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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「鵞鳥湖の夜」、スタイリッシュな中国ノワール

2020年09月30日 20時40分10秒 |  〃  (新作外国映画)
 ディアオ・イーナン監督(1968~)の5年ぶりの新作「鵞鳥湖の夜」(南方车站的聚会)が公開された。「鵞鳥」は「がちょう」で英語題は"The Wild Goose Lake"となっている。当初は5月公開予定で、僕はずいぶん予告編を見た。監督の前作「薄氷の殺人」はハルピンを舞台に凍てつく北の町で起きた迷宮入り殺人を追っていた。なかなか面白かったし、今度は南方を描くというので見たいなと思った。もっとも「鵞鳥湖」は実在せず、実は武漢で撮影したという。

 話は単純なんだけど、夜の町に赤やピンクの光が暗闇を照らし出すスタイリッシュな映像美が忘れられない。撮影は「薄氷の殺人」のトン・ジンソンで、照明や美術にウォン・カーウァイ監督作品「花様年華」やビー・ガン監督「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」のスタッフが加わっているという。そう言えば、これらの作品を支えていた作家主義的な中国ノワールの系譜を受け継ぐ作品だと考えることが出来る。

 刑務所を出所して古巣のバイク窃盗団に舞い戻ったチョウは、対立する猫目・猫耳兄弟たちとの揉め事に巻き込まれる。夜の町をバイクで逃走中に誤って警官を射殺してしまうが、指名手配され警察の包囲網に追いつめられてしまう。チョウは自らに懸けられた報奨金30万元を妻と幼い息子に残すことだけを考える。しかし、チョウの前に現れたのは、妻の代理としてやってきたアイアイという見知らぬ女。冒頭の駅でのアイアイとの出会いで、謎めいたムードが画面を支配し、続いて時間が過去に戻って逃げ回る理由が明かされる。

 アイアイは前作で主演したグイ・ルンメイが演じている。鵞鳥湖は開発に取り残された南方の寂れたリゾートという設定で、そこには「水浴嬢」と呼ばれている娼婦がいる。アイアイもその一人で、すでに警察に見張られている妻に代わって現れたという。だが対立するグループにも追われ、警察の手も迫ってきて、チョウはどうすることも出来ない。裏をかいて駅に潜んだり、夜の町を逃げ回ったりしながら妻に会うことは出来ない。チョウがアイアイとうらぶれた店に入って何か頼めと言われて、麺を食べているとチョウが調味料を足していく場面などが妙に心に残る。

 「パラサイト 半地下の家族」がパルムドールを取った2019年のカンヌ映画祭の公式コンペティションに選ばれたが無冠に終わった。僕も「レ・ミゼラブル」や「ペイン・アンド・グローリー」ほどの感銘は受けなかった。ベルリン映画祭で金熊賞だった「薄氷の殺人」に比べてしまえば、謎のスケールが小さく完成度も及ばないかと思う。しかし、そういうレベルと違った魅力が詰まっている。ビー・ガン監督作品にも感じることだが、「ノワール」としての魅力を地方都市に見出す視点が興味深い。夜ばかりで、どこの都市で撮ったかは僕には判らなかった。
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鳥海山と岩木山、「郷土富士」の名峰ー日本の山㉑

2020年09月29日 21時08分14秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 丸亀製麺に入ると、「讃岐富士飯野山の写真が飾られている。富士山に似た山容だけど、標高は421mに過ぎない。こういうのを「郷土富士」と言うんだそうだ。(ウィキペディアに一覧がある。)日本どころか世界にもあって、アメリカ西部のレーニア山が「タコマ富士」、ノアの箱舟伝説のアララト山が「トルコ富士」とか。もちろん日本人が勝手に付けているだけだ。戦時中の日本軍も「ラバウル富士」なんて名前を付けていた。

 今まで書いた中では、利尻山(利尻富士)や大山(だいせん、伯耆富士)が郷土富士になる。利尻富士なんか町の名前にもなっている。そんな中で東北地方では「出羽富士」と呼ばれる鳥海山や「津軽富士」と呼ばれる岩木山などの名峰がある。特に鳥海山(2236m)は海へと続く大きな山麓が魅力で、植物の固有種も多い日本屈指の名山だ。尾瀬の燧岳に続く東北第二の高峰だが、燧岳は麓から見える山じゃないから実質的には東北を代表する山だと思う。

 鳥海山に登ったのは、実は前に書いた月山に登った後だった。昔はそういうことが出来たのである。月山頂上小屋に泊まって、翌日は湯殿山を経て下山。バスで酒田へ出て、さらに鳥海山中腹にある国民宿舎大平山荘(おおだいら、1000m)へ。鳥海は四方から登山ルートがいろいろあって、いくつかの宿がある。普通は一日じゃ無理で、中腹にある大平山荘か鉾立山荘に泊まって頂上でもう一泊することが多いだろう。急登が続くが2時間半ほど頑張ると、御浜小屋(1702m)に出る。遠くに昔の火口だった鳥ノ海が見える。絶景を望んで一休み。
(鳥ノ海を望む)
 鳥海山はお花畑に見とれながら登る山だ。固有種も多くてチョウカイアザミがあちこちに咲き乱れている。雪も遅くまで残っていて、特に有名なのが「心字雪渓」である。遠くから見ると「」の字のような雪渓に見えるという意味で付けられた。頂上は見えていて、風景や花を楽しみに頑張って2時間半ぐらい。ようやく大物忌(おおものいみ)神社に到着した。
(心字雪渓)
 鳥海山はもちろん火山だが、有史以来何回か噴火の記録がある。近代以後に大噴火がないので、何となく火山の印象がないけど、江戸時代には死者も出た記録がある。そこで大物忌神社が祀られ出羽一の宮となり、朝廷からも高い位を授けられたという山だ。だから頂上小屋も正式には「鳥海山頂上参拝所」である。信仰登山の人も多く、頂上は混雑していた。宿泊手続きをして、すぐそばの頂上を目指す。石ころをよじ登りながら、周囲の夕景を見渡した。
(鳥海山頂と頂上小屋)
 翌日は秋田県の矢島方面に降りたが、その道も花がいっぱいだった。その後酒田に泊まって、本間美術館山居倉庫土門拳記念館などを訪れたのも楽しい思い出だ。鳥海山は30年ぐらい前で、車がなかった頃に登山だが、それから10年ぐらいして今度は車で東北を回った。青森県は山や温泉もに加えて、縄文遺跡や太宰治、寺山修司など歴史、文学にゆかりが深い。そしてドライブ中には津軽富士と呼ばれる岩木山(1625m)がずっと見えているのが素晴らしい。
(岩木山)(岩木山テレカ)
 しかしながら今では信仰の山として山麓の神社から登る人はほとんどいないだろう。津軽岩木スカイラインが1965年に出来ていて、8合目まで車で行ける。そしてそこからリフトもあって、何と9合目(1470m)まで行けてしまう。だから登山は30分ほど、高低差150mほどで済んでしまう。あれば利用したくなってしまうわけで、僕も30分で登頂したので、ほとんど覚えていないのである。登山以上にジグザグにどんどん登るスカイラインのドライブの方が気を遣う。
(岩木山頂)
 それより前日に泊まった麓の嶽(だけ)温泉の「山のホテル」が素晴らしかった。部屋も食事も良かったけれど、白濁した硫黄泉が素晴らしい。そして夕方に入浴したときに、宿の関係者なのか隣の女性風呂から多くの人の声が聞こえてきた。その津軽弁がホント、全然判らなかったのが一番強烈な思い出になっている。
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君は「シンセミア」を読んでいるかー阿部和重を読む③

2020年09月27日 22時52分53秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重を読むシリーズは3回で一端休止である。初期作品を読んでいたのは9月中旬のことで、もうスルーしちゃおうかと思っていた。しかし、大長編「シンセミア」まで進んだところ、噂にたがわぬ大傑作だったことに驚いた。もともとは1999年から連載が始まり、2003年に刊行された。毎日出版文化賞や伊藤整賞を受賞し、21世紀の傑作と評判になった。2006年に朝日文庫に全4巻で収録された。僕の持っているのはその文庫版だが、あまりの大長編なので読まないままになっていた。(現在は講談社文庫から上下2巻で刊行されている。)
(「シンセミアⅠ」)
 「君は『シンセミア』を読んでいるか」などとつい大きく出てしまった。ウィキペディアには大江健三郎万延元年のフットボール」や中上健次枯木灘」に並び称されると書かれている。だけどこれらの言葉に誘われて、「良い子の皆様」が本当に読んでしまったら、そのあまりの悪徳の町の恐ろしさに絶句してしまうかもしれない。暴力、セックス、ドラッグはもちろん、犯罪者のオンパレードで警官でさえ悪徳警官ばかりである。気が弱い人は止めとく方がいいかもしれない。

 でも「シンセミア」は間違いなく傑作である。とにかく面白い。戦後史の読み直しでもある。山形県東根市に「神町」(じんまち)という地区がある。よりによって「神の町」である。ここが著者の出身地でもあるが、最初に聞いたときは創作かと思った。そういう名前の駅も出てくるが、ホントかよと思って地図を見たらJR神町駅はちゃんと実在した。この「神の町」という字面のイメージをもとにして、神町に神はいるのかとヴィジョンを膨らませてゆく。それが「神町サーガ」(長編としては「神町トリロジー」)と呼ばれる大シリーズに結実した。
(「シンセミアⅡ」)
 東根と言えば「さくらんぼ東根」として有名で、僕も昔ドライブして銀山温泉へ行ったときに通り過ぎたことがある。もちろん小説は現実の東根ではない。ただ、戦時中に海軍航空隊の基地があり、戦後はそこに米軍が進駐したことは大前提の事実である。米軍撤退後は陸上自衛隊の基地となり、飛行練習場だった場所に山形空港が作られている。米軍がいた頃は風紀が乱れ、売春施設が建ち並んでいたと小説には出ているが、それがどこまで現実なのかは僕は知らない。だが、当時あちこちの米軍基地周辺で起こったことが、やはり神町にもあったのだろう。

 戦前からパン屋を開いていた田宮仁は戦時中に店を閉じることになった。戦後は米軍に雇われて働きながら、米軍との人脈が出来て神町に「パンの田宮」を再建した。地元のヤクザ麻生興業の麻生繁蔵も米軍人脈を通して勢力を伸ばし、裏で麻生と田宮が結託して神町を支配してきた。二代目の田宮明麻生繁芳も同学年で親しくして、裏支配は継続されてきた。しかし裏支配にほころびが生じ始めていく。21世紀目前の2000年の夏、神町には謎の事件が相次ぎ、かつてない大洪水にも見舞われた。かくしてカタストロフィが訪れる。
(「シンセミアⅢ」)
 しかし、こんな「シンセミア」の要約は不可能だ。筋が入り組んでいるだけでなく、一人一人の設定が半端なくぶっ飛んでいる。田宮家3代目田宮博徳の立ち位置は特に複雑で、彼は家庭がうまくいかず知人たちの「盗撮組織」に加わる。麻生、田宮と組んできた悪徳建設業者笠谷建設笠谷宗太は市議として産廃処分場建設を推進しているが、反対運動も起こっている。反対運動の中心だった高校教師が謎の自殺を遂げるが、その理由は何か。

 田宮博徳と高校で同級生だったスピード狂、相沢光一はその夏の初め謎の事故を起こす。その事故場面のビデオが存在するという噂が町に流れる。どうも「盗撮組織」が関係しているのかもしれない。博徳は同じく同級生で警官になって戻ってきた中山正に相談する。この中山巡査はまさか警官になるとは思えなかった人物で、実際「少女性愛者」を自覚し、合法的に町の少女たちを観察できると思って警官になったというとんでもない人物である。そして冒頭で謎の他殺事件が起きるが、その犯人も目的も明かされない。こうして事故や自殺が続く町で、ロリコン警官や盗撮集団が暗躍して、長く続いた神町の裏支配にひびが入っていくのである。
(「シンセミアⅣ」)
 20世紀の小説では、作家が神のように何でも知っているのはおかしいとされてきた。しかし、「シンセミア」では作家が自在に登場人物に入り込む。登場人物が阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」を読んでる場面も出てきて、阿部和重を名乗る人物からのメールも出てくる。描写は逸脱に次ぐ逸脱で、神町に起こる様々な出来事が複合的に語られる。人物一覧や相関図がないと判らなくなる(付いている)。この犯罪描写は広義のミステリーとも言える。

 大江健三郎の「四国の森」や中上健次の「紀州の路地」を思い起こすのも間違いとは思わないけど、むしろジェイムズ・エルロイの「暗黒のL.A.4部作」に近いのではないだろうか。日本で言うならばヤン・ソギル(梁石日)の「血と骨」のように、触れれば血が出るほどの熱さを持っている。そして「シンセミア」(Sinsemilla)の意味。これはマリファナ栽培で「種なし」を意味するという。大麻の受粉を防ぐことで、無種子の大麻になり効果が強烈になるという。一種の戦後日本の空疎な姿の象徴、あるいは「三代目の没落」を意味するか。

 長いけど一気読み必至の面白さ。しかし、満腹しすぎてトリロジー(三部作)を読み進めるのはすぐには無理。ちょっと時間をおいて、さらに「阿部和重を読む」シリーズを続けるつもり。
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「IP」と「NN」ー阿部和重を読む②

2020年09月26日 23時05分25秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重の2回目は「IP」と「NN」。そういう名前の小説ではなくて、正確には「インディヴィジュアル・プロジェクション」(1997)と「ニッポニア・ニッポン」(2001)で、僕はそれぞれ新潮文庫で出たのを持っている。しかし今は講談社文庫に移って「IP/NN 阿部和重傑作集」として出されている。多重構成で読みづらかった初期小説が、「IP」から変わっていったと言われる。確かに時間軸が一本線になっているけれど、「企みに満ちた小説」であることは阿部和重の小説全てに共通する。ここでは順番を変えて、「ニッポニア・ニッポン」から書くことにする。
(ニッポニア・ニッポン)
 阿部和重は「神町サーガ」と呼ばれる山形県東根市神町(じんまち)を舞台にした一大シリーズで知られる。「ニッポニア・ニッポン」は神町が舞台ではないけれど、神町出身の少年が主人公になっていて「外伝」的な作品になっている。「グランド・フィナーレ」にもつながっていく作品である。ところで、まず題名が判らないと話が始まらない。

 動物(というか鳥)に関心がある人なら知ってると思うが、「ニッポニア・ニッポン」は朱鷺(トキ)の学名である。シーボルトが標本を送ったことから、学名にニッポンが付くことになった。実は日本固有種じゃなくて、中国や朝鮮半島にもいる。それは亜種ではなく遺伝子的にもほぼ同種とされている。日本のトキは1971年に能登半島で絶滅し、佐渡に残るだけになった。1981年に全5羽を捕獲したが、1955年に雄のミドリが死に日本産の繁殖は不可能になった。2003年に最後に残ったキンが死んで、日本産トキは絶滅した。
(阿部和重)
 「ニッポニア・ニッポン」はそういう時代を背景にして成立した少年犯罪小説である。「テロ小説」と呼んでもいいし、いくらでも思想的深読みを誘う小説だ。主人公鴇谷春生(とうや・はるお)は自分の名前に「鴇」(トキ)が入っていることに気付いて以来、トキに関心を持ってきた。山形県の高校に進んでいたが、中学時代に思いを寄せた同級生に対するストーカー行為がバレて退学させられる。東京に出て一人暮らしをしながら、親には大検(2005年から高卒認定試験)を目指すと言いながら、インターネットでトキの情報を漁り続ける。

 春生は中国のトキを借りだしての「トキ繁殖計画」はインチキだと考える。日本産トキが絶滅することは確実になっていた時点で、中国のトキで「代用」して喜んでいる日本の「偽善」。これを現代日本の欺瞞の象徴と考えた春生は、佐渡トキ保護センターの襲撃を計画する。日本にしか存在しない「ニッポニア・ニッポン」には、例えば「天皇制」も挙げられる。「戦後天皇制」もアメリカに寄生した「欺瞞」とも考えられる。「反中国ナショナリズム」や「ストーカー」「ネット依存症」などを予見した危険な「テロ小説」だと思う。。

 この小説には実在のウェブサイト情報が満載で、多分世界でも非常に早い「ネット世界小説」になっている。後にフランスのウエルベック地図と領土」(2010)がウィキペディア(フランス語版)を大量に引用したが、それに10年先駆けている。また「少年犯罪」小説としても、「テロ小説」としても注目だ。(2001年の「新潮」6月号発表で、米国多発テロより前である。)春生は1983年生まれ(作品中には明示されないが、「シンセミア」第1巻の関連年表に出ている)で、神戸連続殺傷事件の「少年A」や西鉄バスジャック事件の少年と同年齢である。

 阿部和重はこの小説を三島由紀夫金閣寺」や大江健三郎セヴンティーン」にインスパイアされたと言ってるらしい。しかし文庫解説の斎藤環(精神科医)は豊富なサブカル知識を披露し、むしろ音楽や漫画からの引用を証明している。「引きこもり」概念を広めた斎藤氏の解説は必読だ。特に襲撃後の春生の車に流れているラジオの音楽がクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」だと指摘している。文庫本刊行は2004年だから、もちろん映画「ボヘミアン・ラプソディ」よりずっと前である。そして草野剛のカバー装幀が「クイーン」のアルバムのパロディだと指摘した。中央のQが「@」に、上の白鳥がトキに変えられた。他にも重要な変更点があるという。
(QUEENのマーク)
 「ニッポニア・ニッポン」は2001年上半期の芥川賞にノミネートされた。しかし、池澤夏樹の支持しか得られず落選している。受賞は玄侑宗久中陰の花」、選評を見ると次点が長嶋有サイドカーに犬」で確かにまとまった名品だ。小説の危険な魅力を避けたのかもしれないが、引きこもり、ネット、ストーカーなどが新味をねらったとしかとらえられなかったのではないか。今読むと予見性に満ちた傑作だと思う。
(インディヴィジュアル・プロジェクション)
 「インディヴィジュアル・プロジェクション」に触れる余裕がなくなった。渋谷の映画館で映写技師をする男の危険な生活を描いたヒリヒリするような小説だ。かつて映画学校の卒業制作の題材選びに困って、彼と仲間たちは実家近くにあった怪しげな青年キャンプのような組織を撮り始めた。これが実は元自衛官が開いたスパイ養成機関で、彼らも危険な計画に巻き込まれてゆく。そこを抜け出して東京に潜伏しているのだが、そこにも敵の手が…。と思うと、自己が自己でないような、夢のような迷宮を彷徨うことになる。そして全体が作家の仕掛けかもしれないというラスト。しかし、まさか映写技師そのものがデジタル化でなくなってしまうとは。
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阿部和重の初期小説ー阿部和重を読む①

2020年09月25日 22時50分27秒 | 本 (日本文学)
 ちょっと前に安倍政権について何回か書いたけれど、その頃僕の頭の中にあったのはアベはアベでも阿部和重の方だった。安倍政権について考えていたのはもっと前のことで、どこも出掛けない連休まで書く時間がなかっただけ。アベにはいくつか漢字表記があるが、一番多いのは「阿部」だろう。(阿部寛とか阿部慎之助とか)僕は「安倍政権」と書いたら、印刷屋に「阿部政権」と直されてしまったこともある。作家の「アベ」といえば、今までは「安部公房」だろうが、21世紀になって急速に世界的評価を上げているのが阿部和重(1968~)である。

 阿部和重の本は文庫になるたび買っていたんだけど、読んだことがなかった。2005年に「グランド・フィナーレ」で芥川賞を受賞したときに、すでに作家歴10年を超えていて「遅すぎた受賞」と言われた。持っているんだから順番に読みたいと思っていたら、なかなかメンドーそうで放っておいたわけである。川上未映子は読んでるのに、これはまずいと思ってはいた。(ちなみに阿部和重と川上未映子は、史上初の芥川受賞作家同士の夫婦である。)8月に「百年泥」や「残り火」を読んだのをきっかけに、ここで阿部和重を読んでしまおうと思ったのである。

 まずデビュー作の「アメリカの夜」(講談社文庫)で、1994年に群像新人文学賞を受賞した。講談社の文芸雑誌「群像」は、大庭みな子三匹の蟹」や村上龍限りなく透明に近いブルー」など一発芥川賞を多く送り出した賞で、村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」も「群像」だった。しかし、そういう歴史からじゃなくて、選考委員に柄谷行人がいたから応募したらしい。冒頭は七面倒くさいブルース・リー論で、それは柄谷行人のパロディなんだそうだ。ここが面倒で読みたくなかったんだけど、そこを通り過ぎれば残り大部分は特に判りにくい訳じゃない。

 主人公は映画学校を出て、渋谷のイベントホールでアルバイトしている。これは著者の実人生通りで、日本映画学校を出た後で渋谷のシードホールで働いていた。(シードホールは西武が流行の「種」を見つけるためのファッション店で、最上階に多目的ホールがあった。どんな演劇や映画、コンサートが行われたかはウィキペディアに詳しい記録が載っている。僕も何回か行っているから阿部和重とすれ違っていたのかもしれない。)

 映画作りを企画している友人がいて、主人公は呼ばれてないのに出るつもり満々でロケ現場が大混乱に陥る。何だかよく判らないような一人称の思い込みが続いた後で、いろんな描写が渾然一体とカオスに突入する。そういう構成は阿部和重の小説に共通する。そこが判りにくい感じを与えるが、同時に新しい感じもする。「ポストモダン」の「J文学の旗手」とか「渋谷系文学」などと言われただけのことはある。若書きだなと思ったけど、読む意味はある。「アメリカの夜」というのは、もちろんトリュフォーの映画題名にもなった撮影技法のこと。

 続いて「ABC戦争」「無情の世界」は新潮文庫で読んだが、今は講談社文庫の「初期作品集」にあるようだ。どっちも「アメリカの夜」に近い作品で、別々の物語がラストのカオスに至る。「ABC戦争」はY県の不良高校生が抗争する話。後に山形県東根市と明示された物語を書き始める著者だが、この段階ではイニシャルでN国T地方の物語だった。「公爵夫人邸の午後のティー・パーティ」「ヴェロニカ・ハートの幻影」も似た感じ。特に前者は完全に二つの物語が最後にまとまる。そういう構成は村上春樹にもあるが、阿部和重の場合はクエンティン・タランティーノの初期映画、「レザボア・ドッグス」や「パルプ・フィクション」の影響ということらしい。
 
 「無情の世界」は野間新人文芸賞を受賞したが、その後のことを考えると「都市小説」的過ぎるかもしれない。表題作の他、「トライアングルズ」と「」(みなごろし)が入っている。暴力、セックス、ドラッグ、ストーカーなど異常な描写が疾走するように描かれ、いかにも世紀末の小説っぽい。今では阿部和重を全部読むぞという人以外はスルーしてもいいのかもしれない。僕は暴力描写が好きじゃないけど、才能は十分うかがえる作品群だろう。
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「チィファの手紙」、岩井俊二監督の中国映画

2020年09月24日 22時52分26秒 |  〃  (新作外国映画)
 「チィファの手紙」という映画が公開された。これは何と岩井俊二監督が撮った中国映画である。(合作じゃなくて完全な中国映画なので、是枝裕和監督「真実」のように外国映画扱いになる。)しかも今年日本で公開された「ラストレター」と全く同じストーリーである。中国でも人気の高い岩井監督だが、アニメ以外の日本映画はなかなか公開されないということで、自分で中国映画を作ってしまった。リメイクというより、中国版の方が公開が早い。「ラストレター」だけ見ればいいかもしれないが、日中の「比較映画」的な社会研究の意味で注目である。

 「ラストレター」を見た時、「男はつらいよ お帰り寅さん」と物語の構造がそっくりだと思ってその事をブログに書いた。「売れない小説家」が「昔の彼女」をいつまでも思い続けることで物語が起動する。しかし、「ラストレター」では「昔の彼女」は実は亡くなっていて、同窓会に姉の死を伝えに来た妹が言い出せずに勘違いされるという話だ。小説家は妹を姉と思い込んで(?)、何とかメールアドレスを聞き出して「ずっと好きでした」みたいなメールを送る。夫が誤解してスマホを壊してしまうので、その後は手紙のやり取りが続く。

 「手紙」が重要なアイテムになっていることで、岩井俊二の長編デビュー作「Love Letter」と同じだ。しかし、90年代とは違い、今は皆がスマホを持っている。21世紀に「手紙」で物語を作るならと考えて、この仕掛けを考えついたということだ。岩井監督の「Love Letter」はアジア各国で大ヒットして、舞台になった北海道(小樽)ブームを巻き起こした。ロマンティックな「誤解」の面白さは、どう見ても「Love Letter」の方がうまく出来ていたと思う。

 それともう一つ、「ラストレター」のキャストが日本版では豪華だったので、日本では「俳優の映画」として見てしまう。小説家が福山雅治、妹が松たか子で、中学生時代の姉妹(そして現在の松たか子と姉の子ども)が広瀬すず森七菜、転校生(小説家の若い頃)は神木隆之介なんだから、ほとんどアイドル映画だ。それが「チィファの手紙」だとジョウ・シュン(周迅)で、中国4大女優だと言うから中国なら有名だろうけど僕は覚えてなかった。(調べると、過去に見ている映画もあるけど。)小説家役はチン・ハオ(秦昊)でこっちも知らない。
(中学時代の二人)
 当然ながら「ラストレター」と「チィファの手紙」は少し違っている。日本版と同じ設定だと、中国では不自然になる点が変えられているわけである。監督はそれを「ローカライズ」と呼んでいる。今まで「七人の侍」と「荒野の七人」とか、韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」が日本やベトナムで映画化されたといったケースはあるが、同じ監督が同じ話を違う国で作ったことはあまり記憶にない。ロケで何気なく風景を見ていると、日本の郵便ポストは赤いが中国の郵便ポストは緑色だった。中国に行ったことがないから、そんなことも初めて知ったのである。

 物語の内容に関することでは、まずは季節が変わった。日本版は「夏休み映画」になっていたが、中国版は冬になっている。松たか子の娘(森七菜)が葬儀が終わっても、姉の娘(広瀬すず)を一人にしないためにと言って従姉妹の家に残ることになる。それは「夏休み中だから」ということで、日本で見れば違和感がない。中国では「春節」前に設定する方が自然だったということらしい。また日本版では姉妹と小説家の出会いは高校時代になっているが、中国版は中学時代になっている。時代設定とキャストの問題かもしれない。

 日本版では松たか子に女の子と男の子がいる。「チィファ」に二人子どもがいるのは、2015年まで「一人っ子政策」が行われていたから不自然である。そこで姉の「チィナン」に男児がいることに変更された。いろいろと問題を抱えた姉だったから、当局に逆らって二人目の男児を産んだということなのだろうか。それを言えば「チィファ」と「チィナン」も姉妹である。チィファの同窓会は中学卒業30周年だったから、生まれたのは40数年程前になる。そうすると1970年代初期になり、一人っ子政策は1979年からとされるからそれ以前で問題はないのだろう。

 細かく見ていくと、二つの映画でセリフなどの違いがもっと見つかるんだろう。その違いも面白いけれど、逆に似ていることも多い。アメリカ映画「ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー」という面白い映画があるが、それを見る限り日本の高校生とはいろんなことが大きく違う。一方、アジア映画に出てくる学校は、制服、秩序、学力志向などが共通していて、その窮屈さの中で共通の思いを抱き合った共感が懐かしさの核になることが多い。生徒会長の(日本で言えば)答辞が物語の中心にあるが、背景には共通の学校文化があるのだろう。

 中国で作ったからこそ、岩井俊二の繊細な演出力が際立ったような気もした。日本なら30年前にもあったこと(ピアノが普通の家にあるなど)が、中国では不自然だと指摘されたという。過去という設定のシーンに、日本人である僕も懐かしさを覚えたが、それは1960年代を思い出させたからだろう。アメリカで作った岩井監督の「ヴァンパイア」よりは成功したと思う。
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鎌倉文学館の小津安二郎展から鎌倉大仏へ

2020年09月23日 22時01分11秒 | 東京関東散歩
 9月19日に鎌倉文学館小津安二郎展を見に行った。もう終わっているんだけど、一応写真を載せておきたいと思って。小津はきっかけで、もともと国登録有形文化財の鎌倉文学館に行ってみたかった。旧前田侯爵の別邸だそうで、三島由紀夫の「春の雪」に出てくるという。明治期に火事で焼失していたものを、1936年に洋館として再建したもの。前田邸と言えば駒場に本邸が残っているが、どっちも前田利為陸軍中将(戦死で大将)が建てた。さすが百万石の大名家の壮麗さだが、当主戦死のため相続税が免除されたという。
   
 鎌倉駅から江ノ電に乗り換えて2駅、由比ヶ浜で降りる。バスや歩きでも行けそうだが初めて行くところは案内通りに行く方がいい。鎌倉も鶴岡八幡宮や北鎌倉の建長寺、円覚寺なんかは行ってるけど、鎌倉駅より西の方は実は一度も行ったことがない。若い頃に千葉県の市川に住んでいた時は、総武線(横須賀線)で一本だった。今は乗り換えも面倒で鎌倉もあまり行かない。江ノ電も一時は外国人客が多くて乗るのも大変という話だったが、今はもちろんそんなに混んではいない。駅からは案内通りに進んで約7分程度。
 
 山の方にゆるゆると登っていくと緑豊かな地区に入っていく。鎌倉文学館の門を入ると、トンネルがあるので驚いた。文学館内部は一切写真を撮れないので、庭から建物を撮るしかない。春はバラが咲くことで有名だというが、建物がピクチャレスクで見応えがある。中にはいると「鎌倉文士」の紹介がある。作家たちがこんなに鎌倉にいたのか。高見順の戦時期の日記に鎌倉に住む作家たちの様子が記録されているが、最近の作家も結構多い。
(小津安二郎展)
 小津安二郎展では幼児期から戦後に至るまで、日記や手紙などの実物資料がいっぱいあった。まあきちんと読むまでの気は起こらなかったけど。それにしても没後60年近いというのに、ずいぶん残されている。映画界初の芸術院会員だっただけのことはある。初のカラー作品「彼岸花」では赤いヤカンが出てきて印象的だったが、小津が特注させたのかと思っていた。そうしたらスウェーデンのコクムス社製という。もうすでに廃業している会社らしいが。

 最近神保町シアターの原節子特集で、「晩春」「麦秋」「小早川家の秋」を見直した。「麦秋」は3度目だが、他の2本は若い時に見て以来何十年ぶり。「小早川家の秋」は宝塚映画で作った映画で伏見の酒造家の話だが、「晩春」「麦秋」は鎌倉が舞台になっている。北鎌倉駅も画面に出てくるし、電車内のシーンもある。両者とも原節子演じる「紀子」の結婚をめぐる話だが、今から見るとずいぶん「変」である。紀子はすでに「適齢期」を過ぎつつあるが、その背景には「戦争」がある。戦後4年目、6年目の映画なんだから、戦争の影があるのは当然だ。「晩春」では戦争中に病気をしていたが、ようやく回復したのである。

 鎌倉文学館から大仏までは徒歩15分程度。一度も行ったことがないので、寄ってみた。長谷寺も途中にあるが時間の関係で省く。大仏があるお寺は正式には高徳院という。大仏がいつ作られたか正確には判っていない。鎌倉初期には出来ていたらしく大仏殿もあった。何回か地震や津波の被害を受けているが、鎌倉期の貴重な仏像として国宝に指定されている。お土産屋も並んでいて、栄えている感じがする。観光客も多かったが、あまり見ないでバスで帰ってきた。本当は大仏の中にも入れるということだが。
  
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「アベノミクス」は成功したのか-安倍政権総括⑤

2020年09月22日 22時57分38秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍政権の経済政策はどう評価するべきなんだろうか。「アベノマスク」は「失敗」だが、「アベノミクス」は「成功」だったと思っている人がかなりいるのではないか。「成功」ではないとしても「道半ば」という人もいる。(いろんなことが安倍政権では「道半ば」だった。)あるいは「成功」したかもしれないけど(成功したがゆえに)、かえって「格差」が拡大したという人もいる。

 そもそも「アベノミクス」とは何だったのか。その定義次第で「成功」「失敗」の基準も変わってくる。安倍政権の経済運営すべてを言うのだったら、安倍政権では確かに「景気回復」が続いた。2012年12月に始まった景気回復局面は、最近になって2018年10月に景気後退局面に入っていたことが最近認定された。71ヶ月続いたことになるが、戦後最長の73ヶ月は更新できなかった。米中経済摩擦などがきっかけになった可能性が高いという。この間企業は順調だったが国民生活にはあまり波及しなかったと言われるが、とにかく景気は良かったわけだ。

 それをもって「アベノミクスの成功」と思っている国民も多いと思うけど、それで正しいのか。資本主義なんだから「景気の波」があるのは当然で、リーマンショックと東日本大震災で日本経済が落ち込んだ後だから、誰が首相でも景気は回復したはずだ。この間災害が全国に相次ぎ、「復興需要」のために大幅な財政出動が続いた。さらに「五輪招致」が決定し、建設業界には景気過熱状態も起こった。学校の改装改築などは、授業のない夏休みに集中するけれど、入札しても応札業者がいないなどという話も伝わってきた。

 この間日本のGDP(国内総生産)は増加はしている。しかし案外高くはなかった。もう右肩上がりの時代じゃないのである。リーマンショック以前に一番GDPが大きかったのは、第一次安倍政権退陣の2007年だった。名目531.7兆円(実質504.8兆円)だったが、その水準に回復したのは2015年、追い越したのは2016年だった。その年のGDPは名目535.5兆円(実質519.6兆円)で、以後は名目だけ見るが、545.9、546.9、553.8と来て、2020年ほ大幅に減る予測である。コロナ禍の2020年は抜くとしても、平均では1%程度のGDP成長率だった。
(GDP成長率の推移)
 これは円建てのデータだから、円安を考えるとドル建てでは成長率は低いだろう。米中と比較すると大きく差がついている。米中も経済規模が大きいが、基本的には経済が成長を続けていて、日本の状況と大きく違っているのである。
(米中日の成長率比較)
 これは日本経済が長く続くデフレを未だ脱却出来ていないことによるものだろう。大臣にはいろんな「特命担当」がついているが、「デフレ脱却担当大臣」というのもいる。それは麻生太郎氏で、副総理、財務大臣、内閣府特命(金融)とともに、4つの大臣を兼務している。(財務相や金融相がデフレ脱却を目指すのは当然で、何で別に付いてあるのか疑問だ。ところで菅内閣では「万博担当」なんてのを作ったせいで、今まで独立した大臣がいたこともある「少子化対策」「地方創生」などを誰が担当してるか知ってる人は少ないだろう。)
  
 僕が思うに「アベノミクス」は本来日銀と政府が協定を結び、物価上昇率2%を達成するまで「異次元緩和」を続けるというものだったと思う。日銀による量的緩和策は2019年までに約380兆円にも達している。最初は2年で達成するという目標だった。黒田日銀総裁と同時に就任した岩田規久男日銀副総裁(学習院大学名誉教授)は「2年で物価目標を達成出来なかった場合は辞任する」と明言した。しかし、2年経っても2%は達成できなかった。岩田副総裁は潔く辞任したのかと思うと、確かに日銀だけの責任とは言えないものの理由を付けて辞任せず、結局5年間の副総裁任期を全うして退任した。

 この間の物価上昇率は、2015年を100とした場合、2012年は96.2、2019年は101.8だった7年間で5%程度、年平均1%も達成できなかった。岩田氏らの主張は「リフレ派」と言われる。細かい説明は面倒なので自分で調べて欲しいが、「インフレターゲット」を定めてマネタリーベースを膨張させる政策と言える。ここまで大胆に「リフレ派」経済政策を取り入れた先進国はないだろう。だから僕も注目していた。これだけジャブジャブと金融緩和を続ければ、本当はハイパーインフレになってもおかしくない。確かに株価は上昇したけれど、企業決算や緩和状況を考えれば思ったほどではないと言うべきだろう。

 ここに至って僕は悟ることになった。「アベノミクスは道半ば」なのではなく、もはや日本経済はデフレを脱却することはないのだろうと。民主党政権が続いていても同じだったろうし、他のどんな政策を採用しても無理だろう。少子化、高齢化が続き、総理大臣が「自助」という国だ。公助は期待できないんだから、基本的には節約していかなくてはいけない。人口構成の変化とともに、もう国内で需要が供給を上回ることは(一部のサービス産業を除き)ないんだと思う。

 異次元緩和によって、急速に円安が進み大企業は外国でのもうけを円に替えるだけで膨大な利益を上げた。その史上最高の利益は、賃上げや配当に多少は回ったけれど、やはり「内部留保」されたままだった。しかし、「第3の矢」などといっても、国内に投資しても回収は出来ない。再び為替水準が変わったときに備えて、企業としては内部留保せざるを得ない。そして「コロナ禍」によって、その方針は正しかったと証明された。「異次元緩和によるデフレ脱却」という「アベノミクス」の本質から、「第3の矢」は言葉だけに終わる宿命にあった。今ではそう思っている。
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「報道自由度」の下落ー安倍政権総括④

2020年09月21日 22時41分20秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍政権の総括をあまり長く続けていても仕方ないので、後2回。最後は「アベノミクス」を考えるので、今回はそれ以外、特に報道の問題を中心に考えたい。「教育」を書かないことになるが、教育は何十年も経ってから弊害がはっきりしてくる。安倍政権が「国家主義的教育を推進した」などと簡単に論断する人もいるけど、そんな簡単な問題じゃない。ただし「道徳教科化」や「小学英語の教科化」など一端制度化されてしまったものは、もう教科書も出来ているし元に戻すには大変なエネルギーがいる。政治的には不可能に近いと思う。

 ある意味で「安倍政権を用意したのは民主党政権だった」という観点も重要な視点だと思うが、ここでは指摘しておくだけにする。安倍政権の最大の問題の一つは「不可侵の人事に手を付けた」ことである。内閣法制局長官、最高裁裁判官の後任、検事長の定年延長など、あり得ないような破天荒な人事を強行してきた。しかし、内閣で官僚人事を統括するというアイディアそのものは民主党内閣で作られた。それを安倍政権が「悪用」したわけだが、そんなことをする内閣が現れるとは誰も思わなかった。消費増税の「三党合意」もあったから、安倍政権は民主党内閣の「遺産」をとことん利用したのである。

 安倍政権のおよそ8年間の間に、「世界報道自由度ランキング」(World Press Freedom Index)が大幅に低下した。これは「国境なき記者団」が毎年180の国(地域)の報道自由度を採点して発表しているもので、細かい内容はウェブサイトで公開されている(という話だけど、フランス語サイトだから見てない)。北欧諸国が上位にそろっていて、最下位は北朝鮮、トルクメニスタン、エリトリアの3国が争う感じ。その上に中国やシリア、イラン、ベトナムなどがある。
(報道の自由度ランキング)
 日本は2010年に最上位の11位だったが、2012年に22位に下がった。(2011年は2012年と合わせて発表された。)その後、50位代、60位代、70位代と下がっていき、最新の2020年版では66位となっている。ドイツ11位、フランス34位、イギリス35位、韓国42位、台湾43位、アメリカ45位、香港80位、インド142位、ロシア149位…といった具合になっている。

 この低下を安倍政権だけの責任と見るのは間違いらしい。2010年代に一気に下げたのは、外国特派員が一番取材したい「原発事故」の状況がなかなか取材できなかったことにあるようだ。それは安倍政権にも責任はあるが、もう一つ日本独特の「記者クラブ」制度のため、外国から来たフリーランス記者には取材が難しいという問題もあった。しかし、「特定秘密保護法」の制定でさらに順位を下げ、その後は政権幹部がSNSで記者に反論したり(加藤現官房長官の得意技!)、特定の記者の質問に答えなかったり(菅官房長官の得意技!)が重なり、順位が中位で固定化されたということだ。その菅・加藤官邸コンビではさらに下げるだろう。

 政権中枢が報道機関に陰に陽に圧力を掛けたのも安倍政権の特徴だった。特にNHKは大きく変えられてしまった。安倍首相退陣に当たって多くの人がいろんなコメントをしたけど、僕がなるほどと共感したのが作家平野啓一郎氏のツイートだった。「負の遺産は山ほどあるが、NHKの7時のニュースの信頼を完全に失ってしまったことは、とても寂しい。子供の頃、祖父からNHKの7時のニュースは必ず見て、世の中のことを知らないといけないと諭されて以来、習慣化していたのだが。このあと変わるんだろうか?」と言うのである。(30日付)
(安倍政権とNHK)
 僕も全く同じである。NHKの7時のニュースはつまらなくなって久しいが、それでも「NHKがどう報道しているか」が一つのニュースだと思って見続けていた。夜間定時制勤務の時を除いて、間に合うときは大体見ていたと思う。それは「社会科教師の仕事」であると思っていたからだ。しかし、「どう報道するか」を知るためには、そもそも報道してくれない限り検証できない。NHKニュース、特に7時は報じないことが多くなりすぎた。大震災以降、災害・気象関係のニュースが優先されるようになったうえ、NHKの番宣が多い。そもそも出て来ないんだから、「どう報道しているか」はもう関係なくなった。自分も教師じゃないんだから、もう見る意味がない。

 母親が俳句をやってるから、数年前から木曜だけは「プレバト」を見ることが多かったけど、今じゃ他の日も民放を見ることが多くなってしまった。しかし、それを「NHKはダメになった」というとらえ方はしていない。政権や世論を踏まえて、どんなメディアであれ「絶えざる闘い」の最中にあるというべきだろう。安倍首相はNHKの経営委員百田尚樹氏など政権に近い人物を送り込み、2014年1月に会長に籾井勝人氏を据えた。籾井会長はNHKの国際放送についてだけれど、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」と発言した。 

 「クローズアップ現代に菅官房長官が出演し、国谷裕子キャスターの質問に不快感を覚えたことから、7時半にあった「クロ現」がつぶされたと言われる。そういう問題こそ菅首相に質すべきことだと思う。テレビでは「令和」を掲げる菅氏ばかり映し出すが、記者会見で疑惑に向き合わない答弁を繰り返してきた様子を特番で報じれば、こんな馬鹿げた政権支持率が出ないと思う。国民は官房長官なんか、ちゃんと覚えてないのである。しかし、裏で放送局に圧力を掛けるというのは、菅氏が始めたことではない。もともとは安倍晋三氏の「得意技!」だった。

 テレビやスマホでニュースを見ているだけでは、肝心な情報はつかめない。それは原発事故の時に皆痛感したはずなのに、何で安倍政権や菅政権にコロリと参ってしまう人がいるのか、僕には理解出来ない。テレビで批判的報道が難しくなってくると、今度は新聞もおかしくなる。情報を批判的に読みこむ力が弱くなり、安倍政権批判派でも自分の意に沿うニュースだけ切り取って拡散する人が増えてきた。歴史を「史料」によらずに好き勝手に語る人も多い。どうしたらいいのかと悩む前に、僕は良質なミステリーを読むのがいいと思っている。「ミレニアム」シリーズやホロヴィッツの小説なんか。小説には欺されてもいいけど、だましの手口を学べる。
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差別への感性の鈍さー安倍政権総括③

2020年09月20日 22時20分53秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍前首相が病気で退任すると発表したとき、「可哀想」であるとか同情する声がかなり上がった。僕だって第2次安倍政権発足の後、1年も経たずに病気が再発したとでも言うのなら、主義主張は別にして「悲運の宰相」だと思っただろう。しかし、1回目に書いたように当初の総裁任期規定を超えて「長すぎた」政権だった。それと同時に、首相に同情する以前に「政権に無視された人々」の方を先に思い出してしまうのである。

 一体、首相に同情した人は、辺野古基地に反対する人々原発事故で避難を続ける人々、あるいは赤木雅子さん(赤木俊夫さん未亡人)や伊藤詩織さん…などには同情しないのだろうか。つい、そう思ってしまうのである。安倍首相が安倍晋太郎氏の次男に生まれたのは、本人にとって動かせないことだ。同じように多くの人々が自分ではどうしようもなかった出来事で困っている。国家のリーダーはそれに対してメッセージを発するべきだろう。

 ウィンストン・チャーチルの「第二次世界大戦回想録」にヒトラーに会わなかった話が出ている。戦争が始まるまで、もうチャーチルの政治生命は終わったと思われていた。政治から離れたチャーチルは、本を書いたり絵を描いたりして悠々自適の日々を送っていた。彼は「日曜画家」として有名で、ヨーロッパ各地に写生しに出掛けたのである。ドイツにいたとき、ある人が「せっかくだからヒトラーに会ってみないか」と言ってきた。チャーチルは「会うのはいいけど、ユダヤ人迫害はおかしいと言うよ」と話したら、この話は立ち消えになったという。

 ユダヤ人の子どもがユダヤ人の親から生まれたのは、本人の責任ではない。それがイギリスの保守の健全さであって、ナチスドイツは友人になれない存在だったのだ。それに対して、日本の「保守」は「差別に鈍感」であることが多い。「反差別運動」が「革新」政党と結ぶことが多かった事情もあるかもしれない。それにしても20世紀の自民党有力者たちはもう少し「雅量」というか「懐の大きさ」を持っていたと思う。それは「沖縄への向かい合い方」に典型的だ。小渕恵三元首相野中広務元幹事長などが代表的である。

 じゃあ政策内容が今と違ったかというと、そうまでは言えない。大田昌秀元沖縄県知事が基地問題に関して「米軍用地の代行手続き拒否」を表明したとき、村山政権は裁判所に訴えて無効判決を得た。そして橋本政権で「駐留軍用地特措法」を改正して知事の抵抗を不可能にした。それでも今から見ると当時の政治家は安倍政権とは対応が違っていたとよく言われる。安倍首相や菅官房長官は選挙に当選した翁長知事に長いこと会おうとしなかった。面会要請を無視して、沖縄振興予算を減額して締め付けた。
(安倍政権での沖縄関係予算の推移)
 例えば「相模原市障害者施設襲撃事件」でも、安倍政権は何のメッセージも発しなかったことが思い起こさせられる。菅官房長官は現場を訪れて献花したけれど、事件そのものに内閣としてのメッセージがなかった。もちろん事件そのものは単なる刑事事件とも言える。だが襲撃犯は国会などに手紙を送り、障害者差別の犯行であることを明確にしていた。事件対応は捜査当局や裁判の仕事だが、反差別のメッセージは政治の問題だ。

 それを言うなら自民党所属の杉田水脈(みお)衆議院議員が「LGBT支援の度が過ぎる」と雑誌に発表した時も何の反応もなかった。何でも「生産性がない」という理由だったと思うが、どこをどう見れば「度が過ぎる」になるのだろうか。好きで性的なマイノリティに生まれるわけではないのに、政治家が率先して差別して回っている。杉田議員は2012年に「日本維新の会」(旧)から当選したが、2014年は「次世代の党」から出て落選していた。
(杉田論文)
 「陰謀論」的な極端な意見などを産経新聞に書いていた杉田を自民党にスカウトしたのは、安倍首相自身だと言われている。安倍氏が絶賛し、櫻井よしこや萩生田光一とともに誘ったのだという。2017年総選挙では「比例中国ブロック」から出馬したので、安倍首相が誘ったのは事実なんだろう。中国地方は安倍、石破、岸田などがいるので、小選挙区はほとんど自民党が勝つ。その時は広島6区以外はすべて自民だったので、比例単独最上位だった杉田は悠々と当選した。経緯を見れば、安倍首相には杉田発言を「たしなめる」責任があったと思う。

 政権初期には「朝鮮高級学校への無償化排除」を法制化した。誤解している人もいるようだが、「高校無償化」は「私立大学への補助金」とは違う。学校への補助ではなく、高校生を持つ家庭への「学びの支援」だったはずだ。もし朝鮮学校に問題があるとするならば、家庭への直接支援にすればいいだけだ。生まれによって差を設けるから「官製ヘイト」などと言われたりする。これら様々なケースを見てきて、安倍首相には「差別への感性の鈍さ」を感じてしまう。

 恐らく生育歴から来るところもあるのだろう。祖父である岸首相が安保反対運動で退陣したことなどを見聞きして育ち、自分の方が被害者だと思って育ったのかもしれない。小学校ら大学まで同じ系列の私立学校だったから、学校にマイノリティはいなかったのではないか。(性的マイノリティや発達障害の人はいたかもしれないが、時代的に問題意識に上らなかった。)小説や映画などで自ら知ろうとしない限り、恵まれた家庭に生まれた人はなかなか「差別」に気付かない。身近に接してないから、自分は差別した事などないと思い込んで生きている。
(「コロナ差別」への啓発)
 日本社会に「差別」が横行している事実、むしろ自分たちが差別をまき散らしている事実に気付かないから、「新型コロナウイルス対策」に反差別メッセージが出て来ない。単なる感染症であるのに、掛かったら差別扱いされる病のようになってしまった。それどころか、感染者だけでなく医療従事者まで避けられている。どうしてこんな馬鹿げた社会になったのか。安倍政権が長い間、差別に向き合わないまま、むしろ「差別」に加担し続けたことの帰結としか思えない。安倍政権の最大の問題点だったのじゃないだろうか。
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「バカ殿時代」の光と影ー安倍政権総括②

2020年09月19日 22時17分50秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍政権は一言で言えば「バカ殿時代」だったなあと思う。これは基本的には批判的スタンスで使っているんだけど、必ずしも全面的に否定しているわけではない。総理大臣があまり小事にこだわっているのも良くない。親や担任教師は適当に欺されたふりが出来た方がいい。僕も携帯電話代は高いと思うけど、総理大臣が真っ先に取り組むべき課題なのか。思い出せば非自民党政権の「細川護熙」や「鳩山由紀夫」なんかも「バカ殿系」だった。

 細川護熙氏は本当に殿様の末裔だったわけだが、安倍晋三氏は単に「政治家三代目」というだけだ。しかし、「岸総理の(母系の)孫」と言われ、総理目前で病没した父安倍晋太郎の果たされなかった無念を引き継ぎ、若い頃から周りが「次代のホープ」と担いでくれた。自分でのし上がったわけじゃないし、どっちかというとチャンスの方から転がり込んできたタイプだ。

 あまり勉強してない感じはずっとつきまとっていて、政治家に知性を求める評論家からは、政治的立場を別にして何となく軽侮されてきた感じがある。最初から最後まで、「憲法の基本が判ってない」「歴史の教訓が判ってない」などと言われ続けた。中でも言葉の使い方が雑で、自己陶酔的「ポエム」に自分でも酔っている感じだった。その中でも極めつけが「桜を見る会」の地元後援会員参加問題。「募っている」けど「募集してない」という歴史的珍答弁だろう。

 こういう「バカ殿系」は、外から見ると「バカにしながら担ぎ続ける」ように見えるけれど、それだけではあんなに長く高支持率は維持できない。こういう人は外面はいいから、一緒にいて楽しいと思う「飯友」も現れてくる。「桜を見る会」など、自分の権力を惜しげもなく地元支持者に分配したし、そこには多くの芸能人も招かれていた。いろんなことを気にしなければ、楽しい人なのかもしれない。夫婦そろって独自の社交好きで、思わぬ人もなびいていくことになった。
(安倍夫妻)
 こういうタイプを世界に探すなら、僕はアメリカのクリントン夫妻だと思う。政治的スタンスが違うけれど、何の政治的権限もないはずのファーストレディが政治的な役割を果たしていた。夫婦そろって社交好きで、ホワイトハウスでは毎夜のようにパーティが開かれたらしい。招かれた文化人のレベルが違っているけれど、似ているのである。何でもビル・クリントンは支持者にとって非常に身近な感じを与える政治家だったらしい。だからモニカ・ルインスキーとの性的スキャンダルがあったけど、弾劾を免れた。内容は全然違うけれど、安倍首相がいくつもの「疑惑」をきちんと説明しなくても支持派が崩れないのも、身近な人には魅力があるのだろう。
(クリントン夫妻)
 安倍政権において、「権力の分配」のような「温かさ」は「地元支持者」や「飯友」にだけ与えられたわけではない。もし全く国民全体に無関係なお祭り騒ぎだけだったら、さすがに支持率はもっと下がっただろう。もともと日本の保守は「パターナリズム」(家父長的温情主義)である。「上から目線」だとしても、「弱者への眼差し」は持っている。岸首相にしてからが、単なる「防衛タカ派」ではない。「国民年金」も「国民健康保険」も岸政権で法律が成立している。「警職法改正」(反対運動で撤回)や「日米安保条約改定」ばかりやってたわけではないのである。

 安倍政権においても、財界に賃上げを要請したり、最低賃金を引き上げたりした。「働き方改革」を進めたり、いろいろな問題があるんだけれども「高等教育無償化」や「幼保無償化」も手掛けた。「悪夢のような民主党政権」で実現した「高校無償化」も、政権復帰後に止めなかった。「所得制限」を付けたり「朝鮮学校排除の法制化」など問題があるわけだが、制度自体は存在し続けた。このような政策を「権利」としてではなく、「パターナリズム」として推進したことが高支持率が続いた背景にあるだろう。
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長すぎた安倍政権ー安倍政権総括①

2020年09月18日 22時16分19秒 |  〃  (安倍政権論)
 9月16日に第4次安倍内閣が総辞職して、直ちに菅義偉内閣が成立した。菅内閣の今後を考えることも大切だけど、本当はまずは「安倍政権の総括」をしっかりと行わないといけない。そう思いつつ時間が経ってしまったのは、書き始めると何回も必要だし、少しじっくり考える時間がいると思ったからだ。そろそろ書かないと自分も関心が薄れてしまうので、今日から何回か。

 安倍首相は通算で3188日間首相に在任し、第2位の桂太郎の2866日間を圧倒している。桂太郎は明治後期に西園寺公望と交互に首相を担当し、「桂園時代」と呼ばれる。だから桂の「連続在任日数」では短くて、今までの連続首相在任記録は佐藤栄作2798日だった。安倍首相は2012年12月の第2次安倍内閣発足以来、第3次、第4次と務め、結局2822日間連続して在任した。8月24日には佐藤内閣の記録を抜いて史上1位となった。第1次内閣が短期で終わったため、復活後にこれほど続くと予想した人はいなかっただろう。
(左から安倍、桂、佐藤、伊藤博文)
 僕はこの日数は「長すぎた」と思う。「長くてもいいじゃないか」という考え方もあるだろう。首相の任期は憲法や法律で決められてはいない。世界を見回しても、大統領制の国では大統領の任期は決められているが、議院内閣制の国では首相の任期は決まってない。大統領だとアメリカは1期4年で2回まで、韓国は1期5年で再任なし、ロシアは2008年までは1期4年で2回までだったが、現在は1期6年、2回まで。しかし戦後ドイツでは西ドイツ時代を通して、たった8人しか首相がいない。現在のメルケル首相も2005年11月から連続在任中である。

 議院内閣制では国会が首相を指名する。国会議員の任期は憲法で決まっているわけで、数年ごとに必ず選挙が行われる。選挙で勝った党の党首が首相になるのだから、首相の人気が下がれば政党の方で首相交代の動きが出てくる。「政党」は私的な集まりだから、代表の任期をどう決めるかは法律で決めるべきものじゃない。そういうことなんだろうけど、しかし安倍首相復帰時にはは自民党総裁1期3年、2回までだった。それを2017年に「連続3回まで」と変更して「現任者から適用」とした。自分でルールを変えて自分から適用したわけである。
(2018年総裁選で石破氏に勝利)
 僕はそのことに引っかかりを感じているのである。当初の規定通りだったら、安倍政権は2018年9月までだった。そうなると「東京五輪」や「天皇交代」を前に退任することになる。それがやはり本人には残念だったのだろう。選挙でも勝っていたから、二階幹事長を中心に「安倍の次も安倍」などという方針が出てきた。そして「安倍3選」が可能になった。

 国民が支持するならそれでいいわけだけど、僕が引っ掛かるのはこれでは中国やロシアと同じではないかと思うからだ。中国主席は「1期5年、2回まで」と規定されていたが、2018年の憲法改正で無制限となった。恐らく現任の習近平主席から適用されるのだろうが、自民党政権はそれを批判できない。「日本はルールを守る国」というイメージを自ら壊してしまった。中国や韓国を「ルールを守らない」と安倍政権は批判するが、その「道徳的根拠」を自ら手放してしまった。

 さらに安倍首相が連続在任記録を続けている間、同じように「副首相連続在任記録」も「官房長官連続在任記録」も最長を更新し続けた。安倍首相を「愛国者」として賞賛する保守系の人が結構いるけれど、「愛国」の定義次第ではあるけれど、個人的事情を国家より優先する人は「愛国者」ではないだろう。僕にはどうしても解せないないんだけど、麻生太郎氏はなぜずっと副首相兼財務相兼金融相を担当し続けたのか。あれほど「失言」「暴言」を続けたあげく、公文書改ざん問題に事務次官セクハラ問題が重なった時はさすがに辞任すると僕は思った。

 しかし安倍首相は麻生氏の存在が必要なんだとかで、ずっと副首相を続けることになった。しかし、それなら「自民党副総裁」など党の要職で処遇すればいいのであって、「国家リーダー」としては「泣いて馬謖を斬る」ことが出来ないと困る。安倍政権のもとで「人治」になってしまった。これでは「日本の中国化」とみなされてもやむを得ないのではないか。そんな安倍政権を「反中国」らしき人々が「愛国者」ともてはやすのが僕には理解出来ない。
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麻生発言「若者の政治的無関心は悪いことではない」を考える

2020年09月16日 22時32分51秒 | 政治
 「N高等学校」というのがある。最初に目にしたのはずいぶん前のことだが、てっきり略称かと思った。紀平梨花や池田美優(みちょぱ)のように、スポーツ選手や芸能人が卒業(在籍)しているので、イニシャルで報道してるのかと思ったのである。しかし、これは「学校法人角川ドワンゴ学園」が設立した通信制私立高校の正式の名前である。本校は沖縄県うるま市伊計島にあり、開設申請時には沖縄県当局も略称で申請したのかと思ったらしい。首都圏、近畿圏を中心に各地に通学キャンパスを設置し、1万人以上が在籍している。

 そんなN高校に「政治部」というのが出来たという。部活ではなく、特設授業コースみたいな感じらしい。書類選考で20〜30人の生徒を選び、さまざまな政治家の話を聞いたり質問したりしてレポートを書くなどの活動をするらしい。担当の特別講師が国際政治学者の三浦瑠麗氏で、9月9日の初回授業では麻生太郎副首相がゲスト講師だったというから、どうも何か怪しい感じがしてしまう。最初が与党側でもいいけれど、もっと違った人選にすればいいのに。その様子はYouTubeなどで公開されているというが僕は見ていない。
(9月9日の麻生講演)
 そこで麻生氏が語ったのは、「若者の政治的無関心は悪いことではない」という言葉だ。僕は東京新聞9月12日付「こちら特報部」の記事で知った。ここでもその記事から引用することにする。「新聞記者なんかがよく言うセリフは「若者は政治に関心がねぇ」って。いかにも悪いかのごときに言う人はいっぱいいるけど、間違っていると思います。政治に関心がないっていうのは、そんなに悪いことじゃありません。政治に関心がなくても生活が出来るぐらい、いい生活をしているんですから。」というのである。

 麻生氏は以前アフリカで暮らしたことがあるという。そういうところで生まれた子は間違いなく政治に関心がある。嫌でも政治に関心がないと生活できないから。「政治に関心を持たざるを得ない国にいるよりは、政治に関心なくても生きていられるところにいる方がよっぽどいい」というわけだ。いかにも麻生流の皮肉で「上から目線」を感じさせる発言である。ちなみに麻生氏は九州の炭鉱王だった麻生財閥の御曹司に生まれ、アフリカで暮らしたというのは麻生財閥の仕事でシエラレオネでダイヤモンド採掘に関した仕事をしたという。1970年代初頭の話で、帰国後に麻生セメント社長となり、モントリオール五輪にクレー射撃の選手として出場した。
 
 「日本は政治に関心がなくても生活が出来る」という認識自体に問題があると思うが、それ以上に「世界全体を見れば、政治に関心を持たないと生きていけない国がある」と認めているのに、日本の若者は政治に無関心で良いとする「差別心」や「想像力の欠如」に僕はゾッとする思いがした。「アフリカ」で子どもたちが大変な思いをしていても、「日本の若者」は何も思わないのだろうか。もしそうだとしたら、それでいいのかと語りかけるのが大人の役割ではないのか。

 つまり「アフリカ」(政治に無関心では生きていけない地域)と「日本」(政治に無関心で生きていける地域)に世界を二分して、君たちは後者に属しているから「政治を考えなくてもいい」と世界を分断する。それが麻生氏の世界観なのである。これは「若者が政治に無関心」というのとはちょっと違うと思う。まさに「これが政治」だと思う。「日本はアフリカじゃなくて良かったね」というのが「政治」じゃなくて何だろう。日本に生まれたことを幸せに思って、「これからも日本内部で何も考えずに生きていきましょうね」という愚民教育論だ。
(N高校政治部)
 そんなことをしている間に、世界はどんどん変わっていく。若い政治家がリーダーになり、新しい社会を作ってゆく。日本だけが取り残されてゆく。日本は決して「政治に無関心で生きていける国」ではない。非正規雇用が増え、学生は高い奨学金を抱えて結婚も出来ない。シングルマザーになったら大変すぎるし、長時間労働を強いられて自分の時間も持てない。高齢男性が支配し続けている間に地方は衰退し、少子化が進行し人口がどんどん減っていく。そんな社会で「若者が政治に無関心」だったら、国が滅んでしまうし、実際に滅びつつあるじゃないか。

 それと同時に、これは通信制高校生に向けて語るべき言葉だろうかと思ったのである。N高校は新しい試みをやろうとする学校をうたっている。実際に有名大学に進学する人もいるらしいし、スポーツ・芸能・囲碁将棋などで若くして活躍している人もいるだろう。しかし、世の多くの中学生は全日制高校に進学するのに、どのような生徒が通信制に行くのか。それは中学で不登校だったり、集団になじむのが大変だったりする生徒が多いんだろうと思う。その背景には障害貧困があるかもしれない。性的マイノリティのため制服が嫌なので全日制を避ける生徒もいるだろう。そういうことを考えると、今後日本社会で生きていく時にハンディを負っている生徒が多いのではないかと推測できる。

 そういう生徒像を想定すると、言うべきことは変わってくると思う。麻生氏の母校である学習院に招かれたのとは違うのである。若者が政治に無関心だとするならば(実際10代の投票率は低くなっている)、それは「教育」や「報道」の自由を長年の間に自民党内閣が奪ってきたことが一番大きいと思う。「政治を批判する」ことは怖いことだとすり込まれてしまったのである。大人がすでにそうだろう。そして何が起こっても、どんな暴言をしても、決して辞めることのない麻生氏の存在自体が「日本では何を言ってもムダ」と思わせている。
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アンソニー・ホロヴィッツ「その裁きは死」

2020年09月14日 22時40分48秒 | 〃 (ミステリー)
 内外に書くべきことが多い中、一昨日からアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz)の新作「その裁きは死」(The Sentence Is Death、2018)をひたすら読みふけっていた。前作「メインテーマは殺人」に続く「探偵ホーソーン」シリーズの2作目である。1作目は大傑作だったし、さらに2018年に翻訳された「カササギ殺人事件」も超絶的な傑作ミステリーで、ミステリーベストテンでは2年連続でトップになっている。ホロヴィッツの新作なら読まずにはいられない。

 このシリーズはアンソニー・ホロヴィッツ、つまりは著者本人がワトソン役を務めて、実際の私生活も出てくるというのが新趣向である。今回もテレビ番組のロケをしている(つまり、交通は一時的に遮断している)ところに、なぜか元刑事のホーソーンがタクシーで出現する。ホーソーンは故あって警察を退職した身だが、難事件の場合のみ警察から頼まれて捜査に参加する。その捜査の様子を見聞きして、ホロヴィッツが本を書くという契約(印税は半々で分ける)である。

 だから一種ノンフィクション的に進行するのだが、ホロヴィッツはそれなりにホーソーンに競争心を燃やし、できれば自分で犯人を突き止めたいと思う。一方、警察は警察で捜査を行っていて、ホーソーンの介入を喜ばない。そんな設定で、「ホロヴィッツ」なる書き手の目を通してだが、事件の手がかりは全て示されているのである。そして、ある者(ホロヴィッツや警察や読者など)は往々にして間違うわけだが、ホーソーンは真相を見通している。そして真相が明かされれば、確かにこれほどフェアに書かれた本格的な犯人当て小説は近年珍しいと思う。

 今回は有力な離婚専門弁護士が殺害されたという事件である。殺害方法はワインのボトルで殴られた後で、割れた瓶で刺されたという珍しい方法だった。さらに現場には「182」というペンキで描かれた数字があった。今どき「ダイイング・メッセージ」かと思うと、これは犯人によるものらしい。そんな現場なのでホーソーンが呼ばれたのである。被害者は同性婚をしていたが、相手は留守だった。ちなみに何故かホーソーンは同性愛を嫌っている。

 最近担当した事件では、夫側の弁護士だったので、妻側には憎まれていたようだ。その妻というのが、日本人のフェミニスト作家、アキラ・アンノなのである。そしてアンノは最近レストランでたまたまその弁護士に会って、ワインをぶっかけてボトルで殴りたいと言っていたとか。このアキラ・アンノは「俳句」(3行英語詩)も書いていて、何とその「182」は「君が息 耳にぞ告ぐる 裁きは死」というものだった。「アキラ」が女性だという設定は日本人には「?」だが、芭蕉の名が出てくるなど、俳句が重要な役割を持つミステリーである。

 夫側も妻側もなかなかユニークというか強烈な人物で、怪しげではある。ところが、もちろんそれでは終わらず、被害者には過去の因縁もあることが判ってくる。被害者は大学時代の友人たち2人と「ケイビング」(鍾乳洞探検)を趣味にしていたが、数年前に一人が亡くなる事故が起こったのだ。そして、この弁護士が殺される前日に、残ったもう一人のメンバーがロンドンの駅で列車に轢かれて死んでいたことが判る。これも殺人だったのか、それとも自殺か単なる事故か。ホーソーンとホロヴィッツは、その友人宅や鍾乳洞をヨークシャーまで訪ねてみる。

 このヨークシャー(イングランド東北部)の風景描写も美しい。登場人物がミステリーの通例により、ウソをついたり謎を秘めているので、どうも殺伐とする。しかも、警察の担当がえげつなく、さらにホーソーンの抱える謎が深すぎる。事件以外の問題に気を取られてしまうと真相を見失うことになる。事件の性格は前作の方がスケールが大きく、真相の驚きも深かった。今回はアキラ・アンノなる日本人女性作家の描き方がやり過ぎで、全体に共感がしにくい。真相の驚きも前作ほどではないが、それでもフェアな描写に解明の鍵が隠されていたことに感嘆した。
(アンソニー・ホロヴィッツ)
 アンソニー・ホロヴィッツ(1955~)は少年向けスパイ小説などで有名になり、テレビの「名探偵ポワロ」の全脚本を手掛けた。またシャーロック・ホームズや007の公認続編を書くなど、長いキャリアを持っている。しかし本格ミステリー作家として評価されたのは最近のことで、今までの鬱憤(子ども向けとかテレビ作家とかで低く見られがち)を晴らすような描写が随所にある。ただ、それらも意図的なミスリードをねらっているものなので、うっかりテレビ界の内幕やホーソーン個人に興味を持ちすぎると本筋を見失う。やはり巧みな小説にうなるしかない。
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藤野裕子「民衆暴力」(中公新書)の問題提起

2020年09月12日 22時54分56秒 |  〃 (歴史・地理)
 中公新書新刊の「民衆暴力」は重大な問題提起の本だ。著者の藤野裕子氏は1976年生まれで、東京女子大学現代教養学部准教授と出ている。2015年の「都市と暴動の民衆史」(有志舎)で藤田賞を受賞したというが僕は全然知らなかった。そもそも藤田賞が判らないので調べてみたら、「後藤・安田記念東京都市研究所」(旧・東京市政調査会)が地方自治や都市問題のすぐれた研究に出している賞だった。後藤は後藤新平、安田は安田善次郎である。

 およそどの国の歴史でも「暴力」がなくて、ただ平和が続いたなんて国はない。「近代国家」は欧米では「市民革命」で成立したが、日本でも「革命」ではないかもしれないが「明治維新」と「戊辰戦争」で近代的な中央集権国家への道のりが始まった。(「明治維新」をどうとらえるか、長い論争があった。その性格をどう考えるかは別にして、暗殺や内乱が相次いだ時代だった。)歴史を考えるときに「戦争」や「革命」の意義を否定することはできない。

 その中で幕末から大正期頃までの日本では、「民衆暴動」が相次いだ時代だった。それはどんな教科書にも出てくる出来事だけど、今までのとらえ方でいいのかと問題を投げかけているのである。僕も今までは、「秩父事件」や「米騒動」は「横暴な権力に抵抗する民衆運動」としてプラス方向に評価してきた。一方、明治初期の「解放令反対一揆」(身分制度撤廃に反対して被差別を襲撃した事件)や関東大震災の「朝鮮人虐殺事件」などは、「民衆の中に残る遅れた差別意識の表れ」とマイナス方向の出来事として別扱いしていたと思う。

 藤野氏の著書はそれは事実だろうかと史料を問い直す。幕末の「打ち壊し」を序章にして、明治初期の「新政反対一揆」(解放令反対一揆を含めて)、自由民権期の「秩父事件」、日露戦争後の「日比谷焼き討ち事件」、関東大震災時の「朝鮮人虐殺事件」を再検討している。その結果、必ずしも「抵抗運動」か「愚挙」かと二分できない民衆の心情を分析している。

 江戸時代の「百姓一揆」は暴力を否定し、領主側も否定できない「仁政」を発動させようと試みる運動だった。しかし、明治新政府は「仁政」を認めず、秩父事件の指導者たちもそれを理解していて、蜂起すれば厳しい刑罰が下されると判っていた。それでも「暴力」を民衆が振るった時代があった。それらの実態を細かく見ていくと、権力に立ち向かう暴力被差別者に向けた暴力は簡単には分けられない実態がある。明治初期の2事件は農村共同体で起きた事件だが、後半の2事件は「都市社会」の中で起きている。そこにどのような違いがあったのか。

 僕は完全には判らない部分も多いのだが、日比谷焼き討ち事件では単に都市住民というのではなく、より下層の職人層で「飲む・打つ・買う」などを「男らしさ」と考える人々が多かった。彼らは農村で生きていけず、当時は社会的地位が低かった工場労働者になった。政府は農村では「通俗道徳」(二宮尊徳などを源流とする倹約で生活を向上させようとする道徳観)を奨励するが、近代都市社会の底辺層はそれでは未来が見えない。「生活改善」の名の下に民衆生活に介入する警察は彼らに嫌われていて、事あれば警察が襲撃されたのである。

 僕が思ったのは、幕末以後の「博徒」の役割である。秩父事件のリーダーに迎えられた田代栄助は秩父の博徒だった。各地で博徒が自由民権運動に参加した事例は他にも見られる。幕末変革期には旧来の秩序が乱れて、今も名前が残る侠客が多く出た。清水次郎長国定忠治などだが、次郎長ものでは悪役として出てくる甲斐の黒駒勝蔵は戊辰戦争時の「赤報隊」に参加した経緯が知られる。世界的にも変革期には伝説的な「悪党」が活躍する。日本でも同じだが、彼らは当時は民衆にも声望がある人もいて、反政府運動に担ぎ出されたりもする存在だった。

 国家(軍隊、警察)が「暴力」を独占する近代になっても、非合法的に「暴力」を振るう「暴力集団」がどの国も存在する。昭和期以後になると、ヤクザ組織の「暴力」は「左翼革命の抑止力」として権力から裏で保護される場合も出てくる。民衆の中の「暴力」は、「在郷軍人会」などを通して国家が管理してゆくようになる。関東大震災においては、植民地支配への抵抗を続ける朝鮮人への「仮想敵」意識もあって、軍や警察が率先して虐殺を行った。「自警団」の中には「天下晴れての人殺し」と国家公認を信じて虐殺を行い、その後に軍・警察は不問となるが自警団だけ裁かれた。国家は裏切るのである。

 著者は「歴史修正主義」に対抗する意味で書いたという。しかし、今までの民衆観では足りない面があるということだろう。僕が思い出したのは、先に読んだ「インドネシア大虐殺」である。「天下晴れての人殺し」と今もインドネシアでは公認されている。「民衆」をどう理解するか、一筋縄ではいかない。民衆の中にある「正義感」をどう引き寄せるか、日々の闘いが行われているのだろう。現代の「ヘイトスピーチ」などを考える意味でも示唆に富んだ重い課題を突きつける。
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