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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

私立高校の無償化問題をどう考えるかー高校授業料無償化考③

2025年03月19日 22時04分55秒 |  〃 (教育行政)

 高校授業料無償化問題の3回目。最後は私立高校授業料の支援をどうするかである。今回の合意を受けて、中には「私立高校の学費がなくなる」かのような言い方をする人が時々見られるが、これは大きな誤解である。確かに私立高校へ通学する生徒への「就学支援金」は大きく増額される。「45万7千円」となるが、それは全国の平均だということだから、これより高い学費の高校が半分あるわけだ。もちろん他に入学金、教科書代、制服等の諸経費が必要だから、相当の金額が掛かるはず。大幅に拡充されて助かる家庭が多いだろうが、すべての私立高校で授業料が無償になるというのは、明らかに誤解だろう。

(三党合意の内容)

 ところで、所得制限なしで私立高校授業料の無償化を拡大すると、格差拡大につながるという批判もある。世論調査では公立の無償化は賛成が多いが、私立高校だと賛否半ばするか反対が多いという結果が多いようだ。これは「かえって格差拡大につながってしまう」と解釈すると間違うだろう。本来の政策意図として「富裕層の支援を行う」ことが目的と考えるべきだ。「日本維新の会」はもともと富裕層向けのポピュリズム的政策を打ち出すことが多い。また「公」の役割を小さくすることを目標にしている。富裕層が一番税金を負担しているわけで、貧困層のためではなく自分たちにこそ税を還元して欲しいという支持者に応える政策である。

(「高校無償化の光と影」と報じるテレビ)

 私立高校授業料の無償化拡充は必要なことだと思う。初めから全員が公立高に進めるわけではなく、必ず3分の1以上の生徒は私立高校に進学する。募集定員そのものがそうなっている。望んでいく場合もあれば、不本意入学もあるだろうが、中学卒業生の3割強が私立へ行くんだから、支援は必要だ。さらに東京都大阪府など財源に余裕がある自治体が独自に私立学校への支援を拡充してきた。公立と違い、私立高は受験に居住条件がないから、東京や大阪などの有名私学高校には近県からも多くの生徒が通学している。しかし、東京や大阪在住生徒だけ多額の補助を受けられて、同じ学校の生徒なのに差別的な状態になっている。

(大阪府立高校が減っていく)

 その意味で私立高校生徒への国レベルの支援拡充は望まれた政策だろう。しかし、一方で私立支援拡充策によって、公立高校が定員割れする事態が大阪や東京で生じている。大阪の場合は、むしろそれが目的だろう。「3年連続定員割れだと閉校」という条例まで作っているんだから。公私立の条件は平等ではないのに、同じように授業料を無償化すれば私立を希望する生徒が増えるのは事前に予測出来る。その結果として公立高校が減れば、新規採用教員を減らせて「公務員の定数削減」につながり、公務員の人件費を減らしたと宣伝出来る。就学支援金は増大するが、それも国費で大部分がまかなわれる。まさに「成果」に見える。

(大阪の府立高校の声)

 2回目で書いたように、高校教育は事実上義務教育に近くなっているので、公立高校は公立小中と同じように「授業料そのものをなくすべき」と考えている。そうなると、「就学支援金」制度は、公立(国立も)以外の進路先(私立高校や専修学校、外国人学校等)に通う生徒にだけ支給することになる。そうなった場合、僕は「所得制限」を設けても良いのではないかと思う。それも「ある所得」以上は支給しないというのではなく、私立高校の学費に応じて細かく「全額補助」「半額補助」「3割補助」などと区分した方が良い。全国一律で47万5千と言っても、安い私立と高い私立ではお得感が違ってくる。

 それと同時に、私立高校をいくつかのタイプに分類して、支援金額を変える方が良いと思う。有名大学に直結した附属高校とそうじゃない高校では差を付けても良いのでは? 都市部の「名門校」、地方の「伝統校」、スポーツで知られて全国から集まる「強豪校」など様々。また私立高校への支援が拡充すれば、富裕層は今まで授業料に宛てていた金額を「寄付金」に回しやすくなり、公私間の教育格差が広がっていく。地方財政が物価高、コロナ禍で悪化していて、公立学校の予算が逼迫しているという声がかなりある。公私間の格差が拡大するのが、望ましいのか? 公立学校の教員採用試験の方が、私立学校よりまだ公平な気がするけど。

 そして、最後の最後に。本来の「生徒の学びを支援する」という本質から考えると、まとめて学校に支給するというのを止めてはどうだろうか? 私立高校の場合は、保護者(または生徒本人でもいいけど)が地方自治体に直接請求し、自治体は前年度の所得等を捕捉しているから、審査して家庭へ支給する。自治体はまとめて国に請求する。一方、各家庭は直接私立学校(高校や専修学校等)に支払う。その金を使い込んでしまう家庭の生徒は授業料未払いにより退学になってもやむなし。もともと授業料のない公立高校へ転学すれば良いはず。私立高校を何らかの理由で退学した生徒は、公立高校が無条件で受け入れるべきだろう。

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公立高「所得制限撤廃」は当然ー高校授業料無償化考②

2025年03月18日 21時59分35秒 |  〃 (教育行政)

 高校授業料無償化問題を考える2回目。この問題に関しては、大きく言って二つの問題がある。公立高校の授業料を無償にすることは、自明の前提で今さら元に戻すという選択肢はないし、そういう主張をしている人もいない。その上で、2014年に安倍政権によって導入された「所得制限」をどう考えるか。それが第一の問題。第二の問題は「私立高校の無償化」をどう考えるかである。まず、最初の所得制限の問題から考えてみたい。結論を先に書けば、「所得制限撤廃は望ましい」と思うが、もっと正確に言えば「公立高校の所得制限撤廃は当然」だと考えている。(私立高校はまた別だと思っている。)

(2014年からの所得制限=現行)

 2014年当時に指摘したが、実際に導入されて保護者側も学校事務としても、あまりにも複雑で面倒だという声が強い。単に所得「910万」で切るというのではなく、もう一人の子どもが中学生にいるかなど複雑な決まりがあるらしい。さらに「一端徴収した後で支援金を支給する」という原則になるようで、それじゃあまりにも面倒である。保護者が支援金を申請する用紙というのがネットにあったので、示しておく。それを現在も、あるいは全国で使っているのかどうかは知らないけれど。

(申請用紙)

 この問題は当初から「子どもたちの学びを支援する」という発想で実施された。そうであるならば、直接子どもにとは言わないけど、本来は親に支給するのが筋である。しかし、世の中には子どもに支給された給食等の補助金を自分で使っちゃう親もいる。だから、学校にまとめて支給するという制度設計になった。それはやむを得ないだろうと思う。僕もいろんな家庭があることはよく知っているから。そのため、所得制限に掛からないかどうか、保護者が証明書類を取り寄せ申請書を書いて、それを一端学校に集めて事務担当者が確認した上で、それを地方自治体に申請するという流れになるらしい。実に面倒。

 そういう面倒が無くなれば、幾分かは学校現場も楽になるだろう。と思うんだけど、世の中にはすごいお金持ちもいる、そういう家庭からは授業料を取ってもいいんじゃないかという考えもあるだろう。だけど、どんなお金持ちでも公立の小中学校では授業料を取っていない。そもそも小中では「授業料」というものがない。そこで「義務教育の小中と義務じゃない高校とは違う」ということを声高に語る人も出て来る。だけど、現実は「事実上の義務教育」に近いし、世界には高校まで義務の国はいっぱいある。

(2020年までの高校進学率推移)

 文科省のサイトにある高校進学率の推移を見ると、2020年度において全日制・定時制合計の高校進学率は95.5%通信制を含めれば98.8%となっている。中学卒業生は「事実上ほぼ全員が高校に進学する」のである。全定含めた高校進学率は1974年に90%を越え、以後ずっと9割を越えている。半世紀以上9割以上が高校に進学している。この実態をみれば、「高校は義務教育じゃない」というのは単なるタテマエで、制度上はそうだけど現実は義務教育みたいなものである。だけど、高校は義務じゃないということで、退学した生徒への行政上のケアなどがない。家庭的、あるいは学力的、精神的に大変な生徒は高校を離れてしまう。

 ここでちょっとアメリカの例を見てみたい。アメリカの高校はどうなっているんだろうか。よくアメリカ映画や小説に全寮制の私立高校が出てくる。そこで問題を起こした生徒が退学して、今度は地域の公立高校へ転学してくる。あるいはアメリカの地方にある「小さな町」(スモールタウン)にある高校には、「いじめられ系のオタク生徒」がいて、チアリーダーの「ミス学園」とあれこれあったりする。まあ、よくある定番的発想だけど、アメリカの高校というとそんなイメージが思い浮かぶ。

 そういう実態はよく判らないし、文科省のサイトではアメリカの義務教育年限は「各州ごとに違う」となっている。各州ごとの教育制度を調べる気にならないけど、「アメリカの高校に留学するには」みたいなサイトがいっぱいあって、それを見れば大体判明する。それを見た限りでは、多くの州では「高校まで義務教育」になっていて、だから当然「公立高校は無償」なのである。一方で有名大学進学をめざす名門私立高校は、もちろん高額な学費が掛かるのである。寮に必要な食費などはまた別である。そういう高校を退学させられると、すぐに公立高校に転学出来る。お金は掛からないし、試験もなしで全員受け入れるからである。

 日本の(ほとんどの)全日制高校はクラス別定員が決まっていて、クラスごとの授業が行われる。従って、教室の定員による制限が必要になるわけである。クラス数によって教員定数が決まるので、それを守らないといけない。だから、私立高校を辞めた生徒をすぐに公立高校が受け入れることが出来ない。(大規模災害の発生時など緊急に転校を受け入れることはある。)それなのに、アメリカでは何故公立高で受け入れられるのだろうか。それはアメリカの高校は完全に「単位制」だからである。

 もちろんアメリカの高校にも「必履修科目」みたいなのはあるらしい。だけど、それは卒業までに取れば良いわけで、取りあえずまだ空席がある講義を取るんだったら、受け入れ可能なんだと思う。それに大都市は別にして、地域の公立高校は一つなんだろうから、そこが受け入れるしかないのである。このようなアメリカの高校のあり方は、すぐに日本に適用は出来ないだろうが、大きな参考にはなるんじゃないだろうか。

 今どき中卒で正社員になれるわけじゃない。多くの資格は高校卒を要求している。いつか大学や専門学校へ進みたいと思っている場合、高校卒が必須となる。高校は義務教育ではないが、事実上98%以上が進学している以上、「公立高校は地域の生徒を受け入れる義務がある」と僕は思う。「事実上の義務教育」なんだから、授業料を取ってはいけない。公立なんだから、授業をいくつ取るかに関係なく、初めから無償であるべき。(留年しても無償で良い。)そして、高校を単位制に変えて行けば、もっと多くの希望者を受け入れ可能である。必履修科目は講師を含めてたくさん開講すれば良く、後は好き好きに取れば良い。

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一から考える「高校授業料無償化」ー高校授業料無償化考①

2025年03月17日 22時15分55秒 |  〃 (教育行政)

 「高校授業料無償化」に関する与党と日本維新の会の協議がまとまって、「維新」は内閣提出の予算案に賛成した。与党だけでは衆議院の過半数に達しないわけで、どこかの野党を取り込む必要がある。前に書いたが「維新」が与党に協力するのは予想していた。国民民主党や立憲民主党よりも、「維新」との方が妥協しやすかったと思う。大阪万博を控えて4月半ばまで予算をめぐって国会が荒れ続けるのは「維新」も困る。だから、きっと維新との協議がまとまるだろうと踏んでいたが、予算が衆議院を通過後になって、「デメリットが大きい」「かえって格差を広げる」などの反対論も出て来たようだ。この問題を何回か考えてみたい。

(「維新」との協議がまとまる)

 この問題については今まで何回も書いてきた。ブログ開始直後の2011年には4回も書いたけれど、もう昔過ぎて誰も覚えていないだろう。だから、1回目はまず基本的な解説を「一から」書いておきたい。時々「高校の授業料が無料になるのは良いことだ」みたいな感想を述べる人がいる。しかし、「高校授業料は前から無料」じゃないか。それに「正確な意味では今後も完全な無償ではない」のである。高校授業料無償化は2010年度から実施された。民主党政権の数少ない成果である。民主党政権に問題が多かったのは事実だし、この時の制度設計、実施も完全ではないと思っている。だけど、「民主党政権で始まった」のである。

 高校教育、つまり専門的に言うと「後期中等教育」が無償であるということは、本質的には人権問題である。国際人権規約(社会権規約)の中に明記されている。日本はもちろん人権規約を批准しているが、2009年までその条項を「留保」していた。(いくつかの問題に関して、受け入れを留保することが出来る。)民主党は2009年の総選挙に際して、高校授業料無償化を公約に掲げて勝利し、その通り実施した。そして鳩山由紀夫政権時に、その留保を解除すると国連に通告したのである。

 その時点では「所得制限はなし」で「公立高校を無償化する」「私立高校に関しては公立と同額の支援金を出す」というものだった。なお、「高校授業料」ではなく、正式には「就学支援金」である。高等学校は義務教育ではないので、専修学校に通う場合も支援金を出す。外国人学校や特別支援学校高等部も同様。5年制の高等専門学校(高専)の場合は、3年まで無償で4年から授業料が発生する。(卒業すれば、高卒ではなく短大卒と同じ資格になる。)この制度に野党だった公明党は賛成したが、自民党は「所得制限なしの無償化はバラマキ」と批判して反対した。そして与党に復帰して第2次安倍政権で所得制限が設けられた。

 それから12年、今度は自民党政権がやむなく所得制限を撤廃することになった。僕は所得制限撤廃時に『高校授業料無償化の末路』(2013.12.11)を書いて批判した。所得制限を設けるという考えもあるだろうが、かえって面倒くさい書類がいっぱい必要になる。小中学校は親の所得に関係なく、公立ならば無料じゃないか。面倒だというのは、「高校授業料は生徒ごとに違う」からである。まあ多くの学年制の全日制高校(定時制も)ならば、基本的には1、2年生はクラスごとに同じ授業を受けるだろう。だが3年になれば選択授業が増え、授業数が生徒で違うこともある。単位制高校や(最近増えている)通信制高校では、生徒ごとにその年に受講する単位が異なるのは当たり前。授業料は「授業の対価」だから、受講する授業数が違えば授業料も違う。

(通信制の場合の支援金申請の仕組み)

 ここで授業料問題を離れて、そもそも公立学校と私立学校の数を調べておきたい。もちろん小学校、中学校にも私立学校はいくらもある。しかし、何故か「私立小学校」「私立中学校」の授業料を無償化せよとは言われない。私立高校だけ無償化の対象になるのは何故だろうか。それは小中の場合、私立学校の数が少なく、児童生徒の年齢もあって小中学校は地元の公立学校に通うことが圧倒的に多いからだろう。それを文部科学省の「学校基本調査」で確かめる。(2024年度調査が公表されている。)

 まず小学校。全国で18,822校あって、国立67、公立18,506、私立249である。児童総数は5,941,733人、 そのうち公立小学校に5,826,352人が在籍している。私立は 79,990人である。国立はその半分ぐらい。児童総数は過去最低だというが、それでも全国で600万人近い小学生がいる。次に中学校。 全国で9,882校あって、国立68、公立9033、私立781である。私立中学は私立小の3倍もあるが、それは「中高一貫」が多いからだろう。生徒総数は 3,141,132人、そのうち公立中が2,866,304人、私立中が 247,982人である。なお、小中一貫の「義務教育学校」が別に238校あり、ほぼ公立。やはり圧倒的に義務教育は公立学校である。

 それが高校になると、ガラッと変わる。総数は4,774校で、国立15、公立3,438私立1321である。在籍生徒数は、総数が 2,906,921人で、公立が1,891,020人私立が 1,007,865人である。また中等教育学校(中高一貫校)が59校あり、 34,514人が在籍している。公私比をみると、学校数が3:1ぐらいなのに、生徒数だと2:1以下である。これは公立高校は生徒数が少なくても離島、山間部にも設置されているのに対し、私立高校は都市部の大規模校が多いからである。

 これを見ても、私立小、私立中は数も少なく、子どもの発達段階を考えてもごく少数しか通わない。公立小中学校は地域の生徒を全員受け入れる義務があり、私立で問題があれば地域の公立校にすぐ転校出来る。しかし、高校の場合は全員が公立高に進学することは不可能である。子どもが減っているのだから、その気になれば可能かもしれないが、それでは私立高校がつぶれてしまう。私立学校は歴史が長く、スポーツ等の活躍で知られていたり、地域の有力政治家が理事だったりする。つぶすわけにもいかず、あらかじめ公私間で協議して、翌年の受け入れ生徒数を決めている。初めから3分の1以上は私立高校に行くしかないのである。

(慶應義塾幼稚舎)

 一方で、東京の場合など満員電車に乗って私立小学校に通学するなど無理。都心部に住んでいて、さらに自動車で送り迎えが可能なような高所得世帯じゃないと、子どもを私立小に通わせるのは難しいだろう。ちょっと調べてみたが、慶應義塾幼稚舎(幼稚舎だが小学校である)は年間98万円、青山学院初等部は年間81万円の授業料が必要らしい。もちろん他に入学金があり、寄付等も求められるんだろう。なかなか「普通の人」が行かせられない額だ。その代わりに「内部進学」で有利に大学まで通じているし、親も各界の「有力者」が多いだろうから、親子とも将来に向けて人脈が作れるわけである。ここで一端区切る。

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大阪の公教育の現状はどうなっているかー維新考③

2024年10月14日 22時00分21秒 |  〃 (教育行政)
 「維新」政治を考えるシリーズの続き。今までに書いたのは、『2025年大阪・関西万博は「失敗」するのか』と『「維新」的発想=「中間組織の排除」がもたらすもの』である。それまでにも何度か書いているが、最近になって「維新」に関する新書本が目に付いたので、読んでみたのである。3回目も同じく新書の紹介で、岩波新書8月新刊の高田一宏新自由主義と教育改革 大阪から問う』である。著者の高田一宏氏(1965~)は大阪大学大学院人間科学研究科教授とある。

 この本の構成を最初に紹介しておくと、まず「序 検証なき改革を検証するために」がある。その後は、以下の通り。
第1章 新自由主義的改革の潮流ー歴史を振り返る
第2章 大阪の教育改革を振り返るー政治主導による政策の転換
第3章 公正重視から卓越性重視へー学力政策はどう変わったか
第4章 格差の拡大と地域の分断 小・中学校の学校選択制
第5章 高校の淘汰と進路保証の危機ー入試制度企画と再編整備
第6章 改革は成果を上げたのかー新自由主義的教育改革の帰結
第7章 新自由主義的教育改革に対抗するために

 ちょっと面倒くさい紹介になったが、実際に読むのも結構面倒だった。データで検証することが目的の本なので、データが豊富。だけど、ある意味章の名前を見れば内容が理解出来る。犯人を知っていて読むミステリーみたいなものだ。しかし、それこそが目的の本で、そこに価値がある。(なお第1章は、20世紀の動向を知らない世代に貴重な内容が書かれていて大切だと思う。)

 著者は大阪大学で志水宏吉氏に影響を受け、ともに研究を進めたという。志水氏は一般的には知名度が低いだろうが、かつて『学力を育てる』(岩波新書、2005年)や『公立学校の底力』(ちくま新書、2008年)などの一般書を僕も読んだ。教育に関する立場もはっきりしていて、その事を知っていればこの本でも大阪で取り組まれてきた「人権教育」への評価が高いのもよく判る。
(府立高校の定員割れ)
 大阪で「維新」が権力を握って以来、教育に「競争」を導入する政策が進められてきた。学校を競わせ、教師を競わせ、それで「学力」を上げるというような発想だ。もう始まってから10数年、そろそろ「効果」が上がっても良さそうなものだ。もし「大阪方式」が大々的に効果を上げていたら、「維新」は大宣伝してるだろうし、全国から大阪の教育を視察に行くはずだ。しかし、そんな話は聞いたことがない。むしろ「大阪府立高校の定員割れ」が進んでいるというようなニュースが流れている。

 文科省が「全国学力テスト」を開始して以来、いつも同じような結果が出ている。小学校では秋田県、石川県、福井県など本州の日本海側にある県が上位にあることが多い。当初はそれらの地域を視察して、自地域で生かすような試みがなされたと思う。結局は人口の多い大都市部では、生徒数も多く家庭状況も格差が大きく、ただマネして単純に学力が上昇するものではなかった。背景事情を無視して、大阪では「3年続いて定員割れした高校は廃止する」という条例まで作られた。

 そんなことが決まりになったら、一度定員を割った高校は二度と浮上出来ないだろう。もうすぐ後輩が無くなりそうな高校では部活動も継続されないし、進路指導にも不安がある。(例年継続していた大学の「指定校推薦」や例年続いていた就職先が続くかどうか心配だろう。)行政が率先して「この高校は危ないですよ」と「お墨付き」を与えるんだから、生徒や親も進学をためらうだろう。そして実際そうなって、どんどん高校が少なくなっている。どこでも少子化により高校は「再編」されているのだが、大阪の場合は「受験市場による淘汰」なのである。
(公立高校3校「廃止」)
 特に最近は「私立高校の実質無償化」が行われている。(その事は前に『私立高校の「授業料無償化」問題①ー大阪府の場合』を書いた。)この政策により、以前は公立7割、私立3割という進路状況だったのが、今や私立が4割となり5割に迫っているという。それも当然だろう。なぜなら「条件が不平等」だからである。もし公私立を完全に「競争」させたいのなら、公立も私立も同じ受験日にしなければおかしい。しかし、全国的に同様だと思うが、私立高校の受験日が先でその後に公立高校の受験が行われる。これじゃ、学校の教育内容以前に「先に合格した方に入学する」人が多くなるのは当然だ。学費の心配はないのだから(学費以外の修学旅行費や通学費には違いがあるだろうが)、私立高校進学者が増加するわけである。
(大阪市は塾代補助)
 「維新」の教育政策はさらに「進化」している。大阪市では「塾代」への補助が開始されたのである。家庭も塾もかなり混乱したらしいが、やはり歓迎している人が多いという。月1万円だというが、ありがたいことはありがたいだろう。全国どこでも聞いたことがないし、その分は他に使う方が有効だという意見もあるだろう。しかし、このように「直接還元」が「維新」的発想なのである。それにしても「ポピュリズム」も極まれりと僕などは思ってしまう。当初は否定していたはずの「バラマキ」と何が違うのだろうか。
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2024年も育鵬社は採択せずー都教委の中学教科書採択

2024年07月31日 22時47分53秒 |  〃 (教育行政)
 東京都教育委員会の定例会が2024年7月25日に開かれて、来年度からの中学校教科書の採択が行われた。前回2020年に引き続き、今回も中高一貫校、特別支援学校すべてで育鵬社は採択されなかった。それは事前に予測されたことで、僕も今回は(コロナ禍の4年前と同様に)教科書展示会を見に行かなかった。今回も左右両派ともに大きな集会や運動はなかったように思う。関連する運動団体のホームページを久しぶりにのぞいてみたが、両派ともにほとんど更新されていないようだった。
(東京都教育委員会=都教委ホームページから)
 最近書いてないから、「中学教科書問題」を簡単に説明しておきたい。中学校の教科書は4年ごとに新しくなる。それに合わせて、4年ごとに教科書を採択し4年間同じ社を使うことになる。教科書は法律で使用する義務があり、いくらデジタル化が進もうと(今のところ)紙の教科書を買う必要がある。ただし義務教育段階の小中学校は、公費で負担する「教科書無償化」が1963年に始まり1969年に全学年で実施された。それ以前は学校ごとに教科書を決めていたが、無償化をきっかけに教育委員会が設置全学校の教科書を決めることになった。ということで、2024年は2025年度から4年間使用する教科書を決める年である。

 戦後の歴史を振り返ると、何回か「教科書問題」が起きてきた。現行の教科書を「左翼的」だと非難する右派勢力が文部省(2000年から文部科学省)を突き上げて、教科書批判を繰り返すというのが大体のパターンだった。しかし、1997年に結成された「新しい歴史教科書をつくる会」は自分たちが自ら教科書を作成し全国で採択をめざすとともに、その教科書を一般に市販するという今までにない特異性があった。教科書は産経新聞の子会社扶桑社から発行され、2001年から採択可能になった。

 こうして21世紀初頭には全国各地で「扶桑社を採択せよ」と迫る右派系と「扶桑社を採択するな」という反対派の運動が繰り広げられた。しかし、実際に扶桑社を採択したところは少なかった。一般に都道府県は高校以上を設置し、中学校は設置しない。しかし、特別支援学校(当時は養護学校)とその頃から作られ始めた中高一貫校の中等部では、都道府県立学校なので都道府県教育委員会が採択する。そして東京都(石原慎太郎知事)と愛媛県(加戸守行知事)の養護学校だけが扶桑社を採択した。右派系首長だった影響だろう。(石原、加戸両氏ともすでに故人である。)

 その後、2005年の採択でも大きな伸びを達成できず、「つくる会」内部ではその原因を「右派的すぎた」として分裂が起きた。八木秀次氏らは新しく「育鵬社」(扶桑社の100%子会社)を作って新しい教科書を作ることになった。一方藤岡信勝氏ら残留派は「自由社」から教科書を出し続けた。2024年はさらに竹田恒泰氏らが「令和書籍」という会社を作って「国史教科書」という教科書を出した。つまり右派系だけで3つも教科書があるのだ。令和書籍は検索しても会社のホームページが出て来ない謎の組織である。「国史」と学習指導要領と違う分野名の教科書が認められるのは不可解だ。
(育鵬社)(自由社)(令和書籍)
 経過説明だけで長くなってしまった。東京都では2005年から都立中高一貫校が設置され、現在10校になる。そして、2004年に採択された白鴎高校附属中に始まりすべての学校で扶桑社が採択されてきた。2011年以後は歴史分野だけでなく公民分野も育鵬社が採択されてきた。(教科書は4年ごとに新規採択が原則だが、学習指導要領改訂の影響で2011、2015、2020年に新規採択が行われた。)それが前回2020年に初めて育鵬社を採択せず、中高一貫校すべてで山川出版社を採択したのである。その年も育鵬社を採択した公立校は、全国でも栃木県の大田原市、石川県の金沢市加賀市小松市、山口県の下関市岩国市和木町などだった。
(都立中高一貫校の採択資料=根津公子氏のホームページから)
 今回も大田原市ではすでに育鵬社の継続が決定された。他市は8月に決定のようである。今後全国的に見て右派系教科書が大きくシェアを伸ばすことは考えにくい。今までは右派系政治家による支援が行われ、それが保守的首長を頂く各教委に少なからぬ影響を与えてきた。知事や市長が教科書を決めるわけではないが、権限のある教育委員を議会に提案する力を持っている。しかし、安倍元首相の死亡、その後の「統一教会問題」、安倍派「裏金問題」などが続き、右派系勢力に大きな陰りが見られる。3つも右派系教科書が出たことも、右派の分裂状況を反映しているだろう。

 東京都においては、かつてのような極端に右派的な教育委員は見られなくなった。教育長も入れて女性が3人いて、バランスが良くなった感がある。しかし、最大のきっかけは山川出版社の中学教科書が前回から登場したことだ。高校は各学校ごとに決めるが、進学校はほとんど山川だろう。そこに連続することを意識すれば、中学段階から同じ会社の教科書を使用する方が指導が楽になるだろう。自分で詳しく調べたわけじゃないが、歴史用語や各種副教材のスタイルなども共通しているんじゃないか。大学受験を考慮すれば、中学といえど山川に優位性があると思われる。(学力差のある公立中ではより一般的な東京書籍のシェアが多い。)

 それと同時に、教科書を各教科多数出してきた東京書籍、教育出版、帝国書院、山川出版社などの方が、全般的に各学校への手当が厚いはずである。教科書デジタル化を考えると、「教科書専門会社」の方が安心して採択できるだろう。今後の歴史教育が大きく変わっていく中で、「教科書が諸悪の根源」的な陰謀論的発想は時代遅れになっていくはず。大体「サヨクの影響力がある教科書を使うから自虐的になる」などど本当に信じている人などいないだろう。それでは戦後ほぼすべての時代で自民党(または自民党に連なる勢力)が政治権力を持ち続けた理由が説明できない。自分たちが政権を握って教科書検定をしているのに、そんなバカなことがあるわけがない。自民党政権が「考えさせない」教育を続けたから、選挙の投票率が低いというなら判るけど。
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私立高校の「授業料無償化」問題②ー東京都の場合

2024年02月22日 22時26分47秒 |  〃 (教育行政)
 私立高校の授業料無償化問題。大阪府に続いて、東京都のケースを検討したい。小池百合子都知事は2023年12月5日の都議会で、私立学校の授業料上乗せに設定していた所得制限を2024年度から撤廃すると表明した。つまり、今までも授業料を補助していたのだが、その制度には910万円という所得制限があった。その制限額は国の就学支援金と同額である。つまり、910万円の所得を境にして全く支援がなくなるのだが、それは大阪府も含めてすべての都道府県で同じだった。
(東京都の制度)
 東京の場合、大阪にある「キャップ制」なる不思議な仕組みは存在しない。今までは所得制限を設けた上で、授業料47万5千円まで補助するという仕組みだった。東京都の私立高校の平均授業料は47万3002円だという。従ってもっと高い授業料の学校もあるわけだが、そこは家庭負担になるということだろう。授業料平均額までは補助するという考え方である。それは今後も同じらしいが、今までは存在した所得制限を廃止するのである。

 都立高校は東京都に住んでいる生徒しか受けられないが、当然ながら私立高校には居住制限がない。だから、東京の私立学校にはいっぱい近県から進学しているし、東京の中学生もいっぱい近県の私立高校に進学する。東京都によると、都内の私立高校(244校)の生徒数は約18万人で、そのうち3割が都外在住だという。近隣各県でも国の支援金に上乗せする独自の補助制度があるが、いずれも所得制限があるうえ、県内私立高校へ通う生徒しか対象にならないという。(東京新聞12月25日付) 

 それなら全国どこの都道府県も同じような制度を作れば良いようなものだが、やはり東京や大阪は税収が多いのだろう。そのような政策を通して、子どもを私立学校に行かせたいと考える保護者を集めたいのだろう。一回目に見たように、私立高校には授業料以外にも様々な納付金がある。だから、授業料が実質的に無償化されても、進学実績のある私立校はやはり富裕層が多いはずだ。そういう住民を都内に引き寄せる効果も狙っているのかもしれない。

 それにしても、都内私立校では生徒の3分の1の家庭が何の支援も受けられない。一方で残りの7割弱の生徒には授業料が事実上なくなる。それではあまりにも不公平だという声があがるのも当然だ。東京新聞は「都民だけ高校無償化 波紋」と一面トップで報じている。都外から通う場合は、通学の交通費も高いわけだし、都内私立受験を考える保護者は都内移住を考えるのではないか。この問題は本来国が統一的な制度を作るべきなのだろう。
(都民と他県住民の相違)
 ところで、このような制度を作ると、中学生の進路事情は変わるのだろうか。進路志望を決める2学期が終わる頃に打ち出された政策だから、今年度の影響は限定的だろう。だが、多くの生徒は(推薦入試で合格した場合は別だが)、一般入試では一応公立、私立双方に出願しておくものである。何があるか判らないので(入試当日にインフルエンザに罹るなど)、安全策を取るわけである。今回は「私立高校授業料無償化」の報を受けて、私立志望校のレベルを上げて「冒険」する生徒が増えたかもしれない。

 2月21日に行われた都立高校の入学者選抜受検状況を見ると、若干私立高校志望が増えているかなという気がする。今年から都立高校の男女別定員制が無くなったので、その影響も見極める必要がある。私立入試の方が早いので、先に私立高に合格した生徒は都立高の受検を欠席することになる。前年度と比べてみると、去年は全日制高校で1951人の欠席があったが、今年は2166人に増えている。日比谷高校では、昨年は男女計581人の応募者があり、当日は107人が欠席した。今年は性別問わず459人の応募に対して、105人が欠席した。欠席者自体は減っているが、出願者が大幅に減っている。有意な変化だから理由があるはずだ。成績上位者が私立志向になったか、女子の応募者が減ったのかもしれない。
(制度を発表する小池知事)
 ところで私立高校授業料無償化というのは、一体どういう意味を持つのだろうか。公立高校で全中学生を受け入れることは出来ない。少子化にともない公立学校の空き教室が増えているから、キャパシティとしては可能かも知れない。だが教員がいないし、公立高が受け入れすぎると、私立高校の経営が破綻してしまう。だから、事前に卒業予定者数を見て公私間で受け入れ数を調整している。必ず私立高校に行かざるを得ない中学生が存在するのに、全く経済的支援がないのは不公平になるだろう。

 しかし、私立学校には「独自の教育理念」があり、本来はそれに魅力を感じる保護者があえて高額の授業料を支払っても、子どもを私立に行かせるものだろう。それに私立高校には大学附属も多く、入試を経ずに大学に進学出来る高校も多い。都立高校にも「指定校推薦」みたいな制度があるところも多いが、一般的には受験しないと大学へ行けない。私立高校は高いけれど、大学受験の苦労がないという場合、私立の授業料を無償化するのはかえって不公平ではないのか

 公立高校の授業料が安いのは、教職員が公務員であり人件費を都道府県が全額負担しているからだ。私立の場合は、授業料や入学金などから教職員の人件費を出すんだから、高くなるのも当然だろう。それを考えると、これだけ無償化を進める以上、公私立で教職員の人件費が違ってはおかしいだろう。(違うかどうか僕は詳細を知らないけど、多分私立の方が実質的に有利な場合が多いと思う。)授業料に差がある分、私立の方が高い教育を受けられるという場合、授業料を公費で負担するのは不公平なんじゃないか。「平等とは何か」という難問をこの問題は提起しているように思う。
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私立高校の「授業料無償化」問題①ー大阪府の場合

2024年02月21日 22時53分00秒 |  〃 (教育行政)
 入試の季節真っ只中である。もっとも地方や時代により、ずいぶん入試の仕組みも違っている。自分の感覚では「2月は入試」「3月は卒業式」になるが、順番が違う地方もあるらしい。それはともかく、最近は「教育無償化を実現する会」なんていう小政党まであるぐらいで、「教育無償化」というテーマは政界でもキーワードになっている。

 もともと公立の小学校、中学校は授業料がないが、それは義務教育課程の公立学校だから当然だろう。余りにも当たり前すぎて授業料がないことを誰も意識していないだろう。だが「私立の小中学校」は授業料があるし、公立の小中学校でも教材費、制服・体育着代、給食費、修学旅行費などは保護者の負担である。これも当たり前すぎて誰も疑問に思わなかっただろう。

 もっとも低所得世帯の児童・生徒の給食費や修学旅行費には多くの自治体で補助制度があった。そして最近は所得に関わらず「給食費の無償化」を進める自治体が増えてきている。また大学進学に対する奨学金制度を進める自治体もある。それらに関しては、ここでは取り上げない。ここで考えたいのは「私立高校の授業料無償化」という問題である。

 世界的には「後期中等教育(高校)の無償化」は、「人権」と考えられ諸外国では20世紀中に実現されていた。高等教育(大学)の無償化をどう進めるかが世界の問題だった。しかし、自民党内閣では長いこと高校無償化が実現しなかった。多くの人は覚えていると思うが、2009年に成立した民主党政権で、初めて高校教育の無償化が実現したのである。

 その仕組みはなかなか複雑で、僕には問題もあるように思われた。自民党内閣が復活して所得制限が行われたが、その時にはこのブログでも批判・検討した。国の制度の所得制限や様々な問題点(「朝鮮学校の除外」や「留年生徒の除外」など)も今は検討から外したい。民主党政権では当初、公立高校だけでなく、私立高校や専門学校等に通う生徒にも支援が行われたが、それは公立高校と同額の補助を行うというものだったと記憶する。

 今も国の負担において、公立高校と同様の補助が支出されている。私立高校の授業料は公立より高いから、差額は保護者の負担になる。それに対し、多くの都道府県が「上乗せ」支援を行っている。(22年度時点で34都道府県だという。)大阪府では2020年度から所得制限(910万円)を設けた上で、(国庫負担と合わせ)「60万」を上限とする補助を行ってきた。それに対して、2022年になって「完全無償化」と称して、所得制限の撤廃を打ち出したのである。(ただし、初年度は高校3年生のみで、段階的に無償化を実施するとしている。)
(新旧制度)(段階的無償化のイメージ図)
 今までの説明で長くなったが、この制度案は大きな議論を引き起こした。というのも、多くの私立高校では授業料は60万円より高く、その分は私立高校側の負担となるという制度だったのである。これを「キャップ制」というらしいが、ちょっと理解に苦しむ制度である。私立高校は、公立じゃないんだから授業料は独自に設定できるはずだ。特色ある教育を実施するために多額の授業料を設定するのは、当然許容されるはずだし、それを承知で保護者も私立高校へ行かせているはずだ。
 
 それなのに、授業料の上限を地方自治体が設定してしまって良いのか。そもそも授業料は授業の対価なんだから、そこに公権力が介入するのは問題ではないのか。実際に多くの私立高校から反発が噴出し、結局成案では「63万円」とちょっと増額されることになった。確かに「910万円」の所得制限というのは不可解ではある。それは国の所得制限額と同じだから、所得がオーバーすると補助はゼロとなる。ちょっとの差額で受けられない人は不公平に感じるだろう。
(旧制度の説明パンフ)
 今回検索して、上記のパンフが見つかった。それによれば「令和2年4月からから私立高校授業料実質無償化スタート!」と大きくうたっている。4年前にすでに「実質無償化」が実現していたはずなのに、たった4年で制度を根本的に変更するのは何故か。それは私立高校への補助が他県にも波及してきて、大阪府の独自性が薄れたからだろう。「大阪維新の会」としては、問題が大きくなってきた大阪万博に代わる「目玉」が欲しいんだろうと思う。

 ところで、そもそも「私立高校授業料無償化」とは何なんだろうか。私立高校の授業料が高いのは誰でも知っている。それでは貧困層の子どもは公立高校しか行けない。だから私立高校授業料も補助するというのなら、それはタテマエ上「平等化政策」である。その場合は所得制限がある方が正しいのではないか。高所得層でも無償化するというなら、その余裕分を塾や予備校、あるいは海外旅行などの体験学習などに回せる。教育の階層格差を広げることになるだろう。そして恐らくそれが政治的目的なんだろう。大阪維新の支持層向けの政策なのである。
(大阪桐蔭高校)
 もう一つ大きな問題がある。僕は大阪の私立高校は三つしか知らない。それは「大阪桐蔭」「履正社」「PL学園」で、要するに高校野球に出てきた学校である。多くの人はそんなものだろう。大阪周辺の進学校としては、神戸市にある灘中学・高校がある。そこは結局この制度には参加しないということだ。(大阪府では近県の学校にも参加を呼びかけていた。)つまり、近県私立へ進学する府民生徒は無償化の恩恵があるが、その他の県出身者には恩恵がない。また大阪の私立に進学する他県の生徒も恩恵がない。
(灘中学・高校)
 同じ学校の生徒間に大きな格差が生まれるのは問題ではないか。またそれは別としても、このような有名私立のホームページを調べてみると、例えば灘中の場合、入学金25万、施設費25万などと明記されている。授業料そのものは中学が46万8千、高校が48万とあるが、授業料と同額以上の諸費用が必要なのである。「私立高校授業料無償化」と言うけど、やはり貧困層の生徒は入学が難しいのである。では諸費用も含めて無償化するべきか。そうなると今度は公立高へ行かせる保護者、あるいは子どもがいない府民とのバランス上不公平が過ぎるという意見が出るだろう。この問題をどう考えるべきか、東京のケースも合わせてもう少し考えてみたい。
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やっぱり!「性教育弾圧」の背後に「統一協会」

2024年01月24日 22時42分02秒 |  〃 (教育行政)
 非常に重大な証言だと思うから、ここで紹介しておきたい。21世紀初頭に東京都教育委員会(以下、都教委)を中心に荒れ狂った「性教育弾圧」の中心として運動を行っていたのは、旧統一協会系の人々だったというのである。朝日新聞が毎週火曜日に「性教育を問う」というシリーズ記事を掲載していて、1月16日に「学校の指導 萎縮生んだ批判の波 「七生養護学校事件」が残した禍根」という大きな記事を掲載した。そして、1月23日掲載の「停滞招いた反対運動 背景は 実態は 中心で活動した元中学教諭に聞く」という記事で、反対運動の中心にいた野牧雅子氏にインタビューしているのである。
(七生養護学校事件)
 野牧雅子氏は少なくとも当時はなかなか知られた人物で、「のまりん」と名乗ってホームページで性教育反対運動を展開していた。インターネット勃興時代で、結構大きな影響力があったのではないか。僕も時々「敵情視察」的に読んでいた。今はもうないようで、僕も大分前にお気に入りから削除してしまった。いま思うと、現職教員が実名でやるには色が付きすぎていたかもしれない。確か神奈川県の中学教員で音楽担当だと思う。新聞には肖像写真も載っているが、まあ紹介することもないだろう。

 その記事では2002年11月(「七生養護学校事件」の前年)から「過激な性教育」反対の動きを始めていて、東京都港区の中学校にファクスや手紙(中には爆破するという脅迫もあった)が送られていた。野牧氏は「(私が学校に)授業を見せるように求めたのは事実だが、脅迫ファクスは送っていない。当時、情報交換する人が約100人いた。」という。その100人はどんな人だったのかという質問には「宗教関係者や保守系の団体の人もいた。その中で一番頑張ってくれたのは、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)のお母さんたちだったと認識している。私は信者ではないが、法律婚をしている男女の家庭を(性教育によってもたらされると考える「性の乱れ」から)守るという方向性は同じだった」という。

 数々の動きの中で最大の事件となった「七生(ななお)養護学校」(現・特別支援学校)事件については、ここでは詳細を省略する。(Wikipedia等で調べられる。)都教委により大量の処分がなされ、当時の校長が降格処分になるという信じられないことが起きた。「国旗国歌問題」の「10・23通達」(2003年)も同じ年。翌年には新設される白鴎高校附属中の社会科教科書(歴史的分野)に扶桑社を採択した。都教委「暴虐」の絶頂期で、正直あまり思い出したくない。多くの人が今も癒えない傷を負っているだろう。七生養護学校事件は裁判となり、都教委と中心的に騒ぎ立てた3人の都議に賠償を認める判決が最高裁で確定している。
(七生養護学校事件に関する本)
 ところで、ではなぜ性教育が問題なのだろうか。そのような新聞記者の問いに対して、野牧氏は「性教育をすると性に興味がわく。子どもの年齢にもよるが、性からは遠ざけなければならない。」と言う。さらに「誤った情報を信じたり望まない妊娠をしたりする実態があるのでは。」と問われると、「性教育では、性の自己決定権が強調されるが、誰とでも性交をするようになると、性被害が起きると思う。結婚していない男女関係の乱れを認めることになり、家庭崩壊につながる。」と答えている。

 正直僕には何を言っているのか、全く判らない。よく右の人が左の人に対して「頭の中がお花畑」と批判することがあるが、こういう例を見るとむしろ右の方がお花畑に住んでいるのではないか。「性から遠ざけるために、性教育をしない」のが有効な対策だというのである。しかし、中学校を出れば待っているのは「JKビジネス」である。「性の商品化」の世の中に出ていく前に、妊娠も避妊も教えない方が良いと言うわけである。日本の現実の中から出て来た発想じゃないとしか言えない。

 それはともかく、このような「性教育弾圧」を中央で支えたのが、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を立ち上げ座長を務めた安倍晋三衆議院議員だった。そのような安倍氏が政権を担うとどんなことになるのかと当時危惧したが、今のようになったわけである。(ついでに言っておくと「過激な性教育」というのは、義務教育最後の中学生に対して、妊娠や避妊の仕組みを教えるという程度のことである。これは欧米諸国に比べて「穏健すぎる」ものだろう。)

 性教育攻撃、統一協会、安倍政権というものが分かちがたく結びついていたことを改めて教えてくれる「野牧証言」である。なお、安倍派(当時は森派)はその頃から「裏金」作りをしていたとされている。
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「過積載」の教育現場ー「教員不足」問題③

2023年05月30日 22時25分00秒 |  〃 (教育行政)
 氏岡真弓『先生が足りない』という本を読んで「教員不足」問題を考えたが、事態は非常に重大な局面にあると思う。下に教員採用試験の倍率を示すが、大きな傾向として小中高すべて激減している。もっとも「倍率」は採用予定数に左右されるので、必ずしも人気具合を示すわけではないけれど、「先生」という仕事はもはや児童、生徒の憧れではなくなったのか。

 それにしても、基本的には教育学部などで養成される「小学校教員」の倍率がこれほど下がっているのは、象徴的だ。中高は一般的な学部で学びつつ、「教職課程」を履修することで免許を取得出来る。だから「念のために取った」というペーパー・ティーチャーが相当数いる。また芸術系科目、高校の情報科などは免許がない人でも適任者を見つけられるだろう。(「臨時免許」で対応可能。)しかし、小学校免許を「念のために」取っていたなんていないだろう。

 しかし、この倍率低下も無理からぬ話だと思う。現時点で民間の求人は(業種にもよるが)好調を伝えられる。公立学校は公務員なんだから、給与が民間を上回ることはない。公務員の安定性を求めるなら、一般的な地方公務員の方が良いだろう。教師の勤務条件はどんどん悪化していき、今では解決の方向性が見えない。中高は「部活動」があって、土日も試合や練習が入ることがある。しかし、小学校はそこまでのことはないはずだ。「部活動の地域移管」は重要な問題だと思うが、ここで見ている小学校にすぐ影響しない。では何が問題なのだろうか。
(働くうえで知っておきたい知識)
 ここで逆に「就活生」の側から見てみよう。上記データは2015年段階の茨城県調査だが、「働くうえで知っておきたい知識」としては、賃金や社会保険制度以上に、労働時間休日が圧倒的に多い。これは大体いまの若い世代の実情とと合っていると思う。しかし、実は土曜も授業がある学校が多いのである。公務員も「週休二日」ではないのか。その通りで、21世紀には「学校5日制」になった。だが、私立学校は土曜授業が多く、いつの間にか公立学校にも広がっているのである。

 2023年4月1日の朝日新聞(都内版)に「公立小の土曜授業 じわり復活」という記事が掲載された。都内23区の半分ほどは、年10回程度の土曜授業を行っているという。中学や高校でも土曜授業が多くなっている。進学高校は大体そうだと思うし、地元の中学(母校)もやっている。各地方でもかなり行われているようだ。もちろん、ここで言っている「土曜授業」とは、運動会や授業参観のことではない。本当に「授業」なのである。今じゃサービス業は別にして週休2日じゃない民間企業があるだろうか。結婚式は昨今大体土曜に行われているから、友人の結婚式にも出られない。それどころか、家族の結婚式とぶつかり休暇を取るのである。
 
 もともと現行学習指導要領では、特に小学校のカリキュラムが過剰になっている。かつて新カリが公表されたときに、ここで「『亡国』の新学習指導要領ー『過積載』は事業者責任である」(2016.9.5)を書いた。現行カリでは、週当り29コマの授業が必要になっている。週5日、6時間授業を行うと、30コマである。しかし、週に2回5時間授業の日がないと困るのである。職員会議もう一つの会議(学年、校務分掌、総合学習や道徳を含む教科の打ち合わせ等)を開くためである。恐らく勤務時間を越えて会議をやってるか、土曜授業をやるしかない状況だろう。まさに「過積載」の教育現場なのである。

 英語道徳を教科化せよ、プログラミングも教えろ、ICT教育だ、タブレット端末だなどと増えていくけど、総合学習もなくならない。何も減らずに、ただ増えるだけでは、なり手がなくなるのも当然だ。このような勤務条件では若い人は教師を目指さない。事情があって一度辞めた元教員も、今度は英語とかICTなんて言われるんだから、とても20世紀にやっていた人は復帰する気になれない。現場が大変だから助けたいと思う元教員は多いと思うが、自分に勤まるだろうかと心配するだろう。

 ところで小学校の英語授業、2011年度から小学5、6年生で必修化された。もう12年も経っている。大学生は皆小学校から英語をやっているのである。最初はともかく、今の高校生、中学生は劇的に英語力がアップしていなければおかしいのではないか。10年経って、どこかで検証は行われているのだろうか。僕が知っているのは、中学3年、高校3年段階の英語力の目標(求めるのは、中3で英検3級合格同等が半数、高3で英検準2級合格同等が半数)は未だ達成されたことがない。(その目標が適当なものかも疑問だが。)巨額の費用を掛けてスピーキングテストなどをやってるわけだけど。小学校からやってどのような効果があるのか。僕には現場に過剰な負担を掛けて、逆効果も大きいと思うのだが。
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小泉内閣が生んだ教員不足ー『先生が足りない』を読む②(「教員不足」問題②)

2023年05月29日 22時44分49秒 |  〃 (教育行政)
 文科省が2021年に「教員不足」を調査した結果、全国の5.8%の学校で教員不足が起こっていた。これは5月1日現在の数である。小学校が一番多いが、中学、高校、特別支援いずれも不足が生じ、全部で2557人になっている。春休みから一生懸命探し続けて、まだ見つからなかったのだから、非常に深刻な問題だ。公立学校は税金で運営され、すべての国民に適切な教育環境を提供する義務があるはずだ。それが授業時間に管理職の教員が来て自習プリントを配るだけ…。そういうことが1ヶ月も続くとなると、児童・生徒は「見捨てられた」と思うようになる。そのことが氏岡氏の本でよく判る。

 そこで原因は何かと文科省が各教委に示したアンケートを基にすると、前回書いたように「産育休の増加」「病休の増加」「特別支援学級の増加」がいわば三大要因として上がってくる。しかし、それだけなんだろうかと氏岡氏の本は論じている。そこで参考にされているのが、慶應義塾大学の佐久間亜紀教授と元小学校教員島崎直人さんが調べた研究である。そこでは「X県」の実態がつぶさに調査されている。なお、場所を特定しないことが調査に応じる条件だったということで、X県がどこかは不明だが日本のどこかには違いない。細かいデータは同書に譲り、結論だけを書くと「そもそも正教員が足りてなかった」のである。

 正規教員の数が学年当初で1200人も足りてなかったという。この「足りてない」というのは何かというと、クラス数に応じて学校ごとの本来いるべき教員数が決定される。つまり、学習指導要領で授業時間は決まっているから、クラス数が確定すると授業時間数が決まるわけである。そこで全国一律に各学校の教員数が決まっているわけで、正教員が足りないということは起こらないはずである。今も原則としてはそうなんだけど、実際は大分(良い意味でも、悪い意味でも)違っているのである。それをもたらしたのは、小泉内閣で進められた「規制緩和」と「三位一体改革」だった。
(三位一体改革のイメージ)
 「三位(さんみ)一体改革」というのは、①国から地方への補助負担金を4兆円削減する②地方交付税を抑制する(5.1兆円)③国から地方へ3兆円の税源を移譲するという3点を同時に実施するという改革だった。地方への移譲額と中央政府の削減額を比べて見れば、あまりにも地方へ厳しい「改革」だった。この時に「義務教育費国庫負担金」も削減されたのである。義務教育の水準が地方ごとにバラバラでは困るので、従来は小学校、中学校教員の人件費は国が半分を支出していた。それがこの「三位一体改革」の時に「3分の1」に減らされたのである。

 その代わりに、教員定数配置の規制緩和も進められた。そのため地方で独自の少人数教育を進めることも可能になった。都道府県ではなく、市区町村で教員を確保することも可能になった。しかし、その反対に正規教員の数を抑えて、その分で非正規教員を増やすことも可能になったのである。そうなると今後進む少子化を予測して、地方ではあっという間に正教員ではなく非正規教員を雇うようになった。公務員の定年年齢は今後65歳になっていくだろうから、正教員には40年近く給与を払い続けるのである。生徒数が3分の1ぐらい減るだろうという時に、確かにそれは抑制したいだろう。

 だから、このような「教員不足」を生んだのは明らかに国の責任である。次世代の育成は社会持続の鍵である。「教員不足」などということが起きないようにするためには、国がきちんと人件費を措置しなければならない。多くの人は「小泉改革」がこういうことを生み出すと予測していただろう。それがやっぱり実現してしまったというわけである。「郵政民営化」などに熱狂した人にきちんと考えて欲しいと思う。詳しいデータは是非氏岡氏著を参照して欲しい。
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「教員不足」問題①ー氏岡真弓『先生が足りない』を読む①

2023年05月28日 21時58分12秒 |  〃 (教育行政)
 「教員不足」という問題がよく聞かれるようになった。それはどういう問題なのか、原因は何なのかといったテーマで数回書きたいと思う。このテーマに関しては、最近朝日新聞編集委員の氏岡真弓氏の『先生が足りない』(岩波書店)という本が出版された。氏岡氏はこの問題を先駆的に取り上げてきたが、最初は全く反響がなかったという。最近は文科省が全国調査を行うほど重大な問題になってきたが、現場感覚と「真の原因」とは少し違っていると思われる。

 氏岡氏は4月5日付朝日新聞「教育の小径」というコラムに「新しい担任の先生がいない」という記事を書いている。「首都圏の小学6年生」が4月になって教室に行くと、そこにいたのは担任の先生ではなく教頭だった。「教頭」と書いてあるから、これは東京都ではないんだろう。担任になるはずの教員が産休に入ったが、その後の代替教員が見つからず、それまで教頭が担任を務めるとある。「3年前の春のことだった」という。そういうことが最近はあちこちで起こっているというのである。

 東京都では、今年度の公立小学校の場合、4月7日時点で「約80人」が欠員で、前年同期より30人増えているという。文科省調査では2021年度に全国で1218人の欠員があった。東京では公立中の欠員は数人、公立高・特別支援学校ではほとんどいないという。全国的にも同様なのかは不明だが、「先生が足りない」というのは、まず「小学校で起きている」のであり、さらに「非正規教員が充足出来ない」という問題なのである。だから、なかなか認識されにくかったのである。
(氏岡真弓氏)
 もっとも今は「非正規教員」の不足に止まっているが、それだけで済むかは判らない。現在小学校の一クラス35人定員が段階的に進められ、小学4年生まで進んでいる。ところが今年度になって、山口県、沖縄県が生徒数の上限を引き上げたというのである。沖縄では小1~2は30人、小3~中3は35人という独自措置を取ってきたが、教員採用試験受験者が減って少人数教育が難しいという。山口県では中学2、3年の生徒吸うの上限を35人から38人に引き上げる。教員採用試験の受験者減で教員確保が難しいからという。以上は東京新聞3月5日付記事によるものだが、このように各県独自に進めていた少人数教育が難しくなりつつある。

 それでは、このような「教員不足」はなぜ起こっているのだろうか。学校の労働条件から敬遠されているのか。そういう問題もあるだろうけど、現場的にはちょっと違った問題がある。まず、「団塊の世代」の大量退職である。ベビーブーマーは、自身の成長とともに経済も成長した世代で、20代を迎えた頃に大都市圏で学校増設が相次ぎ、第二次ベビーブーム世代が学校に行く80年代に掛けて、教員の大量採用が続いた。それらの世代が2010年前頃から60歳定年を続々と迎えたのである。

 だから2010年前後は比較的新規採用が多かったのである。小学校は半数以上が女性教員である。その頃採用された女性教員が30歳前後を迎えて、出産期を迎えているのである。そのため産休、育休の代替教員の需要が多くなったが、教員採用試験の倍率が落ちていて不足が生じる。今まではその年の採用試験に落ちて「教職浪人」している人が多く、そこから代替教員を見つけていたのだが、それが難しくなったのである。それに加えて、教員免許更新制の影響で中途退職者の復帰も難しくなった。

 この事情は了解出来るが、もう一つの指摘は僕は気付かなかった。それは「特別支援教育」である。特別支援教育の仕組みが整備され、発達障害などにも支援がなされるようになった。そのため小学校、中学校に特別支援学級が設置されるようになったのである。例えば本書の中にある例では、突然自閉症の生徒が転校してくることになって、特別支援学教が一つ増えたという。急には担当が見つからず、教務主任が一時兼任することになり、毎日午後11時退勤といった長時間労働を強いられた。この人は子ども2人を持つ女性教員である。

 ちょっと信じられないケースだが、それは兼務の大変さばかりではない。発達障害児のために、1人でも取り出し授業をしなければいけないのかということである。昔は発達障害という概念を誰も知らず、研修でも聞いたことがなかった。今思うと、明らかに発達障害の生徒が教室の中にいたが、そういうもんだとしか思わなかった。だから、「特別支援」するというのはとても良いことだと思うが、1人のために1クラス作るのは学校の負担が大きくなりすぎるのではないか。

 最近特別支援学級の話を時々聞いていたが、そういうことだったのかと初めて理解出来たように思う。この仕組みを維持するためには、もっと予算を増やして(教育予算とは別枠で)、担当者を養成していかないと学校がパンクするのではないか。同じ学校で学ぶこと、独自の支援を行うことは大変良いわけだが、従来の仕組みでは無理が重なる。さて、現場に教員不足の原因を問うと、この2つがまず出て来るというが、もちろん問題の根底はもっと深いものがある。それは次回に。
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続報・東京都のスピーキングテスト問題ー反対の声止まず

2022年10月20日 22時55分30秒 |  〃 (教育行政)
 東京都教育委員会が11月27日に実施を予定している英語のスピーキングテスト。直近では8月3日に「東京の「スピーキングテスト」実施と多くの疑問」を書いた。その後も反対の声は止まず、都議会でも取り上げられた。自分でも新しく考えたことがあり、改めて現時点で続報を書いておきたい。

 まず、「19日にはテスト理論や英語に詳しい研究者らが都立高校入試への活用反対を表明した。」(朝日新聞)「言語学が専門の大津由紀雄・慶応大名誉教授や、英語教育に詳しい鳥飼玖美子・立教大名誉教授ら5人が都教委に要望書を提出し、19日に記者会見した。テスト結果の入試への活用見送りを求めた。」という。もちろん都教委という組織は、このような動き(要望書の提出など)があっても、協議に応じるなどということはない。このまま「粛々と実施される」のだと思う。だが、大津氏や鳥飼氏は大学入学共通試験における民間テスト導入問題でも反対を表明していた人たちである。国は止めたが、都は止めない。
(記者会見する大津氏や鳥飼氏)
 10月の都議会でも、この問題が取り上げられた。立憲民主党と東京維新の会が「スピーキングテストの結果を合否判定に使わない」とする条例案を提出した。これに対し、自民党と都民ファーストの会は「都立高入試の受験科目選定への介入は教育行政の中立性を脅かす」と反対。共産党も「都議会の多数派が条例などで教育目的や内容を決定することに慎重であるべきだとして反対」した。しかし、共産党は「都教委によるテストの事実上の強制も教育基本法が禁じる不当な支配だ」と主張し、都教委による自主的なテスト中止を求めたという。都議会の議員数は自民、都民ファースト、公明、共産、立民の順で、第5会派の提出した条例はもちろん否決されたが、都民ファーストから3人の賛成議員があった。

 そして、立民、共産らの反対派議員は、10月7日に「スピーキングテスト活用反対」の都議会超党派議連を発足させた。都民ファーストの会から条例案に賛成した3議員の他、欠席した2議員も議連に参加した、3議員はその後会派から除名処分を受け、それに対し「除名処分は無効」とする弁明書を会紀委員会に提出したということである。議連には42議員が参加しているが、都議会議員は全部で123人(定数は127、現在の欠員4)だから、3分の1に過ぎない。しかし、このような超党派議連が地方議会に出来たというのは、かつて聞いたことがない。それだけ都民、保護者の批判、疑問も大きいのだろう。
(スピーキングテスト反対議連が発足)
 僕が考えたのは、このテストの「自己採点」は可能なのかという点である。都立高校の入選では、解答用紙のみ提出し、問題用紙は持ち帰る。そのため中学では翌日に「自己採点」を行うことが出来る。解答用紙は返却されないが、個人の得点は中学当てに開示されている。学校で普通に行われている定期考査の場合、もちろんテスト返却が行われ、自分でどこを間違えたか振り返ることが出来る。学校で行われるテストというのものは、本来「結果だけ」ではダメである。今回は得点結果はもちろん教えられるだろうが、もともとの解答(スピーキングの録音)と採点過程は生徒に開示されるのだろうか。この発音ではこのぐらいの点数だろうと本人が納得出来るということが、テストには必要ではないか。

 またスピーキングテストの扱いが過大に過ぎるという批判がある。僕も言われて初めて気付いたが、「1000点満点の20点」だから、このぐらいは影響が少ないと思い込んでいた。都立高校の選抜は、「学力検査」と「調査書」で行われる。学力検査は普通科の場合、5教科で実施され、各100点、500点満点を700点満点に換算する。一方、調査書は中学の評定を5教科(テストを行う教科)はそのまま、テストを行わない4教科は倍にする。つまり、「オール5」の生徒の場合、5×5=25、4×5×2=40、合計65となる。その65点満点を300点満点に換算するのである。合計すると、「当日のテストが500点満点でオール5の生徒」は、700+300で1000点になる。それにスピーキングテストの点数20点満点を加えて、1020点満点にするというのである。

 ちょっと複雑だけど、わざわざ換算するのが面倒くさいだけで、よく読めば判るだろう。換算は教員が手作業で行うなんてわけはなく、都教委からエクセル形式の様式が送られてくる。昔はフロッピーディスクが来たけど、今はさすがに違うんだろう。ところで、調査書点だが65点満点を300点にするというのは、およそ4.615倍にすることになる。小数点は割り切れなく、延々と続く。そうすると、英語が「5」だったら、およそ23.075になる。「4」だったら、18.46である。

 2学期に英語を頑張って、4から5になったとしても、5点しか増えない。スピーキングテストは別個に20点になるから、中学3年生2学期の英語はスピーキングの練習にのみ使う方が有利である。「4技能を重視」ではなく、事実上「3技能(読む・書く・聞く)の軽視」ではないのか。あるいは、中学の教科が事実上10教科になったと言っても良い。明らかに過大だろう。

 さて、条例の問題に戻って。自民、都民ファースト、共産などは、「教育行政の中立性を脅かす」として反対した。かつて都議会では一部議員が都立養護学校(当時)の性教育をめぐって、教育に不当に介入したことがあった。その「不当性」は裁判の結果、最高裁でも認定された。だから、都議会が教育を論じる場合は慎重に考える必要がある。だけど、都議会議員には質問権がある。都教委が一部保守系委員に引きずられ、介入の「共犯」となったけど、都教委が「介入はおかしい」と言えば済んだ問題だ。

 では、教育委員会の方がおかしい場合はどうなるのか。議会には条例制定権があり、教育委員会にすべてお任せではなく、教育に関する条例を提起しても許されるのではないか。問題はその内容の当不当であって、今回の場合「スピーキングテストを行うこと」は教育委員会の裁量範囲としても、それを「合否判定には使わないようにする」という条例制定を「教育に対する不当な介入」と考えるのは疑問がある。都教委は何を言っても変えないんだから、都民がおかしいと思う問題があれば、条例制定を目指すしかないのではないか。普通の組織なら、このように反対の声が上がれば、話合いに応じたりするもんだと思うけど、そういうことを一切しないクローズドな組織が都教委である。全国の教育委員会一般とは違う議論をしなければいけない。
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東京の「スピーキングテスト」実施と多くの疑問

2022年08月03日 22時15分59秒 |  〃 (教育行政)
 教育に関する問題をしばらく書いてなかったので、幾つか書いておきたい。東京都教育委員会英語のスピーキングテスト(ESTAT-J)を実施して、都立高校の受験成績に加点される。この問題は方針が打ち出されたときに、「スピーキングテストに見る都教委の「原理主義」」(2017.12.18)を書いた。このテストに関しては、反対や疑問を訴える動きがあるものの、もちろんいつも批判に答えない都教委は、そのまま実施に向かって進んでいる。すでに申し込みが始まっていて、11月27日に実施される予定
(2021年に行われたプレテスト)
 今、「申し込み」と書いたが、これは東京都の公立学校に通う全中学生を対象にしているのに、別途申し込みが必要になる。11月27日は日曜日で、学校の授業の一環ではないのである。受験に加点されるから、逆に私立中学から都立高校を希望する生徒も受けられるんだろうか。一方で私立高校進学を希望する生徒も受ける必要がある。このテストは「受験」ではなく、「授業改善」が目的だからである。「授業で学ぶ」→「試す(ESTAT-J受験)」→「知る(ESTAT-J結果)」→「目標を立てる」→「学び続ける」というサイクルだそうである。「PDCA」みたいな発想がつくづく好きだよね。
(テストの概要)
 疑問点は幾つもあるが、まずは欠席者の問題。あるいは「障害」を持つ生徒の場合。ウェブ申し込みに当たっては、「特別措置」の申請が出来る。視覚、聴覚、きつ音、上肢不自由、下肢不自由、日本語の補助とかいろいろとある。全生徒対象だから、様々な事情のある生徒向けに特別措置が必要になる。それは大事なことだけど、いくらそんな措置を取ったとしても、当日コロナに感染したらどうする。一応、予備日があって、12月18日にもう一回ある。でも、不登校の生徒はどうなってしまうのか。

 もちろん、どんな対策を取ったとしても、中学3年生全員が受けるなんて不可能である。東京の公立高校には約8万人もの中学3年生がいる。受験にも使うというなら、不受験だった生徒は大きな不利益を被るのだろうか。ケガや病気で受験出来なかった場合の対応が5月末に発表されている。それが実に驚きなのだが、「来年2月に行われる英語の筆記試験で、同じ点数を取った同じ高校を受ける生徒たちのスピーキングテストの平均点を算出して、加点する」というのである。筆記試験の点数から、スピーキングテストの点数を導けるんだったら、わざわざ別にスピーキング能力を測定する意味がどこにあるんだろうか。
(入選における活用)
 では実際の入選では、どのように扱うのか。東京都の入学者選抜では、当日の筆記テストと中学の各教科の成績を総合評価する。現在のところ、筆記テストを700点に換算し、調査書点を300点に換算し、合計1000点満点にして上位から合格とする。スピーキングテストの点数は、これと別にして20点を上限にして加点するのである。つまり、1020点満点になる。

 これは各教科の中で英語だけ120点になるようなものである。スピーキングテストの点数はAからFの6段階に区分けされる。80点から100点の人がA段階で、20点加点。65点から79点が16点加算。50点から64点が12点加算。35点から49点が8点加算。1点から34点が4点加算。最後のFは0点の場合である。何で80点以上と最上位は20点で区切るのに、35点以上の場合は、15点ずつ区切るのか全く意味が判らない。スピーキングテストの採点は、どうしても公平性が問題となるが、64点と65点に1点の差しかないわけなのに、それが3点の差になってしまう。何でこんなことをするのか、よく判らない。
(問題例の絵)
 以上のことは、テストを行い、入選でそれを利用することに対する疑問である。しかし、そもそもスピーキングテストを行うことに、どのような意味があるのだろうか。もちろん、英語では「4技能」を学習するというタテマエで言えば、スピーキング能力だけ測定しないのはおかしいという考え方は出来る。しかし、限りあるテスト時間の中で、どのようなテストを行うのだろうか。テストには専用のタブレット端末・イヤホンマイク・防音用イヤーマフの3点を使用する。そして、例文の読み上げ質問を聞いて答える絵を見てストーリーを英語で話す自分の考えを述べるの4問について、答えるようになっている。

 まあ、最初にある「英文朗読」は理解出来る。英単語の読み方を知らなければ、上手に読めないだろう。でも、それは筆記テストでも判定はある程度可能だ。もし、英語独自の発音を厳しく採点するならば、確かに意味はあるだろうが、それが全中学生に可能だろうか。僕がよく判らないのは、「絵を見て答える問題」である。絵そのものの判断が(絵が小さくて)難しい。それに何が問題になっているのか、もうこういうテストをやるわけじゃないから難しい。でも自分が中学生なら判ったと思う。何故なら、問題にはパターンがあって、準備して臨めば出来るからである。つまり、スピーキングテストとは究極の暗記問題なんだろうなと思う。日常生活では使わない英語の発音を「過去問を繰り返してパターンを理解して覚えこむ」という能力を測るテストになるのである。
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都立高校の「男女別定員」再考、「男女別学」こそ問うべきである

2021年09月10日 22時49分32秒 |  〃 (教育行政)
 先に「都立高校(普通科学年制)の男女別定員制をどう考えるか」(2021.6.23)という記事を書いた。都立高校に「男女別定員」があることに反対運動がある。それに対して、東京の場合「私立女子高校」が多いためやむを得ないのではないかという自分の考えを書いた。その後、ジェンダー平等を求める弁護士らが「性差別」とする意見書を6月28日に公表した。また朝日新聞7月25日付「フォーラム」欄で「男女別定員は必要か」という大きな特集記事が掲載された。それらを読んで、もう一回書きたいと思ったのである。

 それらの記事では「公立高では都立入試だけ」と大きく報じられている。まるで東京の高校入試制度にだけ全国唯一の「性差別」が存在してるような感じである。しかし、東京に「男女別定員」があるということは、すべての都立高校が共学だということである。近隣県では「男女別学」のところがある。「別学」なら当然のことに「男女別定員」は存在せず、性別に関係なく成績順に合皮が決まるのみである。男女の合格ラインの差は生じない。
(全国の中高の共学、別学の割合)
 東京の「男女別定員」を問題にする人は、何故か全国の公私立高校に「別学」が沢山あることは問題にしない。どうしてだろうか。性別によって進学できる学校が制限されているということは、男女別定員制よりも遙かに重大な性差別だと僕は思うのだが。そもそも「男女別学」は憲法に反しないのだろうか。「お茶の水女子大学」「奈良女子大学」のように国立の女子大が存在してるんだから、違憲ということはないのだろう。まして私立学校の場合は、私立学校法で「私立学校の特性」「自主性」を認められている。

 しかし、公立高校の場合はどうなんだろう。戦前はもちろん別学というか、そもそも性別により制度そのものが違った。戦後改革で新制高校が発足したとき、西日本は共学になったところが多いが東日本では別学が続いたと言われる。それはGHQの教育に関する「指導」が東西で異なっていたからと言われたりするが、詳しい理由は知らない。東日本でも近年共学化が進んだところが多いが、それでも北関東には別学が残っている。

 埼玉県では浦和、熊谷、川越、松山、春日部高校が男子校である。一方で女子校として、浦和第一女子、川越女子、春日部女子、熊谷女子、鴻巣女子、松山女子などがある。群馬県でも前橋、高崎、大田、渋川、館林が男子校で、それぞれの地域に同名の女子校がある。栃木県でも宇都宮、足利、栃木、真岡、大田原などで別学になっている。(足利は共学化の予定。)不思議なのは茨城県で、水戸第二高校、日立第二高校では「制度上は共学」なのに男子は一人もいなくて「実質女子校」なのである。

 他にも公立の別学高校はあるし、前記高校でも定時制課程では共学というところが多い。校名を見ると、女子校(実質女子校)は「○○女子」とか「第二」を名乗っている。男子校が「○○男子高校」と名乗ることはないのである。埼玉県立浦和高校は東大合格者数で公立トップになることもある難関校として知られている。しかし、その高校を女子が受験することは出来ない。僕にはこっちの方がずっと重大な性差別だと思うがどうなんだろうか。

 大阪では近年になって「男女別定員」を止めたという。その結果男女比のアンバランスが生じているという。もし東京で「男女別定員」を取っていなかったら、旧制中学につながる高校(日比谷、立川、両国、戸山、小石川、新宿等)は「実質男子校」、旧制高等女学校につながる高校(白鴎、竹早、駒場、富士、三田、小松川等)は「実質女子校」になっていた可能性があるのではないだろうか。それが戦後になって「ほぼ半々」の男女別定員を設けたことで、「都立高校は共学」という考えが定着した。70年代に白鴎高校に入学した自分は、府立第一高女だった過去は歴史が古いという証と思っていただけである。
(東大合格者トップ校は別学が多い)
 上記にあるように、東大合格者が多い高校には別学私立高校がズラッと並んでいる。単に成績優秀者がもともと集まっているのかもしれないが、成績上昇のためには「別学」の方がいいのかもしれない。しかし、公立高校の場合は「男女がほぼ半々」であることが望ましいのではないか。もちろん高校には様々なタイプがある。専門高校では男女比が異なることが多い。工業高校は男子が多く、商業高校は女子が多い。それは日本の現実社会の反映だろう。そのこと自体も問い直す必要があるが、受験希望者が選んでいるのだから仕方ない。一方「普通科」高校の場合は男女半々ずつが自然だと思う。

 もちろん体育の授業や運動部の活動は男女別になる。しかし、学校行事や生徒会活動に男女共同で取り組むことは「男女共同参画社会」へ向けた若い世代のトレーニングとして欠かせないと思う。もっとも今の都立高校の募集要項では、男子の方が定員が多くなっている。それは前回記事で書いたように、東京に私立女子高校が多いためである。公私で協議して取り決めるので、なかなか変えるのも大変だと思う。しかし、僕はそこはおかしいと思う。「男女定員は同数」に向けて努力するべきだ。そのために経営上の問題が起きる私立高校の方で共学化を目指すべきだろう。しかし、「男女別定員」そのものは「男女共学」を担保する制度だったのではないだろうか。
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都立高校(普通科学年制)の男女別定員制をどう考えるか

2021年06月13日 22時55分54秒 |  〃 (教育行政)
 東京の都立高校で実施されている「男女別定員」を廃止すべきだという書名運動が行われている。6月9日に記者会見が行われて報道された。この問題をどう考えるべきだろうか。僕はいつもなら大体都教委を批判する記事を書くことが多いが、実はこの問題に関しては都立高校(普通科学年制)の男女別定員制はやむを得ないのではないかと思う。以下でその事を説明するが、まず東京の高校入試制制度から始めることになる。
(記者会見のようす)
 新聞では「都立高校の男女別定員廃止を」と見出しを付けるが、実はもともと商業、工業などの専門学科の定員は性別に関係ない。普通科でも単位制高校は男女別ではない。だから「普通科高校単位制やコース制以外の学年制高校)」だけが男女別定員なのである。どこかの高校では「男女別の合格最低点の違い」が270点以上もあったと報道された。1000点満点での話だが、100点満点の5教科のテストと中学の調査書を換算して1000点満点にしているのである。

 過去には様々な方法があったが、現在は基本的には「テスト700点」+「調査書300点」になっている。つまり、500点のテストを700点に換算する(1.4倍する)のである。一方、調査書は、テストをしない教科の評定を2倍して合計する。つまり、「オール5」の生徒は、5教科×5+4教科×5×2=65になり、それを300点満点に換算する。その合計点を上から順位付けする。だから、実際のテスト点で200点も離れているわけではない。テストのケアレスミスや実技教科の成績が換算の結果、大きな違いになるのである。
(書名サイト)
 東京の高校入試には全国のどことも違う特殊な要因がある。私立高校が多いのである。だから、都立高校は自分の都合だけで定員を決められない。毎年東京都と「一般財団法人東京私立中学高等学校協会」との間で、「公私連絡協議会」を開いている。今年度に関しては「令和3年度高等学校就学計画について」という文書が発表されている。それによると、都内公立中卒業予定者7万3062人、高校進学率を95%、国立・他県私立・高専等進学者を3600人とする。残りの6万5900人の内、2万6700人を私立が、3万9200人が都立が受け入れるとしている。

 何でそこまでするのか。高等教育である大学なら浪人するのは珍しくないし、地方から来て下宿して大学に通ったりする。しかし、高校の場合(離島などの特別な場合を除き)、大部分の中学生は自宅から通えるどこかの高校に進学したいと考えている。浪人して過年度で高校へ進学する人は非常に少ないだろう。だから、「どこの高校にも入れない」という生徒を出さないようにする必要がある。少子化で都立高校には空き教室があるだろうから、都立でもっと受け入れることも可能だろう。だがその場合、私立高校の経営に大きな影響を与えるので、公私間で細かく受け入れ生徒数を決めるわけである。

 私立高校は21世紀になって、中高一貫化共学化して名前も変えた学校が多い。(例えば、日本橋女学館は2018年度より開智日本橋学園という共学の中高一貫校になった。)それでも男子校、女子校は数多い。進学実績が高い難関校として知られる「御三家」(開成、麻布、武蔵)、「女子御三家」(桜蔭学園・女子学院・雙葉学園)はどれも別学校である。名前に「女」が入っている神田女学園、江戸川女子、滝野川女子学園、藤村女子、潤徳女子、蒲田女子などは当然女子校。私立高校の男女別定員は出ていないが、全体として女子校の方が多いのは間違いない。

 都立高校には「男女別定員制の緩和」という不思議な仕組みがある。「男女別の募集人員の各9割に相当する人員までを男女別の総合成績の順により決定した後、募集人員の1割に相当する人員を、男女合同の総合成績の順により決定」するというのである。男女別定員といいながら、合格線上の生徒は性別に関係なく決めるというのである。区部32校、多摩地区10校が採用している。都立高だって、出来れば成績の良い生徒を合格させたいのである。「男女別定員」とは大乗的見地に立って私学のために枠を空けているのである。
(男女別合格点には差がある)
 これはつまり「女子の成績の方が良い」ということだろう。戦後直後はまだ女子の高校進学率が高くなかった。その時代には「女子枠」を確保する意味もあったらしいが、70年頃にはもう男女とも概ね高校までは行く時代になった。現在は「絶対評価」や「観点別評価」を行っているから、中学の評定も提出物をちゃんと出したりする女子が良くなりがち。発達段階的に第二次性徴は女子の方が早いのは常識で、中学段階までは国語や英語などの成績も良いことが多いと思う。だから、男女別で合格判定を行うと、割を食うのは女子のことが多いと思われる。
 
 そこだけを見れば「女性差別」にも見えるが、一部の医学部入試問題と違って秘かに減点しているわけではない。合格判定方式はすべてインターネットで公開されている。子どもが生まれる時には性別を選べないから、「男子の親」と「女子の親」は同数である。女子の親からすれば「男女別定員」で割を食うのは納得できないかもしれないが、男子の親からすれば「必ず多数の男子生徒が都立高校に落ちる」のはもっと納得できないだろう。中学段階では「出来るだけ行き場のない生徒を出さない」が優先してもやむを得ないと思う。

 ただ、僕はこのままの制度で何の問題もないとは思っていない。まずは「男女別定員」とはいいながら、日比谷、西、立川等の進学指導重点校は大体「男子が10人多い」定員となっている。これは「合理的範囲」を越えるのではないか。多くても「各クラス1名の差」ぐらいだと思うが、特に進学指導重点校で女子合格者が少ないと大学進学でも差が出てしまうわけで、「男女別定員」は許されないと考える余地はある。

 また「推薦」でも男女別定員がある。推薦合格者は「定員の20%以内」なので、男女別定員数が自動的に波及するんだろう。しかし、これは本来おかしいと思う。もっとも普通科高校に推薦入学制度があること自体がおかしいが。「推薦入学」は「どうしてもその高校で学びたい」という強い意欲を持つ生徒を取りたいわけである。そういうタテマエからすれば、定員に性別が入ってくるのは間違っている。推薦選抜では性別に関係ないように変更する必要がある。

 ところで、実際には都立を落ちた女子は、もともと冒険と言われていて「私立の押さえ」を用意していただろう。「都立を落ちたら入ります」と内約を得ているわけである。そうやって都立、私立で相互依存しながら、高校受験が成立している。性別ではなく、すべてを成績で判断すべきという考えも判らないではないが、今度はそれは「成績第一主義」になる。成績が悪くて都立も私立も落ちてしまう中学生(特に男子)を「差別」してしまわないか。両者の兼ね合いの問題だと思っている。
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