尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「こころ」ー漱石を読む⑧A

2017年10月31日 22時29分48秒 | 本 (日本文学)
 夏目漱石全集を読むのも久しぶり。選挙もあったけど、10月の読書はジロドゥや安藤鶴夫なんかにけっこう時間がかかった。いよいよ「こころ」である。まあ「こゝろ」なんだろうけど、ここでは「こころ」と表記する。1914年(大正3年)の4月20日から8月11日まで朝日新聞に連載された。ウィキペディアを見ると、2016年現在、新潮文庫で歴代1位の716万部を発行したと出ている。

 「名作」として知られ、若い時に読むべき人生の書のように言われている。もちろん僕もこれは読んだ。正直言うと、名作かもしれないけど好きになれないと思った。それは今回も大体同じ。案外そういう人が多いんじゃないだろうか。でも、今回改めて読んでみて、判りやすい文章、構成の妙、伏線のうまさなど、やはりこれは名作だなあと読んでいて感心した。

 適当にページをめくってみて、例えば鎌倉で「私」が「先生」と出会って、それから東京で先生の家を訪問するようになる6章。「私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数が重なるにつれて、私はますます繁く先生の玄関に足を運んだ。」そのちょっと後の会話。「今度お墓参りにいらっしゃる時にお伴をしてもよござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」

 まあ、今じゃ「よござんすか」なんて、落語かなんかでしか聞かない。先生に対しても「いらっしゃる」なんて敬ってもらうことはほとんどないだろう。地の文でも「繁く」なんて使わない。「会う度数が重なるにつれて」も、今の言葉としては固い。「何度も会うようになると」程度の表現になるだろう。でも、意味は十分に通じる。100年前の会話だけど、完全に意味は了解可能である。そして、そのちょっと固い感じになってしまった古風なムードとリズムが心地いい

 「こころ」の筋書きについては、ほとんどの人が知ってるだろう。だから、ここでもすでに知っているものとして書くことにする。今の場面、「先生」は毎月雑司ヶ谷墓地にある墓に参っていることを指している。これは誰の墓か。この時点では明らかにされない。第3部の長い長い手紙の中で、自殺した友人Kの墓だと明かされる。しかし、この小説の語り手である「私」は、かなり早い時点ですでに「先生」が死んでいることを明らかにしている。だけど、その事情は明かされない。

 「先生」の人生、あるいは「先生」夫妻のありようには、どうも謎めいたところが多い。第一、「先生」というけど(実名は明かされない)、最後の最後まで無職の人物だった。大学は出ているから、漱石がそうだったように、旧制中学の教員ならすぐになれたはず。だが、彼は一度も世に出なかった。今なら「引きこもり」かなという感じだが、何らかの事情があるようだ。そういう謎めいた雰囲気のもとで、物語全体がグルーミー(憂鬱な)ムードに覆われ、霧が立ち込めたような感じがする。

 その謎がすべて解かれるのが、第3章の「先生」の手紙。その意味で、この小説は一種の「倒叙ミステリー」とも言える。普通のミステリーは殺人(あるいは何らかの謎)があり、その犯人探しを目的に物語が進行する。だけど、もう冒頭で犯人が判ってしまうタイプのミステリーもある。それじゃ物語にならないだろうと思うかもしれないけど、そんなことはない。現実の殺人事件なんかを見ても、例えば相模原の障害者施設襲撃事件なんかが典型だろうが、「犯人は誰か」ではなく「動機をどう考えるか」こそが問題で、真に恐ろしいということが多い。

 「こころ」という小説は、いわば「先生自殺事件」なんだけど、自殺だから「犯人」は判ってるわけだが「動機」が判らない。「先生」の謎めいた一生の奥深くに潜む「動機」こそが「謎」だった。そしてそれは「友人K自殺事件」が伏線で、実は「連続自殺事件」だったことになる。その「先生」の決意を固めさせたのが、明治天皇の死であり、それに続く乃木大将の「殉死」だった。

 乃木希典は1912年9月13日に死んだ。異様な衝撃が日本中に走ったわけだけど、そのことは僕には「歴史的知識」としては知ってるけど、もちろん実感はない。1867年生まれの漱石は、根っからの「明治人」だから、明治の終焉に大きなショックを受けたことは当然だろう。乃木が校長を務めていた学習院で学んだ「白樺」派の文学者、例えば武者小路実篤なんかは日本人が乃木大将を偉人として尊ぶのを嘆いてバカにしている。トルストイやロダンなどが「人類的偉人」なのである。20年ほどの世代差があると、感じ方が全然違うわけだ。

 その意味で、「先生」がなんで死んだかという一番重大な問題が、僕には今ひとつピンとこない。Kの自殺をどう考えようが、乃木大将が死のうが、もう彼しか頼りにする人がいない妻を残して先に逝くほどの理由になるのか。ならんだろ、全然、と今の人ならほぼ全員がそう思うんじゃないだろうか。そこに疑問があるわけだけど、じゃあ「先生」が死ななければいいのか。「先生」が何かの職についていればよかったのか。そうでもないだろう。友人Kの死を背負って、一生世に出ずに終わった。そして最後は乃木大将殉死の報を受けて、長い長い手紙を残して世を去る。そこに「感動」がある。

 そういう仕掛けなんだから、それを批判しても仕方ない。だけど、現実には相当無理がある設定だろう。手紙で語られるKとの交際は、「同じ人を好きになってしまった」問題である。これは今でもいっぱいあるだろう。「先生」が正直に行動できない理由はとてもよく判る。妻にも打ち明けられないのも、実によく判る。だけど、そういうことはずべて飲み込んで、そのうえで学問や教育に一生を捧げて優れた業績を上げる。そんな人も決して稀ではない。要するに「先生」はそこまでの人物ではなかった

 先生が世に出ないで済むのは、一定の財産があったからである。「私」が大学卒業後にすぐ職に就かないのも、同様。「私」は大学卒業をありがたがる田舎の両親に対して、大学を出た人なんか何百人もいると言っている。しかし、全日本で数百人なんだから、特別すごいエリートだった。「先生」が出た時はただの「帝国大学」。1897年に京都帝国大学ができて、東京帝国大学となった。主人公はもう東京帝大時代の卒業である。卒業式には天皇が訪れる。1912年に卒業した主人公は、天皇の病気が公表されてビックリした。当時は6月卒業だったので、天皇を見たばかりだったのである。

 「こころ」は何回か映像化されている。新藤兼人監督が1973年に映画化したが、それより市川崑監督が1955年に映画化した日活作品が名作だと思う。「先生」に森雅之、妻が新珠三千代、Kが三橋達也、妻の母が田村秋子、「私」が安井昌二、女中が奈良岡朋子というキャスト。これは見ればこれしかないだろうと思う顔ぶれで、本を読んでいても映像が俳優の顔で浮かんでしまう。セットもよく出来ていて、一見に価値ある映画になっている。
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東京15区の投票行動を見てみる

2017年10月30日 23時51分09秒 |  〃  (選挙)
 総選挙に関してずいぶん書いてきて、これが最後。今までいくつかの選挙区を取り上げて、時系列的に投票行動を調べてみることがあった。ところが今回から小選挙区の区割りが大きく変更され、時系列で比較することが難しくなった。(小選挙区制を取る限り区割りの見直しは当然の事である。この制度そのものの是非は別に考える問題だけど。)

 ところが今回区割りが変わらず、しかも基礎自治体を割ることなく、そのまま一つの選挙区になっている場所が東京にあることに気付いた。区割り変更がないところは他にもあるけど、自治体をいくつか合わせた選挙区だと調べるのも大変。できれば一つの自治体で一つの選挙区がいい。ところで、なんとそこは直近2回の衆院選で候補者がまったく同じである。「奇跡の選挙区」だ。東京だから、注目の都議選があったばかりでもある。ということで「東京都第15区」を取り上げてみたい。

 地名で言えば、ここは東京都江東区になる。人口約50万で、隅田川と荒川に囲まれた地域。区域のほとんどがゼロメートル地帯で、近年は高層マンションが立ち並んでいる。西部は時代小説によく出てくる深川。東部は昭和7年以前は南葛飾郡で、この前書いた関東大震災時の社会主義者、中国人の虐殺が起きた地でもある。つまりかつては大工業地帯だった。一方、南半分は戦後の埋め立て地で、有名な「夢の島」があった。東京五輪でも多くの施設が作られる予定である。

 では、さっそく今回と前回の衆議院選の結果から。
2017年選挙区 (投票率=55.59%、前回とほぼ同じだが、有権者は1万7千増)
 秋元司(自民)   10万1155
 柿沢未途(希望)  7万0325  (比例当選)
 吉田年男(共産) 3万4943
 猪野隆(無所属) 1万5667
2014年選挙区 (投票率は56.03%)
 柿沢未途(維新)  8万8507
 秋元司(自民)   8万5714  (比例当選)
 吉田年男(共産) 3万1384
 猪野隆(無所属)   8759

 柿沢未途は、2009年の総選挙に「みんなの党」から出て比例で当選した。「みんな」初参戦の選挙で、最初の当選者5人の一人だった。その後、2012、2014には小選挙区で当選したが、今回希望の党から出て比例当選に甘んじた。票を1万8千減らしている。なお、父は柿澤弘治元外相で、参院選や都知事選にも出た父親の高い知名度を受け継いだ。民主党都議を務めていたが、酒気帯び運転で自損事故を起こし離党していて、「みんな」の旗揚げに加わった。父も15区で2回当選している。

 秋元司(1971~)は、2012年の自民党政権復帰選挙から3回連続で15区から出て、今回初めて小選挙区で当選した。その前は、2004年の参院選比例区で当選した参院議員だったが、2010年に落選していた。秋元以前の木村勉は3期当選したが、民主党政権勝利の選挙で敗れて引退した。自民党は今回2005年の郵政選挙以来の10万票を獲得した。前回より1万5千ほど増やしている

 共産党の吉田年男は連続して5回立候補している。かつては2万票前後だったが、ここ2回は3万票を超えている。今回3万5千票と一番多いのは、柿沢が民進党を離れて希望から出たためだろう。さて、ここ2回ほど無所属で猪野隆という候補がいる。この人は誰だと調べてみると、2012年の選挙で「日本維新の会」から東京11区に出て、下村博文11万6千に対して約5万票で次点になった過去があった。江東区育ちで、以後は15区から出ている。東大を中退して国税庁などに勤務した後で、大学に再チャレンジして合格、「おっさん東大生」を名乗るホームページがあった。

 では今度は、2017年衆院選の比例区票を見てみる。100票台四捨五入。
自民=7万4千 公明=2万6千 立憲民主=4万6千 希望=4万1千 共産=2万1千 維新=8千
*票数だけを見ると、比例で自民、公明に入った票を足すと、ほぼ秋元票になる。一方、立憲民主に入れた人は、3対1で柿沢と共産党吉田に入れた感じである。

 2014年衆院選の比例区票を見てみたい。
自民=7万1千 公明=2万7千 維新=4万3千 民主=2万4千 共産=3万1千 次世代=8千 生活=6千 社民=4千
*共産党は選挙区と比例区がほぼ同じである。一方、自民、公明を足すと9万8千だが、実際の秋元票は8万6千ほど。維新、民主、社民、生活の比例票を足すと、ほぼ柿沢票にはなるが、多分自民支持者からの個人票も入っていたのではないか。今回柿沢は個人票を秋元に奪われたのかも。

 こうなると、2016年参院選を見ておきたくなる。江東区の投票率は59.0%。
自民=8万3千 民進=4万7千 公明=2万8千 共産=3万2千 おおさか維新=1万9千 生活=6千 社民=5千
*これは比例区票だが、公明党の票は大体同じである。共産党はここ2回3万を超えていたが、今回立憲民主に1万票が流れたと思われる。自民は全体として2016年の比例票が多かったので、ここでも今回は少し減らした。維新の党は、民進党合流組とおおさか維新に分かれていたが、柿沢の支持者も「民進」と「おおさか維新」に分かれたのではないかと思われる。

参院選の選挙区票も見たいところだけど、東京選挙区はあまりに候補者が多くて面倒くさいから省略。ただ簡単に言っておくと、共産党と公明党の票は大体比例区や衆院選で出た票と同じ程度だった。やはり蓮舫候補の得票が、4万3千票で一番多かった。

 最後に、2017年7月の都議会議員選挙の結果。
当選 白戸太朗(都民ファースト新人) 4万5614
当選 山崎輝(自民現、3期目)     3万7970
当選 細田勇(公明新人)        3万6533
当選 畔上美和子(共産現、3期目)  2万9804
次点 柿沢幸絵(無所属現)   2万5908
    高橋恵海(自民新人)   2万1059
    大沢昇(民進前)     1万5409 
    古賀美子(無所属新)    3171
    表奈就子(無所属新)    1403

 この結果をどう見るべきだろうか。確かに自民は衆参の比例区票から大きく減らしている。しかし、自民票と公明票を合わせると、今回の秋元票10万に近い票になる。つまり、公明党が自民に付くことが決まっていた今回選挙では「希望の党」にはもともと可能性が低かった。一方、公明党は国政選挙では出せない票が出ている。いかに都議選重視で頑張ったかがよく判る。次点になった柿沢幸絵は、2009年から練馬区で民主党から都議になった人。当時は野上姓だったが、当時都議だった柿沢未途と結婚して2013年から江東区に移った。今回は直前に民進党を離党し無所属で臨んだが落選してしまった。ここからも民進党と柿沢陣営の暗雲を感じ取ることができるだろう。それにしても「都民ファースト」票が今回どこに流れたかはやっぱりよく判らない。
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記録映画「まなぶ 通信制中学 60年の空白を超えて」

2017年10月28日 22時59分02秒 | 映画 (新作日本映画)
 文化庁映画賞文化記録映画部門受賞作品の記念上映が行われた。大賞が「五島のトラさん」で、五島列島に生きた一人の男とその家族を22年も追いかけた記録。製麺業を営み、朝早くから7人の子どもたちを手伝わせて五島名産の手延べうどんを作っている。この子どもたちの育て方が強烈で、この子たちがどうなるか、目が離せない。優秀賞が「人生フルーツ」と「まなぶ」という映画。
 
 ここでは「まなぶ 通信制中学 60年の空白を超えて」について書いておきたい。サブタイトルを見れば判るように、これは「通信制中学」を取り上げてカメラで追い続けた記録である。東京では新宿のケイズ・シネマという映画館でモーニングショーで上映されたけど、僕は見過ごしていた。その時に映画のチラシを見るまで、僕は通信制中学というものがあることを知らなかった。

 中学や定時制高校の教員をしていた僕でさえ、一度もその存在を聞いたことがない。昔は80校もあったというけど、今は東京の神田一橋中学校と大阪の天王寺中学校しかないという。映画を見てると生徒数が少ない。監督によれば、教員も兼務でやってるんだという。夜間中学や定時制高校、通信制高校は、もちろん「専任教員」がいる。(授業時数が少ない教科は、非常勤講師だけど。)だから、教員にとっては「異動先」になるかもしれないから、存在を知っている。

 2010年に公開された「月あかりの下で」という夜間定時制高校(埼玉の浦和商業高校)の描いた映画があった。その映画を作った太田直子監督の最新作。2009年の映像から始まっているので、まだ前作製作中から取り始めていたわけだ。そして、途中で2011年の「3・11」直後の卒業式をはさみ、2016年に二人の卒業生が卒業していくところまでを扱っている。

 夜間中学を描いた森康行監督「こんばんは」という記録映画があった。あるいは山田洋次監督の劇映画「学校」でもいいし、僕も定時制高校の経験から言えることだけど、夜間中学の生徒には高齢生徒以外にも、10代の不登校経験者外国人生徒も多い。でも、この映画に出てくる通信制中学の生徒は何らかの事情でかつて中学に通えなかった経験を持つ高齢生徒ばかり。

 東京には夜間中学が8校ある。それで十分とは思わないけど、中学に行けなかった人には夜間中学という道があるということは知っている。でも、夜間中学というのは毎日行くべきものである。昼間と同じで、基本的には平日はずっと授業がある。でも、それでは行けない人がいる。例えば家で介護の必要な家族を抱えているような人。言われてみれば当たり前なんだけど、そこまではなかなか気づかない、気づけない。そうか、中学にも通信制が必要なんだと改めて気づかされた。

 高齢生徒ばかりである分、日本社会の貧困や差別がより伝わってくる。1947年の学制改革で、中学は義務教育となった。今年で70年という中学が各地にいっぱいあるだろう。だけど、その時に「義務」となりながらも、実際には行けなかった生徒がいっぱいいた。貧困のため、子守りなどの奉公に出されたといった女性が多い。今も80代以上の人にはそういう人がかなりいるのだ。

 あるいは、障害のために行けなかった人もいる。そういう人たちが何とか通信制中学という学び舎にたどり着いた。月に2回のスクーリング。それが楽しみで、実際の授業に通ってくる。そんな中で「まなび」に関する思いを交わしあう。勉強は役立つのか。勉強は面白いのか。何のために学ぶのか。学校での学びについての本質的な問題を、ここに通っている人たちが教えてくれる。

 それにしても、中学に行けなかったというそのことが、いかに戦後社会を生き抜くときにハンディとなって来たか。差別されてきたか。そんなことも考えさせられた。まったく存在も知らなかった学校が、大都会の一角で存在し続けている。テレビなどでも放送されて欲しいし、DVDなどで若い中学生にも見せたい。夜間中学についての映画(「こんばんは」や「学校」)はずいぶん授業でも取り上げたんだけど、通信制中学を知らなかったということに自分でもビックリである。
2017年11月19日(日)に、東京都中野区の「なかのZERO視聴覚ホール」で上映会がある。10時、12時、14時半の3回上映。前売800円、当日1000円。問い合わせ グループ現代)東京以外の上映情報は映画のホームページで。
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映画「闘争の広場」と勤評闘争

2017年10月28日 00時47分06秒 |  〃  (旧作日本映画)
 シネマヴェーラ渋谷で「新東宝のもっとディープな世界」という特集をやっている。「玉石混交!?秘宝発掘!」と自ら銘打った特集で、この機会を逃せば二度と見れそうもない映画ばかり。「もっと」というのは、今年3月にも特集があったからで、その時は「地獄」「地平線がぎらぎらっ」「明治天皇と日露大戦争」など、映画ファンには知られた映画があったけど、今回は存在も知らなかった映画ばかり。

 そんな中でも、三輪彰監督「闘争の広場」(1959)という映画はぜひ見たかった。当時まさに渦中にあった「勤評闘争」を扱った映画なのである。勤評のことは後にして、まず映画の情報。三輪彰監督はウィキペディアに載っていた。1923年生まれで、まだ存命とある。「煙突の見える場所」(五所平之助)や「たそがれ酒場」(内田吐夢)の助監督を務め、1958年に監督に昇進した。「胎動期 私たちは天使じゃない」(1961)を最後に新東宝を辞めて、ピンク映画やテレビ映画に転じたと出ている。

 主演俳優の沼田曜一(1924~2006)は、「聞けわだつみの声」や「雲流るる果てに」「人間魚雷回天」なんかで弱そうな兵隊役をやってた人。熊井啓「深い河」にもクレジットされているが、インパール作戦に参加して生き残った老兵役だった。晩年にやってた民話の語り部活動で知られていた。恋人の教師役で三ツ矢歌子、同僚教員で池内淳子などが出ている。どちらも新東宝のスター女優だった。池内淳子は後にテレビで活躍したが、僕には「花影」「けものみち」などの圧倒的な存在感が忘れがたい。

 当時の新東宝と言えば大蔵貢時代。もともと東宝争議の時にできた会社だけど、経営不振が続いて興行主の大蔵貢が1955年に社長に迎えられた。「明治天皇と日露大戦争」を大ヒットさせ、その後はエログロ路線で売った。歌手の近江俊郎の実兄で、近江の監督作品も多く作ったが、それ以上に「女優を妾にしたんじゃない、妾を女優にしたんだ」の歴史的「大暴言」で記憶されている。だから冒頭にまず大きく「製作 大蔵貢」と出ただけで心配になっちゃうわけである。

 だけど、案外この映画はマトモな作りになっていた。(脚本は三輪彰と宮川一郎。)ある海辺の町の小学校。教室が雨漏りする劣悪な環境で、沼田演じる教師・浜中がバケツを取りに行くと、同僚の組合委員長が警察に連行されるところである。長らくもめてきた勤評問題も、ついに刑事弾圧の段階になった。そんな学校で、同僚や子どもたちの様子が描かれるとともに、現場教師と教育行政の間に立つ校長の苦悩教育委員会の割れている状況、文部省からの圧力などもしっかりと描かれている。名作、傑作というほどでもないだろうが、問題は的確に描いている。

 その後の「10割休暇闘争」「保守系保護者との対立」「教師に対する暴力」などの展開を見ると、明らかに高知県の勤評闘争をモデルにしている。高知では教組と親が協力した高校全入運動や教科書無償化運動が取り組まれていた。そんな中で起きた勤評問題は大いにもめ、県教組を中心に「勤評粉砕高知県委員会」も作られた。一日行動のスト突入率99%だった。一方、反対派の保護者は「同盟休校」を行い、山間部などでは教師をつるし上げる事件が起きていた。1958年12月にが、激励オルグに訪れた小林武日教組委員長が襲撃されて重傷を負う事件まで起こった。

 この映画では実在の地名は出てこない。当時は九州や四国が舞台でも伊豆や房総で撮影していた映画が多い。多分関東近県の海岸だろうが、海の近くを蒸気機関車が通り、トンネルがある(場所は不明。)学校や教師の家の環境が悪く、これが50年代のリアルかという感じがする。高度成長以前の、戦争に負けた貧しい日本なのである。教組の組織率はほぼ100%だったろう。「非組」など考えられない時代だし、日教組も分裂していない時代、管理職も組合に参加していた時代。

 この映画を見ていて、苦しい思いをしているのは誰か。まず、主人公の浜中。組合が闘争至上主義で、子どもに寄り添うべきだと批判的である。職場会でも、10割休暇への疑問を述べる。(闘争には参加しないわけではない。)闘争の中での「良心派」という位置づけか。家族の中でも妹が教育委員長の息子と恋仲で苦慮している。そういう主人公が保守派の「父兄同志会」の殴り込みを止めようとして大けがをする。その事件をきっかけに、教委と教組の間に妥協を探る動きが出てくるという筋書き。

 もう一つは校長や教育委員長。戦後に作られた教育委員会もともとは地域住民による選挙制だったが、1956年に施行された「地教行法」(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)で任命制に変更された。当時「逆コース」と言われた戦後民主主義体制骨抜きの代表的政策だった。この法律で、教育行政の役割が定められ、そこから「勤務評定」実施という方針が出てくる。(公務員一般の勤評はすでに実施されていたが、教員に関しては職務の特殊性から実施されてなかった。)

 教育委員長は資産家で良識的な人物に描かれているが、委員の中には公然と保守系政治家と結びついて動いている人が出てくる。文部官僚がやって来ると、芸者を揚げて料亭で接待する。そういう場で勤評実施へ圧力をかけるのだ。(官官接待だろう。)組合委員長の検束も、その教育委員が独断で警察に依頼していた。(そんなことができる町なのだ。)最後まで勤評を書かない校長は、料亭に缶詰めにされて無理やり書かされる。校長はこんな制度が出来たら、学校は教育の場ではなく工場になってしまうと訴えるが、政治の問題だからと押し切られ、ついには自殺未遂を図るが…。

 「女性教師」も苦しんでいる。池内淳子演じる教師は嫁ぎ先が組合に無理解で、分会を代表して委員長に差し入れに行ったことが知られて困ってしまう。教員を続けたい池内は、夫と離婚したうえ異動願を出して学校を去っていく。(昔の映画には時々年度内で異動があるのだが、そういう制度だったのだろうか。)人望厚い女性教員が苦労を重ねる映画は多いけど、「二十四の瞳」の高峰秀子、「人間の壁」の香川京子、「はだかっ子」の有馬稲子、ちょっと中身は違うけど「日本列島」の芦川いづみ、「こころの山脈」の山岡久乃など「働く女性教師の苦悩」に連なっている映画でもある。

 映画内で勤務評定の中身がでているが、明らかに組合教師の排除を狙ったものである。憲法9条改正を掲げる鳩山一郎内閣の下で、「教え子を再び戦場に送るな」の日教組を最大の敵とした時代。まさに勤評問題は政治的な問題だったのだ。この映画も、保守派の暗躍に批判的な作りになっていると思う。同時に今から見ると、法的な争議権がはく奪されている中で、登校する児童対策も取らずに全組合員でピケをするなど、やはり無防備にすぎるのではないかと僕は思う。
 
 それはそれとして、当時の高知県では、組合に加入している校長たちが「私たち校長は、教師の良心にかけて勤評に絶対反対することを再度表明すると同時に、校長は管理職でなく、教師はもちろん、県民の皆様と共に民主的な教育を守り続けていくことを確信をもって再び声明いたします」と宣言していた時代だった。最後まで勤評を提出しなかった校長は、懲戒免職4名、分限免職10名、さらに教頭への降格など厳しい処分が待っていた。そういう犠牲が戦後教育史に起こったことを多くの人はもう覚えてもいないかもしれない。しかし、この映画のラストのように、多くの都道府県で「神奈川方式」など、法的に勤評はなくせないが、「実働化阻止」を事実上勝ち取ったところが多い。

 文部省が本来考えていた、昇給や異動に連動する査定、本人に非開示というものではなく、本人開示、賃金との連動無しとなったところが多い。僕が教員になった時も、おおむねそういう感じだっただろう。時々当たる特昇とともに、毎年基本的に全員が同様に昇給するという前提のもと、管理職を含めた「職場性」が成り立っていた。21世紀になって、特に東京都では完全に賃金と連動した勤評が実施されていった。それが教育現場の荒廃につながっている。労働時間は「ブラック企業」と呼ばれ、いじめ報告に追われるような職場になっていくわけである。
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立民、希望の票はどこから来たか-比例区票を検討する

2017年10月26日 23時36分23秒 |  〃  (選挙)
 ここのところ、ずっと選挙に関した記事を書き続けてきた。その間、落語に行ったり映画を見たりもしてるんだけど、そういう話も書いたけど、それより選挙。選挙ウォッチそのものが趣味ではあるんだけど、それよりも今回は「日本の岐路」だという感じがして書き続けてきた。

 ここで各党の比例区得票数を時系列で比較して各党の党勢を検討したい。以前はずっと書いていたのだが、前回参院選の時はちゃんとは書いてなかった。衆院選と参院選では、同じ比例代表選挙とは言え、ずいぶんやり方が違う。しかし、他に全国的に比較できるデータがない。

 なお、今回の総得票は、55,757,552票。前回2014年総選挙は、53,334,447票。2016年参院選は、56,007,352.842票。2014年総選挙は戦後最低の投票率だった。2016年参院選で増えたのは、「18歳選挙権」で有権者数そのものが増えたから。とにかく、ここ数回続けて、5500万票前後になっている。

 一応、2005年の郵政選挙から見て行くことにする。千票単位四捨五入。 
 05衆院選07参院選09衆院選10参院選12衆院選13参院選14衆院選16参院選17衆院選 の順番。直近3回は太字で。

自由民主党
 2589万1654万1881万1407万1662万1846万1766万2011万1856万
公明党
 899万777万805万764万712万757万731万753万698万

 与党側から見てみると、自民党は前回2016年参院選で2000万票を獲得したが、今回はそれよりも減っている。参院選では個人名を書けるので、1年前に今井絵理子などと書いた人が今回は自民に入れてないのかもしれない。それでも前回衆院選よりも100万票増やしている。希望の党に流れた票は限定的だったと考えられる。

 ちょっと驚いたのは、公明党が700万票を割ったこと。これは新進党として臨んだ96年衆院選を除き、今の選挙制度になって一番少ない。参院選を含めても、自公連立以後最も少ない。21世紀初めには、自民候補が「比例は公明」と訴えたからか、一時は800万票を超える得票だった。比例定数が減ったからだけでなく、得票数自体が減っていたのである。「自民の協力が少なかった」「都議選疲れ」「改憲志向の安倍政権離れ」などいくつかの仮説が考えられるだろう。今後も注目すべきところ。

 一方、野党側は変化が多く、比較が難しい。とりあえず変わらない共産、社民から。
日本共産党
 492万516万494万426万369万515万606万602万440万
社会民主党
 372万263万301万224万142万126万131万154万94万
 ここ最近、両党合わせて700万票以上獲得していたが、今回は合計で530万票ほど。前回衆院選から、共産は160万票、社民は30万票ぐらい減った。
 一方、肝心の民主党なんだけど、2014年衆院選までは以下のような得票だった。
民主党
 2100万2326万2984万1845万963万713万976万
2016年参院選は、維新の党の一部と合同して「民進党」として臨んだ。
 1175万
〇2017年衆院選は、無所属に比例はないわけだから、「立憲民主党」と「希望の党」を見てみる。
・立憲民主党 1108万
・希望の党  968万

 他の党を見ておくと、まず維新、みんな系。
「日本維新の会」 12年衆=1226万→13年参=636万
「みんなの党」  09年衆=301万→10年参=794万→12年衆=525万→13年参=476万
「維新の党」   14年衆=838万
 2012年衆院選を前に、「大阪維新の会」と「太陽の党」が合同して「日本維新の会」ができた。それが「みんなの党」との合同をめぐって「次世代の党」(石原派)が分裂し、「みんなの党」も分裂して「結いの党」を結成したグループが日本維新の会と合同して「維新の党」を結成した。もうみんな誰も覚えてないぐらい複雑なんだけど、この維新の党が再び分裂し、一部は民主党と合同して「民進党」となり、大阪派は「おおさか維新の会」を結成した。今は名を「日本維新の会」に変更。
★2016参院選 おおさか維新 515万 →2017年衆院選 日本維新339万

小沢一郎所属グループも、名前を変えながら毎回参戦してきたが、だんだん小さくなっていった。今回は基本的に「希望の党」から出る方向だった。
12年衆 日本未来の党 342万 →13年参  生活の党 94万 →14年衆 103万 →16年参 107万

★右派系の「次世代の党」は、2014年衆院選比例区で、141万(議席0)、2016年参院選は「日本のこころを大切にする党」と改名し73万票(議席0)、今回は「日本のこころ」として 8万5千。

 さて、「立憲民主」と「希望」はどこから票が出たのか両党合わせると、おおよそ2千万票である。総得票数がほぼ同じの2016年参院選と比べてみる。
 そうすると、民進党が1175万、共産から160万、社民から60万、実は自民も減っているから160万、公明が50万。生活(自由党)から100万、維新から170万、こころから70万。合計すると2000万票近い
 こうしてみると、共産党や社民党系流出票は「立憲民主党」が主だろうから、希望の党にはそこそこ他党から流れた票があったということになる。そう考えないと数字が合わない。だけど、自民は元々巨大だから、100万、200万程度では影響がない。小さい公明党は比例当選者を減らしたけど。そう考えられるのではないだろうか。
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希望の党の苦戦をどう見るか

2017年10月25日 23時01分07秒 |  〃  (選挙)
 小池百合子都知事が代表を務める「希望の党」は衆院選で50議席を獲得した。公示前には57議席だったから、減らしたことになる。毎回書いている朝日新聞の予測(10.14付)では、56議席が一番可能性が高いとなっていた。もっとも下限は45議席だから、意外なことに下限以下にまで落ち込んでしまったわけではない。まあ、事前にこの程度と思われていた中で、低い方の数字になったわけである。

 9月27日の立ち上げ記者会見には、14人の国会議員が同席していた。そのうち3人は、行田邦子、中山恭子、松沢成文の参議院議員だから、衆議院議員は以下の11人だった。細野豪志、松原仁、長島昭久、笠浩史、後藤裕一、福田峰之、木内孝胤、鈴木義弘、野間健、若狭勝、横山博幸。これは当時のニュース記事の順番だが、当選回数順になっている。

 この人々を全部知っているという人は、よほど政治に関心が強い人以外はいないんじゃないだろうか。僕も福田峰之という人は、副大臣を辞任して自民を離党するというニュースで知った。鈴木義弘、横山博幸も知らなかったが、前回「維新の党」から埼玉や愛媛で出て比例で当選した議員である。この中で、今回小選挙区を勝ち抜いたのは、細野、長島、笠の3人。比例復活は松原、後藤の2人。後の福田、木内、鈴木、野間、若狭、横山の6人は哀れ落選の憂き目を見た。

 特に小池側近として東京10区を受け継いだ若狭勝の落選など、今回の苦戦を象徴しているだろう。もっとも以上の11人で、それなりの知名度があるのはほんの数人で、当選しようが落選しようが日本の将来に関係しないような人ばかりではないか。細野豪志などはどこから出ても当選するんだろうが、「希望の党」に希望を求めてしまった人ほどバカを見たということかもしれない。

 この「希望の党」をどう評価するかは、案外難しいと思う。小池氏の「排除」発言で野党分断を招き、安倍政権の大勝をもたらしたというのが、大方のマスコミや左右問わず政治を論じる人の共通認識になりつつある気がするが、これはよくよく検討が必要だろう。民進党で選挙区調整を担当した玄葉光一郎氏は、あの排除発言がなければ200議席は言っていたと選挙中に発言した。しかし、それは本当だろうか。「失言」だの「戦術ミス」がなければ、希望の党は勝ってたんだろうか

 確かに僕も一時は、小池氏がこれほど前のめりになって新党結成に乗り出したということは、安倍一強を揺るがせる可能性があるのではないかと思ったことがある。だけど、成功するか、良いことなのかという問題と別に、希望の党に客観的な勝利可能性はあったのだろうか。今になってみると、安倍政権の支持率は確かに低くなっていたが、比例区の投票先は一貫して自民党が3割強を占めて安定していた。本当は勝てたのに野党の分断で負けたと考えるのは、どうなんだろうか。

 朝日新聞24日付朝刊では、野党共闘が実現していたら「63選挙区逆転」という試算になると書いている。それは「立憲、希望、共産、社民、野党系無所属による野党共闘」が成功していればという仮定だという。しかし、これは考えるだけムダの仮定である。共産党との選挙協力には反対という人が、民進党を離党して小池新党を立ち上げたわけだから。それにこういう協力があったとしても、自公で120議席、野党は106議席だというんだから、やっぱり負けるのである。

 それどころか、希望の党があったから、立憲民主党と共産党の協力が成立したとも言える。北海道では、全12選挙区の中で8つで立憲民主党(あるいは立民系無所属)が出て、そこでは全部共産党が候補を取り下げた。結果は5つで勝利、3つで比例区で当選という「成功」となった。一方で民進系候補が希望から出た2、9、12区では共産党が立候補している。希望の党から出た候補がいたおかげで、立憲民主と共産との協力が成り立ったのである。

 今回、希望、立憲民主、無所属と分かれて立った民進党議員だが、では果たして民進党から出ていたら当選できたのだろうか。立憲民主党14人、無所属18人だけでなく、希望の党から33人ぐらい民進党前議員が当選した。(元議員も7人いる。)確かに馬淵澄夫、松野頼久、武正公一、福島伸享など民進党で出ていたら当選したかもしれない人もいる。他にも前議員は何人かいるが、多くは前回「維新の党」から出て比例で当選した議員で、選挙地盤が弱い人ばかりである。民進党のまま戦っていたらこれ以上の当選者が出たかどうかは判断しようがないが、まあ同じぐらいじゃないか。

 小選挙区で最後に競り負けた候補が多く、比例での復活当選ができない前議員がかなり出てしまった。そのため苦戦感が強くなったけど、民進系じゃない当選者は比例で優遇された中山成彬(中山恭子の夫の元文科相だけど、なんであんなの公認したのかね)、井上一徳(元防衛官僚で、小池氏が首相補佐官時代の部下。谷垣氏引退の京都5区で立候補したが、共産党にも負ける4位だったが、比例順位2位だったため当選した)の二人ぐらいで、民進党のヤドカリとしては悪くなかったとも言える。

 ただ、時間がなかったとはいえ、あまりに拙劣な選挙対策が多かった。「排除」発言もそうだけど、希望の党は民進党とは別なんだから、候補者を独自に選ぶ権利はあるだろう。でも、そういうことを言うならば、もっと明らかにすごいと思える候補をそろえないといけない。はっきり言って誰もいないじゃないか。小池氏はパリで「鉄の天井」などと言ったそうだが、希望の党は別に女性候補をそろえたわけじゃない。2005年の郵政選挙では、小泉首相は各ブロックの比例1位にズラッと女性候補を並べて見せた。そのくらいのことがなぜできないのか、まったく理解できない。

 政策も練りこまれていたとは言えない。公約発表の際の「ユリノミクス」なんて、誰も話題にさえしなかった。政策、イメージ、候補者、いずれも良くなかった。ただ「代表が小池」ということだけがウリだった。一定の地盤を持つ民進系前議員しか当選できないのは当然だった。確かに民進党内に次の首相候補として人気が出そうな人もいないと思えば、民進党内保守派の中に小池首相を目指すことで活路を開きたいと考える人がいること自体は理解可能だと思う。

 小池氏は都議会選挙の成功に目がくらんだということだろう。都議選と衆院選は本質的な違いがあった。それは公明党がどっちに付くかである。都議選では都民ファーストの会と公明党が協力した。今回は公明党が小池氏の自重を求めながら、結局は全国での擁立に突っ走った。一時は「首班指名では山口さんはどうか」などとまで言った。公明党へのリップサービスなどと解説した人がいるが、それは全然違うだろう。国政での自公連立も解消すればと受け取られかねないし、公明党は絶対首相にはなれないわけだから、それを知ってて発言するのは挑発的行動だ。公明党は怒って自民支援に本気になっただろう。

 その他、小池氏のリーダーとしての資質に疑問を抱かせる問題が多かったわけだが、もう今さら書くまでもない。ある意味では野党第2党になった希望の党に存在意味があるのかと思うが、2018年には国政選挙がないわけだから、当面「解党」も「大々的な野党再編」も起こらないと考える。自民主導の改憲論議が進む中で、それぞれの立ち位置がはっきりしてきて、大きな変動もあり得るだろう。だが、国政政党のあり方に関わらず、政治の行く末を見つめ続けて行かないといけない。
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立憲民主党の躍進をどう考えるか

2017年10月24日 21時22分11秒 |  〃  (選挙)
 前回も見た朝日新聞10.14日付調査の数字を見ると、
希望の党 選挙区=17~24~30、比例区=28~32~36 全体=45~56~66 となっている。
立憲民主党は 選挙区=7~11~16、比例区=11~30~33 全体=34~41~49 である。

 実際の結果は、立憲民主党が上回った選挙区で18、比例区で35、合計55だった。(北海道8区の追加公認を含む。)それぞれ調査時点の上限を超えている。一方、希望の党は、選挙区で18、比例区で32、合計50だった。比例区は予測調査の中央値通りである。苦戦は苦戦ながら、最終盤に予想以上に失速したわけではないのかもしれない。むしろ、共産党の比例予測14、維新の比例予測9が、実際は11と8だったのを見ると、特に前回は共産党に入れた左派票が立憲民主党に流れたという仮説が立てられるのではないだろうか。

 実際に立憲民主党が比例区でどのくらい取ったのかを確認してみる。
 それはなんと1108万4890票もあった。ちなみに比例区全体としては5575万7552票である。(大体1億人強が有権者数で、5500万ぐらいの票を奪い合っているという数字は頭に入れておいた方がいい。)なんとと書いたのは、2012年以後の民主党(民進党)の比例票を見れば判るだろう。
 2012年衆院選=9,628,653
 2013年参院選=7,134,215.038
 2014年衆院選=9,775,991
 2016年参院選=11,751,015.174 (民進党)
 
 短い準備期間で立ち上げられた立憲民主党は、民主党の最低値をはるかに超え、前回の衆院選で獲得した民主党票を大きくうわまった。2016年参院選で民進党が獲得した総得票数をもほとんど一党で獲得している。ちなみに、希望の党は約967万票、共産党は約440万票である。前回の共産党は606万票で過去最高の20議席を比例で獲得した。それと比べると、確かに160万票も減らした。これは立憲民主党に流れたと見るべきだろう。

 立憲民主党はなんでこのように躍進したのだろうか。論を立てると、政治姿勢や政策課題への共鳴とみてしまいやすい。それもあるにはあるだろうが、多分もっと違った有権者の感情に訴える部分があったと見るべきだ。それは東京新聞23日朝刊に載っている「全日本おばちゃん党」(ネット上のグループ)代表代行の谷口真由美大阪国際大准教授の話がよく示している。「経済ドラマ」であり「下町ロケット」だというのである。少し引用してみると、

 倒産の危機に陥った企業が外資系企業に吸収合併されることになり、社長が「社員をクビにしないでくれ」と懇願する。だが、外資系企業側は「必要ない人間は切る」と冷酷にリストラを告げる。不景気な社会ではよく目にする光景だ。(中略)そうした中で、切り捨てられた人たちが「もう一回頑張ろう」と立憲民主党を立ち上げ、自民党に立ち向かった。まるで町工場を舞台にした池井戸潤さんの小説「下町ロケット」を見ているようで、多くの支持を集めたのもうなずける。

 なるほど、このように見ると、立憲民主党が一種のブームを起こした理由が納得できる感じがするではないか。もっと言えば、社長が偽装倒産して露頭に迷いかねなくなった社員たちが、自分たちで労働組合を結成して自主生産に乗り出し全国展開を図っているという方がいいかもしれない。リストラ社員の自主管理労組だと見れば、左派系有権者の琴線に触れたのもよく判る。

 それともう一つ、2003年の総選挙で言われた「1区現象」に近いものが今回見られたのではないか。各地の1区は県庁所在地を中心とする地区になっている。立憲民主党は、北海道、東京、新潟、鹿児島の1区で勝利した。宮城、神奈川、静岡、愛知、岡山、島根などの1区では比例で当選した。また民進党系無所属が、福島、長野、佐賀などで当選した。このことを見ると、かつての民主党のように、候補者と政策を練っていくことで、さらに立憲民主党が伸びる可能性を示していると思われる。

 今回前議員だけでなく、多くの元衆院議員、元参院議員が立憲民主党から当選した。もっと立てていればもっと当選したという人もいるだろうが、時間が限られていた中でなかなか難しかったと思う。それに希望の党から出る民進党候補にはぶつけないという「原則」を守った。今後は市民運動との共闘などで新しい候補者を「発掘」していくことがとても大事だと思う。ドラマで伸びた時期は終わり、地道な積み重ねがないと票にならない時期が来る。

 そんなときに今までの政治家イメージを変えるような新鮮な候補者をどれだけ立てられるか。2019年参院選までの時間はそんなに長くはない。そしてその時に、改憲国民投票や衆参同日選が仕組まれる可能性も考えておかないといけない。そして、立憲民主党が一種の左派党として「中間派の排除」になった場合、希望の党と同じような失望を招かないとは言えない。反安倍政権であらゆる人々と協力していける中核になれるかどうか。そこが大事だと思う。
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自民圧勝の総選挙

2017年10月23日 22時45分48秒 |  〃  (選挙)
 2017年10月22日投票の第48回衆議院総選挙は予想通り、自民党の圧勝自民・公明で国会の3分の2を維持するという結果に終わった。今回は台風が近づき、前週からずっと雨が続いていた。日曜日も多くの地域で大雨で、それがどう影響するのかと思ったら、前回より若干上がったぐらいで(それでも戦後第2位の低さ)、ほとんど事前予測に変化がなかった。

 離島の票が台風の影響で運べずに、開票ができない地域が多かったのも特徴。愛媛県第1区は松山市の大部分だけど、当日には全く開票できなかった。それでも当日夜に「当選」が出ていた。出口調査等で圧倒的な差が付いていたのだろう。台風による避難勧告なども出ているような状況で、投開票にも防災にも大きな問題が生じずに終わった(死者も出ていて各地にかなり被害はあったが。)徹夜で対応にあたった各自治体職員の苦労はとても大変だっただろうと思う。ご苦労様でした。

 希望の党の苦戦立憲民主党の躍進、それに続いて、共産党や日本維新の会の苦戦など、諸問題があるがそれらは次回以後に考えたい。まずは自民党の圧勝という問題。連立与党の公明党は、小選挙区で一つ敗れ、比例代表でも5議席減らした。比例代表は今回から4つ減ったけど、その分公明党も大きく影響を受けた。だから、今回「与党圧勝」感があるのは、ひとえに自民党が大勝したということに尽きる。僕なんかには理解できないんだけど、それが日本の現実なのである。

 朝日新聞が10月14日(土)付でで各党の議席予測を報じている。それは13日までの調査ということになる。それで見ると、自民党はほぼ予測通りになっている。選挙区は208~217~227、比例区は59~69~76である。(中央値が一番可能性が高い議席数。)実際は選挙区で218、比例区で66。比例は東海ブロックで立憲民主党の名簿登載者がいなくて自民に回った分を含んでいるので、実際は予測よりも減っていた。それでもほぼ調査予測通りの結果になっている。

 公明党は選挙区が6~~9、比例区が18~21~26の予測で、中央値がピッタリである。つまり公明党が固める票はすでに固まっていて、その後の運動や他党の動向では上昇も下降もしないということなんだろう。与党系で選挙区は226、比例区は87、合計で313議席。実は2014年の選挙では、自民の選挙区当選者は223議席だった。(実際はその時に次世代の党や民主党で当選した人が自民に入党したから、実質はもっと多い。)今回は218なんだから、選挙区では減らしているのだ。

 一方、比例区では2012年の政権回復時には、比例区では57議席しか取ってなかった。(その時は「日本維新の会」が比例で40議席、「みんなの党」が14議席、両党計54議席とほぼ自民と同じぐらい取っていたのである。)2014年には、比例区で68議席、2017年が66議席。定数減を考えると、これは党勢に衰えが見られないというべきだと思う。

 2012年の時点では、「民主党でも自民党でもない」勢力に一定の支持があった。その後、「みんなの党」も「日本維新の会」も解体・再編され、維新が大阪中心に一定の力を持つが、他の人々は自民党か民主党(民進党)に吸収分解されていった。そして、自公政権は政権復帰後5年も経つけど、まだ支持が高い。自分の都合で解散できるんだから、有利は事前に判っている。立憲民主党あるいは民進党系無所属にかなり小選挙区を奪われながらも、なお比例区で高い支持を得ている。北海道を除けば、選挙区で落選した議員もほとんどが比例区で復活当選している。

 それは、経済状況をよいと見ての「現状維持願望」、北朝鮮情勢に対応した「強い政権願望」じゃないかと思う。それが正しい認識とは思えないけど、そして安倍首相自身には「飽き」や「不信感」を感じつつも、それでも「政権を任せられるのは自民党だけ」と考える層がかなり広範にいるということだろう。もう一つは「郷里の政治家意識」である。全国民の代表なんだから、地元への利益誘導を言うのはおかしいんだけど、地方では事実上「郷里に一番尽くした」と宣伝している。

 そこでポッと出の「希望の党」候補者が落下傘で来る。全然浸透しないのは当然だろう。相手は親どころか祖父以前からその地域の名門政治家だったりする。政治家本人はもう小さいころから東京に住んで、東京の学校しか知らない。それなのに「父祖の地の選挙区」で出て、安定して当選する。これでは祖先伝来の「封土」を与えられている「封建制度」の領主ではないか。

 今回小池都知事が「三都物語」などと言って、東京、愛知、大阪の三知事会合を開いた。愛知県の大村知事の対応はその後揺れたみたいだけど。それでも東京から神奈川、静岡、愛知では希望の党がそこそこ当選している。一方、日本地図を見て気が付くのは、日本海側は圧倒的な自民独占県だという現実である。青森から、秋田、山形、(新潟を除き)、富山、石川、福井、京都の日本海側の京都5区、鳥取、島根、山口、福岡に至るまで小選挙区はすべて自民党が勝利している。

 北海道と新潟県だけが野党系優勢の結果が出ている。どちらも今までの長い経緯と地域性があると思うが、野党協力の積み上げがあるということが大きい。どっちも昔から知事選や参院選などで革新系が強かった。労働組合や農民組合などの歴史もある地域である。どこでもすぐできるというもんじゃないと思うんだけど、自民党政権と対峙することを考えている場合、こういう地域性を本格的に考えるべきだ。それ以上の具体的なアイディアはないけれど。
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映画「あゝ、荒野」はすごい

2017年10月22日 18時34分47秒 | 映画 (新作日本映画)
 寺山修司の長編小説を菅田将暉ヤン・イクチュン主演で撮った岸善幸監督作品「あゝ、荒野」。前後篇合わせると5時間もする長い映画だけど、ものすごい熱気と迫力に心打たれる映画だった。時代を60年代から21世紀に動かして、大震災から10年、東京五輪から1年という2021年に設定した。(後篇は翌年の2022年。)今以上に閉塞した「近未来」の社会で、もがく人々を描き出す。ネット配信中心の公開で、映画館の大画面で見られる機会は限られているようなので、要注意。
 
(淀川長治風に)
 「あゝ、荒野」如何でしたか? 凄かったですねえ。痛かったですねえ。でも、ホントはこの映画、怖い、怖い、怖い映画なんですねえ。2021年、日本にもテロが起こってるんですねえ。自殺する人も多いんですねえ。そんな時、新宿で知り合った恵まれない二人が、ボクサーを目指します。トレーニングを積んで、ついにプロボクサーになります。それで勝って、勝って、チャンピオンを目指すっていうのが、今までのボクシング映画。でも、この映画は違うんですねえ。(淀川風終わり)

 この映画のベースは、ボクシング映画。ちょっと細身の菅田将暉も半年に及ぶ肉体改造トレーニングで、どんどんボクサーみたいになっていく。韓国の映画監督、俳優のヤン・イクチュンも、内気で吃音の理髪師という難役を見事にこなしている。この二人のボクシングシーンは数あるボクシング映画の中でも出色の激しさだ。だが、ボクシングというスポーツを見ているというよりも、ほとんど生き方のぶつかり合いであるような設定が心に突き刺さる。

 ところは新宿。ラブホテルはそのまま介護施設になっている。そんな片隅にぼろい「海洋(オーシャン)拳闘クラブ」が時代に取り残されたように立っている。元ボクサーのユースケ・サンタマリアが選手を探していると、そこに沢村新次(菅田)と仁木健二(ヤン)が現れる。新次は父が自殺し、母に捨てられ、振り込め詐欺に関わり仲間うちの裏切りで捕まり、少年院を出てきたばかり。裏切って友人を障がい者にした裕二(山田裕貴)に復讐をしたいが、今はボクサーになった裕二にかなわない。健二は吃音と対人恐怖で人と交われないまま生きてきた。韓国人の母が死ぬと、日本人の父に連れて来られて日本に住むが、元自衛官の父の暴力に耐えかねていた。

 という「超訳あり人生」の二人が、プロボクサー「新宿新次」と「バリカン健二」となって、どのように生きていくか。後篇ではついに「宿敵」の裕二と新次戦が組まれる。しかし、新次が兄貴と慕うバリカンは、自分を見つめなおすために、あえて他のジムに移籍し、新宿新次との対戦を望むのだった。という壮絶なボクシング試合が後篇に出てくる。これはどうやって撮ったんだというほどの迫力で、5日間続けて撮影されたという。何台ものカメラでドキュメント風に撮影され、痛みが見るものに伝わる。

 そういうボクシング場面の中に、新次をめぐる人々が描かれる。また、「自殺防止委員会」を名乗る活動を続ける人々が描かれる。バリカン健二の父は、かつて自衛隊の海外派遣時に暴力をふるい多くの人々を自殺に追い込んだと非難されていた。その一人が新次の父だった。今は病気を持って、自殺を願っている。そういう人々を救おうとする「自殺防止委員会」の活動は、ついにある日の一大イベントに至る。その頃に日本では、「社会奉仕プログラム法」ができていて、多額の奨学金に苦しむ人が自衛隊や介護施設で働くと減額される仕組みが出来ていた。「経済的徴兵制」と呼ぶ反対運動が盛んに行われている。後篇ではついに政府が「社会奉仕」を志願から義務にしようとしている。

 新次が新宿で知り合った曽根良子木下あかりの大熱演)は、被災者である。10年前の大津波で家を失い、その後「仮設」で暮らしてきたが足の悪い母を置き去りにして新宿に出てきた。体を売ったりして最底辺で生き抜いてきて、新次と知り合った。新次は彼女を大切にしながらも、時にはボクシングのためにおざなりの対応を取る。たまにはどこかへ行きたいと訴え、バリカンを含め三人で海へ行くシーン。津波で唯一残った小さな赤い靴を投げ捨てるが、波に揺られて戻ってくる。

 この映画の迫力はどこから来るのだろうか。寺山修司の原作は読んでないけど、このような複雑な人間関係を描くのではなく、もっと詩的な小説でバリカンが主人公なんだという。それを21世紀に移したことで、「仲間殺し」の社会というテーマがくっきり立ち上がってきた。永山則夫の犯罪が「仲間殺し」だったように、この映画に出てくる人々はみな連帯するのではなく、仲間どうしで傷つけあって生きている。その息苦しさ、苦しさが見ているものにも伝染するかのごとき、つらい映画である。だけど、それでも肉体で何ごとかを表現しようとした新宿新次とバリカン健二の苦闘を通してしか、僕らの未来は見えてこない。そういう力強い肉体のメッセージを発しているのがこの映画だと思う。

 ラストの新次とバリカンの長い長い闘いは、まさに生きる苦しさが伝わってくる。映画内で彼らを見ている人々も、皆泣いている。実際に撮影していたスタッフも、泣いて見ていた。それほどの苦しい映画だし、見ているこちらも辛くて、怖くて、見続けるのが大変だ。まあ、ホントに打ち合っているわけではないわけだが、これが映像の表現力だろう。岸善幸監督(1964~)はテレビマンユニオンでドキュメンタリーを作っていた人で、劇映画は昨年の「二重生活」がデビュー作。原作に寄りかかっている感じで、僕は途中でどうもを思い始めたのでここでは書かなかった。(門脇麦はなかなか良かったけど。)今回は良かったと思う。まあ、ネット配信を考えたか、クローズアップの多い手法に少し違和感もあるけど、逆に心に訴える迫力が増しているかもしれない。
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野党の最大会派は、立憲民主党!

2017年10月21日 21時25分24秒 |  〃  (選挙)
 22日に迫った衆議院選挙の結果予測がいろいろ行われている。それらによれば、野党側で言えば希望の党が失速して現有議席を割り込むかもしれない。それに対して立憲民主党は優勢の勢いが続いているという。今のところ、希望ではなく立憲民主が野党第一党になるかもしれないという予測をする調査まで出てきた。

 まあ、それはふたを開けてみないと判らない問題だ。希望の党が自民党と競っているところも多いんだから、希望の党が多くなるという方がありそうな気もする。だけど、だんだんはっきりしてきたことがある。それは民進党から無所属で選挙に臨んでいる人は、選挙後には立憲民主党と行動を共にする人が多そうだということである。無所属との共同会派になれば、立憲民主党(+無所属)が野党の最大会派になる可能性は、ほぼ確実なんじゃないだろうか。だから、僕はちょっと前に「小池氏は今後も都知事兼第一野党の党首になる」と書いた部分を取り消したい。

 会派というのは、議員が議員活動を行うために議会に届け出るもので、政党所属とは別に組んでも構わない。例えば今の参議院では、「自由民主党・こころ」「民進党・新緑風会」「希望の会(自由・社民)」などの会派が存在する。「無所属クラブ」という会派もある。(公明党、日本共産党、日本維新の会などは、普通に自分の党の所属議員だけで構成しているが。)

 どうしてそうなるかは、一つは自由党と社民党のように一党では議員が少ない党が共同すれば6人になって、質問時間などを確保しやすい。(「希望の党」結成以前に、参議院会派「希望の会」があったわけ。)「自由民主党・こころ」というのは、「日本のこころ」が自民党と一緒になって作っている会派。「日本のこころ」というのは、旧「日本維新の会」が分裂して「次世代の党」ができ、「日本のこころを大切にする党」と名を変え、さらに今年になって「日本のこころ」になったもの。代表だった中山恭子が「希望の党」の立ち上げに参加し、今は中野正志一人になっている。

 いま党首討論なんかで、この中野という人が出てきて自民党支持ばっかり言ってる。同じ会派を組んでいるんだから、当然だ。一応政党として候補を出しているとはいえ、そういう人が出てきていいのかと思う。もう自民党になっちゃえばと思うと、これが法律上できない。中野氏は2013年の参院選で、日本維新の会から比例で当選した。比例当選議員は、その選挙で比例区に出ていた別の党には、移りたくても移れない。(昔、新進党から比例で当選したのに、選挙が終わったら離党して自民に行っちゃった人がいて、こういう規則ができた。高市早苗氏はその一人。)

 そういう話はともかく、議員活動はこの「会派」が大事なのである。会派所属議員数の多少で、いろいろな問題が決まってくる。立憲民主党会派が野党最大会派になれば、慣例により衆議院の副議長を出すことになるだろう。党首討論でも、第一には立憲民主党の枝野代表が安倍首相と論戦を交わすことになる。(他の会派にも時間の割り当ては行われるが。)

 公明党の山口代表は、憲法改正などの重大問題は、少なくとも野党第一党の納得が得られることが必要ではないかと言っている。議員数だけで押し切って改憲を発議しても、国民投票で否決されれば内閣総辞職にもなりかねない。そういうことを考え併せれば、立憲民主党の躍進によって、安倍首相による無理やり改憲路線には、ごくわずかだけども「最低限の歯止め」ラインが掛けられる可能性が出てきたと言っていいのではないだろうか。

 「立憲民主党はあなただ」という枝野氏は言う。今回の突然の解散、民進党解体という中で、ほんのわずかではあるが確かに「われわれが成し遂げた」ものがあったのではないだろうか。もちろん改憲策動はもっと激しくなるだろうし、諸問題の混迷が続くのだろうけど。まあ、それもこれも、明日の選挙に大雨の中どれだけの人が行くかにかかっている。期日前投票はしてない人が多いんだから。
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5代目桂三木助真打昇進・襲名披露公演を聴く

2017年10月18日 22時25分12秒 | アート(演劇・落語等)
 東京は冷たい雨が続いていたが、ようやく晴れ渡った18日、浅草に落語を聴きに行った。落語協会の秋の真打昇進披露公演が先月下旬から始まっている。今回は5代目桂三木助柳亭こみち2代目古今亭志ん五の三人が昇進した。今日の浅草演芸ホール5代目桂三木助がトリを取る。
  
 今日しか時間が取れなかったんだけど、もともと5代目桂三木助を聴きたかった。実は三木助を一度も聞いたことがない。今まで桂三木男として勉強会などをよく開いていていたけど、寄席でもホールでも聴いたことがなかった。そして、「昭和の名人」3代目はもちろん、立教大を出てテレビでも活躍しながら、2001年に自死した4代目も一度も聴いてない。その頃は落語にはほとんど出かけていなかったのである。5代目は3代目の孫で、4代目の甥にあたる。

 今回はお勉強というわけでもないんだけど、買ったまま読んでなかった「あんつる」(安藤鶴夫)の「三木助歳時記」(上下、河出文庫)をこの機会にと思って読んでいった。作者の分身である「こんかめ」(近藤亀雄)なる人物が出てくるのは他の作品と同じだが、冒頭から相当変な本だと思う。「あんつる」の遺作で、読売に連載されもう少しのところで終わってしまった。

 桂三木助はもともと上方の名跡で、3代目が東京から逃げるように関西に行って、2代目に師事したことがある。その縁で戦後になって、3代目襲名の話が来る。その時は落語芸術協会で春風亭柳橋の弟子だった。その後、晩年になって芸協を脱退して、落語協会に移った。昭和の名人として名高い「黒門町の師匠」8代目桂文楽に私淑して、文楽の弟子扱いで特例のように移籍した。

 若いころは博打に熱を上げ、ヤクザっぽいところもあったとある。戦時中は落語を辞め踊りの師匠をやっていたこともある。女出入りもいろいろありながら、中年になるまで所帯を持つこともなかった。そんな三木助(当時は橘ノ圓)が踊りの若い女弟子に一世一代の恋をする。それが仲子夫人で、26も離れていながら50過ぎて3人の子が生まれた。というように小説に書かれている。その男の子が4代目となり、小説に出てくる長女の子どもが今回昇進した5代目である。

 そんなウンチク話をネタに、先代は、先々代は…などと語るのが、歌舞伎などの日本の伝統芸能だ。落語はもう少し外部に開かれているけれど、それでも師匠と弟子を通じて芸がつながっていく。落語家の芸名は襲名されていくから、そんな内輪話も無視はできない。そういうことばかり通っぽく語るのも嫌味だが、全然関心がないというのも「日本社会理解」のためにはどうなんだと思う。

 という風に、5代目三木助の昇進・襲名も見どころだけど、今回は他のメンバーが凄い。上野鈴本、新宿末廣と夜の披露だけど、3つ目の浅草、池袋演芸場、国立演芸場になると昼公演になる。13時から春風亭一之輔に続いて、三遊亭圓丈ロケット団柳家三三。その後も落語協会会長の柳亭市馬、今一番面白いかと思う柳家権太楼林家木久扇師匠などの他にチラシになかった林家たい平まで。まあ時間が短いから、どこかで聴いたネタが多いんだけど、十分に満腹。

 木久扇師匠はもと三代目に弟子入りした過去がある。すぐに亡くなり、林家正蔵に移るが、元の芸名木久蔵の「木」は三木助、「蔵」が正蔵からもらったという話だった。もう漫談だけなんだけど、選挙で談志を応援に行った時の話がおかしい。談志や田中角栄の声帯模写がうまくて笑える。笑点でおなじみのたい平も漫談で終わったけど、これがおかしい。最近、浅草演芸ホールのプログラムの表紙絵をたい平が描いている。三笑亭笑三が高齢になり、バトンタッチ。たい平はムサビ(武蔵野美大)卒の本格派である。これを見るのも今後の楽しみだろう。今回は米沢の笹野一刀彫というもの。

 ところで、三木助の落語はとても元気よく、廃園間近の遊園地に武士の幽霊が出るという噺をやった。ちょっと早口かなと思うけど、面白かった。先の「三木助歳時記」には三木助なりの「芝浜」を作りあげていく様子が興味深く描かれている。やがて何十年かたって5代目なりの「芝浜」が聴けるときが来るのか、そしてその時にもまだ僕が落語を聴きに行けるのか。しかし、まだそれは先の話。今回の昇進・襲名披露は、今後浅草で20日まで。続いて21日から30日まで、池袋演芸場。11月1日から10日まで、国立演芸場で続くので、本当は他の人も見てみたい感じ。
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犬好き必見「僕のワンダフル・ライフ」

2017年10月17日 18時18分39秒 |  〃  (新作外国映画)
 アメリカ映画「僕のワンダフル・ライフ」は、まあ大したこともないんだけど、犬好きには必見の泣ける映画。原作があるらしいが、子どもの時に飼っていた犬が何回か転生しながらも、昔の主人を求め続け遂に再会するという映画。そんなバカなと思いつつも、これは愛犬が死んでしまった経験を持つ人の究極の夢だ。僕だって、どこかで生まれ変わった昔の犬に会わないかなあなんて思うことがある。どこの国にも同じことを考える人がいるんだんなあ。

 シカゴあたり、ゴールデン・レトリバーの子犬がイーサンとその母に拾われる。セールスマンをしている父の許しを得られて、イーサンは犬を「ベイリー」と名付けて飼い始める。一緒に散歩させて、一緒に寝る。家にいる猫をからかい、つぶれたボールを投げてもらっては取りに行く「芸」も覚える。この種のボール(みたいなもの)を持ってくるって、犬は好きだよねえ。やがて、イーサンは大きくなり、高校のフットボールチームで活躍し、ベイリーの「心配り」(?)もあって、ガールフレンドのハンナもできる。

 まあ定番的展開が続くんだけど、犬という生き物の知恵、人間への親しみが敬意を持って描かれていく。だんだん悲しいことが多くなり、ベイリーも老いてゆく。人間の人生に比べて、犬の「犬生」は短いから、子どもの時の子犬も大人になるまでに弱っていく。それは他のペットでも同じだろうが、動物を飼う時の悲しい現実だ。だけど、「転生」と言うことがあると考えさえすれば、人間が生きてる間に犬は何度も転生できる。(よく考えれば、ベイリーだって、前の「犬生」があったことになるから、なんでイーサンの前の主人を覚えてないんだということになるけど…。)

 死んだベイリーは、次に警察犬のエリーとなり、被害者と主人を救って「殉職」する。次にティノとなって、主人の孤独な人生を終わらせる。次は散歩もさせてはもらえない虐待を受け、逃げ出して歩き回るうちに…懐かしい匂いを思い出し、イーサンにめぐりあう。って、もうご都合主義そのもののストーリイだけど、これが泣かせるわけだ。「犬好きの、犬好きによる、犬好きのための映画」。

 ここで面白いのは、転生するときに犬種と性別は問わないこと。オスのベイリーはメスにもなるし、シェパードやコーギーにもなる。人間の方も配慮があり、白人に続いて、ヒスパニック、アフリカ系と来て、貧しい白人に飼われて逃げ出す。そしてシカゴ周辺の様々な風景も見せてくれる。当然そういう配慮も行き届いた「ウェルメイド映画」だけど、犬が好きな人は絶対見るべきで、犬に関心がない人は見る意味がない。吹き替え版もあるので、子どもと一緒に見に行ける。

 監督はスウェーデン出身のラッセ・ハルストレム。「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」で注目され、「HACHI 約束の犬」も作ってるから、これを愛犬三部作と呼ぶ人もいるけど、まあ本人が犬好きなのは間違いないだろう。アメリカに渡って、「ギルバート・グレイプ」や「サイダーハウス・ルール」あたりを作ってた頃が絶頂期か。「ショコラ」「シッピング・ニュース」なんかも悪くはなかったけど、だんだん普通っぽくなってしまった。でも前作の「マダム・マロニーと魔法のスパイス」も悪くなかった。手際が良く人物(とこの映画では犬)の映像を処理していく手腕は確かだ。
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「もり・かけ問題」の語り方-総選挙の前に②

2017年10月16日 22時56分57秒 |  〃  (選挙)
 今回の総選挙で、「野党が分裂したから与党が好調」というようなことを言う人がいる。確かに小選挙区では、そうなりそうな選挙区もある程度見られると思う。だが、野党の態勢が問題なんだったら、比例区では野党が圧倒するはずだ。調査報道の結果を見る限り、むしろ比例区の自民党は前回から増えそうなぐらいの勢いを伝えられる。今までずっと「安倍政権の支持率」が下がる時があっても、比例区の投票先が自民党という人は一貫して高率を保っていた。

 そんな中、今年になって「森友学園問題」「加計学園問題」が大きく報道された。安倍首相は党首討論では、これらの問題を問われて「今後も丁寧に説明していく」と(いつものように)言ってたけど、やっぱり演説では全然触れてない。(「丁寧に説明する」というのは、「もうこれでオシマイ」と言う意味なんだろう。)これらの問題は、構図が今までの政治スキャンダルと異なって、案外わかりにくい。だから、この問題をどう考えればいいのか迷う人も多いんじゃないだろうか。

 どっちの問題も前に書いているけど、ここで改めて書いておきたい。まず「森友学園問題」だけど、当時の籠池理事長と妻は詐欺容疑で逮捕・起訴され勾留中である。だから「詐欺を働くような人物にだまされた」という説明をしている。それは全くおかしい。詐欺容疑はまだ裁判も始まってないから、「推定無罪」に反するような言動を行政権の長がしていいのかという指摘もある。それもまあそうなんだけど、それよりも「詐欺」と言うのは、大阪府に対する補助金の不正取得を指している。

 それはそれで大問題だけど、国政には関係ない。問題は「国有地が不当に安く払い下げられた」ことにある。まあ、正確には「払下げ」というよりも、「多額のゴミ処理費用を差し引いてから、10年間の分割払い」だった。そのゴミ処理費用の算定方法が判らない。なんで非常に安くなったかが判らない。書類はもう廃棄された。関係者皆が判らない、忘れたというような話。

 首相夫人が「名誉校長」を務め、財務省近畿財務局との交渉には、「首相夫人付き」の国家官僚からファックスが送られていた。どう考えても、上からの影響力が働いたか、あるいは首相夫人の名に恐れ入った財務官僚が不当に廉売したか。そんな感じがしてならないわけだけど、書類は全然ないというし、首相夫人などは一度も公の場所で説明をしていない。

 森友学園は「教育勅語」を幼稚園児に暗唱させるなど復古的な「教育」で知られ、今度は「神道に基づく小学校」なるものを設立しようとしていた。そういう極右的思想に賛同したのか、首相夫人が講演に訪れ「名誉校長」を引き受けた。どうやら安倍首相に近い人物には、国家として配慮をしたのではないか。これが最大の問題ではないか。そして、僕の考えによれば「書類は廃棄した」は全くのウソと思われる。なぜなら、10年間の分割払いが終わってなかった以上、この国有地払い下げ問題は現在進行中の案件だったからだ。今だって残っている可能性は大ではないか。

 「加計学園問題」は首相によれば、「誰も私の指示だと言った人はいない」。そして加戸前愛媛県知事は「ゆがんだ教育行政が今回ただされた。それがこの問題の本質」と言っていると紹介する。大体そういう構図になっている。しかし、「安倍首相が指示したから、大問題だ」などと誰が言ってるのか自分で勝手に問題設定をして、それは違うと反論してみせる。安倍首相のいつもの手口だ。

 文科省内の文書に「総理のご意向」とあった。それは「怪文書」だと官房長官が決めつけたけど、実際に存在した。そんな文書はないと言うから、いや見たと言った前川前次官は個人攻撃を掛けられた。そして実際、そういう文書は存在した。文科省内では「総理の意向」だと思われていた。それは何故か。しかし、安倍首相は自分は指示していないという。実際には「総理の指示があったのか」、それとも「総理の指示はないけど、周りの官僚が総理の名を使って仕事をしているのか」。

 安倍首相は前者はないというから、それでは後者になる。国家にとっては、そっちの方がまずいのではないか。しかし、安倍首相はその問題を語らない。当初、文科省内で文書がないと言った問題も取り上げない。加戸知事は愛媛県は15年も特区に応募してもことごとくはねられてきた。それが今回やっと認められたという。そして安倍首相も、安倍内閣でも却下したことがある、今回は「構造改革特区」ではなく、「国家戦略特区」として取り組んだから出来た、審査は公平に行われたと強調する。

 加戸前知事は2010年に退任しているから、第二次安倍内閣以後の問題は本来知る立場にない。問題は「国家戦略特区」として起こったのだから、そもそもこの問題を語る資格が不十分だろう。この問題は二つの段階に分かれている。そして多くの人は後段しか語らない。だけど、一番の問題は、なんで今治市に獣医学科大学を作るという問題が、「国家戦略特区」の課題に昇格したのかだ。

 文科省は大学の設置、学生数の定員を相当シビアに統制してきた。大学には高額の補助金が入っているし、特殊な資格を付与する学部がそうそう自由に作っていはずがない。例えば医学部を各地に自由に作っていいとは思えない。それでは教育水準が下がり医師の資質が低下する可能性もあるし、医師が多くなりすぎても困る。医科大学を出るには6年もかかるのに、国家試験に合格しない卒業生を多く出すわけにもいかない。それがいいか悪いかは別にして、文科省は自分たちの正当な仕事だと思って、獣医学科を増やさないという政策を維持してきたわけだろう。

 それはおかしいという考えもあるだろうが、それはこの問題の本質ではない。「国家戦略特区」という仕組み自体にも問題があると思う。地方が提案する構造改革特区はあってもいいが、国家戦略としてある地域だけ特別なルールを適用するというのはどうなんだろう。首相は最高責任者なんだから、国家戦略特区にする問題があるならば、全国的に共通のルール改正を行うべきではないのか。

 その議論はともかく、今治市=加計学園がずっとはねられてきた(その良し悪しは別)事案が、どうして「国家戦略特区」になって認められたのか。その経緯こそが真の問題だと思う。それにしても、森友、加計どちらも、今までの政界スキャンダルなら、政治家側が金を貰って便宜を図るという構図になっていた。もし今回もそうだったらやはり辞任は避けられなかったに違いない。

 だが、今回はそこにお金の流れがない。むしろ政治家に近い事業者が、国から便宜を図ってもらえるという構図になっている。だから、安倍首相は自分は何も指示していない、何も悪いことはないと言える。だが、全国民のために存在する国家官僚が、まるで首相周辺の使用人のように行動する。そしてそれを首相本人が問題だと思わない。自分が指示してないんだから問題ないと言う。でも僕には、首相が本当に指示してないのに、こういう風に首相周辺の人物が利得を得られるというケースの方がずっと大きな問題なんじゃないかと思える。
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トランプ政権に「従属」する安倍政権-総選挙を前に①

2017年10月15日 22時34分13秒 |  〃  (選挙)
 総選挙の結果を予測するとこうなるというのを先に書いたら、その後マスコミ各紙も同じような「自公勝利」という調査結果を報道した。朝日新聞も与党で「300議席超」と報じた。これは大勝利に見えるけれど、前回2014年の選挙では自民が291、公明が35、与党計326なんだから、やっぱり減ることは減るのである。定数自体が10減るけど、それを上回って与党の議席は減るのだ。

 そこを間違えてはいけない。僕ももう今回の選挙そのものを書く意味に疑問を感じて、「リベラルって何だろう」シリーズを書き始めたんだけど、もう少し書くべきことを書いておきたい。

 まず最初は、安倍政権の対米というか、トランプ大統領との関係である。テレビの党首討論で、安倍首相は安保法制について問われて、「集団的自衛権を認めた安保法制を廃止するという野党がいるが、そんなことをしたら民主党政権時代を遥かに超えた対米関係の悪化を招く」と主張した。そして、「トランプ大統領が当選する前に、安保法制をしっかりやっておいて良かった」と述べた。

 録音したわけではないので、細部の表現は少し違うかもしれないけど、おおよそ趣旨としてはそんなことを述べていた。その場では議論にならなかったけど、僕は聞いていて「これは何事だ」と強く思った。トランプ政権だろうがクリントン政権だろうが、そもそも日本の防衛論議にアメリカの政権が関係していいのか。日本は日本として自分の問題を考えることさえできないのか

 多分安倍首相はこう言いたいんだと思う。北朝鮮との緊張がさらに悪化したとして、安保法案による「米艦防護」などが出来なかったとしたら、トランプ大統領はツイッターで「日本は何もしない。そんな同盟国を守る必要あるのか」とか書き込むかもしれない。防衛問題じゃなくても、経済問題での対日批判が強まったかもしれない。トランプ大統領にへつらってると見る人もいるかもしれないけど、別荘に泊って一緒にゴルフして個人的関係を作ったことで、日本の国益が守られているじゃないか。

 まあそういうことなんだろう。それはそれで、よく判る、その首相の努力は大いに評価するっていう人もいるんだろう。だけど、それは「言うべき時にはちゃんと言う」という姿勢があって初めて納得できることだ。イランとの核合意問題に関して、英仏独の首脳はトランプ大統領をきちんと批判している。東アジアの現状でアメリカに直言するべきは、本来日本の首相の役割だろう。でも今の感じでは、トランプ氏が北朝鮮問題に何らかの判断、仮にそれが先制武力攻撃だったとしても、安倍首相は追随していくだけなのではないか。はっきりトランプ大統領に対して主張できるのか。

 トランプ大統領が11月に来日するという。拉致被害者家族の横田夫妻に会う方向で調整しているという。それを安倍首相が勧めたんだと言ってるらしい。それはいいけれど、そうやってトランプ氏に日本政府として提案できるんだったら、なんで「トランプ大統領も広島を訪れて欲しい」とは言わないのか、言えないのか。核戦争さえ起こりかねない危機にあるいま、トランプ大統領に過去の核兵器の惨害を認識してもらわないといけないはずじゃないのか。

 折しも沖縄本島北部で米軍ヘリが墜落した。人的被害はなかったけれど、日本の民有地(牧草地)に墜落した。そこで何やら「放射性物質」が検出されたとか。しかし、米軍基地内でもないのに、墜落現場には日本側は(当初は)近づけない。「日米地位協定」があるのである。僕が再々書いているように、「北朝鮮のミサイルよりオスプレイが危険」なのである。今回はオスプレイではないが、同じような問題。米軍機に限らず、日本の小型機も落ちるし、民間飛行機からも落ちて来る物体がある。それらはたまに宇宙空間を飛んでいくミサイルより、ずっとずっと危険なのだ。

 そんな判り切ったことに対して何もせず、「北朝鮮ミサイルの避難訓練」なんかやってる。ニュースで学校の様子を撮影したりしているが、そんなところでホンネも言えないんだろうが、教師も「あっという間に通り過ぎるから、そのまま何もしなくて待ってればいいよ」ぐらい言えばいいだろうに。

 日本の土地に外国軍機が墜落して、日本側が調査もできない。これに怒りを覚えないんだったら、「右翼」とは言えない。(もちろん「左翼)とも言えない。)安倍首相や自民党を「右派」と言うことが多いが、それは本当に正しい位置づけなんだろうか。ただ強いものにくっついていけばいいというだけに見えないこともない。「トランプ大統領に直言できるのか」、本来は日本のリーダーを選ぶ今回の選挙で、最初に問われるべき問題なんじゃないのか。
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新国立劇場「トロイ戦争は起こらない」

2017年10月14日 22時35分45秒 | アート(演劇・落語等)
 新国立劇場も開場20周年。2017~2018の新シーズンのオープニングとして、ジャン・ジロドゥ(1882~1944)の名作「トロイ戦争は起こらない」(1935)を公演している。(22日まで。)栗山民也の演出、二村周作の美術が素晴らしく、とても面白かったけど、同時に結構難しい。題材そのものに縁が薄いこと、フランスの外交官だったジロドゥの意図をどう理解するか、そして現代日本の状況と合わせてどのように解するべきか。こういう三重の問題が目の前に立ちふさがっている。

 僕は20世紀フランス演劇はあまり見てない。サルトルやカミュ、イヨネスコなどは見てても、ジロドゥやアヌイなどは一度も見てない。さらに題材が古代の話と来ては、これはただ見ても判らないだろうと思って、事前に出たばかりのハヤカワ演劇文庫「トロイ戦争は起こらない」を読んでお勉強していった。(ついでに光文社古典新訳文庫にある「オンディーヌ」も読んでしまった。)どっちも日本では50年代後半に「劇団四季」が初演している。今じゃミュージカル劇団だと思ってる人が多いだろうが、浅利慶太がフランス演劇ばかりやってた時代のことである。

 トロイ戦争というのは、紀元前1200年ごろにギリシャがトロイに攻め込んだ戦争。ギリシャ側のホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」などで現代に伝わるが、そのトロイは実在するのか。それをシュリーマンが発掘した。伝説ではギリシャ軍はトロイに大きな木馬に兵を隠して送り込んで制圧したとか、まあどこかで聞いたようなあのトロイ。場所はトルコの西北部、エーゲ海に面した町である。

 だけど、どうもイメージがよくつかめない。シェークスピアやチェーホフなら、舞台や映画で見てるから、筋もそうだけど舞台装置を思い描きやすい。でも今回は戯曲を読んでいても、具体的な舞台をうまく想像しにくい。舞台を見ると中央に丸い石造のテラスがあって、そこから奥へ石の道が続いている。もちろん実際に石のわけがないから、発泡スチロールかなんかだろうけど。舞台装置のミニチュアが置いてあったが、こんな感じ。(ガラスに囲まれていて、撮ってる自分が写るので加工。)

 冒頭で二人の女性が舞台で向かい合う。アンドロマック(アンドロマケ=鈴木杏)が「トロイ戦争は起こらない!」とカッサンドラ(江口のり子)に向かって叫ぶ。アンドロマックはエクトール(ヘクトール=鈴木亮平)の妻で、今しも夫のエクトールが戦争に勝って帰ってくるところ。エクトールはトロイ王家の王子で、カッサンドラはその妹の予言者。しかし、トロイにはギリシャの使節団が向かっている。エクトールの弟パリスが、スパルタ王妃のエレーヌ(ヘレネー=一路真輝)をトロイに連れてきてしまったのである。ギリシャ側はエレーヌの引き渡しを求めてやってくるのである。

 戦争が終わったばかりで、もう戦争を望まないエクトールは何とかエレーヌを平和的に引き渡して、戦争にならないように心を砕く。だが、「美の象徴」のようなエレーヌは、トロイの人々の心を捉えてしまって、二度と返すなの声も高い。王プリアムと王妃エキューブ(ヘカベー=三田和代=虹の女神イリスと二役)はどう対応するのだろうか。ギリシャ神話ではゼウスが白鳥に姿を変えてスパルタ王妃レダと交わり、卵から産まれた絶世の美女ということになっている。

 エレーヌはセリフでも「わたしは卵から産まれたから」と言っている。そういうことは事前に読んで行かないと、判っている人は少ないだろう。西欧の知識人には常識なんだろうけど。そんな人間とも言えない美女を誰がやって、どんなセリフをしゃべるのか。一路真輝のエレーヌは、確かに素晴らしかった。なんだか本当の気持ちがあるような、ないような不思議なセリフを、不思議なまんま客席に届けている。それに対抗するのが、王子の妃アンドロマックで、鈴木杏が希望と絶望が交錯するような存在感を存分に発信している。僕は鈴木杏がとても良かったと思った。

 だけど、まあトロイ戦争は起こったわけである。いや、本当はあったのかなかったのか、伝説だという話もあるようだが、とにかく伝説では起こった。SFでは歴史を完全に改変する小説もあるけど、この戯曲ではどうなって行くのか。エクトールが必死に対話を進めるのに対し、むしろトロイ内部の「銃後」の人々はギリシャの無礼を許すなとあおる。「外交」と「対話」の重要性を訴え続けるエクトールの訴えは、時空を超えて「対話より圧力」と言い続ける現代日本に語り掛けるようだ。

 そして一旦は戦争が回避されるかと思えた瞬間も訪れ、幕が締まりかける。ところが幕は途中で止まってしまい、後のドラマで事態は反転してしまう。この演出は後で見たら原作のト書きに書いてあった。でも読んでるときはほとんど意識しないで読み飛ばしてしまったけど、なるほどこういう効果も出せるのかと感心した。事態は最後の最後でひっくり返る。これは実際の政治状況でも起こり得ることだ。感情に流され、冷静な判断ができなくなることへの批判を感じる。

 この戯曲が書かれた1935年は、ドイツのヒトラー政権が出来て2年後。スペイン内戦の前年にあたる。ちなみに名優として知られるルイ・ジューヴェの演出で行われた。戦争が近づく緊迫感のようなものをジロドゥが感知していたのは間違いない。彼は第一次大戦に従軍し、戦傷を負って生き残った。その戦傷の体験が大きく影を落としている。実際に戦争を経験していたからこその、二度と戦争をしたくない、若者たちにさせたくない。職業である外交官としても、フランスを代表する芸術家としても、戦争を避けることの大切さを心底から表している。

 だけど、トロイは戦争をすれば亡びる側である。そういう国でも内部では強硬派の方が声が大きい。しかも、この事態を招いたのは、パリスがエレーヌを「拉致」したからである。拉致したエレーヌを帰すべきではないのか。ギリシャの方が理屈に合っている。だから、トロイ内部の争いは、今の日本に当てはめるよりも、北朝鮮指導部やイラク戦争直前のフセイン政権にふさわしいような感じもする。そういう風に見ても興味深いのではないか。

 多くの登場人物が出てきて、原作を読んでないと判りにくいのではないかと思う。恐らく当時のフランスでは常識のような話なんだろう。つまり「関ヶ原の闘いは起こらない」とか「吉良邸討ち入りは起こらない」と言ったような。そうして好戦派と厭戦派、圧力派と対話派のドラマを作っていく。そういう戯曲なんだろう。僕はギリシャ神話はよく知らないけど、フランス語戯曲だからHは発音せず「エレーヌ」だけど、そう言えば「トロイのヘレン」というハリウッド映画も昔あった。エクトールとアンドロマックも、ジョルジュ・デ・キリコが何度も描いた「ヘクトールとアンドロマケ」ってこの二人だったのかと思い当たった。
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