尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

戯曲「コペンハーゲン」(マイケル・フレイン)を読む

2011年08月30日 00時21分06秒 | アート
 マイケル・フレイン「コペンハーゲン」という有名な戯曲を読んだ。ハヤカワ演劇文庫で、去年11月に刊行。日本の現実を見てみると、大震災、原発事故という巨大なエネルギー放出が我々の生活を一変させ、未だにどのように対処すべきか、傷ついている。そういう中で、今まさに「コペンハーゲン」を読む時が来たなと思ったわけ。

 「コペンハーゲン」という劇は、有名な物理学者ニールス・ボーアとその妻マルグレーテ(二人はデンマーク人)、同じく有名な物理学者で「不確定性原理」のハイゼンベルク(ドイツ人)、この3人しか出てこない。恐ろしく緊迫した劇空間が展開される。「読む戯曲」として、こんなにスリリングな話も珍しい。1941年、コペンハーゲン。かつての弟子ハイゼンベルクは、ドイツ占領下のコペンハーゲンにかつての師を訪ねる。そこでどのような会話が交わされたか。今では死者になった3人が、その一点で切り結ぶ。これはドイツの原爆開発に関わる話で、ハイゼンベルクの訪問は歴史的事実。しかし、一体何が話されたかは謎。ボーアは半分ユダヤ人の血を引き、その後亡命している。ハイゼンベルクは何をしにデンマークの旧師を再訪したか。占領下、今では敵どうしである。
(ヴェルナー・ハイゼンベルク)
 ハイゼンベルクは、ヒトラーのために原爆開発を進めていたのか。いや、すべて判ってサボタージュしていたのか。それとも、ハイゼンベルクの計算違いで原爆開発ができなかったのか。師ボーアを訪ねて、原爆開発の知恵を借りようとしたのか。はたまたドイツの原爆開発は成功しないと暗にボーアを通じてアメリカに伝えて欲しいと考えたのか?
 
 ハイゼンベルクは「ドイツ人愛国者」として、「物理学者」として、何をしようとし、何をすべきであり、かつ何をしようとしながら失敗し、あるいは成功したのか? 歴史の闇に埋もれたこのドラマを、作者はたった3人の劇として、恐るべき緊迫感をもってドラマ化している。が、これを読む我々はもっと深刻な気持ちでこれを読まざるをえない。井上光晴の小説「明日」(黒木和雄監督が映画化したことでも有名)のように、我々は知っている。ドイツが開発するのを防ぐために、アメリカは亡命ユダヤ人学者の協力を得て核開発を急いだが、それはドイツ降伏には間に合わず、日本の上に投下されたのだった。そこに結びつく、歴史のドラマ。

 60頁にも及ぶ、歴史解説のような長い長い作者の後書きが付いていて、歴史的事実はかなりよくわかる。実際、史実を確定させることは難しい問題であるようだ。「コペンハーゲン」というのは、有名なボーアの研究所がデンマークの首都にあり多くの若き物理学徒が集ったというエピソードが背景にある。量子力学に関して、有名な「コペンハーゲン解釈」というのがあるけれど、調べても僕には理解不能。ボーアは親分肌で多くの若者を集めたらしい。アインシュタイン受賞の翌年、1922年にノーベル賞受賞。10年後、ハイゼンベルク受賞。名前くらいは知ってた有名な物理学者の、戦争中の格闘。
(ニールス・ボーア)
 ノーベル物理学賞の受賞者を見ると、初期には放射線研究が多い。第1回はレントゲン。第3回はキュリー夫妻と、今や毎日単位の名前で聞いてるベクレル。放射性元素というのは、放射線を出しながら別の元素に変わっていく。ウラン238はいろいろ変化を重ね、14回後に鉛で安定するという。これは、発見した学者にとって、まさに錬金術を見つけたような驚くべき事実で、放射線の危険性は長く気づかれなかった。キュリー夫人も放射線障害で再生不良性貧血が死因だった。

 村山斉さんのベストセラー「宇宙は何でできているのか」(幻冬舎新書)を読むと、宇宙の話と素粒子の話はつながっていると分る。そして、そういう物理学の理解が、現実の世界に関係してくる。放射線の話は、結局現代世界で最大の「暴力」である核兵器をどう考えるかに帰着する、と思う。「原発」という技術を考えると、人間はこのエネルギーを手にして良かったのだろうかという根本的疑問が起こる。しかし、「ヒトラー」が原爆先にを開発したらどうすればいいのか?

 それでも人類は核開発をすべきではなかったという論理と倫理があるとすれば、世界に発信すべき立場にいるのが日本国民であると僕は思うけど、それは難しい命題だなとも思う。

 いろんな角度から「核」を考えることが大切だと改めて確認する意味での紹介。すごい劇だと思うから、機会があったら読んでみて。日本でも上演があったのを知ってるけど、行ってない。見ておけば良かった。なお、日本にはマキノ・ノゾミ「東京原子核クラブ」という名作戯曲がある。朝永振一郎と理研をモデルにした劇で、比べて論じる必要がある。(2022.3.10一部改稿)
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ゴダールー映画と革命と愛と

2011年08月29日 00時15分23秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ゴダールの本の話。四方田犬彦「ゴダールと女たち」(講談社現代新書)が発売された。四方田さんの本はずいぶん読んでるけど、これは対象がゴダールということもあって、格別に面白い。「女に逃げられるという天才的才能」なんて、書いてあるよ。そして、昨年、山田宏一さんによる「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」(ワイズ出版、本体2800円)という大部の本が出ている。山田さん本人が撮影したアンナ・カリーナの写真満載の460頁にもなる本で、ゴダールかアンナ・カリーナのファンじゃないと読まないかもしれないけど、僕にはとても素敵なプレゼントのような本だった。まとめて紹介。

 僕がゴダールを初めて見たのは、1970年、中学3年生の時。日劇の地下にあった「日劇文化」で、「アルファヴィル」の初公開に「気狂いピエロ」が併映されていた。この「気狂いピエロ」こそ、脳天直撃フィルムであまりの素晴らしさに心が震えた。さっそく「白い本」を買ってきて、「気狂いピエロ」と大きく表題を書き、詩やら評論やらの真似事をつぶやき始めたのだった。僕にとってその年公開の個人的ベストテン1位はブラジルのグラウベル・ローシャ「アントニオ・ダス・モルテス」だったし、「イージーライダー」「明日に向って撃て!」「M★A★S★H」「ウッドストック」などアメリカの「ニューシネマ」と言われた映画も全部同時代的に見て、ものすごく影響された。でも、ゴダールの「気狂いピエロ」の衝撃が一番大きい

 これを見てなかったら、その後の映画や小説の好みがずいぶん変わったと思う。(ちなみ四方田犬彦「ハイスクール1968」を読むと、新宿文化に若い時から行ってる。三島の「憂国」を上映したり、清水邦夫作、蜷川幸雄演出の舞台をレイトショーでやった映画館である。東京東部の中高生だった自分は新宿文化へ行ったことがない。「日劇文化」でATG映画を見るのが精一杯だった。)その頃のゴダールの影響力の凄さは今では信じられないと思う。そして、映画の革命を成し遂げた若き映画作家ゴダールは、68年の五月革命でカンヌ映画祭を粉砕したあと、「革命の映画」に突き進んだ。作家性さえ「止揚」して、「ジガ・ヴェルトフ集団」と称して「東風」などの映画を撮っていた。(東風というのは中国の文化大革命の中で毛沢東が言った言葉ですよ。)

 だけど、ゴダール映画で、凄い、面白い、わくわくする、刺激的などの評語が当てはまるのは初期作品になると思う。デビュー作の「勝手にしやがれ」は、今でも素晴らしく面白い。この映画は公開前に時間短縮を命じられ、ゴダールは(普通のやり方と違い)各シーンから少しずつ抜き去った。だから展開が判りにくいと当時は非難もされたが、逆にリズムが破格で現代風と若い映画ファンに受けた。今見ても全然古くなく、素晴らしく生き生きした現代に生きるフィルムである。その時の主役がジャン・ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ。セバーグはアメリカの女優だが、のちにブラックパンサーにコミットして大変な人生を歩むことは、四方田さんの本に詳しい。暗然とする。

 ゴダールはその後、デンマーク出身の若きアンナ・カリーナを知り、次作「小さな兵隊」に抜擢。これが上映禁止になりミュージカル「女は女である」を作り、アンナ・カリーナにベルリン映画祭女優賞をもたらした。その間、20歳のアンナに「小さな兵隊」撮影中に求愛して結婚。続く「女と男のいる舗道」「はなればなれに」をアンナ・カリーナ主演で撮る。しかし、両人の個人的関係は破たんしてしまう。まあ、ゴダールとの結婚生活は大変そうだということは、いろいろな証言でよく判る。このころが、山田宏一さんの「わがアンナ・カリーナ時代」になるわけである。しかし、別れた後もカリーナ主演で何本か撮っていて、わが生涯最高のフィルム「気狂いピエロ」もその一本。逃げるベルモンドに謎の女カリーナが、地中海のブルーによく似合う。ミステリアスな展開、パリの夜と地中海の陽光、ヴェトナム戦争などへの風刺、何より、この日常からの脱出願望。愛と死。政治と革命。映像と言語…。何度見ても素晴らしい。

 こういう風に女に逃げられながら、主演に起用して奇跡的にきらめくフィルムを作る。次の女性、アンヌ・ヴィアゼムスキーにも去られたと聞いて、大島渚が言ったのが「女房に逃げられるという一種の才能」という言葉である。四方田さんはそれを手がかりに、ゴダールと関係の深い女性を取り上げ丹念に評していく。この大島渚の言葉は、赤瀬川原平のいわゆる「老人力」みたいなもんだと思うが、大島(小山明子)、吉田喜重(岡田茉利子)、篠田正浩(岩下志麻)と「松竹ヌーベルバーグ」はみんな添い遂げる(?)ことを思うと、洋の東西の違いは大きいか。

 アンヌ・ヴィアゼムスキーは、ロベール・ブレッソン「バルタザール、どこへいく」という映画に素人で出演したところをゴダールにつかまった。わけもわからぬ革命映画(「中国女」)のセリフを棒読みしながら、ゴダールと結婚してしてしまった。年は17違う。(今思うと、むしろ17しか違ってなかったのか。ちなみにアンナ・カリーナとは10歳違う。)アンヌは政治化したゴダールに引き回され、当然結婚は破たんする。アンヌはパゾリーニ他の監督に出演した後、小説家として成功した。実は母方の祖父がフランソワ・モーリヤックで小さい頃から文学的環境に育ったのである。日本でも翻訳が出て、今年来日した。

 この頃のゴダールが作った映画、つまり商業映画をやめて政治プロパガンダ映画に専念していた時代の「ブリティッシュ・サウンズ」「プラウダ」「東風」「イタリアにおける闘争」なども、日本で自主公開みたいにやったときに、ご丁寧にもほとんど見に行った。まあ、はっきり言って、全く面白くない。革命映画が映像の革命ではなく、「言語の優位性」を誇示するだけでは詰まらない。

 ところで、この後ゴダールの隣にアンヌ・マリ・ミエヴィルという協同者が現れ、共同で映画作品を作り始める。しかし、ほとんど論じられることはなかった。この「聡明な批判者」こそが、ゴダールの真の批判者であり、真の協同者であるというのが、四方田さんの本の最大の主眼である。そして、ミエヴィルを「抹殺」している映画史の見直しを図っている。こういう状況をテクスチュアル・ハラスメントと言うらしい。前の二人の10倍近く、すでに40年近くも理想的パートナーであり続けているというのに、誰も論じない。と言うんだけど、「復帰」以後のゴダール作品は、面白いんだろうか?いや、面白いという評価基準は間違ってるかもしれないけど、「パッション」「カルメンという名の女」「右側に気をつけろ」「映画史」「アワー・ミュージック」「ゴダール・ソシアリスム」などなど。うーん、「アワー・ミュージック」はなかなか刺激的で、重要な映画だったかな。「パッション」は今はなき(六本木ヒルズに飲み込まれた)「シネヴィヴァン六本木」の最初の映画だったけど、全然つまらなかった。

 ゴダールの作品は今でも結構やってる。フランスでヌーヴェルヴァーグ(新しい波)という映画が出てきたことは、この何十年かの映画史の中でももっとも重大な出来事ではないか。しかし、当時のフランスでは、「アンチ・ロマン」という小説、「アンチ・テアトル」という演劇があったわけだが、(というかそういう呼び方をした)、ゴダールは言うならば「アンチ・シネマ」というような道を歩いて行ったのかもしれない。だけど「気狂いピエロ」一作あれば、僕はもういいかな。ゴダールを見てない人が読んでも仕方ないかもしれないが、四方田さんの本は芸術と女性というテーマでも読める。まあ、でも四方田犬彦、ゴダールって言うだけで買う人こそに読まれるべき本かもしれないが。ゴダールの初期習作に「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」という短編があるが、思えばゴダールの人生は「女の名はみんなアンヌという」という人生だったことになる。
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スパゲッティ・ジェノヴェーゼを作る

2011年08月27日 23時19分46秒 | 自分の話&日記
 最近トマトソースより(というか同じくらい)、バジルソースが好きになってきて、今までは市販製品を使うことが多かったけど、(特にアムネスティの販売サイトで年末に売ってる大分の無農薬バジルソースがめちゃくちゃ美味しい)、庭のバジルもいっぱい葉をつけているので、一度自分で作ろうかな…。

 まずは、庭のバジルを取る。しかし、蚊の襲撃がものすごくなり、モスキート・ハンティングに時間を取られて、逃げ出すことにする。15グラムくらいかな。後で思うと、20グラムくらいはあった方がいい。


  ネットで見たレシピだと大体フード・プロセッサー(またはミキサー)を使うことになってる。うちにもバーミックスがあるけど、ペーストを作って保存するわけじゃないので、使わない。すぐ食べるならそれでいいと思う。少し原型を留めていても、いいわけだし。で、バジルとにんにくと松の実をみじん切り。大事なのは、「松の実」が必須(多分)。これもすり鉢ですれというサイトもあったけど、包丁でみじん切りできます。あとは、オリーブオイルで、ずっと炒める塩適量(小さじ3分の1程度?)は必須。僕の場合、輪切り唐辛子いっぱい、が重要。パルメザン・チーズをこの段階で入れても可。コショウもいる。好きなスパイスも勝手に適当に。僕はナツメグが大好きだからよく使います。それとマッシュルームの小さな缶詰をよく使う。


 僕は太麺が好きなので、11分とあるスパゲッティをよく買う。ナポリタンみたいに炒める方が好き(ソースを上にかけるだけでなく)なので、10分で茹でるをやめて、あとはソースを絡めるように炒める。
 バジルソースは、茹でてる間にできてしまいます。
 ということで、庭やベランダにバジルがある人ならすぐできる。ただ、松の実を買っておくことが大切。(スーパーの中華材料コーナーにあると思います。)
 
 これにチーズをトッピングして食べました。写真をよく見ると、唐辛子が多いことがわかると思います。普通の人はこんなに入れてはダメですよ。トマトソースは良く作る(大体は、ア・ラビアータ)けど、バジルソースは初めてなので、写真撮ってみました。バジル取りから数えて20分あればできます。
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「週刊金曜日」(8・26号)に掲載されました

2011年08月26日 22時56分48秒 |  〃 (教員免許更新制)
 今日はJLGについて書こうと思っていたんだけど、事情が変わったので違うことを書きます。(JLGってのはフランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールのことです。)それと言うのも、菅首相の辞意表明、じゃなくって、僕を取材した記事が「週刊金曜日」の8・26号(860号)に載りました。 
 平舘英明「教員免許更新を拒否 都立高校教師の怒りの退職」。
 
 金曜日と言うんだから、今日発売ですよ。週刊誌だから書店には長くおいていません。直接購読が多い雑誌ですが、大手書店にはあります。580円。表紙には大きく「放射能とコメ」。
 まあ、買ってください。他の記事も読んでほしいから。(ちなみに、僕は創刊ゼロ号からの定期購読者です。)

 取材は5~7月に数回に渡り受けたもので、(6.8付記事で報告した、六本木高校の授業「人権」のセクシャル・マイノリティの授業には平舘さんも同席していました。)原発事故関連の記事等が多く、もうしばらく出ないのかと思っていたら、今日来た雑誌を開いてびっくり。

 ちょっと時間が経ってしまい、「怒りの退職」というより、都教委と縁が切れるとこんなに気が楽なのかというような日々を送っています。ただ、更新講習なんて受けるかとは思ったけれど、こんなふざけた制度が本当に実施されてしまうとは、実は最後まで信じていなかったところもあります。

 都教委の下では限界が近づいていたので、後悔はないけど、自分の経験や思うことをどう形にしていくか、よく考えてみたいと思っているところ。今振り返ると、最初の中学の経験が非常に大きいです。荒れて再建しての経験のあと、全日制商業高校、夜間定時制高校、三部制単位制定時制高校と経て来て、こういう履歴はあまりないと思うので、何かの形で伝えていきたいと思っています。

 「誤った国策には従えない」という思いは、日本近現代史を学んで教員になったときからの、別に他人に公言はしないけど、思いの底にずっとあったことでした。昔から竹内好さんや鶴見俊輔さんを読んで影響を受けてきたので、60年安保の時のように、辞めるべき時には辞めるしかないという気持ちも昔からあったですね。

 最後の所属を公開して、「人権」の授業のことなどを書いているのは、不登校・高校中退者向けの学校の存在を少しでも広める意味もあってのこと。僕の教師としての28年間の最後が、不登校生徒と一緒に卒業に向けて頑張るという仕事だったことを、実はすごく誇りに思っています。今後もこのきつい世の中、グローバリズムと差別社会の中を生きていかねばならない、不登校や中退生徒の味方でありたいなと思っています。教師として一緒に勉強するというのとは少し違う形でね。
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原発事故・必読本

2011年08月25日 23時59分45秒 |  〃 (原発)
 本の話をしばらく書き続けたいんだけど、まず第1陣は原発事故関係の本。時間が経つと書く価値が薄れるのでまず記録しておくことにします。1冊目の本は、岩波新書の今月新刊広河隆一「福島 原発と人びと」。これは必読です。760円。全然難しくないから、このくらいの岩波新書は買いましょう。

 広河隆一さんはフォトジャーナリストとしてパレスティナやチェルノブイリなどの取材を続けてきた人で、雑誌「DAYS JAPAN」の編集長でもあります。1943年生まれで、すごく有名な人。チェルノブイリ支援運動なんかで僕にも親しい名前です。事故から半年近くたって、もう事故当時の緊迫感を忘れつつある部分があります。広河さんは事故直後に現地へ向かい、チェルノブイリ取材の経験を生かして、放射線の危険性を訴え続けました。現地の人々の声がいっぱい入ったこの本は、写真入りでとてもわかりやすく、中間まとめの本として必読だと思います。

 これでわかることは、(当然と言えば当然なんだけど)、政府はあたふたするだけで有効な対策を打つことができず、最初の数日の一番重大だった時期の避難態勢が問題だったことです。
 「政府」と言ってもそういう人はいないわけで、政治家は放射線のことはわからないので、保安院とか原子力委員会とかそういうポストの学者に聞くしかないけど、彼ら御用学者は頭の中が「想定外」で機能しなくなっていて、もともと人権意識が低いからそういうポストにいられたわけで、役に立たなかったわけです。ここで反原発派の学者を招くようなことはできていたらいいんだけど…。社民党が連立離脱する前だったら少しは違っていたかね。

 そして、その結果放射線をめぐる「新しい差別」を生み続けているということです。原発事故でまた「非科学的な無知と差別意識」から福島の人々への言われなき差別待遇が生じてしまいました。ハンセン病市民学会に行ったとき、ハンセン病回復者の皆さんが、この「新しい差別」に心の底から怒りと連帯感を表明していたことに感動しました。しかし、その後の動向はこの本で読む限り、かなり大変な状況。「自分の頭で考える」という当たり前のことを忌避する言動が、行政側にも市民運動側にもあるように感じます。

 そんな中で、前に6月25日付ブログで紹介した安斎育郎さんの「からだのなかの放射能」(合同出版)という本は貴重です。もっとも1979年の本に増補したもので、前半の科学史のエピソードが今となっては「のんき」に見えなくもないと自分で言ってます。しかし、この大変なさなかにも放射線の本質をきちんと知ろうというためには、ここが大切だと思いました。まあ、要するに歴史系の話は興味があるんですね。

 で、その結果、核実験や原発事故の話の前に、自然放射線の話で本の半分が終わります。いや、案外からだの中の自然放射能は多いんですよ。全部合わせても1円玉の半分にもならないって後書きで書いてますが、つまり1円玉の半分近くの放射能が自然に体内にはあるのです。(だからごく微量の放射線被ばくが直ちに危険ではないわけですが、だからと言ってそれが安全なわけではないので、自然以外の放射線被ばくは極力減らす努力をすべきです、と言ってると僕は理解しました。)
 考古学で有名な「炭素14法」で知られるように、有機物は(生物はすべて)放射性炭素を持っていますが、それがどのくらいあるのか、どういう意味を持つのか、この本で初めて知りました。しかし、からだの中にたくさんある炭素(炭水化物が主食なんだから)よりも、筋肉に蓄積されるカリウムの中に自然に存在する放射性カリウムの方がずっと多い。しかも脂肪の多い女性より、男性の方が体内放射能が多いなど、聞いたことがありますか?また、入れ歯をピカピカにするために、昔アメリカで発明された方法がウランを入れ歯に塗るという方法だということで、ホントかね。今は使われていないということですが。

 そもそも放射能って何だ、半減期って何だ、ウランやラジウムって何だ、というあたりから判りやすく書かれています。まあ、僕は科学の話を書くと間違いそうだから書きません。そんなに難しい本ではないので是非自分で読んで見て欲しいと思います。
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映画「奇跡」(是枝監督)

2011年08月25日 20時44分38秒 | 映画 (新作日本映画)
 今日は映画と本の2本の記事を書こうと思います。まずは、映画「奇跡」の話。ロードショーで見逃して、今日池袋の新文芸坐で見ました。(27日まで。「東京公園」と2本立て。)是枝監督とわざわざ書いたのは、「奇跡」と言えば昨日触れたばかりのデンマークの巨匠カール・ドライヤーの超傑作があるからで、もう30年くらい前になるか岩波ホールで上映されました。正直言って見て意識がぶっ飛んだような映画は珍しい。世界で一番聖なる映画だと思います。

 今回の是枝裕和監督の「奇跡」は大変気持ちのいい、今の子どもたち、今の大人たち、今の地方の様子を丁寧に描いた映画でした。見る価値あり。是枝監督は大傑作「誰も知らない」、傑作「歩いても歩いても」がありますが、そういう人間を深く見つめた作品ほどの衝撃力はないけれど、兄弟を演じた「まえだまえだ」の二人が素晴らしく、とても面白い映画です。「未来を生きる君たちへ」では、いじめや暴力が描かれますが、この映画にはいじめや少年犯罪や不登校や援助交際は出てきません。そういうアイコンを使って子供の世界を描く方が今では簡単かもしれない。いじめ的要素の全くない学校はないだろうけど、子どもたちの世界にはそういうダークな世界ばかりでなく、むしろ支えあい楽しく生きている側面もあります。この映画でも、親が離婚して兄弟は別れて住んでいるという設定ですが、子どもの心はもちろん傷ついているのですが、自分たちこそが家族を、世界を支えようと能動的に行動しています。それがリアルな子ども像になっています。そして、そういう子どもたちが生きる場は、親だけでなく祖父母、担任教師だけでなく養護教諭や図書室司書などの存在こそが大切だというようことがよく判ります。

 九州新幹線全線開通。その上りと下りの最初のすれ違いを目撃すると奇跡がかなう。そういう噂を信じて学校を抜け出し、熊本へ向かう兄弟とその仲間たち。兄は鹿児島、弟は福岡に住んでいるから、両方から熊本県の宇土のあたりへ。このワン・アイディアをうまくまとめた脚本。故原田芳雄さん他、なかなか豪華キャストでした。鹿児島から熊本へ向かう場面の駅のロケ、鉄道ファンならずとも興奮させられる子どもたちの冒険を描く素晴らしいシーン。桜島に向い、行き帰りのあいさつをするのにも感心。それにしても冒頭近く、鹿児島の小学校の教室には西郷隆盛の写真(ほんとは絵ですけど)がかかってる。この「偶像崇拝」にはびっくり。高知では坂本竜馬か?

 さて、鹿児島の小学校には司書は全校にいるのでしょうか?鹿児島国際大学の先生で「いのちの教育」を続けている種村エイ子さんのブログ「いのちの授業日記」に出てるかな?
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留年してはいけないのか?-高校授業料問題を考える③

2011年08月22日 00時11分18秒 |  〃 (教育行政)
 さて、この問題を書いてしまおう。今まで書いたことは、そもそも高校授業料無償化は国際的常識であり人権問題であるということ。朝鮮高級学校通学者への適用凍結は差別であり、民主党政権の説明した制度の理解からもおかしいということ。今、菅政権が退陣間近になり、この二つの点は改めて確認しておく必要があると思う。でも、まあこの2点なら他にも言ってる人はいるだろうと思う。

 今日書くことは、ほとんど誰も知らない。関係する生徒と教員と学校事務職員くらいしか知らない。
 さて、制度の趣旨は「若い世代の学びへの支援」だと昨日書いたけど、高校は義務教育ではない。行かなくてもいいし、中途退学する生徒もかなりいる。一方、高齢になって夜間定時制に入り直すとか、20歳を超えて通信制に入学するということも多い。(僕も何十人と知っている。)では、年齢制限の制度を作るべきだろうか?例えば、20歳を超えた成人生徒は有償とするとか。
 そういう制度はない方がいいだろうと思う。で、実際そういう仕組みは作られなかった。高校卒業は、いろいろな資格を受験する前提となっていたり、求人に応募する条件だったりするので、できるだけ多くの人が高校は修了していた方がいい。いろいろあって20歳超えてやり直したり、高齢になって高校へ行きたいというような人は、生涯学習や健康増進の見地からも支援した方がいい。もともと定時制や通信制の授業料は安いんだから、数からいえばわずかな生徒のために徴収の手間の方がかかってしまう。

 で年齢制限はないのだが、「年限制限」は入ってしまった。つまり、全日制高校では3年、定時制・通信制高校では4年、その間の授業料が無償となる。従って、いわゆる「留年」「落第」したら、卒業する年は授業料がかかるのである。実際、自分は昨年度に定時制高校(単位制)の5.6年次生を担当したので、4年までの生徒は無償になったのに担任した生徒は授業料がかかった。

 高校の課程は、全日(ぜんにち)、定時、通信と3つある。全日制や定時制の多くの学校は、「学年制」を取っている。通信制と全定の一部の高校は「単位制」である。(アメリカなんかは高校はみな単位制なんではないかと思う。)日本では小中は落第がないので、同年代集団として学年進行して、クラス集団で授業を受ける。ほとんどの高校も同じで学年単位で授業を受けるが、高校は「落第」がある。大体の全日制高校で、出席不足、成績不良の科目があると「進級」が認められない。(細かい決まりは学校ごとに少し違うだろうが。)これを学校用語では「現級留置」(げんきゅうりゅうち)と呼び、略して「げんとめ」と言ったりする。普通は「留年」と言うだろう。病気や事故などで長期入院したりする場合は別として、全日制高校ではなかなか留年がしにくい。同年齢集団からはずれるのは恥かしいので自主退学する場合が多いし、事実上学校にいられないようなムードの転学指導を行うところもあるのではないか。しかし、とにかく様々な理由で留年する生徒がいる。病気で入院すれば「休学」できるのに(休学中は授業料がもともとかからない)、戻ってきて卒業の年に授業料がかかったりしたらおかしいではないか。(さすがにそういう場合は特例で免除する都道府県が多いらしい。)

 一方、単位制の高校(通信制や一部の定時制高校)などでは、「正規の年限は4年」としながらも、早ければ3年でも出られるし、健康や経済的問題があれば5年、6年かける生徒もいる。通信制では事実上もっと長くいる生徒がいるかもしれない。5年、6年かけるのを勧めるわけではないけれど、自分で経験したことで言えば、病気などですぐに登校できる状態ではない生徒はかなりいる。多くの元気な生徒が卒業した4年目くらいから徐々に登校できるようになり、成人になって卒業する生徒もいる。どのくらいいるかと言うと、自分の経験した高校で言えば1割を超える生徒が5年、6年目までいる。(在籍は6年間というルール。)これはかなりの割合ではないかと思う。

 だから、5年、6年目になると授業料がかかるわけだが、今度はそれまで適用されていた「授業料減免措置」が生きている。生活保護家庭はもとから無料だし、経済的に困窮する家庭は(面倒な書類がいっぱいいるが)授業料が減額される。ところで5年以上いるということは、親も病気で働けないとか単親家庭で経済的に苦しい場合などが多く、生徒もアルバイトが大変だったり病気持ちで長く通院している場合が多いように思う。単なる印象だが、5,6年までいる生徒の半数程度は減免の対象ではないかと思う。

 これではわざわざ「年限制限」をする意味は何なのだろうかと思う。もともと定時制、通信制は授業料が安いのに、面倒な事務手続きばかり多くて、徴収金額より徴収事務費の方が多いくらいではないか。そういう観点からも無意味だが、そもそも単位制高校の存在理由からして、何年かけても卒業まで頑張るという生徒を支援するべきだ。元気な生徒はアルバイトもして3年で卒業していく。具合が悪くてアルバイトもできない生徒が5年目、6年目になると授業料が発生する。逆だろ、と思ったりする。ウィキペディアによれば、半数以上の都道府県が年限を超えた生徒の授業料を取っていないという。しかし、東京都では徴収している。国は正規の年限分しか出さない。都立学校の問題だから都議会で条例で、正規の年限を超えたら取ると決めた。取ってない県では、県の負担で無償にしているのである。だから東京を始め、もう高校生全員を無償にして欲しいのだが、国自体が制度を変えて欲しいと思う。

 やり直しのきく社会、いろいろのコースが用意されている社会の実現のために、高校授業料無償と言う以上は「高校生である間は全員が無償」と言う方がすっきりするではないか。この問題は関係する人は極めて少ないのだが、実は大変大事な問題をはらんでいるのではないか。考えて欲しい。
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朝鮮高級学校の場合-高校授業料問題を考える②

2011年08月20日 23時50分34秒 |  〃 (教育行政)
 ものすごく暑かったのが突然涼しくなり、高校野球も終わり、夏も去っていきつつあるのかな…というと来週はまた暑くなるみたいですけど。涼しいうちに高校授業料無償化問題を考えてみます。この措置が現在朝鮮高級学校へ通う生徒に対して止められているという事実があります。手順を踏んで朝鮮学校にも適用する方向で進んでいるかに見えていましたが、昨秋に突然菅首相の直接指示で止まってしまいました。そのきっかけは2010年11月の「北朝鮮」(=朝鮮民主主義人民共和国=DPRK)による韓国支配地域への無法な攻撃。この暴挙を批判することと、朝鮮学校への無償化措置は関係ありません。そのような論理を民主党政権は取ってきました。従って、自分で作った原則を自分で破っていくという菅首相にいくつも見られた無原則ぶりがここでも明らかです。

 それまで文科省は何と言っていたかというと、当初に出された文部科学大臣談話にはっきりしています。ちょっと長くなるけど、大事なところを引用。
 (高等学校等就学支援金制度の趣旨
 高等学校等就学支援金制度は、全ての意志ある後期中等教育段階にある生徒の学びを保障し、家庭の状況にかかわらず、安心して勉学に打ち込める社会をつくるため、公立高等学校の授業料無償制とともに実施することとしたものです。このため、私立高等学校等に学ぶ生徒のみならず、専修学校及び各種学校のう「高等学校の課程に類する課程」に学ぶ生徒も広くその対象としています。
 もとより、就学支援金は学校に支給されるものではなく、生徒個人個人に対して支給されるものです。また、国籍を問わず、我が国において後期中等教育段階の学びに励んでいる生徒を等しく支援することは、教育についてのすべての者の権利を謳っている国際人権A規約の精神にも沿うものと考えます。

 つまり現状は国際人権規約違反です。(と自分で言ったんだから認めるはず。)朝鮮学校の教育内容をめぐる批判もあるけど、(もちろん批判自体はあってしかるべきだけど)、学校に支給されるのではなく生徒個人個人に支給されるもの、と文科省自身が言ってるのだから見当はずれの議論です。

 自民党が「4K」と批判する政策はすべて、企業等への補助金などを通して結果的に家計への波及を及ぼすのではなく、家計そのものを直接支援するという発想に立っています。「こども手当」「農家の戸別所得補償」が典型ですが、高速道路無料化の発想も同じ。だから、単に高校の授業料をなくすだけでなく、同世代の学びを支援していくという発想になります。この発想そのものの是非は議論すべきだと思います。しかし、とりあえずそのような発想で高校無償化は始まりました。では、なぜ実際の支出は学校単位で行うのか。それは誰が高校や専門学校に行っているか自治体は把握していないので新たな確認手段を作らないと支出できないし、個人に支出しても「給食の補助金を学校に払わない」というようなことが続出するのが目に見えているからです。(もちろん少数でしょうが、高校授業料を親が使い込むケースが起こるのは間違いありません。)学校は「学校基本調査」で5月1日付の在籍人数を報告する義務があるので、その数字を利用して学校単位で支出する方がはるかに簡単です。そういう心配を避け、事務作業を簡素化するために学校に支出しているのですが、その精神としては「生徒個人の学びを支援している」のです。

 それなのに「朝鮮高級学校」に通学する生徒のみ、その支援を受けられないのは明らかな差別です。朝鮮高級学校は、他の多くの専修学校と同じく、大学入学資格を多くの大学が与えています。従って、文科省が作った基準に適合します。

 ところで、朝鮮高級学校に通学する生徒はどこの「国籍」を持っているのでしょうか?日本は「北朝鮮」を国家承認していませんから、「北朝鮮国民」というものは一人もいるはずがありません。戦前の植民地支配時代に、日本の制度が強制的に導入され本籍が「朝鮮」(国籍はもちろん「大日本帝国」)となり、占領下に今度は強制的に日本国籍を離脱させられた人々が多くいるわけです。その人々が「朝鮮籍の外国人」扱いをされたわけです。(多くの「帝国」では植民地の独立時に独立国か本国か国籍を選択できました。)1965年の日韓国交以後に韓国籍に切り替える人が多くなりましたが、その意味では事実上「北朝鮮支持者(朝鮮総連傘下)の家族」が多いかとも思われますが、「朝鮮」籍というのは、日本の植民地支配が作り出した「記号」に過ぎません。また、少数だと思いますが日本や韓国の国籍を持っている生徒も通っていると思います。むろん「朝鮮籍」であっても日本の公立高校へ通っていれば、授業料はないわけですから、全くわけがわからない差別としか思えません。

 韓国籍であれ、朝鮮籍であれ、あるいは戦前の台湾出身者であれ、「特別永住権」を持っていますから、基本的に日本社会の構成メンバーです。所得税も消費税も同様に払っているのに、朝鮮学校に通っている子供だけが授業料がかかる。これを日本国民(日本の政治に責任がある20歳以上の有権者)はどう思うかということです。これから朝鮮学校生は裁判に訴えるという動きが進んでいます。裁判になれば決着が長引いてしまうことが予想されます。できうれば菅首相が自分で道筋をたてて退陣すべきです。

 朝鮮半島の植民地支配の歴史に深入りしていくとさらに長くなるので、もうやめることにします。当然ながら「朝鮮」籍の人々は独自の民族教育を行う権利を持っています。その民族教育をすすめる学校と友好を深めるのも大切だと思います。しかし、批判するべきことを批判しないことが友好ではありません。戦前の日本の学校の「御真影」みたいに指導者の写真を掲示してあるようなのは、現代の日本では受け入れられません。しかし、そのような朝鮮学校への批判があったとしても、「個人個人に出す」システムなのだから、朝鮮学校通学生だけ除外するのは「差別」にあたるわけです。
 ただし、この問題を別のシステムに変更するならば話はまた別で、そういう点は今後また書きたいと思います。
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都教委の「全教職員ストレス検査」

2011年08月18日 23時05分27秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 8月17日付朝日新聞夕刊(社会面トップ)に「ストレス 全教職員検査 都教委 精神疾患で休職激増」という記事が載っている。WEB版にはないのかなと思うと、今日付けで簡単な記事が載っている。東京の教育の実情、実態については、このブログの中心記事になるはずだったけど、震災が起こって書けないままになっていた。ちょうどいい機会だから、簡単にこの問題を書いておくことにする。

 この動きは昨年度末に伝えられていたが、全くピントはずれであるというか、むしろ逆効果対策である。そして、一番の問題は都教委自身がそれをわかっているに違いないということだ。考えて見ればすぐわかるが、「よく眠れるか」「1日3食とっているか」などを全教職員に問診票を配って把握するというというのは、それ自体が巨大なストレスである。しかも日常の仕事についても「苦痛を感じるか」などの設問がある。管理職による成績評価が徹底され、昇給に完全に影響するようになってすでにだいぶたつ。そのようなシステムを作っておいて、こんな問診票に答えさせるというのは、一種の不当労働行為であるとも言える。都の教職員互助会が運営している三楽病院の医者などもよく協力しているが、一体自分の行為をどのように考えているのだろうか?

 記事によれば「学校に育児依存」「書類作り多忙」などと見出しがあるが、そんな事情は全国どこでも共通ではないか。しかし、精神疾患で休職した教員は、都の増加ペースが全国を上回り、教員全体に占める割合は0.9%で全国平均の1・5倍とある。それはなぜか?
 それは、都教委の存在そのものが、トリガー(発症の引き金)になっているからである。たとえば今回の例だが、休職が多い、どうしよう、では全員に問診票を書かせて、上から全員を管理しよう、というこの発想。すべてがこの発想で進むので、もはや誰も何も言わないし、こういう問診票も仕方ないから適当に書いて出しておくけど(情報管理に関する毎月のようにあるアンケートと同じ)、どうでもいいと思ってる。

 こういうことは、都に勤めている教員ならだれでも判ってることだが、何か言っても変わらない、むしろ逆効果にしかならないということをこの10年以上で学んだから、誰ももはやマスコミに投書したりしない。全国に先駆けて進められてきた、東京の「教育改革」の実情については、今後様々な機会に報告していきたいと思っている。ま、50代にもなれば、早く辞めたいな、もう限界という人ばかりで、僕の知ってる範囲でもずいぶん早期退職している。生徒との関係などで責任感でやってるけど、このままではホントに大変だと思う。けれど、都教委というところは、自分をかえりみることができない人たちの集まりだから、今後よくなるとは信じていない。
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福島の皆さんへ言いたかったこと

2011年08月18日 00時13分38秒 |  〃 (原発)
 最近「困ってる人」の記事を見る人が多いみたいで、夏休み期間中に毎日順位が出てます。つまりブログの閲覧者が1万人以内だと順位が出るのですが、最近は5千番、4千番台まで来てます。
 記事については、本や映画も書くけど、原発問題、政治論議も途中。そして高校無償化問題も途中なんですが、次に書く朝鮮学校の問題はいろいろ複雑な検討がいるので後回しになっています。しかし、この問題で一番書きたいのは、多分僕以外に誰も書けない「無償対象者の年限問題」なんですね。でも、その前に、「Image.Fukushima」の方の目に留まったみたいで、コメントを寄せていただきました。そこで、実は当日時間があれば会場で発言したかったことがあるので、それを書くことにします。

 まずはこのような対談を毎日企画した「Image.Fukushima」の皆さんに感謝したいと思います。このような企画が福島で実現できたことは日本の希望だと思います。

 さて、東北はあちこちたくさん行きました。海外も行きたいけど、専門が日本史だし、海外旅行は都教委への届け出が面倒なんです。西日本もいいけど、教師が一番長い休暇を取れる夏休みには暑いんですね。昔、フェリーで宮崎まで車で行って、鹿児島、熊本を回ったけど、あまりの暑さに参りました。ということで、最近は毎年のように東北。白河から恐山まで、塩屋崎から大間崎までと言うか、随分行ってます。父方をたどれば群馬を経て山形、母方をたどれば栃木を経て福島です。福島は富岡です。原発避難地帯そのものです。小さい時に泳ぎに行ったということで、親戚は今もいて、避難後に電話してみたけど誰も出なかったと母親が言っていました。(当たり前ですよね。)そういう意味で東北の津波大被害、原発事故への衝撃は、当然誰でもあるでしょうが、自分でも大変大きいものがありました。

 そういう中で、福島へ何回来たかなあと話を聞きながら思い出してみました。多分15以上、福島の温泉だけで泊ってると思います。山も好きで磐梯、安達太良、東吾妻の一切経山、会津駒など登っています。(100名山の平ヶ岳は大変そうで行ってませんけど。)また、勤務先の学校行事でもよく来ました。林間学校や移動教室と言う名前で、1年生や2年生で行う宿泊行事ですね。江戸川の中学でも、足立の商業高校でも、墨田の夜間定時制でも、あれ、思い出してみれば皆行ってる。磐梯山、浄土平、鶴ヶ城、野口英世生家、尾瀬…というふうに個人的な思い出もいっぱい詰まってるところです。地元だと温泉は日帰りができるので、案外僕の方がたくさん泊ってるのかもしれません。秘湯好きなので、飯坂、東山なんかは行ってないのですが。(あまり名前を書くのもどうかと思うけど、あえて書くと、鷲倉温泉がおススメ。)その中で秘湯好きには有名な「日本秘湯を守る会」そのものを福島が支えています。この会の会長として会を発展させてきたのが、「二岐温泉 大丸あすなろ荘」の館主佐藤好億(よしお)さんです。現知事は佐藤雄平さん、前知事は佐藤栄佐久さんですが、僕にとって福島で一番の佐藤さんはこの方です。この素晴らしい宿の館主の佐藤さんは、地方から発信する素晴らしい文化運動の担い手だと思っています。

 さて、そんなことでずいぶん福島もいろいろ行ってますが、(三春の滝桜も行ったけど、花見山へ行ってるのは東京では少ないでしょう)、中山義秀記念館なんか行ってる人は少ないでしょう。(戦前戦後に活躍した作家。歴史小説が多い)。そんな中で、こんなに忘れられていていいのかという場所がありました。それは松川事件記念塔です。見えていてもどうやって近づけばいいのか、とにかく行きにくい場所でした。松川事件は1949年に起きた列車転覆事件で、共産党員の犯行とされ多くの被告が裁判で有罪になりました。(一審福島地裁で死刑5人)。被告は無実を訴え、作家の広津和郎氏をはじめ多くの人々が疑問を持ち、大規模な救援運動が起こりました。最終的には最高裁で有罪判決が破棄され、1961年に仙台高裁で全員無罪、1963年に最高裁でそれが確定しました。

 佐藤栄佐久さんの本には「検察の捜査がこんなものとは知らなかった」とあるのですが、松川事件で検察は死刑被告のアリバイを証明するメモを隠していました。松川の教訓が生きていれば、今頃可視化などという議論がもめることはなかったでしょう。そして、松川事件の救援運動は大きな教訓をいくつも残していると思います。

「現地調査」の大切さ いろんな市民運動で今では当たり前に行われている現地調査は、松川運動の遺産だと思います。東大児玉教授の国会証言でも同じ場所でも放射線値がいろいろ違う。細かい調査が必要と言ってますが、原発の問題、津波の被害も多くはまだ実際に見ることなく議論している人もいます。現地へ行き、話を聞く。科学的な調査をきちんとする。その重要さ。
「統一と団結」 思想を超え、党派を超え、おかしいものはおかしいということ、シロウトの疑問を大切にすること。これが松川運動の広がりを支えたと思います。無罪後は、やはり共産党と言う党派性に捕われていった点は否めず、そのため60年代後半以後に松川運動が継承されにくかったのではと思います。今後、原発のあり方(減らし方)、放射線の危険性の考え方などについて、様々な考え方の違いが現れ、今までいつもそうだったように、「分裂」が起こってくるのではないかと思います。(もう兆しはあるかな?)一番大切なことは、シロウトがおかしいと思うことを大切にする。被害者の声を重視する。党派性を押さえて、個別の課題を皆で考え、まとまれるところはまとまっていく。感情的にならず、じっくりしぶとくやっていく。そういうことだと思います。

 そういうようなのが「松川の教訓」だと思っていて、冤罪事件だけでなく、多くの場で大切に引き継いで行かなくてはいけないと思います。ちょっと今の時点の言葉が入ってるけど、こんなことを言いたかったかな。

 さて、近所のスーパーで福島の桃を安く売ってました。こんなに安くていいのかな。でも、安いから買ったのも事実ですね。とても美味しかった。 
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映画「ツリー・オブ・ライフ」

2011年08月15日 23時16分17秒 |  〃  (新作外国映画)
 今年のカンヌ映画祭のパルムドール(黄金の椰子賞=最高賞)を獲得した、アメリカのテレンス・マリック監督の映画「ツリー・オブ・ライフ」。(「人生の樹」ではなぜダメなのかな。)最近は映画祭受賞作品がなかなか公開されないのですが、この映画はさすがブラッド・ピット、ショーン・ペン出演が効いてか早速公開。12日公開の映画をすぐ見たのは珍しいけど、14日に「TOHOシネマズ」の割引デイなので、早めに見たわけです。で、実は感心しないというか、これは困ったという感じなのだけど、今までそういう場合は書かないのだけど、今回はその困り具合が重要ではないかと考え、書いておくことにします。

 テレンス・マリック監督という人は、今までに5作品しかない人で、今回もカンヌには来なかったというような伝説の監督です。「天国の日々」という美しい映像で知られる映画が今月下旬から限定リバイバル公開されます。僕はガダルカナル戦の米日の兵隊を描いた「シン・レッド・ライン」という戦争映画は素晴らしい出来だったと思います。今回も実に格調の高い、美しい映像詩で、人生の奥深さ、自然の中で生きる人間の生の営みが描かれています。さらには宇宙、神へと発想は深まり哲学的、宗教的な深みに達し、非常に厳粛なる気持ちで映画を見終わります。そのような意味では東日本大震災以後のわれわれ日本人にとって、非常に考えさせられる映画であるとも言えます。

 父母兄弟と暮らす地方の子どもの日々、父親との葛藤、今人生を経て改めて思い出すその頃の意味、人生は、人間は、世界は、地球環境は…、皆つながりあい、支えあって、それぞれの意味を持つことを感じていく。この人生を振り返る子供がショーン・ペンで、子どもが幼い時の父親がブラッド・ピット。この配役の妙が生きています。でもプロットがあるような、ないような、話の流れで見るというより映像の流れで感じる作りになっているので、わかりにくいと感じる人もいるでしょう。でも、考えないで感じることに集中すれば、映画を見慣れていればそれほど難しくはないと思います。テレンス・マリック版「2001年宇宙の旅」という評もあったようですが、当たっているかと思います。で、この美しい哲学的映像詩の傑作の何が困った映画なのだろうか?ということです。

 かなり長い映画だけど、その中にこれは「アース」かというようなBBCかNHKのネイチャー番組みたいな美しい自然の映像が多すぎるのでは?そして、なんだか抽象絵画みたいな美しいデザインの映像。そして語られる神への言葉。いや、哲学的でも宗教的でも、何でもいいんですけど。どうもそこには、「慎み」と言うべき「東洋の叡智」がない。何か大々的で、神々しく、華々しい世界が展開される。そこが魅力ではあるけれど、ちょっと嘘くさい。なんか、「普通の人々」の「普通の生活」の中に、「普遍の知恵」を見出すというような慎み深さがないのではないか。ここで語られている世界の感じ方、考え方自体は津波災害、原発事故の中を生きる我々に、とても貴重なエコロジー的世界観だと思います。しかし、言うならば多神教の伝統があるアジアから見て、一神教的な世界観による「神の秩序の再発見としてのエコロジー」と言った感じ方への違和感があると言うべきかもしれません。

 そして、このような世界観をアジアの映画はもっと前から描いてきたのでは?昨年のパルムドール、タイの「ブンミおじさんの森」(前にブログで触れました)、インドのサタジット・レイの「大地のうた」三部作。イランのアッバス・キアロスタミ、中国のチェン・カイコーやジャ・ジャンクー、台湾のホウ・シャオシェンの数々の映画。日本でも、溝口健二の「雨月物語」「山椒大夫」を筆頭に、小津安二郎の「東京物語」、新藤兼人の「裸の島」、今村昌平の「神々の深き欲望」等に、さらに宮崎駿「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」を置けば、ずっとずっと「ツリー・オブ・ライフ」より感動的で充実した映画体験ができるのではないでしょうか。

 さらに言うと、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」と方丈記を引用すれば、それで済んでしまう気がしましたけど…。いや、平家でもいいし、「夏草や兵どもが」「閑さや岩にしみ入」と口ずさんでもいいです。日本人はさ、この下の句が大体言えるんですよ。方丈記だって大体の人は知ってるんだよ。と、なんだかそんなことを思ったけど、しかし、それを人工美の超大作に仕上げるエネルギーがわれらにあるかという内省もまた必要かな、と。

 こんな感想を持った「ツリー・オブ・ライフ」は、ただ単に映画ファンと言うより、文明論を考えたい人には肯定、否定をまずおいて見ておいた方がいいかもしれません。
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ハチはなぜ大量死したのか

2011年08月14日 20時53分07秒 | 〃 (さまざまな本)
 R・ジェイコブセン「ハチはなぜ大量死したのか」(文春文庫)。アメリカのサイエンス・ノンフィクション。2年前に出て評判になったけど、読んでなかった。7月新刊の文庫本。

 「2007年の春までに、北半球から四分の一のハチが消えた。巣箱に残されたのは女王蜂と蜂蜜のみ。その集団死はやがて農業に大打撃を与えていく。電磁波? ウィルス? 農薬? 科学者達の原因追究の果てに見えてきたものは? 著者は単行本発行後の2009年来日。日本でも失踪したハチを取材(新章書き下ろし)。解説:福岡伸一」裏表紙の紹介を書き写したけど、買わずにいられませんよね。ミステリアスな展開、日本に関する書き下ろし、「解説:福岡伸一」というのも嬉しい。福岡さんの本を読んできた人なら、この解説だけで単行本を持ってても買うかもしれません。

 実は「ミツバチの羽音と地球の回転」という記録映画がミツバチの話だと勝手に思い込んでいて、福島へ行く新幹線に持ってったわけ。でも、見たらミツバチが出てこない映画でした。最近、食に関するドキュメント映画が多いけど、きっとミツバチの映像を撮っている人もいるんではないか。この本を読んだら、ミツバチのミステリーを是非映像化したくなった。でも、アメリカのミステリーやノンフィクションによくあるんだけど、この本も読んでも読んでも終わらない。超ど級の著者のエネルギーに圧倒されます。簡単に読めそうで、けっこう時間がかかる。長い付録までついてます。

 でも読んで良かった。これはとても考えさせられる本です。ダニか、ウィルスか、それともという追跡の果てに見えてきたものは、巨大産業と化したアメリカ農業のとんでもない実情。その中で働く、ミツバチのなんという過労状態。免疫力低下の実態。つまり新型ウィルスや感染症などが人間社会でも大流行することがあるけど、それら一つ一つも問題だけど、実際は様々なストレスで生命力の低下が生じているという背後の問題があるわけです。だから人間社会の構造の変革なくしてハチも救われない。

 ミツバチほど人間にとっても花にとっても共同利益をもたらす昆虫はないということで、改めて蜂蜜の大切さを思い知ったです。ハチが媒介しないと果実は実らない。野菜もならない。稲のような風媒花もあるけど、世界のフルーツのほとんどはハチが受粉させてるそうです。農薬でハチがいなくなった中国では人力で受粉させてるところもあるという話。果物がない、花がない世界。ミツバチがいなくなるとそうなる。

 しかし、最後に出てくるニホンミツバチの話は救い。日本でもセイヨウミツバチは大変みたいだけど、ニホンミツバチという在来種はダニにも強い。銀座ミツバチ・プロジェクトは名前はもちろん知ってますが、これがニホンミツバチで頑張っている。著者は日本で銀座蜂蜜に接して、今までに食べたもっとも美味しい蜂蜜の一つと言ってます。蜂蜜が嫌いな人はまあいないと思うんだけど、最近は中国産(これがかなり怪しい)に押されて日本産の蜂蜜が高くて、なかなか買えない。でも、じゃあ、メープルシロップにすればいい(メープルも大好きだけど)という話じゃなくて、ミツバチがいなくなれば文明が滅びるということがよくわかりました。ちなみにウナギがヨーロッパでは絶滅寸前という話だけど、アジアでも激減している。こっちも心配。
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開沼博「フクシマ論」を読む

2011年08月13日 00時05分58秒 | 〃 (さまざまな本)
 開沼博フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社、2200円)。(403頁の厚い本で、評も少し長くなるけど。)

 上野千鶴子、姜尚中、佐野眞一各氏の推薦文を帯に巻いて、今注目の「フクシマ論」。あまりにもタイムリーな本だったけど、これは1984年生まれの東大大学院生の修士論文である。「3.11」がなければ、このように素早く出版されることはなかったに違いない。幸か不幸か(いや世界にとっては不幸なんだけど)、原発事故により今まさに注目される書となってしまった。しかし、読みたい人は自由に読めばいいと思うけど、これは良くも悪くも修論である。上野千鶴子や姜尚中がほめてるから、これを読まなければ「フクシマ」を語れないなどと「インテリのレーゾンデートル(存在理由)」みたいな気持ちで読みたいだけなら、あえて読まなくてもいいのではないかと思う。基本的には、学問内部の本なので。

 副題に「原子力ムラ」とあるけど、これは原発事故以来有名になった、原子力推進の政官学の閉鎖的な世界を指す俗語(だけ)ではない。それもあるけど、いわき市出身の著者の関心は、原発を受け入れ原発に依存して生きている地域を「原子力ムラ」と呼んでいる。その「中央と地方」の関係史を戦時期頃から丹念に追いながら、「この二項対立があったからこそ日本の戦後成長が達成された」という結論が導かれる。自分の生まれた福島浜通りをケーススタディとして、地方の「服従」のメカニズム、変貌の歴史を追う。歴史学なら地域史、社会史、民衆史とか言うあたりだが、歴史社会学と著者は呼んでいる。学問の系譜では、社会学(吉見俊哉、上野千鶴子に師事している)から出てきたが、学際的な関心領域に広がっている。

 僕が特に興味深かったのは、戦後福島県知事の歴史である。戦後に知事が民選になってから60年以上たつが、今までに7人しかいない。初代石原幹一郎(後に初代自治大臣)が国会に転身したあと、二代目の大竹作摩は会津の「百姓の野人」。その後は官僚出身(後に厚生相、自民党幹事長になる斎藤邦吉)を破って当選した佐藤善一郎、6代目の佐藤栄佐久も官僚出身候補に対抗して自民党参院議員を辞して出馬し当選した。4代目の木村守江は一時期全国知事会長を務めたほどの実力者だったが、1976年に「福島のロッキード事件」と言われた疑獄事件で逮捕され辞職。5代目はそのあとということで、参議院議員だった会津の殿様松平勇雄が選ばれる。次が佐藤栄佐久。こうしてみると、(自分が知ってるのは木村以後だが)保守内部で「反中央」を掲げて当選するケースが多いということである。地方からすれば、官僚出身で予算を中央から取ってくる術を知っていることも大事なのだが、一方自民党が官僚出身を知事候補に立てると、それに対する反発が出てきて社会党と結んでさえ他の候補の支援に回る保守勢力もいるのである。全国的に見て、このような福島のような事例は決して珍しくない。

 一方、国政や知事選では社会党も一応の存在感があるプレイヤーなのだが、県議や市町村などでは中央で万年野党の存在価値が少ない。県議として反原発運動に関わりながら、のちに双葉町長を20年務めて原発賛成派に「転向」した岩本忠夫という興味深い人物が取り上げられている。県議選に3回落選、家業の酒造業に戻っていたが、前町長が汚職で逮捕されたあと、地元から懇願され町長になったという人である。「長女が東電社員と結婚」という事情もあったのか、社会党は離党していたという。以後はすでにある原発を前提に町民のためということで原発を認めていくわけだが、この事例は果たして「転向」なのか、と著者は分析している。一見、論理のレベルではまさに「転向」だが、町の幸せのために活動するという意思では何の違いもない。できてしまった原発はなくせないし、その後は原発を前提に行政の論理で町のためにつくすということに本人は矛盾を感じていなかったに違いない。「草の根保守」の研究はあるが、「草の根革新」の研究はほとんどないのではないか。戦後、戦争は二度と嫌だという平和への思いで労働組合運動に尽力しながら、地方政治家としては行き詰まり人柄を見込まれ町村長や各種の団体のリーダーに転身して活躍したというのが、一定のタイプとしてかなりいるのではないかと思う。

 選挙分析や「選挙の社会史」という視点に個人的関心があるので、その点を少し述べた。他にも興味深い論点がたくさんあるので、地方財政論やエネルギーの歴史など他の人にくわしく論じて欲しい。また、東電が地域還元として建てたサッカートレーニング施設「Jヴィレッジ」(今や原発事故作業員の宿泊所)や「なでしこ」所属の東電女子サッカー部「マリーゼ」などを「スポーツ社会学」として論じるのも大事だろう。本書の中には「原子力最中」というお菓子や「回転寿司アトム」という店の写真も入っている。直接の学問にはならないかもしれないが、「お土産物の社会史」というのもあるかもしれない。

 本人自ら読まずに飛ばしていいと書いているが、修論という特質上、この論文の理論的な位置取りの説明が冒頭に長い。本人が書くとおり「ポストコロニアルスタディーズ」という枠組みで議論が展開される。社会学と言う、ある種融通の利く学問であることの有効性がこのような研究にはうまく生きていると思う。しかし、「ヒロシマ、ナガサキで始まった戦後」というような認識が基本的な戦後認識としてあるのではないかと思うが、沖縄占領やソ連の対日参戦こそが大日本帝国にとっては重大だったので、僕は戦後の歴史学の蓄積も生かしていきたいと思う。(ただし、歴史学もタコツボになり、スピヴァクやサイードと言った大きな議論がしにくい所はあると思うので、社会学がうらやましい部分も多い。)また自分も経験があるが、修論は史料収集に追われて議論が整理しきれずに終わる部分がある。本書にも、どうもそういうところがあるような気もするので、今後のかなり自由にいろいろできるだろうポジションを得て今後何をしていくか注目していきたい。

 なお、60年代まで日本の最大のエネルギー源だった石炭、それを産出する「炭鉱」の社会史を次に是非とあえて。戦時中の朝鮮人、中国人強制連行、戦後最強の組合だった「炭労」、三井三池の大争議、炭鉱国管疑獄と田中角栄、麻生炭鉱と麻生太郎、三池CO事故や夕張の大事故、フラガールなどなどすごい出来事が続出するテーマ。炭鉱が閉鎖され多くがブラジルなどに渡った。21世紀になり多くの日系ブラジル人が日本へ出稼ぎにきて、また新しい問題が生じた。僕は自分ではできそうにないので、筑豊や北海道や常磐生まれの気鋭の研究者にお願い。2014ワールドカップや2016リオ五輪にかけ、ブラジル移民の歴史が注目を集めて欲しいと思っているのだが、そこに向けて。

 一方、開沼氏も佐藤栄佐久氏も、僕が思うに今回の原発事故以前の戦後福島最大の事件である松川事件、それに対する戦後最大の救援運動、裁判批判運動である松川運動に対する論及がないのは何故だろうか?今こそ、皆で統一し、現地調査を行い、粘り強く闘った松川の教訓を思い出すべき時だと思う。まあ、こっちは僕が自分で訴えていくことにしましょう。
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Image. Fukushima で映画を見る

2011年08月12日 00時56分58秒 | 映画 (新作日本映画)
 いや暑い。本当は10日から行きたかったんだけど、暑くて敬遠して、11日に記録映画を3本見ました。この「記録映画3本」はどうってことないけど、書いておきたいのは見た場所。福島の「フォーラム福島」という映画館(調べると東北のあちこちに「フォーラム○○」という「市民が作った映画館」があるようです。6つもスクリーンがあって、シネコン並み。)で行われる「Image. Fukushima」という催しです。

 特に11日は、最終回の後の対談が佐藤栄佐久前福島県知事開沼博さん(「フクシマ論」でブレイクした東大院生)という、今の日本で一番聞きたい顔ぶれだったので、カネ掛けても行くべきだと思いました。で、本当は車で行きたかったけど暑くてちょっと自分でも心配で、新幹線で寝ていくことにしました。10時過ぎに家を出て、11時14分上野発、福島12時46分着。「ミツバチの羽音と地球の回転」「ヒバクシャ」の鎌仲ひとみ監督作品を2つ見て(たまたまどっちも見てなかった)、土本典昭「原発切抜帳」を29年ぶりに見たあと、お目当ての対談。9時頃まで。9時24分福島発、11時頃上野着。12時前に帰宅。

 ところで、福島はどうかというと、そこには「日常があった」ということですね。途中に大きな塾があったけど、中学生が遅くまで勉強していました。12日だと甲子園で福島代表が出るからまた少し違うかもしれないけど。

 さて、対談終了後に、軽いパーティみたいなのも用意されてたので、車で行って泊ればよかった。対談は佐藤氏の地方自立へかけた熱弁になるほどこういう人なんだ、と。開沼さんは、最近は「ヒール」役になってるとのことで、最近の「反原発ブーム」の運動的上滑りを指摘していました。これは僕も完全に同感で、そのうち開沼さんの本の書評と合わせて書きたいと思っています。熱気にあふれた対談で、開沼さんの現地をいろいろ歩いていての発言には考えさせられることが多かったです。いずれ、画像も見られるようになるのではと思います。遅いけど、行ってきた日に報告。まだ日曜まで続くから、行ける人は是非?(って、東京から行く人はいないだろうなあ。)

 写真は、こんなビラを国は各戸に配布したと手にビラを持ちながら熱弁を振るう佐藤前知事。
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高校無償化は人権問題であるー高校授業料問題を考える①

2011年08月09日 23時10分15秒 |  〃 (教育行政)
 ちょっと映画や本の紹介が続いているが、前に予告してある「高校授業料無償化問題」を少しまとめて論ずることにする。自民党はいわゆる「4K」と言って、子ども手当、高速道路無料化、農家の戸別所得補償制度と並び、高校授業料無償化制度をバラマキと批判している。本日まとまったとされる「民自公3党合意」では、「政策効果を検証して、12年度予算で必要な見直しを検討する」となったらしい。しかし、この政策は今後も堅持されなくてはならない、と強く思っている。

 勘違いしている人(あるいは「無知」な人)が多いのだが、他の3件と高校授業料無償化はその本質が全く違う。子ども手当(あるいは児童手当)をどういう制度にするかは、純粋に制度設計の問題である。(しかし、今回の合意が果たしてよいものかどうかは疑問も多いが。)高速道路無料化も戸別所得補償制度も同じで、日本にとってより良い制度を見つけていくための検討はして当然である。津波被害と原発事故という国難というべき時期に高速道路無料化は延期になっても仕方ない。(ただし、この政策をとんでもないバラマキと思ってる人がいるが、高速道路というものはいずれ建設費の償還が終わったら無料にするという約束で作ったものなのである。デーブ・スペクターだったかな、アメリカで日本語の勉強に歌を聞きまくり、「中央フリーウェイ」と言ってたのに、日本で実際に通ったらやけに高くて詐欺かと思ったという話を聞いたことがあるけど、高速道路無料化自体は至極まともな発想なのである。)

 前置きが長くなったけど、では高校授業料無償化の本質とは何か、と言えばそれは「人権問題」なのである。1948年12月8日、国際連合は世界人権宣言を採択した。宣言は言いっ放しだから、それを何とか規制力のあるルール化することが目指され、1966年12月に国連で採択されたのが、国際人権規約である。社会権を定めたA規約と自由権を定めたB規約に分かれる。日本は1979年にいたってABともに批准した。(なお、A規約には第一選択議定書=個人通報制度と第二選択議定書=死刑廃止が後から成立したが、日本はご承知の通り、どちらも批准していない。)

 さて、その国際人権規約の中に、(小学校はもちろん無償であり)中学や高校もだんだんと無料にするのだと明確に書いてある。外務省訳を一応あげておくと「種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。」
 中等教育というのは中学と高校のことで、日本は中学は無償だが、高校は授業料があった。では、1979年にこの規約になぜ入れたのか。実は、日本も仲間に入るけど、三つだけ特例を認めてねという荒業を使ったのである。他にも解釈の問題も二つ、注文を付けている。
 その三つとは、「中・高等教育の無償化」「労働者への休日の報酬の支払い」「ストライキ権の保障」だった。最後のスト権というのは、もちろん民間労働者にはあるわけだが、「公務員にスト権がない」ことが国際水準からすれば人権無視のとんでもない事態なのである

 高校授業料を取っていた国は、だから世界にほとんどない。国によっては大学まで無償である。これは国民の教育権を保障する人権上の措置だと、どの国も判っているからだ。ウィキペディアによれば、この条項を保留扱いしていたのは、日本とマダガスカルだけだという。民主党政権になり、高校が無償になり、国連にこの保留通知の撤回を行った。やっと世界の常識が日本に通じたのである。どこがバラマキなのか、そういうことを言う人の常識を疑う。

 ところで、実際は各地方で貧困家庭には学費減免措置があった。みんなタダになれば、金持ちの家庭はその授業料分のお金で塾や予備校に行けるから、かえって教育格差を広げるという人もいる。教科書代や制服代や修学旅行費はタダにはならない以上、家庭の負担はやはり大きくて、授業料だけの問題ではないという人もいる。そいう議論の一つ一つはもっともなのだが、本質を外している。金持ちだろうが、貧乏だろうが、それは子供に選べない。高校や高校にあたる専門学校等の授業料そのものをなくすというのは、社会の側で若い世代に与えることができるチャンスであって、それを維持するのは当然だ。(教科書や修学旅行への援助制度もあるので、他の問題は別建てで考えればいいことだ。)

 ところで、この問題を調べていて、今のことに気付いたのは数年前である。僕でさえ、「人権」という授業を作って、国際人権規約なんてものをちゃんと調べて知った。多分多くの先生は、国際人権規約で高校授業料無償化と公務員のスト権が定められているが、日本政府がそれはやらないよと通知していたんだということを知らない人が多いと思う。自分の権利を侵害されていて、それで教育を行っていたのか。このことは、もっともっと知られなくてはならない。教育と労働に関して、日本の水準は国際的に見て低いということを。

 「キューポラのある街」という映画がある。1962年。伝説の名匠浦山桐郎監督のデビュー作。17歳の吉永小百合が主演女優賞を取った。早船ちよの児童文学の映画化。キューポラとは鉄の溶解炉で、鋳物の街として知られた埼玉県川口市を舞台にした傑作である。「北朝鮮帰国問題」も重要なテーマになっており、貴重な場面も多い。さて、そんなことではなく、中学生の吉永の父、東野英治郎が失職する。学力はあるが経済的に全日制高校へ行けなさそうになり、悩む。その時に担任の先生役の加藤武が諄々と説く。働きながら定時制高校へ行ってもいいのだ。通信制高校というのもあるのだ。人間は一生ちゃんと勉強しなければいけなんだ。ここでくじけてはダメだ、と。吉永小百合は工場で働きながら夜は定時制高校で学ぶ女子工員たちの見学に行く。そのような感動的なシーンがあるのだが、その場面を見ていて、日本の庶民にとって子供をなんとか高校までは出してやりたいということがどんなに大変なことだったかが痛切に伝わってきたのである。本当は日本がまだまだ貧しかった60年代に、少なくとも高度成長を達成した70年代にこの政策が実現できていたらどんなに良かったろうにと強く思う。 
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