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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

戯曲「コペンハーゲン」(マイケル・フレイン)を読む

2011年08月30日 00時21分06秒 | アート
 マイケル・フレイン「コペンハーゲン」という有名な戯曲を読んだ。ハヤカワ演劇文庫で、去年11月に刊行。日本の現実を見てみると、大震災、原発事故という巨大なエネルギー放出が我々の生活を一変させ、未だにどのように対処すべきか、傷ついている。そういう中で、今まさに「コペンハーゲン」を読む時が来たなと思ったわけ。

 「コペンハーゲン」という劇は、有名な物理学者ニールス・ボーアとその妻マルグレーテ(二人はデンマーク人)、同じく有名な物理学者で「不確定性原理」のハイゼンベルク(ドイツ人)、この3人しか出てこない。恐ろしく緊迫した劇空間が展開される。「読む戯曲」として、こんなにスリリングな話も珍しい。1941年、コペンハーゲン。かつての弟子ハイゼンベルクは、ドイツ占領下のコペンハーゲンにかつての師を訪ねる。そこでどのような会話が交わされたか。今では死者になった3人が、その一点で切り結ぶ。これはドイツの原爆開発に関わる話で、ハイゼンベルクの訪問は歴史的事実。しかし、一体何が話されたかは謎。ボーアは半分ユダヤ人の血を引き、その後亡命している。ハイゼンベルクは何をしにデンマークの旧師を再訪したか。占領下、今では敵どうしである。
(ヴェルナー・ハイゼンベルク)
 ハイゼンベルクは、ヒトラーのために原爆開発を進めていたのか。いや、すべて判ってサボタージュしていたのか。それとも、ハイゼンベルクの計算違いで原爆開発ができなかったのか。師ボーアを訪ねて、原爆開発の知恵を借りようとしたのか。はたまたドイツの原爆開発は成功しないと暗にボーアを通じてアメリカに伝えて欲しいと考えたのか?
 
 ハイゼンベルクは「ドイツ人愛国者」として、「物理学者」として、何をしようとし、何をすべきであり、かつ何をしようとしながら失敗し、あるいは成功したのか? 歴史の闇に埋もれたこのドラマを、作者はたった3人の劇として、恐るべき緊迫感をもってドラマ化している。が、これを読む我々はもっと深刻な気持ちでこれを読まざるをえない。井上光晴の小説「明日」(黒木和雄監督が映画化したことでも有名)のように、我々は知っている。ドイツが開発するのを防ぐために、アメリカは亡命ユダヤ人学者の協力を得て核開発を急いだが、それはドイツ降伏には間に合わず、日本の上に投下されたのだった。そこに結びつく、歴史のドラマ。

 60頁にも及ぶ、歴史解説のような長い長い作者の後書きが付いていて、歴史的事実はかなりよくわかる。実際、史実を確定させることは難しい問題であるようだ。「コペンハーゲン」というのは、有名なボーアの研究所がデンマークの首都にあり多くの若き物理学徒が集ったというエピソードが背景にある。量子力学に関して、有名な「コペンハーゲン解釈」というのがあるけれど、調べても僕には理解不能。ボーアは親分肌で多くの若者を集めたらしい。アインシュタイン受賞の翌年、1922年にノーベル賞受賞。10年後、ハイゼンベルク受賞。名前くらいは知ってた有名な物理学者の、戦争中の格闘。
(ニールス・ボーア)
 ノーベル物理学賞の受賞者を見ると、初期には放射線研究が多い。第1回はレントゲン。第3回はキュリー夫妻と、今や毎日単位の名前で聞いてるベクレル。放射性元素というのは、放射線を出しながら別の元素に変わっていく。ウラン238はいろいろ変化を重ね、14回後に鉛で安定するという。これは、発見した学者にとって、まさに錬金術を見つけたような驚くべき事実で、放射線の危険性は長く気づかれなかった。キュリー夫人も放射線障害で再生不良性貧血が死因だった。

 村山斉さんのベストセラー「宇宙は何でできているのか」(幻冬舎新書)を読むと、宇宙の話と素粒子の話はつながっていると分る。そして、そういう物理学の理解が、現実の世界に関係してくる。放射線の話は、結局現代世界で最大の「暴力」である核兵器をどう考えるかに帰着する、と思う。「原発」という技術を考えると、人間はこのエネルギーを手にして良かったのだろうかという根本的疑問が起こる。しかし、「ヒトラー」が原爆先にを開発したらどうすればいいのか?

 それでも人類は核開発をすべきではなかったという論理と倫理があるとすれば、世界に発信すべき立場にいるのが日本国民であると僕は思うけど、それは難しい命題だなとも思う。

 いろんな角度から「核」を考えることが大切だと改めて確認する意味での紹介。すごい劇だと思うから、機会があったら読んでみて。日本でも上演があったのを知ってるけど、行ってない。見ておけば良かった。なお、日本にはマキノ・ノゾミ「東京原子核クラブ」という名作戯曲がある。朝永振一郎と理研をモデルにした劇で、比べて論じる必要がある。(2022.3.10一部改稿)
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ゴダールー映画と革命と愛と

2011年08月29日 00時15分23秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ゴダールの本の話。四方田犬彦「ゴダールと女たち」(講談社現代新書)が発売された。四方田さんの本はずいぶん読んでるけど、これは対象がゴダールということもあって、格別に面白い。「女に逃げられるという天才的才能」なんて、書いてあるよ。そして、昨年、山田宏一さんによる「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」(ワイズ出版、本体2800円)という大部の本が出ている。山田さん本人が撮影したアンナ・カリーナの写真満載の460頁にもなる本で、ゴダールかアンナ・カリーナのファンじゃないと読まないかもしれないけど、僕にはとても素敵なプレゼントのような本だった。まとめて紹介。

 僕がゴダールを初めて見たのは、1970年、中学3年生の時。日劇の地下にあった「日劇文化」で、「アルファヴィル」の初公開に「気狂いピエロ」が併映されていた。この「気狂いピエロ」こそ、脳天直撃フィルムであまりの素晴らしさに心が震えた。さっそく「白い本」を買ってきて、「気狂いピエロ」と大きく表題を書き、詩やら評論やらの真似事をつぶやき始めたのだった。僕にとってその年公開の個人的ベストテン1位はブラジルのグラウベル・ローシャ「アントニオ・ダス・モルテス」だったし、「イージーライダー」「明日に向って撃て!」「M★A★S★H」「ウッドストック」などアメリカの「ニューシネマ」と言われた映画も全部同時代的に見て、ものすごく影響された。でも、ゴダールの「気狂いピエロ」の衝撃が一番大きい

 これを見てなかったら、その後の映画や小説の好みがずいぶん変わったと思う。(ちなみ四方田犬彦「ハイスクール1968」を読むと、新宿文化に若い時から行ってる。三島の「憂国」を上映したり、清水邦夫作、蜷川幸雄演出の舞台をレイトショーでやった映画館である。東京東部の中高生だった自分は新宿文化へ行ったことがない。「日劇文化」でATG映画を見るのが精一杯だった。)その頃のゴダールの影響力の凄さは今では信じられないと思う。そして、映画の革命を成し遂げた若き映画作家ゴダールは、68年の五月革命でカンヌ映画祭を粉砕したあと、「革命の映画」に突き進んだ。作家性さえ「止揚」して、「ジガ・ヴェルトフ集団」と称して「東風」などの映画を撮っていた。(東風というのは中国の文化大革命の中で毛沢東が言った言葉ですよ。)

 だけど、ゴダール映画で、凄い、面白い、わくわくする、刺激的などの評語が当てはまるのは初期作品になると思う。デビュー作の「勝手にしやがれ」は、今でも素晴らしく面白い。この映画は公開前に時間短縮を命じられ、ゴダールは(普通のやり方と違い)各シーンから少しずつ抜き去った。だから展開が判りにくいと当時は非難もされたが、逆にリズムが破格で現代風と若い映画ファンに受けた。今見ても全然古くなく、素晴らしく生き生きした現代に生きるフィルムである。その時の主役がジャン・ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ。セバーグはアメリカの女優だが、のちにブラックパンサーにコミットして大変な人生を歩むことは、四方田さんの本に詳しい。暗然とする。

 ゴダールはその後、デンマーク出身の若きアンナ・カリーナを知り、次作「小さな兵隊」に抜擢。これが上映禁止になりミュージカル「女は女である」を作り、アンナ・カリーナにベルリン映画祭女優賞をもたらした。その間、20歳のアンナに「小さな兵隊」撮影中に求愛して結婚。続く「女と男のいる舗道」「はなればなれに」をアンナ・カリーナ主演で撮る。しかし、両人の個人的関係は破たんしてしまう。まあ、ゴダールとの結婚生活は大変そうだということは、いろいろな証言でよく判る。このころが、山田宏一さんの「わがアンナ・カリーナ時代」になるわけである。しかし、別れた後もカリーナ主演で何本か撮っていて、わが生涯最高のフィルム「気狂いピエロ」もその一本。逃げるベルモンドに謎の女カリーナが、地中海のブルーによく似合う。ミステリアスな展開、パリの夜と地中海の陽光、ヴェトナム戦争などへの風刺、何より、この日常からの脱出願望。愛と死。政治と革命。映像と言語…。何度見ても素晴らしい。

 こういう風に女に逃げられながら、主演に起用して奇跡的にきらめくフィルムを作る。次の女性、アンヌ・ヴィアゼムスキーにも去られたと聞いて、大島渚が言ったのが「女房に逃げられるという一種の才能」という言葉である。四方田さんはそれを手がかりに、ゴダールと関係の深い女性を取り上げ丹念に評していく。この大島渚の言葉は、赤瀬川原平のいわゆる「老人力」みたいなもんだと思うが、大島(小山明子)、吉田喜重(岡田茉利子)、篠田正浩(岩下志麻)と「松竹ヌーベルバーグ」はみんな添い遂げる(?)ことを思うと、洋の東西の違いは大きいか。

 アンヌ・ヴィアゼムスキーは、ロベール・ブレッソン「バルタザール、どこへいく」という映画に素人で出演したところをゴダールにつかまった。わけもわからぬ革命映画(「中国女」)のセリフを棒読みしながら、ゴダールと結婚してしてしまった。年は17違う。(今思うと、むしろ17しか違ってなかったのか。ちなみにアンナ・カリーナとは10歳違う。)アンヌは政治化したゴダールに引き回され、当然結婚は破たんする。アンヌはパゾリーニ他の監督に出演した後、小説家として成功した。実は母方の祖父がフランソワ・モーリヤックで小さい頃から文学的環境に育ったのである。日本でも翻訳が出て、今年来日した。

 この頃のゴダールが作った映画、つまり商業映画をやめて政治プロパガンダ映画に専念していた時代の「ブリティッシュ・サウンズ」「プラウダ」「東風」「イタリアにおける闘争」なども、日本で自主公開みたいにやったときに、ご丁寧にもほとんど見に行った。まあ、はっきり言って、全く面白くない。革命映画が映像の革命ではなく、「言語の優位性」を誇示するだけでは詰まらない。

 ところで、この後ゴダールの隣にアンヌ・マリ・ミエヴィルという協同者が現れ、共同で映画作品を作り始める。しかし、ほとんど論じられることはなかった。この「聡明な批判者」こそが、ゴダールの真の批判者であり、真の協同者であるというのが、四方田さんの本の最大の主眼である。そして、ミエヴィルを「抹殺」している映画史の見直しを図っている。こういう状況をテクスチュアル・ハラスメントと言うらしい。前の二人の10倍近く、すでに40年近くも理想的パートナーであり続けているというのに、誰も論じない。と言うんだけど、「復帰」以後のゴダール作品は、面白いんだろうか?いや、面白いという評価基準は間違ってるかもしれないけど、「パッション」「カルメンという名の女」「右側に気をつけろ」「映画史」「アワー・ミュージック」「ゴダール・ソシアリスム」などなど。うーん、「アワー・ミュージック」はなかなか刺激的で、重要な映画だったかな。「パッション」は今はなき(六本木ヒルズに飲み込まれた)「シネヴィヴァン六本木」の最初の映画だったけど、全然つまらなかった。

 ゴダールの作品は今でも結構やってる。フランスでヌーヴェルヴァーグ(新しい波)という映画が出てきたことは、この何十年かの映画史の中でももっとも重大な出来事ではないか。しかし、当時のフランスでは、「アンチ・ロマン」という小説、「アンチ・テアトル」という演劇があったわけだが、(というかそういう呼び方をした)、ゴダールは言うならば「アンチ・シネマ」というような道を歩いて行ったのかもしれない。だけど「気狂いピエロ」一作あれば、僕はもういいかな。ゴダールを見てない人が読んでも仕方ないかもしれないが、四方田さんの本は芸術と女性というテーマでも読める。まあ、でも四方田犬彦、ゴダールって言うだけで買う人こそに読まれるべき本かもしれないが。ゴダールの初期習作に「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」という短編があるが、思えばゴダールの人生は「女の名はみんなアンヌという」という人生だったことになる。
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スパゲッティ・ジェノヴェーゼを作る

2011年08月27日 23時19分46秒 | 自分の話&日記
 最近トマトソースより(というか同じくらい)、バジルソースが好きになってきて、今までは市販製品を使うことが多かったけど、(特にアムネスティの販売サイトで年末に売ってる大分の無農薬バジルソースがめちゃくちゃ美味しい)、庭のバジルもいっぱい葉をつけているので、一度自分で作ろうかな…。

 まずは、庭のバジルを取る。しかし、蚊の襲撃がものすごくなり、モスキート・ハンティングに時間を取られて、逃げ出すことにする。15グラムくらいかな。後で思うと、20グラムくらいはあった方がいい。


  ネットで見たレシピだと大体フード・プロセッサー(またはミキサー)を使うことになってる。うちにもバーミックスがあるけど、ペーストを作って保存するわけじゃないので、使わない。すぐ食べるならそれでいいと思う。少し原型を留めていても、いいわけだし。で、バジルとにんにくと松の実をみじん切り。大事なのは、「松の実」が必須(多分)。これもすり鉢ですれというサイトもあったけど、包丁でみじん切りできます。あとは、オリーブオイルで、ずっと炒める塩適量(小さじ3分の1程度?)は必須。僕の場合、輪切り唐辛子いっぱい、が重要。パルメザン・チーズをこの段階で入れても可。コショウもいる。好きなスパイスも勝手に適当に。僕はナツメグが大好きだからよく使います。それとマッシュルームの小さな缶詰をよく使う。


 僕は太麺が好きなので、11分とあるスパゲッティをよく買う。ナポリタンみたいに炒める方が好き(ソースを上にかけるだけでなく)なので、10分で茹でるをやめて、あとはソースを絡めるように炒める。
 バジルソースは、茹でてる間にできてしまいます。
 ということで、庭やベランダにバジルがある人ならすぐできる。ただ、松の実を買っておくことが大切。(スーパーの中華材料コーナーにあると思います。)
 
 これにチーズをトッピングして食べました。写真をよく見ると、唐辛子が多いことがわかると思います。普通の人はこんなに入れてはダメですよ。トマトソースは良く作る(大体は、ア・ラビアータ)けど、バジルソースは初めてなので、写真撮ってみました。バジル取りから数えて20分あればできます。
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「週刊金曜日」(8・26号)に掲載されました

2011年08月26日 22時56分48秒 |  〃 (教員免許更新制)
 今日はJLGについて書こうと思っていたんだけど、事情が変わったので違うことを書きます。(JLGってのはフランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールのことです。)それと言うのも、菅首相の辞意表明、じゃなくって、僕を取材した記事が「週刊金曜日」の8・26号(860号)に載りました。 
 平舘英明「教員免許更新を拒否 都立高校教師の怒りの退職」。
 
 金曜日と言うんだから、今日発売ですよ。週刊誌だから書店には長くおいていません。直接購読が多い雑誌ですが、大手書店にはあります。580円。表紙には大きく「放射能とコメ」。
 まあ、買ってください。他の記事も読んでほしいから。(ちなみに、僕は創刊ゼロ号からの定期購読者です。)

 取材は5~7月に数回に渡り受けたもので、(6.8付記事で報告した、六本木高校の授業「人権」のセクシャル・マイノリティの授業には平舘さんも同席していました。)原発事故関連の記事等が多く、もうしばらく出ないのかと思っていたら、今日来た雑誌を開いてびっくり。

 ちょっと時間が経ってしまい、「怒りの退職」というより、都教委と縁が切れるとこんなに気が楽なのかというような日々を送っています。ただ、更新講習なんて受けるかとは思ったけれど、こんなふざけた制度が本当に実施されてしまうとは、実は最後まで信じていなかったところもあります。

 都教委の下では限界が近づいていたので、後悔はないけど、自分の経験や思うことをどう形にしていくか、よく考えてみたいと思っているところ。今振り返ると、最初の中学の経験が非常に大きいです。荒れて再建しての経験のあと、全日制商業高校、夜間定時制高校、三部制単位制定時制高校と経て来て、こういう履歴はあまりないと思うので、何かの形で伝えていきたいと思っています。

 「誤った国策には従えない」という思いは、日本近現代史を学んで教員になったときからの、別に他人に公言はしないけど、思いの底にずっとあったことでした。昔から竹内好さんや鶴見俊輔さんを読んで影響を受けてきたので、60年安保の時のように、辞めるべき時には辞めるしかないという気持ちも昔からあったですね。

 最後の所属を公開して、「人権」の授業のことなどを書いているのは、不登校・高校中退者向けの学校の存在を少しでも広める意味もあってのこと。僕の教師としての28年間の最後が、不登校生徒と一緒に卒業に向けて頑張るという仕事だったことを、実はすごく誇りに思っています。今後もこのきつい世の中、グローバリズムと差別社会の中を生きていかねばならない、不登校や中退生徒の味方でありたいなと思っています。教師として一緒に勉強するというのとは少し違う形でね。
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映画「奇跡」(是枝監督)

2011年08月25日 20時44分38秒 | 映画 (新作日本映画)
 今日は映画と本の2本の記事を書こうと思います。まずは、映画「奇跡」の話。ロードショーで見逃して、今日池袋の新文芸坐で見ました。(27日まで。「東京公園」と2本立て。)是枝監督とわざわざ書いたのは、「奇跡」と言えば昨日触れたばかりのデンマークの巨匠カール・ドライヤーの超傑作があるからで、もう30年くらい前になるか岩波ホールで上映されました。正直言って見て意識がぶっ飛んだような映画は珍しい。世界で一番聖なる映画だと思います。

 今回の是枝裕和監督の「奇跡」は大変気持ちのいい、今の子どもたち、今の大人たち、今の地方の様子を丁寧に描いた映画でした。見る価値あり。是枝監督は大傑作「誰も知らない」、傑作「歩いても歩いても」がありますが、そういう人間を深く見つめた作品ほどの衝撃力はないけれど、兄弟を演じた「まえだまえだ」の二人が素晴らしく、とても面白い映画です。「未来を生きる君たちへ」では、いじめや暴力が描かれますが、この映画にはいじめや少年犯罪や不登校や援助交際は出てきません。そういうアイコンを使って子供の世界を描く方が今では簡単かもしれない。いじめ的要素の全くない学校はないだろうけど、子どもたちの世界にはそういうダークな世界ばかりでなく、むしろ支えあい楽しく生きている側面もあります。この映画でも、親が離婚して兄弟は別れて住んでいるという設定ですが、子どもの心はもちろん傷ついているのですが、自分たちこそが家族を、世界を支えようと能動的に行動しています。それがリアルな子ども像になっています。そして、そういう子どもたちが生きる場は、親だけでなく祖父母、担任教師だけでなく養護教諭や図書室司書などの存在こそが大切だというようことがよく判ります。

 九州新幹線全線開通。その上りと下りの最初のすれ違いを目撃すると奇跡がかなう。そういう噂を信じて学校を抜け出し、熊本へ向かう兄弟とその仲間たち。兄は鹿児島、弟は福岡に住んでいるから、両方から熊本県の宇土のあたりへ。このワン・アイディアをうまくまとめた脚本。故原田芳雄さん他、なかなか豪華キャストでした。鹿児島から熊本へ向かう場面の駅のロケ、鉄道ファンならずとも興奮させられる子どもたちの冒険を描く素晴らしいシーン。桜島に向い、行き帰りのあいさつをするのにも感心。それにしても冒頭近く、鹿児島の小学校の教室には西郷隆盛の写真(ほんとは絵ですけど)がかかってる。この「偶像崇拝」にはびっくり。高知では坂本竜馬か?

 さて、鹿児島の小学校には司書は全校にいるのでしょうか?鹿児島国際大学の先生で「いのちの教育」を続けている種村エイ子さんのブログ「いのちの授業日記」に出てるかな?
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留年してはいけないのか?-高校授業料問題を考える③

2011年08月22日 00時11分18秒 |  〃 (教育行政)
 さて、この問題を書いてしまおう。今まで書いたことは、そもそも高校授業料無償化は国際的常識であり人権問題であるということ。朝鮮高級学校通学者への適用凍結は差別であり、民主党政権の説明した制度の理解からもおかしいということ。今、菅政権が退陣間近になり、この二つの点は改めて確認しておく必要があると思う。でも、まあこの2点なら他にも言ってる人はいるだろうと思う。

 今日書くことは、ほとんど誰も知らない。関係する生徒と教員と学校事務職員くらいしか知らない。
 さて、制度の趣旨は「若い世代の学びへの支援」だと昨日書いたけど、高校は義務教育ではない。行かなくてもいいし、中途退学する生徒もかなりいる。一方、高齢になって夜間定時制に入り直すとか、20歳を超えて通信制に入学するということも多い。(僕も何十人と知っている。)では、年齢制限の制度を作るべきだろうか?例えば、20歳を超えた成人生徒は有償とするとか。
 そういう制度はない方がいいだろうと思う。で、実際そういう仕組みは作られなかった。高校卒業は、いろいろな資格を受験する前提となっていたり、求人に応募する条件だったりするので、できるだけ多くの人が高校は修了していた方がいい。いろいろあって20歳超えてやり直したり、高齢になって高校へ行きたいというような人は、生涯学習や健康増進の見地からも支援した方がいい。もともと定時制や通信制の授業料は安いんだから、数からいえばわずかな生徒のために徴収の手間の方がかかってしまう。

 で年齢制限はないのだが、「年限制限」は入ってしまった。つまり、全日制高校では3年、定時制・通信制高校では4年、その間の授業料が無償となる。従って、いわゆる「留年」「落第」したら、卒業する年は授業料がかかるのである。実際、自分は昨年度に定時制高校(単位制)の5.6年次生を担当したので、4年までの生徒は無償になったのに担任した生徒は授業料がかかった。

 高校の課程は、全日(ぜんにち)、定時、通信と3つある。全日制や定時制の多くの学校は、「学年制」を取っている。通信制と全定の一部の高校は「単位制」である。(アメリカなんかは高校はみな単位制なんではないかと思う。)日本では小中は落第がないので、同年代集団として学年進行して、クラス集団で授業を受ける。ほとんどの高校も同じで学年単位で授業を受けるが、高校は「落第」がある。大体の全日制高校で、出席不足、成績不良の科目があると「進級」が認められない。(細かい決まりは学校ごとに少し違うだろうが。)これを学校用語では「現級留置」(げんきゅうりゅうち)と呼び、略して「げんとめ」と言ったりする。普通は「留年」と言うだろう。病気や事故などで長期入院したりする場合は別として、全日制高校ではなかなか留年がしにくい。同年齢集団からはずれるのは恥かしいので自主退学する場合が多いし、事実上学校にいられないようなムードの転学指導を行うところもあるのではないか。しかし、とにかく様々な理由で留年する生徒がいる。病気で入院すれば「休学」できるのに(休学中は授業料がもともとかからない)、戻ってきて卒業の年に授業料がかかったりしたらおかしいではないか。(さすがにそういう場合は特例で免除する都道府県が多いらしい。)

 一方、単位制の高校(通信制や一部の定時制高校)などでは、「正規の年限は4年」としながらも、早ければ3年でも出られるし、健康や経済的問題があれば5年、6年かける生徒もいる。通信制では事実上もっと長くいる生徒がいるかもしれない。5年、6年かけるのを勧めるわけではないけれど、自分で経験したことで言えば、病気などですぐに登校できる状態ではない生徒はかなりいる。多くの元気な生徒が卒業した4年目くらいから徐々に登校できるようになり、成人になって卒業する生徒もいる。どのくらいいるかと言うと、自分の経験した高校で言えば1割を超える生徒が5年、6年目までいる。(在籍は6年間というルール。)これはかなりの割合ではないかと思う。

 だから、5年、6年目になると授業料がかかるわけだが、今度はそれまで適用されていた「授業料減免措置」が生きている。生活保護家庭はもとから無料だし、経済的に困窮する家庭は(面倒な書類がいっぱいいるが)授業料が減額される。ところで5年以上いるということは、親も病気で働けないとか単親家庭で経済的に苦しい場合などが多く、生徒もアルバイトが大変だったり病気持ちで長く通院している場合が多いように思う。単なる印象だが、5,6年までいる生徒の半数程度は減免の対象ではないかと思う。

 これではわざわざ「年限制限」をする意味は何なのだろうかと思う。もともと定時制、通信制は授業料が安いのに、面倒な事務手続きばかり多くて、徴収金額より徴収事務費の方が多いくらいではないか。そういう観点からも無意味だが、そもそも単位制高校の存在理由からして、何年かけても卒業まで頑張るという生徒を支援するべきだ。元気な生徒はアルバイトもして3年で卒業していく。具合が悪くてアルバイトもできない生徒が5年目、6年目になると授業料が発生する。逆だろ、と思ったりする。ウィキペディアによれば、半数以上の都道府県が年限を超えた生徒の授業料を取っていないという。しかし、東京都では徴収している。国は正規の年限分しか出さない。都立学校の問題だから都議会で条例で、正規の年限を超えたら取ると決めた。取ってない県では、県の負担で無償にしているのである。だから東京を始め、もう高校生全員を無償にして欲しいのだが、国自体が制度を変えて欲しいと思う。

 やり直しのきく社会、いろいろのコースが用意されている社会の実現のために、高校授業料無償と言う以上は「高校生である間は全員が無償」と言う方がすっきりするではないか。この問題は関係する人は極めて少ないのだが、実は大変大事な問題をはらんでいるのではないか。考えて欲しい。
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朝鮮高級学校の場合-高校授業料問題を考える②

2011年08月20日 23時50分34秒 |  〃 (教育行政)
 ものすごく暑かったのが突然涼しくなり、高校野球も終わり、夏も去っていきつつあるのかな…というと来週はまた暑くなるみたいですけど。涼しいうちに高校授業料無償化問題を考えてみます。この措置が現在朝鮮高級学校へ通う生徒に対して止められているという事実があります。手順を踏んで朝鮮学校にも適用する方向で進んでいるかに見えていましたが、昨秋に突然菅首相の直接指示で止まってしまいました。そのきっかけは2010年11月の「北朝鮮」(=朝鮮民主主義人民共和国=DPRK)による韓国支配地域への無法な攻撃。この暴挙を批判することと、朝鮮学校への無償化措置は関係ありません。そのような論理を民主党政権は取ってきました。従って、自分で作った原則を自分で破っていくという菅首相にいくつも見られた無原則ぶりがここでも明らかです。

 それまで文科省は何と言っていたかというと、当初に出された文部科学大臣談話にはっきりしています。ちょっと長くなるけど、大事なところを引用。
 (高等学校等就学支援金制度の趣旨
 高等学校等就学支援金制度は、全ての意志ある後期中等教育段階にある生徒の学びを保障し、家庭の状況にかかわらず、安心して勉学に打ち込める社会をつくるため、公立高等学校の授業料無償制とともに実施することとしたものです。このため、私立高等学校等に学ぶ生徒のみならず、専修学校及び各種学校のう「高等学校の課程に類する課程」に学ぶ生徒も広くその対象としています。
 もとより、就学支援金は学校に支給されるものではなく、生徒個人個人に対して支給されるものです。また、国籍を問わず、我が国において後期中等教育段階の学びに励んでいる生徒を等しく支援することは、教育についてのすべての者の権利を謳っている国際人権A規約の精神にも沿うものと考えます。

 つまり現状は国際人権規約違反です。(と自分で言ったんだから認めるはず。)朝鮮学校の教育内容をめぐる批判もあるけど、(もちろん批判自体はあってしかるべきだけど)、学校に支給されるのではなく生徒個人個人に支給されるもの、と文科省自身が言ってるのだから見当はずれの議論です。

 自民党が「4K」と批判する政策はすべて、企業等への補助金などを通して結果的に家計への波及を及ぼすのではなく、家計そのものを直接支援するという発想に立っています。「こども手当」「農家の戸別所得補償」が典型ですが、高速道路無料化の発想も同じ。だから、単に高校の授業料をなくすだけでなく、同世代の学びを支援していくという発想になります。この発想そのものの是非は議論すべきだと思います。しかし、とりあえずそのような発想で高校無償化は始まりました。では、なぜ実際の支出は学校単位で行うのか。それは誰が高校や専門学校に行っているか自治体は把握していないので新たな確認手段を作らないと支出できないし、個人に支出しても「給食の補助金を学校に払わない」というようなことが続出するのが目に見えているからです。(もちろん少数でしょうが、高校授業料を親が使い込むケースが起こるのは間違いありません。)学校は「学校基本調査」で5月1日付の在籍人数を報告する義務があるので、その数字を利用して学校単位で支出する方がはるかに簡単です。そういう心配を避け、事務作業を簡素化するために学校に支出しているのですが、その精神としては「生徒個人の学びを支援している」のです。

 それなのに「朝鮮高級学校」に通学する生徒のみ、その支援を受けられないのは明らかな差別です。朝鮮高級学校は、他の多くの専修学校と同じく、大学入学資格を多くの大学が与えています。従って、文科省が作った基準に適合します。

 ところで、朝鮮高級学校に通学する生徒はどこの「国籍」を持っているのでしょうか?日本は「北朝鮮」を国家承認していませんから、「北朝鮮国民」というものは一人もいるはずがありません。戦前の植民地支配時代に、日本の制度が強制的に導入され本籍が「朝鮮」(国籍はもちろん「大日本帝国」)となり、占領下に今度は強制的に日本国籍を離脱させられた人々が多くいるわけです。その人々が「朝鮮籍の外国人」扱いをされたわけです。(多くの「帝国」では植民地の独立時に独立国か本国か国籍を選択できました。)1965年の日韓国交以後に韓国籍に切り替える人が多くなりましたが、その意味では事実上「北朝鮮支持者(朝鮮総連傘下)の家族」が多いかとも思われますが、「朝鮮」籍というのは、日本の植民地支配が作り出した「記号」に過ぎません。また、少数だと思いますが日本や韓国の国籍を持っている生徒も通っていると思います。むろん「朝鮮籍」であっても日本の公立高校へ通っていれば、授業料はないわけですから、全くわけがわからない差別としか思えません。

 韓国籍であれ、朝鮮籍であれ、あるいは戦前の台湾出身者であれ、「特別永住権」を持っていますから、基本的に日本社会の構成メンバーです。所得税も消費税も同様に払っているのに、朝鮮学校に通っている子供だけが授業料がかかる。これを日本国民(日本の政治に責任がある20歳以上の有権者)はどう思うかということです。これから朝鮮学校生は裁判に訴えるという動きが進んでいます。裁判になれば決着が長引いてしまうことが予想されます。できうれば菅首相が自分で道筋をたてて退陣すべきです。

 朝鮮半島の植民地支配の歴史に深入りしていくとさらに長くなるので、もうやめることにします。当然ながら「朝鮮」籍の人々は独自の民族教育を行う権利を持っています。その民族教育をすすめる学校と友好を深めるのも大切だと思います。しかし、批判するべきことを批判しないことが友好ではありません。戦前の日本の学校の「御真影」みたいに指導者の写真を掲示してあるようなのは、現代の日本では受け入れられません。しかし、そのような朝鮮学校への批判があったとしても、「個人個人に出す」システムなのだから、朝鮮学校通学生だけ除外するのは「差別」にあたるわけです。
 ただし、この問題を別のシステムに変更するならば話はまた別で、そういう点は今後また書きたいと思います。
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映画「ツリー・オブ・ライフ」

2011年08月15日 23時16分17秒 |  〃  (新作外国映画)
 今年のカンヌ映画祭のパルムドール(黄金の椰子賞=最高賞)を獲得した、アメリカのテレンス・マリック監督の映画「ツリー・オブ・ライフ」。(「人生の樹」ではなぜダメなのかな。)最近は映画祭受賞作品がなかなか公開されないのですが、この映画はさすがブラッド・ピット、ショーン・ペン出演が効いてか早速公開。12日公開の映画をすぐ見たのは珍しいけど、14日に「TOHOシネマズ」の割引デイなので、早めに見たわけです。で、実は感心しないというか、これは困ったという感じなのだけど、今までそういう場合は書かないのだけど、今回はその困り具合が重要ではないかと考え、書いておくことにします。

 テレンス・マリック監督という人は、今までに5作品しかない人で、今回もカンヌには来なかったというような伝説の監督です。「天国の日々」という美しい映像で知られる映画が今月下旬から限定リバイバル公開されます。僕はガダルカナル戦の米日の兵隊を描いた「シン・レッド・ライン」という戦争映画は素晴らしい出来だったと思います。今回も実に格調の高い、美しい映像詩で、人生の奥深さ、自然の中で生きる人間の生の営みが描かれています。さらには宇宙、神へと発想は深まり哲学的、宗教的な深みに達し、非常に厳粛なる気持ちで映画を見終わります。そのような意味では東日本大震災以後のわれわれ日本人にとって、非常に考えさせられる映画であるとも言えます。

 父母兄弟と暮らす地方の子どもの日々、父親との葛藤、今人生を経て改めて思い出すその頃の意味、人生は、人間は、世界は、地球環境は…、皆つながりあい、支えあって、それぞれの意味を持つことを感じていく。この人生を振り返る子供がショーン・ペンで、子どもが幼い時の父親がブラッド・ピット。この配役の妙が生きています。でもプロットがあるような、ないような、話の流れで見るというより映像の流れで感じる作りになっているので、わかりにくいと感じる人もいるでしょう。でも、考えないで感じることに集中すれば、映画を見慣れていればそれほど難しくはないと思います。テレンス・マリック版「2001年宇宙の旅」という評もあったようですが、当たっているかと思います。で、この美しい哲学的映像詩の傑作の何が困った映画なのだろうか?ということです。

 かなり長い映画だけど、その中にこれは「アース」かというようなBBCかNHKのネイチャー番組みたいな美しい自然の映像が多すぎるのでは?そして、なんだか抽象絵画みたいな美しいデザインの映像。そして語られる神への言葉。いや、哲学的でも宗教的でも、何でもいいんですけど。どうもそこには、「慎み」と言うべき「東洋の叡智」がない。何か大々的で、神々しく、華々しい世界が展開される。そこが魅力ではあるけれど、ちょっと嘘くさい。なんか、「普通の人々」の「普通の生活」の中に、「普遍の知恵」を見出すというような慎み深さがないのではないか。ここで語られている世界の感じ方、考え方自体は津波災害、原発事故の中を生きる我々に、とても貴重なエコロジー的世界観だと思います。しかし、言うならば多神教の伝統があるアジアから見て、一神教的な世界観による「神の秩序の再発見としてのエコロジー」と言った感じ方への違和感があると言うべきかもしれません。

 そして、このような世界観をアジアの映画はもっと前から描いてきたのでは?昨年のパルムドール、タイの「ブンミおじさんの森」(前にブログで触れました)、インドのサタジット・レイの「大地のうた」三部作。イランのアッバス・キアロスタミ、中国のチェン・カイコーやジャ・ジャンクー、台湾のホウ・シャオシェンの数々の映画。日本でも、溝口健二の「雨月物語」「山椒大夫」を筆頭に、小津安二郎の「東京物語」、新藤兼人の「裸の島」、今村昌平の「神々の深き欲望」等に、さらに宮崎駿「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」を置けば、ずっとずっと「ツリー・オブ・ライフ」より感動的で充実した映画体験ができるのではないでしょうか。

 さらに言うと、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」と方丈記を引用すれば、それで済んでしまう気がしましたけど…。いや、平家でもいいし、「夏草や兵どもが」「閑さや岩にしみ入」と口ずさんでもいいです。日本人はさ、この下の句が大体言えるんですよ。方丈記だって大体の人は知ってるんだよ。と、なんだかそんなことを思ったけど、しかし、それを人工美の超大作に仕上げるエネルギーがわれらにあるかという内省もまた必要かな、と。

 こんな感想を持った「ツリー・オブ・ライフ」は、ただ単に映画ファンと言うより、文明論を考えたい人には肯定、否定をまずおいて見ておいた方がいいかもしれません。
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開沼博「フクシマ論」を読む

2011年08月13日 00時05分58秒 | 〃 (さまざまな本)
 開沼博フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社、2200円)。(403頁の厚い本で、評も少し長くなるけど。)

 上野千鶴子、姜尚中、佐野眞一各氏の推薦文を帯に巻いて、今注目の「フクシマ論」。あまりにもタイムリーな本だったけど、これは1984年生まれの東大大学院生の修士論文である。「3.11」がなければ、このように素早く出版されることはなかったに違いない。幸か不幸か(いや世界にとっては不幸なんだけど)、原発事故により今まさに注目される書となってしまった。しかし、読みたい人は自由に読めばいいと思うけど、これは良くも悪くも修論である。上野千鶴子や姜尚中がほめてるから、これを読まなければ「フクシマ」を語れないなどと「インテリのレーゾンデートル(存在理由)」みたいな気持ちで読みたいだけなら、あえて読まなくてもいいのではないかと思う。基本的には、学問内部の本なので。

 副題に「原子力ムラ」とあるけど、これは原発事故以来有名になった、原子力推進の政官学の閉鎖的な世界を指す俗語(だけ)ではない。それもあるけど、いわき市出身の著者の関心は、原発を受け入れ原発に依存して生きている地域を「原子力ムラ」と呼んでいる。その「中央と地方」の関係史を戦時期頃から丹念に追いながら、「この二項対立があったからこそ日本の戦後成長が達成された」という結論が導かれる。自分の生まれた福島浜通りをケーススタディとして、地方の「服従」のメカニズム、変貌の歴史を追う。歴史学なら地域史、社会史、民衆史とか言うあたりだが、歴史社会学と著者は呼んでいる。学問の系譜では、社会学(吉見俊哉、上野千鶴子に師事している)から出てきたが、学際的な関心領域に広がっている。

 僕が特に興味深かったのは、戦後福島県知事の歴史である。戦後に知事が民選になってから60年以上たつが、今までに7人しかいない。初代石原幹一郎(後に初代自治大臣)が国会に転身したあと、二代目の大竹作摩は会津の「百姓の野人」。その後は官僚出身(後に厚生相、自民党幹事長になる斎藤邦吉)を破って当選した佐藤善一郎、6代目の佐藤栄佐久も官僚出身候補に対抗して自民党参院議員を辞して出馬し当選した。4代目の木村守江は一時期全国知事会長を務めたほどの実力者だったが、1976年に「福島のロッキード事件」と言われた疑獄事件で逮捕され辞職。5代目はそのあとということで、参議院議員だった会津の殿様松平勇雄が選ばれる。次が佐藤栄佐久。こうしてみると、(自分が知ってるのは木村以後だが)保守内部で「反中央」を掲げて当選するケースが多いということである。地方からすれば、官僚出身で予算を中央から取ってくる術を知っていることも大事なのだが、一方自民党が官僚出身を知事候補に立てると、それに対する反発が出てきて社会党と結んでさえ他の候補の支援に回る保守勢力もいるのである。全国的に見て、このような福島のような事例は決して珍しくない。

 一方、国政や知事選では社会党も一応の存在感があるプレイヤーなのだが、県議や市町村などでは中央で万年野党の存在価値が少ない。県議として反原発運動に関わりながら、のちに双葉町長を20年務めて原発賛成派に「転向」した岩本忠夫という興味深い人物が取り上げられている。県議選に3回落選、家業の酒造業に戻っていたが、前町長が汚職で逮捕されたあと、地元から懇願され町長になったという人である。「長女が東電社員と結婚」という事情もあったのか、社会党は離党していたという。以後はすでにある原発を前提に町民のためということで原発を認めていくわけだが、この事例は果たして「転向」なのか、と著者は分析している。一見、論理のレベルではまさに「転向」だが、町の幸せのために活動するという意思では何の違いもない。できてしまった原発はなくせないし、その後は原発を前提に行政の論理で町のためにつくすということに本人は矛盾を感じていなかったに違いない。「草の根保守」の研究はあるが、「草の根革新」の研究はほとんどないのではないか。戦後、戦争は二度と嫌だという平和への思いで労働組合運動に尽力しながら、地方政治家としては行き詰まり人柄を見込まれ町村長や各種の団体のリーダーに転身して活躍したというのが、一定のタイプとしてかなりいるのではないかと思う。

 選挙分析や「選挙の社会史」という視点に個人的関心があるので、その点を少し述べた。他にも興味深い論点がたくさんあるので、地方財政論やエネルギーの歴史など他の人にくわしく論じて欲しい。また、東電が地域還元として建てたサッカートレーニング施設「Jヴィレッジ」(今や原発事故作業員の宿泊所)や「なでしこ」所属の東電女子サッカー部「マリーゼ」などを「スポーツ社会学」として論じるのも大事だろう。本書の中には「原子力最中」というお菓子や「回転寿司アトム」という店の写真も入っている。直接の学問にはならないかもしれないが、「お土産物の社会史」というのもあるかもしれない。

 本人自ら読まずに飛ばしていいと書いているが、修論という特質上、この論文の理論的な位置取りの説明が冒頭に長い。本人が書くとおり「ポストコロニアルスタディーズ」という枠組みで議論が展開される。社会学と言う、ある種融通の利く学問であることの有効性がこのような研究にはうまく生きていると思う。しかし、「ヒロシマ、ナガサキで始まった戦後」というような認識が基本的な戦後認識としてあるのではないかと思うが、沖縄占領やソ連の対日参戦こそが大日本帝国にとっては重大だったので、僕は戦後の歴史学の蓄積も生かしていきたいと思う。(ただし、歴史学もタコツボになり、スピヴァクやサイードと言った大きな議論がしにくい所はあると思うので、社会学がうらやましい部分も多い。)また自分も経験があるが、修論は史料収集に追われて議論が整理しきれずに終わる部分がある。本書にも、どうもそういうところがあるような気もするので、今後のかなり自由にいろいろできるだろうポジションを得て今後何をしていくか注目していきたい。

 なお、60年代まで日本の最大のエネルギー源だった石炭、それを産出する「炭鉱」の社会史を次に是非とあえて。戦時中の朝鮮人、中国人強制連行、戦後最強の組合だった「炭労」、三井三池の大争議、炭鉱国管疑獄と田中角栄、麻生炭鉱と麻生太郎、三池CO事故や夕張の大事故、フラガールなどなどすごい出来事が続出するテーマ。炭鉱が閉鎖され多くがブラジルなどに渡った。21世紀になり多くの日系ブラジル人が日本へ出稼ぎにきて、また新しい問題が生じた。僕は自分ではできそうにないので、筑豊や北海道や常磐生まれの気鋭の研究者にお願い。2014ワールドカップや2016リオ五輪にかけ、ブラジル移民の歴史が注目を集めて欲しいと思っているのだが、そこに向けて。

 一方、開沼氏も佐藤栄佐久氏も、僕が思うに今回の原発事故以前の戦後福島最大の事件である松川事件、それに対する戦後最大の救援運動、裁判批判運動である松川運動に対する論及がないのは何故だろうか?今こそ、皆で統一し、現地調査を行い、粘り強く闘った松川の教訓を思い出すべき時だと思う。まあ、こっちは僕が自分で訴えていくことにしましょう。
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高校無償化は人権問題であるー高校授業料問題を考える①

2011年08月09日 23時10分15秒 |  〃 (教育行政)
 ちょっと映画や本の紹介が続いているが、前に予告してある「高校授業料無償化問題」を少しまとめて論ずることにする。自民党はいわゆる「4K」と言って、子ども手当、高速道路無料化、農家の戸別所得補償制度と並び、高校授業料無償化制度をバラマキと批判している。本日まとまったとされる「民自公3党合意」では、「政策効果を検証して、12年度予算で必要な見直しを検討する」となったらしい。しかし、この政策は今後も堅持されなくてはならない、と強く思っている。

 勘違いしている人(あるいは「無知」な人)が多いのだが、他の3件と高校授業料無償化はその本質が全く違う。子ども手当(あるいは児童手当)をどういう制度にするかは、純粋に制度設計の問題である。(しかし、今回の合意が果たしてよいものかどうかは疑問も多いが。)高速道路無料化も戸別所得補償制度も同じで、日本にとってより良い制度を見つけていくための検討はして当然である。津波被害と原発事故という国難というべき時期に高速道路無料化は延期になっても仕方ない。(ただし、この政策をとんでもないバラマキと思ってる人がいるが、高速道路というものはいずれ建設費の償還が終わったら無料にするという約束で作ったものなのである。デーブ・スペクターだったかな、アメリカで日本語の勉強に歌を聞きまくり、「中央フリーウェイ」と言ってたのに、日本で実際に通ったらやけに高くて詐欺かと思ったという話を聞いたことがあるけど、高速道路無料化自体は至極まともな発想なのである。)

 前置きが長くなったけど、では高校授業料無償化の本質とは何か、と言えばそれは「人権問題」なのである。1948年12月8日、国際連合は世界人権宣言を採択した。宣言は言いっ放しだから、それを何とか規制力のあるルール化することが目指され、1966年12月に国連で採択されたのが、国際人権規約である。社会権を定めたA規約と自由権を定めたB規約に分かれる。日本は1979年にいたってABともに批准した。(なお、A規約には第一選択議定書=個人通報制度と第二選択議定書=死刑廃止が後から成立したが、日本はご承知の通り、どちらも批准していない。)

 さて、その国際人権規約の中に、(小学校はもちろん無償であり)中学や高校もだんだんと無料にするのだと明確に書いてある。外務省訳を一応あげておくと「種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。」
 中等教育というのは中学と高校のことで、日本は中学は無償だが、高校は授業料があった。では、1979年にこの規約になぜ入れたのか。実は、日本も仲間に入るけど、三つだけ特例を認めてねという荒業を使ったのである。他にも解釈の問題も二つ、注文を付けている。
 その三つとは、「中・高等教育の無償化」「労働者への休日の報酬の支払い」「ストライキ権の保障」だった。最後のスト権というのは、もちろん民間労働者にはあるわけだが、「公務員にスト権がない」ことが国際水準からすれば人権無視のとんでもない事態なのである

 高校授業料を取っていた国は、だから世界にほとんどない。国によっては大学まで無償である。これは国民の教育権を保障する人権上の措置だと、どの国も判っているからだ。ウィキペディアによれば、この条項を保留扱いしていたのは、日本とマダガスカルだけだという。民主党政権になり、高校が無償になり、国連にこの保留通知の撤回を行った。やっと世界の常識が日本に通じたのである。どこがバラマキなのか、そういうことを言う人の常識を疑う。

 ところで、実際は各地方で貧困家庭には学費減免措置があった。みんなタダになれば、金持ちの家庭はその授業料分のお金で塾や予備校に行けるから、かえって教育格差を広げるという人もいる。教科書代や制服代や修学旅行費はタダにはならない以上、家庭の負担はやはり大きくて、授業料だけの問題ではないという人もいる。そいう議論の一つ一つはもっともなのだが、本質を外している。金持ちだろうが、貧乏だろうが、それは子供に選べない。高校や高校にあたる専門学校等の授業料そのものをなくすというのは、社会の側で若い世代に与えることができるチャンスであって、それを維持するのは当然だ。(教科書や修学旅行への援助制度もあるので、他の問題は別建てで考えればいいことだ。)

 ところで、この問題を調べていて、今のことに気付いたのは数年前である。僕でさえ、「人権」という授業を作って、国際人権規約なんてものをちゃんと調べて知った。多分多くの先生は、国際人権規約で高校授業料無償化と公務員のスト権が定められているが、日本政府がそれはやらないよと通知していたんだということを知らない人が多いと思う。自分の権利を侵害されていて、それで教育を行っていたのか。このことは、もっともっと知られなくてはならない。教育と労働に関して、日本の水準は国際的に見て低いということを。

 「キューポラのある街」という映画がある。1962年。伝説の名匠浦山桐郎監督のデビュー作。17歳の吉永小百合が主演女優賞を取った。早船ちよの児童文学の映画化。キューポラとは鉄の溶解炉で、鋳物の街として知られた埼玉県川口市を舞台にした傑作である。「北朝鮮帰国問題」も重要なテーマになっており、貴重な場面も多い。さて、そんなことではなく、中学生の吉永の父、東野英治郎が失職する。学力はあるが経済的に全日制高校へ行けなさそうになり、悩む。その時に担任の先生役の加藤武が諄々と説く。働きながら定時制高校へ行ってもいいのだ。通信制高校というのもあるのだ。人間は一生ちゃんと勉強しなければいけなんだ。ここでくじけてはダメだ、と。吉永小百合は工場で働きながら夜は定時制高校で学ぶ女子工員たちの見学に行く。そのような感動的なシーンがあるのだが、その場面を見ていて、日本の庶民にとって子供をなんとか高校までは出してやりたいということがどんなに大変なことだったかが痛切に伝わってきたのである。本当は日本がまだまだ貧しかった60年代に、少なくとも高度成長を達成した70年代にこの政策が実現できていたらどんなに良かったろうにと強く思う。 
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TOKYOオリンピック物語

2011年08月08日 22時11分06秒 | 〃 (さまざまな本)
 野地秩嘉(のじ・つねよし)著「TOKYOオリンピック物語」(小学館、2011)。書く時間がないままになっているので、まずこの本を。「東京五輪」というのも、「シベリア抑留」とか「チェコ事件」なんかと並んで、つい買ってしまうテーマなんだけど、この本はちょっと異色で東京五輪を裏で支えた人々の物語である。たとえば、選手村の食事を1万人分作りきった帝国ホテル料理長村上信夫とか。これほど大規模の食事を、しかも単なる和食だけではなく、またいわゆる「洋食」だけではなく、アジアをはじめ世界中から来る選手たちの要求を満たすように作るということはそれまでの日本にはなかった。そういうシステム自体がない。一度に多数の食事をつくるというシステムを作ることから始めるのである。この時、日本中のホテルから来た料理人が「一斉に多数のサンドイッチをつくる」というような技術を覚えて帰り、ホテルの結婚式やパーティというものが全国に広まっていったのだという。村上さんは無休、無給で事に当たった。

 勝者を速報するためのコンピュータのシステムを作った日本IBMの技術者たち、初めて民間警備会社(今のセコム)を作って選手村の警備を担当した人、ポスターや絵文字を作った人々。(ちなみに、あのランナーが一斉にスタートするポスターを作った亀倉雄策により、グラフィックデザイナーという言葉が定着した。)「プロジェクトX」の東京五輪特集だけど、とても感動的で、熱く思い出すような話がいっぱい積もっている。そして、亀倉雄策の言葉、「日本人は時間を守るとか団体行動に向いているというのは嘘だ。どちらも東京オリンピック以降に確立したものだ。みんな、そのことを忘れてる。」という発言が重い。確かに僕らは忘れている。ちょっと前まで、パソコンどころか、テレビも冷蔵庫もなく、みんな落語の登場人物みたいに暮らしていたのだ。五輪の10日前になんとか新幹線を間に合わせたのに、今では忘れて中国を批判している。(儀式に間に合わせるために急いだという点が共通しているというだけで、他に有意味な批判点はもちろんいっぱいある。)

 僕が東京五輪を経験したのは、小学校低学年のとき。教室にテレビが導入された。開会式の日の空の五輪マーク。内外のいろいろな選手の活躍もさることながら、僕が一番思い出すのは閉会式の、国家や民族を超えて肩を組み一緒に行進した様子である。あれで、良いのだ!と幼くしてインスパイアされたので、「卒業式は厳粛に」などという言説に違和感を覚えてしまうのである。入学式は最初だから厳粛でもいいけど、卒業式は最後の別れなんだから、偉い人の話を謹聴してるだけではつまらないではないか。
 それはともかく、誰かが書いてたけど、僕らの世代には「東京五輪開会式」を口演できる生徒がけっこういた。僕も、古関裕而の行進曲を口ずさみながら、「○○選手団の入場であります…いよいよ最後、日本選手団の入場であります。アジアで初めて開かれる世紀の祭典であります」などと口マネができた。僕は子供だったからテレビを見て、素朴なナショナリストとして感動していた。(小林信彦の本を読むと、そういう人ばかりでなく東京を逃げ出していた大人もいたとわかるのだが。)

 そういう素晴らしい東京五輪ならぜひもう一回やるべきだと思うかというと、全くそうは思わない。一番大きなタテマエ的な理由は、2020年には今回の震災の復興どころか東京自体が被災地であるかもしれないではないかということにある。しかし、ホンネ的に言えば、あの素晴らしい、日本の初めての体験は自分の心の中にとっておきたいという気持ちがある。今度やっても、それは初めての人には感動もあるだろうが、大体のところは「もうできあがったシステム」に人間を動員してあてはめていくだけのつまらないものなるだろうという予感がある。だから、まだやっていない都市が手を挙げるならば、そういう都市を応援したいという気持ちがあるのだ。

 なお、この本のかなりの部分は市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」の裏話になっている。そこは大変興味深い話が多いが、後書きにある仲代達矢の言葉には間違いがある。仲代の映画デビューは「火の鳥」という映画だが、出世作という意味でも「人間の条件」全6部(1959~1961)を先に挙げなくてはいけない。映画に関しては、案外間違える人が多いので、校正者も頑張ってね。(もう一か所「?」があるけど、まあ書かない。)
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大野更紗「困ってる人」

2011年08月07日 23時36分47秒 | 〃 (さまざまな本)
 本年屈指の本間違いなく面白い。心揺さぶられる。かつてない「難病」書。壮絶なる「究極のエンタメ・ノンフィクション」。必読。多くのところで話題になっているようですが、僕も一読、これは書いておかなくてはと思いました。上智大学大学院でビルマ難民の研究、支援活動をしていた女性が、突然原因不明の難病になる。その壮絶な闘病記。大野更紗「困ってる人」(ポプラ社)はとりあえずそんな本。

 まず、この人は「ビルマ難民」の支援活動を半端じゃなくしてた人で、その時の活動ぶりがすごい。タイ、ビルマ国境の難民キャンプに乗り込んでいくのだが、その辺は本で。しかも、生地は原発事故避難地域すぐ近くの山奥の限界集落(「ムーミン谷」と呼ぶ)で、そこから進学校の女子高に進学し全国一の合唱部で活動する。この大学以前もかなりすごい。そこから上智でフランス語、そこからさらにビルマ難民支援と一直線で、難病以前も濃い人生なのだ。その後、タイで調子が悪くなり、なんとか帰って、診断を求めて、病院をさすらう。ここも大変。結局「自己免疫疾患」で、前に書いた森まゆみさんの「原田病」もそっち系だが、この「自分の免疫機構がおかしくなる」というのは、本質的に「自分とは何か」という問いを自分に突きつけるような根源的な病だ。結局ついた病名は「筋膜炎脂肪織炎症候群」という読むのも大変な病気だった。

 ある「病院」にたどりつき、そこで入院(ゆえに、ここは「オアシス」と呼ぶ)、そこでの検査、ステロイド投与の治療、これでもかこれでもかと上には上、下には下、奥には奥、と世界の深さは果てしないことを思い知らされる。が、ついに「おしり」が崩壊、「おしり有袋類」となる。これ、わからないでしょ。本を是非読んでほしいが、あまりにも悲惨ですごい。が、悪いけど(悪くないけど)爆笑ものである。そのあとは、医療、社会福祉の谷間に落ち込みながら、必死に生きていくわけだけど、軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)な文章で書かれているけど、日本と言う国を自己認識するときに大切なことがいっぱい書かれている。つまり、日本が難民に冷たい国だと「発見」して驚いた著者は、日本が「難病者」に冷たい制度に満ち満ちていることにも驚く。なってみないとわからないことは多いのだ。

 冗舌なる口語体で一気読みできるけど、そこが油断ならない。自己客観化の仕掛けでもあるけど、人間は親や家族が一番描きにくい。そこで実の両親は「ムーミン」(なぜかフグスマ弁をしゃべるムーミン)にしてしまい、第二の親である医者も「クマ先生」「パパ先生」などとネーミングしてしまう。親にあたる人との関係を書くのは大変だと思うけど、この人は自分の体験がすごすぎて、それを書きたい気持ちが強いから、そういう手で軽々と乗り越えてしまった。そこは感心なんだけど、自分のことを「現代っ子だから、ほめられると伸びるタイプ」なんて軽く書いてしまう。これはいけません。

 現在は退院して都内某所で生存中とのこと。近況はブログで見ることができる。かなりあちこちで「作家」として活躍中。開沼博さんと大野更紗さんの、福島出身院生対談なんて企画もあった。(行けなかったが。)二人ともちょっと前まで全然知らなかった人なわけだが。さて、で次は開沼博の本に取り掛かる。

*追記
 「困ってる人」が売れているようです。本屋に積んであるから。それにつれて、ブログのこの記事も毎日30人位が読んでくれる日が多くなっています。このブログは、もともと「教員免許更新制」に反対するために開設しましたが、いろいろと記事を書いています。もしよかったら、「ブログ開設半年の総まとめ①」「ブログ開設半年の総まとめ②」「ブログ開設半年の総まとめ③」を見て、他の記事も見て頂けるとありがたいなと思っています。
★さらに追伸。「コメント」を入れてくれた人がいます。どんなコメントも歓迎です。「なんで?」ってあるからすぐに応えてもいいんだけど、僕が書いてしまう前に誰か思うことがあれば書き込んでくれるとうれしいです。そのうち、僕も書きたいと思いますが。

追記2
 追記を書いた後で、「ほめられると伸びるタイプだから問題」を書いています。(2011.10.20)ここに書き込むのを忘れていたのですが。「困ってる人」という素晴らしい本に関する話の中では、本質に関わる問題ではありません。スピン・オフなので、この後自分でコメントを書いてオシマイにしたいと思っています。(2012.2.10)
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シベリア抑留死亡者名簿を作った人

2011年08月05日 21時50分10秒 | 〃 (さまざまな本)
 「積ん読」本もどんどん読まなくてはいけない。今日紹介する本は2年前に出た本。村山常雄「シベリアに逝きし46300名を刻む(七つ森書館)という本で、これは全員に勧める本ではない。それはこの本がシベリア抑留に関する一般的な概説書ではないからだ。シベリア抑留、あるいは戦後処理問題に関心がある人は、是非そろえておきたい本だと思うが、中身はかなり細かい名簿作りのディテイルが中心で、この問題にくわしくない人が最初に読む本ではない。(最初に書いておくと、概説書としてはまず栗原俊雄「シベリア抑留」岩波新書、白井久也「検証シベリア抑留」平凡社新書の2冊が近年に出てまとまっている。さらに深める場合は、高杉一郎「極光のかげに」岩波文庫、石原吉郎の詩やエッセイ、内村剛介の著書などなどを読んでほしい。)

 この本はシベリア抑留死亡者名簿を作った村山常雄というすごい人、素晴らしい人を紹介し、記念するという意味がある。新潟の中学教員だった村山さんは、退職後70歳になってパソコンを買い、シベリア抑留の死亡者の名簿を整備し始めた。ものすごい苦労のすえに、大部の名簿を自費出版し、2006年吉川英治文化賞、2009年日本自費出版文化賞を受賞。自費出版文化賞の選考委員だった色川大吉、鎌田慧両氏のすすめにより名簿そのものではない解説の部分を出版したのがこの本である。

 村山さんは自身もシベリア抑留体験者だが、そこでの死者一人ひとりの名を確定し、死亡地、死亡年月日等をまとめていくという、(本来なら国家が行うべき作業だが)、ものすごい苦労がある作業を一人で行ってきた。その思いの奥には、死者の数が問題でないとは言わないが、そしてもちろん多数の死者の方が重大ではあるが、その前に、誰が、どんなふうに死んでいったのか、その一人ひとりが重いのだという気持ちがある。単なる数で死者を語って欲しくないという思いだ。

 シベリア抑留の本質を語るのは大変なので、この恐るべき戦争犯罪、人権侵害のくわしい中身は是非前記の本を読んでほしいが、名簿を作るということはどういうことか?ソ連は戦後長らくこの犯罪的行為の死者を日本に報告しなかった。80年代後半になりゴルバチョフのペレストロイカ時代になって初めて、日本に断片的に何回かにわたり名簿が手渡された。しかもその名簿は、日本名がロシア語(キリル文字)で表記され、しかも長年月たっているために、誰と判断するのがとても難しいものだった。たとえば、同書から引用すれば、「トーイヨタキ・ホンデセロ」「コ(カ)ムチ・チュボ(バ)タ」とあるのは一体日本人の名前なんだろうかと思いながら、諸資料を当たりつつ、「富高平十郎」「坪田鋼一」と確定してという「解体新書」の翻訳みたいなことを延々と続けるということなのだ。「ヘボン」と「ヘップバーン」が同名だというようなもので、実に大変な知識と推理力と事務作業がいる。いや、すごい。これは驚くべき業績だと感銘を受けた。

 あとがきには、単純に平和と言わないでほしいと書いてある。言うのなら、「平和」の前に、必ず「不戦」「反戦」「非戦」などをつけ、「不戦平和」「反戦平和」「非戦平和」と言ってほしいとある。この言葉の重さははかり知れない。

 村山さんが打ち込んでまとめた名簿はホームページ上に公開されている。「シベリア抑留者死亡者名簿」である。この名簿の50音順「お」の7ページ、8361番、「尾形 眞一郎」は父健次郎の兄、つまり伯父である。1946年1月7日、チタで死亡。
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ゲゲゲのげ

2011年08月04日 23時37分48秒 | 演劇
 毎日映画を見たり、本を読んだり…で過ごしています。主にお金の問題で映画以外はあまり行けないのですが、時々は演劇や落語にも行きたいということで、そういうカテゴリーを追加。昨日見たオフィス3○○(さんじゅうまる)の「ゲゲゲのげ」の感想を簡単に。渡辺えり子「ゲゲゲのげ」は、1982年初演で83年の岸田國士賞受賞の傑作です。(野田秀樹、山元清多と3人同時受賞はこの時だけ。)僕は1985年の再演時に下北沢の本多劇場で見て、とても深く感動しました。(珍しく本を買った。)

 今回見たのは、渡辺えりが自分の演劇活動を再起動した意味を確かめたかったこと(最近は映画、テレビや他劇団の名脇役の活躍が中心だった)、「いじめ」という主題を今見てどう思うか、「ゲゲゲ」と言えば「女房」という時代にこの劇はどう感じるか、「座・高円寺」という劇場に行ったことがなかったので行ってみたかったなどの事情によります。見てみてやはり戯曲の力を感じたし、まだ平日は空席があるようなので、おススメで書く次第。前売・当日とも5千円。

 最後の点から書くと、最近各区で劇場を作ることが多いけど、なかなか行けない。まだ豊島区の「あうるすぽっと」は行ってないです。世田谷パブリックシアター、わが足立区の「シアター1010(せんじゅ)」は600か700も入るけっこう大きな劇場で足立も動員に苦労しているようですが(もすこしラインアップに工夫が欲しいな)、ここは200人台の小劇場でした。(地下にもう少し大きいのがあるようだ。)その小ささ、動きやすさを生かした卓抜な舞台設計と演出がなされていたと思います。せり出しの奥に、上下二重という舞台装置の魅力が素晴らしい。舞台転換が多い劇内容にふさわしい見どころの多い舞台美術だと思います。

 「いじめ」に関しては、まだあの中野の事件(1986年の「葬式ごっこ」事件)さえ起こっていない時だったので、はっきり言ってしまうと、「呼べば鬼太郎が現れる」という昔見たときの感動的な設定が少し胸に迫らなくなっていると感じました。(これは自分が年取ったからかもしれず、初見の若い人の感想を聞きたいと思います。)「妖怪」もその後「町おこしの材料」みたいになっていて、「ゲゲゲ」の持つ詩的、思想的な喚起力が市場の中に飲み込まれた感じもしました。何重もの重層的な劇的世界、「異界」との自在な交通性、戦争の時期と現在とをつなぐ少年の叫びと救い、と言った前に見て感じた切実性は、僕は少し薄れているような気もしたけど、それはそれで美しい叙情性は変わりなく輝いています。あのころは「戦争」がまだけっこう近かったなとも感じたけどね。あとセリフで「血液型」に言及するのは止めて欲しいなと思ったです。これはいつ書くけど、震災以後ぼくらがすべきことは「血液型で人を判断する」などという今の日本でもっとも身近な「非科学」をみんなで意識して止めることではないかと思ってます。  
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教員免許更新制度は本当に必要か?

2011年08月04日 22時12分20秒 |  〃 (教員免許更新制)
 今まで「コメントにコメント」はしてないのですが、最近のコメント二つは反論をするのが礼儀だと思うので、少し書いてみたいと思います。(教科書問題の方はもう少し後で。)

 教員免許更新制度の必要性を書いているコメント(モナー号船長さん)によれば、「教師は法令順守のうえ生徒に対して適切な指導をするものだっと思います、一部の教師ではそれができない以上、教員免許更新制度あって当たり前だっと思います」ということです。一応、これをベースに考えます。

 私が思うに、これは理由になっていません。教員免許更新制度を実施すればすべての教員が法令順守、適切な指導ができる、免許更新制でなければそれはできない、という論証がないからです。実際、この制度実施により、単なる事務的な理由で失職する教員が出るということが起こりました。私はその事態を、愚策による人権侵害と考えますが、賛成の人はその事態を「教育がよくなる政策」だと考えるのでしょうか。以下に、制度そのものと、制度実施上の問題にわけて、いくつかの具体的な論点を提出したいと思います。(ほとんどは前に書いてあることですが。)

A.そもそも「制度設計の問題」として
①「一部の教師は適切な指導ができない」のなら、その一部の教師に研修を課せばよいだけなのではないかと思うが、特に全教員免許取得者(正規に採用された全教員ではない)に講習を課す意味はどこにあるのか?コストパフォーマンス的に無意味なのではないかと思うが、どうか?
②「一部の医師」「一部の看護師」「一部の介護士」「一部の弁護士」等々、皆不祥事を起こしていると考えるが、当然それらすべての公的資格も、10年ごとに講習を受け合格して手続きをしないと失効するという制度にせよという主張と解してよいか?もし、他の資格はやらなくていいけど、教員免許だけは更新制度にせよということなら、それはなぜか?
③すでに法令にある「10年研修」ではなぜだめなのか?職場で研究授業などを行う「10年研修」の方が、大学で座学をしていればよいことも多い「更新講習」より実質上の意味はあるのではないかと思うが、なぜ更新講習の方が効果があると考えるのか?
④正式に採用されている正教員だけでなく、非常勤講師、産育休代替教員、大学卒業後民間企業に勤務し30を過ぎてから教員を目指しているような人など、大変な中を教員を目指している人たちまで、更新講習を受けなくてはならない制度は、常識的に考えてあまりに酷な、おかしな制度とは考えないか?

B.制度実施上の問題について
⑤離島や山間部の教員、小さな子供や介護の必要な家族を抱えた教員、部活動などで夏休みや土日も学校で働いている教員など大変な中頑張っている教員が、「適切な指導ができない教員」でないのなら、わざわざ都市部にしかない大学で講習を受けないと失職する制度が必要なのか?かえって、やる気をそぐ制度とは考えないか?(インターネットで講習を受けることが可能な大学もあることはあるが。)
⑥校長、教頭(副校長)、主幹教諭の中にも一部だが行政処分を受ける人がいる。従って、上記の必要性の主張からすれば、「管理職や主幹教諭の講習免除規定はなくすべき」であるという主張と解してよいか?
⑦教師と言っても、校種、担当教科等により様々な種類がある。幼小中高特別支援、教科はあまりに多いので省略するが、養護教諭も含め、様々な教員はそれぞれ抱える問題意識や経験が違う。それぞれごとに別々に地域の教育委員会が実情に応じて研修を行う方が効果があると思うがどうか。今は、どの大学のどこの講座をとっても可ということになっているが、それは改めるべきという主張と解してよいか?(ただし、その場合、大学で講習を行うという大前提が難しくなると思うが。)

 大体以上のような論点になりますが、別に答えて欲しいわけではないけど、作った人に教えて欲しい。考えなしに「教員イジメ」で思いつきで作ったものだと思っていますが。この制度実施のために、文科省では多くの税金をつかってきました。問題教員がいるというなら、そのお金で十分な研修をすればいいと思うけど。(なお、単に大学に行けばいいだけだから、「指導力不足教員」対策には全くなりません。)

 ところで、今は「一部の教員が法令順守、適切な指導ができない」という前提で考えてきましたが、この前提自体は正しいか?人間社会において、あらゆる場面において完全な組織はありえず、一部の構成員は問題を抱えているのではないかと思います。学校は特にその程度が大きいですか?私はそんなことはないと思うのですが。むしろ教員が熱心すぎたり、頑張りすぎたりすることが問題の方が大きいと思うのです。民間企業なら「窓際族」で閑職に置いておくことができても、教師は少しは授業を持つから生徒に影響を与えるので、特に大変な問題と考えられるのは当然です。しかし、それはむしろ「学校を親や地域に開く」という「学校に自由の風を通す」政策により、学校を変えていく方法を考えて解決する方がいいのではないかと思っています。

 どんな職場だって一部の人は問題でしょ。その「一部」のために、研修が強化されたり監査がひんぱんになるのはガマンするとしても、せっかく勉強して得た資格そのものをなくして、失職させようという制度は普通に生活してマジメに仕事している人なら、おかしいと思うんじゃないでしょうか?
コメント (1)
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