尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「水俣病」と向き合う家族『風を打つ』、ー音無美紀子と太川陽介の名演

2024年07月18日 21時33分17秒 | 演劇
 トム・プロジェクトプロデュースの演劇公演『風を打つ』(ふたくちつよし作・演出)を亀戸文化センター・カメリアホールで見た。最近ライブ芸能は寄席ばかりになってるけど、ホントは演劇も見たい。しかし、見たい舞台ほど料金が高いうえに、僕が住んでる町から遠い。散々そんなことを書いてるが今度は東武線で行けて、しかも退職教員向けの機関誌に割引の案内が出ていた。(もっとも2回乗り換えないと行けないが。亀戸は例のつばさの党「選挙妨害事件」が起こった街である。)

 この作品は今回が4回目の上演で、主演している音無美紀子が、第74回(2019年)芸術祭優秀賞と第30回(2022年)読売演劇大賞優秀女優賞を受けたという。知らなかったんだけど、題材が水俣病なのに何で初演を見てないのか。音無美紀子は昔結構好きだったのに。夫役は太川陽介で、今やテレ東のバス旅の印象ばかり強いが、大昔のアイドル歌手である。リアルで見たことないから、ちょうど良い機会。難役を見事にこなす音無美紀子の名演に驚き感嘆した。音無が「ツッコミ」で、太川陽介は「受け」の演技になるが、こちらも見事に夫婦の時間を感じさせる。ラストに太鼓の実演シーンもあって見ごたえがあった。

 ホームページから、どんな話か紹介する。「1993年水俣。あの忌まわしい事件から時を経て蘇った不知火海。かつて、その美しい海で漁を営み、多くの網子を抱える網元であった杉坂家は、その集落で初めて水俣病患者が出た家でもあった...。...長く続いた差別や偏見の嵐の時代...。やがて、杉坂家の人々はその嵐が通り過ぎるのを待つように、チリメン漁の再開を決意する。長く地元を離れていた長男も戻ってきた。しかし...本当に嵐は過ぎ去ったのか?家族のさまざまな思いを風に乗せて、今、船が動き出す...。生きとし生けるものすべてに捧ぐ、ある家族の物語。」

 これじゃ今ひとつ判らないが、昔網元だった杉坂家の物語である。舞台には居間とその隣の仏壇がある部屋がある。手前(観客側)が海という設定で、天気はホリゾントで表わされる。夫が新聞を読み、遠くで妻の電話の声が聞こえる。それがまた大声なのである。実は東京へ出ていた長男が帰ってくるという。次第に判ってくるが、二人が1959年に結婚したとき、夫は20歳、妻は21歳だった。妻が網元の一人娘で、網子だった夫が求婚したのである。そして男の子ばかり5人生まれた。しかし、4人は水俣を去り都会へ行った。「水俣病」という重さを避けたのかもしれない。3男のみが残って両親と海に出ている。
(ふたくちつよし)
 作者のふたくちつよし(二口剛)作品は初めて見るが、市井の人々の葛藤をさりげないユーモアで描き出す芝居が多いという。母親は今まで語らなかった水俣病の体験を自分の口で語り始めている。しかし、電話や手紙で「寝た子を起こすな」という匿名の脅迫も寄せられている。そういう「外部」の悪意が家族を引き離してきた。母は病気を抱えて、新しい歩みを始めたいが、重いものを背負わされてきた長男はなかなか納得できない。長男が何故家を出たか、そして何故帰ってきたのか。親と子の葛藤が見事に形象化される。一緒に帰ってきた長男の妻が出来過ぎな感じだが、そういう人がいないと話がまとまらないだろう。
(音無美紀子・若い頃)
 音無美紀子が演じる杉坂栄美子は、もともと網元の娘でリーダーとして育成された。地声も大きいし、感情的な起伏も激しい。普段は元気だが、疲れて調子が落ちてくると水俣病のしびれや目まいの症状がひどくなる。その病状を演じわけながら、快活な人柄を印象付ける。そういう難役をまさにそんな人がいるかのように演じている。夫の孝史はその妻を支えてきた長い時間を太川陽介の存在感が表わしている。見ていて栄美子には危なっかしさもあるが、太川陽介の存在が安定感を与えている。太川陽介はうまいのかどうか判断が難しいけど、やはり存在感が大きいなあと思った。
(太川陽介・若い頃)
 ところで、劇内の時間から30年以上経つが、今も水俣病問題の完全解決には至ってない。いや「問題としては終わっている」という判断もあるのかもしれないが、「病気」というものは奥が深く全貌がはっきりしない。原一男監督のドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』を見ても、まだまだ解明されていない論点が様々にあることが判る。『風を打つ』は家族を描くウェルメイド・プレイ(良く出来た芝居)だが、構造としては世界の様々な問題と重なる。世界の大きな矛盾は「家族」に圧縮されて現れ、その時には家族の弱い部分に特に重圧がかかる。そんなことを考えながら見た舞台だった。
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劇団青年座『ケエツブロウよー伊藤野枝ただいま帰省中』を見る

2024年05月30日 21時59分25秒 | 演劇
 創立70年の劇団青年座が開館60年の紀伊國屋ホールで、『ケエツブロウよー伊藤野枝ただいま帰省中』を上演している(6月2日まで)。何だか判らない題名だが、伊藤野枝と故郷の家族を描く演劇だと知ったら見たくなった。マキノノゾミ作、宮田慶子演出。29日の夜に見たが、やはり夜に出掛けると外食するから、血圧に影響してしまう。演劇や長い映画は拘束時間の関係でしばらく控えようかと思ってたけど、見逃さなくて良かった。とても面白く見ごたえがある舞台だった。

 大正時代の女性運動家伊藤野枝(1895~1923)と言えば、波瀾万丈の生涯を送った人物として知られる。余りにもドラマチックな人生を生き急ぎ、たった28歳で国家権力に虐殺された。その波乱の現場はおおよそ東京近辺だった。この前、野枝の生涯を描いた映画『嵐よあらしよ劇場版』を見たばかりだが、そこでは東京(と周辺の県)しか出て来ない。それが伊藤野枝を描くときの定番で、何しろ彼女の生涯に登場する多士済々の人物こそ面白いのである。野枝にももちろん故郷と家族があったわけだが、そっちは普通省略される。一方この劇では正反対に、故郷の家しか描かれないのである。

 だから舞台上には故郷の家が作られて、そこから動かない。幕は使わず、途中で休憩を挟んで4場のドラマが繰り広げられる。いずれも野枝が帰郷したときに家族・親戚が集まるシーンである。この設定が工夫で、やはり作者マキノノゾミの才能だと思った。現代日本で一番活躍している劇作家(の一人)ならでは。その故郷というのは、福岡県今宿(現・福岡市西区)なので、そうそう気軽に帰省する機会がない。東京で貧窮していた野枝は、人生で数回しか帰れなかったのである。
(マキノノゾミ)
 前半では「強いられた結婚を破談にするための帰省」(1912年、17歳)と「辻潤と長男まことを連れた帰省」(1915年、20歳)の2回。後半では「大杉栄と長女魔子を連れた帰省」(1918年、23歳)と「没後に訪ねてきた同志村木源次郎」(1924年)が描かれる。実は1922年に三女(エマ)と四女(ルイズ)を連れて帰省しているが、それは省かれている。この間、野枝(那須凛)は常に家族と揉め続け。最初は家で決めた結婚を断固否定する。次は辻潤とうまくいかなくなり、辻が「浮気」をしたという。何より「自立」を重んじる野枝に親の統制は効かない。祖母サト(土屋美穂子)は野枝の決断を認めるしかない状況を見事に演じる。

 後半では新聞を賑わせたスキャンダル(日蔭茶屋事件)が起こり、「無政府主義者の巨頭」大杉の娘を産んだ。母の姉の夫、代準介横堀悦夫)は頭山満配下の国家主義者で、二人を別れさせ野枝をアメリカに行かせる、と意気込んで乗り込んでくる。そこに大杉を慕う八幡製鉄所の工員もやって来て、喧々諤々の大論争に発展。結局、皆が踊り出してしまうシーンは傑作。その場では無政府主義と言っても怖いものではなく、日本古来よりつながる共同体の営みこそ「国家に縛られない仕組み」だと示唆する。主義に賛同出来ずとも、大杉はともあれ「ひとかどの人物」で、辻より野枝に相応しいと家族も何となく納得(?)。
(宮田慶子)
 この休憩開けの3場がとりわけ興味深く、次第に大杉のアジテーションに皆が感化されてしまうあたり、見事な演技と演出だった。それはマキノノゾミ戯曲との付き合いが長い宮田慶子の手堅い演出ぶりも大きい。そして、もう見る前に知ってるわけだが、突然の死を迎える。野枝と大杉はこの時は「お盆」に幽霊となって戻って来るという設定。震災での無事を知らせるハガキが野枝から届いていた。それを見た同志「源さん」の深い怒りと悲しみ。大杉の霊は村木は復讐を考えていると言い当てる。(歴史的事実だから書けることだが。)哀切な思いを残して劇は終わる。

 最後に題名の話をすると、「ケエツブロウ」は水鳥の「かいつぶり」のことだった。伊藤野枝が「青鞜」に掲載した詩「東の磯」に出ている。それを青空文庫で見てみると、「東の磯の離れ岩、/その褐色の岩の背に、/今日もとまつたケエツブロウよ、/何故にお前はそのやうに/かなしい声してお泣きやる。」途中省略して、ラストは「ねえケエツブロウやいつその事に/死んでおしまひ!その岩の上で――/お前が死ねば私も死ぬよ/どうせ死ぬならケエツブロウよ/かなしお前とあの渦巻へ――」とどこか自らの最期を思わせ示唆的だ。野枝は大杉とともに死にたいと語るセリフがあったのである。

 新宿の紀伊國屋ホールは、椅子は改装されたが昔の感じが残されている。俳優座劇場が閉館すると、もう70年代からそのままの劇場はなくなってしまう。チラシがたくさん置かれているのも昔と同じ。懐かしい空間がいつまでも残って欲しい。
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オフィス300『さるすべり』、渡辺えり・高畑淳子の「二人芝居」

2024年04月06日 22時17分28秒 | 演劇
 渡辺えりがやっている「オフィス3OO」(さんじゅうまる)の『さるすべり』という芝居を紀伊國屋ホールで見てきた。今日が初日で、15日まで。高畑淳子を迎えて、渡辺えりと姉妹役をやっている。チラシでは「新劇とアンダーグラウンド、歩んできた道の違う同い年の二人が奇跡のコラボ!」とうたっている。セリフがある役はこの二人だけで、一人芝居ならぬ「二人芝居」になっている。舞台は5時に始まって、6時半に終わってしまった。内容的には深刻なドラマも含むけれど、姉妹二人の葛藤というよりは、虚実入り交じるスケッチ風の芝居になっている。

 演劇というのは、普通入場したときには舞台の幕が閉まっている。開場のベルが鳴って幕が上がると、そこはドラマの世界になっている。それに対して今度の芝居では最初から最後まで一度も幕が下りない。最初から舞台が見えていて、大道具を直したりしている。初日だからバタバタしているのかと思うが、それなら幕を下ろしてやるはず。そして主演の二人も大道具や小道具を動かしている。そして、いつの間にかセリフも始まるのだが、姉役の高畑淳子は「ゴミの分別」をしていて、突然『八月の鯨』をやると言うから出たのに、何でゴミ処理なんかしなくちゃいけないのとか言い出す。そうすると、妹役兼作者の渡辺えりがアングラだから何でもアリなんだとか言い出す。そういう趣向が面白いのである。
(チラシ裏)
 『八月の鯨』は岩波ホールで姉妹で見たという。その時のベティ・デイヴィスとリリアン・ギッシュほどではないけれど、高畑淳子、渡辺えりも高齢になってきて、この劇ではもう認知症っぽい役作りになっている。しかし、そういうセリフがしっかり入っているんだから、現実の二人はまだまだ元気なんだろう。そういう設定で、テレビデオ(!)が壊れてニュースも見てないから、自分たちが何で「自粛」しているんだかも忘れている。妹は夫を置いて実家に戻ったまま、4年目らしい。姉は独身で昔の家に住んでいるけど、実は二人には「もう一人の家族」があったのである。その悲しい秘密も、ちょっと忘れてしまうぐらい老いてきたのである。
(渡辺えりと高畑淳子)
 舞台にはバンドネオンとコントラバスの「楽士」がいて、音を奏でている。またセリフが無いダンサーがいて、いろいろな過去の象徴のようである。戦争や学生運動、姉は闘争を経て築地場外市場で成功したりした。そして昔家にあった「さるすべり」の思い出が蘇ってくる。もっと若ければドラマティックになるところ、何だか忘れてしまう心境になってる。二人の女優の掛け合いが楽しいメタ演劇だが、やはりコロナ禍の「老い」を描いた作品である。テレビや商業演劇でもよく見る二人だが、この二人が舞台に立つだけで芝居が成立するのである。夜7時開始の公演はまだ余裕があるということで、紹介する次第。
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文化座公演『花と龍』を見るー火野葦平から中村哲へ通じる道

2024年02月28日 22時15分39秒 | 演劇
 文化座公演『花と龍』を見て、とても面白かった。六本木の俳優座劇場で、3月3日まで上演。文化座は長い歴史のある劇団だが、実は一度も見たことがなかった。俳優座劇場も来年で閉館するし、見ておこうかと思った。もう一つ、今どき何で火野葦平原作の『花と龍』なのか。それは企画した文化座代表の佐々木愛の文章で判る。『「父や母の時代のように美しく生きられないかもしれないが…」と語っていた火野の言葉と、火野の甥で祖母マンに育てられた中村哲医師がアフガニスタンで凶弾に倒れたことを考えると、玉井金五郎一家の夢と野望は今もなお脈々と息づいているように思える。』この言葉の意味を知りたかったのである。

 舞台はとにかく面白く、今どきの多くの芝居のような謎めいた設定に悩まず、ただストーリーに没頭できるのが楽しい。もっとも若い人だとよく判らない点があるかもしれないが、まあ観客に若い人はいないようだった。『花と龍』という小説は昔は何度も映画化されていた。高倉健主演の『日本侠客伝 花と龍』(1969、マキノ雅弘監督)もあるし、何となくヤクザ映画的な世界に思っていた。石原裕次郎渡哲也も主人公玉井金五郎を演じていて、トップ男優の演じる役柄だった。この玉井金五郎こそ、作家火野葦平こと玉井勝則の実父だった。火野は実の両親をモデルにして、暴力とロマンあふれた一大叙事詩を描いたのである。
(火野葦平)
 火野葦平(1907~1960、ひの・あしへい)って誰だという人もいるだろう。若松(北九州市)で沖仲仕組合に関わりながら創作活動を行っていたが、1937年の日中戦争勃発後に30歳で召集された。その従軍中に『糞尿譚』が芥川賞を受賞して一躍名前を知られ、続いて戦場体験を綴った『麦と兵隊』『土と兵隊』が大ベストセラーとなった。(『土と兵隊』は映画化されて大ヒットした。)戦争中は軍の宣伝に使われ、火野葦平にはどうしても戦争のイメージが付きまとう。戦後には公職追放にもなった。その火野が自らの両親を描いた『花と龍』は、1952年から53年に読売新聞に連載され有名作家に返り咲いた。1960年に亡くなったが、1973年になって自殺だったことが公表された。一つも読んでないけど、僕には謎多き作家として気になる存在なのである。
(映画『花と龍』渡哲也版)
 さて、舞台では若き愛媛のミカン農家玉井金五郎藤原章寛)が登場し、賭場で稼いで広い世界を見たいと思う。やがて門司へ行って沖仲仕(ごんぞう)となった金五郎は、谷口マン大山美咲)と知り合う。金五郎は大陸を目指し、マンはブラジルを目指す。ともに世界に雄飛するはずが、差別され低賃金にあえぐ中で金五郎は持ち前の正義感とリーダーシップで、いつの間にか波止場の有力者となっていく。ヤクザの暴力から仲間たちを守り、ともに闘う金五郎とマン。しかし、金五郎は背中に昇り龍と菊の花の入れ墨があるのだった。両親が実名で登場し、男っぷり、女っぷりを存分に発揮する。見てて面白く、一気に見られる。
(藤原章寛=玉井金五郎役)
 この玉井金五郎を演じているのは藤原章寛という俳優で、昨年上演された『炎の人』のゴッホ役で紀伊國屋演劇賞を受けたばかり。名前を知らない人が多いと思う(僕もそう)だが、映画なら高倉健や渡哲也が演じた役柄を堂々と演じきる。鮮やかな立役(たちやく)ぶりに舌を巻いた。「男が惚れる」「女も惚れる」、自然に人の上に立っていく度胸を見事に演じている。妻のマン役の大山美咲をはじめ、脇役ひとりひとりが生きていて、文化座の豊富な俳優陣に驚いた。舞台には二階建ての建物があり、手前が海岸にもなれば料亭にもなる。旗揚げした玉井組の本拠にもなる。映画ならロケやセットで大々的なアクションになるところ、狭い舞台上で大道具を使い回すことで想像力が働くと思った。
(佐々木愛)
 もう一人、「ドテラ婆さん」こと、島村ギンという女親分を代表の佐々木愛が貫禄で演じている。旗揚げメンバーの鈴木光枝の娘で、1987年から文化座代表を務めている。80歳という年齢を感じさせないセリフ回しで、堂々たる存在感がすごい。脚本は東憲司、演出は鵜山仁と名手が担当している。火野葦平は文化座に『陽気な幽霊』『ちぎられた縄』という二つの作品を書いているという。その火野葦平の妹の子どもがペシャワール会創設者の中村哲である。

 しかし、その精神的つながりが今まで僕にはよく判らなかった。しかし、この『花と龍』を見たことで、自由な世界を求めて闘い続けた玉井一族の長い長い歴史が判ったのである。ケンカが嫌い、実は賭け事も酒も嫌いだった「親分」風でない玉井金五郎あって、その孫の「中村哲」が生まれたのだ。若松を日本一の港にしたいという夢は、炭鉱がなくなって今では見果てぬ夢に終わった。しかし、世界を見渡して自由な世界を築きたいという夢は今こそ切々と迫るものがある。ひたすら楽しく見られるお芝居だけど、同時に近代日本人の精神史に迫る力作だ。
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劇団民藝『やさしい猫』を見るーていねいな役作りで入管制度を問う

2024年02月10日 21時59分48秒 | 演劇
 劇団民藝公演『やさしい猫』を9日に見て来た。本来は3日からの公演で、僕は初日を取っていたが、何と役者に体調不良が出て公演前半が中止になってしまった。そんなことが今もあるのか。僕は初の経験で、だから「生」の舞台は難しい。9日昼に振り替え公演があるとのことで、そこで見ることにした。久しぶりの演劇だし、入管制度がテーマなのでキャンセルしたくなかった。

 中島京子が読売新聞に連載した小説が原作で、当時大きな評判になったことは覚えている.。2023年には優香主演でNHKの「土曜ドラマ」になったのも知っている。もっとも原作も読んでないし、ドラマも見てない。原作を小池倫代が脚色し、丹野郁弓が演出した。劇団民藝ならではの安定したリアリズム演劇で、ある意味安心して見ていられる。内容的にそれで良いのかという気もしたが、あまり疲れずに感情移入出来るのも演劇の楽しみだろう。
(主演の3人)
 東日本大震災のボランティアで知り合った女性保育士ミユキ(森田咲子)とスリランカ人男性クマラ(橋本潤)が思わぬところで再会する。クマラが警官から職務質問を受けて困っていたのである。彼の本当の名前は寿限無みたいに長いけど、劇中ではクマラと皆に呼ばれる。ミユキはシングルマザーで、クマラは次第に彼女の娘マヤ(成人時は井上晶)とも親しくなっていく。クマラは自動車整備工場で働いていたが、ある日解雇されてしまう。そのことをミユキに打ち明けられず、後で知ったミユキはウソはつかないという約束を破ったと怒り二人は一端離れることになる。クマラは仕事を見つけられず、その間に在留期間を過ぎてしまう。

 二人は再びよりを戻し結婚することになるが、不法滞在になってしまったクマラは入管に行く前に逮捕されてしまい、そのまま入管施設に収容されてしまった。ミユキは最初は戸惑うが、マヤの幼友達ナオキが調べてくれた弁護士に相談に行くことにする。そして、裁判をすることに踏み切るが、証言に立つと思ってもいない質問を投げかけられる。マヤも証言を希望するが、クマラは止めた方がいいとアドバイスする。それでも高校生のマヤが証言台に立つところがクライマックスとなる。チラシにある絵はマヤが小学生の時に描いた絵で裁判でも提示される。三人で海へ出掛けた幸せな一日を描いたのである。
(中島京子)
 観客はクマラとミユキ、マヤ親子が親しくなっていく過程をずっと見ているので、クマラが「在留資格」を得るために「偽装結婚」をするんじゃないことをよく判っている。しかし、それが入管職員には通じないし、周囲の日本人も外国人と結婚すると言ったら皆「利用されている」と言う。日本人との結婚には言わないことを口にするのである。ミユキが8歳年上であることも、相応しくないと決めつける。初めは鶴岡に住むミユキの母も反対するが、「おしん」の話題で盛り上がり、やがて認めるようになる。

 現実に知り合って人柄を知っていくことが「共生」の第一歩だと示している。「やさしい猫」とはスリランカの民話で、クマラが幼いマヤに伝えた話。猫もネズミの苦しみを理解出来るようになる。一つ一つのエピソードがていねいに提示され、納得しやすい。もっとも納得出来るように物語が出来ていると見る方も判っていて、入管行政への怒りを含めて「予定調和」的なことは否定出来ない。そこに「新劇」的な物語の限界を見ることも可能だろう。入管制度とそれを支える日本人の心性を問うためには、もっと違うアプローチも必要かも知れない。ただし、それでも複雑なものを理解しやすく観客に示すのも演劇の初心だろう。

 本来は公演終了近くの日だが、実際は初日翌日に見たわけで、セリフ回しなどまだ練られてない部分もあったと思う。だが特に最後の方の裁判シーンは「法廷ミステリー」的な盛り上がりを見せる。観客を引きつける確かな演出と演技は、劇団活動をしているだけの見ごたえがある。だがテレビではスリランカ人が演じたクマラを日本人が演じるのは、舞台ではやむを得ないかと思うが違和感もある。新劇的感動の枠に収まって、入管行政を考えるというテーマ性が弱くなる。難しい問題だが、これを入門編として全国で上演して欲しいと思う。
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文楽『源平布引滝』をシアター1010で見る

2023年12月14日 22時57分00秒 | 演劇
 北千住のシアター1010(せんじゅ)で文楽の公演を見てきた。国立劇場が建て替えのため閉場になって、文楽はどこでやるのかと思っていたら、地元に来たのである。歌舞伎や落語は他でいくらでもやっているけど、東京の文楽公演は国立小劇場だけだった。そこで数年間の代替劇場を探して、北千住にも来ることになった。そして、都民劇場の半額鑑賞会に出てたから、申し込んだら当たった。ということで、珍しく夫婦で見てきたわけ。近いから30分で帰れるのがうれしい。

 入院したときに思ったけど、映画、演劇、落語などなど僕の好きなものは、じっと座って見ている必要があるものばかりなのである。これじゃ「エコノミークラス症候群」にわざわざなりに行ってるもんじゃないだろうか。今後血栓みたいなのが出来たら、生活に支障が出てしまうかもしれない。ということで、演劇や寄席は長いからちょっと敬遠気味である。しかし、今回のものはずっと前に申し込んで当たったものである。果たして一緒に見に行けるだろうかと病院で気になっていた。やはり、たまには必要だな。
(シアター1010)
 今日は2時間20分程度で、間に25分も休憩があるから短くて良い。出し物は『源平布引滝』(げんぺいぬのひきのたき)で、全然知りません。作者がチラシに書いてないから調べてみると、並木千柳三好松洛の共作で、1749年に初演されたものである。
この作者は『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』の三大狂言を書いた人だという。そう言えば、忠臣蔵を書いた人を多くの人は知らないだろう。ちょうど12月14日なんだから、文楽の千住デビューは忠臣蔵にすれば良かったのにな。

 話はメチャクチャで、木曽義仲出生秘話というようなものである。竹生島の近くの琵琶湖で、平家方の武将斎藤実盛(さいとう・さねもり)が源氏の白旗を手にして逃げる女「こまん」の片腕を切り落とした。一方、源義賢が平家に追われて、子を宿した葵御前が近江の九郎助の家に匿われている。そこで清盛の命令で斎藤実盛と瀬尾十郎がやってくる。葵御前が産んだ子が男子なら見逃せないのだが、そこへ「こまん」の腕が拾われてくる。実は「こまん」はこの家の娘だった。実盛は「こまん」の片腕が葵御前の産んだ子として場を収めようとする。って、いくら何でもムチャクチャすぎるだろ。

 それ以前に、義仲が生まれたのは埼玉県の武蔵嵐山近くである。前に散歩して紹介したことがある。義仲の父、源義賢は平家に追われたのじゃなく、兄である源義朝と関係が悪化して、義朝の長男義平に襲撃されて殺されたのである。源氏の内輪揉めなのに、強引に源平の争いにしている。ま、江戸時代からしても数百年も前の話であり、見ている人もどうでも良かったんだろう。話は怪異譚縁起譚になっている。それは昔の話は大体同じである。物語は個性のぶつかり合いじゃなく、此の世は絡まる因縁で動くというのが当時の人々の世界観なのである。

 ちょっと舞台から遠く、人形の動きが見えにくかった。その分、浄瑠璃語りの太夫が近くに見え、熱演ぶりが興味深かった。これが場所が違うと人形ばかり見ることになり、その方が面白い。はっきり言って話は大したことなくて、人形や語り、三味線は批評するほど知識がない。たまには古典芸能もいいんだけど。これからも時々北千住でやるはずだから、東京東部の人はチェック。
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遊行寺で横浜ボートシアター『小栗判官・照手姫』を見る

2023年11月04日 22時30分52秒 | 演劇
 神奈川県藤沢市遊行寺(ゆぎょうじ、正式には清浄光寺)本堂で、横浜ボートシアターの『小栗判官・照手姫』をやるというので見に行ってきた。横浜ボートシアターは名前は知っているけど、初めて見た。2020年に亡くなった劇団主宰の遠藤啄郎(えんどう・たくお)の追悼公演である。『小栗判官・照手姫』は1983年に遠藤が紀伊國屋演劇賞個人賞を受けた作品だ。しかし、その年は就職・結婚した年で、なんか船の上で公演する劇団があるという評判は聞いたけど行くヒマがあるはずがない。

 前から遊行寺に行ってみたかったので、今回行くことにした。箱根駅伝で「遊行寺坂」を通るので、名前を知ってる人も多いだろう。ここは一遍の開いた時宗の総本山である。そしてここには「小栗判官」と「照手姫」の墓がある。伝説だろうと言われるかもしれない。でもモデルみたいな人物はいる。墓がその人のものか、僕はよく知らない。でも一度死んだはずの小栗判官は家臣の頼みにより、閻魔大王の命で藤沢上人に預けられる。これは遊行寺の上人のことである。そして熊野の湯の峰温泉に浸かって蘇る。前に湯の峰温泉に行ったとき、小栗判官伝説がいっぱい書かれていた。まさか死者は蘇らないだろうが、素晴らしい名湯だった。
  (順に小栗判官、照手姫、名馬鬼鹿毛の墓) 
 家からは遠いと言えば遠いけど、実は乗り換え一本である。藤沢はずいぶん栄えていた。遊行寺は北口を降りて15分程度。間違えることもなく到着した。早く行って宝物館などを見た。11月なのに夏日という日だが、ちょっと坂になっていて涼しい風が吹いている。いつから入れるのかなと思っていたら、いつの間にか入場が始まっていた。本堂の中は当然写真禁止だろうから撮ってない。そんなに広くなく、そこに椅子席、及びその前に座椅子席がある。大昔に大谷石の採石場で転形劇場を見たことがあるが、テント芝居は別にして、劇場以外で見るのは久しぶり。役者の後ろにご本尊の仏像があるわけだから、ムードがあると言えばその通り。
 (本堂)(一遍上人像)
 『小栗判官・照手姫』の細かい筋書きは書かない。役者は仮面を付けていて、いくつかの役を演じる。と同時に両脇に様々な楽器が置かれていて、それを演奏するのも役者である。その音楽は「アジア」的なムードで、どこかインドや東南アジアなどの仮面劇を呼んできたという感じである。昔そういうのを結構見てるが、紛れもなく日本の伝承を演じているはずが、どこか異国的なムードを感じる。説経節の「おぐり」自体、自分の属する文化という感じがしない物語である。中世の伝承で、時代が違いすぎるのである。だから『マハーバーラタ』を見るのと違わない。
(遠藤琢郎)(今回の上演ではないけど)
 だけど、この芝居は傑作だと思う。椅子に座っているとお尻が痛くなるが、大いに見る価値がある。ただ普通の意味の観劇体験とは違うのである。テーマや物語に共感するようなタイプの劇ではない。そもそも仮面を被るということが、(能などもそうだが)登場人物の「個性」を鑑賞するというのとは違う。役者の肉体は鍛えられていて、いろいろな人物をどんどん変容しながら演じていく。常にドラムなどの音楽が鳴り渡る。そこで普通のドラマとは違う、生と死のファンタジーが身体に染み渡る。演劇と言うより「舞踏」に近いのかもしれない。でも、ストーリーももちろん存在する。日本の伝承をやってるんだから、何となく知っている。
(遊行寺坂)(説明板)(大イチョウ)
 中世の荒々しさ、宗教の持つ力など、前近代の物語の枠組で語られるから、ちょっと遠いところもある。そこに「温泉伝承」がプラスされるところが、日本的というべきか。昔見たらもっと感激したんじゃないかと思う。「アジア的」とか「身体」とかに関心が強かったから。今見ると、こういう芝居が作られた時代が懐かしい感じもした。11月23~25日に代官山シアターでも上演。
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サードステージ『アカシアの雨が降る時』を見る

2023年10月22日 22時23分18秒 | 演劇
 ちょうど一週間前に天地真理を見に行ったばかりだが、今日は竹下景子の舞台を見てきた。竹下景子(1953~)も70年代に大人気だった人で、当時「お嫁さんにしたい女優№1」と呼ばれていた。自分の結婚相手ではなく、自分の息子の結婚相手に望むという、ホントの「嫁」である。今ではセクハラだろう。舞台女優のイメージは薄いかもしれないが、昔から商業演劇ばかりでなく小劇場にもずいぶん出て来た。黒木和雄監督『祭りの準備』(1975)の影響で、僕の中では70年代の想い出が残っている。

 何も竹下景子だから見たのではなく、作者の鴻上尚志(こうかみ・しょうじ)にも関心があるが、それよりもシニア料金があったから見たのである。映画館、美術館にはシニア設定があるのに、演劇にはほとんどない(ユース割りはあるのに)。マチネ(昼)で席が空いてるなら、演劇にもシニア割りが欲しいと思っていたら、この公演にはあったのである。サードステージアカシアの雨が降る時』である。(新国立劇場小劇場。)題名にも心引かれた。僕は関口宏の司会ぶりが批判されると、「アカシアの雨がやむとき」が脳内に鳴り響くのである。(何でという人向けの説明は書かない。)
(左から鈴木福、竹下景子、松村武)
 舞台には3人しか出て来ない。(声だけ出る人はいるけど。)孫(鈴木福)が祖母(桜庭香寿美=竹下景子)の家を訪ねると、玄関に倒れていた。あわてて救急車を呼ぶと、医者から一時的な失神だと言われる。孫の両親は離婚していて、母とも息子とも疎遠だった父親とは数年ぶりに病院で会う。そして意識が目覚めると、祖母は自分は20歳の学生だと言い張り、孫は自分の恋人で、まだ子どもがいるはずはなく父親は知らない人だと言う。医者からは妄想を否定してはいけないと言われ、二人は「香寿美ちゃん」と呼ぶことになる。この祖母が自分は「村雨橋」に行かなくちゃと言い出したのである。

 「村雨橋」(むらさめばし)は横浜市神奈川区にある橋で、1972年8月5日、相模原市の米軍施設から横浜港に向かう戦車を市民が取り囲んで止めた現場である。ベトナム戦争に加担してはならないと考える「ただの市民」が集まって座り込んだ。当時の飛鳥田横浜市長が、車両制限令で橋を通行できる重量が決められており、戦車を積載したトレーラーは重量が超過するとして通行を認めなかったのである。香寿美はノンポリ学生だったけど、心の底で何かしなければと思っていた。今こそ行かなくちゃと二人を誘う。エッと驚くと、あなたはベトナム戦争をどう思っているの?と問い詰めてくる。

 これは同じ鴻上尚志が原案・脚本を担当した2007年の『僕たちの好きだった革命』の姉妹編というか、逆ヴァージョンである。あの舞台は中村雅俊が主演した抱腹絶倒の傑作コメディだった。高校闘争のさなかに石に打たれて意識を失ったまま30年、1999年になって突如意識が戻り、かつての革命意識を持ちながら47歳で目覚めた男が高校に戻ってきた…。男と現役高校生のギャップが面白かったのだが、その舞台から早くも10数年。相模原戦車闘争からすでに半世紀である。あの時代に20歳だった学生が意識不明で今蘇っても古稀を越えている。今さら高校や大学に復学するという設定が成り立たないほど時間が経ってしまった。

 ということで、祖母の意識が昔に戻るという設定にせざるを得ない。だが、そうなると孫世代はすでに戦車闘争どころか、ベトナム戦争も知らない。香寿美は高野悦子の『二十歳の原点』を読みたいと言い出す。岩波ホール支配人じゃなく、立命館大学学生だった人である。むろん孫は知らない。実際に鈴木福君はこの舞台に立つまで、戦車闘争も『二十歳の原点』も知らなかったんじゃないかと思う。今はスマホがあるから、舞台上でも孫はあわててベトナム戦争って何だっけと検索している。それだけじゃ観客に見えないから、舞台上にはスクリーンがあって『二十歳の原点』が流れるし、当時や今の村雨橋の映像が映し出される。
(出演者と鴻上尚志)
 そこがどうしても説明的になってしまい、演劇的感興を削ぐのである。設定上、今じゃ観客も判らないことが多く、セリフだけでは伝えきれない。やむを得ないけれど、残念な点である。話はそこから、祖母が秘密のミッションに乗り出し、それは脱走米兵を受け入れるということで(知ってる人なら予想が出来る)、だけどすぐに頼める若いアメリカ人などいないから、父親が金髪のカツラを被って脱走兵に扮する。これは予想外で爆笑。祖母(20歳の香寿美)は歌が好きで時々歌うシーンがある。最初は「遠い世界に」で孫は何て曲と聞く。次は元気が出る曲として香寿美が選んだ「友よ」で、竹下景子と鈴木福が舞台で歌ってる。

 そこに親子や夫婦の葛藤、施設に入れるべきかなどの問題が出て来る。そのうち祖母は脳梗塞を起こし、やがて肺炎を起こして亡くなる。実際の竹下景子の年齢を考えると、これは若すぎる。確かにそういう人もいるけれど、日本人女性の平均寿命を考えると、今や85歳超じゃないとおかしい。母を亡くすというのは、最近自分の身に起こったばかりで、その意味では身につまされる劇だが、自分の場合は95歳だから想い出は戦争前後である。だけど、まあ竹下景子が「遠い世界に」や「友よ」を歌うのを聞けたんだから、それでいいじゃないかと思った。

 この芝居は本来、2021年に上演されるものだった。その時は竹下景子ではなく、久野綾希子が演じていたが、コロナ禍で中断せざるを得なかった。その間に久野が2022年8月に亡くなってしまい、今回キャストを変えて再演となったという。父親役の松村武(1970~)は「劇団カムカムミニキーナ」を主宰する作家兼役者で、この劇では鬱陶しい父親であり、かつ仕事でトラブっているという難役を見事に演じている。スマホが鳴るたびに、それは仕事のトラブル関係がほとんどなので、見ているこちらもビクッとしてしまう。鈴木福は小劇場系の舞台出演は少なく、こういう場で出ずっぱりの体験は大切だろう。この後何公演か地方を回るけど、東京は今日が最後。
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新宿梁山泊『失われた歴史を探して』ー関東大震災百年、虐殺の記憶

2023年10月12日 22時51分31秒 | 演劇
 久しぶりに演劇を見てきた。調べてみると、およそ1年前『レオポルトシュタット』を見て以来である。まあ、この間は事前にチケットを買うことが出来ない日々が続いていた。そろそろ寄席にも行きたいし、お芝居も見たい。だが、映画もそうなんだけど、余り見に行けない間に「どうしても見たいなあ」レベルが上がってしまった。要するに大部分は「まあ見なくてもいいかな」になっちゃうわけである。今回見たのは、新宿梁山泊の『失われた歴史を探して』で、9月に関東大震災時の虐殺問題を書いてたから見ておこうかと思った。今日が初日で、15日(日)まで計7回の公演が予定されている。

 場所は下北沢の「ザ・スズナリ」で、何度も行ってるのに下北沢再開発完成後初めてなので、うっかり迷ってしまった。スマホで検索しても、全然違ったところが出る。もう下北沢に着いてるのに、徒歩38分とか出るのには呆れてしまった。すごく狭い劇場だが、昼(2時)だからか題材なのか高齢層でほぼ満員だった。作者は金義卿(キム・ウィギョン)という韓国を代表する劇作家で、もう亡くなっているという。日本では文化座が『旅立つ家族』という作品を上演してきたというが、この作品が2度目の上演らしい。ただ原作は4時間ほど掛かるのに対し、今回は2時間ほどで、大胆に脚色されている。

 アフタートークによれば、主に趙博が脚色していったという。冒頭がもう現代の話で、女性二人が映画『福田村事件』のことを語り合っている。原戯曲は1986年の作品で、時代も国も違って伝わりにくい部分が多い。そのため、ところどころで現代の人物を出したり、設定を大きく変えたりしている。場所は江東区の大島にある「大島工作所」。工場主は朝鮮人に同情し、多く雇ってきた。それには過去の理由があることが後に判る。一方、息子は朝鮮で軍務について三一独立運動を弾圧した経験があり、朝鮮人嫌いになって帰って来た。今は地元の在郷軍人会の会長をしているが、親子の相違も原作と違うらしい。

 そこで働く金振道(キム・ジンド=趙博)は皆のリーダー格だが、中には博奕好きもいる。彼の娘金順起(キム・スンギ)は、実は工場主の息子、つまり朝鮮人を嫌いなはずの人物と恋仲で、二人は結婚を双方の親に言い出せない。そんな時に関東大震災が起きるのである。趙博はところどころで出て来て、解説も行ったり歌ったりする。「パギヤン」として知られる関西の在日コリアンミュージシャンだけど、大した存在感で舞台を締めている。『福田村事件』にも出ていたし、俳優としても才能を発揮している。
(趙博)
 そして新宿梁山泊主宰の金守珍が震災当時の内務大臣、水野錬太郎を演じて重厚な演技を披露する。この劇では水野内相が震災で大きな犠牲を出した民衆の感情をそらすために、「朝鮮人と社会主義者の陰謀」というデマを流すことを命じている。それが行き過ぎてしまったため、今度は自警団取り締まりを警視総監に指示することになる。だが、戒厳令下で実権を握るのは軍であって、内務大臣が虐殺事件の総責任者という判断はどうなんだろう。水野錬太郎は三・一独立運動当時、朝鮮総督府の政務総監だったのは事実だが、この役職は弾圧の責任者とは言えないのではないか。
(金守珍)
 いい味を出していたのが、刑事役の大久保鷹で、状況劇場以来の伝説的俳優。前日に80歳になったというが、年齢を感じさせない存在感だ。朝鮮人の監視役でありながら震災時には「保護拘束」をして助けようとする。朝鮮人を救った大川署長の実話にインスパイアされて作られた役だという。全体的に見れば、歴史内容的にも、脚色の是非に関しても、初日だから演技面においても、ツッコミどころは多いと思うけど、まだまだ練っていくとアフタートークで語っていた。悲劇を忘れずに直視していく決意を語る劇であり、見るべき価値があった。ウクライナやガザ周辺で起きている事態を思い出して見ざるを得ない。やはりそういう舞台なんだろう。
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トム・ストッパード作『レオポルトシュタット』を見る

2022年10月19日 23時03分07秒 | 演劇
 新国立劇場トム・ストッパード作『レオポルトシュタット』を見た。イギリスの有名劇作家ストッパードの最後かも、という戯曲の日本初演である。2020年1月にロンドンで初演され、コロナ休演をはさみながら大評判となり、ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作戯曲賞を受けた。2022年10月、ちょうどブロードウェイ公演も始まっている。そんな話題作を広田敦郎翻訳、小川絵梨子演出で、早速見られるのはとても嬉しい。今年屈指の注目公演だと思うが、登場人物がとても多く、最初は理解が難しい。しかし、ラストに至って作者の思いが判る時、体が震えるほどの圧倒的な感銘が押し寄せた。まさに今見るべき演劇だ。

 これは作者の自伝的要素もあるという。それがラストに判るんだけど、作者の紹介は後に回したい。しかし、題名は最初に説明しないと判らない。レオポルトシュタット(Leopoldstadt)というのは、ウィーンの第2区の地名である。僕はウィーンのことは全然知らなかったので、調べて初めて判った。17世紀ハプスブルク家の皇帝レオポルト1世にちなむ地名だという。地区の南部にプラーター公園があり、映画『第三の男』に出て来た大観覧車がある。ウィキペディアによると、1923年段階で38.5%がユダヤ系住民だった。この『レオポルトシュタット』という劇も、ウィーンに住むユダヤ人2家族の50年以上に及ぶ物語である。

 ホームページに登場人物が出ているが、とても多い。カーテンコールには子役も含めて25名も出て来た。時間経過が長いので、子どもは大人になり、新たな子どもが登場する。子役が一人で何役もやっている。この作者には『コースト・オブ・ユートピア』という19世紀ロシア人の革命論議を描く9時間の超大作がある。今度の作品も一体何時間掛かるかと、事前にちょっと心配した。結局は休憩なし、2時間20分ほどだったが、どうして50年以上も描くのに一幕で出来るのか。それは円形の回り舞台にある。この前見た首都圏外郭放水路みたいに柱が何本も立っている。冒頭はクリスマスで、大きなテーブルと幾つかの椅子がある。そこに一族が集まっている。次の場では舞台が回って、裏側で新しいドラマが始まる。乗峯雅寛の美術が素晴らしい。
(日本公演)
 最初は1899年のクリスマス。あれ、ユダヤ人なのに、なんで? その時代には裕福なユダヤ人家庭では、ウィーンの上流階級と親しく交わり、中にはカトリックに改宗する人もいたらしい。だからクリスマスも過越の祭も祝う。子どもたちがツリーを飾り付けし、てっぺんにダビデの星を取り付けてしまい、大人たちの笑いを誘う。大人は大人で、何人もが別々に話している。実際に大きな部屋に同席して見ているような感じである。次に1900年になると、不倫関係もある。子どもが生まれると、割礼をすべきかどうか悩む。メルツ家ヤコボヴィッツ家、両家の人々にはユダヤの伝統をどう考えるか、多少の違いもあるようだ。

 この段階では登場人物がよく判らない。そこから1924年になる。つまり第一次大戦で敗れて、ハプスブルク帝国は解体され小さなオーストリア共和国になっている。メルツ家の一人息子ヤーコブは大戦で負傷して片腕を失った。最初に子どもだった世代も大きくなり、中には共産主義を支持する者もいる。一方、小さくなったオーストリアは、言語が同じ大国ドイツと一緒になる方が良いという考えも者もいる。そんな混沌の時代に揺れているユダヤ人世界を描き出す。
(ロンドン公演)
 次が1938年になって、ついにナチス・ドイツがオーストリアを併合する日がやって来る。人々は逃げるべきか、それほど悲観しなくても良いのではないか、年寄りをどうすると議論している。ヤーコブの従妹ネリーは小さな息子レオを抱えて、イギリス人記者パーシーと婚約している。一家でイギリスのヴィザが取れるのか。という議論をしているうちに、ナチスがやってきて一家の家を接収すると告げる。議論しているヒマはなかったのである。それは「クリスタル・ナハト」の日。ウィーンでも反ユダヤの声が響く。今までユダヤ人性をそれほど意識せずに、富裕な階層として生きてきた人々にナチスのむき出しの憎悪が押し寄せたのである。
(家族関係と配役一覧)
 ホームページに配役一覧と系図が出ている。はっきり言って、見ている間は判りにくい。系図を見たって、全部は覚えられない。(配役は省略。)外国人の人名が舞台に飛び交い、時間が経つたび子どもが大人になっていく。だけど、ラストになって、これらの人々のほとんどがナチスの収容所で亡くなるか、または自殺していることが観客に伝えられる。ラストは1955年。連合国の占領が終わり、オーストリアが永世中立国として主権を回復した年である。アウシュヴィッツからただ一人生き残ったのはナータンだけ。ニューヨークに逃れていたローザが、戻ってきて屋敷を買い取った。そこにネリーの息子レオが大きくなって登場する。

 イギリス人記者と結婚したネリーはドイツのロンドン空襲で亡くなっていた。レオはイギリスで教育を受け、すっかり英国風に生きてきて、名前も英国風に変えて生きてきた。ユダヤ人であることは意識してこなかったのである。だが、このとき初めて恐るべき一家の悲劇を認識したのである。この一族の凄絶なまでの犠牲に思いを馳せるとき、歴史を語り継ぐ大切さを目の当たりにする。「まさか」と油断しているときに、すでに悲劇は始まっていた。それこそが2022年にこの劇を見る意味ではないか。
(トム・ストッパード)
 トム・ストッパード(Sir Tom Stoppard、1937~)は、もう85歳。引退を決めたわけではないようだが、年齢からして最後かもと口にしたらしい。『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(1966)で評判となり、自分で映画化もした。『ハムレット』に端役で出て来る人物を取り上げた劇である。映画『恋におちたシェイクスピア』(1998)のシナリオで米アカデミー賞脚本賞を受賞している。しかし、シェイクスピア専門というわけではない。冷戦下の東欧の反体制派を支援し、それをテーマにした作品も多い。後にチェコ大統領となる劇作家ヴァツラフ・ハヴェルとも知り合いだった。プラハでロック音楽を続ける若者を描く『ロックンロール』(2006)などがある。

 僕はストッパードの個人史をよく知らなかったが、彼は今回の作品のレオとよく似た人生を歩んでいた。もとはチェコのユダヤ人家庭にトマーシュ・ストロイスラーとして生まれた。ナチスが来る直前に、父が勤めていた会社の配慮でシンガポールに逃れたのである。そして日本軍がシンガポールを占領する前に、母と子どもたちはインドに逃げ延びたが、父は残って志願兵として戦った。そして父は船が爆撃されて撃沈して亡くなったという。母は子どもをイギリス風に教育し、イギリス軍人と再婚した。1946年、一家はイギリスに帰国し、トマーシュはトムとして生きてきた。自身の出自を知ったのも50代を越えてからだという。このような現代史の悲劇が作者自身に存在し、日本も大きく関わっていたのである。31日まで、まだチケットは残っている。
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劇団印象『カレル・チャペック』を見る

2022年10月07日 22時50分29秒 | 演劇
 劇団印象カレル・チャペック~水の足音~』という劇を東京芸術劇場(シアター・ウエスト)で見た。今日が初演で、10日まで全7公演。戦前のチェコで活躍したカレル・チャペックは僕の大好きな作家で、数年前に何回か記事を書いた。僕はこの劇団を知らなくて、新聞で紹介されていたので是非見たいと思ったわけである。しかし、劇団名も「いんしょう」と常識的に読んでしまった。アナウンスで「いんぞう」と言うから、チラシを見たら英語で「-indian elephant-」と書いてあった。
 
 鈴木アツト作・演出で、この人が劇団の中心。外国人の評伝劇は3回目だと出ている。前はオーウェルケストナーと言うんだから、そっちも僕は是非見たかった。1921年から1938年のカレルの死まで、全7場で構成されている。最後を除き、チャペック兄弟の家が舞台で、そこにカレルと兄のヨゼフ、兄の妻ヤルミラ、後にカレルの妻となるオルガ、そして共和国大統領のトマーシュ・マサリク、その息子のヤン・マサリク、チャペック兄弟の友人ランゲル、そして兄夫婦の娘アレナという実在人物が主要登場人物である。そこにもう一人、ドイツ語教師のギルベアタ・ゼリガーという女性が登場する。
(左=カレル、右=ヨゼフのチャペック兄弟)
 複雑なようで、ある程度人名を知っていれば混乱はしない。ヨゼフは画家として活躍した人物だが、当初は戯曲も共作していた。チェコスロヴァキア共和国の初代大統領トマーシュ・マサリクは哲人大統領と呼ばれ、チャペックの家で開かれた「金曜会」という会合にも出席していた。劇のようにカレルを家に訪ねても全然おかしくない。チェコスロヴァキアは第一次大戦でオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)が敗北して、独立を達成した若い国だった。小さな民主主義国家としていかに独立を維持していくか。マサリクにとってだけでなく、それがカレル・チャペックの生涯のテーマだった。

 ゼリガーというドイツ人は架空の存在だろう。ドイツ人が多いズテーテン地方の教師で、独立後にドイツ人が少数民族になりチェコ語が優先されるようになった。それはおかしいのではないかとカレルに詰め寄るのである。そして次第にナチスに惹かれるようになっていく。この問題を作者が取り上げたのは何故だろうか。当然「ウクライナ戦争」だろう。ソ連解体により、ウクライナやモルドバなどに住むロシア人は少数民族になってしまった。ロシアは自国外のロシア人勢力を支援して「分離国家」を作り上げ「併合」していった。この経過はズテーテン地方の割譲をチェコに迫ったヒトラーのやり口を想起させる。
(カレルと妻のオルガ)
 この劇では家庭内の様々なドラマを軽快に描き出していく。女性の生き方、ユダヤ人ランゲルの人生など、いくつかのサブテーマも描く。またカレルとヤン・マサリクとのオルガをめぐる恋愛の行方も興味深い。(ヤンとオルガの関係が事実かどうか僕は知らない。)また娘のアレナが川で山椒魚を取ってきたり、マサリク大統領が「船長ヴァン・ドフ」に扮して出て来るなど『山椒魚戦争』にまつわるエピソードも印象的。しかし、やはり「危機の時代に民主主義を守っていくこと」に関する勇気と決断のドラマが感動的に描かれたドラマである。
(トマーシュ・マサリク)
 まさに今に向けて書かれた劇だと僕は感じた。ラスト近くでズテーテン地方の割譲を英米が認めた「ミュンヘン協定」(1938年9月29日)が出て来る。ヤン・マサリクはカレルを訪問し、やむを得ざる苦渋の決断として、新聞に支持する文章を書いてくれるように依頼する。ヤン・マサリクは戦後外務大臣になるが、共産党政権樹立直前に謎の死(恐らく殺害)をとげる。その未来を知る者には苦渋の苦さも格別だ。また、ちょっと違う問題だけど、チャペック兄弟と言えば家で犬や猫を何匹も飼っていたことで有名だ。また園芸家としても著名。庭いじりは難しいだろうが、ぬいぐるみでいいから「ダーシェンカ」が欲しかった。

 まあ、とにかく全体としては非常に満足したお芝居。役者はカレルを二條正士以下、皆頑張っていたが名前は省略。ヤルミラ役の岡崎さつきが良かったと思う。チャペックに関しては、2017年末から18年にかけて「チャペック兄弟、犬と猫の本」、「チャペックの旅行記」、「新聞・映画・芝居をつくる」、「政治とコラム」、「「山椒魚戦争」と「ロボット」」と5回書いた。最高傑作は間違いなく『山椒魚戦争』だが、『園芸家12ヶ月』『ダーシェンカ』も忘れられない。
*コメントにより、記事に間違いがあったことが判り一部書き直しました。(2022.10.18)
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新劇交流プロジェクト『美しきものの伝説』(宮本研)を見る

2022年06月22日 22時44分50秒 | 演劇
 新劇7劇団が共同で制作した新劇交流プロジェクトで、宮本研作『美しきものの伝説』を見た。本来は2020年に予定されていたが、コロナ禍で2年延期され、僕も2年待ってようやく見られた。場所は六本木の俳優座劇場だが、六本木も久しぶり、俳優座劇場もこんなに小さかったかという感じ。新劇交流プロジェクトは2017年の三好十郎『その人を知らず』に続くものだというが、それは見ていない。今回は文学座、民藝、俳優座、文化座、東演、青年座、青年劇場の7劇団が参加している。

 劇作家の宮本研(1926~1988)は近代日本の人々を描く作品をたくさん書いた。『美しきものの伝説』は1968年に文学座で初演されたもので、革命4部作といわれる。大正時代の社会主義運動家、女性運動家群像を題材にしながら、昭和の「暗い時代」の前にあった「ベル・エポック」(美しい時代)を描き出している。ついこの前、文学座『田園1968』を見たけれど、1968年は2022年から見ると54年前になる。一方、この劇が初演された1968年から劇が始まる1912年は、56年前でほぼ同じ時代間隔になる。60年代にとって大正時代を考えるのは、今から60年代を振り返るようなものなのか。

 宮本研の作品は同時代に何作か見ているが、この作品は実は初めて。よく上演されているが、内容的に知ってる世界なので、どうなんだろうと思っていた。劇中の人物はすべてモデルがあって、名前が変えられている(あるいはニックネームで呼ばれる)が、知ってる人なら誰だか判るだろう。(事前配布のチラシで解説されている。)初演当時には、平塚雷鳥、神近市子、荒畑寒村はまだ存命だった。(舞台には出て来ないが、名前が呼ばれる辻まこと=伊藤野枝、辻潤の長男も存命だった。)そういうことも仮名にした理由かもしれないが、見ているものにはすぐ判るんだから、ある種「伝説」を物語るという目的なんだろう。

 鵜山仁演出はいつもながら、僕には納得出来るものだった。当時の芸術座の芝居が劇中劇として出て来る。一つはトルストイ原作の『復活』で、有名なカチューシャの唄が大流行した。劇中のカチューシャ=松井須磨子渡辺美佐子が演じていて大熱演。これをラストの舞台にするということだが、熱烈な口づけを披露している。最初はどう見ても年齢が違う感じなのだが、やがて納得してしまうから、不思議である。師である島村抱月を従えている感じである。抱月は1918年11月にスペイン風邪で急死する。そして須磨子も後追い自殺するわけだが、知ってる展開だから衝撃はない。100年前のパンデミックが描かれているのは興味深い。
(渡辺美佐子)
 しかし、何と言っても大杉栄伊藤野枝がいろいろあっても生き生きしている。大杉は南保大樹(東演)、野枝は荒木真有美(俳優座)が演じている。しかし、大杉の女性関係は今見ると、「伝説」で済ませてよいのだろうか。それでも堺利彦との間に交わされる革命論争は今も重要だ。ロシア革命で誕生したソヴィエト政権をどう捉えるか。ソ連が崩壊してしまった現時点では測れないほど重大問題だった。アナーキズムに立つ大杉とボリシェヴィキ革命を支持する堺との間には、当面の連帯は成り立っているが究極的には対立点がある。ただ60年代には身を切るような議論だったろうが、今では時代が変わった感は強い。
(稽古風景)
 もう一つ抱月を中心に、小山内薫、沢田正二郎、久保栄などと交わされる芸術論議も見落とせない。そもそも「新劇」と呼ばれる劇が成立したのがこの時代である。新劇があれば「旧劇」もあるわけで、それが歌舞伎などである。今でも女優のいない旧劇に対して、新劇で初めて女優が生まれた。その最初の大スターが松井須磨子である。「新劇」は日本社会にとって、どのような意味を持ったのか。今では新劇風リアリズムが当たり前になってしまって、歌舞伎の「見得」などの方が不思議に見える。今も「商業演劇」とは違うものとして「新劇」があるが、その背後にあった社会運動的意義をどう評価すべきか。

 ただ僕にとって、登場人物の行く末をほぼ知っているわけで、その意味では劇として面白みが少ない。事実と違う部分もあって、それはそれでいいんだけど、自分なりにイメージと違う部分もある。出て来る人物が多いから、テーマが深まらない面もある。「ベル・エポック」探訪という感じが強い劇だなあと思う。でも大正時代をこのように描き出すこと自体が、ちょっと今ではロマンティックな幻想だったかもしれないとも思う。それは60年代に関しても言えることだろう。
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文学座公演『田園1968』(作・東憲司)を見る

2022年06月19日 22時20分54秒 | 演劇
 町田市から戻って、新宿の紀伊國屋サザンシアターで文学座公演『田園1968』(作・東憲司、演出・西川信廣)を見た。25日まで。時々お芝居を無性に見たくなるけれど、あまり遠くまで行きたくない。今回は1968年という時代設定に魅力を感じて、見ようかと思った。ただし、チラシにある「時は1968年(昭和43年)。ベトナム戦争の激化、キング牧師、ロバート・ケネディーの暗殺、フランス五月革命。日本でも学生運動が激しさを増し、世界全体が大きく揺れていた」というほど、時代性を強く描くわけではない。高度成長下の農村で生きるある家族の「ひと夏」をコミカルに描き出す佳作という感じである。

 内容に触れる前に、何と言っても祖母・梁瀬サワ役の新橋耐子(しんばし・たいこ、1944~)の元気さが素晴らしい。長男が農地を売ろうとしているのに対し、絶対に売らせないと頑張って農業を続ける。まあ、劇中では夏の終わりに亡くなってしまうが、ご本人はまだまだ元気なようだ。今まで文学座の芝居で、あるいは一番思い出にある『頭痛肩こり樋口一葉』などで、ずいぶん楽しませてもらったけれど、まだまだ活躍して欲しいなと思う。今度舞台女優を引退するという渡辺美佐子とは12歳の差があるんだから。
(祖母役の新橋耐子を中心に)
 冒頭は浪人生の梁瀬文徳(やなせ・ふみのり=武田知久)の語りである。1968年、世界も日本の激動の中、浪人だから勉強しなくちゃいけないのに、町の映画館に入りびたっている。アメリカやフランスの映画を見まくって、自分でシナリオを書いたりしている。「浪人なのに映画ばかり見ていた」のは、この数年後の自分とそっくり。しかし、この時代の「数年」の違いは大きい。1968年の僕は中学1年生で、8月下旬に起きたソ連によるチェコスロヴァキア侵攻に大きな衝撃を受けていた。
出演者一同)
 ある地方の農家梁瀬家も、今は父親の孝雄(加納朋之)は土建会社をやっている。会社が不調で農地を売って事業資金に回したいが、農地は売らせないと祖母のサワが頑張っている。長男の博徳(ひろのり=越塚学)は皆がうらやむ優等生だったが、小学6年生の時、台風の日に大けがをして片足が不自由になった。引け目を感じてしまって高校へも行かず、中卒で印刷会社に勤めたが、今辞めてしまったところ。祖母を助けて農業をやろうというのである。長女の睦美(磯田美絵)は東京の大学に行かせてもらったが、学生運動に夢中になって、今はワケありで故郷に戻っている。母はすでに亡くなり、梁瀬家5人のひと夏が始まる。
(祖母と孫睦美)
 そこに様々な闖入者が現れる。祖父がかつてやっていた農民学校を再建したい長男博徳。そこに近所の団地に住む女性が協力者として現れる。突然大学から消えた睦美には、片思いの男が突然押しかけてくる。映画館の娘はかつて長男に憧れていたらしい。次男の文徳とは映画館で親しくなって、シナリオを読んであげる。そんな中で一家にカタストロフィが起きるのは、再び台風が農園を襲った後だった。祖母+長男の「農業やりたい連合」対父親の「早く農地を売りたい」対立がドラマの争点だった。それが農地が大きな被害を受けてしまうことによって、家庭内の関係が一挙に変転する。そこに長男と近所の女性との関係。そして女性の夫(高橋克明)が乱暴者として登場して、場をさらってしまう。
(東憲司)
 西川信廣の演出は、登場人物をコミカルに描きわけていく。しかし、東憲司の台本は、いくつかの要素が詰め込まれて整理されていない感じもした。映画好きの次男の目から見た「1968年の夏」。田園が無くなっていく高度成長下という時代背景。幾つものすれ違いの恋愛関係。それらは見慣れた光景だが、切実に思い出すものがある。一応満足感があったけれど、もう一つ深い感動が欲しかった気もする。各人物はよく描きわけられていて、僕は皆がどこかで会った気がしてならなかった。演劇や映画で俳優を見たのではなく、自分の実人生のどこかで出会ったような気がする人が多かった。

 自分は東京生まれ、東京育ちだが、それは地名が東京都に入っているだけのことである。東京と言っても周辺部の農村地帯だったから、小学生時代は田んぼのあぜ道を通って登校したのである。だから、あちこちに空き地や雑木林があって、秘密基地というか、どこにカブトムシがいるとかを知っていたものだ。それが東京五輪からの数年間で、ほぼ消えてしまった。前にあったはずの林がいつの間にか無くなっていた。それが僕にとっての「高度成長」という時代だった。この劇は「田園1968」と題されているが、ラストで農地は売られる。あっという間に「都市近郊」の日本中同じような風景が広がる分岐点だった。
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無名塾「左の腕」を見る、仲代達矢役者七十周年記念作品

2022年03月11日 21時04分44秒 | 演劇
 ウクライナ戦争下の11年目の「3・11」。今年は無名塾の公演「左の腕」を見に行った。「ピアフ」を見たばかりだけど、あれは去年秋に申し込んでいた。その後に「左の腕」を知ったが、5日から13日である、チケットぴあや劇場で満員で、劇団に電話してようやく取れたのだった。体調を崩したら高いチケットを両方ムダにするから、本当はもっと間を空けたかった。それでも北千住のシアター1010だから行こうと思った。駅前の丸井11階にある劇場で、「1010」は「せんじゅ」だが、「○1○1」(まるいまるい)の逆でもある。いつも遠くまで出掛けるのが大変なのに、今日は30分で着くからこんなに楽なのか。

 「左の腕」は松本清張佐渡流人行」の一編で、1時間半ほどの短い劇である。舞台は江戸・深川の料理屋の一角、飴売りの老人はいつもその店の土間でお昼を食べている。娘を抱えて大変な暮らしなのを知って、料理屋ではこの父娘に仕事を世話する。働き者の父と娘に親切な人たちが現れたのである。しかし、そこに料理屋を食い物にしている悪い目明かしが現れて…。娘を妾にしようと思って、老父の秘密を探り始める。父はいつも左腕に包帯をしていて、それは昔火事にあって大やけどをしたからだというが、それを疑ったのである。ある夜、その料理屋で賭場が開かれると知って盗賊が襲ってくる…。

 原作は昔読んでると思うが、清張はいっぱい読んでいっぱい売ってしまったので、もう持ってないと思う。基本は人情時代劇で、ストーリー、あるいは「父の左腕の秘密」は誰にでも想像できる通りのものである。そのことが盗賊が襲った夜に、まざまざと明るみに出る。しかしドラマチックと言うより、設定は定番通りだろう。この父親が仲代達矢で、1932年生まれだから89歳である。もうこの年齢だから「受けの演技」だと自ら述べていた通り、悠々自適、飄飄とした、演技を越えた一本筋が通った人間の芯を見せる。

 松本白鸚大竹しのぶと恐るべき大熱演を見たあとに、今回の仲代達矢。ステーキの後に、お茶漬けをサラサラッと飲みこんだかの感じだが、その滋味が懐かしい。1時間半だから、大ドラマと言うより、掌編のエチュードという感じ。「仲代達矢役者七十数年記念」と銘打っている。しかし、舞台も映画も端役として出始めたのは1954年からで、1952年は俳優座養成所第4期生として入所した年になる。この偉大な役者を今も見られることは素晴らしい贈り物だ。仲代達矢はいろいろと凄いわけだが、何より凄いのは妻の宮崎恭子が1996年に亡くなった後も妻と共に創立した無名塾を元気に守り続けていることだ。大部分の男には出来ない。
 
 無名塾出身俳優として一番有名なのは役所広司だろう。2021年にその役所広司主演の西川美和監督「すばらしき世界」という映画があった。「左の腕」は時代劇だが、テーマは共通性がある。「刑余者」の問題である。かつて罪を犯した人間は立ち直ることが出来るのか。人はもっと寛容になるべきではないかというテーマは、争いが絶えない21世紀の世界に訴えるものだ。「赦す人」あれば、「人の弱みにつけ込む人」もある。善意がつながっていく道はあるのだろうか。静かにそう問いかけているように思った。
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大竹しのぶ主演「ピアフ」を見る

2022年03月08日 22時29分58秒 | 演劇
 日比谷のシアター・クリエで大竹しのぶ主演の「ピアフ」を見た。2011年に初演されて大評判になって以来、13、16、18年に続く4度目の再演になる。見たいなあ、見なければと思いつつ、チケットが高いから今まで行かなかった。今回も高いわけだが、お金がないわけじゃない。旅行に行きたいと思って取ってあった一昨年の10万円(給付金)を、しばらく行けそうもないから使ったのである。シアタークリエも初めて。もともとは芸術座があった建物で、そこも森光子主演「放浪記」で一回行っただけ。地下には映画館のみゆき座があって、僕が初めて一人で行った映画館だった。再開発されて、シアタークリエは地下になった。

 パム・ジェムス作、栗山民也演出の歌入りのお芝居で、歌が多いという意味ではミュージカル的だが、セリフが全部歌だったりダンスがあるわけではない。どっちかというと、歌手を主人公にした普通のドラマで、その歌手の人生がハンパないのである。エディット・ピアフ(1915~1963)という歌手のことは大昔から知っていた。昔はラジオが主な情報源で、Jポップなんてものはまだなくて洋楽中心に流れていた。70年前後はロック系が多かったが、それ以外にも時々はビリー・ホリデイとかエディット・ピアフなんていう大歌手がいたんだと曲を掛けることがあったのである。僕はすごいなと思って、この二人のLPレコードを買ってしまった。
(エディット・ピアフ)
 ビリー・ホリデイ(1915~1959)は昨年「ビリー」という記録映画が公開され、最近も「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」という劇映画が上映されている。二人は生年が同じで、40代で亡くなったことも同じ。どちらも恵まれない環境に生まれ、アルコールや薬物の中毒に悩まされる人生を送った。しかし、今も語り継がれる伝説的なシンガーで、持ち歌は現在も歌われる。もう一つ共通なのは独特な声質で、映画でビリー・ホリデイを演じたアンドラ・デイがゴールデングローブ賞の主演女優賞を受けるほど似せていた。大竹しのぶは日本語歌詞で歌っているわけだが、それでも若い頃、戦時下、薬物中毒など人生の諸時期を見事に歌い分けて、何だかラスト近くでは本人かと思うぐらいだった。

 「ピアフが、大竹しのぶに舞い降りた!」とチラシにあるけれど、まさにピアフが憑依したかという感じ。大竹しのぶが朝日新聞に連載しているコラムの中で、「ある日の公演で何だか肩が重いなと思ったら、その日は美輪明宏さんが見に来ていて『ピアフが来てたでしょ』と言われた」とか書いていた。まさか!と思うけど、そう言われても納得してしまいそうな名演である。歌も「愛の讃歌」「ばら色の人生」「水に流して」など見事に聞かせる。ただ、ピアフの生涯には悲惨な出来事が多すぎて、見てるうちに何だか辛くなってくる。決してただ楽しく見られるお芝居ではない。
(公演前の記者会見)
 ピアフの人生はおおよそフランス映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007)で知っている。主演のマリオン・コティヤールも見事な成り切り演技で、何とフランス映画なのにアカデミー賞主演女優賞を取ってしまった。悲惨な生い立ち、街で歌っていて見いだされたが恩人が殺され、ピアフも共犯を疑われる。戦時下はドイツ兵の前で歌いながら、レジスタンスに協力。戦後になってアメリカで人気が出て、米国公演中にミドル級チャンピオンのボクサー、マルセル・セルダンと知り合って大恋愛になる。しかし、セルダンは1949年に飛行機事故で亡くなった。「愛の讃歌」は彼のために(彼の生前に)作られた曲である。激しいショックを受けたピアフをマレーネ・ディートリッヒが支えた。
(映画「エディット・ピアフ」のマリオン・コティヤール)
 そこまでが第一部で、第二部はイブ・モンタンシャルル・アズナヴールなど若い歌手を見い出しては、薬物中毒になっていく。薬物だけでなく、「恋愛中毒」でもある。あれだけ素晴らしい歌を作ったのに(作れる能力を持っていたから?)、依存症から逃れられない。大竹しのぶの「憑依」は素晴らしいわけだが、人生ドラマとしては今ひとつ紋切型という感じもする。ビリー・ホリデイと違って、国家から迫害されたわけでもないし。だけど、それだからこそ「人間の孤独」が心に迫る。

 大竹しのぶは僕より2歳下だけど、ほぼ同じ頃に都立高校に通っていたから親近感を持ってきた。若い頃から映画や舞台で何度も見てるけど、浦山桐郎監督の「青春の門」(1975)の織江役から忘れがたい役柄がいっぱいある。年に一度は大竹しのぶをナマで見たいと思いつつ、しばらく見てなかった。まだまだ元気そうだから、何度も見に行けたらいいな。コロナ禍で舞台やコンサートが随分中止になってる中、今度もちゃんと見ることが出来た。関係者の苦労に感謝したい。
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