと」も違法だったと認めたのである。

 この判決では、隔離政策そのものが憲法違反だったとまでは言っていない。だけど、病気そのものは昔と同じである。感染力は昔から弱かった。しかし法律廃止が遅れている間に、療養所入所者は高齢になり社会復帰も難しくなった。今もハンセン病療養所で暮らす人が多数いる中で、「法律ができた当時は隔離は正しかった」などと言うことはできない。そのように考えてはいけないのである。それはさらなる人権侵害だ。隔離政策の過ちを正視すれば、「当時は法律があったんだ」とか「国民の中には偏見もあって、やむを得ない部分もあった」などと隔離政策を正当化してはいけない。

 さて、やっと蓮舫氏の事例検討である。蓮舫氏は1967年に東京で生まれた。その国で生まれた人間に国籍を与える「出生地主義」の国なら、この時点で日本国籍となる。しかし、日本は「血統主義」を取り、親が日本国民の場合に子どもに日本国籍を与える。蓮舫氏の父親は「台湾人」で、日本人の母親(ミス・シセイドウだったそうである)との間に生まれた。1967年の時点で、日本の国籍法は「父親が日本人の子どもに日本国籍を与える」としていた。母親が日本人の場合は、日本国籍を得られなかったのである。二重国籍になるのではない。父親の方の国籍しか得られなかったのである。

 おかしいでしょ、これは。もちろん、今は改正されているわけだ。それは1985年のこと。日本は当時「女性差別撤廃条約」(政府は「女子差別撤廃条約」としているが、「Women」の訳語は「女性」だろう)を批准しようとしていた。その結果、国内法の整備が必要となり、男女雇用機会均等法の制定、高校での家庭科男女共修などが実施された。そして、国籍法も改正され、「父系主義」から「父母両系主義」となったのである。蓮舫氏はこのときに、日本国籍を取得した。その時点で「台湾籍」(中華民国籍)を離脱したと思い込んでいたとのことだが、実際には残されていたという。

 しかし、だからと言って、蓮舫氏を「二重国籍者」だというのは間違っていると思う。日本国憲法第14条は、「法の下の平等」を次のように規定している。「1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」性別によって差別されないと明記されているではないか。憲法にこう書いてありながら、どうして国籍法は「父系主義」だったのか。当時は「そういうもんだ」と思われていたかもしれないが、「今の目で見れば」明らかに違憲ではないか。

 だから国会は、もっと早く、条約批准などを待つまでもなく、父母両系主義に国籍法を改正するべきだった。いつとは言えないが、蓮舫氏が生まれた1967年には改正されていて当然だった。それを怠った国会は「立法不作為」である。もちろん、蓮舫氏個人が「父親の国籍を選ぶ」と言うのなら、それは自由である。だけど、そういう選択権を与えられたわけではなく、蓮舫氏は父の国籍となってしまった。母親が日本人であり、日本で生まれ、日本でずっと学んでいた。(幼稚園から大学まで青山学院だとウィキペディアに出ている。それもどうなんだと思うけど。)それなのに、日本国の「差別政策」により、日本国籍は(出生時に)与えられなかった。

 子どもの時は自分で判断できないけど、両親はずっと日本社会で生きていく心づもりだったのではないかと思う。だから、1967年当時に父母両系主義だったら、蓮舫氏は生まれながらに日本国籍だった可能性が高いと思う。そうじゃなかったのは、日本国の政策の過ちのせいであり、蓮舫氏の責任ではない。このように、「差別政策の被害者」に向かって、「事実は事実」だなどと「二重国籍」をあげつらうのは、卑劣な行為だと僕は思う。母親が日本人であり、生まれたのも日本である人間は、誰であれ「生まれた時からの日本人」だと考えるのが、今の時点の常識ではないか。それなのに、国会議員でありながら、この問題を取り上げる人がいる。国会議員なら「立法不作為」を蓮舫氏(だけでなく、多くの同様なケースの人々に)謝罪する方が先だろう。違いますか?
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アルベルト・フジモリはなぜ立候補できたのか-政治家と国籍①

2016年09月24日 00時08分40秒 | 政治
 民進党代表選に、蓮舫参議院議員が出馬して当選した。そのこと自体にはたいして関心もないのだが、(政治ニュース一般に寄せる関心以上の熱い関心はないという意味)、選挙戦中に一部の勢力から、蓮舫議員の「二重国籍問題」が指摘された。この問題をどう考えるべきか。ひとり蓮舫氏の問題にとどまらず、案外深く広い問題を秘めていると思う。だから何回かに渡って考えてみたい。

 僕がこのニュースを聞いたときに、すぐに思い出したのはアルベルト・フジモリのケースだった。言うまでもなく、元ペルー共和国大統領である。「アルベルト・フジモリはなぜ立候補できたのか?」ペルーの大統領選挙の話ではない。ペルー大統領選の立候補資格も、問題を指摘する人がいるようだけど、今はその話ではない。フジモリ氏が日本の選挙に立候補したのである。「あなたはそれを覚えていますか?」と僕は言いたいんだけど、どうしてそのケースの話が出てこないのだろうか。まあ、関係者もみな忘れたいのかもしれないが。

 日本政府の解釈によれば、アルベルト・フジモリは日本国籍を有していた。だけど、ペルー大統領を務めていたんだから、もちろんペルー国籍もあるわけだ。堂々たる「二重国籍」である。でも立候補できたのである。まあ、当選はしなかったけど。でも、立候補できるなら当選してもいいんだろう。当選してから資格を取り消すことはできないだろう。だから、日本政府の公式見解は、「国政に携わるものが二重国籍であってもかまわない」ということだとしか思えない。

 もっと具体的に言うと、アルベルト・フジモリは、2007年参議院選挙で「国民新党」の比例区名簿に掲載されていたのである。国民新党というのは、2005年に郵政民営化法案に反対した人々が作った党である。郵政民営化法案が参議院で否決されたとき、当時の小泉首相は衆議院を解散した。その「郵政解散」で、反対派は自民党公認を外された。そこで亀井静香、綿貫民輔らが国民新党を選挙前に結成したわけである。その後、2009年の民主党「政権交代」に参加して、連立内閣に加わった。でも、2007年参院選時点(第一次安倍政権)では、野党である。

 参院選比例区は「非拘束名簿式比例代表制」である。国民新党は党名票と個人票で約127万票を得て、1議席を獲得した。当選は117,590票で個人得票1位の自見庄三郎、ついで青山丘、津島恭一ときて、アルベルト・フジモリは4位。51,612票だった。なお、このときには同党候補には10位で落選した、ペマ・ギャルボという人もいた。チベット生まれで、1959年にダライ・ラマらとともにインドに亡命した。その後日本人の支援で訪日して、日本で活動してきた。2005年に日本国籍を取得した。この人の場合「二重国籍」ではないだろうが、外国出身者を擁立したことになる。

 実はこのとき、フジモリ候補は日本にいなかった。南米のチリで身柄拘束後に保釈されていた。もう細かい経緯を忘れている人が多いと思う。(自分もそう)。ちょっとウィキペディアを見て思い出してみることにする。アルベルト・フジモリは、国立農科大学総長だったが、1990年の大統領選に新党を作って立候補した。小勢力だったが、決選投票でバルガス=リョサ(世界的な作家で、のちにノーベル文学賞受賞)を破って当選した。新自由主義的な経済政策と強硬なゲリラ対策を進め、成果も挙げた。しかし強権的手法に反発もあり、1992年に議会を解散して憲法を停止、強大な権力を手にした。1995年に再選、2000年にも3選された。しかし、独裁政権下で秘密警察が強大になり、腐敗も多くなった。

 2000年の大統領選は強硬に乗り切ったが、側近が野党議員に現金を渡す映像が公開され、反フジモリ派の攻勢が激しくなった。11月にブルネイで開かれるAPEC首脳会議出席のため、出国して11月16日に日本に入国。翌17日、突然ペルー政府にあてて、大統領辞任の申し出をファックスで送りつけた。(ペルー政府は辞任を受け付けず、罷免にしている。)日本政府は、フジモリは日本国籍を有しているとして、そのまま日本滞在を続けることを認めた。日本は「政治亡命」を認めていないはずだが(それも問題だけど)、フジモリのケースは「事実上の亡命」を認めたものと言える。

 この間、ペルー司法当局は「左翼ゲリラによる日本大使公邸襲撃事件の際、ゲリラ殺害を指示した殺人罪」で起訴し、日本に身柄引き渡しを求めた。その他、権力乱用など多くの容疑があったが、日本政府は一貫して引き渡しを拒絶した。その後、2006年の大統領選に立候補したいと考え、2005年に突然日本を離れてチリに向かった。ところが、チリでペルーの要請により身柄を拘束されたわけである。その間に、2007年の参院選出馬があったわけだが、このような理由で日本での選挙運動は全くできなかった。だから覚えてない人が多いと思う。2007年9月になって、チリ最高裁がペルーへの引き渡しを認め、以後ペルー当局に拘束されている。裁判の細かい経緯は省略するが、2010年に禁錮25年が確定している。本人は無罪を主張している。

 フジモリの裁判をどう考えるかは、ここでは扱わない。独裁者への裁きでもあれば、政治的弾圧という要素もあるだろう。そのことはペルーの問題として、では日本政府はどうして「独裁者フジモリ」を一貫して擁護したのか。よく判らないけど、その経済政策や左翼テロへの強硬策が、日本の保守派に高く評価されていたことが背景にある。フジモリ政権下で、日本の経済援助も増え、日本の経済進出も多くなった。「日系人」が大統領に上り詰めたことが、保守派にとって「国威発揚」のように感じられたこともあると思う。ウィキペディアに「日本で親交にある人物」として、曽野綾子、石原慎太郎、徳田虎雄らの名があがっている。そういう人たちの「お友達」なのである。

 何でも右派系マスコミの中には、蓮舫氏を批判する声が強かったようだ。しかし、フジモリの場合、完全なる二重国籍であるにもかかわらず、当時の保守派は一貫してフジモリ擁護を主張していたのである。いつもなら外国人政治犯の亡命を認めない人が、フジモリは日本人だから守れと言う。中には、ペルーのような国に引き渡せば殺して闇に葬るに決まっている、日本人の命を守れなどと言っている人がいた(僕はよく覚えている)。ペルーでは1979年以来死刑は執行されず、テロ行為への死刑は法文上残っているものの、「事実上の死刑廃止国」とされていることなど、多分知らなかったのだろう。

 ところで、肝心のアルベルト・フジモリの出生だけど、両親は熊本の出身である。1934年にペルーへ移住した。アルベルトが生まれたのは、1938年。だから、出生によりペルー国民とされる。だけど、両親は日本公使館に出生届を提出し、国籍保持を申し出たという。その結果、日本国籍を保有することになった。と言うんだけど、実は日本生まれだという説もあるらしい。まあ、それはともかく、これはちょっと無理筋ではないだろうか。日本人の両親から生まれた「日系ペルー人」であるとしても、一度も日本で生活していない。それで「日本人」と言えるだろうか。そして、ペルー大統領選に立候補。法的にはともかく、その時点で事実上「日本国籍を放棄した」というべきだろう。だけど、日本政府は前例に反してまで、フジモリを擁護し続けた。そこまで「日本人の血筋」は尊いということだろうか。

 かくして、日本では「二重国籍でも、国政選挙に立候補できる」という前例が作られた。蓮舫氏の場合には、それは認められないとするなら、二重基準と言うほかない。そう思うんだけど、それはともかく、二重国籍でもホントにいいのかという問題はある。そして、なぜ「二重国籍ではダメ」という人がいるのかと言う問題もある。そして、蓮舫が二重国籍だというなら、どことどこの国の国籍なのかという大問題も存在する。それらを順々に考えていきたい。
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霧と雨の日光旅行

2016年09月22日 21時15分16秒 | 旅行(日光)
 どこか温泉へ行きたいと思う。そう思って、お芝居や落語もしばらく見ずにお金を節約。でも、どこへ行くかが難しい。今年の気候はずっと不安定で、8月半ばころから毎週のように台風がやってきている。8月には東北や北海道に大被害を出し、最近は九州や四国に大雨をもたらした。なんでも台湾や北朝鮮にも大きな被害が出ているという。どこへ決めても雨に当たる可能性は高い。ということで、初めて行くところが雨じゃ残念なので、毎年のように何回も行ってる日光へまた行くことにした。

 日光なら雨なら雨で、よく知っているから、まあそういう日もあるかと思えそう。そう思って一月ぐらい前に決めたんだけど、ホントに台風に当たってしまった。直撃かと思ったら、前日夜に温帯低気圧になって関東を通りぬけていった。それでも台風一過とならず、気温も低く、雨が降ったりやんだりのような天気だった。割と旅行日は晴れに当たるんだけど、今年のようにずっと台風が来てると避けようがない。農業もそうだが、観光への影響も大きいだろう。今日は祝日だけど、ガラガラだった。

 ということで、一日目も二日目も大した行動をしてないんだけど、とりあえず今日行った小田代ヶ原(おだじろがはら)の写真から載せておく。休日だから、本来なら戦場ヶ原端にある赤沼駐車場は、低公害バスに乗る人々で満杯である。自家用車通行止めで観光向けバスを出しているわけである。でも、今日は雨が降ってて人が少ない。せっかく休日ダイヤでバス便は多いのに。小田代ヶ原は、戦場ヶ原のさらに奥にあって、湿原から乾燥しつつあるものの広大な湿地帯になっている。そろそろ草紅葉が広がっている。一枚目の写真、向こうに見えているのが「貴婦人」と呼ばれる白樺。
   
 いつもならバスを降りたら、木道をずっと歩くか、あるいはバスを乗り継いで行く。でも、今日は雨が降っているから、少し歩いて止めにする。次のバスで戻っちゃおうという考えである。日光は今後10月になると、紅葉狩りの客で大賑わいとなる。一年で一番のハイシーズンである。宿の値段も高くなるけど、何しろいろは坂が大渋滞で時間が読めないのが困る。9月は夏休みと紅葉の狭間の、ちょっと空いている期間なんだけど、それでも最近は外国人が多い。低公害バスにも乗っていて、熱心に写真撮りに来ているらしい。

 さて、一日目に戻って。一日目も雨である。まあ、バスで早く中禅寺湖に行ってしまおうと思う。今夏オープンした「イギリス大使館別荘記念公園」に行こうかと思う。ところが何にも見えない。それどころか、バスがない。バスが出ているはずなんだが。よく見ると、8月31日で終わり、今度は10月一杯出ている。9月だけ運休なのである。「半月山行き」のバスなんだけど、中禅寺湖バス停から歩くと40分ぐらいかかる。雨の日に歩きたくない。どうせ男体山も何も見えないんだから、止めようと思う。一応「華厳の滝」に寄ると、こんな霧である。観瀑台から撮った写真の向こうに音は聞こえている。

 宿泊は最近の定宿、休暇村日光湯元なので、もう早速行くことにする。ところが、予想に反して、奥へ行くほど雨が上がり、うっすら日も差しているではないか。雲を通りぬけてしまった感じである。チェックインの時間には早いので、温泉街を少し散歩していこうか。源泉地帯まで行ってみる。途中に「温泉神社」があるが、そう言えば行ったこともなかった。勝道上人が開湯してすぐ、700年代の創建というけど、それはちょっと古すぎるよなあ。隣に朽ち果てんとしているお土産屋の廃墟が…。
 
 源泉というのは、奥日光の中でも一番の奥、湯元温泉のどんづまりにある。あちこちの温泉にある「地獄」に近いけど、フラットな湿原みたいな感じのところにお湯がポコポコ湧いている。そこに小屋のような建物がいっぱいあり、それぞれの宿の名前が書いてある。中には江戸時代から続く、板屋とか釜屋なんていう旅館もある。ここから湯元温泉の各宿に配湯されるだけでなく、戦場ヶ原の下を通って中禅寺湖畔の宿まで供給されている。「日本で四番目に濃い硫黄泉」だということで、循環にもできないのかと思うが、全部の宿が掛け流しなんだから湧出量も多いんだろう。
   
 宿のお風呂は行くたびに色が違うが、今回は緑色の湯。脇腹から腰に違和感があったけど、だいぶ和らいだ。もうゆっくり寝て、2日目の天気に期待するが、今日は朝から昨日以上の雨。ということで、冒頭の小田代ヶ原ちょっと見散歩になった。バスを待って、日光市街に下る。金谷ホテル歴史館の隣でカレーを食べ、ぶらぶら歩きながら紫蘇巻唐辛子と湯沢屋の酒まんじゅうを買って、最初の特急で帰る。今回はホントに温泉に入るだけのような旅行だった。まあ、日光はまた行くんだろうし、たまに雨に当たるのも仕方ない。飛行機で行く旅行なら中止の可能性もあったんだし。最後に、宿の真ん前の湯ノ湖の様子。ここまで陰鬱な風景も珍しいが、それでも釣りで来ている人がいっぱいいた。
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フランス映画「太陽のめざめ」-「非行少年」の更生は可能か

2016年09月20日 21時23分03秒 |  〃  (新作外国映画)
 「太陽のめざめ」というフランス映画を上映中。(東京ではシネスイッチ銀座で23日まで。)終了間近なので、やはり見ておこうかという次第。この映画は、ある「非行少年」をずっと追って行って、更生は可能かをフランス法制度の中で描いた作品である。中心となる判事を大女優カトリーヌ・ドヌーヴが貫録で演じているが、ほとんど娯楽的要素はなく、ひたすらリアリズムである少年を追っていく。結構つらい映画なので、関心の薄い人にはお薦めできないが、「少年犯罪」や「貧困と教育」などの問題に関心がある人には必見だと思う。

 冒頭で、ある6歳の少年を施設に保護するかどうかの審問が行われている。母親も持て余しているらしく、本人は学校へ通おうとしない。母親は小さな子どもを抱えて対応に困っているようだが、責任を追及されて逆上してしまう。10年後、16歳になったマロニー少年は、再び判事のもとにやってくる。粗暴で秩序に反する少年として。法廷ではなく、判事の執務室に関係者が集まり、検事や弁護士同席して意見を述べるというシステムが興味深い。このときは、「教育支援」を受けさせることにする。

 しかし、また問題を起こし、今度は「更生施設」送りとする。(これは検事が「少年院」を主張しているので、違う施設なのである。)山のふもとにあって、同じような境遇の少年が集まるが、ここでも帰属感が得られない。ここで一定の安定を見たため、学校に戻ろうとするが、学校の面接でまたキレてしまう。(義務教育段階でも「進級不可」があり、その後の受け入れには学校側の選択権があるようだ。ここは日本では考えられないところ。)だけど、この更生施設で、指導員の娘と知り合い、不器用な恋につながっていく。

 何とかなりそうなときに、再びダメになってしまうマロニー。さらにいろいろあるのだが、ついに母親が大麻中毒になり、弟が施設送りに。クリスマスを家族で過ごしたいと、マロニーは自動車を盗んで無免許運転で施設に忍び込み、弟を連れ出すのだが…。この日の行動がいろいろと後に尾を引くことになるのだが、それは書かないでおく。これらのすべてにカトリーヌ・ドヌーヴの判事が立ち合い、信じていると告げ、できる限り更生できるような決定を出す。だが、家庭的な問題もあり、キレやすい少年はまた判事のもとに戻ってくるのである。ラスト、判事は退任することになり、少年にも人生上の転機が訪れる。そこで映画は終わるが、果たして、どうなるんだろう。

 少年を演じるのは、ロッド・パラドという新人俳優で、職業訓練校生のときにオーディションを受けたという。なかなかカワイイ面立ちで、つい「マロニーちゃん」と声を掛けたくなるけど、粗暴な演技は堂に入っている。どうして世界中、この手の少年は同じ格好をしているんだろうと思わせるほど、ツボにはまってる。つまり、フードで顔を隠し、顔にボディピアスをして下を向いているが、突然目をむき出して突っかかってくる。僕も何度も相手をしてきたが、はっきり言って困ったヤツである。

 そこが映画のいいところで、時間をかけて少年を時系列で追うとともに、母親を初めとして関係者のようすも描き出す。そうすると、やっぱり「母親」の存在は大きいと思わざるを得ない。もちろん、母の成育歴をさらにたどると、きっと自尊感情をきちんと育てられない環境に生きてきたんだと思う。母じゃなくて、父の責任もあるけど、大体無責任な父はどこかへ行ってしまっていて、シングルマザーの母が新しい男を作って、子どもはネグレクトしているというような構図があるわけである。この映画も、「家族を求める愛の叫び」のような感じがするが、だからと言って、これほど粗暴では社会で受け入れてもらえないだろう。彼は変わり得るか。そこまでは描かないで映画は終わる。

 作ったのは、エマニュエル・ベルコ(1967~)という女性監督である。脚本も同じ。この人は女優としても活躍していて、2015年のカンヌ映画祭で女優賞を獲得している。日本では知名度が低いが、この映画はカンヌ映画祭オープニング作品ということで、注目すべき存在だと思う。ファンタジーなど全く交えずに、ひたすら現実に即して描くのが、日本からするとかえって新鮮である。

 この映画の判事は、日本で言えば、家庭裁判所の裁判官にあたるだろうが、日本では転勤が激しく、ある地域で子どもをずっとケアしていくことは不可能だろう。また、少年事件を刑事裁判にかけるときも、自分で判断して自分で裁判している。日本では検察に逆送致して、それから検察が地方裁判所に起訴するから、家裁では刑事裁判は少年事件でも行わない。(少年院送致は「教育処分」であって刑事罰ではない。)そのような法制度の違いが見て取れるのも興味深い。でも、「愛とは、見捨てないこと。」とコピーにあるのはどうなんだろうか。そりゃあ、判事は最終判断するだけだからいいけどさ、とつい思ったりもする、だって、現場で毎日接していれば、簡単に愛って言えないですよ。

 さらに、一番違うと思ったのは、教員がほとんど関わらないことである。まあ、16歳の時点では学校に行ってないから関わりようがないわけだが。でも、日本では義務教育段階では学校が抱え込んで指導していると思う。義務教育段階で「落第」がなく、「同年齢集団」として地域の少年は(よほどのことがない限り)学校で生活している。そういう子供たちが、今はほとんど高校へ行く(定時制も含めれば、倍率1倍を切る公立学校は全員合格になるから。)高校では落第や中途退学があるが、それでも生徒の問題行動には教員が関わることが多い。思うに、面接がいかにひどいからと言って、義務教育段階にある少年を受け入れ不可にしていいのだろうか。などなど、とにかくマロニー君を見ていると、かつて見聞きせざるを得なかった少年たちを思い出してしまい、こっちまでドキドキしながら見てしまった。
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映画「エミアビのはじまりとはじまり」

2016年09月19日 23時34分20秒 | 映画 (新作日本映画)
 土曜日は少し疲れたかなと思って、家で休みながら記事を2本書いた。続いて次の記事を書こうと思っていたら、日曜日は突然疲れを感じて寝てしまった。今日になってみると、具合が悪かったのである。ということで、敬老の日を含む三連休(まあ、関係ないけど)を全部家で休んでしまった。今後、台風が関東に向かってくるけど、ちょうど旅行に重なる。果たして、天気も体調も大丈夫かな。

 映画をもう一本。「エミアビのはじまりとはじまり」という日本映画である。漫才コンビ「エミアビ」の海野が死んだ。車に乗っていて一緒に死んだ「雛子」(ひなこ)ちゃんは、引退した先輩芸人、黒沢の妹だった。残された相方の実道(じつどう)は、マネージャー高橋夏海とともに、黒沢の家を訪ねるところである。この5人が主要登場人物で、「笑い」と「」を題材にしながら、人生をやり直すということについて、興味深く描いている。不満もないわけではないが、注目すべき映画。

 映画の中の時間は行ったり来たりする。実道の黒沢訪問のあとに、海野と雛子の最後の日の様子が出てくる。雛子は黒沢の妹であることを隠して、お笑いの追っかけをしていた。そんな二人の初めてのデートが、ある出来事により台無しになる。公園の駐車場で襲われるのである。お笑い芸人なら、「笑わせれば許してやる」と言われて必死にやるが、驚きのできごとが起きる。そういうのをどう評価するかが難しい。一種の「超常現象」みたいなものにストーリイが依存しているような気もするが、そこが面白いとも言える。そういう場面は他にもあって、僕にはよく判らない感じがする。

 よく判るのは、マネージャー高橋役の黒木華(はる)の怪演ぶりである。またまた忘れられない演技で、本当に今年の主演女優賞と助演女優賞を両方取るんじゃないか。黒沢と実道が言いあっているところへ、「ドッキリ」と入ってくるシーン。駐車場で落ちた弁当を食べるシーン。(実際に道に落ちているものを食べてると思うんだけど。)車の中での実道との会話もおかしい。「デニーロ主演の映画」「でに色って、どんな色ですか」といったバカバカしい会話の数々。この黒木の存在が映画のアクセントになっていて、ずいぶん映画を助けている。

 「エミアビ」っていうコンビ名は、「笑み」を「浴びる」という意味あいで付けられたもので、劇中で海野が考えたものとされる。相方を失っていた実道と海野を、かつて先輩の黒沢が結び付けた過去がある。実道を演じるのは、盛岡龍。「舟を編む」「ハッピーフライト」など僕も見てる映画に最近いっぱい出ているが、覚えてなかった。監督として「ニュータウンの青春」という映画も作っていて、今ユーロスペースでレイトショーで上映されている。海野を演じるのは、前野朋哉。やはり最近の映画、「桐島、部活やめるってよ」やテレビドラマにたくさん出ている。黒沢役は新井浩文で、「松ヶ根乱射事件」や「百円の恋」などで演じてきた役柄が思い出されて、見ている方も緊張する。雛子は山地まり

 脚本・監督の渡辺謙作(1971~)は、「舟を編む」の脚本を書いた人。「ラブドガン」「となり町戦争」など何本かの監督作があるようだが、見ていない。「笑わせれば許してやる」というシチュエーションが2回出てくるなど、どうも見ていてどうかと思うんだけど、映画全体は面白かった。不満なところも含めて、今の日本のムードを掬い取っているように思う。東京ではヒューマントラストシネマ渋谷で上映中。
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イエジー・スコリモフスキの怪作「イレブン・ミニッツ」

2016年09月17日 22時48分49秒 |  〃  (新作外国映画)
 ポーランドの巨匠、イエジー・スコリモフスキ(1938~)の新作、「イレブン・ミニッツ」が公開中。映画の話題もたくさんあるので、続けて書いてしまう。これはあっと驚く仕掛けの映画で、こういうのを思いついたから作ってしまおうという78歳の監督の若さが凄い。一体成功しているんだかどうかは判断が難しいけど、こういう怪作は見ておきたいという向きには見逃せない。

 映画に限らず、演劇や小説など「物語」系では、大体「ある程度のまとまった時間」が描かれる。そうじゃないと、人間や社会の深さをじっくり追及できない。男と女が出会って、それで終わりっていう映画じゃ、誰も満足できない。「その後」が知りたいだろ。映画では、むしろ「長い時間」をいかにうまく処理するか、時間を行ったり来たりしたり、画面が暗くなっていく(フェイド・アウト)など、様々な時間処理法が開発されてきた。でも、「イレブン・ミニッツ」では、ある日の「5時から5時11分」までのたった11分しか描かれない。題名の由来である。

 時間の「同時進行映画」だったら結構ある。アニェス・ヴァルダ監督の「5時から7時までのクレオ」という映画では、名前の通り5時から7時までの時間が描かれている。そういうのは前にもあったけど、たった11分しか映画内で時間が進行しないというのは、あっと驚く手法である。いくつかのエピソードが同時並行的に描かれ、何が何だか判らないけど、最後に一つにまとまる。ある町(ポーランドの首都ワルシャワ)のホテルや町の中心部を描き、何でこうなっちゃうの?っていうラストだけど…。

 しかも映像がぶっ飛んでいる。普通の映画カメラだけではなく、監視カメラWeb カメラカメラ付き携帯CGなんかの様々な映像が散りばめられている。ローアングルやスローモーションなど多様な撮影技法、いろんな都市のノイズなど、この映画は多様な方法で「11分間」を描き分けている。出てくる人物も、変というか嫌なやつが多い。女好きの映画監督はホテルの一室で女優に出演交渉(それ以上?)をしている。ホテル前には出所したばかりのホットドッグ屋、またある一室では不倫しているバイク便の男、ポルノ映画を見ているカップル、そしてちょうど通りかかるバスの乗客たち。そんな様々な人物をモザイク状に描き分けていく。はっきり言って、何が何だかよく判らずに映画は進行する。

 そして、最後の一瞬にすべてがつながってしまう。「グランドホテル形式」というのがある。ある一点(ホテルなど)にいる様々な人物のエピソードをモザイク状に語っていく形式だけど、「イレブン・ミニッツ」は全く無関係の人物を同時進行で描いていく。これは確かに脚本、監督のイエジー・スコリモフスキの発明じゃないか。

 スコリモフスキは、ポランスキーの「水の中のナイフ」の共同脚本で認められ、ポーランドで「身分証明書」で監督デビュー、続いて「不戦勝」「バリエラ」と撮った。次にベルギーでジャン=ピエール・レオ主演の「出発」を撮り、ベルリン映画祭で金熊賞。今ではこれらの映画も日本で見られるが、案外に「前衛的」で「ヌーヴェルヴァーグ風」の作風だから、社会主義時代のポーランドにはいられない。外国で撮るようになるが、日本初公開はイギリス映画「早春」(1971)という少年の年上女性への憧れを厳しくも美しく描いた映画。小規模な公開だったけど、鮮烈な映像美に心を囚われた。

 以後も世界で撮りながら、映画祭で受賞したりしているが、日本公開は恵まれない。「ザ・シャウト」とか変な内容の映画が多い。そのうち、監督を休んで俳優ばかりやるようになった。2008年に17年ぶりの映画「アンナと過ごした4日間」を撮って、東京国際映画祭にやってきた。審査員特別賞を得て、ベストテンにも入ったけど、これはまた陰鬱なポーランドの田舎町を舞台に、異常な愛の形を描いていた。次の「エッセンシャル・キリング」(2010)はヴェネツィア映画祭で審査員特別賞。これもテロリスト風の男がただ逃げて逃げて逃げ回る強烈な映画だった。こうしてみると、監督人生をかけて変な映画ばかり作ってきたような人である。「イレブン・ミニッツ」もまた、内容も形式もぶっ飛んだ映画だった。大作とか名作よりも、変な映画を偏愛する向きには、落とせない映画だ。
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ステキな夏休み映画「グッバイ,サマー」

2016年09月17日 18時40分33秒 |  〃  (新作外国映画)
 日本で上映されている映画は、もちろん「日本語映画」が一番多いだろう。二番目ももちろん「英語映画」である。英語映画は、アメリカやイギリスを舞台にしているものだけでなく、世界のどこの物語であっても世界市場に売るために英語で作ったりする。それ以外の言語の映画は、大きなシネコンなんかではほとんどやってないのではないか。でも、ミニシアター系などではフランス映画イタリア映画は、今でもけっこう上映されている。フランス映画で言えば、いまでも「エスプリ」の効いた映画がずいぶん作られている。そういうのを見たくなる時がある。

 前回書いた「ティエリー・トグルドーの憂鬱」は、フランス映画だけど現代社会を批評した辛口の映画だった。もちろん、フランス映画はそんな映画ばかりではない。見る者になつかしさと幸福感をもたらす、いかにもフランス映画らしいステキな映画が公開されている。ミシェル・ゴンドリー監督の自伝的少年映画「グッバイ,サマー」である。14歳の夏休み、転校生の友人と「ひと夏の冒険」に出る少年ダニエル。フランスの田舎風景もたっぷりと見せてくれる。宣伝コピーにある通り、まさに「キュートで甘酸っぱい青春ロードムービー」だ。素晴らしい映画。

 ベルサイユの学校に転校性テオが来る。「あの〝女子”の隣に座りなさい」と先生の指示。年の割りに可愛らしくてクラスでも浮いているダニエルは、先生にもそんな風に言われてしまうが、男の子の悩みで心の中はいっぱいである。親はうっとうしく、兄も変。好きな女の子も見向きもしてくれない。テオは機械いじりが趣味でガソリンくさい。クラスになじめない二人は友だちになったけど…。

 自分で部品を組み合わせて車を作っちゃうテオだけど、それは警察から車と認められない。そんなときに、ダニエルが「天才的アイディア」を思いつく。車じゃなくて、家にしちゃおう。「動く家」なら、警察が来たら路側帯に止めて家を装う。昼間は田舎道を進んで、夜は寝ることも可能。そんな家と車を兼ねたものを作って、それで夏休みに旅に出よう。このアイディアが凄い。二人の中学生に乾杯!

 親をうまくだまし出発したものの、トラブル続出。スマホはアッと驚く失敗で使えなくなる。いいとこに止めて寝ると、そこは怪しい歯科医夫婦の庭だった。家に招待され食事させてくれるが、彼らは一体どういう人? 山道は押さないと登れないし、髪を切ろうと街へ出たダニエルは「フーゾク兼カット店」みたいなフシギ空間に紛れ込む。ここは一体何だろ。日本語が聞こえてくるけど。逃げ出したダニエルの頭はとんでもないことになってる。そして、やっと着いたところは愛しの彼女の別荘のある湖。でも、そこで最大のトラブルが…。一体、家に帰れるのか、二人はどうなる?

 監督、脚本のミシェル・ゴンドリー(1963~)は、フランス生まれの映画監督だけど、アメリカにも住んで、ビョークなどのミュージック・ビデオで知られた。そこから映画監督になったので、「ヒューマン・ネイチャー」「エターナル・サンシャイン」など当初はアメリカで映画を作っていた。(「僕らのミライへ逆回転」というおバカ映画の大傑作が好き。)その後、フランスに戻ってボリス・ヴィアンの愛すべき大傑作「うたかたの日々」(日々の泡)を映画化した「ムード・インディゴ」(2012)を作った。

 自伝的というけど、どこまでがホントかは知らない。でも、ここまで素晴らしい夏休み映画も珍しい。この前書いたホウ・シャオシェンの「冬冬の夏休み」はもっと小さ時期だし、永遠の青春映画「スタンド・バイ・ミー」は、人生の転機にもなる怖い体験。日本の「旅の重さ」も、四国を廻っているうちに人生が変わってしまう。「グッバイ,サマー」は中学生の映画だけに、社会的な背景を感じさせながらも、ノスタルジックでカワイイ。ロードムービーの魅力が詰まっているのも素晴らしい。東京では恵比寿ガーデンシネマや新宿シネマカリテで上映中。
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映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」の憂鬱

2016年09月16日 22時47分13秒 |  〃  (新作外国映画)
 ヒューマントラストシネマ渋谷という映画館がある。スクリーンが3つあるので、ここでしか上映しないような映画がよく掛かっている。株主優待が使えるので、他がいっぱいだったり、名画座二本立てが疲れそうなときなど、結構行くことになる。J・G・バラード原作の「ハイ・ライズ」なんていう映画も、今ここで見とかないと映画館で見られない気がして、つい行ってしまった。昔々、バラードのファンだったのだが、この映画のことは書かなくてもいいと思う。

 一方、ここで取り上げようと思う「ティエリー・トグルドーの憂鬱」という映画は書くことにする。2015年のカンヌ映画祭で、ヴァンサン・ランドン主演男優賞を得た映画である。ヴァンサン・ランドンはセザール賞(フランス最高の映画賞)の主演男優賞も得ている。そういう映画だから、映画マニアは一応見ておくべき映画なんだと思うけど、一般の映画ファンはどうなんだろうか。見ている方もユーウツになってしまう映画で、見ていて辛い。だけど、その現実感に見入ってしまうのも間違いなく、現代社会について深く考えさせられる映画である。

 冒頭、中年男性が怒っている。それがティエリー・トグルドー、51歳。高校生の障害者を抱えながら、1年半失業中。クレーン操縦士の資格を取ったけど、建設業では経験者優遇で全然就職につながらない。なんでこんな研修を受けさせたんだと職安で怒りまくっているわけである。フランスでも、とにかく何かの研修を受けていると、手当てが出るような仕組みが出来ているらしい。しかし、いかに怒っても何も変わらず、今度はスカイプで面接練習を受ける。それを皆が見て批評するのだが、冷たい印象、おどおどしている、恰好が悪いとさんざん。もう人格が否定されたようなショックである。

 そんな主人公の生活をカメラはひたすら追っていく。ほとんどドキュメンタリー映画を見ているような感じだ。そんな彼もようやく職につくことができた。それはスーパーの監視員。監視カメラを見て、万引きを見張っているような仕事である。スーパーの様々な客をカメラが追っていく。いやあ、こういう風に見られていたのか。こりゃあ、気を付けないと。一見怪しげだけど、万引きじゃない人もいる。捕まったのは少年と老人。それなりに「言い分」がある。そこから社会も見えてくる。

 しかし、だんだん仕事が辛くなってくる。それは監視の対象が、外部の万引き犯ばかりではなく、同僚の不正でもあるからだ。誰も信用するなと言われて、同僚のレジも監視している。そして、同僚の「不正」が明らかになってしまうと…。ここには、職場の連帯ではなく、相互監視社会になってしまった現代社会の冷酷さ、生きづらさがまざまざと見る者に突き刺さってくる。確かにこういう映画は見たことがないと思う。でも楽しいかというと楽しくない。映画そのものの出来も、完成度が高ければもっと上の賞が取れたわけだから、まあ粗い部分が多い。でも、フランスでは100万人の大ヒットになったという。切実な関心を呼んだということだろう。

 監督・脚本はステファヌ・ブリゼ。(共同脚本オリヴィエ・ゴルス)ブリゼは「母の身終わい」という映画が日本でも公開されている。1966年生まれの中堅監督である。主演のヴァンサン・ランドン(1959~)は、その「母の身終い」や「女と男の危機」などで5回セザール賞にノミネートされ、6回目に受賞した。最近では「友よ、さらばと言おう」というノワール映画に出ていたが、渋い中年俳優という感じ。今回は演技を超えた存在感だけど、見る側にもユーウツが乗り移るような感じ。まあ、映画はフィクションではあるわけだが、主人公は一体今後どう生きていくんだろうか?
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至高のダンス映画「ハートビート」

2016年09月15日 21時09分23秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画の話題を何回か続けて。大ヒット映画ではなく、どっちかと言うと、そんな映画やってたのという映画を中心に。長いこと書かずに、簡単に。まずはニューヨークを舞台に、縦横に踊りまくる青春ダンス映画の佳作「ハートビート」。ストーリイ展開には大した驚きはないけど、何しろダンスが素晴らしく、地下鉄駅で踊りまくるシーンなど圧倒される。
 
 バレエダンサーになるため、ニューヨークの学校に出てきたルビー。地下鉄駅でバイオリンを演奏している訳ありのイギリス青年ジョニーと出会う。駅では黒人系とヒスパニック系のダンス騒動が起き、その時にジョニーのバイオリンが盗まれてしまう。グリーンカードを得られると思って頼んでいた人も詐欺師で、崖っぷちに。一方、ルビーのルームメイトのジャジーは恋愛に夢中で遅刻が多い。ルビーもコンテンポラリーが苦手で、二人とも奨学金資格を失う危機に。そんなとき、ジョニーとルビーは、ヒップホップダンスチーム、スイッチ・ステップスの面々に協力してもらい、学校主催の弦楽器&ダンスコンクールに挑戦することになった…。

 厳しい先生、恋敵、さまざまな偶然もあり、危機に立ちながらも、二人の絆が次第に強まっていく。と言う展開はあまりに定番で、ラストも書くまでもない。コンクールの日に、出かけようとするジョニーは、なぜか警察に連行される。何があったか、ジョニーは間に合うのか。奇しくも、その日に盗まれたバイオリンが見つかる。っていうラストの展開なんか、あまりに定番すぎて見ていても全然危機感がわかないではないか。そう、お話はお決まりで、その意味ではごく普通の娯楽映画である。

 でも、多くの音楽映画では、形は俳優が演じていても、音はプロの吹き替えになる。この映画もバイオリンは吹き替えだと思うけど、ダンスだけは代わりが効かない。主役レベルもそうだし、何十人ものダンサーが踊るシーンは壮観で、圧倒的に青春の素晴らしさを歌い上げる。ラストのコンクール場面は、様々の文化要素がミックスされた素晴らしいシーンで、圧倒的な迫力がある。見ていて、これだけ心が弾む映画と言うのもそんなにないと思う。若いっていいなあと正直に思える。

 主役のルビーは、キーナン・カンパ(1989~)と言う若いバレエダンサー。10代前半から活躍し、17歳の時にサンクトペテルブルクのバレエスクールに留学した。だからバレエの授業シーンでは、見事な腕前を披露できるはずだ。コンテンポラリーが苦手というのも、ホントにそうなのかもしれない。ルームメイトのジャジーを演じているのは、ソノヤ・ミズノ。1988年生まれ、日本人の父とイギリス・アルゼンチン系の母の間に生まれた。イギリスでバレエを学ぶが、その後モデルとなり、シャネルやルイ=ヴィトンなどで活躍。そして女優にも進出して、未見だが「エクス・マキナ」で注目されたという。まだ主役ではないけど、注目すべき若手だ。ジョニー役はニコラス・ガリツィンというイギリスの若手。脚本、監督はマイケル・ダミアンという人。俳優が長く、監督は少ないけど、プロの手腕を発揮している。

 ダンス映画というのも思い出せば結構ある。大昔のフレッド・アステアのタップもすごいけど、80年代以後はストリートダンスのすごさを見せる映画が多いだろう。大体は恋愛要素を取り入れて、ダンスコンクールなんかと絡めて描いていく。話は決まってるわけだけど、やはりダンスシーンの魅力が決め手だろう。それとニューヨークの魅力。ニューヨークを描いた映画は数多いが、この映画もニューヨークの魅力をたっぷりと詰め込んでいるのがうれしい。こういう映画も大事だと思う。上映館が限られているが、東京では新宿シネマカリテやイオン系映画館などで。
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公立教育の階層化-「ゆとり教育」論⑥

2016年09月14日 23時16分29秒 |  〃 (教育行政)
 「ゆとり教育」問題は何とかこれでオシマイにしたい。「『ゆとり教育』で学力は低下したのか」などという問題も残っているが、それはいずれ「学力論」として取り上げたい。部活論、英語教育論など書くべきテーマは多いけど、映画や本、時事問題もたまっているので、この後は少しそっちを。

 さて、かつて評論家・斎藤貴男氏の著書「機会不平等」(2000、文藝春秋)が「前教育課程審議会会長」の三浦朱門氏の次のような言葉を紹介して大きな衝撃を与えたことがある。教育課程審議会というのは、今は中教審に統合されているが、かつて文部省にあった審議会である。「ゆとり教育」というのも、そこで審議されて導入されたものである。

 「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を挙げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(40p)

 刊行当時に読んだとき、この意味は完全には判らなかった。表面的意味は判るけれど、本当に「ゆとり教育」は「英才教育」のためのものなのか。それに、戦後教育は底辺アップに労力を注いできたというのも、誤解と言うか、言いがかりのようなものだ。だけど、その後の展開を見るにつけ、ここで三浦朱門が述べていたことが気にかかるのである。その後、文科省レベルの政策としては、「脱ゆとり」に転換したとされるけれど、「総合教育」がそのまま残っているように、どういう意図か理解しがたいことが多い。現在の教育のあり方を理解するためには、この問題を考える必要がある。

 ところで、日本の義務教育(小学校の初等教育、中学校の前期中等教育)は、「次代の国民すべてが身に付けておくべき水準」などではなかった。もし学校の勉強内容が全国民が身に付けるべきものなら、義務教育では落第がない理由が判らない。小中の成績が「1」でも進級できるんだから、学校の勉強は全員が判らなくていいのである。そして、かつては「相対評価」を付けていたんだから、必ず誰かに「1」が付く。「1」を付けるべき児童・生徒がいないと、学校は成立しない

 相対評価というのは、ある程度の規模の集団では、学力が「正規分布」をすると考えるものである。平均点レベルが一番多く、高学力、低学力になるほど少なくなる。横軸に点数、縦軸に人数を入れてグラフを作ると、「富士山型」になる。それをベースに、高い方から「5」「4」「3」「2」「1」と5段階で付ける。校内の成績には多少違うやり方をしていたところもあるだろうが、高校受験に使う成績は「厳密な相対評価」だった。(東京では中学校長が集まって、各校の成績と人数が一致するかどうか厳密に審査し、合格した「成績一覧表」を高校に提出していた。)

 これは「学校は地域の子どもをすべて受け入れる」ということを前提にしている。地域の中には、学力が高い者もいれば低い者もいるけど、おおよそは真ん中レベルだろうということだ。現実には、日本の様々な地域には、貧富の格差があったわけだが、大学進学者が数少ない時代にはそれでいいのである。村の小学校で各学級の級長レベルが、旧制中学、旧制高校とふるいにかけられていき、最後に帝国大学に進む。エリート選抜なんだから、相対評価と一発勝負のトーナメントで良かったのである。「もっと日常のがんばりを評価するべきだ」とか、誰もそんなことは考えなかった。

 戦後の高度成長時代が終わると、高校はほとんどの者が進学するようになり、大学へ進む者も多くなった。高校は1974年に90%を超え、大学(4年制と短大)は90年代初期に40%、21世紀初頭に50%超えた。つまり、中学生全員が「高校入試」に関わり、高校生の半数が「大学入試」に関わるわけである。それでは、第二次ベビーブーム世代が高校に入学した1980年代後半から90年代にかけて、中学が大変だったのも当然である。いじめ校内暴力登校拒否(当時は「不登校」ではなく、「登校拒否」と呼ばれた。これは「本人が拒否している」と捉えるバイアスがかかったイデオロギー用語である)などという言葉がマスコミに登場した。「このままでいいのか」と多くの人が憂慮し、それが「ゆとり教育」につながったと当時理解されたのも当然だろう。

 だけど、現実には80年代の中曽根内閣による「臨時教育審議会」(臨教審)にあるように、「教育の複線化」、中高一貫校や「特色ある高校つくり」が進められる。「ゆとり教育」期を通して、「学校の階層化」が進行していったのである。つまり、ほとんど全員が行く高校は、様々なタイプの高校に変えていく。その中には成績優良者向けのものもあってよい。

 そうなってくると、学校の評価方法も変えないといけない。東京など大都市部で行われている、義務教育における「学校選択制」は成立できない。学校選択制では、義務教育学校が地域の子どもを集めるのではなく、「教育の消費者」(親)が学校という「教育商品」を選ぶのである。その時に学校が相対評価を行っているなら、「(将来の入試のために)自分の子ども成績をよくしたい」と考える親は、むしろ「レベルが低い」と地域でみなされた学校を選ぶ方が合理的である。周囲の生徒の成績が悪ければ、できる子は他の学校より高い成績を得やすい。

 だから、成績評価を「絶対評価」に変えないと、「競争的教育制度」は成り立たないのである。「絶対評価」なら、できる子ばかりが集まった学校でも、到達度を見て評価するんだから、全員が5か4でも構わない。だけど、あまりにも多くの内容を詰め込んだカリキュラムだと、「できない子」は付いていけない。「詰め込み教育」だと、限られた学校の授業時間では、成績にばらつきが出る方が自然である。それなら「相対評価」した方が生徒を評価するときに役に立つだろう。

 そこで「教育内容を3割削減する」、そして「全員が理解できる授業を行う」、そうすれば「絶対評価じゃないと評価できない」。全員が判っているんなら、誰にも「1」を付けられない。そういうロジックで、「ゆとり教育」が「教育階層化」をもたらすわけである。その後、カリキュラムや授業時間数が変わっても、この「評価方法」は変わらない。教育は「地域の子どもを育てる」という理念よりも、「できる子は伸ばし」、「できない子には楽しく」という「個性化」に変わったのである。

 これは「グローバル化」の中で、国家社会にとって必要とされる人材が変わったことの反映だろう。だからこそ、「ゆとり体制」の中で「英語重視」が進められた。今後、中学でも英語で英語授業を行うなど、大変な苦労が起きてくる。「できない子」には苦痛でしかない。どんなカリキュラムにしても、家庭状況や生徒の能力は多様だから、全員ができる学校なんか存在しない。成績優良者を集めた学校はいいかもしれないが、成績が低い者が多い学校は大変なことになる。最近のニュースを見ていると、早くも昔の「不良少年」のような60、70年代的な事件が起き始めている感じがする。このままでは、学校で抱えていけない子どもたちが大量に生まれる予感がしてしまうのである。
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メリトクラシーの昔といま-「ゆとり教育」論⑤

2016年09月12日 23時23分26秒 |  〃 (教育行政)
 「ゆとり教育」論も長くなってきたけど、もう少し。前回の「ゆとり世代」の話は、実はもう少し続きがあったんだけど、なんだか疲れてしまって「少子化」ファクターだけでやめてしまった。まあ、またいずれ続きを書きたいと思う。さて、今回は「メリトクラシー」(meritocracy)に関して書くことにする。

 21世紀になって、教員免許更新制もそうだけど、一体何を考えているのか、従来の考え方からすると全く理解できない教育政策が続々と実施されていった。(まあ、教育だけでなく政策全般がそうかもしれないけど。)そこで様々の教育関係の本、教育社会学とか教育史などを読んでみたことがある。その結果、「ヒドゥン・カリキュラム」とか「ショッピングモール・ハイスクール」とか、面白い言葉を知ることができた。「メリトクラシー」もそんな中で知った言葉である。

 「メリトクラシー」というのは、日本では簡単に「能力主義」あるいは「業績主義」と訳すこともあるらしいけど、もう少し奥が深い言葉である。「メリット」(業績、長所)と「クラシ-」(支配、政治)を組み合わせた造語で、むしろ「メリトクラシーの弊害」を訴えるために作られた言葉だったらしい。「生まれよりも能力で支配者が決まる社会」のことだけど、若い世代が社会に出る前は「試験による選抜を経た学歴」しか判断材料がない。だから、「学歴階層社会」という意味合いも出てくる。

 もっともヨーロッパ、特にイギリスなんかは今もかなり階層社会的な要素を残している。貴族制度も残っているし。一方、日本では親が名門だとか大金持ちだとかいう場合でも、子どもは「それなりの大学」を出ていないと評価されないと思う。一族が支配する同族企業なんかなら、お手盛りで役員の末席ぐらいは与えられるかもしれないが。大体、世界の中で東アジアが一番「受験戦争」が激しいと言われる。中国で昔あった「科挙」が社会に影響を残しているのかもしれない。今は日本よりも、中国と韓国の受験競争が非常に激しいとよく問題にされている。(なお、日本は中国の律令制度を受け入れたが、科挙は取り入れなかった。)

 世界中で前近代社会は「身分社会」である。ある時代までは、人間は「家族」や「一族」を通して世界を理解していたから、「親の職を子が継ぐ」という方が誰でも納得できる。能力がある人は、身分の高い人に仕えればいいのであって、身分が低いものが高い地位についても誰も納得しない。そういう社会が近代になって大きく変わる。「身分制」そのものが「不正義」と思われるようになり、貴族や金持ちに生まれても「本人の能力」を示さないと、それなりの地位には付けなくなる。

 その理由としては、近代社会をかたち作る「工業」とか「軍事」という世界が、「能力」を必要とするということが大きいと思う。無能なトップを戴くと、会社はつぶれる。会社ならともかく、軍隊だと戦争に負けてしまう。それは困るということで、世界の各地で軍隊から「メリトクラシー」的な世界が確立されてくる。アジアやアフリカの国の中には、「軍事政権による開発独裁」が民主化を置き去りにしながらも「工業化」を成功させたケースがある。近代日本も同じような場合と考えることができる。陸軍は長く長州藩閥が影響力を持っていたが、「陸軍大学校」卒業の軍事エリート(永田鉄山、東条英機ら)によって藩閥が崩されていった。(しかし、その結果成立した「軍事エリート支配」こそが、大日本帝国を破滅させてしまった。)

 戦後になると、東京大学卒(正確には「東京帝国大学」時代の卒業)の官僚が、政界、財界に多くなった。一般的に東大や京大、あるいはそれに準じる有名国立、私立大学を出ると、国家公務員(上級)や有名大企業、あるいは弁護士、医師等の安定して社会的評価も高い職業に就ける可能性が高いと思われた。昔ほどではないだろうが、今も大きな傾向としては、それはあるだろう。そうすると、逆算して、有名大学進学者が多い高校にまず入った方が有利である。さらに中学や小学校、幼稚園…と親は果てしなく考えることになる。親も子も、将来を考えての行動のはずが、「とりあえず有名大学」入学に全力を傾ける。そういう「学歴社会」が成立したわけである。これが日本における「メリトクラシー」だと考えられるだろう。人間を卒業大学で判断する傾向は、今も高齢層を中心に根強い。

 そういう「学歴信仰」みたいなものが、日本で根付いた理由はどこにあるだろう。ある時代まで、日本の近代化が「欧米に追い付け、追い越せ」が目標だったということが原因だろう。日本の学問そのものも、あるいは日本の産業そのものも、欧米のものを受け入れ、日本に合わせてこなしていくということが中心だった。そういう時代には、「学校で教える知識」をもとにしたテストで選抜し、合格した大学生を官界、産業界に送り込むことに「合理性」があったわけである。

 今の話はエリート層の問題だが、世の中を支えている中堅層でも同じような構造が成立していた。中学で真ん中や少し下の層も、職業高校や中堅の普通高校に入学して、マジメに学校の勉強を行う。部活や行事も大事だけど、まず勉強をやってないと、学校での評価が高くならない。そうしてマジメに高校生活を送ったことにより、学校推薦でそれなりの会社に就職できる。工業高校に進学した男子生徒は、在学中に多くの資格を取り、それを生かして大企業の高卒社員になった。それは「終身雇用」が保証されたものだった。女子も商業高校で珠算やタイプの資格を取り、一流企業の事務職に就いた。そんな世界がほんの一世代前まで存在したのである。今はもう、そんな高卒求人はないだろう。モノつくりは外国に移り、事務職は派遣社員がパソコンで行う。

 エリート層でも同じだ。大企業に勤めさえすれば、一生が保証されるという時代は、もうだいぶ前に終わってしまった。そして、そのような「雇用の流動化」は政府が進めたものだった。IT化、グローバル化の中で、大企業が生き残るために、今までのような雇用慣習は変えられていった。そうすると、有名大学を出れば、あるいは中堅高校でマジメにやれば、一生の仕事が見つかるということで成立していた日本の学校はどうなるのか。学校でマジメに勉強しても、人生に何の意味があるのか。これが「日本の教育を変える」理由だったのだろう。このままでは、日本の学校は社会的な存在意義を失ってしまうのではないか。そういう危機感の中で、20世紀後半の日本で実施された「ゆとり教育」(=「生きる力を育む教育」)というものが、構想されたと考えられるのではないかと思う。
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