尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

イスラム教の基礎理解①-緊迫!イラン情勢⑥

2012年02月29日 23時23分22秒 |  〃  (国際問題)
 今までイランを中心に見てきたが、イスラエルや他のアラブ諸国(弾圧の続くシリア情勢やエジプト革命の行方、湾岸の王政諸国の動向)も見て行かなくてはいけない。でも、日本人にとってこの地域が判りにくいのは宗教の問題が大きいので、「イスラム教」の簡単な解説を2回ほど。

 今「イスラム教」と書いたけど、実は最近の教科書は「イスラーム教」と長音を入れることが多い。大体、「イスラーム」とは「神に帰依する者」という意味とのことで、本来は「教」もいらないらしいけど、まあここでは慣例にそって「イスラム教」と書いてきた。僕が生徒だった頃は、イスラム教や西アジアの歴史はあまり教わらず、「イスラム教は他に2つの呼び方がある」などと教わったものである。「回教」と「マホメット教」というのだが、中国のムスリム(イスラム教徒)を「回族」と呼ぶ場合の他、もうそんな呼び方はしない。「回教」なんて言ってる人がいたら、もうそれだけで遅れてる。そして、「マホメット」という人も、もはや教科書には登場しない。「ムハンマド」で統一されている。日本語表記としては確立したと言っていい。ムハンマドが神の言葉を預けられ(だから、ムハンマドを「預言者」という。「予言者」にあらず)、その言葉をまとめた聖典が「コーラン」だが、これも「クルアーン」と書く教科書が登場してきた。(ウィキペディアでは「クルアーン」である。)

 ということで、最近の教科書では、イスラーム、ムハンマド、クルアーンと書いてあったりするのである。用語の表記はともかく、問題は一神教の理解である。大分理解は進んできたので今では少ないと思うけど、ちょっと前まで「エホバの神」(ユダヤ、キリスト教の神、最近の表記ではヤハウェ)と「アラーの神」(イスラム教)とあって、神様が違うから争いがたえないなどと言う人がけっこういた。実際は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「神」は同じである。「アラー」というのは、アラビア語。アルカリとかアルコールと同じく、定冠詞「アル」が付いているわけである。ムハンマドはアラブ人だから、神はアラビア語で語りかけたので「クルアーン」はアラビア語で書かれている。イランでもトルコでもインドネシアでも、アラビア語で学ぶしかない。「クルアーン」は神の言葉そのものということになるので、「聖書」や「仏教典(お経)」などのような、「大事ではあるけれど本の一種」というレベルのものではない。最近アフガニスタンで米軍が「クルアーン」を焼却すると言う事件があり大問題になっているが、それも「クルアーン」理解の不十分さがあると思う。世界で10億人以上の人が「神の言葉そのもの」と崇めているものを粗末にすることは許されないだろう。

 さて、「旧約聖書」(この呼び方はキリスト教から見たものだけど)では、神は被造物として最初の人間アダムとイブを作った。その後人間は堕落して、大洪水で滅ぼされるが、「ノアの方舟」だけが救済された。箱舟以後の人類の中で、神は「アブラハム」を預言者として選んだ。このアブラハム(クルアーンでは、イブラーヒーム)こそがユダヤ人とアラブ人の共通の祖先と言うことになっている。アブラハムは神の啓示により75歳の時に「約束の地カナン」(パレスチナ)を目指した。しかし、嫡子に恵まれなかったため、85歳の時に「女奴隷のハガル」との間に「イシュマエル」が生まれた。しかし、100歳の時に90歳の妻サラが身ごもり「イサク」が生まれる。年齢がすごいけど、まあそれは大昔の話と言うことで。で、このイサクがユダヤ人の祖とされる。一方、イシュマエルの方がアラブ人の祖とされているのである。

 その後、ユダヤ民族はいろいろあって、エジプトに逃れたり、「モーゼの十戒」のモーゼに率いられて「出エジプト」したり、王国を築いて栄えたり滅ぼされたりするわけだが、神が約束した「メシア」(救い主)はまだ出現していないと考えると「ユダヤ教」となる。一方、2000年ほど前のパレスチナに生まれてローマ帝国により刑死したイエスこそ、「神の子」として遣わされた救い主と信じると「キリスト教」になる。

 一方、イスラム教の「クルアーン」によれば、「ヌーフ」(ノア)、「イブラーヒーム」(アブラハム)、「ムーサー」(モーセ)、「イーサー」(イエス)、「ムハンマド」が5大預言者とされる。しかし、神が人類に残した最後の言葉はムハンマドに伝えた「クルアーン」なのである。ということで、実はイスラム教はイエスをも預言者として認めているのだ。けれど、「クルアーン」(コーラン)の重要性こそがイスラム教の特徴というべきかもしれない。まずは一回目。
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「国際海峡」の重要性-緊迫!イラン情勢⑤

2012年02月28日 00時28分18秒 |  〃  (国際問題)
 日本ではイラン問題は、むしろアメリカの制裁法案への対応問題だと思っている人が多いのではないか。それはそれで大問題なんだけど、イランの核開発およびイスラエルとの対立問題そのものをしっかりと認識していかなくてはいけない。

 「日本にとって」と限定して考えれば、一番の問題は原油の輸入確保、原油価格の安定である。原発が稼働していない以上(そのことの評価を別にして)、風力や太陽光と言っても急には増えないから、結局短期的には石油、天然ガス発電で対応するしかない。すでに原油価格は上昇しているので、電気料金の値上げの理由はそこにある。それでも価格の上昇、イラン産原油の輸入削減だけだったら、なんとか対応はできる。しかし、「ホルムズ海峡封鎖」の事態となれば、日本経済は壊滅的な影響を受ける

 統計を調べてみると、2010年の原油輸入先帝国書院(中高の地図で圧倒的なシェアを持つ教科書会社)のサイトで見つかる。

 サウジアラビア(30.3%)、アラブ首長国連邦(20.6%)、カタール(11.8%)、イラン(9.8%)、クウェート(7.5%)、その他(20.0%)となっている。驚くべきことに、80%がホルムズ海峡経由での輸入である。(サウジアラビアに関しては、ヨーロッパ向けに西部の紅海にある輸出港へのパイプラインが存在する。それを利用すれば遠くなるけれど、ホルムズ海峡を通らない輸入も可能。)イランから1割近く輸入しているが、これは代替可能な数字ではあるだろう。が、他国の分が輸入できなければ大変なことになる。

 では現実に「ホルムズ海峡封鎖」はできるか。世界最強のアメリカ海軍、空軍と対立する危険を冒して海峡封鎖を実施するだけの海軍力はイランにはないだろうとの見解が有力のようである。だから「脅し」だということで、「アメリカに追随するしかない日本としては、アメリカに任せておけばよい」と思って思考停止しているのが日本の現状だろう。しかし、イスラエルの攻撃はレバノン、シリアに波及する可能性があり、そうすると民衆革命後のエジプトなども長年のイスラエルとの平和共存政策を(民衆の要求で)変えざるを得ない可能性もある。

 そういう世界秩序の問題もあるし、本来世界のどこであっても武力行使による紛争解決は避けなくてはならない。だけど、特に日本が言わなくてはならない問題は、「国際海峡を封鎖するということは、口にすることも許されない」という大原則である。イランとイスラエルが何をしようと、日本もアラブ首長国連邦も第三国なのだから、日本が原油を輸入するのを邪魔されるいわれがない。それがイラン領海部分だけでも機雷をばらまいて通行できなくされては、おかしいというのを通り越して絶対に許されない。

 なぜなら「ホルムズ海峡は国際海峡」だからである。そこを通らないと外海に出られないような海峡は領海内であっても、国際条約で自由通行が認められている。(国際海洋法条約でイランも署名。)インドネシアとマレーシアの間のマラッカ海峡、イギリスとフランスの間のドーヴァー海峡などがそれである。日本にも5つある。さすが世界有数の海洋国である。北から、宗谷、津軽、対馬(東)、対馬(西)(朝鮮海峡)、大隅の5つである。津軽海峡なんかは、北海道と青森県との間で国内そのものだが、宗谷海峡より利用しやすいこともあり、自由通行が認められている。

 冷戦時代も旧ソ連のウラジ・ヴォストークの極東海軍の艦船が通行していた。潜水艦が潜航して通ることは出来ず、浮上して通行するルールになっている。現在、日本は北朝鮮に対して独自の経済制裁を行っていて、万景峰号の寄港禁止措置などが実施されているが、「国際海峡の封鎖」は行っていない。当たり前である。世界貿易が不可欠な日本で「国際海峡を認めない」ということはできない。(国際海峡通行をある国に認めないのは、制裁ではなく「戦争行為」である。)

 この「国際海峡の自由通行権」こそが日本が世界に声を大にして訴えていかなければならない問題である。核開発だけだと、核保有国の発言権が強くなってしまうし、アジアでは中国やインドの影響力を期待できない。(インドやパキスタンはイランに言える立場ではない。)むしろ、世界最大のムスリム人口国家で、世界最大の海洋国家であるインドネシア(国際海峡をマラッカ、ロンボクと二つ有する)、トルコ(イスラム教だが世俗国家の伝統が長く、国際海峡をボスポラス、ダーダネルスと二つ有する)などと協力するのが良いと思う。「アジアの国として」平和に向けた調停を行うような構想力こそ今必要なのではないか。日本だけではダメ。僕は今経済発展により世界的に重要性を評価されつつあり、国際海峡を有するという意味でインドネシア、トルコとの協力を強く訴えておきたい。
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イランに核開発の権利はあるか―緊迫!イラン情勢④

2012年02月26日 23時12分35秒 |  〃  (国際問題)
 映画や演劇で遅い日が続いたけど、イラン情勢の続きをもう少し。何回かイランの歴史をたどってみたが、今回は核問題の初歩的な一般論を。まず、イランは「核の平和利用を進めるのは権利である」と主張している。この問題をどう考えればいいのか。

 原子力発電は必然的に危険な核廃棄物を生み出す、それは10万年もの間人類が管理しなくてはならない。万一大事故が起こった時は、チェルノブイリや福島が示したように国境を越えた被害をもたらす。そのような原子力発電を行う権利は、本来どの国にもないのではないだろうか。

 例えばそう言いたい気持ちもあるわけだけど、それは今現在の段階では国際的な通念とはなっていない。核拡散防止条約(NPT=Nuclear Non-Proliferation Treaty)に加盟している国は、国連安保理常任理事国の5か国には核兵器保有を認め、それ以外の加盟国には核兵器は認めないが、「原子力の平和利用」を認めている。この条約に入っていないのは、インド、パキスタン、イスラエルであり、脱退を表明したのが北朝鮮である。イランは加盟国。だから確かにイランが原子力発電を行うというだけなら、イランはその権利を持っている。ただし、それは国際原子力機関(IAEA)の査察をきちんと受けるということが条件となる。日本は査察をきちんと受けてきた。そして現在のIAEA事務局長は日本人の天野之弥(あまの・ゆきや)である。

 最新の状況では、イランはその査察を拒否したままである。
 「イランの核開発計画を検証するために現地入りしている国際原子力機関(IAEA)の高官級調査団は21日、核関連施設のパルチン軍事基地への立ち入りが認められないまま2日間の日程を終えた。IAEAの天野之弥事務局長は22日の声明で、「われわれは建設的な協議を進めようと努めてきたが、合意には至らなかった」とし、「核関連施設への立ち入り要請が認められず失望している」と述べた。」
 これが数日前の最新ニュース。これではやはり「疑惑がある」と言われても仕方ない。

 一方、NPT自体に未加盟のインド、パキスタン、イスラエルは核兵器保有国である。イスラエルは保有、非保有を明言しない政策を取っているが、核兵器保有国であることは公然の事実と言われている。条約自体に入っていないのだから、条約上の問題はない。でも、何だ、イスラエルの方が未加盟なのかと思うのもやむを得ないだろう。イスラエルは自分の方が持っていて、周辺の国が持つのは武力で阻止するのか。それが許されるのか?そういう問いを立てれば、もちろん答えは「許されない」なんだけど、イスラエルに対して国際的な制裁をするようなことはアメリカが拒否権を使うからできないことが判り切っている。イスラエルが武力行使すれば、(アメリカも含めて)非難はするだろうけど、実効性の期待できる対応は取れない。まあ、そういうことである。

 一方、核兵器を持つこと自体、どの国に権利があるのか。アメリカやロシアには原爆や水爆を持つ権利があるのか。あるということは被爆国として言いたくないわけですけど。しかし、とりあえず5か国にだけ核兵器がある段階で「核拡散」はそこで止めようということになり、条約もできた。国内でも議論もあったが、日本も加盟した。だから日本としては、アメリカやロシアやイギリス、フランス、中国の核保有は(政治的な立場としては)認めていることになる。では、インドやパキスタンが核兵器を持っていいのか。それはダメだという非難が当初はあったけど、インドは経済発展してだんだん黙認されるようになり、その隣国であるパキスタンも何となくなあなあになりつつある。

 では、北朝鮮だって、イランだって、核兵器を持ってもいいのではないか。それを非難する権利はどの国にあるのか。まあ、日本にはあるかもしれないが、イスラエルにはあるのか。リクツで考えるなら、そういうことになってくるし、頭が痛い。結局、はっきり言ってしまえば、北朝鮮とイランだからダメなんだよ。それは差別だ、イジメだと本人は言い張るかもしれないけど、これまで危ない暴力沙汰をいろいろしてきた経過があるから、この二人だけが校門で持ち物検査をされても差別だとは言えないというわけだ。第一、イランとパキスタンと北朝鮮は、核の「闇市場」で関係があるという説もある。自分で持ってるだけなら、「自衛」で通るかもしれない。でも、北朝鮮やイランは「独自の政治体制」から開発した核兵器を他に流しかねないと思われているわけだ。特に、イランはシリアを通じてレバノンのシーア組織ヒズボラに影響力も持っているのは否定できないから、イスラエルはそれを心配するのは無理もない事情がある。いや、それはないとは誰も否定できないし、そもそも核兵器を開発してないと言っても査察を拒否している以上疑われるわけである。(まあ、IAEAの成り立ち自体がアメリカの世界政策によるものではあるけど、現在の状況でIAEAの査察という制度を否定することはできない。)

 じゃあ、どうするの?と言っても、ここでいくら僕が考えても名案は出てこない。そんなんで解決するならとっくに解決しているわけである。ただ、世界にはいくら大変な事態になっていても大きな問題にはなっていない地域紛争はいくらもある。ソマリアなんか最初は大問題になっていたが、中央政府がなくなってしまってもう20年近いが、忘れられたような状態が続いている。(最近ちょっと和解への動きがある。)イランとイスラエルの問題が世界にとって重大なのは、イランが原油の大生産国であるとともに、「ホルムズ海峡を封鎖する」などと脅しによる「瀬戸際外交」をしていることによる。その問題をどう考えるかは次の機会に。
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こまつ座「雪やこんこん」

2012年02月26日 18時53分57秒 | 演劇
 今年は井上ひさしの生誕77年ということらしく、生前から何か大々的なイヴェントをしようということだったらしい。で、「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」と銘打って、8作品の連続上演を計画している。すでに「十一ぴきの猫」が1月に上演され、現在、新宿・紀伊國屋サザンシアターで「雪やこんこん」を上演している。(3月11日まで。)
 

 1月公演も見たんだけど、演出(長塚圭史)は素晴らしかったけど、どうもネコに入れ込めないタチでここには紹介しなかった。今回の「雪やこんこん」は初めて見たんだけど、いやあ、やっぱりすごいなあ、うまいなあ、心に沁みるなあと大満足で紹介しておこうかなあと思う。井上ひさしは遅筆で有名で開演が遅れることもしばしばだったので、生前の新作は後半を取るようにしていた。しかし、今やこまつ座の宝物のような再演演目ばかりなので、もはや遅れることもないだろうから今回は4日目に見た。旅役者一座を描く作品だが、今までこまつ座では市原悦子や宮本信子が演じてきた座長・中村梅子を高畑淳子が演じた。さすが、貫録の熱演でキャリアのすごさを実感。

 大衆劇団「中村梅子一座」が、北関東の雪深き旅館に併設された芝居小屋「湯の花劇場」に着いたとき、座員はたった6人。高崎から上り列車で逃げた役者もいて、何しろ給料も出ないありさまではこの一座の未来も暗いか。おりしも大雪で、ここでも客は入るかどうか。「正月興行までなんとかもちこたえねば」女座長・中村梅子の焦りと悩みは外の雪のようにこんこんと降り積もる。というのが基本設定。

 そこの旅館の女将・佐藤和子(キムラ緑子の名演)は、元は大衆演劇の大スターであったが、嫌気がさしてこの世界から足を洗い、ごひいき筋の高崎の社長の求婚を受け入れて旅館を切り盛りしている。役者の頃から尊敬していた梅子とその一座を迎え、何かと世話を焼く女将の和子と番頭の庫之介を巻き込んでの中村梅子一座の涙と人情の二日間の幕開き。「井上ひさしが浅草フランス座時代から集めつづけた大衆演劇の作者役者の宝石のような名台詞が、雪の花ふぶきのように舞散る」とは、チラシの言葉の引用だけど、まさにその通り。いつの時代にも通じる、どんづまりの人間たちの心意気。どんづまりに来て、逃げたいけれども、逃げずに頑張る、とはどういうことか。そこです。

「裸で横に歩く奴が栄えて、まっすぐ芸で押してきたものがバカをみる世の中でございます。この頭の上の空に日光、月光そして星の光と三つの光のあるうちは、どう落ちぶれようと、中村梅子、役者としての魂をくもらせたくない料簡でございます。」

 鵜山仁の演出も素晴らしく、金内喜久雄、キムラ緑子など舞台で鍛えた演技もいいけど、村田雄浩、山田まりやも頑張ってる。でも、やっぱり女座長・高畑淳子。大衆的な芸能にこめられた民衆の知恵の結晶を、全身で表現できる素晴らしい演技。

 井上ひさしの1987年作品で、僕は一番忙しく金もない時期で、この頃の作品はほとんど見てないと思う。井上ひさしの戯曲は70以上あると思うが、まだ見てない作品がたくさんある。素晴らしい遺産が残されている。今後も今年のフェスティバルをできるだけ見たいな。当日券もあります。
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モンテ・ヘルマン監督「果てなき路」

2012年02月25日 21時49分36秒 |  〃  (新作外国映画)
 昔「断絶」という映画があった。1971年アメリカ作品。当時の「アメリカン・ニュー・シネマ」の一本で、アメリカ南部をカーレースをしながら放浪する青年の映画。何だか「イージーライダー」の二番煎じみたいな感じがした。そういう記憶があるから、多分見たんだと思うけど。その映画が大コケして以後メジャーで撮れず、1989年以後は一本の作品もないモンテ・ヘルマンという映画監督がいる。そのモンテ・ヘルマンの21年ぶりの作品、「果てなき路」が公開中。(東京・渋谷の「シアター・イメージフォーラム」。2日まで。ついでに朝と夜に「断絶」も公開中。)

 これが実に面白くて書いておこうかなと思った。もっとも全員が見るような映画ではないんだと思う。映画とミステリーが大好き、つまり「フィルム・ノワール」とか「ファム・ファタール」という言葉に弱い方向け。映画作りをめぐる映画で、キャノンのデジタル一眼レフで撮影されている。「劇中劇中劇」の構成で、映画作品が中で引用されたりしているうちに、何が真実で何が陰謀なのか判らなくなってくる。そもそもが映画なわけだが、その映画内で「現実として描かれる空間」があり、その空間の中で「現実の犯罪(?)に材を取った映画作り」が行われる。その映画を撮っているうちに、映画の中の映画の中なのか、映画の中の現実なのか、犯罪や陰謀があるのか、なんだか判らなくなってくる。

 そういう、一見すると訳の分からない映画である。冒頭、パソコンにDVDが差し込まれ、映像が流れ始める。カメラはパソコンに近づいて行って、映像と一体化する。そこでは若い映画監督ミッチェル・ヘイヴンが新作を作ろうとしている。アメリカ南部で起こった「事件」をブログで追及している女性がいて、その記事が原作である。その事件というものは、ノース・カロライナの山間部で、地方政治家と愛人が乗った飛行機が墜落する、その前に彼らの汚職を追及していた警官が銃で撃たれた死体で発見された、というものらしい。その女性ヴェルマ・デュラン役を探していて、ローレル・グラハムという女性を探し当てる。彼女を主役に撮りはじめると、まさにはまり役で映画内の監督と主演女優が親しくなっていってしまう。

 だけど、関係者の断片的発言が挿入されていて、ヴェルマはキューバで死んだという証言もある。では飛行機で死んだのは誰だ、ローレルという経験の少ない女優が見つけられたのも不可解で仕組まれていたのか、ローレルこそ実はヴェルマ本人なのか、などという「妄想」さえふくらんでくる。なお、ヴェルマというのは、チャンドラー「さらば愛しき女よ」のヒロインの名前である。このローレル役のシャニン・ソサモンという女優も偶然見つかったらしいが、実に魅力的に演じている。原題「ROAD TO NOEHERE」は、実際に現地にある道路なのだという。ニューディールで作られたダムで寸断された村や墓地をつなぐ道路が計画されたものの途中で終わっているのだそうだ。その道路の行き止まりのトンネルがヴェルマの密会の地という設定で、映画内映画でもロケされている。映画内の現実の意味と、象徴的な意味が掛けられていて、意味深長にして忘れがたい題名である。

 撮影が終わり夜になると、主演女優と結ばれた監督は昔の映画を部屋で一緒に見る。それがプレストン・スタージェス「レディ・イブ」(日本では長く未公開だったコメディ)、ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」、ベルイマン「第七の封印」というのだから、驚くべき選定ぶり。モンテ・ヘルマン自身の趣味にして、映画の設定をも暗示している。もともと映画界入りする前はベケットなどを上演する演劇活動をしていたそうで、この二重三重に仕組まれた映画こそがモンテ・ヘルマンの志向を全開したものらしい。映画では、映画内映画を作っていた監督自身が事件を起こすという結末になっているが、その終わり方の解釈も多様でありうるかもしれない。映像も美しく、全体に謎めいていて、魅力的な映画。

 流されるカントリー・ミュージックが素晴らしく、トム・ラッセルという歌手のものだというが、ストーリーともからみながら心揺さぶられる音楽である。こういう映画の魅力を伝えるのは難しいんだけど、フィルム・ノワール好きでもちょっとディープな映画ファンには見逃せない出来。

 なお、「断絶」に触れておくと、主演が歌手のジェームス・テイラーで、対抗するドライヴァーがウォーレン・オーツ。「デリンジャー」や「ガルシアの首」が懐かしい。82年死去。ヒッチハイクで同乗する少女役がローリー・バードという人。実際にヒッピーだった演技経験ゼロの少女だったという。アート・ガーファンクルと同棲して、別れた後で79年に一緒に住んでいたアパートで自殺、26歳とパンフに書いてある。アート・ガーファンクルの「シザーズ・カット」のジャケット裏に彼女に捧げられた言葉が書いてあるという。そのレコードは持ってるぞと思って探したところ、ジャケットじゃなくてレコードを入れる紙袋の裏面に「and is dedicated to you、 Bird」と確かに記されてあった。
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映画「ポエトリー」

2012年02月23日 23時40分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 韓国のイ・チャンドン監督の「ポエトリー アグネスの詩」が、銀座テアトルシネマで公開中。(新宿武蔵野館でモーニングショーもある。)2010年のカンヌ映画祭脚本賞。韓国で一番権威がある大鐘賞の作品、女優、助演男優、脚本賞受賞作品。

 イ・チャンドン監督は1954年生まれで、小説家として成功したあと、自作の映画化で脚本を担当してから映画界に関わり映画監督としても成功した。ノ・ムヒョン政権で文化観光部長官を2003年から2007年にかけてつとめた。韓国民主化運動の文化的旗手の一人で、そういう経歴から映画作品は5本と少ないが、いずれも重要な作品ばかりである。

 第1作の「グリーン・フィッシュ」はまだ模索中という感じだが、次の「ペパーミント・キャンディ」は民主化運動に参加したもの、警官として弾圧したものを、現在からエピソードをさかのぼって描くという実験的な方法が成功した。時間が普通の映画と逆にどんどんさかのぼっていくので、なかなか理解できず2回見たけど、2回見ると伏線がいろいろ理解できて面白い。三作目の「オアシス」(ヴェネツィア映画祭監督賞)が僕が思うに最高傑作。前科者の男と脳性まひの女の恋という、禁断というか、こんなのありかという設定ながら、見ているうちに人間存在の崇高さに心打たれた。続いて「シークレット・サンシャイン」(カンヌ映画祭女優賞)では、誘拐事件の被害者、加害者とキリスト教による「赦し」の問題を描いた。

 このようにイ・チャンドンは、タブーに挑戦するかのようなテーマを扱い、方法的にも実験も試みながら、人間存在の奥深さを描く「純文学作品」を作り続けてきた、世界でも最も注目すべき映画作家の一人である。さて、では今度の作品はどういう話だろうと思うと、なんと中学生によるいじめ自殺事件というものである。韓国でも学校での問題はいろいろあるという話は聞いてるけど、これは実際にあった性暴力事件のインパクトを受けて発想した物語と言うことである。日本でも様々なケースがあったが、本格的に扱った映画作品は記憶にない。しかし、この映画はドキュメントや社会的告発を目的としたものではない。

 題名(原題も)は「」。老女性ミジャが主人公である。娘が離婚してプサンに働きにいき、孫を育てながらつましく暮らしている。手にしびれがあり病院に検査に行くと、むしろ言葉の忘れなどが心配と言われる。(大学病院で検査を受けると初期のアルツハイマーと言われる。)その病院で自殺した女子中学生を見る。帰りに文化院で詩作の講座があることを知り、申し込んでしまう。彼女はホームヘルパーをしながら、貧しい暮らしをしているが、詩を作りたいというような感性を持った「童女」のような存在として描かれている。ところがある日、孫の友人の父親が訪ねて来て、女子中学生の自殺は孫を含む中学生グループの暴行が原因だと知らされる。今なら慰謝料をはらって示談にできる、と学校も家族も動いている。マスコミに知られないうちに早く金を払ってくれという。しかし、貧しい老女に金はない。

 というのが主筋だが、詩の講義、朗読会への参加などがはさまり、「現実」を相対化して世界が深く見せる。この「詩」を作ろうとする老女性という設定が、かつてない深く重い味わいを出している。そして、「反省」という言葉のかけらもないような孫と友人たち、保身のみ考えている親たち、その中でミジャはどうすればいいのだろうか。この映画は答えを出さない。静かに見つめるだけで、誰をも裁かず、誰をも称賛しない。説明的描写も極端にすくない。だから登場人物が何を考えているかはよく判らないところがある。そして、映画は終わるけど登場人物はどうなるのか、結論を見せずに終わってしまう。

 ただ、詩の教室で講座が終わるまでに一つの詩を作ってみようと講師がいう。ミジャはいつもメモ帳を持ち歩き詩を作ろうとしている。そして、他のメンバーは詩を作れなかったが、ミジャは最後に詩を作って残す。その詩だけが、ある意味でミジャという人の心象を映し出しているわけである。どういう解釈が成り立つかは観客にゆだねられている。主人公ミジャを演じているのは、かつての大スターだったユン・ジョンヒという女優で、結婚してパリに住んでいたのを久方ぶりに出演依頼したのだという。存在感あふれる名演で圧倒的である。なんだかよく判らないところも多いんだけど、心の奥深くに刻まれて残り続ける映画である。韓流スターが出ている映画ではないけど、これは是非見ておいて欲しいなと思う。
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イランのイスラム革命体制―緊迫!イラン情勢③

2012年02月21日 23時43分57秒 |  〃  (国際問題)
 イランの歴史のお勉強の続き。リビアのカダフィ体制が崩壊した今、イランの政治体制は世界でもっとも不思議な体制といってもいい。「ひどい政治」というだけなら、北朝鮮やジンバブエなども挙がってくるが、イランでは政党や政治家が独裁をしているのではない。一応、大統領や国会議員の選挙はちゃんとあるんだけど、実際はイスラム聖職者が実権を握っているという「宗教国家」(宗教者そのものが宗教的権威によって最高権力者になっている国家)になっているところは他にはない。

 イラン社会の様子はなかなか伝わりにくいが、世界でも有数の映画国なので映画を通して見えてくることがある。今年のアカデミー賞外国語作品賞の最有力と言われているのが、イラン映画「別離」。昨年のベルリン映画祭金熊賞で日本でも4月に公開予定。国を出るかどうかで中産階級の夫婦がもめる様子を描く話らしい。そのような現状批判を映画で続けるのは難しく、反政府デモを録画したために逮捕、起訴されている監督がいる。ジャファル・パナヒ監督。そのパナヒ監督の数年前の作品、「オフサイド・ガールズ」という映画がある。イランではサッカー場に女性が入れない。なんと!で、何とか男装してもサッカーが見たいという女性たちを描いている。この映画が久しぶりに上映の機会がある。その名も「ヨコハマ。フットボール映画祭」で、25日(土)12:40から。京浜急行の黄金町駅が一番近い「シネマ・ジャック&ベティ」という映画館。

 そういうふうに、世界の常識からすると異常な感じの社会体制になっているのが今のイランである。(女性専用席を設けるということもない。サッカー観戦中の男のひわい、野蛮な掛け声などから「女性を守る」ということらしいんだけど。)これは1979年のイスラム革命の成功によるものである。それまではむしろ欧米風の近代化で中東トップを走っている感じだった。イスラム革命以後、パフレヴィー朝を支えていたアメリカへの感情が悪化、大使館占拠事件(1979.11~1981.1)が起こり、未だにアメリカとは国交断絶中である。「腐敗堕落した欧米諸国の音楽」であるロックを演奏しようという若者たちが弾圧される様子が、昨年公開された「ペルシャ猫を誰も知らない」で描かれていた。革命直後は伝統音楽やクラシックも演奏できなかったという。ロックもサッカーもダメとなったら、日本の若い女性はどうするだろう?

 さて、再びイランの歴史を見てみる。19世紀から20世紀にかけて、アジアでは欧米に対抗する近代化の動きが様々に起こった。結局、一応の成功を見たのは日本の明治維新だけだったけど。世界史の教科書では、中国やインドのことはけっこう載っているから覚えている人も多いだろう。最近は中東重視でオスマン帝国のことも教科書に大きく載るようになった。「タンジマート」とか「ミドハド憲法」とか、昔教わった人にはチンプンカンプンでしょう。教えている社会科教師の方だって、自分の時は教わっていないので勉強には限りがない。なお、ミドハド・パシャを中心にして成立した「ミドハド憲法」は1876年に公布されている。あれ、1889年の大日本帝国憲法がアジア初だったんじゃないのか。実はロシアとの戦争に負けたオスマン帝国では、皇帝が憲法を停止してしまい実効しなかった。だから、議会政治をアジアで最初には実施したのは日本なのは変わらないんだけど、憲法公布だけだったらオスマン帝国が先だったのである。

 いや、オスマン帝国の話は置いといて。でも、ペルシアのことは最近の教科書でもほとんど載っていない。18世紀末に成立したガージャール朝は、ロシアやイギリスの侵略を受け、実質的に半植民地になった。1891年にはタバコ利権売り渡しに反対するタバコ・ボイコット運動が盛り上がり、1905年から11年にかけてのイラン立憲革命につながる。しかし、第一次世界大戦後は英国に占領されてしまい、名前としては皇帝が残っていたけど、実質的にはもうイギリスの植民地に近い。そこまで王朝の権威が落ちたのを見たコサック部隊の将校レザー・ハーンがクーデタを起こして首相となり、イギリスとの間で治外法権の撤廃に成功した。レザー・ハーンは、1924年に皇帝を廃位に追い込み、1925年には自ら皇位(シャー)につく。これがパフラヴィー朝。レザー・シャーは親ドイツ政策を取ったため、第二次世界大戦中にイギリス軍とソ連軍の占領により追放される。皇位は22歳の息子、モハンマド・レザー・パフラヴィーが継ぐ。(この人が最後の皇帝。)

 1951年、戦後の民族主義のうねりの中、国民戦線のモハンマド・モサデグが首相となり、イギリス系のアングロ・イラニアン石油会社を国有化する。この早すぎた資源ナショナリズムは1953年、CIAの介入により打倒された。(これはアメリカが他国の指導者を謀略で倒した最初の例。)このように、イランの帝政は欧米諸国に支えられて成立していたのが、誰の目にも明らかだった。日本の天皇やタイの国王のように、「アジアの中で植民地にならなかった歴史を象徴する」というナショナリズムの核となれる存在ではなかったのだ。

 日本で言えば大正時代末に欧米の都合で成立した王朝なんて、ありがたみも何もないものだったのである。民衆の伝統にとって何の意味もなく、むしろ伝統の破壊者でしかなかったのである。欧米に支えられ、近代化路線をひた走り、1971年には古代遺跡のペルセポリスで建国2500年祭、1974年にはアジア大会を開いた。外部から見ると華やかな成功のように見えたが、貧富の差が拡大し、不満を秘密警察で抑えるやり方に国民の支持はなくなっていった。当時の日本では、韓国軍事政権のKCIAやソ連のKGBなどが悪名高かったが、実はイランの秘密警察サヴァク(SAVAK)が一番ひどいのではという話は伝わってきていた。そのような独裁的な君主制がもろいのは、驚くことではなかったのである。1978年になってイスラム勢力を中心に、左翼も加わる反政府運動が広がり、支持を失ったシャーは国外に脱出した。1979年1月。

 パリに国外追放されていたシーア派の最高権威ホメイニ師が2月に帰国し、テロが相次いだり権力争いが続いたが、結局「イスラム共和制」が成立した。成立してしまうと、民衆の期待は裏切られ、皇帝時代にはあった「世俗的自由」がどんどん奪われていき、女性の社会進出は否定された。宗教的少数派は弾圧され、同性愛者など宗教的に否定されるべき人々は生命の危機にたたされた。表現の自由は否定され、宗教的な非寛容政策が取られた。改革派聖職者のハタミが大統領に2回当選した1997年~2005年には期待が高まったが、結局実権が大統領にない以上、自由化は進まず国民の期待は裏切られた。そして2005年、2009年と強硬派のアフマディネジャドが大統領に当選した。

 当面イラン内部から自由化、改革への道筋は見えない。前回大統領選でも改革派支持の世論は一定程度あるのだが、権力を握るまでの力がない。そうなってしまったのは、1980年~1988年まで続いた、イラン・イラク戦争の影響が大きい。イスラム革命の影響を恐れたアラブ諸国やアメリカの応援を受けてイラクのフセイン政権はイラクに侵攻した。この国家的危機に対して、イスラム革命政権が外国侵略への抵抗を続けて倒れなかった。反政府派の左翼勢力などはイラクに行ってイスラム政権打倒を唱えてイラク軍と共闘したりしたので、イラン国内の支持を完全に失ってしまった。だから、それ以後はイスラム体制内で自由化の幅をめぐる論議はあるものの、体制転換をめざす勢力がいない状態なのである。

 こうして、市民的自由のない、選挙で選ばれない人が最高権力を握っている、現代ではありえないような政治が続いていて、それが近々のうちに転換する可能性はないだろう。制裁や外国の攻撃は、かえって一時的には「核開発を成功させたイスラム体制支持」をもたらす可能性が高い。困ったね。
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イランの歴史-緊迫!イラン情勢②

2012年02月20日 23時32分37秒 |  〃  (国際問題)
 イラン情勢と言うけど、「イランってどこだ?」という人もいると思う。ましてや「白地図の中でイスラエルの位置を示しなさい」は、もっとできないだろう。長年、生徒に問題を出してきたけど、西アジア諸国ほど生徒が不得意にする地域はないように思う。政治情勢に無関心なうえ、宗教とか民族の違いが出てくると判りにくいんだと思う。生徒ならまだしも、社会科以外の教員にも(担当教科や生徒指導は大変立派な先生なのに)、「イランとイラクの場所が区別できないんだよね」という人が何人かいた。この30年位ほぼ毎日、新聞にこの両国のどちらかが載ってたでしょう、と思うんだけど。

 まあ、僕は国名や歴史上の人名を覚える苦労をしたことがないので、要するに得手不得手の問題だろう。(自分の方が特殊なんだろうね。)でも僕は、「世界地図を手元におくこと」はとても大切だと思う。大相撲初場所優勝の大関「把瑠都」(バルト)関、出身のエストニアってどこだ? バルト三国を北から順番に言え、とか。ニュースで見たら、すぐに地図を見て確認が大切。

 さて、イランとイラクに関しては、「イランが東、イラクが西」だよね。地図を見て下さい。ただ、問題は国名と場所を覚えると言うより、「民族の違い」をしっかり認識することにある。「オリエント世界」(オリエントは「東」で、ヨーロッパから見て東という意味だから、日本で使うのも変なんだけど)は、アラビア半島やイラクから、北アフリカ西端のモロッコまで、ほぼアラブ民族(宗教的にはほとんどがイスラム教スンニ派)が広がるけれど、それ以外の民族が4つほどある。

 まずはイランで、はインド・ヨーロッパ系のイラン民族(ペルシア人)、そしてトルコがアルタイ系のトルコ民族である。(中央アジアのトルクメニスタンやウィグル人などもトルコ系である。)そして、「国家を持たない最大の民族」と言われるクルド民族が、イラク、イラン、トルコ、シリアなどの国境沿いの山地に住む。以上がイスラム教。そして、そこにもう一つ、第二次世界大戦後にユダヤ教イスラエルという国ができた。

 さて、今カッコの中に「ペルシア人」とも書いたけれど、この「ペルシア」と「イラン」は同じ。地名ではペルシア湾というし、世界史では「○○朝ペルシア」というのがやたらに出てくる。で、今はイランだから混乱してしまう人がいる。「イラン」は「アーリア人の国」という意味で自称の国名。他国にイランという国名を使うと通知したのは、1935年のことである。アーリア人というのは、古代インドのイスラム文明を滅ぼした民族として世界史の教科書に出てくる(最近は異説もある)、あのアーリア人。中央アジアに住んでいて南下した「インド・ヨーロッパ語族」とされる。アーリア人が南下してイラン高原に定住したのが、「イラン」=「ペルシア」となる。

 世界の古い文明というと、多くの日本人が思い浮かべるのはまずエジプト、メソポタミア。そして中国、ギリシア、ローマ文明などというあたりだろう。ペルシアと答える人は少ないと思う。でも、ペルシアは古代ギリシアまで戦争に行って、「マラトンの戦い」などをした。「ペルシア戦争」(第3次まである)という。ペルシアは大昔から栄えた民族なのである。この時は「アケメネス朝」。イスラム教を受け入れたんだから、それ以前は暗黒時代のはずだが、イラン人は古代文明に誇りを持っている。自分たちは古くからの誇りある国で外国に侮られてはならない、と思っている。これは中国なんかもそうだし、第二次世界大戦下の日本もそんなことを言っていた。ここを間違えてはいけないと思う。外部からの制裁だけでは逆効果の場合もあるだろう

 「○○朝」というのが、世界史の悩みだった人も多いと思うけど、ペルシアはアケメネス朝があって、その後ササン朝というのがあり、正倉院にも伝わるというペルシア遺品はこの頃。その後、イスラーム帝国、セルジューク・トルコ、モンゴル帝国、ティムール帝国などの他民族の支配の時代が長かったけど、16世紀初頭に成立したサファヴィー朝(支配者の民族としてはトルコ系らしいが)が、現在のイランの基だと言ってよい。何しろイスラム教シーア派を国教としたのが、この王朝なのである。

 サファヴィー朝は1722年にアフガン民族の侵入で滅亡する。混乱が続くが、群雄割拠の時代を終わらせたのが、ガージャール朝(1722~1925)。この王朝の時代は、ヨーロッパ勢力の侵攻により半植民地化が進んだ暗い時代である。19世紀初めの、2度にわたるロシアとの戦争に敗北し、グルジア、アルメニアなどのカフカス(コーカサス)地方を失った。(これらの国々はロシア革命後「社会主義共和国」となり、ソ連崩壊後独立した。スターリンはグルジア人だから、イランが領有したままだったら、世界史は今とは違った。)カージャール朝も建て直しをはかったけれど、その資金はロシアと対立するイギリスからの借款による他なかったから、鉄道などの利権はイギリスに与えられた。それらを反イスラーム的と見た国民により、激しい立憲革命運動が起こる。一方、日露戦争までは英露は対立したが、その後は台頭するドイツに対抗して、協調路線に転換する。1907年の英露協商は20世紀のアジアを決定づけた

 英露協商では、イギリスはインド支配を優先して、隣接するアフガニスタンを支配する。ロシアはカフカスと西トルキスタン(ウズベキスタンやキルギス)を支配する。東トルキスタン(ウィグル)とチベットからは英露とも手を引き、清国の領有を認める。(アフガンに1979年にソ連が侵攻したらどうして大問題になったのか、モンゴルは独立しているのにチベットは何故独立できないのか、などの問題は、すべてこのときの協定に原点があると言える。)そして、ペルシアは北半分をロシア、南半分をイギリスの勢力圏にすることで、折り合った。こうして、事実上英露の半植民地となったガージャール朝は、もはや命脈がつきていた。

 1925年、軍人で首相だったレザー・パフレヴィーが皇帝を廃位し、自ら帝位について、最後の王朝パフレヴィー朝が成立した。この王朝で、ペルシアからイランへと国名改称がなされた。しかし、この王朝も外国頼りであることは変わらず、現に第二次世界大戦時、親ドイツ的傾向を見せた皇帝に対し、英国とソ連による占領が行われている。そして、1979年のイスラーム革命で皇帝が追放され、パフレヴィー朝は倒れた。その頃は、よく「パーレビ国王」とマスコミが呼んでいたが、最近の教科書などでは「パフレヴィー」という表記になっている。(長くなってしまったので、イスラム革命の話は次回。)
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緊迫!イラン情勢①

2012年02月19日 00時19分29秒 |  〃  (国際問題)
 イランの核開発をめぐる緊張が高まっている。15日には、原子炉への国産燃料の装填が、アフマディネジャド大統領が出席して行われた。国連安保理常任理事国にドイツが加わった6か国による外交的解決をさぐる調停があるが、外交的解決の道はうまくいっていない。欧米による経済制裁が決まり、国際的圧力が高まっているが、それで解決につながるか、どうか。

 イランは核兵器開発を目指していると見るイスラエルは、単独攻撃も辞さずとの姿勢を鮮明にしている。それに対して、攻撃に対しては、イランはホルムズ海峡を封鎖すると言っている。

 これは大変な事態だけど、日本の関心は薄いのではないか。震災対応に追われる日本は、国内問題にとらわれ国際問題に対する危機意識を失っているのではないか。イラン危機は今年最大の問題であって、日本で今議論している問題は、イラン情勢の推移によりすべてが変わってしまう可能性がある。ホルムズ海峡封鎖が仮に起きれば、原油の大半をペルシア湾岸諸国に負っている日本経済は、決定的な悪影響を受ける。原油価格の暴騰が起きれば、原子力発電所の再稼働を避けられない。消費税増税ができる環境でもなくなり、沖縄の米軍基地返還どころではなくなる。つまり、国会や論壇で今議論されてる問題の前提がすべて崩れてしまうのだ。それどころか、ホルムズ海峡確保のための国際的行動に米国から参加を求められ、「集団的自衛権」の問題へ一挙に踏み込む事態さえ考えられる。

 「社会保障の税の一体改革」を掲げる野田内閣も、解散・政権奪還を目指す自民党も、国の形を変えると豪語する「維新の会」も、そんなことを言ってる場合じゃない事態が迫っている可能性を自覚しているのか。また、反原発や普天間基地返還を主張する人々も、イラン情勢によってはすべてが変わるということを自覚しているだろうか。

 ということで、イラン情勢の問題を数回にわたり考えることにする。

 まず、イランが成功した「ウラン濃縮」について。天然ウランには、核分裂を起こすウラン235は0.7%しか含まれていない。だからこれを遠心分離機などを使い濃縮する。ウラン235の割合が、20パーセント以下を「低濃度」、20%以上を「高濃度」という。日本が保有する原子力発電所は、軽水炉型で「濃度2~5%程度の低濃縮ウラン」を用いる。(だから言うまでもないけど、原発と原爆は全く違う技術である。だけど、低濃縮ウランでも核分裂反応後に、原爆の原料であるプルトニウムができるということはある。)

 イランは「核の平和利用」を主張するが、原発を作りたいだけなら「低濃縮ウラン」だけでいいわけである。ところが、今回の発表によれば、高性能の遠心分離器の開発に成功して、「20%の高濃縮ウラン」の国産化に成功した。原爆には、90%の濃縮ウランが必要だというからまだまだ核兵器自体は作れないわけだけど、後は遠心分離器の性能を高めて行けば濃縮度は高まっていく。まだ核兵器には直結しないけど、「高濃縮技術の国産化」を実現してしまったことは、「核兵器開発を目指しているのでは」と疑われても仕方ない。それは間違いない。イランの核は、インド・パキスタンや「北朝鮮」よりもはるかに危険であることも間違いない。

 イスラエルは、1981年6月7日、当時イラクのフセイン政権が進めていたとされる核開発をつぶすために、イラクの原子炉を空爆した。ヨルダン、サウジアラビアの領空を侵犯して、他国の非軍事施設を攻撃する事態は、当然国連安保理で非難された。しかし、その後フセイン政権は核開発ができなくなった(ことが、大量破壊兵器を理由にした米英のイラク攻撃後に証明された)。だから、イスラエルにとっては、成功体験である。2007年のシリア空爆でも、シリアの原子炉を狙ったとされている。イスラエルの政治構造(比例代表制による自由選挙の民主主義)では、イランに強い姿勢を見せないと選挙で不利になる。

 現在、イスラエルは右派のリクードのネタニヤフ首相が労働党などと連立を組むが不安定。労働党首のバラク国防相が先ごろ来日して、野田首相も自重を要請したが、NHKのインタビューでもバラク国防相は「あらゆる選択肢を排除しない」と明言していた。アメリカのパネッタ国防長官が、イスラエルの攻撃が近いという分析をしているという記事が2日のワシントンポストが報じた。それ以来、世界的にイスラエルのイラン攻撃をどうするかが大問題になっている。

 今までにイラン国内で核物理学者が襲われるなどの事件が起こっているという。これはイスラエルの秘密機関モサドの犯行とされている。一方、13日にインドのニューデリー、15日にタイのバンコクで、イラン人によるイスラエル外交官をねらったと思われる爆発事件が起きている。まさに水面下で大変なことが起きている。イランの核兵器開発意欲は認められるし、イスラエルのイラン核施設への攻撃意思も確実だと僕は判断している
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追悼・淡島千景

2012年02月17日 00時10分01秒 |  〃  (旧作日本映画)
 女優の淡島千景が死去。87歳。昔の日本映画をたくさん見て来て、淡島千景という人の存在の大きさを感じることが多い。川本三郎が戦後の映画女優17人にインタビューした名著「君美わしく」(文芸春秋)を読み直したら、題名は1960年の淡島主演映画「君美わしく」から取ったと書いてある。
(デビュー作「てんやわんや」)
 淡島千景は宝塚出身である。1941年入団、1950年退団。今は退団するとミュージカルで活躍できるが、昔はほとんどが映画界に入った。映画全盛期だから、美人女優は映画会社が放っておかない。乙羽信子、新珠三千代、八千草薫、有馬稲子など戦後を代表する女優は宝塚出身が多い。もちろん資本が共通する東宝が多いが、淡島千景をスカウトしたのは、松竹だった。入社するときに、マネージャーがどの監督の作品にも出られるという条件を出したと先の川本さんの本にある。監督中心主義の松竹は、監督どうしの仲が悪く、ある監督に可愛がられると他の監督に使ってもらえないということもあった。

 デビューは渋谷実監督の「てんやわんや」。これで大評判を取り、続いて「自由学校」に出演。どちらも当時大ベストセラーだった獅子文六の戦後社会風刺小説の映画化で、今見るとそれほど感じないのだが、水着姿や奔放な言動が「アプレゲール」(戦後派)の女優現ると大評判になったらしい。川本さんの評によれば、「シャーリー・マクレーンを思わせる天性のコメディエンヌの魅力」。そう言われてみるとなるほどと思う。さらに、小津安二郎の名作「麦秋」に出演。原節子との会話シーンで20何回直されたという伝説がある。しかし、「あんまりこたえないんですよ、あたしは。(笑)いわれるのが好きなんですね。」とインタビューに答えている。
(「自由学校」)
 木下恵介監督作品もあるし、独立プロの今井正監督「にごりえ」にも出た。これは小津監督がほめてくれたという。最近見直す機会があったが、杉村春子の妻を持つ男・宮口精二に入れあげられる芸者役。樋口一葉作品3作を映画化した中の一本なので、出番は少ないが印象的な役だった。その頃から芸者役が多くなる。今回の報道では、代表作としてどこでも「夫婦善哉」が挙げられている。甲斐性なしの男森繁久弥を支える、しっかり者の芸者役。織田作之助原作、豊田四郎監督の傑作で、とにかく一代のはまり役。森繁も名演だけど、淡島とのコンビが最高。一本選ぶなら間違いなくこれ。おかげで、森繁とのコンビ、気のいいしっかり者の芸者役が多くなってしまったかもしれない。

 森繁はいないが、4作作られた大ヒット作「大番」でも株屋のギューちゃん(加東大介)を支える年上の芸者を見事に演じている。ギューちゃんは株のことと故郷宇和島時代からの憧れの君、原節子しか頭にない。その男を戦前から戦後にかけて陰に日向に支え抜く。男の理想とする女性像を具現化したような役で、それが娯楽小説、娯楽映画の役割なんだろう。それを肉体化するためには淡島千景という個性が必要だった。「苦労が顔に出ない」しっかり者で明るいタイプがピッタリだった人である。

 映画界が衰退して以来、多くの大女優と同じように商業演劇の世界で成功した。テレビでも重要な脇役として重宝され、晩年まで活躍した。しかし、商業演劇やテレビのことはよく判らない。というか映画だってよく判らないけど、映像は残っているので、今になって見直すことができる。女優の一番輝いていた頃を映像で残せる映画という存在は素晴らしい。

 川本さんはインタビュー後に、成瀬巳喜男監督「鰯雲」を見直したという。これは戦争未亡人でモンペをはいて農作業をする場面もある映画である。「淡島さんらしくない役で、やりにくかったんではないですか」という問いに、淡島千景は「あたくしも戦争をくぐっていますから。『にごりえ』の酌婦より、ほんとうはこういう役のほうがよくわかるんです」と答えている。その時代を生きたすべての日本人と同じく、「戦争の時代を生き抜いてきた」女優だったのである。

 気を付けて見てみると、芸者ばかりでなく、確かに戦後を生き抜く庶民の役も多い。思い出すのは、清水宏監督の遺作「母のおもかげ」というほとんど取り上げられることのない映画のことである。戦争未亡人で女の子がある。世話してくれる人があり、男の子がいる根上淳と再婚しないかという話になる。戦死したり空襲があったりで、小さな子を抱えたひとり親がいっぱいいた時代である。根上淳は実直でいい男である。子供も可愛い。淡島千景もしっかり者で職場でも大切にされている。どちらも立派に地道に生きている庶民である。お互いにひかれあう。見ている方も二人になんとか幸せになってもらいたいなあと強く願うし、応援したくなる。誰も悪い人は出てこないんだけど、問題は子どもである。
(「母のおもかげ」)
 やはり実の母親が恋しく忘れられない男の子は、悪い子ではなく意地悪をして再婚させないようにするわけでもない。でも、どうしても淡島になつくことができない。男の気持ちも女の気持ちも、子どもの気持ちも全部よくわかる、誰も悪い人は出てこないのに、どうして登場人物が幸せになれないんだろうという映画である。思い出して書いてるだけで泣けてくる。戦争という悲劇はこんなにも庶民を悲しい目に合わせるんだということが身に沁みて伝わってくる映画だった。

 淡島千景という女優は、戦後を生き抜く庶民を演じさせたら絶品だった。可愛くて、しっかり者で、芸達者だったから、芸者の役などを楽しそうに演じることが多かったけど。
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市馬&志らく 二人会

2012年02月16日 00時44分23秒 | 落語(講談・浪曲)
 池袋の映画館、新文芸坐でやってる落語会も第30回。ここは映画館の「友の会」に入っていることもあり、けっこうよく行っている。15日は、柳亭市馬師匠と立川志らく師匠。懐メロ大会ではなく、落語の二人会。今一番聞きたい落語家と言ってもいい二人。楽しみ。だけど、あまりに早くチケットを買い過ぎて、うっかり忘れて他の公演を入れるところだった。

 僕は市馬師匠(落語協会副会長です)は、歌がうまいということもあるからか、口跡の気持ち良さでは落語界有数なのではないかと思う。ネタは「二番煎じ」。冬の夜に、町内の旦那衆が火の用心の夜回りをすることになる。番小屋に戻った後に、酒を煎じ薬と称しての宴会が始まる。寒い時期にふさわしい話。上品な酔いぶりなどが見事。やはり大好きな落語家だなあ。

 志らく師匠(ところで、今まで「し」と「らく」に分けて打っていたのだけど、今うっかり「しらく」で変換したら、変換の候補の中に「志らく」があったよ)は、正月に紀伊國屋ホールのミッキー・カーチスの自伝出版記念会で「笠碁」を聞いたばかり。この時はハーモニカも。今回はせっかちとのんびり屋の会話がおかしい「長短」と、おなじみ「時そば」。時そばなんて、いろいろな人で何度も聞いたけど、微妙にそれぞれ違って楽しめる。むろん、「何時だい」は同じだけど、それに騙される人がいるとは思えないわけだけど、蕎麦屋とのかけあいや蕎麦の食べ方談義などが違ってきてそこを楽しめる。ついこの間、昇太で聞いたばかり。

 この落語会は最後にトークが入ることが多いのが楽しい。今回も懐メロネタ(特に金沢で受けなかった話がおかしい)、談志師匠ネタなどたっぷり。亡くなってから談志と言う人の大きさを改めて感ずることが多い。

 ここで書かなかったが、1月初めに紀伊國屋ホールで行われた吉川潮「待ってました! 花形落語家、たっぷり語る」の出版記念の会に行った。そこで春風亭昇太を久しぶりに聞いたわけ。昇太は柳昇師匠がまだ存命の頃に師匠の会で知ったのが、もう10年以上前。その新作のセンスに脱帽して、ずいぶん聞いた。「笑点」メンバーになって知名度が全国区になってから、なんだかあまり面白くない感じだったんだけど、久しぶりに生で聞くとエネルギーがあってやはり面白い。

 吉川さんの本(新潮社)はものすごく面白い。新潮社のサイトから引用すると、

 師曰く、「会場を選ぶな。自分の演るところが神殿だ」「何を語るかでなく、誰が語るかだ。落語家の存在自体がネタである」。芸と人間の磨き方、災難も笑い話にしてしまう精神力と話術。ビジネス書より学べて、ためになる。小朝、志の輔、談春、志らく、鶴瓶、昇太、円丈、あやめ、歌之介、三枝――花形10人が明かす、とっておきの話。

 と言う本で、聞いてない落語家もいるけど、全然大丈夫。ビジネス書というより、現代を考えるときの必読の書ではないかと思う。落語を聞いてない人にこそ。すごく面白いから。
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衆議院の定数削減に反対する②

2012年02月13日 00時26分48秒 |  〃  (選挙)
 衆議院の議員定数削減は、多くの人にとって「言うまでもないこと」「誰でも賛成すること」だと考えているらしい。そういう言葉を実に多く目にすることができる。(いちいち挙げない。)

 一つ取り上げておきたいのは、前原誠司民主党政調会長の発言である。昨年11月26日に、「国民に新たな負担をお願いするのであれば、まずみずからが身を削る努力をしないと国民の皆さん方にお願いをするというのには無理がある。徹底的にわれわれが身を削る努力をしていかなければならない」と発言している。同趣旨の発言は他の日や他の人にも見られる。

 あれ、前原氏でもこんなことを言うのだ。増税と言うのは、国会議員が国民にお願いすることなのか。それでは、国会議員は特権階級で国民の支配者ということになってしまうではないか。言うまでもなく、国会議員は「国民の代表」であり、「国民の総意」で選ばれている。国会で議論を尽くして増税すると言うなら、それは国民の代表が決めたわけである。「お願い」して増税するというものではないだろう。もちろんその政策に国民が不満を持てば、次の選挙で落ちるかもしれないというリスクを国会議員は負っている。

 そもそも国会と言うシステムは、支配者だけで勝手に政治をされたりしないように、国民の代表を選んで決めると言うものだ。その国民の代表の数を、国民自身が少なくしてしまえというのは、自分で自分の権利を縮めるということである。そういう議論が出てきて、当たり前のように流通する日本の政治空間自体がおかしい。

 いや、国会議員としての活動が十分ではないような議員がいるのは確かだろう。だから、選び方(選挙の仕組み)を考え直していくと言うことは大切である。でも、数を少なくするというのでは、かえって国民と政治の距離をもっと遠ざけてしまうだろう。前回書いたように、せめて「人口20万人に一人」程度の代表があってよいのではないかと思う。(衆議院の場合。)

 また、国会議員の歳費を削るというのも考え物である。国会議員にいくらくらいの報酬があるべきか、決めるのは難しい。でも、「国会議員も身を削れ」といって歳費を少なくすれば、もともと資産がある人以外は選挙に立候補できなくなる。民間企業や学界からもっと政治に進出できやすくするためには、ある程度の報酬の水準を維持するしかない。そういうのは「民主主義のコスト」なのだから。

 ただし、「政党助成金」は抜本的に考え直したほうがいい。また、選挙制度や選挙方法も考え直さないといけない。その話はまた。
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衆議院の定数削減に反対する①

2012年02月12日 00時45分45秒 |  〃  (選挙)
 衆議院の議員定数は、現在の制度のままでは憲法違反。このことは前にも書いている。違憲であるのは、「一票の価値の不平等」によるもので、「小選挙区の議席数を、まず各都道府県に1議席を割り振り、残りの253議席を各都道府県の人口比で割り振る」と言う方式がある限り、違憲状態はなくならない。それは最高裁判決に明言されている。なぜ、国会はこれを放っておくのか。それでいて、解散を求める声がある。今出ているのは、「比例区の削減」と「小選挙区のゼロ増5減」の二つである。(ところで、「ゼロ増」となぜわざわざ言うのだろう。単に「5減案」と言えばいいだろうに。)これでは違憲状態が解消されない。

 このまま、違憲状態の選挙制度で衆議院選挙を行うことは許されないと思う。今までとは明らかに違う状況である。「解散・総選挙の差し止め請求訴訟」が可能なのではないか。憲法違反であることが(こちらが違憲と主張しているだけではなく)、明確に最高裁で確定している制度が、そのまま実施されてしまっては法制度の信頼の根幹にかかわるのではないか。まあ、このことは「解散不可論」の中で書いたので、繰り返しだけど。

 それで、僕の考えだけど、「衆議院の定数は削減する必要はない」というものである。こういうことを言ってる人は数少ない。少しいるけど、それは「比例区削減」は「少政党に打撃を与える」、それは「国民の多様な意見が国会に反映されなくなる」という考えのようである。もっと言うと、「比例区削減」で共産党や社民党が激減する、だから憲法9条改悪や消費税増税がどんどんできるようにする陰謀である、という人もいる。僕はそういう考えで反対するわけではない。比例区が削減されれば小政党に厳しいのは間違いないけど、改憲には国民投票が必要なんだから、国民の反対が強ければ実現不可能である。

 僕の定数削減論は、比例区の数をどうするかという問題とは別である。衆議院の議員定数の決め方は、どうあるべきかという原則論である。参議院(上院)はチェック院として、数が少なくてもいいと考える。一方、衆議院(下院)は国民の多様な意見が国政に反映するように、ある程度多数の議員が必要だと考える。それが基本。だから、国会議員一人当たり、何人の有権者を代表するかという計算で考えるべき問題だと思う。

 日本は、人口が極端に多い国(中国やインドや米国のように)ではないけれど、ヨーロッパの主要国の2倍近い人口がある。だから、人口比でヨーロッパ並みの議員数にはできない。けれど、他国と比較すれば、むしろ日本の衆議院定数は少なすぎるという感じがするのだ。

 数を出しておくと、日本の人口は1億2千8百万ほど。小選挙区と比例区があるが、一応480で割ると、「26.7万人に一人」となる。議会政治の祖国イギリスは、人口6100万で下院議席数650だから、「一人当たり9.5万人」。ドイツは、622議席で「一人当たり13.1万人」。イタリアは、630議席で「一人当たり9.5万人」。フランスは大統領制だけど、577議席で「一人当たり11.3万人」。カナダは308議席で「一人当たり11.4万人」。

 アメリカは、72万人に一人、ロシアは31.5万人に一人で、さすがに超大国である。しかし、今見たのはサミット参加国だけど、「日本は国会議員がむしろ少ない」というのが現状なのだ。もちろん、日本の人口の方が多いので単純な比較はできない。イギリスやイタリア並みに、「10万人に一人」にすると、「1200人の衆議院議員」ということになってしまう。これでは国会議事堂に入れない。

 しかし、せめて「20万人に一人」でもいいのではないか。そうすると、600議席ほどという勘定になるか。でも、僕は参議院は比例区100人でいいと書いたから、合わせ技では議員数削減になるんだけど。そして、今後人口が減っていけば、それに比例して議席数を減らしていくことになる。数はピッタリした数(500とか、600とか)でなくてもいい。それより「人口、または有権者数で何万人に一人の国会議員を出すか」という方を決めて、それを議席数とするというのが、原則ではないのかということである。
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マイクル・コナリー「真鍮の評決」

2012年02月11日 00時29分18秒 | 〃 (ミステリー)
 アメリカのミステリー作家、マイクル・コナリーの19作目、「真鍮(しんちゅう)の評決」が講談社文庫の1月新刊で刊行。コナリーの本は、ジェフリー・ディーヴァーと並び、一番期待を裏切らないキャラクター・シリーズを書き続けている。今回も全く期待を裏切られない。冒頭からラストまで、「一読、巻を措く能わざる」(いちどく・かんをおくあたわざる=最近「ページターナー」なんてイングランド語(米国語?)で言う人が多いけど、「日本語」だとこういう表現があるわけです。)小説です。

 巻末に著作リストがあるけど、僕は全部読んでる。時々やり過ぎと思うこともあるけど、その度合いはディーヴァーやスティーヴン・ハンターより少ない。この本は、リンカーン弁護士シリーズの2作目。だけど、コナリー最大のシリーズ、ロス市警のハリー・ボッシュが捜査担当者として出てくる。コナリーの得意技に、登場人物そろい踏みがある。ボッシュシリーズを書きながら、当初は独立したミステリーとして、新聞記者ジャック・マカヴォイ(「ザ・ポエット」)や心臓移植を受けた捜査官テリー・マッケイレブ(「わが心臓の痛み」)を書いた。それがまた面白くて評価を受けると、今度はシリーズに昇格し、その中でハリー・ボッシュと共演したりする。

 そうやってマンネリ化を防ぎ、新アイディアを出し続けていた。マッケイレブは死んでしまったので、もう出てこないが、新しく始まったのがリンカーン弁護士シリーズ。リンカーン弁護士と言うと、弁護士の姓かと思うが、事務所を持たずに高級車リンカーン(フォード社)の後部で仕事をするのである。その名もマイケル・ハラ―は、パソコンを車内で操り提出書類を裁判所に電子メールで送る。そういう弁護士なのである。前回初登場で、大変面白かった。その2作目で、法廷小説の形をとるが、警察捜査小説でもある。最後の最後に、事件の本筋以外の点で、ビックリの展開がある。あれま。

 ハラ―弁護士は、銃撃を受けて治療中に薬物中毒になり、リハビリ途上。1年間何の事件も手掛けていない。そこへ突然事件が多数舞い込む。知人の弁護士が殺害され、契約事項に引き継ぎ弁護士はハラーとなっていたという事情。引き継いだ弁護士の書類もパソコンも、殺害と同時に奪われ何の事件を手がけていたかもわからない。ただ、ハリウッドの大物プロデューサーが妻と愛人を銃殺した容疑の事件があることは知っている。突然、大もうけの事件を担当することになるが、無実を主張する被告人は本当に事件と関係ないのか。一方、弁護士殺害事件の捜査を担当するボッシュの捜査は何をめざしているか。

 というような設定で、実にうまいよ。アメリカの裁判制度、特に陪審の実情、銃や薬物の問題、親子の関係など盛りだくさんな中に、裁判シーンのスリリングな展開は無類の面白さ。でも、最後の結末は全然予想できなかった。というか、これは予想しようがないですね。ボッシュシリーズを全部読むのは大変だけど、前回の「リンカーン弁護士」を最初に読む方がいいとは思います。まあ、もう前作はほとんど忘れて読んだから、まあ、これだけ読んでも十二分に面白いと思うけど。
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木村栄文レトロスペクティブ

2012年02月08日 23時19分22秒 |  〃  (日本の映画監督)
 木村栄文というテレビのディレクターがいた。2011年3月に逝去。76歳。名前は正式には「ひでふみ」というが、よく「エーブン」と呼ばれていた。RKB毎日放送という福岡のテレビ局のドキュメンタリー作家だった。だから、いくつもの賞を取った伝説的な名前は知っていたが、テレビで見たのは多分一つか二つ。そう東京のテレビ局でも受賞後に放送されたことは何回かはあった。
(木村栄文)
 この木村栄文の作品12本がまとめて東京で上映される。渋谷のオーディトリウム渋谷(ユーロスペースのあるビルの2階)で、2月11日から3月2日にかけて行われる「木村栄文レトロスペクティブ」(回顧上映)だ。これこそ、こんなにまとめて劇場で見られる最初にして最後の機会ではないかと思う。

 僕が見たのは「記者ありき 六皷・菊竹淳」。70年代に日本現代史を学んだ者は、桐生悠々という人を、太田雅夫氏の研究や岩波新書の井出孫六「抵抗の新聞人 桐生悠々」で知り、強い印象を受けた。桐生悠々は、信濃毎日新聞主筆として、満州事変以後の時代に反軍的な社説を書いたジャーナリストである。在郷軍人会の不買運動で退社を余儀なくされた後も、名古屋で個人雑誌「他山の石」を出し、1941年に亡くなるまで言論による抵抗を続けた。

 そのような抵抗のジャーナリストがもう一人いたのである。それが福岡日日新聞(現・西日本新聞)の菊竹六皷(きくたけ・ろっこ)だ。この菊竹の業績を知ったのは、多くの人にとって木村氏がまとめた評伝・論説集「六皷菊竹淳」(葦書房、1975)、そして1980年のテレビドキュメンタリー「記者ありき」だったと思う。(菊竹は副社長になった後、1937年に死去。ために、日中戦争や日米戦争への言動はない。)
(菊竹六皷)
 戦争と画家の生き方を追う「絵描きと戦争」(1981)も大きな話題となった。また日本と朝鮮半島の近代史を歌を通して描く「鳳仙花」(1980)も評判を呼んだ。1970年の「苦界浄土」、筑豊炭鉱を描く「まっくら」(1973)など、地元九州を舞台に近代史を問い直す姿勢が初めからあった。

 同時に、障がいを持つ自身の娘を撮った「あい・ラブ・優ちゃん」(1976)、「火宅の人」の作家檀一男の足取りを追う「むかし男ありけり」(1984)、天才打者大下宏を描く「桜吹雪のホームラン」(1989)など、人間を撮ることに情熱的に取り組んだ。「まっくら」では常田富士夫、白石加代子、「苦界浄土」では北林谷栄、「記者ありき」では三国連太郎、「むかし男ありけり」では高倉健など、地方局のスケールを超えたキャストだ。これらの作品のほとんどは、芸術祭大賞、優秀賞、ギャラクシー賞大賞などテレビ作品に与えられる賞を受賞した。まさに「賞獲り男」の異名を残しただけのことはある。

 映画作品は上映後もテレビ放映、ビデオ、DVD等で残るし、すぐれた作品はいつまでも上映される。テレビ番組も一部はずっと再放送されたりDVDになったりするが、多くは放映されたままだ。ドキュメントだと放送自体が一部地域だったり深夜だったりして見ることも難しい。作品の持つ芸術性、思想性がまともに論じられることもほとんどない。だから当然、「作家」として評価されることも少ない。映画や舞台、小説などに転身して初めて評価されることが少なくない。僕も木村栄文という名前は伝説的に知っていたが、ほとんど見たこともなく意識したこともなかった。二度とないかもしれないこの機会、木村栄文を通して近代日本を見つめ直す機会になる。
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