「イタリア映画の巨匠」のミニシリーズは3回で終わり。最後に「ネオ・リアリスモ」の代表者ともいうべきロベルト・ロッセリーニ(1906~1977)を取り上げる。ロッセリーニは、僕にとって長らく「伝説的」ともいうべき監督だった。生没年を見ると、前回書いたヴィスコンティとほぼ同じなんだけど、世界的に認められたのはロッセリーニが断然早い。そして、僕が映画を見始めたころには、新作がまったく見られなかった。フェリーニやヴィスコンティ、アントニオーニ、そしてヴィットリオ・デ・シーカだって、新作が公開されていたのに。だから、よく判らない昔の巨匠に思えてしまうのである。
第二次世界大戦は、それまでの歴史に例を見ない巨大な災厄であり、ものすごく大量の「無惨な死」をもたらした。直接の戦場にならなかったアメリカはちょっと違うけど、ヨーロッパやアジアの各国では、文化のあり方が変わってしまった。映画でそのことを最初に示したのは、イタリアの「ネオ・リアリスモ」だったわけである。日本は占領中だったから、外国映画の受容にズレがあった。未公開作品もあった。(共産党員作家ヴィスコンティの「揺れる大地」は公開されなかった。)
日本ではほぼ4本の映画、ロッセリーニの「無防備都市」(1945、日本では1950年ベストテン4位)、「戦火のかなた」(1946、日本では1949年ベストワン)、ヴィットリオ・デ・シーカの「靴みがき」(1946、日本では1950年ベストテン7位)、「自転車泥棒」(1948、日本では1950年ベストワン)がネオ・リアリスモの代表作と言われる。つまり、日本では「逆コース」時代に公開され、49、50と続けてベストワンになり、1950年にはベストテンのうち3つを占めた。時代相もあって、当時の人々に強い影響を与えたのは当然だ。
これらの映画はフィルムセンターにあって、僕も若いときに見ている。それは「映画史的名作」という感じだった。しかし、その後のロッセリーニ映画は全然見られない。キネ旬のベストテンを調べると、1960年に「ロベレ将軍」(4位)、1961年に「ローマで夜だった」(8位)が入選しているが、まったく見る機会がなかった。「ロベレ将軍」は近年デジタル版が公開され、デ・シーカ主演のたいそう立派な抵抗映画だった。一方、「ローマで夜だった」の方はいまだに見る機会がない。
その間にロッセリーニは何本も作っているけど、日本ではほとんど公開されなかった。(「ドイツ零年」などいくつは公開されているが。)そして、その間は「失敗作の時代」と言われてきた。その期間はほぼ「バーグマン時代」と言っていい。それらの映画は世界的に再評価されてきていて、日本でも90年ころのミニ・シアターブームの時に上映されたはずだ。僕も何本か見て、これは傑作だと思った記憶がある。
ところで、今書いた「バーグマン時代」というのは、スウェーデン出身の大女優、すでにアカデミー賞主演女優賞を受けていた超人気スターのイングリッド・バーグマンと結婚して、バーグマン主演映画を続々と作っていた時代のことである。有名な話だけど、バーグマンは「無防備都市」を見て感激し、どんな映画でもいいから出演したいと手紙を送った。その結果「ストロンボリ」(1950)に出演することになり、撮影中に二人は愛し合うようになった。でも、どっちも配偶者と子どもがいた「ダブル不倫」だったうえ、アメリカは「マッカーシズム」(反共ヒステリー時代)さなかだったから、大問題になった。
映画史上最大級のスキャンダルだったけれど、結局は撮影中にバーグマンは妊娠した。(男児を産み、その後双子姉妹がある。一人は女優のイザベラ・ロッセリーニ。)二人は1950年に結婚したが、1957年に離婚する。その間にロッセりーニは5本のバーグマン主演映画を撮っている。そして、せっかく美女を妻としながら、バーグマンをいじめ抜くような映画ばかりを作っている。それも、ストーリイもはっきりせず、現代人の不安や悩みを象徴的に描くような映画を。それは当時は全く受け入れられず、訳の分からない失敗作とされてきた。でも、今見ると、実によく判る傑作ではないか。
「ストロンボリ」(1950)は、中でも僕は傑作だと思う。ストロンボリというのは、イタリア南部、シチリア島の北にある小火山島のこと。ここは噴火が相次ぐことで知られ、今も時々噴火している。流動性の低いマグマが間歇的に吹き上がる火山噴火を「ストロンボリ式噴火」というほど、火山学でも有名な火山島である。ここ出身の男と結婚してストロンボリ島に来てしまった女が、周囲の目に追い詰められて、ついに家出してストロンボリ火山をあてもなくさまよう…。
(ストロンボリ)
ほとんどトンデモ映画的な展開なんだけど、もともとバーグマンの役柄は「難民」である。リトアニアからポーランドに逃れ、ドイツ占領下で生き抜いたが、ドイツ敗戦に伴ってなんとか偽造旅券でイタリアに脱出したという設定である。難民収容所で男性棟にいた男と知り合い、求婚を受け入れてストロンボリに渡った。まさか夫の故郷がこんな絶海の火山島だと知らなかったのである。そこでは気概ある男はアメリカにわたり、残った女たちは因習のとりこになっている。外国女が奔放にふるまうと、掟破りの女として排斥され、それが夫の心も狂わせていく。火山をさまよう女としては、原節子が焼岳を登る「新しき土」、グアテマラの先住民少女が火山をさまよう「火の山のマリア」があるが、一番危険な感じ。
続いて「ヨーロッパ一九五一年」(1952)は、アメリカ大企業の幹部夫人としてイタリアに来たという設定。だけど、忙しさにかまけて幼い息子をないがしろにすると、精神的に不安定な子は自殺してしまう。そのことで自責の念にかられた妻は、一切の家事を放棄して、個人的な「慈善」に熱中するようになる。それが行き過ぎて、精神的失調と見なされて精神病院に閉じ込められる。なんの救いもない終わり方に驚くが、そこにこそロッセリーニの精神性がうかがわれる。「子どもの自殺」や「追いつめられる母」、「こころの病」と、現代から見るとこの映画はまさに「現代の不安」を描いていて、身に迫る。これも驚くべき先見性を持っていた傑作だと思う。狂気か究極の善意か、バーグマンの演技もすさまじい。
(ヨーロッパ一九五一年)
そして、次に「イタリア旅行」。夫婦仲が冷えている夫婦が、ナポリの別荘を相続してイタリアにやってくる。夫はもう売り払ってしまうつもり。ローマから車でドライブしながら、途中で知り合いを訪ねたり、アヴァンチュールがありそうだったり…、いろいろありつつ夫婦仲はどうなる。という「ロードムービー」の古典で、最後がちょっと甘いが、風景も面白く、イタリアを旅行する外国人という設定も面白い。これは最高傑作という人もいるようだが、僕はそこまでは買わない。
日本で見られるバーグマン時代のロッセリーニは、以上の3本だと思う。監督の別の映画もやっていたけど、時間が取れずに見逃した。「無防備都市」も何十年ぶりに見直したが、今も迫力たっぷりだったけど、この手の映画はその後いくつもあるなあとも思った。もう「古典」ということなんだろう。
第二次世界大戦は、それまでの歴史に例を見ない巨大な災厄であり、ものすごく大量の「無惨な死」をもたらした。直接の戦場にならなかったアメリカはちょっと違うけど、ヨーロッパやアジアの各国では、文化のあり方が変わってしまった。映画でそのことを最初に示したのは、イタリアの「ネオ・リアリスモ」だったわけである。日本は占領中だったから、外国映画の受容にズレがあった。未公開作品もあった。(共産党員作家ヴィスコンティの「揺れる大地」は公開されなかった。)
日本ではほぼ4本の映画、ロッセリーニの「無防備都市」(1945、日本では1950年ベストテン4位)、「戦火のかなた」(1946、日本では1949年ベストワン)、ヴィットリオ・デ・シーカの「靴みがき」(1946、日本では1950年ベストテン7位)、「自転車泥棒」(1948、日本では1950年ベストワン)がネオ・リアリスモの代表作と言われる。つまり、日本では「逆コース」時代に公開され、49、50と続けてベストワンになり、1950年にはベストテンのうち3つを占めた。時代相もあって、当時の人々に強い影響を与えたのは当然だ。
これらの映画はフィルムセンターにあって、僕も若いときに見ている。それは「映画史的名作」という感じだった。しかし、その後のロッセリーニ映画は全然見られない。キネ旬のベストテンを調べると、1960年に「ロベレ将軍」(4位)、1961年に「ローマで夜だった」(8位)が入選しているが、まったく見る機会がなかった。「ロベレ将軍」は近年デジタル版が公開され、デ・シーカ主演のたいそう立派な抵抗映画だった。一方、「ローマで夜だった」の方はいまだに見る機会がない。
その間にロッセリーニは何本も作っているけど、日本ではほとんど公開されなかった。(「ドイツ零年」などいくつは公開されているが。)そして、その間は「失敗作の時代」と言われてきた。その期間はほぼ「バーグマン時代」と言っていい。それらの映画は世界的に再評価されてきていて、日本でも90年ころのミニ・シアターブームの時に上映されたはずだ。僕も何本か見て、これは傑作だと思った記憶がある。
ところで、今書いた「バーグマン時代」というのは、スウェーデン出身の大女優、すでにアカデミー賞主演女優賞を受けていた超人気スターのイングリッド・バーグマンと結婚して、バーグマン主演映画を続々と作っていた時代のことである。有名な話だけど、バーグマンは「無防備都市」を見て感激し、どんな映画でもいいから出演したいと手紙を送った。その結果「ストロンボリ」(1950)に出演することになり、撮影中に二人は愛し合うようになった。でも、どっちも配偶者と子どもがいた「ダブル不倫」だったうえ、アメリカは「マッカーシズム」(反共ヒステリー時代)さなかだったから、大問題になった。
映画史上最大級のスキャンダルだったけれど、結局は撮影中にバーグマンは妊娠した。(男児を産み、その後双子姉妹がある。一人は女優のイザベラ・ロッセリーニ。)二人は1950年に結婚したが、1957年に離婚する。その間にロッセりーニは5本のバーグマン主演映画を撮っている。そして、せっかく美女を妻としながら、バーグマンをいじめ抜くような映画ばかりを作っている。それも、ストーリイもはっきりせず、現代人の不安や悩みを象徴的に描くような映画を。それは当時は全く受け入れられず、訳の分からない失敗作とされてきた。でも、今見ると、実によく判る傑作ではないか。
「ストロンボリ」(1950)は、中でも僕は傑作だと思う。ストロンボリというのは、イタリア南部、シチリア島の北にある小火山島のこと。ここは噴火が相次ぐことで知られ、今も時々噴火している。流動性の低いマグマが間歇的に吹き上がる火山噴火を「ストロンボリ式噴火」というほど、火山学でも有名な火山島である。ここ出身の男と結婚してストロンボリ島に来てしまった女が、周囲の目に追い詰められて、ついに家出してストロンボリ火山をあてもなくさまよう…。
(ストロンボリ)
ほとんどトンデモ映画的な展開なんだけど、もともとバーグマンの役柄は「難民」である。リトアニアからポーランドに逃れ、ドイツ占領下で生き抜いたが、ドイツ敗戦に伴ってなんとか偽造旅券でイタリアに脱出したという設定である。難民収容所で男性棟にいた男と知り合い、求婚を受け入れてストロンボリに渡った。まさか夫の故郷がこんな絶海の火山島だと知らなかったのである。そこでは気概ある男はアメリカにわたり、残った女たちは因習のとりこになっている。外国女が奔放にふるまうと、掟破りの女として排斥され、それが夫の心も狂わせていく。火山をさまよう女としては、原節子が焼岳を登る「新しき土」、グアテマラの先住民少女が火山をさまよう「火の山のマリア」があるが、一番危険な感じ。
続いて「ヨーロッパ一九五一年」(1952)は、アメリカ大企業の幹部夫人としてイタリアに来たという設定。だけど、忙しさにかまけて幼い息子をないがしろにすると、精神的に不安定な子は自殺してしまう。そのことで自責の念にかられた妻は、一切の家事を放棄して、個人的な「慈善」に熱中するようになる。それが行き過ぎて、精神的失調と見なされて精神病院に閉じ込められる。なんの救いもない終わり方に驚くが、そこにこそロッセリーニの精神性がうかがわれる。「子どもの自殺」や「追いつめられる母」、「こころの病」と、現代から見るとこの映画はまさに「現代の不安」を描いていて、身に迫る。これも驚くべき先見性を持っていた傑作だと思う。狂気か究極の善意か、バーグマンの演技もすさまじい。
(ヨーロッパ一九五一年)
そして、次に「イタリア旅行」。夫婦仲が冷えている夫婦が、ナポリの別荘を相続してイタリアにやってくる。夫はもう売り払ってしまうつもり。ローマから車でドライブしながら、途中で知り合いを訪ねたり、アヴァンチュールがありそうだったり…、いろいろありつつ夫婦仲はどうなる。という「ロードムービー」の古典で、最後がちょっと甘いが、風景も面白く、イタリアを旅行する外国人という設定も面白い。これは最高傑作という人もいるようだが、僕はそこまでは買わない。
日本で見られるバーグマン時代のロッセリーニは、以上の3本だと思う。監督の別の映画もやっていたけど、時間が取れずに見逃した。「無防備都市」も何十年ぶりに見直したが、今も迫力たっぷりだったけど、この手の映画はその後いくつもあるなあとも思った。もう「古典」ということなんだろう。