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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

深緑野分「戦場のコックたち」を読む

2020年01月30日 22時46分21秒 | 〃 (ミステリー)
 2015年に刊行されて直木賞、本屋大賞の候補にもなった深緑野分戦場のコックたち」(創元推理文庫)を読んだ。2019年8月に文庫化され、単行本が評判になったから買ってみたものの、500ページを越える長さにビックリして放っておいた。創元推理文庫に入っているように、この本は「ミステリー」とされている。2015年の「このミステリーがすごい!」第3位を初め、ミステリーベストテンに選ばれている。

 この本は普通の意味のミステリーとはとても違っている。「戦場における日常の謎」を描くという、今まで誰も書いてない小説である。「日常の謎」ミステリーは、北村薫以後多くの作家により書かれてきた。殺人事件が起こって犯人を捜すという昔風の「探偵小説」と違って、毎日の暮らしの中で起きる「小さな疑問」、それらを心理的な謎も含めて解き明かすというタイプの小説である。

 しかし戦場、特にこの小説で舞台になっている第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、ノルマンディー上陸作戦以後の米軍とナチスドイツとの戦いにおいては、毎日毎日兵士がどんどん死んでいる。飛んでくる銃弾に当たるかどうかは偶然で決まる。それはもちろん「殺人」だが、「犯人」は「敵兵の誰か」であって、追求のしようがない。そんな死がありふれた世界で、「日常の謎」、具体的には「何故かパラシュートを集めている兵士がいるが理由はなんだろう」とか「倉庫から粉末卵600箱が盗まれた事件の犯人と理由は何か」とか、小さな謎が一体どういう意味があるのだろうか。

 著者は初めて読む作家だが、「ふかみどり・のわき」と読む。1983年生まれの日本人女性作家。2010年短編集「オーブランの少女」(創元推理文庫)でデビュー。2019年の「ベルリンは晴れているか」も高く評価され直木賞候補になった。読んでないけど、それも第二次大戦下のヨーロッパが舞台だ。なんで今どきの若い日本人、それも女性が、遠くヨーロッパで起きた戦場の小説を書くんだろうか。もちろん小説は誰がどんな話を書いてもいいけど、読んでみると戦闘経過だけでなく、装備品や糧食なども詳しく調査して違和感なく書かれている。というか、普通に読むときは詳しすぎるだろう。
(深緑野分氏)
 プロローグ、エピローグに挟まれた全5章で構成されている。一つ一つの章は100ページぐらいあって、とにかく細かい。「コックたち」と題名にあるが、確かに戦場で食事を作るけれど、普段はともに銃を持って戦う兵隊である。語り手は南部出身の新兵ティム(ティモシー)で、一番若いから「キッド」と呼ばれている。身分的には「特技兵」というのになって、少し待遇もいいらしい。しかし一般の兵士からは下に見られている。まずはノルマンディーにパラシュートで落下するところから始まるが、あまりに詳しいので困惑してしまう。長くて長くて、ちょっと読み始めたのを後悔するぐらい。

 しかし次第にティムの仲間たちに親しみを覚えてくる。10代で経験も薄いティムがだんだん兵士としても人間としても視野を広げてゆく。特に年長のエドが「ホームズ役」となって謎を解き明かすが、その生い立ちも判ってくるとグンと世界が深みを増して見えてくる。そして、第4章、第5章と驚くような展開があり、ミステリーというより「成長小説」の側面が強くなる。ドイツ軍との死闘はやがて連合軍優位で推移し、ティムも驚くような行動を見せるようになる。

 そして最後の最後になって、読者はやっと著者の企みに気づくことになる。戦争は終わり、生き残ったものは故郷に帰る。感動的なエピローグを読んで、小説というよりも、この戦争に関わった兵士たちの人生を考えることになる。1989年、ベルリンの壁崩壊後のベルリンのマクドナルドで、もう若くはないティムたち4人が再会する。そしてそのとき、ティムたちが戦場で取った行動の意味が初めて判るのである。ティムの人生そのものも含め、この小説に張りめぐらされた伏線がようやく深い感動の中で理解できるのだ。ミステリーだから細かな筋は明かせない。ただ読もうと思った人は途中でめげずにラストまで頑張って欲しい。かつてない深い感動が待っている。

 今でも第二次世界大戦を振り返る意味がどこにあるのか。なんで戦争を知らない若い日本人がアメリカ人兵士の世界を描くのか。それも何故コックたちなのか。それはラスト近くのユダヤ人収容所解放のシーンを読んで、僕には完全に納得できた。それぐらい衝撃的で深く考えさせられる。だからこそラストで判るティムの戦後の生き方に深い感動を覚えた。まあそこまでたどり着くのが大変過ぎたけど。
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伊方原発、恐怖の「全電源喪失」

2020年01月29日 22時43分44秒 |  〃 (原発)
 四国電力伊方原子力発電所(以下、伊方原発)で、25日午後3時45分頃に発電所内が一時停電し「ほぼ全ての電源が一時的に喪失した」。10秒後に非常用のディーゼル発電所が起動したため復旧したとはいえ、これは原発に潜む危険性を改めて示したものだ。「そういうときのための非常用電源が役に立った」などと安全性を過信するような判断をしてはいけない。
(伊方原発)
 伊方原発は四国電力唯一の原発で、愛媛県伊方町、四国の西北部、九州に向かって突き出た佐田岬半島の付け根あたりにある。3号機まであるが、1号機は2016年に廃炉が決定され運転を中止、燃料も搬出済み。2号機も2018年に廃炉が決定している。1994年に運転を開始した3号機のみが後述する裁判を経て、2016年8月に再稼働した。ただし、2019年12月26日から定期点検中だったため、トラブル発生時に稼働していた原発はなかった。(もちろん放射性廃棄物を冷却し続ける必要がある。)

 伊方原発に関しては、2020年1月17日に広島高裁運転差し止めの仮処分を決定した。伊方原発に関しては1973年以来何度も差し止め訴訟が続いてきた。ことごとく退けられてきたが、福島第一原発事故以後の2011年12月に松山地裁に大規模な訴訟が提起された。その訴訟では2017年7月に松山地裁、2018年11月に高松高裁が再稼働を容認する決定を下し、伊方原発が再稼働できた。

 一方、2016年3月に、今度は別の差し止め訴訟が広島地裁に提訴された。伊方原発の場所は本州や九州にも近く、四国外にも周辺住民がいる。その裁判の原告のうち山口県民3人は、本体訴訟とは別に2017年3月に山口地裁岩国支部に差し止めの仮処分を申し立てた。これに対し、2017年3月に山口地裁岩国支部は申し立てを却下。住民側が即時抗告し、その抗告審で2020年1月17日に申し立てを認める仮処分が出たのである。
(仮処分決定後の裁判所前)
 一方で本体訴訟は2017年3月に広島地裁が退ける決定を出した。それに対し、2017年広島高裁阿蘇山大規模噴火時の危険性を理由に、差し止めを認める決定を出した。この決定に対し、四国電力が異議を申し立て、2018年9月に広島高裁は一転して再稼働を容認する決定を出した。伊方原発に関しては、広島、松山、大分、山口の4県で訴訟が起こされている。原告側が「伊方原発運転阻止瀬戸内包囲網」と呼ぶ状況である。その中で、2回も差し止めを認める決定が出たことは重大だ。

 伊方原発では2016年に1次冷却水系統のポンプのトラブルなど、様々な事故が起きてきた。さらに、設置場所からして阿蘇山の噴火活断層の評価など大きな問題がつきまとう。何しろ下の地図で判るように、日本を横断する「中央構造線」のほぼ真上に立地しているのである。四国電力は異議申し立てを行ったが、仮処分決定は直ちに効力を持つため、定期検査が終了しても再稼働はできない。しかし、その定期点検も今回の「全電源喪失」事故をきっかけに中断された。
(中央構造線と伊方原発)
 裁判もタダじゃない。1号機、2号機も廃炉が決まった原発で、無理して3号機だけ稼働を続ける意味がコスト的に考えても四国電力にあるのだろうか。他の原発だって事情は同じだけど、「全電源喪失事故」なんて聞いたことがない。立地上の問題も解決しようがないから、3号機も廃炉にするしかない。
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悲しみと再生、感動的な「風の電話」

2020年01月27日 22時24分29秒 | 映画 (新作日本映画)
 諏訪敦彦監督、モトーラ世理奈主演の「風の電話」という映画が公開された。知らない人が多いと思う。西島秀俊三浦友和西田敏行と助演の顔ぶれはすごいけれど、監督や主演女優では大ヒットは難しいだろう。しかし、この映画は東日本大震災をモチーフにして作られた数多い映画の中でも、最重要作品の一本として語り継がれるはずだ。特にラストの「風の電話」の長回しシーンは映画史の伝説になるだろう。アートにこのような力があるのだと示す感動的な名場面だと思う。

 「ハル」(モトーラ世理奈)と名乗る高校生は、岩手県大槌町を襲った大津波で父母弟を失った。その後は広島の呉に住む伯母と暮らしてきたが、その伯母も倒れてしまう。生きる希望を失ったハルはあてどなく道をさまよい、廃墟のような風景に泣き叫ぶ。一気に大槌にワープしちゃったのかと思ったら、これは呉を襲った西日本豪雨の被災地だった。通りかかった公平(三浦友和)に救われ、介抱される。公平の妹は自殺し、母は認知症だがハルに原爆の話を続ける。

 家に帰るように言われたハルだが、その後はヒッチハイクして故郷を目指して進む。様々な出会いがあるが、いい人ばかりではない。結局、森尾(西島秀俊)の車に拾われ、埼玉を目指すことになる。埼玉で探す友人のクルド人は今は入管に収容されて会えない。森尾は元は福島第一原発の作業員で、しばらく車内で寝ていた彼は久しぶりで福島に帰ることにした。彼も津波で妻子を失いながら、原発事故に複雑な思いを抱き続けていた。福島の家でハルは今は亡き家族を幻視する。森尾の父(西田敏行)は飲みながら原発事故で避難した子どもたちが差別されたと怒る。
(西島秀俊とモトーラ世理奈)
 諏訪敦彦監督(1960~)は自主映画を作りながら、「2/デュオ」(1997)で長編商業映画にデビューした。以来大学で教えたり、フランスに留学したりして寡作ながら、何本かの興味深い映画を作ってきた。1999年の2作目「M/OTHER」はカンヌ映画祭国際批評家連盟賞を受けた。僕が見ているのはその作品だけだが、非常に力強い映画だった。「H story」は「ヒロシマ・モナム-ル」のリメイク、「不完全なふたり」はロカルノ映画祭審査員賞、久しぶりの「ライオンは今夜死ぬ」(2017)はジャン=ピエール・レオ主演。フランスとの関わりが強く、海外の評価が高い監督だ。

 諏訪監督の手法は独特の即興的演出が特徴で、この映画でもその手法が存分に発揮されている。役者には状況設定だけを指示して、具体的なセリフは本人に任せるような方法である。どこまでがそうかは判らないが、明らかに劇映画とドキュメンタリー映画の狭間にあるというか、双方の魅力を共に取り込んだような映画になっている。巧みな物語を楽しむ映画なら、練り込まれたセリフを俳優がマスターする必要がある。しかし、俳優の自然な感情発露が求められる映画では、このような即興のセリフも効果的だ。この映画は極限的な悲劇を背負う少女を全身で演じる必要がある。

 ハルは森尾に連れられ、大槌に戻る。そして歩き回って、自宅跡を見る。その後、「風の電話」を訪ねる少年に出会い、一緒に向かうことになる。そう言えば聞いたことがあった。大槌町浪板に実在する「天国に繋がる電話ボックス」である。大槌町在住のガーデンデザイナー・佐々木格さんが自宅の庭に設置したものだという。この電話はどこにも繋がっていない。訪れる者は亡き人に向けて思いの丈を語る。カメラは電話ボックス越しにハルを映し出し、彼女の語りを見つめ続ける。長いシーンをどこでも切らない。このセリフは作られたものではなく、思いを絞り出している。ここだけでも見る価値がある。
(実在の「風の電話」)
 この映画が素晴らしいのは、安易な「頑張ろう」的な感動ではなく、深い絶望と怒りを内包していること。悲しみの喪失感に打ちひしがれる少女が、いかに再生できるのだろうか。他の被災地や原爆、クルド人、原発災害などをドキュメント的に取り入れつつ、再生への静かな歩みを見つめることで、映画は狭義の「震災映画」を越え、多くの生きがたさを抱える人々の心に届く射程を獲得した。

 モトーラ世理奈(1998~)は「装苑」モデルから2018年に「少女邂逅」で映画デビュー。今後も続々と出演作が公開される。ほとんど暗い画面が続き、無愛想で無口な少女を映し出されるが、ラスト大槌に至って奇跡のように陽が差してきてハルが思いをあふれさせる。多くの若い人に届いて欲しい映画だ。イオンが出資していて、全国のイオンシネマ系などで上映されている。
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伊吹山と彦根城の旅ー日本の山⑬

2020年01月26日 20時58分10秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 「日本の山」シリーズも2年目に入る。全然反響がないけれど、自分では書いていて一番楽しいから今後も続く。そろそろ日光の山と思ってたら、年末年始のテレビで幾つも「お城」特集があって、彦根城に行った旅を思い出した。その時に伊吹山に登ったことも。伊吹山は標高1377mで、それほど高くはないけれど、地理的、歴史的に非常に重要な山だ。本州で一番太平洋と日本海が狭まる場所、伊勢湾と若狭湾を結ぶ線上にある。冬は「伊吹おろし」が吹いて、それが関ヶ原付近で新幹線を遅らせる。

 滋賀県、旧国名で言えば近江(おうみ)国が好きで、何度か行っている。歴史的に重要な場所が多く、琵琶湖の自然も美しい。京都のように観光客が多くないのもいい。湖北の菅浦十二面観音めぐり、あるいは湖東三山なんかまで訪れたことがある。近江の山では湖西に比良山系があるし、安土城だってかなりの山だ。でもやはり一番は日本百名山に選ばれている伊吹山になるだろう。
(伊吹山テレカ)
 ここは山一体がお花畑のような美しい山なんだけど、頂上付近まで伊吹山ドライブウェーが通じている。それも1965年のことで、今じゃ登山の山というよりちょっとしたハイキング程度の山になってるだろう。僕が行ったのは、もう30年近い昔のことだ。そのころは3合目に「伊吹高原ホテル」があり、そこまで「伊吹山ゴンドラリフト」があった。冬は伊吹山スキー場も開設されていたのだが、調べてみるといずれも10年ほど前に閉鎖されていた。3合目は標高765mほどで、訪れたときは秋晴れの気持ちいい日だった。吹く風の心地よく、伊吹山頂上も眼下の琵琶湖も見える。いいホテルだったけどなあ。
 (ホテルとリフト)
 翌日も晴れて、気持ちいい山行になった。標高差600mほどで、ほぼ直登気味ながら、眺望が素晴らしい上にお花畑の中を登るから疲れも取れる。2時間半ほどで山頂に着いたと思うが、山頂はもう観光地である。琵琶湖を一望しながら、どこかで宿で頼んだおにぎりを食べたんだと思う。後は花を楽しみながら、来た道を戻りバスで帰った。こんなに気持ちいい山も滅多にない。今はゴンドラがなく、下から登ると3時間ほど長くなる。じゃあ上まで車で行くかとなるだろう。それでは伊吹山はもったいない。
 (頂上付近と眺望)
 もともと彦根城に行きたいと思った。お城は昔からずいぶん見ているが、その頃は彦根城の域内にある「楽々園」という庭園内の屋敷に泊まれたのである。そのことに気づいて、一度泊りに行きたいと思っていた。伊吹山も近いから一緒に行こうと計画したわけである。彦根城は「国宝」指定の5城(当時は松江城が未指定で4城)の一つで、名城中の名城。ここではお城がテーマじゃないので、省略。
(彦根城天守閣)
 お城も素晴らしかったが、町並みも素晴らしかった。しかし、それはまた行けるとして、楽々園の中に泊まったのは二度と経験出来ない貴重な思い出になっている。秋の終わり頃で、もう夜はかなり冷える。豆炭の行火(あんか)で暖を取るのに驚いた。トイレも不思議で、すべてが典雅なお屋敷だった。一品ずつ出てくる懐石料理も実に美味だった。今は再現出来ない旅行の思い出だ。
(楽々園)
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「窓」をめぐるアートたちー「窓展」と窓の映画

2020年01月24日 22時44分18秒 | アート
 東京国立近代美術館で開催中の「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」が非常に面白かった。(2月2日まで。)日本では欧米の有名画家や「○○美術館展」をいっぱいやっている。しかし「窓展」のようにテーマに沿って作品を集めるのは珍しい。特に「」という着眼が素晴らしい。昔から絵の中には多くの窓が描かれてきた。フェルメールの絵では大体窓近くに人物がいる。電気以前は窓からしか採光できないし、そこから背景の景色が見える。窓は建築としては「採光」と「通風」の目的があった。

 チラシに使われているのは、マティス「待つ」(愛知県美術館蔵)という作品だが、僕はむしろ昨年に見たデュフィ展に出ていた「ニースの窓辺」(島根県立美術館蔵)を思い出した。どちらの絵でも、窓の向こうに見える海の風景が心に響く。しかし、今回の展覧会では、そのような有名画家の作品より、現代アートの作品やアニメなどが面白かった。もう「窓」は採光や通風、つまり向こうの風景が見える機能だけの存在ではないんだろう。
 (マティス「待つ」とデュフィ「ニースの窓辺」)
 大体、展覧会の最初に繰り返し上映されているのは、「キートンの蒸気船」の窓が倒れてくる映像である。家の前面が倒れてくると、ちょうど窓のところにバスター・キートンがいて無事である。有名なシーンだが、ここでは窓は「建物に空いた穴」である。それを強調するのが、リプチンスキーのアニメ作品「タンゴ」だ。ボールが入ってしまい少年が窓を乗り越えて部屋に取りに入る。そこから奇妙な人物が相次いで部屋を出入りする様は、何回見ても不思議で何度も見てしまった。リプチンスキーはポーランド出身の映像作家で、後で調べると「タンゴ」は1982年のアカデミー賞短編アニメ賞を受賞していた。
(「タンゴ」)
 「」そのもの不思議を見せてくれるのは、ローマン・シグネール《よろい戸》(2012)という作品。窓の双方に扇風機があって、時々スイッチが切り替わる。「よろい戸」に風が当たると窓が開くが、扇風機が切り替わると今度は逆方向に窓が開く。「窓」は建物の穴ではあるが、穴は「世界」に通じている。「風」によって、どっち側にも開く様子は「窓」について様々なことを考えさせてくれる。風がどっちにも吹かなければ、この窓は閉まったままだ。しかし、今では部屋の中にある「テレビ」や「パソコン」を通じて世界を見ることが出来る。その意味では「スマホ」も「小さな窓」になるだろう。
(「よろい戸」)
 ところでこの展覧会の途中に「関所」がある。それも作品で、アーティスト・ユニット、西京人の《第3章:ようこそ西京に―西京入国管理局》である。そこでは、『係員に「あること」をして見せないと先に進めません。ぜひチャレンジしてみてくださいね。』とホームページの案内に書かれている。「西京人」とは、小沢剛、チェン・シャオション、ギムホンソックの日中韓三国のアーティストによるユニットだという。「西京人」と名付けて作品を作っているという。
(「西京入国管理局)
 このように「窓」は単なる穴ではなく、そこから「世界」を見る仕掛けでもあった。リプチンスキーだけでなく、有名な演出家タデウシュ・カントールの作品も展示されていて、ポーランドのアートが珍しい。そこから思いをめぐらすと、イエジー・スコリモフスキーの映画「アンナと過ごした4日間」やクシシュトフ・キェシロフスキの「愛に関する短い短いフィルム」を思い出す。前者では執着する女性の家に深夜に窓から忍び込む男が出てくる。後者では団地に住む男が窓から見ている女性に愛を募らせてゆく。

 10月に中公文庫から刊行された堀江敏幸「戸惑う窓」は、「窓」をめぐる多様な見方を示してくれる。その本にも出てくるが、窓に関する映画と言えば、ヒッチコックの有名な「裏窓」を思い出す人も多いだろう。原題は「Rear Window」だが、じゃあどこかに「表窓」があるかと言えばそうではない。アメリカの高層住宅で、ドアがあるのが正面、窓が裏手にあるわけだ。日本の感覚では、南に向かって窓があるとそちらが正面、玄関が裏という感覚になる。古厩智之監督のデビュー作「この窓は君のもの」では隣家と接していて窓から板を渡して行き来できる。そんな両家の子ども同士の交際が描かれた。一方で今井正監督の1950年作品「また逢う日まで」では、戦争で引き離される岡田英次と久我美子の恋人たちがガラス窓越しにキスをする。切ない名シーンとして知られるが、窓は人を引き離すものでもあった。
  (「裏窓」と「また逢う日まで」)
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工芸館、東京最後の展覧会

2020年01月23日 22時20分15秒 | アート
 東京・北の丸公園にある「国立近代美術館工芸館」で移転前最後の展覧会をやっている。案外報道も少なくて知らない人もいるかと思うが、2020年夏までに金沢に「日本工芸館」(仮称)が新設され、工芸館所属作品はほぼ移転される。本館から400mほど離れて、レンガ建築の美しい建物が見えてくる。ここが有名な「旧近衛師団司令部庁舎」である。重要文化財指定。
   
 1910年に建てられた煉瓦作り2階建てで、設計は陸軍技師・田村鎮(やすし)という人である。この人を検索しても、この庁舎のことしか出て来ない。明治末期に最精鋭部隊の庁舎を設計するんだから、それなりの実績があると思うけど。「近衛(このえ)師団」とは、もちろん天皇と宮城(今の呼び方では皇居)を守備する軍隊である。1945年8月15日未明、「日本のいちばん長い日」で知られた近衛第一師団長の殺害事件が起こった場所である。陸軍軍務課員らが森赳中将にポツダム宣言受諾を拒否して決起を迫ったが拒絶され殺害した。その後、師団長命令を偽造して玉音盤を奪おうとした。
  
 重文指定後に修復されて、1977年から近代美術館の分館の工芸館として使用されてきた。建物は裏までグルッと見られる。屋根の上に八角形の塔が乗っているのも面白い。まあ建物が移転されるわけじゃないから、今後も見られると期待したい。建物内部や作品の中も撮影可能なものが多いが、ほとんど撮らなかった。僕にはどこまでが「工芸」なのかよく判らない。陶芸、彫金、漆芸、木工、人形などは当然だが、今行われている「所蔵作品展 パッション20 今みておきたい工芸の想い」を見ると、あまりにも多彩な表現に驚いてしまう。まあ移転前に一度訪れておきたい場所だろう。
(パッション20のチラシ)(2階に置かれた黒田辰秋の机)
 建物の隣に銅像があった。誰だろうと思うと「北白川宮能久親王」だった。幕末に最後の「輪王寺宮」として東北に赴き、その後プロシアに留学して陸軍中将まで行った。日清戦争後に「台湾征討」に派遣されマラリアで陣没した。(没後、大将に昇進。)数奇な人生を送った人である。
  
 本館の「窓展」は先に見ていたので、工芸館から九段下へ歩くことにした。林間を通り、武道館の前を通って田安門に出る。1636年に作られたとされ、重要文化財。江戸城の門の一つで、元々その辺りが田安と呼ばれていたという。後に徳川御三卿の田安家の敷地となった。
  
 門から外へ出るとお堀越しに建て替え中の九段会館が遠望できる。1934年に竣工した「軍人会館」で、壮麗な「帝冠様式」で知られた。戦後は「九段会館」と改称し、いろいろな集会で利用された。僕も何度も行ってるが、1997年の「らい予防法廃止一周年記念集会」では自分が責任者として集会を開いた思い出がある。日本遺族会が運営していたのは知っていたが、大きくて行きやすいホールが空いてなかった。「3・11」で天井が崩壊して死者が出て、以後使用できなくなった。東急不動産が複合ビルに建て直す予定だそうだ。(最初の写真、画面左が昭和館。右が九段会館のズーム。)
 
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宍戸錠と日活アクション

2020年01月22日 22時51分46秒 |  〃  (旧作日本映画)
 俳優の宍戸錠(ししど・じょう)が亡くなった。1933.12.6~2020.1.21 86歳だった。1月21日に死亡しているのが発見された。「エースのジョー」と言われても、実人生で不死身じゃないのは当然だが、かつての日本映画黄金時代を支えた男優たちがどんどんいなくなっている。やはり女優のほうが長命だ。
 (若い頃と最近の画像)
 宍戸錠はずいぶんいろんなテレビに出ていた。ウィキペディアを見ると、大河ドラマに6回も出ている。ヴァラエティ番組にもけっこう出ていたが、僕にとっては「日活アクション」を体現したような俳優だった。俳優ランクでは石原裕次郎小林旭が上だったが、彼らはもっと違った俳優イメージをまとっている。だから作家矢作俊彦が作った日活アクションの名場面集映画「アゲイン」(1984)でガイド役を務められるのは、宍戸錠だったのである。「アゲイン」という映画はもう一回見てみたいもんだ。

 宍戸錠は軽やかな銃さばき孤独な殺し屋が性に合う。そのような身体性を獲得していた希有なアクションスターだった。自ら豊頬手術を受けて、ハンサム俳優から悪役の出来る顔に変えたのは有名な話。その結果、日活アクションの「思想性」を体現する俳優となった。50年代から60年代末にかけて営々と作られた日活アクションは、「人は何のために戦うのか」に関して独自の思想を獲得した。東映の時代劇や任侠映画、あるいは東宝の社長シリーズやゴジラシリーズ、はたまた独立プロで作られていた「良心的左翼映画」の数々。いろいろな映画が作られていたけれど…。

 50年代半ばに製作を再開した日活映画だが、当初はヒットに恵まれず苦労した。日活を救ったのは芥川賞受賞作の石原慎太郎太陽の季節」の映画化(1956)だった。その映画で石原裕次郎が見出された。その結果、当時「太陽族」と呼ばれた「不良少年もの」が識者の非難を浴びながら量産されてゆく。その中で独特の設定が確立され、登場人物のイメージが作られていった。いつまで「不良」でもいられないから、例えば船員となって港町をさすらう。悪いボスが麻薬の密輸などを企み、藤村有弘や小沢昭一がおかしな中国語をあやつり香港の組織を代表する。

 横浜や神戸、あるいは時には函館や長崎などで、さすらうヒーローがどこかへ消えて会えない運命の女を捜す。どこにあるともしれない無国籍空間のクラブへ行くと、女は悪いボスに囚われている。そこで大乱闘になるが、卑怯にも主人公を闇討ちするような悪漢に対しては、悪役側であるはずの宍戸錠が銃弾をお見舞いする。なぜなら「プロフェッショナルな殺し屋」の誇りに掛けて、主人公と一騎打ちをするために敢えて主人公を救うのである。もちろん「お約束」により最終的に宍戸錠が破れるとしても、印象深い「不敵な敵役」を演じていたのである。

 このように「組織」に雇われていたとしても、宍戸錠は自分自身のために戦う。正義の側に立つ主人公であっても、正義の組織のために戦うのではなく、自分の誇り、自分で決めた生き方を貫くために戦い続ける。そのような「個人主義」的なヒーローを日活アクションは描き続けた。70年代初期に日活が従来の映画作りから「ロマンポルノ」路線に転換した後で、日活アクションの再評価が進んだ。渡辺武信の「日活アクションの華麗な世界」がキネマ旬報に長期連載され、池袋の文芸坐がオールナイト上映を連続して行った。大学生になっていた僕もずいぶん見たが、その結果「日活アクション」の論理と倫理が身についてしまうことになった。「組織」に身を捧げても必ず裏切られるというように。

 映画という大衆文化は、作り続けているうちに独自の思想的純化を遂げていく。例えば東映任侠映画だったら「総長賭博」、同じく実録映画だったら「仁義の墓場」のような映画である。日活アクションだったら、「拳銃(コルト)は俺のパスポート」や「殺しの烙印」が思い浮かぶ。「拳銃は俺のパスポート」は、組織に雇われ対立組織のボスをまさにプロの技で消した主人公が、今度は組織に裏切られて追われる姿をモノクロのシャープな映像で描いた。あくまで「個」の才覚で生き抜く主人公は、もちろん宍戸錠。

 一方、鈴木清順監督の「殺しの烙印」はパロディが極まりすぎて、社長から「判らない」と宣告されて監督が解雇された。世界映画史上、お蔵入りしたり無断で切り刻まれた映画は無数にあるけど、映画会社から映画内容だけでクビになったのは鈴木清順だけではないか。「殺し屋」など、日本の現実世界では現実性がない。(暴力団が対立組織のボスを殺すのにカネで殺し屋を雇ったら、非難を浴びるに違いない。)だから日活アクションは時間と共に、単なるお約束映画が多くなる。そこで逆手に取ったパロディ化も起こる。そんなときの「自意識過剰気味」の殺し屋こそ、エースのジョーの出番である。殺し屋ランキングをめぐって殺戮が繰り広げられる「殺しの烙印」こそ、宍戸錠にしか出来ない「米を炊く匂いが大好きな殺し屋」だった。
(「殺しの烙印」)
 もう一つ、この間書いたばかりの芦川いづみ主演作品、「硝子のジョニー 野獣のように見えて」も忘れられない。この映画は芦川いづみの映画であり、男優としてはアイ・ジョージと宍戸錠のダブル主演になる。もともと「硝子のジョニー」はアイ・ジョージのヒット曲である。ただそれを借りただけで、北海道を転々としながら堕ちてゆく男を演じた宍戸錠も忘れがたい。やはり宍戸錠は他に比べることの出来ない独自の存在だったと思う。
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五輪テロと冤罪、映画「リチャード・ジュエル」

2020年01月21日 22時37分44秒 |  〃  (新作外国映画)
 クリント・イーストウッド監督の最新作「リチャード・ジュエル」(Richard Jewell)は、同名の人物を描いた映画である。名前をいわれても日本では誰も判らないが、1996年のアトランタ五輪で起こった爆弾テロ事件で最初に爆弾を発見した警備員である。当初は英雄視されたが、FBIによって捜査対象とされ一転して「疑惑の人物」となった。マスコミは自宅前に詰めかけ、母親の私物も押収された。そんなリチャードが陥った危機と疑いを晴らすまでの日々をドラマチックに描いている。

 巨匠クリント・イーストウッドは、1930年生まれで公開時に89歳だが、その作品世界は全く揺るぎなく完成されている。もっとも「許されざる者」や「ミリオンダラー・ベイビー」などのような渾身の大傑作とは違う。特に最近は「ハドソン川の奇跡」「15時17分、パリ行き」のような、市井の人々の勇気をうたいあげる作品が多い。カメラもシナリオも人物と事件をきちんと描き出す。実に自然な動きで、手法やテーマを特に意識することなく、スラスラと見られる。その語り口のうまさストーリーテラーとしての能力は全然衰えていない。そのことに改めて驚くしかない。

 見る前に様々なことを考えてしまう映画である。まずは「オリンピックとテロ」。1972年のミュンヘン五輪ではイスラエル選手団宿舎がアラブゲリラに襲撃された。それに続く五輪テロが、アトランタの死者2人の爆弾テロである。東京だって政治的宗教的な国際的なテロが絶対にないとは言えないし、日本でも「無差別襲撃事件」などは起こっている。もちろん直接的に「テロ対策」のための映画ではないが、五輪開催都市のお祭り騒ぎの中で警備している人がどう考えているかは理解出来る。

 事件が起こったときに、捜査当局は間違った方法を取った。このような事件を起こしやすい人物をプロファイリングして、証拠もなく第一発見者を疑ってしまった。確かに自分で仕掛けて第一発見者を装う人も時々いる。でも捜査手法としては、「冤罪の作り方」のお手本のようなミスである。しかも、その情報が地元紙にリークされ、全世界に報道されてしまった。リチャードは10年前の職場で弁護士と会っていた。人生でただ一人名前を知っていた弁護士ワトソン・ブライアントがここで登場する。
(一番右がイーストウッド監督)
 この映画ほど「取り調べに弁護士が同席する必要性」を説得的に描く映画もない。日本だったらリチャードは「無実なのに自白に追い込まれた可能性」は大いにあるだろう。法務省も日本の司法は公正だなどと強弁する前にこの映画を見た方がいい。リチャード・ジュエルは2007年に44歳で死んでいる。演じたポール・ウォルター・ハウザーはまさに名演。「アイ、トーニャ」や「ブラック・クランズマン」に出てた人である。生真面目すぎて融通が利かず、「法執行官」に憧れて警備員なのにメンタリティは警官みたいな人物。肥満体で母親と二人暮らし、貧しい白人の見本みたいなガンマニア。証拠はないけど、確かに疑われやすい人物ではあった。(後に真犯人が見つかった。)写真を見ると、本人そっくり。
(右が本人)
 弁護士はサム・ロックウェル。「スリー・ビルボード」の偏見警官役でアカデミー助演賞を受け、「バイス」でブッシュ元大統領をやってた人。リチャードの母バーバラを名優キャシー・ベイツ(「ミザリー」でアカデミー主演賞)が演じてアカデミー助演賞にノミネートされている。

 ところでウィキペディアを見ると、この映画の地元紙女性記者の描き方が問題視されたという。FBI捜査官に対し「色仕掛け」でスクープをものしたように描かれている。この記者の描き方が女性記者に対する「紋切り型」だというわけで、「女性蔑視」だと批判された。製作側は証拠に基づくと主張しているが、当該記者は死亡しているという。しかし、それ以上に問題なのは、その記者と新聞が証拠を点検することなく、本人の言い分も取材せず記事にしたことだろう。僕はこの論点は映画の全体的価値を損なわない「瑕疵」だと考える。何故ならリチャードは、捜査対象だったわけだから、いずれ弁護士と共に捜査当局と対決せざるを得なくなる。「FBI対リチャード・ジュエル」が映画の主たるテーマなのだから。

 アトランタ五輪といわれても、もうあまり覚えてなかった。映画にもあるように、聖火の最終ランナーがモハメド・アリだったことぐらいしか覚えてない。調べてみたら、田村亮子がまたも金を取れず北朝鮮のケー・スンヒに敗れて銀だった。有森裕子が2度目のメダル(銅)を取った。日本の金メダルは柔道の3つ。サッカー予選で日本がブラジルに勝った「マイアミの奇跡」もあった。
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革命なき日本史は誇りだろうか-麻生発言を考える②

2020年01月20日 21時04分03秒 | 政治
 「麻生発言」の続き。今度は天皇制認識の事実と価値観について。「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝、126代の長きにわたって一つの王朝が続いているなんていう国」という点について。

 ちょっと「へえ」「ふーん」と思ってしまった。さすがに「2600年も続く」とは言わないんだ。麻生氏は1940年、まさに「皇紀2600年」の生まれだ。今年はもう2680年である。2700年の方が近いじゃないか。「126代」というから、神話上の神武天皇を認めているのである。それなのに、2000年って、どういう計算か? 無論のこと、2000年前、紀元前後はまだ弥生時代であって、国家成立以前である。
(講演会場の麻生氏)
 国家がないんだから天皇もいない。そもそも当初は「大王」(オホキミ)と呼ばれたが、その時代を含んでも到底2000年にはならない。どういう計算をしているのだろうか。
 その前後で歴史上確実とみなされている出来事は以下のようになる。
57  漢が奴国に金印を授ける
239 邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送る
471 稲荷山古墳出土鉄剣の文字「辛亥」年
 最後の「稲荷山鉄剣」は、ワカタケル大王に仕えた「ヲワケの臣」が持ち帰った鉄剣に刻まれた銘文の年である。60年後の531年説もあるが、471年説が大勢だろう。熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀の銘も「ワカタケル」と読めるとされる。「ワカタケル」は日本書紀の雄略天皇と考えられる。そこで、5世紀後半には「ヤマト政権」が関東から九州中部に支配を及ぼしていたとみなされる。

 当時の「ヤマト政権」がその後の「天皇制」と同じと見ていいのかは諸説ある。しかし、一応「ヤマト政権」の成立を以て「天皇の始まり」とするなら、一番長く取って「約1500年間」ぐらいとなるだろう。500年も違うと言えるが、それでも「四捨五入すれば2000年」とか言われてしまうか。「白髪三千丈」みたいな、長い時間の慣用句みたいなもんで、細かく歴史事実になんかこだわるなと言われると思う。しかし、それにしても当初の「ヤマト政権」は東北北部や南九州を支配していなかった

 では「長きにわたって一つの王朝」という方はどうだろうか。日本書紀の天皇系図では、確かに「男系」ですべてがつながっている。だが、特に初期の系図は相当に怪しい。特に「26代継体天皇」は日本書紀でも「応神天皇の5世の子孫」とされていて、それが本当だとしても「ほとんど他人」と言うべきだろう。当時の人々も「新王朝の始まり」と意識したはずだ。(天皇の代数は神話上の天皇を含んでいる数だが、他に数え方が存在しないので使うことにする。)

 さらにもっと前の「崇神王朝」「応神王朝」などが本当に「血縁関係でつながっているか」は不明と言うしかない。その後では、奈良時代末期に天武天皇系から天智天皇系への交替においては、特に桓武天皇は「新王朝」を意識していた可能性が高い。その後は「101代、称光天皇」から「102代、後花園天皇」、及び江戸時代の「118代、後桃園天皇」から「119代、光格天皇」は同じ皇族と言っても相当遠い相続である。前者は8親等、後者は7親等も違うので、現在ではほとんど親戚付き合いもないだろう。

 ところで「新王朝」とは何だろうか。中国あるいは朝鮮半島では、ある王朝が滅ぼされて、次の王朝が誕生する。そういう歴史が繰り返された。その意味では日本は天皇が続いたことになる。だがヨーロッパでは、フランスやイングランドの王権は「女系」で継いでいることがあり、そのような場合は「新王朝」と考えることがある。それに対し、日本では男系でつながっている場合はどんなに遠くても同じ系譜と考えることになっている。しかし、事実上相当遠い関係で継いで、自分でも新王朝の創始者と考えている場合は「新王朝」とみなすべきじゃないだろうか。

 ちょっと細かく歴史事実を書いてしまった。しかし、それ以上に重要なのは「価値判断」である。麻生氏は「一つの王朝が続いているなんていう国はここしかありませんから。いい国なんだなと。これに勝る証明があったら教えてくれと。ヨーロッパ人の人に言って誰一人反論する人はいません」と言う。なんで王朝が続いていると、それだけでいい国なんだろうか。ヨーロッパの人が反論しないのは、アホらしいから黙っているだけだろう。革命が起きて民主主義が発展して来た国に対して、「革命がないから素晴らしい」と言ってもバカにされるだけだ。

 確かにフランス革命は行き過ぎて流血の大惨事になった。だがその過程で「人権宣言」を生み出し、世界の歴史を変えた。日本人は天皇も将軍も、国民自らの手で打倒して民主主義を生み出した歴史を持たない。革命がなかったことは誇るべきことなんだろうか。天皇がずっと続いたからいい国だと言って、他の国には何の関係があるんだろうか。何も世界史に貢献してないじゃないか。自分の国しか見えてない「内向き史観」じゃないだろうか。「一つの王朝」を誇りにするのは「支配者史観」であって、民衆にはむしろ屈辱なんじゃないか。

 日本は確かに非ヨーロッパ世界で最初に産業革命に成功し、議会政治を取り入れた。それはもちろん評価すべきだが、残念なことにその「成功」を軍事力に向けて、無謀な侵略戦争を始めて自滅した。敗北の後に「国民主権」や「基本的人権の尊重」が実現した。日本にも民主主義や人権を求めて闘った人々は多数いる。そのことこそが誇るべきことであり、一つの王朝が続いたなどということは、むしろ残念というべきことだろう。
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「学ばない男」、麻生発言を考える①

2020年01月19日 21時05分31秒 | 政治
 麻生太郎副首相兼財務・金融相が年頭に再び「不適切発言」を行ったと報道された。麻生氏が「訂正とおわび」を行うのは何度目だろうか。ラグビーワールドカップでは「笑わない男」が話題になったが、麻生太郎ほど「学ばない男」と呼ぶべき人も少ないだろう。ただし、「今では言っちゃいけない発言なんだよ」といった批判では、発言の裏にある「イデオロギー」を免責してしまう。ある意味、ここまで正直に「支配階級のホンネ」をあからさまに示してくれる人も珍しいから、訂正で終わりにしてはもったいない。
 今回の発言は新年になって地元の福岡県で開いた「新春国政報告会」で出たという。3回開いたうち、13日に直方(のおがた)市で開いた会のことらしい。その内容を見てみると、何もナショナリズムをことさらおある文脈の中ではなく、ラグビーワールドカップなどを話題に出しながら、一応「インターナショナル」の重要性などを述べている。その中で、「純血守って何も進展もしないんじゃなくて、インターナショナルになりながら、きちんと日本は日本を大事にし、日本の文化を大事にし、日本語をしゃべる。そしてお互いにがんばろう、ワンチーム」などと述べている。

 その直後に「だから2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝、126代の長きにわたって一つの王朝が続いているなんていう国はここしかありませんから。いい国なんだなと。これに勝る証明があったら教えてくれと。ヨーロッパ人の人に言って誰一人反論する人はいません。そんな国は他にない。」という発言が出たのである。(以上の発言内容は、「FNNプライムオンライン」から。)

 このうち「一つの民族」が特に問題だと批判された。2019年4月に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(アイヌ新法)が成立した。(それまでの略称「アイヌ文化振興法」は廃止。)その法律の前文に「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々」と明記された。この法律の精神に反していると言われると、誰も反論できない。日本政府は「北方領土」や「尖閣諸島」を「日本固有の領土」としている。前近代には日本の直接的統治下になかった北海道や沖縄を「日本」から排除すると、領土問題の根拠が崩れてしまう。

 麻生氏は2005年にも同様の発言をして、ウタリ協会から抗議されたという。あまりに「失言」が多くて僕は覚えてないけれど、本人も覚えてないんだろう。(当時は総務相か外相だったはず。)まさに「学ばない男」なんだけど、本人は「俺が覚えてるはずがねえだろう」ぐらいに思ってるに違いない。訂正したんだから、それで終わり。それは今回の発言がまさに麻生氏の歴史地理認識そのものだからだ。

 アイヌ民族も沖縄も麻生氏の「日本」に入ってないのである。それはもちろん「沖縄は独立すべき」とか「北海道はアイヌモシリである」と認識しているという意味じゃない。全く正反対に、「日本国」の範囲に「国内植民地」が抜け落ちているのだと思う。沖縄や北海道を「明治になって日本の統治下に入った地域」として下に見ているだろう。公にはそんなことはないと言うだろうが、そう解釈する方が自然だ。そして日本の植民地だった朝鮮半島を今もなお「目下」のように考える。そのような「植民地主義的地理認識」を持ってるのだろう。僕はそう判断している。

 だから「一つの民族」発言は、ただ単にアイヌ民族をうっかり忘れていたといったレベルの問題ではない。麻生氏は今まで何度も「ナチス」を引き合いに出す発言をしている。ナチスを直接賛美するのは問題になる程度の認識はあるようだが、「ナチスのやり口」には共感を隠さない。ナチスこそ「民族の純血」という幻想を賛美していた。麻生氏は「インターナショナル」をたたえるが、それは「外国人が日本を素晴らしいと思う」という前提での「ワンチーム」なのである。その「日本の本質」は「純血」で続いてきた天皇制にあると考えている。

 麻生太郎の父は麻生セメント社長の麻生多賀吉、母は吉田茂の娘和子である。多賀吉の祖父が九州の炭鉱王麻生太吉。太吉の三男が太郎だが、1919年に31歳で早世した。麻生太郎は祖父と同じ名を付けられたのである。太吉、多賀吉は共に衆議院議員を務めている。妹の麻生信子は故三笠宮寛仁(ともひと)の妻で、麻生家は天皇家と縁続きなのである。

 1940年生まれの麻生太郎は、石炭産業が凋落していく中で成長した。筑豊の炭鉱は朝鮮人や被差別の労働者を酷使してきた歴史がある。太郎は小学校3年まで地元の麻生塾小学校(閉校)というところにいて、その後上京して学習院初等科に入学して、大学まで学習院だった。世界認識が「上と下」「内と外」で形成されることは想像出来る。自分は首相や皇室につながる一族だという「誇り」を身につけたんだろう。だけどただ「尊大」な人物なのではなく、「べらんめえ口調」で演説に人気がある。本質ではなく「語り口」で庶民を演じているから、偏見丸出しの「失言」が相次ぐのかと思う。
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女子高生マジシャン酉乃初ー相沢沙呼を読む②

2020年01月17日 23時07分57秒 | 〃 (ミステリー)
 相沢沙呼の「午前零時のサンドリヨン」(2009)、「ロートケプシェン、こっちにおいで」(2011)は、「酉乃初シリーズ」と呼ばれる。「とりの・はつ」という名前の女子高生が「探偵役」になる「日常の謎」ミステリーである。表紙を見ても、ライトノベル的な作品かなと思うと、鮎川哲也賞を受賞した立派なミステリーだ。しかし、それ以上に「青春小説」としての充実感がある。多くの若い人々に勇気について考えさせる小説だと思うから、ここで紹介しておきたい。(どちらも創元推理文庫所収。)
 
 とある(埼玉県らしい)私立高校に通う語り手の「須川くん」は、クラスの中でいつも一人でいる美少女、酉乃初に一目惚れしてしまう。ある日、姉のお供で話題になってるバーに付いていくと、そこでマジックを披露している酉乃初に出会ったのである。学校には秘密にしてアルバイトしているらしい。高校生としては超絶的と言ってもいい技術を持つマジシャンだ。しかし学校ではいつも一人でいるのは何故だろう。お昼もどこにいるのか不明で、あちこち探してしまったが…。少しずつ近づく二人に様々な「学園の謎」が降りかかる。シチュエーションも展開もお約束ではある。

 大体「サンドリヨン」とか「ロートケプシェン」って何だよと思うと、実は誰でも知ってる言葉である。ここでは書かないけれど、それが内容とマッチしている。人間関係に臆病で、傷つくことに恐れて自分を偽る青春のまっただ中の高校生。そこには「いじめ」「自殺」「進路」など若き日の悩みが尽きない。複雑に絡み合う人間関係の蜘蛛の巣の中で、不思議な幽霊騒動などを解決できるんだろうか。「ポチ」と呼ばれる須川くんが、ヘタレながら誠実に頑張って酉乃初が鮮やかな推理力を発揮する。

 そんな展開が共通する短編で構成された短編集である。「サンドリヨン」は入学早々からクリスマスまで。謎の解決とともに、二人の仲が進展するのかどうかという興味もある。高校生小説では運動部が多いが、ここでは主役の二人は部活に入ってなくて、周りは演劇部文芸部なんだけど、それが謎に関わっている。演劇部だけど、今は映画を撮っていて、廊下で撮ってるから「アリバイ」に関わったりする。酉乃と中学で因縁があったらしい演劇部の超絶美女が「八反丸芹華」(はったんまる・せりか)ってやり過ぎみたいな名前だが、それらの脇役も楽しい。

 酉乃初は何度もマジックを披露するが、著者自身がマジックの名手だという。マジックが得意なミステリー作家といえば、泡坂妻夫が思い浮かぶが、ここでは主人公が高校生だからマジックそのものが謎に関わるわけではない。むしろ「謎は謎のままにしておく方がよいのか」といったトリックをめぐる論議が興味深い。上級生を巻き込んだ劇的な展開だったデビュー作に続き、「ロートケプシェン」だが、こちらは少し変化があって、須川くんの語りの前に「女子高生の語り」が入る。その女子高生は不登校になるが、それをめぐる謎が解明出来るかが鍵。コミカルさとビターな味が微妙に混じりあう。

 クリスマスで終わった前作から、どこまで行くのかと思うと3学期も終わらない。短い3学期だが、そこには「バレンタインデー」という一大イベントがある。須川くんは酉乃から貰えるのかな。通学する高校は校則が緩いらしく、堂々とチョコが行き交うらしんだが。と思うと意外な展開のあげく、男の子が貰ったチョコが机に積まれてしまうという「事件」が起きる。僕はこの謎の解決編のミステリーとしての切れ味が一番素晴らしいと思う。ちょうどこれからの季節にふさわしい青春ミステリーだが、一作目から読まないと人間関係が判りにくいだろう。「いじめ」や「不登校」をめぐって考えさせられる小説でもある。
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「medium 霊媒探偵城塚翡翠」ー相沢沙呼を読む①

2020年01月16日 22時30分53秒 | 〃 (ミステリー)
 2020年版「このミステリーがすごい」の日本編ベストワンは、相沢沙呼という作家の「medium 霊媒探偵城塚翡翠」(講談社)という本だった。誰、それ? そもそも何と読むのかというと「あいざわ・さこ」という1983年生まれの男性作家。作品名は「メディウム・れいばいたんてい・じょうづかひすい」である。そもそも「霊媒探偵」って何だよ。それは「ミステリーの自己否定」じゃないのか。どんな本なんだろうか。今まで一つも読んでない作家だけど、文庫化を待ちきれず読みたくなってしまった。

 相沢沙呼は今まで「ライトノベル」系の作品が多い。「酉乃初シリーズ」「マツリカシリーズ」「小説の神様シリーズ」なんかがあって、「小説の神様」は今度実写映画化され、5月に公開予定。「酉乃初シリーズ」は創元推理文庫に入っているので、こっちも読んでしまった。酉乃シリーズの「午前零時のサンドリヨン」(2009)が第19回鮎川哲也賞を受賞してデビューした。ほぼ10年のキャリアがあるが、今までは「日常の謎」系のミステリーで、今回の霊媒探偵で初めて殺人事件を扱ったということだ。

 ミステリー(推理小説)の元祖であるシャーロック・ホームズは、ほんの小さな事実を取り逃さずに観察し、思いも掛けぬ真相を暴き出す。それは究極的な「論理的思考力」であり、あまりにも偶然性を排除しすぎていると思うときもあるが、まさに産業革命下のイギリス都市社会の成立が背景になっている。誰かが殺されて、一体犯人は誰なのか。その謎に「頭脳」を以て立ち向かう名探偵たち。

 ところで、死者の霊魂にアクセスできる霊媒が(小説内で)存在したらどうだろうか。死者の霊が犯人を示してしまえば、それで終わりだ。まあ、近代的裁判システムでは有罪証明には使えないという問題はある。しかしミステリーのサブジャンルとして「倒叙」という形式がある。「刑事コロンボ」シリーズなどがそれだが、犯人は判っているが決め手がない。いかにアリバイなどを崩していくかを描くタイプだ。この小説もそのような感じで展開するのだろうか。

 単行本の表紙イラストは遠田志帆(えんだ・しほ)という人の担当。ウィキペディアを見ると、「屍人荘の殺人」や角川文庫の綾辻行人作品をやってる。「いかにも」的な美少女が描かれていて、アメリカ帰りの絶世の美女。20歳のクウォーター(4分の1外国系)で何か心に深く傷を負いながら、親の残した遺産で高級マンションに住んで無料で「霊媒」を務めることもある。その名も「城塚翡翠」って、何だ何だ、やり過ぎだろ。これは少女向けの「ライトノベル」というか、少女マンガのノベライズなんだろうか。

 語り手は推理作家の香月史朗(こうげつ・しろう)という人物で、過去に難事件を解決した過去があって今も時々警察から協力を頼まれることがある。そんな香月が大学の後輩に頼まれて、霊媒城塚翡翠に会うことになる。そして巻き込まれた殺人事件。続いて二人で訪れたミステリーの大家の別荘で起きた事件。それらの事件解決に翡翠がどのように関わったか。そして続く女子高生連続殺人事件。その合間に謎の「連続死体遺棄事件」の犯人による語りが差し込まれる。連続殺人犯は翡翠を狙うのか。翡翠は近づく死の予感を感じてゆくのだが…。

 そして最終章、最後に驚く真相とは…? 読んだ人にしか語れない展開だ。とにかく驚くべき真相が待っているのは保証できる。なるほどなあ、テキトーに読んでたら全然見抜けなかった。絶対に損はない本だ。ライトノベル的、美少女霊媒探偵モノと侮っていると足をすくわれる。「medium」とは、中間、中庸、媒介、媒体、中間などの意味だが、霊媒は「Spirit medium」だということだ。メディアムとふりがながされているが、ミディアムと発音することが多く、服のサイズのMでもある。
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「芦川いづみ 愁いを含んで、ほのかに甘く」

2020年01月15日 23時01分28秒 | 〃 (さまざまな本)
 日本の元女優芦川いづみの映画について、過去に何回か書いたことがある。主に神保町シアターで、3回にわたって特集上映が行われ、好評だったので2回もアンコール上映された。主に日活で活躍し石原裕次郎などと共演したが、清潔感ある演技で今も魅力を放っている。1968年に藤竜也と結婚して引退、以後はファンの前に一度も顔を見せていない。インタビューなどに応じたことはあるが、ほとんど「幻の女優」である。そんな芦川いづみの全映画の写真とロング・インタビューを掲載した本が出版された。「芦川いづみ 愁いを含んで、ほのかに甘く」である。(文藝春秋、2700円+税)

 まあ昔の日本映画に関心のない人には全然判らないだろうし、ファン以外が買うには高い。ファンだって高いんだけど、まあ買うしかないかと思って、新文芸座で行われた特集上映の時に買った。ひと月も前のことで、それから折に触れてパラパラと見ていたが、ようやくインタビューをちゃんと読んだので簡単に報告。インタビューがすごく面白くて、日活の女優陣の仲の良さが気持ちよく伝わってくる。当時の女優たち、松原智恵子吉永小百合などと今も交流があるらしい。

 日活は戦時中に製作会社としては「大映」に集約されてしまったが、戦後10年ほどして再び映画製作に乗り出した。後発のため苦労したが、石原裕次郎というスターが現れて「日活アクション」路線が大ヒットした。続いて小林旭、若くして事故死した赤木圭一郎など男性スターの映画が番組の中心だった。しかし、それ以外にも文芸映画も多かったし、アクション映画や青春映画で主人公が憧れる女優も多かった。裕次郎の相手役は当初は北原三枝が多かったが、二人が結婚してからは石坂洋次郎原作映画などで芦川いづみが相手役になることが多かった。

 僕はそれらの映画、「あじさいの歌」(滝沢英輔監督)や「あいつと私」(中平康監督)を若い頃に見て、初めて芦川いづみの名前を知った。その後、日本映画の重要作品として「幕末太陽傳」(川島雄三監督)や「日本列島」(熊井啓監督)にも出ていた。また蔵原惟繕監督の「憎いあンちくしょう」、「執炎」でも、主演は浅丘ルリ子だが脇役で芦川いづみが出ていた。そしてその蔵原監督の「硝子のジョニー 野獣のように見えて」を見たら、まさに芦川いづみの主演映画だった。北海道の大地を舞台に僕の大好きなフェリーニの「道」のような物語が大迫力で展開され、全く圧倒された。

 そういった映画を通して昔から知っていたんだけど、今まであまり注目されていなかった映画、中平康監督の「誘惑」「その壁を砕け」「あした晴れるか」などが素晴らしい。「その壁を砕け」はシリアスな冤罪もの、「あした晴れるか」は早口で展開する都会派コメディと全然違うけれど、生き生きと演じていた。「あした晴れるか」では本人が嫌いだという「おでこ」を出した写真雑誌編集部員役で、カメラマンの裕次郎に付いて回る。半可通の写真論議をベラベラしゃべりまくるのが超絶的におかしい。

 インタビューの内容をあんまり書くといけないけれど、あまり勉強が好きではないスポーツ少女だったとは意外。踊るのが好きでSKDに入るが、川島雄三監督に見出されての女優デビュー。演技の基本を知らないので、どのように学んでいったかなど興味深い。そして他の女優たちの思い出がやはり貴重。結婚前に二人で裕次郎夫妻を訪ねたときのエピソード。もう何があるか判らない年齢だから、今は寝る前に握手してから寝るというのには、ちょっとビックリしたけれど、微笑ましさとうらやましさを感じた。なお、すごくピッタリしている副題はアメリカの作家アーウィン・ショー「夏服を着た女たち」からだという。
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ゴーン事件考⑤まとめと展望

2020年01月14日 23時19分49秒 | 社会(世の中の出来事)
 「ゴーン事件」は被告の逃亡で裁判の行方はどうなるのだろうか。そもそも「ゴーン事件」とは何だったのだろうか。レバノンで行った「ゴーン会見」は日本では「新しいことは何もなかった」という評がほとんどだが、そういう理解でいいのだろうか。そんなことを最後に書いておきたい。

 会見に新味がなかったというのは、それ自体は正しいと思うが、それは「すでに事件の概要を知っていた」からだ。事件について書かれた文献の多くは日本語だから、世界の人は読めない。会見に出席したジャーナリストたちも、日産とルノーの問題は知っていたかもしれないが、日本の司法制度はほとんど知らなかっただろう。日本で逮捕されるということがどういうことか。それは有無を言わさず手錠を掛けて連行され、弁護人の同席もなく一日8時間にも及んで「自白」を迫られるという体験だった。

 いや8時間もやってない、弁護人とは面会できるとか、法務大臣が2回も反論(釈明?)の談話を出したこと自体、制度的な側面に関しては世界に知られたくないことが語られたということだ。ゴーン捜査の実情は知らないけれど、会見で語られた取り調べの実態はほぼ事実だと思う。違っていたとすれば、それはゴーンが要人として優遇されたということで、普通はもっとひどいだろう。日本では「代用監獄」(留置場)が存在するなど、刑事司法の国際水準からはほど遠い。「弁護人の同席」が国際レベルだろうが、「弁護人と面会」できるなどとヌケヌケと言っていて、恥ずかしいレベルというほかない。

 注目すべきは、1月8日にあった安倍首相の謎の発言だ。それは「日産のなかで片付けてもらいたかった」というものである。キャノンの御手洗会長との会食時に出た言葉だという。そもそもゴーン事件は、日産から司法取引で特捜部に持ち込まれたものだとされる。安倍首相発言を見ると、やはり日産内部で解決すべき問題を無理に刑事事件化したという側面があったのか。司法取引が認められてから、大きく注目される大事件はまだ手掛けていなかった。「司法取引」によって、ここまで大きな事件を摘発できるのか。それを検察当局が狙った側面は否定できないだろう。

 2回にわたって「金融商品取引法」で逮捕され、2回目の逮捕では10日間の勾留延長が認められなかった。その後、「特別背任」で再逮捕、保釈後にオマーンでの「特別背任」でまた逮捕された。数多くの書類を精査して、ようやく事件化できるものを見つけ出したということだろう。「特別背任」は重大ではあるけれど、日産=ルノーの経営を揺るがすようなものではなかった。会社が倒産して、調べてみたら長年にわたって不明朗な支出がなされていたと言った事件ではない。会社が破綻した場合だったら、悪質性を問われて実刑判決が出る可能性があるが、ゴーン事件では「執行猶予」が確実だ。

 日本政府はゴーンに2004年に藍綬褒章を贈っている。解任されたから、「再犯可能性はゼロ」である。それを考慮すると、有罪でも実刑は考えられない。とことん闘って無罪になったとしても、今後日本でゴーンを経営者として迎える企業はなかっただろう。だから、もう日本はゴーンにとって何の意味もない。この程度の事件で何年も家族に会えないなど、ゴーンからすれば常識外れの迫害だ。事実上、裁判前に無期懲役刑になったようなものだった。

 日本では「司法取引」を制度化したときに、「有罪答弁取引」は取り入れなかった。司法取引というのは、争いの片方には「不起訴」など有利な扱いをするわけだから、慎重な扱いが必要だ。相手の責任にして自分は罪を免れる冤罪が起こりやすい。だから、争いのもう片方の側にも「取引」の可能性を認める方が公平だと思う。この場合は、日産から入手した資料を開示して、「執行猶予付き有罪」を認めるように取引するわけである。もう日本にいても仕方ないんだから、さっさと終わらせるために受け入れた可能性はあると思う。

 まあ、それはともかく、今後レバノンから日本へ移送されることはない。引き渡しを求めるなら、順番はまず岡本公三の方が先だろう。誰だって言う人は自分で調べて欲しい。亡命を認めて今はレバノン国籍も取ったという岡本公三を保護している国が、元々国籍を所有しているゴーンを引き渡すわけがない。レバノンでは昨年来反政府デモが続いていて、ゴーンを擁護する人ばかりではないともいう。だが、だからこそレバノン政府に強い圧力を加えても、かえって日本に引き渡すことは出来ないだろう。

 何でもレバノンの面積は岐阜県程度だという。テレビ番組なのでは、日本を出ても今度は「レバノンという牢獄」を出られないなどと言ってる人がいる。日本の保守派はすぐに「」「家族」というくせに、ゴーンが自分の祖国に逃げ帰って家族に会いたいという気持ちが判らないのだろうか。僕はこの程度の事件で裁判がどうなろうとあまり関心はない。ゴーンが言ってる日本の司法制度批判に関しては、非常によく判ると思っている。逃げたヤツが何を言うかなどという八つ当たり的反応は間違っている。

 ゴーンの逃亡を批判できるとしたら、それは一緒に逮捕されたグレッグ・ケリーだけだろう。一体彼はどこで何を思っているのだろうか。自分を置き去りにして逃げたゴーンに怒っているんじゃないか。まあ、その程度の権力者にくっついていた自分の責任ではあるけれど。ケリー被告は逃げてないんだろうから、今後いつの日か裁判が待っている。特別背任は無関係で、金融商品取引法の従犯なんだから、今さら内容を争わず「すべてはゴーンの指示」とでも言って裁判は早期に終わるんじゃないか。そんな気がするが、ケリーの立場から見たら「ゴーン事件」はどう見えているんだろうか
(グレッグ・ケリー被告)
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ゴーン事件考④国策捜査編

2020年01月13日 22時51分47秒 | 社会(世の中の出来事)
 森法相宣わく、日本では「的確な証拠によって有罪判決が得られる高度の見込みのある場合に初めて起訴する」ということだから、カルロス・ゴーン被告は「有罪判決が得られる高度の見込み」があるわけである。しかし、有罪率は99%であり、わずかながらではあるが無罪判決の可能性もある。ただし、「被告・弁護側が無罪を証明すれば」である。森法相ツイッターで「潔白というのなら司法の場で無罪を証明すべきだ」と発言し、さすがに「証明」は「主張」に訂正したけれど、刑事裁判の実務感覚では「弁護側が無罪を証明しない限り、なかなか無罪にならない」というのが実感だと思う。

 弁護側の反証どころか、起訴状も不明なまま裁判は凍結されそうだ。だから、実際にどのような判決だったかは判りようもないんだけど、あえて言えばやはり「有罪の可能性が高い」のだと思う。それはこの事件の性格や経緯、あるいは日本の裁判の判決傾向を考えると、なかなか無罪判決は難しいだろうと考えるからだ。「有価証券報告書編」で書いたように、僕は今回の「事件」は形式犯であり、法律上も議論の余地があると思っている。しかし、それでも起訴しているわけだから、証拠上も法解釈上も文言上は有罪になり得るものがあるんだと思う。
(2019年4月、保釈時のゴーン被告)
 今回は検察側は日産側と「司法取引」をしていた。日産側が自ら書類を提出しているんだから、「有罪」証拠がないとおかしい。それは「形式上」のものかもしれないが、近年の裁判では「形式」さえ満たしていれば有罪が出ていることが多い。僕が思い出すのは、2004年に起こった「立川反戦ビラ配布事件」である。イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを自衛隊官舎内で配布したというものである。3人が「住居侵入罪」で起訴され、1審で無罪ながら、2審で罰金20万、10万となり、最高裁で確定した。

 この事件の場合、そもそも階段や通路が「住居」かという問題もあるが、一応「立ち入り禁止」区域だったことは間違いない。だが商業チラシなどは自由に配布されていた。そっちは違法性を問わず、反戦ビラを取り締まるのは「表現の自由」に反するのではないか。1審では「住居侵入罪」の成立を認めながら、処罰するほどの違法性はない(可罰的違法性阻却)とした。これは僕には常識的な判断だと思うが、上級審で覆されてしまった。何人も他人が管理する場所で無断で政治的意見を表明する自由はないというのである。ちなみに被告たちは、75日間勾留されていた。

 そのような「何としてでも有罪」は、特に「国家的な重大事件」の場合に多く起きる印象がある。反戦ビラ事件は軽微な事件だが、イラクへの自衛隊派遣は国家的な大問題だった。経済事件や汚職事件などの場合は、「国策捜査」という言葉もある。鈴木宗男氏の事件に連座した外務省職員(当時)の佐藤優氏は、ほとんど犯罪を構成しないような事案で逮捕され、偽計業務妨害で懲役2年6ヶ月、執行猶予4年が確定した。執行猶予が付くレベルの事件でありながら、512日間勾留された。保釈後に出版した「国家の罠」では、検事が「国策捜査」と発言したと書かれている。

 「国策捜査」なんてものはないという意見もあるが、それはその通りだと思う。特捜部の事件がすべて政治が決定しているなんて言ったら、今「IR汚職」が捜査されている理由が判らない。だが「検察がメンツを賭けて有罪を求める」レベルなら、裁判所が「忖度」することはあると思う。裁判官が政権を気に掛けるとは思わない。だが「上級審の判断を気にする」のはあるだろう。自分たちが下した判断が最高裁で逆転するならば、「出世」に差し支えるだろう。それに裁判官と検事は人事交流がある。あり得ない感じだけど、「判検交流」はけっこう盛んである。同じ事件で担当替えはしないけれど、裁判官と検事は「国家秩序を守る」立場で共感しているのではないか。

 ゴーン事件は、国際的大企業で起きた事件で世界的な反響を呼んだ事件だ。「今さら無罪でした」では、日本の「国家的メンツ」はつぶれてしまう。それもあるだろうが、この事件は2016年に成立した刑訴法改正で実現した「司法取引」の適用第2例だった。刑事司法における司法取引そのものが争点になるだろう。弁護側は当然のこととして憲法違反を申し立てるだろう。司法取引そのものに対する憲法判断が問われる。そこで「違憲判断」をすれば、多くの裁判に影響を与える。そういう裁判になるんだから、2年、3年では決着しない。間違いなく10年は掛かる。そして恐らくは、形式的な根拠が整っているとして有罪が確定する。執行猶予レベルの事件だけど。そんな裁判に付き合いたくないと思ったとしても、そのこと自体は責められないような気がするんだけど。
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