尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「青幻記」と高橋アキトークショー

2022年04月03日 22時51分10秒 |  〃  (旧作日本映画)
 シネマヴェーラ渋谷でやってる「日本の映画音楽家Ⅰ 武満徹」特集で、成島東一郎監督の「青幻記 遠い日の母は美しく」(1973)の上映とピアニスト高橋アキさんのトークショーがあった。僕はこの映画が公開時から大好きで、最近上映機会がほとんどないけど、是非もう一回見たいと思ってきた。また高橋アキさんも昔からファンなので楽しみ。どこにあったフィルムか判らないけど、ものすごく美しい状態で完全に映像世界に魅了された。今も心の奥深くに届く「母恋い」映画の名作だ。

 鹿児島県奄美諸島の沖永良部島(おきのえらぶじま)が舞台になっている。そこで生まれた作家一色次郎(1916~1988)の太宰治賞受賞作「青幻記」(1967)の映画化。冒頭に船で島に着いたところから、海の青さが素晴らしい。映像美がハンパないのは、名カメラマン成島東一郎が自ら製作、脚本、監督、撮影を担当しているから当然だ。原作に惚れ込んだ成島が、公開の当てもなく製作プロを作って自主製作した映画なのである。1973年に公開されて、キネ旬ベストテン3位となった。
(沖永良部島の地図)
 成島東一郎は松竹で60年代の名作を多く撮影した人で、吉田喜重監督「秋津温泉」、中村登監督「古都」「夜の片鱗」「紀ノ川」などを撮った。その後、ATGで篠田正浩「心中天網島」、大島渚「儀式」とベストワン映画を撮影して高く評価された。その成島東一郎の生涯ただ一本の監督作品が「青幻記」で、それだけに渾身の思いの詰まった名作になっている。この映画の後では大島渚監督「戦場のメリークリスマス」の撮影監督をしている。
(冒頭の島への帰郷場面)
 大山稔田村高廣)は36年ぶりに鹿児島市に戻ってきた。幼い頃に住んでいたが、その後苦労を重ねて生きてきた。その日は思い出の土地をめぐり、次に母の生まれ故郷、沖永良部島に向かう。その間に昔の場面が交互に挟み込まれるが、母さわ賀来敦子)は苦難の人生を送った人だった。美貌を見そめられ島から鹿児島に嫁いだが、子を産んだ後で夫が病死して実家に戻された。しかし、その時子どもの稔は跡取りとして祖父(伊藤雄之助)の下に残され、妾のたか(山岡久乃)に疎まれている。さわは何とかもう一回子どものそばで暮らしたいと意に染まぬ再婚をして町に戻って来た。

 この物語は昭和の初め頃を舞台にしているが、当時は結核などで早くなくなる人が多かった。家制度があって、親権を争うまでもなく、子どもは家長のもとで暮らすものだった。だから、この映画のように母と子が別れ別れになることも多く、当時の大衆文化には「母もの」と呼ばれるジャンルがあったぐらいである。悲しく別れた親子が巡り会うが、子(あるいは母)は身分違いとなっていて、素直に感情を表わすことも許されない。親子は心で泣きながら別れていくが、その時母はもう二度と生きては会えぬ重い病にかかっていた…。と言ったような話が戦後10年近くまで量産されてきた。
(満月の夜に舞う母)
 母は二度目の夫に捨てられ島に戻るが、その時すでに病にかかっていた。最後の別れに港に連れてこられた稔は、そのまま母と共に島に付いて行ってしまった。船の中でも一人隔離されている母と逢うこともままならない。やっと帰った島でも遠い実家まで、助けられながら何とか親子でたどり着く。そこでは祖母(原泉)が一人で住んでいた。大人になって島に戻った稔は当時を知る鶴禎(かくてい=藤原鎌足)に出会って、母の思い出を聞く。島に戻ってから、満月の夜に舞う母の何と美しかったことか。それは少年の稔も良く覚えているのだった。このシーン(上記画像)は本当に美しく、夢幻的世界を奇跡的に描き出している。
(漁に行く母と子)
 そしてある日、母と魚取りに行って悲劇が起きる。しかし、死をまだ理解出来ない稔は泣くこともなく、人はそれを気丈と呼ぶが、実は二度と母に会えないことも判っていなかったのである。その後、祖父も死に稔は苦労を重ねて育ったらしいが、そこは描かれない。ともかく戦争が終わって何年も経ち、ようやく母の墓に戻って来ることが叶ったのである。早く両親に死に別れた稔の「母恋い」の慟哭に見るものの心も揺さぶられる。戦争と貧困の時代には多かった悲劇だが、あまりにも美しい海と空を背景にして幻想的に描かれる。沖縄や奄美を舞台にした映画は多いが、中でもこの映画は美しく感動的だ。
(高橋アキトーク。聞き手=高橋俊夫) 
 映画音楽の武満徹は一般的には「現代音楽家」と思われているだろう。ものすごく多数の映画音楽を手掛けているが、そこでも随分実験している。昨年勅使河原宏監督特集で「おとし穴」を上映した時に、高橋アキさんの兄、作曲家の高橋悠治のトークがあったが、そっちはかなり実験的、前衛的音楽である。一方で武満には稀代のメロディメーカーという側面もあって、幾つもの映画で美しいテーマソングを作っている。「青幻記」でも美しい抒情的なメロディが印象的で、毎日映画コンクール音楽賞を受けた。

 高橋アキさんも「青幻記」を再見したかったと言っていた。若い頃からの武満との関わり、映画音楽の研究もしていた音楽研究者の夫秋山邦晴さんのことなど、いろいろな話が出て来た。僕は秋山さんが主宰したエリック・サティの連続演奏会に何回か行っている。そこで弾く高橋アキさんのサティが大好きで、今もCDをよく聞いている。サティのCDを何枚か持っているが、一番しっくりくる。僕は特に音楽に詳しいわけでもなく、出て来た人名もよく判らないものもあったが、とても充実したトークショーだった。

 原作者の一色次郎は今ではほとんど忘れられているが、戦前から作家活動をしていて、戦後に2回直木賞候補になった。「青幻記」で太宰賞を受けたときは、すでに50歳を越えていた。父親が冤罪で獄死していて、そのことを訴える本もある。死刑廃止運動にも関わっていた。また映画で母を熱演した賀来敦子(かく・あつこ)は大島渚監督「儀式」のヒロインで、従兄弟同士の中村敦夫と河原崎健三に運命的に関わる律子役が印象的だった。重要な役で出た映画はこの2本しかなく、どのような事情か知らないけれど、「青幻記」一本で永遠に美しき面影が残された。
コメント (2)
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