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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「テロ」とは何か③-仏テロ事件⑤

2015年01月31日 01時05分58秒 |  〃  (国際問題)
 ブログを書いてると読書時間が削られて困るんだけど、書きだしたので書いてしまいたいと思う。例によって、「テロとは何か」で3回も書く予定はなかったんだけど。さて、日本でも世界でも、歴史上に様々なタイプのテロ事件が起きてきた。もちろん、テロとは言わない「普通の殺人事件」も無数に起きてきた。何が違うのだろうか。僕が思うに、「テロ事件は正しい」という点だろうと思う。もちろん、「正当な行為だと主張する政治的(宗教的)集団が実行した」という意味である。犠牲者の側からすれば、どんな犯罪であれ「許せないもの」であるだろう。でも「ある背景」を持った「犯罪」を特に「テロ」と呼んでいる。

 「無差別殺人」という点では、たとえば「秋葉原無差別殺傷事件」などは、「ある意味ではテロ」と呼べる部分があるかもしれない。「社会に対する怒り」から「個人的決起」を行ったと解釈することも不可能ではないだろう。しかし、この事件はいくら考えても「普通の犯罪」としか言えないだろう。(それが良いとか悪いという評価の問題ではない。)あるいは、永山則夫の事件なども同様である。その犯罪が起きたことに社会や国家の責任があるとか、犯罪者側に「同情」すべき事情があると言った考え方はありうる。だから、その意味で「犯罪が起きた後になって振り返ってみれば、それは社会に対する一種のテロとも言えるのではないか」と「後追い解釈」の余地があるという話である。「テロ事件」というのは、どんなに卑劣でも、どんなに悲惨でも、とにかく事前に計画された「政治的目的」があり、その計画を立案した集団(個人)が存在しなければならない。

 「殺人」はどんな国家でも処罰の対象になっている。また世界の主要な宗教では「殺してはならない」という戒律を持っている。仏教もキリスト教もイスラム教も。だから、その意味では国家間、宗教間の戦争、殺し合いというのは起こらないはずなのだが、歴史上何度も何度も戦争は起きてきた。しかし、それは当然のことだとも言える。なぜなら「迫害され殺されたとしても反抗してはならない」という宗教はないし、「侵略されても自衛してはならない」という国家もないからである。つまり、自分たちの同胞は殺してはならないが、他国や異教徒が侵略してきたときには反撃しても良いと言うのが大体の集団のルールだからである。自分が悪いんだという戦争はないわけで、どんな戦争も相手の方が悪いと主張している。日本も同じで、殺人は処罰されると刑法で規定されているが、自衛隊や死刑制度は存在している。自衛戦争や死刑執行は「普通の意味での殺人ではない」と言われるかもしれないが、それはその通りだけど、「やむを得ない場合は国家権力は人命を奪うことが許される場合がある」という規定であるのも間違いない。(自衛隊も死刑制度も憲法違反だから本来は存在してはいけないと解釈したとしても、警察による緊急措置の射殺等は存在するし、その存在は認めなければならない。)

 「テロ事件」を考えてみれば、テロ事件を起こす側は必ず、「自衛戦争」か「死刑執行」かのどちらかの行為を行っていると主張している。シャルリ―・エブド襲撃事件は、「ムハンマドを風刺画に描くというイスラム教に対する侮蔑」に対する「死刑執行」であるとみなせる。もちろん、それは決して容認できない行為である。なぜならば、もともとのきっかけ(この場合はムハンマドを描くこと)が許されないことだと考えたとしても、「裁判抜きの処刑」は「虐殺」であり、かつまた襲撃組織には裁判を行う法的な正当性が認められていないからである。このテロ組織による「死刑執行」は「代理処罰」と呼ぶべきかもしれない。「神」や「民族」の名において、自分(たち)が代わって「天誅を加える」わけである。日本でも、右翼によるテロはこのタイプが多い。近年の例では元長崎市長の本島等を右翼が銃撃した事件が有名である。世界的にも、政治的、宗教的な保守派が「代理処罰」型テロを起こしやすい。今回のフランスのテロ事件も同様である。

 前回書いたアルジェリア独立戦争やベトナム戦争において、「解放勢力」側は首都において「無差別テロ」戦術を採用していたことがある。しかし、その主体となったFLN(解放民族戦線)や南ベトナム解放民族戦線(後には南ベトナム臨時革命政府)は、世界的には「事実上の政府」並みに認められるに至っていた。そのような強力な反政府組織が、世界が了解可能な政治的目的(民族独立や独裁政府の打倒など)を掲げる時、反政府組織の軍事行動は「自衛戦争」の要素を帯びてくる。少なくともそう主張された時に、むげに否定できなくなる。そうなってくると、「テロ」というより「戦争における作戦行動」と見なしうる余地が出てくるわけである。

 現代において、そういう例は存在するだろうか。パレスティナの場合はどう考えればいいのだろうか。イスラエルの建国には国連決議が存在するが、第3次中東戦争でイスラエルが占領した「ヨルダン川西岸地区」「ガザ地区」「ゴラン高原」は、占領からの引き揚げを求める国連決議がある。そうすると、世界的に正当性を認められていると言ってよいパレスティナ自治政府が、ヨルダン川西岸やガザで行う反イスラエル軍行動は「自衛」の行動ではないのだろうか。しかし、ガザ地区を選挙によって実効支配をしているハマスは、イスラエルの存在そのものを認めずイスラエル国内にロケット弾を撃ち込んだりした。これはどうなんだろうか。「自衛」ではないが、(テロではなく)「戦争行為」と見なすべきだろうか。しかし、そうすると、攻撃を受けたイスラエルの側にも「自衛権」を認めなければならなくなる。この問題は非常に解決の難しい問題になっているが、中東のすべての問題はこの問題の解決を抜きに先に進まないだろう。(また、イラク戦争の解釈も重要な問題だけど、今回は触れない。)

 一方、世界的には「テロ組織が敵とみなす欧米諸国で無差別テロ事件を起こす」ということが、最大の恐怖となっている。欧米諸国だけでなく、西アフリカ、中部アフリカ、インド亜大陸やインドネシア、中国などでもかなり起きている。(オーストラリアでも起きたが、類型上は欧米諸国と同じと考えてよい。)これは何なのだろうか。イスラム過激派勢力からは湾岸戦争以来の特に米英の対応が、イスラム教に対する戦争と見なされているということだろうか。(「イスラム国」はその欧米諸国を「十字軍」と呼んでいる。)この解決は非常に難しいと思わざるを得ない。「宗教」という要素が入ってくるからである。宗教の問題は別に考えたいと思うけど、「政治」的なテロ組織の場合は、政治的な情勢変化により「テロ」はなくなるか、テロ戦術を放棄することはよくある。政府側と協議が成立し、政治犯の釈放などと引き換えに軍事行動を停止し、自治権獲得をめぐる協定を結ぶなどという場合である。それほど簡単に進んでいる地域ばかりではないが、北アイルランド、スペインのバスク地方、スリランカ、フィリピン、インドネシアのアチェ地方など、おおよそのところ、そういう方向で進んでいると評価できると思う。

 歴史を振り返ってみると、世界的に昔は皇帝や国王、独裁的権力者などの暗殺が、一番多いテロ事件だった。近代日本でも政治家や実業家に対する「代理処罰」的な「天誅」決行は非常に多かった。また70年代半ばころまで、日本でも世界でも、極左的グループによるテロ事件(爆弾やハイジャックなど)も多数起こっていた。それらは次第に少なくなってきた。かつて事件を起こしたグループも、間違いを認めて謝罪したり、解散したところが多い。解散しなくても、左右を問わず、先進国では極めて小さなグループとなっている場合が多い。それは何故かと考えてみれば、基本的に民主主義政治が実現している社会では「テロによって政治的目的を実現する」という主張の現実性が全くないために、「政治市場」「思想市場」で「負け組」となり人的にも資金的にも新規リクルートが困難になってきたことが大きいだろう。だから、テロを防ぐ最大の方法は、民主主義(自由選挙)、言論の自由、三権分立、民族自決、少数派への寛容などが基調となる社会を実現していくということしかないだろう。

 だけど、左右のテロがほぼ無くなりかけた時代の日本で、世界宗教史上もっとも恐るべき、また奇妙な宗教テロであるオウム真理教事件が発生している。これも一種の「社会への報復」かもしれないが、われわれの社会はまだ完全には完全には理解できていないのではないかと思う。宗教テロをなくすためには、今書いたような民主的なシステムの構築だけでは有効ではないのかもしれない。これは非常に難しい問題で、僕には今答えを書けないけれど、宗教が「民主主義的な社会において、自由な宗教市場で信者獲得の自由競争を行う」というあり方に安住できるものなのだろうか。日本のような社会では、実定法に違反しない限り信教の自由が保障されるが、本来の宗教はもっと荒々しく野性的な、魅力もあれば危険もあるというものなのではないか。一神教の伝統に遠く、オウム真理教事件を起こした日本社会こそ、この「宗教とテロ」をめぐって諸宗教間の対話を進めていく格好の場所ではないか。またその責任もあるのではないか。一応、その辺りで「テロとは何か」をいったん終わりにしたい。
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「テロ」とは何か②-仏テロ事件④

2015年01月29日 00時00分15秒 |  〃  (国際問題)
 フランスで起こったテロ事件、あるいは「イスラム国」の関与する(とされる)「テロ」行為…それらを見聞きする中で、一体「テロ」とは何なのだろうと考えてきた。「テロ」(terrorism テロリズム)とは、暴力、特に殺人によって政治的目的を達しようという行為を主に指す。しかし、もともとはフランス革命時の「恐怖政治」である。だから、反政府勢力が政府側に対して行うテロだけではなく、政府側が反政府運動を弾圧するためにも「テロ」は使われるのである。(弾圧を恐れて反政府運動に加わらないように、あえて厳罰を科したり、公開で処刑するなど。)

 かつて、ジロ・ポンテコルヴォ監督「アルジェの戦い」という傑作映画があった。1966年のヴェネツィア映画祭グランプリで、1967年キネマ旬報外国映画ベストワンである。だから、ヨーロッパでも日本でも大変高く評価された。この映画はアルジェリア独立戦争をドキュメント的に描いた映画で、大変な迫力があった。僕は年齢的に公開当時は見ていないので、確か70年代半ばに見たのではないかと思う。その中では、独立戦争の主役となったのがFLN(民族解放戦線)による爆弾テロも描かれていた。そのことをめぐって、公開当時の日本では論議が起こったという。アルジェリア独立運動は、遠い日本の地でも若者の熱い注目を集めていた。それは大江健三郎の小説「われらの時代」や福田善之の戯曲「遠くまでゆくんだ」などに示されている。宗主国のフランスの文学や思想が、今では考えられないくらいの大きな影響力を持っていて、日本の知識人もサルトルなどのアルジェリア戦争への言行に無関心ではいられなかったのである。

 ところで、この映画の中のテロ事件は実際に起こったものである。それは、起こす側からすれば「独立戦争の中で、首都中枢部で爆弾事件を起こして、治安の悪化やアルジェリア人の怒りを世界に発信し、植民地からの引き揚げをフランス世論に求める」という「合理性のある作戦」と見なすことが可能である。しかし、無関係の人が死傷するのは事実だから、「道徳的な問題」が存在するのは間違いない。でも、日本の最高裁は「戦争被害は全国民が等しく受忍すべきもの」としているわけであって、その論理をここでも適用するならば、爆弾の爆発時には軍人以外のフランス人やアルジェリア人もいるだろうとしても、「やむを得ない」と考える余地がある。もっともフランス当局からすれば、「独立戦争」などというものはなく、FLNは反政府テロ組織に過ぎない。そうすると、作戦行動の手段としての「合理性」は別にしても、そもそも「アルジェリアの独立を認めるべきか」という一番最初の大問題に判断を下すことが先に必要になってくる。

 この「大問題」は今では解決済みで、アルジェリアは独立し、フランスもそれを認めて、もう長い時間が経っている。アルジェリア独立戦争などと言っても、若い世代には何の知識も関心も呼ばないだろう。ただし、70年代にはまだ記憶の名残りがあって、僕も何となく知っていたものだ。「アルジェの戦い」という映画を見ようという人は、なんか傑作らしいという評判でうっかり見てしまった人もいるだろうけど、大部分の人はアルジェリア独立戦争の映画だと知って見るわけである。僕も「独立戦争支持」の立場で見ていたから、爆弾テロは悲惨ではあるけれど、「これは戦争であるから」と思って見た。フランス軍が早く撤退すればいいのだと思って見ているのである。

 さて、この話はずいぶん昔の問題になったはずである。だけど、実は今もなお重大な問題をはらんだテーマなのである。一つは、フランスの中では今でもアルジェリアなどの植民地支配への肯定的な意見が根強くある。フランスのオランド大統領が2012年にアルジェリアを訪問した時も、「謝罪」の意思は表明されなかった。アルジェリア戦争中のフランス軍による残虐行為も、大きな傷として残り続けている。フランスにはアルジェリアはじめ旧フランス領植民地出身のイスラム教徒が多数在住している。そして、今回のシャルリ―・エブド襲撃事件の容疑者と目されている兄弟は、アルジェリア系フランス人だった。アルジェリア問題は今もなおフランスにとって、切れば血の出る問題なのである。

 一方、その後のアルジェリアの歩みも大変なものだった。政権を樹立したFLNのベン・ベラは非同盟諸国の英雄とみなされ非常に有名な指導者だった。だが、社会主義的政策をすすめた結果経済が悪化しクーデタがおきる。やがてFLNは特権階級化していき、経済不振の中でイスラム過激派が勢力を伸ばしていく。1991年、というのはソ連崩壊の年で、世界の各地で民主化を進めざるを得なくなっていた時期だが、初めて野党の参加を認めた選挙が行われた。その選挙で「イスラム救国戦線」(FIS)が圧勝するのである。FISは憲法を無効としイスラム国家樹立を目指すが、これに世俗派が反発し軍のクーデターが起きた。それに対し、イスラム過激派は軍事行動で対抗し、10年にわたる「アルジェリア内戦」が起きたのである。4万から20万の死者が出たと推測されている。政府軍が勝利し、大統領選挙も行われ、1999年にFLNの元外相ブーテフリカが当選した。さてさて、今度はこのブーテフリカ政権が長期独裁政権化していき、憲法を変えて3選されるに至っている。それにイスラム過激派は反発するわけで、イスラム過激派勢力は「マグレブ諸国のアル・カイダ」を結成している。その系列のグループが、2012年に起こって日本人(日揮社員)も犠牲となったアルジェリア人質事件を起こしているのである。

 なんだか「因果はめぐる糸車」とでも言いたい感じだが、フランスもアルジェリアも「独立戦争に伴うテロリズム」を経験したが、それは完全には解決していない。フランス軍による残虐行為は「国家テロ」というべきものだが、フランス社会は今もなおそれを直視出来ていない。アルジェリア系住民には差別がある。そして今では両国に共通して、イスラム過激派によるテロ事件に直面している。「独立運動」という問題でとらえれば、独立を求めるアルジェリアも、独立を認めない(当時のフランス植民者などの)フランス人強硬派も、「ナショナリズム」という問題で理解できた。どちらのナショナリズムを支持すべきかという問題である。しかし、現在直面しているのは、それとは違った「宗教」という問題である。これをどう考えればいいのか。また次回以後に。
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「テロ」とは何か①-仏テロ事件③

2015年01月27日 22時39分29秒 |  〃  (国際問題)
 今年の大河ドラマは「花燃ゆ」と言うんだという。吉田松陰の妹を扱うという。いやあ、妹がいたのか。久坂玄瑞の妻となるが、久坂は禁門の変で戦死する。その後再婚した夫は、明治初期に群馬県令を務めたという。ということで、関東地方では群馬県で大河ドラマの館が開かれていることが宣伝されている。なんと都合のいい人物がいたんだろうとビックリする。「長州藩」出身者というだけなら、首相と同郷の人物を選んだと言われかねない(というか、僕はそう思い込んでいるが)、群馬県というこれまた首相を多く生み出した地に関係があり、さらに「女性が輝く」テーマだから、NHKの深謀遠慮がすごい。

 それはさておき、吉田松陰は江戸末期に大老井伊直弼の「安政の大獄」で刑死する。しかし、その井伊直弼も1860年の「桜田門外の変」で暗殺された。安政の大獄は、その規模からして日本史上最大の反政府派弾圧事件であるが、もちろん当時としては政権を握っている幕府の正当な権力行使である。一方、桜田門外の変は、当時であれ現在であれ許されない政治的指導者の殺人事件である。つまり、テロ事件である。しかし、今現在、桜田門外の変は「許されないテロ行為」だと考えている人は、ほとんどいないだろう。それは何故か?

 一つは「時代が変わった」こと。幕府が倒壊して明治新政府が出来たことにより、それまでの反政府派は正義と認められることになり、幕末の政争で死んだ討幕派は明治期に顕彰されることになる。「勝てば官軍」というわけである。だから、桜田門外の変で死んだ井伊直弼は、歴史ドラマなんかではどちらかと言えば悪役扱いが多い。また、江戸幕府は近代民主主義政府ではないから、当然のことながら井伊大老は選挙で選ばれたという正当性を持っていない。(将軍に任命されたという正当性は持っている。)江戸幕府自体が、戦争で勝って将軍となり、それを子孫に継承してきたわけだから、時代が変わって実力で倒されても文句を言える筋合いではない。まあ、そういう風にリクツを言うより、単純に「時間が経った」というのも大きいだろう。もうリアルに感じ取れない昔々の事件はテロかどうかなど考える対象にさえならない。現代に生きるわれわれの生活には無関係なんだから。

 こういう風に「テロ」には「両義性」がある。テロを起こした側はそれをテロとは言わず、正義の行為とみなす。もし、世の中がひっくり返ってしまったら、例えばイスラム過激派がイスラム世界を支配しつくしたら、今のテロ事件はすべて「正義の戦いだった」と正当性を獲得するはずである。そういうことは「政治犯」の場合、すべてに言える。江戸時代までさかのぼらなくても、南アフリカのネルソン・マンデラを思い起こすだけでそれが判る。一時は南アフリカ政府から「テロリスト」とみなされていたマンデラは、やがて「尊敬すべきノーベル平和賞受賞者」だと世界から認められるに至った。だから、「テロ」を考える時に重要なことは、もともとの「テロ行為の大本」を考える必要がある。「そういうこと(例えば南アフリカにおけるアパルトヘイト体制)そのものを認めていいのか」を自分で評価しないと判断ができない。もちろん、「目的の正当性」があっても、「手段の正当性」があるかどうかは、また別に考えなくてはいけないことだけど。

 石川啄木の詩「ココアのひと匙」に「われは知る、テロリストの かなしき心を 言葉とおこなひとを分ちがたき ただひとつの心を」という有名なフレーズがある。また、70年代にはかなり読まれていたロープシン(サヴィンコフ)の「蒼ざめた馬」も昔読んだ。帝政ロシアの反政府活動家、テロ活動家を描いた小説である。その頃から、僕は「テロだからいけない」と思ったことはない。状況によっては、テロ行為に訴えなければならない局面は歴史の中で存在しうると思っている。それはフランス人だって認めるはずである。フランス革命とナチスへのレジスタンスを否定するつもりならともかく、「歴史の中の暴力」を一切認めないということはできないだろう。ただし、ブルボン王朝やドイツ占領軍は、民主主義によって成立した政治体制ではない。専制政府や侵略軍に対しては、国民の「抵抗権」を発動できると考えれば、それは「抵抗活動」でこそあれ、「テロ」と非難することはできない。

 
 しかし、世界には今もなお、国会が存在しない国、あるいは事実上国民に民主主義的な自由が認められていない国は相当数存在する。それでは、そのような西欧民主主義体制を取っていない中国で、ウィグル人独立運動家が無差別テロ事件を起こすのは、「民族的抵抗権の発動」とみなすべきなのだろうか。これは非常に難しい問題である。では、ウィグル人活動家に自由に独立を主張する自由があるかと言えば、それは「国家分裂をたくらむ反革命」と見なされるだけで言論の自由は保障されていない。だから、「中国当局に対するテロ行為はやむを得ない」と考える余地は存在するだろう。しかし、そのために無差別テロを起こせば、政治的自由の獲得ではなく、民族間の対立を激化させるだけなのは明らかであるとも思う。すなわち、すくなくとも「目的は同情しうるが、手段としては支持しがたい」というあたりになる。しかし、これでは「どっちつかず」で、どちらの側からも納得は得られないだろう。それは「国家」や「民族」や「宗教」という、当事者には「絶対に守るべきもの」を双方が持っているからである。ということで、今回はここまでにして、その「国家」や「民族」の争いをどう考えるかは次回に続けたい。
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「言論の自由」をめぐって-仏テロ事件②

2015年01月26日 23時41分27秒 |  〃  (国際問題)
 「言論の自由」をめぐっては、中国人が作ったという秀逸なジョークがある。
 あるアメリカ人と中国人が「言論の自由」をめぐって話になった。アメリカ人は「『言論の自由』はとても大切なもので、わがアメリカでは完全に認められています。例えば、ニューヨークのタイムズスクエアで『オバマは辞めろ』と叫んでも、警官に捕まることはありません」と言った。それを聞いた中国人は「わが中国でも『言論の自由』は認められています。北京の天安門広場で『オバマは辞めろ』と叫んでも、警官に捕まることはありません」と言った。

 このジョークを作った中国人は、なかなか「言論の自由」の本質をつかんでいるではないか。「言論の自由」が何よりも重要だと考えるなら、韓国で産経新聞の特派員が書いた記事をめぐって大統領に対する名誉棄損で訴追されている事件をどう考えるべきだろうか。「私は産経」と書いたプラカードを持って韓国大使館にデモをするべきなのだろうか?しかし、僕はそういう気にはならないのだが。僕は今回の韓国検察当局の起訴という判断を支持するものではない。また、「被害者」である大統領の対応にも疑問を持っている。しかし、それ以上にそもそも訴追をもたらしたネット上の記事なるものが、頑張って「言論の自由」を守らなければと言うほどのものかと思ってしまうわけである。

  「言論の自由」と言ったって、何を言ってもいいわけじゃないのは当たり前である。いじめがあるクラスで、「あいつ、キモイよな」という「言論の自由」は認められない。そのクラスの中で「そんなことを言うもんじゃないよ」注意できるかどうか。そんなイジメ的言動はおかしいと思いつつ、クラスの雰囲気が反イジメ発言を許さないようなものだったら、そのクラスには「言論の自由」がないと言わないといけない。「ブラック企業」の中で、「そのような言動は労働基準法に違反します」と言えるだろうか。そう考えていくと、多くの人は「日本には言論の自由がある」と無条件に信じ込んでいるが、実は会社や学校の中で、あるいは地域社会の中で、実質的には「言論の自由」が保障されていないところは多いはずである。

 つまり、多数者が「言論の自由」を行使できるのは当たり前で、問題は社会のマイノリティが声を挙げられるかが「言論の自由」の本質だということである。だから、自国にある問題を自国で発言できるかどうかが、「言論の自由」の持つ意味だということである。こういう文脈で考えると、「シャルリ―・エブド」特別号の「ムハンマド(と思われる人物)」を描いたということは、かなりの疑問を持たざるを得ない。それはフランス社会においては禁止されていることではない。(フランスの中のムスリムが反発することは予想されるが。)だから、襲撃を受けたことに対する「風刺」としては、どうしても描かなければいけないというほどの切実さはないように思うのだが。「売り言葉に買い言葉」的に描いたとしたら、あまり質の高い風刺とはいえないだろう。フランス国内では、この事件を機に「反イスラム」「反ユダヤ」的な言動が起こったことは間違いない。風刺の対象とするなら、そのことではないのだろうか。

 だけど、それでは多くのイスラム諸国で起こった「反フランスデモ」はどう考えるべきなんだろうか。よく中国の反日デモが、実は反日に名を借りた反政府デモの要素があると指摘する人がいる。それがどの程度当たっているかはともかく、チェチェンやニジェールでは「イスラム教擁護」を掲げないとデモができないという要素もあるのではないかと思う。だけど、「シャルリ―・エブド」は自由な言論を行う権利を行使しただけで、フランスそのものを排斥するのはおかしい。その「おかしさ」をイスラム社会の中で主張できるのかどうか。イスラム社会の中には、はっきり言って西欧社会以上に大きな問題が山積しているはずである。そのことを内部で発言できるかどうか。「言論の自由」は西欧社会以上に、多くのアジア、アフリカ社会でこそ重大な意味を持っている。

 フランス社会では、大革命以来の様々な激動を経て、いわば血によって確立された多くの原則がある。その中でもカトリック教会との闘争の果てに確立された「政教分離」(ライシテ)の原則が重要である。近年、フランスの中のムスリムに対する「排斥」とも見られかねない法律が制定されて問題化してきた。2004年には学校内で宗教的な「しるし」を禁止する法律ができた。これは実質的にはムスリム女性が学校内でスカーフをかぶることを禁止するものである。また、2010年には公共空間でブルカ(スカーフ)をかぶることを禁止する法律も制定されている。この法律は欧州人権裁判所にフランス政府を訴える裁判が起こされたが、2014年に同法を支持する判決が出ているという。日本では、左派やリベラル派に「少数派文化への寛容」を求める傾向があるが、フランスでは「共和国の原則」を守るという意味で「左派」は「ライシテ」の擁護派だろう。ブルカはイスラム社会における女性抑圧の象徴だとして、フェミニストにも反ブルカ法支持が多いのではないかと思う。

 そういう社会では、イスラム教をも風刺の対象とするのは当然と考える左派系雑誌を支持するのは当然と考えられる。しかし、日本ではムスリム社会が非常に少数であって、インドネシアやマレーシアからのムスリム観光客を増やすために、「ハラール」(許されたものの意味。食品の調理、加工で認められた作法を守っているかどうかを主にさす)に対する関心が高まっている。日本では「そういうことがあるんだ」の段階で、「世界を知る」という必要性があるレベルだろう。社会ごとに「言論の自由」が求められる意味合いは変わってくる。他国のことはさておき、日本の中にも「タブー」的なものもある。また「言論の自由」があっても「言論市場」で売れないことには発信する意味が少なく、ほとんど売れない本を書いても社会には問題が知られない。「沖縄」も「原発」も大量の情報があるようでいて、大新聞やテレビでの報道は少なく、「知ってるようで知らない」とも言える。少しでも「実質的な言論の自由」の幅を広げていくことが大切なんだと思っている。 
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「私はシャルリー」考-仏テロ事件①

2015年01月26日 00時23分54秒 |  〃  (国際問題)
 一年の初めから、イスラム「過激派」に絡む問題が起こり続けて、気持ちが重い。ここでも書き残しておきたいと思っていたけど、ただ今事態進行中の「イスラム国」による日本人「人質」問題はすぐには語れない。進行中は安易に語ることはできないし、特に情報を持っているわけではないのだから。安倍政権の対応を問題視する意見もあるようだけど、それも情報が少ないし、今は見守ることしか僕にはできない。(ただし、これは「イスラム国」とは無関係な問題だが、阪神淡路大震災20年の追悼行事に出るべきだったのではないか、という気持ちは持っている。)

 題名に「仏テロ事件」と書いたけど、これは長くなるからカッコをつけなかっただけで、本来は「フランス」における「テロリズム事件」とカッコを付けるべきだと思っている。本来は「テロとは何か」から考えるべきで、それは次回以後に考えたい。それと誤解する人はいないだろうと思うけど、「仏テロ」とは「仏教過激派によるテロ事件」という意味ではない。「仏教過激派」なんてあるのかというかもしれないが、「オウム真理教」はそうではないのか。それは置いといても、「民主化」が進んだミャンマーでは多数派の仏教徒の中に「過激な国家主義勢力」が登場して、少数派のイスラム教ロヒンギャ族に対する襲撃事件を繰り返している。タイ南部もそうだけど、仏教とイスラム教が争っている地域もあるのである。

 さて、フランスの風刺週刊誌「シャルリ―・エブド」が1月7日に襲われて、12人の死者を出した。だが、その後警官襲撃やユダヤ系経営者のスーパーが襲われるなどの事件も起こり、まだ不明なところも多いが、一種の「同時多発テロ」だったと思われる。「シャルリ―・エブド」はどちらかと言えば左派系無神論に立つようで、イスラムだけでなく、キリスト教やユダヤ教、極右政治家なども風刺の対象にしてきたという。そのため、今までもイスラム教徒(ムスリム)からの反発があり、襲われたこともある。今回の事件は、今までにはない国際性、計画性、残虐性が見受けられ、フランスのみならず世界の衝撃を与えたわけである。

 この事件に対し、自然発生的に追悼の動きが起こり始め、「私はシャルリ―」(Je suis Charlie)という言葉を合言葉に連帯の動きが広がる。そして、世界の首脳も多数参加した追悼デモが11日に行われた。しかし、その後「シャルリ―・エブド」が再びムハンマド(と思われる人物)を表紙に描いた特別号を出した。しかし、この風刺画には賛否両論が沸き起こり、フランス有力紙の中でも転載したところと転載しなかったところがある。世界各地で反フランスデモも起こり、「私はシャルリ―ではない」という言葉を使う人も現れた。それ以外に、シャルリ―・エブド社を警備していて射殺された警官でムスリムのアフマド・ムラベにちなんで「私はアフマド」と言う言い方もムスリムには多いと言う。

 さて、この事態をどのように考えるべきか、問題はいくつかあるだろう。一つの事態に対しても、様々の立場から「ともに立つ」ことは普通のことだから、「私はシャルリ―」と掲げた人にも様々な立場があるだろう。まずは「言論の自由」というものをどう考えるべきかというのが一つの論点である。これは次回以後に考えたい。しかし、世の中に完全な自由というものはありえないわけで、問題はそれでも「シャルリ―・エブド」に連帯を示す立場はどのようなものかということだと思う。この事態は、イスラム過激派によるフランス、あるいは西欧世界への攻撃であるととらえるのがもう一つの考え方である。フランス国会議場では、史上まれな国歌「ラ・マルセイエーズ」を議員が自然発生的に歌い始めたというが、それも「フランスへの攻撃」に対するナショナリズムの発露だろう。(日本人から見ると、この「ラ・マルセイエーズ」の歌詞も何だか好戦的で、テロ誘発的な感じを受けてしまうんだけど。)

 しかし、僕が思っているのは、どちらともちょっと違ったとらえ方である。「シャルリ―・エブド」の風刺画にどんな問題があったとしても(というか、けっこうあっちこっちから批判されてきたらしいけど)、それはもちろん「殺されるべきものではない」ということである。そのことは、イスラム教徒を含めほとんどの人は了解するだろうし、実際に襲撃した過激派を非難している。今回の襲撃事件は「無差別テロ」ではない。最近の世界では、パレスティナ人やウィグル人などによる「無差別テロ」のニュースがよく起こっている。しかし、今回はそういう事件ではない。だから「テロ」というより、「公開処刑」とでもいうべき方が当たっているのではないか。これは全く認められない。そもそも、僕の考え、あるいはEU諸国の考えでは、「殺されてもやむを得ない人」などというものはいない。だから、これほど公然たる「死刑執行」を認めることはできないのである。

 その意味で、自分は「襲撃され、殺された側」に連帯したいと思うものである。「シャルリ―・エブド」の風刺問題はその後で考えるべき問題だろう。では、実際に起こった事件とは全く違って、襲撃犯がスプレー塗料と垂れ幕を持って押し入り、自分たちの主張をビルに書き、垂れ幕を窓から下げただけだったら、どうだろうか。それなら許されるかどうか。(それでも、不法侵入と威力業務妨害にはなるだろうから、違法行為である。だけど、自分たちは人命を尊重しているというメッセージにはなる。)しかし、現在の世界情勢からはそのような想定はありえないものとして排除するべきものなのだろう。指示を出したと報道されている「アラビア半島のアル・カイダ」を初め、イスラム過激勢力は、それ(人命尊重という考え方)は通じないと理解しておくべきものなんだろうと思う。今後、「テロとは?」「言論の自由とは?」などを考え、同時にイスラム教や宗教の問題を考えておきたい。ちなみに、「シャルリ―」とは「ピーナツ」のチャーリー・ブラウンから取っているものだという。
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追悼・陳舜臣

2015年01月22日 21時31分48秒 | 〃 (ミステリー)
 作家の陳舜臣が亡くなった。僕が最も熱心に読んだ作家のひとりである。あまりにもたくさんの著書があるので、その半分も読んでないと思うけど、何十冊もの素晴らしい歴史ロマンを堪能したものである。1月21日没、90歳。老衰ということで、年齢を考えれば特に悲しみに暮れるということもないけれど、非常に残念な訃報であることは間違いない。

 陳舜臣は現代日本でもっとも学識豊かな作家だったと言ってもよく、マスコミの訃報も歴史作家としての経歴を中心に書いてある。もちろん、それも素晴らしいのだが、陳舜臣の出発はミステリー作家である。もっともそれはある意味、身をやつした姿とも言えるだろう。神戸の台湾系の生まれだが、もともとは中国本土から台湾に移り、さらに神戸で貿易商をしていた由緒ある家の生まれである。大阪外大の印度語科で司馬遼太郎の一年先輩にあたる。母校に残って研究者に進むところ、日本の敗戦にともない日本国籍を喪失し、退職して家業に就くよりなかった。このように台湾系中国人に生まれ、日本で育ち、ヒンディー語、ペルシア語を学んだという経歴から、アジアの歴史、文化にただならぬ知識を有することが理解できる。しかし、その陳舜臣の持てるものを戦後日本は生かし切れなかった。

 その鬱屈の生活からミステリー作家が誕生する。そういう人はけっこう多いが、趣味と頭脳と退屈を生かして、謎とトリックの考案に熱中するわけである。そうして生まれたのが、江戸川乱歩賞受賞の「枯草の根」(1961)。中華料理店主の名探偵、陶展文の誕生である。このシリーズは、神戸の描写も魅力的で、トリックと人物とロマンの加減もよろしく、僕の大好きなミステリーシリーズだ。「三色の家」「割れる」「虹の舞台」など、どれも面白くて余韻がある。さらに歴史ロマンを書くようになり、1968年に短編集「青玉獅子香炉」で直木賞を受賞。1970年には歴史ミステリー「孔雀の道」「玉嶺よふたたび」で日本推理作家協会賞を受賞した。僕が特に好きなのは、「玉嶺よふたたび」。日中戦争を背景にした青春ロマンミステリーで、中国側から見た日本軍を考えるためにも必読だが、清冽な抒情があふれて忘れがたい。
 
 もっともその時期には、陳舜臣の仕事は歴史小説に移りつつあった。最初が「阿片戦争」全3巻(1967)で、これも素晴らしく面白い。こういう小説は、歴史学からはフィクションと扱われ、純文学からはエンターテインメントと思われる。そのうえ、大衆文学からも「マジメで長すぎる」「中国近代史に関心がある人向け」と扱われやすい。だけど、歴史小説というものが「読んで面白くて、知識も得られてためになる」をベースにして、さらに歴史や異文化への理解、日本と中国の近代史への理解を読者にもたらすという、非常に幸福な読書体験をできるのである。

 陳舜臣の歴史小説は、脇役に架空の人物を配しつつ、筋と主要人物は歴史的事実のみを正確に叙述するというスタイルが多い。司馬遼太郎の歴史小説が、ともすれば「上から整理して俯瞰した」印象を与えるのに対し、陳舜臣の小説は登場人物とともに生きて呼吸して考える感じがする。もっと評価されるべき歴史作家だと思う。「阿片戦争」以後、「太平天国」「江は流れず 小説日清戦争」と近代史を描くが、だんだん中国史全般から材を取るようになり「秘本三国志」「小説十八史略」などを書く。しかし、最高の達成は「チンギス・ハーンの一族」全4巻ではないか。ものすごく長いが、とにかく面白い。
 
 これらの小説を書くとともに、ものすごく多数の歴史エッセイを書いている。それらは中国と日本への深い知識とともに、インドやペルシア、トルコなどへと関心は広がり続け、恐るべき才能と言うしかない。しかし、そういう人はつい「自分は何でも知っている」「こんな難しい知識を知ってるか」といった文章を書きたくなってくる。しかし、陳舜臣の書くものに限って「知識をひけらかす」ことが一切なく、非常に判りやすい。とにかく判りやすく、誰でも読めるように書かれている。そのことがいかにすごいことか、強調しておかなくてはいけない。歴史、特に中国と日本の近代のありように関して正しい知識を身に付けることは、日本人にとって絶対に必要なことである。しかし、それは中国に対しても、日本に対しても、正しい知識があるだけではダメで、あふれるような愛情と心の底からの尊敬がなくてはいけないと思う。陳舜臣の本を読んでいて思うのは、その愛と尊敬の深さである。(だが陳舜臣が最も愛していたのは、神戸という特別のトポスだったのだと思うけど。)

 陳舜臣の本は、今もなお多数の文庫が入手できるし、図書館などでもいっぱい入っていると思う。是非、手に取って読んで欲しい作家である。どんな分野の本でもいいから。「面白くてためになる」とはこういうことか、と実感できる。最後に僕の一番好きな本をあげておくと、「桃花流水」という新聞連載小説(中公文庫に入っていた)で、清冽な歴史ロマンが思い出深い。
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映画「薄氷の殺人」

2015年01月21日 21時42分54秒 |  〃  (新作外国映画)
 中国映画「薄氷の殺人」。2014年のベルリン映画祭グランプリ、主演男優賞を取ったというが、予告編が素晴らしくて是非見たいと思った。予告編はネット上で見られるので、ご覧になって見てください。往々にして、予告編の出来がいいと本編を見てガッカリすることがあるが、この映画も多少そういう面はある。でも、中国東北部(ハルビン)の寒々しい街を舞台に、「運命の女」(ファム・ファタール)に惹かれる男を圧倒的な映像で描く中国の「フィルム・ノワール」である。
 
 1999年、石炭工場で人間の腕が見つかる。その後、6か所の工場で同様に石炭の中から人間の各部位が発見され、その中の一つに身分証が見つかった。その人物がバラバラ殺人の被害者と思われ、妻のもとに刑事がおもむく。この妻を台湾の女優グイ・ルンメイ(「藍色夏恋」など)が演じていて、楚々とした美形に薄幸そうな風情がただよい魅惑的である。夫の家族のもとに捜査に行くと、弟たちと銃撃戦になってしまい、この事件は迷宮入りする。リャオ・ファンという俳優が演じる刑事は、事件をきっかけに警察を辞めてしまう。これが冒頭の謎めいたプロローグ。

 5年後の2004年、さらにバラバラ殺人事件が起きている。最初の事件を含めて3件。いずれも5年前の事件の妻の周りの人物が死んでいる。今は刑事を辞めたリャオも事件に惹かれて、彼女が務めるクリーニング屋を訪ねる。以後、知り合いになって事件の真相を探ろうとするのだが…。クリーニング店に残された引き取り手のないコート。寒々しい街にネオン輝くナイトクラブ「白昼の花火」(白日焰火=原題)の怪しげな証言。そして事件が起きている屋外スケート場にリャオは彼女を誘う。ヨハン・シュトラウスが流れるスケート場から、彼女はどんどん奥の方へ滑走していく。一体、どんな真相、または謎へと誘導されるのだろうか。

 「謎の女」と「街を動き回る探偵」が「フィルム・ノワール」の必要条件だから、これは映画史の様々な犯罪映画の記憶を封じ込めた魅力的な犯罪映画である。しかし、それは「外見」であって、内実は中国の都市と地方富裕層と貧困層男と女といった広がるばかりの格差社会を痛切な感情で描き出そうとした映画だと思う。謎は解明されるが、痛ましい余情が残る。99年のシーンから04年のシーンへ変わる「トンネル」の場面は素晴らしい。長い長いトンネルを抜ければ、そこは寒々しい雪が降る街に、元刑事がバイクとともに倒れている。事故かと思うと、飲み過ぎらしい。この「トンネルを抜けると雪だった」で判るかもしれないが、この場面は川端康成「雪国」の冒頭なのだそうだ。さすがに、見た時はそこまで判らなかったけど、監督は世界文学で一番素晴らしい書き出しだと言ってる由。

 その監督は、ディアオ・イーナン(1968~)という人で、漢字で書くと「刁亦男」と言うらしい。この姓は一体どんな字なのか。コピーしたので、読みが判らない。「スパイシー・ラブスープ」や「こころの湯」の脚本を書いた後で監督になり三作目。今までの作品は日本未公開なので、この監督の名前は初めて意識した。かつて、80年代後半から90年代にかけてチェン・カイコーやチャン・イーモウなどが世界的傑作を続々と送り出していた時期がある。それはかつてのイタリアや日本、ポーランドのような素晴らしい時代だったけど、それらの国の場合と同じく、映画の背景には抗日戦争や文化大革命といった「国民的な痛切な記憶」があった。しかし、「改革開放」政策も30年を過ぎ、中国経済なくして世界は存立できない。中国国内は腐敗と格差が広がり、もはや政府がいくら締め付けても「国民の物語」の時代は終わらざるを得ない。そんな新時代の中国映画を支えるのは、もっと個人に即した「犯罪」や「少数者」を取り上げるジャ・ジャンクーロウ・イエなどである。日本の高度成長期に大島渚や今村昌平が登場したように。そんな中国の今を描く新しい才能が登場したことを告げるのが「薄氷の殺人」だと思う。魅惑的なグイ・ルンメイと寒いハルビンを見るためだけでも、見る価値がある。
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映画「百円の恋」

2015年01月20日 21時00分04秒 | 映画 (新作日本映画)
 武正晴監督、安藤サクラ主演の映画「百円の恋」は安藤サクラの演技が例によって凄くて圧倒された。「格差社会」を真正面から描く「痛い」佳作だ。2014年のキネマ旬報ベストテン8位選出。安藤サクラは「0.5ミリ」という大傑作もあり、昨年度の主演女優賞を贈りたい。(「0.5ミリ」は東京では渋谷ユーロスペースで、24日から2週間ほど再映される。)
 
 この映画は第一回松田優作賞のグランプリを獲得した足立紳の脚本の映画化だが、足立氏はアマチュアではなく、調べると今までにも映画化作品がある。松田優作賞というのは、出身地の山口県の周南映画祭で新設された賞だという。最近の日本映画は、小説やコミック、またはテレビドラマの映画化ばかりが多い。こういうオリジナル脚本が少なくなっている。資金を回収するためには、映画になる前から有名な原作の映画化が有利だろうが、今の日本のリアルを映像化するためにはオリジナルシナリオを書ける人材が絶対に必要である。その意味でも、この映画は注目すべき作品だ。

 山下敦弘監督の「もらとりあむタマ子」の前田敦子も、大学を出ながら実家でぼうっと暮らしているグダグダぶりが良かったけれど、今度の安藤サクラが演じる斎藤一子(いちこ)の方は、30を過ぎながら弁当店の実家を手伝いもせず、離婚して戻ってきた妹の息子とテレビゲームばかりしている。はっきり言って、タマ子よりもひどい。ついには妹二三子(ふみこ=早織)と映画史に残りそうな壮絶家庭内バトルをしたあげく、家から出ていけとなる。女30にして初めての一人暮らしで、もしかしたら初のアルバイトに挑まざるを得なくなり、近くのコンビニ店に面接に行く。このコンビニは「百円生活」という名前だから笑わせる。こうして、自分でも「百円程度の女」と自称する一子の自活生活が始まるのである。

 このコンビニをめぐる奇人変人たちの描写から、日本社会の底辺のこわれ方が判ってくる。そしてコンビニへの道にあるボクシングジムを見ているうちに、なんとなく狩野(新井浩文)というボクサーと知り合いになる。この男はコンビニにバナナばかり買いに来て、店員から「バナナマン」とあだ名されていた男だった。こうして、「バイトと男」という今までの人生になかったアイテムが一子の人生に登場してきたわけだけど…。これでうまくいくなら映画はいらない。もちろんダメダメ人生は続くわけだが、ここで一子、一念発起してかのボクシングジムに入門してしまうのである。いかにも下手、いかにもぜい肉女子だった一子、果たして続くか。これが存外続くんだけど、そもそもプロボクサーは32歳までで、一子はその32歳で入門してきたのである。こうして失うもののないボクシング練習が始まっていく。

 このように映画の後半は、ボクシング映画になっている。しかし、今までに一度も見たことがないボクシング映画である。ボクシング映画というのは、大体が恵まれない家庭に育ってチャンピオンを目指すか、一度失墜したボクサーが誇りを取り戻すために復帰を目指すというのが定番。そこにひと癖ある過去のチャンピオンがトレーナーをしたり、八百長話がからんだり…。「チャンピオン」、「レイジング・ブル」、「ロッキー」、「ザ・ファイター」、「シンデレラマン」、「ボクサー」(初の黒人チャンピオンを描くマーティン・リット監督作品)などなどのアメリカ映画、あるいは、阪本順治「どついたるねん」、寺山修司「ボクサー」などなど日本映画でも大体そういう話である。そもそも女性ボクサーの話は、クリント・イーストウッド「ミリオンダラー・ベイビー」しか思い浮かばない。ところが、この映画はそういうヒーロー(ヒロイン)ものではなく、もっと下のボクサー、まあプロではあるんだけど、人生で一度試合ができるかどうかの弱っちい女子ボクサーなんである。だから、今まで以上に熱いし、今まで以上に痛い。リアルなボクシング映画であり、どこまでやれるかホントにドキドキする。そして…でも、また日常が戻ってくるんだろうけど、家族もみな応援に来てくれて、も少し生きやすくなっていくのかもしれないなあ。そんな「百円女子」の物語。痛くて熱い。
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究極の「大学入試全廃論」

2015年01月18日 23時10分27秒 |  〃 (教育問題一般)
 「センター試験」、つまり「独立行政法人大学入試センター」によって行われる「大学入学者選抜大学入試センター試験」も終わった。翌日の朝刊に問題が載るから、昔は調べていたんだけど、あまりにも字が小さくて見えなくなってきた。大体、僕なんか今でも「共通一次」なんて口走ってしまう世代である。自分の時はそれさえなくて、国立は一期校、二期校と別れていた、今調べてみると、1979年から89年まで「共通一次試験」が行われ、1990年から「センター試験」になった。

 そのセンター入試も、今や抜本的改革が目前に迫っていて、2020年度(今の小学6年生が大学に進学する年)から「「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」に変えられる見通しになっている。この変更は、まあうまくいけば今より改善される面もあるけど、要するに試験制度というものは何をしようが一長一短。何にせよ、学校現場は大学や高校はもちろんのこと、教育界全体に大きな影響を与えることになる。要注目だけど、自分にはほとんど関係がないから、あまり細かな関心はない。それより、学校現場を離れたころから、いっそ「大学入試そのものを止めてしまっては」などと思うようになった。まあ、夢想であって実現可能性はない。だけど、一度書いておきたいと思うのである。

 僕の今言う「全廃」とは、「学力試験を廃止する(推薦入試のみにする)」とか「推薦入試を廃止する(学力試験のみにする)」とかを指すのではなく、本当に「大学入試そのものをなくしてしまう」ということである。つまり、「誰でも東大に入れる」ということになる。まずいでしょ、それはと多くの人は思うだろう。でも、東大卒を劇的に増やそうというのではない。勝手に入れるけど、学力が低くて付いていけなければ、卒業できないだけである。それでいいと思うということである。今は試験を課して入学者を選ぶから、「入れた責任」などと言って、学力不足の者に補習をしたり、学生が問題を起こすと大学が謝ったりしている。そんなことは本来全く必要ないことである。大学も推薦入試から始まり、余計な業務が多すぎる。私立大学は莫大な宣伝費をかけて豪華なパンフを作り、説明会を毎週のように行う。そんなこともいらない。「就活」なんてものもなくなる。学生の相当数が4年では卒業できなくなるので、3年生のうちから就職活動をすることはできなくなる(ようにしてしまう)。

 何で大学入試というものがあるんだろう?それは「入学者に一定の学力を求める」ということと、「教室やキャンパスにはキャパシティーの上限があり、授業で受け入れ可能な数に絞る必要がある」からということだろう。それはあらゆる組織(集まり)には皆つきまとう問題である。普通だったら、音楽やスポーツなんかの人気チケットは、「値段に差をつけて先着順」である。またはそれに一部「抽選」を加味する。しかし、学力差があるから大学入試を抽選にはできないし、人気のある大学や学部だけ入学金を高くするのもおかしいだろう。(東大医学部は入学金1千万、某地方私立大は入学金10万、とか「市場価格」で差をつけて「先着順」で受け付けるなどというのも、おかしな話だろう。)

 もちろん、入試を全廃してもキャパシティー問題が残ることは同じである。学校に入っても授業がなければ問題だから、高校や私立の小中などではやはり入試が必要だろう。でも大学生なんかは、配慮する必要があるのだろうか。つまり、東大に入りたければ入学金さえ払えば入れるようにする。だけど、必修の英語の授業なんかは希望学生が殺到することになるから、講座登録時に試験を課すことになる。それは各講座を担当する大学の先生が自由に問題を作ればいい。(今だって希望者が多いゼミなんかは、担当者が選抜してるのと同じ。)一応、「到達度テスト何点程度」といった目安はいるだろう。だから「到達度テスト」はあった方がいい。学力が低いのに東大に入りたい生徒は、勝手に入ればいいけど、一年間ひとつの授業も受けられないというだけのこと。それでも登録者は多くなるだろうから、どの講座でも目指すべき到達目標に達しない学生には単位を与えないことを徹底する。(どの大学でも。)

 今までは、入るのが大変だから「○○大学に入るなんてすごい」と、入っただけで評価される本末転倒が生じていた。でも、本来は入った大学で何を学んだかのはずである。入試をなくしてしまえば、東大に入ったからスゴイなどという人はいなくなる。「東大を卒業したのはスゴイ」ということになる。それは最後の最後の3月にならないと判らない。よって、就活も何もするわけにいかず、卒業出来てから初めて、次の活動を行うことにならざるを得ない。でも、もしそうなったら、そもそも大学に入る意味が全然変わってくるから、大卒で就職するということ自体が変るはずである。つまり、入試がないんだから、いつでも編入もできるし、いつ退学しても大したことはない。それどころか、高卒ですぐ大学へ行く必要も少なくなる。働いたり、留学したり、ボランティアしたり、様々な体験をしてから、大学でもっと勉強したくなったという人が増えるだろう。

 それより、そもそも自由にどこでも入れるなら、何も東大京大、慶應早稲田などと無理することもないということにならないか。無理して高い大学に入って、授業登録もできないくらいなら、自宅に近い大学で英語や必修の一般教養科目を取ればいいではないか。特に地方の高校生はそう判断する人も多いだろう。そこでじっくり勉強して、2年で辞めて専門課程は自分が本当に勉強したい分野の教授がいる大学に入り直した方がいい。もちろん、その時も編入試験はない。最後に卒業する大学は、やはり「ブランド」が求められるかもしれないが、卒業までに大学を変えたり、専門学科を変えるのは当たり前になっていくだろう。

 今書いたように、私立大学も入試をなくせばいいと思うんだけど、そうすると受験料収入が無くなってしまう。それは経営に大きな影響を与えるだろうから、大胆に公費で補助する必要がある。実質的に高等教育無償に近づける方がいい。国民経済全体から考えると、受験と受験準備にかけている家庭の私的負担がなくなるから、プラスになるんではないだろうか。浪人がいなくなるので、予備校は大変だと予想しがちだけど、自分の学力レベルを判断するためには全国模試がかえって重要になるし、大学に入ってからの勉強を支援する(そうでないと何年いても英語の必修科目を修得できない)という新しい需要が生まれるはずである。今は学校教育も社会全体も、どこでも良ければともかく「全国ブランド」大学へ入るには大変だから、経済力格差も影響するし、受験テクニックも必要になるし、高校以下の教育も進学指導に時間を取られる(あるいは、進学指導をネタに生徒を引っ張っていく)ことになる。大学入試なんてものをなくしてしまえば、本当に勉強したいときに本当に勉強したい大学へ行くようになるのではなかろうか。という夢想である。こんな「革命的」転換が日本で実現することはないだろうなあ。
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旧石器捏造事件を考えるー上原善広「石の虚塔」

2015年01月17日 00時16分19秒 |  〃 (歴史・地理)
 上原善広「石の虚塔 発見と捏造、考古学に魅せられた男たち」(新潮文庫)を読んだ。2014年の8月に出た本で、書評を読んで読みたいと思ったんだけど、なかなか入手できなかった。奥付を見ると12月20日に「第2刷」とある。年末にようやく書店で見かけたわけである。

 この本は、「岩宿の発見」から「旧石器捏造事件」に至る戦後日本の旧石器時代研究史を描いた傑作ノンフィクションである。相澤忠洋芹沢長介杉原荘介…と多くの人を追い続け、かの「藤村新一」にも会いに行っている。まさに「石に魅せられた者たちの天国と地獄」である。「藤村新一」とは、「神の手」を持つとまで言われた「旧石器捏造事件」の「真犯人」である。実は自分で埋めて、自分で「発見」していた。2000年11月5日の毎日新聞が証拠の映像をもとにスクープ報道したのである。

 著者の上原善広(1973~)は、2010年に「日本の路地を旅する」で大宅賞を受賞したノンフィクション作家である。「差別と教育と私」など多数の著書があるが、被差別をテーマとする本が多い。そこから出発した人だけど、様々な分野でも書いていて注目すべき人だと思う。この本に関心が持ったのは、自分も幼い時に相澤忠洋「岩宿の発見」を読んで感激し、考古学に憧れたからだ。日本では毎年のように注目すべき考古学的発見があるから、新聞を切り抜いたり、「考古速報展」を見に行って、最新情報を教材化することに務めてきた。だから、後に捏造と判る遺跡の「発見」も授業で取り上げた。秩父で「発見」された「秩父原人」などは、わざわざ報告会を見に行ったぐらいである。

 この本を読むと、「岩宿の発見」以後の考古学界の派閥学閥の争い、ある意味では「人間的」ないさかいが延々とつづられている。学者も人間だし、「仕事」でやってるんだから、政治や会社の世界と同じく「真実」や「正義」だけでは動かない。特に考古学の世界では、「新発見」により学説が全く覆ることがあるから、自然科学の世界と同様に「先陣争い」が激しくなる。この本を読むと、知らない人はビックリして幻滅するかもしれない。しかし、どこも似たようなもんだろうと思う。特に考古学の石器や土器などは、新彗星や化石のように、全くのシロウトが発見してマスコミに載る可能性がある数少ない学問分野である。だから「有名な在野研究者」が多数存在して、大学の研究者と協業もするけれど、「業績の搾取」も起こる。この本は、前期旧石器研究に賭けた熱血青春記でもあるが、そのイザコザの究明書でもある。「人間研究」として抜群の面白さがある。

 ところで、僕は「慰安婦」を授業で取り上げる際に「吉田証言」を使ったことはない。(それは産経や読売の主張と違い、「慰安婦問題の根幹は強制連行の有無」ではないのだから当然である。)しかし、どうして「捏造旧石器」は授業で取り上げたのだろうか。もちろん、それは僕の間違いとは思っていない。高校までの授業では「文部省(現・文部科学省)検定済みの教科用図書(教科書)」を使用することが義務付けられている。その検定済み教科書に、後に捏造と判定された座散乱木遺跡(ざざらぎ=宮城県にあった遺跡で、国の史跡に指定されていた。旅行中に寄ったこともある)の名前などが載っていた。触れない方がおかしいわけだ。でも、それだけではない。

 一つには「考古学愛好者」「歴史ファン」という存在、それはつまり自分自身でもあるが、そういう人が「わざわざ自分で埋めて自分で発掘する」なんてするとは思ってもみなかったのである。警察が冤罪事件の証拠を捏造する(例えば、宮城県でおきた死刑再審事件の松山事件)は、ありうることだと思っていた。いろいろな事件を見てきて、「警察ならやりかねない」と思っている。歴史の世界でも、「偽文書」というものはよくある。(現代史では「田中上奏文」が有名である。)主義主張に合わせて史料を改ざんする例もあるし、古い時代のものと偽って自分で壮大な史書を書く人もいる。だから、石器を捏造する人がいても不思議ではないと今では思えるけど、自分の部屋で一人でできることと違い、人が見ている前でモノが実際に出てくるのである。まさか、それが仕組まれていたとは!

 自分の人間観を揺さぶられた体験だったけど、さらに考えてみると、「自分の中のナショナリズム」という問題がある。もともと「岩宿の発見」、つまり日本に旧石器時代があったという証明は、戦後歴史学の「皇国史観からの解放」を象徴する出来事だった。戦前の歴史教科書では、神話から天孫降臨、神武天皇即位と続く。しかし、イザナギ・イザナミが日本を「国生み」する以前にも、大陸とつながった「列島になる前の日本」が存在し、そこに人類が存在したのである。「石器」は、「労働」のための「道具」である。石器を使った労働を通して人類が発達・進化していく、その歩みが日本でも実証できる。そういう「唯物史観」と「ナショナリズム」の合体した熱気が、旧石器研究を支えてきたのだと思う。

 それが東北の地で、しかもアマチュア研究者の手によって、どんどん古い地層からも旧石器が出てきた。最後の頃になると、世界の原人研究を覆すような大発見である。その真偽を疑わなかっただけでなく、(有名な学者やマスコミ、さらには文部省さえ認めていたのだから、専門外の一教員が普通は疑わない)、僕にはその「新発見」が生徒に歴史研究の面白さを伝える絶好の教材と思えたのである。五輪やワールドカップを地理の授業に生かすように。日本で世界の人類を塗り替えるような発見が相次いでいること、しかもアマチュア研究者が関わっていることが重要だったのである。この「事件」の教訓は、とても大きいと思わざるを得ない。

 この本によれば、元々の端緒を作った人物は、原発事故に襲われた福島県浜通りのある場所に住んでいた。解離性障害(つまり多重人格)と診断され、精神障害者と認定されて精神障害者のための作業所に行っていた。事故後は行けなくなったようだが。その境涯をどのように思うか。自分が今、同じような場所に関わっているので、非常に強い関心を抱いた。この人物の栄光と失墜は、多くの人にとって決して人ごとではないと思う。「だます」「だまされる」は今も世の中に絶えない。僕が思うのは、「神の手を持つ男」に対して「そんなの、普通に考えたらありえないでしょ」と疑いを持てた人がいるという事実である。だから、なんであれ「疑ってみる」「常識で考える」という姿勢を欠かしてはならないと思う。強烈な人間が何人も出てきて、旧石器や考古学に関心を持たない人でも面白い本。
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映画「6才のボクが、大人になるまで。」

2015年01月14日 21時33分44秒 |  〃  (新作外国映画)
 アメリカ映画「6才のボクが、大人になるまで。」を見た。去年の11月4日公開で、今もロードショーをやっている。評判が高くなってきて、ずいぶん長くやっている。キネマ旬報ベストテン2位で、米国アカデミー賞の前哨戦と言われるゴールデングローブ賞のドラマ部門作品賞、監督賞、主演女優賞を得た。ニューヨークとロサンゼルスの映画批評家協会賞で、どちらも作品賞、監督賞を得ている他、昨年のベルリン映画祭監督賞も受けている。賞を得たからというわけでもないけど、確かにこれは映画ファンなら見ておかなければいけない作品ではある。アメリカに関心がある人も必見。
 
 監督賞を軒並み取っているけれど、では誰かと言えばリチャード・リンクレイター(1960~)という人である。最近外国人の名前を覚えられないんだけど、「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離」「ビフォア・サンセット」「ビフォア・ミッドナイト」というイーサン・ホークとジュリー・デルビーという二人の出会いと別れ(と出会いと別れと出会い)を9年ごとに描いてきた3部作で知られている。他にも、「スクール・オブ・ロック」とか最近では「バーニー/みんなが愛した殺人者」などを作っていて、そう言われると思いだす人である。ビフォア・シリーズは同じカップルで9年ごとだけど、今回の「6才のボクが、大人になるまで。」は、家族4人同じキャストで毎年少しづつ作りためて、12年間を作品にまとめたという仕掛けで、これまでどんな映画監督も考えたことがないような映画になっている。まあ、ドキュメント映画にはあっただろうし、その意味ではドキュメント的な映画。

 というか、ミニマリズムとでもいうべき、ごく小さな世界を見続けていくだけなんだけど、6才の子どもが高校を卒業してしまう歳月だから、けっこう長い。アメリカや日本では大体の人は高校まで行くので、誰しも思い当たるような青春の人生行路、あるいは大人(親)との関わりのいいところもあるし、うっとうしいこともある様々の出来事が描き出されていく。イラク戦争や大統領選挙など時事的なテーマも出てくるけど、それはアメリカのこの間の歩みが当然反映されている。しかし、それよりも「家族」のあり方、その変化が見ていていろいろ感じるところで、アメリカ社会というものを考えさせられる。ただし、題名からしても主人公は18歳になるんだろうなと思ってみた。進路選択や恋愛など悩みはあるとしても、まあ主人公は死なないんだろうな、と。これが同じ12年間のイラクの話だったら、家族が死んだり、外国へ逃げたりといったことが出てくるかもしれない。普通の劇映画だったら、主人公が事件に巻き込まれたり、自殺するなどの展開もあるのかもしれないが、この映画に関してはそういった展開はありえない。

 最初になんだか判らない感じで母と二人の子(姉と弟)が出てくる。見ているうちに、だんだん人生のありようが判ってくるので、ここでは細かく書かない。どうなってんのかなと見てて、判ってくるところが面白い。母親はパトリシア・アークエット(ロザンナ・アークエットの妹)で、これは生涯の代表作になるだろう。とにかく圧倒的で忘れがたい。最初は応援して見ていたんだけど、最後の頃はまた同じ失敗かよと思わせる人生をうまく演じている。それでも一度は諦めたキャリア設計をやり直し、心理学を学び直して大学で教えるまでになるのは、アメリカならではといえる頑張っている女性ではある。父親はイーサン・ホークで、どうなってしまうのかと思う人生を何とか立て直していく。実際に民主党支持者だというが、「ABB(ブッシュ以外なら誰でも)」と子どもに教えたり、オバマのポスター版を立てる作業を子どもにやらせたりするところも面白い。子どもの方は、男のメイソンは、エラー・コルトレーン、姉のサマンサはローレライ・リンクレイターという監督の娘が演じている。

 撮影は監督の生まれたテキサス州で行われているが、家の事情や大学の場所などの関係でヒューストンやオースティンなど移り変わる。テキサスも広いので地図で確認してしまった。離婚と再婚の多さ、キャンプやパーティの持つ意味、戦争、銃、アルコール、マリファナ、男女交際…アメリカの中流白人家庭の「普通の生活」が垣間見えてくる。アーティスト気質のメイソンは学校での生き方もけっこう大変そうで、それは本人の性格もあるだろうけど、これだけ親にいろいろあると子どもは大変だなあと思った。それでも人生は続いて行くし、何かは起きていくのである。振り返ってみれば「いろいろあった」としかまとめられないかもしれないが。

 人生を、あるいはアメリカを考える意味で、非常に面白くタメにもなる。子育てや思春期を考えるためにも。子どもたちはケナゲだし、見ていて「癒される」という点は確かにある。監督が「努力賞」に値するのも間違いない。アメリカでは観客にも批評家にも受けが良かった。今後のアカデミー賞でも受賞が期待される作品だろう。その意味でも必見の映画ではあるが、僕はこの映画がものすごく好きなわけではない。どうしてだろう?僕は今の世界を理解するためには、「リアリズム」に基づく描写だけでは不十分だと思っていて、「マジック・リアリズム」的な作品の方が好きなんだと思う。「リアリティのダンス」とか「グレート・ビューティ―」のような。でも、まあよくこんな映画を作ったなあという映画には間違いない。
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竹信三恵子「ピケティ入門」

2015年01月13日 23時37分08秒 | 〃 (さまざまな本)
 ピケティ、ピケティといつの間にか、その名をよく聞くようになってきた。一昨年ぐらいから話題にのぼり始め、昨年暮れにはついに大著「21世紀の資本」が翻訳された。もうすぐ来日する予定だから、これからますます話題となるだろう。トマ・ピケティ(1971~)はフランスの経済学者で、パリ経済学校教授。しかし、本屋で直接「21世紀の資本」見てみればすぐ判ると思うけど、ものすごく分厚くて、自分にはとても読み通せそうもない。中公新書「日本銀行と政治」という本を買って読み始めたけど、そんな新書本でさえ難渋している。でも、ピケティはヨーロッパだけではなく、アメリカ、中国などで広く関心を読んでいるようだから、一応どういう主張の本なのかつかんでおきたいなと思う。

 そういう人には、竹信三恵子「ピケティ入門」(金曜日、1,200円)が役に立つだろう。竹信さんは和光大学教授で、新聞記者時代から格差社会の現場を取材してきて、「家事労働ハラスメント」「ルポ 賃金差別」などの本がある。経済理論というより、要するに日本はどうなんだ、アベノミクスはどうなんだという関心に沿って書かれている本。まあ、僕はこの本でいいな。

 簡単に章立てを紹介しておくと、次の通り。
第1章 『21世紀の資本』とは何か
第2章 ピケティの解決策
第3章 ピケティと日本の格差
第4章 ピケティから考えるアベノミクス
第5章 私たちに何が必要か

 経済学の解説っぽいのは最初の方だけで、この本のほとんどはピケティに触発されて日本の現実を考えるところにある。最初のほうもわかりやすく解説されているので、じっくり読めば大体判ると思う。でも、まあ一応その経済学っぽいところを紹介しておくと、この本は18世紀以降の租税統計が比較的整っているフランス、イギリスを中心にして、約300年間の富の集積を分析した本だという。理論的には「マルクスの直観とクズネッツの税関係をもとにした数量分析という長所を生かした」ものである。マルクスは資本の集積が極限まで進むと、資本主義は自壊して共産主義革命が起きると考えた。しかし、労働者の賃金も購買力もあがり、マルクスの考えた資本主義崩壊は起きなかった。これはテクノロジーの進歩と生産性の増大を無視していたからだという。しかし、マルクスの考えた「資本の無限の集積の原理」は今もヒントになるのだというのである。

 クズネッツは第二次大戦後のアメリカの経済学者で、1971年度ノーベル経済学賞受賞者。米国の所得税統計や国民所得のデータをもとに、経済発展初期は格差は増大するが、その後経済成長によって中間層が増え格差は縮小するという「クズネッツ曲線」を唱えた。クズネッツの理論は、テクノロジーの発達と生産性の向上によって、米国の格差は縮小を続けているというもので、冷戦時代に資本主義の優位を証明する理論という意味合いがあったという。しかし、ピケティによれば、クズネッツの根拠は1914年から45年前後のデータに基づくものであって、その時代は確かに格差は縮小したけれど、300年規模で見ると、その時代の方が例外なのだという。20世紀が例外だったのは、一つには両大戦と大恐慌があり階層の流動性が激しかったこと、また戦時中は富裕層でも高率の所得課税を拒否できなかったからである。戦時中は低所得者の負担も大変だったので、金持ち階級も増税を受け入れざるを得ないし、自国が負けては元も子もないからである。

 さて、国民の年間所得の合計を「国民所得」と呼ぶ。一方、一国の「資本の総体」(不動産や金融資産、工場や機械や特許などから人的資本を除いたもの)を求め、両者の比率を見る。
 「資本/所得」=β βが大きいほど、貯めこんだ資産が大きいことを示す
 この「資本」は一定の収益を上げるわけだが、その収益が資本の何%になるかが「収益率」
 その収益率をγ(ガンマ)と呼ぶ。 
 「国民所得のうちの資本の取り分」をαとすれば、国民所得の中の資本の比率が先に見たβだから、
 α=γ×β資本の第一原則

 はい、そろそろ全然判らなくなると思うけど、これは「国民所得のうち、資本が稼ぎ出す所得がどのくらいかは、資本の集積度にその収益率を掛ければわかる、という程度のものです。」何だ、当たり前というか、単なる定義に近い。前の数式もよく見れば、その程度のことを言っていると判る。

 で、「資本の第二原則」を書くだけ書いておく。
 α(資本/所得比率)=s(貯蓄率)/g(経済成長率)
 このあたりは直接本で読んでもらうとして、実際の資本集積度を見てみると、ヨーロッパでは19世紀に「6~7」程度まで上昇、つまり格差が拡大したものの、20世紀に下がり続け「2」程度までになった。その後、だんだん拡大し、今は「5」倍程度だという。アメリカは1930年代に「5」まで上昇するが、大恐慌で「3」程度に下がり、その後だんだん上昇して「4」程度になっている。日本はバブル時代に「7」と極大化するが、今は「6」程度だという。(アメリカより日本やヨーロッパの方が格差が大きいというのは実感に反する感じもするが、人口停滞社会になっている日欧に比べ、アメリカはまだ人口増加国家で経済規模が拡大しているからだろう。)

 ピケティの言うところによると、格差は放っておくと拡大し続ける。平等社会の印象が強いスウェーデンなんかでも、やはり大戦後は格差が拡大し続けているという。よく考えてみれば当たり前である。資産は相続を通じて固定される。だから大恐慌や大戦争でもない限り、格差は広がるはずである。また食費や住居、光熱費などは、確かに金持ちほど豪勢に使っているだろうけど、人間である以上消費の限度がある。超高額所得者は余った分を単に貯蓄するのではなく、有利な投資に回しやすい。中間層でも株や投資信託を購買できるけど、100万円の株が5%上がっても5万。手数料を考えれば売っても大した得ではない。でも、1億円の株を持っていれば、一日で数百万が増減する。高いところで売って、それを再投資することを何十年続けて、子孫がそれを受け継ぐ。有利な投資話は一括で高額投資ができる金持ちに集まるから、そういう情報格差もある。爪に火をともし続けてやっと自宅を買えるという程度の庶民の財産とは訳が違う。相続税がいくらだろうが、基本的にはだんだん資本は集積し続けるということである。

 その解決策としてピケティが提唱するのが、「国際資本税」だというのは結構知っている人も多いだろう。それだけ聞くと、実現不可能という感じがするが、そうでもない、だんだんそういう方向に向かうのではないかという気もした。その辺は本で読んでもらうとして、実現するならヨーロッパ(EU)あたりから実施されていくんだろうから、ここでは触れない。民主的な政治体制を共有する地域共同体がアジアではまだ構想できない。東アジアでは「冷戦」が完全には終わってないのに、グローバリズム経済に巻き込まれてしまっている。そのような特殊性があるので、まだまだ地域的な共同資本課税は実現できそうもないだろう。

 日本の格差の現状、アベノミクスでは格差が拡大するといった論点はここでは詳述しない。是非、直接本書で読んで欲しい。僕が思ったことは、中曽根内閣から始まる所得税の累進課税の引き下げが間違っていたということである。金持ちの累進課税を引き下げたからと言って、大盤振る舞いをして「トリクルダウン」するわけなくて、実際は拡大した格差が世代を超えて引き継がれていくだけである。それはともかく、そのことは僕も今まで思っていたけれど、累進課税を強化したところで大した税収になるとも思えず、かえって高額所得の海外移住が本当に起こるという面も否定はできないのかと思ったりもした。しかし、問題はそこにはないのだと理解できた。累進課税が低率だと、多国籍企業の経営者があまりにも多額の報酬を得る現状を阻止できない。何億円貰っても、半分以上が税金ならもっと低額でも実質所得は同じである。それが引き下げられると、自分の懐にたくさん入るのだから、高額報酬を求めるのは当然だろう。しかし、さすがに業績が不振なら自分でお手盛り高額報酬を要求しにくいだろう。そうすると、経営者は「短期的な業績を挙げる」ことを目標としてしまう。正社員を派遣社員に置き換えたり、従業員の給与を抑えるというのは、短期的に業績を挙げたように見せる「うまい手段」である。だから経営陣が長期的視野にたった経営を行うためにも、累進課税が重要だということなのである。

 また格差が大きくなることで、「格差が見えなくなる」弊害も大きいと思う。有力政治家3代目ともなると「恵まれない人」、崩壊家庭や病気などで高校にさえ通えない若い世代が多数いるという現状さえ、考えたこともないし、全然目に入らないのではないか。政治家や官僚だけでなく、新聞やテレビの記者、教員なども大学を出てなるので、生活保護家庭の状況など接したこともない場合がほとんどだと思う。声を挙げられない人々がまず接する学校や行政の担当者が「格差」を感じ取れない。それこそが経済を超えた「社会的格差」、社会の分断状態で、それこそが「放っておくと拡大する」大問題なんだと思う。

 (なお、1984年までは8000万超の所得には75%の累進課税が課されていた。それが70%、60%とだんだん引き下げられ、現在は「1800万以上が40%」が最高税率となっている。来年度からは4000万以上は45%と引き上げられる。30年前の8千万と、現在の1800万では意味が全然違う。現在のように、何億円も取る経営者が多数いる時代に、この税率ではあまりにも低すぎたというべきだろう。4000万で45%でも低い。1億以上で50%程度は最低限ではないか。当然だけど、高額所得者でも必要経費を除き、それに控除がある。また株式売買や配当収入は別立てで税を払うので、資産家ほど有利となる。税率が下げられてきたのは、新自由主義による経済学者が「累進課税は不公平」などと主張したことが大きいだろう。竹中平蔵などは、頑張った成果が所得だからそれに税を掛けるのではなく、社会を維持するための税は「人頭税」が望ましいという極論を持っているらしい。)
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青木理「抵抗の拠点から」

2015年01月12日 21時41分39秒 | 〃 (さまざまな本)
 青木理(あおき・おさむ)氏の「抵抗の拠点から 朝日新聞『慰安婦報道』の核心」(講談社、1,400円)の紹介。2014年12月16日付で出版された本である。青木理氏(1966~)は元共同通信記者で、06年に退社後はフリーで活動しているジャーナリスト。警察、検察等の捜査を鋭く追及する本を何冊か出しているから、今までにも読んだことがある。信用できるジャーナリストである。

 この本は、「朝日バッシング=歴史修正主義と全面対決する。」と帯にうたわれ、「闘うジャーナリストが、右派のの跳梁に抗する画期的な一冊!」とある。それだけで中身を言いつくしているような本。こういう本を出す人はいないのかと思っていたけど、やはり書いてくれる人がいた。

 「朝日新聞バッシング」に関しては、昨年9月に8回を費やして、このブログでも触れた。朝日新聞に対する週刊誌等の「罵詈雑言」「ヘイトスピーチ」があまりにも常軌を逸していて、単に「誤報を正す」というだけではない事態となっていたからである。特に、「歴史の中の朝日新聞」「『朝日はやっぱりスゴイ』考」「『誤報』を恐れず『未報』を畏れよ」の3回では、朝日新聞問題を「日本の言論空間の今後を左右するような思想、政治的な問題」であり、「中央紙の論調を屈服させようという明確なプログラムをもって進められている『政治闘争』」だと指摘した。特に、朝日新聞を歴史的に振り返ってみると、「今、朝日新聞を徹底批判し、屈服させ、論調を少しでも変えさせれることに成功すれば、『憲法改正への道も切り開かれてくる、そこまで、あともう少し』と安倍政権には見えているのではないか」とも書いた。

 青木氏の問題意識もおおむね僕と同じようなものではないかと思う。僕はその時に「慰安婦」問題そのものは触れなかったのだが、今回の青木氏の本は「慰安婦報道」を中心に検証している。まず当時時々刻々と書かれた文章(「サンデー毎日」と「世界」に掲載されたもの)が1章と2章。そして、第3章は朝日の関係者に会って取材したものである。取材対象者は、植村隆若宮啓文市川速水外岡英俊の諸氏である。(他にも会っているけど、インタビューが掲載されている中心人物は以上の4氏。特に最初の3氏。)このインタビューを読めば、「慰安婦」報道をめぐる朝日批判がいかにずれたものだったか、思いこみでなされた政治的なもの、いや、それ以下のよく知りもせずうっぷん晴らしのために作られたものかがよく判るだろう。(例えば、慰安婦問題に少しでも知識があれば、植村氏の義母が「太平洋戦争遺族会」の関係者だったということで、「挺身隊問題協議会」に相談していた金学順(キム・ハクスン)を紹介されたのではないかなどと邪推して非難するわけがない。大体そういうことがあったとして何が悪いのか判らないが、「挺対協」と「遺族会」の関係を何も知らないのである。)

 朝日内部の問題は、この本を読んでずいぶん知ることができた。その必要性があるのか、ないのか、よく判らないが。それを読んで判ることは、朝日の「紳士性」あるいは「エリート性」のようなもので、安倍政権が網を張って待ち受けている時代に、あまり準備もせずに身を投げ出してしまったナイーブさのようなものを感じる。強く批判されることは想定したかもしれないが、「売国奴」「国賊」などと「街宣右翼」や「ネトウヨ」が言うのならともかく、大手出版社が出している週刊誌や雑誌が書きまくる、そしてそれを同業他社がほとんど批判の声を挙げないとは思わなかったのではないか。日本社会は、あっという間に「劣化」「変質」していたのである。どうして朝日首脳部は、世の中を読み間違ったのか。これから考える課題はそれだろう。そして、前にも書いたように、首脳部が仮に「恭順」しても、マスコミの一人ひとりが「高杉晋作」となって決起することを望んでいる。

 僕にしても、この段階では朝日問題を歴史的な問題だとは意識していたが、年末に総選挙を仕掛けてくるとは全く想定していなかった。多分、官邸はそこまで読み込んで、「吉田調書」を産経や読売にリークしたのではないかと推測してしまうのである。さて、この本を「右」の人々が読んで、納得するということは考えがたい。「反知性主義」を売り物にしているようなところがあるから、関連書を買って読もうとは思わないだろう。どうせ「左のたわごと」としか思わないのではないか。ホントはそういう人こそ読むべきだろうけど、まあそれはさておき、「彼ら」は読まずとも「われわれ」は読んでおきたい本である。このぐらいは共通理解して先に進みたいと思う。(なお、慰安婦問題はいずれ書くと述べたままになっているが、多くの文献を読み直すのが大変で今もまだ書ける状態ではない。でも、関連書を買い続けているので、いつかまとめてみたいのだが、つい信長関連本を先に読んだりしてしまう。)
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直木賞作品の映画史②

2015年01月11日 01時17分51秒 |  〃  (旧作日本映画)
 直木賞受賞作の映画化作品を振り返ってみる。単なる映画史の好事家的な話。直木賞受賞作家については、前に「僕の好きな直木賞作家」を書いた。僕の好きな作家はほとんど映画になっていない。栄えある第一回直木賞受賞作家は、川口松太郎。母もの女優として知られた三益愛子と結婚して、子どもの川口浩らも俳優となった人。だから、映画化作品も多いし、本人も大映の重役を務めた。

 第一回受賞作は「鶴八鶴次郎」「深川風流唄」「明治一代女」と3作品に与えられ、全部映画化された。一番有名なのは成瀬巳喜男監督の「鶴八鶴次郎」(1938)だろう。長谷川一夫、山田五十鈴の芸道もので、戦後にリメイクされているが、僕は成瀬作品しか見てない。「明治一代女」(1955)は伊藤大輔監督作品。案外の拾い物は、山村聰が監督した「風流深川唄」(1960)で、美空ひばり、鶴田浩二主演。日本の「卒業」と言えるような、ちょっとビックリの快作。

 その後は戦前、戦中期に海音寺潮五郎井伏鱒二村上元三山本周五郎など、後に映画、テレビなどでたくさん映像化された作家が受賞しているが、受賞作の映画化はないのではないか。あったのかもしれないが、少なくとも映画史上で有名な作品はない。井伏鱒二はどちらかといえば純文学系だが、「ジョン萬次郎漂流記」では当時は映画化は難しかったのか。戦後になると「本日休診」「集金旅行」「駅前旅館」「黒い雨」など多数の名作映画の原作がある。

 戦後になっても流れは変わらず、源氏鶏太柴田錬三郎藤原審璽などぼう大な映画原作を提供した作家たちも、受賞作は映画になってないと思う。二・二六事件を扱った立野信之「叛乱」(1952)が1954年に佐分利信(途中で病気降板して阿部豊に交代)によって映画化されている。その後の映画としては、梅崎春生「ボロ屋の春秋」が中村登監督、今東光「お吟さま」が田中絹代監督(後に熊井啓がリメイク)、山崎豊子「花のれん」が豊田四郎監督、城山三郎「総会屋錦城」が島耕二監督、黒岩重吾「背徳のメス」が野村芳太郎監督で、それぞれ映画化されている。ベストテンに入選するほどの映画ではないが今見ると案外面白い。

 60年代初期では、川島雄三が監督した水上勉「雁の寺」(1962)の映画化がいい。若尾文子を囲う禅寺の住職三島雅夫とのからみがすごい。もっとも水上勉(ちなみに、読みは「みずかみ」)原作映画は「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」「湖の琴」「越前竹人形」「越後つついし親不知」「あかね雲」「はなれ瞽女おりん」などなど傑作がいっぱいある。「雁の寺」が傑出しているとは言えないが、原作者の若い頃の苦労が反映されている意味では貴重だ。一方、山口瞳原作の飄逸味を巧みにエッセイ映画にしたのが、岡本喜八「江分利満氏の優雅な生活」(1963)で、60年代初期のサラリーマン生活の証言としても貴重。岡本監督の軽いタッチが効いている。59年の司馬遼太郎の受賞作「梟の城」は、工藤栄一(1963)と篠田正浩(1999)と2回映画化されている。
(「雁の寺」)
 60年代後期から70年代では、野坂昭如「火垂るの墓」がアニメや実写映画になっていて一番有名。誰でも知っている作品だから、特に書かない。生島治郎「追いつめる」も舛田利雄監督で映画化されている。結城昌司「軍旗はためくもとに」は原作はあまり大衆性がないが、深作欣二の演出、左幸子の演技で戦争責任を鋭く問う戦後屈指の戦争映画の傑作となった。映画の方がいい。74年の藤本義一「鬼の詩」は村野鐵太郎監督がATGで映画化した。上方の破滅型落語家を描いて、映像だと小説以上に凄惨な感じがして好きになれなかった。

 75年の佐木隆三「復讐するは我にあり」(1975)は、新日鉄出身の労働作家から犯罪小説家になった記念碑的傑作だ。それを今村昌平が1979年に映画化。日本映画学校の運営に没頭していた今村の久方ぶりの映画だが、ものすごい傑作で驚いた。緒形拳の主人公もいいが、犯罪者の父を演じた三國連太郎もすごい。小説も面白いが、映像にしてこれほどの迫力が出るのかという好例だろう。
(「復讐するは我にあり」)
 三好京三「子育てごっこ」は今井正が映画化した。宮尾登美子向田邦子らあれほどたくさん映画化された作家も受賞作は映画化されていない。80年代に入って、つかこうへい「蒲田行進曲」深作欣二が映画化してベストワンになった。1982年の村松友視「時代屋の女房」は1973年に森崎東監督で映画化。夏目雅子がいい。ミステリ作家として再評価著しい連城三紀彦は84年に「恋文」で受賞。神代辰巳が映画化して、倍賞美津子がキネ旬、毎日映コン、日本アカデミー賞と女優賞独占の評価を受けた。

 90年代になると、芦原すなお「青春デンデケデケデケ」が、すぐに大林宣彦によって映画化された。四国の高校生の音楽青春記でとても面白くて、素晴らしい。こういうのも小説だと音がないから、映画にした方が効果的である題材だろう。大林作品でも好きな映画である。93年の高村薫「マークスの山」崔洋一が映画化、まあ事前に心配したたよりは面白かった。97年の浅田次郎「鉄道員」(ぽっぽや)は高倉健主演で有名なので、触れない。宮部みゆき「理由」大林宣彦が映画化しているが、上映機会が少なく見ていない人もいるだろう。原作を巧みにまとめているが、僕は原作自体があまり面白くなく、映画も同じ。なかにし礼「長崎ぶらぶら節」は、深町幸男監督で映画化。吉永小百合が土俵入りするシーンがあった。乃南アサ「凍える牙」は韓国で映画化されたけど、見ていない。

 20世紀終わりの直木賞から、キネ旬ベストワン映画が2作作られた。車谷長吉「赤目四十八瀧心中未遂」(98)は荒戸源次郎監督で映画化(2003)されたけど、寺島しのぶがあまりにも凄くて、映像化したことの力を痛感した。金城一紀「GO」行定勲監督が映画化して、ベストワンになっている。在日韓国人家庭を描くが、山崎努、大竹しのぶの父母というのはなあ。うまいけど、どういう人か知り過ぎている。主人公の若者は、窪塚洋介、柴崎コウだった。僕は1位と思わなかったけど、今見直すとどうなんだろうか。その後は大体前回書いたが、大森立嗣監督による「まほろ駅前多田便利軒」がシリーズ化されている。これはこれで、松田龍平、瑛太のコンビに慣れてしまえば、原作もそういう目で読めてしまうから違和感もすくなくなるか。僕は最初に見た時は原作の感触との違和感もあったのだが。
(「赤目四十八滝心中未遂」)
 さて、こうしてただ並べているだけで長くなってしまったけど、あえて順位をつければ、①復讐するは我にあり②軍旗はためく下に③赤目四十八瀧心中未遂④私の男⑤青春デンデケデケデケ、がベスト5かな。次点が「蒲田行進曲」「雁の寺」「恋文」あたり。
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「私の男」と「蜩ノ記」-直木賞作品の映画史①

2015年01月10日 00時42分47秒 |  〃  (旧作日本映画)
 2014年のキネマ旬報ベストテンの映画が発表された。ベストワンは邦画が「そこにみにて光り輝く」、洋画が「ジャージー・ボーイズ」で、自分とは違うけど、まあ下馬評通りで意外感はない選出かと思う。さて、日本映画では直木賞受賞作品の映画化である「小さいおうち」が6位、「私の男」が7位、「蜩ノ記」(ひぐらしのき)が10位とそれぞれ入選している。そこでこれらの作品を中心に、今までの直木賞受賞作品の映画史を振り返ってみようという企画。

 直木賞は「大衆文学」の新人作家に与えられる登竜門的な賞である。芥川賞と違って、長編も対象にしている。また、ある程度これからも活躍して行けるかどうかを見極め、「作家」に与えられる性格が強い。だから、宮部みゆき「理由」、佐々木譲「廃墟に乞う」など明らかに遅すぎる授賞が結構ある。芥川賞の名前は芥川龍之介だと誰でも知ってるけど、直木賞の直木三十五は今ではほとんど読まれていない時代小説家である。初期のころから、時代小説や風俗小説が受賞しやすく、ミステリーは受賞しにくい印象が強い。SFに至ってはまず無理で、だから小松左京や筒井康隆さえ受賞できなかった。

 直木賞の性格上、完成された「大衆文学」の長編が選ばれるので、映画化に向いている。受賞作はベストセラーになるので宣伝上も有利だし、ストーリイは面白いに決まってる。芥川賞も最近の例では「苦役列車」(西村賢太原作、山下敦弘監督)や「共喰い」(田中慎弥原作、青山真治監督)のような傑作もあるが、あまり映画化はされていない。直木賞受賞作の映画化では、近年は「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん原作)、「利休を見よ」(山本兼一原作)や「容疑者Xの献身」(東野圭吾原作)などがあり、また今年も「悼む人」(天童荒太原作)の公開が控えている。それにしてもベストテンに一度に3作も直木賞作品の映画化が入った年はないだろう。

 直木賞受賞作の映画はずいぶん見ているが、評価が難しい場合が多い。事前に物語が知られていて、その絵解きで終わるような映画も多い。また原作が長編の場合が多いので、映画化するには話を簡単にしたり、登場人物をカットしたりすることが多く、原作が好きな場合それだけで幻滅したりする。映画そのものの評価が難しいのである。原作も凄くて、映画もまた圧倒的に凄いというのは「復讐するは我にあり」ぐらいではないか。今回の3作品の場合、僕は当然のこととして原作は読んでいた。「小さいおうち」も「私の男」も「蜩ノ記」も、ストーリイに謎が秘められているが、その真相は判っていたし、展開も事前に知っていた通りだった。

 さて簡単に各作品を見ておくが、「小さいおうち」は見てから時間が経ってしまい、少し細部を忘れかけている。中島京子の原作そのものが、少し世界が小さい感じを免れない。「小さいおうち」は小説だけではよくイメージできなかったところがあり、映画になって家の構造がよく判った。昭和初期の東京の新興ブルジョワ階級の都市生活を可視化した功績は大きい。でも、現在の倍賞千恵子と妻夫木聡のシーンが興ざめなほど現実感がない。ベルリンで女優賞の黒木華(女中)と松たか子の奥さまとの関係シーンは素晴らしいが。原作はかなり忘れているが、調べてみると映画化に当たり少し簡素化されているようだ。山田洋次監督の演出は手堅いが、山田作品やはり藤沢周平三部作が最後の輝きなのか。
 
 映画的には熊切和嘉監督「私の男」が一番すぐれている。桜庭一樹の原作は、けっこう長くて複雑で、時間をさかのぼる書き方になっている。それを時間通りに配列し直したシナリオ(それでも時間が結構前後するが)は、映画化には不可欠だ。このインモラルな物語を描くのに多少の無理もある気もしないではないが。モスクワ映画祭作品賞主演男優賞(浅野忠信)を得たが、僕は浅野以上に、花を演じた二階堂ふみの驚くべき存在感こそがこの映画を成立させていると思う。

 でも、冒頭のシーンをどう思うか。原作を読んでいれば、それが1993年の奥尻島大津波であり、登場人物の人間関係をすでに知っているわけである。知らないで映画を見ると、どうなんだろうか。僕はこの映画を2回見て、やはり単なる絵解きではないと思った。主演の2人の存在感が生きている、また奇跡のような流氷のシーンを見るだけで、映画にした意味があったのだと思った。原作をどうとらえるべきか難しい面もあるが、この背徳と転落の物語はよく映像化されていると思う。見てない、読んでない人のためにこれ以上のストーリイ説明は避けておく。

 「蜩ノ記」は葉室麟の傑作時代小説で、原作の感動は3作中一番。その物語を映像で見られるのはうれしいが、どうも絵解き感がしなくもない。「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」といった「感動作」を作ってきた小泉尭史監督の演出は、例によって安定とも言えるし、手堅く不安なく見られる代わり、先が読めて驚くシーンがないような映像である。そこが難しいところで、原作の感動が映像化されると、今度は字で読めば良かったような気がしてしまう面もある。

 原作は九州が舞台だが、映画は東北で撮影された。風景は非常に美しい。原作が好きなら感動するけど、原作だけでも感動する。そこが難しい。ただし、この映画は多くの人に見て欲しい。役所広司の演技も当たり前に凄くて特に驚くほどのものはないんだけど、知らないのは損だと思う演技ではある。感じるところの多い原作の設定であり、それを見事に映画化した。それが大手柄だと言うだけで、まあそれもいいのではないか。
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