尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

武力を行使すれば、「独立」が正当性を得るー「台湾有事」考④

2024年06月05日 21時56分52秒 |  〃  (国際問題)
 「台湾有事」問題は考えるべき問題が多く、延々と書くことがあるんだけど、そろそろ他の問題を書きたくなってきた。今回はリクツの問題に絞って、4回で一端打ち止めにしたい。さて、この問題をネットで調べてみると、「台湾の独立を承認している国」という言葉が出て来る。しかし、世界中で「台湾の独立を承認している国」は本当はゼロである。

 「中華民国」を承認している国なら、世界に12国程度存在する。それらの国は「中華人民共和国」は承認していない。中国全体の合法的政府として「中華民国」を選択しているのである。従って台湾独立を承認しているわけではない。だが「中華人民共和国」が建国75年を迎えるという段階で、「中華民国」を中国全体の支配者だとみなすのはいくら何でも無理筋だろう。

 台湾帰属問題は中華人民共和国側から見れば、「内戦の続き」になるんだろう。内戦が終わってないのだから、武力を行使してでも統一を目指すのは当然と思っているはずだ。もともと武力革命で政権を獲得した中国共産党には「唯銃主義軍事力優先思考」が強い。第一次世界大戦からロシア革命が起こったように、日中戦争が中国革命を成功させた。中国共産党は日本の侵略に果敢に戦ったことで民衆の支持を集めていった。「武力」こそが共産党の革命神話になってきた。

 昔から「台湾独立派」は存在する。その人々は本土と台湾島は歴史的経過から、別々の国家になるべきだと考える。台湾を支配した蒋介石の国民党にとっては、認められない思想だった。しかし、南部には独立派が多く、現在の与党である「民進党」もホンネは独立派だという見方もある。それは政権担当者としては公に言えないことで、口にしたら中国との関係が完全に破綻し、武力侵攻の引き金になりかねない。
(台湾独立派の集会)
 自由で民主的な社会だから、台湾で独立を主張することは出来るだろうが、公然と国論にすることは不可能である。僕は将来的には「中国の連邦化」などで解決するべき問題だと思う。異民族で慣習が違っているウィグル族チベット族とは違うのである。(ウィグル、チベットは独立国家を建設する権利があると考える。)そこが台湾問題が特別なところだが、この認識は絶対のものではない。「台湾が独立せざるを得ない状況」が生じれば、「台湾独立」が現実的な問題になるときもあり得る。

 それはいつかと言えば、中国が台湾に武力侵攻を行った時である。国連安保理の常任理事国である中華人民共和国が、国連憲章や国際人権規約に公然と反して、平和的に暮らしている民衆生活を破壊することは許されない。もっともアメリカのイラク戦争、ロシアのウクライナ侵攻など、常任理事国の無謀な軍事行動には多くの前例がある。しかし、ロシアのウクライナ侵攻はウクライナの民心を完全にロシアから離れさせてしまった。今後数百年にわたって禍根を残すに違いない。

 武力で統一したことで、結局は独立を承認せざるを得なかった実例が東チモールである。ポルトガルの植民地だった東チモールでは、1975年にポルトガルが撤退した後、インドネシアが武力で制圧し1976年にはインドネシアの一州として正式に併合した。国連安保理はインドネシアの撤退を決議したが、事実上「黙認」されてしまった。しかし、1998年にインドネシアのスハルト独裁政権が崩壊した後で、住民投票を行うこととなった。その結果に基づき、2002年に東チモールの独立が実現したのである。
 (独立を祝賀する東チモールの人々)
 この論理(というか「背理」と言うべきか)が中国政府に通じるとは思ってない。だが中国が台湾に非道な武力侵攻を行い、多くの人命、財産が失われたとするならば、中国は永遠に台湾民衆の人心を失うことになる。武力で「統一」を実現すれば、歴史上のいずれかの時点で「台湾独立」につながるのである。そういう事態が起きたら、もう「平和的統一」は二度と不可能である。その後、仮に中国が自由で民主的な政体に転換したとしても、台湾は中国に帰属したくないだろう。

 歴史的に同じ民族が複数の国家を樹立することは珍しくない。ドイツオーストリアはその一例である。インドパキスタンは宗教の違いで別々の国家となった。当初はパキスタンは東西に分かれていたが、やがて東パキスタンはバングラデシュとして独立した。歴史の道筋を間違えれば、中国は自ら台湾独立への道を開くことになる。中国はいまウクライナ情勢を注意深く見つめているだろう。個々の戦闘経過ではなく大局的な歴史的教訓を学び取るならば、台湾侵攻のような愚挙を実行しないはずだ。
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独立は支持しないが、台湾民衆の獲得した自由を支持するー「台湾有事」考③

2024年06月04日 22時22分25秒 |  〃  (国際問題)
 台湾問題に関する原則を確認しておきたい。今までにも折に触れ書いたことがあるが、何回も確認した方が良いだろう。基本的には「二つの中国」には反対し、「台湾独立」は認められない。これは日本政府の公式的な立場と同じである。理性的に判断して、これ以外の立場に立つことは不可能である。「台湾民衆が独立を望んだとしたら、それを尊重するべきではないか」。そういう考え方もあるというかも知れない。だが、中国(中韓人民共和国)と「台湾」は同じ民族である。台湾には多くの先住少数民族が存在するが、大部分は漢民族である。国連の原則として認められている「民族自決」は台湾問題には適用できない

 もともと「台湾問題」の始まりは、日清戦争後の「下関条約」(1895年)で、大日本帝国が台湾(及び澎湖諸島)を植民地として獲得したことにある。1943年のカイロ宣言で連合国首脳は「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」という方針を表明した。1945年のポツダム宣言も同じ方針を踏襲し、日本は同宣言を受諾した。9月2日の降伏文書調印をもって、台湾及び澎湖諸島の統治権は「中華民国」に返還されたとみなすべきだ。

 しかし、台湾を支配した国民党は強権的な支配を行って、台湾民衆の反発を買った。1947年2月28日には、国民党当局と民衆の衝突が発生し、残虐な弾圧が繰り広げられた。(二・二八事件。ホウ・シャオシェン監督の映画『悲情城市』に描かれている。)一方、中国本土では国民党と共産党の内戦が激化し、次第に共産党が有利な情勢となった。1949年10月1日には中華人民共和国が建国を宣言し、中華民国の蒋介石総統らは12月に台湾に逃れ、台北を臨時首都とした。

 その後中華人民共和国では50年代の反右派闘争、60年代の文化大革命で大きな犠牲を出す。その意味では台湾の国民党も、本土を支配した共産党も、支配の正当性に問題があったとも言える。だが、その判定は中国民衆が行うべきことで、支配権を放棄した日本が口を挟むべきことではない。そして20世紀の終わり頃に、中国と台湾では大きな変化が起こった。台湾では「総統直選制」が実現し、民主的な政治改革に成功した。経済的にも発展し、「成熟した民主主義社会」を実現したのである。一方、中国では1989年の天安門事件以後政治改革が停滞し、それ以前にもまして抑圧的で非民主主義的な社会となった。

 21世紀になって、さらに台湾では様々な改革が行われた。2019年にはアジアで初の「同性婚」が法制化された。中国では同性愛が違法とされているわけではないが、近年では性的少数者のための人権活動は事実上不可能になっている。(そもそも自律的な人権擁護運動の余地がほとんどなく、「欧米的価値観」の流入として敵視される傾向が強い。)では中国が台湾に侵攻し制圧した場合、同性婚はどうなるのだろうか? それは「本土並み」になるということだろう。香港に適用されたはずの「一国二制度」は欺瞞でしかなかった。台湾でも同じようになるだろう。つまり台湾の人権水準は低下するのである。
 
 そのような事態は認めがたい。「同性婚」は一つの象徴的事例だが、言論・結社の自由が完全になくなってしまう。香港を見れば、それは明白だ。ところで不思議なことに、日本国内で「台湾有事は日本有事」(故安倍晋三元首相)などと台湾支持を打ち出し、中国には武力で対抗するようなことを言う人々は、同性婚反対の超保守派が多い。このような日台間の「ねじれ」が「台湾有事」には存在する。日本でも同性婚を法制化する(あるいは再審法を改正するなど)、台湾が獲得した人権水準を日本でも実現することこそ、まず「台湾有事」を考える時に最初にやるべきことではないのだろうか。
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「台湾侵攻」と日米安保、米軍基地への攻撃可能性ー「台湾有事」考②

2024年06月03日 22時13分46秒 |  〃  (国際問題)
 米軍筋からは「2027年台湾侵攻」の可能性が度々発信されている。それが確定的な情報だとは思ってないけれど、完全なガセネタとは決めつけられない。当然そこは「情報戦」の様相を呈して、今後も様々な情報が乱れ飛ぶと思うが、一応いずれかの時点で中国軍が台湾に侵攻すると仮定する。そうした場合、一体どうことになるんだろうか? 世界経済に与える影響など未確定の部分が多いけれど、取りあえずは侵攻作戦そのものは成功するのだろうか?

 もちろん予測不能な要因がいっぱいあるけれど、「台湾侵攻のシミュレーション」は幾種類もなされている。特にアメリカの「戦略国際問題研究所」(CSIS)というところが、2023年2月に報告書を発表しているそうだ。朝日新聞2023年3月26日付の記事(佐藤武嗣編集委員執筆)が簡潔に紹介しているので、記事を参照しながら考えてみたい。そのシナリオでは「2026年」に侵攻作戦が始まると想定されている。24通りもの戦闘シナリオがあるというが、「中国海軍が台湾を取り囲み電撃的に攻撃を開始して航空機や艦艇を壊滅させる」という風に始まるとされる。
(台湾有事シミュレーション)
 「台湾侵攻」は中国にとって大作戦なので、多くの艦船が台湾沖に集結するなど、ある程度事前に予想可能だと思われる。だが台湾や米軍が「先制攻撃」することは難しい。中国側に「自衛」の口実を与えるだけで、米側の大義名分を奪うからである。アメリカは1979年に「中華民国」の承認を取り消し、中華人民共和国を「唯一の政権」として承認した。その結果「米華相互防衛条約」が無効となったが、米国は「台湾関係法」を制定し台湾とのそれまでの取り決めは維持されるとしている。

 米国歴代政権は台湾に武器を援助してきたし、大統領選、議会選の結果にもよるが、現時点では民主、共和両党ともに対中国強硬派が多い。「台湾侵攻」に何のリアクションもしなければ、今後中国の行動に何も言えなくなってしまう。一方、中国軍は緒戦で制空権・制海権を握ったとしても、(ロシアとウクライナのように地続きではないので)、ぼうだいな占領軍を海上から送り込む必要がある。それは空爆やミサイル攻撃と違って一瞬で出来ることではない。その間に台湾各地で自衛的な市民の行動が湧き起こると思われる。その様子が全世界に発信され、同情的な世論が形成されるだろう。米軍はそれを見殺しに出来ないはずだ。
(CSISの机上演習における日米中の被害想定)
 そこで米軍が中国軍の補給線を断つとともに、台湾防衛軍を派遣することになる。この後に幾つかのヴァリエーションがあり得るが、台湾防衛のために米軍は日本の基地を発進、補給の基地として利用することになる。それに対して日本はどのように対処するのか? 多くのシナリオでは、「中国が台湾を制圧するのは、米軍が本格的に参戦した場合は極めて難しい」とされているようだ。しかし、「米軍が台湾を防衛するためには、日本の基地を全面的に利用することが必須になる」ともされる。

 日本とアメリカの間には「日米安全保障条約」があるわけだが、条約に「極東条項」がある。米軍は「日本国の安全」だけでなく「極東における国際の平和及び安全の維持」のためにも活動する。そして、米軍が日本領外での戦闘活動に基地を使用する場合には「事前協議」となる(はずである)。従って、日本は米中の対立に「中立」を表明して、米軍には日本領内の基地を使用させないという選択も理論的にはあり得る。だが政治的、国際的、社会的に、日本は米軍基地の使用を認めざるを得ないだろうし、むしろ積極的に米軍と協力して自衛隊の活動を活発化させる可能性が高い。(その是非は別として。)

 命運を賭けた大作戦を始めた中国は、米軍基地のインフラをそのままにしておけない。必ずそうなるということではないが、中国が米軍基地に攻撃を掛ける可能性は否定出来ない。台湾から近い沖縄に集結している米軍基地を一時的にも使用不能にすれば、軍事的にかなり有利になるだろう。米軍基地は条約に基づいて米国に使用を許可しているわけで、(治外法権区域ではあるが)米国領土ではない。米軍基地を攻撃すれば、それは日本への攻撃になる。それに基地には日本人労働者もいるし、誤爆もあるだろうから、日本国民にも被害が生じるだろう。そうなったときに日本の世論はどう反応するだろうか。
(日本国内の米軍基地)
 これこそ「日本が戦争に巻き込まれる」最も可能性の高いシナリオだと考えられる。これは安保条約について、反対運動の中で言われてきた「安保巻き込まれ論」そのものの事態だ。だが、昔はアメリカ(帝国主義)の無謀な戦争に日本が否応なく巻き込まれるという文脈で論じられていた。しかし、今後あり得る「台湾有事」では中国の軍事侵攻の方に無理があり、世界の多くの国は「台湾を救え」となるだろう。日本国内でも台湾支援論が盛り上がると思われる。その上で「中国の侵攻を失敗させ、日本の被害を最低限にする」ための自衛隊の活動も「許容」される可能性が高い。

 このように「日本が米国とともに台湾支援に本格的に乗り出す」ことが台湾侵攻作戦の成否を握っている。それが台湾有事シミュレーションの結論となる。だが昔の日中戦争を思い起こすまでもなく、ウクライナやガザの戦争を見れば、一度始めた戦争は終わらせるのが難しいことが理解できる。どこまでなら「許容」できる被害なのか、今の日本社会で冷静に議論できるだろうか? 一歩間違えば、シベリア出兵のように日本だけが延々と戦争を続けることにもなりかねない。そうなると、どうしても「台湾有事そのものを起こさせないためにはどうすれば良いか」と真剣に考え抜くことこそ今必要なことだろう。
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「2027年台湾侵攻」説は本当だろうか?ー「台湾有事」考①

2024年06月02日 21時52分53秒 |  〃  (国際問題)
 2024年5月20日に、「台湾」で頼清徳総統が就任した。この書き方にも本当は説明が必要だが、大方のマスコミはそう報じている。その就任演説が注目されていたが、中国との関係については「現状維持」を強調する一方で、「台湾は中国の一部だ」とする中国の主張を否定した。中国はその主張を「台湾独立派」として厳しく非難し、中国軍(中国共産党人民解放軍)は23日~24日に台湾を取り囲むように演習を実施した。画像のように軍を展開したのだから、まるでウクライナ侵攻直前のロシア軍が「演習」と称して国境に大軍を集結させたようなものだ。一体、中国(中華人民共和国)は本当に台湾を軍事侵攻するのだろうか。

 ここ数年、日本では「今は戦前」だという言葉が多く聞かれるようになった。今にも戦争に巻き込まれるかのようである。その現状をどう考えるかは別にして、厳しい現実が見られるのは事実だろう。だけど、「日本が戦争に関わる」というときのイメージは人様々。きちんと国際状況を理解していないと、今にも日本が攻められるみたいに思い込みやすい。日本はロシアとの間に「北方領土」問題を抱えているが、今のところ「武力で取り戻そう」などという議論をまともにしている人はいないだろう。

 問題は「台湾有事」に絞られる。「台湾有事」とは、中華人民共和国がまだ支配下に置いてない「台湾省」を武力で統一する事態である。(中国には国家の軍はないので、中国共産党人民解放軍が攻撃することになる。)台湾には「中華民国」という国家が、内戦に敗れた地方政府として存続している。台湾が中国の一部であることを、日本国は承認している。僕もそれは正しい方針だと考える。日本が台湾独立を支持することはあり得ない。しかし、中国が台湾を武力攻撃することも許されない
(来日したアキリーノ司令官)
 2024年4月に来日したアキリーノ米インド太平洋軍司令官は「(台湾侵攻を)習近平国家主席が軍に対し、2027年に実行するする準備を進めるよう指示している」と語った。アメリカ情報は、他にも「2027年侵攻準備指示」説に言及している。アキリーノ氏は退役して、後任にはパパロ海軍大将が就任する予定だと記事に出ている。従って、アキリーノ氏は実際に台湾侵攻が起きても、自分では対処しない。いわばキャリアの最後に、言うべきことを言い置くということなんだろうと思う。

 中国共産党の最高指導者、習近平総書記は2012年11月の共産党大会で選出され、2017年に再任された。そして異例なことに2022年11月に3期目の総書記に就任したわけである。従って、2027年に3期目の任期が終わる。習近平は1953年6月15日生まれだから、その時点で74歳を迎えている。バイデン、トランプ、モディを見れば、まだまだ年齢的に可能かもしれないが、健康に問題がなくても「異例の3期目に何をやったのか」ということになる。その最大の業績になりうるのは「未解放の台湾回収」しかない。

 「建国の父」毛沢東、「改革開放の父」鄧小平と並ぶためにも、何とか「台湾統一」を実行したいと思っているだろう。武力を行使するしかないとなれば、軍事侵攻も想定可能である。その事態は中国経済に大影響を及ぼすだろうが、「原則問題」だから譲ることは出来ない。もちろん世界各国の反対を押し切って、本気で軍事侵攻するのかは判らない。そして、それが果たして成功するのかどうかも難しい問題だ。だけど、何の準備もせず任期の終わりを待っているとは僕には思えない。侵攻可否は置いておいて、「準備指示」はあり得ると考える。必ず侵攻作戦を発動するということではない。だが「準備」は軍に指示している。

 そういう事態は大いにあり得ると思っていて、「絶対に侵攻など起こらない」と思い込むわけにはいかない。ウクライナでもガザでも、どんな予想でも事前に想定出来ないような悲劇が眼前で進行している。「台湾有事」だけは起こらないと希望を持てる状況ではない。そして、もし実際に台湾侵攻作戦が始まれば、日米安全保障条約に基づき必然的に日本も巻き込まれていく。ウクライナやガザはいくら悲劇であれ、日本からは「遠い戦争」である。しかし、台湾での戦争は日本にとって他人事ではない。

 ここでは「台湾有事」は起こりうる事態だという認識に立って、ではどのようなことが起きるか、我々はいかに対処するべきか、東アジアの平和を維持するために何か出来ることはあるのかということを数回にわたって考えてみたい。いつかきちんと書きたいと思っていた問題だが、今書くのは「天安門事件35年」ということもある。これは単に「戦争か平和か」というだけの問題ではない。むしろ「自由か独裁か」という問題でもあるし、「人権保障か抑圧社会か」という問題でもあると思っている。
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『カレー移民の謎』、カレーから見た日本のネパール人社会

2024年04月05日 22時30分41秒 |  〃  (国際問題)
 インド映画の本を読んだので、次に室橋裕和カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)を買ってみた。昔から町の喫茶店のメニューに、ナポリタンやエビピラフなんかと並んで「カレーライス」というメニューがあった。小さい頃はよく知らずに「カレーはインド」と思っていたけど、日本のカレーライスはイギリス経由で伝わった独自の洋食というべきものだった。(昔タイに行ったときに、ホテルのレストランにただのカレーと別に「ジャパニーズ・スタイル・カレーライス」というメニューがあった。)その頃はちゃんとした「インドカレー」を食べられるお店は東京でも幾つかしかなかった。

 それが21世紀になると、あちこちでインドカレーの店が出来てきた。それは僕も知ってるし、食べたこともある。そういう店はネパール人がやっていることが多いという話も聞いたような気がする。ものすごく大きなナンが付いているのが特徴で、バターチキンカレーを出すのも特徴。夜だけじゃなく、お昼のランチメニューが充実していて、時にはワンコイン(500円)で食べられたりした。(今は物価が上がって無理だろうけど。)そういう店を「インネパ」というらしい。まあ業界用語だろう。著者は新大久保に住んで外国人に関する取材を続けてきた人で、「インネパ」系カレー店の大増殖に関心を持って、どうしてそうなったか取材した。その結果ネパールまで出掛けて、知られざる歴史と現状を探った本である。
(代表的なセットメニュー)
 読んでみて「日本を制覇する」は大げさだと思ったが、なかなか考えさせられるエピソードがいっぱいだった。まず「バターチキン」などのインドっぽい、高級っぽいカレーは、もともとムガル帝国の宮廷料理(ムグライ)だったという。日本でちゃんとしたインド料理店を始めるときに、メニューに取り入れたんだそうだ。日本人だって、家で毎日スシやテンプラ、スキヤキを食べてる人なんかいない。「ご飯と味噌汁」に焼魚、野菜の煮物とかを(少なくとも昔は)食べてるわけで、インドやネパールだって日常生活では違うものを食べているのである。

 ところでネパールは世界有数の「出稼ぎ大国」だという。イギリス軍最強と言われる「グルカ兵」は有名。観光と農業ぐらいしか産業がないから、昔から隣の大国インドに働きに行く人が多かった。今は中東初め世界中に行くが、やはりインドに行く人が多いという。ビザもパスポートも不要という協定があるからだという。そしてインドのホテルやレストランでネパール人は重宝されてきた。インドには根強い「カースト」意識があって、インド人の調理人は給仕や清掃をしないのに対し、ネパール人は何でもこなしたからである。そして、インドでカレー料理人として活躍した人が独立して日本を目指したのである。

 その中に努力して成功した人が出て来て、家族や親戚を呼ぶようになり同郷のコックを呼ぶようになった。日本語が判らないから遊びにも行けず、次第にお金が貯まったら独立して自分の店を持つようになった。単なる料理人より、経営者のビザを取れたら有利になる。そうして「のれん分け」式に増えていったという。その際、前に勤めていた店のメニューを真似したし、ホームページやチラシも(時には無断で)借りたわけである。なるほど、なんかどこも似たチラシを配ってたりした。

 そして、子どもも呼び家族で暮らすようになると、別の悩みが起こった。それは子どもの教育で、日本の学校に行かせても言葉が判らないから不登校になる。東京では阿佐ヶ谷(杉並区)にネパール人学校が作られたそうで、そこで中央線沿線にインドカレーの店が多くなったという。この問題は非常に重大で、今では14万人近くになっている。(2022年末段階。)数自体は中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ブラジルに次ぐ6位だが、本国の人口を考えれば、日本在住者の割合が高いことが判る。それも話を聞いていくと、ネパール中部のバグルンという地域から来ている人がほとんどだという。
 (バグルン)
 じゃあ、早速バグルンに行ってみよう、というところが非常に面白い。それは是非本で読んで欲しいが、あまりにも日本に行きすぎて地域社会が崩壊しつつある。日本で成功したとしても、日本に居付くか、帰国したとしても都会に家を建てたりトレッキング向きのホテルを買う。故郷の村には誰もいなくなるのである。しかし、インドカレー店の経営者がほぼ同じ地域から来た人々だったというのは驚き。そして今度はネパール人同士で搾取が起こり、ネパール人の下では働きたくないという人が増えているらしい。そしてネパール人もどんどん日本を捨ててカナダを目指しているという。
(新宿に移転したアショカ)
 東京のインドカレー店の歴史も書かれている。それは「インド独立運動」と関わっていたというのは、有名な話。新宿中村屋の「インド・カリー」や、銀座歌舞伎座近くにある「ナイル・レストラン」である。その後、ムグライ料理を本格的に提供したのが銀座にあった「アショカ」である。ここはインド政府観光局が開いたレストランだが、僕も昔一度行ったことがある。素晴らしく美味しかったけれど、なかなか高かったので次に行く前に無くなってしまった。ところがこの本で、今は新宿のヒルトンホテルでやっていると出ていた。それと、東京に夜間中学定時制高校があって良かったなと改めて思わせられた本だった。
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『RRR』で知るインド近現代史(文春新書)ーインド・ナショナリズムのいま

2024年04月04日 22時16分17秒 |  〃  (国際問題)
 軽く読めてタメになる新書が読みたくなって、『『RRR』で知るインド近現代史』(笠井亮平著、文春新書)を読んでみた。先頃『インド、「世界最大の民主主義国」は「厄介な大国」になったのか』(2024.2.27)を書いたが、そこで書いたことを専門家が詳しく解説してくれる本である。インド映画ファンには是非読んで貰いたいし、インド近現代史の「早わかり」本としても有効だ。インド情勢は5年ぶりの総選挙が来月始まることもあって、いろいろ報道される機会が増えている。10年続いたモディ政権の継続は決定的だが、予想以上の圧勝になるとの観測も強まっている。

 前回書いたように、モディ政権を支える「インド人民党」は右翼ナショナリズム政党と言ってよい。日本で言えば、かつての安倍政権みたいな感じ。実際二人には深い親交があり、モディ氏は安倍氏の国葬に来日したぐらいである。モディ政権は、だから「インドを、取り戻す」みたいなスローガンを掲げて勝利してきた。ただし、ここで言う「インド」は「ヒンドゥー・ナショナリズム」である。ムスリム(イスラム教徒)やシーク教徒、さらにはキリスト教徒、仏教徒、拝火教徒(パールシー、ゾロアスター教徒)などを含む「多様性」を擁護するものではない。だから近年ではイスラム教のモスクを取り壊してヒンドゥー寺院を建ててしまうような「暴挙」も行われている。それがまたモディ政権支持層には受けるわけである。

 映画『RRR』は2022年に日本で公開されて以来、今もなお上映が続いている。日本で一番ヒットしたインド映画になっている。182分もある長い映画なので、まだ見てない人もいるかもしれないが、時間を感じさせない面白さがあるのは間違いない。ダンスシーンも最高に素晴らしいが、設定には疑問を感じる映画でもあった。非暴力独立運動のガンディーは全く描かずに、2人の超人的英雄がインド総督府に乗り込んで暴れまくるという話である。ついにインド映画も中国や韓国と同じようなナショナリズム優先になってしまったのか。もちろんフィクションの娯楽映画なんだから、目くじら立てる必要はないとも言える。しかし、どの国でもナショナリズムの高揚の中で「愛国映画」ばかりになると批判せざるを得ない。
(『RRR』)
 この本には『RRR』の2人の主人公ラーマビームが実在人物だという興味深い指摘がある。そこまでインド独立運動史に詳しくないので、二人の名前は知らなかった。ただし、この二人が知り合いだという設定はフィクションで、もちろん総督府に殴り込むのも映画の趣向である。インド独立運動が非暴力一辺倒ということはなく、日本人には有名なスバス・チャンドラ・ボースのように、反英国のためにナチス・ドイツと手を組もうとした人もいる。それが上手く行かないと、次は日本軍と協力して「インド国民軍」を作ったりした。興味深い人物だけど、歴史的には組む相手を間違えたことになるだろう。

 それでもチャンドラ・ボースは独立の英雄として遇されているようだ。だが、やはりガンディーネールの国民会議派主流が独立運動の中心だった。そしてモディ首相はそのガンディーを暗殺したヒンドゥー過激派の「民族義勇団」に所属していた過去がある。ただし、首相としてはガンディーを批判しているわけではない。むしろ全世界にガンディー像を贈る運動をやっているようだ。最近も長崎市にガンディー像が設置され、縁もゆかりもないのに大きすぎないかと問題になっている。世界にインドを売り込むために「世界的有名人としてのガンディー」は利用するんだということだろう。
(長崎市のガンディー像)
 ガンディーはかつて映画『ガンジー』が作られ、アカデミー賞で作品、主演男優、監督等8部門で受賞した。確かに名作だが、監督はイギリス人のリチャード・アッテンボローだった。この本では日本未公開の映画も含めて、インドの映画をいっぱい紹介して、インド独立運動がどう描かれているのか解説している。見てない映画が多いが、その分析がとても興味深い。ただし、歴史に関わらないインド映画はほとんど出て来ない。インド映画史の本ではなく、あくまでも映画で知るインド近現代史なのである。

 『RRR』はヒンドゥー語映画ではない。かつてボンベイ(ムンバイ)で製作されたヒンドゥー語映画がインド映画の中心だった。当時ボンベイは「ボリウッド」と呼ばれていた。その後、『ムトゥ 踊るマハラジャ』のようなタミル語映画も増えた。『RRR』はインド南東部のテルグ語で作られている。インド内では話者人口13位である。他地方で上映されるときは、その地方の言語に吹き替えられるのが通常だ。南インドでヒンドゥー・ナショナリズムが高揚しているのではないかと思う。『RRR』の監督S・S・ラージャマウリがその前に作って大ヒットした『バーフバリ』2部作のセットがテーマパークになって繁盛しているという。
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東南アジアのネポティズム(縁故主義)ーインドネシアとカンボジア

2024年03月26日 22時34分02秒 |  〃  (国際問題)
 東南アジア諸国は、日本にとっても重要だし世界的にも大きな意味を持っている地域だ。東南アジアは文化的、宗教的に一律には語れない多様性を持っているが、政治情勢も複雑。今回はいくつかの国に絞って「ネポティズム」(縁故主義)という視点で考えてみたい。この地域の10か国でASEAN(東南アジア諸国連合)を作っているが、現時点で最も重大な問題は「ミャンマー情勢」である。昨年来大きな変動があったが、今回は取り上げない。また今も一党独裁を続けるヴェトナムラオスも触れない。

 インドネシア大統領選挙が2月14日に実施され、選挙結果がようやく3月20日に発表された。もちろん選挙前から当選確実だったプラボウォ国防相が当選した。(なお、次点候補が異議を申立てている。就任は10月ということで、何とも悠長な国である。)プラボウォ氏は実に3度目の挑戦で勝利したことになる。2014年、2019年の大統領選にも出馬したが、現職のジョコ・ウィドド大統領に敗れていた。関心がある人には周知のことだが、プラボウォ氏は独裁者として知られたスハルト元大統領の次女と結婚して、スハルト時代に軍人として権勢を振るった。しかし、独裁崩壊後に軍法会議で軍籍をはく奪されてしまった。
(プラボウォ次期大統領)
 そこでプラボウォのキャリアも終わったかと思われたが、事実上のヨルダン亡命を経て実業界、政界に進出して成功した。そして全国の農民を組織して新党を樹立、大統領候補と言われるようになった。2014年、2019年の大統領選に臨むも惜敗したが、その後にジョコ政権の国防相に就任して、影響力を増した。72歳と高齢だが、今回はなんとジョコ大統領の長男ギブラン・ラカブミン・ラカ(ジャワ島中部のスラカルタ市長)を副大統領に擁立するという奇手を用いて、ジョコ大統領支持層を取り込んだとされる。プラボウォ氏は保守的で伝統的イスラム層に支持され、ジョコ氏は都市部中間層や非イスラム層の支持が厚かった。

 インドネシアで注目されるのは、過去の独裁時代の記憶が薄れつつあることだ。それはフィリピンでかつての独裁者フェルディナンド・マルコスの長男、フェルディナンド・マルコス・ジュニア(通称ボンボン)が2022年に大統領に当選したことでも似たような事情が見て取れる。プラボウォはジョコ長男を通して、現職支持層にも浸透した。ジョコ氏は「庶民派」というイメージで売っていたが、このような血縁主義ネポティズム)に抵抗できなかった。
(ボンボン・マルコス)
 ネポティズムという概念は、血縁で結ばれた関係者を政治的に優先させる政治を指す。前近代では同族支配が当然だったが、近代社会では「能力主義」が原則になっている。だが特にアジア社会では、有力者の血縁にあるものが権力に近くなることがよくある。日本だって与党議員のほとんどは「二世」「三世」だし、韓国でも大統領縁故者が引退後に摘発されることが多い。中国は政治制度が違うため血縁ではないけれど、習近平政権ではかつて部下として仕えたような個人的関係者を優先する傾向が見られる。

 日本の場合は国会議員に当選するためには、親の知名度がある方が有利となる。だが当選しても、国会議員一期の議員が総理大臣に選ばれることは普通はない。党の中で段々と階段を上っていき、その間にリーダーとして相応しいかどうか検証される。それに対して、東南アジア諸国では直接に最高権力者に登ることがある。最近の例ではカンボジアがそうだった。カンボジアでは1985年にフン・センが32歳で首相になり、2023年まで38年間の長期政権を保っていた。2023年7月に野党を排除したまま総選挙を実施して、与党が勝利した後でフン・セン首相は辞意を表明し、後継には長男のフン・マネットが就任した。
(フン・マネット首相)
 フン・マネット(1977~)は陸軍司令官で政治経験はなかった。アメリカ、イギリスへの留学経験があるというが、どういう政治思想を持っているか知られていない。2021年に父親から後継指名を受け、そのまま後継首相となったのである。これでは「北朝鮮」と同じような「一族支配」に近くなる。カンボジアではかつて1970年代のポル・ポト政権下で、大虐殺が起こった。その復興には日本を含めて国際的な支援が行われたし、我々もずいぶん一市民としてできる応援を続けてきた。なんでこんなことになってしまったのか、僕には全く判らない。アジア社会とネポティズムは非常に重大な問題で、今後も考えて行きたい。
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岡真理『ガザとは何か』を読むー肺腑えぐる告発の書

2024年03月05日 22時26分53秒 |  〃  (国際問題)
 岡真理ガザとは何か』(大和書房、2023.12.31刊、1400円+税)を読んだ。講演の記録だから読みやすいけれど、内容が重いのでなかなか一気に読めない。それでも「読まなければならない」と思う多くの人々が手に取っている。2023年10月7日のハマスによるイスラエル越境攻撃、それに対するイスラエルの全面的ガザ攻撃。その事態に対して、岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授)の講演が10月20日に京都大学、10月23日に早稲田大学において緊急に実施された。その当時から非常に評判になって書籍化を望む声が高かったが、年末に早くも出版されたのである。

 この本は「イスラエルにもハマスにも問題がある」などと解説する本ではない。今回の事態を今回だけで見ていては本質を見誤るという前提に立ち、イスラエルの建国から説き起こし、特にガザの全面封鎖の国際法違反が告発されている。イスラエルによる占領が建国以来続いていて、パレスチナ側には抵抗する権利がある。確かにハマスには戦争犯罪にあたる行為があると書かれているが、それをもって「どっちもどっち」と考えてはならない。問題の本質はイスラエルの国家体制にある。その意味では「ガザとは何か」という書名になっているが、この本の正しい書名は「イスラエルとは何か」なのである。
(ガザ地区)
 パレスチナの抵抗権という視点から、今回の事態はイスラエルによるジェノサイドであると明確に認定している。それに加担する米欧諸国、追随する日本の姿勢も告発する。それとともに、自らも含む世界の無力、そして「見て見ぬ振り」が大きな犠牲をもたらした。そのことを厳しく指摘する。僕は「イスラエルとパレスチナ」という観点からは、この本に書かれていることは全く正しいと考える。ただいくつかの留保点もある。アラブ諸国は何をしているのだろうか。南アフリカは自らの経験から、イスラエルの「アパルトヘイト」(人種隔離政策)を鋭く告発している。それにも関わらず、近隣のアラブ諸国は何をしているのだろうか。
(ガザ拡大図)
 僕はその当時に書いた記事で「周辺アラブ諸国がともに立つことはない」と書いた。それはハマスとはムスリム同胞団だからである。エジプトのシーシ政権、シリアのアサド父子政権は成り立ちが全然違うけど、ムスリム同胞団が最大の政敵だという点では共通している。パレスチナ人一般の「抵抗権」は抽象的にはアラブ諸国が承認するだろう。だがガザ地区を支配する「ハマスとは何か」という問題も問わない限り、今回の事態の行く末を見通すことが出来ないと思う。
(岡真理氏)
 ところで日本の一般市民に何が出来るだろうか。ここでは「BDS運動」というものが紹介されている。「ボイコット、投資撤収、制裁」運動 (Boycott, Divestment, and Sanctions)の略語である。かつてアパルトヘイトを続ける南アフリカに対して、貿易、投資をしないというボイコット運動があった。日本企業は人権意識が低く、欧米企業が関与を控えた結果日本との貿易が増大した時期もあった。僕はその当時に抗議集会に参加したことがある。イスラエルとの関係においても同じような呼びかけがあるという。(Wikipediaに詳細な紹介がある。)日本政府や大企業は近年イスラエルとの「防衛協力」に積極的だが、そういう企業を批判する運動が必要だろう。(イスラエル内反体制派による文学、映画などは例外と考えている。)

 それと同時に、僕は長年ハンセン病問題冤罪問題を見て来て、マスコミが全く報じず「見て見ぬ振り」を続けるのはよく知っている。ハンセン病国賠訴訟や袴田事件再審開始などのトピックの時だけ、集中豪雨的報道が起こるのである。ガザの戦争も時間が経ち、今では報道も少なくなってきた。テレビニュースは「本日の大谷翔平」に長い時間を掛けるが、「本日のガザ」や「本日のウクライナ」はほとんど触れなくなってしまった。それはどんな問題でも似たような構図がある。絶望していても仕方ない。自分に出来ることを続けるしかないし、その出来ることの一つはこの本を買うことだ。それは著者や出版社への応援になる。そして僕が今やっているように、この本のことを発信することである。1500円ぐらいなんだから、一回何かを控えれば買えるはずじゃないか。
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インド、「世界最大の民主主義国」は「厄介な大国」になったのか

2024年02月27日 22時11分48秒 |  〃  (国際問題)
 国際情勢を書く時は、つい現時点で大きな動きがある地域を中心に考えることが多い。それと「超大国」で日本にとって死活的重要性があるアメリカ中国について書くこともある。だが、それでは見落としが出て来る。自分が特に関心がある東南アジアについて書きたいと思っているんだけど、数回かかりそうで時間が取れない。今回は単発でインドについて考えてみたい。

 2024年は国際的に「スーパー選挙年」と言われている。アメリカロシアの大統領選がある。人口世界4位の巨大国家インドネシアの大統領選はすでに実施された。そしてインドの国会議員選挙も4月から5月に行われる予定である。インドはイギリスや日本と同じ議院内閣制の国で、名目上の大統領がいるが政治の実権は首相が握っている。

 インドで「国民会議派」のネルー=ガンディー一族がずっと首相を務めていたのはずいぶん昔の話だ。インド独立の英雄、ジャワハルラル・ネルーは建国の1947年から死亡した1964年まで、娘のインディラ・ガンディーは1966~1977、1980~1984年に首相を務めた。インディラ暗殺後は長男のラジブ・ガンディーも1984~1989年まで首相を務めた。だが、その後の35年間で国民会議派はナラシンハ・ラオ(91~96)、マンモハン・シン(04~09)の10年間しか政権に付けていない。

 近年は「インド人民党」(それ以前はジャナタ・ダル)という右翼政党が選挙に勝つのである。この政党は「インド独立の父」であるマハトマ・ガンディーを暗殺したナトラム・ゴドセが所属していた「民族義勇団」が源流になっている。ヒンドゥー至上主義を唱え、ガンディーがインド分裂を避けるためイスラム勢力に妥協するのを嫌って暗殺した。現首相のナレンドラ・モディ(1950~)も若い頃に民族義勇団に所属していた。
(2019年に選挙に勝利したモディ首相)
 インドの下院は小選挙区制の543議席で、そのうち2019年の総選挙ではインド人民党が303議席と圧勝した。(2014年は282議席。)国民会議派はわずか52議席の小政党になってしまった。その他地方政党も多いが、与党は328議席、野党は214議席となっている。上院は与党が少数らしいが、首相指名は下院の権限である。経済発展とイデオロギー的支持があいまって、今年の総選挙も与党有利でモディ首相が再選されると想定されている。(インドの首相に任期の制限はない。)
(インドと中国の人口)
 インドの国際的影響力はここ数年で格段に上昇している。政治的、経済的、文化的にインドの話が取り上げられることが多くなっている。人口は2023年に中国を抜いて世界1位の14億2860万人になったとされる。中国は14億2570万人という。この人口爆発は今後地政学的に大きな影響を与えると思われる。ただインドの発展が良い方向にばかり進んでいるのかという声も聞こえてくる。東京新聞は2月18日に「週のはじめに考える インドは民主主義国か」という長い社説を掲載した。少し抜粋すると、

「最大の問題はモディ政権の「ヒンズー至上主義」への傾斜です。国民の8割を占めるヒンズー教徒の優遇政策が露骨で、少数派のイスラム教徒は苦境にあります。最近、インド北部のアヨドヤで、モスク(イスラム教の礼拝所)の跡地に大規模なヒンズー教寺院が建立されました。1月の落成式に出席したモディ首相は「何千年たっても人々はこの日を忘れないだろう」と熱っぽく語りました。」

「メディアや野党への弾圧姿勢も目立ちます。ジャーナリスト、パラグミ・サイナート氏は、月刊誌「中央公論」1月号の対談の中で「批判すれば家宅捜索や収監という惨憺(さんたん)たる状況だ」と証言。政権に批判的な番組を放送した英BBCも現地拠点が家宅捜索を受けました。インドは国際NGO「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングで02年には80位でしたが、23年は161位と、かつての見る影もありません。」

 このような人権状況への懸念が最近は聞かれるようになったのである。日本ではまだ大きく報道されることは少ないが、かつての「少数への寛容」は消え去り、民族主義的な主張が強くなっている。自国文化に反する(と考える)外国文化の受容が制限され、保守的な風潮が強まっている。これはロシアのプーチン、トルコのエルドアン、日本の安倍晋三などと共通性のある政治姿勢だ。

 インド映画も最近はよく公開されるようになったが、今も上映が続く大人気ヒット作『RRR』なども、モディ時代を象徴するかのようなヒンドゥー至上主義的な歴史観で作られていた。日本では面白いということで評判になって(確かに面白いけれど)、歴史改変的な反英運動を大々的に描いている。韓国映画や中国映画にも自国中心に歴史を書き換えたような映画はあるが、インドもそうなってきたのかもしれない。何しろ独立運動の中心だったはずの国民会議派やガンディーは全く消されているのである。
(『RRR』)
 インドは領土問題を抱えているので、中国の友好国にはなれない。その点で、米日豪と「中国包囲網」的な関係を築いている。しかし、インドが果たして「民主主義国」なのかと問う先の社説が出て来るだけの理由がある。確かに普通選挙がある点で中国よりは「民主的」かもしれないが、今後のインドがどうなっていくは要注意だ。ロシアとは友好関係を続けていて、ロシア産原油がインドを通じて世界に輸出されているらしい。ロシアを経済的に支えつつ、アメリカと協力するという「ぬえ」のような、「厄介な大国」になってきたかもしれない。日本はインドの中に少数派の声を世界に届ける役割を果たすべきだと思う。
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ナワリヌイ氏獄死、世界にプーチン政権の恐怖を証した

2024年02月17日 20時36分59秒 |  〃  (国際問題)
 ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(1976~2024)が北極圏の刑務所で獄中死した。47歳。16日に刑務所当局から公表され、世界に衝撃を与えている。各国のリーダーから強い非難が寄せられているが、例によって日本の首相官邸は何のメッセージも発信していない。12月に所在不明が伝えられ、結局北極圏の刑務所に移管されていたと判明したときに、プーチンはナワリヌイを殺す気なんじゃないかと直感した。しかし、3月の大統領選の前にも獄死の報が届くとは想定していなかった。
(ナワリヌイ氏の写真)
 ナワリヌイ氏は2020年に謎の毒物中毒(確実にプーチン政権によるものだろう)にかかり、その後ドイツに出国が認められ治療が行われた。2021年1月に帰国したが、そのまま拘束され、2022年に裁判で懲役9年が宣告された。2023年にはさらに過激派組織を設立したとして懲役19年が宣告されていた。それにしても死刑や無期じゃないんだから、刑務所当局には彼を生かしておく責任がある。それが「ロシアが法治国家である」と国際的に弁明する条件なんだから、通常の独裁政権だったらナワリヌイ氏を北極圏の刑務所に送ったりしない。つまり、プーチン政権は通常の独裁政権ではない
(ナワリヌイ氏の妻はプーチンを非難する)
 日本の入管で入所者が死亡すれば、入管当局に責任があると我々は批判する。同じように、ナワリヌイ氏が拘束中に死亡した以上、ナワリヌイ氏の死はロシア当局の責任である。ただ、それが「業務上過失致死」なのか「殺人」なのかは今の段階では判別できない。当局側から「血栓」という報道がなされているが、信用することはできない。遺体はそのまま国外にいる家族のもとに送られなければならない。そして信用できる外国医療機関によって死因調査が行われなくてはならない。それなくしてロシア当局の言い分を信用することは不可能だ。ロシア当局が勝手に遺体を火葬することが懸念される。
(追悼する人々)
 2023年8月には民間軍事会社「ワグネル」の創設者プリゴジン氏が乗った飛行機が墜落するという出来事が起こった。以前からプーチン政権に反対した人々が「怪死」する事件が相次いでいた。その果てに起こったのが「ウクライナ侵攻」である。今までの出来事を見てくると、たまたまプリゴジンの飛行機が墜落したとか、たまたまナワリヌイに血栓があったなどと僕は信じることはできない。普通の独裁政権ならば、今は大統領選挙を控えている以上、もちろんその「大統領選挙」なるものが反対派を排除した茶番であるとしても、その直前に「最大の政敵」が亡くなる事態は絶対に避けたいはずだ。

 僕はこの事態に「プーチンその人の恐るべき残虐さ」を感じてしまう。だからこそ、あのような残虐な戦争をチェチェンで、シリアで、ウクライナで起こせるのである。プーチン政権と交渉して戦争を止められるとか、(はたまた「北方領土」が戻って来るとか)、一切の幻想を持ってはならないと認識するべきだ。まさに「ロシア帝国主義者」として、ゆるぎなくかつてのロシア領土の「回復」を目論んでいると見るべきだ。それこそが「偉大なリーダー」に課せられた歴史的使命と確信しているに違いない。
(映画『ナワリヌイ』)
 ナワリヌイ氏自身はもともと極右的ナショナリストだった過去がある。2014年の「クリミア奪取」も当時は支持していた。2022年に始まったウクライナ戦争には反対を(獄中から)表明したし、近年は同性婚に賛成するなどリベラル化したとも言われてる。しかし、そういう問題は本質ではない。ナワリヌイ氏の政治的主張がどのようなものであれ、猛毒で殺されるいわれはない。そして、紛れもなく彼は政権に暗殺されかけた。それは映画『ナワリヌイ』を見れば判る。2022年度の米国アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した映画である。映画として面白いし、優れている。(上映は終了しているが、ホームページで予告編は見られる。アマゾンプライムビデオで配信されている。)

 「直接命令」なのか、「忖度」なのか、それとも「未必の故意」なのかは判らないけれど、ナワリヌイ氏は「プーチンに殺された政治家」として歴史に残るだろう。プーチンのもとで、ロシアがここまで恐ろしい国になってしまったことに愕然とする。
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ガザもウクライナも戦闘が続くー「トランプ待ち」の2024年

2024年01月30日 22時19分11秒 |  〃  (国際問題)
 ガザウクライナ情勢に関して、ずっと書いてない。年末に一回まとめと展望を書こうかなと思っていたけど、何となく機を逸してしまった。良い方向の展望が全くないので、あまり書く意欲が湧かないのである。結論だけ簡単に先に書いてしまうと、2024年にガザやウクライナの戦争は終わらない。「膠着状態」みたいになる可能性はあるが、最終決着の「和平」は見通せない。まあ、恐らく2025年以後も同じような状況がしばらく続くのではないかと思っている。

 2024年は「スーパー選挙年」だが、なんと言っても11月のアメリカ大統領選挙が最大の山場となる。そこでトランプ政権が復活するかどうか。少なくとも共和党の候補はトランプで決まりだろう。民主党はバイデン以外に事実上候補がいない状態だから、2回続けて「バイデン対トランプ」になりそうである。二人ともう高齢だから、選挙までに健康問題が起きるかもしれないが、まあ両者の選挙戦を前提にするしかない。結果がどうなるかは第三候補の活動にもよるし、まだ見通せる段階ではない。しかし、トランプが勝利する可能性を考えておかないといけない。

 バイデン政権の政策が素晴らしいとも思えないが、少なくとも予測可能ではある。第2次トランプ政権で米国が再び「予測不可能」に戻る影響は計り知れない。就任初日以外は独裁者にならないと言っているが、つまり就任初日は「独裁者」になる気なのである。その日には恐らく「パリ協定離脱」の大統領令に署名するだろう。そして多分、自分で自分を恩赦するんだと思われる。民事訴訟はどうしようもないが、刑事訴訟に関しては確かに大統領令で終わらせることが出来るだろう。しかし、そうなったらアメリカの民主主義の完全な破壊であり、アメリカ国内が大騒ぎになって収拾出来ない事態になりかねない。

 プーチンネタニヤフは、来年になればトランプが戻って来る(可能性がある)と思えば、今年バイデンと仲良くする必要を感じない。今、バイデン政権はイスラエルに対して「二国家共存」のパレスチナ和平を一生懸命推進しようとしている。しかし、ネタニヤフ政権は全く耳を貸す姿勢を見せない。イスラエルの政治情勢を考えれば、ネタニヤフに和平を受け入れる可能性はゼロだ。そして仮に奇跡的にパレスチナ和平案がまとまったとしても、トランプ政権は初日にパレスチナ国家の承認を取り消すだろう。
(ガザの死者は2万5千人を超えた)
 それどころか、かつてトランプ政権では「アメリカ大使館のエルサレム移転」「ゴラン高原併合の承認」など、それ以前には考えられなかった「禁断の政策」に踏み込んだ過去がある。それを思い出すなならば、トランプ大統領は「ハマスへの懲罰」を理由に「ガザ地区のイスラエル併合支持」というあり得ない決断まで踏み込むかもしれない。すでにガザ地区では死者が2万5千人を超えたとされる。もともとはハマスのイスラエル領攻撃から始まったわけだが、それにしても「報復の限度」(というものがあるとも思えないが)を遙かに超えている。ハマスもこのような壊滅的攻撃は当然予測していただろうが、決着は見通せない。

 ハマスによる「人質」の問題も解決が難しい。ハマスが全面的に解放しても、イスラエルが「許してくれる」ことはあり得ない。人質を解放した後でせん滅されるぐらいなら、人質を巻き込んでイスラエルの残虐さを印象付けた方が得策だ。恐らくそれがハマスの目的なんだろうが、アラブ諸国の公的な支援なしでどこまで持ちこたえられるだろうか。イランの支援を受けるヒズボラ(レバノン)やフーシ派(イエメン)も全面戦争までは踏み切れないだろう。膠着しながら戦闘が続くという可能性が高い。
(ウクライナ占領地の変遷)
 同じような状況はウクライナでも予測出来る。トランプ政権が成立すれば、ウクライナへの支援が大幅に削減される可能性が高い。「アメリカ・ファースト」というけれど、そもそもトランプは大国同士の「取引」で世界を動かすという世界観を持っていると思われる。プーチン大統領としては、来年になってトランプ政権が復活する可能性があるのに、今年のうちにウクライナと和平する必要がない。大々的な侵攻をせず、占領地を維持する方針で行く可能性が高い。ウクライナ側の「反転攻勢」はほとんど成功しなかった。戦線は今や第一次大戦並みの「塹壕戦」になっていると言われる。このまま数年戦闘が続くのではないか。

 ということで、僕は今年はロシアもイスラエルも「トランプ待ち」で和平する気がないと判断している。だが、もちろん世界は大国リーダーのみが動かしているわけではない。アラブ諸国やロシアの民衆に動きがある可能性もある。それに歴史は偶然性に左右されることがある。バイデン(81歳)、トランプ(77歳)、プーチン(71歳)、ネタニヤフ(74歳)、ついでに習近平(70歳)、インドのモディ(73歳)と並べてみれば、軒並み高齢である。今は珍しくないとはいえ、皆が「古稀」を越えている。健康面でいつ何があってもおかしくない年齢なのである。
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ネタニヤフは「ヒトラー」なのかーむしろ「プーチン」だろう

2024年01月02日 22時16分33秒 |  〃  (国際問題)
 「ガザ戦争」について、あるいは「ハマス」や「イスラエル」をどう評価するか。問いが大きすぎて、なかなかまとまって書く気が起きないまま年を越してしまった。そこでここでは、年末に起こったトルコ大統領エルドアンイスラエル首相ネタニヤフの「口論」をもとに、この問題を違った観点から考えてみたい。
(左=ネタニヤフ、右=エルドアン)
 12月27日、エルドアン大統領はトルコの首都アンカラで開かれた式典で演説した。そこでイスラエルによるガザ地区への軍事作戦に関して「イスラム教徒としてわれわれはこの弾圧を止められないことを恥じている」と述べた。そして、さらに「ネタニヤフのしていることはヒトラーがしたことと何か違うのか。いや、何ら変わらない」と主張したという。ユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツのヒトラーと比べるというのは、イスラエルの指導者にとって最大の侮辱と言えるだろう。
(エルドアン大統領)
 これに対しイスラエルのネタニヤフ首相は「クルド人を虐殺し、政権に批判的な記者を投獄するエルドアンがわれわれに道徳を説けるはずがない」と強く反発した。そして「イスラエル軍はエルドアンが称賛する残忍なテロ組織、ハマスと戦っている」と主張したという。エルドアンの所属する「公正発展党」は、その前身の「福祉党」「美徳党」以来イスラム政党色は薄めているが(世俗主義を国是とするトルコ共和国ではあからさまな宗教政党は結成できない)、本質的にスンナ派の「ムスリム同胞団」との類似性が強い。「ハマス」はムスリム同胞団の組織だから、ガザ地区が大規模な攻撃を受けるたび、トルコは支援を続けてきた。
(ネタニヤフ首相)
 この「口論」に関しては、どっちもどっちというか、イスラエルにもトルコにも問題があるというしかないだろう。ただし、一番最初の「ネタニヤフがしていることはヒトラーと何が違うのか」というのを、マジメな歴史学上の疑問と考えるならば、大きな違いがあると言うしかない。ナチス・ドイツは戦場から多くの捕虜を強制的に連行してきたが、イスラエルはガザ住民を捕虜にしているわけではない。住民の生命を軽視するムチャな攻撃を続けているという意味でイスラエルは非難されるべきだが、それは戦争をしている指導者にはおおよそ当てはまる。

 イスラエルは一党独裁体制になっているわけじゃやないし、国内で人質解放を優先せよという反政府デモはひんぱんに起こっている。アラブ諸国でこれほど自由なデモが許されている国はないだろう。その意味で「ネタニヤフはヒトラーとは言えない」ということになる。だけど、エルドアン大統領も厳密にネタニヤフがヒトラーと同じだと言ってるのではなく、「歴史的に極悪認定を受けているリーダー」を引き合いに出しているだけだろう。それに対し、ネタニヤフ首相もトルコ内の言論弾圧というトルコが触れられたくない部分を指摘した。イスラエルの方が民主主義社会だと言いたいのだろう。

 ナチスによる虐殺を経験したイスラエルが、なぜガザ地区で住民を虐殺するのか。そういう問いを発する人が結構いるけど、それはむしろ「よくあること」だと思う。イスラエル国民には、歴史的経験から「自国の安全」を何よりも重視する心性が強い。それは中国共産党政権が何よりも「国家の統一」を重視して、国民の人権をないがしろにする姿勢にも通じる。日本社会だって、例えば先輩にいじめられた後輩たちが、自分が先輩になったら今度は率先して後輩をいじめるなんて、珍しいことじゃない。ナチスによる極限的な虐殺を受けたからこそ、イスラエル国民は周囲のアラブ人を信用できず「共生」より「弾圧」を選ぶのだろう。

 ところで、ネタニヤフ首相と最も似ているのは、何も歴史をさかのぼって探す必要などない。クリスマスも正月もなく(まあ、暦自体が違っているわけだが)、戦争を持続する無慈悲な指導者なら同時代にいるではないか。もちろんロシアのプーチン大統領である。トルコはNATOの一員ではあるが、ロシアとの関係も深い。ウクライナとロシアの和平を模索する立場でもあり、プーチンを引き合いに出す発想がないんだろう。でも客観的に見れば、イスラエルとロシアは似たことをしている
(ナゴルノ・カラバフから避難する人々)
 また、もう一つ重大な問題がある。それは「ナゴルノ・カラバフ」問題の無視である。マスコミの10大ニュースなどでも取り上げられていない。アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ地区で、多くの人命が失われるなどの人道危機が起きなかったからである。それは「自発的」に10万人近くの人々がアルメニア本国に避難したからだ。ナゴルノ・カラバフに住んでいたアルメニア系住民は古くから住み着いていた人々で、近年になって移住してきたわけではない。これほどキレイさっぱりと「民族浄化」が実現したことは歴史上ないのではないか。その結果、世界はこの問題を忘れている。

 アゼルバイジャンが戦争に完勝したのは、紛れもなくトルコの支援のおかげである。イスラエルがトルコを批判したいならば、この問題を取り上げれば良かったのに。イスラエルでも忘れられているのだろうか。世界各国の指導者が他国を批判する場合、大体は批判している側の国にも問題があることが多い。そう考えれば間違いないだろう。
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ガザの人道危機をめぐる情勢、中東世界は変わるか

2023年10月20日 22時14分46秒 |  〃  (国際問題)
 ガザ地区をめぐる情勢、続報。イスラエルの地上侵攻の準備は整ったとされるが、まだ始まっていない。国連安保理では2つの決議案が採決され、どちらも否決された。議長国ブラジルによる停戦決議は日本も賛成したが、(予想されたことだが)アメリカの拒否権で否決された。ウクライナで戦闘を続けているロシアが停戦決議を出した(否決)のも白々しいが、ウクライナでロシアの拒否権を非難するアメリカも自ら拒否権を行使する。米ロとも、あからさまなダブル・スタンダードである。

 バイデン米大統領がイスラエルを訪問する18日直前には、ガザ地区北部の病院で爆発が起き、471人の死者が出たと報じられた。死者数はその後も増えている。患者だけでなく、多くの地域住民が病院中庭に避難していたという。その原因をめぐって、イスラエルの空爆とするハマスと、(ガザ地区にあるハマスとは違う組織)「イスラム聖戦」によるロケット弾の誤射だとするイスラエル側が対立している。どっちが正しいかは自分には決めがたいが、それは一番の問題ではない。近隣アラブ諸国では大規模な民衆デモが起こっているが、アラブ側からすれば「真の原因はイスラエルの占領」だということになるだろう。
(病院爆発)
 今回の事態で改めて思うことは、「ガザ地区」の特殊性だ。93年のオスロ合意でパレスチナ自治政府が成立して、ガザ地区でも「自治」が始まった。当初はパレスチナ解放機構主流派のファタハが優勢だったが、ファタハの腐敗もあり2006年の第2回選挙ではハマスが第1党になった。ファタハ出身のアッバス議長と内閣は度々対立し、武力衝突が起こってガザ地区はハマスが武力で制圧した。これが「ガザ地区を実効支配するハマス」と呼ばれる理由で、その後暫定統一内閣が出来ているが選挙は行われていない。つまり、ハマスは最初は選挙で支持されたが、「実効支配」は正当なものではない。僕はそのように判断している。
(ガザ地区周辺)
 そもそもガザ地区はイスラエルに基本的なエネルギーを依存していて、「自治」の根本をなしていない。今回イスラエル側はガザ地区へ通じる検問所を閉鎖して「兵糧攻め」を行っている。食糧や水、エネルギーが尽きつつあり、こういうやり方は許されない。イスラエルに通じる地区だけでなく、エジプトに通じるラファ検問所も未だに開放されていない。エジプトはシナイ半島にイスラム原理主義者勢力が多いため、検問所を厳格に運営してきた。今回バイデン米大統領の働きかけで、エジプトは検問所を開放するとされているが、まだ実現していない。完全な開放はガザ地区から大量の住民がエジプトになだれ込みかねないので、実現しない。
(ラファ検問所)
 世界ではイスラエル支持、非難双方の動きが広がっている。今回は日本人の人質がいなかったため、他人事ではないか。人質がいたとしたら、イスラエルにもハマスにも人質救出を優先するように求めるだろう。調べてみると、今回死者、行方不明(人質)が出ている国は、イスラエルを筆頭に、タイ(20人死亡、14人人質)、アメリカ(14人死亡、人質も?)、ネパール(10人死亡)、フランス(8人死亡、20人不明)、アルゼンチン(7人死亡、15人不明)、ロシア(4人死亡、6人不明)、ウクライナ(2人死亡)、イギリス(2人死亡)、カナダ(数人拉致)、ドイツ(数人拉致)、フィリピン(5人不明)、チリ(3人死亡、1人不明)、ペルー(2人死亡、3人不明)、他カンボジアブラジルオーストリアイタリアパラグアイスリランカタンザニアメキシココロンビアアイルランドなど、実に多数の国に及んでいる。

 恐らくハマス側も想定外だったのではないだろうか。これらは音楽祭参加者の他、キブツ(集団農場)に研修に来ていたり、外国人労働者として来ていた人々が多いだろう。相次ぐ空爆で「人質」にも被害が出ているとされる。今「人質」と書いたが、正確には「拉致被害者」だろう。ガザ地区には多くの地下通路があるとされ、どこに隠されているか不明である。イスラエルもこれほど多くの「人質」の存在を無視できないだろうが、そのために攻撃を止めるとは思えない。「テロリストとは取引しない」と宣言して、どこかで強硬策に出るのではないか。「まず停戦を」という声が聞かれるが、僕も出来るなら望ましいと思うけれど、イスラエルもハマスも相手の存在自体を根本的に否定している。従って、「停戦」が実現したとしても、それは「取りあえず」であって、イスラエルが納得出来る条件が提示されるとは思えないので、いずれ本格的な対決になるだろう。
(アラブ諸国の抗議)
 アラブ各国で反イスラエル抗議活動が高揚している。またイランの支持するレバノンのシーア派組織「ヒズボラ」がイスラエルを攻撃している。イエメンのフーシ派組織もミサイルをイスラエルに向けて発射したとされる。イランはヒズボラを通して、南北の二正面作戦を行うだろうか。事態によってはあり得なくないと思うが、なかなか現実には難しいと思う。イランは明確な反イスラエルだが、出来ることは限られる。サウジアラビアはこの事態を受けてイスラエルとの国交正常化交渉を凍結した。前回書いたように、これこそがハマスの今作戦の政治的目標だっただろう。

 反イスラエルの民衆感情は中東諸国を揺るがす事態に発展するだろうか。それは一部諸国を除けば考えにくいと思う。ただペルシャ湾岸のシーア派が多い諸国、例えばバーレーンなどではイスラエルと国交を結んだ王政当局に対する批判が大きくなる可能性がある。ただ、エジプトやシリアなどで政権基盤が揺らぐことはないだろう。一方、イスラエルでは今回の「ハマス掃討戦」終了後に、長かったネタニヤフ時代が終わるだろう。それもまた想定しておくべきことである。
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「ガザ戦争」、避けられぬ悪夢の展開、近づく地上戦

2023年10月11日 23時26分07秒 |  〃  (国際問題)
 10月7日に突如、イスラエルに対してガザ地区から5000発にも及ぶロケット弾が発射された。これほど多くのロケット攻撃が行われたことは今までになく、ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織「ハマス」の並々ならぬ準備と覚悟が感じられた。ところが、実はこの攻撃はいわば「陽動作戦」であって、イスラエルがミサイル防衛に追われる間に地上部隊がイスラエル領内に侵攻していた。そして、近くで行われていた音楽祭を奇襲攻撃し、250人以上の死者が出ていると報じられている。また外国人を含む多くの人々が「人質」としてガザ地区に連行されたとされる。イスラエルはこの事態に対し「戦争状態」を宣言した。

 この想定外の事態は単に中東に止まらず、世界全体の秩序を変えてしまうような「もう一つのウクライナ戦争」になるのではないか。そのため、ここでは「ガザ戦争」と書きたい。もちろんイスラエル軍はガザ地区を空爆して多くの死者が出ているが、それだけでなく今後「地上侵攻」が避けられないという観測が強い。それに対して、ハマスは「人質を処刑する」と脅迫している。非常に多くの国籍の「人質」がいて、今後国ごとに「解放」されたり、場合によっては殺害されるなど、「選別」が行われる可能性が高いと思う。それは一定程度「地上戦」への制約となるだろうが、地上戦を行わずして「ハマス勢力を一掃する」ことは出来ず、従って時間が掛かっても「ハマス殲滅作戦」があると思って置いた方が良い。

 何故この時期にハマスは大規模攻撃を行ったのか。軍事も政治の一環であり、ハマスはここまでの大作戦は行わないだろうと考える方が合理的だ。何故かと言えば、この作戦は「必敗」だからである。必敗だけど始めたのは、当面の勝ち負けを越える政治的目的があるからだろう。多くの人がすでに指摘しているが、僕も直感的に「サウジアラビアとイスラエルの国交正常化をつぶすため」と思った。近年、UAEやバーレーナなど湾岸産油国がイスラエルと国交を結んだ。続いてアメリカが仲介してサウジアラビアもイスラエルと交渉しているとされる。もちろん「アラブの盟主」を自負するサウジは、そう簡単にパレスチナを見捨てられない。

 だけど、交渉している以上、アメリカも交えた「パレスチナ和平」をやがてサウジも受け入れる日が来たのではないか。アメリカは「ロシア」(ウクライナ)、「中国」(台湾)との問題を抱えている以上、一日も早く「中東和平」を実現したい。そのような「アメリカによるパレスチナ和平」をつぶすのが最大の目的であり、その目的はすでに達成したと考えて良い。今後さらなるガザ攻撃が続く中で、アラブ各国の民衆感情を考えればイスラエルとの国交交渉を進めることは不可能だ。
(ロケット攻撃)
 ガザ地区は前から「天井のない牢獄」と呼ばれるように、事実上閉じ込められた状態にあった。その中で今年になってからは、ハマスに抗議する民衆デモも起こった。しかし、ハマスは表面上何らかの対応もしなかった。そのため、アメリカのサリバン大統領補佐官は9月末に「中東はこの20年間で最も静かな状況にある」と述べていたという(10.11朝日新聞)。アメリカもイスラエルも予想できなかったのである。むしろイスラエル史上最も右派の政権が誕生し、ヨルダン川西岸地区への入植を進めていて、西岸地区での衝突が増えていた。また国内ではネタニヤフ政権による最高裁の権限縮小に対する抗議活動が続き、イスラエル国内も「分断」されていた。そんな時にこの大作戦が決行されたのである。これですべてが変わった。

 「籠城」か「決戦」かというのは、昔から日本でも問題になってきた。豊臣秀吉による「小田原攻め」、あるいは「大坂冬の陣」「夏の陣」などがそうだ。ガザ地区は事実上「追いつめられた籠城」状態で、このまま座して敗北を待つよりは、乾坤一擲の大勝負に出たいと思う人はいつの時代も存在する。今回のハマスはいわば「真田隊の戦い」である。負けるだろうが、人々の心に残り歴史を変えてゆく。どう負けるか。取りあえずは「人質」の「有効活用」で、イスラエルの非人道性を世界に訴えるために一番使える方法を考えるだろう。だが双方の怒りの応酬は激しく、このままでは悲劇的な結末を予測せざるを得ない。
(攻撃されたガザ地区のビル)
 多くの人は誤解していると思うが、イスラエルは建国(1947年)以後すっと戦争状態にあるとも言えるけど、「国内」に「敵」が侵攻してきたことは一度もない。建国当時の第一次中東戦争は現在のイスラエル領土で戦闘が行われたが、以後の第2次、第3次、第4次の中東戦争は、イスラエルの国土外で戦われた。だから、時々ロケットは打ち込まれるだろうし、稀に自爆テロもあるかもしれないが、ガザ地区から直接ハマスの戦闘員がイスラエル領内に侵攻するなど、誰も想定していなかっただろう。(ある程度時間が経ってからになるが、イスラエル情報機関が何故ハマスの戦争準備を察知できなかったか問われることになるだろう。)

 だからこそ、ガザ地区に近い村で音楽祭が開かれていた。朝鮮半島で38度線に近い地域で音楽祭を開くことがありうるだろうか。もちろんハマスが一般市民を大量に殺害したことは許されない蛮行である。だが、そのことだけを非難して、パレスチナ難民の苦難の状況を見捨てて来た側にも責任があることを忘れてはならない。イスラエルにとって今回の事態は「9・11」(2001年アメリカの同時多発テロ)のような意味を持っている。人々はネタニヤフ政権に対する抗議を一時棚上げして、反ハマスで一致するだろう。「血の復讐」を求めてガザ地区の大規模な(ハマスが今後活動できなくなるほどの)破壊を求めることになる。

 それに対して、ともに戦うアラブ諸国はどこにもない。国境を接するエジプトやヨルダンはすでに平和条約を結んでいる。シリアは表だっては対立しているが、アサド政権にはイスラエルを攻撃する余力がない。そういうこともあるが、ハマスはムスリム同胞団の作った組織であって、エジプトのシーシ政権やシリアのアサド政権にとって、最大の政敵であるムスリム同胞団を助ける気はもともとない。表面上は何か同情的なことを言うとしてもである。シーア派のイランだけがスンナ派のハマスを支持しているが、国境を接していない以上(イスラエルが「併合」した)ゴラン高原にミサイル攻撃をする程度しか出来ない。

 ここで判ることは、イスラエルがヨルダン川西岸地区やガザ地区を(1967年以来)占領したままでいること、シリア領ゴラン高原に至っては「併合」してしまったこと、これはロシアがウクライナからクリミア半島、東南部4州を「併合」したことと同じ構図であることだ。アメリカやヨーロッパ諸国のダブル・スタンダードが世界に示されるだろう。そうなると、再びイスラム勢力によるテロが起こる可能性がある。「ウクライナ」から「イスラム」へ、世界の関心が移ることも起こりうる。こうして世界スケールの大問題になっていく恐れが強いが、それを止める力がどこにもない。国連安保理にも、アメリカにも。トルコは仲介を出来るかもしれないが、ナゴルノ・カラバフの当事者でもあったトルコに何が出来るかは判らない。僕には何も出来ず悲観的になっている。
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ノーベル平和賞にイランの女性運動家、シリン・エバディ(2003年受賞者)を思い出す

2023年10月10日 22時26分18秒 |  〃  (国際問題)
 2023年のノーベル平和賞受賞者にイランのナルゲス・モハンマディ(1972~)が選出された。理由は「イランにおける女性への弾圧に抵抗し、すべての人々の人権と自由を促進するための戦いに対して」である。モハンマディは現在獄中にいる。イラン政府が授章式出席のために釈放するとは(残念ながら)考えにくい。世界的な大規模な釈放キャンペーンが緊急に必要だ。
(ナルゲス・モハンマディ)
 今までにノーベル平和賞が獄中にいる人に与えられたことは何度かある。昨年(2022年)のベラルーシの人権活動家アレシ・ビャリャツキもその一人で、2年連続になる。1935年のカール・フォン・オシエツキー(ドイツの平和運動家)、2010年の劉暁波(中国の人権活動家)が決定当時、獄中にあった。これらの人々は「良心の囚人」であり、人間に対する希望を未来へつなぐ人々である。また1991年のアウンサンスーチー(ミャンマー)は自宅軟禁中で授章式に出席出来なかった。他にもサハロフ(1975、ソ連)、ワレサ(1983、ポーランド)が授章式に出席出来なかった。
(モハンマディの家族)
 2022年秋にイランで「反ヒジャブ」の大デモが起こったとき、僕はここで書かなかった。日本のマスコミは盛り上がったときだけは報じるが、全体としては情報量が少なくてよく判らないことが多い。例えば、僕は今回の受賞者ナルゲス・モハンマディの名前を知らなかった。日本人の多くは同じだろう。「2023年10月」は、1973年10月に起こった第4次中東戦争から半世紀を迎える月だ。あの時はアラブ諸国が「石油戦略」を発動して、日本で「オイルショック」が起きた。その時、「日本人はもっとイスラム教地帯を知らなければいけない」と言われたものだ。しかし、どのぐらい変わったのだろうか?

 さて、今回の受賞からちょうど20年前、2002年にやはりイランの女性がノーベル平和賞を受賞した。それがシリン・エバディ(1947~)である。2007年に『私は逃げない』という自伝が翻訳された(ランダムハウス講談社)。その時に書評を書いているので、そこから引用して紹介したい。シリン・エバディは、イスラム教徒の女性として、またイラン人としても、初めてノーベル賞を受けたが、名前を知らないという人も多いのではないだろうか。イランの女性弁護士で、タフで繊細な人権の闘士である。
(シリン・エバディ)
 2000年の秋のことである。彼女は、権力による知識人暗殺の遺族側弁護士として無償の活動を続けていた。司法省のファイルを10日間だけ見る許可を与えられたシリンは、情報省内の秘密暗殺チームの文書に「次に殺さねばならんのは、シリン・エバディだ」という箇所を自ら発見してしまう。まさに命をかけた活動の記録がこの本なのである。シリン・エバディは、イランで初めて裁判官になった女性である。判事でありながらシャー(国王)に反対する動きに勇気を持ってコミットした。しかし、反シャーの抗議文を持ち先輩裁判官室を訪れると、「革命が起こったら、女性裁判官は追放される。自分で自分の首を絞めるような事をなぜするのか」と言われたと自伝に書いている。まさか、そんなことがあるとは思わなかったのだ。 

 イランのパフレヴィー1世は、第二次大戦中に英ソにより追放され、子どもの2世が継いだ。権威の確立していない王のもと、事実上自由選挙の時代が訪れ、民族主義的なモザデグ政権が成立する。モサデグ政権は石油資源の国有化を進めたため、1953年にアメリカの秘密情報機関がクーデターを起こして崩壊させた。その後、アメリカに支えられて独裁を開始した若きシャーに、国民は初めから冷ややかだったのである。王制は結局秘密警察SAVAKにより支えられていた。アメリカの支援を受け近代化、工業化をひたすら進めたシャーに対し、近代化政策が伝統に反するとみた宗教保守派が抗議する。その結果、法学者の最高権威だったホメイニという無名の人物がイラクに追放された。左翼勢力、民族主義者は秘密警察の厳しい弾圧にさらされた。

 1971年、シャーはペルセポリス遺跡で建国2500年祭を、大々的に挙行した。これが転機となった。外国から見れば磐石と見えたイラン王政だが、人心は完全に離れた。イスラム保守勢力も、左翼過激派も、リベラルな芸術家、知識人も、反王政の一点で事実上共闘することになったのである。それが1978年夏の情勢で、大々的なデモと、数々の弾圧事件が続き、いよいよ人心を失ったシャーは、1979年1月に出国。代わってパリからホメイニが帰国する。革命後の権力をめぐり、イスラム勢力と左翼過激派のテロの応酬が始まった。この混乱の勝者はイスラム勢力だった。彼らは旧勢力と左翼過激派を抹殺する。そして女性や他宗教の人々の権利を剥奪し始めた。

 そして、イランの女性は大きな苦難にさらされたのである。シリン・エバディの場合、革命派だった過去は全く意味を持たず、裁判官には女性はなれないということで、事務職への異動を命じられた。時代錯誤としか思えない「イスラム法」(と称するもの)が突然実施に移される。女性の権利は、男性の二分の一とされた。姦通には石打ち、盗みには腕切りなど20世紀の常識を覆す刑罰が導入された。人々は反イスラムというレッテルを恐れ、沈黙が社会を覆い、女性はスカーフで髪を覆うようになった。あらゆる音楽会が禁止になり、クラシックやポピュラーだけではなく、民族楽器の演奏もできなくなった。アメリカ映画だけでなく、外国映画の上映はなくなってしまった。

 1980年から88年まで続いたイラン・イラク戦争が、国連安保理の停戦あっせんを受諾して戦争が終わると、イランは徐々に復興し、エバディにも弁護士資格が認められるようになった。そのような中で、驚くべき事件をシリンは知ることになる。農村地帯で、ある11歳の少女が3人の男に強姦され崖の上から落とされ殺された。3人の男は逮捕されたが主犯は自殺、二人の男に死刑判決が下った。イスラム法においては(というかイランのイスラム体制における解釈では)「殺人の被害者は、法的処罰か金銭的補償かを選べる」。そして「女は男の権利の半分の価値がある。」

 そこで、少女の命を1ポイントとすると、男二人が死刑となるので男側のポイントは2×2の4ポイントとなる。被害者家族は、「レイプ被害者の家族という汚名」を晴らすため、死刑を求めるしかない。(イランの農村部の家父長的価値観の中では。)かくして、死刑となる男の家族の側に、少女の家族に対して「3ポイント分の補償」を求める権利が生じる。裁判所は少女の父親に処刑費用を含む多額の金額を払うように命じる判決を出した。家族は財産を投げ出したが足りないので、腎臓を売ろうとした。しかし、父は薬物乱用の過去があり、兄は小児麻痺のため腎臓摘出ができなかった。なぜ家族で臓器を売るのか不思議に思った医者が事実を知り、司法省のトップに手紙を書き、問題を訴えた。そこで首都でも知られたが、その後の経過も奇奇怪怪。

 著者はこの段階で被害者家族の無償の弁護人となった。処刑を前に犯人が脱走、つかまり再審となり、無罪。また再審となり・・・。読んでてもこのあたりは、理解できない。著者も外国向けのこの本の中で、法的な経緯を追って説明することを諦めているように思う。これほど奇怪なケースはイランでも稀ではあるらしいが、度を越している。イスラム法は、確かに「女の相続は男の半分」としているようだが、命に差をつけているというわけではない(らしい。)つまり、イスラム法の解釈の中でも、一部の少数派が権力を握った状態なのである。(実際、アラブ諸国を始めすべてのイスラム圏でこのようなことが起こるわけではない。)
 
 こうしてシリン・エバディは虐げられた女たち、自由を奪われた知識人などの「良心の囚人」のために無償で働く人権活動家になっていった。そして逮捕されてしまう。その後、1999年に「改革派」のハタミが大統領に選ばれ、多少の希望が見えた時代がやってきたが、やがて失望が社会を覆う。それでも、「子供たちが誕生会で集まるのも心配だった時代」は21世紀になると終わっていった。そうして国際的にも知られるようになったシリン・エバディにノーベル賞が授与された。その時パリにいたが帰国したシリンを何十万もの民衆が迎えた。そんなに民衆が空港に集まったのは「ホメイニの帰国以来」だった。

 シリン・エバディは、イランを去らない決意をしている。というところで、その本は終わっているが、ウィキペディアを見ると2009年6月にイギリスに亡命したと出ている。ついにイランにはいられなくなったのである。だが不屈の闘いはより若い世代に受け継がれていったことが、今回の受賞で判る。それにしても、「イスラム法」とは何という奇怪な仕組みだろう。驚くしかないのだが、その後に見たいくつかのイラン映画には、やはり奇怪な法解釈が出て来るのである。
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