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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

都知事選「泡沫候補」の世界

2020年06月30日 22時14分21秒 |  〃  (選挙)
 東京都知事選挙をやっている。僕は今回の選挙について今まで何も書いていない。今回もちゃんと書く気はしない。そこに自分の意見表明があると思って貰っていい。東京都民は石原慎太郎氏を知事に4回も選んだ有権者である。都民であっても、「都民の判断」に納得できたことがない。それでもちょっと書いておきたいことがある。ついでに「泡沫候補」の世界をガイド。

 まず立候補者数である。なんと22人で、史上最多である。前回の21人というのも多かったが、なんでこんなに立候補するんだろう。鹿児島知事選にも過去最多の7人が出ている。同時に行われる都議補選が4つあるが、それも結構出ている。(北区都議補選は、自民党と「都民ファーストの会」が激突し、立憲民主、維新に加えて「ホリエモン新党」まで全員女性候補が出ている。ここは都知事選と違って、票の出方が要注目である。)

 何でそんなにたくさん立候補するんだろう。タダじゃないのである。日本の選挙は供託金が異例に高いということは指摘してきたが、都道府県知事選挙は300万円である。有効投票数の10分の1を超えないと没収される。東京都の有権者数は約1144万人で、投票率を50%とすると572万。50%は行かないと思うけれど、とにかく50万票ぐらいないと没収である。それは主要4候補(と言われている人)以外は不可能だろう。ほとんどの人は300万が戻ってこない。それでも出る。全部で5千万円以上になるけど、コロナ対応に使えるんだろうか。

 ところで、当初マスコミは「主要5候補」と紹介していた。5人の中で現職以外は国政政党の公認、推薦を得ている。前参議院議員の山本太郎は「れいわ新選組」公認だが、同党は参議院に2議席を持っている。しかし、「ホリエモン新党」から出た立花孝志は、国政政党「NHKから国民を守る党」党首でもあり同党推薦を得ている。同党は(丸山穗高なる議員を抱き込んだので)衆参に一人ずつ議席がある。山本太郎と立花孝志は国政政党党首として同格になる。

 世論調査の結果を待つまでもなく、22人の中で数十万票を見込める候補は4人である。だから終盤になって「主要4候補」という記事も多くなってきた。4人の中でも「法定得票」に達しない(=供託金没収)人が出ないとは限らない。それはともかく、今回は22人中、12人が無所属である。残りの10人が「諸派」になる。「会派」に所属すれば「諸派」に入ると考えれば、自民党だって「諸派」だろうが、普通は国会に議席を持たないミニ政党をまとめて「諸派」と呼んでいる。

 その中で「ホリエモン新党」が立花氏を含めて、3人を公認している。全員選挙公報が同文である。上の画像にあるポスター掲示板では、2段目にまとめて3人が貼ってある。抽選すればバラバラになるはずで、それを避けるために主要候補が立候補を済ませた後に3人一緒に手続きをしたという。そして立花氏以外の二人はポスターに候補の名前がない。党首(?)の堀江貴文氏の顔が載っている。立候補者以外の顔を掲載するのは違法ではないかと都選管に多数の問い合わせがあるという。それは違法ではないが、これでいいのか。

 しかも、一人しか当選しない知事選挙に3人を公認するとは、いくら何でも有権者をバカにし過ぎではないだろうか。どうせ当選しないんだし、お金持ちの道楽なんだから、どうでもいいのか。自民党系で複数が出てしまうような時もあるけど、その場合も公認は一人、あるいはどちらも公認しないだろう。国政選挙に向けた宣伝なんだろうけど、知事を選ぶのが都知事選の目的なんだから、最低限のルールには則って欲しいと思う。

 さて「れいわ新選組」「ホリエモン新党」の他に、諸派としては「幸福実現党」、「日本第一党」(元「在特会」創設者桜井誠が前回10万票獲得)が割合有名。それ以外に「スーパークレイジー君」(という党名らしい。「現職か、俺か。」と主張し、「風営法の緩和」を掲げる)、「トランスヒューマニスト党」(一夫多妻、一妻多夫、多夫多妻合法化)、「庶民と動物の会」(庶民と動物に優しい東京に)、「国民主権党」(コロナはただの風邪)など多彩な主張をする党が存在する。

 無所属候補では、主要候補以外でも割合穏当な主張をしている人が多い。(例外もいるが。)中では「新型コロナウイルスの治療薬と予防薬を発明しました」という候補がいる。ホントなら、都知事になるより他にすることがあるだろ。「未来の薬局を目指します」という薬剤師の候補もいる。都知事になっても仕方ないと思うが。ちなみに「やくざいし」の「ざ」にアクセントを付けないで、平板に発音するニュースがあって「ヤクザ医師」に聞こえてしまう。

 まあ誰でも立候補する自由はあるわけだが、「消費税ゼロ」とか都知事になっても実現できない公約をなんで掲げる人がいるのか。しかし、国政選挙で比例区に出るには供託金が高すぎる。小選挙区に出ても、選挙区が小さいからポスターや広報、政見放送などの機会が限られる。ある意味、300万ムダにする気になれば、都知事選は「日本一注目される選挙」なんだろう。

 都知事選と言えば、昔は赤尾敏東郷健秋山祐徳太子、近年もドクター中松マック赤坂らの「有名泡沫候補」がいたものだ。マック赤坂は2019年に港区議選に当選してしまい、もう都知事選は卒業である。今回は候補者名を書いてないが、全員ホームページやツイッター等を持っているようだから、関心がある人は自分で調べて欲しい。
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「ペイン・アンド・グローリー」、ペドロ・アルモドバル監督の傑作

2020年06月28日 20時03分20秒 |  〃  (新作外国映画)
 スペインのペドロ・アルモドバル監督の新作「ペイン・アンド・グローリー」が公開された。世界の巨匠監督も残り少なく、名前で必ず見る監督は今や数少ない。ペドロ・アルモドバル(1951~)はその一人だが、最近の作品はあまり評判にならなかった。しかし、今回の「ペイン・アンド・グローリー」はカンヌ映画祭男優賞アントニオ・バンデラス)を受け、スペインのアカデミー賞に当たるゴヤ賞では作品賞(4回目)、監督賞(3回目)など久しぶりに高く評価された。

 映画は確かに傑作だが、複雑な感慨も残す。まず紹介をコピーすると、「脊椎の痛みから生きがいを見出せなくなった世界的映画監督サルバドール(アントニオ・バンデラス)は、心身ともに疲れ、引退同然の生活を余儀なくされていた。そんななか、昔の自分をよく回想するようになる。子供時代と母親、その頃移り住んだバレンシアの村での出来事、マドリッドでの恋と破局。その痛みは今も消えることなく残っていた。そんなとき32年前に撮った作品の上映依頼が届く。思わぬ再会が心を閉ざしていた彼を過去へと翻らせる。そして記憶のたどり着いた先には…。」
(ペドロ・アルモドバル監督)
 世界的有名監督サルバドール・マヨは明らかに自伝的な設定である。主演のアントニオ・バンデラスはアカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた。映画監督の行き詰まりといえば、フェリーニの「8 1/2」が思い浮かぶが、「8 1/2」(1963年)時点でフェリーニは43歳だった。一方、1951年生まれのアルモドバルは、もう68歳である。作中では4年前に母を亡くし、2年前に脊椎の手術を受けたとなっている。精神的な行き詰まりだけではなく、肉体的にも辛いのである。映画内でも何度も嚥下(えんげ)の悩みを訴えている。「老境映画」なのである。

 32年前に作った「風味」がレストア化されてシネマテークで上映される。ついては監督と主演俳優アルベルト(アシエル・エチェアンディア)に挨拶して欲しいと要望される。しかし、実はその映画で脚本を無視した演技をしたアルベルトと監督のサルバドールは大げんかして、絶縁したままだ。知人が滞在先を教えてくれて和解した二人は、アルベルトの持っていたヘロインを吸引する。サルバドールの魂は過去に飛んで、幼い頃の母との暮らしを思い出す。若き日の母はペネロペ・クルスで、美貌の中に疲れが見え隠れする。
(ペネロペ・クルスとアントニオ・バンデラス)
 ペネロペ・クルスは世界的女優になってしまい、アルモドバル映画の出演も(本格的には)「抱擁のかけら」(2009)以来である。やはりアルモドバル映画にペネロペ・クルスは必要だ。母は義母との折り合いが悪く、新居を求める。そこで父は洞窟の家を見つけてくる。この不思議な洞窟の家が珍しい。そこで暮らしたときに、幼いサルバドールが職人に字を教える代わりに、職人が家を直すことになる。ある日、絵の得意な職人が彼をモデルに描き始めたが…。しかし、貧しい一家は彼を神学校に行かせることにする。
(若き日のサルバドールと母)
 これは実際の話で、「バッド・エデュケーション」に描かれた。つい忘れがちになるが、スペインは1975年にフランコが死ぬまで、軍事独裁国家だった。教会が権力を持ち、精神的な自由は認められなかった。アルモドバルはその時代に教育を受けた世代なのである。抑圧的な社会の中で、アルモドバルは(映画内のサルバドールも)「同性愛者」として生きてゆく。映画ではアルベルトが監督の家に来た時にサルバドールが昏倒する。看病した後で、アルベルトパソコンを盗み見て書き途中の原稿を見てしまう。気に入った彼は是非上演させてくれという。

 小劇場での一人芝居が終わると、観客の一人が楽屋を訪ねてくる。フェデリコと名乗る彼は、自分が作中のマルセルだと打ち明けた。後にアルゼンチンに移住して、女性と結婚して子どももいるフェデリコは、若い頃にマドリードでサルバドールと3年間暮らしていた。サルバドールとフェデリコは何十年ぶりに再会する。とかく過去の思い出に引きずられるサルバドールだが、フェデリコとの再会から生きる意欲を取り戻してゆく。昔、職人が描いてくれた絵も不思議な縁で彼の元に戻る。そして、嚥下の悩みも手術で解消する。

 アルモドバル映画と言えば、奇抜なポッポ調の映像、原色の氾濫、時にはやり過ぎ的で猟奇的とも言える展開が特徴だ。映画内では32年前の作品で有名となったとされるが、出世作「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(1988)もほぼ30年前の作品である。アントニオ・バンデラスとは、さらに前の「セクシリア」(1982)からの常連になる。今回の「ペイン・アンド・グローリー」は、確かに同じように「赤」が基調になるが、どちらかといえば抑えた感じの色合いで統一されている。その意味でも「老い」を見つめた深みがある。アニメで病状を説明するなど、単に枯れてるだけじゃない遊びもあるけど、やはり昔よりしみじみしている。

 1999年の「オール・アバウト・マイ・マザー」、2002年の「トーク・トゥ・ハー」のようなキャリアの頂点にある映画史的傑作のような圧倒的な感動ではない。今回の「ペイン・アンド・グローリー」は、見る者をねじ伏せた圧倒的なエネルギーにあふれた傑作とは違い、むしろ「滋味」をさえ感じた。そこがちょっと複雑で、やっぱりアロモドバルも年を取るのか。その面白さは抜群で、ずっと見てきたわけだが、お互いに年を取ったなと思った。なお、アルモドバル作品は英訳版の題名のカタカナ化が多い。今回は同様だが、むしろ「痛みと栄光」の方がいいような気がする。
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「オキナワ 終わらぬ戦争」ー「戦争と文学」を読む①

2020年06月26日 22時16分01秒 | 本 (日本文学)
 集英社文庫から出ている「セレクション戦争と文学」の8巻「オキナワ 終わらぬ戦争」を読んだので、紹介と感想。この本はもともと2012年頃に刊行された全20巻に及ぶ「戦争×文学」の一冊である。2019年から20年にかけて、その中から全8巻をセレクトして文庫化された。もとの本は高くて厚くて、20巻もあるから家に置く場所もない。評判は良かったけど、買う対象じゃなかった。文庫でも1700円もするし、700頁もある。どうしようか迷ったんだけど、思い切って毎月買っていた。買っても読まなければムダである。6月だから沖縄の巻から毎月読んでいこうと決めた。
(表紙=黒田征太郞「野坂昭如戦争童話集 沖縄編」)
 最初に書いておくと、読みやすくて考えるところが多かった。しかし、これを読んだだけで「沖縄戦」や「沖縄現代史」が判るわけではない。あくまでも小説や詩、戯曲などのアンソロジーで、「文学」として接するべきものだ。そのことを前提にすれば、「オキナワ」を考えるヒントがいっぱいある。読んで面白いのである。テーマ性が勝って読みにくいかと心配したが、そんなことは全然なかった。時代を生き残った作品が選ばれたんだろう。

 「戦争と文学」というシリーズだが、ここで扱われているテーマは「狭義の沖縄戦」ではない。むしろ「沖縄戦」を直接描く作品の方が少なく、「以前」と「以後」を含めて、沖縄史の重層的な構造が問われている。冒頭の山之口貘の詩がそのことを暗示している。続く長堂英吉(ながどう・えいきち、1932~2020)の「海鳴り」は「琉球処分」(1879年)以後の「琉球王国」廃絶後の状況を描いている。それまで猶予されていた徴兵令が、いよいよ1898年から施行されたが、それに反抗して徴兵を忌避し清国に逃亡した青年たちが出てくる。作者の名前も知らなかったが、検索すると2020年2月に亡くなっていた。本の著者紹介ではまだ存命になっている。作者もテーマも、「本土」ではほとんど知られていないだろう。僕も名前を知らなかったが、大変な力作だった。

 続いて知念正真(ちねん・せいしん、1941~2013)の戯曲「人類館」が置かれる。これは1978年に岸田国士戯曲賞を受賞した戯曲で、当時読んでいる。その後も沖縄で活動したので、その頃に岸田賞を受賞した劇作家たちに比べて、知名度が低いかもしれない。しかし、沖縄をめぐる重層的な構造差別をテーマに、時空間を自由に飛び越えて問題意識が炸裂する傑作だ。

 こうして全部触れていると終わらないので、テーマを絞って重要作に触れたい。まず「沖縄戦」の持つ思想的意義。沖縄出身の重要作家、霜多正次(1913~2003)や大城立裕(1925~)などは、沖縄戦を経験していない。戦後派として活躍できる年齢の男性は、徴兵や留学で県外にいたのである。あまりにも悲惨な出来事に対して、戦争を経験した女性たちも長く口を閉ざすことが多かった。そのことがむしろ「沖縄戦」について、深く考える時間を与えたと言える。今では時間が経ってしまい、沖縄=戦争の悲劇=平和の大切さといった図式に陥りがちだ。

 しかし、「沖縄戦」の持つ意味は、表層的な「平和」の訴えではない。今回読んだ作品だけでなく、今までに読んできた歴史書、ノンフィクションなどを含め、「反軍」=「非軍事志向」という教訓である。何しろ、「敵」以上に「友軍」の方が恐ろしいのである。もう組織的抵抗が終結し、軍の指揮系統も途絶えた後になって、多くの地元住民が日本軍に殺害された。日本軍の中には沖縄県民を下に見る差別意識があった。しかし、それだけでなく、仮に「本土決戦」が行われていても、「本土」で住民虐殺が起こったはずである。

 それは日本軍の特殊性にもよる。現在の中国軍は実は「中華人民共和国軍」ではなく、中国共産党の「人民解放軍」である。それに対して、帝国陸海軍は一応憲法に規定された国家組織にはなっていた。しかし、本質は「天皇の私兵」であり、天皇のために死ぬべき存在だった。だから「降伏」という考えはないし、住民は足手まといでしかない。「沖縄を守る」のではなく、天皇を守るために沖縄を捨石として米軍を釘付けにするのが日本軍の役割だった。

 米軍支配下においては米軍の専制に抵抗し、日本に「復帰」してからは戦争の総括なき天皇制に抵抗する。芥川賞作家、目取真俊の「平和通りと名付けられた街を歩いて」は皇太子(現・上皇)夫妻の沖縄訪問にあたって、いかに愚なる警備態勢が敷かれていたかを子どもの目で徹底的に見つめている。主人公の家では認知症(という言葉はまだなかった)の祖母がいるので、警察に目を付けられている。仕事場まで警察が絡んでくる。そんな日々を生きる少年はどういう行動をするか。沖縄文学では「天皇制」を問うのである。
(目取真俊)
 沖縄出身の芥川賞作家は4人いるが、そのうち3人が収録されている。復帰前の1967年に受賞した大城立裕の「カクテル・パーティー」は若い頃に読んだときはよく判らなかった。前半の沖縄文化論の会話、一転して米兵の性暴力をテーマとする後半という構成が分裂していると思えた。学生の頃に読んだので、読み取れない部分が多かった。今回読み直して、これはすごい作品だと思った。僕も「95年以後」にならないと理解出来ない部分があったのだと思う。1995年とは、「本土」では阪神淡路大震災、オウム真理教事件が起こり、沖縄では「米兵少女暴行事件」とその後の県民総決起大会があった年である。小説の具体的な内容は今は省略する。
(大城立裕)
 95年の事件では、加害米兵はアフリカ系だった。また米軍の司令官はレンタカーを借りる金で女性を買えたと発言した。この問題はこれ以上触れないが、このように「沖縄」を考えるときには、沖縄をめぐる複合的重層的な差別構造を描かざるを得ない。「豚の報い」で芥川賞を得た又吉栄喜の「ギンネム屋敷」は敗戦後の沖縄で、朝鮮人が重要な登場人物として出てくる。徴用されて沖縄に来て、今は米軍の軍属をしている。沖縄内部の女性や障害者をめぐる問題もあり、様々な人間関係がモザイク状に出てくる。又吉栄喜文学は沖縄が単なるリアリズムを超えて、独特なマジック・リアリズムを獲得した証でもある。
(又吉栄喜)
 こうして読んで来ると、「本土」出身者の作品に迫力がないと感じる。「パルチザン伝説」の作家、桐山襲(きりやま・かさね、1949~1992)の「聖なる夜 聖なる穴」は沖縄史を縦横に語りながら、やはり天皇制の問題を扱うが、面白いけれど作りすぎの感もする。その中では自らの経験に基づくエッセイを書き続けた岡部伊都子(おかべ・いつこ、1923~2008)の凜とした姿勢に改めて粛然とした。亡くなって時間も経って、生前に愛読した岡部さんの名も失念していた。
(岡部伊都子)
 岡部の兄が戦死し、秘かに憧れていた一つ年上の男性も弔問に来る。彼は何度も訪れて、ある日「自分は天皇陛下のおん為になんか、死ぬのはいやだ」と発言した。「君やら国のためになら、喜んで死ぬけれども」と発言した。岡部伊都子はその時に発言の真意と重みに気付くことが出来なかった。考えたこともない発想に驚くだけで、「私なら、喜んで死ぬけど」と述べてしまった。その後、体の弱い伊都子のもとに、「どちらかが死ぬまでは、他の人とご縁をもたないという形の婚約」の申し出があった。その婚約者は沖縄戦で亡くなった。岡部にとって「痛恨の原点」となる出来事となる。「日本人」が自由に生きてゆくためには、「オキナワ」を考える必要があることを岡部さんの戦後の歩みが示している。岡部伊都子を忘れまいと肝に銘じた。
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大雪山旭岳と十勝岳ー日本の山⑱

2020年06月25日 22時00分59秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 北海道の山は今まで3回書いている。利尻山大雪山黒岳からトムラウシ幌尻岳で、どれも永遠に忘れないような素晴らしい山行だった。北海道は90年代によく行っていたので、まだまだ書いてない山がある。ここでは旭川市周辺の2つの山を取り上げたい。まずは大雪山最高峰旭岳。北海道中央部にそびえる大雪山は、幾つもの山が連なる連峰になっている。周囲に幾つもの温泉があって、どこから登る時も下の温泉に泊まって登ることになる。
(姿見の池から旭岳)
 前に黒岳からトムラウシへ縦走した時は、層雲峡温泉からリフトに乗った。その時に北海道最高峰の旭岳2291m)に行けなかったので、別の年に登りに行った。僕が登った時は2290mだったけれど、21世紀になって再測量されたら1メートル高くなったという。前日は旭岳温泉に泊まって、翌日にロープウェーで一気に1600mの姿見の池まで登る。まあ、あればロープウェーを使うことになる。温泉から2時間半かけて登るルートもあるようだが。
(旭岳ロープウェー)
 池までは観光コースで、そこから2時間半の登山になる。まあ迷いようもない道で、ここはそれほど大変ではない。だから覚えていることも少ない。よく覚えているのは「百里の道を行く者は九十里を半ばとす」の教訓である。これは中国の古典「戦国策」の言葉で、要するに最後まで気を緩めるなという意味である。そんな大変な山じゃなかったけれど、とにかく高山の登山なんだから気は抜けない。登頂して慎重に下山してきた。池とロープウェー駅も見えてきた。後は平坦な木道が続くのみ。何の問題もない道だけど、ここで転んだ。膝小僧を擦りむいて出血した。何であんな簡単なところでケガするんだ。バカみたいである。帰りに薬局に寄るハメになった。
(旭岳テレカ)
 旭岳は夫婦で登ったが、一人で登ったのが十勝岳2077m)である。この時は途中まで夫婦でドライブしていて、長くなるので妻が一人だけ帰った。十勝岳は結構大変なのでパスしたわけである。この地域の山は旭川がベースになる。今では旭山動物園が有名だが、その頃はまだ全国には知られていなかった。でも優佳良織工芸館外国樹種見本林、そこに作られた三浦綾子記念文学館、そして旭川ラーメン村など何度も訪れた好きな場所だ。
(十勝岳)
 十勝岳は活発な火山活動が見られる山で、登山自体は難しくないけど火山情報をつかんでおくことが必須である。1926年の「大正噴火」は三浦綾子の長編「泥流地帯」に描かれている。その後も何度か噴火している。ここも幾つか登山ルートがあるが、一番短い「望岳台」ルートで登った。旭川市内のシティホテルに泊まって、朝早く出て白金温泉まで急行する。温泉からさらに走って望岳台に至る。そこから日をさえぎるものが一切ないガレた道をゆく。
(望岳台)(十勝岳テレカ)
 この時は途中で曇ってきたので助かった。ひたすら登って山頂に着く。コースタイムは4時間ほどだが、もっと掛かった。そして途中からキタキツネとの二人旅になった。昔「キタキツネ物語」という映画がヒットして、キタキツネは「カワイイ」イメージになった。だから餌をやる人がいて、登山者に懐いているのである。でも死に至る寄生虫エキノコックスを持っているから絶対に接触してはいけない。大体「野生動物」に安易に近づくことは控えなくていけない。しかし、まあ、付いてくるんだから仕方ない。一緒に登頂したものだった。
(吹上温泉露天風呂)
 下りてきたら、吹上温泉露天風呂に寄った。実は前に「白金温泉」にも「十勝岳温泉」にも泊まっていた。だが有名な「吹上温泉露天風呂」には行ってなかった。何が有名かというと、「北の国から」で宮沢りえが入った温泉なのである。一体いつの話だろう。もうずいぶん昔の話だ。それで一気に有名になった。十勝岳は美瑛町、上富良野町、新得町の境目にある。美瑛や富良野の方はまた別に書くべき観光地が多いけれど、もう省略。自分の車で行っていて、その後あちこちの温泉へ立ち寄りながら、翌日夜に苫小牧からフェリーに乗って帰った。
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リュック・ベッソン監督「ANNA/アナ」、華麗なスパイアクション

2020年06月24日 20時49分38秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画館が再開されたら自分でもよく見ていると思う。それほど見たかったのかというと、そうでもない。見なければ見ないで問題はないけれど、やってるから(また閉鎖されないうちに)見ておくか程度の気持ち。暑くなってきてからはマスク着用の外出もきついが、家にいて熱中症になるぐらいなら、シニア料金で涼みに行った方が良い。

 もっと見ている映画があるが、書かなくてもいい映画は書かない。リュック・ベッソン監督の新作「ANNA/アナ」もビミョーな線上にあるが、面白いことは抜群だから書いておきたい。リュック・ベッソン(1959~)の映画を見るのも久しぶりだ。ジャン=ジャック・ベネックスレオス・カラックスと並んで、80年代にフランス映画の「恐るべき子どもたち」と呼ばれたのもずいぶん昔。「サブウェイ」「ニキータ」「レオン」などは確かにキレのあるアクションで楽しませてくれた。

 1990年、モスクワ。市場でマトリョーシカ人形を売っていたアナは、フランス人のモデル事務所にスカウトされる。パリのファッション業界で一躍スターになったアナは、多くの男に言い寄られる。中でも共同経営者のロシア人がご執心で、ついにホテルで口説かれる。アナは男の仕事を聞き出し、武器密輸もやってることを確認すると、トイレに行って銃を取り出し男を銃殺する。アナは凄腕のKGBスパイだったのである。
 
 そこから時間を遡り、両親が事故死して薬におぼれていたアナが、如何にしてスパイとなったかが語られる。以後、時間を行ったり来たりしながら、ファッション業界と殺し屋を両立させるアナの「活躍」を描いてゆく。ところがある日、CIAが絡んできて、裏切り、二重スパイ、どんでん返しの連続に。時間があちこち飛ぶ割には、説明が行き届いて訳が判らなくなることはない。むしろ、判りすぎちゃって、最後は推測できて笑えてしまう。この「やり過ぎ」的なシナリオが多分映画的には減点対象になるんだろうと思う。

 だけど見ているときは、そんなことは考えない。ひたすらアナを演じるサッシャ・ルスの美貌と壮絶アクションに見とれているしかないからだ。映画内で多くの男がメロメロになるのも無理はない。レズビアンの女性モデルにも早速親切にされているから、性別を問わない魅力なんだと思う。ちなみにロシアスパイの元締めをヘレン・ミレンが貫禄たっぷりに演じていて、アナに「男除け」になるからレズを演じろと指令を出している。

 サッシャ・ルスはロシア生まれのモデルで、ディオール、シャネルなどのキャンペーンモデルを務めたという。ベッソンの前作「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」で映画デビューしたというが、知らなかった。その後アクションの訓練を受けて、今作に臨んだ。その成果を十分に楽しめる女性アクションの傑作で、かつての「ニキータ」のすさまじさを思い起こさせる。だがアナの精神的な強さ、男に溺れない知性を強調するところなど、やはり現代の描き方になっている。欺されずに全部見抜こうなどと思わず、どんでん返しを楽しみながら見てれば納得のラスト。
  
 しかし、時代はソ連崩壊直前である。KGBもCIAもそんなに勝手に動き回れる時代じゃない。アメリカではCIAが勝手なことをしないようになっていたはずで、こんな作戦を大統領が承認するとは思えない。ソ連もペレストロイカの最中であって、こんなに米ソで殺しあいをしていたとも思えない。それは「スパイ映画」のお約束なんだろう。ゾンビ映画で、死人が動き回るのはおかしいと文句を付けてもヤボになる。日本の忍者映画で伊賀や甲賀、柳生などの名前が使われるように、スパイ映画ではKGBがCIAと抗争していないと困るのである。

 大体、90年頃にはまだ携帯電話もほとんど持ってなかった。そう見ればおかしなシーンは多いけれど、そんなことにこだわるなという映画である。撮影、編集、衣装なども見事だが、やはり脚本、製作、監督を一人で兼ねるリュック・ベッソンの手腕。僕は十分に楽しんだし、サッシャ・ルスのアクションに惚れ惚れした。
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映画「コリーニ事件」、法廷ミステリーでドイツの過去を直視する

2020年06月22日 20時13分47秒 |  〃  (新作外国映画)
 ドイツ映画「コリーニ事件」は法廷ミステリーの傑作だった。ドイツ現代史の闇を直視する原作を脚色して、最後まで目が離せないスリリングな展開になっている。こういう社会派映画は映画祭受賞という勲章で客を呼ぶものだが、この映画は何の賞もない。監督も知らないし、俳優も一人知ってるだけ。原作は読んでたけど地味だから、実はあまり期待しないで見た。このような映画が作られるドイツの底力を強く感じる映画だ。

 原作者のフェルディナント・フォン・シーラッハ(1964~)はドイツでも有名な弁護士だという。2009年に数多くの裁判体験を基にした「犯罪」という短編小説集を発表して、ベストセラーになった。クライスト賞も受賞したので、ミステリーを超えた作家と認められている。(クライスト賞は2016年に多和田葉子も受賞している。)翻訳されると、日本でも各種ミステリーベストテンで高く評価された。その後の「罪悪」に続き、第3作の「コリーニ事件」は初の長編。僕も以上3作は地元の図書館で借りて読んだ記憶があるが、細かな展開は忘れてしまった。

 冒頭で豪華ホテルで「殺人」が起きる。犯行の様子はラスト近くまで出て来ない。老人の犯人は逃げるそぶりはなく、ホテルで悠然としている。被害者はやはり老人で、大会社の会長を務めていた大物らしい。場面はそこで変わって、拘置所にいる犯人に弁護士が接見する。しかし、取り調べにも一切黙秘した犯人は弁護士にも一切動機を語らない。犯人の名前がファブリツィオ・コリーニで、なんとフランコ・ネロ(1941~)が演じている。大昔の「マカロニ・ウエスタン」で世界的スターになった人で、まだ健在だったのか。寡黙な様子が実にいい味を出している。
(コリーニ役のフランコ・ネロ)
 弁護士のカスパー・ライネンはトルコ系で、弁護士になれたのは富豪の援助があったからだった。最初の事件で国選弁護人を引き受けたが、実はコリーニが殺害した被害者のマイヤーこそ、その援助してくれた恩人だった。後継者として孫のヨハナがイギリスから帰ってくるが、カスパーとヨハナはかつて因縁があった相手だった。カスパーは事件を引き受けるべきか悩むが、どんな相手であれ仕事として引き受けるのが医者と弁護士だと考える。やがて裁判が始まるが、相変わらず黙秘を続けるコリーニはこのままでは重罪が避けられない。カスパーは果たして動機を明らかにすることが出来るのだろうか。

 最終的には誰もが予測するとおり、ナチス絡みであることが判明する。コリーニはイタリア生まれで、第二次大戦末期の事件が関わっていた。カスパーはそのことを戦争中に史料を保存する文書館の協力で突き止め、イタリアまで行って証人を見つける。そして最後に、どうしてマイヤーは免罪されたのかをめぐる真相が追究される。この原作刊行を受けて、ドイツでは法改正まで行われたという。それだけの衝撃が原作にはあったのである。

 監督のマルコ・クロイツパイントナー は全然知らない人だが、法廷シーンも、それ以外の人間関係描写もうまく処理していて飽きさせない。風景なども美しい。しかし、なんと言ってもナチスの犯罪と今も向き合うドイツの精神に触れる思いがする。しかも、弁護士をトルコ人に設定し、被害者を複合的に描く。日本で戦争犯罪と向き合う時には、往々にして孤立無援の状況に置かれる。今も過去を直視できるドイツに比べて、日本人の精神的ひ弱さを痛感する映画でもあった。
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「サラムボー」、古代カルタゴのスプラッター悲劇ーフローベールを読む③

2020年06月21日 20時50分56秒 | 〃 (外国文学)
 フローベールの「感情教育」を読んだから、続けて「サラムボー」(中條屋進訳)を読んでみた。「ボヴァリー夫人」(1857年)に次いで、1862年に刊行された第2長編である。2019年秋に新訳が岩波文庫から刊行された。だから今も読むべき作品なのかと思うと、内容的にトンデモ小説だった。叙述も細かすぎて読みにくい。古代カルタゴを舞台にしているのだが、確かな原史料がないところをずいぶん工夫しているらしいが、学術的には全然無意味だという。
(表紙の絵はミュシャ「サラムボー」)
 フローベールと言えば、まずは「ボヴァリー夫人」の徹底したリアリズムで世界文学史に名高い。しかし、それだけと思われたくなかったようで、次には大昔のカルタゴの壮麗にして悲惨極まる宗教儀式や戦いの経過を描いた「サラムボー」を書いた。これはほとんど「スプラッター」である。血みどろの大惨劇の連続で、驚き呆れるしかない。いくら何でもやり過ぎだ。「ボヴァリー夫人」や「感情教育」の作家というイメージを完全に裏切るすさまじい描写の連続である。
(表紙の絵はスュラン「ハミルカル軍の戦象による蛮人たちの虐殺」) 
 カルタゴと言えば、ローマ共和国との3回に渡る「ポエニ戦争」が名高い。特にハンニバルがアルプス山脈を越えて象軍団でイタリアに攻め込んだ第2次ポエニ戦争が有名だ。ところが「サラムボー」は、ローマとの戦いに敗れた後、傭兵が反乱を起こしたという歴史書の1行の記述から想像力で全てを作り出した。ハンニバルの父ハミルカル・バルカの娘が「サラムボー」で、神殿の中で汚れなく育てられている。ところがハミルカルの館で開かれた饗宴で、傭兵のリーダーのマトーがサラムボーを見初めてしまう。
(カルタゴ遺跡)
 マトーはサラムボーに恋い焦がれ、我が物にしたいと望む。カルタゴは傭兵に支払う金をケチって、約束違反に怒る傭兵はマトーらに率いられて反乱を起こす。城砦に囲まれたカルタゴをめぐり一進一退の戦況が続く。水道橋を忍び込んで神殿を襲ったり、周辺部族を巻き込んだ象軍団の戦争など興味を引かれる描写もある。だが宗教的な細かな話が多く、追い詰められたカルタゴの生け贄のシーンなど読むのが苦しい。何のためにこんな本を読むのだろうかとさえ思う。フローベールを読み始めたから、これも読んでしまいたいという気持ちだけで読み切った。一般的には読まなくていいと思う。

 当時のフランスではかなり受けたという。カルタゴ風ファッションも流行したというが、もちろん想像で作られたものである。カルタゴのあるチュニジアは、「サラムボー」発表当時はオスマン帝国から事実上独立したチュニス君侯国が憲法を制定して近代化政策を進めていた。フローベールは1858年に実際にチュニジアを旅行してカルタゴを訪れている。チュニジアがフランスの保護領となるのは、1881年のことだ。だから、まだ相当先のことで、「植民地幻想」のようなものは感じられない。だが第二帝政期の海外進出熱のようなものも隠れているのかもしれない。

 フローベールの他に入手しやすい本には、「三つの物語」(光文社古典新訳文庫)と「紋切型辞典」(岩波文庫)がある。他にもあるけれど、特に研究者でもない者が読むこともないだろう。「三つの物語」は名前通り三つの短編が入った作品集。面白いのは最初の「純な心」だけ。これを読むと、リアリズム作家というのと同じぐらい宗教作家でもあったと思わされる。「紋切型辞典」は読まなくても良かった。「悪魔の辞典」ほど面白くない。これでフローベールが終わると思うとホッとする。僕は「感情教育」が抜群に面白かった。
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大林宣彦監督の「さびしんぼう」「野ゆき山ゆき海べゆき」

2020年06月19日 22時36分49秒 |  〃  (旧作日本映画)
 大林宣彦監督が亡くなって、本来なら遺作「海辺の映画館~キネマの玉手箱」が公開されていたはずだが、緊急事態宣言で延び延びになっている。追悼上映の企画もなかなか立てられないが、新文芸座で「さびしんぼう」と「野ゆき山ゆき海べゆき」上映されている見に行った。
(「さびしんぼう」)
 「さびしんぼう」(1985)は、間違いなく大林監督の最高傑作レベルの作品だ。ロマンティックノスタルジックな作風は全作品に見られるが、この作品はもっとも心に残る出来映えじゃないか。全編に流れるショパン「別れの曲」が見終わった後にも心の中で響き続ける。「尾道三部作」の最後とされるが、内容もあって尾道風景が一番見応えがあるのもいい。主演の富田靖子のスケジュールが年末に2週間空いていて、それで急きょ製作されたというが、往々にしてそういうときに傑作が出来る。
(「さびしんぼう」)
 「さびしんぼう」とは大林監督の造語だが、自分では全作品が「さびしんぼう」だとも言っている。「人を愛することは寂しいことだ」と大林監督は語っていると言う。「うまく説明できないけれど、なんとなく誰にでもニュアンスが伝わる」というタイプの言葉だ。この題名も素晴らしい。お寺(実在の西願寺でロケ)の息子、井上ヒロキ(尾美としのり)は趣味のカメラ越しに女子校でピアノを弾いている美少女(後に橘百合子という名前と判る)に恋してしまい「さびしんぼう」と名付ける。寺では口うるさい母とおとなしい父と暮らしているが、ある日部屋に突然「さびしんぼう」と名乗る少女が現れたのだった。

 この「さびしんぼう」と百合子を含めて、富田靖子は「一人四役」だと出ている。あと二つは何だ? エピローグに出てくる「百合子に似た妻」と「二人の間の娘」だという話。ヒロキをめぐる高校のエピソードはユーモラスで、特に校長室のオウムのシーンは笑える。ノスタルジックなムードを基調にしながら、ユーモアが点在していてバランスがいい。「さびしんぼう」は16歳当時の若き母だった。誰もが思い当たる「日常生活の中で年を取っていくこと」と「忘れがたい青春の思い出」のイメージを鮮やかに描ききる。切なく、寂しいけれど、それが生きていくことなのだ。すべての「親と子」に見て欲しい傑作。

 「野ゆき山ゆき海べゆき」(1986)は佐藤春夫わんぱく時代」を原作にしている。実は「さびしんぼう」も山中恒原作だったと今回見るまで忘れていたが、両作とも原作を大幅に変更している。「さびしんぼう」は傑作だったことの再確認だったが、「野ゆき…」は今回見直して再評価が必要だと思った。公開当時は「わんぱく時代」の映画化だと宣伝され、子どもたちの活躍映画だと思って見た。豪華助演陣の大人俳優が多数出ているが、何しろ出ずっぱりの子役は当時は知らない人ばかり。主演(お昌ちゃん)は鷲尾いさ子、須藤総太郎は林泰文だが、やはり大方はその後も知らない。
(「野ゆき山ゆき海べゆき」)
 この映画はカラー(豪華総天然色普及版)とモノクロ(質実黒白オリジナル版)の二つが作られた。木下恵介による日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」も白黒も作られたが、この作品でなぜ二つ作られたかは知らない。今日はカラー版を見たが、多分前に見たのはモノクロだった。子どもたちのわんぱく戦争が延々と出てきて、それがあまり弾けない。大人の事情との絡みもあまりうまく行っていない。やはり映画の完成度としては失敗作ではないか。公開時に見た時もそう思ったが、今回見てもその評価は大きくは変わらなかった。
(「野ゆき山ゆき海べゆき」)
 ただ戦時下に時代を設定し、大胆に「反戦映画」的な作りにしている。「わんぱく」以上に、「女郎に売られる」お昌ちゃん奪還作戦が綿密に描かれていて、大人社会への痛烈な眼差しがある。子役の演技に頼れない分、自由な脚色(山田信夫)と編集(大林宣彦)によって、時間空間を自由に操作している。テーマ的にも技法的にも晩年になって作った「反戦映画」の先駆的作品と見ていいのである。「花筐/HANAGATAMI」が大人版だとすると、「野ゆき山ゆき海べゆき」は子ども版である。その意味で再評価が必要だと思う。川を滑り降りるシーンなど自然描写も忘れがたい。
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ダルデンヌ兄弟の映画「その手に触れるまで」

2020年06月18日 22時17分34秒 |  〃  (新作外国映画)
 ベルギーで社会派映画を作り続けているダルデンヌ兄弟の新作「その手に触れるまで」が公開された。溜まっていた新作が続々と公開され、あっという間に終わってしまう感じ。半分しか客を入れないんだから、よほどの全国的ヒット作以外はペイしない。字幕も入れて、いつでも上映可能な新作は、どんどん消費されると予想される。見逃したくない作品はこちらも頑張って見ておきたいと思う。

 ジャン=ピエール(1951~)とリュック(1954~)のダルデンヌ兄弟は、「ロゼッタ」と「ある子供」でカンヌ映画祭最高賞(パルムドール)を取っている。他にも「息子のまなざし」で主演男優賞、「ロルナの祈り」で脚本賞、「少年と自転車」でグランプリを受賞していて、カンヌ映画祭と相性がいい。今回の「その手に触れるまで」は監督賞で、まだ賞が残っていたのか。テーマ的には移民や労働者の問題もあるが、圧倒的に「子ども」が多い。少年犯罪虐待などを扱う映画が多い。
(監督賞受賞のダルデンヌ兄弟)
 そんな映画は見るのも億劫で暗いだけなんじゃないかと思われるかもしれない。だがダルデンヌ兄弟の演出は独特で、ドキュメンタリー映画の撮影を同時に見ているような緊迫感がある。娯楽映画に多い「ワンパターン」展開ではなく、一体どうなるのか先読み不能な映像がテキパキと提示される。

 「その手に触れるまで」は、上映時間84分と特に切り詰めた表現になっている。今回はなんとベルギーに住むイスラム教徒の家庭が舞台である。13歳の少年アメッドがあっという間に「過激化」してしまい、補習学校の女性教師を殺害しようとする。少年院に送られるが、彼は「更生」できるのだろうか。「一ヶ月前は普通にゲームばかりしていた」少年は、どうして宗教に目覚めたのか。でもそれは最後まで見ていても判らない。テーマは重大であるが、映画が与える情報は少ない。

 ベルギーは北部がオランダ語、南部がフランス語だが、ダルデンヌ兄弟の映画はフランス語地帯を描いている。ウェブサイトを見ると、ブリュッセル西部のモレンベークという町は、人口10万のうち半分がイスラム教徒だという。そのほとんどはモロッコ系だとあるが、日本人には顔では判別できない。映画では描かれない「前史」がある。アメッドのいとこはテロに加わって「殉教」したらしい。家では両親が離婚し、それを契機に母はヴェールを脱ぎ酒も飲むようになった。アメッドは「識字障害」があったが、補習学校の先生が親身に教えてもらったという。

 「導師」の影響からか、いとこの衝撃か、親への不満からか。お世話になってきた先生とも握手をしなくなる。「大人のムスリムは女性に触れない」とか言い出すようになった。先生はアラブの歌謡曲を使って現代アラビア語を学ぶ講座を作ろうとするが、導師は先生を「背教者」と呼ぶ。その影響を受けて、ナイフを持って先生の家に行って襲おうとするが果たせない。戻ると導師は組織をつぶす気か、自首しろと言う。ここで映画は少年院のシーンに飛ぶ。母との面会、農場での体験実習。最初は動物に触れることも出来ない。農場の少女ルイーズは親切に世話のやり方を教えてくれるけど。

 ルイーズとの幼いやり取りからも、アメッドは最後までムスリム意識が強いと思われる。ただイスラム教の厳格性が悪いわけでもない。現代ヨーロッパ社会では、受け入れられないのかもしれないが。僕は最後までアメッドがよく判らなかったが、同時にヨーロッパではムスリム同士でも、教師が帰りに生徒と握手をするのにもビックリした。日本の塾では考えられない。これでは「ウイルス感染」が広がるわけだとも思った。そんなに高い権威を持つイスラム法学者でもない導師(近所の店主に過ぎない)が「背教者」を規定してしまえるのも驚き。正直言って理解出来ないことが多い。宗教をめぐる「文化」の違いは「異文化理解」では解決できない。表現は難しくないが、内容的に理解が難しい「問題作」。
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映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」

2020年06月17日 22時32分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 ごひいきのグレタ・ガーウィグ監督のアカデミー作品賞候補作「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」を見た。3月末の公開予定だったが、2ヶ月以上遅れた。期待して待っていただけのことはある傑作だ。ルイーザ・メイ・オルコットの有名な「若草物語」(Little Women)の何度目かの映画化だが、続編以後の物語も織り込んで自在に脚色している。歴史を超えて自由を求める魂の響きを聞こえてくる映画だ。アメリカ東部の美しい風景をとらえた撮影も素晴らしい。

 「若草物語」は4人姉妹の物語だが、キャストは以下の通り。長女メグ(マーガレット)にエマ・ワトソン、次女ジョー(ジョゼフィーン)にシアーシャ・ローナン、三女ベス(エリザベス)にエリザ・スカンレン、四女エイミーフローレンス・ビューという顔ぶれ。上の二人しか知らないが、エイミー役のフローレンス・ビューが印象的で、アカデミー助演賞にノミネートされた。イギリス出身の新進女優で今後に注目。母がローラ・ダーン、ちょっと意地の悪い大叔母にメリル・ストリープ、隣家の青年ローリーティモシー・シャラメと豪華助演陣に囲まれた4人姉妹を見てるだけで楽しい眼福映画。

 次女のジョーが「女性作家になるまで」が映画のテーマである。「若草物語」は読んでないので、時代設定などが最初はよく判らなかった。父が最初出て来ないのは、南北戦争中で北軍の牧師として従軍中なのである。母と姉妹で助け合って、苦難の日々を生きている。ジョーが書いた劇を皆で楽しむクリスマス、母は貧しい隣人へ食物を贈る。そんなに裕福ではないが、隣家は大金持ち。父母が亡くなって祖父と暮らしている隣家の青年ローリーと知り合い、遊んだり舞踏会に行ったりする。ローリーは活発なジョーに惹かれるが、ジョーは作家になることを夢見て、幸せは結婚ではないと思っている。ジョーとエイミーは喧嘩もするが、やがて大叔母はヨーロッパ旅行にエイミーを同行させる。
(エイミーとローリー)
 筋を追う物語ではないので、ストーリーはもう書かない。ただ原作を知らないと、最初は時間があちこちに飛んで判りにくいかもしれない。アカデミー賞には、作品賞の他、主演のシアーシャ・ローナン、助演のフローレンス・ビュー、脚色のグレタ・ガーウィグ、作曲のアレクサンドラ・デスプラがノミネートされたが、受賞したのは衣装デザイン賞ジャクリーン・デュランだけだった。グレタ・ガーウィグは前作「レディバード」では監督賞にノミネートされたが、今回は残念ながら候補に入らなかった。しかし才能は十分以上に証明している。それにしても、確かに衣装デザインは下の画像を見て判るように素晴らしいものがあった。服装をみるためだけでも見る価値がある。
 
 生きてゆくことは楽しいことばかりではない。悲しいこともあるし、思うようにならないことも多い。そもそも女性作家が世に出ることは可能なのか。女の幸福に結婚は不可欠なのか。「」と「お金」と「自己実現」。人生では次第に「お金」の持つ意味が大きくなっていく。避けがたい現実の中で、自己実現と愛はどうなるのか。現代につながるテーマ性を内に秘めた映画なのである。ただ、ベースに「姉妹という女性同士の深いつながり」があって、今ひとつ僕にはつかみにくい感じもあった。

 原作者のルイーザ・メイ・オルコットは1832年に生まれて、1888年に亡くなった。「若草物語」は1868年、日本では明治維新の年に刊行された。奴隷制に反対したり、晩年には女性参政権を主張するなど、オルコットは進歩的な考えの持ち主だった。それは「コンコード派」の中で育ったからである。マサチューセッツ州コンコードに集まった作家、思想家のグループで、オルコットは「森の生活」の著者ソローに教わった。思想家エマソンや「緋文字」の作家ホーソーンらもいて、父はその仲間だった。
(ルイーザ・メイ・オルコット)
 そういう背景は知らなかったが、オルコットは単に「少女小説」を書いた作家ではなかったのである。僕は「若草物語」を持っているが、読んだことはない。持っているのは学校で販売した旺文社文庫のセットを親が買ったからだ。しかし、当時は「少年向け」「少女向け」のジェンダーバイアスが今よりもずっと強くて、僕も「十五少年漂流記」(ジュール・ヴェルヌ)は読んだけど、「若草物語」には手が伸びなかった。萩尾望都を読んだりするのは大学生の頃で、「赤毛のアン」は読んだけどオルコットは視野の中になかった。グレタ・ガーウィグは小さい頃から「若草物語」が大好きだったそうで、アメリカにもそういう読書好き少女が今もいるんだと思った。性差や年齢を超えて一見の価値がある。
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「世界同時鎖国」で国家復権?ー「ポストコロナ」世界考②

2020年06月13日 20時30分18秒 | 社会(世の中の出来事)
 ちょっと前まで、東京を初め全国には外国人観光客があふれていた。政府は外国人観光客を増やす政策を取っていたし、「爆買い」という言葉もあった。京都や鎌倉では観光客が増えすぎて困っているという話もあった。浅草の仲見世通りを見る限り、確かに大幅に増えていたようだが、新型コロナウイルス感染拡大で全く消え去った。日本からも出国できなくなり、外国からも入国できなくなった。日本だけではなく、世界各国で往来が停まってしまった。朝日新聞の別冊「GLOVE」5月版では「世界同時鎖国」と特集を名付けた。そんなことが起きると思っていた人は誰もいないだろう。
(「GLOVE」表紙)
 それどころか、「マスク」が「戦略物資」になってしまった。日本では人件費が高い「ものづくり」を外国に移転し続けてきた。だから外国が輸出をストップすると、多くの物が国内で払底してしまう。やがて国内生産も始まったし、中国の感染状況が落ち着けば輸入も再開されたようだが、一時は「マスク」品切れが大問題だった。ヒトだけでなく、モノであっても、予想できない危機に陥ると、結局は「国境」で閉ざされてしまうのか。世界の感染状況も「国ごと」に発表される。情報をまとめる権限が国家ごとになっているからだ。現代の世界は、やはり「国民国家」で成り立っているのだ。

 「プレコロナ世界」では、むしろ「国家の地位低下」が取り沙汰されていた。欧米各国ではどこも指導者の支持率低下が見られ、右派の伸張が著しかった。右派は「ナショナリズム」を主張するが、それは国家への信認を意味しない。むしろ移民の受け入れを進める「現代国家」に敵意を示し、現存の国家機構解体を主張することが多い。右派は国家ではなく、「民族」「信仰」に価値を見出す。「人権」をベースにして、国籍を問わない福祉政策を行う「現代国家」は「敵」なのである。

 ヨーロッパでは「EU」が機能しなかった。イギリスが脱退したばかりのEUで、統合の価値を示すことが出来なかったと思う。イタリアやスペインで爆発的に感染が増加したときにも、相互に援助することは難しかった。どの国も自国の状況に対応するだけで精一杯だったのである。自由に行き来できるはずだったのに、やはりヨーロッパでも国境を閉ざすことになった。肝心の時に役に立たないのでは、欧州統合も行き詰まるのか。そうでもないだろう。今後の加盟を望む国では、経済状態から加盟を諦めることは出来ない。EU内の大国も、米ロ中への対抗上「EU」を必要とする。だから今後も緩やかに「EU拡大」が進行するだろう。抜けられるのは、アメリカとの関係があるイギリスだけだ。
(問われるEU)
 結局「衛生政策」を実行するのは、「国家」しかないのである。ここでいう「国家」とは、「実効支配」を確保している「領域政権」である。リビアやイエメンでは統一政府がない状態が続いている。そうなるとウイルス感染状況も判らない。時々感染が広がっているという報道も見られるが。また、歴史的、政治的事情から多くの国から「国家」として承認されていない「台湾」は、「事実上の国家」としての信用力が増すことになった。21世紀は「国家を超えた世界」が実現するように言っていた人もいたが、やはり「国家」の枠内で人は生きていたのである。

 コロナ危機で生活が困窮した人をどう救うべきか。この問題に取りあえず答えを出せるのは、「国家」(および「地方政府」)だけだった。世界的組織は貴重だけど、人々を直接把握できない。NPOやヴォランティアも大切だが、全員を対象に出来ない。「特定給付金」とか「持続化給付金」などの「対策」(または「無策」)に関わるのも国家だけだ。国家を運営する「行政」は、選挙を通して国民が(タテマエ上は)成立させる。それはつまり我々は「国家」に包摂されていて、抜けられないということでもある。

 国家を超える規模を持つ「多国籍企業」、特に「GAFA」と呼ばれるアメリカの大企業の問題も考えないといけないんだけど、長くなるしテーマが拡散するので別に機会にしたい。今回の問題で僕が一番考えさせられたのは、やはりまだ「国民国家の時代」だったんだということである。インターネットだの、多国籍企業だの、何だか21世紀は国家を超えていたように思わないでもなかった。でもイザとなると、国境は閉ざされてしまうのである。
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監視社会か、連帯社会かー「ポストコロナ」世界考①

2020年06月12日 20時43分26秒 | 社会(世の中の出来事)
 何回か使ってそろそろ「新型コロナウイルス以後の世界」を考えたいと思う。「アフターコロナ」という言葉もあるようだが、ここでは「ポストコロナ」と呼びたい。パンデミックによって、世界は大きく変わった。いずれ元に戻ってしまうという人もいれば、不可逆的な変化をもたらすという人もいる。そう簡単に二者択一にはならないだろう。新たに現れて定着するものもあれば、いつの間にか元に戻るものもあるだろう。ウイルス危機を乗り越えられず、ひっそりと消え去ってしまうものも多いに違いない。

 「ポストコロナ」で検索すると、下の画像が見つかった。なんだろうと思ったら、立憲民主党だった。「ポストコロナ社会の理念」と銘打って、「支え合いの重要性」「自己責任論の限界」「再分配の必要性」と三つの論点をあげている。僕が今まで書いてきたこととつながる面が多い。反対する気は全然ないけど、というか方向性としては大賛成なんだけど、こういう方向に世界は変わるのだろうか。

 「三密」を避けろと言われたときに、もっと深く考えてみるべきだった。ウイルスはもともと動物から人間に感染したが、ウイルス自体は自分では動けない。中には蚊やネズミが媒介する感染症もあるが、新型コロナウイルスは人から人へしか感染が広がらない。「密」に接触してもウイルスが「自然発生」するわけじゃない。感染していない人どうしが濃密に接触しても、感染はしない。要するに「密」を避けろというのは、「誰が感染しているか判らない」から「人を見たら感染者と思え」ということだ。他人には誰が感染しているか判りようがないから、「全員と距離を取れ」ということである。

 2月頃から日本での感染例が報告され始めた。特に当初はクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が大きく報道されていた。下船した客が千葉県のホテルに一時滞在していた時に、ホテル前の海岸に激励のメッセージを書く人が現れたことがあった。日本でも当初は「連帯」のムードが強かったのである。この世界的苦難を共に頑張って乗りきろうという気持ちがあふれていた。しかし、3月以後感染者数が増えていくと、次第に変わっていったように思う。増えたといっても、日本国内では欧米に比べて感染者も死者も少なかった。最近の抗体検査でも思った以上に感染者は少なかった。

 外国の感染爆発ニュースが大きく報道される日々に、日本では現実の感染者は少なかった。感染者が一番多い東京に住んでいても、身近なところに感染者がいた人はほとんどいなかった。自分も一人も知らない。もちろん報道された芸能人などは何人か知っているが、個人的な知り合いは誰もいない。この「感染者数が少なかったこと」が、「感染者や家族への差別視」を生んだ。ごく一部だからこそ、「感染者ではない証明」が難しい。ほとんどの人は感染していないにも関わらず、厳しい感染予防策を求められた。もちろん「誰が感染者か判らない」のは事実だから、皆が従わざるを得ない。

 「他人事」だったときと違って、「皆が感染者である可能性」が生まれたときに、「監視社会」が進む。感染者がごく一部であるからこそ、「監視」が厳しくなる。もしもっと多くの感染者、死者が出ていたら、社会の雰囲気は違っていただろう。「誰もに感染可能性がある」のだから、「寛容」な雰囲気が生まれたと思う。感染者が現実には少なかったことから、「不注意で感染し、周囲に感染を広げた責任がある」とみなされた。合理的な感染リスクを超えて、「逸脱」行動には激しいバッシングが寄せられたのだ。
(中国の「監視」システム)
 今は公的な施設では、入場に体温測定やマスク着用が必須になっている。学校では今まで当たり前に行われてきた多くの学習が出来なくなっている。今後もしばらくは「監視社会化」が進行すると思う。「感染リスクがある」と主張されると、反論は難しい。韓国の「K防疫」は「成功」とされたが、スマホアプリを駆使した「個人情報監視」と思える。日韓対立を背景にしてか、日本では「反安倍政権」的左派が評価し、「安倍支持」の右派が感情的に反発していた。

 今後日本でも「監視」技術整備が進むと、この「ねじれ」は解消されるのだろうか。僕には心配の方が多い。「異常時対応」が「常態化」して、「監視社会になれてしまう」のではないか。今では街に「防犯カメラ」(という名前の監視カメラ)にあることが当たり前になってしまったように。世界のどこでも「少数派排除」という問題はあると思う。だが特に日本では「集団同調圧力」が強い。

 今後の日本社会では、「感染リスク防止」の名の下に同じような行動が出来ない高齢者や障害者への排除、危険視が進むのは間違いないと思っている。もちろん、日本社会を「連帯」の方向に変えていくこと、「自己責任」から「支え合い」へという旗を高く掲げることは大切だ。今後も折に触れて発信したいと思うが、冷静に判断するならば今後の世界は「監視社会化」の方向ではないかと認識している。
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「感情教育」、青春のパリ・恋と革命-フローベールを読む②

2020年06月10日 22時21分41秒 | 〃 (外国文学)
 2019年春にフランス文学をたくさん読んでみた。長いこと読みたかったフローベールの「ボヴァリー夫人」にも挑戦した。確かにすごい傑作だったけれど、あまりにもこと細かな「糞リアリズム」に難渋して、読み終わるのに2週間も掛かってしまった。その時の感想は、「「ボヴァリー夫人」ーフローベールを読む①」(2019.6.12)に書いた。引き続いてフローベールの「感情教育」に進むつもりが、一呼吸入れることにしたら、もう一年経った。そろそろ読むか。
 
 「感情教育」(L'Éducation sentimentale)は以前に岩波文庫で読んだ。1848年の二月革命下のパリが描かれていることで有名で、読んでみたかったのである。でも20年以上前のことで、ほぼ忘れてしまった。今度は2014年に光文社古典新訳文庫で出た太田浩一訳で、非常に読みやすい翻訳だった。「都市小説」と呼んでもいい小説で、画像や写真も豊富で判りやすい。馬車の種類の多さには驚いた。それは画像で見ないと理解出来ない。「ボヴァリー夫人」よりも長い、上下巻合わせて1000頁もあるが、5日ぐらいで読み終わった。とても充実した読書体験だった。

 この本はフローベールの自伝的な要素も多いと言われている。パリに出てきた18歳の大学生フレデリック・モローの「青春のパリ彷徨」の書である。学問と恋、乱痴気騒ぎと政治論議、革命と出世欲、たくさんの出会いとたくさんの別れ…。誰しもが思い浮かぶ青春の日々が眼前に立ち現れてきて懐かしい。19世紀のフランス小説のことだから、お決まりのように「年上の女性への憧れ」が出てくる。主人公の人生は、ほとんどそれ一辺倒。だけど、やはりフランス小説に多い「高級娼婦」も「幼なじみ」も出てくる。優柔不断で押しが弱いフレデリックの恋は、なかなか苦労が実を結ばない。あるとき突然「モテ期」を迎えたりするのも「あるある」感いっぱいで切ない。

 主にフレデリックの恋愛模様で進行するが、政治論議も多い。この小説は1840年に始まり、主に1851年暮れまでが描かれる。書かれたのは1864年から69年で、69年に刊行された。フローベールは1821年生まれで(1880年没)、主人公フレデリックと同年齢である。1930年の七月革命で成立した国王ルイ=フィリップによる「七月王政」はもう行き詰まっていた。現王室を支持するか、正統ブルボン王朝復活を目指すか。王制を打倒して共和政を目指すか、それとも一挙に社会主義に進むか。復古派もいれば、空想的社会主義者も多い。恋愛とともに、青年たちは政治も熱く語り合う。そして1848年2月に市街戦が勃発し王政が倒れ、全ヨーロッパに波及した。
(1848年のフランス二月革命)
 フレデリックは市街戦には参加しない。革命勃発の日は、憧れのアルヌー夫人とデート出来る日だった。市街戦のためではなく、結局二人は出会えない。(十数年して再会した。)そこからフレデリックの恋愛は迷走していき、性と打算、金と名誉で揺れ動く。困ったもんなんだけど、フレデリックはどうも性格的に弱い。翻訳者の太田氏によると、学生に読ませてみると男子学生はフレデリックに同情的だが、女子学生は非難するらしい。それも道理で、臆病なのに打算的、いいところまで行ったと思うとダメにしてしまったり。歯がゆいけれど、男なら思い当たることが多い。

 二月革命後の政局は左右に激しく揺れ動き、6月には再び市街戦が起こる。かつての友人たちの立場も大きく変わる。一緒に青春を騒ぎ回った皆が、今度は敵味方に分かれてしまう。フレデリックも「高級娼婦」ロザネットに入れ揚げて、激動のパリを後にしてフォンテーヌブローに出掛けてしまう。そのシーンはとても印象的だ。パリ郊外のフォンテーヌブローの宮殿は美しいが、ロザネットは興味を示さない。森の奥へ出掛けるのも面白い。せっかく二月革命で旧秩序が崩れて、若い世代が大いに活躍するべきところ、こうしてフレデリックは人生を空費してしまう。
(フォンテーヌブロー宮殿)(フォンテーヌブローの森)
 有名な文芸批評家のティボーデはフレデリックのことを「フローベールから文学をマイナスした人物」と表現したという。なるほどなと納得した。フレデリックは時代を表現する「狂言回し」なんだろうから、実業界、政界、芸術界などに乗り出さないのも判る。ところで、フレデリックは夏目漱石に出てくる「高等遊民」みたいな存在だが、どうして生活が成り立つのか。一時は窮迫して故郷に引っ込むが、偶然「伯父さんの遺産」が転がり込む。この展開は都合良すぎかなと思った。とにかく巨編ながら、実に面白く読める傑作だ。英語風に言えば「センチメンタル・エデュケーション」という題名も心に訴えてくる。
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クリスト、ミシェル・ピコリ、井波律子他ー2020年5月の訃報

2020年06月07日 20時29分19秒 | 追悼
 2020年5月に大きく報道された訃報は、「勝武士」というしこ名の力士と「木村花」という女子プロレスラーだった。勝武士は日本の新型コロナウイルス死亡者の中で最年少だった。木村花は「リアリティ番組」に出演してネット上でバッシングを受けていたという。SNS上の発言の法的規制問題が論議されている。どちらも痛ましい訃報だが、ここで書く対象とは違うので名前のみ。

 世界では「環境芸術家」のクリストが31日に亡くなった。84歳。ブルガリア生まれで、妻のジャン=クロードはカサブランカ生まれ。二人は同じ1935年6月13日に生まれ、1958年10月にパリで出会い、以来共同で制作を続けた。(妻は2009年11月に亡くなった。)歴史的建造物を布で包む「梱包の芸術」で知られたが、本人には「梱包」に違和感もあったらしい。アメリカと茨城で公開された大量の巨大傘を立てる「アンブレラ・プロジェクト」を見れば、それも判る。だが、やはりパリのポン・ヌフ凱旋門、ベルリンの国会議事堂(ライヒスターク)を包んだことで記憶されると思う。世界に現代の「アート」を示した。
(クリスト)(包まれたライヒスターク)
 フランスの俳優、ミシェル・ピコリが12日に死去、94歳。舞台、テレビでも活躍し、映画監督もしたらしい。だが、60年代から70年代ぐらいのフランスやイタリアのアートシネマで渋い演技をした俳優という印象。ブニュエルやゴダールなどの名作によく出ていた。「軽蔑」ではバルドーの夫の脚本家、ブニュエルの「昼顔」「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」などでも重要な役を演じた。リヴェットの大作「美しい諍い女」では主役の画家だった。カンヌやベルリンで受賞しているが、どっちも日本未公開なのが残念。2011年の「ローマ法王の休日」では法王役だった。演技力の確かな助演タイプ。
(ミシェル・ピコリ)
 「ロックンロールの草分け」の一人、リトル・リチャードが9日死去、87歳。50年代後半に「のっぽのサリー」「ルシール」などが大ヒット。チャック・ベリー、ファッツ・ドミノなどと並び、ロックンロール創始者とされる。57年に突然引退を表明、神学を修めて牧師となったが、62年に復帰した。ポール・マッカートニーに大きな影響を与えたという。
(リトル・リチャード)
 日本では中国文学者の井波律子が13日死去、76歳。「三国志演義」の個人全訳で知られ、多くの中国文学研究の一般書を書いた。僕も岩波新書の「中国の五大小説」(上下)を持ってるけれど、結局今も読んでいない。「水滸伝」や演義じゃない正史の「三国志」も翻訳している。単に翻訳しただけではなく、「酒池肉林」とか「トリックスター群像」とか「中国のグロテスク・リアリズム」とか、現代に通じる視点で本を書いた。しかし、中国古典文学をちゃんと知らなくて、一冊も読んでない。
(井波律子)
 漫画家のジョージ秋山が12日死去、77歳。1973年から2107年までビッグコミックオリジナルに連載された「浮浪雲」が代表作。しかし、1970年に「銭ゲバ」が大評判になり、同時期の「アシュラ」が描写が過激として問題となった。その頃の不逞な勢いが印象的だった。他に「ピンクのカーテン」「恋子の毎日」「うれしはずかし物語」など映画やドラマになったものが多い。すごくたくさんの作品がある。
(ジョージ秋山)
 民社党元委員長塚本三郎が20日死去、93歳。1958年から60年、1967年から1993年まで、通産10回愛知県から衆議院議員に当選した。1985年から89年まで民社党委員長。最初は右派社会党から出馬して落選。58年に社会党から当選し、60年の民主社会党(後、民社党)結成に参加した。もう「民社党」を覚えている人も少ないだろう。党内には「社公民」路線と「自公民」路線の対立があり、塚本は自民党に近かった。「政界再編」で労組出身議員(米沢隆ら)は民主党に所属したが、塚本、大内啓伍らは自民党から出馬した。これで民社党委員長経験者がすべて亡くなった。
(塚本三郎)
・戦後日本の前衛美術家として知られた菊畑茂久馬(きくはた・もくま)が21日死去、85歳。福岡で活動し、60年代前半には前衛画家のホープとして注目された。藤田嗣治などの日本の戦争画を論じるなど、多くの著書もある。世界記憶遺産に登録された炭鉱画家山本作兵衛を紹介したことでも知られている。
・俳優、演出家の岡村春彦が31日死去、85歳。劇団民藝研究所同期の米倉斉加年、常田富士男らと劇団青年芸術劇場を結成して活動した。映画「真田風雲録」で望月六郎役をやった人だという。晩年に「自由人 佐野碩の生涯」(2008)を著した。この本は持っているけど、読んでない。「南ヴェトナム従軍戦記」の岡村昭彦の弟にあたる。佐野碩はメキシコの演劇運動で知られた人物である。
・JR東日本元社長の松田昌士が19日死去、84歳。「国鉄改革3人組」と呼ばれ、分割民営化を進めた。
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映画「ハリエット」、奴隷解放に生きた黒人女性

2020年06月05日 17時40分53秒 |  〃  (新作外国映画)
 東京も映画館が再開されてきた。まだ旧作も多いが、少しずつ新作も公開されている。この間、家でテレビや配信では映画を見なかったので、2ヶ月ぶりぐらいの映画。さて久しぶりに見た映画は「ハリエット」。19世紀半ばのアメリカで、自由を求めた解放奴隷の女性ハリエット・タブマンを描く話題作である。主人公を演じたシンシア・エリヴォ(Cynthia Erivo)がアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。アメリカで起きている事態も思いつつ、「今見るべき映画」だなと思った。

 ハリエット・タブマン(1820or1821~1913)は実在の人物で、そう言えば名前を聞いたかもと思ったが、詳しい人生は知らない。主演のシンシア・エリヴォも知らないから、どういう展開か判らずに見たので迫力ある展開にドキドキしながら見ることになった。監督のケイシー・レモンズもアフリカ系女性監督で、演出にも力がこもっている。ただアカデミー賞でもゴールデングローブ賞でも、シンシア・エリヴォしかノミネートされていない。やはり映画全体を見ると、途中から「偉人伝」になってしまったかなと思う。それでも「所有欲」がいかに人間を堕落させるか、深く考えさせる。

 1849年、アメリカのメリーランド州。農園で働くミンティ(アラミンタ・ロス)は、自由黒人のジョンと結婚している。弁護士に頼んで調べて貰うと、祖父の遺言で自由になれるはずだと判った。主人に掛け合うが、認められない。主人が急死すると、南部に売られそうになる。逃げるしかないと決めたが、自由な夫が捕まると奴隷にされるので、あえてひとりで逃げる。追手に迫られ、川の上の橋で窮地に立つが「自由か死か」と述べて、急流に身を投げる。何とか助かって、自由州のペンシルベニアにたどり着き、フィラデルフィアに落ち着くことになる。

 そこでは奴隷州とは全く違う生活が待っていた。名前を変える人が多いと聞き、母の名を取って「ハリエット・タブマン」を名乗って、自分を助けてくれた奴隷解放運動に加わった。それにしても、気になるのは夫や家族のこと。危険を顧みず、あえて別人の証明書を使って故郷に乗り込む。そこで待つ悲しみを超え、多くの人々を連れてフィラデルフィアに帰還して、自由を求めて北部へ逃げる「地下鉄道」の「車掌」に任命された。ハリエットは神の声を聞き、幾つもの危機を避けることができた。

 幼い頃に奴隷主の暴行で頭部を負傷した。以後「睡眠障害」があると描かれている。「ナルコレプシー」なのかなと思って見ていたが、ウィキペディアを見たらやはりそうだった。何かをしていても途中で眠り込んでしまう病気だが、そのような際に「神の声」を聞けるとした。そこら辺は判らないけれど、当初は字も読めない「ただの女性奴隷」だったハリエットが、途中からどんどんカリスマ性を帯びてくる。ついには南北戦争で黒人男性を従えて従軍するまでになる。実在のハリエット・タブマンは今後アメリカの新20ドル札の肖像になる。(トランプ政権が止めているとも言われる。)
 (実在のハリエットと新20ドル札)
 ハリエットを演じるシンシア・エリヴォは圧倒的。主演女優賞と歌曲賞にダブルでノミネートされた。元々はイギリス出身のミュージカル俳優で、「カラーパープル」のミュージカル版でブロードウェイにデビューして、トニー賞主演女優賞を受賞した。またミュージカルとしてグラミー賞も得た。僕も全然知らない人で、調べて知ったことだが今後大注目だと思う。イギリス人がキャスティングされたことに批判もあったらしいが、熱演と圧倒的な歌唱力で見る者を納得させたと思う。

 前日に「漱石と鉄道」を書いたけれど、「鉄道」にも目に見えないものがあるんだなと気付いた。自由を求めた「地下鉄道」とは、今で言えば「ネットワーク」というべきか。秘密の抵抗運動を「鉄道」にたとえたのが興味深い。日本ではベトナム戦争に反対する「脱走兵」を匿うネットワークが存在した。運動に関わった哲学者鶴見俊輔は「高野長英」を書いた。幕末の蘭学者、高野長英は幕府に囚われたが脱獄して、6年にわたって全国を逃亡した。匿うネットワークが全国にあったのだ。同時代である。
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