尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

子規のいた町ー根岸散歩②

2019年07月31日 21時00分20秒 | 東京関東散歩
 台東区根岸という場所は、明治の俳人正岡子規が住んでいて、そして死去した町である。子規が住んでいた家が「子規庵」として公開されている。えっ、そんなものが残っているのかと思うと、関東大震災では家屋が傾きながらも何とか残ったが、1945年4月に空襲で焼失してしまった。しかし、外観、間取りなどを同様に、1950年に同じ場所に再建された。1954年には東京都の史跡に指定された。再建からもう70年近く経ち、今では歴史的ムードに浸れる場所になっていると思う。
   
 外観は上の最初の写真のように、昔風の小さな一軒家。それよりそこへ行くまでが大変だ。山手線鶯谷駅下車徒歩5分だが、この鶯谷という駅の東口はいわゆる「ラブホテル街」なのである。そういう場所の中でも、こんなに駅前に乱立しているのは珍しい。線路に沿って日暮里方向へホテル街を抜けて、すぐの場所に「子規庵」がある。いや、こんな場所にという感じなのである。そして、公開時間は10時半から16時、12時から13時はお休みだから、案外入りにくい。最初に行ったときはお昼休みだった。真ん前に旧中村不折邸という書道博物館が建っている。こっちはまだ入ってない。
   
(2枚目は子規庵の外壁にある庭の説明写真。3枚目は書道博物館。)
 正岡子規と言ったら、近代の写生俳句の創始者で、愛媛県松山生まれ。東京で夏目漱石と友人となり、「野球」という言葉の名付け親である。しかし、長いこと結核で病臥したあげく若くして死んだ。ということをいま何も見ずに書いたけど、実はちゃんと読んだことがないのである。調べてみると、1867年に生まれて、1902年に亡くなった。1894年(明治27年)に、旧前田藩下屋敷の長屋に母と妹を呼び寄せて住んだ。それがこの根岸の家である。翌年からたびたび句会歌会が行われた。根岸短歌会には伊藤左千夫、長塚節らが集い、「アララギ」に発展する。
   
 500円払って子規庵に入ると、一番最初の写真のように畳敷きの部屋がある。一間に「子規終焉の間」と木札がある。子規の文机などが再現されている。隣の間で簡単な子規紹介のビデオを見られる。他に子規を解説する展示室もある。まあ小さい家なのは初めから判ってるけど、やはり小さいなあ。と思うと、案外庭が大きい。靴を持って上がり、庭から外出するようになっている。ヘチマ(糸瓜)の棚があって、子規の頃と同じだという。9月19日が「糸瓜忌」である。正岡家が使った井戸の跡もある。
 
 根岸界隈を歩いていると、よく子規の句碑にぶつかる。俳句募集などの貼紙も多い。そんな中で、有名な「豆富料理」(豆腐じゃなくて豆富と書いている)の店「笹の雪」の前にも、子規の碑があった。正岡子規は一高、東大(当時はただの帝国大学)を出て、国民主義的なジャーナリスト、陸羯南(くが・かつなん)が編集長を務める日本新聞社に勤めた。日清戦争では従軍記者として遼東半島まで赴き、その帰りに喀血した。日本の詩歌史において、古今和歌集を否定して万葉集を評価した。そのような思想的な全体像を僕はよく知らない。でも、まあ「子規庵」は一度行ってもいい場所かなと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入谷の朝顔市ー根岸散歩①

2019年07月30日 22時46分31秒 | 東京関東散歩
 2019年の梅雨もようやく7月29日に明けたのはいいけど、今度は猛暑が続いている。まあ去年は6月末に梅雨明けしてしまって、その後ずっと猛暑だったから、今年はまだましと言うべきか。ところで、東京23区の東の方に何十年も住んでると、ああ今年も夏が近づいたなと思う「風物詩」がいくつかある。7月初め、七夕の頃に入谷の朝顔市、続いて7月10日に浅草寺の四万六千日ほおずき市)。そして足立の花火大会、最後の週末に隅田川花火大会と続く。今日は電車に浴衣掛けのカップルが多いのはそれかと思ううちに8月が近い。今回は特に「入谷の朝顔市」に絞って紹介。
    「
 入谷
」(いりや)は地下鉄日比谷線の駅名だが、朝顔市の会場になる真源寺は台東区下谷になる。しかし、寺が面する言問通りの向こう側は「根岸」である。JR山手線日暮里から鶯谷の東一帯がおおよそ根岸になる。根岸という地名は日本のあちこちにあり、中でも横浜の根岸も有名だ。東京東部の根岸は明治の頃は金持ちの老人が妾宅を構えるようなイメージの、東京周縁の「別荘地」のような場所だったらしい。今はもちろんそんな趣はないが、それでも上野や秋葉原のすぐ近くなのに高層ビルは少ない。
   
 上の写真は主たる会場の真源寺。開山は江戸時代初期の1659年。だけど、そんな正式名を知ってる人は少ないだろう。ここは普通「鬼子母神」(きしもじん)と呼ばれている。「恐れ入谷の鬼子母神」という言葉で知られている。これは江戸時代の狂歌師、蜀山人(大田南畝)が作ったんだという。朝顔市は江戸時代後期に始まり、一時途絶えていたものの1948年に復活した。なんで朝顔市かというと、元々はこの辺一帯が朝顔の産地だったのである。朝顔市の時だけ大繁盛で、他の時期にはあまり風情がない。
   
 朝顔市の期間、道は歩行者天国になる。鬼子母神側が朝顔売りの屋台が並び、反対側はいろんな食べ物の屋台が並ぶ。朝顔を買うんじゃなくてお祭り気分で来ている若者グループがいっぱいいる。でも、ここの朝顔は素晴らしい。僕はもう花火大会には行かないけど、朝顔市は時々行っている。元は東京人じゃないうちの奥さんも最近は毎年買いに行っている。2000円は決して高くない。何しろ10月頃まで毎日いろんな色が咲くのだ。もう終わりかなと思ったら、去年は残暑が長くずっと咲いていた。この付近には他にもいろんな名所・旧跡がある。今年は涼しいからとこの機会に根岸あたりを回ったのは7月初旬。選挙などで書くのが遅くなったけど、何とかまとめてみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾瀬の燧岳登頂30年ー日本の山⑦

2019年07月29日 22時18分38秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 参院選が終わったばかりだが、今まで一番記憶にある参院選はいつだろうか。多くの人は衆院選は覚えていても、参院選はあまり記憶にないかもしれない。衆院選だったら、2005年の「郵政解散」や2009年の「政権交代」を記憶している人も多いだろう。ところで、僕はちょうど30年前の1989年の参院選が一番記憶にある参院選だ。この時はリクルート事件、消費税、牛肉・オレンジの自由化に加えて、宇野宗佑首相の女性問題まで飛び出して、自民党がボロ負けした。改選126議席中、自民党は36議席しか獲得できず、初めて過半数を割り込んだ。社会党の土井たか子委員長は「山が動いた」と語った。

 この時の参院選が思い出に残っているのは、選挙結果のためばかりではない。7月23日の投票が終わり、本来ならもう夏休みだから翌日の勤務をあまり気にせずに開票速報を聞いてればいい。だけど、この時は翌日が中学2年生の林間学校だったのである。早朝に集合してバスに乗る。行き先は尾瀬だ。遅れるわけにはいかない。バスで寝ればいいやとラジオを聞いていた。(テレビはなかった。)
 「翌朝は生徒率いて尾瀬へ向かう その前の夜の開票速報」(当時作った短歌)

 長いこと教員をしてきて、「仕事でしか行ってない場所」がかなりある。研修センターとかそういう場所ではない。行事引率で結構あちこちいくのである。実は東京ディズニーランドユニバーサル・スタジオ・ジャパンも仕事でしか行ってない。北は札幌羊ヶ丘展望台のクラーク像から、南は沖縄の「ひめゆりの塔」まで、仕事でしか行ってない場所がある。そして、尾瀬の燧岳(ひうちだけ)もこの時林間学校で登ったきりである。尾瀬は車で行くのが大変なので(何日も駐車しておかないといけない)、つい敬遠してしまう。尾瀬にはもう一つ、至仏山という「百名山」があるけど、こっちは未だ登ってない。
(尾瀬ヶ原から見た燧岳)
 この時以外でも尾瀬へ行く林間学校は経験した。しかし、それは尾瀬の外に泊まって、中日に日帰りで尾瀬の一端に触れる旅行だった。1989年は違った。尾瀬の中の山小屋に泊まった。この時は5クラスだった。200名を超える生徒を一度に泊めてくれる山小屋はなかった。そこでコース別に3つの山小屋に分宿したのである。そんな計画がよく実施出来たものだと今は思う。体調が悪い生徒、ケガした生徒が出た場合、すぐに病院に連れて行けない。それだけの計画、準備、生徒・教員の態勢がないとできない。「天地人」そろわないと成功しない。そして、大成功した、と思う。

 燧岳のことを全然書いてない。地名でいえば福島県檜枝岐(ひのえまた)村になる。標高2356Mで、これは東北以北で最高峰になるという。尾瀬ヶ原はその前に個人でバスで行ったことがあった。行くのは大変だけど、湿原に咲く花々の美しさは表現する言葉がない。見るものの心を解放する。そして木道を歩きながら前方を見れば燧岳、後ろを振り返れば至仏山、二つの「百名山」を仰ぎながら爽快な木道歩きが続く。燧岳を見れば、その秀麗な姿に一度は登りたくなる。

 登山口はいくつかあるが、大きく分ければ尾瀬沼から登るコースと、尾瀬ヶ原から登るコースになる。尾瀬沼から登る方が出発点の標高が高い。本当はそっちに女子が良かったんだけど、山小屋の収容数と登山コースの希望者数がうまく合わず、男子が尾瀬沼山荘、女子が東電小屋になってしまった。(さらに別コース組が元湯山荘。)男子登山組はバスで沼山峠まで行って尾瀬沼へ。他の生徒は尾瀬御池でバスを降りてひたすら小屋を目指す。いま地図を見ると、元湯山荘まで約3時間、東電小屋まではさらに30分はかかる。早朝出発とはいえ、こんな長時間行動がよく出来たもんだと思う。

 翌日は、見晴(下田代十字路)から女子登山コースを引率した。正直言えば、山の様子は全く覚えてない。休みながら振り返ると尾瀬ヶ原が絶景だったなとかすかに記憶するぐらい。登りに差し掛かってから、頂上までは3時間半もある。5月下旬の中間テストの時期に実地踏査はしているものの、その時期はまだ登山できない。だから初めて登るのである。まあ今まで書いたように、僕は北岳、穗高岳や大雪山などを登っている。コースのはっきりしている夏山は、慎重に登れば大丈夫だと思う。今回は全員登山じゃなく、希望でコースを組んでいる。むしろ元気な生徒をセーブしながら、一定のリズムで登る方が大変。頂上で男子登山組と合流である。それを目指して、ひたすら登る。

 教師はいろんなことをやらされる。その中で、自分なりに一番プロだと思ってるのは「旅行行事」だ。社会科の教員だからということで、関わった学年の全ての行事担当をやってきた。この時も単に引率したんじゃなくて、事前計画からずっと担当してきた。でも、山小屋泊りにしようという案が出たときは、僕も大丈夫かなと思わないではなかった。中学一年生の最初に決めるのである。もちろん学年で勝手に実施するんじゃなくて、宿泊行事は校長名で教育委員会に実施計画を届け出て、承認が必要だ。教育行政もそんなに神経質に現場に干渉していなかった時代なんだろう。

 燧岳のことはあまり覚えてないけど、この時の林間学校は計画段階からよく覚えている。初めは生徒もそんなに乗ってなかった。何しろ歩かされるし、山小屋だから美味しいものがあるわけじゃない。自然を守るためとして、シャンプー禁止。これは尾瀬に泊まる人全員同じだが、生徒には不満だろう。ところが、行ってみたら尾瀬の美しさに多くの生徒も感動した。咲き誇るニッコウキスゲに感嘆の声を挙げた。疲れた生徒の持ち物は元気な生徒が持ってあげて、一緒に頑張った。この自然を守るためならシャンプーは禁止だねと生徒から言い出した。林間学校が終わった後で、校長のところに「素晴らしいところに連れて行ってくださりありがとうございました」という感謝の手紙が親から届いたのである。

 天安門事件の記事を書いたときに、そうか参院選やベルリンの壁崩壊も30年なのかと思った。だから尾瀬燧岳登山も30年なんだなあと思い当たった。7月は燧岳を書こうとその時から思っていた。この時の林間学校は僕の行った宿泊行事の中でも一番思い出にある。そう思っていた生徒もいたようで、卒業時に夏に尾瀬に行こうと呼びかけたら賛同する生徒があった。夏休みに何人かとキャンプに行ったのも思い出にある。僕も若かったなあ。そんなことをしてたんだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記録映画「作兵衛さんと日本を掘る」

2019年07月27日 22時29分49秒 | 映画 (新作日本映画)
 熊谷博子監督の記録映画「作兵衛さんと日本を掘る」が「ポレポレ東中野」で長期上映されている。5月末に始まって、今も続いていて、8月2日までは12時半と18時の2回上映。15時半には前作「三池 終わらない炭鉱(ヤマ)の物語」もやっている。8月3日からは17時20分からになり、8月9日で終了。最近やっと見たんだけれど、これは必見だった。日本社会を深く掘り進んでいる。非常に面白い。世界記憶遺産に登録された山本作兵衛(1892~1984)の絵がいくつもクローズアップされるのが貴重だ。

 かつて日本の産業と生活を石炭が支えていた。近代化の基盤となり、戦後も「傾斜生産」と呼ばれる「まず石炭増産」という経済政策がとられて経済復興を支えた。日本のどこに炭田があるのか。僕らの世代頃までは、小学校の社会科の授業で必須の知識だった。「筑豊炭田」「夕張炭田」「常磐炭田」等々。(「炭田」という言葉も死語だろうなあ。)60年代になると、エネルギー革命が進んで石油が時代の中心になった。石炭は「斜陽産業」と呼ばれ、炭鉱が閉鎖されるたびに、抗夫たちは解雇された。

 僕の小学生時代はまだ学校が石炭ストーブだった。学校の裏に石炭小屋があり、日直が帰りに石炭を補充する。バケツを持っていき、山になった石炭をシャベルですくう。手で触ると真っ黒になるのである。そんな石炭をいつから見なくなったのか。今の若い人は見たことがない。そんなレアものになっている。60年代まで参院選挙全国区では、社会党から出る「炭労」候補がいつも最上位にあったものだが、どんどん組織が衰えて行った。そんなことを知るものも少ないだろう。

 昔は炭鉱だったところに夕張の「石炭の歴史村」(現在は夕張市石炭博物館)、「いわき市石炭化石館」などが作られ、僕も見たことがある。それらは貴重な施設だけど、それだけでは労働者のリアルな姿はなかなか伝わらない。地の底でどんな働き方がされてきたのか。山本作兵衛は筑豊地方で炭鉱夫として働き、絵筆を取ったのは60代半ばだった。専門的な絵の教育は一切受けていないが、2000枚を超える絵で炭鉱の労働や生活を描いた。それらの絵はどこかで見たとしても、あまりに多いから流してしまう。今回は映画だから、カメラでズームアップすることが出来る。拡大してみると、一切手を抜かず細部のリアルを重視した姿勢がくっきりと浮かび上がる。

 そして、映画のもう一つの大きなテーマが「地の底から見た日本」である。筑豊に住み着いた記録作家の上野英信森崎和江、あるいは父のすごした「筑豊文庫」に移住した英信の息子、上野朱などに触れられている。そして作兵衛さんの語る「底の方は少しも変わらなかった」との言葉。監督も「中に描きこまれた労働、貧困、差別、戦争の記述、共働き抗夫の家事労働に至るまで今と同じだ」と書いている。炭鉱が閉山して、かつての筑豊地方は日本で一番生活保護受給率が高いなどと言われた。貧困地帯とみなされて、イメージの悪化した「筑豊」という地名も行政に消されかかったという。

 そんな地底から描く日本近現代史として、すごく貴重だ。100歳を超えて、かつての思い出を語る老女性など驚くようなエピソードがいっぱい。簡単にまとまる素材ではなく、前作から7年かけてまとめられた熊谷監督の傑作ドキュメンタリーである。映画はむしろ淡々と進むが、奥が深いなと感じさせる。「民衆史」の豊かさを実感出来る映画だった。機会があったら見逃さないで欲しいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素晴らしく面白い女性小説「三つ編み」

2019年07月26日 22時36分43秒 | 〃 (外国文学)
 芥川賞・直木賞と同じ日に発表される新井賞というのがある。書店員の新井さんが面白い本(主に小説)を独断で決めて発表するだけ。でも時にはそっちの方が売れるというから、立派な販促にもなっている。2019年7月発表の新井賞は、初めての外国小説だった。レティシア・コロンバニ三つ編み」(早川書房、1600円+税)である。2017年にフランスで大ベストセラーになった小説で、バカンスで大いに読まれたという。バカンスというほどの休暇がない日本でも、この夏にぜひ手に取って読んで欲しい。すごく読みやすくて、判りやすい。「世界」が身近に感じられる。つながってるんだと判る

 この小説には三人の女性が出てくる。国も違えば、年齢も、置かれた状況も全然違う。最初に出てくるインドのスミタ。あまりにもひどい差別を受けているので、ここでもうビックリ。ダリット(不可触民)として村人の糞尿処理をして生きている。しかし娘にはもうこんな生き方はさせたくない。バラモンにお金を包んで、明日からは娘を学校に通わせる。不可触民の夫の仕事もすさまじい。こんなことが今もあるのか。続いて、イタリアのシチリア島パレルモ。20歳のジュリアは家族経営の毛髪加工会社で働くが、父が倒れて会社の危機を初めて知る。町で見かけたターバンの男が警察に理不尽に扱われているのが気にかかっている。その男性が図書館にいるのを見かけたが…。

 そして最後はカナダ・モントリオールの女性弁護士サラ。40歳で子ども3人を抱えるシングルマザーだが、弱音を吐くことなく弁護士事務所でトップを目指している。そんなサラがある日、乳がんの告知を受ける。しかし、事務所には内緒にして乗りきろうと思う。妊娠の時は出来たんだから。少しでも弱さを見せたら置いて行かれてしまう。そんな厳しい競争社会なんだから。ということで、スミタとジュリアとサラの人生が交互に語られる。そうか、これが「三つ編み」なのか。小説の構造が「三つ編み」になっているのである。三人の女性の運命が三つ編みされている。

 著者のレティシア・コロンバニ(1976~)は、フランスの映画監督、脚本家、女優で、これが初めての小説だという。オドレイ・トトゥ主演の「愛してる、愛してない…」(2002)は日本でも公開されたようだが記憶にない。このデビュー小説はキビキビした文章で(翻訳がうまい)、グングン読者の心をつかんで行く。ある意味、映画のプロットみたいな感じでもあるが、実際コロンバニ監督によって映画化が進められているらしい。物語としては、小説の半ばでネタが割れる。こうなるんだろうなあという方向に物語が進んで行く。そこが弱点ではあるが、多分映像化されれば、実際の人間の魅力で感動を呼ぶだろう。

 インドとイタリアとカナダ。三大陸で生きる何のつながりもない三人の女性。しかし、世界の網の目はどこかでつながっている。インドのスミタは、単に女性というよりも、今も残る厳しい身分差別に苦しんでいる。しかし、その差別は娘には味わわせないという強い意志を持っている。そして「行動」に出る。イタリアのジュリアは、家族で働いているが伝統的な家父長制社会に疑問を持っている。読書が好きで、自分の世界を大事にしたい。そして、自分と家族のために「行動」に出る。カナダのサラは男社会の中で極限まで頑張ってきた。「女性の壁」は頑張れば突破できるが、「病気の壁」は彼女にもどうしようもなかった。そこでサラはどんな「行動」に出るのか?

 世界的に女性の小説が注目されている。この「三つ編み」も、多分最も成功しているフェミニズム小説の一つだろう。だけど、この小説は男こそ読むべきだ。いや、「世界」を描いている以上、性別を超えて誰もが読むべきだ。みんな「世界」の一部なんだから。それに面白いし、そんなに長くなくてスラスラ読めるのである。夏休みに読むのに最適。それにしても、「毛髪小説」というのは読んだことがなかったなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山本太郎新党」をどう考えるかー2019参院選④

2019年07月25日 23時29分33秒 |  〃  (選挙)
 参院選の結果について3回書いてきた。ネットや新聞に細かいデータが載っているけれど、なかなか見ないことが多い。だからデータ確認を中心に書いてきたけど、最後に話題を呼んだ「山本太郎新党」についての考えを書いておきたい。僕が「山本太郎新党」とあえて書くのは、党名を最初に聞いたときの驚きと違和感があって、党名を書きたくないからだ。今後党名変更を真剣に考えて欲しいと思う。

 まあ仕方ないから書くことになるが、新党「れいわ新選組」は比例代表で2議席を獲得した。228万票ほどで、全体の4.55%に当たる得票を獲得した。社民党の2倍以上あるから、確かに出来たばかりの新党ととしては大健闘である。山本太郎はそれまで自由党(「生活の党と山本太郎となかまたち」が2016年10月に改称)に所属していたが、2019年4月10日に月末の統一地方選終了後に離党し、参院選に独自の政党で臨むと発表した。政治団体そのものは4月1日に設立されていたようだ。その後1ヶ月で寄付金が1億円に達し、徐々に擁立候補も発表されていった。
(演説する山本太郎)
 それにしても3ヶ月しかない。そして2議席を獲得したわけだが、当選者は特定枠で届け出た重度の身体障害者候補2人だった。山本太郎自身は議席を失ったわけである。山本太郎は個人票を99万票も獲得していて、これは個人名の史上最多票落選者だ。その結果は大方のところ予想通りで、僕も比例代表の仕組みを書いた時に、山本太郎は最多票落選者だろうと書いた。僕が思うに「特定枠」を一人にしていたら、「山本太郎に議席を」ともっと燃えて結果的に3議席に届いたのかもしれない。

 政策評価の前に党名問題。近年は「特別な意味を持つイデオロギー用語」を意図せずに使う例が多い。今回の場合、「れいわ」も「新選組」も特別な意味を持つ。まず「れいわ」だが、元号を党名に使うセンス自体が理解できない。「令和新時代」などと政権側が政治利用しているときに、野党側から元号ブームを支えた感がある。言うまでもなく、「元号が変わった」ことは「時代が変わった」ことを意味しない。国民主権の日本では、安倍首相が続いている以上「同じ時代」である。そもそも元号を使用すること自体にイデオロギー的な意味がある。若い世代には「平成最後」とか「令和新時代」とか平気で使う人が結構いるが、現代風「皇国史観」になってしまわないか。

 「新選組」に関しては「新しい時代に新しく選ばれる政党になるため」と言う意味だとしている。「新撰組」と書かないのはそのためだというが、「」と「」は同じく「選ぶ」という意味だし、そもそも幕末の「新選組」でも当人たちが両方使っている。ロゴも新選組隊旗をイメージして作られたというから、やはり幕末の新選組を意識して付けたわけだ。「新選組」に関しては、2018年に「新選組とは何だったのか」という記事を書いた。そこで僕が理解したところでは、新選組は「尊皇攘夷の志士」集団でありつつ、幕末京都の政局で「一会桑政権の暴力装置」でもあった。
 (ロゴと新選組隊旗)
 ある種の「義士」ととらえる人もいるようだが、僕にはやはり京都で人を殺し回った印象が強い。それも権力側の走狗として。全国で4.55%なんだから、多くの都道府県では3%~4%台の得票だった。そんな中で2%台なのは和歌山と山口である。和歌山はともかく、山口で2.9%だったのは、首相のお膝元で自民が50%もあったからだけではなく、やはり幕末の長州藩弾圧イメージがあるからではないのか。そして一番心配なのは、「れいわ新選組」も「尊皇攘夷」にならないかということだ。

 さて政策の方だけど、今のところ「典型的なポピュリズム運動」じゃないかと思う。ポピュリズムは字義通りでは「人民主義」「大衆主義」だが、言葉の使い方としては「大衆迎合主義」に近い。アルゼンチンのペロン元大統領などが代表とされる。ただし、僕はポピュリズムだから悪いとは言わない。どんな主張だってしていいし、政策の整合性、予算措置などすべてはっきりしてなければ対案を出すな等と言うのは、支配者側の言葉である。人はどんな要求を出してもいい。だけど、実現可能性の道筋ははっきりさせておかないと行けない。「緊急政策」もあれば、「長期的政策」もある。
 
 具体例を一つだけ指摘しておく。「奨学金チャラ」は実現できない。なぜなら「憲法違反」だからだ。その理由を説明し出すと長くなるが簡単に言っておくと「法の下の平等」と「経済活動の自由」である。でも高等教育の教育ローン問題は深刻である。だから当事者が「チャラ」運動をするのはいい。そのことで学生支援策も拡充していく。だけど、奨学金を得たものは対価として「大卒資格」(学士)を手に入れる。だからチャラにしたら不平等なのである。ただ昔は大学卒なら「一流企業」に就職でき、奨学金も返還しやすかった。そういう社会システムが崩壊したことが問題なのだ。学生はまだ声が出せるが、チャラにして欲しい困窮者はもっといるだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

組織票の当落を点検するー2019参院選③

2019年07月24日 22時58分38秒 |  〃  (選挙)
 比例票を見たので、団体の組織票の状況も見ておききたいと思った。長くなって一度に書けなかったので、もう一回使って書いておきたい。関心が無いという人が多いかと思うけど、一体どういう団体が組織票を持っているのか、他の人も知っていていいんじゃないか。特に今回は民主党(民進党)が分裂して、支持団体の連合加盟の労働組合も対応が二分された。国民民主党から立候補した労組推薦候補には落選した人もいる。この問題は他の人も一応チェックしておいた方がいい政治情報だろう。

 比例代表の「非拘束名簿式」のやり方は数回前の記事に書いておいた。「特定枠」の候補がいれば優先して当選し、続いて「個人名得票」の多い順に当選になるわけである。さて最大政党・自民党の個人得票第1位は誰だろうか。それは「柘植芳文」である。そもそも読めない人もいるだろう。「つげ・よしふみ」である。顔が思い浮かぶ人は少ないだろう。柘植氏は6年前もトップ当選だった。支持する組織は「全国郵便局長会」である。かつての「全国特定郵便局長会」(全特)だ。
(自民トップの柘植氏)
 あれ、いつから全特は自民支持に戻ったの? と思う人もいるだろうか。小泉内閣の「郵政民営化」に反発して、自民党を離党した「国民新党」の支持に回った。国民新党は民主党政権にも参加したが、改正郵政民営化法成立(2012年4月)により、「全特」(今は特定郵便局はなくなったが、団体の略称は継続しているという)は自民党支持に戻った。国民新党は2013年に解党し、全特は以後の参院選では自民党から組織内候補を擁立してトップ当選を続けている。今回も60万票を獲得した。

 自民党2位の山田太郎は、「みんなの党」盛衰の記事で触れておいたが、前回は「新党改革」で落選した。今回は自民党だから悠々当選。5位の佐藤信秋は元国交次官で建設関係。7位の山田俊男全国農政連(農協出身)だが、過去2回は自民党で個人名2位だったことを思えば、農政票に自民離れがあるのかも。9位の宮本周司全国商工会連合会。10位の石田昌宏日本看護連盟。看護師の代表は今まで女性議員が多かったが、初めての男性看護師議員である。12位の本田顕子薬剤師連盟。14位の羽生田俊日本医師連盟。15位の宮崎雅夫土地改良連盟

 一方、自民党で次点で落選したのは比嘉奈津美だった。沖縄の歯科医師で、2012年に玉城デニー(現知事)を破って衆院議員に当選した。2017年に落選して、今回「日本歯科医師連盟」を支持母体にして出馬した。日歯連は日本歯科医師会の政治団体だが、何回か事件を起こしてきた。6年前は石井みどりを当選させたが、迂回献金事件で日歯連幹部が有罪となった。石井みどりは今回勇退し、後継者選びは混迷し最後に比嘉を立てたが落選した。個人票20位の田中昌史は初の理学療法士連盟からの出馬だったが落選した。以上が個人票で10万票以上を獲得した組織内候補である。

 自民党が長くなったが、本来は労働組合の状況を書きたかった。立憲民主党の個人票上位は軒並み労組出身者である。トップは岸真紀子で、自治労出身。全体で15万7千票ほどで、そのうち3万5千票が北海道なので調べてみたら元岩見沢市職員だった。2位の水岡俊一日教組。3位の小沢雅仁JP労組(旧全逓)。4位の吉川沙織情報労連(NTT出身)。5位の森屋隆私鉄総連。以上が連合推薦候補で全員当選した。6位以下に川田龍平、石川大我、須藤元気。ここまで当選で次点が市井紗耶香だった。自民党議員もそうだけど、組織内議員はほとんど名前を知らない。立憲民主も上位5人は知らなくて、6位から知ってる。10万票を超えるのも5人で、やはり組合員数の多い順に票が出ている。
(立憲民主党トップの岸真紀子)
 一方、大変だったのが国民民主党。こちらは10万票を超えた候補が5人いたが、20万票を取った3人しか当選出来なかった。トップは田村麻美で、連合で最多のUAゼンセン。正式名称は「全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟」で、繊維産業労組のゼンセンが、21世紀になって食品・流通サービス労組と合同した。イオンやイトーヨーカドー、ビックカメラやヤマダ電機、マツモトキヨシやロイヤルホスト…みんな労組があってUAゼンセンである。組合員170万超の日本最大の労組。

 国民民主党2位の礒崎哲史自動車総連。3位の浜野喜史電力総連。ここまで当選したが、4位の石上俊雄電機連合。5位の田中久弥JAM。ここは金属産業の中小企業の組合である。電機連合やJAMは組織人員だけなら電力総連より多い。電力は危機感を持って相当頑張って集票したのだろう。電機連合やJAMは日教組やJP労組より組合員が多く、実際個人名の得票は立憲民主党候補の誰よりも多かった。どちらも立憲民主党から出ていたら1位で当選していたのである。これは党勢低迷を受けて、国民民主内の順位争いに力を入れたということだ。今後敗北した労組の対応が注目される。

 連合(日本労働組合総連合会)はかつての社会党支持の総評(日本労働組合総評議会)と民社党支持の同盟(全日本労働総同盟)に加えて、中間派の中立労連、新産別が複雑な経過をたどって1989年に合同した。それに対して共産党系が「排除」され、共産党系の組合は全労連(全国労働組合総連合)を結成した。今回、立憲民主党から出た労組は旧総評系国民民主党から出た労組は旧同盟系と先祖返りした感じ。労働戦線の長い対立関係があって、連合は野党統一候補が共産党系になったところで推薦を出さなかった。

 今後も立憲民主党が優勢なら次は立憲民主から候補を出す労組も出てくるかもしれない。一方、原発ゼロに反発する電力総連は立憲民主に行けない可能性が高い。むしろ自民党支持になってしまうかもしれない。共産党との共闘関係の評価とも絡み、連合内の労組の動向は注目される。今どき労働組合は弱体化して役立たないと思うかもしれないが、このように野党の比例票を見れば集票力がそれなりに残っていることが判る。これは無視できないことだろう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比例区票の時系列的検討ー2019参院選②

2019年07月23日 23時22分57秒 |  〃  (選挙)
 毎回のように国政選挙の後では、各党の比例区票を比較検討してきた。今回も書いておきたい。参議院選挙と衆議院選挙では、同じ比例区と言ってもずいぶん違うけれど、他に比較できるデータがないわけである。最初に書いておくと、比例代表の総得票数は、5007万2172票だった。選挙区の方は5036万3770票で、選挙区だけ投票して比例区はパスする人が30万近くいるのだ。
 
 2016年参院選は5600万票ほど。2017年衆院選は5575万票ほど。2014年衆院選は5333万票ほどで、この時は戦後の衆院選史上最少だった。もっとも2016年参院選から「18歳選挙権」が実施されたので、有権者数そのものがかなり増えている。18歳選挙権が実施されて2回目の参院選になるが、今回は600万票ほど少ない。まあ、ほとんど5千万票ピッタリなので計算しやすいけど。

 各党の票数を見る前に。今後絶対に破られない参院選当選の大記録が現れた。それは比例区で8回当選の自民党山東昭子である。もう山東昭子がタレント議員だったと知らない人も多いだろう。古い日本映画を見ていると、時々若い頃の姿を見ることがある。大スターというわけではなく、テレビのクイズ番組で知られていた。32歳で立候補して、今77歳。もっともずっと継続しているわけではなく、一度1992年に落選、その後繰り上げ当選、辞任して衆院選出馬(落選)、参院選に戻って当選を続けた。自民党には一応70歳定年制があり、2回連続して特例を認められた。今回は19人当選中の18位だった。当選回数新記録に敬意を表して、新参議院議長に就任する見込みという。
(当選を喜ぶ山東昭子)
 一応、2005年の郵政選挙から見て行くことにする。千票単位四捨五入。 
 05衆院選07参院選09衆院選10参院選12衆院選13参院選14衆院選16参院選17衆院選19参院選 の順番。直近3回は太字で。

自由民主党
 2589万1654万1881万1407万1662万1846万1766万2011万1856万1711万
公明党
 899万777万805万764万712万757万731万753万698万654万

 与党側から見てみると、自民党は前回2016年参院選で2000万票を獲得したが、今回はそれよりも300万票も減っている。前回衆院選からも140万票減った。今回から2議席増えていることもあり、議席数は前回と同じ19議席だった。公明党も16年参院選から100万票、17年衆院選から44万減った。自公連立以後最も少ない。他党も減っているので、獲得議席は7議席と変わらない。21世紀初めには一時800万票を超えたが、得票数は減少傾向にある。「少子高齢化」など構造的な要因も大きいだろう。両党とも票を減らしても議席数が変わらないのは、今回は与野党双方に棄権があったのだろう。

 野党側は16年参院選と大きく変わったので、とりあえず変わってない共産、社民から。
日本共産党
 492万516万494万426万369万515万606万602万440万448万
社会民主党
 372万263万301万224万142万126万131万154万94万105万
 ちょっと前まで両党合わせて700万票以上獲得していたが、今回は合計で550万票ほど。前回参院選から見ると共産は150万、社民は50万も減らしているが、17年衆院選からは少し増えている。そのため社民党も政党要件をクリアーした。共産党は4議席で1議席を減らした。社民は前回と同じ1議席。
(社民党で当選した吉田忠智氏)
 さて、問題なのはかつての民主党。2014年衆院選までは以下のような得票だった。
民主党
 2100万2326万2984万1845万963万713万976万
2016年参院選は、維新の党の一部と合同して「民進党」として臨んだ。
 1175万
〇2017年衆院選は、「立憲民主党」と「希望の党」を見てみる。
・立憲民主党 1108万
・希望の党  968万
 この「希望の党」と「民進党」が合同して「国民民主党」となり、前回は「生活の党と山本太郎と仲間たち」で1議席を獲得した小沢一郎グループも合流した。一方山本太郎は分離独立して新党を樹立。
2019年参院選
立憲民主党 792万(8議席)
国民民主党 348万(3議席) 合計1040万票 
 前回「民進党」は11議席を獲得したので、今回両党で11議席だから同じとも言える。でも小沢一郎が合流していることを考えれば1議席減である。立憲民主党も結党直後の衆院選から、316万票も減っている。立憲民主党が出てない選挙区が多いので、参院選で減るのはやむを得ない。だが、衆院選からの減は自民よりも立憲民主の方が多い。野党第一党の地位は確立できたけど風は吹かなかった。国民民主党は支持率低迷が続く中、まあそこそこ頑張ったのかもしれないが、展望は見えない。

 維新は3年前は「おおさか維新の会」だった。2017年衆院選から「日本維新の会」に戻した。2019年春の大阪ダブル選で息を吹き返して、今回は地域政党と連携するなどして議席数は1議席多かった。ところが票数で見ると、3年前の方が多いから不思議。
★16参院選 おおさか維新 515万 →17年衆院選 339万→19年参院選491万
・今回登場の新党が二つ。
れいわ新撰組 228万 (2議席)
NHKから国民を守る党 99万 (1議席)

 前回参院選より、自民が300万、公明が100万、共産が150万、社民が50万減らした。民進党+生活の党系で、250万減。計850万ほど減った分が、「れいわ新撰組」「N国」と600万の棄権で大体つじつまが合う。細かく見るともっと判るだろうが、簡単に言えば投票率が減った分は既成の与野党どっちにも同じ影響を与えたと思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

低投票率の問題ー2019参院選①

2019年07月22日 23時02分34秒 |  〃  (選挙)
 2019年7月21日投開票の参議院選挙投票率は48.8%ほどだった。今回は2013年に当選した議員の改選期で、6年前は第2次安倍政権発足から半年ぐらいで自民党が非常に強かった。(というか、前年末までの政権党、民主党が非常に弱体化していた。)今回は自民党に多少取りこぼしがあるだろうから、僕はもともと「改憲政党3分の2」は非常に難しいと思っていた。実際そのようになり、自民党は公明党と連立した与党としては安定多数を維持したが、自民党単独では過半数を割り込んだ

 数を確認しておくと、参議院の総定数は245議席。今年の選挙から変わったが、ちょくちょく変わるので覚えられない。(2022年参院選後には、248議席となる。)2016年当選の非改選議員は自民党が56人公明党が14人である。2019年の当選者は、自民が57人、公明が13人。合計すると、自民党が112議席公明党が27議席となる。今回改選の自民党議員は66人だったから、9人減らした。過半数は123議席だから、自民党は単独過半数を失った。(前回まで議員定数は242人。自民はギリギリ過半数。)

 今回は国政選挙の投票率としては史上2番目の低さだった。都道府県別に見てみると、野党統一候補が勝利した山形県が唯一60%に達している。同じく野党候補が勝った岩手、秋田、新潟も55%を超している。高投票率が野党に有利というより、どこも激戦と伝えられたことが投票意欲を高めたのだろう。一方、自民党が好調を維持した西日本に低調が目立つ。中国・四国・九州/沖縄は島根、愛媛、大分を除き軒並み5割を割った。このうち愛媛、大分は野党が勝利している。西日本で投票率が低かったことが、自民党の比例票が大幅に減る原因となったと思われる。
(参院選投票率の推移)
 今回の低投票率には様々な要因があるだろう。そもそも参院選は衆院選より投票率が低い。政権選択にならないし、選挙区は都道府県単位、比例代表は全国だから、広すぎて選挙が盛り上がりにくい。与党が好調なときは、与野党の差がはっきりし過ぎて選挙の意味を感じにくい。知事選なんかかで「現職知事対共産党候補」の場合など、結果が見えてるから投票率が下がるのと同じである。西日本の低投票率の大きな理由だろう。やはり「激戦報道」が一番投票率を高めるのである。そのためには野党側の選挙協力体制魅力ある候補者の擁立明確な争点化などが必要だ。

 低投票率には「偶然的要因」と「必然的要因」がある。今回はもともと盛り上がりに欠けると思われていて、僕も5割を割るのは確実だと思っていた。今回は「天候的要因」も大きい。選挙当日に北九州は大雨で避難勧告も出た。北九州の低投票率の最大要因だと思う。全国的に梅雨寒が長く続き、テレビニュースのトップは選挙よりも天気の話が多かった。暑いのも嫌だけど、雨だとビラも受け取ってもらえず、演説会にも人が少ない。全体的に運動の広がりが弱くなるという話である。

 一方、近年の選挙は良くても6割半ばぐらいしか行かない。もともと3割以上の人は選挙に行かない。「自分の意思で行かない」人もいるだろうけど、「行きたいけど行きにくい」人もいる。「全然関心が無い」人もいるだろうし、「面白ければ行ってもいいけど、今回は意義を感じられなかった」人もいるだろう。選挙を「棄権する自由」はあるだろうか。与党も支持しないが、野党も支持できない。政党は皆信用できないというのは、かなり正しいかもしれない。そもそも議会政治そのものを支持しないという立場もある。僕は「主義主張として棄権する権利」はあると思う。でもそういう人は多くても全体の5%程度だろう。

 一方、「行きたいけれど行けない」という「投票弱者」も多くなっているんじゃないか。高齢になって、あるいは過疎化によって、投票所まで行くのが大変な人。あるいは、軽度の障害により、「字が書きにくい」「字が読みにくい」「学習障害で字が認識しにくい」「外国出身で漢字が苦手」などなど。後者に関しては、郵便投票の拡大投票の自書式の変更(候補者の名前や写真にチェックする)などが考えられる。一方、前者の対策として、「投票所の方から有権者に近づく」方策を考えて欲しいと思う。スマホからの投票などもあるが、高齢者、過疎化対策としては、むしろ「移動期日前投票車」が役立つと思う。限界集落などを車で回って行く投票所である。マジメに検討して欲しい。

 そうは言っても、選挙情報が無くては誰に入れたらいいか判らない。新聞を読めばいい、インターネットで調べろと言って済む問題じゃない。あるいは、誰か投票を頼んでくる知人がいるだろうと言っても、社会が変わってしまった。会社や業界団体、労働組合などから頼まれるには、それなりの社会関係が必要である。世の中、自分の主義主張がはっきりしている人ばかりではない。「社会の中での人間関係」が薄れている現代では、政治に対する問題意識そのものが育たない。仕事が忙しいとまあいいかになってしまう。そういう人が受け身でも見る可能性があるメディアは「テレビ」しかない。

 そして特に今回はテレビの選挙報道が少なすぎた。面白い選挙区はいっぱいあった。事実上「イージスアショア」の県民投票になった秋田県、「忖度発言」で辞任した元国交副大臣と女性弁護士対決の新潟県、民放女性アナ対有名政治家一家の三代目対決の宮城県…。ワイドショー向けの話題選挙区はいっぱいあったと思うが、報道すれば自民に不利になる選挙区が多い。「公平に報道せよ」とうるさくチェックして、あとあとでしっぺ返しをしてくる(と思ってつい心配してしまう)安倍政権である。これではテレビが報じなくなるわけだ。「報道の自由」が奪われた結果としての、有権者の情報不足。それが「投票率の低下」になっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇書「瑠璃玉の耳輪」ー津原泰水を発見せよ④

2019年07月21日 23時59分38秒 | 本 (日本文学)
 「原案/尾崎翠」(おざき・みどり)と書かれている津原泰水の「瑠璃玉の耳輪」(2010)という小説がある。刊行当時の「このミステリーがすごい」で18位に入っているけど、完全に忘れていた。2013年に河出文庫に入っているのを今回発見したんだけど、なかなか奇想の擬古的「探偵小説」で、こんなのがあったのかとビックリした。津原泰水はまだ読んでない本が何冊もあって、「発見」が続きそうだ。

 「擬古的」と書いたのは、舞台となった1928年(昭和2年)当時を再現するような文章で書かれているということだ。大体「プロログ」「エピログ」という目次がもう古めかしい。横浜中華街と言わずに、「南京町」と書かれる。そこには「売笑婦」がいて「阿片窟」がある。「見世物一座の女芸人」、「女掏摸」(すり)、「変態性欲の炭鉱主」、「放蕩の貴公子」…そして「東京探偵社」の「女探偵」とくる。もう江戸川乱歩か、それとも夢野久作久生十蘭だろうかという、夢のような昔の大ロマンなのである。

 どうしてそうなるかと言えば、「尾崎翠原案」に理由がある。尾崎翠(1896~1971)は戦前に新進作家と期待されたが、心身の変調で鳥取に帰省し文学活動は沈黙ぜざるを得なかった。70年代頃から再評価が進み、代表作「第七官界彷徨」などの独自な感性が注目された。今はちくま文庫や岩波文庫に収録されていて簡単に読める。この「瑠璃色の耳輪」は、阪東妻三郎プロダクションの脚本募集に応じた脚本だそうだ。結果的に映画化されなかったが、手元に残されていて全集に入った。それを当時の雰囲気を残した物語として作り直したのが本書である。

 熱海の緑洋ホテルに櫻小路伯爵一家が滞在している。岡田検事一家も滞在していて、女探偵として有名な岡田明子は櫻小路家の放蕩息子公博に魅惑された。だが彼は偶然見かけた謎の洋館の美女に心奪われてしまった。一方、東京に戻ると岡田明子名指しで、「瑠璃玉の耳輪」をした三姉妹を見つけて欲しいという依頼を受けた。依頼主も謎めいていて、探す理由も説明されない。しかも見つけた少女たちは一年後に連れてきて欲しいという。「瑠璃玉の耳輪」は父親が昔取れないように取り付けたものだという。左耳に瑠璃玉がはまった白金のピアスのようなものをしているらしい。

 岡田明子は熱海から帰路に、公博が南京町で入り浸っている美女がいて、それが耳輪をしているという噂話を聞いていた。女の格好では潜入できないので、明子は男装して「岡田明夫」として潜入する。ところがやがて「明夫」は自立的に活動する「もう一つの人格」になってゆく。単なる探偵ものというよりも、揺れ動くセクシャリティが時代を超えている。というか、もちろん現代の小説なんだけど、そこら辺のムードは原案にあったらしい。(未読だが。)そして幻覚に苦しむ描写も出てくるが、それはその頃評判だったドイツ映画「カリガリ博士」の影響らしい。幻覚、多重人格など、複雑怪奇極まる。

 そしてラスト、見つかった三姉妹の耳輪はいかにして外れるのか。それはあっと驚く仕掛けである。そして耳輪は何を意味したのか。それこそ世界平和を揺るがす秘密があり、櫻小路伯爵一家の絡んだ大陰謀だったのである。ということで最後は一応の大団円に収まるけれど、この話は一体なんなんだろうか。それは文庫の最後にある「尾崎翠フォーラム」での著者の講演に示唆されている。津原氏によれば、この物語は「南総里見八犬伝」に対応するのだという。なんで千葉の話が鳥取の人がと思うと、実は安房里見家は江戸時代初期に鳥取県倉吉市に移され跡継ぎが無く改易された歴史があった。鳥取県民にとって八犬伝は身近だったというのである。詳しいことは直接。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異色西部劇「ゴールデン・リバー」

2019年07月20日 23時17分15秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランスのジャック・オーディアール監督が作った異色の西部劇ゴールデン・リバー」が公開中。まあちょっと外している感じもあるけれど、力作には間違いない。今日書かないとそのまま終わりそうだから、簡単に書いておきたい。原題が「The Sisters Brothers」って言う。ふざけているんじゃなくて「シスターズ」という姓を持つ兄弟ガンマンの話である。パトリック・デウィットの小説が原作で、2011年の英国ブッカー賞の最終候補5作に入った作品。日本でも創元推理文庫から邦訳がある。

 原作が多分重厚なんだろうが、この映画もじっくり描いて進行が遅い。こんな話だったかと最後の方まで判らない。西部劇と言っても、見るものにガンファイトのカタルシスをもたらすエンタメ作品ではない。画面もずっと暗いし、冒頭からして真夜中の銃撃戦。お互いに全然判らない中で撃ち合っている。西部劇(ウェスタン)は世界中で「西部劇風」の娯楽作が作られた。でも「アメリカ西部」を舞台にすることが西部劇と呼ばれる条件だろう。この映画はフランスの監督がスペインでロケした映画だが、場所は「オレゴン準州」という設定。俳優もアメリカ人を使った英語映画で西部劇になる。

 シスターズ兄弟はオレゴン準州の提督(と字幕にある)に雇われて、ヒットマンをしている。相当に優秀で相手が多くても皆殺しにしている。チャーリーホアキン・フェニックス)が主導的なんだけど弟。兄のイーライジョン・C・ライリー=映画化権を獲得して製作を兼ねている)は、早くやめて故郷に帰りたがっているが弟の面倒を見ている。兄弟が殺し屋で、そのために先行して標的を探す役がジョン・モリスジェイク・ギレンホール)。その標的はハーマン・カーミット・ワームリス・アーメット)で、モリスはうまいことハーマンに近づき捕えてしまう。
(シスターズ・ブラザーズの二人)
 それで終わりなら映画にならない。このハーマンという男は、実は金を見つける化学物質の化学式を見つけたというのである。追われているのは実はその化学式が欲しいからだという。そして自分の最終目的は、金を見つけることではなく、その儲けでダラスに理想的な共同体を作るんだという。その話にモリスも共感して、二人は仲間になってしまった。シスターズ兄弟もそれを知り、オレゴンからカリフォルニアで追いかけてゆく。途中で様々なジャマが入るけど、もう川で金探しを始めている二人を見つける。そこを別のグループに襲撃され、結局4人で共闘することになった。

 そして川に「とある薬品」を流し出すと…、ホントかよと思うけど、金鉱石がピカピカ光り出すではないか。ここが凄いと言えば凄いけど、こんな物質があるんだろうか。ないでしょ、金に反応するなんて。むしろ黄鉄鉱かなんかに反応しているんだったら判らないでもないが。そしてチャーリーはこの光輝く川を見て、欲望に駆られてしまう。そこから崩壊への道は一直線。アレレと思う間に全てが終わってしまう。この成り行きの元を作ったオレゴン準州提督も襲うつもりで、行ってみたら死んだところだった。何か全ては夢で、全てはムダだったのか。馬を駆けて草原や山を行く美しいシーンが多いが、それも襲ったり襲われたりの道中である。ずっとそんな感じ。確かに今までに見たことがない西部劇だ。

 ジャック・オーディアール(1952~)は、「ディーパンの闘い」(2015)でカンヌ映画祭パルムドールを獲得した。今回の「ゴールデン・リバー」はそれ以来の監督作で、ヴェネツィア映画祭銀獅子賞、フランスのセザール賞で監督賞など4部門で受賞した。それ以前にも「真夜中のピアニスト」(2005)、「預言者」(2009、カンヌ映画祭グランプリ)などがある。日本ではその重厚な描写がいつも敬遠されているかもしれない。この映画も俳優の名演が見事だが、ちょっと長くて暗いかなと思う。でも力作だから、一応紹介して記憶に留めておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「議論しない」安倍政権

2019年07月19日 22時25分01秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍首相の選挙演説で「安倍やめろ」などとヤジを飛ばした男性が警察に排除されたと問題になっている。「ヤジを飛ばす」ことそのものが、公衆の安全に大きな問題を与えるとは思えない。首相といえど、選挙演説は公務ではなく、私的結社の長としての私的な行動である。ヤジに対して自民党関係者が対応するならともかく、公務員である警察が対応するのがおかしいんじゃないかということになる。
(北海道でヤジを排除する警察=HBCテレビ)
 安倍首相は国会で野党議員に対して、自分もたびたびヤジを飛ばしている。それなのに、というか、それだからこそというべきか、自分がヤジられるのは嫌いらしい。そして、それに対応してかどうか、警察も「忖度」しているのか。映画「新聞記者」の時に書いたように、かつての内閣情報調査室トップが官房副長官と内閣人事局長を兼務するという、異例な事態が起こっている。官邸が官僚人事を統括しているから、だんだん自民党=国家という考えが官僚世界に染みついているのか。長くなると皆が慣れてしまい、世の中そういうもんだろと思うようになってしまう。

 ところで、その安倍首相が野党に対して「この選挙では、未来に向かってしっかりと憲法の議論をしていく候補か、全く議論しない、議論を拒否する候補か」など言い続けている。トランプ大統領と同じく、同じことを言い続けていると慣れてきて、そういうもんかと思う人が出かねない。前国会では野党が求める予算委員会を開かず、2年前は憲法の規定に基づく臨時国会に応じなかった。憲法の規定に従わない安倍首相が、野党に対して「憲法改正の議論をしない」と非難するのである。僕も安倍首相の演説に出会ったら「お前が言うな」とでもヤジを飛ばしてしまうかもしれない。(しかし、安倍首相がどこで演説するかは公表されていない。実になんとも言いようがない。)

 野党を「議論しない」と非難するけれど、実は議論しないのは安倍政権の方だ。何しろ「選択的夫婦別姓」も「女性天皇」「女性宮家」など、課題とされる問題も何の議論もしない。勘違いされないように最初に書いておくけど、僕は(そのままで)「選択的夫婦別姓」や「女性天皇」に賛成するものではない。(その問題は長くなるからここでは書かない。)だけど、これらの問題が「課題」とされつつ、何の方向性も示されないままになっているのは問題だと思っている。そして、その事情は安倍首相の「忖度」にあると思っている。一度退陣し政治生命を失いかけた安倍氏を、不遇の時代にも見捨てなかった日本会議などの勢力が反対することは「議論しない」のである。

 安倍首相が力説する「憲法改正」とは、実は「自衛隊の存在を憲法9条に書き加える」というだけのことである。なんでかというと「自衛官の子どもがいじめられた」とか事実不明の情緒論である。今の9条の1項、2項をそのままにして、自衛隊を置くというだけを加えるから、「現状の自衛隊のあり方は変わらない」らしい。変えるけど、変わらない。膨大な国費を投じて、そんなことに情熱を傾けるとは信じがたい。当然のこととして、野党側は実は「自衛隊の役割が拡大解釈されてゆく」と批判する。僕も首相のホンネはそっちだろうと疑わざるを得ない。だって、今まで憲法の文面を勝手気ままに解釈してきた「前科」がいっぱいある以上、とても信じられないのだ。

 「議論しない首相」が「議論しないと批判する」逆転した言論が横行する。トランプのアメリカでも起こっていることだが、「逆転」ばかり見続けていると、なんだか「正転」しているように思う人が出てくる。今回の参院選は政策の具体的議論の前に、「言論が機能するか」の方が問題だ。かつて「世界経済の危機」を主張して「消費税アップの先送り」を掲げて「衆議院の解散」を行ったのが安倍政権である。しかし、その頃ではなく今こそが米中経済摩擦などで「世界経済の危機」だろう。ならば、今回こそ先送りするべきでは? 消費税をどうするかの議論以前に、マジメな政策議論が成り立たない安倍政権に慣れてしまうと、皆がもう選挙は行かなくてもいいんじゃないとなる。そういう段階に日本はある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選挙運動の抜本的改革

2019年07月18日 23時09分19秒 |  〃  (選挙)
 7月21日の参議院選挙が近づいたけれど、なんだか選挙期間が短いなと思う。この前の日曜日は「ラスト・サンデー」だとニュースで報道していたけど、その前の日曜は「公示後初めての日曜日」と報じていた。選挙期間中に2回しか日曜がない。「日曜」を特に報じるのは、多くの人が休日だから繁華街で各党の党首が大々的な街頭演説をするからだろう。それなら、そういうニュースがある日がもう少し欲しいと思う。いや選挙運動は迷惑だから、早く終わって欲しいという人もいるだろう。それに候補者の方も、これ以上運動期間が延びると体力も財力も持たないという場合も多いだろう。でも、発想を変えれば選挙運動はガラッと変えられる。前にも書いたけど、改めてここで考えてみたい。
(白石聖を起用した神奈川県の啓発ポスター)
 選挙期間が短いとどういう問題があるだろうか。それはまず「新人に不利」ということだ。現職候補は少なくとも一回は有権者に名前を書いてもらっている。その知名度の差は、よほどのタレント候補じゃない限り短期には埋められない。もう一つは「選挙運動に接する機会が少ない」、だから「有権者が議論する時間が少ない」ということである。僕も毎日のように都心方面に出かけているが、一度も出会ってない。自分で調べて行くか、あるいは動員されない限り、選挙演説にはなかなか出会わない。有権者からすれば、一番候補者を理解できる機会なんだけど、特に参院選は選挙区が広すぎるのである。

 今の選挙では公費でまかなう部分が多い。だから、ただ選挙期間を延ばすと選挙カー料金など公費負担が多くなってしまう。僕が考えるのは、そういう風に単純に選挙期間を長くするんじゃなくて、お金のかからない選挙運動を「早める」ということだ。例えば選挙ポスター掲示板である。掲示板で「こういう候補が出てるのか」と知ることが多い。特に東京の参院選や知事選は多くの人が立候補するので、ポスター掲示板の意味は大きい。だけど、主要政党の候補はもっと早く決まっている。支持団体回りなど事実上の選挙運動はとっくに始まっている。公示段階は「終盤戦」だと言われたりする。組織に縁のない無党派層、新聞を読まない人などが知らないうちに「終盤戦」になっているのだ。

 だったらもっと早期に立候補届け出を始めて、さっさとポスターを貼れるようにすればいいじゃないか。だけど、その段階ではポスターを貼ったり、街頭演説をしたり、インターネットを使った運動しか認めない。それが一ヶ月前で、2週間前頃から選挙カーによる連呼などを認めればいい。そして一番迷惑な「電話」を禁止して、「文書」「戸別訪問」を解禁する。戸別訪問も迷惑だけど、選挙にはある程度の迷惑はやむを得ない。顔の見ない電話戦術より、候補者や運動員と直接話せる戸別訪問の方がいいと思う。一番迷惑な電話がよくて、他のことが認められないのは理解できない。

 もう一つ思うのは、「期日前投票」の問題。期日前投票は理由がないと認められない。別に「旅行」に○をして、どこへ行くかなど確認されるわけでもない。だから適当に理由を付けて投票すればいいとも言える。でも、それじゃ期日前投票がやりにくいという意見を投書する人もいる。それも判るけど、公示翌日から期日前投票が出来るというのも早過ぎないか。翌日に早くも投票に行くということは、選挙公報や政見放送は見ませんということだ。もういつも投票するとこは決まってるんだと言うんだろう。でもせっかく税金で作るんだから、広報ぐらい見てからにしては? そう思ったりするわけである。 

 この問題は、先に書いた二段階方式なら解決する。前半はポスターとネット選挙。後半で選挙カーと戸別訪問。そして後半になったら期日前投票も開始。それでいいじゃないか。僕が思うに、選挙戦最終日に運動は一番盛り上がる。そしてマスコミには情勢予測記事が載る。(それは善し悪しだが。)本来はそれを見て、最終的に誰にしようと判断するべきなのではないか。僕は大体そうである。自分が真に全面的に支持し、納得できる候補は今までほとんどいない。だから「まあやむを得ないか」と思って、情勢を見て入れたり入れなかったりするわけだ。それは「揺れ動く」ということだが、逆に考えて期日前にすぐ行く人は揺れてないことになる。「選挙の秘密投票」という意味でも、出来れば期日前じゃない方がいいんじゃないかと思う。

 僕は選挙はやっぱり、必ず行くべきだと思っている。選挙で何かがすぐに良く変わるとは思ってない。でも何かがもっと悪くなるのを少し遠ざけることは出来るかもしれない。新聞に若い世代は「友人と政治の話が出来る人は2割しかいない」と出ていた。でも、実はいつの時代もそんなもんだろう。僕だって、だれかれとなく政治の話なんかしない。でもそれは「友人」ではなく、「知人」である。政治の話が出来ることと「誰に入れるか」は別である。誰かに頼まれたって、投票は秘密なんだから好きに入れればいい。そして長い人生には、政治の話をちゃんと出来る「友人」が何人かは出来る「政治」は「生き方」と深く関わるから、どこかでちゃんと話せる人じゃないと共に生きていくことは出来ないから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポーランドの傑作映画「COLD WAR あの歌、2つの心」

2019年07月17日 22時50分16秒 |  〃  (新作外国映画)
 ポーランド映画「COLD WAR あの歌、2つの心」は最近一番心動かされた映画だ。2018年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞し、2019年のアカデミー賞で監督賞、外国語映画賞、撮影賞にノミネートされた。アカデミー外国語映画賞を受賞した「イーダ」(2013)のパヴェウ・パヴリコフスキ(Pawel Pawlikowski、1957~)の新作。前作と同じく今どき珍しいモノクロ映画だが、映像のあまりの美しさに魅惑された。「冷戦」に引き裂かれた恋人たちの運命を静かに見つめてゆく。しかしテーマの奥深さに対し、上映時間わずか85分だ。観客に事細かに説明せず、小さな声で歴史を語る。その姿勢に僕は感動した。

 冒頭は1949年。ポーランドの農村地帯を巡りながら伝統的な民謡を集める人々がいる。かつてアメリカのアパラチア地方に残る民謡を集めて回る「歌追い人」(Songcatcher、2000)という映画があった。また中国のチェン・カイコーの出世作「黄色い大地」(1984)では、日中戦争下に黄河一帯に残る民謡を集めて回る八路軍兵士がいた。そういうことを思い出しながら見ていると、その中から優れた歌手やダンサーを見つけ出し、民族歌舞団を創る工作だった。そして、それは成功し党幹部も評価する成果を挙げた。幹部はさらに民謡だけじゃなく、最高指導者を歌ってはと述べる。

 この最高指導者というのは、もちろんソ連のスターリンのことである。ポーランドにドイツが侵攻したことで第二次世界大戦が始まったわけだが、ポーランドはソ連軍によって解放された。そのためポーランドの処遇は戦後非常にもめたが、結局ポーランド統一労働者党の独裁国家となった。世界的に「社会主義国家」では「人民の伝統的文化」を掲げた歌や踊りの団体がよく作られた。それらは「西側」諸国でも公演し、文化発揚と外貨獲得の貴重な手段になっていた。日本でも赤軍合唱団(ソ連)や金剛山歌劇団などが知られている。この映画でも、東ベルリンやモスクワにも行けると語っている。

 合唱団でピアニストをしているヴィクトル(トマシュ・コット)は、最初からズーラヨアンナ・クーリク)の才能に魅了されていた。しかし彼女は「問題」を抱えていた。父親を殺害(?)して執行猶予中だという。事情はともかく歌の才能があるズーラは採用されて、合唱団でも中心となる活躍をする。いつのまにか、二人は愛し合うようになっていた。そして合唱団は東ベルリンの公演に出かける。これが1952年。ヴィクトルは東ベルリンで西へ亡命することを決意し、ズーラにも一緒に来て欲しいと言う。しかし、ズーラは約束の時間に現れなかった。

 ヴィクトルはパリへ行って、ジャズクラブでピアニストをしている。何とか音楽業界で生きているようだが、ズーラがいない。ユーゴスラヴィア公演があると知り、彼はクロアチアまで訪ねてゆく。舞台のズーラは客席のヴィクトルを見て動揺する。終演後に再会するが、警察がヴィクトルをパリへ送り返してしまう。(ポーランド政府は送還を主張したが、ユーゴはパリへ帰すと言っている。社会主義国ながらソ連圏から脱していた微妙な情勢を反映している。)そして1957年。今度はズーラがパリへやってくる。イタリア人と結婚して、合法的に出国したのだという。二人の愛は再び燃え上がり、ともに暮らし始めるが…。ヴィクトルはズーラのレコードを作るけれど、異国でズーラの心は晴れない。

 ズーラは突然ポーランドに戻ってしまい、ヴィクトルは合唱団に国際電話までするが行方不明と言われる。次の再会はポーランドの獄中での面会だった。ズーラを探すため、あえてポーランドに帰国したヴィクトルはスパイ罪に問われて懲役15年を宣告されたのである。ズーラは「何としてでも出してあげる」と言い残して去る。そして1964年。ようやく出獄できたヴィクトルは、ズーラの歌を聞きに行くが、そこで観客はヴィクトルが何故早期に出獄できたのかを悟る。そして二人は再会して、田舎の教会跡を訪ねて行くが…。突然のように映画は終わるが、ラストのクレジットにグレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」(バッハ)が流れるとき、あまりにも悲しい結末に深い余韻が全身を満たしてゆく。

 「イーダ」もいい映画だったけど、ここでは書かなかった。モノクロの地味な映画で、これも小さな声で語られた映画だった。同じく唐突に終わってしまい、僕ももう少し説明があってもいいんじゃないかと思った。でも「イーダ」の感触は今もよく覚えている。「省略」のマジックである。そういう技法と知っているから、今度の「COLD WAR」は戸惑わない。むしろ東西を隔てて語り尽くせない哀しみが、歌に託されて心に響く。何度もリフレインされるポーランドの民謡が二人の運命を語っていた。

 僕が思い出したのは「浮雲」(林芙美子原作、成瀬巳喜男監督)や「秋津温泉」(藤原審爾原作、吉田喜重監督)である。戦争と戦後を引きずって、何度も何度も出会い直しては別れる「愛の神話」あるいは「腐れ縁」の物語である。深く心に残る真実の物語だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「新聞記者」をめぐって

2019年07月16日 23時02分33秒 | 映画 (新作日本映画)
 権力とメディアの闇を鋭く描く藤井道人監督の映画「新聞記者」がヒットしている。日本には珍しい政治的サスペンス映画であり、安倍政権下で起こった数々の出来事(を思わせるもの)が連続して描かれている。しかし政権批判のノンフィクション・ドラマではなく、純然たるフィクションである。後半は主人公二人の人生の選択に焦点が当てられる。この映画をどう評価するべきだろうか。

 僕の見るところ、まずまず面白く見られるサスペンス映画だと思う。だが、この後で書くようにいくつかの疑問もある。大傑作というほどの出来映えじゃなかったと思う。政治的スタンスから評価をかさ上げして見るなら別だが、話題先行かもしれない。僕はこの映画を超える企画を望みたいと思う。公開後2週にわたって興業収入10位に入るヒットを記録している。連休中だったこともあり、僕の見た映画館も朝から満席だった。このような映画に需要があることが示されたのは良かった。

 宣伝コピーを引用すると、「新聞記者」とはこんな映画。
 東都新聞記者・吉岡シム・ウンギョン)のもとに、 大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届いた。 日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち、 ある思いを秘めて日本の新聞社で働いている彼女は、 真相を究明すべく調査をはじめる。 一方、内閣情報調査室官僚・杉原(松坂桃李)は葛藤していた。「国民に尽くす」という信念とは裏腹に、与えられた任務は現政権に不都合なニュースのコントロール。愛する妻の出産が迫ったある日彼は、久々に尊敬する昔の上司・神崎と再会するのだが、その数日後、神崎はビルの屋上から身を投げてしまう。真実に迫ろうともがく若き新聞記者。「闇」の存在に気付き、選択を迫られるエリート官僚。二人の人生が交差するとき、衝撃の事実が明らかになる!

 主演の官僚、松坂桃李が素晴らしい。去年の「孤狼の血」など近年の充実ぶりには目が離せない。一方、記者側には韓国のシム・ウンギョンを起用した。日本人の有名女優をキャスティングすると、観客が恋愛描写を期待してしまうからだという。吉岡エリカは母が韓国人で米国育ちという設定だから、日本語が多少不自由でもやむを得ないと思えるかどうか。最初の頃は記者としては多少違和感がある。シム・ウンギョン(1994~)って誰だっけと調べると、ドラマ「ファンジニ」の子役などで有名となり、映画「サニー 永遠の仲間たち」主演者の高校生時代、「怪しい彼女」の若返った姿などを演じた。そう言われると思い出すが、なかなかの演技派ぶりを発揮している。
(主演の二人)
 僕には前半の東都新聞のシーンが手持ちカメラで揺れるのが困った。最近はデジタルカメラの性能がいいから、手持ちカメラの映像が多い。昔は大丈夫だったけど、年を取ってきたら映像酔いするのだ。後半はほとんど固定されているから、これは新聞社の覚悟、スタンスを象徴的に描いているのかもしれない。それより問題だと思ったのは、この映画の原案者である東京新聞の望月衣塑子記者や加計学園問題で発言が注目された元文部科学次官の前川喜平氏が映画内に実際に出ていることである。主人公が見ているテレビに彼らが討論会をしているところが映るのだ。「日本の危うさ」を示すときに、主人公が自らの体験や思考でたどり着くのではなく、画面の外部から解説されてしまうのである。
(望月記者と前川氏)
 僕は望月氏や前川氏は大切なことを語っていると思うけれど、だからといって劇映画でこれはないだろうと思った。これじゃ映画は原作の「絵解き」になってしまう。全体的にも「いかにも」的な進行が残念なのである。近年のアメリカ映画では「スポットライト」や「ペンタゴン・ペーパーズ」のような現実の新聞をモデルにした傑作映画が評判になった。大昔の日本には「暴力の街」(1950、山本薩夫監督)や「黒い潮」(1954、山村聡監督)など政治的テーマで新聞社を描く映画があった。しかし、その後は「誘拐報道」(1982、伊藤俊也監督)や「クライマーズ・ハイ」(2008、原田眞人監督)など、新聞社が描かれても社会部が多い。現実に「闘う新聞社」がないから、ノンフィクション・ドラマが作れないのか。

 ただこの映画が貴重だと思うのは、「内調」(内閣情報調査室)が正面から描かれていることだ。謎が多く、マスコミでもほとんど触れられない「内調」だが、CIAのカウンターパートとされる重要なインテリジェンス組織である。安倍内閣で「国家安全保障会議」が発足し、「情報」部門の重要性が政権内で高まっているとされる。かつて内閣情報調査室長、初代内閣情報官(どっちも内調のトップ)を務めた杉田和博氏が、安倍内閣発足時よりずっと内閣官房副長官を務めている。杉田氏は2017年8月からは、なんと内閣人事局長を兼務している。警察官僚で公安畑出身の杉田氏が安倍内閣の情報と人事のトップを握っている。この杉田氏の存在こそが、安倍内閣の方向性を示唆している。

 「新聞記者」ではなんだか「外務官僚」である杉原が飛ばされてイヤイヤ仕事しているような感じだが、そうじゃないだろう。インテリジェンスをめぐって、警察官僚と外務官僚の考え方の差があるんだと思う。杉原だって、「国民に尽くす」理想的な官僚ではなく、神崎も含めて、中国に関するインテリジェンスが専門だと考えられる。公安警察的な「国民監視」的な発想になじめない杉原にしても、インテリジェンスの重要性は認めているだろう。むしろ専門である「中国」や「北朝鮮」情報の仕事に戻りたいんだろうと思って見た。本当はそこら辺まで背景を描いて欲しかった。

 それにしても上司である多田田中哲司)の不気味さ。「子どもが生まれるんだってな」とそれとなく、家族を絡めてくる。出産祝いをさりげなく手渡す。この「パワハラ」寸前のねちっこい上司を、田中哲司が見事な存在感で演じている。状況は違えど、こういうタイプには人生で何度か出会うことになる。それが日本社会で働くということだ。最後に、「神崎の思い」とは何だったのだろうか。僕は「日本の軍事国家化を許してはならない」ということだと考える。それを吉岡記者や杉原が、あるいは我々が引き継いでいけるだろうか。それが一番大切なことで、声を大にして語り続けないといけない。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする